「ふぅ」
彼女は一息ついて顔にへばり付く髪を掻き上げた。
見た目は20代前半と言った感であるが、どこか疲れた様なその風貌は三十路どころか四十路も近いのではという印象を与える。
気を使っているとは言い難い癖の掛かった髪を肩あたりで無造作に切り揃え、
金髪と言うには白色が強く輝きの無い黄色のような髪に、背の程は平均よりやや低い。
髪と同じ黄色の瞳をしており、肌は白い。しかしその印象のせいだろうか、白磁とは程遠い煤けた雰囲気を醸し出している。
運動でもして居たのか、その肌を多少桜色に上気させながら感情無く、呟く。
「オラクル、モードリリース。結界と……バリアジャケットも解除」
<<了解しました、マスター。一般人に感知されますので地上にお戻りください>>
結界が解除され灰色の世界に色が満ちる。まるで軍服のような黒いバリアジャケットも消滅し、
彼女の周りに浮遊していた3つのスフィアと共にデバイスの待機状態である眼鏡に戻る。
ここは第97管理外世界、その中の1地域である海鳴市と言われる土地の海上。
この世界には魔法の概念が無く、海上を浮遊する私は確実に怪奇現象扱いだろう。
日課となっている魔法の訓練を終えて、本来ならさっさと戻った方が良いのだが……
しかし彼女は悲しげに嘆息する。
管理局を離れてもう何年になるだろうか。訓練と言う名の自主トレを、彼女は一日だって欠かした事は無い……無いが……。
「また出力が下がってる」
管理局を離れてから半年に一度はデバイスでデータを取り、過去の自分と比較しているが、
衰えが現れなかったのは最初の計測だけで、一年が立つ頃には能力の低下が如実にデータに現れた。
『前期に比べて最大出力4%低下、収束率3%低下、魔法の構成や演算速度にも低下が見られます』
「……現役時代と比べては?」
そう、官女はデバイスに問う。この問答は半年おきに毎回行われ、そして待機状態に戻った眼鏡型デバイス[オラクル]
からの返事も毎回同じである。
<<管理局魔導師ランクに換算すると1ランク…計測の仕方によっては2ランク程度の能力低下が見られます>>
「ざんねん」
抑揚の無い声で呟く。
分かっていた事だが、こうもハッキリ言われると辛いものがある。
管理局を出てから戦闘行為を行う事もなく、比べられる魔導師も居らず、ただひたすらに自主トレ。
能力の低下は著しく、感覚と体の動きに大分齟齬が出てきてしまっていた。
認識が甘かったと言わざるを得ない。管理局を出ても自分だけで能力を維持出来る、そう彼女は思って居たのだが…
<<その結果がコレなんですね>>
「辛辣発言禁止」
<<辛辣にもなります。自分のマスターが徐々に衰えて行く様を見せつけられる私の身にもなってください>>
「あふん」
彼女とインテリジェントデバイス・オラクルとの付き合いは長い。
魔力量が突出して多いとは言えない私の為に管理局時代の友人兼上司と四苦八苦しながら完成させたワンオフのインテリジェントデバイスである。
ものぐさで良く待機状態になったデバイスを忘れたり無くしたりする為、上司の提案で眼鏡の形になっており
バリアジャケットは黒を基調に灰色のラインをあしらった軍服で、上からケープを纏ったようなデザインである。
その上司は可愛い物が好きで、彼女のバリアジャケットもフリが舞うフリル地獄ジャケットと化しそうであったのだが
最後の抵抗としてジャケットのデザインだけは譲らなかった。凄まじい反対にはあったが……。
デバイスとしての性能は申し分無く、オラクルは彼女の少し特殊な能力にも対応し、彼女が扱う事に最適化されたデバイスだ。
オラクル以外をデバイスとして使う事は、もうあり得ないと言っても良い程、それは彼女に馴染んでいる。<<…ター!>>
ただ馴染みすぎて時々酷い事を口走って来<<……スター!>>
<<マスター!!>>
思考の沼に埋没していた彼女を、珍しく焦った声色で叫ぶオラクルが引きずりだす。
<<マスター! 正体不明の物体が急速接近中です! 回避を!>>
「!? オラクル! クイックムーブ!!」
オラクルの警告を聞き即座に高速移動魔法を発動し、離脱を試みるが……その瞬間凄まじい衝撃と激痛が彼女を襲う。
発動しかけた魔法は霧散し、胸から何かを潰し、砕く音が聞こえる。
その物体は測ったかの様に彼女の心臓を背中から突き刺し、胸を貫通する直前で停止した。
「!?」
<<マスター!?>>
背中を突き通し、胸から生えるその物体を見て彼女は混乱した。
魔力反応は無かったし敵意のようなものも感じなかった、そもそもここは魔法の無い管理外世界。
空中に浮遊する私を撃墜出来るようなイレギュラーは存在しない。
唯一可能性があると思われる監視対象は未だ能力に目覚めず、まともに動けないハズだ。
よしんば動けたとしても私を問答無用に殺害する理由が無い。とすればこの胸から突き出ているコレはなんだ?
確かにこの世界には質量兵器も在るがこの地域では所持が厳しく制限されているし、こんな『弾丸』を打ち出す兵器など無いだろう。
後考えられるのは自然落下物だが……いや、だったとしてもここは海上だ、上には空しかない。落ちてくるものと言えば……
「(落下物…隕石?)」
この世界のニュースで時々持て囃される宇宙からの飛来物をふと思い出す。
そういえばこの間もどこかの衛星が落下してきたと話題になったな……等と適当に当たりを付けて、彼女は盛大に自分を呪った。
「(そうだとしても、なんて……運が悪い)」
この広い世界で、手のひらサイズの隕石が心臓を直撃して命を失うなんてどんな確率だ。
彼女が何か悪い事でもしたと言うのだろうか?
確かに胸を張って語れる人生を送ってきた訳ではないだろう。後ろめたい事だってあるはずだ。
だけど……
「(だけどコレはあんまり。どこで間違えた?)」
こんな事ならもっと大胆に行動しておけば良かった。
監視対象のあの子に伝えられる事は伝えてしまえば良かった。
最近お気に入りだったケーキ屋でもっと食べておけば良かった。
時間が巻き戻ってほしい。つい、そう願ってしまう。どこで間違えたかなんて分からない。
管理局を抜けてこんな場所に来なければ良かったのかもしれないし、
そもそも管理局に入らなければこんな事にならなかったかもしれない。
局員を目指して士官学校に入学したのがそもそも間違いだったのかもしれない。
戻りたい。昔に戻りたい。
混乱した状況、迫る明確な死の気配、心を砕くような恐怖。焦燥の余り彼女は意味の無い自己否定まで開始してしまう。
<<マスター! このままでは海面に激突します! バリアジャケットの展開を! マスター!>>
オラクルがそう伝えるのが辛うじて聞こえるが最早そんな力は無い。
答えようにも口は動かず視線を動かす事すらできない。指一本すら動かせないだろう。
そうしている間にも海面がぐんぐん迫り、ついに彼女は海に叩きつけられた。
衝撃で首や肩が非ぬ方向に曲がったのを僅かに残った感覚と視覚が彼女に教えてくれる。
そして彼女は正しく理解するのだ。私は死んだと。
海中に没していく彼女が最後に見たのは、肉を抉り、心臓を絶ち、胸を突き破って出ている
淡く輝く、小さな隕石の姿だった。