まだ薄暗い夜明けの海岸にその奇妙な少女は横たわっていた。
服装は、ニット生地で出来た上下セットのトレーニングウェアに運動靴という出で立ちだ。
格好からして入水自殺をしたようには見えない。
どこかで水難事故に会ってしまい流されてきた、そのように一般的には解釈されるであろう姿。
しかしどこか奇妙な印象を与えるその理由は、身に纏うトレーニングウェアが少女のサイズに
全く合っていないという事からだろう。ウェアだけならともかく運動靴まで合っていないのだから。
「……ふぁ……? ぶっ! むぇ! ペッペッ!」
<<おはようございます、マスター。お元気そうで何よりです>>
起きた瞬間に口の中に違和感を覚えて唾液と一緒に吐き出す。
どうも気を失っている間に口内に砂が入り込んだらしい。これが自宅のベットの上で起こったのなら
怒りの眼で下手人を探し出しその口に同じように砂を詰め込みジャリジャリと噛み合わせてやるところだが
生憎ここは海岸で、しかも無意識とは言え自分で口の中に迎えてしまったのだから怒りの矛先が
目の前でカニと戯れる赤い眼鏡に移ったとしてもそれは仕方のない事なのだろう。
「友達?」
<<いえ、残念ながら意思の疎通は出来ませんでした>>
「赤い二人なら友情も三倍」
<<マスター。頭でも打ったんですか? あ、打ってましたね。海面に>>
海面……その言葉を聞いてオラクルの嫌味を放って昨夜起こった事を瞬時に思い出す。
反射的に自分の胸を押さえるが、そこには青く輝く隕石も傷跡も残ってはいなかった。
<<状況の説明は必要ですか? マスター>>
「ん」
そこからオラクルが語った事に対して、少しの驚愕と多くの疑問を彼女は覚える事になる。
なにせ当たった隕石は確実に心臓を撃ち抜きその数瞬後、大量の魔力を放出し彼女の体を癒したのだと言うのだから。
殺しておいて直ぐ様、回復させるとはコレ如何に。それにここは管理外世界、それ程にまで高度な魔力物質が
存在するとは考えにくい。それこそ一度死んだ人間を復活させる程の……。
<<マスターは死んではいません>>
こちらの思考を読んだかの如く声を掛けてくるデバイスに、少し苛立ちながら彼女は先を促す。
<<正確には死ぬ一歩手前だったと言うところでしょうか。心臓が破壊された直後にまた再生されたので脳や体の機関への
血液の循環が滞るという事は無かったようです>>
「そう」
<<下手人である隕石についてですが、正体は不明です。記憶野にあるライブラリーと照らし合わせてみましたが
該当するものは存在しませんでした>>
「もう大分本局のライブラリと同期してないから」
インテリジェントデバイス・オラクルには記憶野が存在し、捜査に必要な資料をある程度保存しておける作りになっている。
管理局にあるメインライブラリーと同期する事によって様々な分野の情報を取り寄せる事が出来るが、管理局を出奔した
身でそれを求める事は出来ない。
<<予想を立てるとすればあの隕石はロストロギアか、それともなくばこの世界にあるオーパーツと言われる部類のものでしょうか>>
「ロストロギア……」
そう考えればある程度納得が行く。次元の壁を越えてモノが漂流したりする事案は、ままあるものだ。
それがロストロギアである確率というのは如何程のものかと考えるが……
いや、ロストロギアだからこそそんな事が起こったのかもしれないと頭を振る。
だが瞬時に臓器を再生させる程の魔力を持ったロストロギアが直撃したと仮定すると、正直身震いを禁じ得ない。
確実に第一級警戒判定のロストロギアだ。接触の際に次元震が起こらなかっただけ幸いと思った方が良いのかもしれない。
<<はい、もしロストロギアであるとすれば非常に危険な存在であると、今のマスターの体を見れば容易に推察出来ます>>
「臓器再生を瞬時に行う……医療用?」
<<……マスターは先程自分の胸部をご覧になって居ましたが、心臓以外で何か気になる箇所はありませんでしたか?
あぁ、マスターの胸部は魔導師ランクと同じくAAAですから気が付かないのも無理はないのかもしれませんね>>
あんまりにもあんまりなオラクルの物言いに、叩き折ってやろうかと眼鏡に手を伸ばす……が……
そこで彼女は酷い違和感に襲われる。瞬時に頭が沸騰し、体から嫌な汗が噴出する。
驚愕に手が震え、しかしその震える手が体の異常を如実に伝えてくれる。
いきなり大きく動きだした彼女を見て眼鏡にまとわりついていたカニが威嚇しているが、それは心の底からどうでもいい事で……
「…………ミニマム?」
<<ミニマムですね、大分ミニマムです>>
確認するように顔、胸、腹部、足、等を手の届く範囲でまさぐってみるが、その感触は自分の想像するものとは程遠く、
体が縮んでいるという事実を理解しない訳にはいかなかった。
<<ちなみに現在のマスターは7歳の時に撮られた写真と酷似していますので、縮んだというより若返ったというのが
正解なのかもしれません。よかったですねマスター、若返りましたよ>>
「……」
驚きに声も出ない。元来感情が乏しく表情を余り変えない性質である彼女をして絶句である。
もしここに彼女を知る……例えば黒髪の少年が居たなら、絶句している彼女を見て絶句するかもしれない。
余りの事柄に一瞬意識を手放しそうになるが、ふと目に入った自分の髪色を見てギリギリのところで意識を保つ
「黒い」
艶のある黒髪がそこにはあった。
この世界に来てから良くみるようになった綺麗な黒髪である。自分の色あせた金髪と見比べて残念な気持ちになったのは
一度や二度ではない。若返ったときに何か要因があったのかもしれない。この地域は黒髪が多い。
その事でロストロギアが誤認したのだろうか? いやそんなバカな……
だがずっと憧れていた黒髪だ、大変な目に会ったが悪い事ばかりでは無かったのだろうか。
そんな事を考える彼女にオラクルは冷静に語りかける。
<<マスター、残念ですがそれは髪では無く頭にへばりついたワカメです。混乱しないでください>>
その言葉を聞いて彼女はオラクルを握り潰す程の握力で掴みながら……今度こそ海岸でくたばった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
-side アリサ・バニングス-
「あーもう! 随分遅くなっちゃった。鮫島、もっとスピードでないの?」
「申し訳ありません、お嬢様」
私はイラついていた。今日は塾で帰るのが遅くなったんだけど、イラついている理由はそんな事じゃない。
もちろん鮫島に怒っている訳でもない。アレはただの八つ当たりだ。鮫島には悪いけどそれも仕事の内だと
我慢してもらう事にする。
「まったく!帰って来るなら来るってもう少し早く連絡をくれれば塾なんて行かなかったのに!」
「旦那様はご自分の都合でお嬢様を振り回したくないのでしょう、我々に連絡が来たのもつい先程でございましたから」
「それはわかってるけど……わかってるけど納得は出来ないわ!」
私のパパは海外を股に掛ける大企業の社長だ。
そこらの成り上がった飲食店社長のように朝適当な時間に起きて適当に出社するなんて言う輩とは訳が違う。
長期に渡る海外勤務や政治関連の話し合いにまで顔をだしているパパに余分な時間は存在しない。
小さい頃それを寂しく思った時期もあったが、今では父の事を誇りに思うしいつかパパと同じ場所に立ちたいと
思うようにもなった。まぁそれを伝えたら笑われちゃった訳だけど。
「今日は旦那様の主治医が屋敷にお見えになるそうで、そちらとのセッティングもあったのでしょう」
「あ、いつもの定期健診ね。パパもマメよね」
「定期健診に関しましては奥様からのご要望でもございましたので」
定期健診と言えば聞こえは普通だけど、ウチの定期健診は普通じゃないわ。
数年前からこれでもかという位の機材を屋敷に運び込んで主治医から看護婦、機材の整備員まで泊まりこみになって
病巣の欠片も見逃すまいと言う気迫の篭った人間ドックをやっているの。
最初の数年は毎回機材を運び込んでいたのだけど、一昨年辺りから医療器具を全購入して屋敷の一部を病院もかくやと言う姿に
改造してしまった。本当ならそういう機材や薬品を個人で所有するのは難しいはずなんだけど……
その事をママに聞いたら何も言わずにニコニコとこっちを見るので気にしない事にした。
世の中知らない方が良い事だってあるのよ。きっと。
「お嬢様、後10分少々で到着致します。もう暫くご辛抱ください」
「え!? あ、うん。わかったわ」
余所事を考えていたら急に鮫島にそんな事を言われたのでちょっとびっくりする。
多分さっき急いで! って言ったのを気にしてくれているのだろう、少し悪い事をしちゃったかもしれない。
定期健診と言うのを聞いて少し落ち着いた私は車の窓から外を見る。
走っているのは海岸沿いで、塾と家の立地からするとこの道は少し遠回りになるのだけど
車からこの綺麗な海岸を見るのは私の楽しみであり、ライフワークだ。いくら急いでいるからってこれは譲れないわ。
初めは私の車酔いを紛らわす為に通っていたなんてこと、ないんだからね!!
「ふんふ~ん……ん?……!? 鮫島! ちょっと車とめて!!」
鮫島は即座に車を止めて何事があったのか問うのだけど、私は目に飛び込んできた光景を理解するのに必死で
普段は自分で開ける事のない車の扉を思いっきり蹴飛ばすように開けて走りだす!
後ろで鮫島の声と車のドアがガンッ!とガードレールにぶつかる音が聞こえるが一切無視して走って走って……
海岸のちょっとした砂浜に辿り着くと車の窓から見た光景がハッキリとその全容を現した。
「はぁ…はぁ……女の子…? だ、大丈夫!?」
そこには金髪の、自分より若干小さい女の子が倒れていた。海から流されてきたのだろうか、全身がずぶ濡れで頭に海藻を貼りつけている。
着ている服はダボダボで靴なんか片方が脱げてどこかへ行ってしまっている。
「ねぇ!! ちょっと大丈夫なの!?」
私はその女の子を揺らすようにするが反応は無い。唯一の救いは息をしているのがわかった事か。
もしこれでドザエモンだったりしたらトラウマを負うところだったわ。
そんな事をしていると、追いついてきたのか後ろから鮫島に窘められる。
「お嬢様、揺らしてはいけません! ここは私にお任せください」
「さ、鮫島!? わ、わかったわ……」
いつもの優しく、揺らぎのない鮫島からは想像できない程の強い意思の篭った言葉に半ば呆気に取られた形で場所を譲る。
その後、何かの医療行為をしているように見えるが、私には良くわからない。
自分が何も出来ないのが歯がゆい、淡々と処置をこなしていく鮫島を見ているしか出来ない。それが堪らなく悔しい。
「ど、どうなの!? 鮫島!」
「大丈夫、呼吸は乱れておりませんし体に目立った外傷もありません」
「ほっ……」
「しかし大分衰弱なされている様子、急ぎ病院に連れていったほうがよろしいでしょう」
病院と聞いて私は即座に閃いた。ここからでは病院は遠い、どうやっても30分以上は掛かってしまう。
だが家ならばどうだ? あと10分程度で付く距離に来たと先ほど鮫島が言っていたではないか。
幸い家には医療設備が整っているし、今日は主治医も看護婦もいる! まさに天啓よ!
「鮫島! 家に運ぶわ! 手伝いなさい!」
「はっ!? しかしお嬢様……」
「一刻を争うかもしれないでしょう!? 責任は取るわ!!」
「……畏まりました」
自分のような子供に責任なんか取れる訳もない。言ったそばからトンでもなく軽率な事を口走ったと悔やんでしまうが
それでも私の意思を尊重してくれたのか少し悩んだ後に鮫島は彼女をお姫様抱っこで車に運び込んでくれる。
「超スピードでぶっ飛ばしなさい!!」
「了解しました、お嬢様」
そう言った鮫島は先程家に向かっていたスピードより、ほんの少し早いかな? 位のスピードで家に向かってくれたのだった。