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No.27519の一覧
[0] 転生妄想症候群 リリカルなのは(転生オリ主TS原作知識アリ)【空白期終了】[きぐなす](2013/11/24 21:34)
[1] 第一話 目が覚めて[きぐなす](2011/10/30 12:39)
[2] 第二話 ファーストコンタクト[きぐなす](2011/10/30 12:46)
[3] 外伝 レターオブ・アトランティス・ファイナルウォリアー[きぐなす](2011/11/27 11:19)
[4] 外伝2 真・ゼロ話[きぐなす](2012/01/06 18:20)
[5] 第三話 好感度イベント 三連投[きぐなす](2011/05/25 18:56)
[6] 第四話 裏返る世界[きぐなす](2011/05/06 00:33)
[7] 第五話 希とカナコの世界[きぐなす](2011/05/25 18:57)
[8] 第六話 入学式前の職員会議[きぐなす](2011/05/25 21:56)
[9] 第七話 ともだち[きぐなす](2011/05/09 01:17)
[10] 第八話 なのはちゃんのにっき風[きぐなす](2011/05/08 10:13)
[11] 第九話 シンクロイベント2[きぐなす](2011/05/25 19:05)
[12] 無印前までの人物表[きぐなす](2011/05/09 21:24)
[13] 無印予告編 アトランティス最終戦士とシンクロ魔法少女たち[きぐなす](2011/05/13 17:58)
[14] 第十話 いんたーみっしょん[きぐなす](2011/05/12 20:38)
[15] 第十一話 シンクロ魔法少女ならぬ○○少女?[きぐなす](2011/05/15 10:56)
[16] 第十二話 ないしょのかなこさん[きぐなす](2011/05/16 21:30)
[17] 第十三話 魔力測定と魔法訓練[きぐなす](2011/05/20 07:54)
[18] 第十四話 初戦[きぐなす](2011/05/28 11:40)
[19] 第十五話 やっぱりないしょのかなこさん[きぐなす](2011/05/28 13:40)
[20] 第十六話 ドッジボールとカミノチカラ[きぐなす](2011/06/01 21:14)
[21] 第十七話 アリサと温泉とカミ[きぐなす](2011/06/03 18:49)
[22] 第十八話 テスタロッサ視点[きぐなす](2011/06/05 14:04)
[23] 第十九話 フェイト再び[きぐなす](2011/06/12 01:35)
[24] 第十九・五話 プレシア交渉             23/7/4 投稿[きぐなす](2011/07/04 10:26)
[25] 第二十話 デバイス命名と管理局のみなさん[きぐなす](2011/06/12 15:20)
[26] 第二十一話 アサノヨイチ[きぐなす](2011/06/15 10:50)
[27] 外伝3 おにいちゃんのお葬式[きぐなす](2011/06/25 12:59)
[28] 第二十二話 猛毒の真実 [きぐなす](2011/07/03 23:20)
[29] 第二十三話 悪霊[きぐなす](2011/07/04 13:50)
[30] 第二十四話 おにいちゃんとわたし ……おかーさん[きぐなす](2011/07/10 06:51)
[31] 第二十五話 浅野陽一のすべて[きぐなす](2011/07/17 19:15)
[32] 第二十六話 復活と再会 [きぐなす](2011/07/24 15:55)
[33] 第二十七話 再び管理局と女の友情[きぐなす](2011/08/11 19:20)
[34] 第二十八話 三位一体[きぐなす](2011/08/11 19:10)
[35] 第二十九話 すれ違いの親子[きぐなす](2011/08/11 20:38)
[36] 第三十話 眠り姫のキス[きぐなす](2011/08/20 21:51)
[37] 第三十一話 次の戦いに向けて[きぐなす](2011/08/29 17:50)
[38] 外伝4 西園冬彦のカルテ [きぐなす](2012/03/30 00:12)
[39] 無印終了までの歩みと人物表及びスキル設定[きぐなす](2012/03/29 23:49)
[41] 空白期予告編 [きぐなす](2012/04/03 00:34)
[42] 第三十二話 アースラの出来事 前編 [きぐなす](2012/04/07 19:33)
[43] 第三十三話 アースラの出来事 後編 [きぐなす](2012/04/17 22:13)
[44] 第三十四話 梅雨の少女とさざなみ寮[きぐなす](2012/05/05 18:58)
[45] 第三十五話 わかめスープと竜の一族[きぐなす](2012/05/12 00:36)
[46] 第三十六話 見えない悪意と魔法少女始まるよっ![きぐなす](2012/05/20 15:50)
[47] 第三十七話 アトランティスの叫び 前編[きぐなす](2012/05/29 17:34)
[48] 第三十八話 アトランティスの叫び 後編[きぐなす](2012/06/07 00:32)
[49] 第三十九話 幽霊少女リターンズ[きぐなす](2012/07/11 00:38)
[50] 第四十話 暗躍と交渉、お泊まり会 [きぐなす](2012/09/02 23:51)
[51] 第四十一話 トラウマクエスト そして最終伝説へ… 前編[きぐなす](2012/12/01 14:37)
[52] 第四十二話 トラウマクエスト そして最終伝説へ… 後編[きぐなす](2013/03/09 22:08)
[53] 第四十三話 暴走と愛憎の果てに行き着いた先 前編[きぐなす](2013/04/07 22:40)
[54] 第四十四話 暴走と愛憎の果てに行き着いた先 後編[きぐなす](2013/05/25 14:36)
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[27519] 第四十三話 暴走と愛憎の果てに行き着いた先 前編
Name: きぐなす◆bf1bf6de ID:142fb558 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/04/07 22:40
第四十三話 暴走と愛憎の果てに行き着いた先 前編



俺の名はアトランティスの最終戦士ジークフリード。

浅野陽一が自身のトラウマを克服しようとしたときをきっかけに名前と設定を与えられ、希によって名も無き人形として生み出され、カナコが調律を施した。そして、母の慈しみによって魂を確立したかにみえたが、ふとした好奇心から真実を知り、自分が造られた存在であることに耐えられず消滅した。バラバラになりながら、希を黒い女から救うことができたのは助けを呼ぶ声が心の奥に響き奇跡を呼んだのだろう。

俺は新たに生まれた浅野陽一と融合することで命を長らえた。まどろみの中で目も見えず音も聞こえない。人間らしい感覚の失われた世界で寄生している陽一の記憶を便りに世界と繋がり自分を慰める。時間が経てば溶けて消えるはずだった。

だが、陽一は完全には俺を受け入れなかった。奴にとって過去の自分は黒歴史で、唾棄する存在らしい。失礼な話だ。結局自身の存在について悩んだ末に浅野陽一ではなく最初から持っていた最終戦士ジークフリードという設定に落ち着いた。一応ダイヨゲ~ンの書と月の管制人格からアトランティスの最終戦士の実在の情報は得ているので背景として成り立つ。こうして俺は曲がりなりにも自己確立することができた。しかし、陽一が生み出した架空のキャラクターという存在の軽さも自覚している。自覚しながらもそれにすがるより他に無かった。

本体で寄生先の陽一は過去の事をうじうじ引きずって情けない人間だ。

乗り越えたかと思えば、逆走して同じ思考を繰り返しているあたりはイライラさせられている。とても同じ人間からできたとは思えない。奴の本質はネガティヴ、内向的性格、悲観的で、後ろ向きということができるだろう。明るさは長い人生経験で培った処世術で表面的な仮面に過ぎない。なのは様が仮面をかぶることに忌避感を覚えたのも自分自身のしていることを無意識に感じたせいだろう。その仮面の下の負の感情こそ生き方であり生態であり人生なのだ。だからこそ十年近くもまともに就職しないで自宅に篭る真似ができた。金回りが良くなり、それが許される環境を自分で作ったのだから誰も文句は言えまい。とはいえ、奴とて人間、負の感情があれば正の感情も持つ。繋がりを求めることもあった。希への優しさは奴の精一杯の正の感情であり、その結果として思い出を受け取った希から俺という存在は生まれたのだから。

俺は水霊事件のときから流れてくる過去の記憶を煩わしく思いながら、時に負の感情に飲まれた奴の助けに応じて日々を生きてきた。奴は普段の交流は望まなかったようなので、ひたすら流れてくる陽一の記憶からさまざまな思考を繰り返す。いろいろなことを考えたが、結局肝心なところで役に立たなかった。その時に気づくべきだったのだ。今になってわかることの多さに我ながら情けなさを感じる。敵は用心深く周到に罠を張っていた。敵の見せる悪夢により、心を少しずつ蝕まれていたのだ。兆候はあった。奴の激しい感情を感じたのは一度や二度ではない。斎の結婚や月の管制人格に詰め寄ったときもそうだ。敵の巧妙なところは負の感情を垂れ流したままにして、来るべき時に備えて回収しなかったところにある。放置してじっくり育つのを時に効果的に煽りながら待っていた。

執念深く執拗に。

奴の負の感情を内に内に溜め込む性質に目をつけた節もある。だから、カナコは気づかなかった。気づけなかった。誰よりも驚いているのはカナコだろう。ヒントがあったとすれば退魔師事件で斎の結婚の話にショックを受けて負の力を発現させた事件があったが、その後コントロールしてみせたせいで目くらましになってしまったと考えられる。

奴の本質が負の感情というのはこのような一面を根拠にしている。長い引きこもり生活がマイナス感情の並外れた許容量と増幅器とも言うべき思考回路を構築し、それに馴染み過ぎていた。ただ不思議なことに会社勤めで発揮した才能、官能小説家として地位、カミノチカラはそんな奴のマイナスの感情が生み出す膨大なエネルギーとそれを操作できる特殊な思考ゆえに誕生した側面があるから、世の中は何が幸いするかわからない。

奴の負の感情はゲーム開始前にピークを迎えていた。心の鎧で押さえ込み、ただでさえ高められていた負の感情に蓋をする。蓋をして圧縮したのだ。しかも、外からは全くわからないように完全にシャットアウトの状態。直前までカナコが気づかないレベルだから、ある意味では強靭な精神力と言えるだろう。だが、その結果として内側から増量し外に出ようとする圧力は高まり、行き場をなくした感情のエネルギーはガスか、火薬、あるいは核融合炉のような危険な状態だった。性質が違う俺は反発するエネルギーで生存に精一杯で、奴に警告することができたときには手遅れだった。そして、希の過去は自分の過去を重なり耐えられるものではなかった。膨らんで強くなりすぎた負の感情は俺と奴の共存をもはや許さない。人間は正と負のバランスの中で生きている。だが、一方が強くなり過ぎれば心に占める割合が多くなり、もう片方が飲み込まれるのは必然。俺は奴から弾かれた。奴の鎧が正の感情をも封じる特性を持っていたなら押し潰れてしまっていたかもしれない。そこだけは幸運だった。

しかし、俺は奴と違って元々が不完全。自身を定義して、魂が母の愛やなのは様との交流によって強化されているとはいえ、寄生して存在を保っているもろい存在だ。こうして半透明で構成を保つことだけでギリギリである。すぐに消えることはないが、時間の問題だ。まして戦うことなどできまい。



陽一の姿は醜く歪む。過去に囚われ当時の殺された姿に変わっていくのだ。最初に死んだときのように血で染まり、指は抜け落ち、肌は赤く火傷でただれて、もはや顔の形も誰かわからない。着ている服だけが陽一だと教えてくれていた。あれはもはや無念の内に死んで負の呪いを振りまく怨霊だ。血涙を流し濁った目で義母に化けた黒い女だけを睨んでいた。周囲からは今までにない黒い瘴気が漏れ出している。あまりに凄惨な姿になのは様たちは目を背けていた。希だけは悲しげな顔でみつめている。黒い女はニヤニヤと楽しげに笑っていた。陽一は前傾姿勢をとって黒い女に襲いかかろうとするが、見えない力によって動くことができない。

カナコは周囲に結界を張るとぞっとするほど冷たい目で黒い女を見ていた。

「ここは私の領域よ。ターンの呪縛で私以外の者は戦闘で攻撃できないわ 」

「ふふふっ、いつまでそんなことが言えるかしら? 」

あくまでこちらをあざ笑う黒い女、ダメだカナコ。敵の狙いは違う。抑えられた陽一はジタバタと抵抗し、服の隙間から黒い瘴気の勢いがさらに強くなる。例えるならヒビが入ったダムの壁、噴火前の火山のように惨事が起こる前の不穏な兆候を感じさせた。ここで何かに気づいて顔色が変わる。

「そんな! まだ増大するのっ!? 」

「私が勝ち目のない戦いをするわけがないじゃない。おまえの力は理に基づいたもの、理を超える感情の力との相性は最悪。だからこそ、希の感情を安定させるためにわざわざゲストを呼んだ。私は純粋な殺意を蓄積して、圧縮して、発酵させて、芳醇に仕上がるまで待ったのよ。馬鹿なあの子は外から内にずっと負荷をかけ続けて、妙な封印までして極限まで押さえつけていた。その状態で外側が軋み、たった今、臨界点を迎えたわ。解放された瞬間的な力は通常の何倍何十倍もの威力を持って広範囲に及ぶ。おまえの理によってできた結界など容易に吹き飛ばせる。負の感情がおまえの理を飲み込むの」

「くっ、ダメ、抑えられない」

黒い女は右手をかざすと点火するように黒い瘴気を陽一に向けて放つ。

「さあ、弾けなさい。我が力は滅びの太母の胎動。あらゆるものを飲み込む黒き波動」

黒い光が爆ぜた。

カナコは張っていた結界で黒い光から俺たちを守る。結界が音を立てながら激しく揺らぎ世界が崩壊していく。理によって作られた架空の世界結界はほどけ、いつもの図書館に様変わりする。変わっているものがあるとすれば、床一面に広がる黒い霧。すでに膝まで覆われていた。今までの比ではない。赤みを帯びて何より禍々しい。粘っこくまとわりつくような冷気を発していた。中心にいる陽一は世界を壊してもまだ足りず。消防の放水のように服の隙間から黒い瘴気を放出し続けている。その傍らに立つ黒い女は足元から黒い瘴気を吸い上げ、明らかに力を増していた。姿は陽一のトラウマの象徴の義母のまま。手には血に濡れた包丁が握られ、赤い雫がポタポタと落ちている。

俺たちのテリトリーはカナコが張った結界のみで邪悪なものを阻んでいた。カナコは結界維持に集中していたのか肩で息をしている。かなり力を使ったようだ。

「プレシア! 」

「無駄よ 」

カナコはカードを取り出すとプレシアの名前を呼び、黒い女に向けて飛ばす。カードが弾けて光の中から現れたのは最強の手札格闘学習型プログラム バーチャプレシアだ。いきなり切り札とは追い詰められているのがわかる。プレシアは両手をぶらりと弛緩させた緩慢な動作から高速で間合いを詰め、有無を言わさず鋭く中段突きを放つ。すぐさま流れるように肘打ちを繋ぎ、逆手のアッパーで空中にカチ上げ、落ちてきたところに軸足と体幹のひねりを加えて背中から体当たりして吹き飛ばした。その後も起き上がりに追撃を加えるが黒い女は躱しもしない。されるがままだ。ずっと笑っている。よく見ると攻撃でよろけたり傾いたりするものの、黒い霧を吸い上げすぐに回復してしまうようだ。

「ちっ、やっぱり、時間稼ぎにしかならないわね。でも数分ならなんとかなる。今のうちに指示を伝えるわ。まず作戦中止、ゲストの安全を最優先。なのはたちは… 」

とは言ったもののなのは様たちに目が止まり逡巡する。本来は安全のため返すのが筋だ。ここは俺たちの戦場で危険にまで巻き込むつもりはなかった。だが、希の精神を支えているなのは様たちがここを離れるのは、ただでさえ良くない状況をさらに悪化させてしまうだろう。余裕は全くない。結界に守られる間アリサとなのは様の袖を掴んで離さなかった。精神的な支えとして欠かすことができない。その迷いに気がついたなのは様が慈母の表情でこちらを見ていた。

「カナコさん、私たちも残るよ」

「よくわからないけど、ここまで来て仲間はずれはナシなんだからっ! 」

自分たちが危険に晒されるというのにそう言ってくれた。すずかも同様で首を縦に振る。カナコの厳しかった表情が優しくなった。

「ありがとう。 ……ごめんなさい」

すぐに敵に目を向ける。プレシアの怒涛の攻撃はまだまだ続いていた。技量の差は歴然で圧倒しているようにみえる。しかし、相手はいくら攻撃しても回復し、決定打にはならない。たまにかすった包丁が徐々に傷をつけてダメージを蓄積させているようだ。いくつか切り傷が見える。

「そろそろ方針を決めるとしよう。悪いが俺は構成を維持するだけで何もできんぞ」

「そんなことは半透明だから見ればわかるわ。あなたは前のヨウイチでしょう」

「ああ、直接話すのは久しぶりだな。俺のことはジークでいい。そのように己を定めた 」

カナコと希はわかっているが、状況を把握できないなのは様たちに疑問符が浮かぶ。時間もないので出会った頃の雨宮希で、なのは様がアースラから一時感帰還したときから今の陽一になったと説明する。アリサはあの馬鹿のベクトルが違う方のと失礼なことをいい。すずかとなのは様は微笑むだけだった。

それは暗に同意してるということなのか? 

カナコは説明している間に目をつぶり何か考えている。話が終わるとゆっくりと目を開いて一度希に視線を向けると、すぐに戻して話し始めた。

「こんな状況でも本体の封印はまだ生きてる。私の部屋までは及ばなかったみたい。陽一のはダメね。心象風景の部屋が血塗れだから完全に憎悪で占められているわ。あの金の封印はそんな陽一の負の感情を力の供給源にしているから、その流れを止める必要があるの。とにかく敵をどうにかして弱体化させる必要があるんだけど、プレシアがダメなら火力が足りないわ」

火力が足りないか。 

今の俺が戦えないのなら、カナコ以外でこの夢の世界で戦力になるものは他に誰もいない。ここはゲームの世界ではない。むき出しの精神の世界。悪夢といえど侮れば心に深い傷を負う。ただ現実ならばこの上なく頼りになるお方がいる。想定されるヴォルケンリッターとの戦いにも助力を願い出るつもりだ。 

……いや、待てよ? 



「なのは様がいる 」

そう自然に言葉が出た。

思わず言ってしまったが、次々に思考が繋がり理論が組みあがっていく。これは陽一由来のものではない。生みの親の彼女たちの能力も継いで発揮されているようだ。思案顔のカナコに自分の考えを伝えた。それは希が強いと認識してる人間ならこの世界でも適用されるのではないかという思いつきからきている。黒い女は母親の虐待から生まれた存在。母子家庭という閉じた世界で圧倒的に優位な立場から苦痛を与え続け、生殺与奪を持っていた。絶対に勝てないと何の疑問も抱くことなく自動的に思考するだろう。これを覆すのは並大抵のことではない。十年近く薄毛と戦い続けた陽一がここで髪を生やすことを全くイメージできないように、それはもう息と止めたら死ぬとかそういうレベルなのだ。カナコが前に話したことでもある。だからこそこの世界の主である希の記憶を封じる方法で弱体化させた。記憶を戻すのが可能になったのは今は命の危険にさらされた自分の家ではなく、安全を保障された雨宮の家で生活しているおかげだ。危険な過去と安全な現在は違うと認識しているからである。過去の記憶の亡霊と向き合っている最中なのだ。

補足するなら、俺が真実を知ってバラバラになったときもディスティだけ具現化させて、最強の木の封印を葬ったあの力も陽一の妄想から生まれた御伽噺を本当にあったことだとまっすぐに信じた結果だ。

その後、希がアトランティスの最終戦士が偽物で作り話であることを奴の日記から知っていたことで世界に働く力が弱くなり、陽一が俺の姿で力を奮っても力が発揮できなかったのではないかと考えることができる。もちろん奴自身の自信のなさが反映されているのも理由のひとつだろう。

そして、この半年の毎朝の訓練でなのは様の強さは身にしみている。今のところ三人がかりで負け越し。その認識はこの世界にも適用されるはずだ。最強でないはずがない。

「なるほど、なのはがこの世界でも最強というのはいろんな意味で盲点だったわ。陽一のこの世界での弱さは希の認識もあったのね。私、ここのことを誰より知っている自負があったけど、そんな見方があったなんて初めて知ったわ」

「おまえの考えも大筋で間違いはない。訂正が必要なのは負の感情がおまえの予想以上の力を発揮するということだ。今になっての話になるが、これで水霊事件のときに水の封印が希から離れるという不可解な行動をした意味と能力の高さが納得できるものになる。単純に相性の良い強いエネルギーに惹かれたのだろう。それは希本人であることが一番だが、負の感情さえ発していれば代わりになる人格でも構わないのだ。恐らくおまえが知らなかった希の感情を司る領域に埋められていた針と鎖が大きな役割をしていた。誰の思惑かはわからないが、希では黒い女のとって最も力を与える感情のエネルギーが針と鎖によって得られにくい状況で、さらに最強の封印を倒され弱体化していくなかで手詰まり。だから賭けに出て陽一の性質に目をつけた」

「ちょっと待って、それならどうして針と鎖は負の感情を完全に吸収してしまわないの? 」

「おまえと同じように陽一も考えていたようだぞ、それを元に俺なりに推察するなら喜怒哀楽を全く感じないのは生きた屍と変わらん。そんな状態に意味などない。だから、日常で感じるレベルなら問題ないが、強い怒りや憎悪といった特定の負の感情に強く発せられたときだけ作用するようにしたと考えられる。前にお前が言っていた希の意欲のなさも針を刺されたことによる副作用と考えられるのではないか? 例えるなら常に鎮静薬が効いた状態だ。過度の興奮状態などを抑える鎮静剤は普通の精神状態の人間に対して使うと24時間くらいは余裕で眠り続けるくらい効く場合があると聞いたことがある。陽一のように怒りや憎悪を煽るマネをしなかったのは無駄だと知っていたから、切り口を変えて恐怖や悲しみから負の力を引き出そうとしたのだろう」

しゃべり終わった俺を奇異ものを見る目でカナコは立っていた。

「たまにあなたたちって思考の瞬発力が凄いわよね」

「いや、これはおまえと希の由来の力だ。俺は陽一を基本にしながらおまえたちから生まれ、その資質を継承しているのだ」

カナコは一瞬だけふっと笑うとすぐに獲物を狙うような鋭い目になり、すぐにいつもの表情に戻っていた。そこでどんな思考過程があったのか窺い知ることは出来ない。ただ野生の肉食獣と出会ったようなそんな寒気を感じた。膝がガクガク震えている。

馬鹿な! 黒い女と陽一も恐れていない俺が怯えているだとっ!!



「納得したわ。現状今やるべきはなのはを戦える状態に持っていくことね」

もういつものカナコに戻ってた。さっき感じたのはなんだったのだろう。俺たちは一斉になのは様を見る。注目が集まりなのは様は少々あたふたとされるがすぐに真剣な表情をされ王者の威厳を取り戻された。いくら希のためとはいえ、その御心痛の深さは測り難いものがある。まして、これから我々のために慣れない戦場で王自ら戦ってもらわねばならぬとは、臣下として一生の恥辱である。俺はなのは様にひざまづくと頭を垂れた。不思議なほど心が熱くなる。

「王よ。どうか我らをお救い下さい。今の我々は窮地に立たされております。陽一は策に堕ち、負の感情をばらまく敵に利するだけの存在に成り果ててしまいました。私はこの有様で戦うこともままならず。カナコは封印のため温存せねばなりません。戦うことができるのはあなた様のみ」

「えっ!? えっ!? 」

なのは様の戸惑いが伝わる。無理もない。王をどこにでもいる年下の子のように扱う無礼者の陽一から最上の忠臣の俺に変わったのだから当然だ。それにしても本来の自分に戻ってなのは様と接していると気持ちが非常に盛り上がってくる。

「なのは、気にしなくていいわ。そういうキャラ設定なのよ。会ったばかりの頃を思い出して対応すればいいわ」

失礼なことを言うカナコ、俺は真剣だ。せっかく自らが生まれた意味をかみ締めているというのに、キャラ設定とか無慈悲な言動はやめろと言いかけたとき、突如異変が起こる。今まで黒い霧を出すだけだった陽一から奇妙な声が漏れた。

「ヤメロ。ヤメロオオオォー」

我ながら悲痛な声だ。見ると今まで陽一を押さえていた服の拘束がガタガタ揺れだして黒い霧の勢いが増している。理由はわからないが、陽一が先程より不安定になっているようだ。プレシアはすぐに回復してしまう厄介な相手に奥義を連発してなんとか持ちこたえている。傷はさらに増えているようだ。

俺は王に対して訴える。

「王よ。どうかレイジングハートをお呼びください」

「でも、ここには本物のレイジングハートはないよ」

「いえ、来ます。あなた様がレイジングハートの名前を呼べば、必ずや」

曇ったなのは様の表情。確かにレイジングハートはここにはない。しかし、なのは様とレイジングハートの絆は世界を超えてつながっている。まして、すぐ隣の希の夢の世界など造作もない。だからこそ確信を持って言えるのだ。離れたところで陽一がまた苦しみだした。どうも様子がおかしい。何がそんなに苦しいのかわからない。

「心配ないわ。私がシンクロで喚んであげる。近くにいるのよね? あなたが持ってるあかいひかりのたまに降臨させるわ。だからはあなたはいつもの感覚で使えばいい」

「はいっ! 」

なのは様は首を縦に振ると赤い珠を右手に持ち、天井に掲げて詠唱を紡がれる。少々口惜しい。おいしいところをカナコが代わり言ってしまった。小さな身体が少しだけ宙に浮いて桃色の光が降りて王衣たるバリアジャケットが装着されていく。希を含めアリサもすずかもあこがれの目でなのは様を見上げている。



黒い霧が覆う世界で闇を引き裂くような強い光が俺たちを照らす。劣勢だった我々に差した一つの光明だ。

そうだ。この方のこそ長きに渡る魂の放浪の末に奇跡的に出会った仕えるべき主。

感動で打ち震えていた。陽一に溶けずにしぶとく生き続けた甲斐があった。

なのは様のお傍にあることが俺の存在証明。気がつくと敬礼して直立不動の姿勢をとっていた。まっすぐなのは様を見つめる。さっきまで弱々しかった体の節々からみなぎる力が湧いていた。半透明で実体がはっきりしなかった体が凝集されていく。魂の力が増している。さきほどまで構成の維持がやっとだったというのにだ。

そうか。そういうことなのか。

ならば俺も戦えるかもしれない。確かに俺自身はなんら裏付けのない架空の英雄だ。逸話も伝説もない。だったらクリエイトしてしまえばいい。ないなら今から捏造でもでっち上げでもいいから作ればいいのだ。始めはただの珍しい石でも然るべきところに収められ、年月を経て御神体にだってなり得る。元より私は創るもの、生み出すものの資質を秘めている。俺は希とカナコを呼ぶ。

「希、良く聞くがいい。アトランティスの最終戦士は実在したのだ。今からそれを証明する。カナコ、月の管制人格とのやりとりをみせてくれ。前にリンディ提督にみせたことがあったはずだ 」

すぐに俺からカナコに月の管制人格のやりとりの一部と戴冠式の様子を希と俺に共有させるように頼む。そんな場合じゃないといいたげだったが、魂が強固になったことと、さらに強化すれば俺も戦力になる可能性があると伝えると黙って従ってくれた。それだけ戦力が欲しいということらしい。幸いカナコもそのやりとりは見ていたので、すぐに用意することができた。あのときは希は寝てないので知らないのだ。俺も陽一の記憶で二次的しか知らないのでははっきり見ておきたかったのもある。

「なのはちゃん、おーさま」

陽一の方が気になって集中できていない希だったが、流し込んだ記憶でアトランティスの最終戦士が実在することを理解してくれたようだ。次のステップに進む。ここからが本番だ。俺は直に耳元で話すのは畏れ多いので、なのは様にある儀式の手順について話すようにカナコに頼む。記憶を辿り陽一が記し、希にも語った伝説の一節を思い出す。なのは様は俺の目を見て静かにうなづいた。



ここは古代の城の荘厳で神聖な王座ではない。無限に続いてるかのように見える本棚と床には禍々しい黒い霧。正反対と言える。しかし、なのは様と俺と立会人がいればどこでも良いのだ。王衣を身を包んだなのは様は桜色の神聖な魔力を発し、近寄り難い雰囲気を纏っていた。カナコの合図で俺はなのは様の前に出てひざまづいてうやうやしく頭を垂れる。

「王よ。どうか我に戦士の誓いを立てさせていただきたい 」

「は、はい。あなたなら喜んで 」

膝をついてひざまづく俺にややぎこちなく微笑みながら、右手に持ったレイジングハートの先端を右肩左肩の順番にそっと触れる。

「これより、おまえは王の戦士である。忠誠を誓い王のために命を捧げよ」

かしこまった声で告げられる。カナコが立会人だ。これで略式ながら儀式は完了した。本来は玉座にて大勢の臣下を前に行われるものだが、今は時間がない。

「最終戦士の叙勲式だ~ 」

先程からずっと曇った表情の希が少しだけ嬉しそうに答えた。そうだ。この世界の主のおまえが信じることが大事なのだ。それが俺に無限の力を与える。この場面はアトランティスの最終戦士 第二章 若き王の誕生の一節、王となったなのは様にジークフリードが臣下になりたいと願い出て、その場で叙勲式を行うくだりである。

先ほどより充実した力が湧き出ていた。血となり肉となり息吹と心臓の鼓動を感じた。俺は生きていると実感できる。そして、これからなのは様と肩を並べて戦えると思うだけで武者震いしてくる。最後に王への自身の誓いで締めくくりにしよう。俺はひざまづいた姿勢のまま顔を上げて、強く握った拳を胸に当てて誓いを立てた。



「この身が朽ち果てるまで、我は御身と共にあります」

決まった。この上なく決まった。 ……ふっ。

ここに伝説は成就した。虚構の物語は再現され、形を持ったのだ。なのは王がジークフリードを戦士と認めたことは歴史の事実となる。凝集した力が光輝き俺の姿をふさわしい姿に変貌させていく。叙勲式ときは最終装備であるディスティと黒い外套はまだ持っていなかった。だから時系列に合わせて変化するのだ。当時の俺は連日の訓練で全身の肌が日焼けをしたように赤銅色に染まり、逆に髪は逆立ち限界を越えた魔法行使により色素が抜けて真っ白になっていた。その後は徐々に戻っていくことになる。

黒い外套も赤い外套に代わった。そうだな。俺はこんな姿だったんだなと目を閉じて浸る。もう少し感傷に浸りたいところだが、陽一が今までにない程大きな悲鳴を上げた。

「ア゛ーチ゛ャーヤメンカアアアアアアアアアアアアアアァァーーー」

よく聞き取れなかったが、それは切実なものだった。十メートルほど離れた位置で両膝をついて体を掻きむしっている。苦しんでいる姿は我ながら哀れな。よかろう俺が貴様を救ってやろうではないか。ディスティも使えるが当時使っていた武装がいいだろう。

シングルアクションで展開可能だ。



「トレースおごふっ!! 」

両手に投擲して使うことが可能な白と黒の色違い太い刀身の短剣が握られた瞬間。

俺は陽一の黒く輝く右腕によって殴られ、数メートル程吹き飛ばされていた。馬鹿な。予備動作もないとは信じられん。プレシアでさえ早いが一連の動きは見えていた。しかし、奴の攻撃は膝をついた状態から立ち上がり、間合いを詰めて、俺を吹き飛ばすほどの威力で殴るという過程が全く認識できず。殴られたところからようやく視認できた。信じがたいスピードとキレだ。奴は殺意のこもった目で見下ろしていた。

「コロサレタイノカ」

濁った声で殺意をぶつけてきた。まずい。今の奴は明らかに害意を持っている。近くになのは様たちがいることに肝を冷やすが、どういうわけかなのは様たちに見向きもせず、俺だけに注意が向いているようだ。なのは様や希は悲しい顔で何も言えないまま見ているだけ、無理もない。あんな姿になってしまっては目をそらさないだけで驚嘆に値する。

向こうでは黒い女の包丁の一撃がプレシアの左腕を切り飛ばし、一気に追い詰められていた。カナコは手持ちのカードを敵に向かってすべて放り投げる。目くらましのように光り輝き、大勢の影が飛び出して黒い女と陽一に向かっていく。プレシアは一歩引いて別の影が切り飛ばされた腕を持っていた。もうしばらくは持つのだろう。心配したカナコが近づいてきた。

「そっちはいいのか? 」

「ええ、気前良く他の攻性プログラムを展開したから。大判振る舞いよ。もう少し持つわ。それにあの子には聞かれたくない話もあるから」

そう言って少し離れた希に視線を向けてまた戻す。さっきから何度もチラチラ見ている。戦場では見覚えのある影たちが動き回り、特大の雷や火炎、嵐のような連続攻撃、爆発が集中して起こっていた。

「見た目は派手だけど、ここは例のゲームの中じゃないからプレシアの一撃にすら劣るの。当のプレシアプログラムはリカバリープログラムで左腕を修復中。もう少ししたら復帰して時間を稼げるわ。問題は陽一の方よ 」

「まあ、攻撃してきたのは予想外だが、俺だけのようだから他を狙われるよりましだろう。それに奴の方が相性はいい。やつの弱点は把握している」

「殺さないでよ。敵の狙いは陽一が死ぬか。今のままで負の感情を吸収して力をつけるのが目的よ。こっちはなんとか遅らせようとしているけど、あまり効果はないみたい」

「プレシアは完全に捨石にするのだな? 」

「ええ、プログラムだからまた組み上げればいい。でも魂はそうはいかないわ。よく聞いて、悪いけど陽一が元に戻る可能性はない。だから私の切り札の五行封印で陽一ごとあの女を封印する。前はひとりだけだったからどうしても無力化する必要があったけど、今回はなのはがいるわ。これは術を構成する時間さえあれば敵がどんなに強くても抑えこめるの。なのはは数分持ってくれればいい。確率を上げて負担を減らすために少しでも攻撃して力は削ぐつもりだけど、私が話したいのは後のことよ」

やむなしか。月の管制人格は一度感染したらかぐやでさえ元に戻ることはできなかったと言っていた。希のことを考えるなら陽一を殺すのは悪手だ。それにこの世界での再生力は異常である。殺しきれるかもわからない。ん? そういえばなぜ後のことを話す必要があるのだろうか?

「封印後は陽一は檻に閉じ込められた状態になるわ。陽一の役割はあなたがするのよ。構成も安定しているし、今ならできるわね? 」

「ああ、もちろん。この半年の記憶はほとんど他人事だが、ちゃんとある。今は離れていてわからないが」

「それから、これが片付いたらあなたたちと近しい人たちと週末までに触れ合って、管理局に助けを求めなさい」

「待て! なぜ今話すのだ。後でもいいはずだ。それではまるで… 」

俺は一度は飲み込んだ疑問をぶつけた。それではまるでカナコがいなくなる前提で話しているようにしか聞こえない。じっとみつめあっているとカナコの顔は崩れて泣きそうな表情になり、小さな手で口を塞いだ。

「今は聞かないでお願い。二度も使うと、どうなるのか私にもわからないの 」



そうか。

俺がバラバラになったときも同じ顔をしていた。もう時間もない。他の方法も考えられない。陽一の殺さずに敵への負の感情を供給を止めるには奴と黒い女ごと五行封印より他はない。ほかならぬカナコがそれが最良だと判断した。ならば俺はおまえとなのは様を信じて戦うのみ。

「わかった。聞かない。だが、これだけは覚えておけ。生きるのをあきらめるな。俺たちは三人で一人なのだ」

必ず生き残ると決意する。しかし、いくら考えてもこの先の見通しは暗澹としたものだった。最悪カナコがいなくなることも考えねばならない。唯一の希望は誰よりも心強いなのは様が力を貸してくれること。それにすべてを賭けよう。



時間の稼いだ影たちはもう姿を消していた。すべて蹴散らされて何も残ってない。代わりに回復したプレシアが再び戦っている。しかし、少しだけ終わりの時間が伸びただけだ。結果は変わるまい。カナコは少し離れたなのは様たちに最後の確認のために声をかけた。

「あのプレシアは負ける。消滅したら今度はここに来るわ。相手の最終的な狙いは希よ。なのは、いつもやっているシュミレータの感覚で問題ないわ。あれは人じゃない。悪意が意思を持ってしまった存在。全力全開。手加減なしでお願い! 」

この方が全力全開で戦うということがどんな意味を持つのかわかっているのか? 王が本気で戦われたのは俺が覚えているだけでも三回だ。今生でも友ために一度だけ。思うところはあったが黙ってカナコの話を聞いていた。

「アリサとすずかは結界から動かないで、半端な力じゃ足でまといだけど、希を守ってくれるなら嬉しいわ。それからジーク、あなたは陽一を足止めしなさい」

みな緊張しているようだ。安心させてやらねばなるまい。俺は陽一に向き合うとカナコに背中を向けながら言葉を発した。



「足止めするのはいいが、カナコ、別にアレを倒してしまっても構わんだろぶっ!! 」

「ダカラヤメロオオオオオオオオオオォォー 」

またしても、見えない攻撃が俺を捉える。また吹き飛ばされてしまった。やめろと言っているようだが、どういう意味なのかさっぱりわからない。錯乱しているのか。どうやら奴は完全に敵の手に落ちてしまったようだ。視認できない攻撃は厄介だった。さっきの攻撃もあわせてダメージがあったようで、なんとか立ち上がるも足元がふらつく。そこへ王自らそばで支えとなって申し訳ない。陽一はなのは様に動揺して近づけない。やはり俺以外は攻撃しないのか。

それにしても王はこんな俺の身を心配してくれている。俺はしあわせものだ。こうして王と一緒に戦うことができるのだから。

元は与えらた設定・ただ妄想から生まれた存在。

だが、それがどうした! 俺は偽物だ。しかし、暖かさをしっかり感じている。心と魂は存在するのだ。生まれなど関係ない。確かに俺はここにいる。ここにいるのだ! 

なのは様は気遣わしげに憂いた顔で覗き込んでいる。いつのまにか王の顔がこんな近くまで来ていた。その瞳と唇が目に入り、不埒なことがよぎった自分を恥じて、真っ赤になること自覚しながら自分の口に手を当て顔を逸らした。

「あ、あの、平気ですか? 顔が… 」

「は、はいっ、戦闘継続に支障はありません 」

指摘される前に言葉をかぶせて最後まで言わせない。声がうわずって心臓は激しく脈動しているが、上手く誤魔化すことができただろうか? いつまでも支えられているわけにはいかない。王がバランスを崩さないようにゆっくりと離れる。ぬくもりが遠くになったとき、少しだけ寂しさを感じた。

そんな王は不安げな顔をしている。お優しい方ゆえにいろいろ心を痛めておられるのだろう。

「なのは様、心配なさらずとも、ここを片付けたら私がお助けします」

「う、うん。いろいろ考えちゃって、あんな姿になった陽一さん大丈夫かなとか、希ちゃんは不安じゃないかなとか、死んじゃったりしないかなとか、ごめんなさい 」

ああ、いつも他人の心配をしてしまう。そして、自分のことは顧みず助けてしまうのだ。そんなあなただからこそ助けたい。傍らにいたいのだ。俺はなのは様の手を取り、その不安げな瞳を見つめて宣言した。



「大丈夫です。あなたは死にません。俺が守るから」

なのは様は頬を染めて戸惑いながらこくんとうなずく。照れているのが微笑ましい。これは期待してもいいのだろうか? 今なら前世の心残りを果たすことができるかもしれない。





ぷち! 

不吉な何かがキレる音がした。

「ラブゴメヤメエエエエエエエエエエエェェェー」

意味不明のことを叫ぶ陽一。さっきから何なのだっ!? 黒い霧の勢いはさらに増してその勢いは氾濫した川のようだ。奴の右手が赤黒く輝き、体が急に硬直したように固まる。そして、両膝をついてガクガクと痙攣を始めた。今度は何が起ころうとしている?

陽一は喉を押さえて苦しみ出すと勢いよく黒いものを嘔吐した。そのままばったりと倒れる。依然として黒い霧の放出は止まらない。中から出てきたのは黒い蛇だった。あんなものが体にいたのか。見覚えがある。右腕の封印の痣とよく似ていて見た目は小さいが禍々しさを感じさせた。黒い蛇は縫うように黒い女のところまで移動して腕に巻き付く。我々の敵は黒い蛇の頭を愛おしそうに撫でていた。

「ようやく孵ったのね。ふふふっ、これで私の勝ちは揺るがない。成体になってから喰い破って出てくると思ったけど、まだまだ元気じゃない。もうおまえに用はないけど、せいぜい瘴気を出して完全に育つまで撒き散らしてちょうだい。そろそろ目的を果たすことにするわ。ここまで育てばお前たちなど敵じゃない。まずは消えなさい。脆弱な人形が 」

プレシアを視線を向けながらそう言い放つ。リカバリープログラムによって修復されたプレシアだったが、明らかに力を増した黒い女が腕を振るっただけで先ほどの善戦が嘘のように一瞬でバラバラに切り刻まれ霧散してしまった。もう戦うことはできない。敵はゆっくりとこちらに笑いながら歩いて来ている。

「なのは! 合わせて砲撃。スナイプシューティング 」

「は、はい。ディバインバスタアアアアアアー 」

ふたりは結界から出ると遠距離魔法で先手を取る。カナコの魔力球が射抜き、桃色の光の奔流が飲み込む。向こうはふたりに任せよう。敵がどれだけ強かろうと戦闘に関してあのふたりに心配はいらない。必ずや倒してくれるはずだ。

一方倒れた陽一だったが、しばらくすると起き上がっていた。どこか爬虫類のような動きでキョロキョロしながら辺りを見回し、こちらの方を向いてピタッと止まる。奴の血の涙で濡れた鋭い眼光が俺を捉え赤く光った。こちらへゆらりゆらりと歩いてくる。

ここに来るのか。

希たちを巻き込まぬように少し距離を取る。すると奴は俺の方へ向きを変えた。ターゲットは俺だ。だったら離れた方が得策だな。見えない攻撃来ると厄介だ。あの攻撃はこちらが防御魔法を展開する前に襲いかかってくる。二回とも視認できたのは攻撃の後だった。

だったら、今度は先手必勝で行くぞ。時間はかけない。一分で決めさせてもらう。

陽一に向かって双剣の投げつけると同時に走り出す。これは回転しながら飛び道具にもなるスグレモノだ。不意をつかれた奴は動きが硬直する。馬鹿め。これは当てるつもりはない。貴様が喧嘩レベルの基本的な戦いが下手なのは承知している。奴との間合いを詰めて左手から斬撃を胴体にめがけてわざと大振りに繰り出した。

焦った陽一は大げさに避けて体勢を崩す。

これもフェイント。

手を離して剣を落とすと肉薄して奴の袖を掴み、右手は肩を押さえ後ろに足をかけて強引に身体を捻った。ほとんど抵抗なく体が傾く。奴を背中から地面に叩きつけた。カナコの洗練された技と違って力任せで荒い投げ技だ。経験者に通用するレベルではない。しかし、これでも素人には十分有効だ。

すぐさま転んだ奴の髪を掴んで右手に刃物を錬成する。

こっちが本命だ! 安心しろ、命まで取るつもりはない。

刃物で掴んだものを切り裂いた。




俺は右手に錬成したバリカンで奴の頭頂部の髪を一撃で刈り取る。

髪だけ切ったにも関わらずプシューと噴水のような黒い霧が吹き出す。



そのまま声もなく倒れる。

もう黒い霧の放出は止んでいた。やはり急所はここだったか。

涙がつたう。



すまない。



おまえを殺さずに無力化するにはこうするしかなかった。



……もう貴様は立ち上がらない。

さあ、なのは様たちはまだ戦っている。戻ってお助けせねばなるまい。俺は陽一に背を向ける。





ドクンッ!



ドクンッ!



何かが脈打つような音が聞こえる。振り返るとうつ伏せに倒れたままの陽一の肩が一定のリズムで揺れていた。やがてそれは間隔が短くなる。さらに黒い霧の気流の流れが変化していた。それは一部ではなく倒れた陽一を中心に渦のように図書館全体に及んでいた。不吉な異常を知らせている。嫌な予感が止まらない。

ドクンッ! ドクンッ!

ドクンッ! ドクンッ!

ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクンっ


床に充満していた黒い霧が陽一の体に吸い込まれていく。吸い込むごとに体は徐々に黒く輝きを帯びて、やがてカナコのゲーム結界を破壊したときと酷似した雰囲気が漂う。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ 」

この世のあらゆる怨念がこめられた絶叫と共に黒い光が弾け、破裂音と十字架状の光の形が立った。

伏せたまま静かに両手をついて体を起こす。髪は落ち武者のように綺麗に削り取られたままだ。両膝をついて体を起こして顔を上げる。



「そんな! 動けるはずがない」

陽一は立ち上がり、ゆっくりとこちらを向いて歩き始めた。

ゆっくりだった陽一の歩みは徐々に足だけ早くなり、頭から先にぶつけそうな極端な前傾姿勢、指先で引っ掻くような手の形で手のひらは地面に向けられ、両肩は極限まで後ろに伸展し、肘は曲げた状態で頭と同じ高さまで上げて天を突いてた。明らかに速く走るには向いてない走法のまま咆哮を上げ、白い歯がむき出しの凄まじい形相をして信じられないスピードで突っ込んでくる。



そして、高く跳躍した。なんという身体能力だ。信じられん。

まさか暴走!?

だが、生憎だったな。お前の動きは見えているぞ。そんな単純な攻撃が通用するものか。これでもなのは様には及ばないがプロテクションには自信がある。致命傷は避けて数多くの戦場で生き残ってきた。俺は全面に赤い壁を展開する。これがある限りおまえは接触することができない。



(勝ったな)

なぜか同志ガーゴイルの言葉が聞こえた気がする。見慣れないヒゲ面で強面のグラサン男と一緒にいたような光景を幻視した。きっと奥さんが亡くなって思春期の息子にどう接すればいいかわからない不器用な男というところまでなぜか理解できた。それと同時に圧倒的な敗北のイメージがよぎった。

陽一そのまま突っ込んでくるが、赤い防御陣が行く手を阻む。完全に防いでいた。しかし、先程から背中に嫌な汗をかいている。

陽一は両手を赤い防御陣に貼り付けると自らも黒い光を発して同じように展開を始めた。こちらのフィールドを中和している。

いや、侵食しているのだ。

あっけなく防御陣は両手で紙でも破くかのように引き裂かれた。

馬鹿な! この俺の防御結界をいとも簡単に!



かばうヒマを与えられないまま殴られた。顔面の衝撃で意識が遠くなる。



……



ガコンッ! 



ガコンッ!



意識が深く沈む。しかし、重く鈍い音が一定のリズムで衝撃と共に襲いかかり、俺は現実に戻された。痛みで再び飛ばされそうにながらなんとか周囲の情報を探る。理性をなくした陽一の顔が目に入り、すぐに視界は影で隠れて拳が覆ってきた。どうやら馬乗りのまま顔面を殴られているようだ。この姿勢はまずいな。

体を無理やり起こそうとしても、この姿勢は圧倒的に不利だった。気がつくと奴の手には俺が使った刃物が握られている。奴は俺の髪を掴む。

まさか同じ目に遭わせようというのか!

抵抗むなしく俺の髪は削り取られた。その緩んだ隙に俺は奴から離れ、どうにか距離を取る。背中から影が近づいてきた。

「何やってるのッ! 不甲斐ないわね」

いつの間にかカナコ来て怒鳴られた。確かにそうだが、おまえはなのは様と一緒に戦っていたはずだ。

「お前の方こそ、なのは様を一人で戦わせているのか? 」

「ええ。すぐに戻るつもりだけど、あなたよりずっと安定してるわ」

「そうか、さすがだな」

なのは様の方を見ると一定の距離を保ちながら、希ちゃんの方へ行こうとすると砲撃を加えて牽制していた。なのは様は空中から機動力の差で相手を翻弄し、黒い女はなのは様を相手に有効な攻撃を出すことができずにいる。それでも余裕は崩れない。回復の手段があるからだろう。だが、敵の方から牽制ばかりで本格的な攻撃する様子がない。それだけが不気味だった。

「途中までは攻めて来てたんだけど、なのはの攻撃が強いとみるや完全に守りに回っているわ。右手を庇って何かを待っているような感じね。多分あの蛇がそうなのよ。そしたらあなたの方が危なかったから来たの」

「すまん。髪を切れば終わると読んでいたのだが、甘かったようだ」

そう言って陽一に目を向ける。奴は俺の髪を弄んで血走った目で歯をむき出しにして恍惚した顔をしていた。もはや狂人だな。

「はっ、はっ、はっ」

興奮した声で奴は手に持った白いモノを口に運んでむしゃむしゃと咀嚼を始めた。



「……髪を喰ってるっ!? 」

「まさか、俺の髪を自ら取り込んでいるというのか! 」

「うぷっ! 」

常識では考えられない行動にカナコは口を抑えて嘔吐感をこらえている。奴の髪は俺が刈り取った頭頂部に白い髪に生え変わっていた。



「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ~~」

陽一の目が赤く鋭く光り、顎が外れる程大きく口を開けて人のものととも思えない大音響の咆哮を上げる。思わず耳をふさぐ。その姿はまるで鬼。かろじて残っていた奴を包んでいたものが外からの圧力で音を立てて剥がれていく。

「拘束具が! 」

「拘束具? 」

「そうだ。あれは鎧ではないのだ。奴が本来の力を押え込むための拘束具なのだ。その呪縛が今、自らの力で解かれていく俺たちには、もう陽一を止めることはできまい 」

奴にとって髪は弱点であると同時に逆鱗でもあったらしい。これで十分かと思ったが半端な攻撃は逆効果だった。放置すれば取り返しがつかない事態になることが容易に想像できる。いつ希たちに矛先がむくとも限らん。やはり本気でやるしか方法はないようだ。

俺は覚悟を決めた。

「覚醒と解放か。このまま黙って見ているわけ行くまい。カナコ、なのは様のところへ行くがいい。陽一をなるべく傷つけずに済ますつもりだったが、そうも上手くはいかないらしい。今度は全力で戦う」

「そうね。少しでもあの女を弱らせて、術の展開はなるべく急ぐわ」

カナコは悲しげな顔で陽一を見ると、すぐになのは様の元へ向かう。俺が甘かったせいでなのは様に負担をかけてしまった。早くケリをつけて王様のところへ向かわねばなるまい。俺はディスティを具現化させてリロードする。銃身が鈍い音を立てた。

陽一を倒すため一歩踏み出す。



踏み出そうとしたが、袖を引っ張られる感触で後ろへ振り返る。

希だった。

結界の外に出るのは危険な行為だ。戻れと言いかけて訴えかける眼差しの強さに思わず言葉が止まる。

「待って! どうして? どうしてお兄ちゃんをあきらめるの? お兄ちゃんは私のことで悲しんで、あんな姿になっちゃったんだよ。最終戦士なら助けてよっ! 」

ここまで必死に言うのは初めて見る。陽一の記憶にもない。聞こえてなかったはずだ。しかし、俺たちが何をしようとしているのか感じ取ったのかもしれない。

「希、陽一を殺すわけではない。カナコの力で封じるだけだ。今は呼びかけすら聞こえないのだ」

俺はどうしようもないと諭すが、希は強く首を振る。癇癪を起こしたように全身を揺らして拒否を訴えていた。顔を上げて俺を睨むような目には意思が宿っている。

「そんなのダメッ! それにお兄ちゃんはちゃんと聞いてたもん。苦しんでいるだけだもん 」

揺るがぬ意志を見せた希に覚悟を決めたはずの俺の心に迷いが生じる。

本当にカナコの言う通りにしていいのだろうか? 

希が感じたのならその通りなのだろう。闇に飲まれながらも意識がまだあるのか。確かにタイミングで見ると俺の言動に反応して攻撃を加えているように感じられるし、殺されたいのかと言っていた。ただの錯乱なら近くのなのは様たちに目もくれないで、何度も俺だけを攻撃するのもおかしい。自らの意思で言ったとするなら意味不明だが、まだ人格は残されていることになる。

少しだけ考える。

月の管制人格は戻れないといった。しかし、ここは希の世界だ。意思の疎通が可能ならば、言葉を交わすことができるのなら、まだ可能性は残されている。手遅れではない。粉々になった俺が希の助けを呼ぶ声に応えたように、少なくともやってみる価値はあるのだ。

希よ。おまえの覚悟をみせてもらうぞ。

俺は愛銃ディスティを渡す。

「希、この銃に想いを込めろ。この銃が撃つのは敵を倒す弾丸だけではない。持ち主が願えば想いを相手に伝えることもできるのだ。内に閉じこもった心の外壁など打ち破ってしまえ。そして、語りかけるのだ。真摯な言葉は必ず届く。おまえの言葉ならなおさらだ」

「届くかな? 」

少しだけ不安げな希の頭を撫でる。

「自信を持て、俺は奴の希への優しさから生まれた存在だ。奴は完全に堕ちたが、おまえの声で一度は踏みとどまった。もう一度思いを込めて撃てば響くはずだ。これはおまえにしかできないことなのだ」

希は自分の身長程もある銃をふらふらと構える。もし陽一が戻る可能性があるとすれば希しか有り得ない。これで駄目なら仕方あるまい。カナコの封印で大人しく眠りにつくがいい。貴様のやろうとしたことも俺が継いでやるから心配するな。

銃口は唸り声を上げて力が集まる。黒い光の粒が少しずつ大きな球になりつつあった。

気がつくとアリサとすずかが銃に手を添えて希を支えてくれていた。



「水臭いわよ。希、私も混ぜなさい。ちょっとは役には立つでしょ? 」

「希ちゃん、私たちが足でまといなのはわかる。だけど少しでも手助けしたの」

足でまといなどとはとんでもない誤解だ。おまえたちがいるから希は安心することができる。おまえたちがこの世界の絶対防衛線。守るべきものが多いからこそなのは様と俺は力を発揮できるのだ。

「ありがとう。アリサ、すずかちゃん」

三人集まったことで力はさらに増していく。集まった力は野球の球ほどの小さなもの。決して大きな力とは言えないだろう。しかし、それで十分。これは破壊の力ではない。少女たちの優しい想いが凝集しているのだ。負の感情に囚われた馬鹿な男に教えてやれ。



「お兄ちゃんっ! 」

希の叫びと共にトリガーは引かれた。銃口から希の黒い球が放出される。反動で三人とも尻餅を付いた。標的の陽一は動くことはない。射線もしっかりと正面に目標を捉えている。

当たる。

しかし、その射線に割り込んだ者がいた。黒い女だ。なのは様たちの攻撃を掻い潜ったのか。

「あははは! こんなもので、戻れるわけがないでしょ。ふんっ 」

あざ笑い右腕を振り上げると射線上にきた黒い球を叩きつけた。黒い球は水風船が割れて中の水のようにバラバラに散ってしまった。

「あっ!? 」



おのれええええ。

ここでも邪魔をするか。希の想いを踏みにじるとは許せん。強い怒りが燃え上がる。だが、一度でダメなら二度だ。今度はそうはさせんぞ。双剣を構え黒い女を牽制しながら、もう一度だと言おうとしたそのときに黒い霧で覆われた世界の闇を切り裂く強い言葉が響き渡った。



「と、届くもん。届くもんっ!! 」



鼓膜が震える。

絶対に一回で陽一までたどり着くという一途な想いだった。守ると叫んだときのアリサのように希は心の底から声を出していた。

あまりの声の大きさにみんなが希に釘付けになる。その時だけは本当に時間が止まったように感じられた。当の本人は限界を超えて声を出したせいで疲れたのか、眉間にしわを寄せて苦しそうに汗をにじませながらはあはあと息をついている。

「はっ? 」

異変が起こっていた。確かにバラバラになったはずの黒い球は希の声に応え時間が巻き戻るかのように元の球体に戻っていく。黒い女もあっけにとられている。俺とて想定外のことに目の前で起こっている光景に目を奪われていた。こんなことが起こるとは誰も思うまい。

いや希だけがこうなると信じた。

まして砕いたのは決して敵わないと思っている相手の理を覆して、初めて一人で反逆したのだ。ゆっくりふわふわしながら陽一のところへ向かって飛んでいく。



希、お前の勝ちだ。

「ここは希の世界だ。本当に願うのなら、届くというのなら、たとえ神であろう止めることはできん」

俺は祝福と福音を込めてそう断言した。黒い球は陽一の中に溶けるように吸い込まれ、やつの心の防壁は崩れていく。さあここからだぞ。希は勇気を示した。

今度はお前の番だ。






ーーーーーーーーーーーー





暗闇の中。

頭は沸騰したように熱く上手く思考することができない。身体は言うことを聞いてくれない。拘束具で抑えられてはいるが、茹でたカエルのようになすがままだった。声を上げて開放しても収まらず、後から後から湧いてきてキリがなかった。そんな中で誰かの言葉と行動に思わず制裁を加えないといけないという衝動と反射的な怒りを覚えていたが、それがなんなのかすらわからない。だが、この声だけは放置してはいけない。放置したら必ず後悔することになるとそれだけはわかった。ただこの感情は体を焼き尽くすような復讐の憎悪ではなく、羞恥と怒りの混じりあった穏やかな類に感じられる。そのおかげで少しだけましにはなっていた。

そして、その感情が最高点まで高まったとき、体の中を巡っていたモノが苦しみだし、飲みすぎた時のように吐いて楽にはなった。しかし、思考する力は戻っても未だにアルコールのように怒りと憎しみは心の中で暴れまわり未だ俺を苦しめている。

何者かが両手に持った刃物を俺に向かって投げて、残ったもう一方の手で斬りつけられるかと思ったら投げられて、背中を打った。

そして、命より大事な髪を刈られて俺の意識は再び飛ばされる。

後のことはよく覚えていない。気がつくとまた絶叫していた。意味はわからないが本能的な行為だと思う。直前の記憶は塗りつぶしたように真っ赤でゴチャゴチャしていて頭が痛い。髪が亡くなって、絶望して、ものすごく頭に来たのだけはわかった。しかし、気がつくと髪は知らない間に白い髪に生え替わっていた。確かに無くなったはずなのに。どうやったのかさっぱりわからない。何かを口に入れて食べていたのは覚えている。

拘束具が限界を迎えつつあった。髪を切られたせいで、思いっきり暴れてしまったようだ。

やはり俺はこのまま死んでしまうのだろうか?



今までの生とは何だったのだろう? 俺の生まれた意味ってなんだったのだろう? 少しだけ思考力が戻った朦朧する世界でそんなことを考えていた。内へ、内へと閉じていく。

この世に生まれて半世紀くらい。思い出すのはつらいことばかり、最初の父はほとんど話した記憶がない。仕事を理由に家には寄り付かなかった。俺を避けていたのだろう。今なら心当たりはある。

代わりに実の母だと思っていた義母からなじられ蔑まれて育てられた。何を言っても反論され、いかに俺がダメな人間か事細かに説明し論破される。俺を認めてくれるものなど誰もいなかった。実の子供じゃないから当然だ。

ただし媚びれば金銭だけはいくらでも与えられたので生かさず殺さず。それが母親の唯一の愛情とさえ思っていた。ただし、プライドはズタズタ。鈍い振りで誤魔化すのが唯一の方法だった。そんな自分を直視できなくて趣味に没頭するのは当然の流れ。だが、それは完全にあいつの引いたレールだった。そして、何も言わないまま父が死んだ。何の感慨も浮かばなかった。それどころじゃなかったのもある。生きる術もないまま追い出されたのだ。そのときに実母は俺を産んですぐに亡くなったと聞いた。

俺は母親を殺した罪深い子供らしい。だが、それを聞いても父と同様の思いしか沸いて来なかった。ただ心臓に針でも刺したもの様な鈍い痛みだけは今でもある。だから、なるべく考えないようにしてきた。

子供の頃を思い出すと、なんで俺は頑張っているのに認めてくれないんだ。おかーさんはどうして認めてくれないんだろう。おとーさんはどうしてみてくれないんだろう。どうして? どうして? と長年苦しんできたから。ああ、なるほどそうだったのかと冷静に納得する自分がいた。父は自分の母親を殺した俺を許すことができず。義母は最初から愛情など存在しなかったのだ。心が凍ったまま俺は長年住んだ家を後にした。

真相を知ってしばらくして、働いているうちにふと止まっていた感情が蘇り、義母への憎しみが燃え上がった。なんで俺がこんな理不尽な目に遭わないといけないのだろう? と悔しくて悔しくて泣いた。憎しみは一度意識するとふりはらうのは難しく、抱えながら生きなければならなかった。仕事にもさしつかえがあったし、家でイライラして、ものに当たって壊したのもしょうちゅうだった。

最悪の時期だったと思う。

それでもなんとか苦労して克服して生きる術を得たのに、希望を取り戻したのに… またしても、義母にそんなものは無駄だと殺されてしまった。痛かった。熱かった。苦しかった。そんな言葉では単純に表すことはできない。俺の身体と精神はこれ以上はないくらい踏み躙られ、屈辱を味わい、陵辱され、尊厳を破壊された。これからどんなに良いことが起ころうとこれだけはへばりつくように憑いてくる。死んだらすべてが終わるのだ。

次の生は幼少から思い出すように始まった。最初はいろいろ楽しかったのかもしれない。学校ではヒーロー、前世で子供の頃に誰にも認められなかった俺にとって、認められ見下すのは仄い喜びがあった。思えば嫌な子供だったと思う。父も母も優しかったし、生まれたばかりの妹も可愛かった。一部の大人たちでさえ敬意をみせてくれる。俺は今までに復讐するように人生を楽しんでいた。

つまづいたのは俺が頑張り過ぎたせいで、産みの母が化物を見るような目で俺を見たことだろう。それから先の態度は子供に対するものではなかった。そうなるともう無理。後で冷たくなるくらいなら最初から優しくするなよ。優しさなんて知らなければよかった。いや、あの優しさも義母のようにただのまやかし。実の母にとって子供は自己顕示欲を満たす道具に過ぎないのだ。

俺の実の母親の幻想は粉々に砕かれた。

癒しを求めた高校の彼女は俺をあっさり裏切った。中学からの長い付き合いというのにDQNに乗り換えられ、将来ハゲそうだからというくだらない理由で振られた。作家になった俺を知ったら後悔するぞと今でも思うくらいは未練はある。結局会うこともなかったからどうなったかはわからない。ハゲる運命に反逆しようと思ったのもそれが始まりだ。

その後は坂を転がるようにカリスマ性は失われていく。前世の学力が通用したのも中学まで、暗記力はそこそこあったので、頑張れば偏差値の高い大学にいくことはできたかもしれないが、やる気がなかった。母親は過去の栄光ばかり持ち出して罵倒するばかり、ますますやる気がなくなる。

結局妥協して経済的負担の少ない大学を選んだ。前世で行けなかった大学は思ったほど楽しいものでなかった。それなりにリア充っぽく生きてきたから周囲合わせて仮面をかぶるのも得意だ。友達もそれなりにできた。だが、胸に空いた穴を埋めるものではなく、うわべだけのつきあいに満たされるものはない。

大学の女などハナから信用してない。いや本当はまた裏切られるではないかという猜疑心で向き合うことができなかっただけだ。そんな自分が嫌になる。大学はだんだん煩わしさを感じるようになった。

母親の愚痴はますますひどくなる。斎は優秀な学生で先生の覚えも良いらしい。推薦特待生は間違いないというから相当良いのだろう。明らかに俺に当てつけている。見習えとか二十の誕生日に言うことじゃない。腹いせに黙って大学を辞めてやったら母親に刺された。今まで記憶の隅に隠れていたトラウマが一気に蘇り、悪夢に苦しめられ完全な回復に数年かかった。回復はしたものの家に残った。どうして残ったのか今でもわからない。

可愛かった妹はいつの間にか大人になり距離を感じようになる。引きこもりな俺を咎める妹は月日の流れを否応なしに思い知らされて悲しい。それでも他の女に比べれば彼氏もいない女神のような存在だった。情念を募らせるが実の妹にそんな感情を向けるなどあってはならないことだ。でも好きだ。その葛藤が官能小説家の道を開いた。でも家族には言えるはずがない。

出版先の縁で前世の記憶を元に本を出した。売れまくったらしい。だが、所詮は盗作、俺のものじゃない。これは俺じゃない。でも20代も半ば過ぎて金がないと親もうるさいし、いろいろ困る仕方ない。仕方ない。社会的に成功して金回りは良くなった。売ったのは作家としてのプライドだ。仕方ない仕方ない。プライドじゃ飯は食えない。せめて官能小説家としての矜持は守ろう。

中国旅行で髪は死んでいると言われた。俺のやった十年近い修練は無駄な努力に過ぎなかった。足元がガラガラ崩れるようだ。でも今更引き返せない。続けるしかない。ここで辞めてしまったら心が折れてしまう。俺を裏切った女の言葉が真実になってしまうじゃないか。それだけは認めるわけには行かない。

余裕が出てきたので胸の隙間を埋めるように水商売や風俗の女に金をつぎ込む。どうせ金は使い切れないほど持っている。騙されたのも一度や二度ではない。傾向と対策まで作った。しかし、所詮は金で発生したつきあいに情はない。それを悟るのにいくら使っただろう? 根こそぎ毟られることはなかったというか、自分の手に負えない額の金は身を滅ぼすのを見せられる羽目になった。金は怖い。人間は貧乏にはいつまでも慣れないが、贅沢にはすぐに慣れる。後から聞いた話では俺がお金をつぎ込んだ相手は漏れなく義母が俺に望んでいたような結果が待ち受けていた。弱い人間ほど堕落からの復帰は困難だ。その筆頭が俺だったからよくわかる。豹変して連絡がつかない友達もいる。友達だと思っていたのになあ。

つぎこんでた女のことで8のつく人が関わってきたとき、出版社の弁護士に相談しなければどうなっていたかわからない。世の中は汚いことばかりだ。家族でさえお金で変わってしまうかもしれない。母親は家族も認める守銭奴だからあきらめられるが、妹や父がそうなってしまうのは耐えられない。やはり秘密のままだ。もう誰も信じられない。反省するならお金を使う才能はなかったということだろう。寄ってきたのはお金目当てのハイエナばかり、身の程を知れということだった。せめてつき合いのあった冬月さんに投資しよう。出版社を通しているからちゃんと使ってくれるはずだ。古い付き合いの人さえ全面的に信じられない自分に嫌気がさす。



そんなとき天使に会った。

最初は髪を指摘されて凹んだり、警察の世話にならないかと心配したこともあったが、あの二年間は本当に楽しかった。やましい気持ちなど沸くはずがなく、あの子の喜ぶ顔が見たくて自分でも信じられないくらい純粋に馬鹿になれた。これでも元演劇部、絵本を朗読でキャラクターを声色を使い分けるなど造作もない。彼女は俺が作った拙い物語と演技を純粋に喜んでくれた。

打算も計算もない。世の中の汚れとは無縁の無垢の象徴。永遠の少女。

そんな希ちゃんの重要性を思い知るのは彼女がいなくなってからだった。何もかもがつまらなくなり、男の欲望の発散さえ億劫になる。今更どうしようもない。また鈍い振りをして生きていくだけだった。



気がつけば希ちゃんは自分の母親に壊されていた。これは人間のやることでない。あんな素直で可愛い子が心に深い傷を負わされていた。

あれだけ可愛がっていたはずなのに希ちゃんのおかーさんが許せない。理不尽だ。きっと幸せだった頃の優しかった母親の過去の姿にすがってつらかったのだろう。俺の母親がそうだったからわかる。半端な希望は絶望をより深くするだけだ。最初から知らなければ良かったのだ。

そして、誰よりそんな状態を見過ごした自分自身が許せない。できることがあったはずなのに何もできなかった。住む所を聞き出しておいて、連絡くらい取れたはずだ。それさえしないでただ漫然と生きていただけ。

もう遅い。

手遅れだった。間に合わなかった。

圧倒的な虚無感に押しつぶされる。



俺は無力だ。役たたずなのだ。

みんなもきっとそう思っている。だけど、優しいから言わないのだ。言ってくれないのだ。責めてくれないのだ。

やはり俺の人生には意味はなかった。生きる価値なんかない。積み上げても積み上げても。何も残らなかった。すべてが無駄だった。このまま死んでしまったほうがいいんだ。

誰か無価値な俺を殺してくれよ。早くしないと拘束具が解けて抑えられなくなる。本当に致命的なことをしでかすかもしれない。殺してくれ。お願いだ。

闇の中へどんどん沈んでいく。











そんなとき、よく知っている子の切実な叫びと暖かい光が俺を包んだ。

いつのまにか暗黒の中から差した光の下に、希ちゃんが立っていた。真剣な眼差しでこちらを見ている。頬には涙の跡が残っていた。不思議な気持ちが溢れる。この子を見ているだけで闇の底に沈んでいた心が光の下まで引き上げられるようだ。死にたい気持ちが消えて、この子のために何かしないといけないという心に駆られる。

「戻って来て。お兄ちゃん! 」 

真摯な訴えに心が傾く。しかし、憎しみは今も変わらず制御不能に暴れまわって、油断したら今度こそ俺の手でこの子を傷つけてしまうだろう。今の自分はこの世界の誰よりも信じられない。信じてはいけない。それならいっそのこと突き放したほうがためになるはずだ。もっと早く気がつくべきだったのだ。俺なんかがそばいてはダメなんだ。プレシアだって寿命が短いことを知っていたからこそ最後まで冷たくできた。バレバレの演技で俺たちにはわかったけれど、フェイトちゃんには通用したのだから、きっとできるはずだ。半端な希望は最初から持たないほうがいい。

かえって絶望を深くしてしまう。

「俺から離れてくれ。もう助からないんだ」

努めて冷静に答えた。俺の演技は希ちゃんに通用するだろうか? それだけが心配だった。

「お願い! 一緒にいて! 」

なおも引き下がる希ちゃん、簡単には聞き入れてくれないようだ。だったら心を鬼にして本気で突き放さないとダメだ。俺は死を前にして、希ちゃんにこのような真似をしないといけない運命を呪った。目を釣り上げて表情を作って大きな声で怒鳴る。



「ダメだっ!! そばに来るんじゃないっ! 」

ほとんど叫び声だった。過去において希ちゃんにこれほど大きな声で怒ったことは一度もない。あまりのショックに硬直して希ちゃんの表情が文字通り凍りついている。こんな表情は見たくなかったよ。



「……どうして一緒にいたらダメなの? 」

涙が頬を伝う。今にも消えてしまいそうな悲しげな声で下を向いた。手を当ててさめざめと泣いている。



……ああ、ダメだ。

そんな顔しないでくれ。刺すような頭痛で気が遠くなりそうだ。どうしようもなく心が激しく揺らいでいる。泣かせているのは俺だ。傷つけたのは俺だ。希ちゃんのためを想って言ったことなのに、どうしてこんな結果になる。やはりちゃんと納得させないといけないのだろうか? 俺は穏やかに諭すように言葉をかける。

「俺はね。希ちゃんが思っているような立派な人間じゃなくて、ダメな人間なんだ。そんな奴が近くにいても希ちゃんのためにならないよ。君が苦しんでいたのに何もできなかった。助けることができなかった。いや、何もしようとしなかった。それに俺がいなくてもカナコがいるじゃないか? なのはちゃん、アリサちゃん、すずかちゃんだっている」

下を向いて両手を当てながら肩を震わして泣いていた希ちゃんは俺の言葉を聞いて動きが止まる。話は聞いてくれたようだ。良かった。

これが事実だ。何も知らない馬鹿な俺は怠惰にかまけて希ちゃんのことは思い出の彼方へいったまま忘れようとしていた。起こった出来事を考えるなら知らなかったでは済まない。こんな俺は最初から一緒にいる資格なんてない。一緒に乗り越えて苦楽を共にしてきたカナコはその資格がある。なのはちゃん、すずかちゃん、アリサちゃんは同年代の友達だ。友達に資格なんていらない。

俺だけが異物だった。俺だけが負の存在だった。俺だけがいらなかった。

話が終わっても、しばらく、うつむいていた希ちゃんはだったが、涙を拭って、もう一度顔を上げる。目は赤く涙で濡れたまま。しかし、落ち込んだ様子はない。その表情には強い意志が宿っていた。

どうしてあきらめてくれないんだ。

「そんなことないッ!! お兄ちゃんも一緒じゃないとダメ! 私、お兄ちゃんとの楽しい思い出があったから、つらくても頑張れたんだよ。だから、これからも一緒にいないとダメなのッ!! 」

そう言ってくれるのは嬉しい。

でも、やっぱりできない。君が認めてくれても俺が認められない。

もう恥も外聞もあるものか、思っていること言ってしまおう。



「お願いだからそばに来ないでくれ! 頼むよ。希ちゃん、俺が一緒にいる資格はない。踊らされていることが分かっているのに憎しみが制御できないんだ。拘束具も剥がれた。もう抑えられない。限界だ。君を傷つけてしまいそうで、自分が誰より信じられなくて ……怖いんだ」

最後に吐き出すように声に出す。言い終わると急に静かになって沈黙が支配していた。

怖い。紛れもない本音だった。俺は十歳の女の子に何を言っているのだろう? そんなこと言われても希ちゃんは困るだけだ。ほらっ、さっきからどうしたいいかわからない顔で黙っているじゃないか。

でも、きっとこれで良かった。わかってくれた。





……



……



希ちゃんに変化が現れ始めた。目を細めて俺を優しく見つめる。包まれるような圧力を感じて、あのときのカナコのように気圧される。足は下がらない。纏っている空気は柔らかく穏やかで暖かい。その気高さに暗く沈んでいた感情が止まって目を奪われていた。

疑うことを知らない無垢な眼差し。そして、にっこりと微笑んだ。



「おにいちゃんを信じてる 」




希ちゃんのその言葉を俺は生涯忘れないだろう。

たった一言。そんなたった一言に限りない優しさと信頼が込められていた。臆病で弱気な俺の恐れをすべて吹き飛ばしていた。

俺は涙を流す。みっともなく滝のように、しかし、隠そうとも思わない。気づいたんだ。ようやく気づいた。落ち込んだ時、憎しみに負けそうな時、絶望に打ちひしがれそうな時、いつも誰かが救ってくれた。いつも手は差し伸べられていたんだ。

君が教えてくれたのだ。

それなのに俺は不幸に酔って、復讐に燃え上がっていた。希ちゃんはずっと変わらず一緒にいたいと言ってくれていたのに、俺が勝手に一緒にいる資格はないと思い込んでいた。

よく見ろこの子を、まっすぐて純粋なひたむきな目を、虐待に晒されてもこの子は優しさを見失うことはなかった。それだけで奇跡だ。まだ何も終わってなんかない。

取り戻すことはできるんだ。

悲しいときつらいとき俺の思い出が支えだったと言ってくれた。信じると言った。それで十分。それだけでいいじゃないか。

俺が守っているつもりだった。保護者気取りだった。それはとんでもない思い上がり、俺の方こそずっと守られていた。抱きしめられていた。俺に命を与えて、心まで救ってくれて、俺はこの子にどう報いればいい? 

とても返すことなんてできない。だから、これから先の俺の全部をささげよう。

そのためにもう一度立ち上がろう。



そう。これが愛。

そばにいる資格があるとするならこれだけでよかった。

荒れ狂っていた感情は嘘のように静まる。体を渦巻いていた煮えたぎるような赤黒いものが収まっていく。

こんな、この程度のものに俺は振り回されていたんだ。

胸の中心に何か暖かいものが据えられていた。傷が癒され心が満たされていく。希ちゃんを想うと体が熱い。黒い力がなのはちゃんとよりやや薄い桃色に変わる。色情霊のときと同じではない。欲望を超越した優しさと慈しみの力だ。穏やかな波動が生じ俺を中心に波紋のように広がっていく。これがカナコが見定めた俺から希ちゃんに渡す力、自分の力だと知っていたはずなのに捨ててしまった愛の力。

幸運なことにもう一度この手に返って来た。

俺はゆっくりと立ち上がっていた。体から吹き出ていた黒い霧も体の痛みも嘘のように消え去り、元の状態に戻っている。



俺はずっと今まで悪い夢を見ていたんだな。



「ようやく自分の力が何なのか思い出したようね」

いつの間にかカナコが希ちゃんの傍らに来ていた。おまえには迷惑かけてばかりだな。

「ああ、俺は愛を取り戻した 」

「言いたいことは山ほどあるけど、今はおかえりなさいとだけ言っておくわ。なのはが戦っているから戻るわね」

カナコはそれだけ言ってあっさり戦線に戻った。その横顔は笑顔だった。今は戦いの最中だったが、どうしても直接希ちゃんに言いたいこと聞いておきたいことがあった。正面に立つ。手を伸ばして頭を撫でて頬に触れて、眩しい笑顔に目を細めながら小さな両方の手を自分の大きな手で包む込む。これだけで幸せを感じることができる。

「本当にこれから先、俺と一緒にいてくれる? そばにいてくれるか? 」

「うんっ」

年下の女の子達の前だというのにまた涙が溢れる。

「駄目だな。君よりずっと年上でしっかりしなといけないのに、やはり俺はダメな男だ 」

「軟弱者め」

自分に似た声でディスられたけれど気にしない。今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。後でシメるけどな。覚えてろ。

俺の心は定まった。

愛のために戦おう。お互いの想う気持ちを受けて返す。それを繰り返すことで際限なく高まっていく永久機関。愛の力は無限だ。

「すぐに片付ける。ディスティを借るよ。カナコ、なのはちゃん下がれ! そいつは俺が一人で片付ける」

大いなる喜びと共に力を解き放つ。心配ない。この世界の戦い方はもうわかっている。銃はただ思いを込めて引き金を引けばいい。黒い女めがけて撃つ。

なのはちゃんよりやや薄い桃色の閃光が敵を吹き飛ばす。

黒い女がよろめく。カナコとなのはちゃんは驚いた顔で見ている。さらに続けてトリガーを続けて引く。当たるたび身体が揺れる。確実にダメージは通っている。一気にいくぞ。

何十発と撃たれ、敵はぼろ雑巾のようにぼろぼろになっていく。




体が軽い。



こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めてだ。



もう何も怖くない。



俺はひとりぼっちなんかじゃない。



あれっ!? なんか首のあたりがざわざわする。戦いは俺の優勢。後はトドメを撃つだけのはずだ。ただの気のせい。トドメの技は銃の砲身を大砲のように巨大化させ敵を打ち砕く究極の砲撃だ。



「アルティマシュートッ! 」



弾丸は敵の中心を捉え、吸い込まれ、大音響と共に義母は笑った顔のまま黒い液状に飛び散った。ボトリと右手首だけが床に落ちる。



終わった。



すべては終わった。愛の勝利だ。

希ちゃんたちに笑顔を向ける。ふうと息をついて気持ちをリラックスさせる。



っ!! なんだ!?

この寒気は特大の地雷を踏んでいて、それに気づいていないようなこの感覚はどこから来ている?

何気なく敵に目を向けた。



残っていた右手首から黒く大きく長いものが這い出す。脱皮したかのような黒い皮が目に入る。現れたのは一匹の巨大な蛇。大きな口を開けて気づいたときには目の前に来ていた。俺はあっけにとられて反応することすら出来ない。

なんでこんな巨大なものがっ!

これはまずい。



「これは貸しだぞ」

そんな言葉が聞こえたかと思ったら、いきなり脇腹に衝撃を感じて息が止まりそうになる。頬を鋭い何かが上と下から掠めるのを感じた。視界がぐるぐる回って十メールくらい吹っ飛ばされる。




どうやら間一髪で特大の死亡フラグを回避できたようだ。

「やべえ、マミられるところだった。つーか、俺の攻撃、全く効いてないのか」

右手首だけ残して霧散したはずの黒い女は何事も無かったように元の姿に戻っていた。相変わらずこちらの神経を逆なでするつもりなのか、義母の容姿をしている。気がつくと腕に巻き付くサイズだった黒い蛇が巨大化して足元でとぐろを巻いていた。大人ひとりくらいは軽く丸呑みできる顎。ムチのようにしなる舌、赤く光る無機質な目。黒い縞模様のウロコ。広い図書館のフロアでさえ狭く感じる。こいつと比べると俺たちはネズミかカエルだ。それほど規格外の大きさだった。義母は黒い蛇の胴体に手を触れている。その繊細なタッチは忌まわしさしか感じない。ひときわ大きなあざ笑いの声が響く。

「ふふふっ。一体今まで何人の人間が愛を騙り、憎しみの前に敗北して来たんでしょうね? 人間の歴史は憎しみの歴史。世界のあらゆるところで終わりのない憎しみは生まれ続けている。この国だって何十年前は戦争していた。憎しみこそが世界の最強の力。くだらない。くだらないわ。そんな付け焼刃が効くわけ無いでしょう。愛など幻想、肉欲と勘違いが生んだ不安定な感情。怒りや憎しみに敵うはずがない。まして、積み重ね蓄積し育った感情が昨日今日生まれた一時的な感情に対抗できると思っているの? 」

「黙れよ 」

見下した言い方に強く思わずそう言い返したが、心のどこかであいつの言うことは正しい俺は思っていた。

「愛なんて相手の裏切りで簡単に憎しみに変わるわ。別の母親は自分の感情のままに刺した。妹はあなたのことなど忘れて自分だけ幸せになった。母親もどきも最初から死んだ子供重ねていただけ、希だっていつか裏切るわ。ずっと見てきたのでしょう? 裏切る人間たちを、そのときあなたはくだらない愛を持ったままでいられるの? 希がそこの子と一緒にいたときに感じた気持ちを忘れたとは言わせないわ」

「うぐっ」

何も言えない。たしかに俺は希ちゃんがアリサちゃんに心を開いている場面を見て寂しさを感じ、じゃあ自分はどうなるのかという思いから一瞬とはいえ怒りを覚えたのは確かだ。そんな自分を恥じている。



それでも反発する強い想いがあった。 

母親もどき? 百合子さんのことか?

そう認識したとき、濁りの無い純粋な怒りが湧いてきた。俺のことはなんと言われようと構わない。正しい指摘もある。

しかし、あの人を汚すことだけは許さん。それだけは譲れない。

「あなたはかわいそうな女の子なら誰だって良かったのよ。助ければいい気分になれるわよね? だいたい正気に戻れたのもこの子が離れたせいよ。あなたの純度の高い憎しみは全部この子の血と肉になっているわ。あなたは残りカスに酔っ払って勝ったくらいでいい気になっていただけ。この子はねえ。憎しみの心を何倍も増幅させて高めてくれるの。この子がもう一度憎しみを注げば、あっという間に元通りよ。試してみる? 」

おまえなんかにできるわけないと言われているのと同義だ。

確かに黒い蛇を吐いた後は思考する力が戻っていたような気がする。それに子供時代を思い出してみると、認められずに生きてきた期間が長かったから、かわいそうな人を救って、いい事をしたと浸りたいという欲求は人より強いだろう。



だが、誰でもいいなんてことは絶対にない。

二年という短い関係だが、実の妹くらいの愛着は持っている。何より希ちゃんは俺の心を救ってくれた恩人なのだ。返しきれない恩に報いたいだけだ。この子が幸せになるのならどんなことだってやるし、その結果として俺たちの手から巣立っていくとしても後悔はないっ! 

泣くかもしれないけど、それでいいのだ。本当なら斎のことだって心から祝福して、夫になる奴に嫉妬して、寂しさをかみ締めて思い切り泣けば良かったのだ。

そうして、次に進めばよかったのだ。

だからこそ、それに泥を塗るような言葉は許さない。

「ああ、やってやろうじゃないか」

自信を持ってそう切り返す。恐れるものは何もない。おまえは俺を追い詰めるつもりだったようだが、間違いを犯した。それは本当に俺を怒らせたこと。あいつは俺の大事な人達を貶めた。俺の決意を鼻で笑った。言ってはならない事を言った。たとえ罠だろうと正面から食い破ってやる。そんな俺を制するようにカナコが手を前に出してきた。

「陽一、挑発に乗らないで、あの蛇は危険よ。私にはわかる。私たちにはわかる。記憶になくとも感じられるわ。私の魔力が、遺伝子が教えてくれている。アレは本当に良くないものよ。私たちが今まで戦ってきた黒い女は種か、卵とするなら、腕に巻き付いたときが発芽した苗、卵から孵った幼体。そして、今の姿は完全に幹とか成体まで成長してレベルが違うわ。あらゆるものを飲み込んで滅ぼす存在、滅びの太母の性質を秘めている。特にあなたの負の感情を吸って、親和性も高いから、海にコップ一杯の真水を注ぐように相手の圧倒的な質量になすすべなく取り込まれてしまうわ。せっかく助かったのよ。無駄にしないで、大人しく五行封印が完成するのを待ちなさい。それだけが唯一の手段よ。なのは! あなただけで時間を稼いで」

「はいっ! 」

カナコはそう言うとすぐ術を編み始めた。なのはちゃんの攻撃が苛烈さを増す。すべての手順を飛ばして、段取りを踏まずにやっているということはそれだけで急を要するということなのだろう。始めたばかりだというのにカナコは汗をにじませている。

「そうよね? おまえたちにはそれしか手段はないもの。閉じ込めて蓋をするしか能がないものね。本当に私を封じきることができるかしら? 力を使い果たして自滅するのがオチよ」

「言ってなさい。その余裕が命取りなのを思い知らせてあげる」

黒い女は嬲るような挑発も意に返さずカナコは術の構成を続けていた。身体から鎖のようなものが飛び出す。息を整えながら苦悶の表情を浮かべている。わずかに姿がブレていつかカナコの部屋で見た檻のようなものが見えた。

……このまま術を完成させたらダメだ。

だったら、いくらあいつの言うことが正しくとも今回ばかりは引けない。引くわけには行かない。俺のせいで大事なものが失われてしまう。どうしても俺の手で終わらせなければいけない。



「悪いな。カナコ。俺は行くよ。それに親和性が高いってことは相性は良いってことだろ? 」

そう言うと俺は黒い大蛇に向かって走り出し口の中に飛び込んだ。

「馬鹿ッ!! 親和性が高いってことはそれだけ相手の侵食に無防備ってこと。あなたが一番相性が悪いのよ! 」

あわてたカナコの叫びが聞こえた。

「阿呆が、せっかく助けてやったのに、同じところに飛び込んでどうする」

ジークがあきれたような声がする。上から目線がムカつくが考えてみればそうだな。気持ちに任せてノリと勢いでついやってしまったが、もしかしてマズったかな? 



そう思うと同時に俺の視界は暗黒で包まれた。

やばい。これはやばい。洒落にならん。奴の口の中を見た瞬間に時間がゆっくりとした流れになる。これじゃ心構えとかそんなものはまるで関係ない。カナコの言ったとおりだ。自殺行為だ。川の氾濫に巻き込まれるとか。飛行機の墜落とか。救助艇のないタイタニックのようなものだ。今は最後の瞬間のそんなわずかな時間で考えているに過ぎない。この感覚は覚えがある。およそ一秒先にトラックとぶつかったときに感じたときと同じだ。それほど危険なのだと体が教えてくれていた。全身の血が固まる。もう少ししたら途方もない感情の激流が俺を飲み込んでしまうだろう。

あ、来た。

思わず身をすぼめて、予想される圧倒的な恐怖から身を守る。やっぱり怖い。怖いよ。誰か助け…

「大丈夫。ここにはあなたを傷付ける怖い人はいないわ。それでも怖かったら希ちゃんの大好きな人たちの顔を思い出して…… 」

そんな言葉がよぎって負の感情の濁流に呑まれた。









感情の激流の中。沸き上がる殺意や憎悪は元々自分のものだ。だから上手く逸らそうとしてもどうしようもない。しかも桁違いの純度と量だった。怒りのあまり脳の血管が切れることがあるが、あれは切れたら意識を失う場合がほとんどだ。今の俺は脳の血管が常に切れ続けるような地獄の苦しみを味わっていた。

怒りや憎しみや復讐といった類の思考の濁流が強制的に流し込まれる。カナコの比喩は的確だった。俺という真水が黒い大蛇の憎しみの海を前にあまりに無力だった。俺はなんとか自分を保とうとするが、吐いても吐いても次から次に全身の毛穴から浸透してくるのだ。

怒りのままに殺せ。

この世で一番大事なかけがえのない自分の命の奪ったのだから報復しなければならない。

忘れたのか? 

あの時の痛みと苦しみ、尊厳を踏みにじまれ、無残に殺され、その相手は裁きも受けずに生きているのだ。

復讐を、正統なる復讐を果たせ!
 


……



あれっ!? でも、まだ生きてる? 考えることができてる?

俺は圧倒的な憎しみと怒りの感情を流し込まれているというのに耐えることができていた。

なぜだ?

どうして俺はこんなことができるのだろう?

希ちゃんへの想いもある。心の中心にある愛の力が憎しみに対抗する主になる力だった。すべては希ちゃんのため。それは俺の生きる意味であり、目的であり、唯一の支えだった。その光は宝石のように輝いて俺を守っている。

でもそれだけじゃない。それだけじゃないんだ。

心のどこかで憎しみに負けらないという気持ちがあった。

大事な人の顔が思い浮かぶ。



それは百合子さんだ。

そうだよ! 百合子さんだよ!

百合子さんはもっと苦しかったんだ。



百合子さんは娘を亡くして死ぬほどつらい気持ちに堪えていた。だからこそ侮辱されて強い怒りを感じた。飛び込む理由になった。

俺が希ちゃんを失うこと想像する。

無理だ。

不可能だ。

想像することすらできない。そんな百合子さんに比べて自分はどうだろう? 俺は憎い義母がのうのうと生きてる可能性が高いと思ってから、憎しみに駆られ、自分が復讐を果たせない世界で一番不幸な人間だと思っていた。

笑ってしまう。

なんと器の小さいことか。愛を知った俺にとって自分が死ぬことなど愛する人を失うことに比べればどれほどのものがあるだろうか? まして、死んだのは自分のせいだとはっきり言っていた。憎しみの対象は自分自身しかない。そんなもの向けようがない。破滅していくしかない。自分のせいで死ぬなど間違いなく自責の念から死を選ぶだろう。俺は復讐できないことにやり場のない怒りを感じていた。復讐する相手がいるなんてまだましだ。すべてそいつのせいにして押し付けられる。俺は押し付けていた。さらに俺には終わりではなく続きがあった。生を謳歌できたのだ。

死んだことはほぼ帳消しだった。しかも二度だ。これほどの幸運が他にない。憎むことができるも生きているからできることだ。俺は恵まれていた。

それなのに俺は不幸だとか死にたいだとか復讐を募らせていたのか?



なんという間抜けっ! 

俺は馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。バカじゃない? 目の前の幸運に気づかず。果たせない復讐(笑)に悶え、自分の不幸に酔っていたのだ。自分を見失って、自己陶酔して愚かなことばかり考えていたのだ。

ジークよりよほど恥ずかしい奴だ。世界一恥ずかしい男だった。

百合子さんは俺よりもずっと深い悲しみと自責の念に耐えて、そんなそぶりは少しも見せず実の娘でもない俺に深い愛情を注いでくれていた。初めて会った時からそうだ。悲しいときもつらいときも笑顔で堪えていた。偶然話を聞かなければ思いもしなかっただろう。あの人は強かった。

誰よりも強い。

眩しすぎて顔向けできない。


簡単なことだった。

俺のすぐそばに死ぬよりつらい苦しみに耐えて、それを克服しようと人がいたんだ。

百合子さん。

百合子さん。

おかーさん。



おかーさんっ!!

その顔を強く思い描いて名前を呼ぶ。

初めて会ったとき吐いた俺に全然気にしてない様子で笑顔を向けてくれた。だからこそあなたを母だと思った。
触るときも食事にも、今思えば気を使ってくれた。馬鹿な俺は気づかなかったよ。
ユーノ君の声に釣られて夜間外出したとき本気で心配してくれた。初めて頬を叩かれたね。年甲斐もなく泣いたのは、あなたが真剣だったから本気で心配かけたことを思い知ったから。
過去のトラウマが蘇ってつらいはずなのに車に乗って堪えていた。どうして我慢してたの?
俺が浅野陽一として復活して戻ったとき、あれだけ沈んでいたのにいつもの笑顔に戻って本当に戸惑ったよ。俺の取り繕う仮面なんて全然及ばない。写真見えてたんだ。そのときからなんとなく察しがついていたんだよ。
ジュエルシード事件から戻って家が散らかっていて酔っていたときは心配した。すぐに元に戻って気にしなくなったけど、数日家を空けてものすごく心配してたんだな。そんなこともわからない俺。
水霊事件のときは一緒に眠ってすごく安心できた。粗相のことは誰にも言わないでお願い。
我を失ったとき抱きしめられていた感触を思い出す。おかげで怖くなくなったし、あの言葉が黒い大蛇に飛び込む直前に俺を守ってくれた。でも、少しだけ怒っている。どうして俺がやったってことを教えてくれなかったんだ? ……ごめんなさい。本当はわかっている。額の傷早く良くなってね。  

現実を直視するのがつらいはずなのに俺のことを希ちゃんって呼んだ。車も平気になってトラウマさえ乗り越えている。

あなたは本当に俺を愛してくれていたんだ。



俺は、

俺のそんな百合子さんのために自分の憎しみなんかに負けられない。



外へ。外へ心のベクトルを変える。黒い感情を正の感情が押し戻す。百合子さんの生き方が憎しみに反撃するきっかけをくれた。それに加えて希ちゃんへの想いの根源となる力を意識する。百合子さんから与えられたものを希ちゃんへ。俺が繋ぐのだ。これも愛の力の側面。愛されていたという自負心。愛してくれた人のために俺もまた同じものを渡すのだ。そして、決して復讐なんかに負けるなと侵食しようする力に対抗する。胸の宝石がさらに輝きを増していく。百合子さんから俺へ、俺から希ちゃんへ二つの力は完全に連結していた。


しかし、まだ足りない。

まだ足りないんだ。

今は拮抗しただけ、逆転しなければ、上回る必要がある。今度は自分自身の憎しみを超えていくんだ。

俺の復讐はくだらないものだと認識できていた。希ちゃんのため、百合子さんのためなら手を離すことができる。とはいえ、すぐに感情が割り切れるほど人間ができていない。見習うべき人達ならこれまで何人も会ってきた。でもその人たちのようになりたいと思いながらも簡単に復讐をあきらめるとか、この後に及んですべてを許すとかいう真似はできそうにない。

自分自身に嘘はつけない。ここでは誤魔化せない。誤魔化さない。ここでちゃんと向き合うのだ。たとえくだないことだとわかっていても俺はまだ憎しみを捨てられない。手放すことはできない。

そう。今はまだ。

これが正真正銘の本音。

俺は憎しみが捨てられない弱い人間。かといってすべて捨てて憎しみに特化することもできない。

中途半端な状態なのだ。

どうすればいい?

どうすれば先に進める?

中途半端な俺が

自分自身のやり方で



これは俺の人生をかけた命題だ。時間があれは答えは出るかもしれない。しかし、答えが必要なのは 

今なのだっ!



思考を巡らす。

思い出せ!

何かヒントがあるはずだ。斎が偽物である俺を肯定して救ってくれたように、暗黒の淵から救ってくれた言葉があったはずだ。今は忘れているだけ。

思い出せ! 

俺はどうやって今まで生きてきた。どうやって復讐する気持ちと付き合っていた? 誰かが遠い昔に最初に俺を救ってくれたはずなんだ。



っっ!?



思考に電撃が走る。図書館の積み上げられた俺の記憶の本から真ん中のくらいの深さにある本の一冊が輝いたように感じられた。 



よぎったのは最初に俺を救ってくれた人の顔、初めて好きになった人の真剣な眼差しだった。



あのとき、水霊事件のときに見た夢で思い出せなかったあの言葉が蘇る。

「前にも言ったでしょ? 恨みと憎しみにあまり時間を費やすのは人生の無駄よ。あなたがどこかで苦しんでいる姿を想像して相手は喜んでいるのかもしれないわ。そう思ってバネにして見返してやりなさい。そして、あなたが幸せになりなさい。死んだあなたの本当のおかーさんだって絶対にそう望んでいるはずよ。長く苦しんだからこそ、相手を思いやって小さなことでも幸せを感じられるはず。やさしくなれるはず。それだけで相手のしたことが全部無駄になるの。それこそが一番の復讐だと思わない? 」



そうだよ。そうだった。答えはここにあった。

その言葉が力をくれた。俺が一番最初に身につけた始まりの力だ。

当時の俺は憎むのは良くない。相手を許さなければならないなんて綺麗事だ。そんなのは憎んだことがないから言える言葉なのだ。復讐上等。目には目を、歯には歯を、古来より相手に思い知らせてやるのは正しいこと。だって先にやってきたのは向こうの方じゃないか。この想いを果たしたのならものすごく気分がいいのだろうという気持ちだった。しかし、復讐するとはいえ相手はお金をかなり持っていていて、コネもあって味方も多かった。ただの社会人が対抗するには荷が重い。わが身が可愛いので刺し違える覚悟で犯罪は犯したくなし、仕事も忙しい。復讐にすべてを費やすことはできなかった。だからそれを誤魔化すように憎んだ相手と同列になることであり、俺は清廉潔白でありたい。正しい人間になりたい。相手は可哀想な人間というように考えて相手を見下して均衡を保っていた。それでも、そんなものは落ち込んだり、怒ったりしたすると途端にバランスを崩して、復讐するかあきらめるかに波のように揺れて迷い葛藤して苦しんでいた。

そんな俺に答えをくれたのだ。行き場の無い憎しみの力の使い方を…

正しい復讐と言うものを。



俺の幸せこそ一番の復讐なのだ。

そう想うと憎しみの心さえ優しく感じられるのだから不思議だ。

希ちゃんへの想い、百合子さんへの想いに加わって新たな力になる。


また、俺の記憶の本が輝いたように感じられる。今度は今の俺になってから俺を支えてくれた言葉。

「どうだっていいんだ。そんなことは、私の今感じてる気持ちは本物だもん。細かい理屈なんていいよ。例え希ちゃんの物真似でも私が希ちゃんの中におにいちゃんがいると信じているなら、それが私の真実だもん」

これも大切な記憶。斎が俺の存在を認めてくれたものだ。

また、ひとつ。



救ってくれたのは俺が今まで会った人達の言葉だった。

憎しみに向き合う方法を教えてくれたあの人、根源になった百合子さん、存在に悩む俺を繋いでくれた斎、そして、人生の目的となった希ちゃん。

すべてはリンクしている。


まだだ。もっと先へ。

もっと力をあつめなければ。俺の人生のすべてを持って挑まないと逆転なんてできない。思い出してないだけで記憶の隅にいくらでも力を秘めた言葉たちは転がっている。記憶のさらに奥を辿っていくんだ。言葉はやがて記憶になり胸に刻まれ魂の一部となる。もう出会うことができない人たちもそうやって俺の中で生きているのだから。

今度は俺の記憶の本がすべて輝きを帯びる。そんなイメージが伝わってくる。積まれていた本は配列を変えて希ちゃんの記憶の本のように横に並べれていく。

急激な変化が訪れる。記憶が精度を増し、過去の記憶が直前のことのように時間の感覚が無くなっていく。情報の量が莫大に増えた。渦に飲まれそうになる。不思議と恐れは無い。

俺はこれまでの人生で見たこと聞いたこと感じたことをすべて思い出すことができた。

何年何月何日に何をしていたのか、どんなものを見たのかはっきりと認識できる。たとえ一度しか読まなかった雑誌でも正確に引き出せる。

これが希ちゃんの見ている世界。



すごい。すごいとしか言えない。

希ちゃんはこんな世界の住人なんだな。

そして、その記憶を元に魂がこれまで出会った人々を形作る。人間の形になっていく。俺の後ろには集合写真のように取り囲むようにさまざまな人が現れていた。これは俺が見て聞いて感じたことが記憶され、形を作ったものだ。

希ちゃんから生まれた俺がその力の一端を発現させたもの。その劣化版。希ちゃんのスキルのように意志や思考は持っていない。

これはここに至るまでの記憶のルーツだ。すぐ隣りに希ちゃん、カナコ。その周囲に百合子さん、斎、もう会えない職場の上司と娘さん、そして、顔が輝いて誰だがわからない人が立っている。本能的ななつかしさからこの人が俺をこの世に産んでくれて死んだ最初のかーさんであることがわかった。形のない暖かさだけ感じる記憶が流れてくる。これは生まれる前のものじゃないだろうか? こんな記憶の奥底まで希ちゃんは手が伸びるんだな。

俺は一番最初の母親についての記憶はない。俺を産んで体崩してすぐに死んだという情報だけである。それしか知らない。今まで考えないようにしてきた人だ。

でも、そんなことより、最初のお母さん。俺はあなたの顔も名前さえ知らないけれど、ここにいて暖かさしか感じない。だから、きっとあの人が言ったように俺の幸せを願ってくれているのだと思う。思っていいよな?

ごめんなさい。今まであなたのことをちゃんと考えたことがなかった。あなたがいなければ私はここにいなかったのに。

そして、ありがとう。この世に産んでくれて感謝している。本当に感謝している。

もう俺は心配ない。またひとつ繋がりができた。感謝の気持ちが輝きが増す。

最後に残っていた胸の痛みは消えていた。



その周囲にはこの世界の親父とかーちゃんの姿もあった。今なら穏やかな気持ちで見られる。死ぬときに一度は許したんだ。負の感情に染まって、やっぱり許さないと思ったけれど、あれは撤回する。男が一度許す決めたことを覆すなんてカッコ悪い。義母は絶対に許さないが、時には相手の過ちを許すことも必要なのことなのだ。それに俺をもう一度のこの世に生まれ出してくれて、陽一って名前をくれた。そして、ここに親父たちが家を作って、刺された俺が家を出て行かなかったからこそ、希ちゃんに会えた。素晴らしい巡り合わせを用意してくれたのなら、感謝するべきなのだ。あなたたちもまた繋いでくれたのだ。

出会った人たちへの感謝が溢れるような力となり、心が満たされる。



逆転に必要なものはすべて揃った。

俺は意識を取り戻す。黒いヘドロのようなものの中にいる。焼けるように熱くて纏わつくように粘っこく、全身の皮膚から染み込んでいるような感覚だ。



だが、もう恐怖は霧散していた。胸の中心の輝く大きな力を解き放つ。

視界がぐるぐる回る。俺を飲み込んだ黒い大蛇は暴れているようだ。

ふんっ! 獅子身中の虫を飲んだようだな。体内の異物に反応して苦しんでいるのだ。この力は大蛇にとっては劇物。でも、それだけじゃ終わらない。今度はおまえが食われる番だ。

解き放った力を内へ内へと向きを変えていく。俺の力は外から内へが最も強い。

俺の憎しみを返してもらうぞ。

赤く黒い霧は俺の胸に勢い良く吸い込まれる。明らかに自分より質量が多いものを中から飲み込む矛盾。だが、この世界においてはそれは成り立っていた。元々俺の中に収まっていたものだから当然。飲み込まれた力は外から抑えられ粒のように圧縮されていく。在るべき姿に戻っていく。憎しみはすべて俺の心の器に収まった。それはまるで黒い結晶が存在していた。隣には愛の結晶が輝いている。

黒い大蛇によって大幅に強化された憎しみの力が暴れまわっていた。愛の力も健在。狭い器に収められていた。通常ならばお互いを打ち消す性質を持つ。それをさらに外からの内に押さえ込む力により凝集されて、せめぎあっていた。

力を効率的に発揮するため二つの結晶は形を変えて車輪のような形状に変化する。

二つ並んでクルクルと高速で回転を始める。激しい火花を散らす。

もっとだ! もっとイメージを!

車輪の形からさらに突起が飛び出す。二つの突起はお互い近づき数と形状がぴったりはまった。

愛と憎しみが感謝という潤滑油で結びつく。





歯車が完全に一致した。

拮抗していた力はお互いを高めあいかつてない出力を生んだ。さっきまではお互いを殺しあう引き算だった。それが足し算どころか。乗数加算されていく。10-10だったものが10×10に変わるほど劇的な変化だった。

体内から膨大なエネルギーが放出される。光が弾け意識が加速して遠い彼方に飛んでいく。



……



……



俺は闇の中にいた。

トンネルのような道を歩いている。前方には光の糸が蜘蛛の巣のように広がっている後ろにも同じような道があった。ただし光っているのは一本だけ。

なんなくだがわかった。これは過去と現在と未来だ。

後ろが過去で俺がこれまで通ってきた道だから一本しかない。どんな道筋を辿ってきたのか今ならはっきり認識できる。他の道は選ばれなかったので消えてしまっていた。

足元が現在今歩いている道だ。

前に広がる枝のように伸びた無数の道が未来。途中で切れた道、ずっと先まで伸びて見えない道。

一本の道が道しるべのように輝く。意識が加速して高速ジグザグしながら終着点についた。その先の未来の映像をわずかに捉える。



それは一人の老婆が満ち足りた顔で眠る顔だった。



それを見たと同時にその景色は新幹線が通過するときの人の顔のように刹那の間に遠のいていく。不思議なことに名残惜しい気持ちになる。あのおばあちゃんをもう少し見ていたかった。

きっとあれは俺の一生の到達点。

これからそこに向かって歩いていく。

覚醒するのがわかる。体が浮き上がり昇っていく。ぐんぐん勢い良く引っ張られ、さらに加速していく。眩しい光に目を閉じて、光が止んだころ目を開けると希ちゃんの世界に戻っていた。どうやら一瞬だけ意識が違う世界に飛んでいたようだ。あれほど大きかった黒い大蛇の姿はなく、すべて俺の中に取り込まれていた。

俺はごく自然に言葉を紡いだ。





「エンディングは見えた」

脳と身体が痺れるような感動を味わっていた。

これまでの道のりは無駄ではなかった。出会いと別れ。嬉しかったこと、楽しかったこと、つらいことも悲しいこともすべて今このときのために集約される。

すべてに意味があった。

この世に生まれでて数奇な運命を生きてきた。あの人が義母への恨みを祓ってくれたとき、妹が俺の存在を肯定してくれたとき、さっきまで負の感情に飲まれた俺が希ちゃんの言葉で立ち直ったとき、苦しさから解放され俺は喜びに満ちていた。これ以上嬉しいことはこの世にはないと思っていた。

その先が存在した。

今までこんな心境になったことはない。心は熱く燃え上がりながら冷静さを保っていた。迷いも恐れもなく、やるべきことはわかっている。不思議なほど視野が広い。希ちゃんとみんなとの距離とか、黒い霧のわずかな流れの乱れからあそこに折れた霊剣があるなとか。図書館の本の並び具合まで細かく見通し、それでいて全体を俯瞰することができていた。思わず笑いがこみ上げて来る。





「ははっ。何ていうか生涯最高の状態だわ」

俺の全身から光輝を放っていた。背中には今まで出会った人々が幻影のように俺を支える。みんなの視線がすべて注がれているのがわかる。

心の中に荒れ狂う強い憎しみの心は内在していた。むしろ以前と変わらない勢いで燃え上がっている。しかし、完全に俺の制御下にある。コントロールできていた。だから不思議なくらい冷静だった。

「怒りは力みを生むし、判断力を鈍らせるから良くはないよ。いつだって冷静じゃないと」

「確かにそうかもしれないけど、それは暴れる感情をしっかりとコントロールしているか。感情のままに動いても染み着いた習慣のようにきちんと体が動かせるんじゃないのかな? すごい才能だよ。それは」



これだよな? 美由希さん。恭也さん。

悟りの境地。奥義開眼。明鏡止水。神我一体。イルミネーションの突破とか傲岸不遜な言い方をすればそんな感じだ。

憎しみの感情も俺の意志の力となっていた。つらく悲しい思いをしたからこそ、他の人にそんな思いを味わって欲しくない。そうだよな? クロノ君、リンディさん、なのはちゃん、フェイトちゃん。

俺はまだ君たちのようにはなれないんだ。受けた苦しみや悲しみをすぐに優しさには変えられない。 

俺の場合はひねくれて希ちゃんにだけ集中していて、希ちゃんの幸せが俺の幸せであり、俺の幸せが俺を殺した義母に対する一番の復讐になるというような思考回路を構成していた。

あんたに殺されなければこの世界には来なかったんだ。そして、前の世界では見つけられなかった愛され、愛する人を見つけた。希ちゃんというかけがいのない存在に出会えたんだ。アンタのやったことはすべて無駄どころか幸せの道を開いたのだ。これほど爽快かつ皮肉な復讐はないだろう。



感謝しよう。今この場に立っていることを。

怒りと憎しみと悲しみも超越して感謝しかない。

幻影はやがて形を崩して俺の中に入っていく。

「一体何が… 」

誰もが予想外の事態に驚いていた。カナコも、希ちゃんも、ジークも、なのはちゃん、アリサちゃん、すずかちゃん、黒い女さえも。

「もうあの蛇はいないぞ。俺を取り込もうとしたから、逆に飲み込んでやった。もう消化されて溶けちまったよ」

「馬鹿を言わないで、おまえの心がこんなに強いものであるはずがないっ!! 憎しみを何倍も増幅しているのよ」

明らかに余裕をなくした黒い女が叫ぶように吐き捨てる。

「目の前に結果がある。それだけじゃ不満か? 」

「あり得ないわ。たかだか人間が、しかも心の弱い。まがい物の魂の人間がその器に憎しみの力を収めきったっていうの? 」

俺がこの場に立つまでにどれだけのものを乗り越えてきたか、おまえには決してわからないだろう。愛も憎しみは表裏一体。愛の反対は無関心。たとえどんなことがあっても変わらない愛もあれば、憎しみをもある。その境界に立っているのだ。迷いながら両方をふらふらしているのが俺だ。

少し離れたところで、腕を組んですかした表情のコスプレ野郎が唸っていた。だからそれはやめれ。憎しみがぶり返すわ!

「なるほどな。元々資質はあった。陽一の負の感情は渦巻き蓄積され昇華する過程で常に何かを生み出してきた。引きこもって蓄えた知識と技能は見出され認められることで職場で発揮し、この世界の多くの作品となった。髪が理由で女に振られた出来事は常軌を逸した修練末にカミノチカラとなった。妹への報われぬ想いは官能小説家の道となり、殺されたトラウマを克服するために作られた物語が俺を作り希の支えとなった。それらでさえ散漫なものではっきりと目的のない不十分なものだった。そして、今、希のためという方向性を得た。散漫だったものが集約してただ一点に特化したのだ。もはや負の感情など陽一の強き意思の餌に過ぎん。愛と憎しみが同居し、せめぎ合い、反発することで生み出される力なのだ」

ご高説どうも。おまえの言葉がヒントになったのは悔しいが認める。それでも後からシメるけどな。



俺は愛と憎しみの果てにこの力にたどり着いた。

「こ、この化物」

化物とはひどい。俺は憎しみを捨てられない弱い人間だ。ただ憎しみの昇華の仕方が人より特殊なだけだ。これでも長いこと負の感情を弄んで生きてきた。顔を上げて黒い女はなぜか含み笑いをする。

「それでも、あなたが無残に殺されて、私がのうのうと生きているという事実は変わらないわ」



無駄だ。

無駄なのだ。そんな詐術など、もはや俺には通用しない。

最も愚かなのは憎悪を煽られていることに気づかないこと。煽る相手には別の目的があるのだ。わざわざ乗ってやる必要はない。当事者でさえない的はずれな憎しみに固執して行動する連中だっている。今まで見てきたはずだ。確かに憎しみは大きな力を秘めている。歴史を変えたことだってあっただろう。しかし、憎しみにだけ囚われていると視野が狭くなる。正しい情報を吟味できない。自分の信じたいものだけが正しいものだと思い込んでしまう。

「そんな事実を変えるのは簡単だ。信じればいいんだ。向こうの世界で俺の家族なってくれたあの人たちのことは警察なんかより絶対に頼りになる。必ず俺の仇を討ってくれる」

「そんなもの証明しようがない」

「ああ、証明のしようがない。だが、それはおまえの言う義母がのうのうと生きている可能性が高いという説だって同じことが言えるんだ。おまえの説も証明しようがないんだ。それはこの世界の誰にもわからない。だったら、俺があの世界で誰よりも信頼していた人達がどんな行動をするか考え、それを信頼すればそれが最も高い可能性なんだ」

「そんな詭弁… 」

おまえがそれを言うのか。笑ってしまう。月の管制人格は過去にアルハザードとの戦いに身を投じた人たちがやり遂げたと信じた。証拠はない。それでも信じた。今ならわかる。あのときの俺が苛立ちを感じて、理由を聞いて落ち着いたのも自分自身の境遇と無意識に重ねていたからだ。俺も演説の時そう言った。だからそのまま使わしてもらおう。

「義母を捕まえたのは俺の家族であるかはわからない。しかし、信じようではないか! きっと家族が俺の無念をっ! 屈辱をっ! 絶望をっ! 晴らしてくれたとっ! 」

それが俺の真実だ。今度はこちらの番だ。完膚無きまでに論破してやる。

「それにおまえが何度も見せたあの義母は最後はほとんど抜け殻だった。可哀想に弟が死んだときに義母の心も死んでいたんだ。ただ葬式で見た俺の笑う顔で憎悪が燃え上がって、復讐を果たして完全に燃え尽きたんだ。俺はあんなふうにはなりたくない。もう俺が手をくだすまでもない。報いとしては十分。誰よりあんたが復讐するモノの末路を教えてくれたんだ。俺は聖人君主なんかじゃない。憎しみの心はこれからも消えない。だけど負けない。ずっと一生向き合っていく」

復讐は己自身すら焼き尽くすということを実践してくれたいい反面教師だった。復讐には後のことは考えず命すら賭けて一途に遂げようとするある種ストイックな美しさがある。そこに憧れていた。酔わされていた。しかし、俺の場合は復讐と呼ぶには保身が強く中途半端で、そんなものを果たすよりもっと大事なものがあっただけのことだ。



俺は両手を広げる。



もう攻撃する必要はない。



目の前にいるのは敵でさえない。



ただ受け止めるだけ。



抱きしめるだけ。



万感の想いを込めてサヨナラを告げる。

「さよなら義母さん 」

「や、やめて、来ないで、来るなああ~ 」

怯えた声で後ずさる義母。憐憫の感情が溢れる。そんなに怖がらなくてもいい。アンタは俺のなかに還るんだ。これからも生き続けるんだ。俺は自然な動作で間合いをつめると義母を抱きしめる。義母の姿は崩れ黒い霧となった。

それを俺は自分の内側に取り込む。残ったのは血まみれの包丁だけ…

その包丁も優しく手に取ると霧散して消えてしまった。



これで終わりだった。

図書館は元の静寂を取り戻し、暗かった部屋は照明をつけたように以前より明るくなっている。希ちゃんの心境に変化があったのだろう。希ちゃんの人間関係を示す人形の棚も荒廃していた頃に比べると綺麗に片付いている。なのはちゃん、フェイトちゃん、アリシアちゃん、クロノ君、ユーノ君に加えてアリサちゃんとすずかちゃんの人形が新たに追加されていた。良い傾向だと思う。



自分自身にも変化があった。半年に渡って、いや半世紀もの長い間、俺の苦しめていたものは一つの区切りを迎えた。

燃え盛るような怒りと強い憎しみは残り火のように残っている。これからも心を苛むことがあるかもしれない。俺は弱い人間だから。だが、これからに何が起ころうと何度だって立ち上がれる。蘇ることができる。

希ちゃんの俺を信じると言った言葉が何度でも蘇らせてくれる。他の人たちだってそうだ。

それに俺には希ちゃんが年をとって穏やかな顔で笑って余生を送る姿が見えた。

もう未来は恐れない。

最高の結末をめざす道は確かに存在している。後は目標に向かってまっすぐ進むだけだ。もちろん、そこに行き着くためには当然努力が必要だ。まだまだ俺は未熟だ。これからもっと人間として成長しなければならない。

目標とするべき自分の受けた苦しみを呼吸するように優しさに変えられる到底及ばないできた人たちがいる。目の前の少女たちもそうだ。俺だっていつかは完全に憎しみから手を離してそんな人間になりたい。

だが、今すぐは無理だ。

じっくり憎しみと向き合って自分のペースで時間をかけて答えを出そう。

もしかしたら一生かけても到達できないかもしれない。憎んだままかもしれない。しかし、それでもいい。なぜなら俺の憎しみは昇華されて希ちゃんのために生きるという心の力に正しく向いているのだから。






「はあ~ 片付いたか」

肩の力を抜く。みんなその場に座り込んでいた。今日のこの場はお開きでこのまま眠って朝を迎えることになりそうだ。ゲームは台無しになったが、また仕切りなおせばいい。もう一度くらい機会は作れるだろう。横を見るとカナコは涙を流していた。慌てて声をかける。

「お、おい、どうしたんだよ? 」

「えっ!? あ、わからない」

泣いている本人が一番戸惑っているようだ。こんなのは初めて見る。涙を流したままゆっくり語り始めた。

「いえ、きっと嬉しいのよ。私は記憶を正しく継いでいないけれど、わかるの。あなたが滅ぼしたのは決して倒せないはずのもの。私たちが敗北し続けて、封じるだけで精一杯だったもの。あなたは私の思惑を超えて、予想を覆して、驚異的なスピードで進化して、とうとう手の届かないところまで到達した。あなたが反撃の狼煙。逆転の刃。夜明けをもたらすものだったのね。一番大事なのは希はあなたの背中を見た。憎しみを克服して理不尽を乗り越える生き方を示してくれたわ。これから先何があってもあなたがいれば希は生きていける」

「俺だけじゃないさ。おまえもだろ? 」

おまえがいたから希ちゃんはここにいる。俺は後から加わっただけだ。これからも三人で乗り越えていくんだ。カナコは驚いた顔をした後、笑顔で涙を拭う。

「……そうよね。私たちはずっと一緒よ。もう死んでも離さない。永遠に 」

下を向いて仄暗い声で応えた。



ぞわっ! 背中に氷でも詰められたような寒気が襲う。怖いよカナコ。それじゃまるでおまえが怨霊か悪霊だよっ!!

どれほど強くなっても俺はカナコに頭が上がらないのは変わらないのかもしれない。

そんな予感がした。







作者コメント

愛と憎しみの戦士爆誕。

後編に続く。


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