外伝3 おにいちゃんのお葬式
浅野斎視点
今日は兄貴のお葬式……
職場の小学校で連絡受けたときはショックで何も考える事はできなかった。今も頭がぼーっとして夢の中にいるようで、現実感はまるでない。そんな私の気持ちを置いたまま葬儀は進む。私は悲しむことさえできていない。
なによりまだ兄貴の死を受け入れていない。
最期の顔を見ることもできなかった。
あっと言う間に葬儀は終わり、夜になった。親戚達も帰って、家族三人でいる。自然と話題になるのは兄貴のことだ。
「あの子はこれで良かったのかもね」
「おかあさん、やめて! 」
私はおかあさんをとがめる。どうしてそんなこと言うの!?
兄貴とおかあさんとの仲は険悪で、いつまでも部屋にこもって就職しようとしない兄貴におかあさんは陰で文句を言っていた。兄貴は兄貴でおかあさんのことなど、全く気にしないように振る舞い、食事も同席することなく自分勝手に悠々自適の生活をしていた。
「だってあの子、30も近いのに就職もせず、ほとんど部屋にこもって出てこないんだよ。このままじゃいずれウチの財産を食いつぶすところだったよ。ウチは裕福じゃないんですからね。ローンだって残ってるし、お父さんだって定年近いんだから。いずれ大人一人養う余裕なんてなくなるわ」
「っ!! そ、それは、そうかもしれないけど」
「ほら見なさい」
「でも!! 」
おかあさんの言うことは正しいかもしれない。でも家族なのに冷たくない? 私は胸につかえを感じながら何も言い返せない。
「 ……アイツは家にお金入れてたがね」
それまで黙っていたおとうさんが低い声でつぶやく。兄貴とおとうさんはあまり言葉は交わさないが仲は良かった。お互いに話せない兄貴とおかあさんの間におっとりとした口調で話しかけ、ピリピリした空気を和らげていた。兄貴のことは大学を辞めたときも一度だけ話をして、後は10年近くも黙認していた。おかあさんは驚いた顔で問いだだす。
「そんなの初耳よ。あなた!! いったいいくら? 」
「月10万 ……5年前からずっと」
「そんな大金!! どうして黙ってたの? 」
おかあさんは興奮している。おとうさんは下を向いてゆっくり答えた。
「アイツはな、5年前に養われていると思われるは嫌だから、月ごとに金を渡すことにしたらしい。俺は俺で息子に金をもらうのは嫌だったから、こっそり今まで貯めてたんだよ。アイツが結婚でもして、ここを出るときにのしをつけてやろうと思ってな。 ーー結局かなわなかったなぁ」
おとうさんは寂しそうな顔で言う。
「なんでウチを出ていかなかったの? それだけあれば一人でも生活できたはずよ」
「アイツは口には出さなかったけど、おまえと仲直りしたがってた。家を出たら寄りつきにくくなると思ったんだろ」
やはりそうだ。兄貴は強がってはいたが、おかあさんのことはずっと気にしていた。
兄貴は子供の頃、いわゆる神童というやつで中学までは成績はトップで周囲の期待は大きかった。
しかし、高校入ってからは、成績も人並み、国立大学へ進学したが中退、その後は家に閉じこもり10年近く部屋にこもっていた。たまに外出はしていたが、何をしていたかはわからない。
周囲は当然失望した。私もショックで、子供の頃のヒーローに裏切られたと思った。でも心のどこかで期待していた。きっと立ち直ってくれると。だから少しつらく当たったかもしれない。
意外にもおとうさんはさほどショックは受けておらず。
「子供の頃は本当に俺の息子かと疑問に思ったけど、鳶が鷹を生んだわけじゃなく、カエルの子だったんだなぁ。好きにさせてやろうじゃないか。お金をせびるわけでもないし、飯だってほとんど自分で喰ってるだろ」と笑って言っていた。おとうさんらしい楽観的な考えだった。
おかあさんは違った、おかあさんの欠点は少し見栄を張るところがあって、兄貴の子供の頃は周囲に自慢しまくっていた。
その反動は大きく、高校の頃から成績を下がった兄貴を激しくなじり、大学を中退したことがわかったとき、怒りのあまり兄貴に包丁を持ち出し怪我を負わせた。そのときに兄貴の
「斎君だけじゃなく、カーチャンもそうだったのかな? 前世を同じ台詞吐いたあげく、ここまでするなんて、実の母親なら大丈夫だと思ったんだけどなぁ」
というセリフと自嘲的な表情は印象に残っている。どんな意味だったのか、今でもわからない。
それ以来、兄貴は家にはいるがおかあさんと一緒にいることはなく、お互い顔を合わせたときはいつも気まずい様子だった。
兄貴は身の回りのことはひとりでやっていた。食事はわかめとかファーストフード、なんでわかめ? 兄貴は顔を合わさないように、よく夜中に洗濯とか風呂に入っていた。でも夜中に何時間も浴室に入って何をしてたんだろう?
私といるときは明るく冗談ばかり言う兄貴だったが、ふとたまに寂しそうな顔をすることがある。それが、おかあさんのことだろうと思っている。そのへんを聞いても、
「べ、別にお母様なんて知りませんわ。何を言ってますの。イツキちゃん、そんなことありませんわ」
無駄に上手い演技と女性らしい声で誤魔化しているのはみえみえだった。兄貴はうしろめたいことがあるときは丁寧語になるのは家族なら良く知っている。
子供ときから思ったけど、絵本の読み聞かせのときの女性パートとか容姿はともかく、知らない人は電話越しだったら声の低い女性としか思わないレベルだった。
どうしていろんな特技があるのに活かすことをしないのだろう? もったいない。
お母さんと仲直りしていればきっと外で働いて結婚もして、そう思わずにはいられない。
私はたまらずおかあさんに聞く。
「ねえ、おかあさん、どうして兄貴と仲直りできなかったの? 」
「だってあの子は私の期待を裏切ったんだよ。せっかく、子供の頃からいろいろやってあげたのに、買ってやったものだって、習い事だって全部無駄になったじゃないか。それにあの子、たまにとんでもないことして迷惑かけるし、ちいさな子供の頃からにやけ鋭くて気味が悪かったよ」
最後の方のセリフにすべての始まりがある気がした。私は深呼吸して
(おにいちゃん、ごめん! 約束破るね。でも私、許せないよ)
そう心の中で言いながら、母を告発する。
「おかあさん、おにいちゃんは知ってたよ。おかあさんが陰でおにいちゃんを気味悪がっていたこと。でも、おにいちゃんはでもそれは自分が変だからで、大人になればきっと仲良くできるから心配するな、血の繋がった親子なんだから、今回はきっと大丈夫。ないしょにしとこうって言ってたんだよ。10才のときだよ。本当は甘えたかったんじゃないの?
それから、高校入って成績は落ちたのは、彼女にふられたのがきっかけだったけど、このときだっておかあさんには心配して欲しかったんだと思う。でもおかあさんは責めるだけで、そのときのおにいちゃんは自分は何のために勉強してるのかわからなくなって、身動きがとれないって言ってたよ。
そして、大学中退したでしょ。ちょうどおにいちゃんが二十歳になったときだよね。そのときおかあさんなんて言ったか覚えてる? 」
わめいてまくし立てるように声を張り上げる私に、母はとまどいながら首を振る。
「『あなたも大人になったんだから、斎が恥をかかないように少しはましな人間になりなさい』だよ!! おにいちゃんこの言葉で完全に折れたんだって、そのあとはもうわかるよね。とどめ刺されたんだからね」
私は涙ながらに訴える。母は目をそらした。
「でもね、立ち直ってきたんだよ。このこと少し前に話してくれたんだから。笑いながらね『アイツがしたことはもう許すことにした。全然謝る気配がないんだぜ。だから今度はかーちゃんが年取ってボケたところをねらってみるわ』だってさ。結局先に死んじゃったけど」
私は最後まで言ってしまった。本当は黙っているように言われていたのだけれど、言わずにはいられなかった。母は釈然としない表情で何か言っている。
「私だって悪かったと思ってるわ。でもあの子なんの相談もなしに大学を辞めたくせに、謝りもしないで、毎日ブラブラとして…… 就職してれば私だって!! 」
母の言い訳に私は反論する。
「就職はしてなかったかもしれないけど、お金欲しいって言った事なかったでしょう? それに収入はあったよ。おとうさんだって言ってたじゃない!! 」
「どうせ後ろめたいことしてんでしょうよ」
母のこの言葉に私は怒りより悲しみがわいてきた。
「どうして? どうしてそんなにおにいちゃんを貶めるの。信じてあげられないの」
私は涙が出てきた。私やおとうさんにはそんなことないのに、どうしておにいちゃんだけ……
「結局アイツはお母さんしかみてなかったのか? おとうさんはさびしいなぁ」
間の抜けたおとうさんの一言が少しだけ雰囲気を和らげる。こういうところは尊敬している。おにいちゃんも見習いたいところだと言っていた。おとうさんは静かに語り出す。
「ふたりはお互い意地を張ってただけなんだな。俺が言ったって聞きやしない。それから10年近くも張り合うんだから、似たものどうしだよなぁ。今となってはもう遅いが、お金のことはおまえに教えておけば良かった。使い込むのは目に見えていたから、言わない方がいいと思ったのが間違いだったよ」
珍しい。おとうさんが母へ皮肉を言うなんて、基本的におとうさんは母の悪口は言わないし、母のすることに口を出さない。家のことは母にお金を含めて主導権を任せている。その代わり家のことは何もしないでダラダラ過ごしていた。母もそんなおとうさんに文句を言いながら世話を焼いていた。そういう意味では夫婦仲のバランスはとれていた。
「どっちかが先に謝ればふたりはわかりあえていたんじゃないか? この場合親が折れてやらんとな」
「私が悪いっていうの!! あなた」
おとうさんの穏やかながらも鋭い言葉に、母は信じられないと言った顔で答える。おとうさんは首を縦に振ると話を続ける。
「そうだ。でもな、これはおまえが生きてるから言う言葉だぞ。おまえが死んで、アイツが生きてたら、俺は同じように言うからな。
俺は見ず知らずの子供のために死んだアイツを誇りに思う。そう思って親より先に死にやがったバカな息子の死を受け入れる。そうするしかないんだ。そして、アイツを悪く言う奴はおまえでもゆるさんからな」
「あなたまでそんなこと言うの? 」
おとうさんが母にこんなに厳しいことをいうのは初めてかもしれない。いつもは頭が上がらないのに、私とおとうさんに責められて母は下を向いて泣いている。まだわかってくれないの?
「思えば俺たちの子供のしちゃ出来の良すぎる子供だったよ。頭はいいし、わがままも言わないし、斎の面倒はよくみてくれたしな。たまにとんでもないことしたけどさ、アイツが真剣に頼みごとをしたのは、大学やめて好きなことしたいから認めてくれっていう一回だけだった。
……もうその一回しかないんだ」
おとうさんは噛みしめるように言うと涙を流す。私も悲しくなってきた。母はずっと顔をそらしていた。
そんなときチャイムが鳴り来訪者を知らせる。こんな時間に誰だろう?
スーツ姿の出版関係を名乗るの男性がふたりたずねてきた。一人は兄貴と同じくらい。もう一人は40代くらいに見える。
ふたりとも兄貴の知り合いで、死んだことを葬儀の後に知って急いで来たらしい。普段はメールのみでたまに喫茶店で会うことがあるそうだ。
「このたびは突然の訃報を知り、夜分失礼とは思いましたがご訪問させていただきました。まず、ご葬儀に参列できなかったことをお詫びさせていただきます。なにぶん私どもは先生とメールのやりとりが中心でして気づくのが遅れてしまいまして、
ああ! すいません。申し遅れました。私どもは先生とはお仕事で贔屓にさせていただいておりまして、先生の作品を…… 」
「ちょっと待ってください。先生って? 」
「あれっ!? ご存じない? 」
私たちがうなずくと、二人は何か小声で話している。急に顔をこちらに向けると、不自然なくらいの丁寧な笑顔をみせる。
「あの兄はどういった仕事をしてたのでしょうか? 」
「はい。浅野様は我々の出版社で5年前から本を出してまして、ペンネームはアサノヨイチ、新進気鋭の小説家でございます」
は?
私たちはあまりの事実に唖然としてしまう。ただ家にこもっているだけの兄貴が小説家なんてとても信じられなかった。
「その、どんな本を書いているのですか?」
「え~と、デビュー作はともかく、今はジャンルはありません。私小説からライトノベル、大人向け、児童向けまで先生は業界では天衣無縫で知られていまして、文体まで多種多様で、しかも執筆スピードが異常に早く、顔も知られていないので、ご本人にお会いするまで複数のライター集団とばかり思われておりました。テーマ・内容も斬新でよくひとりで考えられるものだ感心しておりました。先生は俺という人間は大したことない。ただ少しばかり特殊な生まれで前世の記憶で日銭を稼いでいるだけさ。創作者としては三流以下だよと謙遜されていました。そのせいか表に出るのを極端に嫌がっておいででした」
?
兄貴の発言とは思えない。小さい頃は嬉しそうにお話を聞かせてくれたのに……
「ただデビュー作にはこだわりがあるようで、最後のプライドだとおっしゃっていました。正直に申しまして、その分野でも人気作ではあったのですが、マイナーだったために御自身の知名度が上がるのが遅くなったと考えております。それでも、他の著作は五年間で月一冊、たまに月五冊とかストックがあるにしても、ありえないペースでした。最近先生の著書の一つがドラマ化されまして、これから大作家への道を進む矢先でした」
「ドラマ化? 」
「白い巨○です。一部では大学病院のある人物モデルにした作品と言われてます。これを機会に大々的に売り出していこうと考えてましたから、今回の訃報は我々にとって大きな損失です」
ふたりは沈痛そうな顔をしていた。私は残念ではあったが心のどこかで誇らしくなってきた、こんな有名なタイトルをおにいちゃんが書いているとは知らなかった。
子供の頃のヒーローは現役に復帰していたんだ。おとうさんも母も信じられないといった表情をしている。
「先生は複数のシリーズをかかえてまして、それが止まるのは先生のファンや私達にはつらいことです。少しでも続きがあるといいのですが」
確かにそうだ。おにいちゃんの本には読者がいる。ファンがいるのだ。手助けをしなければいけない。
「時間のあるときに部屋見てみます。おにいちゃんの部屋からパソコン打つ音よく聞こえていたから」
出版社のふたりはほっとした顔になる。
「ありがとうございます。我々にも希望が湧いてきました。何か見つかりましたらお知らせください。お礼に何か我々にできることはございますか? 」
「私たちは何もないから、斎、おまえが決めていいよ。」
おとうさんが言ってくれる。母は下を向いたまま固まって動かない。さっき、おにいちゃんは後ろめたいことしてたと言った手前もあって何も言えないからだろう。
「斎? 斎ちゃん?」
出版社の人は私の名前を口にする。
「私の名前がどうかしましたか? 」
私が聞くと、二人とも首をぶんぶん振って、
「いえいえ、大変お世話になっているだけでして」
と奇妙な答えを返す。ふたりともなんだか変な目線だ。
??
少し考えて私は要望を伝える。
「あなたがたの出版社でおにいちゃんの代表作をいただけませんか? 」
「「えっ!? 」」
なぜか、ふたりとも固まる。
「だめですか? 」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。……なぁ?」
二人はまたヒソヒソ話している。
「先生の代表作っていったらあれですかねぇ? 」
「あれしかないだろう。いいんじゃないか。先生の想いも伝わるだろう。他の作品はともかくあれの打ち合わせしているとき一番楽しそうな顔してたしな。あとはアトランティス関連のとき… 」
「そうですね」
話は終わった。最後に二人は事務的内容を伝える。
「これで最後になりますが、先生の著作物等に関しまして、報酬や印税もございますから、弁護士にご相談ください。こちらも担当のものを派遣いたします」
でしめくくった。
ふたりが帰ったあと、
「はははっ! すごいなぁ 俺の息子は」
誇らしげで笑顔のおとうさんとは反対に、
「うそよ。あの子がそんなに有名なわけないわ。うそよ。うそよ…… 」
母はうつむきながら、鬱屈した表情で、ずっとぶつぶつ言っていた。この事実だけで私とおとうさんがかける言葉は何もなかった。
数日後、出版社からおにいちゃんの代表作が送られてきた。
文庫本で表紙は黒くイラストにはセーラー服の艶めかしい女性が描かれている。
タイトルは
「斎ちゃんとおにいちゃん」
サブタイトル
「やめてぇ! おにいちゃんそんなところまで」
だった。官能小説、しかも10巻まで出版され連載中だ。官能小説ではヒットしてるらしい。彼女にふられたことをきっかけに主人公が妹と爛れた関係になる物語だ。日常シーンにリアリティがあって、ハードな濡れ場とのギャップが人気の秘密らしい。
……おいっ!!
通称は斎ちゃんシリーズ、赤面・身悶えしながらもなんとか読み切った。濡れ場を除けばどこかで会話したことあるシーンがあって和んだ。最新巻では斎ちゃんは教師になっている。
頭がフットーしそうだよおっっ
おにいちゃんの想いは確かに伝わった。
……悪い意味で、
どうりで収入あるのに家族にいえない訳よね。代表作がこれでは、逆に納得してしまった。
私の涙を返せぇぇぇーーーーーーーー
母の言ったことはある意味正しかったわけだ。
あれからまた、何日か経過した。パソコンはパスワードがかけられて突破できなかった。しかも、無駄にセキュリティが高いため、素人では無理だった。ひらがなで何十文字も入力しないとダメらしい。出版社の人とどうするか相談中だ。パソコンそばのメモ書きにパスワードはレベル48のふっかつのじゅもんをいれてくださいと書いてあった。
意味不明だ。きっとおにいちゃんにしかわからないのだろう。
部屋から「まほーしょうじょりりかるなのは」「まほーしょうじょりりかるなのはえーす」「まほうしょうじょりりかるなのはすとらいかーず」という絵本が出てきた。なつかしい。昔読んでもらったことがある。完成したって言ってたっけ。あのとき素直に読んでもらえばよかった。もうその機会は永遠に来ることはない。
胸がずきりと痛い。
部屋には頭皮関する薬剤がたくさんあった。最新の薬剤から怪しい漢方みたいなものもあった。ただの紐にしか見えないものに『龍の髭』とラベルが貼られていて、女性にも利きますと書かれていた。コレでダシを取って粥を食べると髪が伸びるらしい。うさんくさい。そういえばおにいちゃん髪が薄くなるのをかなり気にしていた。それこそ十代後半から時間をかけて手入れをしていた。十年近く毎日だ。わかめを毎日食べたり、感謝の髪の手入れだと言っていろいろやってたみたい。
……無駄な努力だったみたいだけど、20代前半にはすでに枯渇を始めていた。そのときにスキンヘッドにしたらと勧めたこともあったが、
「それは逃げだ。斎君、俺はこうして髪に感謝しながら手入れしている無駄になるとは思わない」
とカッコつけて言っていた。不思議なことに髪の手入れのスピードは異常に早かったのを覚えている。手元が全く見えなかったような? ……気のせいだろう。目の錯覚よね。
私がいる間も、焼香に何人もの人が来てくれた。ほとんどがアトランティス関係の団体だった。
『アトランティス』全国各地の点在しているカルト集団だ。なんでもおにいちゃんは子供の頃から最大大手の『アトランティス王国戦士団』の幹部をやっていたらしい。私も勝手に幹部にされて、今は死亡したことになっている。勝手に入れて勝手に殺されてしまった。
子供のときの全国幹部会を自宅でおにいちゃんが主催したときは怖かった。十歳かそこらの子供に仮面をつけた大人数の大人が平伏するのだからシュールすぎる。怖がる私にやけに自信たっぷりなおにいちゃんが「心配するな。皆同胞たちだよ。親兄弟より深い絆で結ばれているんだ。ただし現世のことにはお互いに口出ししないのが暗黙のルールだ」わけのわからないことを言っていた。
地元のニュースになったこともある。マスコミにおもしろおかしく取り上げられて、どっかの精神科医が『転生妄想症候群』と名前をつけていた。
普段は静かに活動している集団みたい。しかし、注意しないとアトランティスの記憶があると言っただけで、どこからか聞きつけて戦士階級を調査するらしい。それさえなければ無害な集団ということだった。兄貴は一線は退いたみたいだけど、たまに頼まれて予言の書とか書てたみたい。一緒に投稿した物語もどっかにホームページにあるらしい。
ああ頭痛い。
ガーゴイルと名乗る品の良い白髪の初老の紳士が
「浅野君が先に逝ってしまうとはなぁ。君の協力がなければここまで来れなかった。恩を返せないのが惜しいよ。せめて私の研究調査は完成させるつもりだ。君の資金を元に調査団を組んだんだよ。皆信頼におけるものたちだ。ネオアトランティスの旗揚げだよ。ただバベルの塔は見つかったらどうすべきかな? 」
と寂しそうに言っていたのが印象に残っている。現世ではどっかの大学の教授をやっていて冬月先生というそうだ。あの仮面の? まさか! こんな紳士が仮面をかぶってウチに来たなんてありえない。
あのリーダーらしき仮面は一度見たら忘れない。顔以外の頭と首全体を円錐状の布ですっぽり覆い、額に大きなひとつ目が特徴的で、その目の下には鼻ような線が引かれていた。顔全体は白い。口は細く歪み、赤い塗装で目と涙のようなライン描かれて、恐ろしさを強調していた。他のメンバーは額の目はなかったが似たような格好をしていた。
おにいちゃんはこの人の研究に著作の収入のほとんどを充てていたらしい。母は卒倒しそうになっていた。
……バベルの塔って何だろう?
他にもどこかの病院の偉い人も来ていた。熱心なファンで匿名でファンレターを書いてたらしい。遺影の前で神鳥形態・神鳥撃とか謎の叫び声をあげていた。
正直引いた。おにいちゃんの人脈はいまだに謎が多い。
おとうさんは早々にローン返済する目処が立ったので、定年を迎える前に退職してしまった。仕事に執着はさほどなかったみたい。ローン返せたのは息子のおかげと言っていた。これからはいろいろなところへ旅行するってさ。たぶん悲しみを忘れるために、それから、おにいちゃんの著書をすべて集めたそうだ。
ときどき物言いたげな目で私を見るようになった。
だから違います!!
幸い誤解はすぐに解けた。おにいちゃんのばかぁ
おかあさんはなんだか気が抜けたようみたいになってしまった。馬鹿にしていたおにいちゃんの仕事とそのお金の使い道を知って打ちのめされたようだ。ぼーっとしていることが多くなった。普段はもっとピリピリしていた気がするのに、存在が薄くなっている。なんだかんだいっておにいちゃんに当たることで自分を保っていたんだと思う。
私が何も言わなくても、こうなったんじゃないかと今になって思っている。心配だけどおとうさんがいるから大丈夫だろう。
私は今引っ越し準備中だ。おにいちゃんが死ぬ前に私立から声をかけてもらっていた。わざわざ大きな私立小学校の理事長が直接就職の誘いに来てくれた。隣の県で聞いたことのない町だったが、ここからは二時間くらいだからそんなに遠くない。私は恐縮しながらもその話を受けた。
こうしておにいちゃんは死んでも人生は続いていく。
もしおにいちゃんが事故で死ななかったら。もしお母さんがおにいちゃんのお金のこと知っていたら。もしおにいちゃんがおかあさんに……
…たら …ればが頭をよぎる。
もう遅い。おにいちゃんは死んでしまった。
まだ、心にも澱みたいなものがあるけれど、これには多分一生苛まれる。
もっと優しくしてあげればよかった。もっと話をすればよかった。もっと……
後悔だけが残るけど、仕方がないよね。
……バカなおにいちゃん。
結局おかあさんとは生きてるうちにわかりあえなかったね。お互い意地張ってただけなのにさ。
でも、私は知っているから、おにいちゃんは本当はおかあさんと仲良くしたかったってこと。甘えたかったってこと。
ずっと覚えてるから……
そのことを胸に刻んで生きていこう。
作者コメント
ネット開通と仕事休みの折り合いが悪い。二週間延びた。死ねる。まだまだ週末実家から更新になりそうです。
また来週
久々の外伝
浅野家のその後の物語です。ホームドラマっぽくなったかな? きれいすぎるおにいちゃんはきっと死んだ人はみんないい人補正が働いたせいです。逆に死んだ人にかみついたせいで負の部分を請け負ったのがかーちゃんですね。夫婦仲はいいんですよ。斎とも普段は仲はいい。ただおにいちゃんとの相性は最悪だっただけです。
それから少しだけタイトルらしくなってきました。