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No.25730の一覧
[0] 【完結・改訂完了】リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~(×史上最強の弟子ケンイチ)[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[1] BATTLE 0「翼は散りて」[やみなべ](2013/07/16 00:16)
[2] BATTLE 1「陸士108部隊」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[3] BATTLE 2「新たな家族」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[4] BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」[やみなべ](2013/07/16 00:18)
[5] BATTLE 4「星を継ぐ者達」 [やみなべ](2013/07/16 00:18)
[6] BATTLE 5「不協和音」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[7] BATTLE 6「雛鳥の想い」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[8] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[9] BATTLE 8「断崖への一歩」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[10] BATTLE 9「地獄巡り 入門編」[やみなべ](2013/07/16 00:21)
[11] BATTLE 10「古巣への帰還」 [やみなべ](2013/07/16 00:21)
[12] BATTLE 11「旅立ち」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[13] BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[14] BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」[やみなべ](2013/07/16 00:24)
[15] BATTLE 14「機動六課」[やみなべ](2013/07/16 00:25)
[16] BATTLE 15「エースの疑念」[やみなべ](2013/07/16 00:26)
[17] BATTLE 16「5年越しの再会」[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[18] BATTLE 17「それぞれの事情」[やみなべ](2013/07/16 00:27)
[19] BATTLE 18「勢揃い」[やみなべ](2013/07/16 20:54)
[20] BATTLE 19「守護の拳」[やみなべ](2013/07/16 00:28)
[21] BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」[やみなべ](2013/07/16 00:29)
[22] BATTLE 21「初陣」[やみなべ](2013/07/16 20:53)
[23] BATTLE 22「エンブレム」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[24] BATTLE 23「武の世界」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[25] BATTLE 24「帰郷」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[26] BATTLE 25「前夜」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[27] BATTLE 26「天賦と凡庸」[やみなべ](2013/07/16 20:51)
[28] BATTLE 27「友」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[29] BATTLE 28「無拍子」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[30] BATTLE 29「悪魔、降臨す」[やみなべ](2013/07/17 21:15)
[31] BATTLE 30「羽化の時」[やみなべ](2013/07/16 00:39)
[32] BATTLE 31「嵐の後で」[やみなべ](2013/07/16 00:40)
[33] BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」[やみなべ](2013/07/16 00:41)
[34] BATTLE 33「迷い子」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[35] BATTLE 34「I・S」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[36] リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[37] BATTLE 35「ファースト・コンタクト」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[38] BATTLE 36「お子様散策記」[やみなべ](2013/07/16 00:44)
[39] BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」[やみなべ](2013/08/01 03:45)
[40] BATTLE 38「祭囃子」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[41] BATTLE 39「機動六課防衛戦」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[42] BATTLE 40「羽撃く翼」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[43] BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[44] BATTLE 42「闘いの流儀」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[45] BATTLE 43「無限の欲望」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[46] BATTLE 44「奥の手」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[47] BATTLE 45「絆」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[48] BATTLE 46「受け継がれた拳」[やみなべ](2013/07/16 00:49)
[49] BATTLE 47「武人」[やみなべ](2013/07/16 20:49)
[50] BATTLE FINAL「それぞれの道へ」[やみなべ](2013/07/16 00:50)
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[25730] BATTLE 6「雛鳥の想い」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/07/16 00:19

兼一とギンガが派手にやり合ってから早数日。
アレ以後、翔は自分自身の意思と言葉で、ギンガに再度教えを乞うた。
ギンガとしてもそれに否はなく、時間の許す限り翔に格闘技の手解きをしている。

実際、ギンガが仕事に行く前と帰って来てからの朝晩、二人が家の外で一緒に過ごす時間は激増していた。
当然、それに反比例する形で翔が父と過ごす時間は激減し、一日に数度顔を合わせれば良い方。
そのことに翔は一抹の寂しさを感じつつ、練習にのめり込むことでそれを紛らわしている。
ギンガとしても時間経過とともに冷静さを取り戻しつつある分、親子の時間を削ってしまっていることには罪悪感があった。もちろん、翔の意思を無視する兼一への反感は依然として根強いが……。

とはいえ、さすがに二人とも兼一の存在と視線は気になるらしい。
どちらからともなく、家を離れて近場の公園で練習するようになったのは必然だろう。

そして時は早朝。
まだ大半の人々が惰眠を貪っているこの時間帯に、公園には大小一組の影があった。

「ほら、気を緩めない! ちゃんと受けないと怪我するわよ!!」
「う、うん!!」
「違う! もっと脇を締めて、腰は落として!!
 脇が開いてたら力が入らないし、腰が浮いてると踏ん張りが効かないでしょ!!」
「くぅっ!?」

小柄な影に鋭い叱咤を飛ばすのは、大きな影の主であるギンガ。
ギンガが次々と繰り出す(加減した)突きや蹴りを、小さな影…翔は必死になって受け止める。
まだ格闘技を始めて間もない翔にとって、いくら手加減しているとはいえギンガの放つそれらは充分過ぎるほどに速く重い。とてもではないが、回避する余裕などない。見えてはいても身体が追い付かないのだ。
まぁ、見えているだけで十分すぎるほど優秀というのが、ギンガの見解なのだが……。

ただ、ギンガはギンガで翔の今のレベルを正確に把握しているのだろう。
怪我をさせない程度の威力で、辛うじて回避できない速度と威力で打っている。
つまりこれは、翔に防御の基礎と重要性を叩きこむ事を目的としているのだろう。

いや、回避できるものなら回避しても一向に構わないのだが、今の翔にそんな余力はない。
なので、一応回避は回避で別メニューが組まれていたりする。

とはいえ、なかなかにやっている事とかけられる言葉はスパルタだ。
幼児に要求するには、少々どころではないくらいに高度過ぎる。
だがそれは、それができるだけの才能と能力があると、ギンガが評価している裏返しでもあった。

そうしている間にもギンガの突きが翔の顔に迫る。
翔はそれを前に大きくかざした左手で払う。だが、払う力が弱かったのだろう。
僅かに軌道が逸れただけで、その拳は翔の眼前で寸止めされる。

「弱い!! 払うならもっとしっかり払いなさい! 中途半端にやっても意味がないわ!
 最小の力で捌くのはもっと後、今は相手を近づけないようにしなさい。
翔はまだ初心者なんだから、まずは正しい動作を身につけることを大切にする事。良い?」
「はぁい」

拳を引きながらそう指摘するギンガに対し、翔はどこか消沈した様子で頷く。
本当にはじめの頃は諸手を挙げて褒められたものだが、日が経つにつれ褒められる事は減って行き、今ではこうして注意され、叱られてばかりだ。そのことに、多少なりともショックを感じているのだろう。
まぁ、普通はそういうものなのだが、生憎何もかもが初体験の翔にその手の免疫がある筈もない。
あまり叱られ慣れていないので、どうしてもショックを受けてしまうのだ。
だが、ギンガはそんな翔の心の動きもちゃんと掴んでいるようで、励ます様にその背を軽く叩く。

「でも、最初に比べればずっと様になってきてる。私が思ってたよりも早く、ね」
「ほ、ホント!?」
「ホントホント」

ギンガに褒められ、それまで沈んでいた表情から笑顔が一気に花開く。
この気持ちの切り換りの早さなどは、実に子どもらしい。

「じゃあ、次の技を教えてくれる?」
「それはダメ」
「えぇ~」
「言ったでしょ、まずは基礎からだって。翔は確かに覚えがいいけど、それでもまだまだなんだから」
「でも、もうずっと守り方しか教えてくれてない……」

新技…特に攻撃技をせがむが、あっさりと否定されて不貞腐れたように口を尖らせて呟く翔。
初日などは拳の握り方や突き方を教えてもらい、その癖になりそうな爽快感に魅せられた。
しかし、あとは蹴りの基礎を少し教わっただけで、このところはずっと防御の練習や心構えなどの訓示ばかり。
散々防御の重要性を説かれてはいるが、翔はまだ子どもに過ぎない。
中途半端な攻撃は身を滅ぼすと教えられても、やはり派手で気持ちのいい攻撃の仕方を教えてほしいのだろう。

まあ、その辺りはギンガも上手くやっていると言える。
偶にミット打ちを織り込んだり、「上手にできたら攻撃技を教えてあげる」と上手く餌をちらつかせているのだ。
当然翔はそれにまんまと引っ掛かり、今日も今日とてみっちり防御の基礎を仕込まれている。

「言ってるでしょ、防御を疎かにしないの。
防御がしっかりしてれば、勝てない相手にも負けない事はできるんだから」
「むぅ、何度も聞いたよぉ……。格闘技の基本は身を守ることで、負けないことが大切なんでしょ?」

腕組をしながら人差し指を立てて言い聞かせるギンガ。
最早耳にタコができるほどに聞かされた言葉なので、翔もスラスラと答えて行く。

ちなみに、もしこの場に若い男がいれば歓声の一つでも上がっただろう。
何しろ、胸の下で組まれたギンガの腕に、その豊かな胸が乗っかっているのだから……。
翔はそれをほぼ真下から見上げているにも関わらず、それがどれだけ幸運な眺めかわかっていない。
まあ、邪な目で見ていたらギンガの鉄拳制裁を喰らうのだろうが……。

「そういう事。じゃ、今度はゆっくりと型の確認をしてみようか」
「はぁい……」
「それが終わったらミット打ちをしようかと思うんだけど……いい加減にやってると時間切れになっちゃうかも……」
「早くやろ、ギン姉さま!!!」
「はいはい」

ギンガの提示した餌に見事に食いつき、やる気満々の顔で「防御の型」の確認を始める翔。
そんな弟分の反応にギンガは苦笑を浮かべつつ、翔の動きの誤差や粗を修正していく。
そして、内心では今後の指導方針について思案していた。

(短期間で教えられることなんて限度があるし、翔には悪いけど、最後までこのままかな?
 突きと蹴りの基本は教えたし、後は防御を詰めて行って時間切れ…だと思うしね)

最初に攻撃のさわりを教え、以後は徹底して防御と心構え。
これがギンガの実体験から来る子ども相手の指導方針。
何しろ、子どもというのはとにかく飽きっぽい上にせっかちだ。
地味な防御や退屈な心構えの話などいきなりされても、食いつきは良くない。
ならばという事で、はじめに攻撃の型を少し教え、後はそれを餌にして釣り上げる。
やや汚いと言えないこともないが、子どもの心理を逆手に取った上手いやり方だろう。

「やっ! はぁっ!!」
(まあ、攻撃にしても防御にしても、ホントに基礎的な事しか教えられなかったのはちょっと寂しいけど……こればっかりは、仕方ないよね)

日を追うごとに様になって行く翔の型を見ながら、ギンガは少し寂しそうに嘆息する。
翔はシューティングアーツを教わっているつもりなのだろうが、実を言うと微妙な所だ。
基礎的な技一つとっても流派の特色は出るが、そのさらに基礎の基礎しかしていないのが今の翔である。
それは例えばインパクトの瞬間までリラックスすることであったり、拳や手首を痛めないように前腕と手の甲を水平にすることであったりなど……本当に基礎中の基礎。
正直、特色も要訣もあったものではないという段階だ。

少しでもシューティングアーツの色を濃くしたいという欲求がないわけではないが、時間的に難しいし、それが自分のエゴである事もギンガは承知している。
下手な事を教えて半端な状態で別れるより、今できることを形にしてやるのが自身の務めと理解しているのだ。
とはいえ、ギンガが目下一番頭を悩ましているのは別の事である。

(問題はやっぱり………………………兼一さんなのよね)

そう、翔自身は格闘技を続けることに乗り気だが、それは兼一の理解と応援があって初めて可能となる。
何しろ、収入源はおろか自己責任能力すらない翔一人では、どこかの道場に通うことすらできないのだから。
翔が今後も格闘技を続けて行くためには、どうしても兼一の説得が必須なのだ。

(でも、あの様子だといくら言っても聞いてくれそうにないし……やっぱりまずは、どうしてあんなに格闘技をやることに反対なのか聞かなきゃ話しにならないのよね。
 だけど、あの時は私も頭に血が昇ってかなり色々言っちゃったし、今更どんな顔をして聞けば……)

日を置いたことでギンガも冷静な思考能力が戻ってきたのはいいのだが、それが一層彼女を悩ませる。
まずは相手の事情を聴かなければならないと結論してはいるのだが、如何せん空気が重すぎて聞けやしない。
その原因の一端が自分にあるだけに、なおのことだろう。
はっきり言って、どう切り出していいのかが最初の関門なのである。また、聞いたところで答えてくれるかどうか……悩みは尽きない。

(いっそ、頭に血が昇っているうちに聞けばよかったのかなぁ?
 でも、あのままだとまた言い争いになっただろうし………って、過ぎた事を考えても仕方ないか。
もう頭は冷えちゃったんだもん、今更あの時の熱は取り戻せないわ)

あれこれ考えてはいるが、浮かんではすぐに首を振って否定していい案が浮かんでこない。
頭に血が昇っていては泥沼と思ってしばらく距離を取っていたのだが、裏目に出た気がしてならないギンガ。
まぁ、あのまま突っ込んで行っても予想した通りの結果になりそうなので、やはり詮無い事なのだが……。

(それに、今思い返すとあの時の兼一さんは明らかに変だった。
 とてもじゃないけど、兼一さんってあんなこと言うタイプじゃない筈なのよね。何て言うか、多少無理をしてでも『理想の父親』であろうとしてる所があるし、翔のそのイメージを崩さないように心を砕いてる。
 なのに、あの時だけは違った。たぶん、そこに理由があるんじゃないかな?)

あの時は冷静さを欠いていて気付かなかったが、ギンガは兼一の違和感に気付き始めている。
伊達に一つ屋根の下で過ごしていない。全てとは言わないまでも、少しは相手の事を理解している自負もある。
ゲンヤほどではないが、捜査官としてのギンガにもそれ相応の洞察力があるのだ。
そして、これまで見てきた兼一とあの時の彼を比べると、違和感が際立つ。
ギンガはそこに、翔が格闘技をやることに反対する理由があると見ていた。
そうしてギンガは今後の保護者対応に没頭するが、やがて裾を引っ張る感触に意識を引きもどされる。

「どうしたの、ギン姉さま?」
「え? あ、ごめんね、ちょっと考え事してたんだ……。
 じゃあ、そろそろミット打ちをやって、整理体操をしたら軽くジョギングしながら帰ろうか」
「うん………でも、ギン姉さま大丈夫? 疲れてない?」
「もう、大丈夫に決まってるでしょ」

心配そうに首を傾げる翔に対し、ギンガはその頭を撫でる。
感情の変化には鋭いが、その把握の仕方がどうにもずれているのが翔らしい。
鋭いのやら鈍いのやらよく分からない子だと、ギンガは改めて内心で苦笑するのであった。



BATTLE 6「雛鳥の想い」



やがて、すっかり朝の日課となった練習を終えた二人は、本当の姉弟のように手を繋ぎながら帰路につく。
朝の澄んだ空気と程良い疲労感が心地いい。爽やかな風が火照った体を撫で、小鳥の囀りが微かに響く。
それら全てが重くなった心を僅かに軽くし、頭痛の種を少しの間だけ忘れさせてくれる。
この時間がもう少し続く様にやや歩調を緩めながら、ギンガは風に揺れる長い髪を軽く押さえながら呟いた。

「……良い風ね、今日もいい日になりそう」
「ん! 明日も明後日もいい天気だと良いね」
「全く雨が降らないって言うのも、それはそれで困るけど……」
「え~……」

翔の子どもらしい不満に思わず苦笑する。
ギンガと違って、翔はまだ雨が降らない事からくる弊害をわかっていない。実に単純明快に、「晴れれば外で遊べる」「雨なら部屋でじっとしていなければならない」くらいにしか考えていないのだろう。
だが、別にそれでなにが悪い訳でもないのだ。むしろ、そんな翔がギンガには可愛くて仕方がない。

「でも、やっぱり天気が良いに越した事はないかな。
 洗濯物もよく乾くし、何より気持ちいいもんね」
「うん!」

他愛のない会話に興じながら視線を交わせば、自然両者の顔には笑顔が浮かぶ。
何の変哲もない、極々ありふれた…だからこそなににも代え難い穏やかな一時。

同時にそれは限られた、最早そう長くは残されてはいない時間。
脳裏にこびりつくその現実が、知らず知らずのうちに繋いだ手を握るギンガの手に力を籠らせる。
少しでも、一分一秒でもいいから少しでも長く、この掛け替えのない時間が続く様に。

(そう…いつまでも、続かないのよね)
「姉さま?」

どうやら、内心の寂しさが僅かに漏れ出てしまったらしい。
しかしギンガはそれを即座に押し殺し、極自然な仕草で首を傾げる。

「ん? どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
「そう。ちょっとゆっくりし過ぎちゃったし、少し急ごうか」
「ん」

少し心配そうに見上げて来る翔に微笑みかけながら、翔の手を引いて微かにペースを上げる。
とそこで、反対側から帽子を被った男性が歩いてくる事に気付く。
歩道を歩いているとはいえ、決して道幅が広い訳ではない。
二人が並んで歩きながら擦れ違うとなると、すこしスペースが足りないか。

順調に双方の距離が縮まってくると、ギンガは翔の方へと身を寄せ、擦れ違うのに十分なスペースを確保する。
通行人もそれに気付いたのか、軽く会釈しつつ擦れ違う。

「失礼」
「ぁ、こちらこ……」

そこまで言いかけた所で、真一文字に銀光が閃く。
何気ない日常のやり取りに乗じ、微かな気の緩みを突いた一閃。
常に周囲を警戒し続けられる人間などいない。必ず、いつかどこかで警戒が途切れるは必定。
ましてやそれがプライベートの、それも迷いなく「幸福だ」と断言できる時間ならば尚更だ。

故にそんな虚を突いた先の一閃に対処するなど、未だ若く未熟なギンガにできる筈も無い。
しかし実際には、確信と共に振り抜いた腕へ伝わった手応えはあまりに軽かった。
手にしたナイフを弄びながら、その人物は驚いた様に古ぼけた帽子の下からギンガを見やる。

「おやおや、勘のいいお嬢さんだ。確実に不意をついたと思ったんだがなぁ……」

些か緊張感に欠ける口調で、まるで運悪く小石にでも躓いたことを嘆くかのようなぼやきを漏らす。
だが、今のギンガにそれに頓着する余裕はない。荒れ狂う鼓動と呼吸をなだめながら、必死に頭を巡らせる。

まず、状況を整理する為に先ほど起こった出来事を反芻。
ギンガの背筋を微かな悪寒が駆け抜けたのと、翔がギンガの手を引いたのと、果たしてどちらが先だったのか。
気付いた時には、丁度一歩分ギンガは男から距離を取っていた。
そしてその一歩が、辛くもギンガを救ったのだ。

迷いなく描かれた弧の軌跡は、本来ならギンガの身体を深々と抉っていただろう。
だが、一歩距離を取ったことで肩を掠めるにとどまった。
結果、ギンガが負ったダメージは引っかき傷程度の軽傷。
僅かに血が滲んでいるようだが、動かす分には全く支障はない。

「後ろに隠れて、離れちゃダメよ。良いわね?」
「ぅ、うん……」

不安そうに裾を掴む翔を背後に庇いながら、ギンガは臨戦態勢を取る。
今の所男に追撃の気配はないが、油断はできない。
白昼堂々不意打ちを仕掛けて来るような相手だ、何をしてくるかわかったものではないだろう。
伏兵の可能性も考慮し、周囲を警戒しながらギンガは思案を巡らせる。

(正直、襲われる覚えはない……とは言えないのよね)

職業柄、その手の人間から恨まれたり疎まれたりしているのは自覚している。
ここまで直接的な手段に訴えて来る相手と言うのは昨今珍しいが、だからと言って気を緩めてしまったのは「不覚」の一言だ。
せめて、これ以上の失態は演じまいと注意深く相手を観察する。

(帽子のせいで顔が見えないけど、声に聞き覚えはない。とすると、依頼の可能性が高いかな?)

さすがに、どこの誰からの依頼によるものかは特定できないが。
そもそも、声だけでは本当に直接的に関わった事がないかどうかすらも怪しい。

「一体どういうつもり? いくらまだ人が少ないとはいえ、こんな明るいうちに仕掛けて来るなんて……。
 ましてや、ここはカメラの視界内なのよ」

少しでも情報を得ようと、引き続き警戒しつつ慎重に問いを投げかける。
背後関係など、どうせ答えないと割り切っての問いだ。

ギンガとて、別に無条件に路上で気を緩める程無防備ではない。
全ての道路や路地などを隙間なく網羅…とはいかないが、ミッドではある程度人通りの多い道にはカメラの眼が光っている。その範囲内で何か異変や異常があれば、即座に付近の警防署の知る所となるシステムだ。

四六時中警戒し続ける事が現実的ではない以上、これを活用しない手はない。
その為、ギンガは可能な限りカメラの視界に入り続ける様に行動することを心がけている。
そうすることで余計なトラブルを避け、この様な手合いを牽制する効果を期待できるから。

しかし、今回はその見込みが裏目に出た。いや、むしろそれを逆手に取られたと言うべきか。
だがそれは、同時に多大なリスクを負う事も意味する。
カメラの視界内で事に及べば、物の数分としないうちに近くの警防署やその詰所から局員が急行するだろう。
そうなれば、後は死にもの狂いで逃げ回る事になる。逃げきれるかどうかは…あまり分の良い賭けとは言えない。

そこまで考えた所で、ギンガは違和感に気付く。
この男とてそれがわかっていない筈がない。
なのにどうして、失敗したのに焦る様子も逃げる様子も見せないのか。
このまま留まれば、そんなのは捕まえてくださいと言っている様なものなのに……。
そんなギンガの疑問を察した訳でもないだろうが、男は器用に肩を竦めながら告げた。

「カメラか…なるほど、確かに厄介だ。
しかし、何事にも抜け道と言うのはある物でね。それに、もう仕込みは済んでいるんだな、これが」
「何を言って……っ!?」

不自然に言葉が途切れ、途端にギンガはその場で崩れ落ちる。
まず感じたのは指先などの末端部の痺れ、それが瞬く間の内に全身に広がり、身体かの自由を奪ったのだ。

「姉さま! どうしたの、ねぇ! 姉さま!!」
「やれやれ、ようやく効いてきたか。一応即効性だったはずだが……どういう身体をしているんだい?」
(そうか。これは、毒……!)

声帯も麻痺したのか、口をパクパクさせるだけで音にならない。
また、魔力も思うようならない所からすると、源であるリンカーコアにも作用しているようだ。

恐らく、凶器のナイフにかなり強力な毒が塗られていたのだろう。
フィールド系魔法を使えば、毒をはじめとした大概の人体に有害な物質からは身を守れる。
だが、直接体内に毒物を混入された場合はその限りではない。
魔導師は魔法に傾倒しがちで、この手の搦め手や近代の兵器は好まない場合が多いのだが、この男はその限りではないと言う事か。

(翔…逃げ……)

なんとか翔だけでも逃がそうと声帯を動かそうとするが、掠れた声はとても聞き取れるレベルにはなかった。
むしろそれは助けを求めているようにも見えたのか、翔は倒れたギンガの傍から離れようとしない。

続いて必死に腕を持ち上げ、翔を突き放そうとする。
しかしそれも、やはりあまりに弱々しく目的を達するには至らない。

「いや……驚いた、まだ動けるのか。これは、急いだ方がよさそうだ」

声の方を見上げれば、帽子の下から覗いた目は純粋な驚きに見開かれていた。
一体どんな毒を使ったのか、逆に不安になる反応だ。

だが、そんなギンガの胸中とは無関係に声の主はナイフを逆手に持ちかえる。
普通なら自分にトドメを刺す気かと考える所だろう。
しかし、ギンガの頭に真っ先に浮かんだのは、次は翔が狙われるのではないかと言う恐怖だった。

だが、どちらも違う。
男は距離を詰める事はせず、逆手に持ったナイフを高く持ち上げ……一息に振り下ろし、甲高い音を立ててナイフを深々とアスファルトの地面に突き刺した。
その瞬間、突き立てられたナイフを中心に薄桃色の正方形の魔法陣が光を放つ。

(これは、転送魔法! 不味い、この人は……)
「こんなデバイスなんでね。大抵誤解されるんだが、得意魔法は御覧の通りさ。
 ああ、魔力光についてのコメントならいらないよ。似合わないってのは重々承知さ」

転送魔法を使われれば、追跡の困難さは跳ね上がる。
男が白昼堂々、それもカメラの視界内で事に及んだのは、追跡を撒く自信があったからだ。
もちろん、転送魔法と言えど追跡が完全に不可能と言う訳ではない。
転送した場所から転送先を割り出す事も可能だ。しかし、それにはどうしても時間がかかる。
その時間だけで、男にとっては充分と言う事か。

「恨むな…とは言わんが、まぁ諦めてくれ。こっちも仕事でね。
 依頼されたのはお嬢さんだけで、そっちの坊やは違うんだが……この際だ、一緒に来てもらおう。悪いね」
(くっ……)



  *  *  *  *  *



翔とギンガが公園で何者かに襲撃、拉致された。
ナカジマ家にて二人の帰りを待つ男親二人にその報せが届いたのは、朝食の準備も終わろうかと言う頃合いだった。

「ん~……ま、こんなものかな」

大小様々な弁当箱に具材を詰めていき、最後の盛り付けを終えたところで最終チェック。
彩り、栄養バランス共に申し分なし。もちろん味付けにも手抜かりはない。
特に、山菜を中心に十品目以上の食材が入った炊き込みご飯は、我ながら中々に秀逸だと思う自慢の一品だ。
冷めても美味しくいただけるし、実を解した梅干しも混ぜ込んでいるので、防腐という意味でもバッチリ。
そんな満足のいく出来に、知らず口元に笑みが浮かぶ彼は、すっかり主婦ならぬ主夫である。

一応隊舎には食堂があるし、価格設定も味と量の割には手ごろだ。
弁当を作る時間のない時などはそちらも利用しているが、それでもやはりこうして作ってしまった方がコストは低く済む。また、朝晩のメニューを考えてよりバランスのいい内容にできるので、そう言う意味でも都合が良い。

エプロンを外しながら時間を確認すれば、まだ出勤時間までは幾分余裕がある。
しかし、それにしても気がかりな事が一つ。

「それにしても、二人とも遅いなぁ」
「だな。いい加減戻ってきても良い頃の筈なんだが……寄り道にしたってなぁ」

思わず漏れた呟きに、読んでいた新聞を閉じながらゲンヤが応じた。
半ば日課となっている公園での練習は、二人とも黙認している。
兼一としては翔の意思が堅い事を確認した以上、とりあえず口を挟む気はない。
ギンガの指導方針もそう悪いものではないのだから、口出しする理由がないのだ。

それに、武に手をつけているのはこちらにいる間だけ。
元の世界に戻れば教える人間もいなくなる以上、やがて自然消滅するだろう。
もししなかったその時には、折を見て改めて翔の意思を確認するつもりでいるが……それは先の話だ。
兼一も鬼ではない。この地で得た姉との思い出になるのなら、その間黙認するくらいの寛容さはある。

ただ、それはそれとして今日は帰りが遅い。
汗を流し、着替えてから食事をとる事を考えると、リミットまでそうない。
だというのに、何の連絡もないと言うのは少々気にかかる。

「あの生真面目なギンガちゃんに限って、無断遅刻を良しとするとも思えませんし……」
「ああ、アイツはその辺律義だからな。それこそ死にもの狂いで急いで戻ってくるなり、連絡を入れるなりする筈だぜ。坊主がいるとなりゃあ尚更な。とすると、何してんだ、あいつ?」

あまりにギンガらしからぬこの事態に、男親二人は揃って首を傾げる。
表面的にはギンガと意見を対立させている兼一だが、本音を言えば別にギンガにこれと言って他意はない。
息子の才能を買い、鍛え、息子の為に怒ってくれたギンガをどうして嫌えよう。
できれば今すぐ本心を明かしてしまいたいが、今はまだその時ではない事を兼一自身が良く知っている。

だからこそ、騙している罪悪感もあって兼一はこっそりとギンガの事も気にかけていた。
故に、今兼一は翔と同じくらいギンガの事も心配している。

だが、二人が異変に気付くのはあまりに遅すぎたと言わざるを得ない。
なぜなら、既に事は起こってしまった後。普段通りの朝。いつもと変わらぬ日常。なんの変哲もない食卓。
ナカジマ家のこんな平穏が打ち砕かれた事を知らせたのは、一本の通信だった。

「俺だ。どうした、こんな朝っぱらから」
【朝早く申し訳ありません! ですが部隊長、至急隊舎にお越しください!】
「……………緊急事態、か。いったい何がどうしたってんだ?」

それまでの一家の家長の顔から、一部隊の長の顔へと即座に切り替えるゲンヤ。
そんなゲンヤに対し、通信担当の局員は画面越しに一瞬兼一へと視線を向ける。
何かを迷う表情を見せた彼は、用件を告げることなくこう言った。

【……今、ヘリを向かわせていますので、詳細はそちらで】
「…………」

その反応だけで、ゲンヤにとってはある意味充分だった。
兼一には聞かせられない内容、あるいは兼一に関わる重大な話なのだろう。
前者はともかく後者は兼一にも聞く権利がある筈だが、事と次第によっては迂闊に知らせるわけにはいかない。
大きく彼に関わるからこそ、慎重に時と場所を選ばなければならない場合があるのだから。
通信越しでは件の装置は作動しないが、どんな種類にせよ今はまだ兼一に聞かせたくない内容なのだろう。

聞かせるか否か、聞かせるとしてそのタイミングはどうするのか。
その辺りの判断を仰ぐ為にもこの局員はゲンヤに一端兼一から離れてもらうべきと考えたのだ。
だがゲンヤは、それを承知した上でその先を促した。

「良いから話せ、どの道ヘリが着くまで時間があるだろ。
 緊急事態だってんなら尚のこと時間が惜しい、こいつは命令だ」
【…………………了解。では、ご報告申し上げます。
先ほど、帰宅途中と思われるギンガ・ナカジマ陸曹が、何者かに攻撃される映像を公園付近のカメラが捉えました。犯人はナイフを所持し、帽子を被っていたため顔はわかりませんが、身長は170cm後半から180cm程度。詳細は不明ですが、陸曹は突然その場に倒れ込み……】
「遠回しな言い方すんじゃねぇ! つまり、何が言いたい」

通信担当局員はできる限り細やかに報告しようとするが、ゲンヤはそれを遮って結論を求める。
しかしそれは、きっと既に分かっていたからなのだろう。
この後に、いったいどんな報告がなされるのか。
そして、その予想は現実のものとなる。

【映像には、転送魔法と思われる魔法の発動が記録されておりました。おそらく……入念に準備した上での計画的な犯行でしょう。急ぎ付近の詰所から局員が応援に向かいましたが、陸曹の姿は既になく…誘拐ないし拉致されたものと見て間違いありません! 現在、解析班を転送先追跡のために向かわせています。また、映像に4・5才程の子どもも一緒でしたので……】
「ったく、やっぱりそういう事かよ……!」

報告を受け、ゲンヤは苛立たしげに頭を叩く。
考え得る限り最悪の事態であり、一番当たってほしくない予想が当たってしまった事を示している。
兼一は通信越しでは件の装置が作動せず、やっと覚え始めた拙いミッド語では複雑な会話を理解することはできない。故に、事態がわからず困惑するしかないが、よくないことになっている事だけはわかった。

「救難信号は?」
【転送されるまでの僅かな時間のみ観測できましたが、ジャミングが酷いのか、あるいは発信器を破壊されたのか……いずれにせよ、以降観測できておりません】
「……分かった、ヘリが着き次第隊舎に向かう。
その間に、おめぇらは周辺の詰所からも人を出して捜査に当たれ!」
【了解。ですが………白浜さんは、いかがなさるおつもりですか?】
「てめぇのガキが誘拐されたかもしれねぇんだ、知らせねぇわけにはいかねぇよ。
 可能性としちゃあ、俺らの専門からすると密売組織の報復の線が濃い。いずれ何かしらの要求が出されるかもしれねぇが、その時は真っ先に俺に通せ、いいな!!」
【ハッ!!】

そう指示を与え、通信を切ったゲンヤはそのまま兼一に向き直った。
その顔には焦燥と申し訳なさが浮かび、兼一の不安をますます煽る。

「……わりぃ」
「なにが、あったんですか?」
「坊主とギンガの行方がわからん。直前に緊急の救援信号が出て、車に連れ込まれるところも目撃されてる」
「誘拐、ですか?」
「ああ。狙いはおそらくギンガ、坊主はおまけだろう。すまねぇな、こっちのゴタゴタに巻き込んじまってよ」

兼一に力のない謝罪をし、深々と頭を下げるゲンヤ。
しかし、兼一はゲンヤに対して恨み言を言う気はない。
誘拐したのはゲンヤでもないし、そうなるように仕組んだわけでもない。
責任の所在は明らかに誘拐犯達にあるのであって、ゲンヤを非難するのはお門違いだ。
兼一は、その事をよく分かっていた。分かっているからこそ、ゲンヤを責めるようなことはしない。

そもそも、誰を責めたところで事態は好転しないのだ。
なら、考えるべきはそんな事ではない。

「営利目的なら身代金の要求がある筈ですけど……」
「ありえなくはねぇが、その線は薄いな。
この手際からして、恐らくは入念に準備をして決行した筈だ。時間帯から考えてもな。
なら、はじめから狙いはギンガって事になる。この場合、営利目的にしちゃあリスクとリターンが釣り合わねぇ。Aランク魔導師なんぞ狙うより、もっとやりやすい相手がいくらでもいるんだからな」
「確かに……魔法の事は詳しくありませんけど、ギンガちゃんは結構優秀な魔導師なんですよね」
「ああ。上には上がいるが、魔導師としちゃあそれなりのもんだろう。他に考えられるのは高位魔導師を売る人身売買だが、これも可能性は低い。そっちは大抵子ども狙いだからな、大人を狙うのは不自然だ。
 女って事で狙われた可能性もあるが、それならやっぱり高位魔導師を狙う理由にならねぇ。
 考えられるのは密売組織からの報復か、あるいは私怨……」

ギンガは若く美しい、つまり身体目的という可能性は捨てきれない。しかしそれならやはり、リスクとリターンが釣り合わないのだ。確かに捕らえることができれば金になるだろうが、その為に負う危険は大きすぎる。
営利目的や人身売買にも同じことが言える以上、その可能性は低いというのがゲンヤの見解。
残された可能性としては、何らかの報復……そこから波及しての犯罪者の釈放要求などが考えられる。
ギンガはAランクの高位魔導師だし、部隊長の娘。その程度の人質的価値はある。

「でも、これが私怨になると厄介ですね」
「ああ、要求なんぞ何もねぇってのが最悪だな。ギンガを殺すことが目的なら、時間制限がついちまう」

そう、一番まずいのはそのパターン。要求を出してくれればいいが、それがないと打つ手がない。
ギンガに手を出される前に居所を掴めればいいが、そうでないと……。
とそこで、ヘリのローター音が二人の耳を打った。

「っと、来たみてぇだな。……どうする?」
「行きます。ここでじっとしてなんていられませんから」
「よし、なら急げ……って、それはどういうつもりだ?」

そう言ってゲンヤは表に出ようとするが、その前に背を向けて膝をつく。
まるで、おぶされとでも言っているかのように。

「いいから乗ってください。この辺りにヘリが着陸できる場所もありませんし、ロープとかで乗るんでしょう?
 それじゃ時間がかかります」
「なら、どうするってんだ?」
「僕が飛び乗ります」
「は? おい、いきなりなにを……うおっ!?」

いつまでも乗ろうとしないゲンヤに痺れを切らし、兼一は彼の身体を脇に抱えて急いで庭に出る。
もちろん施錠は忘れない。上を見上げれば、案の定ヘリの姿。
そのハッチが空いていることを確認した兼一は、思い切り姿勢を低くし……

「行きますよ、舌を噛まないでください!!」
「ま、待て! 何する気…おわぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁ!?」

跳躍した。ゲンヤは今まで体験したこともない景色の流れに叫び声を上げる。
だが、兼一はそんな物は軽く無視し、ハッチの前に到着するとヘリの機体を鷲掴みにして滑り込む。
中に入れば、誰もが信じられないものを見るような眼で兼一を見ているが、取り合っている時間も惜しい。
兼一は急いで操縦席へ向かうが、丁度ロープの用意をしていた隊員は知らず知らずのうちに呟いた。

「こ、この高さのヘリに飛び乗るって……………………………人間か、お前?」
「諸般の事情で、足腰には自信がありますから」
「そ、そう言う問題か?」
「そう言う問題にしておいてください!」

続く問いを断ちきる勢いで断言しながら、兼一は操縦席への扉を開け放つ。
そして、有無を言わせぬ強い語調で今の最優先事項を口にした。

「早く隊舎へ、急いで!!」
「お、おう!!」

兼一の剣幕に押され、パイロットは操縦桿を傾けて隊舎へと向かう。
ただし、ヘリが隊舎方面へ向けて動き出すのを確認した所で、兼一はおもむろにハッチの方へと進んでいくではないか。
それに気付いたゲンヤは、慌てた様子で兼一を後ろから羽交い絞めにして止めようとする。

「待て待て! お前、何を……」
「情けない話ですけれど、隊舎にいても僕にできる事はありません。
 なら―――――――――――――探しに行きます」
「さ、探しに行くって、お前。そりゃいくらなんでも無理……」
「無理が通れば道理が引っ込みます!」

異様な圧力と共に眼から怪光線を放ちながら発せられた一言に、呆気にとられるゲンヤ。
自然、羽交い絞めにする力も弱まり、気付いた時にはゲンヤの拘束から逃れた兼一は、風の吹きこむハッチに手をかけていた。

しかし、そうは言っても、やはり発見できる可能性は皆無に近い。
当てもなく動きまわった所で、早々都合いく筈がない。
手掛かりの一つでも掴めれば万々歳と言ったところだろう。
無論、兼一とてそんな事は承知の上だ。承知の上で、何もせずにいるよりはマシと判断したのである。

「それに、捜索の基本は足…違いますか?」
「いやまぁ、そりゃそうだがよぉ」
「隊舎の設備なら通信越しでもこの装置が機能した筈でしたね。何かわかったら教えてください。
 僕の方でも、手掛かりが掴めたら知らせます」
「―――――――ったく、しょうがねぇなぁ! わぁったよ、好きなようにしやがれ!
 段々、お前ならホントに見つけかねない気がして来たぜ」
「な、何言ってんですか部隊長! ちゃんとこのバカ止めてくださいよ!」
「そうですよ! 白浜も、なにハッチから身を乗り出してんだ、この高さから落ちたら死ぬぞ!」
「まぁ、待て。おめぇだって今のを見ただろ。こいつにんな常識は通じねぇらしいぞ」
「で、ですが……」
「まぁ、気持ちは分かる。だが、詳しい話は後でしてやるから、今は納得しとけ」

部下達の進言の正しさを認めるが、ゲンヤにはもう兼一を止める意思はなかった。
故に、彼はただ兼一の背を押す。

「おら、いつまでんなとこにいねぇで、さっさと行け!」
「ありがとうございます。それじゃ!」

一言礼を言って、まるで一階の窓から飛び出すかのような気軽さで、兼一はハッチの外へと身を躍らせる。
ゲンヤを除く108の隊員達は兼一が地面に激突し、無残な姿になる未来を幻視したのだろう。
ある者は目を逸らし、またある者は引き留めようと腕を伸ばし、中には悲鳴じみた声を上げる者までいた。

「わ、バカ! ああ!?」
「なに考えてんだ、お前はぁ!?」

だがその予想は覆され、兼一は音を立てる事なく何とも軽やかに地面に降り立つ。
それをハッチから身を乗り出して確認したゲンヤは、自身が身受けした存在の非常識さを思い知った。
知識としては知っていたし、先ほど実際のその非常識さの一端を体験したが、やはり傍から見ると驚きもひとしおだ。
取り乱さずに済んだのは、曲がりなりにも白浜兼一の正体を知っていたからに他ならない。

とはいえ、やはり目の間で起こった出来事には深々とため息をつきたくなる。
しかし、その衝動をなんとか抑え込み、ゲンヤは今にも走り出そうとする兼一の背に向けて声を張り上げる。

「いいか、何か見つけたら必ず報告しろよ、わかったな!」
「はい!!」

着地した兼一は短くそれだけ答え、目にもとまらぬ速さで走りだす。
瞬時に颶風の如き速度を叩きだした事で、間もなく兼一の姿はゲンヤの視界から消えた。

「…………………………もしかしなくても、とんでもねぇ拾いもんをしちまったのかもな、俺は」
「は? 部隊長、何か?」
「いや、なんでもねぇ。おら、こっちも急ぐぞ!」
『ハ…ハッ!!』

知らず知らずのうちに漏れた呟きは、ヘリのローター音にかき消され、傍にいた部下の耳には届かなかったらしい。誰もが、説明を求める様な視線をゲンヤに向けている。
だが、ゲンヤはそれには答えず、未だ目の前で起こった現実を持て余している部下達を勝機に戻す為に叱咤するのだった。

その間にも兼一は人々の間をすり抜け、ビルの壁を蹴り、凄まじい速度で市街地を疾走する。
ただただ強く、一つの事を願いながら。

(翔、ギンガちゃん…………どうか無事で!)



  *  *  *  *  *



その頃、翔とギンガはどことも知れない廃ビルに連れ込まれていた。
ただし、人数構成が襲撃を受けた時とはいささか異なる。
先頭を歩くナイフ型デバイスを使った帽子の男の他に、もう二人。
見るからに粗野にして野卑な印象を見る者に与える二人組の男が、ギンガ達の後ろについている。

そんな三人に前後を挟まれつつ、翔は不安と恐怖に押しつぶされそうになりながらもギンガにしがみつく事で自制し、ギンガは毅然とした態度と強い意志を秘めた瞳で誘拐犯達を睨む。
とそこで、ギンガの視線に気づいたのか、先頭を歩く男が帽子を抑えながら軽く振りむいた。

「怖いな。折角の美人さんが台無しだよ、お嬢さん。
 そんな目で睨まれたら腰が抜けてしまいそうだ」
「白々しい。そんな事、微塵も思ってない癖に……」
「いやいや、そんな事はないさ。残念ながら、私は荒事向きではなくてね。
 闘えば、十中八九どころか確実に君が勝つだろう。そんな相手に睨まれるのは肝が冷える」

声音には余裕と自信が宿り、それが本音を隠すヴェールとなっている。
おかげで、ギンガには男の言っている事がどこまで本当なのか判断できない。
まぁ、この状況ではどちらでもいいのかもしれないが。

「おら、黙ってキリキリ歩け。てめぇもだ、運び屋。余計な事口走んじゃねぇぞ」
「ここまで来て余計な事も何もないと思うんだが……っとと、はいはい、黙りますとも」
「ちっ、はなっからそうしてりゃいいんだ。
さあ、さっさとその部屋に入りな。もうじき兄貴が来るからよ、ククク……」
「押さないでください。そんな事をしなくても歩きますよ」
「ああ、それが利口だな。何せあんたは、か弱い女の子様なんだからよ」
「ははっ、ちげぇねぇや!」

後ろの男達に小突かれるようにして、二人は小汚い一室に入る。
一面に小さな小窓があるだけの、他の面は堅いコンクリートがむき出しになった部屋。
おそらく使われなくなって久しいのだろう。チラホラとゴミやガラクタはあるが、それ以上のものはない。

「ギン姉さま……」
「大丈夫だよ、翔。私が、お姉ちゃんがちゃんと守るから。何があっても、翔を守る。だから、安心して……」
「へっ、偽物とはいえお綺麗な姉弟愛だねぇ」
「全くだ。いったい、何をどうやって守るのかぜひ教えてほしいもんだ。
 魔法も使えない、今の非力なアンタにさ」
「くっ……!」

嘲りを多分に含んだ男の言葉に、ギンガの口からは口惜しげな呻きが漏れる。
襲撃時に受けた毒の影響は、実を言えばほとんど消えている。
即効性がある半面、持続力に乏しいのか。今となっては手足に僅かな痺れを残すのみだ。
ただ、今ギンガの手首には厳つい手錠の様な腕輪が嵌められており、これが彼女の魔法を封じていた。

魔法が普及するという事は、当然それを犯罪に使う者も出て来る。
魔導師相手に通常の手錠や牢が意味を為す筈もなく、必然的に対魔導師用の道具が開発された。
その内の一つがこれ。魔力を抑えるリミッターや負荷をかける魔導士養成ギプスの類と似て非なる物、封印装具。
早い話が、魔力を全面的に抑え込んでしまう代物だ。こんなものでもなければ、魔導師を安心して拘束しておくことなどできはしない。
そして、その手の道具が外部に流出しないかといえば、否である。
ギンガに使われているのは、その中でもいくらか古い世代の魔力封印装置だった。

(旧式とは言え、性能は管理局でも採用されてた本物。AAA以上ならともかく、私じゃ……)

とてもではないが、力づくでの破壊は不可能。
少なくともこれを壊すには、外部からの助力が不可欠なのだ。
この手の道具を使うことに慣れているギンガは、その事をよく知っていた。
どういった伝手で手に入れたか知らないが、厄介な物を持ち出されてしまったと言わざるを得ない。

ちなみに、ギンガは常時「浮遊」の魔法を展開している。
これは諸般の事情により、彼女の体重が見た目よりずっと重いからなのだが……。
魔力が封じられた今はそれが使えないが、彼女の中にはその代わりとなる力があるのだ。
本人としては不本意極まりないのだが、今はその力で代用し、体重を適正なそれに調整している。
ただ、嫌悪している力をこう言う時は便利だと思う反面、都合のいい様に使っている自分がすこし嫌だった。

「さて、それじゃこれで依頼は完了、と言う事でよろしいかな」
「ん? ああ、そうだな。だがいいのか、最後まで見て行かなくてよ。
 なんなら、アンタも楽しんでいけばいいじゃねぇか。
 まだガキだがツラは悪くねぇし、折角良い身体してるんだ。アンタもどうよ」

下種には結局下種な考え方しかできない。
男達の舐める様な視線がギンガの身体を舐る度、ギンガは嫌悪感に体を振るわせる。
理解したくもないのに、ギンガを見て何を考えているかがわかってしまう。そんな視線だ。

「そういやそうだな、その筋で売ればいい値で売れそうだよなぁ」
「折角のお誘いですが、この後予定がありましてね。それと、報酬の件ですが……」
「ああ、後で口座の方に振り込んでおくよ」
「毎度、今後とも御贔屓に。それでは、私はこれで」

それだけ言い残し、帽子の男は最後にギンガ達に軽く会釈だけ残して立ち去って行った。
残されたのはギンガと翔、そして見るからにチンピラそのものの男が二人だけ。

「ったく、得体のしれねぇ野郎だ。なに考えてやがるんだかわかりゃしねぇ」
「確かにな。だが、腕が良いのは確かだし、余計な事に深入りしないってのはある意味世渡り上手って事だぜ」
「けっ! だから信用できねぇんだっつーの」
「ああ、それと」
「「おわっ!?」」

もういなくなったと思っての陰口だったのだが、当の本人がひょっこり顔を出したものだから仰天する二人。
しかし、帽子の男の方はそれを気にした素振りも見せず、さも今思い出したと言わんばかりの口調で注意を勧告する。

「あまり長居すると管理局に尻尾を掴まれるかもしれないので、気をつけてくださいね。念の為」
「あ、ああ」
「それでは、またのご利用お待ちしておりますっと」
「……い、いねぇか?」
「ああ、今度こそ行ったみてぇだ」
「心臓に悪い野郎だぜ、クソ!」
「そいつには同感だ」

帽子の男が今度こそ出て行ったことを確認し、軽く吐息を洩らす二人。
よほどあの男の事が苦手なのか、悪態をつく声にも忌避感が強く滲んでいる。
とそこで、気分を変えるためか、男達は揃ってギンガに抱きかかえられる翔へと視線を向けた。

「で、それはそうとして、このチビはどうするんだ? 予定じゃ、女の方だけだった筈だよな」
「さぁて、どうするのかねぇ。ま、さすがに即魚の餌って事はないと思うが……」
「約束が違うわ! 大人しくしていれば翔は解放する、そう言った筈よ!!」
「そうだったか? なあ、お前覚えてるか?」
「いや、さっぱり……アンタの聞き間違いじゃねぇの?」
「……………卑怯者」

口々にそんな事をのたまう男達。悪意と嘲笑に満ちた言葉に不快そうに吐き捨てるギンガ。
彼女は翔を守る様にその胸に抱き、男達に背を向ける。
少しでも男達の野卑な視線から翔を守るために。幼い翔に人の汚い一面を見せないように。
今のギンガにできる、それが精一杯の反抗だった。

「どうも。だが実際、兄貴からはガキの扱いについて何も言われてねぇし、適当に売っちまえばいいだろ」
「ま、呪うんなら自分の迂闊さを呪うんだな。あの陰険で執念深い兄貴を怒らせちまった事をよ」
「全くだ。よりにもよって公衆の面前でアレだからな、なだめるのも一苦労だったぜ。
 ところで、まさか覚えてねぇって事はねぇだろうな」
「…………………」

男の問いに、ギンガは返事を返さない。
言葉をかわしたくもないというのもあるが、本当に覚えていないのだ。
彼女からすれば、あの日の出来事は即刻記憶から抹消した出来事。
実のところ、ギンガはあの時の記憶を24時間も保ってはいない。
それほどまでにあの時の出来事と男達の存在は、ギンガにとってどうでもよかったのだ。

「だが、俺らとしてもさすがに同情するぜ。兄貴は嫌がる女を無理矢理にってのが趣味だからな」
「それも、ちょうどアンタくらいの奴を汚すのが大好きだしよ。ホント、良い趣味してるぜ」

頼んでもいないのに、勝手にこの後の展開を話し始める男達。
その言葉を聞き、さしものギンガも顔を青ざめる。
ギンガの恐怖を煽って楽しむという意味では、それは実に効果的だった。

ただの苦痛にならいくらでも耐えられる。
歯を食いしばり、口を閉ざし、相手が望む反応など一切示さない覚悟がギンガにはあった。
しかし、それとこれは話が別だ。
ギンガとて女、それもまだ少女だ。男を知らず、恋も碌にしていない。
その手の事に多少なりとも幻想を持っている。
そんな彼女にとって、無理矢理散らされるというのは最悪の未来像だろう。それも、こんな下種どもに。



そのまま、しばし時が過ぎた。
やがて、いやにわざとらしい鷹揚な歩き方で一人の男が側近らしき二人組をひきつれ、やや遅れて幾人かの取り巻きと思しき男達が部屋に入ってくる。
まるで「自分は大物です」と主張するかのようなその歩き方は、状況が違えばいっそ笑いを誘っただろう。
それほどまでに様にならず、滑稽な姿だった。
男はギンガの目の前まで歩み寄ると、長く伸びた蒼い髪を力任せに引きよせる。

「ぁっ!?」

引き寄せられた勢いで翔はギンガの懐から滑り落ち、堅い床に身を投げ出す。
その際に頭を打ったのか、額からは血の筋が流れていた。
だが、翔はそんな自分の状態にも気付かないようで、切羽詰まった声でギンガを呼ぶ。

「姉さま!?」
「よぉ、この前は世話になったな。今日はその礼をしようと思って招待したんだが、気に入ってもらえたか?」

ギンガの頭を引き寄せ、顔の前で舌なめずりをする男。
しかし、これほど近くで見てもなお、ギンガには男の事が思い出せなかった。
ただ、こんなことを仕出かすに相応しい碌でなしの顔をしている。

「ああ、折角の人生の一大イベントだ。ちゃんと撮影して、後で家族の下に届けてやるよ。
 ま、お前らが家に帰る日が来るかどうかは、この先のお前の頑張り次第だがな」

いったい何がおかしいのか、
男とその取り巻きたちは下卑た笑い声をあげている。
この後に何が待ち受けているのか、その手の事に経験の乏しいギンガにもわかる。
あの汚らしい手で衣服を剥ぎ取られ、弟分の身の安全を盾に奪われるのだろう。
その後は、きっといい様に嬲られて奴隷扱いか、あるいは殺されるかだ。
どちらにせよ、このままではギンガが家に再び帰る日は来ない。恐らくは、翔も。

(発信器を壊されたのが痛い。せめて、せめて場所だけでも知らせることができれば……)

あるいは、転送の際の残留魔力を辿って転送先は割り出せるかもしれない。
だが念の入った事に、そこから更に車で20分以上をかけて移動させられたのがこの廃ビルだ。
転送先の割り出しだけでは、この場所を特定することは難しいだろう。

「さぁて、今日までさんざん待たされたんだ。そろそろ、お楽しみの時間としようや。
精々泣き叫んでくれよ、その方が燃えるってもんだからな。楽しみ方を教えるのは、その後だ」

そう言って、男の手がギンガの胸元に伸びその服に触れる。
当然それは「脱がす」などという優しいものではない。
男は服を鷲掴みにすると、それを乱暴に引きちぎった。

「…………」
「ほぉ、ガキかと思ったらなかなかいい体してんじゃねぇか。こりゃあ、思ってたより楽しめるか?」

悲鳴や拒絶の声、あるいは助けを求める行為は男を喜ばせるだけ。
それを知っているギンガは、漏れそうになる声を必死にこらえ、なんとか男を押し返そうと腕を突っ張る。

本来、ギンガの腕力なら魔法などなくても男を跳ねのけることなど容易い。
ただそれは、男も魔法を使わない、純粋な筋力を比べた時の話。
魔法を使えないギンガに対し、男は身体能力を強化した上でギンガを襲っているのだ。
これではギンガの細腕に、男を押し返すことなどできる筈がない。自分自身に禁じた、封じた力を使わない限り。

「おい、面倒だから手足を押さえつけておけ」
「うす」

男はそのままギンガを床に押し倒し、手下に命じてその手脚を拘束した。
ギンガの顔は羞恥と怒りで赤く染まり、四肢と胴体をよじってなんとか逃れようともがく。

しかし、数と力の振りはいかんともしがたく、それがかえって男の劣情を昂ぶらせる。
男の眼には弾む胸と揺れる尻、そして悩ましげにくねるくびれた腰は、誘っているように見えたのだろう。
実際、ハリのある白い肌も、朱の指した整った顔立ちも、手入れの行き届いた髪も、その全てが状況が状況なら芸術的な美しさだった筈だ。

だが、その美しさを汚す歪んだ悦びに浸った男は、ギンガの衣服をわざと細かく引き千切っていく。
まるで、そうすることでギンガの恐怖と絶望を煽る様に。

「いいねぇ、やっぱり女を犯す時はこうでなくっちゃ。ま、これで泣き叫んでくれりゃ言う事なしなんだが……そこは我慢するか。俺は寛容だからな。それに、気が強い女も嫌いじゃねぇ。その生意気で綺麗なツラが涙に濡れて、トロトロに蕩ける所を想像するだけで…ゾクゾクする。
 それより格好と下着がいただけねぇな。贅沢は言わねぇが、もちっと色気のある格好をする事を勧めるぜ。
 その方が、俺としてもやる気が出るってもんだ。次はその辺に気を使うんだな」

情欲…あるいは淫欲に染まった眼で舌なめずりをする男を、ギンガは嫌悪と侮蔑の視線で睨む。
胸の奥には恐怖や絶望が渦巻いているが、気丈にもそれらを男に悟らせないように隠しているのだ。
こんな男に弱味を見せるなど、ギンガにとっては決して許容できるものではない。

「ククク、悔しいか? 怖いか? それともはじめては好きなあの人に、とでも思ってんのか?
 だが残念。お前の始めてもこれからも、全部俺のもんさ。
それでこそ、あの日俺が受けた屈辱を思い知らせてやれるってもんだ」
「臆病者!」
「あん?」
「女一人組み伏すことも大勢でなきゃできないなんて、腰抜け以外の何者でもないわ!
 プライドがあるのなら、少しは一人で何とかしてみようと思ったらどう!」

挑発などこの状況下では逆効果かもしれないが、それでも言ってやらずにはいられなかった。
今のギンガに男達に抗う術はない。できる事があるとすれば、それはこうして口で言い負かすことくらい。
だがそれも、男が開き直ったことで水泡に帰す。

「なら、その腰抜けに犯されるお前はそれ以下ってわけだ。
 こちとらお前と違って経験豊富でな、そんな安い挑発になんざのらねぇよ。隙をついて逃げようって腹なんだろうが、今までにも似た様な事をした奴はいるんでね。臆病だろうがなんだろうが、やる事は変わらねぇよ」
「くっ……」
「ただ、別に頭にこねぇわけじゃねぇ。態度によっちゃぁ優しくしてやってもよかったんだが、決まりだ。
 徹底的に女としてのお前を踏みにじってやるよ。ま、とりあえずは躾から始め……」
「やめろ!」

悦に入った表情でべらべらしゃべる男は、「躾」と称して拳を振り上げる。
だが、その言葉と行動を制するように幼い子どもの声が挟まれた。
同時に、小さな影が男目掛けて突っ込んでくる。

「姉さまから…離れろぉ!!」
「あ? ガキが調子に乗ってんじゃねぇ、よ!」
「ぐぇっ!?」
「翔!!!」

無謀にも頭から突っ込んで行った翔に、男の無造作な蹴りが突き刺さる。
魔力による強化もなく、特別強く蹴ったわけでもない。
それでも翔の体はボールの様に撥ね、コンクリートの床に転がった。
ギンガはなんとか翔に駆け寄ろうと身をよじるが、四肢を抑えられてはそれもかなわない。

また、あり過ぎる体重差を考えれば一撃で沈んだのは疑いようもない。
男達は誰もがそれを確信し、翔の無謀に嘲笑を浴びせる。
だがここで、翔は皆の予想を裏切った。

「わぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」
「ちっ、まだ動けたのか!!」

起き上がった翔は再度男に向かって突っ込む。
しかし、いくら格闘技を学んだとは言え絶対的に時間が足りない。
結局は初心者に過ぎない翔では、容易く男の乱雑な蹴りの餌食になるのは必定。
できる事があるとすれば、それは……

「このガキ、生意気に受け止めやがった……」
「ハァハァ、ハァ………」
「翔、あなた……」

それは、この数日ギンガが徹底的に仕込んだ防御の型。
翔はギンガから教わったそれを忠実に実行し、ギリギリのところで男の蹴りを防いでいたのだ。

その事実に、ギンガは状況も忘れて涙を浮かべる。
自分が教えた事をこうまで素直に順守し、実際にそれで成果を出して見せられたのだ。
一指導者として、これが嬉しくない筈がなかった。

だが、それも結局は気休めに過ぎない。
いくら防御できたとしても、それを無視できる威力があればいい。
幼い翔には、その威力に耐えられるだけの身体がないのだから。

「鬱陶しい、良いからガキはガキらしく地べたを這いつくばってろ!!!」
「げほっ!?」

男は堅く握りしめた拳で翔の横っ面を殴り、翔の体は壁際まで吹っ飛ぶ。
その時、遠くからまるで獣の咆哮の様な声がギンガ達の耳に届いた。
しかし、それを気にする余裕など今のギンガにはない。

「やめて! 相手は子どもなのよ!!」
「知ったことか! 調子に乗ったこのガキの自業自得だろうが!!」

ギンガはなんとか翔への暴行をやめさせようとするが意味を為さない。
壁際に転がった翔の体は痙攣しているかのように震え、立ち上がる気配はなかった。

むしろ、ギンガはそれでいいと思う。これ以上立てば、下手をすると大けがをするかもしれない。
今の一撃は単に力任せに殴っただけで、見た目は派手だが打点も振りも甘い。
アレなら、少し血を流すだけで済む筈だ。
だから、これ以上翔に立ってくれるなと心の中で懇願する。
口に出さなかったのは、そうすることで翔の意識を引きもどすことを恐れたから。
しかしそんなギンガの思いも空しく、翔は再度立ち上がろうとする。

「ダメ、翔! もう立っちゃダメ! お願いだから、そのままで……」
「い、イヤだ!」
「翔?」
「僕は、姉さまを守りたい! 姉さまが虐められてるところなんて見たくない!!
 それに、父様が言ってたんだ。大切な人の為に一歩踏み出せる人になれって……だから、逃げない!!」

それは、彼なりの不退転の覚悟と意思を携えての言葉。
翔は足元をふらつかせながらも、愚直なまでにギンガから教わった構えを実践する。
辛くない筈がない、痛くない筈がない。本当なら今にも泣き出してしまいたかった。
だがそれでも、涙を堪え、嗚咽を抑え、折れそうになる膝を叱咤し、挫けそうになる心を奮い立たせる。
もしその姿を兼一の友人達が見れば、等しく苦笑交じりに「その痩せ我慢は父親にそっくりだ」と評しただろう。

構えは専守防衛。攻める事を捨て、ただただ守ることに全身全霊を注ぐ。
その構えのまま、すり足で少しずつギンガへとにじり寄って行く翔。
誰に教わったわけでもなく、本能的に今はこれが最善と彼は感じ取っていた。
攻めることは無意味、急いで駆け寄っても拙い構えが崩れるだけと、彼は理解していたのだ。

しかし、その不撓不屈の闘志はかえって男達の気に障った。
身の程知らずにも自分達に挑む姿が、あまりにも度し難いものに感じたのだ。

「ガキが…調子に乗りやがって!!」
「あぐっ!?」

男は苛立ちを露わに翔の髪を掴み、勢いよく床にたたきつけた。
翔の口内には血の味が充満し、鼻からは赤い雫が止めどなく溢れる。
だが、それでもなお翔の眼の輝きは衰えない。力では負けても心は負けないと言わんばかりに、子どもとは思えない強い眼差しで男を睨む。

「いいか、覚えとけクソガキ!! 世の中はな、強い奴が正しいんだよ! 勝った奴が正しいんだよ!! 逆にはぜってぇにならねぇ!! 弱い奴らは強い奴の言いなりになって、媚売ってればいいんだよ!!
 お前みたいに正しい事が通ると思ってるゴミを見てると、虫唾が走るんだよ!!」

まくしたてながら翔の背中に蹴りを入れようと足を振り上げる男。
如何に雑な蹴りであっても、体重を乗せれば幼児の体ではアバラが折れ、内臓に重大なダメージを与えかねない。
それどころか、下手をすると背骨を折り、一生に渡る障害を負う可能性もある。
しかし、そんな暴挙を………ギンガが許す筈もない。

「やめて――――――――――――――!!!」

ギンガは叫ぶとともに、四肢を抑える男達を振り払う。
そのまま翔の上に覆いかぶさり、蹴りを無防備な背中で受け止めた。

「くぅっ……!」
「ね、姉さま?」
「どいつもこいつも……お前ら、しっかり押さえとけつったろうが!!!」
「す、すんません……」

つくづく思い通りにならない状況に、男はまるで癇癪を起した子どものように喚き散らす。
だが、ギンガを抑えつけていた男達は謝罪しつつも内心で首をひねっていた。
確かに翔の姿に目を奪われ、ギンガへ向けていた意識が薄れていたのは事実だ。
しかし、それでも先ほどまでは容易に抑え込めていた筈のギンガを、ああも簡単に逃すとは思えなかったのだ。
当然、ギンガの瞳がそれまでの翠から別の色に変化した瞬間を見た者はいない。
そんなやり取りがなされている間も、男の足は別の意思を持っているかのようにギンガの背を蹴り続けていた。

「だい、じょうぶ? 翔?」
「だめ、ダメだよ姉さま! 折角逃げられたんだから早く!!」
「バカ、ね。翔を置いて、逃げられるわけ、ないじゃない……」

次々と背を蹴られる痛みに耐えながら、ギンガは翔を安心させようと優しい微笑みを向ける。
こんなにも小さく儚い身体で、必死になって自分を助けようとした翔。
自分が教えた基礎とも言えない基礎を愚直に守り、確実に勝てないと分かっている相手に向かって行った教え子。
自分の体の事を知らないとはいえ、それでもそんな無茶をした弟を叱りつけたい気持ちはある。
だがそれ以上に、そこまで自分を慕ってくれているという事実に、ギンガは言葉にできない愛おしさを覚える。

翔の為なら、今まさに背を襲う痛みにもいくらでも耐えられる気がした。
それどころか、この子の為なら命すらも惜しくないと思える。
ギンガは翔がこれ以上傷つけられない様、傷つかない様、優しく…強く自分の懐に包み込む。
翔が決して外からの攻撃にさらされないように、翔が決して外に出て行かないように。
その身を殻として、あるいは檻として、幼い雛鳥を守ろうとしているのだ。
そして、そのことにギンガは確かな誇らしさを感じていた。大切な弟を守れる事への誇りを。
故に今この時だけは、頑丈な身体に造られた自身の出生に感謝してもよかった。
こんな体でも……こんな体だからこそ、その身一つでも大切な弟を守ることができるのだから。

胸を満たす思いが顔に出ていたのだろうか。翔の顔は一瞬泣きそうに歪み、それを隠す様に俯く。
幼くとも翔は「男」。女には見せたくない顔がある。
そんな翔に向け、ギンガは今できる精いっぱいの労いの言葉をかけ、万感の思いを込めて頭を撫でた。

「痛いのに、辛いのに……がんばった、ね。カッコよかったよ、翔」
「…………………………カッコよくなんか、ないよ。僕…僕、姉さまを守れてなんか……」
「そんなこと、ない。翔はちゃんと、私を守ってくれた、よ。私が言うんだから、間違い、ない」

事実、ギンガは翔が自分を守ってくれたと思っている。
翔の乱入がなければ、今頃彼女の処女はあの男に奪われていた筈だ。
抗う事が出来なかったわけじゃない。しかしそれは、同時にギンガにとって最大の禁忌でもある。
禁忌を犯すか、あるいは処女を奪われるか。あの状況では、その二択しかなかった。
どちらに転んでも、ギンガにとっては苦く辛い結末にしかなるまい。

処女を奪われれば「女」としての自分を損なわれ、禁忌を犯せば「人間」としての自分が損なわれる。
少なくとも、ギンガにとってその二択はそういうものだ。
だが翔は、そのどちらでもない結末を与えてくれた。
身を呈して「女」と「人間」、その両方を守ってくれたのだから。

しかし、翔はそれでもギンガを守ろうとその懐から外に出ようともがく。
気持ちはありがたい。守ろうとしてくれることは純粋に嬉しい。
だがそれでも、翔を傷つけさせたくはないが故にギンガは決して翔を離さない。
やがて、俯いたままの翔の口から嗚咽が漏れ始めた。

「泣かない、で。ちゃんと、私が守るから……」
「………………………………………………………………悔しい」
「え?」
「悔しいよ、僕じゃ姉さまを守れない。弱い僕は、父様や姉さまに守ってもらってばっかりで……」
「翔……」

ギンガはそこで、自身の言葉が的外れであることに気がついた。
翔は、不安や恐怖で泣いているのではない。この子はただ自分の弱さが、弱い自分が嫌で泣いているのだ。
そうして、翔はその思いの丈をそのままの形で叫ぶ。

「強く…強くなりたい!! 勝てなくてもいい、でも負けたくない!! ただ、正しいと思った事をできるくらい!!! 守ってくれるみんなを守れるくらい!!! 強く、なりたい!!!!」

それまで翔は、ただ漠然と「強くなるってどう言う事なんだろう」くらいにしか思って来なかった。
しかしこの時、初めて翔は心の底から願い、望んだ。力が欲しいと、強くなりたいと。
理不尽な暴力に抗う為に、大切な人を守る為に、心の底から。
男が言ったような「強いから正しい」という現実を拒否し、「信じた正しさを貫く強さ」を求めた。

(ああ、この子はなんて不器用で…………純粋なんだろう。
こんな怖い眼にあって、こんな痛い思いをして、それでもこの子は「力」じゃなくて「強さ」を求めてる。
我を通す為の「力」じゃなくて、不条理に負けない「強さ」を。
 なんて愚直で……優しい子。なら、それを守るのが…………大人の役目。そうだよね、母さん)

痛みが強くなるにつれ、身体の力が抜けていくのを自覚していたギンガだったが、その身体に新たに力が漲る。
なんとしても、なにがあっても翔を守らなければならない。それはいっそ、使命感にも似た感情だった。
翔を守る為ならば、禁を犯すことすらいとわない。そう思わせるだけの物が、ギンガの胸の内を満たしている。

(…………………………使えば、きっとここから逃げられる。
 使わないって、人として生きるって誓った。人として育ててくれた母さんと父さん、そしてスバルに。
 でも……………………………ごめんなさい。今の私には、もっと大切なものが出来ちゃった。
 大嫌いだったこんな「力」でも、この子の為に使えるなら…きっと、私は誇ることができるから!!)

意を決して、長い間封じ続けてきた力のスイッチを入れようとするギンガ。
さっきは咄嗟だった為に一瞬だったが、今は意識して完全な形で発動する。

それによって何が起こるかは、ギンガ自身が一番知っていた。
これまで築いてきた自分、「人間」としての自分。
それを壊してしまうかもしれない恐怖はあるが、それに勝る物を得たのだから。
仮に自身の秘密を知られて翔に恐れられても、それでも悔いはない。

覚悟を決めたギンガは、禁を破る為に静かに目を閉じる。
次の瞬間、封じ続けてきた力と共に閉じた眼を開く………その寸前。
ギンガ達が連れ込まれた廃ビルの壁が、大きく鳴動する。
そしてそれに重なる様に、ギンガを蹴る男の背後、窓際の壁が爆発した。

「な、何だ! 何が起こった!?」
「わかりません、いきなり窓際の壁が吹っ飛びましたぁ!」
「どっかの鉄砲玉の特攻か!?」

誰もが混乱する中、埃とも煙ともつかない靄が掛かる。
今しがたギンガを蹴っていた男も、訳のわからない事態に慌て、あっさりとギンガに背を向けた。
顔を挙げたギンガの眼に飛び込んできたのは、靄のカーテン越しに映る中肉中背の黒い影。
その影の主はゆっくりと靄を払って姿を現し、混乱する男達を無視して、この場には不釣り合いなほどのひどく穏やかな声でこう言った。

「遅れてごめん。助けにきたよ、翔、ギンガちゃん」






あとがき

まずはですねぇ……………………………ごめんなさい。
荒事になるとか言っておきながら、ある意味で何とも微妙な終わり方になってしまいました。
まあ、ちょうど区切りが良かったのでここでいったん区切ったんですけどね。
これ以上となると、正直文章量がすごいことになりそうだったのです。
とりあえず、今回は翔の変化の回。次で救援に来た人の話です。誰かは丸分かりですが。


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