『こんばんは、リアル10ニュースの時間です。
米国マンハッタンの現地時間未明、原油を積んだタンカーが沈没しました』
高町家に、滑らかにニュースを読み上げる声が響いた。
談笑を遮る形でテレビを付けたのは、僕だ。
だって今日は、一週間に一度の楽しみなのだから。
「ふむ、事故かな?」
「結構大きなニュースだね」
「原油……大変ねぇ」
それぞれ一言感想を述べる親娘達。
「えーと、チャンネル回してもいいですか?」
「どーぞ、どーぞ」
「どうもー」
見たいのは、ローカル番組のニュースだ。
何故ならば。
今付けている放送局では、僕の親友――スネークが扱われる事はほぼ、ない。
合衆国の圧力があるとかなんとか噂があるけれどともかく、僕の知ってる限り、
スネーク寄り、つまりまともにニュースとしてスネークを扱うのはその番組だけ。
タンカー沈没ニュースも少しは気になるけど、優先順位には逆らえない。
そんな訳で、申し訳ないと思いつつもそのままチャンネルを変えようとして――
『当初は衝突事故との報道もありましたが、あのフィランソロピーのソリッド・スネーク容疑者によるテロ事件だと米政府が発表し、今後一層騒動になると思われます』
……今、聞き慣れた名前が聞こえた気がする。
いやいや、幻聴だろう。
そうに違いない。
気のせいだね、うん。
僕も疲れが溜まってるのかな。
今度、なのはとヴィヴィオと温泉にでも行こうか。
気を取り直してチャンネルを変えようとして。
画面の中で、カメラの前をスタッフが素早く駆け抜ける。
そのままアナウンサーの女性へと紙を渡し――。
『はい――え!? ……え、あっはい、続報です。米政府の発表で、先程スネーク容疑者の遺体が発見、収容されたとの事です。
繰り返します。米政府の発表で、スネーク容疑者の遺体が発見、収容されたとの事です』
――な。
な、
な、
な、
「なんだってーっ!!?」
番外編「充実していた日々」
住めば都、なんてことわざがあるけれども、とても的を得ている。
僕のいるこの部屋は……あまりに『綺麗』だ。
前にねぐらにしていたあそこと違ってきちんと整理整頓されているから、とても広々と感じる。
勿論埃が目に見えて積もっている所も無いし、小虫の気配も全く感じられない。
そればかりか、鼻をくすぐる優しい匂いが随分と懐かしい。
正直に言って、少しだけ居心地が悪かったりする。
「……」
それは、僕の相棒も同じだったようで。
僕の相棒――ソリッド・スネークも、ただじっと壁に寄りかかってジッとしている。
お互い、どぶねずみ生活が長すぎたのだ。
だからあの薄汚い部屋が『住めば都』の都で、此処――タカマチ家は未来都市というに等しい場所だ。
と、ノートパソコンがエラー音を吐いた。
思わず唸ると同時、視界の隅でスネークが顔を上げる。
どうした、と小さく問い掛けてくる彼に、僕は椅子の向きを変え、肩を竦めた。
「だめだ、やっぱりガードが固いよ」
見飽きた文字列。
愛国者達か、と。
パソコンの画面に映るその文字を、覗き込んできたスネークが読み上げる。
「僕らみたいな連中に、国家機密を見せる気はさらさらないみたいだ」
僕とスネークが所属する、世界中に拡散したメタルギアを排除する為の組織フィランソロピー。
僕が情報を手に入れ吟味し、スネークが行動を起こす。
そんな肉体労働と頭脳労働のがっちり組み合わさったこのコンビが、こんなに苦戦した事は無い。
むしろ大敗北といっても過言ではないだろう。
メタルギア関連の情報を探る僕等の前に、愛国者達という単語が鉄壁となって立ち塞がるのだ。
このまま引き下がるつもりもないが……さて、どうしたものか。
大した愛国心だ、と皮肉るスネークに、僕は眼鏡を押し上げた。
「でも、ようやく落ち着けるようになって良かったよ」
「……乗り気では無かったがな」
何言ってんのさ、と表情をわずかに苦くさせるスネークへ声を上げる。
タンカー沈没後、こそこそと逃げ回っていた僕等だったが、スネーク本人が此処、日本のタカマチ家の住所を僕に差し出したのだ。
……そう。
スネーク曰く、魔法世界で出来た、コネって奴。
魔法世界。
魔法世界。
魔法世界。
うーん。
僕の顔から胡散臭さを感じたのか、スネークが口を開く。
「高町家の証言でも不満足か?」
「信じられるかぁっ!」
モセス事件終結後、忽然と姿を消していたスネークがひょっこりと現れた時は驚いたものだ。
あの精悍な眼差しを再び見る事が出来て、本当に嬉しかった。
フィランソロピーの誘いも、一発OKした。
今まで何処にいたの、という質問に対して帰ってきたスネークの答えに、愕然した。
『異世界にいた』
――遂に、伝説の英雄の頭が狂ったと思った。
フリーズする僕だったが、スネークの言動はやはり今まで見てきた彼らしく。
ああこれはきっと何か酷い事があってそこの記憶だけ摩り替えたんだねうん、と自己解釈していたのだが。
「お前だから話したんだ。……信じろとしかいえん。証拠といって魔力切れの簡易デバイスしか――」
スネークが取り出したカード型デバイスとやらを思い切り睨み付ける。
これに魔力が篭っているとバリアが発生、衝撃を緩和させる云々。
……そんなのパワーレンジャー変身グッズとしておもちゃ屋でいくらでも売ってる。
「……ねぇスネーク、実は僕のお気に入りのロボフィギュア、喋るんだ」
「――何?」
「火星人が地球人の生態を調べる為に、魂をフィギュアに憑依させてるんだよ」
恐るべき火星人侵略計画を話す僕。
それに対してスネークが大きく溜め息を吐いた。
そして、「寝言を言うな」と言わんばかりに呆れた視線を僕へ向けてくる。
「言ったろうオタコン、得体の知れん物を食う時はきちんと調べろ、と。
行き当たりばったりに何でも食べて体を壊す愚か者なんてそうはいない。
……待てよ、幻覚を見るだなんてお前まさか、アレでも食べたんじゃ――」
「君の言ってる事もそれくらい胡散臭いって事だ! くっそぉ、異世界だって!?
空間転移装置だの、空間モニターだの、念話だの、そんな、そんな非現実的な物――!」
ニヤッと笑うスネーク。
そして彼の口から。
見たかったのか? と一言。
それによって僕の理性は、一瞬で崩壊した。
「――見たかったさああぁ!! ねぇ、転移装置技術について何か聞いた?
高性能AI搭載の無人兵器と戦った感想は? 念話ってどんな感じなのっ!!?」
「……落ち着け」
「落ち着けない! くそ、くそ、君だけ楽しんでさ!」
肩を竦めるスネークを睨みつつ、荒い息を抑える。
そこに、ぴんぽーんと間延びしたチャイムが鳴り響いた。
次いで、モモコさんの柔らかな返事声。
ドアを開く音が微かに聞こえてくる。
そして今度は、ドタドタと五月蝿い足音が近づき始めたところで、スネークが僕の肩を軽く揺すった。
「オタコン、どうやら魔法世界を証明出来そうだ。……来たぞ」
「まさか……ユーノ・スクライアかっ!!」
魔法世界での出来事は話半分とはいえ、大筋は把握している。
その中でやはり、到底好感を持てそうに無い人物。
僕は身構え、警戒を強める。
「スネーク!!」
勢い良く部屋へ駆け込んできたのは、整った顔の青年。
スネークの顔を確認するなり破顔させ、彼の下へと駆け寄った。
……身構えている僕の存在など気づいていないのか、素通り。
まさかの、素通り。
「久しぶりだな、ユーノ」
「本当! いや元気そうで良かったよっ!」
「お前もな」
微笑むスネークに彼、ユーノは溜め込んでいたものを吐き出すように息を吐いた。
「皆心配してたんだよ。生死不明の後、君の死体回収のニュースまで流れたんだからね」
「はは、お前も驚いたか?」
「ふふん、そんな訳ないだろ。君が死ぬ筈が無い。……リキッドの遺体だよね?」
正解、と頷くスネーク。
ユーノがそれを見て満足気に微笑んだ。
「僕だけ『全く』動揺しなかったから、心配じゃないのか、とか言われちゃってさ。
いやぁ、困ったもんだよ、ほんと。皆スネークのしぶとさを知らないのさっ!」
「そうか。……他の連中も元気そうだな」
「うん、六課も解体されて皆それぞれの道を歩んでるよ、充実してる。君と同じように、ね」
充実、という言葉にスネークは少しばかり苦笑して、僕へと視線を向けた。
「紹介する、ユーノ。こいつが――」
「――ああぁっ!?」
来たな。
バッと身構える。
今初めて気づいたかのように迫ってくるユーノ。
意外な事に、僕と同様敵対心を抱いている筈の彼の顔には、満面の笑みが。
にこやかに握手を求めてきたので、動揺しつつも応じる。
想像と全く違う展開だ。
「いやぁどうも、初めまして!」
「え、あ、うん。初めまして」
「貴方の事はスネークから何度も聞いてますよ、会えて光栄です!」
何だスネーク、出鱈目を。
実は普通に良い奴じゃ――
「――エマーソン博士!」
……は?
時間が止まる。
聞き間違えた、かな。
うん? と聞き返す。
「あ、失礼。……ハインリヒ博士!!」
「な……!」
呆然としてしまう。
同時にスネークが溜め息を吐いて、そっぽを向いた。
ユーノが再びあっと声を上げ、実にわざとらしく申し訳なさそうに苦笑。
「あーごめんなさい。あなたの経歴、趣味の印象が強すぎて、本名がどうにも……ねぇ、オタク・コンベンションさん?」
スネークの我関せずの姿と、彼の薄ら笑いで僕はやっと理解した。
こいつ、敵だ。
全60兆の細胞が、敵意に燃える。
「ぼ、僕も話には聞いてたよ。随分頼りない記憶力だねぇ、に、ににに似てるだなんて心外だな」
「こっこっちも、夢一杯の妄想世界に浸るオタコンさんと同じにされたら堪らない!」
「夢や想像から技術は生まれるんだ! 壷だの小物だのの泥臭い骨董品に比べたらずっとマシさ!」
「なっななな!! 過去の英知をバカにするなんて信じられないこの人! 信じられないこの人!!」
がちゃり。
「――ご近所に迷惑だから、もう少し、静かにね?」
ばたん。
「……」
「……」
僅か数秒の出来事。
空気が一瞬で凍りついた。
モモコさん、すごく怖い人だ。
「ふむ、なのはの親だな」
「……お、オタコンさん、とりあえず、一旦、落ち着きましょう」
「う、うん」
深呼吸。
そしてごほんという大きな咳払いの後、ユーノが口を開いた。
「さて、スネーク。何があったか聞かせてくれるかい?」
ユーノが眼鏡を押し上げる。
先ほどと違う真剣な眼差しは、とても二十歳とは思えない。
いくつもの困難を乗り越えてきた瞳だ。
「……俺達の下に、匿名で情報が届いた。海兵隊が新たなメタルギアを開発している、とな」
「匿名? ……ごめん、続けて」
「俺達は演習へ向かうタンカーに潜入し新型の写真を撮影、後に公開して圧力を掛ける予定だった。
だが同時に、オセロットとその取り巻きが新型を奪取する為に潜入していたんだ」
オセロットという名前が出て、ユーノが眉を顰める。
スネークがこちらの事もある程度話していた、というのは本当らしい。
「海兵隊司令官が新型開発を進めていたのは、緊急即応部隊としての重要性が薄れてきたと言われている海兵隊の実情。
そしてメタルギアの亜種が拡散している現状に危機感を抱いていたかららしい。でも、それが気に入らない組織もあったようだね」
「メタルギアに対抗する為に、新型メタルギアを……って事か」
「結局オセロットは取り巻きをも裏切って新型を奪い、タンカーを沈めたって訳。僕達は誘き寄せられた。騙されたのさ」
「――成る程。スネークがタンカーを沈めたって報道で溢れてますからね」
事の顛末はおおまかにだが、話し終えた。
だがユーノの顔にはまだ疑問が残っている。
「……匿名の情報を信じた理由は?」
ごもっともな意見。
実は、と口を開こうとして、スネークがそれを遮った。
「まぁ、色々とな。裏は取ったんだが、まんまと嵌められた」
これについては、僕のちょっとした負い目だ。
申し訳ない気持ちで一杯になるけれど、スネークの気遣いがありがたかった。
僕の事情を汲み取ってくれたのか、ユーノがそれについて追求してくる事は無かった。
「……タンカーは原油を積んでいなかったんだよね?」
今度はしっかりと頷く。
報道では原油タンカーの沈没となっている。
タンカーを極悪非道なテロリストであるスネークが沈めたのだ、と。
実際に原油は流出し、その映像も世界中を忙しなく駆け巡っている。
「タンカー沈没後、本物の原油タンカーを沈めて見せたんだ。偽装の為にね」
「それって……」
「ああ、並大抵の事じゃない。相当巨大な組織が動いてる」
今まで相手にしてきた中でも、ダントツで危ない匂いがする相手。
スカリエッティの話を覚えているか、とスネークが口を挟んだ。
――魔法世界の話だ。
忘れるもんか、とユーノが強く頷く。
「新型について『愛国者達に返してもらう』とオセロットが吐いた後、海兵隊の司令官が口にしたんだ」
「まさか……」
「『らりるれろ』か、とな」
「……!!」
ユーノの顔が驚愕に染まる。
彼の脳内でも、『愛国者達』と『らりるれろ』との間に等式が引かれているだろう。
「待って、という事はやっぱり……」
「どうした、ユーノ」
「……スカリエッティが地球に行っていた、というのは君も知ってるよね」
「REXの情報だな?」
「オセロットと直接接触があったかは未確定だけど……その日が、モセス事件翌日だったんだ」
今度は僕達が驚愕する番だった。
決して偶然ではないだろう。
冷静沈着なスネークでさえ、目を丸くしている。
奴とらりるれろ――愛国者達は随分前から関係を持っていたのか、と確認するように呟くスネーク。
「いや、それだけじゃない。スカリエッティの検死で、彼にFOXDIEが発生していた事が分かったんだ。勿論、君のが原因ではない」
「何!? ふむ……オセロットと何かあったという事か。『身体も、意志も、死も私だけのものだ』……奴は、自身が感染していた事を知っていた?」
「分からない。……でも、『スネークの全てがらりるれろに帰結する』というスカリエッティの話は現実味を帯び始めたと思う」
「……」
繰り広げられる、異世界での出来事についての会話。
僕は一人、唸る。
遠い異世界での出来事という事もあってか、情景が想像しにくい。
「ねぇ、そのスカリエッティとやらの話って信憑性あるの?」
仮にこちらの世界の誰かと長期間交流を持っていたとしても、スネークに対して真実を話したとは限らないのだ。
ガセを掴まされた可能性もある。
しかし僕の質問に、スネークは意外と自信を持っているようだった。
「確かに奴は頭のネジが外れかかっていた『人間』だったが、信じる価値はある」
「スネークと同じ意見です」
「……君達がそう言うなら別に良いけどさ」
「鳥乃将死其鳴也哀、人乃将死其言也善ということわざもあるしな」
まさかのスネークからのことわざ紹介。
日本のことわざであったっけ? とスネークへ聞くユーノ。
――僕の出番だ!
「教えてあげるよ、ユーノ。中国のことわざだね。古代中国、ペットの鳥が山賊の射った矢から主人を守ろうと身を呈したんだ。
でも勿論、小さい体じゃどうにもならない。主人諸共射抜かれてしまった」
「な、生々しいですね」
「鳥は申し訳なさそうに、哀しそうに鳴き声を上げて息を引き取った。
主人は死ぬ直前、鳥のそんな主人想いの行動に深い感謝の言葉を心から述べたんだ。
つまり……えーと、人が死ぬ直前に言う言葉は、誠実、真実であることが多いって意味だね、うん」
「へぇー……詳しいんですね」
「ふふふ、まぁね」
スネークが疑わしい目で見てくる。
「懲りてないな、オタコン。散々メイリンに絞られたみたいだが」
「え、何、スネーク、絞られたって?」
「あっ興味持つなよ! おい、スネークも!」
スネークがあくどい笑みを浮かべ、僕をチラリと見据えた。
ユーノも興味津々といった様子。
不味い、これは不味い。
「作戦中、こいつが思い立ったように突然――」
「ああああ! そうだ、これ、これ!」
渾身の速さでパソコンを操作し、目的のページを開く。
そして、割り込むように彼らに見せ付ける。
そこに映るのは、僕等の名前。
「お、来たかっ?」
よし、食い付いた。
スネークの弾んだ声に、僕はニヤリと笑った。
「更新されたみたいだよ」
「……これって――」
ユーノの顔が嫌悪に歪む。
そう、FBIのウェブサイトだ。
彼にとっては友達を凶悪犯罪者に仕立て上げている相手とあって、不快なのだろう。
「まぁ、そう嫌な顔しないで……ほら!」
「おー、来たな」
クリック一つで、ずらりと。
大量に表示されたのはそう、僕等の――『箔』だ。
フィランソロピーの二人の、罪状リスト。
そこに新たに付け加えられた文字。
「……環境テロ。はは、予想通りだな」
「うわぁ……凄い量。君達、嫌われてるねぇ」
「でもユーノ、面白いだろ? ここまでくると」
「……確かに、世界中の犯罪者の中でも、はは、郡を抜いてる」
そうだスネーク、これで資金稼ぎできるかも。
名義上フィランソロピーのメンバーに加えますよって!
フィランソロピーのメンバーを名乗る権利を売る、と?
そうそう、世界中にはそういう名声を欲しがるロクデナシもいるだろ?
加入翌日にはこのサイトに名前が載るだろうし!
冴えてるぞオタコン、資金難が解消だ。
まぁ、問題はそんなロクデナシが本当にいるかどうかだな。
え、お金払えば加入させてくれるの?
……じゃあ僕も加入しようかな、フィランソロピーに。
お前が加入してどうするっていうんだ。
だって君等だけ楽しそうで羨ましいんだもの!
ははは――
――ん
――……さ、ん
「――に、兄さん」
「……ぅ」
覚醒する。
重い目蓋を押し上げて、サニーが呼んでいる事を理解。
眼鏡を掛ける。
時間だよ、とその少女が時計を指差した。
「ありがとう、すぐ戻る」
彼女の頭を撫でて、ゆっくりと立ち上がり。
この機体、ノーマッドの後部ハッチを開いて、外の空気を目一杯吸い込む。
――随分と懐かしい夢を見たなぁ。
はっきりしていく意識を実感しながら、足早に歩く。
指定の場所で立ち止まり、あたりを見渡して。
その男が、もの凄い勢いで僕の下へ駆け寄ってきた。
「ハル!」
「やぁユーノ、久しぶり」
ユーノ・スクライア。
顔を見るのは久しぶりだけれど、まだまだ若さが滲む彼を見て苦笑する。
僕も今では立派な中年だ、と改めて実感させられるから。
彼と初めて会った頃には、まだ若者といってもセーフだった時期だったのに。
と、荒い息で肩を上下させるユーノが、ギッと僕を睨み付けた。
「なんで、今まで連絡しなかったっ……!!」
「開口一番でそれか、まぁ落ち着きなよ。機内で話そう」
連絡を一方的に絶ってから、もう随分と経つ。
それが急に再び送られてきたら確かにびっくりだろう。
僕は振り返って、ノーマッドへと歩みだす。
「……スネークは?」
体が硬直する。
隠し通すつもりも無いが、今すぐ話す気には到底なれなかった。
「……任務中だよ」
紛れも無い事実。
平静を装ってそれを話し、僕は再び足を進める。
荒れる気配漂うノーマッドへと。
◆
「は、はは……」
ユーノの空笑いがノーマッドに響く。
僕は、黙って彼の言葉を待つ。
「なに、これ」
「――なんだよ、これ!」
ユーノが簡易台へと写真を叩き付ける。
映っているのは、一人の男。
パッと見て、老人。
色素の抜け落ちた白髪、目の周囲の窪み、皺でたるんだ肌。
とても四十代には見えない。
「……スネークの写真だ」
「どういう事だって、聞いてるんだっ!!」
ユーノがどん、と台を叩いた。
それを聞き付けたサニーが、二階からそっと覗いて来る。
僕は微笑んで、手を振る。
サニーは小さく頷いて、顔を引っ込めた。
「……ごめん」
「こっちだって」
ユーノが謝り、続いて僕も謝罪を口にした。
友達の異様な変貌を眼にして動揺するなという方がおかしい。
それでもすぐに冷静さを取り戻せるのが、彼の凄さだ。
「急激な老化が始まった。スネークは今、診察を受けに行っている」
「……連絡しなかったのは」
「スネークが固辞したからだ。君達に連絡すれば、余計な騒ぎになるって」
そう言ってから、再び僕は謝った。
「ごめん、正確には、君に連絡するのを拒んだんだ。君なら、絶対にこっちの世界にに来るからね」
「当たり前だろっ……って、もしかして……」
「うん、スネークには黙って君を呼んだ」
ユーノが顔を顰める。
真意を測りかねているのだ。
「地球の医療技術じゃ、スネークの残り時間がどれだけなのか分かるだけだ。その時間自体に変化はない。
……まぁ、それでも必死に頼み込んで、今行ってもらってるんだけどね」
「つまり……こっちの世界に?」
「うん、もしもそっちの技術でこれ以上の異常老化を食い止められるなら、と思って」
確かにスネ-クに黙って行動するのは悪いと思う。
だけど僕としてもスネークは、命の恩人で、共に戦ってきた仲間で――かけがえの無い親友なのだから。
ただ朽ち果てていく彼を黙って見ているのは、我慢ならなかった。
「今行っている医者の検査結果を全てそっちに送る。どうにか出来そうなら、また連絡してほしい」
引き受けてくれるかい、と口にして、一瞬の間も置かずに返答が返ってきた。
「分かった。『依頼』として引き受けるよ」
「それとユーノ」
「……何、ハル」
「呼んでおいてあれだけど、恐らくこれが最後の戦いになる。……君は関わっちゃいけない」
「……どうして」
不満そうな視線を向けてくる彼に、僕は釘を刺す。
根本的な意見としては、スネークと一緒だからだ。
「これは僕達の戦いだ。僕達の責任だ」
「……君達だけで、全て背負うと?」
「そもそもこうして地球が変わってしまったのは僕達の所為だ。君が背負う必要は無い」
ユーノが顔を歪める。
多分、僕が言っているのは、自分勝手な我侭だ。
それでも、未来を背負う若者に、僕等の重責までをも負わせたくは無い。
眼鏡を押し上げて、彼の肩を掴む。
「僕達の事は忘れて、君の人生を精一杯進め。
僕達と一緒にいるよりも先に、君にも守るべき人がいる筈だ」
言い切ると同時。
ダン、とユーノが勢い良く立ち上がる。
「話は、それだけ?」
「……うん」
「じゃあ僕、行くよ。依頼については、また」
「あぁ……すまない」
後部ハッチを開ける。
ユーノは振り返ることも無く、さっさと行ってしまった。
「……これで、いいんだ」
自分に言い聞かせ。
ごめんよ、ともう一度内心で呟く。
ずり落ちた眼鏡を再び押し上げた。
さぁ、僕も色々と準備をしないと。
もう後戻りは出来ないんだ、後悔している暇も余裕も無い。
タイムリミットが目に見えて迫り来ているのだから。
全てを終わらせよう。
僕等の、世代で。