interrude
SIDE-???
私は、待ち続ける。
いつか、誰かがこの庭園にやってくるのを。
私では主も、その娘でありわが子も同然の教え子を救うこともできなかった。
いや、そもそもあの子を救うだけなら出来たかもしれなかったのに、私にはそれを選ぶことができなかった。
どちらかを助ければ、もう片方がひどく悲しい末路を迎えることになるのがわかっていたから、私には答えを出すことができなかった。
両方を助けるには、私に残された時間は少なすぎたのだ。
私にできたのは、悪あがきをする時間を捻出し、限りなくゼロに近い可能性に賭けることだけ。
私は…卑怯だ。
私にできなかったことを、見ず知らずの誰かに任せようというのだから。
でも、私に残された時間では、もうこうするしかなかった。
だから私は待ち続ける。
私に勇気がないばかりに出せなかった答えを出してくれる、誰かが来るのを待っている。
この冷たく、誰も知らず、誰も訪れることのない棺の中で…。
interrude out
第11話「山猫」
SIDE-凛
「で、どういうことなのか説明してくれるんでしょうね?」
いま私の目の前には、当分は家に帰って来ないはずだった弟子兼家族兼恋人の衛宮士郎が座っている。
場所は私たちの家。万が一を考えて帰って来ない手はずだったのに、わざわざ帰ってきたからにはそれなりの理由があるはず。
「昨日のジュエルシードの暴走のことだ」
やはりその話か。
昨日街中で暴走したジュエルシードを、こいつは宝具だけでなく「壊れた幻想」まで使って破壊した。
あれをそのまま放置しては大きな被害は出ただろうが、あれはやり過ぎだ。
だが、そのやり過ぎをやるほどの何かがあったはずだ。こいつが話そうとしているのは、そのことなのだろう。
「それで、何であんなことしたの? いくらなんでも宝具なんて使ったら、変に警戒させるかもしれないことくらいわかってたはずよ。それでも使ったからには、納得できる理由があるんでしょうね」
士郎は神妙な顔で俯いている。
こいつがこれほどに思いつめるほどの何かに気づいたのだろうか。
「結論から言うと、俺たちはジュエルシードのことを勘違いしていたかもしれないんだ」
「勘違い?」
いきなり奇妙なことを言ってくる。勘違いとはあの暴走のことだろうか。
だが、あれはある意味当然の結果だ。大量の魔力を内包し、魔力に反応するジュエルシードが濃密な魔力にあてられて暴走するのは必然ではないのか。
「ああ。俺たちはあれのことを、妙な願いの叶え方しかしない歪な願望器だと思っていたんだけど、それは間違っていた。あれが願いを叶えるのはカモフラージュでしかなくて、本当の狙いは根源の渦に至ることかもしれない」
なんて、とんでもないことを言ってくれる。
「な……根源って、それ本当なの!? それにカモフラージュって、どういうことよ!」
そうだ、根源は全ての魔術師の目指す、最終到達点でもある。ジュエルシードがそれに至るためのものとは、どういうことなのか。
士郎の言うことを要約するとこうなる。
ジュエルシードは根源に至るためのものであり、願いをかなえるのはカモフラージュで通過点にすぎない。
あえて曲解や拡大解釈をすることで使用者の望みとずれた叶え方をし、より強く願うように仕向けている。
それは、ジュエルシードが外部からの働きかけによって力を解放する仕組みになっているためだ。正しいかなえ方をするのではなく、間違ったかなえ方をすることで、正しくかなえさせようとより力を解放するように誘導している。
そうして限界まで力を開放し、その魔力で空間の歪みを作る。最終的には、その歪みが根源への道を通すだろう。
そうすることで、至る直前まで別の目的で事を起こしていると、世界に誤認させて抑止力を防ごうとするのが狙いのようだ。
さすがに一つくらいでは無理だが、最低でいくつ必要なのかまでは分からないけれど、複数個を用いれば十分可能だろう。
もしまともに願いをかなえようとするなら、それは根源に至るという願いでしか無理だろう。しかし、その願いではカモフラージュの意味がなくなってしまうので、本末転倒になる。
理想は、強い願いをもつ誰かに持たせ、自分は黒幕に徹することだ。つまり、根源への道が通ったところで漁夫の利を得るのが、本来の用法だと思われる。
ただしその方法でも、大規模の空間の歪みを作ってしまうので、結局抑止が動く可能性がある。
確かに、道は通るかもしれないだろうがやり方が乱雑過ぎる。限り無く力技に近い。
これでは潰してくださいと言っているようなものだ。
最後に「これを作った奴は、おそらく神域の天才だ。しかし、どうして神域の天才なんていう連中は、どいつもこいつもこうやり方が悪辣なんだ」という、士郎の愚痴とも取れる感想で締めくくられた。
おそらくは、聖杯のことを思い出しているんだろう。
ギルガメッシュもそんなことを言っていたし、英霊を生贄のように捧げるなんてことをするわけだから、あれも相当に悪辣だった。
なるほど、そういう意味で言えば士郎の言うことはもっともだ。
「それなら、今までの妙な願いのかなえ方にも納得がいくわね。
もしそれが真実なら、確かに有望ではあるわ。実際に届く直前までは悟られないだろうから、かなり高い確率で抑止力の発動を防げる可能性がある。なにせ使っている本人にそんな気がないんだもの、気付くも何もないわ。
だけど、そんな荒っぽい方法でそのレベルの歪みを作れば、根源に至ることじゃなくて、そっちに反応して世界が潰しにかかるかもしれない。
そうであるなら、昨日のアンタの判断は正解よ。下手したら、この街が地図から消えてたかもしれない」
ただの抑止力で済めばいいが、最悪の場合、守護者が動く可能性もある。そうなれば、その場には何も残らない。
あれは滅びと無関係に過ごす者たちを救うために、滅びの要因となる者たちを殲滅する。
善悪も何も無関係に、だ。
呼び出された土地にいる全ての人間を殺すことで、人間全体を救う以上、海鳴が消えていたかもしれない。
「ああ。仮説でしかないけど、その可能性があるだけで十分すぎるほどに危険だ。
フェイトの母親とやらがこのことを知っているかはわからないが、警告するべきだな。
明日にでもフェイトが一度戻って報告するらしいから、それに同行して伝えようと思う」
使った後に、なにも残らないのではあまりに不毛だ。いくらなんでもそんなことを望むとは思えない。
目的をはじめ、わからないことだらけの相手ではあるが、警告だけはしておくべきだ。
もしかしたら、この一件から手を引くかもしれない。
「うん、お願い。
もし信用しなかった場合を考えて、この宝石を持って行きなさい。これなら目印くらいにはなるから。いざとなったら、ユーノと協力して突入することになるとしても、位置の特定は必要だし。
あと、内部の構造もしっかり把握してきなさい。土壇場で道に迷ったらシャレにならないから」
考えていたのとは段違いの危険度を持つことが判明した以上、手抜きはできない。
最悪の場合には、巻き添えを食って何もかも消え去る。何としてもそれだけは防がないと。
士郎が出ていくのを見送ってから、ソファーに座りユーノから聞いたことを反芻する。
「ロストロギアは、滅んだ世界の遺産って話だったっけ。もしかしたら、ジュエルシードを作った世界が滅んだのは抑止力が動いたせいかもね。他の世界の中にも、それが原因で滅んだ世界があってもおかしくないか」
まさかこんな大事になるとは思ってもみなかった。聖杯戦争の時といい、世界の存亡なんて柄じゃないのにな。
それでも、私のいる世界を壊されちゃたまらないんだから、何としても防がないといけないんだけどね。
士郎の言うとおり、厄介事の呪いも身につけたかもしれないわね、これは。
とにかく今は、士郎が向こうの黒幕と接触してその結果次第ね。
場合によっては、なりふり構っていられなくなる。
覚悟だけは決めておくことにしよう。
SIDE-士郎
いま俺は、フェイトのマンションの屋上にいる。もちろんフェイトやアルフも一緒だ。
フェイトの手には、この前持ってきたのと同じ翠屋のお菓子がある。前回のお茶会で食べたのが、いたく気に入ったようだ。
母親へのお土産として持っていくために、俺が頼まれて買ってきたものだ。
「こんなもの食べるかね?」
アルフがいぶかしむように言っている。以前から思っていたが、アルフはあまりフェイトの母親に言い感情を持っていないようだ。
「気持ちだから」
フェイトは囁くようにそう返す。
その声からは確かに愛情が感じられ、二人の同一人物への感情の違いから、どうもその母親のことがわからない。
アルフは嫌い、フェイトは愛情を持って接する相手。親子なのだから当然だが、ならばなぜアルフはその人物を嫌うのだろう。
主が好きだから、なんて理由で相手を好きになる必要はない。しかし、こうもあからさまに嫌うのならば、それ相応の理由があるはずだ。
俺自身、あまりフェイトの母親とやらにはいい印象を持っていないが、アルフのこの様子がそれに拍車をかける。
「さて、行くか。ジュエルシードを壊したのは俺なんだから、ちゃんと謝らないとな。
フェイトが責を追うことじゃないんだから、俺が行けば問題ないだろう」
同行するにあたっての口実は、こんなところだ。
俺が一緒に行くことで、フェイトがいらぬ叱責を受けることもなくなるだろう、と言って説得した。
「ごめんね、こんなことさせちゃって。別に無理についてこなくてもいいんだよ」
フェイトとしては協力者である俺に気を使っているようだが、それは違う。
「あのな、実際に壊したのは俺なんだぞ。なら、俺がその説明と謝罪をするのは当然だ。
俺は自分の責任を果たしに行くだけなんだから、フェイトが気にすることじゃない!」
これで話は終わりとばかりに、少し強めに言う。
フェイトは責任感の強い子だから、はっきり言ってやらないといつまでも自分で責めてしまう。
なので、ここはきっぱり言い切る。
「ほら、いつまでもここでのんびりしてても仕方がないだろ。行くぞ」
そうしてフェイトの転送魔法が発動し、俺は初めての次元跳躍なるものを体験した。
* * * * *
フェイトが俺にはよくわからないことを呟いたかと思うと、光に包まれた。
あれが詠唱なのか、それとも座標でも設定していたのかもしれない。
光が消え目を開くと、もう到着していた。場所は「時の庭園」というらしい。
思っていたほど何か特別な影響はなかったので、少し肩透かしを食らった気分だ。
次元跳躍なんて言うぐらいだから、もっとなにか感慨深いものかと思っていたのだが。
しかし、今の俺はそれどころじゃない。
「うっぷ!? き、気持ち悪い」
さっきまでとあまりに違う環境に、腹の奥から嘔吐感がせりあがってくる。
別に跳躍のせいで酔っているわけじゃない。俺が酔っているのは、この空間だ。
「え!? どうしたの?」
突然顔を青くし、その場に膝をつく俺にフェイトが心配そうに聞いてくる。
片手を振り、一応は大丈夫であることを告げようとするが、口を開くだけで億劫になる。
「俺が世界の異常に敏感なのは教えたよな。異常ってわけじゃないんだが、どうもこの空間は今までいたところと違うみたいで、乗り物酔いみたいな感じになってるんだ。
しばらくすれば慣れるから、ここで少し休む。先に行っててくれ、あとで追いつく」
そう、どうもこの時の庭園のある空間は通常の空間ではないらしく、慣れない環境のせいで体調を崩してしまっている。慣れれば何とかなりそうだが、今はその慣れることに集中したい。
「ああ、ここがあるのは高次空間内だから、違うといえば違うのかもしれないねぇ。
あたしらは特になんともないけど、あんたの場合敏感なせいで影響を受けてるのかもね。
わかったよ。じゃあ、先に行ってるから後から来な。ほらフェイト、先に行こう」
「あ、うん。じゃあシロウ、わたしたち先に行ってるから。落ち着いたらでいいから、無理しないでね」
そう言って二人は、母親とやらのところへ向かう。
フェイトは最後まで心配そうにこちらを見ていたが、アルフに連れられて先へと進んでいく。
フェイト達の姿が見えなくなってから、その場にある壁に寄りかかり、深呼吸をして体を落ち着かせる。
こんな感覚は初めてだが、思いのほか早く落ち着いてくれる。
「別に狙ったわけじゃないんだけど、ちょうどよかったな。
これで内部の調査ができる」
少しだけ休んで行動に移る。
まだ慣れたとは言えないが、動く分には問題ないので宝石の仕込みと、内部構造の調査に入る。
あまり時間をかけても怪しまれるし、手短にしないと。
中を歩きながら、時々位置確認の意味もあって手を当てて解析をする。
「しっかしずいぶん広いな。これじゃあ完全に調べきるのは、すぐには無理だな」
困ったことに、内部があまりにも広いので解析しきれない。さらには機械的な部分も多すぎる。何か地図のようなものでもないか探してみるが、そんな気の利いたものはないようだ。
せめて主要な通路や部屋ぐらいは把握したいのだが、それもあまり期待できそうにない。
そうやって歩いているうちに、どこからともなく声が響く。
『………す…て…』
「ん? 何だ、今の?」
『…た…け………』
その声は耳にではなく、頭の中に直接響いていることに気付く。
頭の中に響く声である以上、方向も何もないはずなのに、なんとなく右手側から声が聞こえた気がして振り向く。
そこにはやはり何もないが、相変らず響く声が幻聴ではなかったことを知らせる。
『…たす……て…』
声だと思っていたのは、どうやら微弱な念話らしい。
俺は送信の方はてんでダメだが、フェイトが言うには受信に関しては並み以上にできているそうだ。
というか、むしろ感度が良すぎるくらいなんだけどな。まぁ、両方ダメなのよりはマシなんだけど…。
しかし、時々俺に向けられたわけではないモノまで聞こえるのは勘弁してほしい。盗み聞きをするような趣味はないのだが、考えようによっては便利でもあるので複雑だ。
おそらく俺でなければ、この念話には気づかなかっただろう。それほど、今受信したモノは微弱なのだ。
とりあえず当てもなく動いていたので、何か収穫があるかもしれないと思い、声の方に行ってみることにする。
進むほどに声ははっきりと聞こえてくるようになるので、たぶん近づいてはいるのだろう。
それと同時に、その声が言ってくることもだんだんわかってきた。
「助けて、か。それに、あの子、救って、なんて言っている以上は救援要請なんだろうけど。
一方通行なせいで、何を指しているのかよくわからないな」
確信は持てないが、場所を考えれば、「あの子」はフェイトを指している可能性が高いな。
これは、思わぬ拾いものができるかもしれない。未だに判然としない、フェイトの母親の目的を知るきっかけになるといいのだが…。
ただ、どうにも内容が単調で画一的なのが、少し気になる。誘い込もうとでもしているのだろうか?
だが、今の俺は敵対者というわけではないし、罠を仕掛けているとは考え難い。しかし、罠の存在を完全には否定できない。魔術師の工房であれば、不審者には容赦しない。こんなところを歩いていること自体が、ある意味では不審である以上、気をつけなければならない。
あるいは、厄介な状況に置かれていてバレないように慎重になっている、という事もありうるな。それだと念話が微弱なのも、一応は納得がいく。
まぁどちらにしても、他にどこを調べていいかさえ分からないのだから、選択肢など元からない。
罠ならば蹴散らすし、それなら向こうの在り方ややり口もわかる。
逆にそうでないのなら、求める情報を手に入れられる可能性がある。
形は違えど、何かしら得られるものはあるはずだ。
それならば、意味もなくウロウロしているよりかは余程マシだろう。
そうして俺が行きついたのは、何もない壁の前だった。
「って、おいおい。ここまできて見当違いの方に来てたなんて言わないでくれよ。
そろそろフェイト達の方に向かわないと、いい加減怪しまれるだろうし」
そんな愚痴を言いながら壁に手をつく。
すると違和感に気づく。壁の感触が、さっきまでのとは違う。
念のため解析をしてみると、違和感が確信に変わる。
「あれ? ここってまさか、隠し扉か! ずいぶんと手の込んだことをしてるなぁ」
とにかく、もうあまり時間がないので力を込めて押してみると、思いのほか簡単に扉は開いた。
キィ
そんな音を立てて開いた扉の向こうには、殺風景な部屋があった。
部屋はその人の心象らしいが、この部屋には人の息吹が感じられない。
俺の部屋も大概だが、ここも相当なものだ。ま、隠し部屋なのだから、内装に凝っても意味はないのだろう。
あるのはやたらとゴツイ機材と、中心には人間さえも納められそうなガラス張りの大きなケースが安置されている。
一応罠に警戒しつつも、その中を覗き込んで見る。
「ん? これって山猫か。
あれ? でも微弱だけど魔力があるってことは、アルフと同じ使い魔なのかな。
じゃあ、何でこんなところで眠ってるんだ」
入れ物の大きさの割には、ずいぶんと小さいのが入っている。
集中して探ってみると、やや魔力があるのがわかる。誰の使い魔かは知らないが、こんなところで隠れるように眠っているのはおかしいはずだ。
「とはいえ、魔力不足でだいぶ弱っているみたいだし。俺じゃ、無理やり契約を結ぶこともできやしないからな。
さて、どうしたものか…」
連れ出そうにも、こうも弱っていては下手に動かすとそれだけで死にかねない。
せっかく情報源っぽいのを見つけたが、これでは迂闊なことができない。
さて、どうしたものかと思案していると、人が近付いてきたのがわかったのか、さっきまでよりも一層積極的に念話で語りかけられる。
『…おね…い……フ……イ…トと………レ…ア…をす……て……』
この調子で、こいつはさっきからずっと俺に向かって助けを求めてくる。
こんな、まるで縋りつくような求めをされては、俺でなくとも折れるだろう。
というか、元から見捨てる気などない。ただ、どうやってここから連れ出したものかと思案していただけだから、そんな風に語りかけるのはやめてくれ。
何もしてないのに、なんだか悪いことでもしたかのような気分になってきて、故のない罪悪感が沸いてくる。
「ああもう、わかってるよ! 見捨てたりなんかしないから、安心しろ。
ちょっと手荒になるけど、我慢してくれよ」
使い魔であるなら、魔力さえあればある程度どうにかなるはずだ。
こうなったら仕方がない。多少手荒らではあるが、これぐらいしか思いつかないし、我慢してもらおう。
そう考えて、投影したナイフで二の腕を切って出血させる。
山猫をケースから取り出し、出血している方の懐に入れて血をなめさせる。
生存本能からか、無意識にでも血に宿った魔力を取り込もうとなめてくる。これでしばらくは持つはずだ。
懐に入れたのは、人目につかないようにするためでもある。こうして隠れている以上、あまり人に知られたくないのだろう。
魔力を帯びる聖骸布も、隠すのに一役かってくれる。こんなにも僅かな魔力しかなければ、聖骸布自体の魔力にまぎれてしまう。
かなり弱っているのが幸いしたな。これなら、まず気付かれることもなさそうだ。
そうして、このまま連れて行くことにする。
さぁ、一応収穫はあった。こいつが何を知っているかはわからないが、少なくともここの案内くらいはできるはずだ。あとは凛に預けて、ちゃんと契約させて回復するのを待つとしよう。
そうして、俺はこの隠し部屋を後にする。
* * * * *
一度元いた場所に戻り、フェイトから聞いた道順にそって二人がいるであろう場所に向かうことにする。
指示された場所に向かっていると、やけに大きな扉が目に入る。その前には、耳を押さえてうずくまるアルフの姿があった。
同時に、中から聞こえてくる音と声にも気づく。
それは鞭で何かを叩く音と、わずかに漏れるフェイトの苦痛の声だった。
「……おい。これは、どういうことだ」
感情のメーターが振り切れ、一気に心が冷めていくの自覚する。
きっと、今の俺の声はそれを反映して、ひどく冷たい響きをしているだろうことを他人事のように知覚する。
「どうもこうもないよ! あの鬼婆、フェイトが持ってきたジュエルシードだけじゃ全然足りないって言って、あんなことをしてるんだ!!」
アルフが悲鳴のような声でそんなことを言っている。
「なぜ止めない!! お前はフェイトの使い魔だろう!」
思わず声を荒げてしまう。アルフが、フェイトを何よりも大切にしているのを知っている。
それだけに、なぜこんなことを許しているのか理解できない。
「あたしだって止めたいさ! でも、あたしが止めに入ると、もっとひどいことになるんだ。だったら…こうするしかないじゃないか!!」
アルフも怒鳴りつけるように言い返してくる。そのおかげで、少しだけ冷静になれた。
なるほど、確かにそれじゃあアルフには手が出せないだろう。
だが、俺は違う。あいにくと、こんなことをしている場面に遭遇して落ち着いていられるほど、自分を統御出来ているわけではない。
後のことなど知ったことではない。
この馬鹿なマネをやめさせることしか俺の頭にはない。
「わかった。じゃあ、俺が何とかする」
そうして扉に手をおくが、鍵かあるいは魔法で封でもしているのかビクともしない。
解析してみるが、別に魔法を使っているわけではないようで、単に鍵をかけているだけのようだ。
投影した剣で破壊してやってもいいし、魔術でもって解錠するというのもあるが、今はそれらすらももどかしい。
手をそのまま扉に押し付け、詠唱と共に一気に魔力を注ぐ。
「『強化、開始(トレース・オン)』」
本来強化などしても扉が強固になるだけだが、限界以上の魔力を送り込むことで崩壊させる。
昔ロクに強化さえできなかった頃は、よく練習対象を壊したものだった。だが、こと壊すだけならこれの方が効率はいい。投影だと、いちいち作ってから切らなければならないが、これなら魔力を注ぐだけで事足りるのでてっとり早い。解錠なんてもってのほかだ。そんなことをしている場合ではない。
思惑通り、扉は突然数百年の時間が過ぎたかのように瓦解していく。
中には、腕を縛りあげられ宙づりになったフェイトと、鞭を持った長髪黒髪の女がいた。
「アルフ、お前はフェイトを連れて行って治療しろ。俺はあの女と話がある」
そう言うが早いか、アルフはフェイトに駆け寄っていき、拘束を引きちぎってフェイトを連れていく。
「……ぇ…シ……ロウ…?」
フェイトの方はすでに意識がもうろうとしているのか、なすがままになっていた。
アルフが連れて行く時に少し目が合うが、その目にいつもの生気はなく、どうしようもなく虚ろだった。
「突然扉を壊したと思ったら、今度は勝手にあの子を連れて行かせるなんて、一体どういうつもり?」
まるで、虫けらでも見るかのような眼でこちらを見てくる。
なるほど、アルフが嫌うのもうなずける。この女には、フェイトを暴行していたことに対する罪悪感の欠片もない。その姿に、間桐の妖怪爺を思い出す。
「どうもこうもあるまい。あの子は貴様の娘だろう。
懸命に母親の頼みに答えた娘に対して、それが親のすることか!!」
正直言って腸が煮えくりかえっているが、この女を殴りたい衝動を必死に抑えて話をする。
この場でこの女を倒せば、すべて解決するかもしれない。その誘惑に、何とか抗って言葉を発する。
ここは相手の本拠地だ。地の利は向こうにある以上、迂闊なことをすれば何が起こるかわからない。
闘うならば、それは必勝の好機であり、必倒を誓った時だ。もし焦ってここで取り逃がすことになれば、最悪の事態になりかねない。
そう理性ではわかっているが、感情を抑制するのに苦労し、にぎりしめた拳からは血が滴っている。その痛みで、なんとか感情にブレーキを利かせている。
「あの子は、この大魔導師プレシアの娘。この程度のこと、できて当然よ。
それどころか、あれだけ時間があったのにこの程度の成果しかないから、こうして叱っていたのよ」
悪びれた様子もなく言ってくる。この女は、本気でそんなことを思っているのか。
ジュエルシードの回収は、言うほど簡単な作業ではない。
捜索は著しく困難で、見つけたとしても発動した場合には戦闘になる。この二つをこなしたうえで、さらに封印までしなければならない。本来こんな少人数ですることじゃないし、誰にでもできることではない。
フェイトやなのはは、生まれ持った天賦の才があるからこそ、あの年で可能にしているのだ。
少なくとも「この程度」などという評価は、不適当の極致といえる。
「ところで、あなたがあの子たちの言っていた現地協力者ね。
未知の術式を使っていると聞いたけど、扉を壊すのではなく瓦解させるなんて、奇妙なことができるのね」
もうそのことには興味がないとばかりに言ってくる。
この女はフェイトに対して全く興味がないことを確信し、驚愕する。
そういう親がいるのは知っているが、ここまで来ると化け物じみている。俺は戦慄以上に、怖気を覚えた。
「それこそどうでもいいことだ。私の方から技術を伝える意思はない。
私の用件はただ一つだ。それが終わったら、早々に立ち去るよ。
ここはあまりに空気が悪くてな、反吐が出る!」
せめてこれくらいは言ってやらないと気がすまないので、吐き捨てるように言ってやる。
だが、向こうも特にそのことに感じることはないらしい。
「では、その用件とやらを早く済ませてくれないかしら。私も暇じゃないわ」
さっさと済ませて出て行け、とばかりに言ってくる。
この女はとことん他人に興味がないらしい。
同時にプレシアからは、この世界に来て初めて血の匂いがすることに気づく。
これは、実際に血を浴びたためについたものではなく、あくまでも比喩表現でしかない。
しかし、だからこそ厄介だ。つまりこの女は、この先目的のために血を浴びることを躊躇していない。
邪魔ものを排除するために、目的を成就するのに必要ならば、無関係の人々さえも犠牲にするだろう。
まるで、野に下りタガの外れた魔術師を前にしているようにさえ錯覚する。
最悪の場合、殺し合いに発展するかもしれないな。
「貴様が、なぜジュエルシードを求めるのか聞きたい。別に何に使うおうが知ったことではないが、先日のように暴走されては、こちらにまで被害が及ぶ可能性があるのでな」
単刀直入に聞く。駆け引きなど、この女の前では意味をなさないだろう。
そもそもそんな気がないのだから、無駄な時間を使うべきではない。
「教える必要はないわ。
でも安心なさい。私はあれのちゃんとした使い方を知っているし、制御する方法もある。
無様に暴走させるようなまねはしないわ」
やはり話す気はない、か。
これは予想通り。たとえ、どれだけ聞いても話すことはないだろうと思っていた。
この女と対峙した時点で、そんな期待は捨てている。
それに、今やっているのは明らかに違法行為だ。その目的をわざわざ漏らすなどあり得ない。
問題なのは、プレシアの言う「ちゃんとした使い方」だ。本当にそれを知っているのなら、この女の目的は最悪の予想が的中したことになる。
「そうか。では貴様の言う「ちゃんとした使い方」とやらが、私の考えるそれと同じと仮定して言う。
やめておけ。あれを使えば、その後には何も残らない。また本来の使い方を知るが故に、必ず失敗する。
世界は動き、貴様を排除しようとするだろう。
今ならまだ間に合う。早々に手を引くことだ」
言うだけ言って、この場を去る。
警告はした。この先なお進もうとするのなら、俺がお前を倒す。と心のうちで宣言する。
去り際に、プレシアの方から声がかけられる。
「驚いたわね。私以外に、あれの本当の使い方を知っている人間がいるなんて。
それが未知の技術の知識ということかしら。
でも、憶えておきなさい。人に干渉するのはいつだって人よ。
世界はどうしようもなく冷たく、無慈悲なもの。世界は私たちに何もしてくれないわ」
そんなことはとうの昔に知っている。
世界は俺たちに何もしてくれない。だが、俺たちが世界になにかをする時にはそれを排除する。
それが世界という存在だ。
この瞬間、俺たちの間柄は決定した。
ここから先、俺たちは命のやり取りをする敵同士だ。
だが、今はまだその時ではない。いまは取り逃がすほうが危険だ。
時が来たら、俺がお前を阻みに行く。
それまで、そこで待っているがいい。
* * * * *
俺はプレシアのもとを去った後、フェイトを抱えて行ったアルフを追ってきた。
先ほど庭園内を探索しているうちに通りがかった場所でもあるので、思いのほか簡単に見つけられた。
今いるのは、プレシアのいた部屋から大分離れた大広間のような場所だ。
それだけ、アルフはあの女を恐れていたということか。厳密には、フェイトを傷つけられることが、だが。
そうでなければ、ここまで遠くに来る前に軽い手当てぐらいしていたはずだ。
俺がついた時には、やたらと縦に長いテーブルの上にフェイトを寝かせ、アルフが全身に手当てを施している最中だった。
どうやらフェイトは眠っているようだ。規則正しい呼吸を繰り返し、穏やかな顔で眼を閉じている。
だが、鞭は全身をくまなく叩いており、無傷なところを探すほうが難しいぐらいだし、顔色も悪い。
あらためて、プレシアの行動に激しい怒りを覚えると共に、その内面への警戒心を強める。
あの女はジュエルシードを制御する方法があると言ったが、それでも危険であることには変わらない。
暴走させなくても、一定以上の力を解放してやれば、あれは本来の目的のために動き出すだろう。
その目的とプレシアの目的がイコールとは限らないが、複数のジュエルシードが必要ということは、それだけ大規模な発動をさせる気だということだ。
そうなれば、抑止力が動く可能性が高まる。
現在はその存在を知らないのか、障害を気にしている様子はない。
だが、たとえその危険性を知ったとしても、プレシアは止まろうとはしないだろう。
その眼には、確かに狂気の光があった。何が根本にあるかは知らないが、止まる時は動けなくなった時しかあるまい。
穏便に済む可能性は皆無と言っていい。それがわかっただけでも収穫だ。
相手がそういう存在であるとわかっていれば、最後の最後で詰めを誤ることもない。
思考を切り替えて、目の前で眠っているフェイトの様子を見る。
全身傷だらけだが、深刻な外傷は見受けられない。ちゃんと治療すれば、跡が残ることもなさそうなので、一安心だ。
男なら勲章などと言えるが、女の子の場合はその限りではない。勲章だと言うタイプの人もいるだろうが、少なくともこんなことで付いた傷が誇りになるはずがないし、やはり女の子体に傷が残るというのはいいことではない。
そうならなくて……本当に、よかった。
一通り手当てが終わったところで、俺には詳しいことはわからないが、治療系の魔法を使っているようだ。
ただ、アルフはあまり治療系の魔法が得意ではないようで、なんだか悪戦苦闘しているように見える。
こう「ああでもない、こうでもない」と、ぶつぶつ独り言が漏れている。
「アルフ、正直言って見ていられない。失敗しそうで見ているこっちが怖い。
治療系なら俺が何とかできるから、ちょっと下がってくれないか」
いくらなんでも危なっかしいし、俺も手を出すことにする。
「…士郎。でもあんた、剣に関することしかできないんじゃないのかい?」
アルフ達にはそう説明しているし、実際にそうだ。
治療なんて高尚な魔術、俺には使えない。できるとすれば、「治す」ではなく「直す」ことだ。
ただでさえ外界に働きかけるのは苦手なのに、自分以外の人体に働きかけるなんてできるはずがない。
そういえば、言峰の奴があんな性格して、霊媒治療が得意だったらしい。正直言って、全く信じられなかったな。
いくらイメージしようとしても、喜々として傷口を抉っている光景しか想像できない。
とにかく、俺がすべきことは直接治療することじゃなくて、できるものを用意することだ。
「確かに、俺には無理だ。でも俺の持っている道具の中には、そういうことができるものがある。
だから、それを使う。一気に全快はしないけど、治療魔法と併用すれば少しは早く治るはずだ」
「了解。それで頼むよ。あたしもこういうのは苦手でさ、手伝ってもらえると助かる」
俺がさまざまな道具を用いて戦うのは教えている。詳しいことを言わなくても、そういうものがあっても不思議じゃない、と納得したらしい。
アルフの方からも頼まれたことだし、早速投影に入る。
「『投影、開始(トレース・オン)』」
これを作るのには、コンマ一秒もかからない。本来なら、俺の限界を超えるほどの宝具なのだが、これに限っては下位ランクの宝具より容易に投影できる。
なにせ、二十年も共にあった俺の半身だ。その存在のすべてが、この身には刻まれている。
今更、踏まなければならない工程などない。
宝具は隠すべきなのだが、こんな姿のフェイトを前にして、そんなことを気になどしていられなかった。
というか実を言うと、後になって隠すべきだったということを思い出したのだ。
もう完全に忘却の彼方だったし、それを思い出しても「ま、しょうがないか」という結論に達したので、俺はこのあたりちっとも進歩していないらしい。そんなことを思って少し苦笑したが、まったく反省していないのだから、この先もこのままなんだろうな。
不用心だとは思う。だがそうやって利口になって、今回みたいな時に、自己保身ばかり考えるようになるのは……やっぱり嫌だな。
作り上げたのは、今の若返った体には少々大きすぎる鞘。
それを、テーブルの上で横になっているフェイトに抱かせる。
魔力を注ぐと、わずかに光を放つ。ちゃんと起動してくれたようだ。
セイバーがいれば、それこそ復元とも言えるレベルで治癒していくだろうが、俺ではそこまではできない。
作れると言っても、あまりに強力すぎる代物であるせいか、その力の十分の一も引き出せない。
真名開放はできるが、それなしだと少し治癒能力を高める程度の効果しか出せない。
つまり、スイッチを切り替えることしかできない、1と0の二択なのだ。こいつの存在に気づいて10年近くたつが、それでもこの程度。
真名開放をする場合も、どういうわけか自分しか対象にできず、他人に向けての解放ができない。
だからこの場で真名開放をしても、俺が元気になるだけでフェイトには何の益もない。
力は引き出せないしロクに制御もできないので、強力なのに使いどころが限定される武装なわけだ。
俺では、この鞘の担い手には到底足りないと言われているようで、少し残念だ。
治療魔法に加え聖剣の鞘を渡されて、フェイトの顔色が少し良くなってきた。
一度僅かにまぶたが動いた気もするが、その後特に変化もなかったので、たぶん気のせいだろう。
体の傷は、両方がうまく作用したようで、さっきよりずっと早く治っていく。
この分ならあと数分で、見える範囲の傷は消えそうだ。
治療が終わったところで、フェイトが目覚めればいいが、そうでないならそのまま帰還することでアルフと合意する。鞘の方は治療が済み次第、消滅させた。
そして、治療が終わり時の庭園を離れるときになっても、フェイトは起きなかった。
interrude
Side-フェイト
なんだろう? 体が、温かい。
わたしはさっきまで母さんの所にいて、言われたことをちゃんとできていないことを怒られて、それでその後……えっと、ダメ、上手く思い出せない。
わたしはどうしたんだろう。頭がぼんやりして、思考がまとまらない。
わかっているのは、体が少し痛くて、でもその痛みが少しずつ薄れていっていること。
それと、全身を温かい何かに包まれているような感じがする。
まるで、以前陽だまりの中で昼寝をしていた時のようであり、リニスが優しく抱きしめてくれた時みたい。それらとよく似ていて、とても安らいだ気持ちになれる温かさだ。すごく……気持ちがいい。
ただ背中に少し冷たくて、固いモノの感触がある。ベッドの上だったらもっとよかったのに、それが少し残念。
けれど、気持ちがいいのは本当で、なんだかこのまま眠ってしまいそう。
でも、まだ眠れない。
この温かさが、どこからくるものなのか確かめたい。
今のわたしは眼を閉じてしまっているけど、頑張って重いまぶたを開けようとする。
それだけのことが、とても大変。
眠ってしまいたい欲求が強くて、全然目が開けられない。
苦労して少しだけ目を開けると、陽の光とは違う光が目に入る。治療系の魔法の光とも違うし、一体何だろう? よくわからないけど、とても優しくて柔らかな光だ。
同時に、こちらを見つめるアルフと、そして…シロウの顔があった。
この光はアルフの魔法によるモノじゃないから、たぶんシロウが何かをしてくれているんだろう。
ご飯を作ってくれている時もそうだけど、シロウがわたしのために何かをしてくれるというのが、少し嬉しいな。
今度は、わたしがシロウのために何かをして上げたい。
そうしたらシロウは、喜んでくれるかな。
ただその顔は、とても心配そうで、悲しそうだ。
理由はよくわからないけど、すごく心配させてしまったみたい。
「ごめんね、心配かけて。私は大丈夫だよ。だから、そんな顔をしないで…」
そう言って謝りたいけど、まだ体が思うように動かない。
だから、体が動くようになったらちゃんと謝らないと。
それにせっかく開けたまぶたが、どんどん下がってくる。
二人には申し訳ないけど、一度休んでそれから謝ろう。
最後に、シロウの顔を目に焼き付ける。
シロウって、そういう顔をもするんだ。わたしの知らない顔が見られて、少し新鮮。
でも、今度はこんな悲しそうな顔じゃなくて、もっと楽しそうな、嬉しそうな顔が見たいな。
だって、シロウが悲しそうにしていると、なんだかわたしまで悲しくなってくる。
アルフもそうだけど、シロウのこんな顔はもう見たくない。
絶対に、これ以上心配させないように頑張らないと。
そのままわたしは、ゆっくりと眠りに落ちた。
interrude out
アルフの転送魔法で、俺たちは海鳴に帰還した。
ちなみに、アルフは転送魔法の制御もあるので、フェイトは俺が背負っている。
背負ってみて再確認したが、こんなにも軽く華奢な体で頑張っているんだな。
そのことが、より一層俺の罪悪感を強くする。
母親からあんなつらい仕打ちを受け、慣れない土地で奮闘する少女を、俺は騙している。
必要と思ってのことだし、実際に今のところこの策は功を奏している。
間違っているわけではないのだろうが、やはり罪悪感がぬぐえない。
贖罪のつもりはないが、せめて僅かな間でもいい、この子を支えていてやりたい、そう思う。
だがこの関係にも、遠からず破局の時が来る。その時を思うと、どうしようもなく心が苦しい。
凛の言うとおり、絶対に許されることはないだろうし、フェイトは俺に憎悪と怨嗟を向けるだろう。
だが、それは俺が背負うべき罪であり、受けなければならない罰だ。
この苦しみもまた、その一つ。
こうして、フェイト達と過ごすことができる時間も、そう長くはない。
今はただ、その時のための覚悟をしていよう。それしか、俺にできることはないのだから。
フェイト達の拠点に戻り、ベッドに寝かせようと向かっている途中で、背中から振動が伝わってくる。
どうやら、フェイトが目を覚ましたようだ。
はじめのうちは寝起きでボーっとしていたようで、体を起こしたことで少し重心が移動した以外には変化がない。
意識がはっきりしてきて自分の状態を確認すると、手足をばたつかせて声を上げる。
「……え? え~~~~!!?
な、何で! どうしてわたし、シロウに背負われてるの~~!!」
フェイト、とりあえず耳元で叫ぶのはやめてくれ。
鼓膜どころか頭が痛い。今の叫びは、もはや衝撃波の域だ。
頭の中で鐘でも鳴らしているように、ガンガンする。
だが、そのことにばかり意識を傾けているわけにもいかない。
フェイトが暴れるものだから、今にも二人揃って倒れそうだ。
「フェイト! 驚いたのはわかったから、とにかく落ち着け!
このままだと倒れそうって…うわ!?」
結局バランスを保っていられなくなり、後ろに向かって倒れ込む。
ゴッ!!!!
実にいい音が辺りに響いた。
理由は簡単。倒れる途中で、俺が近くにあった家具と衝突したからだ。
ぶつけたのは俺の頭。ぶつかったのは近くにあったテーブル。
角でなかったのが不幸中の幸いだ。もし角にぶつかっていたら、死んでいたかもしれない。なにせ、ぶつけたのは後頭部だ。当たり所はすでに最悪と言っていい。冗談抜きに、打ちつけた場所が悪ければ、一滴の血も流すことなく安らかに死んでいても不思議じゃない。
それでも勢いよくぶつけたことには変わらないので、俺は右手で後頭部抑え、若干仰け反りながら悶絶している。
「ぐ、ぐぉ~~~……!」
痛いなんてものじゃない、痛すぎる。今にも涙が出そうだ。
何度も経験したので、斬られたり撃たれたりするのには慣れた。
だが不意打ちで、しかも急所をぶつけるのは、何度経験しても慣れない。ついでに、右足の小指もテーブルの脚にぶつけたようで、そこから伝わる鈍痛が地味に響く。さっきから右足はピンと伸びたまま、痛みに耐えるように僅かに震えている。
本当なら頭や足を抱えたり、転げ回ったりしまいたいところだが、今はそれもできない。
なぜなら、仰向けになっている俺の体の上には、咄嗟にかばったフェイトがいるからだ。今は、ちょうど俺が左手で抱きしめるような形になり、フェイトは俺の胸板に顔を埋めている格好だ
あのまま倒れていたら、テーブルとぶつかっていたのはフェイトだっただろう。
倒れそうになったとき、無我夢中で互いの体を入れ替え、フェイトを抱きかかえたのだ。
位置の入れ替えは成功し、フェイトは無事なようだ。そのことに安堵しつつも、後頭部と右足に残る鈍痛に悶えてしまい、言葉が出ない。
「ちょ、フェイト大丈夫かい!? ……あと、ついでに士郎も」
俺はついでか? という突っ込みを入れたいが、こっちはそれどころではない。
痛みもあるが、それよりもフェイトが俺の胸に顔を埋めたまま、動かないのだ。
一切のダメージは俺が引き受けたはずだが、もしかすると気付かないうちにどこかぶつけたのかもしれない。
あるいは、先ほどの傷が痛むのかも。一応表面的な傷は消えたが、まだ完全に治りきっていない可能性は否めない。
とにかく状態を確認しようと、痛む頭を擦りながらフェイトに声をかける。
「いっつ~~。…フェイト、大丈夫か?」
涙目になりつつも、上体を起こしフェイトの様子を見ようとする。
見えるのはフェイトの綺麗な長い金髪と、その隙間から見える背中だけで、特に気になる点も見られない。
ただフェイトは、相変わらず俺の体の上で微動だにしない。
頭を擦っていた右手で、起こした体を支える。同時に、フェイトの背中に回っていた左手で、軽く背中を「ポンポン」と叩き反応を窺う。そして、改めて声をかける。
「おい、大丈夫かフェイト?」
やはり反応は返ってこない。
本来なら、ここで引き離してでも様子を確認するところなのだが、気になることがある。
今気がついたのだが、フェイトの手が俺の服を鷲掴みにしている。
倒れる時に驚いてつかんだのかもしれないが、だったらなぜ今もこんなにホールドがきついのだろう。
絶対に離さん、と言わんばかりの握り方だ。意識がなかったら少しは手も緩むはずだが、その様子もない。
俺が少し困惑していると、フェイトの方でやっと動きがあったことに気がつく。
いまは顔を上げ、上目遣いでこちらを見ている。目が合うと「あっ」なんて、小さな声で呟いていた。
その様子を見て、なんだか縋りつく子犬のようだな、と結構失礼なことが頭をよぎる。
それと、顔が妙に赤いのが気になった。風邪は引いていなかったはずだし、痛みに耐えるような表情をしているわけでもないので、怪我が原因というわけではなさそうだ。
怪我の心配は杞憂だったようなので、とりあえず一安心か。
そのままフェイトが俺を見上げること数秒。なんだか気まずい空気が場を支配する。
とりあえず、このままの体勢でいるのはよくないだろう。見た目、フェイトが俺を押し倒そうとしているように見えなくもない。
未成熟な体とはいえ、それでも女性特有のやわらかさや甘い匂いが伝わってくる。特に、俺の腹の部分に感じられる、他とは若干違うやわらかな感触なんか、色々と不味いだろう。最近の子は発育がいいんだな、なんて口にしたらセクハラになりそうなことが頭をよぎる。
比較的に冷静でいられるのは、俺がいろいろと経験済みだからだろうか。
とはいえ焦りこそしないが、やはり落ち着かない。
ロリコンの気など「全く」ないが、この状態でいるだけで心労モノだ。
とにかくこの体勢を何とかしようと、フェイトに三度声をかける。
「あぁ~…その、なんだ。フェイト、悪いんだがそろそろ降りてもらえないか?
体はそうでもないんだが、心が苦しい」
フェイトは軽いので、上に乗られていてもそれほど苦ではない。
問題なのは心の方で、いつまでもこのままでいるのは精神的によろしくない。
俺の言葉に、フェイトは自分の状態を確認している。
そのまま、今までどこか夢心地のようだった瞳に、徐々に理性の光が戻る。
「……え…えっと、ごめんなさい!!」
今まで思考が停止していたのか、思い出したかのように謝罪の言葉を述べ、弾かれたように俺の上から離れる。
これだけ動けるなら、とりあえず心配はなさそうだ。
熟したリンゴのように顔が真っ赤だが、あんな体勢になれば無理もないな。
フェイトは俺から離れた後、しばらく無言だった。
そのままでは埒が明かないし、俺の方から提案して、アルフと共に自室に戻り怪我の確認をしてもらった。
フェイトはバリアジャケットを着たままだったので、そのまま着替えもしてくることになった。
もちろん俺は同伴していない。
フェイトは全身くまなく鞭で打たれていたので、怪我の状態を確認するためだけでも服を全て脱ぐ必要がある。
その場に平然と立ち合えるほど、厚顔無恥ではない。
フェイト達が怪我の確認と着替えをしている間、俺はすでにこの家の備品となりつつある投影した茶器で、全員分の紅茶を淹れる。同時に、プレシアに持って行ったのとは別に用意していたケーキを出して、お茶会の準備を整える。
フェイトはあんなことがあってスグだし、落ち着く為にもこういった場は必要だろう。
着替えを終えて降りてきたフェイトやアルフと共に、夕方のお茶会をする。
フェイトはまだあまり元気とは言えないが、それでも紅茶やケーキを口に運ぶたびに、少しだけ頬がほころんでいたのには安心した。あれほどの仕打ちを受けたが、まだ笑顔になれるだけの精神的余裕はあるようだ。
そこでは取り留めのない会話が中心だったが、少しだけフェイトがプレシアへの思いを語った。
フェイトのプレシアに対する愛情は本物で、そうであるが故に痛々しい。
きっと、彼女の思いは届かない。それでもなお…
「ずっと不幸で、悲しんできた母さんだから、わたし、何とかして喜ばせてあげたいの……」
そう言って、彼女の言う昔の優しい母親に戻ってくれることを願う姿は、とても尊いものだ。
その願いがかなってほしいと思う反面、俺の冷徹な部分がそれは叶わぬ願いだと否定している。
最悪の場合には、俺がプレシアを殺すであろう可能性が、さらに罪悪感を煽る。
今の俺には守りたい一がある。そのために、プレシアと彼女の思いを切り捨てよう。
俺にできるのは、この罪と彼女の憎悪を背負うことだけなのだろうと覚悟する。
また、懐の山猫には気づいていないようなので、安心する。一緒に倒れた時に気付かれなかったかと、紅茶を淹れながらずっと戦々恐々としていた。
こいつはもしかしたら、俺たちの切り札になるかもしれない。
俺と凛では向こうに行けないし、内部も完全にはわからない。
もしかしたら、こいつがそれを解決してくれるかもしれないし、俺たちがまだ知らない情報を持っている可能性もある。
今はこいつを凛に預けて、意識が戻ったら役に立ってもらうとしよう。
あとがき
とりあえず、リニスに関することの補足をしようと思います。
こちらの使い魔は契約破棄するか完全破壊されない限り存在し続けるらしいのですが、魔力の供給止まっても死ぬらしいので、契約破棄と供給のストップを同じものと考えています。つまり、魔力さえあればある程度は存在していられると考え、契約の切れたサーヴァントと似たような状態としています。
そこで、リニスはプレシアに隠れて特別な装置を作り、自身を保存していたという設定になっています。これは中にいる者の魔力の消費や流出を減らし、なおかつ大気中の魔力を送り込む装置となっています。こんな大がかりな物を作ってもプレシアが気付かなかったのは、単にリニスの行動に興味がなく、Fの研究とアルハザード以外のことは気にかけていなかったためです。
またリニス自身も、最低限の生命維持と極微弱な思念の送信以外はすべての機能を落とすことで、少しでも長く自分を保存しようとしていました。ただし、色々とギリギリだったので相当に苦しい状態だったのは当然でしょう。
そんな苦しいことをしてまでこんなことをした理由は、作中にあるとおりです。
やはりアヴェンジャーの言うとおり、愛こそが基本にして最強なのですね。大切なフェイトのためなら、この程度なんてことはないのです。
次回は、ちょっと皆さんの反応が怖いです。せっかく(型月との)クロス作品なのだから、こんな展開をやってみたいという作者の妄想の極限かもしれません。と言っても、それに少し触れるだけでしかないんですけど。
受け入れてもらえるといいのですが、お手柔らかにお願いします。