衛宮士郎の朝は相変わらず早い。
本人としては特別な意識はなく、単に起きてしまうからでしかない。
朝の五時という早朝に起床し、身支度を整える。
一通りの家事を終えてから、朝の鍛錬に移る。
本来は、立派な洋館に師匠兼家族兼恋人の遠坂凛と暮らしていたのだが、今は別居中だ。
喧嘩をしたわけではなく、必要に迫られたからだ。いまは、崩れてこそいない程度の空き家を仮住まいにしている。
ライフラインなど生きてはいないが、そこはスキル執事A+の主夫。いくらでもやりようはあるらしく、家の中はしっかり片付いていて、客を招いても不法占拠を疑われないだろう。
今は台所で、せっせと弁当を作っている。ガスや水道などをどうしているのか甚だ疑問だが、それは彼の特技の投影が何とかしてくれている。水は近くの公園から汲んできているが、それ以外の家電製品やガスは、全て宝具と魔術で代用している。足りないのなら、別のところから持ってくるのが魔術師とはよく言ったもので、その点でいえば優秀といえなくもないかもしれない。
ある意味、これ以上ないくらいに贅沢な生活をしている。魚を焼くのに伝説に名高い魔剣を使うなど、もったいないどころの話ではない。
当人は、使えるものは何でも使う主義らしく、特にそこに感情はなさそうだ。
一応結界は敷いてあるので、魔力は漏れていない。結界そのものは、勘のいい人間なら違和感に気づくレベルだが、効果は十全に発揮している。
決して腕がいいわけではないが、才能の欠片もないと評されていることを考えれば、これだけできるようになっただけでも十分だろう。この辺り、師の教育の成果と言ったところだ。
ちなみに弁当の数が二つなのは、彼の相棒である遠坂凛の分。彼女としては、本来なら朝昼は必ず、晩は交代で士郎の食事なのに、それが食べられなくなるのが不満らしい。あるいは、作る手間を惜しんでいるのかもしれないが…。
「せめて昼は作ってきなさい!!」
家を出る際には、そんな命令をされている。彼としても料理をはじめとした家事は、半ば以上趣味なので文句は言いつつも、こうして律儀に作っている次第だ。
彼としては、自分がいない間に徹底的に散らかるだろう我が家が心配でならないので、これで少しはそれが防げるなら、という淡い希望もあるのかもしれない。
それは、士郎の凛への評価に「片づけに不自由」という項目があるせいだ。
そうして準備を終えた衛宮士郎は、一度遠坂凛と合流してから学校に向かう。
第9話「幕間 衛宮士郎の多忙な一日」
SIDE-士郎
いま俺は凛と一緒に登校している。
当初は、朝に弱い凛がちゃんと起きられるか心配したが、それは杞憂だったようだ。
おそらくは、いつものように幽鬼のような顔で起きてきているのだろうが、それをおくびにも出さずにいるのはさすがだ。
考えてみれば、聖杯戦争前は凛も一人暮らしだったのだから、これぐらいは当然か。
少し歩いたところで、なのはたちとの待ち合わせ場所が近付いてきた。
「あ! おはよう。凛ちゃん、士郎君」
「ええ、おはようございます。高町さん」
「おはよう。なのは」
先に来ていたなのはとあいさつする。
なのは相手には凛も猫を被らないのだが、人目のあるところではその限りではなく、いつもどおり優等生を演じている。
「う~ん。ねぇ凛ちゃん、もっとみんなの前でも普段通りにした方がよくないかな?」
なのはとしては、ほかのクラスメイト達とも壁を作らずに接して欲しいのだろう。
注意するわけではなく、純粋な善意から言ってくる。
「ああ、なのは。言っても無駄だ。俺も前々から思ってたし、何度か言ったことがないわけじゃないんだが…。
何と言うか、凛のこれはもう習性だ。気にしない方がいい」
「なんだか失礼な物言いですね、衛宮君。
習性なんて言ったら、あなたが他人に無償奉仕するのこそ、習性だと思いますけど。
知ってます? 最近ではあなたのことを「聖祥のブラウニー」「バカスパナ」と呼んでいる人たちもいるんですよ」
やばい、凛が俺を「衛宮君」という時は碌なことにならない。大切な話の時も使うが、今回は違う。
この場合は暗に「余計なことを言うな」といっている。これ以上この話題に触れていると、きっと何らかの制裁が下される。早急に別の話題に切り替えないと。
「あ、それ聞いたことある。士郎君、よく学校の壊れたり、故障したりした備品を直してるんだよね。
すごいよねぇ。わたしも機械とかは得意な方だけど、電子機器の方だから、備品を修理したりとかはできないもん。
先生が言ってたよ。士郎君には本当に助かってるって。料理とかだけじゃなくて、こんなこともできるんだねぇ。
そういえばこれを聞いたとき、アリサちゃんがすごく笑ってて、すずかちゃんは納得してたけど、どういう意味なの?
でも、「バカ」は酷いんじゃなかなぁ……」
なのはが俺の珍妙な二つ名に反応して話題を変えてくれる。助かった。正直、どう話題を変えても苦しくなってしまうので、困っていたのだ。ただ、今度は逆に俺が触れてほしくない話題になってしまった。
しかし、「バカスパナ」ね。どこぞの黒豹がそんな呼び方をしていたが、こちらの世界に来てまでそんな呼ばれ方をするとは…。大方、俺が備品の修理をする時にスパナを持っていたから、安易に付けたんだろうな。
たぶん、俺の交友関係に対する嫉妬…とまではいかないまでも、ヤキモチの感情から出たモノだと思う。
いや、華やかなのは確かだから無理もないけど、これがエスカレートしていく事を思うと気が滅入る。なのははこのあたりには気づいていないようだ。単純に、表面的なところしか見ていない。なのはたちがその背景にある感情に気付くのは、いつになるのかね。
ちなみに「バカスパナ」の話には続きがある。俺をそう呼んでいた連中の一部が、つい最近俺に謝罪に来た。その時の表情は、一人残らず憔悴し切っていたし、同時に怯えていた。
犯人は凛で間違いないな。俺が困っている分には放置することが多いが、悪意があってそういうことをする連中には容赦がない。悪意なんて大袈裟なものではないが、アイツは陰口のような陰湿な手が大嫌いだ。黒豹のように真っ向から言っているのであれば違うだろうが、それをしなかったのが彼らの不運。
どういう手を使ったのかは知らないが、彼らには同情したくなった。
まぁ、そうしてかばってくれるのは嬉しいが、もう少し加減をしてほしいものだ。小さい子どもの心に、一生モノの恐怖を植え付けるのは、さすがにやり過ぎだと思う。
ホント、一体何をしたんだろう?
そんなことを考えている俺を余所に、凛がなのはの質問に答える。
「ブラウニーというのは妖精の一種で、家主の寝ている間に勝手に家事をしてくれる、とても助かる妖精なんですよ」
凛が実ににこやかな顔をしている。その際にこちらをチラチラと横目で見て、俺はまさにその通りの存在だと言いたいらしい。
「ああ、なるほどねぇ。うん、それはとっても士郎君らしいね」
なのはが、実に無邪気にうなずいてくれる。俺としては、そんな呼ばれ方は不本意なのだが、こうも邪気がないと怒るに怒れない。
そうしている、アリサとすずかもやってきて学校へ向かうことに。ただその間、話題はずっと俺の学校でのブラウニーとしての活動話だったが。
* * * * *
学生にとってはお馴染みのチャイムが、校内に鳴り響く。
今、お昼休みに入ったところだ。
普段ならここで少し待ち、別クラスのなのはたちと一緒にお弁当を食べるところだ。
だが、俺と凛は今回それを欠席する。登校時になのはと合流する前、昼休みに体育館裏に来るように言われているのだ。
体育館裏といえば呼び出しと喧嘩の定番だが、別にそんな荒っぽいことをするわけではない。家にいない俺との情報交換の場として、最近よくこの時間が利用されており、なのはたちとのお昼をすっぽかすのも初めてではない。
別にパスを使ってのやり取りでもいいのだけど、やはりこういったことはちゃんと会って話すべきだろう。
「後藤君、俺は別に用事ができたから一人で食べる、となのはたちが来たら伝えてくれ」
「承知した。必ずやお伝えしよう」
また変な番組の影響を受けたのか、しゃべり方が小学生らしくない。
俺は交友関係のせいで、未だにクラス(特に男子)に馴染めていない。そんな俺と、唯一親しくしてくれている後藤君に言伝を頼んでクラスを出る。
話の内容はお互いの近況報告だ。俺としても、なのはの成長具合には興味がある。
急いで向かうとしよう。昼休みは長くはないのだから。
Interlude
SIDE-なのは
今日も士郎君はクラスにはおらず、一人で食べるらしいということを後藤君から聞いた。
いつもどおり変なしゃべり方をしていたけど、何度もこのクラスに来たのでもう慣れてしまった。
横ではアリサちゃんが、またすっぽかされたことを怒っている。
「あーもう、あいつはまたいないの!? これで何度目よー!!」
何度もというほどではないけど、以前はちゃんと毎日一緒に食べていたのでちょっとさみしい。
「そういえば、また凛ちゃんもいなくなってるもんね。さっきまで一緒だったはずなのに、いつの間に消えちゃったんだろう? 注意してたはずなのになぁ」
士郎君がいないときは凛ちゃんもいないので、一人でというのがウソなのはわかってる。
凛ちゃんと士郎君は恋人同士みたいだから、二人っきりで食べたいのもわかる。でも、お家ではいつも一緒なんだから、こんな時くらいわたしたちも一緒でもいいと思うのになぁ。
「それは無理もないでござろう。衛宮殿としても、そう度々オカズを略奪されては、たまらぬというもの。
うむ、恋人と逃げるのもやむなし。いや、仲良きことは美しき哉。カッカッカッカッ…」
確かに士郎君のお弁当は美味しいけど、そんなに貰っているつもりはないんだけどなぁ。
それと、その笑い方お爺さんみたいだよ。本当に同い年?
それにね後藤君、口は災いのもとだよ。もう手遅れだけど。
「うふふ…。そう、また凛ちゃんは抜け駆けしてるんだ。ずるいなぁ。許せないなぁ。うふふふ……」
「ひ、ひぃぃ~~~!?」
あぁ、またすずかちゃんが怖(黒)くなってる…。後藤君も、今は口を押さえて震えている。
すずかちゃんの前でその単語(恋人)はタブーなのに。
士郎君と凛ちゃんが二人で食べるようになってから、すずかちゃんが怖い笑みを受けべるようになってきた。
以前から、二人が恋人であるという話をすると機嫌が悪くなったり、少し悲しそうに暗くなったりはしていた。
けど、二人が抜けだすようになってからは、一気にこれに拍車がかかった。
ただし、それまでの沈んだ様子はなくなった。むしろ反転して、外見の上では気にしていない素ぶりさえしているのに、まったくそうは見えない。
声も口調も、それこそ顔も笑っているのに、眼だけが全然笑っていない。
そのうえ全身からは、わたしたちも見たことのない暗黒のオーラが噴出してて、ジュエルシード以上に危険な感じがする。
辺りを包む暗黒のオーラに気圧されて、背筋が凍る。
(どうしようか、アリサちゃん?)
アリサちゃんに、何とかならないか目で聞いてみる。
アリサちゃんの方でもこの空気には耐えるだけで必死らしく、眼にはいつもの覇気がない。
よく見ると、手や足の一部が少しだけ震えている。
ああ、こんなに気の強いアリサちゃんでも、やっぱり今のすずかちゃんは怖いんだ。
普段おとなしい人を怒らせるのが、一番怖いというのは本当なんだね。
厳密に言うと怒っているわけではない。だけど不機嫌な状態でこれなんだから、もし本当に怒ったらどうなっちゃうんだろう。
うん、絶対にすずかちゃんは怒らせちゃいけない。
(どうするも何も、できることなんてないわよ!
対策は一つ、もうあの二人だけでお昼を食べさせないことだけよ。今日も諦めて、耐えるしかないわ…)
いつもどおりの結論に達して、わたしたちは生贄になった。
うう、恨むよ~。凛ちゃん、士郎君。
Interlude out
ぞわっ!?
…またか。なんだか最近、よくお昼に悪寒が走るな。
とても嫌な予感はするが、考えるのはよそう。どうせ考えたって何もできやしないんだから。
たいていの場合、この結論が間違いないのは経験からわかっている。ならば大人しく、理不尽がやってが来るのを待とう。
そんな全力全開で後ろ向きな思考を振り払って、凛の話を聞く。
「なのはの方は順調よ。魔法の方もだいぶ扱いに慣れてきたし、それほど多くはないけどレパートリーも増えてきたわ。元からその予定だったし、種類が多くないのは当然だけどね。
この前の負けで少し焦ってきてるけど、ちゃんと手綱は握ってるから無茶はさせないわ。安心して」
凛がそう言うなら問題はないか。こいつは嘘と冗談を言うべきタイミングは弁えているし、意味のない見栄を張ることもない。言っていることは事実なのだろう。
「ただ最近、私に隠れて新しい魔法の練習をしてるのよね。一応、ユーノも一枚噛んでるわ。
まぁ、それほど睡眠時間を削ってるわけでもないし、空いた時間を使ってるだけだから気にするほどでもないわ。自分で現状をどうにかしようとするのを妨げても意味ないしね。当面は好きなようにさせるつもり」
「そうだな。何でも人に言われたことしかできないんじゃ、いざという時に役に立たない。
自分で考えようとしてるんだから、それの有効性はともかく、その姿勢を崩してもメリットはないな」
実際になのはの考えた手段が有効かはわからないが、今はやりたいようにやらせておくことで合意する。
何事にも限度というものがあるし、やり過ぎる様なら、その都度注意していけばいい。
よっぽど無茶なことを考えている、あるいはしているのでもない限り、わざわざ口を出すこともない。
「それになのはは知らないけど、一応使い魔を使って監視しているし、ユーノを締め上げて一通りの話は聞いてるわ。
なんと言うか、とんでもない事を考えてるけど、今のところ問題はなさそうよ」
どうやら「好きなようにさせる」とは言っても、完全に放ったらかしするつもりはないようだ。
無理をし過ぎないか、影ながら監督している。
様子の方は、焦って我武者羅にやっているというよりも、喜々として楽しんでいるらしい。
これなら、それほど心配することもないだろう。
ユーノに関して不穏当なことを言っている気もするが、ここは無視しておこう。
それと、才能のない俺にここまで魔術を仕込んで見せた時点でわかっていたが、やはり凛は師としても一流だな。
教え子の成長を促すために、手を出すべきところと、そうでないところをちゃんと弁えている。手を出さないとしても、それが度を越さないか、あるいは間違った方向に向かわないか、しっかり見極めている。
これなら、なのはが体を壊したり、無茶な訓練をしたりするなどの悪い方向に進むことはないはずだ。
ただ気になるのは「とんでもない事」というのは一体どういうことだろう?
止めに入らない以上それほど危険なものではないのだろうが、表現が穏やかではない。
「ところで、具体的に何をやっているんだ?」
それが向けられるのは間違いなくフェイトだろうし、少し心配になる。
凛がここまで言うのだから、相当ぶっ飛んだことをしようとしているのだろう。
「ああ、今はあんまり気にしなくていいわよ。
この一件が片付くまでに形になるかだって怪しい代物だし、結構使いどころも難しいものだから。
一言で言うなら、あの子の新たな一面を垣間見ることになるでしょうね……」
なんだか、妙に顔が引きつっているな。
それに「新たな一面」って、そんなになのはのイメージから離れたことをしようとしているのだろうか。
結局、そのまま詳しいことは教えてもらえなかった。
不確定な情報を出しても意味がないと考えているみたいだし、短期間でモノになるような事でもないと言う。
少なくとも、凛の言葉通りならこの一件が片付くまでに完成するようなモノではないみたいだし、フェイトに矛先が向くことはなさそうだ。
緊急の用件でもないから、別に急いで聞かなければならない事でもない。
何をしようとしているのかは知らないが、その時が来るまでのお楽しみということにしておこう。
「こっちの方は、今までとあまり変化はないな。俺の時間の許す限り、フェイト達の探索に同行してる。
だけど、今のところ成果は上がっていない。わかってることだが、なかなか見つからないな」
そう、温泉の一件以来まだ新しいジュエルシードは見つかっていない。
フェイト達は探索系の魔法も使っているが、なかなか発見できていないのが現状だ。
「さっさと見つけてくれる方が、こっちとしては事が進んでありがたいんだけど……。
そう思惑通りにはいかないわね」
こればかりは仕方がない。
フェイトはあの年齢を考えれば、望み得る限り最高レベルの能力を有している。
そんなフェイトですら思うようにはかどらないのだから、高望みが過ぎると言うものだろう。
ただ、気になることがあるので、そのことも報告しておこう。
「……ああ、そうだ。
それとフェイトのことなんだが、最近どうも調子が悪いみたいだ。顔色も良くないし、相当無理をしているんだろう。今日は下校したらすぐに行って、様子を見てこようと思う」
不調の原因がわかれば、改善もできる。
なのはとしては不調の方がいいのかもしれないが、それだと思わぬ怪我をするかもしれない。
やはり騙しているとはいえ、怪我はしてほしくないし、無理をしている姿を見ているのも気が引ける。なんとかしてやりたいのだが……。
「ふ~ん。衛宮君は優しいのねぇ。まぁしょうがないけど、あの子かわいいもんねぇ」
なんでそう生温かい目で見るかな、コイツは。別に他意はないぞ。
単に、俺じゃ女の子のことなんてほとんどわからないから相談してみただけなのに、どうしてそんな目で見るんだ。
「あのなぁ、そんなことは関係ないだろ。どっちみち、フェイトには頑張ってもらった方がいいんだから、そのためのサポートはするべきだ。
それと、俺にロリコンの気はないから、そんな目で見るな!」
まったくもって心外だ。俺にはあの英雄王のような偏愛趣味はないというのに。
身体こそ縮んでしまい、若干精神年齢が下がり気味な気がしないでもない。そのせいか、時たま凛たちの何気ない仕草にドギマギすることもあるが、断じてそんな趣味はない。
「ふ~~ん」
それでもなお、凛の眼は生温かい。
まったく信用されていないな。
この後も報告は続くのだが、その間ずっと凛の眼は変態でも見るようなものだった。
なんでさ…。
* * * * *
放課後。
俺は一度仮宿に荷物を置いて着替えてから、予定通りフェイトの家に向かっている。
手土産として、翠屋で購入したシュークリームと桃子さんから分けてもらった茶葉を持参している。
女の子なのだから、甘いものは好きだろうと思っての選択だ。
これで少しでも張り詰めているものを緩めて、リラックスしてくれるといいのだが。
それと、最近になって恭也さん対策がたったので、今では気兼ねなく翠屋に行くことができる。
対策というほど大層なものではないが、要は恭也さんを制することができる人を味方につければよかったのだ。
その制することができる人というのは、桃子さんのこと。外部から観察していてもわかったが、高町家の力関係の頂点に君臨しているし、剣に詳しいわけでもないので、俺を擁護してくれる。
先日翠屋の前を通った時に恭也さんと遭遇し、案の定稽古の件で迫られていたところを助けてもらったのがきっかけだ。
外見は子どもの俺に、いい年した恭也さんが勝負を挑むなど、どう考えても異常だ。ある意味、弱い者いじめのように映らないこともない。そのあたりを叱ってくれたので、桃子さんのいる前では恭也さんも強く出られないでいる。
さすがに道場のある高町家に行くのは危ないが、商売の場でもある翠屋でなら心配がいらなくなった。
おかげで、気兼ねなく翠屋に行くことができるようになったし、安眠もできるようになったので万々歳だ。
玄関の前に到着して、チャイムを押す。
一応鍵は預かっているが、それでも人様の家に無遠慮に入っていくのはよろしくない。
親しき仲にも礼儀あり、だ。親しいかというと少々不安があるが、俺としては親しくしているつもりでいる。
少しすると扉があき、中から黒髪で小柄な日本人女性が出てくる。
最近では見慣れてきたが、これはアルフが魔法で変身した姿だ。
本来の人間形態は髪の色などが結構目立つし、こちらの格好の方が何かと都合がいい。大家さんや訪問販売の人が訪ねてくる時のために、一々変身しているのだ。
「はい、どなた?…って士郎じゃないか。
どうしたんだい? 今日はやけに早いねぇ」
それはそうだ。今日はお茶を飲む時間を捻出するために、凛たちとは別に帰り、大急ぎで来たのだ。
普段はもう少し遅く、夕方あたりから合流しているので、少し驚いているようだ。
しかし、相変らずこの姿でこの口調は違和感があるな。典型的な日本人女性の姿なのに、こんな荒っぽい口調は明らかに不自然だ。人を見た目で判断するべきではないが、やっぱりどうかと思う。
玄関を開けたら俺がいたからなのかもしれないが、もう少ししゃべり方にも気を使った方がいいんじゃないか。
そのことに関しては後でゆっくり話せばいいので、早速用件に入る。
「特に理由はないんだけどな。ほら、これはお土産だ。捜索に入る前に一緒に食べようと思ってさ」
若干息が乱れていることを隠すように、早口に提案してみる。
ついでに、手に持っていた翠屋のロゴの入ったビニール袋を掲げてみせる。
「ああ、悪いね。しっかし、アンタも妙なところでマメだねぇ」
最近ではアルフにも、以前のような警戒や猜疑の眼で見られることも減ってきた。良い兆候なのだが、実際にはその信頼を裏切っているのだから申し訳ない。
もしかしたら今回の土産は、無意識に謝罪の意味を持たせているのかもしれない。そんなことは単なる偽善でしかないのにな。つい自嘲してしまうが、とりあえず中に入ることにする。
「フェイト、士郎が来たよ。なんかお土産があるとかで、一緒に食べようってさ」
ソファーに座るフェイトは、やはりあまり顔色が良くない。
昨日、一応ちゃんと休む様には言ったが、どうやらあまり休まなかったようだ。
まったく、頑張るのと無茶をするのは違うというのに。
まぁ、俺が言っても説得力に欠けるのかもしれないな。
俺も今まで、さんざん無茶をやらかしてきた人間だ。
人のことを言う前に、まず自分のことを何とかしろ、とは常々凛に言われてきたことだ。
事情を知らなくても、何か感じるものがあるのかもしれない。
「あ、ありがとうシロウ。でも、すぐに探索に入ろうと思うから、あとで食べるよ」
予想通りの反応をするフェイト。
贈り物を無碍にする子ではないが、本来の目的である休息を取ってくれるとは思えないので、無理にでも勧める。
「そう急いでも仕方ないだろう。簡単に見つかるものじゃないんだから、気長にやるしかないさ。
たまには、一度リラックスしてからやるのもいいさ」
「ほら、士郎もこう言ってるんだから、そうしようよ」
俺の言葉にアルフも賛意を示す。こいつとしても、フェイトの不調が気になるのだろう。
すると、アルフの方から念話が送られてくる。
『助かったよ。あたしが言っただけじゃ聞いてくれないんだ』
『まぁ、ああいう性格だからな。自分が無理をする分には耐えられてしまうんだろう。ここは無理にでも少し休んでもらおうと思うんだが……』
俺からの提案に、アルフは即座に同意する。
『賛成。あたしからも言うから頼むよ』
念話での密談で一致団結し、フェイトに休みを取らせる方針が決定する。
この後、俺とアルフに押し切られる形でフェイトも消極的ながら応じてくれた。
早速、翠屋自慢のシュークリームと茶葉で、お茶会を開くことにする。
フェイトを休ませるのが目的である以上、そのフェイトに準備をさせるわけにはいかない。
まだこの家の食器の配置なんかは知らないが、そこは二人に聞きながら荒らさないように丁寧にやればいい。
ところが……
「ああ、悪いんだけどそういうのないんだ。
あたしもフェイトもその辺はからっきしで、たいていは買ってきたのをそのまま飲んでるからさ」
まぁ、仕方がないか。
彼女たちにとってここは、仮宿にすぎない。
ちゃんとした茶器一式をそろえる必要もなかったんだろう。
「わかった。じゃあ俺の奴を使うことにしよう」
さすがに投影魔術のことは教えていないが、俺が物を取り出すことができるのはフェイト達には教えている。
俺の特性を知られるのは避けるべきなので、投影時にはカモフラージュの意味も込めて、懐から取り出すような仕草をする癖をつけた。
しかし、今更二人に対してそんなことをする必要もないので、そのまま両手の間に投影で作り上げる。
剣の概念にかすりもしないが、これの投影は問題なく行える。
形状・材質・その他もろもろ、全て把握させられたからだ。
なにせ戦場でもおいしい紅茶が飲みたいという、わがままを言ってくれる奴がいたからな。
紅茶の入れ方とセットで、茶器の投影の訓練もさせられた。
「前から思ってたんだけど、それって物質転送みたいなものなんだよね。
そういうのが得意なのに、自分自身の転移とかはできないの?
剣とか、アルフを捕まえた鎖とかも出してたはずだし、それなら自分のこともできるんじゃない?」
以前のことを思い出して、フェイトが聞いてくる。
天の鎖に関しては、一種の召喚魔法を利用した上で、無機物操作をしたようなものとフェイトは解釈している。
「まぁ、それはそうなんだけどな。俺専用の倉庫みたいなのがあって、そこから取り出してる。
でも、俺にできるのはそこから出し入れするだけで、他のところから引っ張ってくるのはできないぞ。
それと同じで、他のところに持っていくのも無理だ。俺の周辺と、その倉庫の間だけの限定的な転位なんだ」
厳密には倉庫ではなく、俺の心象世界からなのだが。俺以外には使えないのは同じなので、これでいいだろう。
「ずいぶんと融通がきかないんだねぇ。不便じゃないかい?」
「別にそんなことはないな。俺にとってはこれが普通だから、特にそんな意識はないぞ」
紅茶をいれながらやり取りをする。話をしながらであろうと手は抜かない。細心の注意を払って、タイミングを見極める。一瞬の違いで味わいが変わってしまう、ここはある意味戦場だ。
「よしっと。さあ出来たぞ! シュークリームを皿に乗せて、テーブルに出してくれ」
話を打ち切り、お茶会を開くことにする。
お茶会は成功し、フェイトも今はまったりとしている。
やはり、おいしいお菓子とお茶があれば、人間は幸せな気分になれる。
「ふむ。ふむふむ」
「……あの、何を笑っているんですか、あなたは」
俺の様子にフェイトが反応して、いぶかしむ様に聞いてくる。
少し不満そうな表情をしているのが、年相応で実にかわいらしい。普段の様子とのギャップがあるから尚更だ。
普段が年齢に対し不相応なくらいにしっかりしているからな、こうして年相応の様子を見られたのには安心する。
こんな時くらいは、張り詰めているものを緩めて欲しいと思ってのお茶会でもあるので、成功して何よりだ。
「なに、感想を聞きたかったが、その顔では聞くまでもないと思っただけだ」
一気に顔を真っ赤にして黙り込む。相当に恥ずかしかったらしい。
今までに見たことのない、実に満ち足りた顔をしていたのは事実だ。感想は、その表情が何よりも雄弁に語ってくれている。
「今日のところは休養だ。根を詰めても、能率は上がらないぞ。
ちゃんとした休息とのバランスが大事なんだからな」
俺の注意を聞いて少し不満そうにするが、その正しさもわかっているんだろう。
今は大人しくうなずいてくれる。
「わかりました。たぶん、無理に行こうとしても絶対に止められるだろうから、今日は大人しく休みます」
無理をしようとすれば、先ほどと同様にアルフと二人がかりで止められるとわかっているらしい。
せめてもの反抗なのか、最近では聞かなくなった敬語で話してくる。こうやって不貞腐れる辺り、まだまだ子どもでかわいいものだ。
「それがいいな。さて、じゃあ休んでもらうんだから、食事も俺が用意するとしよう」
そうして台所に向かい、冷蔵庫の中身と相談しようと中を見る。
そこにあったのは驚愕だった。
「ちょっと待て!! これは一体どういうことだ!?」
あまりの惨状に声が大きくなる。
「どういうことって、何かおかしな所でもあったかい?」
不思議そうに尋ねてくるアルフ。
ああ、おかしいところなどない。なんせ何もないのだから、おかしいところを見つけようがない。
「そんなことを聞いているんじゃない! なぜ冷蔵庫の中に何もないのかと聞いているんだ!」
人が生きていく上で食事は欠かせない。にもかかわらず、ここにはその欠かせない物の材料がない。
「一応、戸棚にインスタントをいれてるし、あとは冷凍庫に冷凍食品とかあるから、普段はそれだけど。それがどうしたんだい?」
最悪の可能性である、コンビニ弁当は回避されていたのはよかった。あんな添加物まみれの食事を若いうちからしていては、碌なことにならない。だが、こちらもそれと大差ない。早急な対策が必要だ。
そういえば、以前アルフの奴がスナック感覚でドッグフードを食べていたな。初めてそれを見た時は唖然とした。人間が、バリバリと音を立てながらドッグフードを食べている姿はかなり異様だった。狼だから一応犬の仲間だし、よく考えればおかしいことではない。だが、あれはやはりびっくりするな。
こちらの使い魔のことなど知らないし、こいつはそれでもいいのかもしれないが、フェイトはその限りではない。
「どうしたかじゃない! 待ってろ、今すぐ材料を買ってきて、まともな食事をさせてやる!」
返事を聞く前に走る! 目指すは近くのスーパーだ。こんなものを食事と認めるものか。俺が食事の素晴らしさを教えてやる。
「え? あ、ちょっと待っ…」
後ろからフェイトの声がかかるが、気にせず家を飛び出る。
この件に関して、フェイト達の意見を聞く気はない。
いいから、大人しく待っていろ。すぐにこれまでの行いを後悔させてやる。
全速力でスーパーへと向かい、可能な限り早く、なおかつ選ぶ食材が雑にならないよう細心の注意を払い、買い物を済ませて戻ってくる。
手抜きなど一切なし、それに時刻もまだ夕方だったので時間があるのは幸いだ。
これなら、かなり手間をかけることができる。
メニューは、俺が最も自信のある和食にした。
フェイトは食が細そうだし、一品あたりの量はそれほど多くはしていない。
その代り、せっかく時間もあるので、少し時間をかけて手の込んだものを作った。
内容は、豆腐とわかめの味噌汁、ふろふき大根、ほうれん草のおひたし、鶏肉の照り焼き、そしてメインに特性の炊き込みご飯。炊き込みご飯の方は、かつて凛にも「別格」と言わしめた一品だ。基本はキノコの炊き込みご飯だが、油物を混ぜるかわりに柚子で香りを取っている。フェイトは異世界人なので、こちらの味には不慣れな可能性が高いが、クセが少なくなるように工夫を凝らしている。余るようなら明日の朝食に回せばいい。
狼のアルフには、フェイトとは別に大きな牛肉の塊を用意した。もちろん骨付き。味付けはシンプルに塩と胡椒のみで、食材の持つ味を引き立てる。
そして、今全ての工程を終え、料理を食卓に並べ終わったところだ。
「さぁ食べろ。まったく、調子が悪いのは無理をしているからだと思ったが、こっちが原因だったんじゃないか?」
そんな気さえしてくるほどに劣悪な食事事情に、呆れ果てる。
フェイトは返事をしない。別に人の話を聞いていないわけではない…と思う。この子がそんな失礼なことをするはずがないが、今の様子だと少し怪しい。
さっきから一口食べては、コクコクとうなずいているだけだ。
返事がないのは、単に食べるのに夢中で他のことにまで気が回らないせいだ。それが手と口だけなのか、それとも頭の方にまで及んでいるのかは判断できない。
しかしその様子は、俺を懐かしい気持ちにさせる。
無我夢中で食べるその姿には、剣の師でもあった騎士王の姿を思い出す。そういえばアイツも、生前の食事には不満一杯で、苦々しい顔で「雑でした」なんて言っていたもんな。
フェイトの中にある感情も、それと同じなのかもしれない。
「そうは言うけどねぇ、これ本当に美味いよ。まあ、あれだけおいしくお茶が入れられるんだから、これくらいできても不思議じゃないけどさ。これと比較されちゃたまらないよ」
アルフがそんなことを言ってくるが、そういう問題ではない。単純に料理の質が問題なのではなく、あれでいいと思っていた姿勢の問題だ。
それと肉専門かと思っていたが、どうやら他のモノもいけるらしく、少しずつだがフェイトのおかずを分けてもらっている。
まぁ、圧倒的に肉の比率が多いのは素体を考えれば当然か。やっぱりアルフって狼なんだな、と改めて実感した。
「そういうことを言っているんじゃない。要は、食事にもっと意欲を持てと言ってるんだ。
食事は一日の活力源であるとともに、楽しみの一つのはずだ。それを怠るということは、わざわざ喜びを制限しているようなものだぞ」
今ならば言われていることの意味もわかるのか、二人揃ってうなだれている。
「だいたいだな。使い魔のアルフにどの程度食事が必要なのかは知らないが、フェイトは育ちざかりなんだから、しっかり食べなきゃダメだろ。当然バランスのとれた、添加物の入っていない食事が望ましいに決まってる。
せっかくフェイトは器量よしなんだから、今の食事のせいで成長が滞ったり、肌や髪が荒れたりしたらもったいないぞ」
つい説教をしてしまうのは仕方がない。フェイト達の食事環境は、それだけ俺にとっては許しがたいものだった。
しかし、早めに改善できて本当によかった。
ジュエルシードのことがなくても、この年の女の子がこんな生活をしているのはよくない。将来的には、間違いなく極上の美人になれる資質があるのに、本人の為にもそれを棒に振ってはいけない。
凛の奴だって、未だにスタイルのことを気にしたりしているのだ。食事のせいで発育不良になっては、きっと…いや、間違いなく後悔する。「美」は全ての女性が持つ、永遠のテーマだ。
俺の説教に対し、アルフがおずおずと手を挙げて謝罪と質問をしてくる。
「ああ、この件に関してはあたしらが悪かった。反省してる。
ところで「器量よし」ってなんだい? こっちの言葉にはあんまり詳しくなくってさ」
そうか。そういえばフェイト達は外国人どころか異世界人なんだった。
日本語があまりにも堪能なんで、すっかり忘れていた。
日常用語で「器量」はあまり使わないし、知らないのは仕方がないか。
「「器量よし」というのはだな、顔立ちや容貌が優れているということだ。
まあ、美人とか、かわいいとか、そういうものと思ってくれればいい」
俺の解説を聞いて、フェイトの顔がみるみる赤く染まっていく。
はじめは呆然としていたのだが、だんだんと挙動不審になっていく。
十秒もすると、顔をキョロキョロさせ、手はワタワタし、口はアワアワしている。立っていたら、部屋の中をウロウロしていたんじゃないだろうか。
う~む、面白い。
「シ、シロウ!? かか、からかわないでよ!!」
俺が面白そうに眺めているのに気づいて、フェイトが注意してくる。
その顔は相変わらず真っ赤で、いくら怒ってみてもかわいらしくて迫力に欠ける。
「いや、別にからかったつもりはないんだけどな。
それに、フェイトがかわいいのは本当だぞ。十人中十人が肯定するのは確実だ。
将来は、間違いなく美人になるな」
そう、俺に人をからかうような趣味はない。
今の発言だって、至って真面目だ。
しかし、凛から聞いたが、アーチャーの奴はよく凛をからかっていたらしい。一応俺の未来の可能性でもあるアイツが、何でそんな趣味を持ったのか未だに不可解だ。
もしかすると生前散々凛にからかわれていて、その意趣返しでもしていたんじゃないのか?
それだったら、是非俺もしてみたいと思う。ただし、こんなこと口にしようものなら、どんな目に会うかわからないので、絶対に口を滑らせるわけにはいかないな。
俺の発言に、フェイトはこれ以上顔が赤くなりようがないので、今度は体まで赤くなってきた。
服を着ているのでわかり難いが、首筋や手が真っ赤になっている。
顔は真っ赤なままだが、恥ずかしいのか俯いてしまった。ただ、頭から湯気のようなものが出ている。何がそんなに恥ずかしいんだ?
アルフの方を見ると、こちらは冷静に頷いている。
やはりこいつもそう思うか。アルフのご主人様贔屓を抜きにしても、間違いなくフェイトは美少女だ。
性格だって、本当は穏やかで優しいことが、この短期間の付き合いでもわかった。
見た目だけでなく、心まで綺麗なのだ。成長すれば、周囲の男が放っておくはずがない。
「で、でも、わたし結構うっかりしているし、内気なところもあるし……」
フェイトはうつむいたまま、慌てたようにまくしたてる。
そんなに恥ずかしがらなくてもいいと思うのだが、これも性格なのだから仕方がないか。
「そうか? まぁ、そうだとしても少しくらいのうっかりなら、そういうところもかわいいと思うけどな。
それに内気だって言うけど、俺はフェイトのそういうところも好きだぞ」
うっかりと言えば凛だ。
あれがやってくれるうっかりに比べれば、余程のことでもない限りたいしたことではない。
それに多少抜けているくらいの方が、愛嬌もあってかわいいと思う。
内気なところだって、別に悪いことではない。
戦闘時の思い切りのよさとのギャップもあって、こういうところもフェイトの魅力だと思う。
実際フェイトは、少し無理をし過ぎるところがあってそこが心配だが、それを含めて好感を持っている。
無茶をするのも母親への思いの結果なので、無理に抑えることもできないのが困ったことではあるけど…。
だが、そうやって頑張る姿勢は、やはり好ましい。
フェイトの頭から出る湯気は、さらに勢いを増している。
今度は完全に黙り込んでしまった。
どうしたものかと思い、アルフに助けを求めようとすると、向こうから視線が向けられていることに気づく。
そちらを向くと、さっきまでの俺に対する肯定のまなざしは消え、探るような眼でこっちを見るアルフがいた。
「……どうかしたか?」
なんだか居心地が悪くて、何でそんな目で見ているのか聞いてみる。
アルフの方は俺から視線を逸らし、今度はフェイトの方を見る。
「いや、別に…。ただアンタって、ある意味かなり性質が悪いな、って思っただけだよ」
結局、何が言いたいのかよくわからない答えしか返ってこなかった。
その後アルフも黙り込んでしまい、しばし無言の時間が過ぎて行った。
しばらくして、フェイトが顔を上げてくれたが、それまで大分かかった。
ただ、顔を上げてからも顔の赤さは相変わらずで、この話題にこれ以上触れるのはよした方がよさそうだった。
そこで話題を変えたのだが、時々赤い顔のまま俺の方をチラチラ見ていて、まだ恥ずかしがっているようだ。
だがそんな俺を見て、アルフがため息をついているのが気になった。
なんでそんな呆れたような眼で見るんだ、こいつは?
現在の話題は、再び食事の話に戻っている。
「まあいい。これからは、俺がお前たちの食事の面度を見る。夜は毎日俺が作るし、朝食の用意もしていく。もちろん昼食もだ。弁当を作っていくから、残さず食べるように。
協力者が力を発揮できないと、俺も困るしな。何より子どものうちからこんな食事を取るなど、神と世界が許しても俺が許さん!」
そうして、今後の協力関係に一部変更が加えられた。
すると、さっきまでの微妙な雰囲気は消し飛び、幸せそうな空気がとってかわる。
その際の二人の顔は、今まで見たことのない喜びに満ちていた。ただ小声で、「アンタだって子どもだろ」というのが聞こえるが、それは無視。
俺としても、仮宿で一人食事を取るのは寂しかったので、ちょうどよかった。
その後俺も食事に加わり、他愛のない会話を楽しみつつ時間が過ぎていった。
食後も交流を深めたいところだったが、することもある。食事が終わり次第、残念なような楽しみなような複雑な顔の二人を置いて、キッチンで洗い物を終えてからもう一度料理を始めた。
さっき言ったとおり明日の朝食の下ごしらえと、昼食の弁当を作らなければならなかったので、食後から帰るまでの時間のほぼ全てをそれに費やした。朝食の方は、後は火を通すだけというところまで仕上げているので、いくらなんでもここまでやってあれば大丈夫だろう。
弁当の方はジュエルシードの捜索中でもつまめるように、サンドイッチをメインに色とりどりの食材を用いて、見栄えもいいように工夫している。もちろん傷みにくいように調理にも気を使い、出来上がったものは冷蔵庫にしまった。
フェイトが言うには、少しぐらいなら料理ができるそうだ。魔法を教えてくれた母親の使い魔から基本的なところは習っており、刃物や火の扱いは少し得意だと言う。料理ができると言ってきた時のフェイトの顔は、心外だと言わんばかりだったので、おそらく言葉の通り多少なりとも自信があるのだろう。
しかし、やらなければできないのと同じだ。
少なくとも自分たちだけならば、最低限の食事で済ませようとするだろう。先ほどの冷蔵庫の惨状が、そのことを如実に物語っている。
だが、人が作ってくれたものを粗末に扱う子でもないので、これぐらいがちょうどいい。これぐらいの時の食事環境というのは、体の発育や健康に大きく影響するので、将来のことを考えてもこれは必要だ。
これは勝手な想像だが、フェイトはそれが自分たちだけなら、いくらでも無駄な部分を削ぎ落とせるタイプのように思う。その無駄こそが人生の潤いだと知ったのは、戦場に出て殺伐とした生活を送るようになってからだ。
人間、日常にある幸福というのはつい忘れがちになるが、あの地獄を思い出すたびにそのことを再確認する。
もしかすると今のフェイト達も、それと似たような心境なのかもしれない。今まではただの燃料補給でしかなかった行為が、本当はこんなにも幸せな気分にさせてくれるものだと感じているようだ。
食事の余韻に浸るその様子は、遠目に見ても幸せそうな空気がにじみ出ている。
その様子に、俺自身笑みが漏れる。たぶん今の俺の顔を見たら、またフェイトは不満そうな表情をするんだろうな。
自分の本当の目的も忘れて、またその顔が見てみたいなとも思ってしまう。
そういえば、帰り際にフェイトから「じゃあ、また明日ね」と言われたのは、少し嬉しかった。
別れの挨拶は今までもしてきたが、「また明日」というのを、フェイトの方から言葉にするのは初めてだったはずだ。
これは、明日も会おう、という一種の約束だ。これまではそっけなく別れを告げるだけで、先のことに触れることはなかった。少しは、距離が縮んだのかもしれないな。
そんな、ささやかな変化のあった一日だった。
あとがき
今回は、完全にほのぼの路線でした。
でも、きっとタイトル通り士郎は忙しいでしょうね。朝は家事をやって学校に行って、休み時間に凛と相談して、放課後はフェイト達の食事の世話をするんですから。ただそれなりに充実していると感じて、生き生きしていそうですけど。
もう無印も折り返しで、この先はほのぼのの機会も減っていきそうです。あぁ、でもあと一回は半分以上ほのぼのな話があるはずですけど。
その話を除くとシリアスや苦手なバトルが多くなるので、苦戦しそうです。
応援にしてくださる皆様の期待に応えられるよう、頑張っていきます。