「ほう、聞いていたよりも早いではないかぇ」
無駄と思えるほど広い空間で、玉座を模した座具に腰掛けている女性は、目の前にある手の平ほどの大きさを持った水晶玉を見てポツリと呟いた。
本来なら透明であるはずの水晶玉だが、彼女の目には黒いマントをなびかせ、手に持っている斧のような武器を持つ少女が、形容しがたい化物と対峙している映像が鮮明に映っていた。
「……シュテルめ、情報の共有とのたまっておいてこれを隠しているな、忌々しい小娘じゃ」
手に持っている孔雀の羽を模した扇子を口元で広げ、ギリッと歯ぎしりする。隠し事はお互い様とはいえ、いざ自分が出し抜かれる側になるというのは気持ちの良いものではなかった。
「まあ良い、ならばわしも騙されたことに気づかず、偶然見つけた宝石の蒐集に務めるとしよう。あくまでも良好な協力関係を維持する為に動き、それが結果的に奴らを出し抜く形になるがの」
だがそれも一転、まるで誰かに聞かせるように言い放った後、再び笑みを笑みを浮かべて水晶に映る少女の戦いを見守る。願わくば自分を出し抜いたいけ好かないクソガキにとって不利になる結果を夢見ながら。
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第97管理外世界、ラビット。
この世界にはある種族が存在する。常識ではありえないほど透き通った白い肌。自身の何十倍もある重量物を軽々と持ち上げる腕力。どれほどの重傷を負ってもたった数日で全快する回復力。性格は凶暴で狡猾、あらゆる知的生命体とは少なくとも利害を抜きにした共存が望めない孤独な種族。
夜兎族(やとぞく)、闘争を生業とする最強の傭兵三大部族の中で、なお最強と恐れられている死と破壊の象徴。
フェレット、ユーノ・スクライアは夜兎の恐ろしさを直接見た事はないが、少なくとも相容れない存在である事は理解していた。元々遺跡の発掘や調査を生業とする流浪の部族であるスクライアの一族は自分達が生き残る為に情報収集に余念がない。ましてやそれが一度はすべての次元世界に対して侵略を始めた『愚か者の一端を担った』種族とあれば、細かく調べるのは当然の事だ。
丁寧に調べ上げた結果、夜兎は恐ろしい存在、決して心を許してはならない存在という結論に至った。それが親から子へと語り継がれてきたからこそ、ユーノも直接体験していなくてもその恐ろしさを理解していた。
だが、これはどういう事だろうか? ユーノの目の前にはそれまで教わってきた事すべてを否定してしまう光景が写っている。
「そ、そんなっ!」
ユーノは目前の敵を無視して少女を見る。白い肌に特殊な民族衣装、そして手にもつ番傘。
間違いない、だけどありえない。おおよそ夜兎の特徴を兼ね揃えているあの少女は、よりにもよってもっとも夜兎らしくない行動をとっている。すべてにおいて自身の利のみを優先するはずの種族が、誰かの為に涙し、仇討ちをしようなんて。
「神楽ちゃんあかん! なのはちゃんの携帯が壊れててこれじゃ救急車呼べへんよ!」
「大丈夫アル、あの化物ぶっ殺したらすぐに病院に連れてくから。はやてはなのはの傍にいといてほしいネ」
足が悪いのか、車椅子に乗っているおかっぱの少女の頭に手を置いて顔に笑みを作る。するとそれまで涙目で弱々しかったおかっぱの少女も落ち着きを取り戻し。力強く頷いた。
それだけやると、少女の蒼い瞳がユーノと対峙している黒い生物、ジュエルシードの思念体を睨む。返事を待つような雰囲気は欠片もない、完全に次の獲物を定めている目だ。
その眼力、そして殺気が、思念体を動かせた。無防備なユーノを無視し、より驚異度の高い少女へと標的を定めたのだ。
それまで饅頭のように丸い形が、今度は蛇の細長くなり、そのまま少女へと突撃。少女は間髪いれずに手に持った番傘を正面に広げる。
「ふんぬううううううううおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
その質量を活かした突撃を、足を引きずった跡を残しながらも耐え切った少女は、番傘の手元にあるトリガーを引く。すると傘の先端、石突の部分から激しい閃光と音が断続的に発生する。
それはただの傘ではなかった。尋常ではない耐久性と、内部にマシンガンを備えた仕込み傘だ。思念体は煙を出しながら大きく後退、たかだかマシンガン程度では大したダメージにはならないのだが、あのまま至近距離で受け続けるのは得策ではないと判断したからだ。距離を取り、お互いに睨み合う1人と1体。
「私の妹分をあんなに傷つけて、タダで済むと思うなヨ」
しばしの静寂も、しかしすぐに終わった。狭い路地で二つの怪物が交差し、辺りのブロック塀やアスファルトを瓦礫へと変えていく。
ユーノはこれをチャンスと見て行動を開始した。夜兎の行動をすべて信じるわけにはいかないが、少なくとも時間を稼いでくれている。ならば今自分にできることは傷ついた少女を癒す事だ。迫り来る衝撃を押しのけ、フェレットの姿で地を駆ける。
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≪Photon Lancer.≫
「ファイア!」
同じ頃、離れた場所でもう一つの戦いが行われていた。ユーノ達の方向へ飛翔していたフェイトと、彼女の前に立ちはだかったジュエルシードの思念体だ。
思念体はまるでピンボールのように跳ねながら空から放たれる細長い形状の金色の魔力弾、フォトンランサーを避ける。高速で放たれるその攻撃は、しかしその回避の法則性が読めない思念体には意味をなさなかった。
フェイトはすぐに攻撃を止めた。誘導性を持たないフォトンランサーではどれだけ撃ってもあまり意味はない。それどころか標的を見失って民家や車に直撃してしまう。
「バルディッシュ」
≪Scythe Form.≫
右手に持つデバイス、彼女の愛機であるバルディッシュは主の思考を読み取り、自身の形態を斧状から鎌状へと変化させる。魔力によって形成された金色の光刃が激しく光る。それを隙と睨んだ思念体は体中の触手をフェイト目掛けて伸ばす。
「アークセイバー!」
バルディッシュを両手に構え、その場で一回転。遠心力に物を言わせて光刃をブーメランのように回転させながら発射する。光刃は射線上にあった触手をズタズタに切り裂いて目標へと突き進んでいく。
まるで弱まる気配のない魔力濃度を感じ取った思念体はそれを紙一重で避けるが、光刃は本物のブーメランのように180度ターンする。誘導弾である事を理解していた思念体はそれすらも回避しようとするが。
「セイバー・エクスプロード!」
小さく呟くと同時に、避けられる寸前に光刃に込められた魔力がその場で爆発する。予想外の攻撃に対応できなかった思念体は直撃を受け、続けざまに放たれたフォトンランサーの連続射撃の直撃を受ける。道路をボーリングのように転がっていき、最後にはビルのシャッターに激突してその動きは止まった。思念体の体は巻き上げられた土埃によって隠され、状況を把握できない。
終わったか、とフェイトは地上に降り、確認しようとするが。
「っ!?」
地に足を着けた瞬間、矢継ぎに放たれる触手の攻撃。だが驚くのは一瞬、それらをすべてバルディッシュで切り裂きながら再びフォトンランサーを土埃めがけて発射するが、思念体はそれを真上へ跳躍して回避、そのままフェイト目掛けて突撃するが。その動きは空中で止まった。
思念体の体を拘束する金色の輪、相手を拘束するリングバインドと呼ばれる魔法だ。空中で固定された思念体は体が宙ぶらりんになりながらももがくが、術者の魔力に左右されるそのリングは簡単には破壊されない。
フェイトは上空の思念体目掛けてバルディッシュを向け。
「ジュエルシード……」
≪Arc Saber.≫
渾身のアークセイバーを撃ち放つ。
「封印!」
鋭い光刃が突き進んでいき、思念体をバインドごと切り裂く、真っ二つになった思念体は爆発と同時に上空に鮮やかな閃光が放たれる。
フェイトは思念体が上空へ逃げる事を読んでいた。故にフォトンランサーを撃つと同時に真上に目線を合わせ、思念体が通過するであろうポイントにリングバインドを設置できたのだ。
単純に封印するだけならもっと早くできたのだが、さっきのように小規模だが爆発が起こる。結界を張れない状況で地上で同じような事を行えば確実に被害が出てしまう。だからこそ空中で捕縛してそのまま封印する方法を模索していた。多少の誤差はあったが、やはり知能のない思念体は自分の予想通りに動いてくれた。
「バルディッシュ」
≪Yes, sir.≫
フェイトはそのまま空中を浮き、さっきまで思念体がいた場所で輝く蒼い宝石、ジュエルシードに近づき、バルディッシュの切っ先を向けると、まるで磁石のように吸い寄せられていき、最後にはバルディッシュの中へと収納されていった。
≪Internalize No.17.No20≫
「やった……!」
急いでいたとはいえ、合計21個も存在するジュエルシードを地球に降りた初日で2つも手に入れる事ができたのは運が良いなと無意識に心が弾んだ。しかもほかの物体を利用した異相体が相手ではなかったとはいえ、思念体の力は自分の想像を遥かに下回っている。これなら複数のジュエルシードが相手でなかったら戦いで負けることはまずないと断言できる。
「あっちでも戦いが始まってる。急がないと」
最初に感じた魔力反応を示した方角を見る。今自分が戦った思念体は、理由は不明だがどうやら足止めをする為に自分と戦っていたみたいだ。魔力の大きさから判断してあそこにあるジュエルシードは1つ、それも手に入れる事ができれば幸先が良いにも程がある。
急がなければ、フェイトは目的地に向かって飛行しようとした瞬間。
「っ!?」
背中からの殺気に反応し、その場で振り返りバルディッシュを構える。ガキンという金属同士がぶつかり合う音が耳に響くのも一瞬、そのまま地面へと叩きつけられた。
次いで左右から現れる人影、瞬きする間もなくフェイトは両腕を左右に突き出し、防御魔法、ディフェンサーを展開。金色の魔法陣に遮られた2つの人影は、攻撃が通らないと判断するや後方へ跳躍。
「何者だ!!」
闇に潜む敵対者に叫ぶが、返事は返ってこない。当然そんなものを当てにしていないフェイトはバルディッシュを構え直し、全方位を警戒する。
突然の攻撃、管理局の魔導師かと考えたがそれにしてはやり方が乱暴だ。彼等ならばまず自分達が局員である旨を説明して投降を促すはず。何よりも先ほどの攻撃に魔力を感じなかった。魔導師ではない人間をわざわざぶつけてくるとは思えない。
ならばこの国の治安維持組織か、それはもっとありえない。如何に違法渡航者が相手とはいえ、有無を言わさずに命を奪うような攻撃を仕掛ければ責任問題だ。少なくとも真っ当な組織のやる行為ではない。
ならば誰だ? 上空と地上、どちらも死角から攻撃をしてきた。それも自分の視界に入る前に姿を消すほどの素早い身のこなし、少なくとも素人ではないはず。
しばらくの逡巡、だがそれは左右と背中から迫る殺気で中断し、マルチタスクのすべてを3方からの攻撃に集中する。フェイトはその場で地面を強く蹴って跳躍、敵対者達を上から捉える形になる。
≪Photon Lancer.≫
回避される前に決着を付ける。空中を舞う自身の周囲に複数のスフィアを形成。そして。
「ファイア!」
そのまま連続発射、槍状の魔力弾は散弾銃さながらの量で真下の3人に向かって行き。激しい閃光と爆音が鳴り響く。
フェイトの予想通りだった。最初の攻撃といい今といい、それなりに腕は立つようだが行動がワンパターン過ぎる。確かに死角からの攻撃は有効だが、それだけしかしてこないのなら対策はいくらでもある。
何度目かの土埃、今度は警戒しながら注視する。非殺傷設定にしたとはいえ少しオーバーキルだったかと後悔したが、その考えは一瞬で訂正する事になった。
「なっ!?」
フェイトは驚きを隠せなかった。巻き上げられた粉塵が風によって流され、明瞭になっていくその場所には、フォトンランサーを直撃したはずの3人の敵対者が立っている。
3人共確かに傷を負っているようだが、それで戦闘不能になるわけでもなく、手に持った刀を構えて正対する。だがフェイトが驚いているのはそんな小さな事ではない。
それぞれ体型は異なるが、頭のターバン、背中のマント、鼻から下までを含めた全身を覆う布の全てが白一色の特徴的な服装。その耳は細長く尖っており、どこかエルフを思わせる。
間違いない。過去に自分に魔法を教えてくれた先生が危険な種族の1つとして何度も注意を促していた、この第97管理外世界で傭兵三大部族の一角を担う存在。
「辰羅(しんら)っ!」
「……ジュエルシード、渡せ」
そう言うと同時に、3人の辰羅族は地を蹴り、目の前で既に臨戦態勢のフェイトへと突撃していった。
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振り下ろす番傘が地面に大きな穴を穿つ。破片が顔に当たる不快感に耐えながら神楽は思念体に目を合わせる。
紙一重で避けた思念体は触手を伸ばすが、顔を少し逸らすだけで難なく回避する。同時に体を捻らせて至近距離まで近づいた思念体の体目掛けて蹴りを一撃、その回転を利用してさらに二撃追加、計三撃。
よろめいた所に番傘の横一線、まるでスライムのようにグニャリと形を変えながら右に吹き飛ばされる。その状態で触手による攻撃を敢行したが、威力も速度も低いそれは広げられた番傘に遮られた。
だが触手は番傘に防がれるとそのまま神楽の左足を掴む。予想外の動きに一瞬驚く神楽は高々と持ち上げられ、地面へと叩きつけられる。
「ぬうっ!」
ニヤリと目元だけで笑う思念体に、痛みを堪えながらブチギレて番傘を放り投げ、絡みついた触手を引きちぎるとそれを持って体を大きく何度も回転。
「ドゥオオオオオオオオオウリィアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!!!!!!!」
身動きが取れない思念体を電柱に何度もぶつけながら砲丸投げの要領で放り投げる。建物を幾つも貫通しながら思念体は何度か受身を取り、最終的に大きな十字路でその動きが止まった。
「はぁ、はぁ……」
既に10分は戦っているだろうか。息つく暇を与えない程の連続攻撃は、流石の神楽も疲労の表情を隠せないが無理もない。常人を遥かに上回る身体能力を持つ夜兎といえど休みなしに戦えばその動きは鈍くなる。
こんなに疲れたのは自分が玉手箱でババアになって以来だなと、ふと昔の事を思い出していた。
(止めちゃダメアル! このまま押し切らないと)
心で復唱しながら、番傘を拾って思念体に向かって走る。
一見優勢に見えるこの戦いは、実際は思念体に攻撃の機会を与えない為にガムシャラに攻める事で実力の差を露呈させていないだけである。
戦いが始まって数分で神楽は自分の不利を直感で理解していた。
パワー、スピード、耐久力、魔力量、手数。どれを取っても自分が勝っている部分は存在しない。――魔力に関しては仮に勝っても大したアドバンテージにならないのだが――これだけ先手を取っていられるのだって、思念体の知能が低く、攻撃が触手一辺倒だからに過ぎない。
万が一思念体が戦法を変えれば今の状況が逆転してしまう。その前に倒すか、この騒ぎを聞きつけた税金ドロボウに全部任せるしかない。――もっとも、神楽的に後者は何がなんでも避けたい所ではあるが――
全力の攻撃を受けて未だに倒れる気配のない思念体の姿に舌打ちしながら神楽は跳躍。そのまま思念体の頭上目掛けて番傘をふり下ろそうとする。自分の腕力に落下速度も上乗せすれば、少なくともタダでは済まないはずだ。
もはや自分が女である事を忘れているとしか思えない罵詈雑言が夜空に遠く響く。
「くたばれブサイクおはぎいいいいいい!!!」
話は変わるが、思念体には言語能力がない。口はあくまでも他の生物の構造を真似ただけであり、機能までは完璧には再現していない。唸り声は未完成の結果である。
だが思考能力は備わっているので、相手の行動を予測して回避したり、逆に攻撃に最適なタイミングを考える事もできる。思い通りに行ったら二つの赤い目を歪ませて笑いに似た表情を作る事ができる。
そして思念体はその目元を大きく歪ませている。仮に、もし仮に発声する事ができるのなら、彼はこう言うだろう。
バカが、くたばるのはお前だ。
突然、思念体は体中から黒い煙を吹き出すが、コケおどしと判断した神楽は煙ごと叩き潰そうと振り下ろす。強烈な風圧は辺りの煙を一瞬にして吹き飛ばしたが、そこには思念体の姿はない。
怪訝な表情でその場所を注視する神楽は気づけなかった。吹き飛ばした煙が自分の後ろに集まり、次第に一つの形を作っている事に。
「っ!?」
振り向くよりも先に思念体がその巨体で背中に激突する、体が地面に何度も跳ねていき、再び距離を離されてしまう。
マシンガンが効かない以上、遠距離戦になれば勝ち目はない。何とか体勢を整えて再び突撃しようとするが、正対した思念体の目が不気味に光るのを見た神楽は本能で動きを止め、番傘を広げて防御体制を取る。
結果的にその行動は正しかった。見開いた赤い目から放たれた強力な魔力弾。砲撃と見まごうその一撃は衝撃波だけで周りの街路灯をなぎ倒し、番傘に触れると同時に一際大きな光を放ちながら爆発する。
巻き上がる煙の中で、穴だらけになった番傘を構え、額や口、至る所から血を出している神楽は、肩で息をしながら倒れまいと踏ん張っている。
本来ならこの煙に乗じて接近戦に持ち込まなければ自分に勝機はない。頭では分かっているのにダメージを受けすぎて体が言う事を聞いてくれない。
そして思念体はそんな彼女を待ってくれるほどお人好しではない。煙が晴れると同時に触手が体に巻き付き、さっきのお返しとばかりにグルグルと周りにぶつけながら振り回し、それと同じだけ何度も地面に叩きつける。
「がふぁ!!」
体中の骨が折れているのではないかと思わせるほどの苛烈な叩きつけ。腕の自由が効かない状態でなんとか番傘のマシンガンを連射するが、やはり望んだダメージを与える事はできない。
もっと近い距離から撃たなければ怯んでさえしてくれない。締め付ける力が強くなるのを感じながらも逃れる方法を模索するが、周りの建造物などに激突するたびに頭の中が真っ白になっていき、正常な思考ができない。
気を失う寸前、それまでの攻撃が嘘のように止んだ。そしてそのまま乱暴に自分の方へ至近距離まで近づけてきた。
疑問符を浮かべる神楽だったが、思念体の見開いた目を見た瞬間、その行動の真意が一瞬で理解できた。
至近距離からの連続魔力弾。間近で攻撃している自分へのダメージを考慮してるのか最初に比べてその威力はかなり下げられているが、それでも到底耐えられるものではない。しかもそれが連続でだ。
魔力弾の雨の中、神楽はようやく自分と相手の実力の差を本当の意味で理解した。
思念体は今まで遊んでいたのだ。最初こそ自分の分身――ジュエルシードさえ組み込まれていない使い捨てではあったが――が吹き飛ばされた時は神楽を驚異と思ったが、いざ戦ってみれば想像を遥かに下回るレベルの弱さだった。ある程度魔力を持っていたみたいなので今まで力を抜いて隙をついて蒐集しようかと思っていたが、よく考えれば近くにより極上の餌が無防備に留まっているのだからこの程度の相手から奪う必然性を感じなくなったのでこうして本気で潰しに掛かりにきたのだ。
「ヌウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!」
だが腐っても神楽は夜兎だ。魔力弾の雨の中でも自分を拘束する触手を引きちぎり、今にも新たな魔力弾を放とうとする赤い目に向けて渾身の鉄拳を叩き込む。
行き場を失った魔力の塊はその場で爆発、爆風を直撃する形になった神楽は何度も再び地面をバウントし、ゴロゴロと転がりながらも受身をとって何とか立ち上がる。
「はぁ、はぁ、ウェ!」
だがそれも一瞬、すぐに四つん這いになって口から血の混じった吐瀉物をぶちまけてしまう。内蔵が既にボロボロになっている証拠だった。
同じく爆風を直撃したはずの思念体は少し苦しんだかのように唸り声を上げながらその場でうずくまっているが、深刻なダメージを受けている様子はない。恐らく予想外の攻撃にちょっと驚いた程度なのだろう。
絶望的な実力差、もう笑いそうになる口元を必死に食いしばる。現実逃避をしている暇なんてない、自分の後ろに絶対に護らなければならない人達がいる以上、例えボロボロになっても立ち上がらなければならない、勝たなければならない。
人を傷つけ、殺す事ばかり宿命づけられた血を持つ自分に居場所と優しさをくれた人の為なら、勝てない相手にだって勝ってみせる。
「……上等だ、とことんやってやんぞ三下ぁ!!」
・
・
・
それまで動かす事さえできなかった体が、今じゃぴょんぴょんと何度もジャンプができる。
焦点の定まらなかった視界は明瞭になっていき、吐血もなくなっていた。
ユーノと名乗るフェレットは、ただ手をかざしただけだというのに、魔法を使ったかのようになのはの体を完全に完治させていた。まるで西派白華拳の内養功のようだと内心驚いていたが。
「なのはちゃんっ!」
ガシッと自分の腰周りに抱きつくはやてに、なのはは慌てた素振りも見せず、ただその肩に手を置く。
「……はやてちゃん」
「ほんまに、ほんまに良かったよぉ!」
止めどなく流される涙が自分の服を濡らしているが、自分を想っての結果だという事を理解しているなのははそれがどうしようもなく嬉しかった。ただやはり親友の泣く姿を見るのは気持ちのいいものではなく、頭を撫でて何とか慰めようとする。
「ごめんね、心配かけちゃって、でも私はもう大丈夫だから」
チラリと横を見やる。さっきまで自分を懸命に治療してくれたフェレットが青白い顔になっているが、心配を掛けない為か無理やり笑顔を作ってなのはを見上げている。
「ありがとう、ユーノ君」
「いえ、元はといえば僕が巻き込んだんです。これくらいは当然……」
そう言ってそれまで気力だけで立っていたユーノはまるで糸の切れた人形のようにその場で倒れこみ、慌てて屈みながら両手でその小さな体を支えるなのは。
恐らく思念体との戦いがよほど響いたのだろう。さらに自分を治療する為にかなり無理をしていた事に思わず申し訳ない気持ちになるが、遠くから何かがぶつかり合う音が響き渡り、思わずその方向に目を向ける。
かなり距離が離れていたが目を凝らして良く見ると、あの黒い怪物に一方的に攻撃を受けている神楽の姿があった。
「神楽ちゃん!」
今まで彼女の戦う姿を何度か見た事はあるが、その大半は遊び半分だったり警察官とのじゃれあいであり、どちらかと言うと戦いごっこという言葉がピッタリくるものばかりで、本気で戦っている姿は片手で数えるほどしかない。
だが今は違う、普段は使わない番傘を縦横無尽に振り回し、確実に相手の息の根を止めようとしている。そしてそれ程まで本気になっているにも関わらず、黒い化物を相手に手も足も出ない状況に驚愕した。いつも自分達が危ない目にあったら誰よりも先に駆けつける女の子、どんな事があっても絶対に負けなかった姉貴分の姿が痛々しかった。
急いで助けを呼ばなければとポケットに手を突っ込むが、出てきたのは最初に化物とぶつかったことでボロボロになっている携帯だったものだけだ。
ワラにもすがる思いではやてに向き直すが、はやてはバツが悪そうに首を降る。
「ごめん、こんな事になると思ってなくて携帯持ってきてへん……」
なのはにとってそれは死刑宣告にも匹敵する言葉だった。
絶望すると同時に後悔していた。あの時にその場で助けを求めていたら、悠長な事をせずにいたら、自分の浅はかさが今の状況を作っている事になのはの心が苛まれてしまう。
今からここを離れて助けを呼ぶかと考えたがすぐに否定する、確実に手遅れになる算段が高い。
なら自分達で助けるか、それはもっとありえない。何の力も持ってない小学3年生が怪物同士の戦いに割って入った所で事態が好転するわけがない。
ならばどうすれば、何があれば彼女を助けられることができるのか。ただただそれだけがなのは達の頭の中を駆け回り、何かを思い出したかのように自分の手に平で戦いを観戦しているユーノの方に顔を向ける。
「ユーノ君、貴方は最初に私に助けて欲しいって言ったけど、それって私にあの怪物を倒せる力があるって事だよね?」
「え!?」
「教えて! どうすれば良いの? 私にできる事ならなんでもするから!」
らしくなく声を荒げながら懇願するなのは。だがそれだけ今の状況が切迫しているという事は、弱っているユーノにも理解できるが、しばらく下を向いて考え込みながら、その重い口を開いた。
「それは無理です。確かに貴女にはその力はあります、だけどそれを使うために必要な物を僕の不注意で無くしてしまって手元にないんです。だから……」
「……そんな」
唯一の希望が断たれた。まるでこの世の終わりに直面したかのような表情になる。
いつも自分の事を護ってくれた大切な人が傷ついているのに、それを解決する力が自分にはあるのに、こうやってただ泣きじゃくるしかできない自分はなんて情けないのだろうか、次々と出てくる自分への嫌悪感に襲われる。
「……」
そのなのはの横で、同じように助けを呼ぶ方法を考えていたはやてが、ユーノの言葉に思わず顔を上げる。
「あの、その必要な物ってどんなもんなん?」
「赤くて丸い宝石です。確かにこの土地に来る時までは首に掛けてたはずなのに……」
「……ぇ?」
たらりと、自分の頬を伝う汗の感触が妙に印象に残った。そして今自分が首に掛け、服の下に入れているそれの存在をようやく思い出した。
……まさか? いやそれはないだろう。幾ら何でも都合がよすぎる。
半分本音、もう半分は知らなかったから自分にはどうしようもなかったという言い訳を頭の中で反すうしながら、恐る恐るはやては首に掛けていた紐を手に取る
「ひょっとして、これの事?」
顔色を伺いながら宝石を見せるはやて。家族が必死に戦っている時に不謹慎だと分かっているが、できれば外れてほしいなぁと考えるが。
「そ、それです! 何で貴女がそれを!」
悪い方に考えが当たってしまった。
「えと、ウチのペットが君を食べようとした時に誤って毛に引っ付いてたらしくてな。そやから急いで返しに行こう思ってここに来て……」
震えながらも嘘を交えて説明するはやて。まさかそんな大切な物がペットのゲロと一緒に出てきたなんて口が裂けても言えなかった。
≪いいえ、私は彼女のペットに捕食された後、吐瀉物と一緒に排出されました≫
だがそんな思いを打ち砕くかのように隠された真実が3人の耳に木霊する。しかも声の主は他ならぬ宝石からである。
「しゃ、喋った!?」
宝石が妙に女性らしい電子音で喋るという事になのはは思わず目を見開く。この地球で考えたら非常識極まりない事なのだが、はやては宝石が喋った事よりも事実をバラされた事の方が重要だったらしく、顔から止めどなく脂汗を流し始める。そして……
「ごめんなさい! ほんまにごめんなさい! そんな大切やったなんてあの子も知らんかったんです。多分知っててもきっとこれっぽっちも気にせずに好き勝手にしちゃうけども、決して悪気があったわけやないんです! あっても半分、いや7割くらいで残りの3割はちょっと意地悪しちゃう子供心なんです! 14歳にもなって恥ずかしい事だとは私も理解してますし怒る気持ちも分かります。お金で解決なんて汚い話と思うけど、残念ながらウチにはそんな汚い話をするお金もないので、毎日の御飯もお登勢さんや時々来てくれる石田先生の御厚意で何とかなってるような有様です。私にできる事なら何でもするからどうかあの子だけを責めるのは許してあげて下さい! お願いします~!」
普段からは想像もつかない程の甲高い声で何度も頭を下げ、顔を涙でグチャグチャにするはやて。あまりに動揺しているのか、自分の言っている言葉の不自然さにも気付く素振りすら見せない。
「あぁ、あの~、そんなに謝らなくても、デバイスはこれくらいなら故障とかしないので」
気にしないでくださいと、慌てながらも何度もなだめようとするユーノ。別段責め立てるつもりは毛頭ないし、むしろ完全に消化されて自然に還される前にこうやって返して来てくれた事に感謝しなければいけない立場なのだが、はやての姿を見るととてつもなくいたたまれない気持ちになる。
そんな状況の中、バケモノに襲われたり姉貴分が死にかけてたり親友がなんか必死に謝っていたりと、自分の常識から測れない出来事に見舞われ続けてすっかり蚊帳の外に置かれてしまったなのはだが、はやてが手に持つ赤い宝石が淡く光るのを見て、ようやく我に返る。
「け、経緯をともかくとして、これで何とかなるんだよね!」
涙を拭い、再びユーノに目を向けるなのは。定春に吐き出されたとか宝石が喋ったとか、色々と聞きたい事は山ほどあったが、今は何よりも神楽を助ける事が優先されていた。
「そ、そうです! はやてさん、すみません、それをなのはさんに」
「うぅ、ほんまにごめんなさい……」
まだ申し訳ない気持ちでいっぱいであったが、神楽を助けたいという気持ちは同じ。はやては手に持った赤い宝石をそのままなのはに渡す。
それは本当に小さな宝石だった。自分の親指ほどの大きさのサファイアのように赤い宝石。これが自分に力を貸してくれる。いや。
(神楽ちゃんを、助けてくれる……!)
「それを手に、目を閉じて、心を澄ませて」
「……」
宝石を両手で優しく掴み、そのまま心臓の位置に近づける。すると自分の心臓の鼓動に合わせるかのように宝石もまた脈打ち、その光を強める。
「管理権限。新規使用者設定機能、フルオープン」
ユーノの言葉は、この宝石の使われていなかった部分を開放する言葉だった。自分を中心に万華鏡のように完成された美しい円形の魔法陣、それと同時に頭の中で流れてくる文字の羅列。
何故だろう、突拍子もなく頭に流れ込んでくるこの言葉、これこそが、自分が今口に出すべき呪文である事を、なのはは理解している。
「風は空に、星は天に、不屈の心はこの胸に、この手に魔法を! レイジングハート、セーットアップ!」
≪Stand by Ready, set up.≫
瞬間、光が彼女を包み込む。
光は夜空を穿つ大きな柱となり街全体を明るく照らしだす。それは近くにいたユーノやフェレットはおろか、神楽と戦っている思念体の目にもはっきりと写っていた。
≪魔力資質を確認、デバイス、防護服ともに最適な形状を自動選択 ≫
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「……何て、魔力」
それはより離れた距離で死闘を繰り広げていたフェイトにも感じることができた。
あの爆発具合、砲撃魔法として放ったわけではあるまい。恐らくあれはそれまで使う機会がなく、所有者の中で眠っていたリンカーコアの魔力が一気に放出されたもの。だがあの量は異常というほかなかった。体内に蓄積できる魔力量には個人差があるとはいえ、あれだけの魔力を今まで使う事もなく溜め込んでいたというのか。一体どれほどの許容量なんだ?
「この星で、あれだけの魔力を持った人間が生まれるなんて!?」
突然変異も甚だしいと考えながら、右手のバルディッシュで2人、左手のディフェンサーで1人の辰羅をそれぞれ抑えこむ。
マルチタスクによる並列処理があるとはいえ、命を賭けた殺し合いの最中に余所見ができるのは、暗にフェイトと辰羅達の実力の差を示していた。
元々辰羅は集団戦を得意とする傭兵部族。だというのに所詮は小娘1人と高を括ってたったの3人で戦いを挑んだのは致命的な戦術ミス以外の何物でもない。フェイトと彼等の間には実戦経験だけでは埋められない絶望的な力の差があるのだ。
いや、格上との戦いでは必ず犠牲者を出してしまう彼等に比べ、知的生命体との戦闘こそ初めてであるものの、自分以上の力のある怪物との戦いが多い少女の方が、錬度の点で言えば優れている可能性もある。
だがフェイトの方も攻めあぐねていた。長時間の広域探査とさっきの思念体との戦いで疲労が蓄積している事もあるが、少ないとはいえ数の利は向こうにある。1人を攻めればもう2人がその隙を突こうと死角から攻撃してくる。深追いすればこちらの隙をさらけ出してしまう。
バインドで固めても向こうも魔法への対策を行なっているらしく、簡単に解除されてしまう。フォトンランサーでは大したダメージを与えられない。
サンダーレイジは論外、拘束ができなければ素早い彼等には意味を成さない。スマッシャーならまだ可能性はあるが砲撃魔法の特性上、足を止めなければならない以上、防御に自信のない自分が確実に来るであろう致命的な一撃に耐えられるとは思えないしそれだけの魔力もない。アークセイバーも恐らく不可能だ、距離が近すぎる上に隙が大きすぎる。
もっと辰羅達が不用意に攻めてきてくれればバルディッシュによる一撃を見舞う事ができるのだが、向こうも実力差は把握している以上、そんな自殺行為はやってこないだろう。
「くっ!」
実力では勝っているのに相性が悪いとこうも戦いにくい。フェイトは焦りからくる自分への怒りで頭の中がいっぱいだった
数えきれない程の打ち合い、だがそれは突然止まった。辰羅達は目線をフェイトに合わせず、あさっての方向を見たまま止まっていた。
「!?」
自分が言える立場ではないが戦いの最中に余所見? それも3人同時に? 罠かと思ったのも一瞬、3人は一気に距離を取る。
「失態だ、シュテルの狗が見張っていた。マズイぞ」
「さらにもう1つの影、こちらも忍びに近い」
「これ以上は敵対行為として扱われる」
見張り、敵対、シュテル。訳の分からない事を口々に言うと、瞬きする間もなく3人はその場を離脱。1人残されたフェイトは、その場で立ち尽くす。
「……」
見逃された。相手側の理由がどうであれあのまま戦えば体力のない自分が根負けしていたかもしれない。その状況で一方的に戦いが切り上げられたのなら、それは見逃されたという他ない。
何が実力では勝っていただ。肝心の戦いでそれを発揮できないのなら意味がないではないか。心の何処かにあった慢心が今回の無様な戦いを演じてしまったとフェイトは思い込んでいた。
「……あっちには行きたいけど、これ以上はもう無理か」
予想外に戦闘に既に体力と魔力は限界に近い。口惜しいが既にジュエルシードは2つも手に入れている。スタートとしては決して悪くない。そう自分に言い聞かせて、フェイトはその場を後にしようとする。もしもまたあの辰羅達と戦う事になったら、次こそ勝ってみせるという気持ちを抱いて。そして。
「あの魔力の持ち主、一体誰だろう?」
最期に、遠くから見える光の柱の主の正体を考えながら。
・
・
・
きらめく光の柱が消えると同時に、そこには少女が1人。
白と青に彩られたロングスカートの清廉で可愛らしい服だが、胸と袖の部分が金属で覆われていてる。左手にはその服に見合った先端に赤く輝く宝石を備えた杖。
「……え? えぇ!? えぇぇぇ~!!」
無意識に手頃な建物の屋上に着地すると、なのははまず自分の姿に慌てふためく。
以前真選組の副長が頭の病気を患った時に見せてくれたMS少女のように機械然とした服、バリアジャケットと呼ばれるそれはその見た目に反して殆ど重量を感じない。通常の私服を着ている時とまるで遜色がなかった。
そして左手に持っている杖、レイジングハートはあの赤い宝石に幾つものパーツが組み合わさった代物らしい。こちらもかなりの装飾が施されているというのに運動音痴の自分が苦もなく振り回せるほど軽い。
「……魔法、なんだよね?」
一通り慌てた後、今の自分の状況を説明できる、自分が呪文として使った言葉を呟く。
服に杖、どれもこれも魔法という言葉からくるイメージからかけ離れてる気がしなくもないが、よく考えれば宇宙人のくせに語尾にアルアルつける怪しい日本語を話す知り合いがいるのだからこの程度は何も驚く事はない。
≪初めまして新しい使用者さん≫
勝手に納得していると、聞き覚えのある声が杖から聞こえた。
レイジングハートだ。先端の宝石を点滅させながらなのはに話しかけてきたのだ。わざわざ挨拶なんて丁寧な人(?)だなと感心しながら応える。
「えっと、初めまして」
≪魔法についての知識は?≫
「全くありません! 今日始めたばかりのピカピカです!」
≪分かりました、では全て教えます。私の指示通りに≫
その時だ。レイジングハートの言葉が足下で響く爆音でかき消された。そうだ、こんな事をしている場合ではなかった。なのははそう思いながら下を見ると、あの黒い怪物、思念体と神楽の姿があった。
「神楽ちゃん!」
遠目でわかりづらいがまだ生きていた。相変わらず防戦一方ではあるが少なくとも思念体への攻撃に耐える程度の余力は残していた。
「今行くから!」
居ても立っても居られなかった、なのはは神楽へと向かう為にその場から飛び降りた。15mはある高さの建物の屋上であるという事を忘れて。
≪飛行を試みるのなら前もって仰って下さい≫
しかし、新しい使用者の無謀極まりない行為に対して、レイジングハートは特に動じる事はなかった。
≪Flier Fin.≫
その言葉と共に、なのはの両靴に現れる一対の光の羽。すると重力に任せて垂直に自然落下するだけだったなのはの体はそのまま思念体の方へと向かっていく。
今更ながら自分の無鉄砲さを思い出すと同時に、そんな自分を一瞬でフォローしてくれたレイジングハートに感謝しながらなのはは安定も2の次で一直線に向かっていく。
「てあああ~~~!!!」
両手でレイジングハートを構え、何とも気の抜けた掛け声と共に思念体の側面に突撃。まるで予想できなかった思念体は受け身をとる事もできずに体をアスファルトで引きずられていく。20mほど吹き飛ばされた辺りでその勢いは止み。あまりの痛みからか悶え苦しむように体を大きく震わせる。
素人から見ても追撃するのに絶対のチャンスを、しかしなのはは完全に無視して急いで着地する。彼女にとってはまず神楽の安全が第一だった。
「神楽ちゃん! 神楽ちゃん!」
まるで糸の切れた人形のように壁にもたれ掛かっている姿を見るや一目散に駆け寄り、何度も名前を呼ぶ。自分が思っていた以上に傷だらけの姉貴分の姿は見ていて痛々しく、何とかしてあげたいという気持ちが強くなる。
≪Recovery.≫
その想いを感知したのか、レイジングハートは電子音と共に淡いピンク色の光を神楽を包み込むように放出。小さな怪我が見る見るうちに塞がっていき、光が消えると同時に神楽はゆっくりと目を開ける。
「なのは、お前怪我は平気なんか? つうか何アルかその服? トッシーか? トッシーが着せたんか?」
完全回復とまではいかないらしく、弱々しい声を出しながら自分を見る神楽の姿に、必死に堪えていた涙が再び頬を伝っていく。
何か言わないと、助ける為に来たのだと、今度は私が護ってあげると。何度もしゃくりを上げながら必死に口にしようとする。
「……ごめんなさい」
「あぁ?」
「神楽ちゃん、ごめんなさい。私のせいでこんないっぱい怪我しちゃって、私があんな事言ったせい怖い目に合わせちゃってごめんなさい、公園で傷付けるような事言っちゃってごめんなさい、桂さんの家で傷付けるような事言っちゃってごめんなさい、ほんとにごめんなさい、ごめんなさい……」
だが実際に出てきた言葉は思っていたものと全然違っていた。必死になって助けて一応の無事を確認した瞬間、心のどこかでくすぶっていた思いが表面に出てきて、それを拭う為にとにかく謝りたくなってしまった。
自分がもっと早く助けていれば、あの公園で喧嘩なんかせずにいれば。そればかりが頭の中をかき回し、意味も分からずにひたすら謝罪を繰り返す。
まるで小動物のように縮こまる少女に、神楽は面倒くさそうに顔をしかめ、しかしすぐに同じように目尻に涙を溜め、自分の頭をコツンとなのはの頭に当て、鼻声になりながら語りかける。
「良いアル、こんなもんすぐに治るから気にする事ないネ。それより私の方こそごめんな、ヅラん家であんな酷い事言っちゃったけど、お前にはずっと妹分でいてほしいアル。はやて達にも言われたんだけど、お前がいないと寂しくてつまんないヨ」
それは反則だ、なのははそう思った。
普段の彼女ならこんな素直に謝ってきたりしない。照れ隠しから来る上から目線な物言いをしてうやむやにすると思ってたのに、その口で言われたらもう我慢できない。
一度大きく顔を歪ませた後、その場で神楽に抱き付いて声を上げて泣きじゃくる。後々からかわれるのは承知していた、そしてそれが原因になってまた喧嘩になる事も予想できた、ただ今は目の前の大好きな友達に目一杯甘えたかった。
ぶっきらぼうで口が悪くて怒りっぽくてすぐ手が出てしまう。でも気づいたら隣で笑ってくれる、寂しいと思った時は声をかけてくれる掛け替えのないもう1人のお姉ちゃん。
「私もずっと姉貴分でいてほしい、またアリサちゃんやすずかちゃん達と一緒に遊びたい、一緒に定春やはやてちゃんとお散歩したい、一緒に銀さんや新八さんの面白いな話をしたい、一緒にお父さん達とご飯食べたい……」
そう言い終えた瞬間、なのはの背後で一際大きな爆音と閃光が響く。何事かと慌てて振り向くと、さっきまでもがき苦しんでいた思念体の攻撃をピンク色の膜によって防がれていた。
≪お楽しみの所を申し訳ありません、邪魔者が起きました≫
2人は思念体を注視する。あの突撃がよほど響いているのか、激しく呼吸を繰り返しながらボロボロの体を引きずっている。その目には恐怖とも憎悪とも取れる感情が滲み出ており、それを発散されるかのように目から巨大な光の塊を生成していた。
その光は、まだ魔法に触れて数分と経っていないなのはにも危険と判断できる代物だった。恐らくさっきの突撃で新たな敵が格上であると確信し、一気にケリを付けるつもりなのだろう。
「やばいアル、早く逃げないと」
≪今回避行動を取るとその瞬間発射されます≫
既に思念体の魔力弾は2人を蒸発させるには不十分だが、少なくとも重症の神楽と一緒に避けるのは不可能と言って良い。シールドを使おうにも魔法の制御に慣れていないなのはがレイジングハートの補助を借りたとしても耐えきれるかどうか。いや、例えシールドが破られたとしてもなのはだけなら耐えきる事はできるだろう。
「……」
回避もダメ、防御も恐らくダメ、ならばなのはの答えは決まっている。
「……レイジングハート、あれよりも強い攻撃ってできる?」
残された手段は、どうやら膨大らしい自分の魔力と火力を持って思念体を全力全開で押し潰す。
≪貴女がそれを望むのなら、私も応えます≫
「なのは!?」
なのはの言葉に神楽が驚く。火力に火力で応えるのは決して悪い方法ではない、だがそれは自分の力が――力を効率よく引き出す技量と言い換えても良い――相手の力を上回っている事が前提条件だ。そうでないのなら下策もいい所。そもそもまともに魔法を使っていないなのはに目の前の思念体以上の力を引き出せるとはどうしても思えなかった。
だがなのはは止まる様子はない。呼吸を整え、体の内にある力を両腕に集めるようにイメージ。まるで教えられていないというのに、なのはは自然と行なっている。
「大丈夫、絶対に勝ってみせるから、じゃないと」
「……」
「じゃないと神楽ちゃんを護れないもの」
足下に広がるピンク色の円形の魔法陣、次いでレイジングハートの先を思念体に向けて構える。
≪Cannon Mode.≫
光がレイジングハートを包み、再び姿を現す。それはより鋭利に、そして攻撃的な『砲身』のようだった。
ドクンと心臓が高鳴る、それに反応して体に充満していた魔力が砲身に集まっていく。同時に持ち手の一部が展開、グリップとトリガーが露出した。なのははグリップを掴み、トリガーに指を掛ける。
≪封印砲準備完了、トリガーを≫
思念体は未だに動かない。瞬きする間もなく展開されたなのはの封印砲の強大さを感じ取り、それを上回る為に、ゆっくりと、確実に蒸発させる為に力を溜める。
なのはもまだ動かない。まだ十分な魔力が集まっていないと判断したからだ。思念体の魔力弾を上回る為に、ゆっくりと、確実に相手を倒す為に、そして。
(神楽ちゃんを傷つけない為に!!)
魔力が集う音だけが辺りを支配する。互いに膨張を続ける魔力を制御し、破裂する瞬間を見極め、相手を上回るその時まで。
「っ!」
なのはは感じた。今この瞬間、確実に相手を超えた。トリガーを力いっぱい引き絞り、その強大な火力を解き放つ。
≪Divine Buster.≫
レイジングハートの電子音と共に放たれた砲撃、反動で後ろに倒れそうになる体を必死で堪え、その光を前方へと向け続ける。そして思念体の魔力弾も寸分の狂いもなく発射、赤い光軸が吸い込まれるように向かっていく。
2つの光が両者の中間点で激突、眩い光が物理的な力となって無人の建造物をなぎ倒し、暴風が木々を根本からちぎり取る。アスファルトは熱に焼かれ、カサブタのようにボロボロと剥がれていき、空中を舞っていく。
その状況の中、レイジングハートは正確に計算を行い、1つの答えにたどり着いた。
――このままでは負ける――
確かに火力は辛うじて上回っている。このままいけば新しいマスター、なのはは間違いなく思念体に押し勝つだろう。レイジングハートもそれを理解した上で魔力弾の撃ち合いに反対しなかった。
だがたった1つの不確定要素を計算に入れ忘れていた。膨大な魔力の照射を続けるなのはがその反動に耐えられないのだ。少しずつ後ろへと傾いていく体を必死で元に戻そうとしているが、所詮は小学3年生、どれだけ頑張っても持続するはずもない。
急いで自身のプログラムを走らせ、ディバインバスターの威力を向上、なのはが力尽きる前に決着を付けようとするが、それでも間に合いそうにない。
(お願い、もう少しだけ、もう少しだけ耐えて……!)
腕の力が抜けていく、足が地面に付かなくなる。どれだけ思っても体は言う事を聞いてくれない。伸ばしきった両腕が少しずつ曲がっていき、思念体の魔力弾に押し負けていく。
(嫌! もうちょっとだけだから、お願いだから耐えて!)
流れる涙と血が暴風によって空を舞う。前のめりになろうと足を踏み出そうとするが、反動でそれは叶わない。
心は折れていないのに、この非力な体が、そして長続きしない体力が耐える事を拒否する。後ろに護りたい者があっても、これだけはどうしようもなかった。
少しずつ、指が滑るようにレイジングハートから離れていく。もう少し、もう少しと心が喚きながら。そして。
「なのはああぁぁぁ!!! 腰が引けてっぞぉ、力入れるネ!!」
重ねるように覆われた自分の両手、耳元で聞こえる甲高い声。
少し動いただけで悶絶するほどの激痛に耐えながら、支えるように密着する神楽のぬくもりをなのはは感じた。
「神楽ちゃん!?」
「親子かめはめ波ならぬ姉妹かめはめ波じゃあああ!!」
≪かめはめ波ではなくディバインバスターです≫
「じゃあ姉妹ンバスターじゃあああ!!! 行くぞなのはぁ!!」
歯を食いしばり、とんでもなくおっかない顔で力が抜けるような事を言う神楽。ひょっとしたら今この瞬間にも死んでしまうかもしれないというのに何て緊張感のないのだろうと半分呆れるなのはだが、どんな状況でも自分のペースを崩さない姉貴分の姿が、何よりも嬉しかった。
「うん! 行こう! レイジングハート! 神楽ちゃん!」
≪Yes, my master.≫
心が満たされ、力が湧いてくる。あれだけ疲弊していた腕も足もまだ頑張れると踏ん張ってくれる。そしてそれが幻想でない事が自身の魔力弾が押し返した事ではっきりと分かる。
じりじりと迫り来るピンク色の魔力に驚愕する思念体、その感情が雄叫びとして表面に表れる。だが思念体の赤い魔力弾の威力は変わらない。少しずつ迫り来る巨大な光に、もはや自分の攻撃は敵を貫く矛どころか主人を守る盾の役割さえ果たしていない事に気づいた。
「4倍だぁ――――っ!!!!」
だがそれは遅すぎた、ピンクの魔力は圧倒的な力で赤い魔力を打ち砕き。障害を取り除かれた事で速度と力を増し、何処までも突き進む。
「ッ!!?」
迫りくる光に飲み込まれ、思念体の仮初の体と心が蒸発していく。本来の用途から外れ、暴走を繰り返すだけだった思念体の核は、ようやく本来の純粋な蒼い結晶へと姿を変えていく。
≪Internalize No.s 18.≫
光りに包まれた結晶、ジュエルシードは姿を現すと同時にレイジングハートに吸い込まれるように近づき、格納されていく。機械的な電子音がそれを知らせるように鳴り響いていく。
それが終わると、巨大な爆炎と煙が夜空に昇り、少女の勝利の狼煙となっていく。
あぁ、勝ったんだ。なのははそう思うと気力だけで立ち上がっていた体から力が抜け、重力に従って崩れていく。
だが肌に触れる感触は冷たいアスファルトではなく、自分を支えてくれた温かく柔らかなものだった。重いまぶたを必死に開けると、いつもの橙色の髪をした姉貴分の面白い顔が映る。
「よく頑張ったアルな、もう大丈夫だから、ゆっくり寝てろヨ」
いつもの横暴なものじゃない、何処か母性を感じさせる物言いが心地良い。あぁそうだ、これが見たかったんだ。この時々見せる優しい顔を。
「……うん!」
置き去りにしてしまった親友達の顔が頭に浮かぶが今は凄く眠たい。何よりも少しでもこの柔らかい感触に包まれたかった。普段は恥ずかしくてできないからこそ、せっかくの機会を大切にしたい。
そう思ったなのはは、神楽の言葉通り、ゆっくりと目を瞑る。
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「過程は大幅に変わっていますが、大筋に変更はないようですね」
ひとまずは安心だと、探知妨害の魔法を身に包んで思念体との戦いをつぶさに観察していたシュテルはゆっくりと安堵の息を漏らす。
テスタロッサの早すぎる地球到着。
本来なら銀髪の男が担う役割を持って現れた夜兎の少女。
本来ならこの場にいないはずの同類で、そして遠く離れた他人の少女。
自分のオリジナルが身に纏うバリアジャケットの装飾の違い。
そして覚醒まで1ヶ月以上の猶予があるにも関わらず、自分と同じようにこの戦いを観察していた魔導書の存在。
挙げればキリがない相違点の数々は、しかし結果的に大筋通りに進んだ事で全て払拭できるレベルに収まっていた。これならば自分が表に出る必要はない、いつもの様に傍観者に徹して、漁夫の利を狙うチャンスを待つだけだ。
「今が絶好の機会だというのに」
本来ならこのような姑息な真似をするのは彼女の本意ではない。欲しいのなら自分の力で手に入れたいが、長い眠りについている敬愛すべき王と、不本意ではあるが今の所は自分と同格の立場にあるあの男がそれではダメだと言う以上は従うしかない。
「どちらにせよ、報告すべき事は山のようにできてしまった」
忌々しい、あの男に情報を与えなくてはならないと思うと足取りが重くなる。闇に敗れ、人口のウイルスに敗れ、だのに王に気に入られただけで自身は何も成していないというのに、ただ地下で酒と女に酔うだけですべてうまくいくと思い込んでいるあの愚者の喜ぶ顔を想像するだけで身の毛がよだつ。
憎悪ばかりが募る中、唐突にシュテルの頭のなかである人物の顔が思い浮かんだ。あの子は王と私に相手にされなくて拗ねてしまうかなと、王と甲乙付ける事ができない大切な家族、あの水色の少女の怒り顔を思い浮かべる。
すると、それがよほどおかしかったのか、さっきまでのドス黒い感情は鳴りを潜め、しばらく忘れていた笑顔が表れる。
そうだ、あの2人の為を思えば何処までもいける。2人の為ならこの身が自身の焔で焼かれようとも目的を達成させる。シュテルは心を落ち着かせ、その場を後にしようと振り返ると。
「随分と落ち着きがなかったな、傍目から見てもおかしかったぞ」
見慣れた顔――と言っても包帯に巻かれてるから見えないのだが――、地雷亜の姿に再び気持ちが消沈する。そういえば監視を命じていたなと完全に隅に置かれた記憶を掘り起こす。だが今はこの不愉快な男の姿を視界に収めたくない。そう思って早足で地雷亜と背中合わせになる。見たくないとはいえ、一応報告だけは聞いておかなくてはいけない。
「どうでしたか?」
「テスタロッサは思念体を倒し、2つのジュエルシードを手中に収めた」
「当然でしょうね」
「そしてスクライアの所まで行こうとしたがガス欠を起こしたらしく、そのまま撤退した」
誰がそんな分かりきった答えを聞いたのだと言いかけた言葉を飲み込み、冷静に対応する。今はこの状況を一刻も早く抜け出し、あの男に一通りの報告をした後、久しく顔を見ていない家族の顔を見たい。それだけが今のシュテルのすべてだった。
だが地雷亜の言葉の中に小さな違和感を感じ取り、怪訝な表情のまま再び聞き返す。
「彼女が思念体相手にそこまで苦戦するとは妙な話ですね、探査に力を入れすぎたのですか?」
「いや、思念体を倒した後、思わぬ乱入者と戦闘に入った事が原因だ。相手は辰羅族3人、十中八九華陀(かだ)の精鋭だろうな」
……何だと?
再び訪れた驚愕の事実に、シュテルは顔を強張らせる事しかできなかった。だが心の奥底に眠っている怒りの火だけは消える事はなかった。
「奴等の探査能力も大したものでな、途中で俺が監視している事にも気づいて撤退した。自分からこちらの怒りを買う行為をしておいて、それに怯える姿は中々滑稽なものだったぞ」
思い出したかのように小さく笑う地雷亜、それがシュテルの怒りのボルテージを上げる行為だと理解しているからだ。そしてその怒りの矛先が決して自分に向かない事もまた理解していた。
「……そうですか」
辛うじて出てきた言葉には、抑えきれない怒気を含んでいた。それを聞いてむせび笑う地雷亜の声に、さらに怒りがこみ上げるのを感じながら。
「他に何か?」
「辰羅達は俺以外にもう1人監視している存在に気づいてたようだ。俺は見ていないがな」
「貴方は先に吉原に戻りなさい、私は華佗と話をしてきます。ただし鳳仙への報告も私が行いますので、余計な事はしないように」
「御意」
それだけ言うと、地雷亜の気配が消えた。振り返るとまるで最初からその場に居なかったようにそこには彼がいた痕跡がまったく無かった。
本当に帰ったようだ。それを確認したシュテルは右手に持った杖、ルシフェリオンを握る力を一層込める。
「華佗ァ……ッ!!」
あとがき
この話を作るだけで実に4ヶ月もかかってしまいました。楽しみにされていた読者様方、まことに申し訳ありません。
今回の万事屋はやてちゃん、略して『よろはや』では初めて戦闘シーンらしきものを描かせていただきました。まだまだ表現などが足りない作者のものゆえ、もしも変だと感じたら是非とも感想にてお願いします。
さらにデバイスの英語部分は作者の英語力の低さからすべて日本語訳となっております。
ちなみにこの話を書いてる時、読者の1人である従兄弟とこんな話をしました。
従兄弟A「神楽なら思念体倒せそうじゃね?」
俺「……確かに」