<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

とらハSS投稿掲示板


[広告]


No.25730の一覧
[0] 【完結・改訂完了】リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~(×史上最強の弟子ケンイチ)[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[1] BATTLE 0「翼は散りて」[やみなべ](2013/07/16 00:16)
[2] BATTLE 1「陸士108部隊」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[3] BATTLE 2「新たな家族」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[4] BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」[やみなべ](2013/07/16 00:18)
[5] BATTLE 4「星を継ぐ者達」 [やみなべ](2013/07/16 00:18)
[6] BATTLE 5「不協和音」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[7] BATTLE 6「雛鳥の想い」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[8] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[9] BATTLE 8「断崖への一歩」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[10] BATTLE 9「地獄巡り 入門編」[やみなべ](2013/07/16 00:21)
[11] BATTLE 10「古巣への帰還」 [やみなべ](2013/07/16 00:21)
[12] BATTLE 11「旅立ち」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[13] BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[14] BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」[やみなべ](2013/07/16 00:24)
[15] BATTLE 14「機動六課」[やみなべ](2013/07/16 00:25)
[16] BATTLE 15「エースの疑念」[やみなべ](2013/07/16 00:26)
[17] BATTLE 16「5年越しの再会」[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[18] BATTLE 17「それぞれの事情」[やみなべ](2013/07/16 00:27)
[19] BATTLE 18「勢揃い」[やみなべ](2013/07/16 20:54)
[20] BATTLE 19「守護の拳」[やみなべ](2013/07/16 00:28)
[21] BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」[やみなべ](2013/07/16 00:29)
[22] BATTLE 21「初陣」[やみなべ](2013/07/16 20:53)
[23] BATTLE 22「エンブレム」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[24] BATTLE 23「武の世界」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[25] BATTLE 24「帰郷」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[26] BATTLE 25「前夜」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[27] BATTLE 26「天賦と凡庸」[やみなべ](2013/07/16 20:51)
[28] BATTLE 27「友」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[29] BATTLE 28「無拍子」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[30] BATTLE 29「悪魔、降臨す」[やみなべ](2013/07/17 21:15)
[31] BATTLE 30「羽化の時」[やみなべ](2013/07/16 00:39)
[32] BATTLE 31「嵐の後で」[やみなべ](2013/07/16 00:40)
[33] BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」[やみなべ](2013/07/16 00:41)
[34] BATTLE 33「迷い子」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[35] BATTLE 34「I・S」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[36] リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[37] BATTLE 35「ファースト・コンタクト」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[38] BATTLE 36「お子様散策記」[やみなべ](2013/07/16 00:44)
[39] BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」[やみなべ](2013/08/01 03:45)
[40] BATTLE 38「祭囃子」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[41] BATTLE 39「機動六課防衛戦」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[42] BATTLE 40「羽撃く翼」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[43] BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[44] BATTLE 42「闘いの流儀」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[45] BATTLE 43「無限の欲望」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[46] BATTLE 44「奥の手」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[47] BATTLE 45「絆」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[48] BATTLE 46「受け継がれた拳」[やみなべ](2013/07/16 00:49)
[49] BATTLE 47「武人」[やみなべ](2013/07/16 20:49)
[50] BATTLE FINAL「それぞれの道へ」[やみなべ](2013/07/16 00:50)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[25730] BATTLE 8「断崖への一歩」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/07/16 00:20

ゲンヤを筆頭とする108の面々が、現場に到着した時……全ては終わった後だった。
廃ビルは跡形もなく倒壊し、残されたのは瓦礫の山と崩壊に伴って生じた粉塵、そして行く手を阻む野次馬ども。
なんとかヤジ馬どもを押し退け、今は隊員総出で瓦礫の山に生き埋めになった暴漢どもを発掘してる真っ最中。
ただし、現場責任者でもあるゲンヤだけは、翔を背負いギンガを抱えた兼一に青筋を浮かべて詰め寄っている。

「ったく、てめぇはよぉ……」
「あ、あははは…す、すみません、ゲンヤさん」
「謝ってすむと思ってるその態度が気に入らねぇが、まぁいい。
何はともあれ、お前のおかげでギンガも坊主も無事だったわけだしな。だが……」
「だが?」
「とりあえず一発殴らせろ!!」

襟首を掴み、大きく振りかぶったゲンヤの拳が兼一の顔面に突き刺さる。
兼一なら、避ける事は容易い。しかし、散々心配をかけた手前、これくらいは甘んじて受け入れたのだ。
とはいえ、ゲンヤ達側の事情を知らないギンガや翔としては、それにやや非難がましい視線を向けざるを得ない。

「父さん!」
「おじさま!」
「いいんだよ、二人とも。本当にごめんなさい、ゲンヤさん。色々心配かけちゃって……」
「全くだ。確かに許可したのは俺だが、この有様見て俺らがどれだけ肝を冷やしたと思ってやがる」

ゲンヤの愚痴を聞き、さすがに翔とギンガも口を噤む。
よくよく考えてみれば当然の話だが、そんな事があっては誰でも気が気ではいられない。
すっかり眼前で繰り広げられた光景に圧倒されて忘れてたが、ギンガや翔にしたところで最初は兼一の身を案じて大変だったのだ。
それを思えば、ゲンヤのこの反応は至極当然の物と納得してしまう。

「しっかし、こんなことならおめぇが実際どの程度強いか知っておくべきだったな。
 武術の達人、って事しか聞いてなかったが……これほどか」
「父さんは、知ってたの?」
「話には聞いてた…が、まさかここまでやれるとは思ってなかった。
 魔導師五人を無傷で制圧して、その上ビルを一棟粉砕かよ」

あの日、兼一から彼がどういう人種なのかゲンヤは聞かされていた。
だが、実際に武を振るう姿を見せたわけでもなかったので、どこか現実感が薄かったのだろう。
兼一の話を信じてはいても、目の前の惨状ほどの事が出来るとは思っていなかったのだ。
まあ、兼一としてはその認識に少々訂正を加えたいところだが……。

「あのぉ、ビルを壊したのは僕じゃないんですけど……」
「たいしてかわんねぇだろ。ビルの崩壊に巻き込まれて、どうしておめぇらは無傷なんだよ」
「瓦礫とか全部避けたので……」
「だから、避けられねぇだろうが、普通はよ」

さも当然の様にそんな事をのたまう兼一に、ゲンヤは呆れかえった様子で天を仰ぐ。
確かに兼一の言う通りなのだろう。実際、全て避けてしまえば傷は負わない。
しかし現実問題として、雨あられと降り注ぐ瓦礫を回避するなど机上の空論だ。
その絵空事を現実に実行してしまったのは実に信じ難いが、証拠となる人物が目の前にいる。
これでは信じないわけにはいかないのだが、やはり信じられないという複雑な心境の表れだ。

「その上、魔導師を生身で無血制圧かよ。魔導師連中からしたら悪夢だな」
「そうですかね?」

兼一からすれば、魔法も武術も等しく「人の力」である。
魔法と言ったところで、操るのは人、その力の源となる魔力も体内のリンカーコアからもたらされる物。
ならば、武術との間にそれほど大きな差はないと思っているのかもしれない。

「まあ、その事はいい。おめぇとしちゃ、あまり騒がれたくないんだろ?」
「ええ。できれば、この件で僕の名前を出さないで頂けると……」

兼一は別に有名になりたいわけでも、英雄になりたいわけでもない。
彼にとっての正義を貫ければそれでよく、「ヒーローになる」という言葉も一つの表現方法でしかない。
それに伴う名声も社会的地位も、兼一には微塵も執着がないのだから。

「わかった、なら適当に誤魔化しておく。幸い野次馬やマスコミ連中が来る前に現場を抑えられたからな。
 犯人連中の口さえ封じておけば、情報の方はなんとでもなる」
「あの、余り手荒な事は……」

何やら物騒な事を口にするゲンヤに、兼一は恐る恐ると言った様子で制止しようとする。
確かに自分の事は秘密にしてほしいが、それでひどい事をされるのも気が引けるのだ。
いくら強いとは言っても、荒事を好まない気質の彼らしい反応だろう。
そんな兼一の反応に、ゲンヤは「心外だ」とばかりに溜息をついて答える。

「何想像してやがるんだ? 仮にも俺らは公務員だぞ、拷問やら脅しなんてするわきゃねぇだろ。
 誠心誠意、話し合いで黙ってもらうだけだ」

だが、兼一としてはその「誠心誠意話し合う」というのがどこか意味深に聞こえた。
なにぶん裏世界にもどっぷり漬かっていた(誤字に非ず)経験があるだけに、その裏に何かあるのではないかと思ってしまうのだ。

「ま、そんなことしなくても、勝手に黙っててくれそうだがな」
「え? なんでですか?」
「真顔で聞くか? 言ったろ、『魔導師にとっては悪夢だ』ってよ。連中からしたら、直接目の当たりにしても信じられねぇ現実のはずだ。俺だって、今以って信じられねぇ気持ちがあるんだぜ。
 それなら、こっちから何も言わなくても必死に口を噤んでくれそうだ」
「はぁ、そんなものですか」
「とりあえず、発掘とか諸々の後始末はこっちでやるから、おめぇはギンガと坊主を連れて休め」

話はこれでおしまい、とばかりにゲンヤは二人を抱えた兼一に後方の車へ向かうよう指示する。
兼一に疲労した様子は見受けられないが、翔とギンガはその限りではない。
兼一としても二人を休ませることには賛成だ。
しかし、生き埋めになった者達を瓦礫の山から引きずり出すとなると、兼一の手を借りた方が効率はいいだろう。
兼一もそう考え、思った事をそのまま口にした。

「じゃあ、僕も彼らを掘り起こすのを手伝いますよ」
「いらん」
「でも……」
「ちったぁアイツらにも仕事させてやれ。おめぇが一人でカタをつけちまったもんだから、不完全燃焼も良いところなんだよ。それにこっちにもメンツってもんがある、なんもかんも頼り切っちまったら立つ瀬がねぇ」

考えてみれば当然の話で、108の面々にも色々とプライドやらなんやらがあるのだろう。
今回、ほとんど役に立てなかった上に、民間人に頼りきりでは沽券にかかわる。
その辺りの機微がわからないのは、「他人の逆鱗に触れる天才」である兼一らしい。
なにしろ、発掘作業をしている局員たちは、等しく兼一に向けて「余計な事をするな」「俺達の仕事を取るな」とばかりに睨みつけている。
もしこの場にいたのがゲンヤだけではなかったら、今頃怒鳴られるなりなんなりしていただろう。
もしかしたら、反撃覚悟で殴りかかる者もいたかもしれない。

とはいえ、ゲンヤにそう言われても兼一にはその辺りが良く分かっていないのだが……。
まあ、良く分からないなりにゲンヤの言うことに従うことにしたらしい。

「はぁ、良く分かりませんが…わかりました」
「なら良し。ほれ、さっさと向こうで休め」
「はい…………所でゲンヤさん」
「なんだ、まだなんかあるのか?」

頷いたは良いが、その場を動こうとしない兼一にゲンヤは首を傾げた。
兼一の声はどこか申し訳なさそうで、続いて聞かされた言葉にゲンヤはこれまでと違った意味で開いた口がふさがらなくなる。

「すみません……………膝が笑って動けないんです!! あそこまで肩を貸してもらえませんか!」
「………………………………………………………………は?」

兼一の言っている意味がわからず、間の抜けた表情で間の抜けた声を漏らすゲンヤ。
それはなにもゲンヤに限った話ではなく、背負われた翔も、お姫様抱っこされているギンガも同じ。
先ほどまで勇壮に戦い、崩壊するビルから無傷で生還した男の言とは到底思えない。
だが、どれだけ信じられなくても現実は覆らないのだ。

「ゲンヤさん達が来たらなんか緊張の糸が緩んで、さっきから脚に力は入らないんですよぉ!!」

どこか涙目の兼一の言葉通り、良く見ればその膝はガクガクと震えている。
それはもう、生まれたての小鹿の様に。
まあ、もしこの場に翔やギンガがいなければ、いっそ見ている方が気の毒に思うくらいに震えていただろう。
そんな、これでもまだマシな方であることを、当然ゲンヤ達が知る筈もなし。
なので、思わずゲンヤがこう呟いてしまったのも無理はない。

「なんつーか、しまらねぇ野郎だな、おめぇは」

その後、見た目に反してやたらと重い兼一を運ぶのに四苦八苦したり、ギンガと翔の視線がどこか冷たかったり、その事に兼一が酷く傷ついたのだが、所詮は余談に過ぎない。



BATTLE 8「断崖への一歩」



場所は変わって108の隊舎の一室。
犯人達の発掘を終えた後、いくらかの隊員を残して兼一達はこちらに移動していた。
先ほどギンガと翔の治療も終え、兼一と一緒にこの部屋を宛がわれたのだ。

本来はゲンヤも聞きたいところだったろうが、彼はこの隊の最高責任者。
まだまだやらなければならない事は多く、席を外さざるを得なかったのだ。
そうして、ゆっくりと兼一は翔とギンガに問いかける。

「さて……………色々聞きたい事はあると思うけど、まず何から話そうか?」
「「……………」」

兼一の問いに、ギンガと翔は困惑に満ちた沈黙を以て応える。
聞きたい事がないわけがなく、特別聞きづらい雰囲気があるわけでもない。
単純に、まず何から聞けばいいのかがわからないのだ。
それほどまでに二人の頭の中はいまだ整理されておらず、とっかかりそのものがない状態だった。
そして、兼一にしてもその程度の事は承知しているだけに、苦笑しながら助け船を出す。

「……何て言われても、かえって困らせちゃうだけだよね」
「その…………はい。正直、何を聞けばいいのか。どんな事を質問しても、本質から外れそうで……」
「翔も、同じかな?」
「……うん。だから、全部…最初から教えて、父様の事」

兼一の問いかけに、翔は沈黙の末にそう求めた。
何を聞けばいいのかわからない。なら、白浜兼一という存在を一から十まで話してもらうより他はない。
幼い翔なりに出した答えが、それだった。

「そうだね、本当に最初の最初から話し始めるのも手ではあるんだけど……」
「翔には悪いですけど、遠慮させてください。
正直、ただでさえ混乱してるので、上手く整理できそうにありませんから」

実際、それはあまりに非効率的に過ぎるし、何よりも煩雑に過ぎる。
こういった事情説明というのは、要点をまとめ簡潔に済ませるべきだ。
そうでないと話の趣旨がずれたり、筋が曲がったりする恐れがある。
何より、過分な情報は受け手達の頭をかえって混乱させてしまうものだから。
そうして、ギンガが最終的に絞り出した問いは、あの時男達が口にしたのと同じものだった。

「ですから、これだけ教えてください。兼一さん、あなたは……何者なんですか?」

それは、問いというには酷く要領を得ない、あまりにも大雑把過ぎる内容だろう。
本来ならば、もっとポイントを絞った問いをすべきだとギンガも思う。
だがこれこそが、おそらくはギンガ達の胸に渦巻く疑問を一つに集約した問いだから。

「……達人」
「「え?」」
「若輩だけど、一応世間では『達人級(マスタークラス)』何て呼ばれてる人間だよ」

達人、それは辞書的な意味で言えば「奥義に達した」者を指す言葉。
大仰であり、あまり気易く使っていいような言葉ではない。
『極めた』という言葉は、そう簡単に口にできるほど安い領域ではないのだから。

年若いギンガにしたところで、その程度の事は知っている。
そして、つい先ほど見たあの光景は、確かにその言葉に対する信憑性を感じさせるには十分すぎた。
一切の魔法を使わず、身体能力と技術のみで魔導師を制圧する。
確かにそれは、『極めた』者だからできる神業なのかもしれない。

「それが、兼一さんだと?」
「まぁ、一口に達人なんて言っても、本当に技を極めた達人は極僅かだけどね。
 達人級とはいえ、ほとんどの人はその領域には至ってないし。
だから極めた云々じゃなくて、ある一定以上の水準に達した武術家の階層、と思った方が良いかな」

実際、同じ達人同士でもその実力はピンキリだ。
下位の達人と上位の達人との間には、天と地ほどの力の差がある。
なにしろ、兼一の師匠が相手では、並みの達人が束になってかかっても足止め以上の事は出来ない。
もし傷の一つでも負わせられれば、それこそ奇跡に等しい偉業と言えるのだから。

「その人たちなら、魔導士が相手でも渡り合える、と?」
「そうだね、今日戦った感じだと出来ない事はないと思うよ。
 上位の魔導師って人がどれ位強いかわからないから断言はできないけど、達人なら充分に渡り合えると思う」

兼一がゲンヤから聞いた話では、今日戦った魔導士たちは決して弱い部類ではない。
特別強いわけでもないが、それでも平均的な力の持ち主達。
なら、兼一の大まかな見立てでは、ほぼ並みの達人でも互角に戦えるレベルだと踏んでいる。

とはいえ、今まで常識の世界に生きてきた翔にはイマイチその達人という存在がわかりにくい。
技を極めた、という事はその筋におけるトップクラスの使い手。
故に、こんな勘違いをしてしまうのも致し方ないだろう。

「ねぇ、父様。それじゃあ、おっきな大会で優勝しちゃうような人も達人なの?」
(もしそうなら、地球はとんでもない格闘家の巣窟…って事になるのよね)

翔の疑問に、内心でギンガは怖れ慄く。
一魔導士として考えれば、それはあまりにも恐ろし過ぎる想像だ。

そして大会という事は、ある程度出場者のレベルは纏まっている筈。
中には群を抜いて強い規格外もいるだろうが、それこそ希少。
兼一の話から想像するに、その規格外こそが「本当の達人」だと思ったのだろう。
それはつまり、各流派で大会が開ける程の数の達人がウヨウヨしているということになるのだから。
まあ、実際には全然そんな事はないのだが……。

「いや、表の大会に出てくる人に達人はまずいないよ。
あの人たちの場合だと、チャンピオンクラスで妙手レベルと思っていい」
「妙手、ですか?」
「そう、これも達人と同じ武術における一種の段階だね。
段階は大きく分けて三つ、弟子、妙手、そして達人。
目安としては、だいたいプロの一流格闘家で妙手と弟子の間くらいかな」

かつて、妙手になるかならないかくらいの頃の兼一といい勝負をできたボクサーのジャブを、岬越寺秋雨は「一流プロボクサー並みのジャブ」と評した。
そこから推測するに、チャンピオンクラスでようやくそこそこの妙手。
はっきり言って、達人には程遠い。

しかし、だからこそかえってギンガに与えた衝撃はある意味大きい。
一般で一流と称される格闘家ですら、ようやく二つ目の階層に辿り着けるかどうか。
だとすれば、達人という領域は一体どれほどの高みにあるのだろうか。
よほど全体のレベルが低く、達人級で他の世界における一流レベルという可能性もなくはない。
だが、直接目にした兼一の力量はそんなレベルに収まるものではなかった。
なら答えは一つ。一般社会には出られない程に突き抜けた実力者であるという事だ。

「表の大会、って言いましたよね。まさか……」
「うん、ギンガちゃんの考えている通りだと思うよ。
 表の世界で僕の事を知ってる人はほとんどいない。だけど、裏の世界ならそれなりに名は通ってるんだ。
 まぁ、この辺りは僕の師匠達の七光りみたいなものだけど」
「それは、どういう?」
「僕の師匠達はね、誰も彼もがその道を極めた真の達人なんだ。
 僕はその弟子、おかげで色々噂に尾ひれがついちゃってるんだけど……」

謙遜半分事実半分、と言ったところだろうか。
梁山泊の面々は紛れもない真の達人揃い、あのメンツから教わるなど一国の王でも不可能とされる。
そんな達人達に鍛えられた弟子なら強くて当然、という認識が広まっているのも事実だ。
しかし、兼一自身も不本意ながら割と色々派手にやってきた身である。
七光りがないとは言わないが、彼自身の功績によっても名は広まっているのだ。
しかしここで、ギンガは小さな引っかかりを覚える。

「あの、師匠達って……まるで先生が沢山いるように聞こえるんですけど……兼一さんがやってるのって、ジュウジュツなんですよね」
「ああ、柔術“も”やってるんだ」
「「も?」」
「えっと、『柔術』の他に『空手』『ムエタイ』『中国拳法』……これは細かく挙げだすときりがないからこの括りにしておくとして、他に『対武器戦』と長老の『超技』も習ったから…………………6人?」
「「6人!?」」
「ああ…うん、やっぱりそういう反応するよね。もう慣れたけど」

兼一的には慣れ親しんだリアクションだが、二人からすれば「なんじゃそりゃ」と言いたくなるのも当然。
一つの武術を修めるだけでも大変なのは、実際にシューティングアーツをやっているギンガは良く知っている。
超技百八つとやらはよくわからないし、対武器戦は除外するとしても四種の武術。
普通に考えて、あまりにも非常識過ぎる。

「メインが、ジュウジュツなんですか?」
「う~ん、特にメインとかはないよ。全部同時進行で叩き込まれたから」
「そ、そうですか……」

叩きこんだ方もどうかしているが、叩きこまれた方もどうかしている。
同時進行という事は、全てをほぼ同じレベルで修得しているのだろう。
その上で達人。ならば、達人レベルの技量でない流派は一つもないのは明らかなのだから。

「ど、どんな人なの、父様の先生って?」
「何言ってるんだい、翔もよく知ってる人たちだよ」

翔の問いかけにそう答える兼一。
翔からすればそんな無茶苦茶な事をする人の顔が見てみたいという気持ちだった。
しかし、実際には過去幾度となく面識を持っていたりする。

「ほら、曾祖父さんのお家は覚えてるだろ?」
「うん、あの……古いお家だよね」

若干間が空いたのは、まあ言わずもがなだろう。
幼い翔からしても、あの家のボロさ加減は並みではない。

「そうそう、あそこが梁山泊。スポーツ化した現代武術に馴染めない豪傑や技を極めた達人が集う場所さ」
「ええ!?」

しょっちゅうというほどではないにしても、幼い頃から何度も遊びに行った曾祖父の家。
年始の席などには父の友人達も集い、盛大に宴会などをしていたのは翔もよく覚えているが、あの人たちが達人。
あまりにも身近な人たちがそうであるという事実に、翔の理解はなかなか追いつかない。

「じゃ、じゃあ曾祖父さまも、父様の先生なの?」
「ああ、あの人こそが梁山泊最長老、風林寺隼人。武の世界では『無敵超人』とまで称された、我流の達人だよ」
「ちょっと待ってください、我流って…まさか独学なんですか!!」
「確か、特定の武術を学んだ事はないって言ってたかな?」
「それで、達人なんですか?」
「稀にいるんだよ、独学で極めてしまう天才が、ね」

実際、兼一の友人の中にもそんな人物がいる。
特定の師に付かず武を極めた者、そもそも既存のどの武術とも違う独自の武術を編み出した者。
当然と言えば当然ながら、彼らは等しく才能豊かだった。
兼一と違って、『兼一と違って』。大事なことなので二回書きました。

「逆鬼師匠から空手、岬越寺師匠から柔術、馬師父から中国拳法、アパチャイさんからムエタイ、しぐれさんから対武器戦、そして長老の超技百八つ。あの人たちの教えを受けられたのは、僕の人生の中でも最大の幸運だよ」

過去を懐かしみ、遠い目をする兼一の表情にはどこか神聖なものがある。
兼一にとって彼らは家族、共に生活をした間柄であり教えを受けた恩人。

だが、それだけではない。
彼らは白浜兼一という武術家の、『親』そのものなのだから。育て導き守り慈しんでくれた、正真正銘の。
若い頃は数多の無茶無理無謀に頭を抱えたものだが…………もちろん、今でも文句の一つは言ってやりたいと思っている。しかし、それ以上にあの人たちの弟子になれて良かったと思っているのだ。
彼らの弟子でなければ、今の兼一はここにはいないだろうから。

「…………………なら、兼一さん。あなたが翔を格闘技から遠ざけようとしたのはなぜなんですか?」
「ギン姉さま?」
「あなたの顔を見れば、あなたが格闘技をどれだけ愛しているのかわかります。
 そんなあなたが、なぜ翔が格闘技をやることあんなに……」
「あんなに反対したのか、かい?」

兼一の問いかけに、ギンガは無言でうなずく。
今までは兼一が平和主義者であり、戦いに通じる可能性があるから反対していると思っていた。
しかし、兼一は優れた武術家。その事実を知った今だからこそ、その真意が良く分からない。
武術家だからこそ息子が武術をやることに反対していた、それはわかった。
だが問題なのはその理由、その根幹にある想いがまだギンガにはわからない。

達人になる為にどれほどの才が必要なのか、兼一以外に達人を知らないギンガにはわからない。
しかし、翔ほどの才能があれば決して不可能ではないのではないかとギンガは思う。
それも、兼一という優れた武術家の教えを受けることができれば。

近しい人が自分の後を追ってくれる、それは基本的に喜ぶべきことの筈。
ギンガ自身、妹であるスバルがシューティングアーツを本格的に始めた時は嬉しかった。
だからこそ、なぜ兼一がアレほどまでに頑なに否定したのかがわからない。

「前にも言いましたが、翔には才能があります。あなた以外に達人を知らない私には、翔が達人になれるかどうかはわかりませんが、一角の人物に成れるという確信は今も変わりません。
 まあ、今更ながら本当は釈迦に説法だった事を痛感したわけですけど……」
「…………………」
「でも、だからこそわからないんです。これだけの才能を持つ翔に、なぜあなたは自分の技を教えなかったんですか? なぜ、翔が格闘技をやる事をあんなに反対したんですか?
 …………………………………翔の才能は、達人になるには足らないんですか?」

自問自答の末に、ギンガが行きついた答えはこれだった。
兼一が翔に武術を教えたがらない理由があるとすれば、才能が乏しいから。白浜兼一という人物の背景を知らないギンガには、そうとしか予想のしようがなかったのだ。
だが、それはそれでやはり疑問が残る。翔は紛れもない天才。これほどの才能ですら足りないとなれば、どれほどの才能が必要となるのか。そして、その頂に立つ兼一はどれほどの才能の持ち主だったのかと。
まあ、実際には思い切り着眼点が間違っているのだが……これは才能ではなく、心の問題なのだから。
そして今となっては、兼一にそれを隠す理由はない。

「いや、ギンガちゃんの見る目は間違いないよ。僕から見ても、翔は本当に筋がいい。
 翔に才能がないとすれば、ほとんどの人は凡人さ」

その言葉に、翔とギンガの顔がほころぶ。
これほどの武術家に才能を認められ、手放しにほめられるとなれば相当だ。
兼一の身内贔屓や親バカと言う可能性もなくはないが、兼一は基本的に翔には割と厳しい。
優しいし甘いところも多々あるが、区別するところはしっかり区別している。
意味もなく甘やかしたりすることはない。
それを知っているからこそ、兼一の言葉が掛け値なしの事実である事が分かる。
しかし、だからこそ……

「でも、それならなんで……」

ギンガの予想が外れていたことの証明となる。
才能が足りないわけではない。だとすれば、最早ギンガに予想できる範囲に兼一の真意はないことになる。
兼一もまた、その真意をゆっくりと語り始めた。

「確かに才能はあるよ。ただ、達人に成れるかと聞かれれば……わからない」
「え?」
「翔ほどの才能があっても、達人に成れる可能性は決して高くない。
仮に無限の努力と壮絶を極める修業をしたとしても、僕と同じ所まで来られるかどうか……」

兼一の言葉に、ギンガは息をのんだ。
努力するのは当然だが、そこまでやって成れるかどうかわからない。
今更ながら、兼一がどれほど果てしない高みにいるのか思い知らされる。
まだ才能やらなんやらをよく分かっていない翔ですら、思わずゴクリと喉を鳴らすほどの何かがそこにはあった。

「当然、才能にかまけて努力を怠れば達人になんてなれはしない。
 十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人、なんて言葉もある。相応の練磨がなければ、いずれは凡人になるだろうね」
「そして、あなたがしようとしていたのは翔を凡人にする様な育て方だった……」

別に、ギンガに悪意があっての言葉ではない。
単純に、兼一の言を受け入れればそういうことになるというだけの話。
誰がどう見ても、兼一のして来た事は翔の才能を埋もれさせる愚行に他ならない。

「ような、って言うのは違うよ。紛れもなく、僕は翔を凡人にしようとしていたからね」
「父…様?」
「なんでそんな事を!? 兼一さんほどの格闘家が、なんで!!」

兼一の予想外の告白に、翔は顔色を失い、ギンガは声を荒げる。
どこの世界に、我が子の才能を踏み躙ろうとする親がいるだろうか。
ましてや、その道の先輩であり極みに達した達人。
それが同じ道を歩める才能を潰えさせようとするなど……。
まさか、翔の才能を恐れたというわけでもあるまいに。
そしてその答えは、兼一のどこか悲しみを宿した瞳と共に語られた。

「…………美羽さん、お母さんとの約束なんだ」
「え?」
「母様との…約束?」
「美羽さんは、僕にとって憧れだった。辛い修業の日々を耐え抜けたのも、いつかあの人を守れるくらいの武術家になりたかったから」
「まさか、奥さんも?」
「うん、風を斬る羽の様な軽やかで鋭い身のこなしから、『風斬り羽』と謳われた達人だった」
(そう言えば、兼一さんの先生の一人で翔の曽祖父さんは『風林寺』で、兼一さんとは姓が違う。
 兼一さんが婿養子に入っていたり、翔のお祖父さんの代で別の姓に変わってたりする可能性もあるけど、そうじゃなかったのなら、『風林寺』というのは翔のお母さんの旧姓の可能性もあるのよね)

兼一のインパクトが強くてつい失念していたが、生きているかはともかくとして翔にも当然母親はいる。
その母親が達人ではないとは言い切れない以上、その可能性は当然あってしかるべきものだ。

「『翔が武門に入るかは、翔自身に選ばせてほしい』それが美羽さんの遺言だった」
「でも僕、父様にちゃんと格闘技をやりたいって……」

兼一に翔はそう言うが、兼一は眼を閉じて首を振る。
美羽の言わんとしていた事は、そんな表面的な話ではない。
二人が知らない武の道を行く恐ろしさ、危険性。
いまから兼一はその一端を口にする。

「いいかい、翔。武術というのはね、中途半端に覚えるのが一番危険なんだ」
「中途、半端?」
「そう。君ほどの才能があれば、普通にやっていてもある程度のレベルには届くと思う。親バカかもしれないけど、君にはそれだけの才能と努力できる真摯さがある。
 だけど、かえってそれが危険なんだ。力に飲まれ、修羅道に囚われ、闇に堕ちる危険が。中途半端に身に付けた武が、君自身の身と心を滅ぼしてしまうかもしれない」
「兼一さん達は、それを恐れたんですか?」
「…………うん。翔の才能は、軽率な程簡単に殻を破れてしまう可能性がある。蛹から出たばかりの蝶、卵から出たばかりの雛、みんなその時が一番危ないのと同じだよ。
それに、武術は辛く苦しく、恐ろしい物。僕も美羽さんも武門に入った事は後悔していない。むしろ僕にとっては、武はかけがえのない恩人だよ。武人として、後を継いでほしいという思いは当然ある。
 でも同時に、親として翔には平穏に生きてほしいと思う。そんな危ない生き方をせず、穏やかに。
 多分美羽さんも、同じ気持ちだったんだと思うよ」

二人の知らない最果てを知る兼一。その言葉だからこそ、二人は何も口にできない。
兼一はひとえに、我が子の未来を案じ、幸福を願ってくれていたのだ。
武の道を行くことの恐ろしさを知るからこそ、翔の才能の危うさを知るからこそ。

「才能がある人なんていくらでもいる。でも、才能がある人が大成するとは限らない。
 だけど大成した人は皆何かしらの信念を持っている。武術において真に重要なのは、才能ではなく信念。
 その信念なくして武の道を歩めば、才能があるからこそ君はきっと後悔する。
 信念は柱。その柱なくして歩めば、いずれ道を踏み外してしまうから……」

それが兼一の危惧。ただでさえ翔は風林寺と暗鶚、二つの血統を継ぐ者。
その宿命は、いつ彼を闇の底へ誘うかわからない。
かつて母である美羽が闇に落ちかけた時の様に、祖父である砕牙が闇に落ちたように。
だからこそ、その誘いに抗うことが出来る意思、信念を持たなくば武門に入るべきではない。
そうして兼一は、父ではなく武人の顔で重々しく問いかける。

「翔、あの時の……強くなりたいという言葉とその想いに偽りはないね」
「……………」

翔は答えない。あの時の言葉に嘘はないし、心からの希求だった。
紛れもない本気、本心からの渇望。ギンガを助ける為に傷つく事を微塵も恐れはしなかった。
恐ろしかったのは守れない事、自分の大切な人が傷つけられようとするその時に何もできない事だ。
しかし、その想いが兼一の求める水準に達しているかといえば、翔にもわからない。

「答え、られないのかい?」
「…………………嘘じゃない、と思う。でも、わからないんだ。
 僕のこの気持ちが、本当に父様の言ってる『信念』なのか……」
「そうか」

虚勢を張って「信念はある」と言い張る事も出来ただろう。
だがそれでも、翔はそれをしなかった。そんなその場しのぎの嘘は、簡単にばれる気がしたから。
仮にバレなくても、いずれは自分自身の身を滅ぼす。それを父の真剣な目が教えてくれる。
ならどうして、そんな安っぽい嘘がつけようか。
気がつけば、ありのままの本心を語っていた。そんな翔に対する兼一の答えは……

「なら、僕はもう反対しないよ。君が思う様にするといい。
 武を学びたいというのなら、出来る限り応援……」
「待ってよ、父様! だって僕、信念って言うのがあるかどうかだって……」
「翔……兼一さんがこう言ってくれたんだから、きっと翔の胸にあるのは……」

兼一が武を学ぶことを認めた。なら、翔の中に信念の光を見たということだろう。
そう解釈したギンガは、翔を励まそうとそんな事を口にしかける。
だが、当の兼一はそのギンガの言葉を一蹴した。

「バカ言っちゃいけないよ、ギンガちゃん。
翔のそれは、とても信念なんて呼べるほど大層なものじゃないさ」
「え? で、でもそれならなんで!?」
「いいかい、ギンガちゃん。なんのかんの言っても翔はまだ4歳の子どもだよ?
 今の翔にあるのは、子どもの意地がいいところさ」
「な、なら、なんで……」
「簡単な話だよ。梁山泊に入門したばかりの頃の僕にも、覚悟や信念と呼べるほどの物はなかった」

実際、入門したばかりの頃の兼一の目的は単に絡んでくる不良の撃退であり、ひいては自身の身の安全に過ぎなかった。美羽へのあこがれはあったし、ああなりたいという思いもあった事は事実。
しかし、師達の前で吐露したあの思いですら、辛うじて信念と呼べる程度の物。
強固なものかと問われれば、正直兼一ですら言葉を濁す。

「でもね、僕自身の最初の想い、それが僕の信念の芯なんだ。
アレから色々な事があった。沢山修業して何度も戦って、次第に『想い』が本物の『信念』や『覚悟』へと昇華していったんだ。
 修業はね、何も力を鍛えて技を磨くだけのものじゃない。心を鍛え、想いを磨き、信念へと昇華し覚悟を培うものでもある。いまは子どもの意地でも、あとはそれを育てるだけさ」

はじめから確固たる信念を持つことなどできやしない。
力や技、勇気や心と同じく、信念や覚悟も修行と戦いを経て鍛えて行くものなのだから。

「あの言葉に偽りがないのなら、迷いがないのならそれで十分さ。
 極める為には信念が必要だけど、その種はすでに君の胸にある。
 その種を、しっかりと正しく育てるんだ。いいね、翔」
「…………………………………うん!」

父の言葉に、翔は力強く頷き返す。
今はまだ儚くも幼いこの想いを、誰にも恥じる事なき信念へと育てて行く事を誓う。
誰よりも尊敬する父と、精一杯の愛情を残してくれた母に。

そうして、兼一は翔からギンガへと視線を移す。
密かに翔と兼一のやり取りに感動していたギンガは、まさか自分の方を向くとは思わず僅かに動揺していた。

「さて、ギンガちゃん」
「え? あ、は、はい!」
「不肖の息子だけど、これからもよろしく指導をお願いします」
「はい…………………………って、私がですか!?」

兼一があまりにも平然と言うものだから、思わずうなずくギンガ。
しかし、すぐにその違和感に気付き驚きも露わに目を見開いている。
とはいえ、兼一はそんなギンガを余所に深々と頭を下げた。

「うん。この前はあんなこと言ったのに身勝手だとは思うけど……」
「そ、そうじゃなくてですね! 兼一さんが教えるんじゃないんですか!?」
「でも、翔の師匠はギンガちゃんでしょ? さすがに友人の弟子を横取りするなんて悪趣味な事はしないよ」
「ですから、そういう事じゃなくてですね! ……そもそも、兼一さんの真意も知らずに勝手な事を言っていた私にそんな権利も資格も……」

ギンガとしては、兼一がどんな思いで反対していたのかも知らずに勝手な事を言っていた自分が恥ずかしくてならない。当然、そんな自分に今後も翔の指導を続けて行く資格などないと確信している。
何より、自分よりもはるかに武術家として優れた人物がいて、その人はずっといつか翔が武門に入ることを楽しみにしていたに違いない。はっきり言って、横取りというのであれば自分自身だとギンガは思う。
勝手な思い込みでひどい事を口にし、敵視し、反発し…挙句の果てに未熟な腕で余計な事を教えてしまった。
今となっては、なんと浅はかだったのかと自己嫌悪の極致に陥りそうな気持ちだ。
せめてここは潔く身を引くのが、翔の為と思って疑っていないのだから。
しかし、兼一はそれこそ勘違いだとギンガを諭す。

「その事をギンガちゃんが負い目に思う事はないよ。ギンガちゃんの言っていた事は正論だし、僕のやった事は翔の才能を踏み躙る最低の行為だったんだから。それも、今までわかっていて翔の才能を育てる努力を怠った、今更だけど…僕はいい親とは言えないね。
 僕の方こそ、ギンガちゃんにお礼を言わなきゃいけない。ありがとう、この子の才能を見出してくれて、この子に武術を教えてくれて。なにより君は翔の想いをちゃんと汲んでくれた。
本当に…何とお礼を言って、どう謝ったらいいのか……」
「でも、私なんかが教えるよりも……!」
「そう卑下することはないよ。こっそり見させてもらったけど、ギンガちゃんの教え方は的確だった。
さすがはスバルちゃんの師匠だと思う。武人としてなら僕の方が先輩なんだろうけど、指導者としてなら君の方が先輩だ。恥ずかしながら、この年になっても弟子の一人も取った事がないからね」

実際、ギンガと違って兼一の指導者としての力量は未知数。
優れた指導者かもしれないし、あまり良い指導者とは言えないかもしれない。
その点、ギンガはスバルを育てた実績があるし、兼一の眼から見ても良い指導者だと思う。
本人に未熟な点があり、指導者としてもまだまだ至らないところは多々あると思うが、兼一に人の事を言う権利はない。

「翔の才能を見出して、それを育て始めたのはギンガちゃんなんだ。ずっと放置し続けてきた僕に、口出しをする権利も、文句を言う資格もない。ああ、でも、あと少しで僕たちは地球に戻るんだよね。
 そうなるとギンガちゃんとも離れ離れか……それは翔が可哀そうだし、いっそこっちに移り住むことも考えた方がいいのかな? それなら、翔もずっとギンガちゃんの指導を受けられる筈だし……」
「で、ですから、なんでそんな事になるんですか!? 私みたいな未熟者に教わらなくても、兼一さんって言う達人から教わった方が言いに決まってます!
 …………………………それに、私じゃ翔を達人にしてあげられる自信がありません。だって、わたし自身がそこにいないんですから」
「そんな事はないよ。さっきも言ったけど、重要なのは信念と覚悟。それさえあれば、極端な話師匠がいなくても達人になる事は出来るんだ。もちろん、それは生半可なことじゃないけどね。
 それに、ギンガちゃんはまだ若いし成長期だ。これから成長していけば、ギンガちゃん自身が達人級の腕前になることだってあり得る。そういう師弟の形も、僕はありだと思うよ」

あくまでも、兼一は翔の師はギンガであるとして譲ろうとしない。
確かに最初に教え始めたのはギンガだし、ギンガこそが正当な翔の師と言えるだろう。少なくとも今のところは。
しかし、ギンガからすればより優れた人物に教えを受けた方が、断然翔の為になると思う。
自分では兼一や美羽の危惧したような結果になりかねない。それならいっそ、兼一が指導した方が遥かに翔の為になる。

何より、兼一の話を聞いて後ろめたさがあったのだ。
兼一はずっと翔がこの道を選ぶ日を待っていた。
選ぶかどうかわからない、選ばないならそれでもいいと思っていただろう。
だが、いつか選んだその日には自分自身の手で育ててやりたいと思っていたに違いない。

にも関わらず、知らなかったとはいえギンガは翔を横取りした。
兼一からすれば、鳶に油揚げをさらわれたような気持だった筈。
そんな自分の無自覚の非礼に、ギンガは正直穴があったら入りたい気持ちなのだ。

「兼一さんは、翔に教えたくないんですか?」
「……………そうは、言わないけど……」
「それなら、やっぱり兼一さんが教えるべきです。兼一さんに学んだ方が翔の為になりますし、兼一さんもずっとその日を待っていたんでしょう? なら、それがあるべき姿なんですよ」
「いや、それは違う。本当に武術をやろうとしている人の前には必ず師が現れるものさ。ギンガちゃんが翔と出会って、武を教えることになったのは必然だったんだと思う。だから、翔の師はやっぱり僕じゃない」
「そんな事……」

兼一は兼一で、翔に今まで教えようとしなかったことに後ろめたさがある。
また、翔の為に本気で怒り、その才能を買ってくれたギンガ以上の資格が自分にあるとは思えないのだ。
教えたくないと言えば嘘になるし、本音を言えば自分の全てを伝えたいと思う。
しかし、そんな事を言う資格は、当の昔になくしたのだと。

とはいえ、こんな調子ではいつまでたっても平行線だ。
だがそこで、唐突に三人が貸し与えられた部屋のドアが開く。
その向こうから姿を現したのは、ある意味救世主とも言える第三者。

「あ? なにやってんだ、お前ら?」
「父さん」
「ゲンヤさん」
「おじさま」

仕事に一区切りがつき、様子を見に来たゲンヤだった。
また何やらもめている兼一とギンガ、その周りでオロオロしている翔を見て呆れている。
事情は良く分からないが、アレで二人とも妙な所で頑固だ。
その事を知っているだけに、とりあえずは双方の主張を聞くだけ聞いてみることにするのだった。



  *  *  *  *  *



その晩のナカジマ家。
少々久方ぶりの重苦しさのない食卓を終え、翔が寝静まった頃。
ギンガは特に理由もないまま庭先に出て夜空を見上げていた。

(なんだか、変なことになってきちゃったなぁ……)

兼一とギンガ、どちらが翔の指導をするかという討論は結局答えが出なかった。
どちらにもそれなりに理があるのだが、正直感情的な意見が多すぎるというのがゲンヤの感想。
感情的に自分がふさわしいと主張するのではなく、負い目やら引け目から相手の方がふさわしいという変な主張の応酬が何とも厄介である。
しかも、どちらも真剣に翔の事を考えての結果だから始末に負えない。

ギンガからすれば、兼一に学ぶのが本来あるべき姿。兼一の方が師に相応しい力量を備えていると考え、今までがありえてはならないイレギュラーだったと思っている。
兼一の場合だと、最初に翔を指導したギンガこそが師、指導者として欠陥があるわけでもないなら、この巡り合いもまた必然だったという考え。何より、今まで何も教えて来なかった自分には資格はないと本気で思っている。
そこで、最終的にゲンヤが出した解決案が……

(翔自身に決めさせるのは、考えてみれば……っというか、まず真っ先に考えるべきところよね)

すっかり失念していたのだが、翔自身の想いを聞くのをすっかり忘れていたのだ。
お互い、翔は必ず相手の下で学ぶことを希望する筈だと信じて疑っていなかったのだろう。
とはいえ、その原点に回帰した末に出た答えというのがまた難儀だったりする。

(翔自身、答えを出せなかったのよねぇ……まあ、当然と言えば当然なのかもしれないけど)

そう、結局翔にも答えは出せなかった。
姉と慕うギンガから学んだシューティングアーツには当然思い入れがある。
かと言って、父が母と共に練磨してきた技の数々に興味がないと言えば嘘になるだろう。
いっそのこと二人から、と思わなくもなかっただろうが、それはギンガから固辞した。

正直、兼一とギンガでは格闘家としてのレベルに差があり過ぎるのだ。
複数の師がつく場合、出来るなら師同士のレベルは均一かそれに近い方が良いに決まっている。
師同士の間で大きく差があれば、必然的に翔の中に歪みが生じるだろう。
一つの技は異様にレベルが高いのに、もう一方のレベルはそこそこ。
これが翔の成長に良い影響を与えるとは到底思えない。

(どうせ習うんなら、やっぱり技術が上の人に習った方が良いに決まってるわ。
 私じゃ、兼一さんの足元にも及ばない。単純な戦力じゃわからないけど、格闘家としての格が違いすぎるもの)

これらが、ギンガが兼一と二人で翔の指導をすることを拒んだ理由である。
まあ、それだけが理由というわけでもないのだが……。
とそこで、ギンガは暗い夜の闇の中でゆっくりと、むしろゆっくり過ぎる動作で動く人影を発見した。

「…………………兼一さん?」
「あ、ギンガちゃん。どうしたの? 明日も早いんだから、もう寝た方がいいよ」
「その、なんだか眠れなくて……」
「う~ん、今日あんなことがあったし、無理もないのかな?」
「練習、ですか?」

そう言えば、夜な夜なこっそり郊外で練習していたのをついさっきギンガは聞いた。
翔をはじめ、周りの人間に気付かれないように注意していたらしいが、もうその必要がないからこうして庭先でやっているのだろう。

実際、兼一のやっているものは見慣れない動きではあるが、それは紛れもない武の動き。
ゆっくりゆっくりと行われる一連の動作は、翔のやるそれよりもはるかに遅い。
むしろ、この遅さを維持する方が困難な程に。
にもかかわらず、速度は一定を保たれ、指先の動き一つとっても淀みがなくブレもない。
『美しい』と、兼一の動きを見てギンガは素直にそう思った。
ただし、この一言を聞くまでは……だが。

「うん、僕は覚えが悪くてね、少し怠けるとすぐに劣化しちゃうから」

正直、この一言に『何をバカな』『悪い冗談だ』とギンガは思う。
兼一の行う動作は、一つ一つが流麗で無駄がない。
地球の武術に無知なギンガだが、それでも「まるで教本の様な動作だ」と思う。
侮蔑を込めた教科書通りとは違う、それ自体が一つの理想形といえる動き。
そんな事が出来る人間が、どうして『覚えが悪い』というのか。どうして、『劣化』などするだろう。
ギンガには、そんな様子が微塵も想像できない。

廃ビルの時と違い、今のギンガの精神状態は平常そのもの。
だからこそ、改めて思い知る。
自分と兼一との間にある、隔絶した技量の差を。

(これが、達人。一つの技術を極めた人の動き。いったい、私との間にどれだけの差があるの?
 いったい、何十年かければ、私はこの人と同じ事が出来るようになるの?
 まるで…想像がつかない。遠過ぎて、綺麗過ぎて、手が届く自分が想像できない)
「………ちゃ…」

それはかつて、兼一自身が師達に抱いたものと同じ感情だ。
圧倒的すぎる差の前に、嫉妬や羨望すら生まれない。
あるのはただ、完成され研ぎ澄まされた技術への感嘆の念のみ。
だが、ギンガの心の中には、それらとは別の何かが芽生えていた。

(なのに、なんでだろう? 完璧すぎるほどに完璧なのに、どこか近い物を感じる。ううん、『近い』というのとも違う。これは…『親しみ』? よく、わからない。鋭いのに、どこか鈍臭い様な……)
「…ン…ちゃん」

鈍臭いというと語弊があるが、上手い表現の仕方がみつからないギンガ。
人を魅了し、視線を離させない何かがあるのは間違ない。
にもかかわらず、兼一の動作には全く別種の『何か』も混在している。
しかしその答えが出る事はなく、ギンガの意識は外部からの声によって引き戻された。

「お~い、ギンガちゃん」
「ひゃうあ!?」

突然目の前に現れた兼一の顔に、素っ頓狂な声を挙げてのけぞるギンガ。
その腕は無意識のうちにファイティングポーズを取り、いつでも兼一の事を殴れる体勢だ。
まあ、心の片隅では『何をやっても当たらないだろうな』という諦観が宿っているが。

「えと、驚かせちゃったかな?
 気配は消してない筈なんだけど…なんだかボーッとしてたみたいだし、大丈夫?」
「だ、大丈夫です! 大丈夫過ぎて大丈夫じゃないくらい大丈夫です!!」
「言ってる意味は良く分からないけど、大丈夫だって言うなら……」
(ああもう! 何をそんなに慌ててるのよ、私!! ただちょっと近くで顔を見ただけなのに!!)

内心の動揺を必死に抑えながら、ギンガは慌てた様子で手を振って『気にするな』と意思表示する。
さすがに、兼一の演舞に魅入られていたとは恥ずかしくて言えない。
何が恥ずかしいのか、その理由さえ本人は良く分かっていないが。

まあ、大丈夫というなら兼一とて聞きはしない。
兼一は確かに人の逆鱗に触れる天才だが、いい加減年を重ねて多少はマシになっている、多少は。

「じゃあ、何か悩み事?」
「え?」
「いや、なんか庭に出てきた時もどこかぼんやりしてた様子だし、どうしたのかなって?
 ほら、これでも三十路近いおじさんだからさ、話を聞くくらいはできるよ」

そう、少しおどけた様子で兼一は笑いかける。
一回り年上の貫録か、あるいは余裕か。いずれにしろ、悩み慌てた自分がバカの様にギンガは感じる。
だからだろうか、思わず口をついたのは先ほどの悩みとは別の話題だった。

「その…兼一さんはすごいなって」
「え? 僕が?」
「はい。だって、あんなに色々翔の事を考えて、奥さんとの約束もしっかり守って、本当にすごいですよ」
「そ、そうかな?」

ギンガの言葉に、兼一はどこか困った様子で頭をかく。
本当に、何がすごいのかさっぱり分かっていないのだろう。
凄い事を凄いと思っていない事、それが一番ギンガはスゴイと思う。

(これが、この人にとっては当たり前なんだ。翔の事を大事に思うのも、奥さんとの約束を守るのも、全部当たり前。翔に隠し続けるのは大変だった筈なのに、それを大変だなんて全く思ってない。
 ……………………格闘家だけじゃなくて、そもそも人として全然及ばないなぁ)
「えっと、ギンガちゃん?」
「あ、すみません。でも、本当にすごい事だと思うんです。私なんて、兼一さんと違って全然翔の事を考えてなくて、翔が格闘技をすることがどれだけ危ないかなんて……」

全く、想像もしなかった。
役者が違うからといえばそれまでだが、それだけでは割り切れないものをギンガは感じている。
翔の眩い才能に目が眩んでいた事は否めない。それだけ翔の才能は素晴らしく、輝きに満ちている。
だがそれでも、指導者としてそれに目を奪われるだけではいけなかったのだ。
その先にあるものを、待ちうけるものを、もっと考えるべきだった。
兼一の真意を知り、ギンガはそんな自分の浅薄さを恥じる。
ただし、これが兼一になると別の意見になるわけだが。

「そんな、大層なものじゃないよ。結局、僕のしていた事は親のエゴなんだから」
「え、エゴって、そんなことは……」
「いや、エゴ以外の何物でもないよ。親の勝手な都合で武から遠ざけて、武を学ぶことに反対する。知らないならまだしも、才能がある事を知っててこれだ。その上、武門に入るのなら僕が教える、なんて意気込んで。
 邪魔をしておいていざとなれば…本当に身勝手だ。正直、恥ずかしいよ」

誰にとは兼一も言わない。しかしなんとなく、それが兼一にとって大切な人に向けられている気がして、ギンガの胸が僅かに傷んだ。
見方によっては、兼一の言も正しくはある。子どもの意思を尊重していると言えるが、その機会を設けようとしていなかったのならその限りではないのだから。

「あの、私が言うのもどうかとは思うんですけど、この話…もうやめにしませんか?
 翔は、多分私の事も兼一さんの事も悪くは思っていないと思います。あの子は、そういう子です。
それに、結局翔自身が私達の事をどう思うかが重要なのであって、私達が私達をどう思うかはそれほど重要じゃないと思いますから」
「そうだね。確かに……ギンガちゃんの言う通りだ。何を言ったところで、それも翔への押し付けでしかないもんね。思う事は簡単にはやめられないけど、口にするのだけでもやめた方がいいかな」
「はい。そうじゃないと、あの子色々気を揉みそうですから」
「ふふ、確かにね」

恐らく、ギンガや兼一がまたこの話題であれこれ悩んでいることに気付けば、翔はきっと悲しい顔をする。
それは二人にとっても本意ではないし、お互いに言いあっていても意味のない事柄。
ならせめて、翔の前だけでもこの話題は慎むべきということで二人は合意した。

「でも、やっぱりギンガちゃんはしっかりしてるよ。僕の若い頃とは大違いだ」
「そ、そんな!? 私なんて、全然……」
「そんな事はないさ。こうしてしっかり社会に貢献して、周りの事を気にかけてる。
 あの頃の僕なんて自分のことで手一杯で、周りを気にする余裕なんてほとんどなかったのに……」

実際、ギンガくらいの頃の兼一は、日々の地獄の修業とラグナレクやYOMIとの戦いの真っ最中。
正直、自分が生き残る為の力をつけるだけで精一杯だった時期だ。
一応周りの事は彼なりに気にしていただろうし、守りたい人、共に闘う仲間もいた。
だがそれでも、やはり今のギンガほどしっかりとしてはいなかったように思う。本人の主観だが。
そもそもそんな余裕が存在しない生活だったといえば、全く以ってその通りなので、あながち間違ってもいない。

「私だって、それほど余裕があるわけじゃありませんよ」
「……そうなの?」
「当たり前じゃないですか。兼一さんがどう思ってるか知りませんけど、私なんて高々16の小娘ですよ。
 明日のことだって良く分からなくて悩んで、この先の目標に届くかどうかわからなくて悩んで、妹に追いつかれやしないかと悩んで、最近は壁にぶつかって悩んでます。
今は対人関係も追加されて、本当に悩んでばっかりです」

生来の面倒見の良い性格のせいで実年齢より大人に見られがちなギンガだが、やはり中身は十代半ばを過ぎたばかりの少女。
それなりに悩みも多く、その悩みに答えが出せない事も当然多い。

どうしても漏れてしまう溜息をつきながら、ギンガは横目で兼一を見る。
その視線に兼一が気付かない筈もないのだが、特に気にした素振りも見せない。
どうやら、単に視線を向けただけと思ったのだろう。
十年やそこらでは、相手の視線から意図を察することができるほどの器用さは身に付かなかったらしい。

「ああ、なんとなくわかるなぁ。僕も若い頃は色々悩んだものだよ、逆鬼師匠も『青春は悩む為にある』何て言ってたけど、確かにその通りだったなぁ……」
「なんか、気楽ですね」
「過ぎ去った青春の日々、って奴だからね。
昔さんざん悩んだから、今悩んでいる人たちが微笑ましく思えるようになるのさ」

この辺りは単純に年の功という奴だろう。
まあ、実際問題として恐ろしく密度の濃い十代後半だっただけに、ギンガの悩む姿は微笑ましい限りなのだ。
ただし、兼一が悩んでいたのは主に恋愛と明日の命だったので、だいぶ毛色は違うが。

「十代の兼一さんか……きっと、今の私よりずっと先を行ってたんでしょうね」
(ごめん、ギンガちゃん。実はそんな大層なものじゃないよ?)

ギンガは今の兼一しか知らないので、かなり幻想が混在している。
兼一としてはその夢を壊していい物か、割と真剣に悩む。
あの頃の兼一と言えば、刃物を相手にしては怯え、決闘を前にしては慄き、修業がきつくて逃げていた。
正直言って、出来ればギンガや翔には見せたくない姿も多いだけに、乾いた笑みしか浮かばない。

(でも、見る限り今のギンガちゃんも……)

それまでと違い、一武人としての視点でギンガを見る兼一。
武術家としては当然未熟も良いところだが、年齢を考えればそれは当然。
むしろ、この年齢という事を考慮すると……

(試して、みようかな?)

兼一の中にちょっとした悪戯心が芽生える。
目にもとまらぬ速度で兼一がギンガのリボンに手を伸ばす。
常人ならば何が起こったかわからぬうちに、リボンを奪われるだろう。
だが、その手は無造作に振るわれたギンガの手によって払われた。

「っ!?」
「お見事。完全に不意を突いたのに、良く気付いたね」
「え? あ、いや、その…気付いたというか、これは偶然で……」

自分自身で何をしたのか分かっていないのか、しどろもどろになるギンガ。
彼女からすれば、反射的に腕が上がり気付けば兼一の手を払っていたというのが本音だ。

「その、すみません」
「いや、謝るのはこっちだよ。いきなり変な事をしようとしてごめんね」
「いえ、それはいいんですけど、なぜこんなことを?」
「……ちょっとした確認、かな?」
「確認、ですか?」

兼一の意図がわからずに首を傾げるギンガ。
そんなギンガに対し、兼一はどこまでも優しい笑顔で答える。
まるで、目をかけていた妹の成長を喜ぶかのように。

「うん。今偶然って言ったけど、そんな事はない。今のは、れっきとしたギンガちゃんの実力だよ。
だけどその年で、それも師のいない状態で良くここまで来たものだ」
「あの、話が見えないんですけど」
「ああ、ごめんごめん。確認って言うのは、ギンガちゃんのタイプの事。
まぁ、多分そうだとは思っていたんだけど、やっぱりギンガちゃんは静のタイプだったかぁ」
「静の、タイプですか?」

聞き慣れない言葉に、ギンガの目に困惑の色が浮かぶ。
なんの前振りもなく「静のタイプ」などと言われても、ギンガからすればサッパリなのだ。

「武術家……というか、戦う人って言うのは、二つのタイプに分類できるんだ。感情を爆発させてリミッターを外して戦う動のタイプと、心を静めて冷静さを武器に戦う静のタイプの二つにね」
「私が、その静のタイプって事ですか?」
「おぼえがあるんじゃないかな? ある日を境に、あるいは何かのきっかけで、戦意や心が昂ぶってもそれに引きずられることが減った筈だ。同時に、自分の間合いが感覚的にわかる様になったと思うんだけど……」
「ぁ……」

ギンガなりに覚えがあるのだろう。心当たりがあるらしく、「そう言えば」などと呟いている。
おそらく、あまり自身の変化を気にしていなかったのだろう。
言われなければ気付かない、それくらいの感覚だった様だ。

「まぁ、二つのタイプに優劣はないし、師弟でばらばらでも特に問題はないんだけどね。もちろん同じタイプなら自分自身を参考に指導できるメリットがあるけど、タイプの違いが刺激になって成長を促す場合も多いし。
つまり、要はその人のスタイルに一本筋が通ったと思ってくれれば良いよ。ただ……」
「ただ?」
「二つのタイプ、どちらになるかを選べても、いつ選ぶかは本人にも決められない。僕もそうだった。気付いた時には自分のタイプを決めていた、何て人も少なくないんだ。ギンガちゃんも武術家だし、覚えておくといいよ」
「……」

もし、クイントが存命であれば、あるいはギンガの節目となる時まで生きていれば何かしらのアドバイスをくれたかもしれない。だが残念ながら、既にクイントは故人。
ギンガがどちらのタイプになるか選択した時、彼女はすでにいなかった。
おかげで、ギンガは本人も知らぬうちに知らぬまま静のタイプとなっていたのだろう。

「でも、だからこそ大したものだと思う」
「え?」
「僕が緊湊に至ったのも16の頃だったけど、師匠達にみっちり鍛えられたおかげだからね。
 長く師にもつかず、半ば独学でやっていたのにここまでこれた、本当に見事だ」
「そ、そんな……」

手放しの兼一の称賛に、ギンガは顔を真っ赤にして照れる。
確かにギンガが師である母を失って久しいが、陸士訓練校に入ってからは軍隊式の訓練に明け暮れた。
師がいなかったのは事実だが、だからと言って独学だったかといえば微妙というのが本人の感想。
正直、ここまで褒められていいものだろうかと、かえって恐縮してしまう。
とそこで、兼一の言葉にまた良く分からない単語があることに気付く。

「あの、緊湊って言うのは?」
「ああ、『先に開展を求め、後に緊湊に至る』って言う言葉があってね、早い話が武術の段階の事だよ。
 基礎を固める第一段階が開展、緊湊は第二段階、タイプが分かれるのはこの段階に至ってからなんだ。
 さっきギンガちゃんは伸び悩んでるって言ってたけど、決して引け目に思う事じゃないさ。僕の友人の中には、もっと後になって緊湊に至った人もいるけど、今では高名な達人として名を馳せてる。少なくとも、遅いって事はないさ」

実際、現在裏ボクシング界に絶対王者として君臨する兼一の旧友『武田一基』は、18の時点で未だ緊湊には至っていなかった。
それを基準に考えれば、ギンガのそれは充分に早い部類に入ると考える事も出来る。
この先の本人の努力次第だが、決して遅いという事はないのだ。

そして兼一の言葉が、少々の伸び悩みを感じていたギンガの肩を僅かに軽くしてくれた。
焦る事はない。これほどの腕前を持つ兼一ですら、16の頃にはこのくらいのレベルだった。
なら自分も、決して不可能ではないと思える。単純かもしれないが、それだけでギンガの心は軽くなったのだ。
まあ、兼一は17になる頃には曲がりなりにも妙手クラスだったし、ギンガとの間には天と地ほどの才能の差があるので、あまりあてにはならない。
ギンガ自身、未だ妙手レベルには程遠いというのが現状でもある。

「一つ、聞いても良いですか?」
「? どうぞ」
「私が達人と戦ったとして、勝てると思いますか?」
「……どうだろう。僕はギンガちゃんの正確な実力を知らないし、正直魔導師は見ただけだと判断にしにくいんだよね。武術だけなら見るだけでもある程度はわかるけど、魔法はさっぱりだから」

それは、紛れもない兼一の本音。
はっきり言って、魔導師の力量は測りにくいことこの上ない。
立ち振る舞いや筋肉の突き方、重心の配分、それらを総合して実力を判断することはできる。
だが、魔導師の場合魔法というこれだけでは見切れない能力がある為、一概には断定できない。
事実、今日戦ったあの五人の魔導師も、初見での判断より遥かに強かった。
魔導士という未知の存在を警戒していなければ、もっと苦戦した事は想像に難くない程に。

「ただ、今日の感じだと武術家が魔導士と戦う為には達人であることが最低ラインだと思う。
 技というよりも、単純に妙手クラスの力だと防御魔法を破るのは難しそうだからね」
「やっぱり、兼一さん達でも技より力、なんですか?」
「基本的にはね。多少例外はあるけど、やっぱり何はともあれ力だよ。
 どれだけ優れた技が持っていても蟻じゃ象にはかなわない。魔導士と武術家の関係はそのものだね」

一部例外「技十にして力は要らず」と謳われた櫛灘流なら別だろうが、あの流派は特殊過ぎる。
基本的に、戦いとは『一胆、二力、三功夫』。技に威力を持たせる力なくば、どれほど優れた技も宝の持ち腐れ。
特に、魔導士と戦う場合にはその点が顕著である事を兼一は確信していた。

「なら、武術家としての私は、どの程度のレベルなんですか?」
「ギンガちゃん? そうだねぇ……弟子の上位辺りが妥当かな」
(やっぱり。わかってはいたけど、この人にはまだまだ遠く及ばない…か)

わかってはいた事だ。プロの一流格闘家ですら、やっと妙手。
ギンガとて正規の訓練は受けているので、紛れもない戦いのプロ。
しかし、では一流かと問われれば、本人は首を縦には振らない。
ギンガは、自分よりもっと優れた技術と力を持つ魔導師をたくさん知っている。
だからこそ、そんな自惚れはできなかったし、兼一の言葉を聞いてもそれほど落胆はしなかった。
だがそこで、唐突に兼一が何かを思いつく。

「そうだ、そう言えばまだちゃんと御礼をしていなかったっけ」
「え? 御礼、ですか?」
「うん。翔を守ってくれた事、翔に武術をするきっかけを作ってくれた事、翔に武術を教えてくれた事。
 その他諸々の、御礼だよ。まだ、何もしてなかったよね」
「でも、それは……」

ギンガからすれば、御礼などもらえる筈がない。
礼を言いたいのはギンガ自身だし、むしろそれに謝罪もくっつけたいところなのだ。
とはいえ、先ほど自分からああ言った手前そんな事は言いにくい。
そうこうしている間にも、兼一は勝手に話を進めて行く。

「色々考えたんだけど、僕にできる事はあまり多くない。
 だから、少しだけ後押しをしようかなって思うんだ」
「あと、押しですか?」
「うん。ギンガちゃん、その木の前に立ってくれるかな?」
「はぁ……」

ギンガは兼一に指示されるまま、そこそこに背の高い木の前に立つ。
兼一は木のすぐ横に立ち、その幹に手を添えた。

「一番得意な構えを取って、それから心を静めるんだ」
「あの…なにを?」
「いいからいいから」

珍しく強引な兼一に押し切られる形で、とりあえずギンガは構えを取り深呼吸をして心を落ち着けた。
その間にも、兼一は細やかな指示を飛ばしてくる。

「まだ乱れがあるね。心の波を消し、静かな湖面の様にするんだ。
 波のない水は鏡に似ている。周りも自分も、そして敵すらもそこに映し出す筈だよ」
(心の波を、消す。ああ、この感じ…時々、調子がいい時になるあの感じだ)

兼一の声が遠ざかり、周りの全てが静寂に包まれたかのような錯覚を覚える。
にもかかわらず、兼一の声はそれでもはっきりとギンガの耳から心へと沁み渡って行く。
まるで、乾いた砂が水を吸い取るかのように。

「自分を一滴の雫にするんだ。湖面に堕ちた雫は波紋を生み、均等に周囲に広がって行く。
 真の集中は一点に絞るものじゃない。波紋の様に、意識を一点から周りに広げて行くんだ」
(意識を散らすんじゃなくて……広げる)

感覚と思考がクリアになり、今までにないほどに周りの状況が感じ取れる。
風にそよぐ芝、兼一をはじめとした周囲の生き物の息遣い、家の明かり。
それらの全てが、まるで俯瞰でもしているかのような感覚で頭の中へ浸透する。

(本当に…見事だ。筋がいいとは思っていたけど、ここまでとは……。
 師と環境次第では、本当に化ける…いや、それこそちょっとしたきっかけ一つでも……)

一つ助言するごとに、ギンガの周りの空気が澄んで行くことが分かる。
おそらく、既に土台はできていたのだろう。ただ、ギンガにはその土台の適切な使い方がわからなかった。
その使い方を軽く教えただけでこれだ。その呑み込みの早さに、兼一もまた舌を巻く。
今ギンガがしている事が出来るようになるまでに、自身がどれだけ時間がかかったか、と思いかけてやめた。
元々、比較対象にするには不適切過ぎると思いいたったらしい。

「さて、今からこの木の葉を散らすよ。その場から動かず、手の届く範囲に入った物だけ捕まえるんだ。
 もちろん、範囲に入っていない物には手を出しちゃいけないし、手を伸ばす回数は両手で一回ずつ。
 目標は、片手につき十枚ずつってところかな」
「…………はい」

舞い散る木の葉程度なら、普段のギンガでも難無く全てつかめるだろう。
しかし、それがその場から動かず、手の届く範囲に来た物のみを見極めて手を伸ばすとなれば話は別。
不規則な軌道を描く木の葉は、腕を伸ばす風圧だけでも揺れ動く。
それさえも計算に入れなければならないのだから、その難易度は格段に上がるだろう。
今までのギンガであれば、おそらく無理だった。だがこの時は……

「それじゃあ、行くよ」

そう言って、兼一の掌底が木を揺らす。
木の葉が散り、風に乗ってギンガの周囲を舞う。
それら全ての動きを皮膚感覚で感じ取りながら、ギンガは焦ることなくその軌道を読む。

(あそこまではとどく。でも、普通に突きだしても一度に取れる葉の枚数は多くない)

ギンガの腕がピクリと動くが、それ以上には動かない。
そんなギンガの様子を、兼一はどこか嬉しそうに見つめている。

(そう、焦る事はない。ゆっくりと、今の自分にできる事を見極めた上で考えるんだ)
(なら、ちょっと軌道を変えて、この角度から……)

ただバカ正直に腕を伸ばすのではなく、その軌道一つ一つを計算してギンガは両腕を伸ばす。
両の手には数枚の木の葉が吸い込まれるように握られ、引きもどす間にもそれは増える。
気付いた時には、兼一が目標として出した十枚に届いていた。

「……………できた」
「うん、その感覚を大事にね。それが、制空圏の感覚だ」
「制空圏、ですか?」
「緊湊に至る事で自然と見えてくる、自分の間合いの事だよ。前からわかってはいたと思うんだけど、これでその感覚が少し強くなったんじゃないかな?
 熟練してくれば、間合いに入った物を反射的に打ち落とせるようになる便利な技だ。それも、死角から来ようがお構いなしにね」

兼一の言葉に、ギンガは思わず自分の掌を見つめ、それから自身の制空圏を意識する。
これまではどこかぼんやりとして曖昧だった境界が、今でははっきりと掴むことができた。
今までかみ合いきっていなかったピース、それを兼一がしっかりとはめ込んでくれたかのように。
静の武術家であるギンガは、元より自身の間合いは分かっていた。しかし、それを「制空圏」という技術として身につけてはいなかったのだが、それを身につけるきっかけを兼一が作ったのだ。

「良ければある程度形になるまで教えようかと思うんだけど……」
「い、良いんですか!?」
「言ったでしょ、御礼だよ。ギンガちゃんなら一週間もあれば、ある程度形になる筈だ」
「でも、一週間じゃ兼一さん達が帰る日を過ぎちゃいますよ」
「なに、乗りかかった船だし、これまでお世話になったお礼だよ。
多少遅くなる位、今更たいした問題じゃないさ」

あるいは、長老ならもっと短期間のうちに形にできるだろう。
だが、生憎兼一は指導者としては新米。余裕を以って、一週間と言ったのだ。
もし兼一の見立てが正しければ、それこそ一週間とたたずに朝宮龍斗と戦った時以上の完成度へと持っていけるだろう。それだけの潜在能力を、すでにギンガは備えている。

「もちろん、迷惑じゃなければだけど……」
「迷惑だなんて、とんでもない! こちらこそ、是非お願いします!!」

兼一の手を取り、熱心に懇願するギンガ。
はじめはやや呆気にとられていた兼一だったが、ギンガに喜んでもらえたようで彼自身ほっとする。
兼一からギンガに送れるお礼など、言葉以外にはこれくらいしかないのだから。

(制空圏って、確かあの時兼一さんが言っていた『流水制空圏』って言うのと無関係じゃない筈。
 たぶん、この技の上位に位置する技。それなら……)

むしろ、自分から頭を下げてでも教わりたい技だ。あの時ギンガが受けた衝撃は、それだけのもの。
技の原理も極意もさっぱりつかめなかったが、あの時の光景は忘れられない。
無論、たった一週間やそこらであの技を会得できると思うほど、ギンガも愚かではない。
だからこそ、気付けばギンガの口からこんな言葉があふれていた。

「あの、もしご迷惑じゃなければなんですけど……」
「?」
「こっちにいる間だけでいいんです。私を、鍛えてもらえませんか」
「え?」

ギンガの言葉の意味、如何に鈍い兼一でもそれくらいはわかる。
制空圏に限らず、武術家として鍛えてほしい、それがギンガの願い。
ただ、不躾な願いとも承知しているだけに、その顔を俯かせてどこか申し訳なさそうにしているが。

「勝手なお願いだってことはわかってます。門下生でもない私に技を教えていただけるだけで、本来は満足しなきゃいけない所だってことも。でも……!」
「いや…それは、別にかまわないけど……」
「本当ですか!?」

喜びにあふれた顔つきで、ギンガは俯かせていた顔を挙げて兼一を見つめる。
花開かんばかりの笑顔に、むしろ兼一の方が御礼を言いたくなってしまう。
実際、兼一からすれば技を教える事も鍛えることもやぶさかではない。
友人であり恩人である少女の願い、どうして断る事が出来ようか。
だがその前に、一つだけ聞いておかなければならない事があった。

「でも、僕はシューティングアーツの事は良く分からないし、変な鍛え方をするのはまずいんじゃ?」
「…………さっき、伸び悩んでるって言いましたよね」
「あ、うん」
「今の私は、母さんに全然及びません。でも、いつかは追いついて、母さんが教えてくれたシューティングアーツを、もっと高みに引き上げたい。それが、昔からの夢の一つなんです」

星空を見上げながら、ギンガは幼い頃の夢を語る。
母を亡くして以来、ギンガはずっとそれを目標の一つにして来た。
全ての教えを受ける事は出来なかったが、それでも母に追いつきたい。
追いついて、いつか母が至れなかった高みに手を伸ばし、この技術を高めたい。
そう思って努力してきて、壁にぶつかり、今その壁を破るとっかかりを見つけた。

「今までのやり方が悪かったとは思いません。でも、母さんの後を追っているだけじゃダメなんじゃないかって、最近思う様になったんです。私と母さんは別の人間で、私は母さんにはなれない。
 なら、私は私のやり方で上を目指すべきなんじゃないかって」
「それが、僕に教わるって事?」
「全く別の流派の教えを取り入れることで、見えてくる物もきっとあると思うんです」

決然と、強い意志を宿した瞳でギンガは兼一を見る。
その瞳は、兼一にとってもどこか懐かしい輝きを宿していた。

(良い目をしている。自分の道を定めて、進んで行く覚悟を持った眼。
 一番近いのは、トールさんかな? こんな眼をされちゃ、断れないよね)

兼一の心を動かすには、充分過ぎるその輝き。
ただ鍛えるだけなら別にかまわないと思っていた兼一も、考えを改める。
鍛えるなどと生ぬるい事は言わない。例え短い時間でも、ギンガが次のステップに進む為の土台を築く。
その為に必要な全てを叩きこむ事こそが、自身の務めである事を兼一は悟った。

「僕は弟子も持った事がない未熟者だけど、それでもいいなら…喜んで」
「はい! よろしく、お願います!」

兼一がギンガに手を差し出すと、ギンガもまた強くその手を握り返す。
かつて美羽は言った「本当に武術をしたい人の前には師が現れる」と。
自分がギンガの師に相応しいかは分からないが、これこそがそうなのだろうと兼一は思う。



ちなみに、この数日後ゲンヤはギンガに「後悔しているか」と問うた。
それに対するギンガの返答は……

「後悔してるに決まってるじゃないですか!?」

だったという。まあ、当然と言えば当然なわけだが。
ついでに言うと、ギンガが兼一の教えを受ける様になった事により、なし崩し的に翔も兼一の指導下に入ったのだった。一応平和的にカタも突いたので、めでたしめでたしと言えなくもないだろう。






あとがき

とりあえず、これで翔はギンガの教え子から兼一の下へ移ることとなりました。
ついでと言うかなんというか、ギンガも一緒にくっついてきちゃいましたけどね。
今のところ、ギンガ自身の武術家としてのレベルは「制空圏は把握していても制空圏の戦い方そのものは修めていない緊湊」と言った感じ。レベル的にはボリスと初めてやりあった頃の兼一くらいです。
まあ、そこに魔導士としての能力も付与されるので、そこそこの達人が相手でも渡り合えるんですけどね。

ちなみに、今回のタイトルである「断崖」は、梁山泊の指導方針が由来。
ギンガにしても翔にしても、兼一の指導下に入る以上、それはつまり崖からの転落も同義なのですよ。

さて、次回はいよいよ梁山泊…というか地球に帰還、の予定。
仮の師弟であるギンガと兼一がどうなるかは、その展開次第だったりしますね。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.02803897857666