スネークが突き出した右腕は、軽くいなされて。
その拳は手応えを掴むどころか、掠める事すら無く、空を切っていた。
それと同時に、急激な速度でスネークの視界全体が何かに埋まる。
直後に感じたのは、顔への衝撃。
――強烈な、肘打ちだ。
「ぐぁっ……」
痛い。
けれど、苦痛に喚く程のものではない。
フランクの一撃に比べればこの程度、屁でもなかった。
よろけそうになるのを、スネークは必死に堪える。
だが、直後に掴まれた右腕が老人によってさらに強く引かれ。
スネークは姿勢を崩し、バランスも奪われかける。
不味い、と内心で呟くも、全身に襲い掛かってきたのは気持ちの悪い浮遊感。
スネークの見ていた世界がぐるり、と回った。
その体重が大きな音を立てる。
何だ。
何が起こった。
俺は今、何を受けた。
――CQCだ。
スネークが鈍痛に喘ぎ、それを理解するまで0.5秒。
世界が一回転したのはつまり、近接戦闘術のクロース・クォーターズ・コンバットことCQCで、柔道よろしく豪快に投げ飛ばられたのだった。
その年老いた犯人は腕を放すと、スネークへ哀みの視線を向ける。
「武器も装備もないお前に何が出来る? ソリッド・スネーク」
その老人は、動作全てが壮健そのものだった。
彼が年老いた人間であると判断出来る要素は、生え際が後退した白髪と、顔に深く刻まれた皺、そしてしわがれ声だけ。
まだ為すべき事を為すまで死ぬ訳にはいかない、と言わんばかりの気迫がそこにはあった。
それは、この老人にとり憑いた戦争の狂気が溢れ出てきた物なのだろうか。
ともあれ、それに屈する訳にはいかない。
スネークは鈍痛に顔を歪ませながらも老人を見上げ、それに真っ向から立ち向かう。
「最後まで決して諦めない。いかなる窮地でも成功をイメージする。……あんたの、言葉だ」
老人は目を伏せる。
しかし、数秒の沈黙の後には、何事も無かったかのように言葉を返した。
「私も、時には過ちを犯す。……ならば楽にしてやろう、我が息子よ」
スネークは目を見開いた。
我が息子、と言ったのは老人。
その言葉を投げ掛けられたのは、ソリッド・スネーク。
それはつまり、「因縁の敵」「かつての上官と部下」というものだけだったスネークとその老人の関係を、より複雑にする言葉だった。
父親。
この男が、俺の。
唐突に親子関係を語った老人に、スネークは呆然とする。
しかし、動揺する暇は与えてもらえない。
老人の右手に何時の間にか収まった化け物銃の銃口が、スネークを捉えようとしていたのだ。
「――っ!!」
身体を必死に折り曲げると同時に、薙払うように足を振るう。
確かな手応えを知らせるかのように、銃弾は射線から逃れたスネークに当たる事なくその真横で跳ね。
甲高い金属音と同時に、老人がバランスを崩し、転ぶ。
スネークは全身の痛みを無視して立ち上がり、急いで走り出した。
『スネーク、何か武器を探せ! 素手ではビッグボスに適わないぞ!』
「分かってる! ケスラー、何か奴についての情報を!」
『……スネーク、諦めろ。神話的存在の彼に勝ち目は無い』
「このっ、くそったれ!」
一方からは必死なアドバイス。
もう一方からは絶望でも落胆でもない、淡々と敗北を語る声。
スネークは後者に向けてありったけの罵声を浴びせて通信をブチ切り、駆け出していった。
第十七話「人間と、機械と、怪物と」
ソリッド・スネークと、ビッグボスの戦い。
それは、ソリッド・スネークの運命の始まり。
それは、ソリッド・スネークをPTSDという病に叩き落とした、彼の悪夢。
それは、ソリッド・スネークが「父親殺し」である事を決定付けた、彼のトラウマ。
ティアナ・ランスターは、隊長陣を除く六課隊員の中で、いち早くその戦いと結末について知った人間だった。
訓練場に朝日が差し込む中。
どういう話の道筋でそれを聞いたかは、余りの衝撃に殆どティアナの記憶には残っていない。
恐らくは、スネークがふっかけてきた「家族」についての話から派生したのだろう。
幼い頃に死んだ両親と、兄の事について話した記憶と。
スネークが表情を僅かに曇らせたものの、意外とすんなりそれらの話を吐露した事がティアナの印象に深く残っていた。
アウターヘブン。
ザンジバーランド。
場所を変え、多くのものを失いながらもスネークが決着を付けようとようやく追い詰めた宿敵。
その宿敵ことビッグボスは、スネークへ父親である事を告白。
勿論それで戦いが終わる訳もなく、死闘の末にスネークはビッグボスを殺害。
スネークはそんな中、動揺していた心を押さえ付けて、こう自分に言い聞かせたのだという。
それこそが――
「窮地の中でも、成功して勝利するイメージを持ち続けろ、か」
小さく開かれたティアナの口から漏れだした言葉は、すぐに霧散してしまう。
そこは薄暗く、大量の埃が住み着いた空間。
戦闘機人達を迎撃する為にスバル等と共に廃棄都市区画に出撃。
結果、単身で閉鎖空間に閉じ込められて、まさかの一対三。
それが、今ティアナが直面している圧倒的に不利な状況だった。
負傷した足では満足に走り回る事も難しい。
そして、身体を襲う小さな虚脱感の群れが教えてくれるのは、頼りの幻影達が次々とやられていく現実。
結界破壊スタッフの到着に期待したい局面だが、果たしてイタチごっこの状態の中で期待して良いものか。
「……無理に、決まってるじゃない」
ティアナは小さく呟き、顔を苦くさせる。
スネークはポジティブなイメージを持って戦ったと言っていたが、果たしてどうやったらそんな事が自分にも可能になるのか。
今この危機的状況に陥ってから初めて、その言葉が、そしてそれを遂行した彼がどれだけ凄い事かをティアナは実感する。
自身が戦闘機人達を下すなんてイメージは、目一杯唸ったところで一向に湧いてくる事はなかった。
「むしろ、逆よね」
ティアナはそう小さく吐き捨てる。
むしろ、これは負け戦としか思えなかった。
怖い。
逃げ出したい。
無理に決まっている。
絶対に、勝てない。
――殺される。
「……っ」
浮かび上がるのは想像もしたくない嫌な現実と、情けない心の内ばかり。
それとセットになって付いてくるのは、押し潰されそうな程の不安。
そして、絶え間なく伸し掛かってくる死の恐怖。
それ等によって、魔法陣の上にかざされたティアナの腕が否応無しに震える。
けれど、どうしてだろう。
負に押し潰される事を拒むかのように、自身の中に溢れ返るものがあった。
『希望を失ったら最後だ。
希望が無くなったと思い込んだ瞬間に、無力になってしまう。
絶望は死へとつながる』
『信じることだ。
全身全霊をかけて信じれば、願いは叶う』
『恐怖と立ち向かい恐怖を克服するには、恐怖から逃げていてはいけない。
自ら進んで恐怖に身を投じる事だ』
『後悔するよりも反省する事だ。後悔は人をネガティブにする』
『諦めるな、やるしかないだろう?
お前が信じたものを、想いを、信じ抜くんだ』
『ティアナは凡人なんかじゃない。
射撃と幻術で仲間を守って、知恵と勇気でどんな状況でも切り抜ける事が出来る。
……絶対に、出来るよ』
『大丈夫。ティアなら、絶対出来るよ。
……だって、ティアだもん!』
その正体は尊敬する人達の教えと、友の励まし。
それ等は結局の所、当てのない精神論の類に過ぎないのかもしれない。
それでも、その言葉の群れはティアナの不安を討伐してくれているのか、何処に残っていたか分からない力が不思議と湧き上がる。
とても、心強かった。
(やれる。……絶対に、勝てる)
手の震えは、何時の間にか治まっていた。
相も変わらず自身の脳内に勝利の空想が湧き出る事は無い。
けれども、その身体を励まし、奮い立たせるだけの気力は再充填されたらしい。
伝説の英雄と同じように、とはいかないが、今はこれで十分。
思えば、閉鎖空間の中でこれだけ見つからずに隠れていられるのも中々の奇跡よね、とティアナは微笑む。
空間の片隅に打ち棄てられた段ボールに視線をやる。
『身を隠すには敵の探しそうなポイントは避けるべきだ。
常に敵の身になって考えウラをかけ。
頭の善し悪しではない、常に頭をフル回転させて、考えろ。
頭を使って行動するんだ』
そうして不意に思い出すのは、そんな言葉。
いつだったか彼が話していたそれを、無意識の内にに実行出来ていたのかもしれない。
私も少し位は成長しているのかな、とティアナは苦笑する。
「発見されました。三方向から真っすぐ向かって来ます」
「……シューターとシルエット、制御オーケー、現状維持。……後は、此処で迎え撃つわ」
ティアナは相棒の言葉を受けて、壁を支えに立ち上がる。
私は、あのエースオブエースと、伝説の英雄から教えを受けたんだ。
その事実は血肉となり、誇りとなって、ティアナの全身を鼓舞する。
諦めるな、自信を持て、と。
「……それに、決めたのよ」
未来に想いを伝える。
いつかスネークがそんな事を語っていた時、ティアナは一つの確信をしていた。
スネークの意志は兄が持っていたのと似た思想で、何よりも尊ぶべきものなのだ、と。
『ティアナ。父さんも母さんももういない。けれど、彼らの物語は今も俺達の中で生きている』
『……物語?』
『ああ、そうさ。そして、俺達もそれを未来へ語り伝えていかなければならないんだ。それが「生きる」って事なんだよ』
それは、誰よりも大好きだった兄ティーダの言葉。
兄と仲良く暮らしているとはいえ、両親がいないという事実は消えない。
当時、幼いティアナがそれについて思考を巡らしているのが――ようするに、寂しかったのだが――ティーダの目についてしまったらしい。
兄の話に、幼いティアナは小首を傾げる。
『……よく分からないよ、兄さん』
『はは、難しかったか。ティアナが今練習している狙撃術の中にも、父さんや俺の想いが、生きた証が、物語が伝わって生きているんだ』
だから寂しがる必要はない。
死は敗北では無いんだ、とティーダはティアナの頭を撫でながらそう言って。
子供だったティアナが妙に納得し、そして安心した記憶。
今になって、ぼんやりとだが、ティアナはようやく理解する。
兄が語っていた言葉の意味を。
他者の人生に、自身の物語を刻み付けるという行為の意味を。
だから、ティアナは決心したのだ。
執務官の道を目指すのと一緒に、スネークの生き様を、物語を自身に刻み付けていこうと。
ユーノ司書長や自身を初めとした、多くの人間を変えていった彼の存在。
それこそが、ティアナの「未来へ伝えなければならない」事なのだと直感したから。
そして、兄の想いも叶える事になるとも信じていたから。
そんな訳で、スネークが唯一その身に受けて刻み付けた、CQCと呼ばれる戦闘技術のメソッドの僅か一端。
渋い顔をされながらもティアナはそれを必死に懇願して学んだし、より「スネーク」を記憶するために交流を図った。
彼から受け継いだものを、そして自身が学び、感じたそれらを消す訳にはいかない。
まだ死ぬ訳にはいかない。
無事にこの事件を収束させ、「生きる」んだ。
自身に与えられた多くの時間は、未来は、この先に広がっているのだから。
ティアナはその決意の下に握った拳から、堅い感触を改めて実感し。
ふと、その手の中に収まった相棒に語り掛ける。
「……本当はさ、随分前から気付いてたんだ。私はどんなに頑張っても万能無敵の超一流になんて、きっとなれない」
冷静で的確な言葉が返って来る事はない。
ティアナは相棒の優しさに感謝しつつ、続ける。
「悔しくて、情けなくて、認めたくなくて。それは今も変わらないんだけどね。……でも。此処では、関係ない」
何故なら、此処に凡人はいないのだから。
そして此処には、エリートも、英雄もいない。
――そう、此処は戦場だ。
此処に立っているティアナ・ランスターは、自分の意志で立ち上がった一人の戦士なのだ。
「何時までも、コソコソしてんじゃねえええぇっ!!」
――爆砕。
耳をつんざく怒声と共に突入してくる二人の戦闘機人。
刹那、頭上に振りかぶられる二刀。
ティアナは瞬時に歯を食い縛って、クロスミラージュでそれを受け止める。
ガギィッ、という精神衛生上よろしくない金属音と、それに合わせて悲鳴を上げる負傷した足。
それ等が、改めてティアナに実感させた。
この娘達は、本気で私を殺しに来ている、と。
一対三で潰しに掛かるだけの価値があると判断されたのだ、涙が出るほどありがたい高評価ではあるが――
「うおりゃあああぁーっ!!」
紅髪の戦闘機人による、遠心力が働いた回し蹴り。
ティアナは無理矢理頭上の凶器を押し退けて、回避行動に移る。
「……くっ」
何とか、直撃は免れた。
紅髪の少女の攻撃は古びた壁を容易く粉砕。
辺りを見渡す事が難しくなる程の埃を巻き上がらせている。
(……此処から出ても多分、もう一人に狙い撃ちされるっ!)
だとしたら、此処で出来うる限りの事をするしかない。
ティアナは囮として幻影を発生させ、少女達が突入してきた入口から逃げ出るように演出。
それと同時に部屋の片隅、一見何の役にも立たなそうな箱――段ボールへと全力疾走した。
それを被り、クロスミラージュをダガーモードへと変形させ。
じっ、と息を殺して、待機。
鼻をつく独特の匂いに、ティアナは微笑を浮かべた。
成る程、この緊張状態では中々悪くない。
戦場と段ボールと煙草はセットだ、という言葉を思い出して。
――煙が、徐々に晴れていく。
それと同時に、囮の幻影が撃ち抜かれて消滅。
「どこにっ!?」
聞こえてくるのは、焦りの声。
恐らく電子的索敵によって、此処にティアナがいる事は分かっている筈。
それでも、此処にティアナはいない。
彼女達には見えないのだから。
ややあって、紅髪の少女に、待ちに待っていた一瞬の隙が生まれた。
ティアナは足の痛みを無視して、段ボールから飛び出る。
「反応はまだ此処――後ろっ!」
もう一人の少女に気付かれる。
――でも、遅い。
ティアナはそう呟いて、紅髪の少女の足元目掛けて駆け。
数瞬後、その手に光る魔力刃は、紅髪の少女の足から火花を散らせる事に成功。
少女が毒突きの後、即座に距離を取ったティアナを憎々しげに睨み付けた。
「ぐっ……て、めぇ、ふざけてんのかっ」
ティアナが誘導弾を展開させると同時に、三人目の後衛型の少女が合流。
じっくりと、少女達の陣形を確認する。
「使えるものは何だって使う。人間ってのはそんなもんよ。……ふざけてたとしても。あんたの厄介な足は、潰す事が出来たわ」
「……クソが」
親友のデバイスを模したそれは、優先的に潰すには十分な脅威である事をティアナはよく知っていた。
それを無力化できた以上、まだまだ勝てる確率は十分に残っているし、むしろその確率は高くなっている。
何故なら、ティアナの前方には紅髪の少女、後方には二刀流の少女と後衛の少女。
――その陣形が、挟み撃ちの形に「戻って」いたのだ。
戦場での達人は臨機応変に作戦展開を行えるもの。
戦術マニュアル通りに行動すると、パターン化してしまう為に戦略が見破られてしまう。
それがこの少女達には、顕著に現れていた。
それに気付かずか、今度は二刀流の少女が静かに口を開く。
「そんな戦法に頼るのだから……度胸は、ある」
「褒めてくれてありがとうって言いたいところだけど、伝説の英雄お墨付きの戦い方よ。命を掛けるには十分」
――もし、先程と同じなのなら。
前衛二人が攻撃を同時に仕掛けてきて、討ち損じた場合に後衛による強力な魔力砲が襲い掛かってくる筈。
確実で、堅実な戦法。
だからこそ、攻めるべきタイミングがそこに生まれてくる。
そのタイミングを間違えたら、恐ろしい結果が待ち受けているのだけど。
それでも、なんとかなる。
やるっきゃない。
頑張れ、私。
そう気合いを入れ直したティアナは、じりじりと迫る少女達を睨み付けた。
と、その時、その空間全体の空気が変わった。
この感覚の正体は分かる。
結界が消滅したのだ。
(……結界破壊スタッフ?)
いや違う、とそれを即座に否定。
少女達の様子から、結界を張っていた元凶がどうにかなったのだと推測する。
「……結界、壊れたわね」
少女達は独白のようなティアナのそれに、無言を貫いている。
ティアナは一拍間をおいて、切り出した。
「……ふむ。ゆりかごもあんた達のアジトも、崩壊直前みたい。諦めて投降した方が身の為よ」
勿論、そんな事は分からない。
連絡を取って戦況を確認する余裕なんて欠片も無いのだから。
だが、ティアナのブラフに紅髪の少女が掛かった。
「こ、んのおおおぉっ!!」
突撃。
同時に、残りの二人も動いた。
「――ここっ!」
誘導弾を前衛二人へと発射。
勿論これは避けられるが、数瞬の時間稼ぎにはなる。
ティアナは振り返って、後衛の少女が抱える武器の砲門を狙撃し――
「――っ!?」
魔力砲を撃ち出す為にチャージをしていたそれは、暴発を起こす。
同時に、ティアナはダガーモードで二刀流の少女の攻撃を受け止めて、誘導弾を操作。
後衛の少女と、二刀流の少女へと一直線に向かわせる。
一つは呻く少女の顎、もう一つは力でティアナの防御を押し切ろうとしている少女の後頭部に着弾。
どさり、と二人の少女が同時に崩れ落ちる。
紅髪の少女が、呆然として、唖然として、一歩踏み出した。
「ウェンディ! ディード!」
悲痛と言うよりは、本当に信じられないといった叫び声だ。
その瞳の奥には狼狽が揺れている。
しかし、ティアナの全身も限界の軋みを上げていた。
ぜぇ、ぜぇ、と溜まった疲労に息が切れ、怪我を負った足の感覚も鈍り始めているのがはっきりと分かる。
それでも、ティアナは必死に腕を上げてクロスミラージュを構え直すと、一人残った少女を見据えた。
「貴方達を、保護します。……武装を解除しなさいっ」
一対三という圧倒的不利な状況を一気に覆したのだ、極限状態にもその言葉には力強さがあった。
ギッと紅髪の少女がティアナを睨み付ける。
少女は降参する気配は勿論の事、その戦意が揺らぐ素振りすら見せなかった。
このまますんなりと戦いが終わる、なんて都合の良い展開は期待出来ないらしい。
続く、膠着状態。
それを打ち破ったのは、ティアナの言葉だった。
「……あんた、名前は?」
ティアナの質問に、紅髪の少女の動きが止まる。
寸前まで殺し合ってた敵がこんな質問をしてきたら、動揺するのも仕方ないだろう。
事実、目の前の少女はティアナの真意を読めている様子ではない。
それでもティアナはクロスミラージュを突き付けたまま、返事を待ち続ける。
十秒程してだろうか、ようやく紅髪の少女の口が開いた。
「……ノーヴェ」
「ノーヴェ、ね。……あんた、何でここまで戦い続けるの?」
罪を認めて保護を受ければ新しい人生を生きる事が出来る、なんてのは周知の事実だ。
ティアナの質問に、ノーヴェが一瞬だけ倒れ伏す姉妹へと視線を向けた。
「……あたし達は道具だ。この世界にいる以上、チンク姉と、皆と一緒にいる為には、使い捨てられないようにいなきゃならねえんだよ」
「だから、スカリエッティに従うっていうの? ……バカな事を――」
「うるせぇっ! 戦闘機人達は、戦う為に生み出された道具だ、兵器だっ! 戦って、生き残った機体だけがそこにいられる。そんな世界なんてっ……!」
――それは下らない思い込みね、と。
ティアナは淡々と、ノーヴェの言葉を遮る。
「そんなの、自分達の殻に閉じこもって、酔っ払っているから言える台詞だわ。……甘えてんじゃないわよ」
甘えるな。
その一喝で、口調に怒りを滲ませる程度だったノーヴェが、一瞬で激昂した。
いつか、スネークにそう言われた時のティアナと同じように。
「てめぇに、あたし達の、何が分かるってんだあああぁぁっ!!」
ノーヴェが地を蹴った。
その短い距離は一瞬で詰まる。
突き出された、右腕。
その姿が、スバルと重なった。
何度、スバルやスネークと共に、繰り返し練習してきただろう。
何度、それを決める自身の姿を想像しただろう。
当たれば確実に死ぬとか、そういう事は思考の外側にあって、無意識に体が動いていた。
いつも通りだ。
ティアナは、思い切り踏み込む。
頬を砲弾のような拳が掠めていくが、気にも止めずに顔面へと右肘を叩き込んだ。
「ぅ、ぐっ!」
ノーヴェが呻き声と同時によろけ、強烈な肘打ちを喰らった顔面に右手をやろうとする。
しかし、ティアナはそれを許さなかった。
ノーヴェよりも早く、空いた左手でその右腕を掴み、残った力を振り絞って、引く。
姿勢を崩すノーヴェ。
ティアナは間髪入れずに足払いを掛けて彼女からバランスを完全に奪うと、そのまま腕を決めて――
「ぐああぁっ!!」
――投げ飛ばした。
すぐさま苦痛に歪んでいるその顔面にクロスミラージュを突き付けて、喉から声を絞り出す。
分かるわよ、と。
「あ……んだとっ」
顔を歪めたノーヴェが睨み付けてくるが、ティアナはそれを跳ね返して、その手をゆっくりと放す。
「戦う為に作られた兵器だって、笑うことも、優しく生きることも出来る。……戦う為にしか生きられないなんて、言わせないわ。絶対に」
それだけは、否定しなければならなかった。
何故なら、ノーヴェが持っている常識から外れた例外達を知っているから。
ノーヴェの言っている事を認めるというのはつまり、彼ら自身の生き方を否定する事になってしまうから。
だから、この少女にも教えてやらねばならない。
「戦闘機人に生まれたけど誰よりも人間らしく、バカみたいに優しく、一生懸命生きている子を、私は知ってる」
ティアナが見てきた、不屈の心を持った親友の存在を。
親を殺し、家族を殺し、そんな絶望の末にも未来を信じている男の存在を。
「……辛い境遇に悩んで苦しみながらも、前に進もうと必死に努力している人を、私は、知ってる!」
声を張り上げるティアナ。
ノーヴェは困惑しているのだろうか、その視線は定まらずに彷徨っている。
ティアナはその傍らへとしゃがみ込んだ。
「俯いてたって、目を逸らしていたって前には進めないわ」
「……」
「自分自身で顔を上げて前を向いて、自分の人生を『生きる』のよ。……私も、付き添う位は出来る」
ノーヴェは何も答えない。
しかし、数分してだろうか、おもむろにその顔はゆっくりと上がる。
彼女の瞳は困惑に満ちているが、それでも戦意が抜け落ちていた。
ティアナはクロスミラージュを待機状態に戻すと、ノーヴェの肩に手をやる。
暖かいじゃない、とその体に微笑んで。
口を、開いた。
「――貴方達を、保護します」
◆
「何も、出てこないね」
滑るように空中を移動していたユーノはぽつりと呟く。
アジトの通路は、拍子抜けするくらいに何も無かった。
ガジェットの群れが襲い掛かってくると覚悟していただけに、気勢も削がれるというもの。
今は小話が出来る程度には余裕がある。
ユーノの横を走っていたスネークがそれに対して同意の頷きを返した。
「この状況だ。恐らく、戦力を分散させずに集中させているんだろう」
確かに、何かとわらわら出現するガジェットも無限に存在するわけではない。
ゆりかご護衛、地上本部への侵攻等々にかなりの数を割いているという訳だ。
「……ようするに、僕らみたいな『ぺーぺー』よりも、潰すべき相手の所に当ててるって事かぁ」
ぺーぺー、という表現が気に入らなかったのか、僅かにムッとするスネークに、ユーノは苦笑する。
「君、なのはとかフェイトとかと張り合うつもり? ここは地球じゃ無いって事を忘れちゃいけないね。僕には到底無理、無理」
亭主関白とは縁が無さそうだよ、と付け加える事も忘れない。
ふむ、とスネークは顎髭を撫でながら軽く唸る。
「地球が恋しいところだな。……ともかく、敵がいないなら、それはそれで結構な事だ。急ごう」
スネークがその言葉と共に、再び前を向く。
うん、とユーノは頷いて一息つくと、一人の女性について思考を巡らせ始めた。
ドクター・ナオミ・ハンター。
遺伝子治療の専門家であり、シャドーモセス事件でスネークを無線サポートした女性。
彼女は、スネークと深い関わりを持っている。
この男こそが、彼女の生涯の仇であったのだ。
フォックスハウンド隊員時代のスネークは、ナオミの命の恩人であるビッグボスを殺害、さらに彼女の兄であるフランク・イェーガーを廃人にまで追い込んだ。
新たな未来を与えてくれたきっかけ、自分を唯一認めてくれた血の繋がらない家族を失う絶望。
ナオミは会った事もないソリッド・スネークへの復讐を誓い、一つの計画を始める。
フォックスダイ。
そう名付けられたそれの正体は殺人ナノマシンだった。
フォックスダイはまず、大食細胞に感染する。
そして蛋白質工学で生み出された、人間のDNAを認識する事が出来る賢い酵素の出番が来る。
その認識酵素は感染者から自身に設定された遺伝子配列を読み取ると、活性を示す。
それを合図に、フォックスダイは大食細胞の組織を使ってTNFεを作り始め。
免疫細胞間の情報伝達を行うサイトカインの一種であるそれは、血流に乗って心臓に達し、心筋細胞のレセプターに結合。
結果、刺激を受けた心筋細胞は急激な細胞死を起こし、その人物は死ぬ。
つまり、フォックスダイは相手が誰であるかを判断し、それが自身の対象プログラムに入っていた場合、その人物を殺害する訳だ。
一見すれば只の心臓発作。
それは老人だろうが子供だろうが、ましてや伝説の男でさえも関係なく襲い掛かり、食らい尽くすもの。
その凶悪な殺人ナノマシンがナオミの手により、スネークの体内に今現在も潜んでいる。
しかもシャドーモセス事件の直前における、ナオミが行ったプログラム改変によって、発動の時期は一切不明との事。
今から十秒後にもスネークが苦しみ悶えつつ絶命する可能性も十分にある。
むしろ、今まで生きていられたのが奇跡と言っても良い位だ。
それ等の恐ろしい事実に、ユーノは体を震わせた。
(いつ死ぬか分からない恐怖に怯えながら生きていけ、というのがナオミの復讐だったのだろうか)
隣を走るスネークにも聞こえない程の音量で、記憶の内部をなぞるように呟く。
それはユーノが読んだ「シャドーモセスの真実」の一文で、著者であるナスターシャ・ロマネンコの考えだった。
ただ殺すのではない、考えられる限り残忍で、精一杯の憎悪に満ちた復讐行為。
もし本当にそうだとしたら、あんまりだ。
ぐぐ、とユーノは拳を握る。
スネークが大勢の命を奪ったのは事実。
今も尚、地球上には、自分の大切な人を殺したスネークが「伝説の英雄」と呼ばれる事に苦い思いをしている人間がいるのだろう。
おまけに、シャドーモセス事件のお陰で、その呼び名は裏の世界に留まらず、表の世界中に拡散してしまった。
知らぬ者のいない、自然界には存在しない蛇。
スネークもそれらの現実を自覚している。
けれども、それらを引き起こした戦いはスネークが望んだものではなかった。
彼自身に、咎められる謂れなんてものは無い筈だ。
そんな自身の考えは「友人による安易な庇い立て」だと非難されるのだろうか、とユーノは自問する。
とはいえ、非難されようが軽蔑されようが、ユーノの考えがブレる事はない。
少なくともこの世界では、誰よりもスネークの事を知っているのだから。
スネークの、人殺しで血塗れた体と呪いが掛けられた遺伝子と、消えることの無い罪を。
そしてそれ等に対する贖罪の念が、スネークの意識の根底に根強く留まっている事を。
『人殺しが正当化される事は無い。正当化される時代も無い』
今や懐かしい、二人旅の最中。
スネークがそんな風に語っていた事を、ユーノははっきりと覚えている。
そして、その次にスネークが吐いた言葉も、ユーノが忘れる事はなかった。
彼は、殺人という行為を徹底的に乏しめたところで、こう吐き捨てたのだ。
俺は快楽殺人者でなければ殺人鬼でもない。
けれど、人殺しには違いないさ、と。
「……救いが、無さすぎる」
何がだ、と横から声が放たれてようやく、無意識に呟いていた事をユーノは自覚。
どうやらその言葉はしっかりと彼の耳に届いてしまったようで、怪訝な表情が向けられる。
何でもない、なんて苦し紛れの言い訳をユーノはするが、スネークが深く追求する事はなかった。
ユーノはいつの間にか汗ばんでいた握り拳を拭いつつ、重い口を開いた。
「スネーク、教えてくれ。その……フォックスダイについて」
その疑問を口にするだけで、ユーノの体にどっしりと疲れが伸し掛かった。
同時に、スネークを纏う雰囲気が僅かに硬いものへと変化。
それは、誰も気付かない程の、小さな異変。
ユーノは辛うじてそれに気付く事が出来た。
彼はフォックスダイについて、ユーノ達に一言も話していなかったのだ。
あくまで、リキッド等フォックスハウンド隊員を抹殺する為に送り込まれていた、という表現。
当然ユーノ達もシャドーモセスの真実を読んで初めて知り、驚愕した訳だ。
スネークが話さなかった事情。
スネークが話せなかった事情。
それは彼の体内にフォックスダイが存在していて、いつか発動する事を示している。
彼としても、知られたくなかったのだろう。
ユーノ自身、せめてこの事件が終わるまではと思い救援に来たものの、本人を前にしたら聞かずにはいれなかった。
シャドーモセスの真実か、と全てを悟ったらしいスネークへ、ユーノは小さな頷きを返す。
「君は、フォックスダイを撒き散らす為に、送り込まれたんだよね?」
「ああ、哀れな捨て駒として雇われた訳だ。……リキッドもそれによって、俺の目の前で死んだ」
それで、とユーノはその先を促した。
俺についてはもう心配はいらないんだ、という有り得ない答えを期待しながら。
本に書かれた内容ではなく、本人の口から聞くまでその望みを捨てる事が出来なかったのだ。
僅かな間を置いて、スネークが口を開く。
「……フォックスダイは、俺の体内にまだ存在している。いつ発動するかは分からん」
平然と呟かれた言葉にユーノはやり場のない憤りを覚えた。
彼の表情は感情に彩られてはいないし、その瞳も恐怖に揺れる事なくひたすら前へ向けられている。
どうしてそんなに落ち着いていられるんだ。
何時その心臓が活動を止めるか分からないのに。
未来に想いを伝えていくと力強く語っていたのに。
ユーノ自身は既に感情の高ぶりから、涙腺が緩み始めているのに。
叫び出しそうになったユーノは、それらをぐっと堪えて首を振る。
――平気な訳が、無い。
スネークは、目の前で自分と同じ姿を持つリキッドがナノマシンによって死ぬ場面を目にしたと言った。
いわば、いつか来るであろう自分の未来を第三者の視点で眺めるという、あまりに非現実的な出来事。
その恐怖は何倍にも膨れ上がった筈だ。
それでも伝説の英雄は平静を装い、前を向き続けた。
与えられた時間を精一杯生きる為に。
そして何よりもこの男は、ユーノを始めとした友人達への人間らしい優しさを持っていたから。
ユーノはそれ等の事実へ糞、と毒づいた後、気を取り直して再び問い掛ける。
「……血清は? ナオミさんとはリキッドとの対決前以来、一度も話していないのかい?」
ユーノは『シャドーモセスの真実』の内容を鵜呑みにしているが、そこには確かにリキッドの台詞として記されていた。
ナオミにしか分からないが血清は確かにある筈だ、と。
「……確かにフォックスダイの血清はあるようだ。感染した筈のオセロットはどこぞで生き延びているらしいからな」
だったら血清を探して、とユーノは言い掛けて、その言葉を飲み込む。
それがどれだけ難しい事か、分かってしまったからだ。
スネークの表情が僅かだが曇っている。
その事に、ユーノはすぐに気が付いた。
「だが俺は、『七十年代の恥部』とやらは、今や追われる身だ」
そんな言い方はやめてくれ、とたまらずユーノは声を上げるが、スネークはそれを無視する。
「放っておけば勝手に死ぬ『誰もが蒸し返したくない暗部』に、合衆国最大機密の一つである殺人ウィルスの血清をむざむざ渡すとも思えん」
勿論、管理局でも医療用としてのナノマシン研究は行われている。
しかし本の片隅に小さく載っている情報だけで、製作者や資料も無しにフォックスダイの効果を解析してどうにかするなんて、不可能だろう。
僅かな希望すらも断ち切られる絶望感。
果てない無力感。
恐らく、今の自身の顔は相当酷い事になっているだろうな。
ユーノの思考の一部がまるで他人事のように、そうぼんやりと考えている。
それと対照的に、厳しい現実を淡々と話していたスネークの表情には、柔らかい微笑が浮かび上がっていた。
「『あらゆる生命に寿命があり、それをどう使うかは本人次第だ』……ナオミの言葉だ」
「……」
「その上で、彼女は『生きろ』と俺に言い残した」
寿命をどう使っていくかは個人に与えられた自由である。
その言葉を当たり前だと鼻で笑うか、深いものだと熟考させられるか。
少なくともユーノは、その言葉がスネークにとって必要不可欠なものである事は率直に理解出来た。
「そしてフランクやお前達の言葉のお陰で、未来へ続く道標の一つを信じる事が出来た」
「……スネーク」
「例え一分後に死ぬとしても。……俺は。俺は、最期までそれ等に対して忠実に、未来を生きる。想いを、伝えていく」
へこたれてなんかいられないさ、と明るい声を上げるスネーク。
彼の走る速度も幾分か速くなったようだ。
自身の考えを見透かしているかのような言葉に、ユーノの顔にも自然と苦笑が零れる。
――だとしたら、自身に出来ることはただ一つ。
仲間として、親友として、それを黙って受け入れる事だけだ。
いずれ来るであろう最期の一時まで。
ユーノはそう決意する。
彼も、それを望んでいる筈なのだから。
「だからこそ、こんな下らない事件はさっさと終わらせよう。早く帰って、ビールでも呷りたい気分だ」
「そうだね。……僕も何があろうと最後まで、最大限、君をフォローしていくよ。スネーク」
「感謝する。……だがお前、本当にこっちへ来て良かったのか?」
やはりゆりかごに行ったほうが良かったのでは、と。
ふと、スネークが訝しむ声を上げた。
――恋人との分担作業として君を助けに。
ユーノは再会時と同じように軽く返そうとするが、彼の表情がより真剣味を増していたので、それも適わず。
追求の視線に耐えられず、遂に諦め、努めてそっけなく返した。
「……君に死なれたら、困るからね」
「困る?」
「ああ、非常に困るよ」
その言葉の意味を知りたがるスネーク。
この様子だとさっぱり分からないらしい。
ユーノは一呼吸置いて、切り出した。
僕は君の名前を知らないんだ、と。
途端に、スネークが黙り込んだ。
そう、ユーノはスネークの本名を知らない。
暗号名ソリッド・スネーク。
伝説の英雄。
不可能を可能にする男。
知っているのはそういう呼称だけ。
だから、一度として本名で彼を呼んだ事はなかった。
「僕の過去やら何やらをみーんな知ってる友達の名前すら知らないなんて、不公平極まりないよ」
それとも、友達だと思っていたのは僕の思い上がりだったのかな。
ユーノはそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
そうしてスネークも、ようやく合点がいったらしい。
俺の名は、と口を開くスネークを、ユーノは慌てて手で制する。
「それについては、この事件の後に、聞く事にする。……だから。皆で無事に帰ろう、ね?」
「そう、だな。そうしよう。……楽しみにしておけ、本名は平凡だ」
「はは、ありがとう。期待して待ってるよ。……それより、大丈夫? 疲れたんじゃない?」
――先程までの雰囲気が一転。
悲しい事に、スネークはもう三十代も半ばだ。
いわば、中年男性。
体力の衰えというものは正直に体へと現れるし、それを無視して無茶をすれば大きな反動が返ってくる事だろう。
ユーノのからかい半分な心配に、やはりスネークは不満を露にする。
体力の衰えは誰にでも来る事だが、それを直視するのが少しだけ悔しい、といったところか。
勿論、彼のスピードは全く衰えていない。
「ふん、問題ない。それとも、抱えて飛んでくれるとでも言うのか?」
「あはは、まっさか。何言ってるんだい、三十三歳七十五キロ。いやぁ、君のジョークにはいつもキラリと光る何かがあるねえ、あははは」
只空を飛んでいるだけと言っても、きっちりと魔力は消費されていくものだ。
エースオブエースと違って魔力量も破格ではないのに、暑苦しい男を抱える等ユーノにしてみれば堪ったものではない。
これぞ若者の余裕だ、とばかりにユーノはくるりと一回転して陽気に笑い飛ばす。
スネークは憎々しげに舌打ちすると、そのまま顔の向きを前へ戻してしまった。
「ふん、ザンジバーやモセスでやった地獄階段での鬼ごっこよりはずっと楽さ」
「そ、それはあまり笑えないけど。……よく生きていたね、君」
「似たような事を誰かに言われたな。まぁ安心しろ、ユーノ。お前も後十年すれば笑っていられなくなる」
「残念。それでも僕、ギリギリ二十代だ」
俺は四十代半ばか、なんて声を低くするスネークがどうにもおかしくて。
ユーノは再びくく、と笑いを漏らした。
――こんな他愛の無いやり取りも、後どれくらい出来るのだろうか。
ユーノはそんな考えが浮かぶと同時に、逃げるようにかぶりを振った。
(さっき、彼を最期まで見守ると決心しておいて……僕は何を考えているんだ)
――それでも。
それでも、せめてこの事件が終わるまでは、何も考えずに、彼と笑っていたい。
怪物と呼ばれ、蔑視される、誰よりも人間らしいこの男と共に。
そんな小さな弱さくらいはせめて、認めて欲しい。
ソリッド・スネークの、一人の友人として。
ユーノはそんな思いと共に、隣の親友に合わせて速度を上げていった。