高町なのは教導官による教導三日目の第12航空部隊。市蔵ソラとヴィータは本来出るはずだった訓練を休み、部隊長室に呼び出されていた。"客"が来ているという。
二人で部隊長室の前に立ちネクタイの位置を整え服装の乱れを整える。群青色の隊服と支給された白いシャツ、ネクタイに関しては規定がない。ヴィータは暗い赤、ソラは白い模様の黒、それぞれバードランド分隊お揃いのネクタイピンが光る。マグリッドの抽象画「大家族」を模した鳥のピン。
ノックをするヴィータ。
「八神ヴィータ二等空尉及び、市蔵ソラ二等空士、入ります」
ドアの向こうは無言、恐らくは肯定の意味。
「失礼します」と部屋に入れば、魔力の気配。防音結界。カーテンが引かれ、薄暗い。まるで、誰にも見られてはいけないといった風に。
部屋の中には二人の女性。短い栗毛の、群青の隊服を着込んだ部隊長八神はやて。「楽にしい。んでもって、そこに座り」視線で合図。ソファーに座るヴィータ、ソラはその横に車椅子を移動。
そして、女性。長い黒髪の、黒ずくめの、もしかしたらそこら辺りの男なんかよりも背の高い痩躯。足下には、青い狼の姿をした守護獣ザフィーラ。どうやら、この女が"客"らしい。
「彼女は時空管理局時空航行部隊、第08防疫部隊の登録魔導師で白烏花さん。うちら航行12部隊に08防疫部隊の内情を伝えにきた証人や。んでもって、私達が守るべき人でもある」
白烏花が立ち上がり、黒く長い髪がサラリと肩から落ちる。ファッションモデルみたいに高くて細くて。見上げる背の低い二人、ヴィータとソラの共通見解、"ちくしょう、羨ましい"。そんな二人の憧れと渇望の視線に気づかぬまま烏花が口を開く。
「元、第08防疫部隊の白烏花です。兄の件は、本当にありがとうございました」感謝を示す、合掌のジェスチャー。
"白(パイ)"、同じ名字の人間を思い出す。数週間前に冷たい海へと姿を消した、悪魔みたいな狙撃手。
「お前、もしかしてパイ・スイユの妹か?」
ヴィータの、驚愕混じりの質問に黒ずくめの烏花は頷く。
はやてが口を開く。「市蔵には彼女の持ってきた情報の裏付け捜査をしてもらいたい。ヴィータはザフィーラと組んで彼女の護衛、遊撃的に市蔵の捜査の手伝いもしてもらう」部隊長の命令。
ソラが質問「護衛だなんて。それは証人保護官の仕事じゃないんですか?」
「彼女はな、その証人保護官に殺されかけとんのや。それも二回」
「その証人保護官は?」
「逃走、そして二人とも数時間後に死体で見つかった。"ティンダロスの猟犬"とやらに感染しての死亡らしく、死体は勿論、他の遺留品なんかも08防疫部隊が浄化と称して焼き払ったそうや」
「それって、犯人たちの黒幕は08防疫部隊で間違いないってことですよね」
「せやな。けど、証拠がない。だから監査官も執務官もうごけれん。この捜査は、完全にうちら航行12部隊の独断専行ってことになるな」
「なんて言うか、釈然とはしませんね」
ソラは勘弁してほしいと、ため息をつく。暫くは内偵任務の、また探偵かスパイみたいな生活に逆戻り。飛べそうにはない。同時に、こうとも思う。"飛ばなくてすむ"。背骨を蝕むイカルス・デバイスは依然として麻痺を引き起こし、機嫌をくすねていた。鳥だって地面で休まなければ、いつかは墜ちる。今がその時なのだと、割り切ることにした。
「ところで、彼女が持ってきた情報って何なんだ?教えてくれるんだろ。じゃないとカーテンや防音結界の意味が無い」
「それなら、これや」と、八神はやてがビニールにパッキングされた物を投げてよこす。黒革の手帳、ヴィータはそれを開く。ソラもそれを横から覗く。
どうやら、何らかの事件の捜査内容らしい。酷い悪筆な上に滅茶苦茶な文法の、数式みたいな走り書き。唯一丁寧に書き込まれた"第08防疫部隊"の表題。
ティンダロスの猟犬=海上プラントでの細菌兵器計画。08の防疫業務/証拠隠滅。菌で消す+菌ごと消す=通常業務に隠蔽。JS×2もしかすると3(檻の中)。ガイノイドの蘇生/悪魔の卵の孵化=ゲオルグ・テレマンの考え。偏狭世界・疫病=実験/傀儡のテレマン/ティンダロスの猟犬/過剰な防疫。すべて08の。管理局≠正義。仮面部隊の正体掴めず。復活?、復活。悪魔が産まれた。殺される!
「なんだこりゃ?」左右非対象な表情で、首を傾げ、煙を噴く脳みそで考えるヴィータ。
「ジェイムズ・エルロイがダダイズム詩を書いたら、こんな感じでしょうね」第97管理外世界の犯罪小説家と芸術活動の名前で比喩するソラ。
二人とも、その手帳の文字が意味する所にはたどり着けない。首を傾げ、思考に耽る。
「第08防疫部隊は単なる防疫部隊なのではなく、細菌兵器の実験開発、それを使った暗殺、そしてそれらの証拠隠滅をこなす"法の外の部隊"ということです」烏花の断言。
「そして、その"法の外の部隊"を法の光で暴き出すのが私達の仕事やね」
恐ろしい陰謀の匂い。管理局という世界の正義たる組織の中で暗躍する、08防疫部隊の影。その影を踏もうと証人を手に入れ、証拠を集めようとする航行12部隊。管理局をも狩る、八神特別捜査官とその部下達。ハンター・オブ・ハンター。
「そんな風に身内の中の敵を暴いて。だから"裏切り者部隊"なんて呼ばれるんだぜ」悪童めいた笑みでヴィータが笑う。
「手帳にも書いてあったやろ。"管理局≠正義"や。そうならんために、どこかが"裏切り者部隊"の汚名をかぶらんといけんのや。それに私は、管理局にたいしても、正義にたいしても、狂信はしとらん」
部隊長の決意。何かを思い出すように、遠く澄んだ瞳で。ヴィータは思う。はやては何を見ているんだろう?きっと、冬の日の決意。魔法を知り、世界の正義が個人の正義でないことを知り、自らに向けられた悪意を全て飲み干し、ようやく家族を手に入れ、自由に歩く術を持った冬の日。
「私が信じているのは、幸福。組織や正義なんてその次でええ」
馬鹿な奴。ヴィータはクスリと笑い、子供みたいな乱暴さと無邪気さでソラの首を、肩をひっ捕まえる。
「おい、ソラ。我らが部隊長殿は誰もが幸せになれるハッピーエンドをご所望だ。しっかり働いて、さっさと事件を解決するぞ」
「ヤー(了解)。幸いにも、探し物は得意です。ただ悪路は苦手です」こつりと車椅子をノックして「車椅子の背中はお願いします」
ヴィータが立ち上がる。ソラも車椅子を回転させる。そして宣言。
「ヴィータ二等空尉及び、市蔵二等空士。これより教導訓練シフトを外れ、証人保護任務と08防疫部隊の捜査任務に移行します」
†
「ねえ、先輩」とソラが言う。
「何だ、急に?」とヴィータが答える。
「果たして、一体。この格好になにの意味があるんですかね?」
ソラはずり落ちる丸いサングラスを人差し指で押し上げると、車椅子の車軸に噛んだトレンチコートの裾を忌々しそうに引っ張り、車輪を回転させる。
「シャマルの趣味だ。んでもって、はやての希望でもあるんだと」
こちらも忌々しそうにハットを目深に被り直すと、黒いスーツのポッケに手を突っ込み「名探偵と、その助手だってさ」
「私が探偵をするなら、偽名はアームチェア・ディティクティブで決まりですね」
「アームチェア・ディティクティブ、安楽椅子探偵か。いやに活動的な安楽椅子だな。車輪付きだぜ」
「座ったままで移動できるなんて、まさに"安楽"じゃないですか」そういいながらも、車輪を操る手は忙しなく。
「あたしが探偵役なら、"思考機械"ってところか」
タイタニック号と一緒に沈んだ推理作家の名探偵。「ほら、あたしプログラムだからよ」。ロボットみたいにギクシャクとしたダンスステップを踏みながら。
「人がロボッタ(労働)を作ったのは、怠けたかったから。人がアンドレイード(人造人間)を創ったのは、良き伴侶が欲しかったから」
「そうなのか?」
「はい。初めてのアンドレイードでありガイノイド(女性型人造人間)は、理想の女だったらしいですよ」
「へえ。それで、お前は何が言いたいんだ?」
「理想の女ということは、それは間違いなく人間を超える存在だったということで。あれ、いったい何が言いたいんでしょうね、私」
ソラは首を傾げて、考え込む。サングラスが頭の動きと一緒にずるりと落ちる。
ヴィータは考え、思いつく。嗚呼、コイツなりの遠回しなフォローかと。”造られた存在”を貶すのではなく褒めているのだ。要するに、たとえ永遠に子供の姿のプログラムでもヴィータはヴィータで、人間で、心の国の摂氏36・5度なんだということ。
ウウィン、ガシャン。ロボット・スキップが停止する。
「なんだかわかんねえけど、今回は博識な安楽椅子探偵で決定だな」
十一年間かけて手に入れた、正しく人間の笑みで微笑んだ。
「お言葉に甘えて。では行こうか、"小林少年"」
「少年探偵団かよ」
「小林くん、先輩好みの少年愛ですよ。ボーイズラブの先駆けですよ」
「あれ(江戸川乱歩)は明智小五郎と怪盗二十面相と小林少年の三角同性愛だろ。あたしは性別云々は兎も角、二人以上なんて認めてやんねえ。ぜってえにだ」
力説。ピンポイントに第97管理外世界の探偵談義というマニアックすぎる会話に、道々擦れ違う人々があからさまに変な顔をする。探偵談義なのに、少年愛だとか、三角同性愛だとか。敬虔な聖王協会の信者ならば「この少女らを救って下さい」と、剣十字に祈ってしまいそうな会話である。
そして二人がたどり着く場所。暗い雰囲気の、薄汚れたホテル。恐らくは男女間0センチの営みが繰り広げられて居るであろう、そういった目的専門のホテル。そして、白烏花を襲った証人保護官が死んでいたホテル。
「捜査は足である。地道に道を歩き続け、人と話をすることである。さあ、捜査を始めましょうか」
「ああ。捜査とかも、こう、ドカンと。グラーフ・アイゼンの一撃みたいにぶっ飛ばして解決できればいいんだけどな」
「ぶっ飛ばすためにはハンマーの届く位置まで近づかないといけません。それと同じですよ」
「わかったよ。なら、さっさと済ませちまおう」
「ヤー(了解)。では、行きましょうか」
二人はホテルの戸をくぐり抜け、捜査を開始した。
†
ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。最初の証人保護官が死んだホテルの管理人が言う。「突然白尽くめのガスマスクをかぶった奴らがやってきて、細菌兵器がばらまかれたから出ていけなんて言うんだもの。本当にびっくりしたよ。そうそう、死んだ客の話だったね。このホテルにはね、同伴付きでチェックインしたな。ビックリするくらいに綺麗な美少年か美少女か。ともかく線の細い、中性的な顔の奴だったよ」
ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。二人目の証人保護官が死んだモーテルの管理人が言う。「ああ、そうだ。色っちろい、男だか女だかわからない顔をしたガキと一緒だったよ。多分、売婦(売夫)だね。そんでもってガキを残したまま、お客さんったら仕事に出かけていってな。だというのに部屋で死んでたのは仕事に出かけていったはずのお客さんで、ガキはどこかに消えちまってるじゃないか。ちょっとしたホラーだね。おかげで防疫任務とやらで部屋は一つ処分されちまうし、病気を吸い込んだかもしれないって俺も入院させられたし。災難だよ」
ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。証人保護官の母が言う。「あの子は、誰かを守ることに、それこそ命をかけていました。証人を殺そうとするなんてあり得ないんです。あの子は犯人ではありません。きっと他に真犯人が居るんです」
ウィーン、ガシャン。録音テープが再生される。証人保護官の友人が言う。「あの08防疫部隊の女、あいつの警護だけは止めとけっていったんだ。08は曰く付きでな、08関係で証人警護任務にあたった奴はビックリするくらいの高倍率で死んじまうんだ。証人と一緒にな。最近の大きい事件だと、そうだな。一年ほど前に08の隊長が証人保護の申請を受けたんだ。でも一週間後には細菌を撒き散らして、保護官を道連れに自殺しちまってる。挙句の果てには防疫任務だとかの為に、細菌は勿論、汚染されちまった端末、書類、遺留品、果てには本人たちの死体だって消されちまったんだ。それにしても、最近の探偵さんとやらはちっこいんだな。なに、その形でもう成人?もしかして、そういった亜人か?だとしたらすまないことを聞い」ガシャン。停止ボタンの四角が押されて、録音機が停止する。
市蔵ソラは、その録音機をテーブルの上に置いた。テーブル上には、紙媒体の資料と、真っ青な血の海の写真。一日かけて駆けずり回った聞き込みの成果と、隣の部屋で守護獣ザフィーラに護られながら生活をしている証人白烏花の持ち出したデータ。気分が悪くなってしまうくらいに不気味な捜査資料の数々だった。
08防疫部隊絡みで死んでいった証人たちの捜査資料。"ティンダロスの獣"に殺された、青い血膿を撒き散らす死体の、スナッフなスナップ。烏花を殺そうとした証人保護官の、まるで幽霊のように出鱈目な逃走の仕方についての報告書(証人保護官は逃走時、消えたり変身したりしていたらしい)。そして最終的に殺されてしまった証人保護官が行動を共にしていたという、謎の少年(証人保護官の性別を考えれば、もしかして少女)。
全てが超然として、シュルレアリスムの映像作品のようにチグハグバラバラなのだ。
「真面目な証人保護官が、ある日突然ガキを買って、程なく暴走。自らの証人をナイフで殺そうと試みるも失敗。そして逃走。逃走中には"覚えていないはずの"変身や幻惑の魔術を馬鹿みたいに乱発。いつの間にか幽霊みたいに寝床のホテルに戻っていて、"ティンダロスの猟犬"に襲われて死んでいる。それも二人も連続で。なあ、ソラ。こんな事件、あり得るのか?」ヴィータがフライドチキンをモシャモシャと食べ散らかしながら質問する。
「大ざっぱに可能性を考えるなら、二つですかね」
ソラはヴィータに向かって右手で一本指を立てる。左手でマフィンを掴む。
「一つ目。"ティンダロスの猟犬"が使用者に変身能力を与え、その代償に使用者の命を奪ってしまう技術やロストギア(古代遺失物)の類であるという説」
「60点。それだと確かに辻褄はあうんだけど、穴だらけだな。烏花の奴を殺すのに、命をかけて変身魔法を覚える必要なんてないし、なにより烏花は二度殺されかけて、保護官は二人殺されてんだ。二回とも全く同じシチュエーションでな。ハイリスクな"ティンダロスの猟犬"が二度も使われたことになる。明らかに不自然だぜ」
「ええ。だからこの説は、恐らくは間違いです」
マフィンにパクパクと噛みつき、あっと言う間に完食。左手で二つ目に手を伸ばし、右手で二本目の指を立てる。本命のピースサイン。
「二つ目。"ティンダロスの猟犬"を扱うことができ、しかも変身魔法が使える誰かが証人保護官を"ティンダロスの猟犬"で殺害。証人保護官に変身魔法で化け、烏花さんの殺害を試みた。そして逃走、ホテルでは予め殺されていた証人保護官の死体が見つかり、それは防疫任務の名目の下、死体や、遺留品や、"明らかに不自然"な死亡推定時刻ごと焼き払われるという寸法。さてこの場合、犯人は誰でしょう?」
「アハト(08)の連中だな」
「はい。つまり08防疫部隊には、『ティンダロスの猟犬』と『姿を変えることが出来る暗殺者』、そしてそれらの証拠を焼き払う『前線部隊』の三つがあるということです」
モフモフとマフィンを口に押し込み「なんふぇんへふは(何点ですか)?」
「85点」
「足りない15点は?」
「まだそれが空論に過ぎないってことだな」
二人はそのまま黙り込むと、バスケットのフライドチキンを黙々と食べ続けた。そしてその後、明日の捜査方針を定め、それぞれのベッドに入り込み電気を消して、眠りに入る。
ヴィータは思う。私もソラも、今日は一度も空を飛ばなかった。空を飛ばないソラは、とても丁寧でドライだった。淡々訥々と喋り、情報を聞き出し、とても優秀に、そしてつまらなそうに仕事をこなす。自分と無駄話をしているときだけは、少しだけお喋りになって嬉しそうにする。
地上のものには興味を示さず、ただ淡々と観測する、偵察兵の魂。空を映す鳥の心。
ソラは結局、空の住人なのだった。
「あたしが"そら"に上がればいいのか?それとも、お前が地上に下りればいいのか?」
答えは帰ってこなかった。暗闇の中に、静かな寝息が聞こえいるだけだった。
せめて、夢の中では飛べていますようにと、ヴィータは祈った。
†
「ねえ、狼さん。あなたは自分が人なのか狼なのか、悩んだことはない?」
そう言ったのは白烏花だった。隠れ家のホテルのベッドに腰掛けて、つまらなそうに言った。
「なんだ、突然に」とザフィーラが言う。彼は普段の狼の姿ではなく、褐色の肌のスーツ姿の大男の姿で、いかにも要人警護官ですといった風情で椅子に腰掛けていた。
「あなた、初めて会ったときは狼の姿だったじゃない。そして今は男の姿。どっちが本当の姿なのかなってね」
「オフィシャルな場では人間の姿だ。狼の姿だとネクタイは似合わないからな」
「プライベートな時は?」
「狼の姿だ。人間の姿だと何かと働かなければいけない」
「おかしな人。いや、狼か」
烏花がポケットからシガレットケースとジッポーの形をしたジン・デバイスを取り出して「煙草吸ってもいいかしら?」
「ああ、好きに吸ってくれ」
くわえられた煙草の先に火が点り、煙を吐き出す。ホテルの一室が煙草の煙と甘い匂いで、急に夢見心地な視界になる。
「私はね。時々悩んでしまうの。私はリコリスなのか、それとも烏花なのか。それとも次元震に沈んだ故郷に置いてきた、知らない名前の私なのかってね」
「そう言えば、お前の世界は滅びていたんだな」
「ええ。だからきっと、そのせいね。私は何一つ、私が私である証拠を持っていない。自分がまるで偽物みたいに思える時があるの」
煙草の煙を飲み、吐き出し、ふらふらとふらつくアイデンティティを告白する。この男だけが私を守ってくれている。それが告白の理由。実際には、隣の部屋にはヴィータと市蔵ソラが待機しているのだが、それでも守ってくれるのはこの男なのだろうと。
「一本、もらえるか?」
「ええ、どうぞ」
行儀悪く、シガレットケースを投げて渡す。ザフィーラは片手でキャッチ。その銀色の二つ折りを開き、魔力カードリッジの弾薬のようにずらりと並んだ煙草の一本をくわえる。肺を傷つける心の弾薬。
不意にザフィーラの目の前で陽炎が揺らめき、独りでに火がついた。白烏花の遠隔発火魔法。
「器用なものだ」
「これだけが特技だからね」
烏花の魔力によって点けられた火は、ガスにもオイルにも汚されず、ザフィーラには煙草の煙が美味く思えた。
「狼の姿でも、煙草は吸えるの?」
「吸えるが、匂いが鼻の奥でこもってどうしようもなくなる。煙草は人間の特権らしい」
「私、チンパンジーが煙草を飲んでいるところを見たことあるけど?」
「あれは98パーセント人間だ」
「ウニだってゲノム単位で言ったら70パーセント人間よ」
「そうなのか?」
「ええ。友達の魔法飛行使が言っていた」
二人で煙草を噴かし、適当に喋りながら、隣の部屋で寝ている二人が事件を解決するのを待ち続ける生活。はたして捜査官でもないはずのヴィータと市蔵ソラがどこまで事件を暴くことができるかわからなかったが、しかし解決出来なければ待つのは死のみ。08防疫部隊に消される運命。
しかし、ベッドの上に広げられた山のような捜査資料を見て、もしかして助かるのではとも考える。
非公式任務のせいで管理局の名前を出せないというのに、あの小さな"自称私立探偵コンビ"はありとあらゆる情報をひっかき集めてきた。もしかして、こういった任務に馴れているのかもしれない。
たった四人で、無数の情報と戦力と作戦を扱う軍隊と同等の活躍をするヴォルケン・リッターのオールラウンダー、ヴィータ。新世界の空をたった一人で飛び回り地上の情報を集める魔法と、管理局の法が通用しない地上に一人ぼっちで降り立ち情報を集める技術を64実験小隊で学んだ市蔵ソラ。事実、彼女らは圧倒的戦力的不利やスタンドアローンな作戦に馴れていた。
「あなたたちの航空12部隊の、小さな名探偵たちに感謝ね。私は助かるかもしれない」
「そうならないと困る。お前にはアハト(08)の悪事を暴いた後に法廷の証言台に立ってもらわんといけない」
「明白了(了解)。死にたくないしね」
「私もお前を失いたくない」
「それはオフィシャル?それともプライベート?」
「人間の姿はオフィシャルだ。しかしプライベートでしか煙草は吸わん」
「結局どっちなの?」
「秘密と言うことだ」
ニヤリと笑う大男に、烏花は死んでしまった兄、睡魚の面影を見る。そういえば、あの男も秘密主義者でその癖臭い台詞を恥ずかしげもなく言い放つ男だった。
この男は、好きになれるかもしれない。
少しだけ、この奇妙な共同生活が快適に過ごせそうだった。