それはある一言がきっかけだった。
「なあユーノ。何でいつもフェレットなんだ?」
問いを発するのは褐色の肌に白髪という目立つ風貌をした少年、名を衛宮士郎という。
それが向けられているのはなぜかフェレット。
常識人がいれば彼の言葉に疑問を持つだろう。
フェレットに向けて真面目な顔で問いを発するなど、普通に考えれば変な人にしか思えない。
当然、常識的に考えれば答えなど返ってくるはずがない。
だが、その問いにはちゃんと答えが返ってきた。
「なんでって、前にも説明したでしょ?
これは魔力の消費を抑えるためで、怪我の治療にも適してるんだ。
なのはと会う前に怪我をしたから、その治りを少しでも早くするためだよ」
世にも奇妙な話だが、このフェレットはしゃべることができる。
いや、そもそも本来はフェレットなどではなくれっきとした人間で、本名をユーノ・スクライアという。
この世界ではおとぎ話の中にしか登場しない「魔法」と呼ばれる力を持ち、フィクションの中でしか存在しないとされる「別の世界」から来た異邦人だ。
本来は人間なのにもかかわらずこのような姿をしているのも、魔法の力によるモノだ。
少々前までは、ジュエルシードと呼ばれるものを巡る事件の中心人物だった。
だが、現在はその際に出会った高町なのはという少女の家で居候している一応一般人である。
別の世界から来たなんて時点ですでに一般も何もあったモノではないが、一応はそういう扱いなのだ。
「いや、確かに聞いたけどさ、それは怪我が治るまでの話だろ。
今はもう怪我も治ったんだし、別にその姿でいる必要はないんじゃないか?」
「確かにそうだけど、なのはのところでお世話になってるんだから元の姿だといろいろ問題あるでしょ……。
特にあの人たちだと、僕の本当の姿を知られたら命が危ないし……」
ユーノが心配しているのは、彼の居候している高町家の住人その一部だ。
彼の正体を知るのは高町なのは一人だけだが、その家族は両親と兄姉の四人がいる。
このうち母を除いた三人はとある剣術の継承者であり、一人一人が生半可ではない実力者でもある。
特に父と兄は、末娘のなのはをそれはもう大切にしている。
教育方針から決して甘やかすことはないが、それこそ目に入れても痛くないと言わんばかりだ。
そんな二人にユーノの正体が知れればどうなるか……。
かわいい末娘についた悪い虫を駆除せんと、それはもう恐ろしい制裁が待っているだろう。
一緒に夜歩きをし、同じ部屋で眠り、あまつさえ外泊までしたとなれば、命の心配をするなという方が無理な話だ。
それでなくても、普通に恋人ができても斬りかかってきそうな二人だ。
ただの友人ということで家にいても、決して安全とは言えない。
士郎の方は一応恋人がいるのでそれほどではないが、無防備でいるにはあそこは危険すぎる。
いつ何時「なのはに相応しいか確かめてやる!!」とか言って斬りかかってくるか分かったモノではない。
そのあたりのことは重々承知しているようで、士郎の方でも苦笑いを浮かべている。
「ああ、確かにユーノの心配はもっともだ。むしろ当然だな。
だけど俺が言ってるのはそういうことじゃなくて、高町家の外なら人間形態でも問題ないんだろ?
それなのに何でいつもフェレットのままなのかと思ってさ」
士郎の言うことは正しい。
命の危険があるのは高町家に限られる。
人間形態であの家にいるのは非常に危険だが、外ならば何の問題もないのだ。
それを聞いたユーノは、驚きを隠せないようで目を見開いている。
といっても、フェレットの小さな目だといまいちよくわからないのだが……。
「そ、そういえば……」
「ユーノが外出する時って、いつもなのはと一緒だろ。
俺が言うのもなんだけど、もう少し自分の時間を持ってもいいんじゃないか?
それとも、もしかして日中は家の中を色々漁ってるのか?」
ものすごく怪訝そうな顔で聞く士郎。
高町家の子どもたちは皆学生なので、基本日中は家にいない。
両親にしても街で評判の「翠屋」という喫茶店を経営しているので、やはり家を空けていることが多い。
なるほど。それならば家を漁るのにこれほど都合のいい状況はなかろう。
「ち、違うよ!? べ、別にそんなことしてないから!!」
必死に弁解するユーノ。
その額からは汗が滝のように流れ落ちている。
やはりフェレットの毛並みのせいでわかりにくいのだが。
「いや、そんな必死に否定しなくてもわかってるって。ただの冗談だ。
とにかく落ち着け。むしろ必死な方が何かあるんじゃないかと心配になる」
この男にしては珍しく冗談を言ったようだが、逆に疑惑を呼びかねないリアクションが返ってきた。
士郎としてもこんな反応が返ってくるとは思っていなかったようで、若干引いている。
慣れないことはするモノではない、という見本だ。
「まあ、とにかくだ。
それだと、普段なのはがいない時間帯は暇だろう。
フェレット形態だと出歩くわけにもいかないけど、人間形態なら自由に歩き回れるんだから、時々は家を出てもいいんじゃないか?」
ユーノは、普段誰もいない家の留守を頼まれている。
だが、頼んでいる人たちからして何ができるとも思っていないので、実際に何か仕事を任されているといわけではない。
そうなってくると、彼は普段一日中食っちゃ寝食っちゃ寝しているニートと変わらない状態ともいえる。
「言われてみれば、確かに」
こうして高町家の期間限定ペット、ユーノの翌日の予定が決まった。
外伝その3「ユーノ・スクライアの割と暇な一日」
SIDE-ユーノ
今僕は、海鳴の街を特に目的もなく歩いている。
強いて目的をあげるなら、海鳴をより鮮明に記憶にとどめるためかな。
そう遠からず僕はこの街、いやこの世界からいないくなる。
またいつここに来られるか分からないし、この世界にはたくさんの思い出がある。
だから、少しでも記憶にとどめておきたい。
それも珍しいことに今回は一人だ。
この世界に来た当初はともかく、なのはと出会ってからは大抵なのはと一緒いるか高町家で過ごしていた。
なのはと出会ってからも、そのほとんどはジュエルシードの捜索が目的で周囲を気にする余裕はなかった。
その意味で言えば、こうして落ち着いて街の中を散策するというのは、多分初めてのこと。
今日なのはは、お姉さんの美由紀さんと一緒に買い物に出かけている。
そろそろ夏も近づいてきたので、新しい水着を買いに行くのだそうだ。
さすがにそんなところに同行させられるのは困る。
なのはは全く気にしていないみたいだけどさ。
もしかして僕、異性として完全に眼中にないのだろうか?
僕が部屋にいても普通に着替えるし、一緒にお風呂に入ろうなんて言ってくるし……。
以前のようにフェレットだと思っているのならまだしも、今はちゃんと人間だってことは知っている。
なのにあんまり扱いが変わらないって、それって絶対おかしいでしょ。
信用されていると考えればいいのかもしれないけど、それにしたってこれはどうだろう。
お願いだから、もう少し何とかならないかなぁ……。
そんなことを考えながら駅の付近を歩いていると、見知った人影を発見する。
「あれって、凛?」
視界の端で捕らえたのは、綺麗な黒髪をツインテールにした赤い服の少女。
それだけだと特徴としては少し弱いけど、それ以上に彼女の纏うその周囲とは明らかに異なる雰囲気が特徴的だ。
凛は、ただその場にいるだけで目立つ。
「鮮やか」とでも表現すればいいのだろうか?
そういう感じで、ただそこに立っているだけで場の空気を一変させる。
向こうの方でも僕のことに気付いたようでこちらに視線を向ける。
よかった。最近地味だったけど、まだ気付いてもらえるんだ。
とはいえ、こうなってくるとそのまま立ち去るというわけにはいかない。
凛相手にそんなことをすれば、あとでどんな目にあうか分かったモノじゃないしね。
凛が立っているのは、なんだか難しい漢字の看板が掛けられているお店。
どうやらあの店から出てきたところのようだ。
良く見ると、その手にはかなり大きな荷物が抱えられている。
「ユーノじゃないの、珍しいわね」
そう言いながら凛が歩いてくる。
確かにそうだろう。
アースラにいた時以外だと、たいてい僕はフェレット形態でいる。
こうして人間形態になるのは結構久振りになるのだから、珍しいと感じるのは当たり前だ。
「うん。まあ、ちょっと散歩でもしてみようかと思ってさ。
凛こそ凄い荷物だね。それどうしたの?」
もしかすると、何かの魔術や実験に使う薬だったり薬草だったりするのかもしれない。
以前凛たちの家に行った時に舐めたあれは強烈だった。
アレが一体何で出来ていたのか知りたい気もするし、知らない方が幸せな気もする。
僕の質問に、凛が手に持った大きな紙袋に視線を落としながら答える。
「ん? これ?
これはなのはの訓練用の漢方よ」
「え? なのはの訓練?」
どういうことだろう?
凛は魔術をなのはに教える気はないって言っていたし、魔法でこういったものを使うことはない。
これが、なのはの訓練と一体何のつながりがあるのだろう。
「そうよ。
そろそろなのはに本格的な接近戦の訓練もさせるつもりだし、せっかくだから簡単な内功もさせるつもりなのよ」
何でも、「内功」というのは凛の使う中国拳法では割とよくある訓練の一つらしい。
主に内臓を鍛える方法で、これをよく練ると内臓の機能が上がり傷の治りや疲労の回復が早くなるという。
魔法だからといって、怪我や疲労と無縁なわけじゃない。
ならば、当然そういったことやった方がいいに決まっている。
そういう意味で言えば、凛のやろうとしていることは当たり前のことなのだろう。
「で、これを使うと内臓を鍛えられるの?」
とはいえ、僕にはいまいち馴染みのないことなので聞いてみる。
目的はわかったけど、それと薬を使うのと何の関係があるのだろう。
「これはその方法の一つってだけよ。
やっぱり、やるからには中途半端っていけないと思うのよ。
こいつを使って、一緒に内部からも改造するつもりなの♪」
なんだか可愛らしく言ってるけど、その内容はとてつもなく物騒だよ。
良く肉体改造って言葉は聞くけど、これこそ本物の「改造」だ。
「ああ、それでユーノにも協力してもらいたいんだけど、いい?」
「協力って、何を?」
内容を言ってもらわないことには、うなずくわけにはいかない。
凛のことだから相当ずごいことを企んでいるのだろうけど、一体何を考えているのやら。
「何よ。その不審そうな顔は」
君の本性を知っていれば、至極当然の反応だと思うよ。
絶対に声に出しはしないけどね。僕だって命は惜しいもの。
「いや、別に……」
「まあ、いいけど。
そう特別なことじゃないわ。なのはの生活リズムをちゃんと管理して欲しいのよ」
それはまあ、それぐらいなら別に問題ない。
というか、そんなことしなくてもなのははかなり健康的な生活を送っていると思う。
家族の影響で早寝早起きだし、三食しっかり食べている。
とりあえず、不健康なところは見当たらない。
凛だってそんなことは知ってるはずなのに、一体何を心配してるんだろう。
「不健康な生活スタイルでこの先の訓練を受けると、かえって体を壊すかもしれないのよ
だから、念のためにね」
は~い、あなたは一体なのはに何をさせるつもりなんでしょうか?
凛は本来、こんな心配をするような性格じゃない。
少なくとも、人前でこんなことを言うなんてあり得ない。
にもかかわらずこんな頼みをしてくるということは、それだけきつい訓練をさせるつもりということに他ならない。
なのはぁ、がんばれぇ~~。
「体を壊すって、どんな訓練させるつもりなのさ」
「そうね。さしあたっては体作りが基本かしら。なのはは運動神経がアレだから、基礎は入念にやるつもりよ。
ある程度土台ができたら八極拳を教えて、レイジングハートは形状があんな感じだから槍術か棒術でも教えようかしら。
本格的な技の訓練は、それに耐えられるだけの体ができてからになるでしょうけどね」
何でも、凛の使う八極拳というのは槍術も得意らしい。
それに士郎は武器全般何でも使えるらしいから、対武器戦の練習相手には事欠かないそうだ。
OK、そこまではいい。
でもさ「耐えられるようになったら」って、本当にどんな訓練をさせるつもりなんだろう。
そんな僕の心配に対する凛の答えは……
「いい、ユーノ。人間……………………いつかは死ぬのよ」
はい!? え、何言ってるの?
「長生きすればいいってものじゃないわ。
人生ってどれだけ生きたかじゃなくて、その間に何を成したかだと思わない?」
ひ、人殺し~~~~!!!!!!
何とんでもないことをそんな優しい笑顔で言ってるんですか!?
それとその「ちょっと良いこと言った」みたいな満足気な表情は絶対間違ってるよ!!
「まあ、冗談はこれぐらいにして」
本当かなぁ……?
「いいから聞きなさい!
何事も中途半端が一番危ないの。
なのはのことを思うんだったら、これぐらいは必要よ」
と、凛は今までと違う真剣な表情で語った。
確かに、凛の言う通りだ。
初めから、僕たちはそのつもりでなのはに魔法と戦い方を教えるつもりだったんだ。
凛が課そうとしている訓練は多分凄く厳しくて苦しいけど、それは確実になのはを守る力になる。
だったらこれは、凛の言うとおり「必要なこと」なんだ。
不安も心配も変わらずにある。
だけど凛が鍛えるからには、なのはは必ず強くなって自分の身を守れるようになるはずだ。
その点においては心配していない。
だって凛は、やると言ったら絶対にそれをやり遂げる人だから。
まあ、いろいろとんでもないことをやる人ではある。
だけど、きっとなのははこの人に出会えてよかったのだろうと思う。
* * * * *
場所は変わって、今は港の近くを歩いている。
空は快晴。
海風が心地よく吹き抜け、夏の日と見間違うような明るい港。
これに文句をつけようものなら、それこそ罰が当たりそうなくらいの絶好のロケーション。
にもかかわらず、せっかくの素晴らしい環境に明らかにそぐわない異物がいる。
「…………なにしてるのさ、クロノ」
クロノがいるのは百歩譲って良しとしよう。
執務官というのはそんなに暇なのかと問いただしたくもあるが、この際だからそれは無視してやろう。
それに、普段からバリアジャケット姿でいるこいつが、仮にも私服でいるだけまだマシか。
不思議でならないのは、僕の知るクロノ・ハラオウンからすれば明らかに似合わないこの光景だ。
だらしなくも地面に胡坐をかいて座り、その横には缶コーヒーが置かれている。
しかも普段のあのキリっとした顔つきじゃない。どこかぼんやりした気の抜けた表情をしている。
規律にうるさいこいつにしては、実に珍しい状態だ。
まあ別に規律に反しているわけじゃないし、誰の迷惑にもならないから問題はないのだけど。
そして、その手にあるのは「竿」。どこからどう見ても「竿」。
ついでに、クロノの目の前には竿掛けもある。
これの意味するところは、つまり……
「僕がここで釣りをするのは、何かの法にでも抵触するのか?」
とまあ、そういうことになるんだよね。
クロノは不機嫌そうなむっつりした表情でこちらを見る。
だけどまあ、ここで「法」という単語が出てくるのはなんともクロノらしい。
「いや、別にそんなことはないけど……。
というか、できるの? 釣り」
「失敬だな、君は。
前はそれほど興味もなかったんだが、こんな仕事だからな。
任務中に立ち寄った場所で、息抜きに艦を降りることがある。
人が生きられる場所なら、大抵川なり海なりあるからよくこうして糸を垂らすんだ」
なるほど。試しにやってみたら悪くなかったので、何度もやっているうちに趣味なったのだろう。
意外と言えば意外だけど、そういうものなのかもしれない。
何でも、まだ当分は本局やミッドへの航路が安定しないので、クルーの息抜きを兼ねて交代で降りてきているらしい。
今回たまたまクロノが降りていて、そこに偶然僕は遭遇したようだ。
さすがにフェイト達を降ろすわけにはいかないようだけど、これはしょうがないだろう。
「ふーん、そういうものなんだ。
僕にとって釣りは生きる手段だったから、楽しいっていうのはよくわからないな」
「ああ、スクライアは遺跡発掘を生業にする流浪の一族だったな。
そうなってくると、食料を現地で調達することもあるか」
そういうこと。
子どもだからといって自分の食糧くらい自分で調達しろ、とよく言われたモノだ。
子どもの僕が動物を仕留めるのはなかなか難しいが、釣りならまだ何とかなる。
そのため、僕は釣りか山菜取りが主な仕事だったりした。
まあ、僕のそれはほとんど漁だったけど。
「その魚はどうするの?」
「もちろん食べるさ。
アースラに持って帰って、今晩のおかずにでもするつもりだよ」
なるほど。艦内生活が長いと、こうした新鮮な食材は貴重だろう。
クロノの釣りは、そのままアースラの食事事情に直結しているようだ。
これは責任重大だろう。
だが、僕の場合と違って必ず釣果を出さなければならないわけではない。
そのあたりは気楽だろうし、だからこそ趣味となりえるのだろう。
そこで、ふっと疑問に思ったことを聞いてみる。
「でも、釣りって楽しい?」
僕にとっては、釣れないのはまさに死活問題だ。
そのため、楽しいなんて感じる余裕はなかった。
だから、僕にはこれが楽しいかどうかよくわからない。
「他の人がどうかは知らないが、どちらかというと僕は釣り自体を楽しんでいるのとは少し違うかな。
こうして竿と糸で海の様子を見たり、流れる雲や波を見ているのが好きなんだ」
もちろん大物がかかれば嬉しいけどね、とクロノはぼんやりした顔で空を眺めながら語る。
話を聞いても、やっぱり僕にはよくわからないなぁ。
僕にとっては新しい遺跡を発見したり、読んだ事のない本を読んだりする方がよっぽど楽しいのだけど。
まあ、人それぞれということか。
しかし、それにしても……
「何か枯れてるね、クロノ。
本当に十四歳?」
「うるさいな! 別にいいだろ!!」
いやだって、どう考えても十代半ばの発言じゃないよ。
この反応からすると、多少なりとも気にしてたんだ。
そう言えば恭也さんも盆栽っていうのが趣味みたいだけど、枯れ具合はいい勝負な気がするなぁ。
この二人、年をとったらどうなるんだろう。
「まあ、そのうち機会があったら僕も参加させてもらおうかな。
一度そういう風に、純粋に楽しむために釣りをするってのも面白そうだしね」
今までそういう対象として見てこなかったけど、それはそれで楽しいかもしれない。
「ああ、いつでも来ると良い。
自慢じゃないが、これにはちょっと自信があるからね。
誰が来ようと返り討にしてやるさ」
何やら自信満々に語るクロノ。
ピシッ!
あ、今なんか亀裂が入った。
港だけに嵐の予感がする。
それと、別に僕は勝負をするつもりなんてないのになぁ。
何を一人で勝手に盛り上がってるんだろう。
それに生憎、今の僕は居候の身だ。
竿なんて上等なものは持っていない。
いつでもいいと言うが、それは随分先の話になるだろう。
まあ、それはそれとして……
「いいのかな? そんなこと言って。
口は災いのもとだよ、クロノ」
なんだかよくわからないけど、きっとクロノはそのうち碌でもない目にあうんじゃないかと思う。
「別に、何か妙なことを言ったわけじゃないだろう。
変なことを言わないでくれないか」
そうなんだけど、きっと何かが起こる。
そんな気がするのだから仕方がない。こういうのを虫の知らせというのだろうか?
ここにいて、こいつの仲間と思われるのはなんだか嫌なので場所を変えることにする。
だいたい、ここにいても特にすることもないしね。
僕にとっては特に興味のない事でも、クロノにとっては十分楽しめることのようだ。
とりあえず、クロノのささやかな平和が少しでも長続きするように祈ることにしよう。
* * * * *
なのはから聞いた、割りと評判のお店で昼食を取り散歩の続きをする。
こうして歩いていると、見知った場所だというのになんだか新鮮な感じがする。
いつもはなのはの肩とかから見ていた風景だが、自分の足で歩くと違って見えるから不思議だ。
だけど、歩いていて思う。
僕のこの世界での思い出は、そのほぼ全てがなのはと一緒だったんだ。
当然と言えば当然だし、何をいまさらと言ってしまえばそれまでのこと。
しかし、だからこそなのはに出会わなければ僕は一体どうなっていたのだろうか、と考えてしまう。
遅かれ早かれ凛たちが異常に気付いて動きだしただろうし、管理局だって介入してきたはずだ。
だから、別に僕たちが出会わなくてもそう悪いことにはならなかったかもしれない。
まあその場合、僕はあまり望ましくない状況に陥っていた可能性は高そうだけど。
でも、なのははごく普通の生活をおくれていただろう。
これだけは間違いない。
そういう意味で言えば、僕はなのはの人生を歪めてしまったんじゃないだろうか?
なのはに直接言えばきっと怒るだろうし、そんなことはないと否定してくれると思う。
だけど、これは一面の事実だ。
僕はなのはに出会えてよかったと思う。
なのはも僕に出会えてよかったと言ってくれる。
だけどそれは本当に、お互いに取って「よかったこと」なんだろうか。
今更考えてもしょうがないんだろうけど、いつか僕は責任を取らないといけないのかもしれない。
なのはをこんな世界に引き込んでしまった責任を……。
そうして歩いているうちに見えてきたのは、なのはの親友の一人アリサの家だ。
前にも一度来たことがあったけど、改めて見るととんでもない大きさだ。
あの時はアルフのことがあったからそれどころじゃなかったけど、落ち着いて見るとその大きさに圧倒される。
すずかの家だっていい勝負だから、なのはの友達は色々とすさまじい。
まあアリサの家と違って、すずかの家だけは二度と行きたくないけどね。
あそこには、苦い苦い思い出がある。
そりゃあ子猫なんてそんなものだろうし、僕だって別に猫は嫌いじゃなかった。
だけどあそこまで見事におもちゃにされちゃうと、やっぱり猫への苦手意識は如何ともし難い。
街中で猫を見かけると反射的に身構えてしまう。
これはさすがに意識しすぎだと思ってはいるが、体が反応してしまうのだからどうしようもない。
リニスはあんまり性格が猫っぽくないから、まだいいんだけどね。
って、あれ?
あそこにいるのは、アリサだよね。
別にここはアリサの家なのだから、彼女がいてもおかしなことは何もない。
だけど一体何をやっているんだろうか、あれは。
「はぁ! てや! そりゃぁ!!」
庭から聞こえてくるのは、ヤケに気合いの入った声。
アリサのいるのは庭の中央。ここまでかなりあるのに聞こえるってことは、かなり大きな声だ。
良く見ると、アリサは黒いスパッツと道着っていうのかな? そういう感じの白い服を着て帯を締めている。
「その調子ですぞ、お嬢様!
ですが、もっと重心を落として地を這うように!!
そうでなければ、あの遠坂さんを掴むことはできませんぞ」
なんか、執事の鮫島さんもいい感じで盛り上がっている。
というか、凛を掴むって一体どういうこと?
防具のようなものをつけた鮫島さん相手に、どっしりと腰を落とした前傾姿勢でタックルをかますアリサ。
その様は、素人目に見ても相当な練習を積んでいることがうかがえる。
良くわかんないけど頑張ってるなぁ。
あ、そう言えば以前なのはが言ってたっけ。
なんでも、アリサは事あるごとに凛をライバル視しているんだとか。
勉強やスポーツは当たり前。
以前は手を付けていなかった家事も、凛への対抗心からやり始めたらしい。
あの二人は仲のいい友人であり、同時にライバルでもあるんだったっけ。
基本的には凛の勝ち越しらしいけど。
ということは、もしかしてあれもその一つなのだろうか。
さすがに、あれが家事の練習だと言うほど僕もボケてはいない。
多分、凛と格闘戦でもするつもりなんだろう。
アリサの様子だと、おそらく相手を捕まえてからの投げや関節技が主体なんじゃないかと思う。
凛の八極拳ていうのは打撃系が主体らしいけど、それに対抗するための組技なのかな?
それにしても、技の一つ一つがなんか派手だなぁ。
あ、頭にとび蹴りをしたと思ったら両足を掴んで回し始めた。
でもってそのまま投げた!? うわぁ、あれは痛そう。
でも、アリサの小さい体で何であんなことができるんだろう。
明らかにパワーが足りないはずなのに、そんな様子はまるでない。
あ、今度は背中に回り込んだ。
腋の下に頭を入れて、両腕を胴に回し、その腕をがっちり掴んで持ち上げた!?
そのまま後ろに向かって反り返るようにして倒れ込むアリサ。
う~ん、今度のは頭とか首とかに効きそうな技だ。
だけど、ああいうのって実戦とかだとどうなんだろう。
凛は実戦を目的にしているけど、アリサのアレは派手な分隙が多そうに見える。
凛はそのあたりの隙を見逃さないと思うんだけどなぁ。
これは、アリサの方が分が悪いかな。
一頻り汗を流したところで、アリサは一度休憩を入れている。
アリサはこっちの僕を知らない。アリサの知るユーノは、あくまでちょっと変わったフェレットでしかないのだ
さすがに無断で入るわけにもいかない僕は、こうして門の前で様子を見ている。
ちなみに、ギャラリーは僕の周りにざっと数えて十人はいる。
だから、とりあえず僕がここにいることをとがめる人間はいない。
「はぁ、はぁ。
……ふっ………ふっふっふ。見てなさいよ凛!
この脳天直下バックドロップで、必ずスリーカウントを取って見せるわ!!」
言ってることはよくわからないけど、なんか凄い気合が入ってるなぁ。
握り拳を天に向かって突き出すアリサ。いや、似合ってるんだけどね。
とりあえず疑問は解けた。
これは近々、凛とアリサの決戦が行われるかもしれない。
僕の予想だとまだまだ凛が優位だと思うけど、アリサの言うバックドロップっていうのが決まれば、もしかしたら……。
余談だがこの三日後、凛に勝負を挑んだアリサは見事に返り討にあう。
決めては凛の崩拳。凛が「同じ手に二度もかかってたまるかぁ!!」と叫びながら放ったものだ。
凛はアリサの動きをまるで知っているかのように先読みし、見事にそのボディをとらえた。
だけど、初見のはずなのに「二度」ってどういうことだろう?
それにアリサは凛の戦い方にはショウマンシップが足りないとか言っていたけど、なにそれ?
ちなみに場所は学校…………ではなく、アリサの家の特設リングの上だった。
* * * * *
う~ん、なんだかすごいモノを見てしまった。
これは凛に言うべきか、それとも言わないべきか。
何となく歩いているうちにたどり着いたのは、なのはが二つ目のジュエルシードを封じた神社。
やっぱり、どうしても足が向く先はなのはと行ったことのある場所が多くなる。
だけど、ここにきて違和感を覚える。
なんだろう。
ここがどうこうってわけじゃないんだけど、なんだか妙な感覚がする。
それに僕はこれに似た感覚を知っている。
これは確か、凛の張る結界に似た感じだ。
魔法によるモノとは明らかに質が違う以上、これが魔術によるモノなのは間違いない。
でも、そのレベルは凛のそれと異なる。
凛の結界はよほど入念に探らないとまず気付けないけど、これは特に意識していなくても簡単にわかる。
凛が言うには、一流の結界はそれがあると気付くのは相当に困難らしい。
その観点から言えば、これは明らかに二流とか三流とか呼ばれるものなのだろう。
結界の中にいるわけでもないのにわかってしまうところからして、凛がいたら落第点をつけそうなくらいだ。
ちょっと気になるし、特に今後の予定もないので結界のある方に向かってみる。
「えっと、多分こっちの方だと思うんだけど」
なんでこんなものがあるかはわからない。
本来なら、ある程度警戒すべきだろう。
だけど、この結界を張っている人物には心当たりがある。
というか、この街で魔術を使える人は僕の知る限り二人しかいない。
その二人が言うには、他の魔術師の居所は知らないそうだ。
ならば、この結界を張ったのはそのどちらかしかいないことになる。
そして、その片方はこんなわかりやすい結界を張るような雑なことはしない。
だから当然、残った一人がこの結界を張った人物になる。
彼の魔術の腕前はあまり知らないけど、レベルはそれほど高くないと聞いている。
その情報とも矛盾しないし、この結界を張ったのは彼で間違いないと思う。
とはいえ、それなりの範囲になるので見つけるのはちょっと手間だ。
ついさっき結界の境界を超えたから、このあたりにいるはずなんだけどなぁ。
それにさっきから定期的に風切り音がする。
何をしているか知らないけど、この音のする方向に彼がいるはずだ。
慣れない足場に少し戸惑いながら歩いていると、少し開けた場所に出た。
「あ!? いたいた」
少し苦労したけど、そこで目当ての人物を発見する。
僕の予想は当たり、やっぱり士郎だった。
「おーい、しろ……」
声をかけようと思ったのだけど、場の空気に飲まれて声が出なくなる。
場を包むのは、張り詰めるほどの緊張感。
息遣いの音さえも響いてしまいそうなくらいに、当たりは静まり返っている。
鳥のさえずりも木々のざわめきすらない。
だけど、決して嫌な感じはしない。
どちらかというと、心地良ささえ感じるくらいだ。
そんな、いい意味での緊張感がこの場には満ちている。
それを壊してしまうのは忍びないし、何より目の前の光景に圧倒される。
そこにいるのは、弓に矢を番えた士郎。
戦闘時に纏っている赤い外套は、今日は身に付けていない。
だけど、こちらに向けられている背中はとても力強く見える。
威風堂々、そんな言葉がしっくりくる。
引き絞られた弦から矢が放たれる。
その行く先は僕には追えないけど、何となくそれは士郎の狙った的の中心を射抜いたのだと感じる。
理由はわからない。だけど、そう感じさせる何かが士郎にはあった。
士郎は構えていた弓を下げ、こちらを向く。
どうやら僕が来ていたことに気付いていたみたいだ。
「どうしたんだユーノ。こんなところで」
士郎は世間話でもするような砕けた様子だ。
これが、さっきまであの雰囲気を作っていた人物とは思えない。
僕はしばし呆然としていたけど、何とか自分を立て直して士郎の問いに答える。
「えっと、なんか結界みたいなものがあったから気になって様子を見に来たんだけど……」
僕の答えに士郎は「不味い!」と言いたげな顔をする。
「げ!? もしかして、バレバレだったか?」
「ああ、その…………うん」
士郎の質問に頷く僕。
すると士郎は、隠しきれないほど動揺している。
これが、あの力強い背中をしていた人と本当に同一人物なのだろうか?
もしかして僕は何か錯覚でもしていたんじゃないかと心配になる。
「……むぅ、ヤバいな。頼む、ユーノ。このことは凛には秘密にしておいてくれ。
そんなバレバレだったと知られたら、あとでどんな目にあうか……」
手を合わせて頭を下げる士郎。
ああ、確かに凛に知られたら大変なことになりそうだよね。
魔術は隠すのが得意分野でもあるのに、それがあんなバレバレだったらきっと叱られるんだろう。
もちろん告げ口するつもりはないが、それでもちょっと可哀想なのでフォローすることにする。
「安心して、別に凛には何も言わないから。
それに、えっと、大丈夫だと思うよ。たぶん普通の人は気付かないだろうしさ」
とはいえ、あまり効果はないみたい。
実際僕には簡単に見つかってしまったのだから、説得力はないのかも。
う~ん、このままだとちょっとまずいかな。
ちょうどいいし、話題を変えてみよう。
「そう言えば士郎。
さっきの矢を射るのすごかったよね。
士郎がそういうのが得意っていうのは知っていたけど、なんか威厳みたいなものがあったよ!
でも、こんなところで弓の練習?」
ちょっと強引な気もするけど、場の空気を変えるためだからしょうがない。
それにこれは本当にそう思ったのだ。
以前クロノと戦った時に士郎が矢を射るのは見ていたけど、あの時とは状況が違う。
あの時は戦闘時特有の緊張感があって士郎の凄さがよくわからなかったけど、こうして落ち着いて見るとその凄さが際立つ。
海上でも数キロ先から正確な狙撃をしていたし、士郎の腕前はもう達人とかそういう域なんだと思う。
少なくとも士郎の矢には誘導性能なんてない以上、あの精度は純粋に士郎の技量によるものだ。
これがどれだけとんでもないことかは、素人の僕にでもわかる。
改めて矢の飛んだ方を見ると、いくらか離れたところにある樹の幹に矢が刺さっている。
だけどよく見ると、それと一緒にとんでもないモノを射抜いている。
矢は確かに木の幹を捕らえているけど、一緒に葉っぱも貫いている。
もしかして、落ちてきた葉を射抜いたのだろうか。
舞い落ちる葉は不規則な動きをする。
それを正確に射抜くのには、一体どれだけの技量が必要なのか想像もつかない。
それも矢が起こす風圧でも葉は動いてしまうのだから、より一層難しいはずだ。
あれ? でもさっきから何度も矢を射ていたはずなのに、周囲にある矢はあれ一本だけだ。
何度か風切り音がしていた以上、その回数分だけ矢を射ていたはずだ。
なのに、何であれ一本しか見当たらないのだろう?
そんな僕の疑問を知ってか知らずか、士郎は気のない返事をする。
「ん? ああ、このあたりには弓を射れる場所もないからさ、こうでもしないとできないんだ。
たまにやらないと、感覚がズレるかもしれないしさ。
だけど、別にそんな大層なものじゃないと思うけどな」
アレだけのことをやっておいて「大層なものじゃない」はないと思うんだけど……。
だけど士郎はその言葉の通り、あまり嬉しそうには見えない。
普通簡単だろうと難しかろうと、ああして的に中るのは少しは嬉しいはずだ。
なのに、士郎にはそれがない。
まるであの結果はなるべくしてなったという感じで、はじめからそうなるとわかっていたみたいな印象を受ける。
初めからそうなるとわかっていれば、それはまあ嬉しいとは感じないのかもしれない。
だってそれは予想や予測じゃなく、あらかじめ決まっていたことが決まっていたとおりになったということだ。
そこに一切の不確定要素がないのなら「外れる」という可能性もない。
それなら確かに、嬉しいなんて感情が沸かないのかも。
だけど、はじめから結果がわかっているなんて、そんなことが本当にあるのだろうか?
まあ、それはひとまず置いておこう。
もしかしたら僕の勘違いかもしれないし、士郎があまりそういう感情を表に出さないだけかもしれない。
所詮は僕の勝手な憶測だ。
とはいえ、やはりあれが凄いことには変わらないと思うわけで……
「でも、やっぱり士郎は凄いと思うんだけどなぁ。
何かコツとか、そういうのがあったりするの?」
弓と魔法の違いはあるけど、それでも何かを「狙う」という点ではなのはの砲撃や射撃系の魔法と共通するところがある。
もしかしたら、なのはにとっても何かの参考になるようなことが聞けるかもしれない。
「いや。特にそんなものはないと思うけどな。
強いて言うなら、矢が中るところを想像して、その通りに指を離しているだけだぞ」
「え? それだけなの?」
士郎はただ首肯で返すだけ。
嘘を言っている風には見えないし、士郎にはそもそも嘘をつく理由なんてない。
でも、本当にそんなことしかしていないのだろうか?
中るところを想像するなんて、それこそ誰でもすることのはずだ。
だけど、その想像の通りになることなんてまずない。
それができればだれも苦労しないのだから。
「そう言えば、昔の友人が言っていたっけな。
俺の射はもう技術云々なんて関係のない、武道で言う無の境地なんだとか……」
士郎は思案するような様子でそんなことを言う。
「無の境地?」
「ああ。大雑把に言うとだな、自己を透明にし、目的に至ろうとする執着や願いを削ぎ落とし、ただ結果だけを求めるってことだ。そのために自己を「無」にして、自然と一体化すること指す。
アイツが言うには、それさえできればどんなに下手な奴でも中るんだそうだ」
つまり、本人はあまり意識していないみたいだけど、士郎はその境地というのに至ってるってことなんだろう。
武道とかには疎い僕には、いまいちピンと来ない。
「なんでも、俺は無欲だから透けやすいんだってさ」
士郎は肩をすくめるようにして話す。
ああ、それはなんとなくわかる。
士郎は、僕から見ても欲ってものがない。
そんな士郎だからこそこんなすごいことができるのであり、だからこそ本人の自覚が薄いのだろう。
でも、これだとなのはにはあまり参考にはならないかもしれない。
これはつまり、士郎の心の在り方が一番の理由なんだろう。
それも本人は全く自覚していない。
これじゃアドバイスのしようがないじゃないか。
だけど逆に言えば、士郎と同じかよく似た心の在り方に至れば、同じようなことができるということだ。
まあ、本当にそうなのかはわからない。
僕は他に士郎みたいなことができる人を知らないのだから。
これでは確かめようがない。
「だからさ、アイツの言うことが正しいって前提で言えば、俺と同じことができるようになるのはそう難しいことじゃない」
と、突然士郎が妙なことを言う。
一体何を言っているんだろう?
「それって、どういうこと?」
「簡単だ。もし仮に俺が無の境地に至っているのなら、他の人もそこに至ればそれができるってことになる。
無の境地とやらに至る妨げとなるのは、自分自身だ。なら、それを捨ててしまえばいい。
ただ目的を達するための道具となり、自身を空にする。
そうすれば、誰だって同じことができるはずだ」
そう語る士郎の眼に宿る光は、今まで見たこともない位に冷たく、何よりどうしようもないほどに空虚だ。
そうとしか言いようがない。
そして、僕はそんな士郎の眼が、例えようもないほどに怖いと感じた。
「それ、は……」
何かを言わなければいけない。
なのに、何を言っていいのか分からない。
そんな僕に、士郎は肩をすくめて微笑みかける。
その微笑みには、さっきまでの雰囲気や瞳が嘘のような優しさがあった。
「なんてな。そんなのはあり得ないし、不可能だ。
俺の言う状態は、目的に向かおうとする自意識すら捨てることを意味する。
それは自分のない、ただ生きているだけの存在になるってことだ。
確固たる自意識がなければ、目的に向かうこともできやしない。
仮に両立できたとしても、そんなことを続けてたらいつか必ず壊れちまうんだからさ」
そんな士郎の様子に少しほっとする。
さっきのは、何かの勘違いなんだろう。
一瞬そんな気がしたけど、たぶん気のせいだ。
「まあ、なんだ。俺のマネってのはやめておいた方がいいだろう。
俺のアレは魔術の瞑想に近い。あれって結構人それぞれでやり方が変わってくるんだ。
だから、なのははなのはなりのやり方でやった方がいいと思うぞ」
あ、僕の考えていたことなんてお見通しだったんだ。
でも瞑想か。言われてみれば、確かに士郎の弓を射る姿勢にはそんな印象があった。
集中の仕方は人によって違うだろうし、なのはは自分でしっくりくる方法でやればいいのかな。
「そういうことだと思うぞ。一つ言えるのは、できる限り余計なことは頭から締め出した方がいいってことだ。
意識を向けるのは的だけ。
中てようとか、中った後どうするかとかも全部なし。はずした時のことなんて論外だ。
雑念が消えて思考がクリアになれば、自ずと結果はついてくるはずだよ」
「言うのは簡単だけど、それって相当難しいんじゃないの?」
士郎からすればそれが当たり前なんだろうけど、それができれば苦労はないよ。
士郎は自分には才能がないと言う。
だけど、そういう風に自分をコントロールできるのって一種の才能じゃないかな。
「そうなんだろうな。とはいえ、これは言葉で説明できるもんじゃない。
なのはが自分で見つけるしかないさ」
それって、ある意味丸投げしてない?
そんな僕の不満を察したらしく、士郎はバツが悪そうにしている。
「わかったわかった。じゃあ一つだけアドバイス。
さっきは捨てればいいって言ったけどな、それは止めた方がいい。
弱さを捨てれば残るのは強さだけだ。だけど、それはむき出しの強さだ。余分なモノがないからこそ脆い。
はじめから壊れているのなら別だけど、そうでないのなら何かの拍子に簡単に折れるかもしれない」
言っていることは、なんとなくわかる。
強さしかないってことは、逆に言うとそれを支える何かも無いってこと。
だからこそ、ちょっとした拍子で壊れてしまう。
士郎の言いたいことはそういうことなのだろう。
でも、だとすると……
「はじめから壊れていたら別っていうけど、なんで?」
「そりゃ簡単だ。もう壊れているんだから、今更壊れるものなんてあるはずないだろ」
あ、そうか。すでに壊れているんだから、これ以上壊れようがないのか。
だけど、壊れていたら強さも何もないと思うんだけどなぁ。
それに、士郎の言う「壊れている」っていう状態もやっぱり良くわからない。
そこでふっと思いついた疑問が漏れる。
「だけどさ、そうなったらもう直らないのかな?」
一度壊れてしまったのなら直せばいい。
元と同じ状態にはならないかもしれないけど、限りなくそれに近づけることはできるはずだから。
士郎は一瞬目を見張り、そして優しそうに微笑む。
「そうだな。難しいだろうし、どれだけ時間をかけても完全に元通りにはならないかもしれない。
だけどもしかすると、それができる人の手にかかれば直るかもな」
その声は今までに聞いたことがない位に優しくて、どこか嬉しそうだった。
まるで、士郎自身がそうであるかのように。
士郎はここで練習を終え、結界を解いてから帰って行った。
今夜は士郎の料理当番らしい。
買い物もしなきゃならないので、早めに帰って準備を始めるのだそうだ。
* * * * *
ああ、日もだいぶ傾いてきた。
そろそろなのはも帰ってくる頃だろう。
帰ってきた時に僕がいないと美由紀さんが慌てるだろうし、なのはたちよりも早く帰っておかないと色々不味い。
帰るころになったらなのはから念話を貰う手はずになっているけど、それでも念のため少し早めに帰るのが望ましい。
だけどその前に、一度翠屋に寄って様子を見ていくことにする。
高町家に帰るのはそれからでも大丈夫だろう。
そうして翠屋の近くまで来ると、そこで見知った二人を発見する。
一人は緑色の長い髪をした大人の女性、もう一人は栗色の短めの髪をした美由紀さんぐらいの年の女性。
後者はともかく、前者は髪の色だけでもかなり目立つ。それも二人揃ってすごい美人だ。
周りの人たちもしげしげと見ている。
で、この人たちは僕の知り合いでもあるわけで……
「あ、ユーノ君。やっほー!」
軽い調子で声をかけてくれるのは、茶色の髪をした女性、エイミィさん。
「あら、どうしたのこんなところで。
今日はなのはさんと一緒じゃないの?」
そう聞いてくるのは緑の髪をした女性、リンディ艦長。
どうやら翠屋から出てきたところのようだ。
二人の両手には、翠屋のロゴが入った大きな紙袋が下げられている。
「あ、どうもこんにちは。
なのはは今日はお姉さんと買い物に行っていて、僕はちょっと散歩を」
とりあえずあいさつをし、簡単に概要を説明する。
で、今度は僕が質問する番だ。
「さっきクロノに会いましたけど、もしかしてお二人もですか?」
たぶん、この人たちもクロノ同様に息抜きに艦を降りているのだろう。
しかし、上層部が揃いも揃って降りてしまっていて大丈夫なのだろうか?
今は非常時というわけではないからいいのかもしれないが、それにしたってどうだろう。
「ええ、そうよ。それにしても、あの子はまた釣りをしているのね」
「いやぁ、クロノ君も好きだねぇ。
暇さえあれば竿の手入れをしてるし、これは今日の夕食は期待できそうですなぁ」
クロノの行動パターンは、どうやら相当単調らしい。
詳しい内容を言っていないにもかかわらず、二人は見事にクロノの余暇の過ごし方を当てている。
さすがは母親と相棒、というべきなのだろうか。
「あはは、それなりに大漁みたいでしたよ。まあ、サバが八割でしたけど。
ところで、その袋は……」
まあ大体の予想は着く。
特にリンディさんは大の甘党だ。
でもまさか、これ全部一人で食べるつもりじゃないよね。
「ああ、これね。これはみんなへの差し入れ。
私たちはもう翠屋でたっぷり堪能させてもらったからさ、みんなにもこの幸せをお裾分けしないとね」
ああ、なるほど。そういうことですか。
だよねぇ。いくらリンディさんが血糖値が気になるくらいの甘党だからって、これ全部ってことはないか。
「それに、フェイトさんたちもこちらのお菓子は好きみたいだから。
あの子たちは降ろすわけにはいかないけど、それでもこれくらいは、ね」
何でも、士郎がスパイとして活動していた時翠屋のお菓子を持って行ったことがあるらしく、それ以来お気に入りなんだとか。
本来ならあの二人に差し入れをするのはちょっと問題があるのかもしれないけど、そのあたりはまあ臨機応変ということらしい。
やはりこの二人は、いい意味での柔軟思考を持っているんだなぁ。
クロノがちょっと固い位だから、ちょうどバランスが取れているんだろう。
まあその分、クロノが苦労してそうだけど。
「というわけで、はいこれ! 幸せのお裾分け」
そう言ってエイミィさんが差し出すのは、翠屋特製のシュークリーム。
「え? でも、これはアースラのみなさんの分じゃ……」
「まあ、そうなんだけどさ。まだまだたくさんあるし、一つぐらいなら問題ないのですよ。
ですよね。かんちょ……じゃなくて、リンディさん」
この場で「艦長」はちょっとまずいと思ったらしく、言いなおすエイミィさん。
まあ、普通に考えてこの人相手にそんな物々しい呼び方はあまり似合わない。
特にこの世界、というかこの街だとその呼び方はちょっと浮く。
だから、当然と言えば当然の配慮なんだろう。
だけど、いいんだろうか?
そりゃあ、あれだけあるんだから一つぐらい減っても大丈夫かもしれないけど……。
桃子さんのシュークリームはおいしいから僕も好きだけど、やっぱり悪いんじゃないかな。
「そうね。桃子さんたちがサービスしてくれたし、大丈夫でしょう。
それに、せっかくだから貰ってくれた方が嬉しいわ」
そういう事なら、貰わない方が失礼かな。
せっかくくれると言ってくれているんだし、ここはご好意に甘えた方がいいか。
「えっと、それじゃいただきます」
「はい」「うむうむ、それでよし」
何やら嬉しそうなリンディさんと満足そうなエイミィさん。
「そんじゃまあ、私たちはこれで。バイバイ!」
「なのはさんたちに会ったら、よろしく言っておいてくれるかしら」
「あ、はい。さようなら。
シュークリームありがとうございます」
お礼を言って頭を下げる。
二人連れ立って歩く姿は、どこか姉妹のように見えなくもない。
リンディさんの年齢を考えると、親子に見えるのが普通のはずなんだけど、そうは全然見えないから不思議だ。
う~ん。それにしても、なんだか今日は思いもよらない場所で、思いもよらない人に会う日だった。
さすがにこんなことはそう滅多にあることじゃないだろうけど、今日は散歩に出てよかったかもしれない。
さて、いい加減戻らないとなのはたちが帰ってくる。
士郎の言うとおり、たまにはこうして一人で歩くのも悪くない。
だけど、なのはがいないことに一抹の寂しさを感じてしまうのだから、ちょっとまずいかなぁとも思う。
別にそこまで長い時間を共有していたわけじゃないんだけど、隣になのはがいるのが当たり前になってしまっている。
今からこの調子だと、別れの時には泣いてしまうかもしれない。
それはさすがに恥ずかしい。
できれば、なのはや他の人がいる前ではそれは避けたいんだけどなぁ。
まあ、とにかく。いましばらくは一緒にいられるわけだし、その時間を大切にしよう。
そんな、至極当たり前で大切なことを思った一日だった。
あとがき
さて、悩みに悩んだ結果、とりあえずユーノ視点の小ネタ集っぽくしてみました外伝その3です。
この話の九割は、行き当たりばったりの思いつきで出来ています。
後悔や反省は全くしていません。ええ、全く!!
まずクロノのアレは、hollowのランサーの役に当て嵌めてみました。
一応、あと二回ぐらいやりたいと思っています。その度に人が増えるのは当たり前。
アーチャーの役は当然士郎。
ギルの役も考えてはいるので、それを出すまではやってみたいですねぇ。
後遠坂凛による高町なのは改造計画は、着々と進行しています。
少なくとも原作以上にタフになるのは間違いないかと。
戦闘機人とも違う改造人間になりそうで怖いですね。
ついでに言うと、士郎はすでに改造済みですよ。
それと、アリサのアレはルヴィアゼリッタ嬢の役どころです。
凛としては苦い思い出でしょう。
いや、アリサには似合うと思いますよ。
そのうち「淑女のフォークリフト」を襲名できたらいいなぁ。
とりあえず一番の難関はクリアしたので、これで一段落つきました。
今回は思いつくまま書いたようなモノなので早かったですが、次回はだいぶ空くはずです。
では、次回がちゃんと出せるよう待っていてください。それでは。