と、いう夢を見たんだ。
で済まされれば楽なもの。実際はそれですまないから困りもの。
僕があの時―――トラックにはねられてから眼が覚めると、ソコは真っ白な光の中だった。白い天井を見て僕は思う。
(ああ、生きていたんだ)
確実に死ぬ予感がしていたのだけれど、今は痛みもありません。なんだか気を失う前すごくばかげたことに必死になっていた気がする。隠れオタクの矜持を示したような示さなかったようなだが、まあ気を失った時点で駄目だろう。きっとあのDVDは家族に見られてしまったに違いない。まあ、それもしょうがないこと。よくよく考えてみると僕はいったいなんであんなに必死になっていたのだろう。とりあえずレンタル期限ギリギリだったあのDVDを気を利かせた誰かが変わりに返却してくれたことを祈るとしよう。
なんにせよ生きているのだ。それならばそれなりのことをするべきだ。この白い天井はきっと病院。まずはナースコールでも押すとしよう。もしくは儀礼的に、知らない天井だとでも呟いてみるのがいいかもしれない。ぼやけた視界でそう考えた。
「おぎゃー」
(ぬわーーーーっ)
なんだ。なにごとだ。今、僕の口から他人のような声が聞こえたぞ。いや、まった。ちょっと、タンマ。何かの間違いだ。も一回、もう一回トライ。いっせいので、
「おぎゃー」
(ぬわーーーーっ)
パパスもびっくり。断末魔のような声がでましたヨ。いや、真面目な話、事故でノドをやってしまったのかもしれない。そういえば体の調子が悪いような気がする。視界はぼやけているし、聴覚もどこか変な気がする。手足も動きが鈍いし、何より頭が重い。
それにしてもノドを傷つけて声が変わるとすれば低い方向に変化するのが普通な気もするが、どういうことか僕の声は高くなっているようだった。どうしてだろう、まあ所詮僕は医者でもなく低くなるのも単なるイメージだ。とりあえず声が変わるほどノドを傷つけたのならあまりしゃべらないほうがよかろうよ。
僕はとりあえず動かすことはできるらしい手を上げて、
(?)
ぼやけた視界に映ったのは団子のような手だった。いちいちのパーツが短く、相対的には太いともいえるかもしれない。嫌な予感。とりあえず動かそうとすれば動く。旗を8の字に振るように大きく動かした。握って、開いて、なんともまあ短くなりましたね、僕の指。なんというかファッキン。
「んぁうやぁうぎゃー」
(なんじゃこりゃー)
ひときわ大きく叫んでみればなぜかソレが連鎖した。
「オぎゃー」「おぎゃー」「おぎゃー」「おぎゃげあー」
「うえっうえっ」「うァーん」
僕じゃない。ソレらは全てが若い声。若いといっても年にして一桁未満――僕の恐るべき連想を言葉にするなら『赤ん坊』の泣き声だ。
「おんぎゃー」「ふぎゃー」「ぎゃー」「おぎゃあーん」
「ちょぉっ」「おまぁーっ」
つまり、僕の恐るべき連想をさらに進めるのなら、ここは産院かなにかの新生児を入れる保護カプセルが並んだ一室である。この推理は僕がそこにいるという前提的な矛盾に目をつぶればよく出来ているように思えた。
(って、んなわけあるかっ)
もう声を出す気にはなれなかった。
なんでか眠い。寝る子は育つ? いやいや、きっと怪我のせいである。僕はこれを幸いに不貞寝を敢行した。
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アホウ少年 死出から なのは
第1話 我思う故に我在り
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(むぅ)
夢ならばよかったものを。
僕の居場所およびに肉体はあれから何度起きても変わることはなかった。白い天井、鈍い体、おぎゃおぎゃうっとうしいお隣さんたち。このごろには僕だってわかってきた。おそらく、僕は赤ん坊なのだ。というか妙にでっかい(正しくは僕が小さいのだが)看護士につれられて、うれしそうな母親なる人物に対面させられては僕とて認めざるを得なかった。
いったい僕はどうしてしまったのか。
幸いというべきか考える時間だけは豊富にあった。
まず始めに思い浮かんだキーワードが生まれ変わり。いわゆるリーンカーネーション。
僕があの事故でその魂がこの赤子の肉体に入ったという思考。いちおうの仏教国であるこの国の文化にそっているし、しばしば物語の題材にもされていて納得しやすい。ところで魂ってなんだろう?
次に考え付くのは夢落ちだ。僕は僕が赤ん坊であることが夢ではないかと疑ったが、ここで言及するのはその真逆。僕がかつて大学生までなっていた記憶こそがこの赤ん坊の見た夢だったのではないかと考えた。生まれ変わりなどという非科学的な話とくらべれば、現行の理論だけで説明できるぶん真っ当かもしれないが、さすがにムリがある。
まあ、ムリといえば、この現象に理由付けるにはどうやったってムリな論理的飛躍を用いざるを得ないのである。なにせこの現象自体がいままでの僕の常識からしたらムリそのものなのだ。結局のところ現段階でこの現象の理由を考えるのは無駄であろうということで僕の思考は落ち着いた。
重要なのは未来のことだ。
whyよりもhow。もはやこうなってしまえば僕が前世(あえてこう呼ぶ)の記憶を持っていることは前提だ。その上でいろいろなことを考えていくべきだろう。
まず僕は男の子。前世で男を二十年以上やったのだから今度は女の子が良かったのだが、残念ながら僕の股間には残念なポークビッツがついていた。
なんにせよ前世の記憶を持ち越していることは新たな人生を送るにあたって至極有利なことだろう。いわゆる強くてニューゲーム。身体能力こそ持ち越せないものの、記憶だけでも十二分なアドバンテージだ。つまらない一例を挙げれば、よほどサボらないかぎり大学なんかは選び放題だろう。
いや、転生などという超自然的な現象を体験しておきながら何をつまらないこと計算なんてしていると自分でも思うのだが、20年のアドバンテージは本当に有効なのだ。20を過ぎてからとみに時間の有限さを実感しだした僕には本当にありがたい限りだ。
基本的に俺Tueeeeeeとか大好きな人間である。僕は今から、これから大人になるまで何をして遊ぼう、何を学ぼうとわくわくしていた。
ただ、気がかりなのは両親のことだ。前世での両親はまあ親不孝をしてしまったが事故だったからしょうがないとして問題はいまの親。
彼らは自分の子供がまさかこんなとは思うまい。深い愛情とがんばりの果てに生まれ、これから一緒に試練を超えて成長していくはずの純粋で天使のような子供の中の人が実は20も過ぎたヤロウ様だなんて知ったらどう思うだろう。僕だったらいやだ。
(これを知られたら、泣かれるよなあ)
先ほどおっぱいを飲ませてくれた母親なる人物はかなりの美人さんだった。そのきれいな顔が歪んで憎悪を僕に向けるのを考えるとかなり恐ろしい。そして気がめいる。
だから隠すことに決めた。
僕は普通の子。もしくは普通の天才児。
あの二人を心の底から慕うことはできないのかもしれない。
すでにいやな予感がヒシヒシとしているが、それでもせいぜいこの両親にとって良い子であろう。小さなベッドの中、小さな僕はオギャと呟いた。
4才になった。
これくらいになると好きなように歩くことができるし。いくら話しても問題がない。本や新聞を読んでも賢い子だと喜ばれるレベルですむだろう。都合の良いことに近所に図書館があったので週に一回そこに連れて行ってもらって本のまとめ借りをしてもてあました時間は何とか潰すことができていた。もっとも、僕とてまだかぶった猫を手放すつもりはないから、借りる本が限定されるのがちょっとしたストレスである。
この四年間でわかったことがあった。
僕は僕のままである。生まれてから数ヶ月の声帯が未発達で声もまともに出せなかった頃こそ、実は赤子時代に前世の記憶を持っていることはそんなに珍しいことではなく、成長するにしたがって前世のことを忘れていくため世間はそれに気づかないのではないか、なんて危惧をしていたのだが、そういうわけでもないらしい。先述のとおり僕は本性を隠しつつも図鑑や辞典が大好きなこすっからい子供のままだ。
あと、どうも転生に伴って過去に戻っているようだった。前の僕が死んだのは21世紀にはいってのこと。なのに今の僕の出生は20世紀末だった。ここから考えられるのは時間の逆行、もしくは前の人生が実は夢落ちだったという説があるが、僕としては時間の逆行よりかは未来予知じみた現象のほうが、まだありえる気がするので後者を推す。しかし、いずれにせよ現在の判断材料だけで確定的に語るのはナンセンスだろう。
転生の真実は依然として闇の中。正直なところ一生わからないのではないかとも思っている。
ああそうだ、それと両親が離婚したことも報告しておこう。
先に言っておくがこれは僕のせいではない。いや、僕が年不相応にしっかりとしていて手間がかからないから母が離婚に踏み切れたというのはあるかもしれないが、僕の責任じゃない、と思う
主に嫁姑の確執が原因だ。
両親と僕が住む家は父方の祖父母の家と近所にあったのだがこれがいけなかった。祖母は電話でムリヤリ母を呼びつけては家事の一切を代行させたり、良い土産をくれてやるといっては腐った野菜や肉を押し付けた。連絡もなく家に押しかけ、掃除がなっていないといちけちをつけ、延々ネチネチいびり倒す。教育してやるといって、こんなモノを息子(父)や僕に食わせるのかとせっかく作った料理を流しに打ち捨てた。母は新しい服を買うことも許されず、アクセサリーは捨てられ、時には暴力も振るわれていた。
そんな鬼婆の息子たる父はというと、母を助けることはなく「お前のためを思ってやっているのだから」と見事にスルー。それどころか母親(姑)に何を吹き込まれたのか自分の嫁(母)に「もらってやった」だのと香ばしい発言をし始め、まるで奴隷に対するような態度をとるようになった。
これらは後になってに暴露された母の一方的な言い分だが、土産のくだりや父が横柄な態度を取り始めたあたりには僕にも覚えがあった。
そんなわけで、夫婦仲が冷め切っているのを察知していた僕が「もう我慢しなくていいんじゃない?」とにいってみたところ、いったいどのような心境の変化があったのか母はこれまで耐えてきたのが嘘のように猛然と離婚に向けて動き出した。
トントン拍子に離婚は成立した。
離婚の際、父と祖母は僕に自分たちにつくよう言ったが僕はあくまで子供らしく「絶対ヤダ。バーちゃんキライ」と突っぱねた。本当にヤなのである。あの婆さん僕には優しくしてくれたが、こっちが子供だと思ってキスしようとしてくるのだ。小さい子に対するそれはスキンシップの一環だと理解できるのだがイヤなもんはイヤだ。顔面を近づけてくるたびにギャン泣きして阻止していたが、それを除いても日ごろのスキンシップ過剰はうざかった。
そんなわけで以来父には会っていない。
離婚時の慰謝料を元手に僕ら母子は引越した。現在はアパート暮らしだ。僕が幼稚園に行かされている間、母はパートタイムで働いている。
なんというか我ながら異常な子供であることを自覚して、それでも両親には幸せでいてもらおうとしていた僕の幸せ家族計画は思いもしない――そのくせいやに現実的な理由で早くも破綻してしまった。こうなっては僕の家族は母だけである。
本当のところを言うといまいち僕とは合わない人ではあるが、せめて彼女は幸せであるよう心に祈り、そうあるために僕も協力していきたい。
8歳、もうすぐで小学校3年生になる。
母はここ二週間ほど帰っていなかった。
だがそれは僕にとって特別に心配することではない。今までだって一週くらいなんの連絡もなく留守にすることはあったものである。
母は働きに出てから変わった。
我慢しなくていい、などと僕にいわれたのがきっかけなのか、仕事場でチヤホヤされて自分もまだ捨てたものではないと悟ったのか、結婚時代の不遇を取り返すように、その美貌にたよった男漁りをし始めた。
ここのところの留守はおそらく新しい男の家にでも転がり込んでいるのだろう。
家に男を連れ込んで息子の眼もはばからず昼間っからあえぎ声を上げているよりはいいのだが、そろそろ家に備蓄してある食糧がなくなってきたのが問題だ。家の中をあさって残っているのは米が数キロにしなびたキャベツと即席ラーメンが三袋。
しょうがなく家捜しをして見つけられたのは現金が5千円と小銭が少しだけだった。それもこの5千円は家具の隙間から見つけたものだ。
やばくね?
預金の通帳も探したのだがそれらは全てがない。母の通帳だけではない。父からの養育費が振り込まれていたはずの僕名義の通帳もいつも置いてある場所からなくなっていた(養育費の振込みはとっくに止まっていたが)。
ファック。僕は思い出した。
そういえば最後に母に会った一週間前、彼女は僕に言った。「あー君(彼女は僕のことをこう呼ぶ)は一人でも大丈夫だもんね?」 日ごろからニグレクト上等な母である。そのときは何を当たり前なことをと、即答(もちろんYes)してしまったが、よく考えればそれが最終フラグだったのだろう。
僕は捨てられたのだ。
「うわ、ひっでえ」
いやな予感は昔からしていた。
幼稚園児のころから息子の髪を金に染めてピアスをさせたあたりから致命的に僕とは相性が悪い人だと知っていた。いや、いやな予感と言えば生まれたときからだ。そもそも息子に『愛天使』(これでアイリエルと読ませる。ねーよ)なんて名前をつけた時点で頭が沸いてないかと疑っていたものだ。
命名の際、愛天使が示されたとき僕は大いに泣いて抗議の意識をあらわにしたものだが受け入れられはしなかった。
ちなみにフルネームで『望月 愛天使(もちづき あいりえる)』だ。
イジメじゃね?
まあいいや。
未来志向が僕の基本姿勢である。
捨てられたのなら捨てられたでそれなりの対応を取らねばなるまい。
さしあたっての急務は食料の確保だがどうしたものか。
僕は小学生である。学校に行けば少なくとも昼食は得られそうだが、そのためだけに学校に行くのはいまいち気が引けた。というのも僕は大絶賛登校拒否中なのだ。
すでに常識として知っていいる知識を聞きに行くために毎日何時間も拘束されるのは苦痛である。
学校には行きたくない。幸い小さな頃から図鑑ばかり眺めていた実績があるから母は僕が賢いことは知っていたし、僕が家のことをするからと言ったら母は学校に行かないことを認めてくれていた。家事の代行に釣られる物分りのいい母に対しては、いいのかよそれで、と当時から感じていた隔意をさらに強めることとなったが好都合ではあった。そんなわけで僕は毎日図書館通い。当初こそ学校の先生も気にかけて学校に誘ってくれたのだが、いずれ諦めた。
そんなわけでいまさら学校になんか行けるかよという気分がつよい。
それにそもそも給食費払ってないっぽいよね。
この日はとりあえず図書館に行って司書さんに追い出されるまで好きなだけ本を読んだ。帰りがけ、スーパーで安売りの豆腐ともやしを買った。
醤油をかけた豆腐をパックから直接食べている。じらじらとさえずる切れかけた蛍光灯の明かりが口角が釣りあがるのを照らす。ついに耐えられなくなって僕は笑いを外気に漏らし始めた。
父と母は別れ、そして母にも捨てられた。これで僕は一人である。
「素晴らしい」
すなわちこれこそ自由。正直、母には複雑な感情もあるが、僕は喜んでいた。
これで何に遠慮することもない。思えば降って湧いたような子供生活は楽ではあったが常に歩む足元には藻草が絡まっているようでもあった。それは僕が普通の子ではなかった両親に対する引け目に由来した。だから両親が軽蔑すべき人間であればあるほど引け目は軽くなる。
ありがとうお母さん。僕を生んでくれて、僕を捨ててくれて。
今、僕は自由だ。
僕が転生していることに対する僕自身への引け目すらもうない。むしろ僕が僕という転生体であることで僕に恩を売れる気にさえなる。だって普通の子をこの環境で生きさせるのはいささかかわいそうだろう。
人は社会的な動物であると誰かが言った。多少知恵があるとはいえ肉体的、社会的には結局子供。一人でできることなどたかが知れている。
それでも、しばらくは一人で生きたいと思った。
醤油をかけた豆腐をパックから直接むさぼっていく。
お父様、お母様、望月愛天使(もちづき あいりえる)は強く生きます。
フハハハハハハ。
愛天使の日記
3月 4日 晴れ
一人で生きると決めた以上、まずは食を確保せねばなるまい。お金は5000円しかない。とりあえず偉大な先人の貧乏暮らしに従って、パン屋で100円分のパンの耳を買った。パンの耳をくださいといったとき、オバちゃんがあからさまに気の毒そうな顔をしていたが、気のせいだと思いたい。
ところで何かいいものでもないかといつも行かない道をうろついていたら、駅前に翠屋なる喫茶店を見つけた。
あれ?
この市の名前は海鳴市という。胸騒ぎを感じつつ図書館に行って調べ物。聖祥なる私大の付属小学校の存在を確認した。ついでに制服も。あれえ?
既視感、というかこれってアレか? リリカルでマジカルなの、なの。海鳴市なる市に引っ越してきた時点では、そんな名前の市もあるだろうと大して気に留めていなかったが、翠屋に聖祥学園。―――あれれー。バーローwwwww
まさか、ねえ。
パンの耳を水道水につけて生キャベツと一緒に食べた。まずい。
3月 9日 晴れのち曇り
50円をもって商店街の豆腐屋に行ってオカラをもらった。帰りがけに「くじけるんじゃないよ、油揚げおまけしておくからね」と言われる。暖かい声援に感謝である。でもオカラの袋に油揚げをぶっこむのはどうかと思う。これがオマケか? 袋をのぞいてオカラまみれのキツネ色のぺらぺらを見たときは何事かと思った。でも、感謝。
先日に引き続き市中を探索。特に新しい発見はなし。その後は図書館で読書。
オカラと探索途中に掘り返したタンポポを洗って食べた。春めいてきたもんだ。
3月 10日 いっつ れいにー
雨、外に出られないので溜まった洋服を洗う。洗濯自体は珍しくないが、今日は今後を見越して実験的に洗剤と電気を使わないで、手もみ洗いでやってみた。疲れる、が、あまり汚れが落ちない。これからは一セットの上下をヨゴレ作業用にして使おう。
あとはずっと借りた本を読み進めていた。
とっておいた油揚げを食べた。あと干しておいたタンポポの根っこを刻んで熱湯に入れて食べた。苦い。我ながら良くぞ腹を下さないものだ。
3月 13日 雨降ってアスファルト輝く
唐突だが肉分が不足している。なので公園に行ってハトを取ってきた。爬虫類以上の生き物を直接殺すのは完全に初めての体験だった。いつも食べていた肉だって自分が手を下さないだけで間接的には僕が殺していたのと違わないとはいえ、初めて見る首なし姿の平和の象徴さまはちょっとショッキング。血が暖かかった。焼いて、煮て柔らかくした雑草を付け合せにして食べた。ご馳走様。
ところで今回はガスコンロを使ったがこれも何時までもつだろう? ガス、電気、水道代はもはや振込みは見込めないから、きっと来月には止まってしまう。家賃もだ、僕は一体このアパートに何時までいられることだろうか。今でこそ気候も暖かくなってきたが、さらに季節が巡って冬になったらどうしよう。
早急な対策が求められる。
3月 17日 サンサン輝くウルトラソウっ!
大失敗だ。先日に味をしめて公園にハトを捕まえに行ったら「こらー、なにしてるの!」と。
僕と同年代の女の子で茶色がかった髪をツインテールにしていてなかなかかわゆい。聖祥学園小等部の白い制服を着ていた。意志の強そうな瞳がまぶしい。どうみてもなのはさんです。本当にアリガトウございました。
そっこうで捕まえていたハトを逃がし、謝って逃げた。
きっと彼女の目に僕は、罠(パイプに輪にした紐を通し、その上にハトが来たところで引っ張り足を捕らえる)を用意してまでハトを苛めていたクソガキさまにしか見えかっただろう。つーか、普通、喰うためだなんて思わんわな。悪いことに悪いといえるのは大切な資質だ。この場はゆずることにした。
けっして魔王が怖くなって逃げたわけではない。ホントだヨ。
3月 18日 どんどこ
ついに図書館で怪しまれた。借りていた本を返したのだが、その際、毎日のように来ているが学校はどうしたのかと聞かれた。いつものようにどうどうと学校には行っていませんといったのだが、その新任の司書さんは納得してくれなかった。僕としてはこういったおせっかいを試みることのできる人は嫌いではないのだが、それが僕に向けられると不都合だ。穏便に済ませたかった。
とりあえず今日返した大学級の参考書をとりだして、そういうわけだから僕には小学校で学ぶ必要はなく、授業中の無為な時間を過ごすのは苦痛である説明した。だが、司書さんは学力については認めてくれたものの、今度は人に混じってしか学べないことがあるだろうと言ってくる。
それをいわれると弱い。人付き合いは経験だ。多少の学力があっても対人能力の保証にはならず、反論は非常に難しい。学校という社会の縮図の中で人波にもまれることは、まっとうな大人になるために必須とまでは行かないが重要だろう。
とはいえ、僕はもう大人だと言い張るのも恥ずかしかった。その言いようこそ、しばしば子供の証明である。
だからといってこちらの事情を話しても前世系のサイコ君として、都市伝説でいうところのイエローピーポーにお世話になるだけだ。
説得は双方にとって失敗に終わった。
まあ久しぶりに人と長く話して少し楽しかった。
おから、パンの耳、それと公園で採取してきたミントを中心とした野草をたべた。ところで野草というと雑草よりも健康的に聞こえる。
塩が残り少ない。
3月 20日 知らね
げりぴー。腹痛い。まあ今までよくも無事だったものだと逆に驚きだ。とりあえず明日までに治らなかったら病院に行こう。トイレで本を読みながらすごした。
22時追記
治った \(・_・)/
3月 23日 小雨降るもすぐに止む
自動販売機のおつり口で500円ゲット。ラッキー。
どくだみウメエ。あと、公園に植えられていた背の低い木から若くて柔らかい葉っぱを大量に採取してサバイバル教本に書いてあった世界標準可食性テストとやらを試してみた。結論、この葉っぱは食べられる。一種食べられるモノが増えた。
しっかしこのテストめんどくさいなあ。
3月 27日 晴れていた、気がする。雨は降っていない
保健所に行くもお父さんかお母さんが一緒じゃなければ駄目と追い返された。
愛玩動物として刷り込まれている生物の命を奪うことには抵抗があるものの、放っておいても炭酸ガスで処理されるだけだしかまうまいと自己正当化していたのが無駄になった。
残念なようなほっとしたような。
帰り道、用水路にてジャンボタニシが群生しているのを発見。持ち帰る。ジャンボタニシはもともと食用として輸入されて野生化したものだ。繁殖力旺盛で育てやすいが、そもそもまずかったためこの国の食文化に定着しなかったという微妙な経緯を持つが、僕にとっては食えるのならば十分だ。火であぶり、醤油をかけて食べた。確かにまずかったが、うまかった。当分、動物性タンパク質には困らない。ただしかなりヤバい寄生虫がつくはずなので、よく熱してから食べることを気をつける必要がある。
3月 30日 ロンドンどんより晴れたらパリ
図書館にて件の司書さんに遭遇。すでに何度目かになる舌戦を展開した。といっても戦いは常に平行線だ。というかそれぞれの主張とそれに対する反論、再反論、再々反論まですでに言い尽くしているので、それで互いが納得しない以上、もはや強い意思を示す以外やることはない。「学校に行きなさい」「いやですー」の繰り返し。司書さんもなんだかんだで優しくて、僕の図書館の利用を制限する気はないらしい。なので議論はループ期に入ってマンネリ気味。それよりも梅昆布茶うめぇ、と思っていたら妙なことを言い出した。
以下、会話の流れ。
「そうだ、ところでアナタ、一週間後の今日って空いている?」
「ええ、空いていますけど?」
「そう、よかったわ。じゃあ、11時ごろここ(図書館)にいてくれないかしら」
「かまいませんよ。――あれ、とうとう僕が学校行かないこと認めてくれました? 思いっきり授業時間中ですよ」
「まさか。うれしそうな顔をしないの。こうなったら言えた義理じゃないけど、子供は学校で学ぶものよ」
「例外はありますよ。普通の学校は普通な子供に最適化されたものであって、定形外を放り込んでもそこで見込まれる変化は成長じゃなくて歪みです。双方にとって不幸な結果になるだけですよ。普通じゃないものには普通じゃない対応がなされてしかるべきかと思います」
「自分を物みたく言うのはやめなさい。君は子供よ、普通の、どこにでもいるこまっしゃくれたただのクソガキさま。どんなに頭がよくたって、人の中でしか知れないことはある。そして、それこそ人が大切にしている」
「こういう思考実験を知っていますか。箱の中に入った中国人に対して英語で書かれた手紙が送られる。箱の中の中国人は英語を読めないけれど、マニュアルがあって手紙の英文に対応した返答が英語で書いてあり、中国人はそれを頼りに意味を理解しないまま英語の返信を書いてよこす」
「――何を言いたいの」
「あはははは、僕にもわからなくなりました。仮に僕が子供としての姿をさらしていなくて、インターネットか何かで交流しているたとしたら、どれだけ語り合ってもあなたは僕を大人と思い、ましてや10才未満だなんて思いもしなかったことでしょう。先入観を捨てて僕に一個の人格としての裁量を認めてもいいのでは――的な理論展開を考えていたんですけど。いや、失敗失敗」
「はあ――――――」
・・・・・・・
・・
飽きた。
とにかく一週間後の11時に図書館に行くことになった。忘れないようにしよう。
帰りがけにおから、パンの耳を購入。同情的な視線はもうなれた。豆腐屋のオバちゃんに心配されて「うちって貧乏だから」と答えたら目元を濡らしながらハンペンをくれた。いつもオマケでくれている油揚げとは別にである。ありがとうございます。その場では言い足りなかったので、ここに付け足しておく。
4月 2日 晴れてて良かった
ついに恐れていたことが起きた。
家のガスが止められた。このぶんだと電気も近い内に止まるだろうことは明白だ。水道はまだしばらく大丈夫だろうが、そもそもこのアパート事態そろそろやばい頃だ。
そういうわけで、母も帰ってこないようだし、かねてよりの計画を実行。目をつけておいた海鳴市繁華街のはずれにあった廃墟ビルに引っ越しを開始した。布団や服、ナベ、包丁、その他もろもろ荷物が多いため完全に移転が終了するのはもう数日かかるだろう。とりあえず今日はアパートで寝ることにする。
晩飯には今後の練習としてビルの中で焚き火をして、ストックしていたジャンボタニシを全て焼いた。食べきらなかったぶんは内臓を切り捨て、身を薄く開いて串に通し放置。乾燥させたら保存が利く……ような気がする。
しっかし、本当に大丈夫だろうか。4月にもなったしだいぶ暖かくなってはいるが、外の風はまだ冷たい。
追記:唐突に思いついた。最近、塩が足りなくなったと心配してたが、良く考えれば海水があるじゃん。ばかだった。
4月 5日 慢性はらぺこ病
朝、何枚も重ねた布団の中で起きて最初にすることは焼酎の4ℓボトル2つをもって公園の水道まで水汲みへGo。
廃墟に越してきたはいいが夜は暗くてできることがない。本すら読めないから寝るしかないのだが、そのぶん次の日に起きるのがやたらと早くなる。そういうわけで本日はカラスたちに混じって燃える日のゴミ争奪戦に参加した。とうとう人としてアレな一線を越えてしまった気もするが、アイアム都市サバイバー。鳥網と哺乳網、ともに脊椎動物亜門の最先端に立つもの同士、譲ることのできない戦いである。ただ、ヤツらと違って僕はこの姿を良識ある大人に見られたらゲームオーバーなのがフェアじゃない。
しかしまあ、実際にゴミ漁りに挑んだら拍子抜けするほど彼らは臆病で僕が近づいたら普通に逃げていった。邪魔しようものなら喰らってやるつもりだったから、もしかしてそれが伝わったのか。街に住むカラスはヤバげな物質が生体濃縮されてそうだからあんまり食べる気にはならないのだけど。それはハトも同じか。
ちゃんと漁った後はきれいにしてから帰りました。
主な戦利品
骨付きチキンのパック(手付かずで賞味期限3日過ぎ)
芽が出たジャガイモ5個
明日は司書さんとした約束の日だ。久しぶりにシャンプー、ボディソープを使って体を清めた。明日の朝、行く前にちゃんと歯磨き粉を使って歯を磨いていこう。
明日の日記は長くなりそう。