第五話 希とカナコの世界
ここはどこだ? 私は目を覚ます。
「目が覚めた? 」
声のする方へ顔を向けると、少女の姿が目に入る。初めて見る顔だが、どこか聞き覚えがある。
倒れたまま、よく観察してみると、年は10才くらい。顔立ちはどこか私に似ているが、赤い色をした瞳は意志を強さを感じさせた。肩まで伸びた黒い髪を二つの赤いバラの髪留めでまとめている。衣装は黒いフリルと紫のバラを基調したゴシックロリータのようなドレスに白いエプロンを重ね着している。
少女は西洋式のイスとテーブルに座り、紅茶のカップを持っている。お茶の時間だろうか?
どういう需要なのか疑問に思ったので、
「なぜエプロン? 」
尋ねてしまった。
「最初の疑問はそこなの」
少女は呆れた声でつぶやき、ゆっくりと優雅に紅茶を飲む。
「久しぶりね。どう、お目覚めは? 」
「ここどこ? 」
「人の話聞いているのかしら? そうね。希と私の夢の世界とでもいえばわかるかもね」
「君は幻聴の声の ……あれっ? 俺、男の姿だ。それも前世のなんで? 」
私、いや俺は前世の男の姿になっていた。
「少しは落ち着きなさい。すぐに起きないと危ないわよ。そろそろ黒い影達が起きてしまうわ」
「いったいなんの事? ……おっ、何だ!? 」
俺が次の言葉を発する間もなく、闇の向こうから赤い光が近づいてくる。赤い目と口に見えるものが7体走ってくる。
「来たわ。せいぜい邪魔しないでちょうだい」
少女はカップを置くと、立ち上がりゆっくりと俺に方へ向かって歩いてくる。俺もあわてて立ち上がる。
「あら、戦ってくれるの? アトランティスの戦士さん」
「状況がさっぱりなんですが? 何だよこいつら」
俺たちはすっかり囲まれてしまった、よく見るとそいつらは赤い目と口をした黒い影だった。大人の大きさで人間の形をしていて、そのうちの一体は一回り大きい。笑っているように見えるのが嫌悪感を感じさせる。他の6体は俺たちの様子を伺いながら何かつぶやいている。耳をすますと、
(ダイジョブダイジョブ)
にごったような声でそう語りかけてくる。でもそんなの関係ない。少女は冷静に観察している。
「今回は7体か。すいぶん多い。特にあの大きいのはやっかいね。あれから片づけるわ 」
そう言うと彼女は無造作に大きな影に近づき、すっと腕を掴んで投げ飛ばしてしまった。
俺には何が起こったかさっぱりわからなかった。
投げ飛ばされた影は地面に叩きつけられる。じたばたともがきながら再び立ち上がった。
「大きいだけあって耐久力はあるみたいね。…ほらっ! あなたもじっとしてないで戦いなさい。襲ってくるわよ」
少女の攻撃で他の6体も急にあわただしくなった。じわじわとこちらに迫ってくる。
「戦う? 急に言われても、俺はアトランティスの戦士の力はまだ覚醒してないし… 」
「ここは夢の世界よ。ただの悪夢ごときにどうにかできるわけないわ。ここでは戦いは頭でするものなのよ」
「なんだそうなのか。じゃあ攻撃されても痛くないな」
俺は安心して力を緩める。すると、6体のうち一体が俺の顔面を殴ってきた。その衝撃で俺はふっとばされる。
「ダイジョブ! ダイジョブ! 」
大丈夫じゃねぇよ。その台詞、いやなものを思い出しそうだ。俺は少女に涙目で訴える。
「…すごく痛いです。嘘つき」
「当たり前よ。夢とはいえ、害意を持っているんだから、油断したら危ないわよ」
「それを早く言ってくれよ」
「必要以上に恐れることはないわ。この程度なら人間と小動物ぐらいの差はあるわ。思考も単純よ。こっちには思考する力があるし、強い武器でも想像して攻撃しなさい。夢だから何でもありでしょ」
そうか夢か。
じゃあ、ここならばアトランティスの戦士としての力を十分使えるということだな。では、武具を纏うとするか。
俺は腕を天にかざすと胸に秘められた呪文を叫ぶ。
「纏え黒き外套、我が愛銃よ、ここに来たれ!! ディスティ」
天井から光が降りてきて俺の体を光が包み黒い外套となる。手元に光が集まり銃の形になっていく。完成したのは赤い竜のアギトをかたどった銃。前世の俺の愛用の装備だ。
「我はアトランティスの最終戦士、王剣を守る小手なり」
俺はしばらく喜びにひたる。再びこの銃を手に取ることができるとは夢とはいえ感動した。
………
おっと、ひたるのはこれくらいにしよう。
「ふう、どうやら上手くいったようだな。では片づけるとするか ……あれぇ?」
「終わったわ。いちいち装備するに時間かけすぎ」
「これから、俺の貫通弾が敵を蹂躙するところだったんだけど… 」
周りを見渡すと影はすべてきれいさっぱりいなくなっていた。
「まあ、影たちがあなたに注意を向けたおかげで楽できたわ。特に呪文とか笑えるわ」
ひどいこと言われている気がするが、そんなことより気になることがある。
「どうやって倒したんですか? 」
「えっ? 全部手を掴んで投げたけど… 」
「こんなに早く」
「一体五秒もあれば片づいたわ。合わせて35秒くらいかしら。ずいぶん動きが止まっていたのね」
「敵はもういないのか? 」
「今回は全部片づいたわ」
「なんてこった。せっかく久しぶりに愛銃を撃てると思ったのに…」
俺はがっくりと膝をつく。
「残念ね。それにしても、想像力……いや妄想力には自信持っていいと思うわ。最初から装備を生み出すなんて、まして、夢とはいえ銃なんて複雑な機械は今の私でも無理よ。エミヤさんもびっくりね」
「妄想なんて言うなよ。こっちは前世の力を使ったんだぜ。アンタだってすごいじゃないか。あんなの投げ飛ばすなんて」
「私はちゃんと理を持っている。重心や相手の力の流れを計算するとこうなるわよ。逆にあなたみたいに現実離れしたことは苦手にしているわ」
「なるほど …でっ、君は? 名前」
「カナコよ」
「質問続けていい? 」
「答えられる範囲で」
「希って誰? 俺のことじゃなくて? 」
「この身体の本来の持ち主よ。今は眠ってる。」
「カナコは何者? 」
「あなたの母親ってオチはないわ。移植された心臓に宿った人格が形をなしたもの。それとも、死神かしら」
「いやいや、わかりにくいネタはいいから」
なんかペースのつかみにくい子だ。見た目より大人びた感じがする。
「そうね。ここの司書で門番ってとこかしら」
「司書? 」
わかりにくい表現をする、周囲を見渡すと右手には本棚、左手にはガラスケースの棚がいくつも並んでいる。後ろは大きな門があり、正面はどこまでも続いていて漆黒の闇が広がっている。さきほどの黒い影が来た方向だ。
本棚は横並びにきれいに本が並べられていた。かと思えば一角の本棚は本が山積みにされていて雑然としている。本を取るのが大変そうだ。確かに図書館っぽい。
人形の棚はなんというか異様だった。ガラスケースに一体ずつ納められているが、体の一部のみで完成したものはなかった。中にはホコリをかぶったままのケースや空のガラスが割れたままになっているものもあった。お化け屋敷といったほうがいいだろう。
「どう? 素敵なところでしょ」
「よくこんなところに一人でいるな」
「仕事だもの。本の管理とか編纂。本は記憶の象徴になるのかしら。つまり私がやっているのは記憶の管理ね。ほとんど希のだから読むのは禁止よ。ちなみにあの立て積みの汚い本棚はあなたの記憶の本よ。あなたの雑な人間性がよく表れているわね」
「ほっとけよ」
いちいち口の悪い子だ。
「そうはいかないわ。私の仕事のひとつはあなたの本棚から楽しそうなことを見つけて、記録編纂して希の本棚に納めることなんだから、少しは意識して片づけてもらわないと困るわ」
「どうしろっていうんだよ? だいたい俺の本棚見るってことは記憶を勝手にみてるってことじゃないのか。プライバシーの侵害だ! 」
「同じ身体なんだから、プライバシーなんてないも同じよ。その気になれば感覚とか記憶も繋ぐことができるんだから、繋いだだままは疲れるからやらないだけだもの。それに外の出来事を眠っている本来の主に伝えることは大事でしょ? 」
こっちが反論すると向こうは倍にして返してくる、ちょっと苦手なタイプだ。俺は反論をあきらめ、違う話題に切り替える。
「そうだけど、じゃあ、他の仕事は? 」
「あとは、よい子の眠りを守り、黒い影を外に出さない事ね、さっき戦ったでしょ? …あれが私たちの敵よ。今は弱いけどほっとくと大変よ。Gみたいなものね」
「うっ、それは嫌だな。それじゃあ、人形の棚はどうなるんだ? 」
「それは私の仕事ではないものどうなろうが知らないわ。一度全部掃除したけど大変だった。もう二度とやりたくないわ。それに勝手に暴れるし、成長したり、いなくなったり、髪が伸びたりしてるし」
「こえーよ。ホラーだよ」
もろお化け屋敷だった。俺は人形が飛び回るシュールな光景を想像して背筋が寒くなった、気を取り直して軽めの疑問を持ってくる。
「お茶の飲むのも仕事? 」
「ゆっくりする時間くらいはあるわ。あなたが余計なことしなければね」
「余計なことって? 」
「この子身体に過度のストレスを与えることよ。」
彼女の言葉には非難の色が混じり、こちらを睨んでいる。どうやら俺が悪いようなのだが、心当たりがない。
「ストレスってどんなことだよ? 」
「人が作ったものを食べた事。年上の女に触れたこと。首元と肩を触らせたことよ。とどめに抱きしめられたでしょ。…香水は初めて知ったけど」
「どうしてそれがストレスになるんだよ! 」
「そうね、許される範囲で言えば、彼女は過去の事件で心に傷を負った。内容は言えないけど、あるとき決定的なことが起こって完全に心を閉ざした。そして、あなたに自分のことを任せて引きこもった。普段は眠っているようなものよ。でも感覚はうっすら繋がっているから、身体は過去の事件を思い出させるような行動をするとストレスを感じるの。トラウマね。身体に違和感感じたことあるでしょ。それにさっきの黒い影達はそれが原因で出てきたの」
次の疑問がわいてきた。
「それはわかったけど、ちょっと待て、それじゃ俺は何者だよ。なんでこの身体にいるんだ? どうして過去の記憶がある? どうしてこの世界の事がわかる? 」
「あなたが何者かは禁則事こ…ンッ! ……禁止されているわ言うことが」
「オイッ! 明らかにセリフおかしかったよな、禁則事項っていいかけたよな。なんでそんなネタ知ってんだよ」
「…知らないわ」
カナコは目をそらしながら口笛を吹いている。怪しすぎるさっきまでの雰囲気がぶちこわしだった。
「まだ答えを全部聞いてない」
俺が言うと、カナコは姿勢を正して真剣な顔で答える。
「そうね。この世界の事をあなたがなぜ知っているかについては知らないわ。…本当よ。私だって今でも半信半疑だもの。違う世界から転生してきたなんて信じられないわ」
幻聴だと思ってたカナコの発言内容からもこれは信じて良さそうだ。でも、これだけは聞いておきたいことがあった。
「過去の事件は言えないって言ったよな。どうしても聞きたいことがある。…おかーさんはその事件に関わっているのか? 」
こういう心の病気は本人に近しい人物が原因の場合が多いそうだ。本で読んだ記憶がある。俺の最初の記憶では母親に刺されてるし、前の母親も何だか嫌だったのを覚えている。二度あることとはいうけれど。
あの優しいおかーさんが関わっていたなら、俺はこの世界のすべてが信じられなくなる。
「おかーさん? ああ……あの女ね、演技とはいえずいぶん入れ込んでいるのね。安心して、あなたのおかーさんは無関係よ。むしろ頑張っているんじゃない、あなたとの親子ごっこ。大変結構、カッコウ、コケッコーよ」
カッコウ? コケッコー? カナコの言い方はふざけていて明らかなトゲがあった。俺には許せない言葉だった。
「ちょっと待て!! 親子ごっこはあんまりじゃないか。向こうは娘と思ってるし、大事にしてくれるんだぞ。俺だって最初は演技だったけど、今は本当の親のように思ってる! 」
俺は猛然と言い返して、睨みつける。
しばし、睨みあいカナコが根負けした様子で
「ああもうッ! ……わかったわよ。私が悪かった。私が悪かったわよ。でもね、知らないとはいえあなたの下手な演技につきあっているのは事実よ。」
投げやりに謝りながらも、こちらの痛いところで反論してくる。
「うっ、それを言われると俺もつらい。でも、そもそも希ちゃん本人が出てこないことには解決しないんじゃないか? 」
「今は無理」
カナコはきっぱり答える。
「今は? 」
「そうよ。あの子には休息が必要だわ。誰にも邪魔されないこの揺りかごでね。私はこの子に心地よい寝物語を聞かせてあげるの。だから、傷ついたこの子を癒すために本が必要なの。そうして、私はこの子がいつか立ちあがる力を取り戻すまであの子の眠りを守って見せる」
カナコは決心を口にする。その顔は強い覚悟と慈愛に満ちたものだった。そして、厳しい表情で俺を見つめて宣言する。
「私はあなたの味方じゃないわ、むしろ監視してる、あなたが余計なことをすれば… 」
「すれば…」
俺は唾を飲み込む。
「切り落として、ねじりきって、すりつぶすわ」
「ひぃ」
俺はなぜか股間を押さえた。彼女は本気だ。そんな俺を見てカナコはクスッと笑って言った。
「今回の件は許してあげる。あなたも知らなかったし、今までよく気づかなかったものよね。あなたは無意識レベルでストレスを避けていたけど、今回は逃げ場がなかったわね。ストレスが頂点で、肩を掴まれたのは最悪のタイミングだったわ」
たしかにあの店に入ってから強い殺気を感じていた。結局は俺の勘違いだったわけだ。だとすると通学中に感じた殺気も女の人が近づいたことによるストレスだったのだろう。担任の先生も優しいのになぜか苦手意識があったし。そんな俺の思考をよそに、カナコは困った顔して
「かわいそうなのはあの子だわ。あなたのせいで過度のストレスがかかって今回限界が来たようね。表に引っ張り出された。多分外でパニックね。ケガしてないといいけど」
と言った。
「ああ、なんかすいませんでした」
俺は謝る。知らなかったとはいえ、俺にも悪いところがあった。
今になって考えるとおかーさんは当然このことを知っていていろいろ工夫してくれていた。
お手伝いさんは長年勤めた女の人ではなく慣れてない男の人だった。さらに、思い返してみると身体を触れ合うスキンシップは初めは少なかった。最初の頃は正面向いて、声をかけてから手や身体に触れていたから、やけにぎこちないことするなあ、親子なのにと思っていた。一緒に生活するあいだに徐々に回数が増えて、今は触れてもあまり気にならないが、まだ肩や首は触られた覚えがない。食事だけじゃなく、希ちゃんの体が女の人を怖がらないように訓練してくれたんだろう。
そういえば担任は女の先生だったけど、学校はどうなっているんだろう?
「ねぇ」
俺が考えごとをしていると、カナコは優しく声をかけてくる。
「なんでしょう? 」
「あなたに役割をあげるわ。この子が安らいでいられるようにうれしいことたのしいことをたくさん経験すること。それが本という形でこの子を癒すの。そして、友達と仲良くして、この子が外に出たときに優しい世界を用意してあげてほしい」
カナコは祈るように俺に告げた、それは誰かの面影と重なる。いつもニコニコ笑ってくれるおかーさんのものとよく似ていた。
「そろそろ時間ね。あの子が帰って来たみたい。これでも少しはあなたを評価してるのよ。友達作ったし、ご飯も少しは食べられるようになった。最初はここまで期待してなかったけど、短期間でよくここまで存在を強くしたわね。ほめてあげる。それじゃあ…」
カナコは素手で俺を持ち上げる。
すごいちからですねお嬢さん。
夢だから何でもありなんだろうか?
「な、何を? 」
「いってらっしゃい、えいっ」
そう言うと、彼女は俺を素手で門に放り投げた。門はいつのまにか開いていたようだ。
ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「また、このパターンかよーーーーーーーーーかよーー」
俺の声はエコーとなって響いた。
あっ ……外ってどうなったんだろ? 何となく嫌な予感がする。
作者コメント
カナコ登場。主人公その二です。彼女は男が暴走しないための手綱ですから重要です。説明キャラの特性で台詞長し。
一人称について主人公は自分が雨宮希のときは私、前世の身体の認識や男の意識が強いときは俺になります。使い分けに苦労しそうです。
伏線回収したつもりが、それ以上に新たな伏線張ってしまった。……どうしよう?
自分に向かって一言
広げた大風呂敷ちゃんとたためよこのやろう。