(――巧い)
フェイトは黒い『なのは』と対峙していた。
改めてその脅威を実感する。
地球の中国武術の一つの精華と謳われる八卦掌と、日本古流の暗殺剣たる御神流二刀小太刀――のみならず、近接戦闘に特化した古代ベルカ式の中でもすでに失伝されて久しい獣王手を併せて使いこなすその戦闘技術は、恐らくは六課のストライカーであるスバル・ナカジマとすらも正面からやりあえるように思われた。
少なくとも。
フェイトが前に出した右手の甲に添えられるように伸ばされた『なのは』の右手。押そうが引こうが捌こうが、この手は貼りついたままだった。そして、一瞬の油断で彼女は身体を崩されかけたりもするし、さらに両手を叩きつけられて吹き飛ばされかけたりもした。
推手。
地球の武術に古くより伝わる訓練にして実戦技法であると、フェイトは聞いている。
接触した部分から力の流れを察し、あるいは力を流し、崩し、吹き飛ばす。
ストライクアーツにも同様の技術はあるし、その発展系であるシーティングアーツにも当然ある。ただ、これほどに繊細に使いこなせるほどの者はどれほどいるものか。
良かれ悪しかれ、魔力による攻撃があるということは肉体の純粋な技術をおざなりにしている部分がでてくる。逆にいえば、それに頼れないからこそ細密なコツ、要訣のようなものが編み出されるのだった。骨や筋肉をどう意識するか、力の流れを察知し、操る技術も、魔力がない者同士での戦いだからこそ生み出されたというべきだろう。
だからこの分野では、地球の格闘技は管理世界の格闘技に優っていると考えてもいい。魔力に頼れない部分を少しでも補い、伸ばし、高みを目指す……涙ぐましい努力の上に、地球の格闘技はあるのだ。
しかし、何事も例外はある。
それは日本古武道や中国武術のような、魔力に似た氣のようなものを鍛え、活用する武術である。
初期段階では通常格闘技と同様に鍛え、練り上げ――その後に「氣」を使う技を身につけていく。
その「氣」を魔力と入れ替えれば、そのままストライクアーツとして使えないこともない。実際に地球由来の古武術に魔法を加えた流派門派は幾つかミッドにもあり、公式試合でも大いに活躍しているという。
この『なのは』もそれに近いようだった。
しかし、最初から魔力使用が前提にある通常のストライクアーツやシューティングアーツでは、そのような修行はしない。
古代ベルカ式の格闘戦技・獣王手を使うフェイトも、そのベースにあるのはミッド式の格闘技法であり、やはり精妙な身体操作という点ではこの『なのは』には劣っているといわざるをえなかった。
推手の均衡はたちまちのうちに崩れ、フェイトの体はミッド式の魔法テンプレートの上にうつ伏せに組み敷かれかけた。
とっさに彼女は右手に魔力を集め、変換資質で電気に変える。
接触した部分から流された電気に、『なのは』は反射的に手を引いた。
その隙にフェイトは態勢を立て直し、立ち上がりざまに掌に集めた魔力を炸裂させ、衝撃を浴びせかけた。
良かれ悪しかれ、魔力を使わない武術体系ではどうしても魔法を織り込んだ攻撃には対処が鈍くなる部分がある。魔力にしても「氣」にしても、高難度の技法であるのだから使う相手もほとんどおらず、どうしても単純放出か硬気功程度にしか使用法が限られるからだ。八卦掌にしても凌空勁で「氣」を飛ばし、相手を打つ――程度にしかすぎない。
そしてその部分において、ミッド式やベルカ式の格闘戦技は地球の武術にはるかに勝るのだった。
さらにいえば、真正の古流ベルカの者ともなれば魔力の流れを精密に使いこなし、自分に向けられた攻撃を受け流し、あるいは操る者もいるというが、なお悪いことにこの『なのは』はそのベルカ式をも使いこなす。
魔力放出によって爆発的な加速を得たフェイトは距離を開け、フォトンランサーを繰り出した。
何十もの光の乱射。
それを『なのは』は両手を踊るように動かして捌き、逸らしていった。
真正のベルカ式の術者にとって、小手先の魔力攻撃はほとんど通用しない。
それゆえにベルカ式には近接での魔力打撃技術が発達したのか、あるいはその逆か――は今となっては不明であるが。
射出は数秒とかからずに終了したが、その時にはフェイトはさらに上空へと飛行して大剣と化したバルディッシュを構えて。
そして『なのは』は両手を顔の前で合わせるようにすると、桜色の光が生まれた。
AMF。
プラズマザンバーの一閃に、まだ拡散する前のAMFがぶつけられた。
「フェイト」
「あ、クロノ」
映像が消えた。
フェイトはばつの悪そうな顔をしてバルディッシュを通常の待機モードに変え、バリアジャケットを解いて管理局の制服姿へとなる。
「今回の戦いに参加した者は安静にしていろと、そう命じたはずだぞ」
「ごめん……だけど、イメージが鮮烈に残っている内にシミュレーションしときたくて……」
「その気持ちは解らなくもないがな。しかしあの『なのは』、特殊なモード変換をするぞ」
お前もわかっているはずだろう――というクロノの言葉に、フェイトは頷く。
彼女は先日と今日の二回の接触で、少なくとも槍と八極拳を使う『なのは』、二刀小太刀と八卦掌とベルカ式を使う『なのは』、そして刀の恐らくは新陰流を使う『なのは』との三つのモードを体験している。
もしかしたら、この八極拳の『なのは』も新陰流の『なのは』も、ベルカ式かミッド式とを合わせて使いこなすかもしれないし、あるいはもっと別の何かのモードの『なのは』もいるかもしれない。
今ここでこの黒の『なのは』に対応した訓練を積み重ねていたとしても、そんなまったく別の『なのは』が出てくればそれらは無駄になってしまう。
クロノはそれを指摘しているのだ。
当然のことながら、フェイトだってそのことには気づいているのだ。
「確かに別のモード変換をされたら厄介だけど――多分、あの『なのは』はこれ以上は特に、少なくとも近接戦に対応するモードはもってないんじゃないかな」
シミュレーションルームへの出口へと向かいながら、フェイトは言った。
「根拠は?」
「この二回の接触でこれらしか使ってこなかったから」
「……執務官としては、随分と大雑把というか、楽天的な観測だな……」
呆れたような言い方はしているが、クロノの表情には特に変化はない。彼は自分の義妹の能力を知っていた。そして信頼していた。だから少なくとも自分を納得できる程度には論理的な解答がだせるはずだと信じていた。
「近接戦にあの三つ以外のがあるのなら、最後にはそれを見せたとしてもよかったんじゃないかな」
「……他のを隠しておくつもりだったということはないのか? あと、あの場合はあれが一番適当であったと判断したか」
「隠すのには、それこそ意味がないよ。勝率を高めたかったら、こちらの予備知識がないモードをとるのが一番確実じゃないかな? それにあの変身は特殊で強力すぎる。いくらなんでもそんなモード変換がそういくつもあるとは思えない。やはりある程度の限度はあると思う。あと、あの無刀取りは確かにあの場合適当だった――ように見えるけど、殺さずに相手を制圧するだけならば非殺傷設定や威力調整すればいいだけの話だよ。徒手空拳での無刀取りはリスクが大きすぎる技だ」
「待て。それは相手の……『なのは』の消耗を度外視していないか? あの戦いは激闘だった。むこうも魔力を損耗して――いや、そうか。それならば集中力が特に必要な無刀取りをあえて選択することもないか。あれしか選択できなかったと考えた方がいいのか」
「……それについては少し疑問が残っているけど、だいたいそういう風なところかな」
フェイトの脳裏には、あの白い『なのは』の姿が浮かんでいた。
あの時に感じたあのプレッシャーは、まるで……。
(まだ、解らないことだ)
ありえないとは思いつつ、ありえないようなことは常に起こりえるということも彼女は知っていた。だからあのときに受けた自分の印象については否定せずに、しかし根拠がそちらはないので黙っている。
「あと、武器がね。槍と小太刀、剣――これで近接戦のものはほぼ出揃ってる」
これら以外の武器を使うモードとなると、少し離れた、近接とはいえないものになるのではないか、とフェイトは言った。
「そういわれてみればそうだな。しかし、それは近接以外でのモードはまだあるかもしれないという可能性でもあるぞ」
今のシミュレーションが無駄になるかもしれない、という意味では変わりがない。
フェイトは立ち止まり、クロノに微笑んだ。
「だとしたら、中距離、遠距離で――それは私の距離でもあるよ」
「なるほど」
これらの『なのは』は脅威だ。しかしそれは近接戦闘に際してのことであり、むこうがもしもこれ以外の戦闘モードをもっていたとして、それが中距離かそれ以上の距離のものだったとしたら、その脅威は半減する。より正しく表現するのなら、フェイトにとっては中・遠距離での戦いは自分の得意の領分なのだ。そこで相手がどれほど特殊な攻撃を仕掛けてこようとも、どうにでも対処できるという自信がある。あくまでも狭い空間での近接戦闘、それもザンバーモードを使いこなすのが難しいような距離でのそれを挑まれた場合、脅威なのだ。空間があれば、中距離からのヒット&ウェイ戦法を仕掛けられることができ、自分のペースに持ち込めることだろう。
このシミュレーションは、それを確認するためのものでもあった。
近接した状態からの離脱、そしてフォトンランサー、ザンバー……
「しかし、AMFがあるぞ?」
さっきも、それで相手に防御されたものだが。
「あの魔法は無限書庫に記録があった。撒布濃度の広がりが遅いから、散開する前に魔法にぶつけると、かなり強力なものであったとしても打ち消せるものらしい」
「AMFの局所撒布は、ファーン・コラード教官の得意技だったな」
「うん。ファーン先生はミッド式だけどね。それに運用法も違う。先生は瞬間的に展開させて不意打ちにこちらの心の隙を誘導弾を使って撃つのに対して、あの『なのは』は相手の攻撃を防いだりしてから永続的に展開させ、行動を制限させて近接でしとめるという違いがある。なのはがするのなら先生のやり方だと思ってたんだけど」
「まさか、近接戦闘をするとは思ってなかったか」
「うん。だけどどっち道、知ってたのならこちらも対処できるし、それに結局はただのAMFだしね」
機動六課での訓練と戦いは、AMFを自在に撒布させるガジェットドローンを相手のものだった。機械式のAMFは人間の魔法によって作られたそれよりも長時間、安定して効果がある。その状態での戦いを前提にしていたフェイトにとって、今更ただのAMFなど問題にならない。勿論、自分の距離で戦えるのならば、だが。
クロノはそれでも。
「まだ残されているモードがどれだけあるのか、どのようなものか、その全貌は解らないんだからな。予断は禁物だ」
と言った。そう言いつつも義妹の判断には特に異を唱えることはなかった。
彼が考えても、今の段階ではフェイト以上の判断はできない。慎重論を唱えることはできるが、それも過ぎれば何もできないままになってしまう。
(必要なのは一歩を踏み出す勇気――か)
口ほどにも、フェイトは楽観視している訳ではないだろうとクロノは思う。
相手がどんなことをしてくるのか解らないのは、執務官には普通にあることだ。相手の能力も目的も解らないままに、しかし執務官はそれでもなお怯むことは許されない。相手がどんな技術を持っていようとも、どんな罠を仕掛けていようとも、それに踏み込み、突破することが求められる。それが管理局における執務官と呼ばれる職務の人間に課せられた使命のようなものだった。
それゆえに執務官には優秀であることが求められるのだ。
実際に管理局中、陸海問わずに損耗率がもっとも激しいのが現場担当の執務官であった。
かつて現場に出ていた頃を思い出し、クロノはため息を吐く。
(やはり、尻で椅子を磨いてばかりだと、どうしても鈍っていくな。あの頃より戦闘技術そのものは上達しているつもりだが……)
今のフェイトが持つ鋭さ、柔らかさ、そして勁さは、現役の執務官ならではのものなのだとクロノはしみじみ思った。
自分では、ここまで割り切れない。
勿論、実戦においては自分の距離で相手と戦い、対処するなどということは当たり前に行うべきことだと解っているのだが。
フェイトはシミュレーションルームから出ると「安心して」といった。
「ちゃんとクロノの言うとおりに安静にしておくから」
「命令なんだぞ」
「……クロノ提督の命に従い、フェイト・テスタロッサ・ハロオウン執務官は、規定どおり12時間の休養に入ります」
びしっ、とフェイトは敬礼をしてみせた。
クロノは鷹揚に頷く。
「ああ」
「ただし、緊急時においてはその限りではない、と」
「――フェイト」
「解ってるって、おにいちゃん」
「―――――」
黙りこんだクロノの顔を見てくすくすと笑ったフェイトであったが、やがて念話でティアナを呼び出そうとして眉根を寄せた。
「……どうした?」
「いや、ティアナに明日のことで打ち合わせしとこうかと思ったんだけど――」
17/真相。
「――なのはさん、ですか?」
ティアナが聞くと、目の前のなのはは静かに微笑んだ。
その姿は今日戦った『なのは』のそれとは違い、ワンピースにカーディガンという年頃の娘らしい姿だ。勿論、こんな行方不明事件が多発している町の夜を一人出歩くには、あまりにも軽装過ぎるものであったが。
夕刻とはあまりにもギャップのあるその姿のまま、彼女は笑い、しかし黙ったままだ。
沈黙は肯定――と考えるべきか、あるいは否定もするつもりはないが、いずれ言質をとられたくないということだろうか。
(どっちでもいいか)
今この状況において、この目の前の『なのは』がティアナのよく知る高町なのはであるかを調べる術はない。確かめることができないのならば、なにを言おうとも同じだ。
いや。
二人の間で、長距離通信のウインドが開いた。
地球とこの第16管理世界とを繋ぐ通信だ。
(お願い、出てきて)
ティアナは顔に出さずにそれを祈った。表情は硬いままで、焦燥が彼女の内側にあった。
ほどなく『はーい』という声と共に表示が【コール】から切り替わって人の顔になった時、ティアナは瞼を広げた。驚愕――と言っていいほどの、しかしそれは安堵だ。
『どうしたの、ティアナ?』
「なのはさん……!」
地球にいる高町なのはだった。
そもそも、なぜティアナ・ランスターはここにいるのか。
ここ――は、かつてティアナが最初にこの管理世界にきた日に『なのは』と遭遇したあの工場跡だった。フードつきマントで姿を隠し、エミヤと呼ばれる男とここにいたのを、彼女は外側から覗き見ている。
そしてそのエミヤとも『なのは』ともティアナは今日戦った訳だが……。
その折りに、ティアナは『なのは』に接敵され、打撃を受け。
囁かれたのだ。
『最初のあの倉庫でまつ。一人で。時間は――』
というわけで、ここにいるのだった。
(内緒できてしまったけど……)
きた甲斐が、あるいは意味があったとティアナは思った。
こうしてなのはさんとこの『なのは』が違う存在だということがこうして明らかになったのだから。
それだけのことがティアナの心を軽くした。かつての師である人が犯罪者であるかもしれないという可能性は、彼女の精神にとてつもない重荷となっていたのだった。
ティアナにとって、高町なのはという人は師であり友人であり、母とも姉ともいえる人だった。あるいはもしかしたら、想い人ともいえる存在であったのかもしれない。
その憧れであり、あるいは思慕の対象でもあったなのはが犯罪者であるのかもしれない――という状況は目に見えないストレスとなってティアナの心を蝕んでいた。フェイトだって同じだったろう。むしろティアナよりもつきあいは長いのだ。その苦悩のほどはより深かったに違いない。
しかし、たった今それらが杞憂であるということがしれた。
心を弛緩させてはいけないと自らに戒めつつ、喜びが彼女の中には隠しきれなかった。
いや。
『ん――、ああ、そういうことなんだ』
ウインドウの向こうでなのはが何かに気づいたように言った。
何に気づいたのか。
ティアナは反射的に『なのは』を探してしまった。探して、というのはいつの間にか位置を変えていたからで、気づけたのはなのはの視線の先をつい追ってしまっていたからでもあった。
そこは。
高町なのはから見える場所だ。
『なのは』はあろうことか、高町なのは相手に手を振って見せた。
親しい友人に対してそうしているかのようだ。
そしてなのはもまた。
手を振って。
『ちゃんと説明しといてね』
「勿論」
――え。
それは、まるで。
『じゃあね、ティアナ』
本当に知り合いであるかの、ような――
「おやすみなさい」
『おやすみなさい』
ウインドが消える。
「さて、と」
「あなたは……一体……誰、なんですか?」
駆け引きも何もなかった。呆然とでた言葉は、自分の口からでているというのが信じられなかった。
『なのは』は苦笑した。
「誰って、見たとおり」
「――なのはさんの姿をして、だけどなのはさんはそれに反応してなくて、」
「どういうことなのかしらね?」
「…………、」
「私が偽者だと思ってた? もしかしたら、別に身代わりを立ててる可能性とか考えてなかったの?」
ティアナは口をつぐんだ。
(迂闊だった。万が一にもなのはさんが身代わりをたてている可能性を考えていなかっただなんて)
しかし、それはありえないことのはずだった。
彼女は「高町なのは」という人物をよく知っている。それは能力・人格のみならず友人関係……人脈に至るまでもほぼ把握しているという自信があった。長いつきあいであるフェイトにも確認しているが、なのはが何か法に抵触するような行為に手を染める場合があるとしたら、それに巻き込めるような相手は存在しないという点で一致をみている。勿論、教導官として方々に出向いてる訳だから、二人も知らない友人の一人や二人もいるに違いないが、それにしたって事件に巻き込めるとしたら相当に親しく秘密を守れる間柄だろうし、そこまで関係が深い相手のことを、高町なのはの一番の友人であるフェイトが知らないということはありえない。
とはいえ、今回の事件では最初から「エミヤ」という男と連れ立っているという時点で、二人はそれまでもっていた「高町なのは」に対するイメージを一新しなければならない必要性を感じていた。
執務官として、予断で間違った結論を導き出してしまうわけにもいかない。
そのはずだったのに。
(けど、確か地球には今はヴィヴィオもいたはず)
ヴィヴィオと一緒にいさせても安心できる人間だってことなのか――それとも、あるいはあのなのはさんはヴィヴィオの変身魔法で……いや、画面越しに見ただけだが、あれは確かになのはさんで、自分もフェイトさんもだまし通せるほどの演技力をヴィヴィオが持っているとは考えにくい――
思考がまとまらない。
うまく考えられない。
状況は劇的に変化しのにも関わらず、それを評価、判断するための情報がたりなさすぎるのだ。
(いや、まって)
先ほどのやりとりを思い出す。
なのはと『なのは』の二人はどういう言葉をかわした?
(そうだ)
何一つとして。
目の前の二人が共謀しているという、そのことを示すような言葉はでてなかった。
なのはが「そういうこと」や「説明しといて」などといって、それに応じて『なのは』が動いたことによってこちらが勘違いしてしまっただけで、なのはは別にこの目の前の『なのは』とは特に関係がないのでは。例えば、ウインドウ越しに見た場合に自分の姿をごまかすタイプの魔法を使っていた――としたら。
初歩的な視覚操作の魔導だ。
公衆の面前でのコールがかかった場合には自動的に展開されて表示内容がある程度の距離が離れると見えなくするという魔導は普通にある。それを応用すれば、距離に応じて自分の姿を別の人間に見せる術だって構築できるだろう。自分にも理屈の上では可能なはずだ。
いや。
(もっとよく考えなさい。具体的に言葉をかわさなかったのは、言質をとられたくなかったからだってこともありえる)
ティアナはマルチタスクで思考しつつ、『なのは』の表情を観察している。自分をみて相手がどう想ったのか、考えたのか、その反応を伺っている。
彼女の得意な幻術は、人を騙す術だ。
幻術スキルは魔導師の資質としてもやや特殊な部類に入る。しかしレアスキルというほどのものでもない。高度なものとなると資質は必要だが、それがなくても普通の魔導師にもある程度は修得可能であるし、さほど魔力も消費しないし、管理局でも「ちょっと珍しい特技」程度の扱いだった。
しかし今のティアナを一級の戦闘魔導師、一流の執務官たらしめているのは、その幻術スキルとそれを「活用」するために仕込まれた思考と観察力である。
どれほどに高度な幻像を放とうとも、それが不自然な動き、相手の集中の高まっている場合には見抜かれる可能性が高い。逆にお粗末な幻であろうとも、それを相手の心の隙を突く形に展開すれば大逆転をねらえる。
要は手品師と同じだ。
相手の注意を引きつけてその間にことの仕込みをすませてしまうこと。
ミスを誘導すること。
そのために必要なのは、相手の心象を見抜き、誘導する観察力。
六課時代、ティアナは「強さの意味」を問われたことがある。
「『相手に勝つためには相手より強くなければいけない』。この言葉の矛盾と意味をよく考えなさい」
といわれた。
結局何を言いたかったのかということの本当は教えてくれなかったが。
考えた末に答えはだした。
あの時はあの時なりに自分の答えだったが、今ならば別の言い方をしているだろう。
(勝つということと強いということとは別の問題よ)
絶対無敵の、最強の能力というのはこの世に存在しない。
いかなる相手であろうとも打ち崩す隙はある。その隙を見いだすための観察力であり、そこを突くための幻術であり、それらをまとめての運用方法、概念こそが彼女が学び、練り上げてきた「力」だった。
その彼女の目から見ても、目の前の『なのは』の心底は見抜けなかった。
より正確には。
(微笑み続けていることによって、表情の変化を隠している)
ティアナはそう読んだ。
情報とはどんなに砕いてもゼロにはならない。情報がない、というのが一つの情報であり、『なのは』がこうして何かを隠そうとしている、惑わせようとしているということが一つの情報だった。
(もう少し、情報を引き出さないと)
会話を重ねるだけでいい。
それだけで今以上に情報が集まり、判断の材料は増える。
「あなたがなのはさんならば、通信に出てきたあの人はなのはさんではない、ということになる」
慎重に言葉を組み立てながら、ティアナは言う。
『なのは』は表情を変えずに。
「だから、身代わりという可能性は?」
「……あのなのはさんは、確かに本物のなのはさんです。そうでないとしたら、偽者だとしたら、一緒にいるヴィヴィオも誤魔化していることになる」
「身内の証言なんか、アリバイにならないよ。たとえば今の高町なのはも、変身魔法でその子に姿を変えさせていたとか」
「ヴィヴィオは子供です」
ティアナは断言した。
「仲間として抱き込んで、それで嘘をつかせるにしても、その秘密を守りきれるかは心もとない。もしも私の知るなのはさんが何かよからぬことをしたとしても、ヴィヴィオを直接巻き込むようなことはしないはず。巻き込むのが可哀想だとかその前に、やはり仲間として嘘をつかせるには信頼性に欠けます」
「随分と信頼しているんだね」
「常識の範囲での判断です――けど、」
「けど?」
「そうすると、今のなのはさんの反応が解らない」
「改めて聞き直したら? 執務官の仕事だとしたら、たとえ夜遅くであっても応じてくれると思うよ」
「それは……」
考えなくはなかったが。
「できない理由はあるの?」
「『説明』――」
ティアナは、言った。
「あなたは、説明しといてねと言ったなのはさんに『勿論』と答えたでしょう?」
「ああ……」
「それを聞いた後からでも、確認はできると思っただけです」
本当は、違う。
焦燥したままになのはを再び呼び出して話を聞きだそうとして、そこにできる心の隙を恐れたのである。
今目の前にいるこの『なのは』から一瞬でも目をそらすのは危険だと思ったのだ。
先ほどの通信のときにも、彼女は細心の注意をしていたにも関わらずその位置を一瞬見失ってしまっていた。それはなのはがちゃんと通信に出たということでの喜びもあったが、やはりこの女魔導師は油断がならないと思ったのだ。素の身体能力でもやはり何がしか特殊な訓練を受けていることを思わせる身のこなしだった。
「説明――ね。ふーん……」
『なのは』は少し顎に手を当ててから。
「そうね。高町なのはという魔導師は空戦適正の高い戦闘魔導師で、感覚的に魔法を組み立てる直感型と想われているけど、実際は理数が得意で理論面での組立も得意だったりするわね。知ってた?」
「ええ」
高町なのは直感型の魔導師で、感覚的に魔法を組み立てることを可能としているが、理論面から高度な魔法を解説、構築するこちも得意としている。抽象的な感覚と論理的な思考を併せ持つというのが、彼女をエース・オブ・エースたらしめている要素の一つだった。
勿論、元機動六課、なかでも愛弟子であるティアナがそのようなことを知らないはずもない。彼女は高町なのはが感覚で組み立てた収束スキルを、理論的な解説で伝授されたのである。
『なのは』は言葉を続けた。
「例えば、そんな彼女が管理局に入っても武装隊には入らず、研究者としての研鑽を積み続けていたとしたらどうだったかな。もしかしたら、ちょっと空戦が得意だけど総合ランクでの大魔導師になったりしたかもしれないよね」
「…………?」
ティアナには、この目の前の『なのは』が何を言わんとしているのかが解らない。
さらに続ける。
「ほかにも、そうね。高町なのはは接近戦がそれほど得意ではないと言われているけども、クロスレンジに入り込まれて打撃を打ち込まれていてもそれが単発ならどうにか対処してしまえる。空間認識力が優れているからだけど、それは打撃系の格闘、あるいは近接対応の可能な剣士としての資質も持っているということにならないかな」
「………」
ティアナの脳裏に、かつて自分とスバルが訓練で挑み、なのはによってこともなくその打撃、魔力刃を封じ込まれた光景が浮かんだ。
真正面からと上からとの二方向からの同時攻撃に対処というだけでも尋常ではなかったが、真に恐るべきはそれを面での防御魔法ではなく、それぞれを片手で抑え込んでしまったということだろう。まるで、自分らの姿と位置、攻撃のタイミングのすべてが見抜かれていたようだった。
そして自分ら以上の速度と技量を持つベルカの騎士たるシグナム。
彼女と高町なのはの模範試合は、見ていただけで鳥肌がたった。
高町なのはが近接戦闘が苦手だとかいう風評など、ただの机上の空論でしかないと思った。あるいは、当人がいっているだけで、それだって「空戦に比較して」という類の謙遜でしかないと。
結果は引き分けであったが、真正のベルカの騎士が自分の距離で一対一での試合で勝利を得られなかったというだけでも、なのはという人がどれほどに凄まじい戦闘魔導師であるかということが理解できようものだ。
『なのは』は続けた。
「例えば、幼い頃、家族が父に恨みを持つ犯罪組織に襲われて、自分だけを残して生き残ってしまったら。ただ一人の叔母が養い親になってくれたら。その彼女は御神流を教えることしかできなくて、そして香港の組織に所属していた彼女の人脈を通じて中国武術を学ぶことがあったりして、そしてその後にベルカ式の魔法使いたちと出会って――」
「なんです、それ?」
「ちょっと、過剰に乗せすぎだったかな?
他にも――
例えば、幼い頃、武術を学んでいた家族に自分も混ざりたいけど、危険だからと教えてくれず、近所の八極門の老人に教えを乞うたことがあったかもしれない。
例えば、幼い頃、やっぱり武術を学んでいた兄や姉に憧れて自分も習いたいと考えてたら、父親の知り合いの新陰流の剣士が手ほどきしてくれたこともあるかもしれない。
例えば――」
「何がいいたいんです」
『なのは』は微笑んだ。
「そういう『可能性』があったとしても、別に不思議ではないってこと。基本的な資質は同じであったとしても、辿る道筋、選んだ選択が違っていれば、当然至る場所だって違っているよ」
「なんの話です?」
そう訝しげに言いつつも、ティアナは頭の中で推理を組み立てていた。
(今まであげていた可能性は、あくまでも可能性であって、今のこの時点ではそうではない……けど、)
あげられてきたそれらの「なのは」がいたとしたら――
それはあの『なのは』たちのイメージと重なる。
「可能性の話」
『なのは』は微笑みを絶やさない。
「可能性の話、ですか」
ティアナも言葉を復唱した。
「そう。可能性。もしかしたら、大魔導師の高町なのはならば、通常の転送魔法ではあり得ない位置関係の管理外世界と管理世界を魔導で簡単に生身で行き来できるかもしれない」
「――――」
「もしかしたら、自分の姿になれる使い魔を作るのなんか簡単かもしれない。ひょっとしたら自分そっくりなコピーを半日かけたらお手軽に作れてしもうかもしれない。あるいは、執務官に自分にとって都合のいい記憶を植え付ける幻術を使えるかもしれない」
「可能性の話、なんですよね?」
「まあ、ね」
「けど、高町なのは、という人は大魔導師にはならなかった」
武装隊に入り、若くして教導隊に入隊した。エースクラスの魔導師の集う教導隊の中で、さらにエースと呼ばれた。エース・オブ・エースというのが彼女に管理局が与えた評価であり、称号だった。
勿論、そこに至るまでの道は平坦ではなかった。撃墜されたこともあったし、そうでなくとも手が届かずに救えなかったことだってあった。
もしもを考えることは誰しもがある。
もしもああしていれば、もしも……もしも……。
だけど、とティアナは思う。
だけど、高町なのはという人は悔やむことはあったにしても別の自分などは夢想しまい。それはともすれば今の自分を否定することだ。彼女ならば、高町なのはという人ならば、自分の辿ってきた道、選んだ選択、それらを肯定するだろう。
(だけど)
もしも、だが。
もしも高町なのはが、別の道筋を辿った自分などとをいうものを言及することがあるとしたら――
(それは、夢想するということではなくて)
――ロストロギアなんて、なんでもありなんですから
自分の言った言葉が蘇った。
「あ――――」
「どうしたの?」
悪戯っぽく笑う『なのは』だが、ティアナは狼狽を隠しながら。
「……なんでもありません」
そう取り繕った。
(どこまで信用していいか解らないけど、もしかしたら、可能性を呼び出せるロストロギアっていうのがあるかもしれない)
平行世界という概念がある。
地球では量子力学を研究していると出てくるものなのだが、この世界の魔法は大雑把にいえば量子レベルで世界を一時的に術者にとって都合のいいように改変する技法であった。だから量子力学に似たような学問は当然存在するし、同様の結果になる研究成果も多くある。違う時の流れを辿ったパラレルワールドという概念と存在は、確かにミッドの魔導においてもその可能性を示唆されているものだった。
そしてそのことから、もう一つ推測できることがある。
(もしかして、目の前のこの人も……?)
判断はすぐにはできない。
ティアナは目を細める。
そういうミスリードをこの『なのは』が企んでいるのかもしれないのだ。
そもそも、そうでなければこの場に自分を呼び出すなどということは考えまい。自分だけをこうして呼び出して話すというメリットというのはほとんどない。抱き込むつもりか、何かおかしな情報を吹き込みつもりであるのか。
「可能性可能性っていいますけど」
ティアナは言った。
「そこまでいうと、何でもありじゃあないですか」
「本当に、そうだね。まあ、そういう『可能性』もあるかもしれない、という話」
「そうですか……」
ティアナは考える。ここまで一方的に情報を聞かされ続けていも、判断の材料を増やせているようで実は誤情報ばかりでミスリードを誘われるだけかもしれない。分析は別に慎重にすべきだし、それは後でフェイトさんと一緒にすればいいだろう。もっと積極的に、こちらから情報を引き出さなくては……。
「その可能性でいうのなら」
無理に唇の端を歪める。
「例えば、吸血鬼になった高町なのは、というのもありえるのかもしれないんですね」
それは今直面している事件のことからの皮肉ではあるが。
「……身内が吸血鬼と結婚した高町なのは、というのもいるかもね」
どうしてか、この時は真顔になって、『なのは』は答えた。
あるいはもしかしたら、ここからが本題ということなのかもしれなかった。
(なんだか妙に具体的ね……)
なのはさんの身内というと、兄と姉がそれぞれ一人いて、結婚したというと兄の方であると聞いているが――。
いや、それも後で考えよう。
「つまり、その身内がどうにかしているのをあなたが解決しにきている、ということですか?」
思い切って踏み込んでみた。
交渉ごとというのは喧嘩とにたような部分がある。相手が用意した言葉(防御)の上から攻撃してもだめだ。意識の隙をついて相手の心に届かせなくては、本音や大事なとことを知るのは難しい。
果たして『なのは』は「うーん」と腕を組み、唸る。
もしかして、これは防御を抜けたということだろうかとティアナは一瞬考えたが、そんなに甘いものではないと思い直す。この様子からして演技ではないかという疑念が振り払えない。この人が本物であれなんであれ、『なのは』という存在に対しては一瞬とて油断できない。改めてティアナはそう認識なおしていた。
「多分、適当にいったんだろうと思うけど」
と『なのは』は言った。
「まあかなり近いところだね」
「……!」
「吸血鬼の後始末に。私たちはきた」
「何処から――」
「というのは明かせない。理由は、まあ――考えたら、解るよ」
「そうですか」
その言葉だって何処まで本当なのか、とティアナは思ったが口にしない。今はそのことで会話の流れを滞らせるのは得策ではないと思えた。やっと見えた突破口なのだ。
「そのことについては解りました。では、吸血鬼の他の情報についてお答えねがえますか」
「たとえば?」
「能力、弱点、などです」
「ふーん……」
『なのは』は少し思案してから。
「手間を省きたいね」
「こちらがどの程度まで把握できているか、ということですか? それならば――」
血を吸って仲間を増やし。
死ねば、灰になる。
その程度のことしか解っていない。それは昨晩にティアナとフェイトが遭遇したことであり、その現場に『なのは』もいたのだ。
『なのは』は頷き。
「能力は、個体差がある。もっといえば、人間の限界を越えた力を発揮できているように見えても、そうじゃない。あくまでも彼らは鍛えた分、もっている以上の力は発揮できない。もしも吸血鬼化したことによって能力が強化されたように見えても、それはその吸血鬼が本来持っていた能力の限界値を出しているだけでしかない。生身の人間の肉体では到底出せない、出してしまったのならばその肉体が保たないほどの力を出しているというだけ。それだけでも十分以上の脅威ではある。つまりはいつだって限界ぎりぎりの全力を出せて、それで身体が壊れないってこと。それができるのは、吸血鬼の持っている固有の能力が関係している。復元呪詛――というらしい」
(らしい?)
ティアナは耳ざとく『なのは』の言葉を捉えていた。
僅かな違和感から話を聞きながらもマルチタスクで推理を組み立てていく。
(話し方からしてなのはさんのそれとは違う。まるで男の人みたいな。口調からプロファイリングをされるのを避けてる――というのとは違うか。さっきまでで十分にサンプルは採れている。無意識のものかな? もしかしたら、この人は説明を受けた時の言葉をそのまま口にしているだけかもしれない。自分の主観で情報を歪めたりしないように。ああ、そうか、そういえば、あの男、エミヤがいたか)
もしかしたら、他にもいるかもしれないが、ティアナの推測は一つの帰結に至った。
「復元呪詛は、その吸血鬼の肉体の損傷を復元させる。相応の魔力を必要とするらしい。ただ、頭と心臓が残っていたのならば、普通の魔導師ではとても助からないような状態からでも蘇生ができる」
「狙うのならば、頭と心臓ですか」
「個体によっては、ほとんど肉体が残ってない状態からでも復元できるらしいけどね。それに呪詛を打ち破る概念があれば、その急所を狙わなくてもダメージは与えられる」
「概念武装――」
思わず口にしてしまった言葉に、『なのは』は不意をつかれたような顔を一瞬してから、苦笑した。
「ああ、やっぱりあの時の話は聞かれてたんだね」
「……古魔法に属する言葉だそうですね」
ティアナがそういうと、『なのは』はまたきょとんと笑みを顔から落とし、「古魔法……?」と眉を寄せた。これは予想外の展開だった。こちらはそちらの情報をこれだけ知ってますよ、というメッセージを送ったつもりであったのだが、向こうはそんな情報は知らないという感触だ。ブラフか、と一瞬思ったがそうではなさそうだ。
『なのは』は「まあいいか」と一人ごち。
「いちいち説明しなくてもいいのなら、それでいいよ。まあ、念のために聞くけど、その、古魔法での概念武装ってのはどういう意味?」
「それは……」
まさか、こちらから説明をする羽目になるとは思わなかったが、ティアナはヴィータとザフィーラから聞いた話を咀嚼して自分なりにまとめた知識を説明する。
曰く「年月の積み重ねによって人々の想念が世界にそのような概念を刻み込み、その形而上の効果が現実の世界でも効果をもたらせること」
それは概念効果というものの概要としては模範的な解答であった。
「概念武装とは、その概念の効果を持った武器のことですね」
「…………ロジックカンサー、と呼ぶそうだよ。人々の想いが世界にかけた魔法――みたいだよね」
「――」
なのはさん、と言おうとしたが、彼女はそれを歯を食いしばり、噛み潰す。今は情緒に流される訳にはいかない。
「その概念武装でなければ、吸血鬼に対しては有効打にはなりにくいということですか?」
「魔力での攻撃ならにたようなものらしいけどね。ただ、不死殺しや必殺の概念がある方が呪詛には眼に見えて効果がある」
魔力にも種類があって、効きにくい――というよりも、むしろ効きやすい、効果がでやすい種類のものがあるのだと、『なのは』は告げた。
「浄化概念が強い魔術なら、吸血鬼に対して決定的な効果が得られるともいうけど、とりあえずミッド式では火炎系が効くんじゃないか、程度の推察しかできないね。私もまだ試してない」
「……なるほど」
「他に弱点としては、日光や流れ水などにも弱いっていうけど、これは決定的なものではないね。陽光の下や水の中では活動がかなり限定されるのは確かで、これらも概念的な効果ではあるそうだけど、強力な吸血鬼はそれらを克服してしまってる場合もあるんだって。流れ水を克服している吸血鬼はほとんどいないらしいけど」
そのあたりの話は、フェイトから聞かされていた話にも共通していた。陽光や水を苦手としている血を吸う怪物。彼女らの住んでいた第97管理外世界ではポピュラーな存在であるらしい。あくまでも伝説を元にしたフィクションとしてだが。しかしこの『なのは』の言葉の通りだとすると、それらの元になった伝説には幾らかの真実が隠されていたということだろう。
「あと、太陽の場合は紫外線が遺伝子などを傷つけているということから苦手だって話もある。――吸血鬼はすでに死んでいて、常に滅び続けている肉体を魔力と呪詛で支えているだけにしかすぎないから。だから彼らは血を吸って自分らの体にエネルギーを補給し続けないといけないんだ」
「ああ……」
なるほど。
ティアナは納得した。管理世界ではあまり聞かない、人型で血を吸う怪物である吸血鬼に対して彼女は「よほどエネルギーを必要としているのかな」と推察していた。血というものは高いエネルギーと魔力を秘めている。だからそれを吸ってエネルギー補給というのは解る。だが、血というのは一般に催吐性があり、そのまま食するには適していない。血の料理というのは各世界にあるが、生のまますするというのはほとんどない。人型でありながらも好んで血を吸うのならば何かよほどのことだろうという風に考えたのである。
いかにも管理世界の執務官らしい、ロマンのかけらもない推論であるが、だいたいあたっていたようだ。
いや、血を吸うことでいえばもう一つ気になることがある。
「血を吸われた人間は、どうなるんですか?」
「死ぬ」
みもふたもない返事に、鼻白む。
「吸われた時点で、その人の人としての人生は終わる」
『なのは』は、ティアナの心情など知らぬげに、あるいは知っているからこそなのか、わざと素っ気無く言葉を続けた。
「絶対に?」
「量にもよるかもしれないけど、基本的に血を吸われた人間は死んで『死者』になる」
「『死者』?」
「吸血鬼の下僕である、生きた死体だよ。私たちが追っている種類の吸血鬼は、血を吸った人間を『死者』とただの死体とに分けることが可能らしい」
「…………」
「『死者』はこれまでに遭遇している人間もいると思うけど、彼らに思考力はない。ただ主人のために血を吸うだけの怪物になる。『死者』は血を吸い、その霊力を主人に分け与えるだけの器官でしかなくなる。ただ、その中でも資質のある者の場合、また違う末路がある」
「それは?」
ティアナはいいながらも、その答えについての予測がついていた。彼女はフェイトに聞いていたのだ。
「吸血鬼化」
『なのは』の声は託宣にも似ていた。
「これは、最終段階としてだけどね。細かい区別は説明しないけど、長い長い時間をかけて自我を取り戻し、『死者』から吸血鬼になる者が、ごくまれにいる。そういった者でも完全に主人と独立した吸血鬼と、そうとなる前とでは区別がされるというけど、私たちの場合はさして重要じゃない。吸血鬼となった段階で、すでに危険度、脅威については『死者』のそれを遙かに上回る。自分で考えて自分で活動できて、自分で自らを鍛え上げることができるという時点で、それはただ自律行動ができるというだけの戦闘人形である『死者』とは全く異なる存在だよ。勿論、これは『死者』から段階的にという話で、そうでない場合もあり得る。吸血鬼が血をすう段階で選択して仲間にすることもある」
そして『なのは』は息を吐き。
「さらにいうと、そのどれでもない――段階的にレベルをあげたのでもなく、吸った吸血鬼の意図したものでもなく、本当にただの資質の高さだけで、吸われたというだけですぐに吸血鬼になってしまう者もいる」
「それは、もしかして」
昨晩の、あなたが殺したという管理局の女魔導師のことではないのか、とティアナは尋ねようとした。
証言によれば、吸われた直後に暴れ出したのだという。それも『死者』と化したからかと思ったが、自律行動ができるだけというそれと彼女の様子とでは、少し違うように思えた。それに、昨晩に武装隊の人間が遭遇した『死者』たたの中には民間で魔導師だった者もいたのだ。さほとランクは高くなかったにせよ、魔導師の『死者』の中でも魔法を使ったのは彼女だけだったというのが少し気になった。
『なのは』はティアナの言葉を察したのか、あるいはそうでないのか、途中で遮った。
「いずれにせよ脅威であるし、もう元には戻せない」
「……本当に、もうどうやっても戻せないんですか?」
この人が断言するからには、本当にもうどうしようもないのだろうとは思った。『なのは』が高町なのはと同一人物であるかどうかはまだ彼女の中でも決定していないが、なんとなくそんな気がした。
それでも聞いてしまうのは、このままではあまりにも救いようがないと思ってしまったからだろう。
「戻す研究をしているという人はいるというけど、上手くいっているとは言い難いらしい」
「そうですか……」
声が重くなるのは仕方がない。
「ただ、親である吸血鬼を殺せば、子は支配から独立できるともいうし――吸血鬼化してもなお理性が保てている人もいる場合があるから、それも考慮して、なるべく生かして封印処置をする、という選択肢もあるとは思う」
「―――――ッ なるほど」
『なのは』の言い添えた言葉に、初めて希望を抱いたようにティアナは目を開く。なんの救いにもなっていないようでもあったが、それでも何か指針が見えたような気がした。
「では、その親である吸血鬼について教えて下さい」
まずは最初にその頭を狙う……と決めた訳ではないが、とにかく首謀者ともいうべき元を断たねばダメだと思った。その吸血鬼とこの『なのは』との関係も、あわよくば聞けるかもしれない。
答えは絶望的なものであった。
「……この世界にきた吸血鬼は二人――いや、三人」
「三人!?」
一人であると無意識に思い込んでいた。
そうでない可能性も考慮すべきであった。
『なのは』の続いての言葉は、さらに彼女の想像を超えていた。
「その内の一体は、すでに私たち以外の者の手によって始末されてる。もしかしたら、三人の内の一人の手によるものかもしれない」
「……? どういうことです? その、つまりその三人は全員が仲間ということではないんですか?」
「一人はその二人の敵、らしい……詳しくは解らないけどね。さっきも言ったけど、理性を保てている場合もあるって。彼女は恐らく、そっちの側だね」
(彼女?)
うっかりと口を滑らせた、というべきか、あるいは半ば無意識であったので余計なことを言ったのにも気づいてないのか、『なのは』の言葉からそのことをよりわける。
三人の吸血鬼の内、一人は死に、今は二人の吸血鬼が敵対していると。
そしてその中の一人は女性。
それらが喜ばしいものであるかどうかは解らないが、少しだけ前進できたような気がした。勿論、彼女の言っていることが本当であればの話だが。
他にも確認しないといけないことはある。
「その……あなたはその二つの吸血鬼のグループの、そのどちらとも敵対しているということですか? 片方だけなんですか?」
「それは――」
≪時間だ≫
唐突に、遮る声がした。
ティアナはそちらに目を向けた――が、誰もいない。
姿を隠す魔法を使っているのか、と思ったが、そうではなかった。気がつかなかったが、椅子がある。そしてその上に通信デバイスが置かれていた。声はそこからしたのだ。
「……もうきたの?」
『なのは』の言葉に、ああ、とそっけない返答があった。
≪すでに、囲まれている。かなりの手練たちだ。俺はすぐに離脱する。お前はどうする? 助けに入ると、多分両方ともつかまるぞ≫
「さすがはクラウディアのクロノ提督、か。思ったよりもはやい」
「――クロノ提督が?」
驚いたのはティアナだった。
自分が抜け出してここにいることについては、不自然にならないようにちゃんと手続きどおりにしてきたのだが……。
(最初から監視されていた? まさか、そんなことはないと思うけど――)
いや、それはいい。
そのことは後で考えればいいことだ。考える前に、向こうから告げられることでもありそうだし。その前に、今すぐに考えなければいけないことがある。
「私は、ここにくることは誰にも言ってません」
言い訳がましい。
自分でもそう思う。
本来なら、取引を持ちかけてきた犯罪者というか容疑者を相手にこんなことをいう必要はない。だが、言ってしまった。それはどうしても目の前の相手が『なのは』としか思えないからだった。この人に裏切ったと思われてしまう、ということに心底からは耐えられないという想いが迸らせた言葉だった。
『なのは』は微笑む。
「そんなこと思ってないよ」
「―――――」
どうして、こんなことで安堵してしまうのだろう。
この人が仮に本当の、本物の高町なのはだとしても、管理局に勝手に違法行為をしている犯罪者だというに。
(だめだ。浮ついちゃう……というか、落ち着きなさい……今、この隙に幻術をかけられたりしたら……)
ティアナは焦燥を感じた。
展開に心が追いつかない。
いつもならこういうことがある時は、バインドを相手にかけて――
気づけば、ティアナの身体には魔力の輪が絡まりついていた。
「え―――」
手首と胴と足首と首と。
違和感を感じることもなく、術式の展開の予兆さえも感じさせない。
(けど、これはどういう類の……)
このタイプは空間固定タイプが普通だが、それではない。それは解る。微細な身体の動きにも魔力輪はそれに合わせて動いている。
だが。
デバイスを構えようとした時、腕が動かなくなった。
「何、これ……」
意思を感じているのか動きに応じているのか、このバインドの術式は特定条件になった時にだけ作用するタイプのようだった。こんな術式は、彼女だって始めて見る。
思わず『なのは』の方を見る。
彼女はそれを待っていたように、変身のキーワードを口にしていた。
「ルビー、キャスターモードに」
『はい♪』
……随分と調子のよさそうな声が応じ、『なのは』の衣装が変化する。
彼女には見慣れた、高町なのはのバリアジャケットだ。
いや、違う。
ティアナはそのモードを見たことがなかった。基本的に高町なのはの衣装は白を基本としているが、今の彼女を包んでいるのは確かにそれをベースにして、しかし別の方向へと進化したように思えた。長いスカートに、白いコート。コートの表面には細い線で幾何学模様と紋章のようなものが余さず書き込まれている。強力な術式がそのコートには織り込まれているというのが一瞥で窺い知れた。恐らくはあらゆる攻撃に対しての無効化作用と反射、そして魔力展開の補助――似たような術式を、昔八神はやて隊長がしていたことがある。しかしそれはリインフォースが補助しての一時作用のものであり、常時展開のバリアジャケットとして構築しているものではない。
もしもそんなことが可能であるというのなら、バリアジャケットにするというだけでかなりの魔力が必要となる。
八神隊長に劣るとはいえ、莫大な魔力を持つ高町なのはならば可能ではあろう。
だが。
リンカーコアを傷つき、年ごとに魔力が衰えていく彼女がこんな術式の展開をするようには思えない。そもそも、こんな術式をどうやって身に着けたのか。こんな術式は、今のこの世界の管理局には存在しない――
―――例えば、そんな彼女が管理局に入っても武装隊には入らず、研究者としての研鑽を積み続けていたとしたらどうだったかな。もしかしたら、ちょっと空戦が得意だけど総合ランクでの大魔導師になったりしたかもしれないよね
(!……まさか)
槍使いの『なのは』を見た。
剣士の『なのは』を見た。
二刀小太刀使いの『なのは』も見た。
これは、このモード変換は……。
「じゃあね、ティアナ」
『なのは』の前に、三角と三角を組み合わせた、六芒星といわれる星を真円の中にいれた魔方陣が浮かんだ。ティアナが今までに見たこともない術式だ。
そして。
彼女はそれに向かって歩き、その魔方陣の中に入り込み――
桜色の輝きが視界を覆った。
「ティアナ」
背中に声がかかった。
硬い。
フェイトの声だとは、すぐに解った。
「いたんだね、ここに……」
「はい」
「後で、話を聞かせて」
「……解りました」
二人の執務官の前には、なんの痕跡もなかった。
『なのは』の姿も。
魔方陣も。
ただ、闇だけがある。
つづく。