「――地球じゃ、ない」
刻み付けるように、呆然と、口にする。
生い茂る木々、撫で付けるように流れる穏やかな風。
すぅ、と深呼吸をしてみれば、大自然の澄んだ空気が身体に染み入る。
汚染物質にまみれたどこぞの大都市周辺ならともかく、とりたて珍しいという物でもないのだが。
ユーノと名乗った青年は、この場所が地球では無いと言う。
「その通りです」
ユーノの言葉にしばらく固まっていたスネークだが、唐突に噴き出す。
この青年は本当にイカれているのだ、と。
「ああ、成る程。それならここが、木星だとでも? 火星人もびっくりだ」
冗談めかした様子で皮肉を言うスネークに反して、ユーノの表情はあくまで真剣そのもの。
スネークも流れる沈黙を感じ取り、ユーノが冗談を言っていないとわかったのか顔を強張らせる。
「……本気か?」
「もう日も暮れてきました。詳しい話は中でしましょう、長くなります」
そう言ってテントの中に入っていくユーノ。
その後を頭を掻いて追う事しか、今のスネークには出来なかった。
第二話「迷子」
明かりが灯されたテントの中。
スネークは広めの天井を眺めながら、ユーノが煎れた茶を飲む。
アジア系の茶なのか、口の中に広がるコーヒーとは違う独特の苦みは中々好みの味だ。
イギリス人と日本人の遺伝子が混じってる所為か、種類問わず茶は大好きである。
胃を中心に、体中へじんわりと熱が広がっていく。
茶を片手に一息ついてから、ユーノが本題に入った。
「ここは、あなたの世界ではない、言わば……異世界ですね」
「……異世界」
文字通り、異なる世界。
ズズズ、と茶を啜りながらユーノが話した内容は、スネークにとって到底信じ難い。
目の前の青年が所謂化け物のような容姿であったなら、少しは異世界だと信じられたかもしれない。
しかし地球の人間といたって変わりはないのだから、やはり気でも触れたのかと思ってしまう。
異世界なんて存在し無い。
スネークはそう警告する常識の土台が軋んでいる音を必死に無視した。
「まず、貴方の世界と決定的に違う事……魔法の存在について話しましょうか」
「魔法だって?」
スネークは耳を疑った。
魔法、魔術。
地球ではアニメや映画、お伽話でしか登場しないような物が実在するというのは、スネークにとってはあまりに衝撃的。
常識が、悲鳴を上げる。
いや、断末魔の叫びと言った方が良いだろうか。
「ええ、魔法です。さっき貴方を捕縛した、バインド。それに、貴方の怪我も治癒魔法で治療したんですよ」
大きい怪我の跡は残っちゃいましたけどね、と苦笑いを零すユーノ。
呆けた表情のスネークを見たユーノが腰からナイフを取り出し、左手の親指に刃を当てる。
「見ていてくださいね」
スッと勢い良くナイフを引くユーノ。
当然そこからは血液が流れだす。
紫色の血液を見せ付けられるかと思ったのだが、どうやら血はちゃんと赤いようだ。
こんなちょっとした事で安堵の息を吐いているというのだから、スネークの精神も中々追い詰められているらしい。
そして、ユーノが右手をかざすと、そこから淡い緑色の光が赤く染まった指を包み――
「――傷が、塞がった」
「ね?」
――バカを言ってはいけない、この世に魔法なんて存在しないぞ。
そんな叫び声を上げていた常識は、遂に崩壊した。
はあぁ、とスネークは様々な感情 を乗せた息を吐き出し、再び自分の体を見回す。
人知を超えた奇跡の力、魔法。
信じられない話だが、目の前で見せられたら否定することは出来ないだろう。
こういう話はオタコンの専売特許なのだと思っていたが、まさか自分にも縁が出来るとは思わなかった。
「……確かに、タネがあるようには見えないな」
「はは、冷静ですね。動揺の末に癇癪を起こして殴り掛かってくる、なんて事も無いようで助かります」
それはどうも、とタバコを火は点けずにくわえ、目蓋を揉み付ける。
正直に言えば、信じたというよりは開き直ったという方が正しいのだが。
「で、その偉大なる魔法様にはビームみたいな物もあるのか?」
「砲撃魔法ですね。僕には使えませんけど、バカスカ撃てる人もいますよ」
「ほう。……空も飛べたり?」
「ビュンビュンいけます。まぁ、航空機とかにぶつかる危険性があるから、許可無しでは飛べませんけどね」
妙な所で現実的である。
しかし結果的に、スネークが魔法の存在をより現実的なものと受け入れるきっかけにはなった。
そして当然、誰にでも巻き起こるであろう期待はスネークも例外ではない。
「俺も魔法、使えるのか?」
スネークは少々の期待を言葉に乗せて、ユーノに問い掛ける。
しかしそれに対して、ユーノは夢を見る間も与えてくれなかった。
「無理です。貴方に魔力はありません」
容赦無く一蹴。
つまり、期待するだけ無駄だという訳だ。
スネークはその即答に、少しだけ気落ちしてしまう。
深手の傷を治せる治癒魔法に、捕縛魔法が使えれば中々便利そうなのだが、そう都合良くはいかないという事か。
「まぁ、地球の人で魔力がある人の方が珍しい位ですから、そう落ち込まないで下さい」
「……落ち込んでなんかいない」
「ふぅん、そうですか? まぁ魔力が無くても、デバイスの補助があれば短距離間の念話くらいなら可能ですし」
ネンワ、と片言で復唱し問い直すスネークに、ユーノはカードを渡した。
裏面にはごくごく普通の赤い模様、そして表面には何も描かれていない真っ白なカード。
ちょうど、トランプから数とマークを消したような物だ。
「これでは占いには使えんな」
「生憎占い師では無いですので。まぁ、簡単に言えば、魔法をより使いやすくする為の道具ですね」
「魔法の杖って所か」
「そんな所です。そのカードには僕の魔力が込められていますから……ちょっと、持ってて下さい」
ユーノはこほん、と咳払いをし、カードを手にしたスネークを見据える。
そして置かれる、一泊の間。
『これが、互いに声に出さなくても会話できる魔法の「念話」です、凄いでしょう?』
「うぉっ!」
頭の中にユーノの声が直接聞こえてきて、驚嘆。
勿論、ユーノの口は全く動いていないのだから不気味だ。
「……凄い」
スネークは気付けば、唯一言そう呟いていた。
味方の話し声が敵に聞こえない、というのはシャドーモセスで、耳小骨を直接振動させる通信機を使っていたのでで慣れている。
科学技術様々と言ったところだろう。
――しかし、自分が発言しても敵に全く聞こえないのは、潜入任務で考えれば本当に素晴らしい。
喋る時にあまり声が出ないよう最大限の注意を払っていたシャドーモセスで使えたら、どれだけ楽になっていた事か。
スネークは感嘆の後、名残惜しさを必死に押さえ付けてトランプをユーノへと返す。
「凄かった事は認めるが……それよりも、美人の服だけ透けて見える魔法とか使ってみたかったな」
「そんな魔法ありませんっ魔法を何だと思ってるんですか!? そもそも基本的に、魔法の制御や構築には数学的な部分が……!」
「おっと冗談だ、気にするな」
「っ……全く、どんな冗談ですか」
若いな、とスネークは肩をすくめる。
ユーノは呆れた表情でスネークを見るが、茶を一口啜って気を取り直したようだ。
そして彼の口から次々と湧いて出てくるのは、魔法に負けず劣らずの奇想天外な話。
異世界、つまり様々な次元の存在。
ミッドチルダと呼ばれているこの世界。
時空管理局という組織。
スネークの世界、地球は次元を渡る術を持たず、干渉してはならない『管理外世界』と呼ばれている事。
一通り聞いたスネークは成る程、と呟く。
そして、この奇想天外な話を納得してしまった自分の適応能力が、意外と高い事に嘆いた。
どうも、非現実的な任務を繰り返してきた所為でそこら辺のネジが緩んでいるようだ。
「魔法技術の進歩と共に、貴方の持っている質量兵器、簡単に言えば、子供ですら簡単に使える破壊兵器は所持・使用が原則禁止されたんですよ」
ユーノがスネークの装備にじろり、と視線を向ける。
拳銃から始まって地対空ミサイルまで揃った、武器商人も真っ青な重装備の数々。
スネークはその痛い視線を無視するように、自身の祖国を振り返った。
地球、アメリカでは小さな子供ですら銃を持つようになっている。
国内外から批判の声も随分と出ているが、「自衛の為」という意見。
そしてライフル協会の、政界への圧力も銃規制が行われない大きな理由としてあるだろう。
地球では、銃火器――ここで言う質量兵器――が社会の全てを表していると言ってもいい。
今の地球は質量兵器による戦争を元に成り立っている。
今現在も世界のどこかでは紛争が起こっていて、この瞬間にも失われる命があり、そして新たな戦争孤児が生まれているだろう。
高価な兵器が人を殺し、その一方で貧困に苦しみ飢える人間がいる。
それでも、他の裕福な国の人間が考えている事と言えば、希少動物の保護、地球温暖化、株価、明日の天気だったりする。
「誰もが簡単に扱える質量兵器よりも、制御・管理の容易な魔法技術への移行、か? 地球とは大違いだな」
「過去の人々は大きな傷を負いました。そしてそれを、『人類の間違い』として未来に伝えて、今の世界があるんですよ」
「未来へ伝える、ね」
ぽつりと呟くスネーク。
その後の沈黙によって硬い雰囲気が作られるが、それもユーノの苦笑で霧散する。
「……まぁ、そのせいで慢性的な人手不足に悩まされていて、有能な子供も局員として働いているのが現状なんですけどね」
「子供? 少年兵を戦場に立たせているのか!?」
ユーノと対照的に、スネークは唖然とした。
世界のトップと言っても良い巨大組織が、子供を正式に局員として働かせるなどと、俄かには信じられない。
しかしユーノは動じず、その口からは肯定の言葉。
「ええ、その通りです。勿論強制はしませんし、周りの大人が精神的な面から支えています。……僕自身、管理局に協力して戦った時期がありましたし」
「人手不足を理由に、精神的にも未熟な子供を戦いに駆り出してまで得る平和?」
「……地球にもいくつかあるでしょう? 批判を浴びつつも、無くてはならない存在――」
「――所謂、必要悪か。……皮肉なものだな」
軍事兵器開発会社、戦争特需等、心当たりは大きい。
今の技術進歩のきっかけも、戦争があったからこそだ。
そして世界がそれを失う事を恐れ、手放せないでいる現実。
ユーノ達の世界は、それらの一部との決別を断行したのだ。
やはり、地球とは違う。
地球もこの世界のように、質量兵器の規制を行うのも良いかもしれない。
恐らくそれが行えるのは、それら必要悪が抱える問題が臨海点まで到達した時なのだろうが。
例えば事件の根本的原因として、軍事産業の暴走があったシャドーモセス事件のように。
――しかし、胡散臭いな。
一つの組織が巨大な力を貯えているというのはまるで独裁国家のようで、スネークには素直に肯定的でいられなかった。
アメリカという巨大国家の裏側を見てきた経験からである。
「それでも、僕達は質量兵器の無い世界を選んだんです。事実、若年層の活躍で解決した事件も多々あります」
「英断か、愚行か……それでも、思い切ってると思うよ」
「批判も多い事は多いですけど、実際に若年層の局員を無くしたら大変な事になりますしねぇ」
「……それで? 俺はかなりの重犯罪者として、時空管理局様に睨まれるわけか?」
スネークは装備品を見ずに、軽い口調で問い掛ける。
日の当たらない生活には慣れている。
それでも、余計な面倒は御免被りたいものだ。
検問で掛かった時に、「水鉄砲だ」と言い訳しても、その二時間後には冷たい檻に放り込まれている事は間違い無いだろう。
「ああ、それは多分大丈夫でしょう、突然飛ばされたのなら貴方に過失はありませんしね」
それなら安心、とスネークが呟く間もなくユーノがそれを遮る。
「ですが、管理局で事情説明する前に他人に持ってる所を見せては駄目ですよ。許可が無い場合、単純所持ですら厳しい罰則が待ってるんですから」
スネークは右手を軽く上げ、無言でそれに応える。
訳の分からぬまま捕まえられて終身刑、というのはさすがに頂けない。
「肝に命じておく事にする」
「とにかく、これでこの世界の大体の話は終わりです。……今度は貴方について聞かせてもらっても?」
「……まぁ、答えられる範囲でなら」
それからは、ユーノの堰を切ったような怒濤の質問攻めだった。
スネークが元軍人、今は只の傭兵である事。
再度米軍に召喚され、テロリストが占拠した基地に潜入、敵の野望を阻止した事。
そして死に物狂いで基地から脱出した際、疲れが限界に来て失神してしまい、気付いたら異世界に迷い込んでいた事。
嘘は吐かず、かつ真実も全ては語らず、簡潔に。
「テロリストの基地に単独潜入って……正気ですか」
「軍の連中に言って欲しいね」
「……ともかくそれだけだと、さすがに原因はわかりませんね。転移した時近くに魔導士がいたとか?」
「少なくとも俺の仲間が魔導士という事はない筈だがな」
魔導士とかの非現実的な事の類に憧れている人間には心当たりはあるが、恐らく関係は無いだろう。
そいつがもしも今のスネークが置かれている状況を知ったら、泣いて羨むに違いない。
ふと、再び幾つかの疑念がスネークの頭の中で再燃する。
「そういえば、俺は何日寝ていたんだ」
「貴方は僕が見付けてから丸一日寝ていましたよ。相当疲れが溜まっていたんでしょうね」
「地球が……俺の世界が、管理外世界と言ったな。何故、アメリカと地球について知っている?」
大国とはいえ管理外世界の国名を聞いただけで判断が出来るのはおかしいだろう、と。
疑問に思うのも当然である。
ユーノは、その質問に答えられず、口をつぐむ。
「どうした?」
「いえ。地球出身の友人……いや、知り合いがいまして。だから、多少の事は知ってるんですよ」
ユーノは吐き出すようにそう言うと俯き、黙り込んでしまう。
聞いてはいけなかった事を聞いてしまったらしい。
流れる、沈黙。
茶の残り香が鼻孔をくすぐった。
それに煽られて再び湯呑みを口に運ぶが、何時の間にか飲み干してしまったようだ。
「……余計な事を聞いた。すまない」
「あ、いや、すみません、こちらの事です。気にしないで下さい」
ユーノはハッとすると、取り繕うように笑顔を作り、明るい声を上げる。
「と、とにかくですね、貴方は飛ばされた原因は分からないですけど、次元漂流者という扱いになります。」
「次元漂流者……デパートの迷子みたいなものだな」
迷子という例えに思わず苦笑するユーノ。
先程の暗い様子もいくらか薄れている。
「随分と大きな迷子ですね……それで、このまま管理局に行けば手厚い保護の元、無事地球に帰れますから大丈夫ですよ」
「手厚い保護、ね……本当に信用出来るのか?」
まぁ多分大丈夫、と口を濁すユーノに僅かだが不安に駆られる。
「……ともかく、僕も管理局地上本部のある、首都クラナガンの近くまでならついていけますから」
スネークを励ますかのように言うユーノだが、スネークは異世界に来た事をそこまで深刻に考えていなかった。
いや。むしろ、新しい悪戯を考えた子供のような、期待を含めた笑みを浮かべる。
「あー……でもそれだけの質量兵器を持ってるとなると色々というか相当突っ込んだ事情は聞かれるでしょうが……」
「事情なんて大丈夫、俺は見ての通り只の傭兵だ、なんとかなるさ。……それよりだ、ユーノ」
「ど、どうしたんですか」
「次元漂流者はすぐに元の世界に戻らないといけないという決まりはあるのか?」
「特別そうしなければならないという決まりはありませんが……まさか?」
「ああ、俺はしばらく帰らない。色々と、世界を見て回ってみようかと思う」
その宣言に、ユーノがその日一番の驚愕を見せてくれた。
地球へ戻れる事を蹴って、何も分からない異世界にいると決めたスネークが信じられないらしい。
「でも、貴方の周りの人は良いんですか? 家族とか、友達とか……」
ユーノの問いに黙考する。
『伝説の傭兵』と呼ばれたスネークの遺伝学上の父親ビッグボス。
そして自身と同じく、父親のコピーとして生み出された兄弟リキッド・スネーク。
家族と呼ぶべきなのだろうか、ともかく彼らはもうこの世にはいない。
スネーク自身が葬ったのだから。
スネークを育てた数多くの里親ならいても、彼らはスネークを愛してはいなかった。
まるで腫れ物に触るかのようにスネークと接していた。
今ならよく分かるが、それもその筈だ。
彼らは、ビッグボスのクローン体として生み出されたスネークを、父親のような優秀な兵士として再現する為だけに育てていたのだから。
スネークも、もはや僅かな興味すら抱いていなかった。
「俺には家族と言える存在は、いない。友人も心配してるだろうが、まぁ多分大丈夫だろう」
「……すいません」
「ん、気にするな」
「そうだ、後一つ、傭兵としての貴方に聞きたい事があります」
「……なんだ?」
「貴方は、多くの人間を殺してきた。そうでしょう?」
単刀直入。
否定はせんよ、と無表情を貫きながら、ユーノの眼差しを真っ向から受け止める。
「今でも、その……闘争願望や、殺人願望のような物を?」
「……分からないが一つ言えるのは……戦いで得られる死への恐怖が俺の生きる意味だった今までは、間違っていたという事だけだ」
耳元を銃弾が掠めていった時。
体から赤い命の元が流れ出るのを見た時。
その都度、脳内では歓声のようなものが巻き上がっていたのだ。
俺は今ここに生きているのだ、と。
「人殺し、殺戮。それ自体を望んで戦った事は一度も無い。それでも、戦いが全てだった。……間抜けな話さ」
自嘲の笑みを浮かべ、続ける。
「……俺は今まで色々な事から目を背けていた。逃げ出していた。だが、俺はもう逃げない。新しい、生きる意味をこれから探す」
何もかもから逃げ出し、暗い場所でひたすら立ち尽くし。
前を向かず、後ろも向かず、俯いていただけ。
他人の事など気にするつもりもなく、自分の為だけに銃を手にして戦ってきた。
体に染み付いた、血と硝煙の匂い。
ふと気付いたら、どちらが前なのか、どちらが後ろなのかもわからなくなっている今の自分は本当に『迷子』なのかもしれない。
それでも、光を求めるのなら、顔を上げなければならない。
おぼつかない足取りでも、一歩一歩、踏み出して行かなければならない。
この地球と違う世界なら、自分の生きる意味を見つけられるかもしれない。
人生を、愛してみよう。
「逃げずに、新しい生きる意味を、か……」
スネークの晴れやかな、それでいて決意の深さが表れている表情を見ながら、ユーノはぼそりと呟き俯く。
そして暫くしてから手に持っていた湯呑みをごとり、と地面に置き、顔を上げた。
その顔は、スネーク同様何かを決意したかのようで。
「だったら、僕と一緒に来ませんか?」
「……何?」
「言ってなかったかもしれませんが、僕、考古学者なんです」
「お前、考古学者なのか……今、何歳だ?」
「十九歳ですけど?」
じゅうきゅうさい、と言葉を咀嚼。
頭の中で数字がはっきりした瞬間、十九歳だって、と声を張り上げた。
頷くユーノ。
彼は、スネークの一回り以上も年下だった。
信じられん、と思わず口にする。
この青年はまだ、成人すらしていない。
せめて、二十代前半位だと思っていたのだが。
自分がそのくらいの歳の頃は優秀という評価を受けていたものの、まだまだ新米兵士だった。
ユーノがどんな過去を持っているのか少しだけ気になったが、その思考を頭の隅に追いやる。
「……何を驚いているんですか?」
「ふむ。いや、十九歳にしては随分と老けていると思ってな」
「ふ、老け………」
「気にするな、老いは誰にでも訪れる」
「……フォローしているつもりですか」
「考古学者とはなかなか知識のいる仕事だろう、その若さで立派だ。凄いぞ」
「はぐらかしましたね……僕は管理局が依頼している、色々な次元や文明の遺跡発掘や調査を仕事にしてるんです」
映画のような情景が頭の中に浮かんでくる。
呪われた秘宝だとか、財宝を守るミイラとか。
「貴方の目的にも添うと思いますけど、どうでしょう? あ、そうだ、良い物見せてあげます」
お気に入りの骨董品があるんですよ、とスネークの目の前を横切るユーノ。
その足は、骨董品の山に向かっている。
流れる、冷や汗。
「……それは、紫の小物、か?」
「ええ、モロク文明の歴代女王が愛用してた香水の入れ物なんですけど……あれ、どこに……っ!?」
ユーノの動きが止まり、ワナワナと震えだす。
彼の視線の先には、あの取っ手の取れた、黒紫。
――どうやら、とんでもない事をしてしまったらしい。
悔悟の情を深めたところで、それはもう遅すぎた。
「……ほ、ほ、ほ、ほああーっ! こここ、これ、これまさか貴方がっ!?」
「あー、そのなんだ、すまない」
「すまない、じゃないですよっ! これ、物凄く貴重なんですよ! 当時の物でこの着色をしている骨董品なんてこれくらいしかないんですよ!」
悲痛な叫び声。
瞬間接着剤、と言いたかったが、スネークは死に物狂いでそれを堪えた。
先程までの冷静沈着な好青年はどこへ行ったのか、髪を振り乱してがなり立てるユーノ。
この骨董品オタクめ、と心の中で悪態をつく。
「……あー。悪かった、反省している。許してくれ」
「あんな所に置いておくんじゃなかった……」
「まぁ、次からは互いに気を付けよう」
「くそぅっ……こんな、長いバンダナの、スーツ着た変質者に壊されるなんて……」
自分を貶す声が聞こえた気がしたが無視、無理矢理に話題を修正。
「そういえば、遺跡の発掘とは床が抜けたり、罠を踏むと壁から矢が出てきたりするのか?」
「……そういうのもありますけど、それだけではないですよ。どちらかというと、もっと文明の進んだ遺跡も多いです」
「古代の超文明か」
「はい。遺跡内を護る機械兵とか、生体反応を感知して攻撃してくる警備システムとかっ。まぁ僕個人としては古典的な罠の方がやりがいというものが――」
大事な骨董品を壊されたショックを引きずりながらも、遺跡について熱く語り始めるユーノ。
その様子は、シャドーモセスでアニメを熱く語るオタコンと見間違える程。
オタコンと並ばせたら、どちらがどちらなのか判別出来ないかもしれない。
口を忙しなく動かし続けるユーノを尻目に、スネークは数秒の間思考の海に沈む。
――なかなか、悪くない話だ。
この世界について地理的にもさっぱりな状況では、ユーノの提案は正直魅力的。
インディ・ジョーンズではないが、遺跡発掘にも多少は興味がある。
「……なかなか面白そうだが、いいのか?」
「え、あ、はい。それはもう、もちろんですよ! こちらも護衛役に良い人がいなくてどうにかしなきゃ、と困ってたんです」
スネークなら護衛にぴったりだと言うのだろうか。
ユーノの瞳を真っすぐ見据えて、スネークは話しだす。
「雇い主の管理局は護衛すら出してくれないのか?」
いくら人手が不足しているとはいえ、依頼をしておいて、調査をしてくれる学者に護衛を出さないのは組織としてどうなのだろう。
スネークの考えは顔に表れていたようで、ユーノが慌てて弁明の声を上げる。
「いえ、ちょっと局員に顔を合わせられない知り合いがいまして。一応、偽名で申請してるんですけど、護衛すら付けないなんて怪しまれる事をやってたら、どこから彼女達に嗅ぎつけられるか……」
「彼女達?……さっきの、地球の知り合いってやつか?」
「……ええ。色々と、事情がありまして。だから調査の依頼を受けたり、発掘の申請をする時は信頼出来る口の堅い局員にお願いしてるんです」
ふうん、とあっさりスネークは納得の声を上げて、追求の手を引き下げる。
自分のように、この青年にも背中にまとわりついて呪縛している『過去』がある、という事だ。
魔法技術だけではなく、『ユーノ』という一人の人物に対する興味が強くなっていくのを実感する。
スネークはざらつく顎を撫でながら再び思考に耽り、そして――
「……ふむ。悪くないな。護衛役としては不足だろうが、よろしく頼む、ユーノ」
「こちらこそ。……えーと」
ユーノも笑みを浮かべて返答しようとするが、言葉を詰まらせる。
そんなユーノを見て、スネークはまだ一度も名乗っていない事に気が付いた。
すまない、と苦笑する。
「俺はスネーク。ソリッド・スネークだ」
暗号名、ソリッド・スネーク。
与えられた、呪いが込められた名前であっても、長い間付き合ってきた自分そのものである。
これまでも。
恐らく、これからも。
ユーノは、明らかな偽名であるそれを耳にしても、あっさり頷いた。
彼なりに何か事情があると察してくれたのだろう。
「……蛇か、成る程。では……スネークさんでいいですか?」
「スネークでいい。……それに堅くならなくていい、慣れない」
「ふむ、じゃあ遠慮せず……スネーク? これからよろしくね」
君の本名が聞ける時を楽しみに待ってるよ、と握手の手を差し伸べてくるユーノ。
「ああ、期待しててくれ。……だが、そんな簡単に信用してもいいのか? 後ろから撃たれても知らんぞ」
「君は善い奴さ。……勘だけど。外れれば僕もそれまでだったって事」
不適に笑うユーノにスネークもつられて笑いだし、力強く握手を返す。
こうして、遥か異世界。
『伝説の英雄』と呼ばれた迷子と、考古学者という奇妙な組み合わせの二人旅が始まった。