ホテルアグスタでの一件が終結してから幾らかの時を置いて、機動六課隊舎前。
再度倒れた後、割とピンシャンした様子で意識を取り戻した兼一だが、シャマルの権限でそのまま設備の整った病院へ連行された。
本人は「もう大丈夫」と言って憚らなかったが、そんなものは一度心停止していた人間の戯言。
シャマルは一切聞く耳持たず、はやてからの命令もあって病院で検査を受けて帰ってきた所だ。
本当は一日入院を勧められたのだが、検査結果自体は多少の負傷はあっても健康そのもの。
医師達は一様に化け物でも見るような眼で兼一の事を見つつ、さすがに引きとめる事は出来なかった。
まぁ、兼一に言わせればこれでも充分調子を落としているのだが……。
(やっぱり動きが鈍いな。本調子まで半日ってところか……)
全身に重くのしかかる倦怠感。脳から神経、神経から筋肉への指令の伝達も平時よりコンマ数秒鈍い。
常人ならば長期入院が必要なレベルだろう。とはいえ、兼一の回復力なら半日あれば十分。
しかし、それもこれも全ては……。
(イーサンが上手くやってくれたから…か)
兼一は才能はあれだが、頭は悪い方ではない。
その上、相手は長い付き合いの友人でありライバルだ。
彼が何を想いあの場に立ち、完全な形でのトドメを指さなかったのか。
その理由を、兼一はしかと理解している。
何しろ他の誰かならいざ知らず、修業時代の兼一を知る者なら、心臓を止めた位で終わったとは思わない。
あの頃を知る彼が心臓を止めただけで良しとしたからには、必ず理由がある筈なのだ。
友人の心配りが嬉しくもあり、そんな気遣いをさせてしまった事が申し訳ない。
何より、そんな手心を加える余裕がある程についてしまった、ライバルとの力の差。
その現実が悔しくてたまらない。
同時に、彼には守らなければならない者達がいる。
臨死の中、彼を蘇生させた最後の一押しは可愛い愛弟子のただならぬ絶叫だった。
あの時の事を思い出すと、兼一は自らが背負っているものの重さと尊さを再認識する。
強くならなければならない。友の心遣いに応える為、自らの信念を貫く為、全てを授けてくれた師の想いに応える為、何よりも…………大切な者達を守る為に。
兼一に発破をかける事がイーサンの目的であった事を考えれば、それは見事に功を奏したと言えるだろう。
とそこへ、隊舎から大小二つの人影が姿を現した。
「うおっ! ホントに帰ってきやがった!?」
兼一の姿を発見するや、だいぶ失礼な事を言ってくる赤毛の少女。
だが、彼女の反応も無理はない。
普通、ついさっき死にかけた人間が、こんな短い時間で退院してくるなど性質の悪い冗談にしか思えないだろう。
一応連絡は受けていたようだが、半信半疑……と言うよりも、あり得ないと思っていた筈だ。
「あ、なのはちゃん、ヴィータ副隊長。ただいま戻りました」
「お、おう……つーか、身体は丈夫なのか? 心臓、止まってたんだろ?」
「ええ、また止まっちゃいました」
「また!?」
普通、心停止に「また」などと言う単語は付属しない。
そんな事を何度も繰り返してきたとしたら、この男は本当に人間なのか疑わしく思えて来る。
『実はこいつ、ゾンビとかフランケンシュタインとかの類じゃね?』的な眼で睨むヴィータ。
しかしそこへ、今度はなのはの方から更なる爆弾が投げ込まれた。
「でも、結構久しぶりなんじゃありませんか? 昔は修業中、お兄ちゃんたちと一緒に何度も臨死体験してたみたいですけど。まぁ、平然と歩いて帰ってくるあたり、兼一さんらしい気もしますが……」
「らしいのかよ!?」
「ほんとにねぇ。あんまりにも久しぶりだから、危うく川を渡る所だったよ」
(シャレになんねぇっての。つーか、んな軽く言うことか……)
まるで世間話でもするような気軽さに、ヴィータは頭を抱えてうずくまる。
なのはとの付き合いは長いが、まさかこんなずれた一面があったとは……。
いやまぁ、若干ずれた所のある奴とは思っていたのだけれども、まさかここまでとは思わなかった。
「やっぱり、適度に臨死にも慣れておかないと、かえって危ないよね」
(人としてどうなんだよ、それ……)
「幾ら心臓が止まった位じゃ死なないからって、少し油断してたかも」
「いや、そこは死んどけよ、人として……」
「何か言いました、副隊長?」
「いや、何でもねぇ。気にすんな」
もう一々リアクションするのも面倒になったのか、疲れ切った様子で手を振るヴィータ。
その小さな背中には哀愁が漂い、肩には重い重い疲労がのしかかっている。
だがその反面、なのはの兼一への信頼の深さ。その由縁を、ようやく理解したことも事実だ。
(にしても、まさか心臓が止まった状態でギンガのピンチに気付くとはなぁ。
つくづくとんでもねぇ野郎だ……ってか、『死んでも』ってそういう意味かよ!)
兼一が達人である事を知った時、なのははヴィータに『死んでも守るくらいは平然とする』と言った。
普通、この場合の『死んでも』とは命を捨てるという事を意味すると誰もが考える。百人に聞けば、百人が同意するだろう。実際、ヴィータ自身もそう考えていた。
しかし、兼一はそんな常識をはるかに超越し、文字通り『死んだ状態』からギンガを守るために動いたのだ。
あまりにも無茶苦茶で、色々と言ってやりたい気持ちはヴィータにもある。
だがこれなら確かに、かつてなのはが彼を無条件に信頼しているのもうなずける。
「あ、そうだ。なのはちゃん、ギンガがどこにいるかわかる? ちょっと話があるんだけど」
「え? ギンガなら、今は医務室でシャマル先生に診てもらってる筈ですけど……」
「妙に回復が早くてビビってたな、アイツ」
「そっか。じゃあ、丁度いいし薬も持って行こうかな。早めにメンテナンスもしてあげたいし」
(そういや、こいつが育ててんだもんな。そりゃ回復が早くて当然か……)
兼一は必要な道具を揃える為、隊舎から寮へと行き先を変更する。
その背中を、ヴィータはなんとも言い難い微妙な表情で見送るのだった。
BATTLE 29「悪魔、降臨す」
一通りの道具を揃えた兼一は、ギンガがいるらしい医務室へと足を運ぶ。
道中、フェイトやシグナムと遭遇し、ヴィータとよく似た眼差しで見られたのは御愛嬌。
二人はまだ兼一の状態が気になるのか、結局医務室まで付いてきてしまった。
で、医務室の扉を開けた兼一は開口一番……
「ギンガ、傷の具合はどうだい?」
まるで、お見舞いにでも来た第三者の様な口ぶり。
本来、今回の任務で一番ダメージが大きかった筈の人間がいうことではない。
実際、兼一の背後に立つフェイトとシグナムは「まず自分の心配をしろ」と言わんばかりの眼だ。
「え…し、師匠!? もう体は大丈夫なんですか!?」
「何言ってるんだい、ちょっと死にかけた位で大げさな……」
『充分大事です(だ)!!』
前後の4人からの一斉放火。
しかし兼一は動じた素振りもなく、スタスタとギンガのベッドへと移動する。
「とりあえず…………………………これを飲みなさい」
「…………なんか、凄い色と匂いですけど……何が入ってるんですか…?」
「昔の偉い人は言った、無知は時に救いだと」
「それ絶対嘘ですよね!?」
眼を逸らしながら、素知らぬ顔で下手な嘘をつく兼一。
益々その中身に不安を覚えたギンガはなんとか逃れようと暴れ出すが、そんな事は兼一が許さない。
彼は都合よく後ろに立っている人物に協力を仰ぐ。
「シグナムさん、ちょ~っと抑えててもらえます?」
「……まぁ、なんだ。諦めろ、ギンガ。
ちゃんとお前の事を心配してくれての事だ、有り難く飲んでおけ」
「鼻をつまみながらいっても説得力がありませ………ゴボゴボッ!?」
シグナムに抑え込まれ、されるがままに薬を流しこまれるギンガ。
全てを飲み切った時、ギンガは悶え苦しむ事もなく沈黙していた。
代わりに、彼女の口から抜け出たエクトプラズムが悶え苦しんでいるように見えるのは……気のせいだろう。
その間に兼一は手早くギンガの身体を触診し、慣れた手つきでメンテナンスを施していく。
ちなみに、その後ろではシャマルやシグナム、それにフェイトがその手際を興味深そうに見ているのだった。
そうして一通りの処置を終えた所で、兼一は再度ギンガの隣に腰を下ろす。
なんとか復活したギンガも、神妙な空気に晒されて居住まいを正した。
「ギンガ。しばらくの間、君に謹慎を命じる。
当然その間、一切の武も禁止だ。拳を作ってもいけない。いいね」
「っ!」
行動範囲は隊舎と寮の間のみ。職務においても一切の訓練は不可、自主練など以ての外。
それが、兼一が下したギンガへの罰則だった。
「ちょ、兼一さん!」
さすがにそれは厳し過ぎると、慌てて仲裁に入ろうとするフェイト。
ギンガは良く頑張った。格上の相手を退け、流水制空圏を完成させ、今まで出来なかった技も会得したのだ。
しかも、聞けばその技は兼一の必殺技と言うではないか。
それは、目覚ましいという言葉では到底足りないレベルの飛躍的な成長。
てっきりそれを褒めてやるのだと思っていただけに、フェイトの驚きは大きい。
だがそれを兼一は片手で制し、シグナムもまたフェイトの肩を抑える形で制止した。
「理由は、わかっているね?」
「…………はい」
兼一の問いかけに、ギンガは小さく弱々しい声音で頷いた。
そう、理由はわかっている。
なにしろそれは、イーサンにも言われた事だから。
「僕が君に教えたのは、活人拳。人を活かす為の拳だ。
『殺すな』『殺されるな』、常々そう教えてきたつもりだよ。
なのに、憎しみに飲まれその拳に殺意を乗せるとは…………何事だ!!」
それまでの静かな口調から一転し、部屋全体を振るわせる一喝が皆の耳朶を打つ。
兼一らしからぬ強い語調と怒気に、フェイトは身体を竦ませる。
温厚篤実が服を着て歩いている様な兼一が発する叱責は、第三者のフェイトですら圧倒された。
ならば、じかにそれに晒されているギンガへの影響はいかほどのものだろう。
「あまつさえ、一影九拳に闘いを挑むなんて………僕を倒した男に、君が勝てる道理があるものか!
相手がイーサンだったからよかった物の、僕と修業している君にはそれがわかっていた筈だろう!
君のやった事は、無謀ですらない自殺も同然の愚行だ!!
その事を肝に銘じ、自分自身をよく見つめ直しなさい、以上」
言って、兼一はパイプイスから立ち上がって医務室を後にする。
フェイトはギンガの言葉すら聞かずに立ち去る兼一の後を慌てて追い、シグナムも数歩遅れてついて行く。
残されたギンガは布団を握りしめ、僅かに頭を垂れ肩を震わせる。
ここまで怒られたのは、兼一の下に弟子入りして初めてだろう。
今回の事がギンガに与えたショックは思いの外大きいらしい。
そんなギンガの傍らに立つシャマルからは、その表情と心の内を見る事は出来なかった。
「兼一さん!」
兼一の後を追っていたフェイトは、駆け足でその背に追いつき兼一を呼び止めた。
彼の言わんとする事はフェイトにもわかる。だが、さすがにアレはきつく言い過ぎなのではないか。
優しいと同時に甘い所のあるフェイトには、どうしてもそう思えてならなかった。
「あの、お気持ちは分かるつもりです。でも、あれは幾らなんでも言いすぎじゃ……!」
「待て、テスタロッサ」
そんなフェイトに、シグナムが歩み寄りながら再度制止した。
フェイトはシグナムの方を振り向きながら、何故止めるのかと反駁しようとする。
「でも、シグナム!」
「白浜にも考えあっての事だろう。それを聞いてからでも遅くはあるまい」
「…………はい」
フェイトとしても、兼一が怒りにまかせて叱責したとは思わない。
ならば、確かに彼女の言う通りまずその意図が奈辺にあるかを確認すべきだ。
その事を反芻し、心を落ち着けてフェイトは再度兼一に言葉を投げかける。
「兼一さんのお怒りはごもっともだと思います。それに対する叱責と、罰があるのも当然でしょう。
でも、ギンガが今回の任務で大きく成長したのも事実です。なら……」
「ええ。イーサンの助言があったとは言え、我を忘れるほどの感情を飲み込んで見事に静の気を練り、真の流水制空圏を会得したのは、たいしたものでしょう。
それどころか、無拍子まで見せてくれた事は……正直、師として感無量ですよ」
「だったら……!」
もっとその事を評価し、ちゃんと褒めてやるべきなのではないか。
一切褒める事もなく、ただ叱りつけて罰するべきではないと、フェイトは言外に語る。
「でも、ギンガが一時とは言え殺人拳に手を染めそうになった事は事実。
どんな形であれ、ここで褒めるのはあの子の為になりません」
褒めてやりたい気持ちは兼一にも無論ある。
しかし、今のギンガに必要なのは彼女が犯しかけた過ちを正す事。
そう考えたからこそ兼一は敢えて褒めず、叱責するだけにとどめ……そして、時間を与えた。
「今は己を見つめ直し、心を整理する為の時間が必要でしょうから」
こう言われてしまっては、最早フェイトに言える事はない。
兼一の叱責は怒りからではなく、一から十まで弟子の事を想ってのもの。
つい身内には甘くなってしまいがちな所を多少なり自覚しているフェイトにとって、それはむしろ見習うべき点として映った。
「今夜は付き合うぞ。そうだな、ザフィーラも呼んで飲むとするか。
お前の弟子であり、我らの部下の成長を祝してな」
「いいですね」
「もちろん、お前の奢りだが」
「あははは……まぁ、仕方ありませんね」
シグナム達ほどの高給取りではない身には痛い出費だが、今はそんな事も気にならない。
同時に、フェイトはシグナムが最初から全てわかっていたのに対し、兼一の想いを測り切れていなかった未熟な自分を恥じた。人生と言う名のキャリアにおいて、彼女は二人に大きく劣る。
その事を強く実感し、エリートだのエースだのと持ち上げられた所で、所詮自分はまだ二十歳にも満たない小娘なのだと戒めるのだった。
* * * * *
明くる日の早朝。
兼一は酒はあまり強くないが、アルコールを分解する肝臓は驚異的に強い。
おかげで、景気よく飲みまくり酔い潰れておきながら、二日酔いになる事もなく寮の中を歩いていた。
シグナムとザフィーラは程度の差はあれ二日酔いで苦しんでいるかもしれないが…彼には無縁の話だ。
前日言い渡した通り、当分はギンガの修業はない。
その間は集中的に翔を鍛えることになるので、その修業メニューを考える。
同時に、謹慎を解いた後にはギンガの修業も段階を上げ、今までより数倍増しにするつもりだが。
何しろ、叶翔の血を継ぎイーサンが鍛えている子だ。こちらも全力で掛からねばなるまい。
ただ、あまり弟子の事にばかり集中してもいられないのが現状だ。
今回の事で、自分自身もまた一から鍛え直す必要性を痛感したのだから。
まぁ、それはそれで昔を思い出して中々に充実しているとも言えるのだが。
ちなみに、今が早朝でなければ恐らく寮内は騒然としていた事だろう。
なにせこの男、現在進行形で天地逆転状態。
師に倣い、足の指の鍛錬とばかりに天井の僅かな凹凸を掴んで歩いているのだ。
さらにその両手には、それぞれ大サイズの投げられ地蔵。
誰も見ていないから良い様な物の、誰かに見つかればあっという間に騒ぎになる。
それどころか、下手をすると怪しげな怪談へと発展しかねない。
そんな自分の状態を自覚しているのかいないのか……。
とそこで、ふっと視線を移した窓の外に兼一は良く見知った人影を発見する。
「アレは……………………ティアナちゃん」
早朝訓練にしても早過ぎる時間にもかかわらず、出歩いているティアナ。
その様子に、兼一はどこか違和感を覚える。
元から危ういところのある子だけに、兼一は自身の中である種の懸念が肥大化しつつある事に気付いていた。
「…………ちょっと、追ってみるかな」
何をするつもりかは分からないが、気にかけておいた方がいいと判断し、兼一は開け放った窓からその後を追う。
一端気配を消せば、弟子クラスでしかないティアナに兼一の気配を感知する事は不可能。
一切怪しまれる事なく、付かず離れずの距離を保って尾行を続ける。
やがて、ティアナが向かったのは機動六課裏の林。
恐らく、そこで訓練を始めるつもりなのだろう。
別に、兼一としてもティアナに対しあまり過剰に口出しする気はない。
兼一とて若い頃から一人稽古は良くした物だし、努力する姿勢そのものは評価すべき点だから。
そうしてティアナは林の中ほどで足を止めると、周囲に十ほどの光球を浮遊させ、射撃の型の練習を始めた。
とりあえず、兼一はティアナの姿が辛うじて見える位の場所で木に背を預け、彼女の様子を見守ることにする。
どんな結論を出すにしても、まずは今のティアナの状態をよく見ておくべきと考えたのだ。
だが、結論を出すまでに要した時間は、思いの外短かった。
(悪くはない。昨日の闘いのダメージも、もうそれほど残ってはいないみたいだ)
ギンガに比べて、ティアナ達が受けたダメージはたいしたものではない。
おかげで、今のティアナの動き自体は普段のそれと大差ないだろう。
動きのキレも、昨日の敗北の悔しさからか、普段より鋭さを増している位だ。しかし……
「動き自体は悪くない。でも………良くないな」
一目見てわかった。今のティアナは、ただ「力」そのものを欲している。
その為に我武者羅に、何もかもをかなぐり捨てる勢いで打ちこんでいるのだ。
努力することの尊さを、誰よりも兼一はよく知っている。
だからこそ、今のティアナが良くない傾向にある事も理解していた。
故に、とてもではないが今のティアナは放置できない。
彼自身にも覚えがある。敗戦のショックもあって、今のティアナは非常に危うい状態だ。
兼一にもそんな時があったからこそ、手遅れになる前になんとかしたい。
できればなのはたちとも相談したかったが、正すのなら早いに越した事はないだろう。
時が経てば経つ程に自体は悪化していく。故に、兼一はとりあえず行動に移す事を選択した。
「朝から精が出るね、ティアナちゃん」
「兼一…さん」
頃合いを見計らい、兼一はティアナへと声をかける。
殊更気配を消していたわけではないし、それどころか少し前からティアナにも見える位置に立っていた。
それでもティアナは、今の今まで気付かなかった様子で僅かに驚きの表情を浮かべている。
ここからも、周りが見えない程に集中していた…と言うよりも、見る余裕をなくしている事が伺えた。
「見てたんですか?」
「少し前からね。でも、そろそろ切り上げた方がよくないかな。
もうじき、なのはちゃんの訓練が始まるよ」
「ぁ、もうそんな時間。ありがとうございました、失礼します」
律義に頭を下げ、ティアナは駆け足でその場を後にしようとする。
そんなティアナに向け、兼一は彼なりに助言を投げかけた。
「頑張るのは良いけど、ちょっと根を詰め過ぎじゃないかな?
もう少し、肩の力を抜いた方がいいと思うけど」
「あなたがそれを言いますか」
「まぁ、確かにね……」
実際なのはよりも、それどころか今のティアナよりも無茶な事をやらせているのが兼一だ。
ある意味、その助言を兼一が言うのはある意味身の程知らずと言えるだろう。
兼一もその辺りは自覚しているのか、ティアナの指摘に苦笑を浮かべている。
「でもね、我武者羅にやればいいってものでもないよ。
一人で無茶してると怪我にもつながるし、動きのズレも意識し辛いからね。
僕も昔は遅くまで一人で修業したりしたものだけど、いつも師匠が隠れて見てくれていたものさ」
「…………」
「あ、別に一人でやるなって言うわけじゃないよ。強い人は、一人稽古が上手いものだからね。
とはいえ、やらなきゃ上手くならないんだから、それ自体は良いと思うし」
「結局、何が言いたいんですか?」
中々繊細な問題だけに、兼一も言葉を選ぶ。
それがかえって話を回りくどくしてしまい、ティアナをいら立たせている。
自分の欠点を理解しているからこそ、直球を避けようとしているのだが……上手くいかない。
「ええっと…そうだね。何て言ったらいいか……」
「無理な詰め込みは避けろと、昨日ヴァイス陸曹には言われました」
「……」
「でも、詰め込んで練習しないと、上手くなんないんです。みんなやギンガさんと違って、覚えが悪いですから」
そんな事は兼一の方がよく分かっている位だろう。何しろそれは、兼一自身もやっていた事だ。
生憎と、要領よく効率的に覚えられるほどの才能が彼にはなかった。
だからこそ、ひたすら繰り返し魂にまで武を沁み込ませる。それが白浜兼一の方法論。
ティアナの言っている事はそれとなんら変わらない。
故に、その点に関して兼一は頷くしかないのだが、それとは別に一つ訂正を入れる。
「そんな事は、ないと思うんだけどな。ティアナちゃんは……筋はそこそこ良いと思うし」
「慰め…のつもりなら結構です。自分が凡人な事くらい、自分でわかってますから」
「あ、いや、別にそんなつもりは……というか、君も大概自分を追いこむ天才だよね。
そりゃ、みんなが才能の塊みたいなのは事実だけど……あれ?」
もしかして僕、また不味い事言った? とばかりに兼一の顔が硬直させた。
なぜなら、ティアナは顔を俯かせ、僅かに垣間見える表情が強張っている。
梁山泊の師匠連同様、兼一はそう言った事は必要以上にストレートだ。
兼一の場合は言われ慣れている御蔭で最早劣等感を抱く事もないが、ティアナは違う。
わかってはいても、その事実は彼女の中の暗い部分を刺激する。
「ほ、ほら! さっき言った通り、才能が足りないならその分努力すればいんだしさ!
だ、大丈夫! 覚えが悪くても、全然進歩しないって事はないよ!
ちょっと周りに比べて成長が遅いだけで!!」
逆効果に次ぐ逆効果。
兼一としては必死に昔の自分を振り返って言っているのだが、あまりにストレートすぎてティアナの心に突き刺さる。そんな事は、今まで何度も自分自身に繰り返し言い聞かせてきた事だ。
そうして、何度も挫けそうになりながら、必死に綺麗な理想論を信じてきたが……現実はどうか。
仲間達と同じ事をしていては、追い縋っていく事は出来ない。ならばと人一倍努力してきたが、スバルはもちろんエリオやキャロにも置いて行かれそうな危機感が拭えなかった。
その挙句の……ミスショット。しかも、そのミスをカバーしたのは敵。
それも、自身とは比べ物にならない程の才能を、当たり前の様に振るう強者。
抗う事が出来なかった自分が惨めで、親友を撃ってしまった自分が情けなくて、ティアナの心を追い詰める。
その上、アノニマートの言った残酷な現実と、それを覆せなかった弱い自分。
今の彼女には、綺麗な理想論は己を苛む呪いでしかない。
「そ、それにさ!
才能は自慢できなくても、ティアナちゃんは凄く努力できるっていう長所があるじゃないか!
簡単な事だけど、中々できる事じゃないよ!」
そもそも、「才能が自慢できない」と言っている時点でどうなのか。
昔から言われ慣れてしまったせいか、どうもその言葉が与える影響を察する感性が鈍い。
というか「“そこそこ“筋が良い」とか「周りよりちょっと成長が遅いだけ」とか言われても、全然励まされないのだが……。
「な…にが………って言……ですか」
「え?」
「あなたみたいな天才に、何が分かるって言うんですか!!」
ついに我慢の限界に達し、ティアナは顔を上げて怒鳴った。
その眼は今にも泣き出しそうな程に潤み、硬く握りしめられた拳が震えている。
「生身のまま魔導師を蹴散らして、どんな無茶も平然とやってのける!
あなたみたいな天才に、凡人の何が分かるっていうんですか!!
努力すればとか、才能がなくてもとか……気安く言わないで!!!」
腕で溢れだしそうな涙を拭い、ティアナは兼一の肩にぶつかりそうになりながらその横を駆け抜ける。
実際、第三者から見れば兼一は才能の塊と映るだろう。その身一つで魔導士と真っ向から渡り合い、重火器で武装した敵を無手のまま制圧する。それが天才でなくて、いったいなんだと言うのか。
故に彼女が勘違いしてしまうのも当然の話。
兼一が本当は才能の欠片もないなどと、信じられる要素が全くないのだ。
仮に今ここで兼一が彼女を引きとめ、「自分は凡人だ」と語った所で信憑性など絶無。
では、兼一がティアナをそのまま素通りさせたのはそれがわかっていたからかと言うと…………違う。
「天才って…………………………………僕が?
うわぁ、そんな事言われたのはじめてだ」
彼自身、その単語にどう反応していいのかわからず呆然とたたずんでいる。
なんのことはない。兼一は、生まれてはじめて言われたその単語に放心していたのだ。
たとえそれが盛大な勘違いでも、言われ慣れない単語が与えた影響は大きかったらしい。
「はっ!? そうだ、ぼうっとしてる場合じゃない! ティアナちゃん!」
やや遅れて本来の目的を思い出し、振り向いた時にはすでに手遅れ。
ティアナの姿は林のどこにもなく、兼一は見事に機を逸してしまったのだった。
* * * * *
数日後の機動六課会議室。
意図しなかったとはいえ、結果的に兼一が大きくティアナを追い詰めてしまった日からしばし。
機動六課内のある会議室に、上層部及びシャーリーや兼一が集められていた。
「さて、みんなに集まってもらったんは外でもない。
ちょう問題が発生してな、みんなの意見を聞かせてもらいたいんや」
切り出したのは、招集をかけた部隊長のはやて。
彼女は自らの胸の前で両手を組み、厳かに言葉を紡ぐ。
「一つ目は、ちょう厄介かつ繊細な問題でな。
みんなも気付いとるかもしれへんけど……ティアナの事や」
『あぁ……』
隊長陣や兼一など、ほぼ全員が一様に溜息を洩らす。
程度の差はあれ、皆何かしら心当たりがあるのだろう。同時に、その問題の解決が酷く難しい事も。
「この件に関しては、私よりなのはちゃんの方がええやろ。お願いできるか?」
「うん。ホテルアグスタでの任務以来、ティアナの様子がおかしいのはみんな気付いていると思うの。
ヴァイス君たちからも、ちょっとティアナの自主練習が行き過ぎてるんじゃないかって、心配する声がチラホラ上がってるんだ」
若い魔導師なら、強くなりたいと思うのは当然。
多少の無茶は、まぁだれもがしている事なのでとやかく言うことではない。
だが、ティアナのそれは以前から時々行き過ぎている部分があった。
それが最近、さらに拍車がかかってきている。
ティアナを無茶に駆り立てる、根源的な原因はすでに皆の知るところだ。
拍車をかけている原因も、前回の戦闘記録やデバイスに残ったデータなどを解析すれば一目瞭然。
「原因は、やはり焦りか」
「ですね。前から、ティアナはちょっと周りに色々引け目を感じていたみたいですし」
シグナムの呟きに、なのはは苦い表情で頷く。
以前はまだそれほどではなかったのだが、あの一件以来急激にその状態が進行している。
もちろん、なのはとて今までただ何もせず見ていたわけではない。
ティアナがそう言う思いを持っていたのは知っていたし、それをほぐす様に言葉を懸けてきたつもりだ。
しかし、今のところそれが功を奏しているとは到底思えない。
それどころか、最近はかえってティアナの心を頑なにしてしまっている気がする。
なのはもそれに気付き、今は極力そう言った言葉を控える様にしていた。
「多少の無茶は…私達がちゃんと監督してればいいかと思ってたんだけど、最近は本当にその範疇を越えてる。
フェイトちゃんも外周りの帰り、深夜にティアナが練習してるのを見てるし」
「うん。正直、あれは頑張ってるって言うよりも鬼気迫ってるって感じが強いと思う」
「多少張りつめてるくらいならまだしも……不味いよな。
切れた時が怖ぇし、それが任務中とかだったらと思うとゾッとする」
「だね」
嫌な想像に僅かに肩を震わせるヴィータと、それに同意するなのは。
引っ張り過ぎた糸はやがて限界に達し切れる。硬さは時に柔軟性を欠き、脆さに繋がる。
今のティアナは、そういう状態だ。
「良く話し合うにしても、ちゃんと準備が必要ですよね。人選にしても持っていき方にしても。
下手な事をすると、余計に悪化させちゃいますし」
不安そうに語るシャマルの言葉に、兼一が僅かに居心地悪そうにする。
それは正に、数日前に彼がやってしまった大失敗そのもの。
早いうちに軌道修正すべきと思って声をかけたが、完全に裏目に出てしまった。
もちろんその事を兼一はなのは達に伝えたし、兼一の意図も皆は理解してくれた。
が、それでもやっぱり今の兼一は非常に肩身が狭いのである。
別に、シャマルとてあてこする為に言ったのではないが、結果的にこれはそういう状態だった。
「だとしたら、適任は誰なんでしょう?」
「ヴァイスはどうなのだ? あれは元とは言えティアナと同じ銃型のデバイスを使っていた。
狙撃手では畑が違うだろうが、まだ効果的かもしれん。
ティアナが才覚の差に悩んでいるのなら、その意味でも適任かと思うが……」
「ああ、それダメ。かなり早い段階でアイツも口を挟んだみたいだけど、撃沈しちまった。
あの様子だと、もう一回チャレンジしても難しそうだな。
今じゃ、顔合わせても最低限のやり取りしかしねぇし」
「そうか……」
リインの問いにシグナムが応えるが、それもヴィータに否定されてしまう。
今の六課で一番彼女の心中を理解できそうな人物だったのだが、それが無理となると……。
「あの、なら私が……」
「いやぁ、フェイトちゃんやとむしろ逆効果やろ」
「はい」
「だな」
「ですね」
「そ、そうかな?」
控えめに手を上げるフェイトだが、それはあっという間に八神家一同からダメ出しを喰らってしまう。
彼女としては、優しく気をほぐす様にして話せばと言う考えがあったのだが……。
だがそれは、現状において認識が甘いと言わざるを得ない。
「ええか、フェイトちゃん。ティアナが思い詰めとる原因の一つは、才能や。
で、フェイトちゃんもなのはちゃんも、はっきり言って才能が極彩色で額縁付きで呼吸してるようなもんなんやで? そんなフェイトちゃんが今のティアナに対応してみぃ、十中八九『同情』や『憐憫』で『可哀そうなティアナ』を『完全無欠なフェイトちゃん』が『助けてあげる』構図になってまうんや」
「わ、私はそんなつもりは……!」
「フェイトちゃんにその気がなくても、ティアナにはそう映る可能性が高いっちゅう話なんよ」
フェイトは確かに優しいが、今のティアナはその優しさを素直に受け止められる精神状態ではない。
鬱屈した感情に捻じ曲げられ、彼女を追い詰める一因にしかなるまい。
それはフェイトに限らず、他の面々でも同じ事。
だからこそ、彼女達は自分から動く事が出来ずにいるのだ。
上層部の中での適任は、間違いなく彼女と一番接点の多いなのは。
それでも、彼女の話に素直に耳を傾けるにはどんな形であれ、鬱屈したものをなんとかせねばならない。
まずそこをなんとかしない事には、ヴァイスの時同様言っても聞きはしないだろう。
どんな正論も励ましも、壁に阻まれ心に届かなければ意味がない。
故に、その壁を取り除く方法こそが目下最大の障害であり、本件最大の敵なのだ。
「となると、やっぱりもう一度兼一さんにお願いするしかないのかなぁ……」
「でも、兼一さんは一回失敗しちゃってるよ。逆効果なんじゃ……」
「うん。でも、やっぱり全く才能の欠片もない兼一さんが一番だと思うし」
なのはがフェイトの言葉にそう返した瞬間、場の空気が凍りついた。
なにか、今彼女は絶対にあり得ないことを口走らなかっただろうか。
同席しているシャーリー等は、とんでもないレベルで崩れきった顔を晒している。
だがそこで、いち早く石化から解放されたシグナムが得心がいったとばかりに頷く。
「まさかまさかとは思っていたが、やはり白浜に……………………才能はなかったか」
「たぶんそうなんじゃねぇかとは思ってたけど、やっぱりか」
「え!? お二人的には納得なんですか!?」
未だにその内容が信じられないようで、シャーリーはシグナムとヴィータの言葉に動揺を露わにする。
それはまぁ、高位魔導士と生身で真っ向勝負できるような人間に才能がないなんて、普通は信じられない。
ただし、ある程度才能を見抜く目を持っていれば、一応はそうでもないようだが。
「そんな気はしてたんだけど、でもあんなに強いし自信はなかったんだよね。はやては?」
「私も大体そんな感じや」
「私も正直、何かの冗談かと……」
「ふぇ~~~~~~、ですぅ」
守護騎士一同やフェイトなどは、相応の力量と経験があるだけに才覚を見抜く目を持っている。
はやてもまた上に立つ者として、人を見る目があったからこそだろう。
ただ、経験の浅いリインはそうではなかったようで、ポカ~ンと大口を開けているが。
ちなみになのはの場合は、眼は持っているのだがそれ以前に知識として知っていたのが大きい。
「あの、なのはさんはどうして……」
「私の場合は、子どもの頃にお父さんたちがそんな話をしてたから、ね」
「そんなに信じられませんかね? 師匠達からは口を揃えて『才能ない』って連呼されてたんですけど」
「むしろ、才能がないのにどうしてそこまで……」
「努力しましたから。まぁ、良い師と良い友、後は良いライバルがいたおかげですかね」
他に要因を上げるとしたら、兼一に努力する才能と強い心があったからか。
いずれにせよ、一般的な意味での才能の恩恵など一切ない。
それが、白浜兼一と言う武術家の有り様であり道程なのである。
「まぁ、それやったらやっぱり兼一さんにお願いするのが妥当かもしれへんね」
「でも僕、この前大失敗しちゃいましたよ?」
「それなんよねぇ……」
それさえなければ兼一に一任し、全員でバックアップすればいいだけの話だったのだが……。
今さらではあるが、あの失敗が痛い。
まさか、昔の兼一の時の様な無茶な策は使えないし……。
と言うかあの場合、失敗したらどうするのかと言う部分がすっぽり抜け落ちている。
さすがにそんな穴だらけな策は提案できないだろう。
「せやけど他に適任もおらんし、これで行くしかなさそうや。
細部に関しては、また改めて詰めていくとして…………問題の二つ目、ええか?」
はやてが一同を見回すと、それぞれ頷き返す。
兼一としては不安いっぱいなのだが、はやての言う通り他に適任もいそうにない。
いい加減腹を括り、やれる限りの事をやるしかないのだろう。
「二つ目は……………………これや!!」
言って、はやてがデスクに叩きつけたのは、一枚の書類。
何やら色々ごちゃごちゃ書かれているが、そこに書かれている内容を大雑把に纏めるとこうなる。『先日の戦闘行為で発生した被害の修繕費用及び壊れた品々の賠償については、本局と地上本部はビタ一文も出さないから、ぜ~んぶそっちで持ってね♪』と。
本来この手の請求は、大体本局か地上本部の方から出してもらえる筈なのだが……というか、一々部隊レベルの予算から出していては、あっという間に破綻してしまう。
「はやてちゃん、これは……」
「なんや知らんが、本局も地上本部も、それどころか聖王教会まで素通りしてうち(六課)に請求が回ってきてなぁ……」
リインの問いに、暗い笑みを浮かべるはやて。
主だった所は森林部やロータリーの破壊に対する補償なのだが、問題なのはその他。
ホテルの裏手にて闘い、その最中にホテルに突入。その際に壊されまくった調度品の賠償額がシャレにならない。
高級ホテルだけあり、調度品の価格も相応にバカ高いのである。
「兼一さんが、それはもう景気よく壊しまくってくれたおかげでなぁ……」
「う”!?」
「いやいや、別に責めてるのと違うんよ? 相手は一影九拳っちゅう、最強クラスの武術家や。
兼一さん自身危うく死ぬ所やったんやし、他のだれかやったらほんまに死んどったかもしれへん。
それに比べれば大したことないし、お客やホテルのスタッフにも被害はなし。
この程度で済んで万々歳やから、兼一さんを責めるのなんてお門違いに決まってるやん」
「はぅ!?」
言ってる内容は兼一を擁護するものなのだが、とてもそうは聞こえない。
はやての言葉が進むにつれ、兼一の身体がどんどん小さくなる。
やむを得なかったとは言え、事実は事実。
兼一達の闘いが多くの被害を与え、その請求が六課に来たのは覆しようもない。
本来は襲ってきた側に請求しろと言いたいが、大人しく払う筈もない様な連中だからああいう事をしたのであって……。そもそも、居所がわからないので請求の使用もないのだが。
ちなみに、なんで六課に直で請求が来たかと言うと、犯人は地上本部中将のヒゲダルマ。
本局嫌い、聖王教会嫌いの彼は、当然その息の掛った六課も嫌い。はやてなど特に。
そこで、お前達が許可を出した新部隊はこの体たらくだぞ、とアピールし付け入る隙を作る為、このような小細工を施したのである。もちろん、嫌がらせの意味が全くないとは言わない。
それはともかく、正直兼一の給料では到底補填できる額ではないのも事実。
さて、どうなるのやらと思ったところで、六課全体に放送が掛かった。
「ぴんぽんぱんぽ~ん。白浜陸士、白浜陸士。お客様がお見えです、至急一階受付までお越しください」
『お客?』
何やら妙な空気が蔓延しつつあった会議室だが、その放送と共に何かが緩む。
しばしの沈黙の後、はやては気分を切り替える様に息をついた。
「はぁ……なんやわからんけど、お呼びやで兼一さん」
「あ、はい。すみません、席を外させていただきいます」
「まぁ、話の内容はここまでやし、とりあえずみんなも解散っちゅうことで。
ティアナに関しては兼一さん中心にみんなでサポートしつつ、各々よく注意するように。
で、請求に関しては……………………まぁ、なんとかしてみるわ」
こうして会議は一端終了。
呼び出しを受けた兼一は、急ぎ会議室を後にして受付へと向かう。
他の皆はそれぞれ持ち場に戻り、各々の仕事に取り掛かる…筈なのだが、実際にはなぜか兼一の後に付いてくる。
「あの、どうしたんですか?」
「いや、お前の客というのがどんな奴なのかとな」
「あ、あははは……私も、ちょっと気になって」
振り返りながら問う兼一に、シグナムとシャマルがそんな答えを返す。
他の面々も想いは同じ様で、何やら曖昧な笑みを浮かべていた。
兼一はそんな皆に溜め息をつきつつ、気にしたら負けだとばかりに歩みを進める。
まぁ実際、兼一の客というのは気になるだろう。
彼自身、客の心当たりがない。こちらの世界で兼一と縁のある人物と言えば、まずは108の面々。
後はヴェロッサやユーノくらいか。しかし、彼らなら事前に連絡くらいはしてくるだろう。
事前の連絡もなしに突然にと言うと、兼一も首をかしげるばかりだ。
やがて、兼一は呼び出しを受けた受付に辿り着く。
そこには、なぜか集まっている新人たち及び翔とギンガ。
そして、兼一が姿を現した所でそれまで受け付け傍の椅子に腰かけていた人物が立ちあがった。
「よぅ、兼一! イーサンに負けたらしいじゃねぇか!」
開口一番、敗北の傷を抉ってきたのは人間離れした容姿の地球外野郎。
おかっぱに切りそろえられた黒髪とそこから覗く二本の触覚、異常に尖った長い耳、誰が見ても一目瞭然な悪人面。放つオーラは禍々しく、「ケケケケ」という声は悪魔の笑いの様だ。
それもその筈、何せこいつは宇宙人の皮を被った悪魔。人間の常識など通用する筈がない。
そんな悪友に向け、兼一は無言で歩み寄るや否や胸倉を掴んで問い質す。
「何を企んでる、宇宙人? お前の事だ、どうせ邪な事を考えているんだろう。
僕はこの際置いておくとしても、ここの子達をお前の邪悪な策略に巻き込むな」
「ウヒャヒャヒャ! 久しぶりに会っていきなりそれか?」
「お前だって似たようなもんだろうが!!」
普段の兼一からは想像もつかない程に、乱暴なやり取り。
その場に居合わせた面々は、呆然とその様を見やるのみ。
ただ、この場には兼一の他にもう一人、このナマモノに憶えがあった。
「えっと、新島さん?」
「おぅ、高町の小娘じゃねぇか、久しぶりだな」
『なのはさんに小娘!?』
正直、エースオブエースの勇名が広く浸透しているこの世界にあって、彼女をそう呼べる者などほとんどいない。
しかし、この男はそんなものを気にする様な殊勝な性格ではなかった。
「あのガキが、しばらく見ねぇ間に偉くなったじゃねぇか」
「は、はぁ……どうも」
「なのはちゃん、アレ誰や?」
「なのはの知り合い?」
曖昧な会釈をするなのはに、幼馴染二人が横から小さく問いかける。
ヴィータなどは不快感を露わに新島を睨んでいるが、彼は全く恐れ入った様子を見せない。
まぁ、実際に彼の胆力はかなりの物なので、当然かもしれないが。
「おめぇ、なのはとどういう知り合いだよ」
「ま、お前らよりも古い付き合いとだけ言っておこうか、チビ助」
「んだと……!」
「抑えろ、ヴィータ」
新島の人を小バカにした態度に、ヴィータが青筋を浮かべて詰め寄ろうとする。
が、それを羽交い絞めにする事で制止するシグナム。
何と言うか、真面目に取り合うと損をする、そんな直感が働いたのかもしれない。
もしそうだとすれば、彼女の勘は大当たりと言えるだろう。
で、なのは達の方はと言えば……
「新島春男さん。兼一さんの……悪友? で、新白連合の総督さん」
「総督っちゅうことは……トップやんか!?」
「あ、あの人(?)が!?」
一応二人も全く知らなかったわけではないが、やはり実物はだいぶ違う。
話しや映像で見るより、実物は遥かに妖怪染みていた。
その感想はシグナム達も同じ様で、観察する様な眼で彼を見る。
「……………まぁいい。で、ホントに何し来た?」
そんなやり取りが後ろでされていたからか、何かを諦めたように新島の胸倉を離す。
実際、わからないことだらけだ。この男の事だからこんな所に現れたのも、今更驚きはしない。
だが、その目的がさっぱりだ。もちろん、ただ旧交を温める為だけにやってくるような奴ではない。
こいつの事だから、絶対何か企んでる。それも、他人を良い様に利用して。
新島への信頼の全てに懸けて、兼一はその推測を確信していた。
で、そんな兼一に対する、新島の答えがこれだ。
「あぁ? そんなの……………………………………………負けたお前を笑う為に決まってんだろうがぁ!!」
『ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!』『ヒャ――――――――ハハハハハハハハハハハハハ!!!』『ケケケケケケケケケケケケケケ!!!』と、七転八倒する勢いで笑い転げる新島。
その笑い声は、ある意味黒板をひっかく音に匹敵する不快感を兼一にもたらした。
兼一は拳を握りしめ、ブルブルと肩を震わせる。
やがて、何かが限界に達したのか勢いよく顔を上げた。
「悶虐陣破壊地獄!!!」
「ぐぺっ!?」
一瞬の交錯。気付いた時には、新島の身体は生命活動に必要な最低・最小限の機能だけを残して、完全に破壊し尽くされていた。
余人には何が起こったかわからない、そんな早技。
一つ確かなのは、新島の全身が軟体動物の様にグニャグニャになっている事だけ。
「おいおい、死んじまったんじゃねぇか?」
「白浜、確かにこの男は不快だったが、幾らなんでもこれは……」
あまりに凄惨な有様に、さすがにヴィータとシグナムも正視できない。
それほどまでに、今の新島の状態は悲惨そのもの。
新人達等、最早完全に心と身体が固まってしまっている。
「け、兼一さん…幾らなんでもその技は……」
「なのは、知ってるの?」
「昔、兼一さんの先生が見せてくれたんだけど、確か……『人が死なない必殺技』って言って、死にはしないらしいんだけど……」
「いや、これはむしろ死んだ方がマシな技やろ…絶対」
その名も『悶虐陣破壊地獄(もんぎゃくじんはかいじごく)』。
『哲学する柔術家』岬越寺秋雨の人を殺さないための必殺技だ。投げ、当身、関節技を同時に仕掛ける繊細な技であると同時に、単に「死なないだけ」で他のあらゆる責め苦が実現された恐ろしい技である。
はっきり言おう、こんなものを人間に使ってはいけない。
まぁ、相手は人間ではないので、その意味では問題ないかもしれないが。
だがしかし、兼一はさらにここへ追い打ちをかける。
「ギンガ、投げられ地蔵! 翔は鎖!!」
「は、はい!」
「う、うん!」
それまで呆然としていた二人に指示を出し、続いて兼一はなのはの方を向き直る。
今の彼は持っていないが、なのはなら持っているかもしれない物を求めて。
「なのはちゃん、那美さんのお守りって今持ってる?」
「え? あ、はい」
「ちょっと貸して」
なのはからなんの変哲もないお守りを受け取った兼一は、それを動かない新島に押し当てる。
すると、あら不思議。新島の身体から煙が立ち上り、悶え苦しみ始めたではないか。
それを見たフェイトは、さすがに新島の事が心配になってなのはに問う。
「な、なのは、これって……」
「ああ。新島さん、教会とか神社に行くと具合が悪くなる体質で、仏具とか御守りも苦手らしいんだ」
「ほんまに魔物か、この人?」
そんなはやての呟きを余所に、兼一は投げられ地蔵を鎖で新島に徹底的に括りつけていく。
そして、もう生き物なんだか鎖の塊なんだか分からなくなった所で、渾身の力を持って……投げた。
「どっっっっっせい!!!」
『ええ――――――――――――――!?』
百キロを優に超えるその塊は、兼一の一投で天高く舞い上がっていく。
向かう先は海。それなりの距離があるが、兼一のパワーを以ってすれば造作もない。
鎖の塊は放物線を描いて落下を開始、やがて海面に盛大な音と水飛沫を立てて着水した。
当然、鉄と石の塊に人間が付属したかのようなそれに浮力などほとんどなく、瞬く間に海底へと沈んでいく。
で、それを為した人物は爽やかに汗を拭ってのたまった。
「ふぅ、悪魔は去った」
「ちょっと―――――――――――――!!」
「は、早く助けないと! あれじゃ死んじゃいますよ!?」
「何やってんですか、兼一さん!!」
ようやく意識を取り戻したキャロとスバル、そしてエリオは大慌てで兼一を非難する。
良識人たちからすれば、兼一のやった事は最早殺人も同然だ。
にも関わらず、それをやった本人は清々しい笑顔。
これで慌てるなと言う方が無理な話。
むしろ兼一としては、これでもやりたりない位だ。
なにしろあの男の事だから、どうせ……
「まっさか~、あの程度で死ぬならとっくの昔に殺してるよ?
ちょっと時間稼ぎをするのが良いとこじゃないかな、あの程度じゃ」
「あ、あれだけやって……時間稼ぎ?」
「人間ですか、あの人……」
「というか、死んでないんですか?」
「ま、この逃亡の天才を殺すにゃ、ちょいと足りねぇな」
『へぇ~………って、いつの間に!?』
気がつけば新人達の背後に立っていたのは、先ほど海に沈められた筈の新島春男その人。
脱出してここまで来たとしたら、異常な早さである。
しかし、良く見るとそれにしては全然濡れていない。
「相変わらずの早技だな。いつの間に抜け出した」
「鎖で縛られるちょいと前にな。丁度いい所に身代わりがいたんで、そいつと入れ替わってもらった」
「身代わり……………まさか!?」
兼一が慌てて周囲を見渡すと、そこにはいるべき人がいない。
そう、ついさっきまでいたのに空気扱いだったザフィーラが、今度こそ影も形もないのだ。
「ザフィーラ――――――――――――!?」
「やべぇ、どうするよシグナム!?」
「急ぐぞ、まだ間に合うかもしれん! シャマルは治療の準備だ」
「わ、わかったわ!!」
「ザフィーラ、死んじゃダメですぅ!?」
こうして場はあっという間に騒然となり、新島の来訪は有耶無耶になる。
ちなみに、辛うじてザフィーラは救出されるも、しばらく彼は水を徹底的に嫌がるのだった。
* * * * *
その後、機動六課のとある一室。
ドタバタ騒ぎこそあったが、とりあえずそちらも終結。
一応その場は解散され、今部屋には兼一と新島、あとはやてがいる。
なんではやてまでいるかと言えば、兼一が立ち会いを求めたから。
この男は性格こそあれだが、能力はある。
今の兼一達にはティアナの問題に対して明確な答えを出せていない。
つまり、この男の穢れきった頭脳に頼らなければならない程、彼らは追い詰められていると言う事だ。
「しかしお前、連合はどうした? トップが離れて大丈夫なのか?」
「問題ねぇ。俺様がいなくてもある程度回る様仕込んであるからな。
よほどの事がねぇ限りはなんとかなる、それが組織ってもんだ」
まあ実際、規模の小さかった昔ならいざ知らず、規模を拡大した今新島がいなくてもある程度組織は回る。
そうでなければ、組織としてあまりにも脆過ぎるからだ。
もちろん新島でなければ対処できない事態はあるが、そんなものは極稀。
それさえなければ、とりあえずしばらくは問題ない。
「あの、横からスイマセン。そもそも、どうやってミッドまで来たんですか?
普通、地球からこっちへの移動手段なんてないですよ?」
「あ? 地球在住の管理局関係者……つーか、ハラオウン家の連中と話をつけただけだが、それがどうした?」
「あ、相変わらず手回しの良い奴め……どうやって説得したのやら」
新島の手際の良さは今に始まった事ではないが、さすがに兼一も呆れるばかり。
はやてに至っては、まるでその方法が思いつかず頭を抱えてしまう。
「で、まさかお前一人で来たわけじゃないんだろ?」
「当たり前だろ。護衛も付けずにこんな所まで来るかよ。
っと…そーか、そろそろあいつも呼んでやらなきゃな」
言って、新島は自らの懐から何かを取り出す。
それは、吹き込み口のついた鍵盤楽器。
小学校ではだれもが一度は演奏した事があるであろうその楽器の名は……………「ピアニカ」。
「へ? ピアニカ? また、懐かしいものを……」
「やっぱりあの人か。部隊長、言っても無駄でしょうが一応言っておきます…驚かないでください」
「は? それは、どういう……」
「聞け! 俺様の魂のピアニカを!!! ピィ~~~~ヒョロロロロ~♪」
朗々と響きわたるピアニカの音色。
音は空気の振動。例え密室であろうとも、窓や壁を伝って中の振動は外部にも伝わる。
即ち、中で奏でられた音色は外にも漏れていくと言う事
同時刻、練習場へ向かう途中の海辺。
練習場へと向かおうとしていた新人達は、そこであるものを発見した。
「……フリード?」
「どうしたの、キャロ?」
「フリードが、あれ何かなって……」
キャロが指差すのは、海面に浮き上がる僅かな気泡。
キャロの周りには新人達が集まり、眼を細めてその気泡を注視する。
とそこで、突如海が巨大な水柱が発生した。
「な、何これ、ティア~!?」
「知るわけないでしょ、このバカ!?」
突然の事態に、訳も分からず叫ぶ年長者二人。
もちろんそれは年少者二人も同じ事。
そんな四人の頭上には、打ち上げられた海水が豪雨の如く降り注ぐ。
何が起こったかわからず、その場で意味のない大声によるやり取りはしばし続く。
そして豪雨が止んだ時、彼らの眼に飛び込んできたのは……自分達の方へ飛んでくる、全身びしょ濡れの帽子をかぶった男の姿。
「呼んでいる、あのお方が呼んでいる~!! ラララ~~~~~♪」
『え?』
「デリカート(優雅)な海の歌声を聴くのに没頭してしまいました。
今参りますぞ、我が麗しの魔王よ!!」
呆然とする濡れ鼠と化した四人と一匹は完全に眼中になく、男は訳の分からない事を叫びながら疾走する。
結局、最初から最後まで彼らには何が起こったのか全く分からないまま……。
場所は戻って兼一達の部屋。
そこは場所的には四階なのだが、新島の演奏が終わると同時にそれはあらわれた。
「プピ♪」
「で、それがどないしはったんです…「ジークフリート、総督のピアニカの音色に誘われ、プレスト(極めて速く)に参上いたしましたぁ!!」くわぁ――――――――――――――!?」
突如窓の外に現れた、全身海水塗れ、海藻やら魚介類やらを帯びた変人。
はやてが訳の分からない叫び声を上げたのも無理はない。
兼一とて、慣れていなければ似たような反応を示した事だろう。
「なんやなんや!? 舟幽霊でも召喚したんか!?」
「お待たせいたしました、我が親愛なる魔王よ」
「ふふふ、さすがに速いなジークフリート」
「って、こっちガン無視!?」
はやての事など、まるで背景の様にさらっと流す二人。
で、ジークは新島への挨拶を終えると、兼一の方を向き直り……
「兼一氏もお久しぶりでございます~! ラ~ラララ~♪」
「ジークさんもお変わりない様で」
「昔からこうなんですか!?」
「浮かぶ、浮かびますよ~! 兼一氏、あなたとの再会のメロディーが~!!」
「ええ、全然変わってません」
その場で突如作曲を始めるジークだが、慣れている兼一は全く動じない。
が、初めて出会うタイプの人種に、はやては既に許容量が限界だ。
いったい自分、この人にどう対応すればいいのか。
そもそも、全く見向きもされていないのだが……。
「質問してもええですか?」
「どうぞ」
「あの人、誰ですか?」
「僕の古い友人で、新白の幹部、『不死身の作曲家』の異名で知られる変則カウンターの達人、ジークフリートさんです。あ、本名は九弦院響って言うんですけど」
「は、はぁ……ご職業は?」
「武術家兼音楽家です。基本、作曲から楽器の演奏、歌や指揮まで何でもいける人でして……。
知りません? ウィーン交響楽団で最年少の指揮者になった日本人って、以前話題になったんですが……」
「あの人なんですか!?」
どうやらそのニュースははやても知っていたらしく、思わぬ有名人にかなりびっくりしている。
まぁ、そんな人がこんな変人とは思いもしなかったのだろうが。
「で、なんで海藻塗れ?」
「大方、ついさっきまで海の中にでもいたんでしょう」
「なんですか、それ?」
「あの人のやることに、一々理由を求めない方が良いですよ。どうせ僕達にはわかりませんから。
昔は、脈絡もなくミサイルをかわしながら空から降ってきた事もありますし」
「は、はぁ……」
「まあ、理解し辛いかもしれませんが気のいい人ですから。ただ……」
「ただ?」
「作曲を妨害されると激怒するので、それだけは気をつけてください」
はやては兼一の助言を、刺激を与えれば爆発するニトログリセリンと解釈した。
まぁ、こと音楽にかけては正解そのものなのだが。
というか、いったいこの人の事はどう皆に説明したものか……。
「でも、本当に久しぶりですね、ジークさん」
「はい。私もこの日を一日千秋の思いで待ち望んでおりました。
今私の胸は、デリチオーソ(甘美)なメロディーで満たされております!」
兼一の眼を見ながら話しつつ、その手は羽ペンを持ったまま休むことなく五線譜紙の上を走り続ける。
どうやら、今では音楽の脳と日常生活の脳が完全に切り離されているらしい。
「ところで、息子さんはどちらに?」
「翔なら、今は寮の方だと思いますけど……」
「後ほど会わせていただきたいのです、ラッラ~♪」
「はぁ、どうせだから弟子と一緒に紹介するつもりでしたし」
「おお~、ありがとうございます~♪ あれから五年、さぞかし大きくなっている事でしょう~♪」
そんな二人の会話を、はやては何とも微妙な表情で見ている。
正直、今の彼女には兼一の様に平然とこの人物と会話できる自信が全くない。
「実はな、今回はジークの方から行くって言いだしてよ」
「珍しいな。お前に同行する事はあっても、その逆は中々ないだろ」
「まぁな。ま、俺様自身用があったのは事実なんだが……」
つまり、今回の来訪はジークの用事に新島が乗っかる形で実現したと言う事。
普段は完全逆なだけに、これはとても珍しい。
となると、ジークの用事とはいったい……。
「つーか、こいつ最近暇さえあれば他の連中の所にも頻繁に顔を出してるんだわ」
「え?」
「兼一氏、ここからは私が説明しましょう……歌で!!」
「普通にお願いします」
「……はい。兼一氏もご存知の通り、来年には例の計画の選考会が開かれます。
ですが、私には弟子がおりません。
そこで、私は誰を推薦するか、それを決めるべく皆の弟子に会うことにしたのです」
ここまで聞いて、ようやく兼一もジークの意図を理解した。
彼は、現状唯一隊長陣の中で弟子をとっていない。
その理由は彼に弟子をとる気がないから…ではなく、誰も彼の教えに付いていけないから。
あの計画は、新白連合の全隊長共通の弟子を選出するもの。
それはつまり、ジークの弟子を選ぶという一面を持つ。
となれば、その条件には当然「ジークの教えに付いていける」事が含まれる。
故に、それを見極める為、ジークは各隊長達の間を渡り歩いてきたのだ。
そして、その最後の一人が遠く異世界に移った兼一とその弟子だった。
「なるほど」
「というわけで、しばらく滞在させていただきますが……よろしいですかぁ~♪」
「ち、近い! 近いです! ちゅうか、怖い!!
ええです、いくらでもいてくれはってええですから!!」
滞在の許可を取るべく、はやてに詰め寄るジーク。
その異様な雰囲気に気圧され、はやてはあっという間に許可を出してしまう。
「ま、お前らにとっても悪い話じゃねぇ。
長くはねぇが、その間ジークにガキ共を鍛えてもらうのもいいんじゃねぇか?
技はともかく、経験を積むって意味じゃ良いと思うぜ」
「はぁ、それは確かに……」
それは何も、新人達だけに限った話ではない。
例えばシグナムやザフィーラなどにとっても、ジークとの組手の機会は得難いものだろう。
そういう意味では、彼らの滞在は六課にとっても旨味がある。
「お前にしては不気味に良心的だな。何を要求する気だ」
「そんな兼一さん、見た目は確かに悪魔みたいやけど、友達の好意なんやから……」
「こいつに限って善意だけなんてありえません。必ず裏があります。
古い付き合いだからこそ、僕は裏があると信じてるんです」
(嫌な信頼や……)
「ま、実際その通りなんだがな。さすが相棒、よくわかってんじゃねぇか」
「昔散々利用されたからな。お前が何をする気かは読めないが、何か企んでいる事だけはわかる」
(なるほど、アリサちゃんが嫌がっとったんもようわかるわ)
以前帰郷した折、幼馴染が蛇蝎の如く毛嫌いしていた理由がなんとなくわかった。
確かにこれは、できればお近づきになりたくない人物である。
「まぁ、安心しろ。俺様も取引の鉄則は心得てる。
見返りは貰うが、こっちもそれ相応のものは返すぜ。
で、相棒。何か悩んでいる様子だが、ここは一つ俺様が策を授けてやろうじゃねぇか」
「くっ……お前のただれた策に頼らなければならないなんて……」
(そこまで悔しそうにせんでも……)
心底自分の不甲斐なさを悔いる様に、兼一は奥歯を噛みしめる。
とはいえ、今となっては新島を頼るほかないのも事実。
兼一はプライドをかなぐり捨て、已む無く新島に事情を説明した。
「なるほどなるほど。よし、策が練れたぞ」
「早いな」
「俺様の手に掛かればこの程度朝飯前よ。ま、念の為本人からも情報は収集しておくがな。
だが、大筋は決まった」
「ほんまに、大丈夫なんですか?」
「一応こいつは、うちの師匠達からも『策士の才がある』何て言われてた奴ですから、多分……」
「任せとけ、お前らに策士の妙技って奴を見せてやるよ。
なにせ、この人知を超えた驚異の生命体、新島大明神様が直々に知恵を授けてやるんだからな」
新島は自信に満ち溢れた顔でほくそ笑む。
その笑みやあまりにも邪悪で、安心感よりも不安が先に立つ。
しかし、任せた以上は信じるしかない。
たとえそれが、例によって例の如く無茶な策だったとしても。
「ま、お前らの言う通り確かに少々繊細な問題だ。
面倒だが、いくつかステップを踏むことになる。まず第一のステップは……!!」
こうして新島立案の下、策は動きだした。
* * * * *
翌日、練習場は一種異様な空気で包まれていた。
それもその筈、なにせその日になって突然スターズの二人にある指示が言い渡されたのだから。
「「模擬戦、ですか?」」
「う、うん」
言い渡した本人、なのはもどこか戸惑い気味。
何しろこれは、別に彼女が決定した事ではない。
その背後で暗躍する、宇宙人がやらせている事なのだから。
「えっと、なのはさんとですか?」
(さすがに、まだ時間が足りない。スバルとやってるあれも、まだなのはさん相手に使えるレベルじゃ……)
ティアナとスバルは、ここ数日なのは達に隠れて新しい連携などを試していた。
他にも技数を増やしたり、新しい戦術を組んだりなど、その内容は多岐にわたる。
が、さすがに始めてからの時間が短すぎた。
今の段階では、とても実戦や模擬戦で使えるレベルではない。
が、そんなティアナの想いを余所に、なのははスバルの問いを否定する。
「ううん、私じゃなくて……」
「俺様だ!」
「「え……」」
二人の眼前に立つのは、偉そうにふんぞり返る宇宙人。
今は実際に偉いのだが、そんな事は関係ない。
「俺様とお前らの二対一だ。安心しな、俺様は兼一と違って達人ってわけじゃねぇからよ」
「なんの冗談ですか?」
そのあまりにもあんまりな事実に、さすがにティアナも不機嫌を隠せない。
見た所兼一同様全く魔力を感じないし、本人曰く達人でもないときた。
その上で二対一。はっきり言って、自分達をなめているとしか思えない。
ティアナでなくても、なのはに非難がましい視線を送ってしまうだろう。
「ああ…何と言うか……」
「聞くところによると、お前はそのガキ共のリーダー役らしいじゃねぇか」
「……だから、なんですか?」
「有り難く思え。そんなお前に俺様御自ら教えを授けてやろうってんだ」
恩着せがましいにもほどがある上に、とんでもないレベルでの上から目線のもの言い。
ティアナの中の不快指数は、加速度的に上昇していく。
「そんな事、誰も……」
「あれ、もしかして逃げちゃうのかにゃ~? ま、自信がないならやめとけやめとけ。
魔法だかなんだか知らねぇが、所詮はそんなもんって事だろ?
どした、寒いのか? 震えてるぞ? 具合が悪いって便利な言い訳だと思わね?」
頼んでないと言おうとしたところで、畳みかける様にぶつけられる嘲りの連続。
『洗脳話術』。相手に反論する間も与えずに追いこむ、新島の十八番だ。
まぁ、正直もう少し穏便にできないのかとは切に思う。
「やって………やろうじゃないの!!!」
「てぃ、ティア?」
「なのはさん、やります。早く始めましょう」
「う、うん……」
明らかにティアナの眼が据わっている。
果たして、本当にこれで良いのか。なのはは激しく不安にかられるのだった。
「えっと、ルールは二つ。一つ、戦闘不能になるかギブアップしたら終了。もう一つが、新島さんにはサポーターとしてキャロが付くから」
「え、私ですか?」
「うん。さすがに二対一で、その上新島さんは魔法も使えないし、それじゃ不利過ぎるからね。
ただ、キャロ自身は直接的に模擬戦には参加しないで、新島さんの指示に従って魔法を使うだけ。その回数も三回までの制限付き。問題ない?」
「「「はい」」」
もちろん、その中にフリードは含まれない。
あくまでも、キャロ自身が直接的にティアナ達に干渉できる魔法だけに限定される。
これでも十分すぎる位不利なのだが、新島にとってはそれで充分。むしろおつりがくる。
「じゃ、他に質問はない?」
「あの……」
「なに、エリオ?」
「模擬戦とは別なんですが、なんで兼一さん…………………あんなにボロボロなんですか?」
視線の先には、エリオが言った通りいい具合にボロボロになった兼一の姿。
昨日まではそんな事はなかった筈なのに、一晩でいったい何があったのか。
そもそも、昨日の晩は兼一が帰ってこなかったような……。
「実は……」
「実は?」
「一晩中ジークさんと組手をしててねぇ」
「え、ええ!? 一晩中ですか!?」
「うん。はじめはそんなつもりじゃなかったんだけど、気付いたら朝になっててさぁ」
(んな、無茶な……)
というのが、事の真相。
今の兼一に足りないのは、何はともあれ実戦。
それを補うに当たり、ジークフリートとの組手は最高の練習だった。
が、つい調子に乗り過ぎて、気付けば朝になっていたと言うのだから無茶が過ぎる。
「で、そのジークさんは?」
「今は向こうで翔の修業を見てくれてるわ。元から翔に会う為に来てたらしいし、丁度いいからって」
とは、ヒソヒソと情報を交換するナカジマ姉妹。
一晩中戦っておいて、兼一もそうだがあっちはあっちで元気なものだ。
「あ、それとティアナちゃん。念のために言っておくけど……」
「わかってますよ、ちゃんと手加減……」
「しない方が良いよ、マジで」
「……っ、大丈夫です!!」
「あ、ティア待って!」
兼一の心配を侮辱されたと取ったのか、ティアナは足早にその場を後にする。
その後ろ姿を、兼一は「やれやれ」と言った様子で見送った。
正直な話、新島相手に油断は禁物。どんな形であれ、あれはその油断を突いてくるだろう。
最終的には、釈迦の掌の猿状態で操られてしまうから。
そうして、ティアナ達が去った所でキャロが控えめに新島に尋ねる。
「あの、新島さん。私はなにをすれば……」
「え? いや、何もしなくていいぞ」
「ええ!?」
だが、かえってきたのはこんな答え。
まさかの返事に、キャロは眼を向いて驚く。
「元から、おめぇに何かさせるつもりなんてねぇのよ」
「そ、それはどういう……」
「ああ、なるほど。魔法を使えない新島さんに、魔法を使えるキャロが三回だけ手助けするって聞けば、そっちを警戒するのが当然や」
「ですね。新島さんの狙いは、ティアナ達の意識を自分から反らす事ですか」
「正解だ。ちったぁ策のなんたるかが分かる奴もいるみてぇだな」
「これでも夜天の王やからな」
「これでも夜天の騎士、その参謀ですから」
狡いと言えば狡いその策に、はやてとシャマルは呆れたように呟く。
しかしこの男、昔から落とし穴とか死んだフリとか、そう言う作戦が大好きなのだ。
なので、狡いと非難してもきっと気にしないだろう。
事実狡くはあるのだが、同時に効果的でもある。
特に、一連の挑発もあってまったくティアナは精神的罠に気付いていない。
だが、この二人でも気付いていない策の裏側にある狙い。
それは、魔法を使うと見せかけて一切使わず敗れた時のティアナに与える影響の度合い。
しかし、それはまだ語らない。物事には、順序と言う物があるのだから。
「その名も、Z(実は)・M(魔法なんて)・T(使わないんだな)作戦だぁ!」
『変な名前……』
「相変わらずネーミングセンスってものがないな、お前は。ゴロも悪いし」
「ほっとけ」
兼一の指摘に、珍しく不貞腐れた様に返す新島。
どうやら、この点だけは彼も多少なりと気にしていたらしい。
ちなみにその頃、翔とジークはなにをしていたのか。
場所は隊員寮前の広場。そこで二人は……………………盛大に回っていた。
「回るのです! もっとフリオーソ(熱狂的)に!! よりテンペストーソ(嵐の様に激しく)に!!! ラララ~♪」
「は、はい! 響先生!」
軸をぶらさず、ただ一点に立ったまま激しく回転する大小のコンビ。
それを見て、アイナは思った。『この子、このままで大丈夫なのだろうか』と。
確かに、激しく成長環境的に問題がありそうなのは、誰にも否定できないだろう。
……場面を戻そう。
新島も所定の位置へ移動し、兼一達は当初からいたそこでモニターを注視している。
「あの、師匠。今更かもしれませんが、新島さんに勝ち目ってあるんですか?」
「ん~……」
ようやく謹慎の解けたギンガの問いに、兼一は難しい顔で唸る。
はっきり言ってしまえば、兼一にはどうやって勝つかわからない。
だが、勝つかどうかと聞かれれば「必ず勝つ」と思う。
あの男が勝つと言った、ならそれは絶対だ。
ましてや負ける事など想像もできない。
なにしろ、このルールならダメージを受けなければ負ける事はないのだから。
「一つ言えるのは、二人の攻撃があいつに触れる事はないってことかな」
「え?」
「奴は逃亡最速の男だ。
逃げ足百メートル走、同障害物走、同フルマラソン。これらがあれば、全ての競技で確実に金を取るだろうね」
「そんなに…… 速いんですか?」
「速い。というか、僕は未だかつて逃げるあいつを捕まえられた事がない」
「師匠でも!?」
兼一のその一言に驚いたのは、何もギンガだけではない。
他の面々も一様に驚愕の表情を浮かべ、信じられない面持ちだ。
しかし、兼一のその予言は現実となる。
いや、兼一は殊更予言したつもりはない。ただ彼は、事実を事実のまま口にしたのだから。
それが、模擬戦開始のサイレンと共に証明される。
「クロスファイヤー……シュート!!」
初撃はティアナの誘導弾。
燈色の光球が、複雑な軌道を描いて新島に殺到する。
それに対し、新島は颯爽と背を向けてクラウチングスタートの体勢。
間もなく、彼の中で静かな号砲が上がった。
「Z・M・T作戦、Go!!」
宣言するや否や、とんでもない速度で新島が加速する。
迫る魔力弾の全てを振り切り、魔力弾に僅かに遅れて距離を詰めて来るスバルさえも置き去りに、残されたのは………濛々と立ち込める土埃のみ。
まさか最初から逃げに入るとは思っていなかったようで、僅かな時間呆然自失する二人。
が、すぐに我に返って叫んだ。
「って、偉そうなこと言っておいていきなり逃げ!?」
「つか早っ! なんなのあの人!?」
「や~い、のろま~! 百合百合コンビ~! ここまでおいで~!」
「……ああもう! とにかく追うわよ!!」
「お、おう!」
どうやら早速ペースを乱されたようで、二人は慌ててその後を追う。
この時点で、既に新島の術中に嵌っているとは思いもせずに……。
「あ~、早速新島のペースに巻き込まれてるなぁ……大丈夫かな、二人とも?」
「それにしても速すぎますよ……ホントに武術の経験ないんですか、あの人?」
「ないよ」
兼一の言う通り、確かにあの速度は常軌を逸している。
師の最高速度を知らないギンガだが、少なくとも自分よりは速い事を確信していた。
また、ヴィータやシグナムなどはもっと別の大きな疑問に頭を悩ませる。
「まぁ、どう見てもそういう経験のある奴の動きじゃねぇよな」
「と言うより、どう見ても非効率的な走り方だ。
なのに、なぜあの速度を出せる、維持できる……わからん。さっぱりわからん!」
その上バテる様子は全くなし。
あの『ダバダバダバダバ!』とか『ヒャ―――――ハハハハ!』とかいう奇怪な笑い声が、特殊な呼吸法とでも思っていないと納得できない。無理にそう思っても、納得できない……というか、したくないものがあるのだが。
本当に、徹頭徹尾訳の分からない男である。
「あれ? でも、なのは。段々、新島さんと二人の距離が縮んできてるよ」
「うん。さすがにあのペースを維持するのは難しいのかな?」
「いや、むしろ維持できてた方が不思議なんやけど……」
なのはも新島との面識はあるが、付き合いとなるとないに等しい。
ああいう生き物だとは聞いていたが、さすがに色々手持ちの情報には不足があるようだ。
「いや、あれは多分……」
しかし、新島をよく知る兼一にはその意味が分かる。
あれはペースが落ちているのではなく、敢えて落としているのだ。
何かの誘いか、あるいはもっと別の狙いがあるのか。そこまではさすがにわからないが。
「あ、スバルさんの手が!」
「捕まえた!!」
モニターには、今まさに新島の後ろ襟に手を伸ばすスバルの姿。
その手はしかと新島の襟を掴み、力の限り引き倒す……ところで、すっぽ抜けた。
「ポウッ!」
「ぇ、嘘!?」
「ヒャッハ―――――! 新島式脱皮術を甘く見るんじゃねぇ、小娘!!」
新島は理解不能の体捌きで掴まれた服を脱ぎ捨てている。
てっきり捉えたと思ったスバルは、予想外の事態に前のめりに倒れてしまった。
とそこへ、遥か後方より無数の魔力弾が飛来する。
距離があってさすがにまだ新島には追い付けないが、それで充分。
「スバル! こっちで追い込むから、アンタは先周り。行けるわね!」
「うん!」
ティアナの指示に従い、体勢を立て直したスバルは新島の進行方向とは別の方向へウイングロードを展開する。
相棒が示したのは、ここから斜めに数ブロック先の袋小路だ。
しかし、それすらも新島には読まれている。
「へっ、この様子だと俺様を罠にはめるつもりらしいが……」
まだまだ甘い。新島は既にこのフィールドの構造を把握している。
彼の脳裏に描き出された詳細な地図を見れば、ティアナの目論見は一目瞭然だった。
だが、敢えてここはその策に乗る。
ティアナに誘導されるまま、袋小路へと進む新島。
そして、ついに彼は三方を壁に覆われた路地に追い込まれた。
「もう逃げられませんよ!」
「ここでギブアップすれば、怪我をしなくて済みますが?」
「ケケケ、ちょいと気が早ぇんじゃねぇか? まだ俺様はピンピンしてるぜ」
「それなら!」
絶体絶命であるにもかかわらず、状況をわきまえずに挑発する新島に対し、ティアナは魔力弾を放つ。
回避不可能な光球の乱舞。だがそれも、逃亡最速の男を捉えるには至らない。
「なんのぉ! 新島式『無影八艘飛び(むえいはっそうとび)』!!」
新島は時にうねうねと体をくねらせ、時に異常な敏捷性で光球の乱舞を掻い潜る。
その上で、彼が逃げ込んだのは……スバルの背中。
目前には迫る魔力弾。すなわち、スバルを盾にするつもりなのだ。
「え、ちょっ!?」
「スバル、シールド!」
「う、うん!」
「ヒャハハハ! 俺様を捕まえようなんざ百年早いんだよぉ!」
スバルが魔力弾を受け止めてる間に、新島はあっという間にその場から姿を消す。
全く以って、呆れ果てるばかりの逃げ足の速さである。
その後も、三人のやり取りに大きな変化はない。
逃げる新島と追うスターズ。だが、幾ら追っても追いつけず、何度追い詰めてもその悉くが抜けられる。
また、徐々に新島の身体を包む衣装はその数を減らし、追う側をなんとも言えない気分にさせた。
いったい自分達はなにをしているのだろうと言う、物悲しい気分に。
「キャ――――! 変態が、変態が追ってくるよぉ~!」
「「誰が変態だ!!」」
それはまぁ、逃げる男の服を剥きながら追い掛けるとなれば、年頃の少女には少々酷だろう。
挙句の果てにこの言われようだ、無理もない。
しかし、そんな不毛な追いかけっこにもやがて終りの時がやってくる。
ただしそれは、鬼が獲物を捕まえるのとは別の形で。
突如なんの前触れもなく足を止める新島。
追っていた二人も自然足を止め、逃がさぬよう警戒する。
迂闊に飛び込めば逃がしてしまう、ここまでのやり取りで嫌と言うほど思い知らされた事だ。
「もう逃げないんですか?」
「散々百合だの何だのと言ってくれて……もう謝っても許さないわよ!!」
「べっつに~……」
睨みつけるティアナに対し、新島はあくまで息一つ切らさずに余裕の表情。
だが、そこで彼は硬く拳を握り、近場の壁に叩きつけた。
「準備が出来たからな。逃げる必要がねぇんだよ」
「なにを……」
「スバル、上!」
「っ!?」
「ほれほれ、早く逃げないと埋まっちまうぞ~」
上空から降ってくるのは、無数の瓦礫。
見れば、新島が殴った壁には亀裂があり、それは延々と二人の横に立つビルの上までつながっている。
そしてその先には、崩れ去ったビルの壁面。
「どうやら知らなかったみてぇだが、ここは昨日から兼一とジークの奴がやり合ったフィールドをそのまま利用してるんだよ。御蔭で、辺り一面破損だらけ。ちょいと仕込みをしてやれば、小さな衝撃一つでこの有様よ」
仕込み自体は事前に施したものではない。全て、たった今逃げながら仕込んだものだ。
恐るべき早技による即席トラップ。
それもこの量では、全てを蹴散らす事も出来ない。
「くっ、やられた……」
「ティア、そこから抜けられる!」
スバルが示したのは、僅かに残された罠の隙。
二人は急ぎ脱出するが、それすらも新島の掌の内の事。
「甘ぇな。罠を張る時は、わざと逃げ道を用意しておくものだぜ。そうすりゃ、選択の幅を狭められるからな。
覚えておけ、ガキ共。あからさまな逃げ道は死路だ、ほれ」
「っ、これって……」
気軽に新島から投げ渡される、歪な楕円形の物体。
正体は『閃光弾』。バリアジャケットといえど光までは防げない。
眩い光が二人の視界を焼き尽くし、人間の最大の情報源である視覚を封じた。
「さて、見えない眼でどうやって逃げるんだ?」
二人に届いたのは新島の底意地の悪い声だけ。
だが、それだけでも見えぬ眼にはありありと新島の嘲笑が描き出されていた。
しかし、二人にそれに反発していられる時間はない。
先ほど新島が打ちつけた拳を引き金に起こった崩壊はまだ収まっておらず、連鎖的に二人の周囲が崩れていく。
雨霰と降り注ぐ瓦礫。どちらに逃げるかも定まらないその状況の中、二人は武骨な雨に呑み込まれていった。
「敗因は、俺様とフィールドへの警戒を怠った事だ。
魔法をちらつかせればそっちに目が行くと思ったが、大当たりだったな」
思うがままに事が運び、上機嫌に哄笑を上げる新島。
だがそこで、一陣の風と共に濛々と立ち込めた粉塵が払われる。
するとそこには、ギリギリのところで瓦礫の雨から逃れたティアナの姿。
「ほう……」
ティアナの姿を認め、新島は僅かに感嘆の声を漏らす。
スバルが思い切り突き飛ばして逃がしたと言ったところか。
将を守る為に兵が盾となるのは当然の事。その意味では、スバルは見事役目を果たしたと言えるだろう。
「たいした献身だが、本人は生き埋めで戦線離脱。
さて、いったいお前はこの先どうするつもりだ?」
「っ……! やるわよ、スバルの為に勝たなきゃいけないのよ!」
「一か八かの突撃思考か。だが……」
歯ぎしりと共に、新島にクロスミラージュを突きつけるティアナ。
しかし彼女が引き金を引く前に、足元で何かが炸裂した。
「ああ、言い忘れてたが、さっきすれ違った時にカートリッジっつーのをあるだけ掏らせてもらったぜ。
確か、あれには魔力が詰まってるんだろ?
俺に魔法は使えねぇから実感がわかねぇが、そんなもんが足元で大量に爆発したらどうなるのかねぇ」
「……」
「って、聞いてねぇか。お~い、終わったぞぉ~」
思いもしない、完全に無防備だった場所からの攻撃。
それは容易くティアナの意識を刈りとり、模擬戦を終結させた。
結果は無傷の新島と、良い様に踊らされた二人と言う惨憺たるもの。
見事なまでに、格の違いを見せつける結末だった。
* * * * *
その日の深夜。
ティアナはまたも一人遅くまで自主練に励む。
ホテルアグスタに続き、先の模擬戦でも何もできずに負けた。
その悔しさを振り払う様に、ティアナはひたすら訓練に没頭する。
とそこへ、不躾な声が彼女の背に掛かった。
「よぉ、何やってんだ小娘」
「……」
新島の姿を認めるや、即座に顔を背けるティアナ。
良い様に踊らされたせいもあるが、それ以上にこの相手は好きになれない。
「無視か。ま、かまわねぇがな。
しかし、話に聞いた通り良く頑張ってるようだが…強く願えば夢は叶うとか、諦めなければ才能の差も覆せるとか。お前、本気で信じてる口か?」
「だったら、なんですか……」
「いや、別に何を信じるもお前の自由だぜ…そう、信じるのはな。
例えそれが、現実には実現不可能も同然の、文字通りの夢だとしてもな」
「……夢を、追い掛けたらいけないんですか!」
「言ったろ、『信じるのは自由』だってよ。幾ら俺様でも、そこまでは否定死ねぇさ。
まぁ、俺様がそんなものは嘘だと思ってるのも事実な訳だが
つーか、本気だとしたら『寝言は寝て言え』って思うけどな」
その言葉に、ティアナの表情が歪む。
新島はそれを見てとると、ティアナにはわからない様に僅かに口元を邪悪に歪め、さらに言い募る。
これが、第二のステップだから。
「そういや昔、とある達人が面白い事を言ってたって話を聞いたな。
確か…………世の中には二種類の人間しかいない。それは、持つ者と持たざる者。
持つ者は何事においても有利であり、持たざる者は涙を飲んでみじめに生きて行くしかない。
その逆転なんてのは、バグの様なものなんだとよ。早い話、分をわきまえて志をいだけって事らしいぞ。
ケケケケ、さすが達人。数限りない脱落者を見て来ただけあって、良い事を言うとおもわねぇか」
「…………」
「納得いかねぇ…いや、認めたくねぇって面だな。
だがな、どんなに努力しようと、必要なものが不足していればかなわない。それが現実だ。
誰のせいでもなく、全ては足りないそいつの責任なんだよ。わかるか?」
「そんな事、今更……!」
言われなくてもわかってる。
だから、その足りない分を補うためにティアナは死にもの狂いで努力しているのだ。
「ふっ……話は変わるが、俺様は昔『人間分類学』ってもんを研究してた。こいつは言うなれば、人間は全て生まれ持った『分』によって決まるっつー考えだ。人の上に立つ人間、社会の最下層にへばりつく人間、そう言うのははじめから決まっていると俺様は信じて“きた”わけだ」
「…………」
「その分類上、お前は良いとこ『秀才』ってとこか。
がんばればそれなりに何でもやれるが、これはっつーもんがない。ま、所謂器用貧乏だな」
「……さ…」
それは、ティアナ自身もわかっている事。
努力すればある程度のところまではできる、しかしその先には至れない。
それが、今のティアナが置かれている状況だ。
「やめとけやめとけ、才能のない奴が必要以上に無理しても苦しいだけだぜ」
「う……い」
「今のお前は、なるべくしてなったもんだ。受け入れちまった方が楽だぞ」
「うる…い!」
「そう、安易な夢を見ても不幸になるだけだってな」
「うるさい!! うるさいうるさい、うるさい!!!
あなたに…あなたに言われなくたって、そんな事……!!!」
「おお、怖っ……ま、気の済むまでやればいいさ。十中八九無駄に終わる努力をよ。
ああ、そうそう。一応言っておくとな、コマとしての自分の役割を正しく認識した上で運用する。
それが優れたリーダーの第一歩だぜぇ~」
言うだけ言って、新島は足早にティアナの前から消える。
残されたのは、幼子の様に足元を見つめて涙を堪える少女だけ。
「私は、絶対に……諦めない! 諦めるもんですか! 絶対に、こんな所で……!!!」
語調に反し、そこに込められた感情には弱さが垣間見える。
追い詰められて追い詰められて、ティアナの心はすでに限界が近づきつつあった。
すべては、新島の思惑通りに……。
で、散々ティアナを追い詰めた新島はどうしたのか。
隊舎の前まで戻ると、そこには険しい顔つきで居並ぶ隊長陣と兼一の姿。
兼一は新島を発見すると、一気に駆け寄り感情のおもむくままに掴みかかった。
「にぃ~じぃ~まぁ~! おまい…そん…こん…ぶぁ…ぶぁかちんがぁ~!!」
「おいおい相棒、呂律が回ってないぞ。ちょっと落ち着けって。ほら、深呼吸深呼吸。
一児の父が、鬼みたいな顔をするもんじゃねぇぞ」
新島はそれに動じた風もなく、軽い調子で兼一の肩を叩く。
兼一はなんとか怒りを抑え、どうにかこうにか呼吸を整えた。
そして、再度新島を怒鳴りつける。
「新島、貴様ぁ――――――――――――!! 余計に追い詰めてどうする――――――――!!
『俺に任せておけ』って自信満々に言うから信じて見れば、なんてことしてくれたんだ、この最低星人!!!」
「いやぁ、そんな褒めるなって。照れちまうじゃねぇか」
「褒めてる訳あるか―――――――――――!!! ああもう、お前の口車に乗った僕がバカだった!!」
それは他の面々も同じ事らしく、兼一が真っ先にヒートアップした事でなんとか自制が効いているが、一瞬兼一が遅れれば他のだれかが同じ事をしていただろう。
実際、それぞれの手には既にデバイスがあり、ビリビリと怒りの気配が伝わってくる。
もし答えを間違えれば、その瞬間新島の命はない。
にもかかわらず、新島は余裕に満ちた様子でこう言った。
「そう言うなって、これでも考えあっての事なんだからよ。
策はまだ始まったばかり、答えを急ぐもんじゃねぇぞ、兼一」
「お前、何を悠長に…………どういう意味だ、それ?」
「やれやれ。あんま策ってのは、声高に説明するもんじゃねぇんだがな」
「そこまで言うんなら、納得のいく説明をしてもらおうじゃねぇか」
「わかっているだろうが……内容によっては容赦せんぞ」
呆れたように肩を竦める新島に対し、ヴィータとシグナムがそれぞれ愛機を突きつける。
場合によっては、その場で攻撃すると言う意思の表れだ。
無理もない。どういう意図があるのか知らないが、可愛い部下の想いをああも踏み躙られては、腸も煮え繰り返ると言うものだろう。
「その前に良い事を教えてやる。一流の策士は人の心の動きを読むもんだ。
だが、超一流の策士は………その動きすらも操っちまうもんなんだぜ」
「貴様がそうだと?」
「奥ゆかしい俺様は敢えて『そうだ』とは言わん。が、全ては結果が教えてくれるだろうよ」
そうして彼は、己が策の全容を語る。
新島春男…最低最悪にして卑怯千万、骨の髄まで腐った上に、他人を自分の駒としか考えない宇宙人の皮を被った悪魔。疫病神をも裸足で逃げ出す大害虫…とはその一番の悪友の評。
だが、彼は同時にこうも評した。
「でも、心の底から残念なことに…アイツの人を操る能力だけは……本物だ」
その自らが評した悪友の真価を、兼一はそこで改めて知ることとなる。
全ては、この稀代の策士の掌の上なのだということを。
あとがき
はい、今回は凄く速く書けました。
何と言うか、久しぶりにとても楽しく書けたおかげですね。
しかし、大半の方は前回のあとがきで「悪魔」と書いたら、やっぱりなのはの方を連想したご様子。
すみません、悪魔は悪魔でも白さの欠片もない悪魔でした。
一応山場には突入しましたが、ここはまだ登りの半分位。次回で登り切って下れればと思います。
ちなみに、新島が最後にティアナを追い詰める為にかなりひどい事を言っていますが、一応それらは「俺様は信じて“きた”」が示す通り、過去形です。兼一の成長を見てきた事で、認識を改めています。
そこを、あえてわかり辛い形で言ってるだけですので、そこだけはご理解ください。