第三十九話 幽霊少女リターンズ
数日過ぎて夏休みも終わった。
最終日は泊まりがけですずかちゃんとの約束を守ったものの新学期を迎えるにはコンディションは最悪だった。ようするに貧血気味である。朝のトレーニングも休止している状態だ。
昔のトラウマをえぐる悪夢はまだまだ続いていた。拷問される夢ではないが、昔の彼女にふられたときの夢や浅野陽一の母親から冷たい目で見られ、下がった成績のことでガミガミ言われたり、包丁で襲われる夢、中国で髪は死んだ告げられたときや今日は事故で死んだときの夢も見た。これですべてのトラウマコンプリートである。
…嬉しくないけどな。
色あせていたはずの記憶を今では鮮明に思い出すことができる。浅野陽一が事故に遭ったとき数時間は生きていたけど、あんまり痛くなかったような気がする。事故直後は意識はまだはっきりしていて痛いことは痛かったけど、身体は動かないし、やばい死ぬかも思いながら、逆に笑えた気がする。拷問の方がよっぽど痛かった。痛みが限界を突破して脳が拒絶したのかもしれん。いろんな事を考えてだんだん意識が遠くなり、ぷっつり途切れ、次に気がついたら最終戦士が目の前にいた。自分とそっくりのコスプレ野郎が自分と同じ声で厨二な台詞を吐く。精神的な拷問ではコレに勝るものはないだろう。
俺ってこんな過去のことを引きずる根暗な奴だったかな? 首をかしげる。二十歳の時刺されたときも立ち直るのに結構時間かかったし、いくら思い込みやポジティブで塗り固めても性根は変わらないのかもしれない。心の声はそんな俺に同情し、自分をこんな目に遭わせた奴らを決して許すなと囁いてくる。
そうだ。右手だ。こんなときは右手に力を込めよう。俺の右手が黒く輝く。脳内設定では最近禍々しさを増している。
そう蓋をするんだ出てこないように、俺の右手は大忙しである。右手で押さえられなくなったら眼帯でも用意してもらおう。眼帯で押さえられなくなったら、黒い外套に梵語で書かれた包帯を巻こう。次はピアスにネックレス、指輪なんかいいな。それでも駄目なら呪札、入れ墨、焼き印、鎖、拘束具、棺桶?
なんかよくわからんキャラになっていくな。まあいいか。なんか考えるうちに落ち着いたみたいだ。
新学期も始まる頃、疾風さんからようやくメールが届く。銀色の変な生き物の軍勢に襲われて大変だったらしい。数で攻められ、おもちゃみたいだけど凶悪な光線銃の集中砲火、はやてちゃんを狙われ、防戦一方だったところを仮面をつけた「G3」を名乗るハンターから助けられたそうだ。
グレートなGを3つもつけたコードネームを名乗るだけあってすさまじい強さで大量のヒトガタ銀色を一気に片づけてしまったそうだ。そして、奴らが召喚した巨大魔法生物も一人で倒してしまった。その巨大魔法生物が切り札だったようでとうとう奴らは引き上げていったらしい。シグナムさん曰く魔法生物を倒す手際は鮮やかなものだったそうだ。
G3ッ!! 一体何者なんだっ!?
襲ったのはグレイしかあり得ない。その後、倒されたグレイはヴォルケンリッターでおいしくいただいたらしい。
もちろん本当に食卓に並んだわけじゃなくて、闇の書の蒐集に使われたそうな。しかし、数は多いがたいしてページにならなかったらしい。やっぱり人造生命体だからだろうか? ただG3が無力化した魔法生物はそれなりにページを稼ぐことができたそうだ。
ともあれ、平和が戻ったかに思われたが、メールの最後の一文にははやてちゃんの体調不良についても書かれていた。
「最近、ちょっと体がしんどいんよ。ただの夏バテやったらいいんやけど、もう少ししたら決断せな。どうすれば誰にも迷惑かけず、私とリインを助けて、みんなとずっと一緒におれるんかなぁ? 」
はやてちゃんの理想を叶えるのは難しい。グレアムの手がどこまで届くかわからない以上管理局は頼ることは難しいのだろう。俺たちが下手に立ち回るのは危ない。どうにかしてあげたいとは思う。どうにかしたいのだが。
それよりはやてちゃんには厄介な問題が目の前にある。
八月に魔法少女りりかるなのはは無事終了しました。
混沌だけ残して。
ヴィータはスターライトブレイカーの格好良さに痺れ、シグナムは想いの届かなかったフェイトちゃんに涙を流し、シャマルは管理局が登場してからの熱く薔薇薔薇しいクロノ×ユーノに熱を上げて、ザフィーラは漢らしいアルフに刺激されているようだった。
そして、九月魔法少女リリカルなのはAs始まります。
始まりやがります。
……何が起こるかさっぱりだよっ!?
放送後の反応が怖いガクブル。
それはさておき、考えてみるか。直接会うことはないけれど、メールでいろいろアドバイスできるだろう。
はやては誰かに迷惑をかけたくないが、リインフォースのために完成させたいと願っている。その両方を叶えるにはどうしたらいいだろう? しばし考えてみる。
ふむ。
現状一番まっとうな手段は次元転送で異世界に渡り魔法生物を狩ることだと考えられる。それならばいちおう他人に迷惑をかけないというはやてちゃんの希望に沿ったものになる。問題は効率が悪くはやてちゃんとヴォルケンリッターの過ごす時間が減ってしまうことだろう。そうでなければ最初からこの方法を使ったはずだからだ。
んっ! でもこれは意外と妙案かもしれない。発覚が早いから効率が悪くてもまだ時間があるのだ。急ぐ必要がなくなる。魔導師を襲わないようにメールでそれとなく誘導しておけば一番の懸念であったヴォルケンリッターとの戦いを避けることができるかもしれない。俺たちのメリットになる。
さっそく提案してみるか。ダメだったら次を考えればいい。メールに詳細をまとめて送る。はやてちゃんからみんなと相談してみると返事があった。
大丈夫かな? うまく行ってくれればいいけど。
その八神家をはじめ世界中に迷惑ふりまているグレイどもは現在すべての作戦の撤収のため大忙しである。どうやら彼らにはなのはちゃんという例外は除いて月に自力でたどり着かない限り何も残してやるつもりはないようで、密かに建築した地上の基地や施設を全軍で撤去している。数年後には終わる計画だそうだ。
月の管制人格は言うには月の民の総意は『管理局との接触は望まず静かに朽ちていく』ということだった。ただなのはちゃんの身の安全と意志を尊重するらしく、彼女が生きている間は力を貸してくれるそうだ。しかし、俺たちはその恩恵を得ることはできなかった。なぜなら、月の管理者の権限はあくまで施設内だけ有効なもので外から指令を出しても限りがあるということらしい。できるのは管制人格との交信と情報閲覧と王の指令の承認だけというあっさりしたものだった。地球にいる間はかぐやとその子孫と同じ扱いということで、つまりは身の安全は自分で守れと言うことらしい。しかもシステム構築のため今から半年はこちらにはしばらく何もできない。当分は月に行くことも難しいそうだ。
では肝心の王であるなのは様の身の安全はどうするという話だが、王の杖があれば十分らしい。
その王の杖、武器としては大変優秀である。優秀すぎるくらい。機能を聞いてびっくりだ。
通常のレイジングハートとしても使えるから、これからの魔導師としての活動に支障はない。問題は詠唱して王の杖モードに変えると、非殺傷何それ? おいしいの? というくらい危険なシロモノになる。抹殺兵器レイジングハート・ジェノサイドと呼んでいいだろう。
その兵装は7種類。
三、四、五、六、七、八ならびに九に分けられる。
三 はすべての隠れたる魔法の鍵をもち、死の諸ホールの創造者なり。
四 は力を放つものなり。
五 は人々の間に鳴り響くことばに対する鍵、すべての魔法の主、支配者なり。
六 は光、隠されたる道、人の子らの魂の主なり。
七 は広大の主、空間の支配者にして時間の鍵なり。
八 は進歩を定め、人々の旅を比較考察し、均衡化する主なり。
九 は父にして、広大なる容姿をもち、無形のもの形成し変化しつつあるものなり。
それぞれのキィワードに応じて発動する仕組みになっている。
具体的には例の人類広域洗脳魔法や対象を魔力コーティングされた実弾兵器で蜂の巣にしたり、触れただけで消滅する攻撃など、これだけでも質量兵器に否定的な管理局に真っ向から喧嘩を売っているとしか思えない。
さらにこの中には月の施設からバックアップがつくと戦術兵器に変わるくらい物騒なものもある。なのはちゃんからアルカンシェルクラスの兵器が発射されると考えればいいと思う。
殺すことにかけては大変優秀だが、融通が利かないので、なのはちゃんの性格と将来を考えるなら全く必要にない。つまり、普段使うぶんにはレイジングハートとなのはちゃんは今まで通りということである。良かったね。なのはちゃん!
しかし、なんか教導教官になる前になのはちゃんがミッドチルダの法律で捕まりそうな気がする… だってなのは一人でミッドチルダ壊滅しそうだもん。まあバレなければいいのだ。バレれければ。もしバレてもリミッターとか便利な道具を使えば問題ないだろう。ただ一抹の不安は残った。
他にも懸念はある。先日のなのはちゃんと俺たちと管制人格でこんなことやりとりがあった。
「地球からの撤収が済みましたら、すべての下等な猿をなのは王にかしずかせます。その暁には地球皇帝を名乗ってください。ええ、もちろん ……冗談です」
「冗談には聞こえないぞ」
と口では冗談だと言っているが管制人格に対して疑念がぬぐえない。静かに朽ちていくと言っていたが、人類を猿呼ばわりするような連中は心から信用してはダメな気がしてきた。奴らが人類を見下している以上、心変わりだってするかもしれない。
そのうち愚かな人類は粛正する言い出すんじゃないだろうか?
万が一に備えてリンディさんやクロノ君には奴らのことを報告したほうがいいかもしれない。管理局がどう判断するかはわからないが、奴らに対抗できそうなのは管理局くらいしか思い浮かばないし、奴らがロストロギアに含まれるかどうかはわからないけれど、組織の目的からして専門的な判断をしてくれるだろう。この問題は奴らがその気になって動けばなのはちゃんや俺たちの手には負えなくなるのだ。
月の連中が危険でないと俺にははっきり言うことできないし、軍の統率や政治的な判断は出る幕じゃない。煽動や演説なら多少経験があるからなんとかなるって程度だ。ガーゴイルさんなら適役かもしれない。
他にも問題はある。緊急のための措置とはいえ管理局の情報も漏らしていることだ。そのことも含めて言わないとだめだよな~ 漏らしたおしおきすると言っていたリンディさん怖いけど、漏らした情報が致命的なものになる可能性もあるし、正確な情報が伝わらずすべてが手遅れになってからでは遅い。素人判断は危険、餅は餅屋に任せるのが一番良い方法だと考えている。
「なあ、いちおう地球には管理局の支部がいくつかあるし、気づかれるのは時間の問題だから知り合いに報告はしとくぞ」
伺いと立ててみる。駄目で元々だ。
「別にかまいません。時間の問題なのは同意です。むしろ何も知らないままちょっかいをかけられては困ります。あのアースラの艦長ですね? いいのですか? あなたは情報漏洩で処罰されるのでは? 」
「いいんだよ。あれは俺の独断だ。やった行動には責任を持たないと駄目だろ? 」
「まあいいでしょう。本来なら月の民を使者に立てるのですが、全滅している以上仕方ありません。あなたが使者代行として、こちらの意向を向こうにしっかり伝えてください。データも転送しておきます」
ほっ! これでこっそりタレ込むまねをしなくて済んだ。
というわけで俺は月の民の使者代行としてリンディさんに報告することになった。彼らの要求は月への不可侵である。なのはちゃんについては王の意向に沿うということでなのはちゃん自身が選択することになった。
さてどういう返事が来るかな? 怖くもあり楽しみでもある。お仕置きされそうになったら甘んじて受け入れよう。そう覚悟を決めて管理局の地球窓口に郵便を送った。フェイトちゃんのビデオレターもここを通してミッドチルダから日本に送られてくるのだ。便利なものである。
今日も一日が終わり現実世界では床についた。
夢の世界で寝る前にカナコとお茶の飲むのはすでに日課になりつつなる。カナコはお茶を飲み終わるとまたあの本に熱心に筆を入れている。
ものすごく集中して、真剣な表情をしたかと思えば、優しいまなざしへ変わる。見ていて面白かった。
ふと自分のしていることを考える。はやてちゃんのことやグレイについては腹に一物抱えて、自分たちに都合のいいように小細工を弄していると思う。なんか俺すげーカッコワルイことしてんなー コウモリというか小悪党がやりそうなことだ。もっとスッキリ解決できないもんかね。なんかこう違うんだよな~
「私ははやてたちや月の基地はほっといても大丈夫だと思うけどあなたはそれができない。それだけのことでしょ? 」
カナコが近づいてきて話しかけてきた。コイツいつのまに全く気づかなかったぞ。
「どうして止めないんだ? 」
カナコがさっきのことに何も言わずにいたことが気にかかった。今回のことは俺たちの命運に左右するかもしれないのだ。
「希のために繋がるなら別に何しても構わないわ。逆に希のためにならないなら止めてた。私の判断基準はそこだもの。必要があれば誰だって切り捨てるつもりよ」
背筋がぞわッとした。カナコはときどきこんな冷たさを感じることがある。その冷たさが俺にも向いているのではないかと考えてしまい、問いかけた。
「こえー女だな。それは俺も含まれるのか? 」
「愚問ね。希にとってあなたがどういう存在なのか考えてみればわかるはずよ」
「それはうぬぼれていいってこと? 」
「そうね。愛されてるわよ」
おそるおそる返す俺に今度は笑顔だった。よくわからない奴。ひどく冷徹な側面を見せたかと思えば、情に厚い暖かい面を見せる。おんなってわかんねーと思わずつぶやいた。
新学期に入り、学校ではある恐ろしい幽霊の噂が生徒たちの間で広がっていた。
原因はもちろん私のせい。
月の事件後学校の屋上から逃げるときアリサちゃんとなのはちゃんを眠ったままのふたり抱えて警備員に見つかったあの事件。予想以上に大きな波紋をもたらしていた。警備員さんの証言では白い着物を着た恐ろしく髪の長い少女がふたりの学園の女子生徒を連れ去ったということになったらしい。
警備員さんは逃げるように仕事を退職した。いくら緊急事態だったとはいえ悪いことをしたと反省。幸い常識のある人間だったみたいで町を離れて違うところで同じ仕事をやっているそうだ。
よかったよかった。さすがにあのお巡りさんみたいに退魔師になるとかわけのわからない選択をするような人間はそうそういないらしい。
それで済めばよかったのだが、退職者が出たことで信憑性を増し、校内ではおひれとか羽までついて、あることが囁かれるようになった。
白い顔で片目の赤い涙の女の子が髪の毛をうねらせて天井を這い回っているという噂だ。しかも夜な夜な無くした目を探して、おまえの目をよこせと声をかけてくるそうだ。
声をかけられたら最後、髪の毛で首を絞められ天井につり上げられ右目を抜き取られてしまうという。行方不明者のふたりは片目が抜き取られた状態で死体がみつかったとか。
なにそれこわい。
「片目髪女」と命名されてしまった。
数日の間に学校では欠席や体調不良で途中帰宅者が劇的に増えた。
単体の噂だけならなんの問題もなかったかもしれない。しかし、ジュエルシード事件で校内で不思議体験をしたもしくは目撃した人間がそれなりにいたこと、梅雨の時期に私が巻き込まれ命まで狙われた事件も私がプールの水に襲われる様子を校舎から見てた人が結構いたようだ。さらに噂がねじ曲がり私は水の中に引きずり込まれて死んだということになっている。とどめは私がジュエルシード事件の最初の日にお巡りさんおどかすために演技した片目の幽霊少女の噂と見事に繋がり、ちょっとした集団ヒステリーが起こっていた。
俺たちの世界でも口裂け女がでるという噂が回り、警察の出動や休校になる騒ぎにまでなったことがある。それと似ているかもしれない。その根本は勉強したくない学校行きたくないストレスから来る心因的なものを超常的なものへの恐怖にすり替えている精神的な症状ではあるのだが、この世界の幽霊や妖怪は活発うえ被害も多い。それに対抗する組織もあるから騒ぎが大きくなったかもしれない。神咲さんや耕一さんが出てきたら正直に言ったほうがいいだろう。
学級閉鎖も検討され始めた頃、理事長は動く。テレビに出てくるような有名な寺の霊能者が派遣されることになった。今日の全校集会でわざわざ紹介するらしい。
う~んどうしよう。素直に神咲さんに頼めばいいのに、派手好きのあの理事長らしい。やはり騒ぎが大きくなる前に相談しに行ったほうがいいだろう。
よし! 方針は決まった。学校が終わったらさざなみ寮に行くかね。理事長の長い話を聞きながらそう決心する。
次は霊能者を紹介してくれるようだ。今日も少し気分が悪い貧血で気分が悪い。少し前にすずかちゃんの家でレストラン山猫軒の体験に行ったせいだ。いくら約束したとはいえ、少々血液を抜きすぎた。ここ2、3日ずっとこんな状態が続いている。
男が壇上に立つ。思わず目をそむけてしまった。
その男は一言で言うなら僧侶だった。人間の体で尊いものを自ら捨てたものだった。歳は20代半ばくらい。頭は青く刈り上げられ無惨と言うしかない。遠目では顔よくわからないが、肌は白く。目は鋭い、頬は痩せこけている。全身は黒ずくめ、2メートルくらいはありそうな長身でほっそりとして、右手には紫の布にくるまれた細長いものを握っていた。
全体の雰囲気がただものでない。目に見えないがオーラのようなものが吹き出し、周囲の空気が渦巻いている。町歩いてたらチンピラでも裸足で逃げ出すくらいだ。
男の名前を名乗る。片山? それを聞いて隣のすずかちゃんが声を上げる。
「どうしたの? すずかちゃん」
「あの人、前に家にきてたお巡りさんだよ。あんなに背が高かったかな? なんか骨格からして違うけど、名前と顔は間違いないよ」
……
……
「へ~」
なんとか返事を返すものの俺はそれどころではなかった。
「こんなに早く戻ってくるなんてすごいね。どうしたの?
希ちゃん顔色悪いよ」
すずかちゃんが心配して声をかけてくれるが耳に入らない。あの僧侶の声も同じだ。どこか遠い所から響くように聞こえる。こうして自分の犯した罪に直面させられるとは思わなかった。あんな頭になったのはおまえのせいだと責め立てる。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ふらっときて、そこから後のこと覚えていない。気がつくと保健室、三人が心配そうな顔で眺めていた。
「大丈夫? 希」
「今日も朝の訓練に来ないし、具合でも悪いの?」
「あはは、ちょっと最近貧血気味で」
「あっ…… ごめんなさい」
すずかちゃんが申し訳なさそうに答える。次はちょっと遠慮してもらえると助かります。この間の山猫軒の元ネタは注文の多いレストランだった。いきなり全裸になれと言われたときは性的な意味でも食べられるのか心配になったけど、ただのお風呂で安心したよ。でもあの浴槽から漂ってきた匂いは良い香りというよりはおいしそうな香りだったよ。その後は私の血をフルコースみたいに楽しんでたよね。すずかちゃんェ…
今度は伝統的な透明牌を混ぜた麻雀で血を賭けて正当にもらうとか言ってたけど、なのはちゃんとすずかちゃんとアリサちゃんでやるの? 麻雀?
今昼前くらい、結構長い時間眠っていたらしい。
「今、昼休みかな」
「そうだよ」
「あれからどうなったの? 」
すずかちゃんの話によると、私は寄っかかるように倒れてそのまま運ばれたそうだ。霊能者の話が少しあって終わったらしい。除霊は今夜から準備も含めて一週間の予定で行うそうだ。
私はおかーさんに連絡して、体調不良で帰ることにした。
おかーさんと一緒にタクシーに乗る。
おかーさん車平気になったの? 今までは乗って5分もしないうちに青くなったのに、今日は全然そんな様子はない。
揺られながら今日のことを考える。
除霊するということだったが、そんな対象が存在しない以上どうしようもない。何日かして何もないことが理解できれば帰るだろう。
しかし、それでいいかと自問する。
あのお巡りさんの人生を狂わせたのは私だ。これは認めなければいけない。あの青く刈り上げられた坊主頭を思い出し、もしあれが自分の身に起こったらと考えると私は喪失感で嘆き悲しむだろう。もしかしたら生きていないかもしれない。きっとあのお巡りさんも髪を失う耐えがたい心の痛みを乗り越えてこの道に進む覚悟をしたのだろう。それにあのときすずかちゃんはあの少女の霊を祓うためにこの道に入ると言っていた。
なんてことだろう!!
あの人は見ず知らずの私のために職と命に等しい髪を捨ててここに来てくれたのだ。だがその覚悟も徒労に終わる。なぜなら、あれは私が自分の身を守るためにした演技だから、事故で死んだ不幸な少女なんて存在しない。
なんて報われない男。髪を無くしてこれからどうやって生きていくつもりなのか?
何か私にできることはないだろうか? このままじゃあの男がやったことはすべて無駄になる。
だったら……
その存在を作ってやればいい。
たとえ嘘でも偽りでも彼自身に決着をつけさせてやるのがせめても罪滅ぼしになるはずだ。正義の味方には悪役が必要なのだ。霊能者には幽霊が、どちらも反発しながらお互いを求めているのだ。
俺はあのお巡りさんのために道化になることにした。設定はさざなみ寮で俺が勘違いされた手を使う。つまり希ちゃんは俺という悪霊に取り憑かれて、知らないまま暴れ回っていた。それをあの霊能者が発見して退治されて、悪霊設定の俺は成仏したふりをすればいい。フェイトちゃんを連れ戻すために一度彼岸までは行ったことがあるからその要領でいいはずだ。本当なら天井から光が射して昇っていく成仏演出もしたいところだが、最近はどうやってもできないのでここは妥協しよう。
この作戦は那美さんが俺を不浄な霊だと勘違いしたからこそできる作戦だ。那美さんが勘違いするくらいだから他の霊能者でも勘違いするのは間違いない。だから俺は煩悩をマックスまで溜めて、色情霊になるまで己を高めなければならない。
色情霊に俺はなる!
カナコに作戦の詳細を伝える。最初は作戦そのものに反対だったカナコも俺の熱心な説得にとうとう折れた。
「あなたって髪が関わると、人が変わるわね。それと何かおかしくないかしら? 」
まずは次の日の放課後、銭湯に入ることにした。当然のように女湯、無論男のしての本懐いや欲望レベルを高めるためだ。なのはちゃんと入ったときには味わえなかった感動でいっぱいだった。
(目的を忘れないのよ。なんか騙されてる気分だわ)
カナコは釘を刺してきた。もちろん心得てる。今回は仕方ないんだ。うん、仕方ない。
うあ、あの胸は犯罪だ。逮捕であります。けしからん。マーベラスっ! 見事な双子山だ。ん? あの子たちは希ちゃんと一緒くらいか。残念っ! 十年後にまたおいで、ぎゃあああ、変なもの見せるじゃねえええ、五十年前からやり直し! たまに視界入る危険物を避けながら、俺は任務を達成した。
ふぅ…
次の欲望を高める作戦は女性とのスキンシップだが、見ず知らずの女性は希ちゃんが苦手なのでアウト、なのはちゃんたちは年齢的にまだ早いのでそもそも対象ではない。残るは百合子さん、桃子さん、斎に絞られる。
(ねえ、手段と目的変わってない? )
(もちろん変わってないぞっ)
(お兄ちゃん楽しそうだね)
桃子さんはさすがに気が引けるのでパス、百合子さんも母親みたいな人に欲情するのは罪悪感がひどいのでパスである。特に最近は菩薩やマリア様のような神々しいオーラを感じるし、逆に浄化されそうな勢いだ。
となると斎か? 適任だな。抱きついたり、においかいで、胸触るくらいならいいだろう。それに生前だったらとてもできないが、女の子だから無問題。今の成熟した斎ちゃんにお兄ちゃんの頃にできなかったことが存分にできるわけだ。
しかも斎ちゃんは普段授業で話しているのは希ちゃん本人だと思っているからやりたい放題やないかっ!!
ん?
まだ触れてもいないのに、その状況を思い浮かべるだけで俺の中の欲望レベルがぐんぐん上がっていく。
すげぇ斎ちゃん、すげぇ、バチッとスカウター壊れちゃったよ。さすが俺をプロに引き上げたマイシスター。
俺はこの作戦の成功を確信した。
次の日の夕方、さっそく斎ちゃんを学園で人目の少ない場所に呼び出す。夕日が射してなかなか雰囲気がある。女教師のいけない放課後の始まりだ。
「どうしたの? 希ちゃん」
何も知らないマイシスターこと斎ちゃんは無防備なままだった。私はあくまで希モードで通す。
「斎おねえちゃ~~ん」
しっかりと腰にしがみつく。身長差でこの形になってしまったがまあいいだろう。くんかくんかとハム太郎のようににおいをかぐ。ほんのり香る香水と女性の柔らかい体の香りが私の欲望を高める。
たまらん。
「も~ どうしたの希ちゃん、急に甘えてきて、……はっ!? 」
最初は優しい笑顔でされるがままだった斎ちゃんだったが、急に背中を震わせて怯えたような表情であたりを見渡す。何か怖いものでも見たのかな?
「あっ!? そうだ! 希ちゃん、お兄ちゃんに代わってくれないかな? 」
ん? ご指名だ。斎ちゃんの方から俺を呼ぶのは珍しい。
「どうした? 斎ちゃん」
「あれっ!? もう代わった? 」
斎ちゃんは驚いた顔をする。実はそもそも代わってない。
「うん」
斎ちゃんは急に赤くなる。どうしたんだ? そんな顔するとおにいちゃんはもうっっ!!
「なんかお兄ちゃんだと思うと恥ずかしいね」
ハァハァ。もうだめだ。すでに欲望のメーターは振り切れ満タンだ。魔神ブ○だって復活できそうだ。
(ねえ、そのピンク色のオーラ、こっちまで伝播しそうなんだけど)
いかん。これ以上はまずい。希ちゃんの身体と言うことすっかり忘れていた。落ち着こう。カナコのあきれたような言動で我に返る。大丈夫。すでにさざなみ寮に行ったときと同じ境地にたどり着いている。全身っからピンク色のオーラが出ていた。
今なら胸を張って色情霊ということができる。
改めて斎ちゃんの顔を見る。ん? 夕方でわからなかったけど、疲れてるのか目が赤く化粧が濃い。先生の仕事大変みたいだな。
「斎? 最近疲れてないか? 」
「えっ!? 最近平日にも家に帰ることが多いから。そのせいかも」
マジかよっ! 往復で考えたら休む時間ないじゃないか。ただでさえ先生の仕事大変なのに。
「ちゃんと寝てるか斎ちゃん? 」
俺は心配になって声をかける。どうしてそんなに頻繁に帰るのだろう。あのばばあがまた何かやらかしているのか?
「う、うん、最近は早退とか有給とかも使ってるから」
「それならいいけど、それよりなんか用事か? 」
斎ちゃんは落ち着かない様子で手をぶらぶらさせながら探るような目でこちらをみている。何かいいにくいことがあるときはこんな仕草をする。
「あのね、お兄ちゃん、おかーさん事をまだ怒ってる? 」
「はあ? かーちゃんの話はするなよ」
俺は嫌な事を思い出して嫌な気分だった。せっかくさっきまでいい気分だったのに台無しだ。だから言い方もついとげのある言い方になる。最近刺された夢を見て顔も見たくないと改めて思ったところだった。
(そうよ許しては駄目よ。かわいそうにあなたはなにもしてないのに傷つけられたんだから)
心の裡から声が聞こえた。そうだ。あんなの実の母のすることじゃない。俺はアイツのした事を許すつもりはない。一度許したのは気の迷いだったんだ。絶対に許すな。
「う、うん、そーだよね。いいの。今のは忘れて、…そんな顔しないで」
あれっ!? どうしたんだ斎ちゃん? そんな悲しい笑顔は、なんかつらいことを堪えているように見える。斎ちゃんは小さい頃から嫌なことがあっても我慢する辛抱強い子だったから気になるんだ。さっきまで沸いてた許すなという感情は霧のように消えてしまった。代わりに斎ちゃんのことがすごく心配だ。
「本当に平気か? 」
「うん。さっきのはちょっとしたことだったから、今度が本番だよ。ちゃんと聞いてね。お兄ちゃんに直接言いたかったの」
今度はもじもじと言いにくそうに顔を赤くする。なんだよ愛の告白か? まいったなぁ。俺たちは兄弟だし、今は女同士なんだよ? どうしてもというならウェルカムだけどさ。
そして、斎は口を開いた。
「あのね、おにいちゃん、私ね、結婚するの」
……
……
……
私はひとり残されます。いつの間にか時間が経ったようです。キングクリムゾン発動。斎は今日も家に帰るみたいで先に帰った。振り返るといろいろ何か言ってた気がするが、俺はオメデトゴザイマスと返事をするのがやっとだった。相手はどんな奴かとか、本当は式に呼びたいけど難しいとか、はにかんで照れたような顔、そして、どこか憂いを感じさせる表情が印象に残った。
今日は俺に結婚の報告をしたかったらしい。
結婚って誰が? 親戚か職場の人? まさか俺じゃないよね。俺は希ちゃんの身体だから無理だ。大穴で親父が離婚して再婚するとか?
ケッコン? ケッコンってあれですか、血の跡ですか、現場検証ですか。マリーですか。エイミィせんぷわいとか呼ぶあのメガネの?
3
2
1
0
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ 」
俺はかつてない喪失感に喉を振り絞って慟哭の雄叫びを上げる。ガラスの割れるような音がしたけど気にならない。
世の中にこんなことがあっていいのでしょうか? 俺はさっきまで天国の中にいたはずなのに、いつの間にか地獄に落とされていました。
私の頬を赤い滴がポタポタ落ちます。血の涙です。人間って本当に血の涙出せるんだね。
人生にはつらいことがたくさんある。
子供の頃感じていた義母の態度、ペコペコ頭を下げてお金をもらっていた日々、追い出されたときの絶望感、悪意と殺意の濃縮された人間に拷問される恐怖、転生した先の母親の疑惑に満ちた目、つきあってた彼女から将来はげそうだからという理由で振られた日、次の日その子がDQNと腕を組んで歩いているのを見た日、成績が落ちたこと母親がなじられる悔しさ、大学辞めてから母親から刺されて蘇った恐怖、髪はもう死んでいると告げられたときの喪失感、
考えてみれば俺は不幸な人間だった。そんな俺から斎まで奪おうというのか!
(誰か来るわよ)
カナコの声がする。俺は素早くバリアジャケットを纏うと髪を振り乱しながら悲鳴を上げてアスファルトの外壁をかけ上り、飛行魔法で空のかなたへ飛び立つ。
誰かに見られた気がするけど、そんなの関係ねぇええ。
とにかく俺はどうしようもない心の衝動を発散せずにはいられなかった。
家に帰りベットに横になる。御飯を食べる気にはならなかった。
ああ、でもこんな地獄でもひとつだけいいことがありました。もくろみは大成功です。今の俺は極めてマイナスオーラ全開な色情霊です。ピンク色のオーラは赤黒く変貌していた。嫉妬の炎も燃え上がり、優しさから一歩を踏み出せない那美さんが助走をつけて奥義をぶちかますレベルです。今なら獅子吼喉弾を撃てる気がします。
ああ、誰かにぶつけたい。このやり場のない怒りを、失ったものの悲しみを、右手の封印は黒々と輝きを帯びている。すごい力を感じるよ。これがシットのちから。恐らく夢の世界でも奮うことができるそんな気がした。今まで夢の世界では最終戦士やバーチャプレシアにお株を奪われっぱなしだったから、リベンジできる。
ふっふっふっ。素晴らしいぞこのちから。今まで修行して得た力とはなんだったのか? 怒りとは何かにぶつける力なのだ。
俺は今深夜の学校。すずかちゃんからの情報で今夜は徹夜でやるらしい。どうも俺の雄叫びと壁歩行は結構な目撃者がいたようで、霊能者側も本腰を入れたようだ。すべての事情をすずかちゃんに話し、月村家主催の麻雀大会に出場することを条件に月村家への外泊と知り合いの霊能者へのフォローをお願いした。
さあ一世一代の名演技だ。タイトルは退魔師VS片目髪女、包帯、血糊、白粉の用意はできた。最近は希ちゃんは健康的になっているので血色がいいので、少々手を加える必要がある。衣装はデバイスを使えばいい。天井歩行はお手のものだ。そして切り札も用意してきた。
舞台の幕が開く。
深夜の学園屋上、黒い衣を纏った長身の僧侶が静かにたたずみ左の手には黄金に輝く刀が鞘に納められていた。
「来たな… 」
こちらからは背中を向けたまま霊能者はつぶやく。視界に入らずとも霊能力とやらでこちらのいる場所は探知することができるのだろう。ピリピリとした電気のような波動を感じる。本能的に危険なものだ悟っていた。
幽霊モードに入る。イヤなことを思い出せば負の感情に染まることなどたやすい。ただしそれに思いを傾け過ぎてはいけないのだ。あくまで戻れる範囲でコントロールできる範囲で実行する。右手に蛇のような痣が現れ黒いオーラがにじみ出る。
俺は今悪霊になりきっていた。なんか普通に魔法使うより強い力を感じる。カミノチカラも呼応してウネリ強化されている気がする。
(ちょっと、大丈夫なの? その力は黒い女と同質のものじゃない。黒い影の気配が反応してるわ)
(平気さ。ちゃんと冷静だよ。それにこのちから出力すごいんだぜ。万能感というかなんでもできそうな気がするよ。なんか今まで使わなかったのがバカみたいだ)
(封印は静かね。それにコントロールできているならいいけど、これから先は使わないほうがいいわ)
(なんだよ。せっかく人が苦労の末にたどり着いた力なのに、そりゃカナコ様は俺なんかと違って魔法も空中戦闘も器用にこなすんでしょうけど… )
(なによっ! せっかく人が心配してるのに)
キレるカナコをうっとしいと思いながら、霊能者から目を離さない。彼は静かに立ち上がりこちらを向く。
(カナコ、話は後で聞くから、今はこっちに集中しろ)
「さあ少女よ。長きに渡る因縁にケリをつけよう」
そんな因縁あったかな? まあいい舞台を盛り上げる言葉としては上出来だ。ふっふっふっ。今回は楽しいアトラクションを用意してきたから楽しんでくれたまえ。
二時間後。月村屋敷。
「ありがとう。すずかちゃん、協力してくれて」
「約束だったからね。でも希ちゃん、あの人、希ちゃんが髪の毛を自在に操り、天井を走り回るから、すごく怖かったみたいだよ。しまいには膨張して世にも恐ろしい化け物になったって」
「ははは、やりすぎたかな? 」
「折れた霊刀が上手く刺さったから勝つことだできたって、最後は悪霊は成仏して希ちゃんは助かったって、本当にどうやったの? 」
「まあ私の家もいろいろあるんだよ。魔力とか、巨人の守人のかぐやの一族で調べればいろいろわかると思うよ。ところで霊剣は大丈夫だったのかな? 」
「あの霊剣は破損して力を失ったものを鋳造し直して再利用しているんだって、本社には新しく打ち直した霊刀が何本もあるから大丈夫みたい。だから折れたなら寿命だろうって言ってたよ。それにもう必要ないみたい」
「だろうね。素手のほうが強かったもん。寿命っていうか。力入れすぎて寿命短縮したような気がするけど、それから麻雀いつにする? 最近抜いたばかりだからもう少し時間ほしいな」
「じゃあ二週間後くらいかな? 」
「お風呂借りていいかな。もうくたくたでさ」
「いいけど、そうだ一緒に入る? 」
「また今度ね」
終わった。なんとか終わった。
今は一時過ぎ、すずかちゃんは横で眠っている。女の子同士のおしゃべりは長かった。家のこと、アサノヨイチのこと、この間のUFOの件とかいろいろ聞かれ、できる範囲で話をした。むろん管理局となのはちゃんのことは秘密だ。このことについてはなのはちゃんが同席していないから勝手に話すわけにはいかない。
血が足りないと言ってあるから、今夜は噛まれる心配はなさそうだ。しかし、念のために口枷をしてもらってる。なんでこんなものがあるのか。すずかが何の疑問もなくつけて寝ることができるのか。想像すると怖いが気にしないようにしよう。お金持ちの家にはいろいろあるんだと思うことにする。
俺も横になる。まだするべきことがある。
相手の霊刀が折れて、誤って魂のかけらを吸収したり、予想外のアクシデントはあったが、すずかちゃんの話ではあの霊能者はとてもいい表情で去っていったということだから、目的は果たされたのだろう。
最後は悪霊退治じゃなくてグラップラーな戦いになった。モンスターとマッスルのぶつかりあいと言っていい。その霊能者いきなり身体が膨らんで筋肉質になりどっちが化け物だよっ! とツッコミたい。霊刀が折れたのも半分は自業自得で相手が力を入れすぎたせいである。持つところ握りつぶしてた。むしろ刀ない方が強かったんじゃ… 一度霊力が尽きて倒れたかと思ったら、再び起きあがってさらに強くなったときはラスボスかよと思ったよ。こちらも奥義を連続して使ったし、霊力と筋肉とは実は関連があるものだって初めて知った。よくあちこちひびが入るだけで校舎が壊れなかったもんだ。
問題の霊刀から吸収した魂のかけらは現実世界と同様の刀の形で人形の棚に並べられていた。無惨に折れた状態だった。カナコの見立てでは長いこと破損したまま、かけらとしては十分集まっているが意志もバラバラで意識が混濁しているそうだ。
カナコからは最初に再生させるつもりはないとはっきり言われた。そうだよな。意味もないのにそうすることはない。しかし、かわいそうなので俺の部屋に持ち込んで飾ることにした。何度か話しかけるうちに少しだけ会話できた。
「なあ、あんた、名前は? 」
するとカタコトのノイズがかった男性の声が聞こえる。
「ワタシ名前思イ出セナイデス。デモジョージ言レタ思イマス」
「ふ~ん、ジョージか。十六夜さんみたいなケースかな? 男?」
「ハイ、セイジンダンセイデス 」
「ちっ。やっぱ男か、しかも若くないな。日本には何しに来たの? 」
せっかくなら、十六夜さんみたいな女性が良かった。男じゃ気分的に嬉しくない。
「アナタハカミヲ信ジマスカ? ワタシ神ノ教エ伝エルタメニ、キマシタ。元イングランドネ 」
イギリス人か。スペイン・ポルトガル系じゃないんだな。
まああの時代に外国人が来る理由ってそれしかないわな。妙な同居人ができたが、ブリザードが吹き荒れる俺の心以外は平常運転だった。
次の日は休日、お昼まですずかちゃんの家で遊び、いくつかのお願いとお礼を言って家に帰る。まだまだ疲れが抜けないので、昼寝をすることにした。
夢の世界の図書館に出る。バーチャプレシアは鍛錬に余念がない。さっきは正面に三つの残像見える技を練習していた。どんどん人間離れしてきた。そっとしておこう。
ひとり黄昏れる。
俺はやりきったんだよな? あの霊能者を真実を知らないまま騙した形になるが、知らなければそれで済むのだ。幸いすずかちゃんや月村家の協力もあってバックストーリーの用意と口裏は合わせてあるから疑うことはないはずだ。
ただむなしい。思いっきり鬱憤をぶつけたのにそれは一時的なものでしかなかった。また思い出して俺を蝕んでいく。
考えるのは斎のこと。今まではやるべきことがあり集中できていたけれど、それが無くなるとどうしても考えてしまうのだ。
俺はうじうじして、膝を丸めて体育座りの姿勢をしている。希ちゃんとカナコも近くにいるが、話しかけて来ない。
正直助かる。今はネガティブスパイラルでガラスの少年だった。やさぐれていた。校舎のガラスをぶち壊して、盗んだバイクで走り出したかった。
どうのくらいこうしていただろうか。カナコが近づいて来た。うんざりとした顔をしている。
「いつまで、そうしてるつもり、おめでたいことじゃないの」
「おまえなんかに俺の気持ちがわかってたまるかよ」
俺の人生の華。心のオアシス、マイエンジェル、どこに出したって恥ずかしくないけど、絶対に誰にも渡したくなかった自慢の妹なのだ。
「あなただって自分のことは気にしないで彼氏作れって言ったじゃない」
「確か言ったさ。でも結婚って何だよ! 斎ちゃん彼氏いないって言ってたから、まだ会って半年もないじゃないか。普通さ、つきあい始めたら、お兄ちゃんこれが今おつきあいしてる人ですって、紹介して、おまえなんかに妹はやらんとボコボコにして、おにいちゃんやめてと止められて、彼氏はボロボロになりながらも、俺の足にすがりつきて、お兄さん妹さんを僕にくださいと、誰がお兄さんだコラッ! とさらにボコボコにして、それでも粘って男をみせてたら、俺もちょっと見直して、認めた訳じゃないけど酒でも飲むかって流れじゃないのか? そして三年くらい過ぎてそろそろだろっ!! 」
「あなた、ドラマの見すぎよ。あなた死んでるじゃない。どうやってボコボコにするのよ? 」
「うるさい! うるさい! 大事に大事に育ててきた妹をどこぞのホースボーンに寝取られる俺の気持ちがわかるか? わからないだろっ! 」
「馬の骨? だからすずかに相手の身辺調査まで頼んだのね」
「当たり前だ! あの子はなあ、生まれたときから目をつけて… いや目に入れても痛くないくらい可愛がっていたんだ。オムツだって替えたし、中学上がるまで一緒に風呂入ってたし、親父より一緒に遊んでたし、幼少期の俺の生き甲斐だったんだ。もし相手が二股とか結婚詐欺とかだったらどうするんだよっ!」
カナコはあきれた顔をしていたが、すぐに眉をつり上げて言い返して来る。
「気にし過ぎよ。気づいている? それは斎を悪く言っているのと同じことよ。それから寝取られるって言葉の意味正しく理解してる? 斎はあなたのお人形じゃないのよ。人間なの。年齢的にもそろそろ適齢期でしょ? 子供のひとりふたりいたっておかしくないわ」
ふ ざ け る な
「子供お、子供作りだとお、そんなふしだらなことおにいさんは許しませんよ。斎ちゃんはずっとあの家で妹として暮らすんだ。問題ない。あの子が不自由なく暮らしていけるだけの財産はある」
「はあ~ シスコンここに極めるね。それはエゴね。執着と言ってもいいわ。あの子の幸せはあなたが決めるわけじゃない。たとえ間違えても斎自身が選択することなのよ」
「黙れよ。この野郎」
いくらおまえでもそれ以上は言うな。
「もう勝手にしなさいっ! このバカあ~~~」
カナコの姿が消えたかと思うと、急に世界が回転し、背中を強打する。その衝撃で意識が飛ばされる。
向こうの方が手が早かった。
気がつくと希ちゃんに膝枕して頭を撫でられていた。
「ちくしょう。カナコの奴、思い切り投げやがって」
「さっきはお兄ちゃんが悪い。すごく怖い顔してたよ」
「ごめん、希ちゃん、怖がらせて」
教育に悪い醜態をいくつもさらしてしまった。ここは希ちゃんが穏やかに過ごすための場所なのに俺たちが乱してどうする。希ちゃんは珍しく怒ったような表情でこっちをみている。
「違うよお兄ちゃん、あやまるのは私じゃなくて、カナコに」
「俺、投げられたんだけど」
「それでもあやまるの。カナコ泣いてたよ」
「えっ!? 」
全然そんなそぶりはなかったけど、でも希ちゃんは嘘はつかない。少し冷静になって考えれば、カナコの言うことは正しい。正しすぎて頭にきたんだと思う。売り言葉に買い言葉で、かなり感情的に怒鳴ってしまった。自分でも感情のままにわけがわからないことを言ってしまった。
そんな俺の言葉をカナコは正面から受け止め正論で返してきた。俺はますます感情的になりとうとう駄々っ子のようにカナコを邪険した。
うあ、俺、格好悪い。感情をぶちまけるなんてガキのすることだ。ちっとも成長してない。
「カナコも女の子なんだよ? それなのにひどいこと言って、私に優しいお兄ちゃんはカナコにも優しくしないとダメなのっ! 」
希ちゃんはいつもより感情の籠もった口調で諭す。ヒートアップしていた頭が冷静さを取り戻していく。
「うっ そうだな。俺が悪かった。ちゃんとカナコに謝るよ」
やれやれ希ちゃんに説教される日が来るとはね。自分のふがいなさを嘆くべきか、それとも、成長を喜ぶべきなのか。その両方なんだろうな。
「だって、お兄ちゃん、寂しかったんでしょう? 」
「えっ!? あ、 」
希ちゃんは何気なく言ったのかもしれないが、その言葉に衝撃的が走った。そのくらい的を得ていたのだ。
寂しかった? そうか、そうだったんだ。斎ちゃんの結婚に難癖つけてたけど、結局は斎ちゃんが俺のことを忘れてしまうことを恐れたんだ。カナコの言うとおりただの執着とエゴなんだ。
なんて無様。
死にたい。ここから消えてしまいたい。そんな気持ちがわいてくる。でも希ちゃんとカナコはこんな俺でも頼りにしてくれているんだ。責任を放棄するわけにはいかない。
そう逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
俺は弱い人間だけれど、希ちゃんのため、そして、カナコのために頑張ろう。こんなときはいつものように感情を抑え込もう。心に蓋をするんだ。いつまでも悲しんではいられない。大人は男は泣いたらだめなのだ。ぐっと悲しみを押さえ込む。まずはこの雰囲気を変えなければならない。俺は体を起こすと希ちゃんに話しかける。
「ありがとう。希ちゃん、間違いを正してくれて、これからもこんなお兄ちゃんと一緒にいてくれる? 」
「うん、うん。でもおにいちゃんさっきよりずっと苦しそうだよ? どうしたのかな? 」
希ちゃんは俺の顔をのぞき込む。いかんな。希ちゃんに気づかれるとはまだまだ足りない。頑張れ俺男の子。俺は目を閉じると右手に意識を集中する。
(俺の悲しみよ。怒りよ。すべて右手に集まれ)
そう念じると心が軽くなり、右手の刻印が黒く輝いた気がした。右手の手のひらには黒い痣のようなものができてる。よく見ると生き物の形をしていてカッコいいな。不思議と惹かれるモノを感じる。
おっと、希ちゃんを忘れてた。
「じゃあ、お詫びに何でも言うこと聞くよ」
「なんでも? 」
「ああ、何でも」
「ほんと? じゃあ、また痛いことしてください」
痛いこと? それはもしかして、いや落ち着け俺、またって言ってたから前にしたことあるってことだろ。もしかしてアレか。俺は手刀を作ると希ちゃんの額を何回かこづく。
「うれしい? 希ちゃん? 」
「うんっ 怖くない痛いは久しぶりだよ~」
希ちゃんはニコニコと嬉しそうに答える。
…………
…………
ああ、やべっ
やっぱこの子は魔性の女の子だ。たった一言で俺の心を持っていってしまった。この一言にどんな意味が込められいるから想像するだけで俺の胸はかき乱される。
目から汗が出てきた。汗が止まらない。
「どうしたの? おにいちゃん いたいの? わあ! 」
俺は希ちゃんを正面から抱きしめる。
「ちょっとね。しばらくこうしていていいかな? 」
「いいよ~ 」
どうか髪様 ……カミサマ、この子がしあわせになりますように。しばらく希ちゃんを抱きしめまま俺は唯一信じるカミサマに祈る。
(全テハ主ノ名ノ元ニ許サレルノデス)
また変な奴がコレクションに加わったな。最終戦士とは違う意味で大変そうだ。そういえば最近奴の声を聞いてない。別に聞きたいわけじゃないが。
希ちゃんは部屋に帰った。さて、やるべきことをやろう。カナコの部屋をノックする。ここに来たことはなかったな。
「カナコいる? 入ってもいいか?」
「いいわよ」
部屋に入るとカナコは赤いペンを片手に魔導書みたいな本に一生懸命書いていた。こちらには目もくれず言葉だけ返す。
「何? 」
「ああ、俺が悪かった。カナコ、おまえの言うとおりだよ。おめでたいことだがら祝ってあげないといけないよな」
すると初めて顔を上げ少し驚いたような顔をして、口に手を当て微笑んだ。
「私も悪かった。希とあなたの会話を聞いていたのよ。あなたの気持ちを考えてなかったわ。本当は寂しかったのね」
「そうか」
「それから、あなたが重度のシスコンで、妹を性的な目で見る変態だってこと忘れていたわ。なんせ生まれたときから目をつけて、よからぬ感情を持っていたんですもの。良く道を外さなかったわね。ふふふっ」
「おい! せっかくの空気が台無しじゃないか」
カナコは途中から含み笑いをする。俺も言葉では非難していたが、いつもの空気になって正直ほっとしていた。
「困ったお兄ちゃんね。あなたの部屋に置いた霊刀はどう? 」
「ああ、たまに変なこと言ってくるけど聖職者ってあんなもんだろ? 今のところ静かなもんだぞ。ちゃんと直してやればいいのに」
「それはダメって言ったでしょ。希のキャパを考えてる? 」
俺は霊刀のことを簡単に説明する。
「まあこんなところだ」
「使い道はあまりなさそうね。この間の幽霊みたいな奴には有効かもしれないけど」
「なあ前にも聞いたと思うけど、おまえの書いてる本って何? 」
ずっと書いてる気がする。そんなに大事なことなんだろうか? かれこれ数ヶ月、カナコはずっとこの作業をやっている。封印が安定して黒い影が出なくなったから時間ができたとは言っていたが、どんな意味があるのかすごく気になる。カナコのこの本をみつめるときの目は穏やかで優しいものだ。ペン置くと大事そうに本を閉じて、ゆっくりと語り始めた。
「私の使命はわかってるわね? それが与えられたものであることも」
「ああ」
カナコの使命は希ちゃんを守ること。そしてそれはおそらく希ちゃんのおかーさんによって与えられたものだ。
「私はきっと使命のためにしか生きられない。寄り道することはあるけれど、使命のために生きて死んでいく存在なのよ」
「寂しいこと言うなよ。俺たちがいるだろ? 」
俺はカナコがどこか遠くいってしまいそうな表情に胸が締め付けられてふとそんな言葉を吐いてしまう。カナコはきょとんした表情のあと、くすくす笑い出した。
「あなた純情なのね」
「わ、笑うな~ 」
俺は急に恥ずかしくなってそう言い返す。ダメだ。この程度で動揺しては俺の恋愛偏差値が低いことがバレてしまう。向こうの方はどこか余裕を感じさせる。
「どんな意味があるんだ? 俺に血印を押させていた奴だろ? 」
「いろんな意味があるから一言では言えないわね。ひとつだけ言うなら生きた証みたいなものよ。それ以外は途中だからダメえ、完成したら教えてあげる。闇の書事件より前には完成する予定よ」
またしてもお茶を濁された。まるでこちらをからかうような目で落ち着かない。見守られているというか子供扱いされているふうに感じる。しかし、不思議と不快な、反発するような感情は沸いてこなかった。
後日、月村家の麻雀大会に参加した。相手はすずかちゃん、忍さん、ファリンさん、賭けるのは血液1500ミリとかマジ死ぬから、十分の一にしてもらった。通常は勝った分だけお金がもらえるのだが、別にお金はいらないので、脱衣麻雀にしてもらった。
「御無礼。ツモリました」
「あなた。背中が煤けてるわよ」
「ロンッ ロンッ ロ~~~~~~ンッ」
「希ちゃん、頭ハネだよ」
「痛い。痛い。牌をそんなふうに使わないで」
朝まで続けられた。
結果から言えば、俺たちの勝ち。自動卓なのでサマはできない。しかし、カナコが気配を読み、希ちゃんが確率計算と相手の切り方を把握してくれていたので、後半で点数を稼ぎ勝利を得ることができた。血液は一滴も抜かれず、三人を下着姿まで追いつめた。役得です。
豪華な脱衣麻雀だった。
最後のすずかちゃんのソーズ九連と俺の緑一色の戦いとかは名勝負といえるだろう。
あ~ 眠い。
ーーーーーーーーー
私たちは負の感情を糧とする存在。それが存在意義だ。たとえ希から生まれた存在であろうと食らい尽くすまで止めるつもりはない。
そもそも私が生まれたのは希を苦しめ殺すためだ。
偶然が重なったのもあったが、私の一部は外に出ることができた。忌々しいカナコは私たちを本体から切り離し、さらに5つへ分割した。隙を見て復活した5つの中でも最強の力を持つ木の私はすでに消滅している。分割されようと意識は共有している。希の力は日に日に力を増して、このままでは私たちは各個分散されたまま消滅するしか道はなかった。
私たちの元になった魂の記憶を思い起こす。カナコ忌々しいあの女の娘、親子二代にわたって私たちの邪魔をする。
あの女との戦いには勝ったけれど、まだ目的は果たせていない。
負の感情を集めようにも希の部屋はカナコの力が働いていて私たちの力が及ばないのだ。一度侵入しようとしたが希の寝ているベットに強力な結界が施されていて、近づくことも不可能だった。こちらの思念波を遮断する厄介なものだった。
そこで目を付けたのは陽一というあの男だった。明るく振る舞ってはいるが、心の奥底には暗い負の感情がくすぶっている。こちらで揺さぶってやればたやすく燃え上がり私たちの力になるだろう。
問題はあの忌々しいカナコに気づかれることだった。幸いカナコは最近別のことに気を取られているようで、私たちへの注意が薄い。回りくどい方法ではあったが夢を通して少しずつ浸食を始めた矢先に事件は起こる。
強い憎悪と恨みを抱えた存在が現実世界から直接攻撃をかけたのだ。
私たちのような想いや魂だけの存在は通常生きた人間には力が及ばない。生命力に押されてしまうからだ。物理的に影響を与えるのも難しい。ただし、条件がそろえば圧倒することもできる。
生命力の低いもの。心の弱いもの。負の感情の強いものはたやすく付け込まれ支配される。希の生命力は弱く、心も弱かった。しかし、最近はカナコに加えて陽一とかいうあの男も一緒にいて、心が安定して強くなり手出しできなくなっている。
もうひとつはこちらの有利な場所に引き込むこと。この子の属性は水、私も水、水のある場所ならばそれらを媒介にして現実世界でもこのくらいはたやすい。
私は迷わずこの少女に取り憑き力を貸すことにした。この子の負の感情は私に力を与えてくれる。さらに私には現実に作用させられる魔力がある。魔力を使えば現実世界にも事象を起こすことができる。その魔力の源は負の感情。お互いの利害が一致する。
「ふふふっ そう。あの子が憎いのだったら、私が力を貸してあげる。あなたの媒介となる力は私ととても相性がいい」
「ママ。ママ」
「そうよ。あの子がいなくなればきっとママは前みたいに見てくれるわ」
「コロす。コロスコロス」
少女はぶつぶつ何か言っている。黒い霧が吹き出している。
「実にいいわ。その憎悪と殺意。力がみなぎるわ」
憎悪と殺意。希から搾り取った恐怖や痛みからくる力とは比べものにならなかった。ふと希からも憎悪や殺意を引き出せないか考えたが、無駄な努力だと気づいた。なぜなら、それできるならすでにやっているからだ。希にはカナコの檻の五行封印の他にもうひとつ封印がされている。
針と鎖。巧妙に隠されているが、その強さはカナコの檻に並ぶちからを持つ。希の憎しみを吸い取り浄化する力を持ち、このうえなく厄介な代物だ。
まあいい。使い勝手の良い道具は見つけた。後はこの子を使って希を追いつめ、他の封印を破ればいいだけの話だ。
水の私が逃げて数日が過ぎた。
ここは檻。同調して外の様子を知ることはできるが、外に出ることだけはできない。
カナコが私たち分割して封印しているところだ。分断されてから私たちは同じ魂のかけらとしての意識を共有しながら、それぞれ目的を果たすべく個別に動いていた。
水の私の気配が消える。どうやら消滅してしまったようだ。
「水の本がやられたようね。つながっていた気配が消えた。退魔師が動いたのね」
「ふふふっ 奴は我らトラウマ五行衆の中で、最弱こうなるのはわかっていたとでもいえばいいのかしら? 」
「そうね。希から見たら最も頻度は少ないからね。ただあの水妖と属性が同じだから扱いやすかっただけよ」
「残りは本体含めて4つになってしまったし、今回は浄化されてしまったけど、無駄じゃなかったわ。憎悪と殺意が我々に強い力を与えることが改めて確認できた。それに陽一がこの世界では最強の力を持ちながら、心はもろくたやすく堕ちる存在であることは大きい。バカな男。自分を殺した相手が法の裁きを受けていない可能性を示唆しただけで簡単に憎悪の種が芽吹いたわ」
「カナコは折りを見て必ず私たちを解放して滅ぼそうとするわ。そのときが私たちの反撃のときになる。楽しみねあの顔が歪むかと思うと、種であっても相手を殺すほど練られた憎悪という糧があれば一気に芽吹き立場は逆転するわ。ましてあの男を消せば希は絶望するから倒すこともできない」
私たちの力は確実に削がれている。しかし、今は焦りはない。陽一のハメるための罠はすでにできている。あの男はただの悪夢だと思っているようだが、弱い魂を過去の記憶で揺さぶることに意味があるのだ。このくらい干渉ならばカナコにも気づかれまい。そのときが来たら一気に黒い衝動で浸食してしまえばいいのだ。
慎重に、慎重に、ゆっくりと時間をかけて柔らかくしよう。その力が私たちになじむまで。
一度堕ちた魂は戻れないのだから。
作者コメント
空白期の仕上げに向けて進んでいます。