そこは城だった。バニングス邸が城のような家であるとするならば、そこは正しい意味で城だ。
ただし枕に『暗い』と付くが。
どんな城だ?と感想を求められたとするならば、多くの人がそう答えるのではないかという程に暗い。
暗いと言っても視覚的に暗いと言っている訳ではなく、醸しだす空気がひたすら暗く、重い。
まぁまともな光が届いていない為に一般的な意味でも明るくはないのだが。
その暗い城の、さらに暗い廊下を抜けた先。ちょっとした広間になっている場所に、その女性は居た。
黒く輝く美しい髪を、最早無用であるとばかりに邪魔そうに払い、独りごちる。
「あと少し……あと少しよ……。」
そう、あと少しで……終わる。
思えば彼女は終わりを求めて突き進んできたのかもしれない。
絶望し、しかし指針を得る事で一度は光明が見えた。だが再び絶望した。
二度目の絶望による傷は深く、もはや歩く事叶わず。辛うじて立っている、ただそれだけだ。
彼女に絶望の沼から脱する切欠を与えた人間が、今の彼女を見たらなんと言うだろう?
「想定外。」
あの子はきっとそうやって、感情の篭らない声色で、呟くように言うのだろうな。
いや、もう多くの時間が流れた今では、子などとは言えないか。そう思い自然と自嘲めいた笑みが溢れる。
その長い時間の中で発見できたものは、絶望から抜け出す箱舟ではなく、絶望の向こう側へと渡る片道切符だとは
我ながら皮肉なものだ。
だが止まる事は出来ない。もう決めたのだから、迷いはない。善も悪もない。ただの選択がそこにはあった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
閑静な住宅街に怒声……いや、驚愕の声が響く。
「え!? アリスあなた! 流星にぶつかったの!?」
「有名?」
「有名も有名よ! なんで知らない……って、貴女は昨日は1日寝込んでたんだっけ」
目の前では大声で驚くアリサが、だが次の瞬間には冷静になって、まぁ仕方ないわね。うんうん。
等と自己完結している。なぜこんな事になっているかと言うと、先程の自己紹介の後
アリスは自分が置かれた状況について教えて貰い、ある程度現状を理解した。したのだが……
その後、もう我慢できない! とばかりに開始された質問攻勢に対し防衛戦を展開しているからだ。
「ぶつかってない。足元に落ちて……」
「驚いて海に転落した、でしょ? アリスも大概マヌケよね」
真実を伝える訳にはまさかいくまい。だがこういう場合完全な嘘を伝えるとボロが出やすいので
真実6割位で話を進め、アリスは説明している。助けて貰った恩もあったので、積極的に嘘を教えるのは
非常に良心によろしくなかったというのもあるが……
「一昨日の夜にこの街に流星が降ったのよ、青い光が何個も流れていったんだって」
「何個も?」
「そうそう。衛星とかレーダーには全然映らなかったみたいなんだけど、直接見た人は結構居て
宇宙人だの心霊現象だのって噂されてるわ」
それよりも不味い事になっている。そうアリスは思案する。てっきりアレ一つだと思っていた
ロストロギアはなんと複数存在し、この世界の住民に視認出来る形で降り注いだと言うのだから。
どのようなロストロギアなのかまだ判然としないが、大量の魔力を保有する事だけは身を持って知っている。
魔法文化の無いこの管理外世界では封印する事もままならない為、どんな被害がもたらされるか解ったものではない。
「見つけても触らないほうがいい」
「ん? どうしてよ?」
「あやしく光ってたから」
「や、やめなさいよ……そういう事言うの……」
勝気な性格とは裏腹に、そういった事柄には弱いのかアリサはブルリと震える仕草をしてみせる
すこし虐めてみたくもなるがアリサは基本的に、やられた事は10倍返しよ! というスタンスのようなので
アリスは表情には出さずに渋々諦める。今の状況で怒らせるようなことをしたら自分が圧倒的に不利だからだ。
「まったくもう! 昨日はなのはも妙な事言うし……」
「なのは?」
「あぁ、なのはは学校のクラスメートよ。なんか声が聞こえるとか言い出してね……」
「ん」
短く頷いてアリスは先を促す。どうもなのはと言うクラスメートが急に、声が聞こえる!
と言い出したかと思ったら何かに引かれるようにして走りだし、その先で傷ついたフェレットを発見したという話らしい。
成る程オカルトだ。と、アリスは深く頷く。もしかしたらこの世界で言われる妖怪というものだろうか。
「霊感が強いとか」
「だからやめなさいって!」
つい先程、からかうのは止めておこう。等と言ったのも忘れて口走ってしまったアリスは、
脳に響く直角振り下ろしチョップを頭に受けるのだった。
「ったく! あ、そういえばアリス。学校って言えば、あなた学校は大丈夫なの? 今日は休日だからいいけど昨日はサボりになったんじゃない?」
「学校には通ってない」
「はぁ!? どういう事よ?」
再び質問のボールを野球のように連打しようとするアリサを見てアリスは少し辟易するが
元はと言えば自分の迂闊さが招いた事だと諦め、予め用意していた説明を淡々と語っていく。
説明がほどほど終わる頃には、もう時計は昼を指し示しており、良く喋ったものだとアリスは自分に関心した。
途中、打者一巡の猛攻を受け、布団に潜り込みそうになったのは内緒である。
「ふーん……大卒で……保護者はイギリス……ねぇ。」
「ん」
にわかには信じられない。そんな様子を隠そうともせず、アリサはアリスを値踏みするように見る。
確かに海外では能力さえあれば大学を出る事も可能である。事実そういった天才が居る、と言うのも
聞いた事があるし、他の事情説明にもおかしな部分はない。が、何か隠している。そうアリサは直感的に感じ取っていた。
そもそも家名がわからないというのがありえない。保護者まで居て、だ。
そこでアリサは考える。胸を張って名乗れない理由がある……?
「本当。」
アリサの疑念を感じとったのか、アリスは短く、だが念を押すように呟く。
その様子を見てアリサは、聞きたい事はいくらでもあるが……今これ以上の追求は無理かな。と軽いため息をついた。
アリスは……彼女は賢い。賢すぎる程に。1を聞いて10を理解して。という話の仕方をデフォルトで使用する、そんな人間である。
アリサが話を理解できていないのを見ると、本当に、不思議そうに、小首を傾げるのだ。どうしたの?と。
その様子にイラッとするものを感じながらも、しかしアリサは充実していた。
なぜならアリサも歳相応とは言い難い精神を持っているので、学校では彼女の会話についてこれる人物は少なく、大分浮いた存在になってしまっていたからだ。
だがアリスとならば、なんの問題もなく対等に話が出来る。そんな気楽さをアリスに感じているのだろう。
「……はぁ、まぁいいわ。お昼にしましょ、お腹空いちゃったわ」
「ん」
アリスは、言葉数は少ないし感情もあまり表には出さない。だが決して無感情であるとか喋る事が苦手である、という感じではない。
表に出ていないだけで、感情や感性はむしろとても賑やかな人間なのではないかとアリサは当たりを付けていた。
だから最後に、悪戯でもするように釘を刺す。
「でもまた後で、話しの続きするんだからね!」
「……ん」
表情にこそ出さないが、なんとなく嫌そうな空気をだして頷くアリス。それを見てアリサは満足気に笑った。
そこらの小学生なら煙に巻く事も出来ようが、このアリサ・バニングスを舐めてもらっては困る。
その表情はそう語っているように見えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
暖かい昼下がり。そこは屋敷の中庭に面した日当たりの良いテラスで、聞こえてくるのは鳥の囀りと犬の鳴き声だけである。
犬の鳴き声にしても雄々しく吠えている、という感じではなく小さくじゃれ付くような鳴き声で、五月蝿いと言った訳ではない。
そんな暖かく平和なテラスで、しかし平和らしからぬ事をアリスは考えていた。
「現状確認」
<<マスターが倒れてたのが三日前の夜です、なので丸二日は行動できず寝込んでいた事になります>>
「寝坊」
<<いくらなんでも寝過ぎです>>
ようやくアリサから開放され一人の時間を得たアリス……ただ単に昼食後、アリサが習い事に出かけた為一人になったというだけだが……
その時間を利用してアリスはオラクルと現状の確認をしていた。
複数の危険なロストロギアの飛来、自分の身に起こった変化、考えなければいけない事はいくらでもある。
「身体は。」
<<簡単なスキャンをしてみましたが今のところ問題はありません。これ以上の詳細な検査を行うには設備が足りません>>
「そう」
やはり一介のデバイスに専門的な診察など望めるべくもない、一度ミッドチルダに戻り検査をしてみるべきなのだが
それには多くの障害がある。まず身元の証明が恐ろしく面倒な事、そして正直にロストロギアと接触し、死にそうになったが癒され
快方した。等と言ってしまった場合、最悪検査と称して身体を弄り回されモルモット状態になってしまうかもしれない。
それは流石にぞっとしない。
「変化は身体だけ?」
<<ロストロギアが発した膨大な魔力に影響されたのか、リンカーコアが活性化しているように見受けられます>>
「活性化?」
確かに目覚めてから魔力の高まりは感じていた。だがそれは魔力保有量が多くなったといったものではなく、
リンカーコアが正しく動いている、と言った様相だ。
アリスのリンカーコアは生れつきの障害があり、上手く大気中の魔力をコア内に補給する事ができない。
その為、彼女のリンカーコアは常に緊張状態であり、それが身体に負荷を与え魔力出力、変換効率に悪い影響を与えている。
そう、アリスは父親から聞いていた。
「ショック療法」
<<マスターは動じませんね。普通の人なら驚きと歓喜の余り、盗んだ次元航行艦で走りだすレベルですよ>>
確かにリンカーコアの正常化は嬉しい事だ。だがそれと同じ位不安に思うのもまた事実。
正常化に喜びたい自分と、何故正常化したのか、身体に悪い影響はないのか、そういった事柄が頭に浮かんでしまう自分。
そのせめぎ合いがあり、素直には喜べないのだ。
<<ふむ……。ではこれはどうでしょう。マスター、極小で構いませんので魔法を使用してください>>
「ん」
周りに人が居ないのを確認し、アリスは手元に小さい魔法のスフィアを出現させる。
特になんの効力も持たない、ただ魔力をリンカーコアから取り出すその魔法は、しかしリンカーコアの正常化等とは
比べ物にならない程の驚愕を彼女に与える事となった。
「魔力光が……」
<<やはり。魔力光が変化していますね>>
そこには見慣れた、父と同じ赤い魔力光ではなく、薄く緑色が混じった濁りのある黄色の魔力光の姿があった。
しかも緑と赤が混ざりきらず、マーブル状態になっている部分すらある。
「きもい」
<<自分の中から出たものですよ、マスター>>
魔力光を見て、とても嫌そうな顔をして自分からソレを遠ざけるアリスに対してオラクルが冷静に突っ込む。
<<いいじゃないですか、個性的で。ペロキャンみたいで可愛いですよ>>
「かわいくない」
その後オラクルから原因を聞くが、やはり詳しい事は不明だと言う。
ただ、今まで魔力を一本のラインからしか補給出来なかったリンカーコアが
正常化によって複数のラインから魔力を補給するようになった、その弊害ではないか。という。
なんとも適当な事だが、今はそれで我慢するしかない。
<<しばらく魔法の行使は控えた方がいいかもしれません>>
「ん」
そう答え、自分の魔力光を再度観察する。
緑と赤が混ざりあうその光は、正直お世辞にも綺麗とは言い難く、殆どの人間には禍々しいものに映るだろう。
だが、アリスはその魔力光に酷く惹かれている自分に気がついた。
自分の魔力光がこのような色に変わってしまったと言うのに、嫌悪感は最初だけで今改めてみると
不快感どころかむしろ安心を感じてしまう。何故か? 解らない。だが、何かあるのだろう。
魔力光を眺め、そんな事を考える彼女にオラクルの鋭い声が響く。
<<マスター! ロストロギアの魔力反応確認! こちらに向かって来ます!>>
「オラクルセットアップ、同時に結界を構築」
同じ轍を踏むものか。アリスは即座にバリアジャケットを展開すると同時に魔力反応のあった方向を見やる。
だがそこには彼女の予想とは違った光景が広がっていた。青い宝石のようなロストロギアはどこにもなく、その視線には――
真っ黒なバケモノがこちらに向かって一直線に疾走してくる姿が写っていた。