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No.25730の一覧
[0] 【完結・改訂完了】リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~(×史上最強の弟子ケンイチ)[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[1] BATTLE 0「翼は散りて」[やみなべ](2013/07/16 00:16)
[2] BATTLE 1「陸士108部隊」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[3] BATTLE 2「新たな家族」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[4] BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」[やみなべ](2013/07/16 00:18)
[5] BATTLE 4「星を継ぐ者達」 [やみなべ](2013/07/16 00:18)
[6] BATTLE 5「不協和音」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[7] BATTLE 6「雛鳥の想い」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[8] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[9] BATTLE 8「断崖への一歩」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[10] BATTLE 9「地獄巡り 入門編」[やみなべ](2013/07/16 00:21)
[11] BATTLE 10「古巣への帰還」 [やみなべ](2013/07/16 00:21)
[12] BATTLE 11「旅立ち」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[13] BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[14] BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」[やみなべ](2013/07/16 00:24)
[15] BATTLE 14「機動六課」[やみなべ](2013/07/16 00:25)
[16] BATTLE 15「エースの疑念」[やみなべ](2013/07/16 00:26)
[17] BATTLE 16「5年越しの再会」[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[18] BATTLE 17「それぞれの事情」[やみなべ](2013/07/16 00:27)
[19] BATTLE 18「勢揃い」[やみなべ](2013/07/16 20:54)
[20] BATTLE 19「守護の拳」[やみなべ](2013/07/16 00:28)
[21] BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」[やみなべ](2013/07/16 00:29)
[22] BATTLE 21「初陣」[やみなべ](2013/07/16 20:53)
[23] BATTLE 22「エンブレム」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[24] BATTLE 23「武の世界」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[25] BATTLE 24「帰郷」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[26] BATTLE 25「前夜」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[27] BATTLE 26「天賦と凡庸」[やみなべ](2013/07/16 20:51)
[28] BATTLE 27「友」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[29] BATTLE 28「無拍子」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[30] BATTLE 29「悪魔、降臨す」[やみなべ](2013/07/17 21:15)
[31] BATTLE 30「羽化の時」[やみなべ](2013/07/16 00:39)
[32] BATTLE 31「嵐の後で」[やみなべ](2013/07/16 00:40)
[33] BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」[やみなべ](2013/07/16 00:41)
[34] BATTLE 33「迷い子」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[35] BATTLE 34「I・S」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[36] リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[37] BATTLE 35「ファースト・コンタクト」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[38] BATTLE 36「お子様散策記」[やみなべ](2013/07/16 00:44)
[39] BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」[やみなべ](2013/08/01 03:45)
[40] BATTLE 38「祭囃子」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[41] BATTLE 39「機動六課防衛戦」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[42] BATTLE 40「羽撃く翼」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[43] BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[44] BATTLE 42「闘いの流儀」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[45] BATTLE 43「無限の欲望」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[46] BATTLE 44「奥の手」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[47] BATTLE 45「絆」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[48] BATTLE 46「受け継がれた拳」[やみなべ](2013/07/16 00:49)
[49] BATTLE 47「武人」[やみなべ](2013/07/16 20:49)
[50] BATTLE FINAL「それぞれの道へ」[やみなべ](2013/07/16 00:50)
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[25730] BATTLE 28「無拍子」
Name: やみなべ◆33f06a11 ID:1963cf14 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/07/16 00:38

風が吹く。
たった二人の人間の手で破壊し尽くされ、廃墟と化した空間に一陣の風が吹き抜ける。
風は砂塵を舞い上げ、雲間から燦々と降り注ぐ陽光が一つの終わりを告げた。

数瞬前まで場を席巻していた破壊の嵐は過ぎ去り、痛い程の静寂に取って代わられる。
木々のざわめきが、落下する白亜の人工物の破片の立てる音がやけに大きい。

それまでの喧騒が夢か幻のようだ。
だが違う。つい先ほどまであった出来事は、全て現実。夢幻でも陽炎でもない。

それを証明するように、廃墟の中心には一つの塊が存在している。
否、遠目には塊に見えるそれは、肩がぶつかりそうなほどに密着した二人の人間だ。

片や、短い金の髪と全身を屈強な筋肉の鎧で覆った巨漢。
片や、そこから頭数個分は背の低い黒髪の青年。
つい先刻まで破壊の権化そのものだった二人は、うって変わって彫像の如く不動。

動かない。どれだけ待てども動かない。
まるで、そこだけ時の流れが止まってしまったかのように。
しかし、もしそれが動かないのではなく「動けない」のだとしたら……。

見れば、互いの拳がそれぞれの肉体に深々と突き刺さっている。
巨漢の拳は青年の胸に、青年の拳も巨漢の胸に。
ここまでの闘いを知る者がいたなら、貫き通していない事を不思議に思ったかもしれない。
それだけ、二人の闘いは壮絶だった。

長く、重く、静かな静寂のひと時。
だがそれも、やがて終わりの時が訪れる。

先に動いたのは――――――――――――――――――――――――――――巨漢の方だった。
重々しい物音と共に、イーサンはその場に膝を突く。

「ごっ……」

同時に、口からあふれ出る鮮血。
内臓に手酷い痛手を受けたのだろう。

イーサンは震える右手を口元にやり、数度咳き込む。
その度に指の隙間から血が滴るも、次第にその量が減っていく。
ダメージは深刻だが、命にかかわる程ではないようだ。

よく見ると、その人差し指には彼の物とは別の赤い命の水が付着している。
拳が突き刺さっていたと思われたが、実際には突きだされた人差し指だったようだ。

イーサンは静かに呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。
そして、未だ目の前に立ち続ける古き好敵手に告げた。

「この勝負――――――――――――――――ユーの敗北だ」

再び、砂塵を帯びた一陣の風が二人の間を駆け抜けた。
風は二人の健闘を讃える様に、慈しむ様に、優しくその身体を撫でていく。

青年、白浜兼一は答えない、動かない。
胸元から一条の血の筋を流しながら、彼の時は止まり続けている。

「ユーは強い。今日まで死闘の末に屠って来た強敵達と比較してもなお、抜きん出て。
 正直、ここまで追い込まれるとは思いやがりませんでした。だが……」

そこで、イーサンは言葉を切って一端瞑目する。
まるで、何かを惜しむ様に。

「長きに渡る隠棲が、ユーの成長を遅らせた」

それは、覆しようのない現実。
技の冴えは昔の比ではない。
その膂力は時を経てさらに凄味を増している。
心に至っては、むしろ圧倒されるものすらあった。

事実、末席とは言え一影九拳に名を連ねるに至った彼と、ここまで戦える者はそういない。
しかし、それでも兼一の拳は勝利に届かなかった。

兼一が武術界から離れた期間は、およそ5年。
それだけの長い時間、兼一は武侠の世界から離れて生きてきた。
もちろん兼一も武の練磨を怠りはしなかったが……

「ミーはその間もミッションを続け、実戦を重ねてきた。
 ユーが武の世界に戻って数ヶ月、5年のブランク(空白)を埋めるには足らなかったのでせう」

陳腐だが、一の実戦は百の鍛錬に勝る。即ち、実戦に勝る修業はない。
その実戦を積み重ね続けてきたイーサンと、そこから離れた兼一。
二人の間に差が生じるのは、ある意味必然だったのだろう。

ましてや、兼一は翔が生まれてからと言う物、常に彼に隠れて修業を積んできた。
故に時間は限られてしまうし、あまり修業を激しくし過ぎても翔に不信感を与えてしまう。
その結果が……これだった。

もちろん、その時間が無意味だったわけではない。
人として、親として、兼一にとってかけがえのない時間だった。
その日々が兼一の心に与えた影響はバカにできるものではない。

実際、イーサンの見立てではもっと余裕のある形で決着はつく筈だった。
にもかかわらず、これ程のダメージを受けている。
それはまさに、イーサンにとって良くも悪くも誤算だった。
だが、それでも厳然たる事実として、兼一は負けたのだ。

「惜しくはあった。しかし、今のユーでは一影九拳に及ばない。
 新参のミーにすら勝てないのでは、ゼイ(彼ら)を退ける事はインポッシブル(不可能)だろう。
無拍子でもなおミーを倒しきれなかった事が、それを証明している」

無拍子、それは『一人多国籍軍』白浜兼一だけに許された必殺の突き。
空手、中国拳法、ムエタイの突きの要訣を混ぜ、そして柔術の体捌きで放つ秘技だ。
四種の武術を身に付けた兼一だからこそ可能なそれは、密着状態からノーモーションで最大パワー・スピードでの突きを放つことを可能とする。
数多の死闘を制してきた、まさに兼一が最も信頼し、彼を象徴する技。

そして激突の瞬間、兼一は決死の覚悟でそれを放った。
イーサンもそれを察知し左腕で防御したが、そのガードをぶち破って無拍子は突き刺さったのだ。

いや、もし左腕でガードしていなければ、それこそ結果は変わっていたかもしれない。
ほんの僅かとはいえ防御された事で威力が、速度が落ちた。

その結果イーサンの突きが先に届き、兼一の心臓の経穴を断ったのだ。
刹那の差で心臓が止まり、故に必倒の一撃は必倒に至らなかった。
引き換えに、左腕を持って行かれてしまったが…相手が相手。「これ位は安い」とイーサンは思う。

しかし、心臓が止まっていながらも兼一は倒れない。
そんな彼の横を、イーサンは瞑目して通り抜ける。
闘いは決した、これ以上彼の身体を破壊するのは忍びないと言わんばかりに。
さて、それは敬意か、あるいは情けか、それとも……。

だがイーサンがその場を離れようとしたところで、やや離れた所から誰かが駆けて来る。
それは、翠と白を基調とした騎士甲冑に身を包むシャマルだった。

「兼一さん!」

シャマルの役割はロングアーチと連携しての全体の管制及び指揮。
何らかの方法で兼一の異変に気付いたのだろう。
ロータリーの方も気がかりではあるが、それでも差し迫った命の危機はこちらにある。

走り寄ろうとするシャマルだったが、イーサンの姿を発見しその足が止まった。
兼一へと向かうには、イーサンの傍を通り抜けねばならない。

しかし、イーサンは兼一を倒した張本人、安々と通らせてもらえる筈もなし。
そこで彼女は、足を止めた瞬間にその両手を一閃させた。

放たれたのは翠と蒼、二色の鋭角な宝石が二つずつ、計四つ。
四つの宝石はそれぞれが複雑な軌道を描きながら、イーサンめがけて殺到する。

「っ!?」
「流星錘…いや、ペンデュラムか。練度は悪くないが……」

相手は一影九拳、その全てを一息に片手で掴むことなど造作もない。
だが、元来シャマルは後方支援が主であり、直接的な戦闘能力には乏しい。
その事を誰よりも熟知しているのは、他ならぬシャマル自身。

相手は兼一を倒したかもしれない相手。
そんな相手に、自分が真っ向から挑んで勝てるとはハナから思っていない。
しかし、勝てなくとも出し抜く事はできる。

「クラールヴィント!!」
《ja》

シャマルの一声と共に、兼一の足元に翠のベルカ式魔法陣が出現。
瞬く間のうちに彼の身体は光に包まれていくが、その点に関してはシャマル自身もまた同様だ。
徐々に翠の光は光度を増していき、やがて二人の姿は跡形もなく消失した。

「良い判断をしやがります。ユーは、相変わらず仲間に恵まれているな」

追撃しようと思えばできない事もなかった。
消えるまでの一瞬でも、イーサンにとっては充分過ぎる時間だ。

だが、元よりイーサンにこれ以上兼一の身体を破壊する意思はなく、シャマルにも戦闘の意思はなかった。
潔く撤退する女の背を追って仕留める拳は、生憎と持ち合わせていないのだから。

「See you again.友よ」

言って、イーサンはその場から姿を消す。
目指すは、彼の教え子と兼一の弟子が立ち会っているであろうロータリー。
彼には、それを見届ける責務がる。



その時、ホテルアグスタの屋上。
イーサンから兼一を連れて離脱したシャマルは、まず兼一の容体を知って顔を悲痛に歪めていた。

無理もない。肉体的な損傷はまだしも、呼吸と心拍が止まっているのだ。
脳自体には酸素を蓄える能力がなく、呼吸が止まってから4~6分で低酸素による不可逆的な状態に陥るとされている。そのため、一刻も早く脳に酸素を送る必要があるのだ。

達人と言う埒外の生き物に、どの程度この常識が通用するかは不明。
だが、一刻を争う事に変わりはない。

そしてシャマルは医務官であり、守護騎士にあっては癒しと補助が本領。
故に、懸命に兼一の心肺蘇生処置を行っていた。

「AED(自動体外式除細動器)は効果なし。あとは、あとできる事は……!!」

教科書に忠実な人工呼吸と心臓マッサージを施しながら、シャマルは知識の引き出しを漁っていた。
ロングアーチには既にこの事態は伝え、至急の応援を求めてある。
応援に先んじて蘇生できたとしても、彼を設備の整った場所に搬送する必要があるからだ。

しかし、シャマルの表情の険しさはそれ以上の物を感じさせる。
正しい筈なのに、本当にこの処置で良いのか、そんな不安が脳裏をよぎっているのだ。
だが、シャマルにはこれ以外にできる事がない。
彼女は必死に不安を振り払いながら、今自分にできる最善を為す。

「ダメ! 死んじゃダメ、兼一さん! あなたは、こんな所で死んじゃいけない!!
 翔が、ギンガが、みんながあなたを待ってるんですよ!! だから、だから逝っちゃダメ!!」

唇を合わせて兼一の肺に息を吹き込み、続いて心臓マッサージへと移る。
同時に、目に涙を浮かべながらシャマルは必死に呼びかけるのだった。



BATTLE 28「無拍子」



ホテル正面のロータリーで交錯する、二つの光。
僅かに色合いの異なる青い光を放つ両者は、一所に留まる事なく縦横無尽に高速で動きまわる。
その軌跡は複雑に絡み合い、断続的に重い打撃音を響かせていた。

「ちぇあああああああ!!」
「……しっ!」

嵐の様な怒涛の突きを最小限の動きで回避し、ギンガはアノニマートのすぐ傍をすり抜ける。
擦れ違う形になった二人はその場で反転し、互いの肘が正面からぶつかり合う。

二人の力は一瞬拮抗するも、やがてギンガは押し切られ僅かに後退。
その隙を逃さず、アノニマートはギンガへと追撃をかける。
体勢を崩したギンガ目掛けて放たれる、息もつかせぬ突きの連打。
拳の嵐に呑まれれば、如何に頑健さを誇るギンガと言えどただでは済むまい。
ただしそれも、為す術もなく呑まれればの話。

「……」
「ちぇっ、またか」

必中と思われた突きの悉くを、ギンガはすり抜けるかのように回避する。
もう何度目になるかわからない、流水制空圏特有の動きを流れで読み、最小限の動きで行う回避。

しかし、回避ばかりがこの技の利点ではない。
最小限の動作によって回避したと言う事は、攻撃へ転じる際のロスも少ないと言う事。
アノニマートが次手を打つより先んじ、裏拳が放たれる。
だが、裏拳がアノニマートの横っ面に触れる寸前、驚異的な身体のしなりを見せてやり過ごした。
とはいえ、ギンガとてここで攻撃の手を休めるつもりはない。

「でぁっ!」

折角の好機を逃すまいと、畳みかける様にして鋭い手刀を振り下ろす。
彼の機動力ならば回避も可能だろうが、とにかく主導権を渡さない事が肝要だ。
回避ないし防御に回らせ続ければ、いずれは押し切る事も可能。
しかし、そんなギンガの想定をアノニマートは容易く覆す。

「なっ!?」

本来ならば一歩下がって回避するか、防御して受け止めるであろう場面。
だが、アノニマートはそのどちらも選択せず、あろうことか逆に一歩踏み込んできた。

距離を詰められた事で、ギンガの手刀はアノニマートの肩を打つに留まった。
打点を殺され、当たったのも手刀ではなく前腕部分。
これでは、狙ったダメージの半分も与えられないだろう。

避けるのではなく敢えて受ける。
ダメージを最小限になどと虫の良い事は望まず、受けたダメージ以上のダメージを狙う。
それがアノニマートの武術に対する在り方だった。

(もらった!!)

如何に流水制空圏とは言え、ここまで近づいてしまえばできる事は限られる。
ギンガの動きに、距離をさらに詰めるべきか、あるいは開けて仕切り直すべきか。
どちらかを決めかね、僅かな迷いが生じた。
その逡巡が、ギンガの流水制空圏を僅かな綻びを生む。
アノニマートはその綻びを見逃さず、至近距離からの膝蹴りを放つ。

「がはっ!?」

咄嗟に折り畳んだ腕で辛うじて蹴りを防ぐも、重い一撃は完全には受け切れない。
蹴りの衝撃が腕を貫き、ギンガの臓腑を打ちすえる。

息が詰まり、視界が歪む。幸い、骨は軋んだだけで折れてはいない。
だが、ギンガの身体が僅かに流れ、たたらを踏む。

その間にも、アノニマートは右拳をギンガの鳩尾の数センチ手前で構える。
そのまま強く深く踏み込むと、震脚を轟かせながら最小の動作から渾身の突きを放つ……

「り、リボルバー……シュート!」

寸前、ガードした右腕とは逆、リボルバーナックルを装着した左拳から牽制の衝撃波を放つ。
カートリッジを一発消費して放った衝撃波だが、元々射砲撃系の魔法を不得手とするギンガでは、その威力もたかが知れている。
アノニマートは衝撃波を左腕で防ぎつつ、構わず右拳を繰り出した。

しかし、思わぬ反撃に僅かに突きのタイミングが遅れた。
ギンガはその僅かな遅れの間に跳躍することで距離を取り、着地と同時に再度地面を蹴る。
一度開いたアノニマートとの間合いを詰め直し、勢いをそのままに肩から突撃を仕掛けたのだ。

それに対し、アノニマートは受けに回ることなく自らもまた前に出る。
互いに放つのは中国拳法で言う所の「靠撃(こうげき)」。
二人は正面から衝突するが、助走距離のあったギンガの方が有利。
競り負けたアノニマートだが、その身体が急激に地面へと引きずり倒される。

『靠撃(こうげき)』が当たる瞬間、ギンガは抜け目なくアノニマートの袖を取っていたのだ。
そのまま、引き摺り倒したアノニマート目掛けて、鉄槌の如き鋼の拳を振り下ろす。

しかしそれを、アノニマートは寸での所で回避。
ギンガの鉄拳は、虚しくアスファルトの地面を破砕した。
だがその一撃の余波が、二人のすぐ傍で黒煙を上げていたガジェットの残骸に、決定的な何かをもたらした。

「「あ……」」

異変に気付き、二人は揃って小さく声を漏らす。
見れば、エリオによって両断されていたガジェットの残骸は盛大に火花を上げていた。
それどころか、明らかに今にも爆発しそうな気配が満ち満ちている。

ギンガはこの事態を前に、一瞬逡巡する。
アノニマートを逃すかもしれないが、離脱するべきか。
それとも、このままアノニマートの動きを封じつつ攻撃を続け、諸共ガジェットの爆発に身を晒すか。
勇猛と蛮勇は違う。いたずらに自分の身を危険にさらせばいいと言うものではない事を、彼女は良く理解している。

その事を踏まえた上で、ギンガは小さく息を吐き――――――――――――――――覚悟を決める。
この敵は強い。ここで逃せば、次はいつチャンスが来るかわからない。
多少の無茶はやむを得ない、彼女はそう判断した。

だが、そこに至るまでの一瞬の躊躇が明暗を分ける。
僅かに動きが鈍った瞬間を見逃さず、アノニマートは自身の袖を取るギンガの右腕に四肢を絡める。

「しまっ!?」

そのまま全身を使ってギンガを投げ飛ばすと、アノニマート自身もまた急ぎその場から離脱する。
間もなくガジェットは二人の予想通り、爆発炎上。
しかし、寸前にアノニマートがギンガを投げ飛ばしつつ飛び退いた事で、辛くも二人はそれから逃れる事が出来た。
ただし、ギンガより僅かに離脱が遅れたアノニマートは、多少なりその爆風に身を晒す事になったが。

「あつっ、あっつ! って、ああ!? 一張羅がちょっと焦げた!」

にもかかわらず、当の本人は至って緊張感のない事に動揺している。
アノニマートにどんな意図があったにせよ、結果的に爆発から助けられる形になったギンガの胸中は色々な意味で複雑だ。
敵に助けられる事になったのもそうだが、なによりこの緊張感のなさは本当にどうにかしてほしい。

とはいえ、まがりなりにも助けられたことに変わりはない。
貸し借りで言えば借りを作った事になる以上、生真面目なギンガにはなかった事にして即再開…という事は出来なかった。
例えそれが、ギンガにとっては折角の好機を失う事になったのだとしても。

「……一応、感謝はしておくわ。千載一遇の好機を失った訳だけど」
「ん~、気にしなくていいよ~。
どちらにしても、ギンガさんをなんとかしなきゃ僕まで爆発に巻き込まれてたわけだしね~」

渋々と言った様子のギンガの礼を軽く流すアノニマート。
だがそこで、アノニマートは腕を組んで何事かぼそぼそと呟きだす。
今までわざとらしいぐらいに明瞭に話しかけて来た彼が、まるでひとり言のように。

「それにしても……いやはや、さすがの僕も無理心中は勘弁だよ。
 まぁ、女の子の盾になって死ぬって言うのも中々ロマンがあって憧れるんだけどね。
 ただ、さすがに二度ネタはどうかと思うんだ、実際。僕としても、僕は僕でありたいと思うわけで……」

何を言っているのかは余人にはよく分からないが、アノニマートなりに何か思う所があるらしい。
とそこで、アノニマートは汲んでいた腕を解くと、ギンガへと視線を向ける。

「でも………うん、思っていた以上にやり辛いね。
これで不完全だって言うんだから、さすがは静の極みの技。正直、これは困ったぞぉ~」

相変わらず、言ってる内容はどうにも胡散臭くて信用できない。
本当に困っているのかどうか、あるいは本当にやり辛いと思っているのか。その全てが疑わしい。
しかし、一応彼は彼なりに本気でそう思っているのだ。

流水制空圏の第一段階「相手の流れに合わせる」。
未だギンガはこの段階までしか修得していないが、それでも思うように攻撃が届かない。
基礎能力は全てにおいて、僅かではあるが確実にアノニマートが上回っている。
そのため、全体的にはアノニマートが優位に戦いを進めていると言っていいだろう。

だが、流水制空圏がその僅かな差を辛うじて埋めてきている。
ギンガの攻撃が地力の差で効果が薄い様に、アノニマートの攻撃も流水制空圏が厚く高い壁となって立ちはだかる。このまま続けても、下手をすると千日手になりかねない。

しかし、そう言う事ならばアノニマートにも考えがある。
あまりやりたくはないのだが、普通にやっていては埒が明かない。

「さっきはああ言ったけど、ホントは使うつもりはなかったんだよねぇ。
でも、前言撤回! ちょこっと裏技……いっちゃうよぉ~♪」

その言葉と共に、アノニマートの雰囲気が一変する。
これまでのどこか緩んだ雰囲気はなりを潜め、獰猛な気配にとって代わられた。
否、それどころではない。未だ気の感知には疎いギンガでもわかる、有無を言わさぬ禍々しい気の波動。
それが、アノニマートの内より溢れだしている。

ユラリと、凄絶な笑みを浮かべながらアノニマートはギンガへと一歩を踏み出す。
不穏な気配を感じ取ったギンガは、一切の油断なく、瞬き一つすら惜しんでアノニマートの一挙手一投足を中止する。
だが気付いた時には、アノニマートはギンガの眼前まで迫っていた。

「っ!?」
「キェイ!!」

首をへし折らんばかりのラリアットがギンガ目掛けて放たれる。
ギンガは辛うじて防御態勢を取るも、それまでの比ではないでたらめな怪力により、その身体は面白い様に後方へと薙ぎ払われてしまう。

ギンガは突然の変化に動転しながらも、辛うじてしっかりと両脚で着地を決める。
しかし、僅かな猶予も与えることなくアノニマートが追撃をかけてきた。
接近し、間合いに捉えると同時に放たれる「ティーカオ(飛び膝蹴り)」。
ガードもろとも押し潰され、ギンガの身体は白亜の壁に叩きこまれてしまう。

ギンガは壁から身を起こしながら、ナックルスピナーから発生した衝撃波を乗せ、真っ直ぐ直進してくるアノニマートへ向けて渾身の正拳突きを放つ。
だが、アノニマートはその一撃を脇腹に潜り込みながら回避。
懐に入ると共に、強力な廻し肘打ちを叩きこむ。

「ぐっ!?」

流水制空圏のおかげか、なんとか皮一枚掠める形で回避に成功するギンガ。
とはいえ、ここまで深く入り込まれたのはむしろ好都合。
ギンガはその場でアノニマートの首を抱え込み、首相撲の姿勢に持って行く。

密着状態からの「カウ・ロイ(膝蹴り)」。
この状態ではもはや逃れる術はないかと思われたそれは、強引な力技で破られた。

「熊手連破!!」

指の第一関節を折り曲げる熊手による連続攻撃。
密着状態で両腕を首にまわしていた為、ギンガにこれを防ぐ術はない。
鋼の五指が幾度もギンガの身体に突き刺さり、その顔を苦痛に歪めていく。

しかし、日頃の修業によりギンガの耐久力は格段に跳ね上がっている。
彼女はアノニマートの指が深々と突き刺さった瞬間を見計らい、その腕を両腕で抱え込む。
同時にバインドを展開、アノニマートの身体を徹底的に拘束した。

「えあっ!!」

その好機を逃すことなく、ギンガは踏み砕かんばかりの力を込めて大地を蹴ると、アノニマートの側頭部目掛けて渾身の回し蹴りを放つ。
片腕どころか全身を封じられ、今のアノニマートに防ぐ術も回避する術もない。

だがアノニマートはその悉くを引きちぎり、空いた左腕で制空圏を築く。
蹴りが制空圏に触れた瞬間、まるで拒絶されたかのようにあらぬ方向に弾かれた。
それどころか、指が突き刺さったままのギンガの身体を強引に持ち上げ、投擲する。

「おおおおおお!!」
「きゃっ!?」

ギンガの身体は面白いほど軽々と宙を舞い、やがてもんどりうって地を転がっていく。
さらにそこへ、跳躍と共に空中に展開した魔法陣を蹴り、アノニマートが両拳を突き出して降って来る。

「ディエゴティカダウンバースト!!」
(不味い、早く流水制空圏を……)

起き上がると同時に流水制空圏を築き直すギンガ。
しかし、全体重と落下の威力を乗せた拳の前に容易く破られた。

あまりの衝撃に弾き飛ばされるギンガだが、打たれ強さは師匠譲り。
深く重いダメージを受けたギンガは口腔から血を吐きながらも、倒れる事だけはしない。

アノニマートはそこで一端ギンガから距離を取り、彼女の様子を観察する。
ここまでの僅かな攻防でかなりのダメージを蓄積している事が伺えるが、まだ心を折るには至っていない。
その意思の強さは驚嘆に値するが、瞳に灯る闘志の炎には揺らぎが生じていた。
さすがに、頼みとする技を容易く破られた精神的動揺は小さくないらしい。

「へぇ、まだ倒れないんだ。タフだねぇ~」
(そんな…流水制空圏が、こんな簡単に……)

数撃は持ち堪える事が出来たが、完全に破られてしまったその事実にギンガの精神は大きく揺らぐ。
自らのそれが不完全である事は承知しているが、それでもだ。
先ほどまではなんとかついていけた敵の動きが、今はまるで付いていけなかった。
動きの速さ、一撃の重み、ここの技の精度、その全てがこれまでの比ではない。

「何が起きたかわからない、って顔してるね」
「なに、聞いたら教えてくれるのかしら?」

アノニマートの軽口に対し、ギンガは膝に手をつきながら身体を起こして問う。
答えなど期待してはいないが、それでも何らかの策を講じる時間が欲しい。
無策で挑むには、今感じた戦力差は絶望的すぎる。

「静動轟一、って聞いたことない?」

アノニマートの言葉に対し、ギンガは微かに眉をしかめる。
どうやら、その言葉に心当たりはない様だ。

「ふ~ん、ギンガさんなら知ってるかと思ったんだけど……もしかしてあの人、教えてない? まぁ、あの人が教えようとしないのもわからないではないんだけどねぇ~」

アノニマートからの問いかけに対し、ギンガは無言。
師がこの男の使う技を知っている事への驚きはないし、同様に技の存在を知らされなかった事への不信感もない。ギンガは兼一に全幅の信頼を寄せている。
彼があえて教えなかったのなら、知る必要がないか、まだ知るには早いと判断したのだろう。

実際、あの技はどこか危うい。
一瞬捉えたアノニマートの眼から、ギンガは直感的にその危険を感じ取っていたから。
だが、この一言はさすがに予想外だった。

「何しろこの技、白浜兼一の幼馴染を一時とはいえ壊した技だし」
「なんですって!?」
「だからね、この技は彼の幼馴染を実験台にして開発された技なんだよ。
 しかも、その幼馴染がこの技を使った相手が彼自身。
 あの人としては、色々嫌な思い出の多い技だろうからねぇ~。教えたがらないのも当然かなぁ~って」

あくまでもにこやかに、先ほどまでの凶悪な雰囲気が幻の様な調子でアノニマートは語る。
しかしその内容は不穏そのもの。
技をかけられた側が重傷を負う事は、強力な技ならあり得ない事ではない。
あるいは、強力すぎるが故に使用者にもリスクを強いる技もない事はないだろう。
だが、技をかけた側が「壊れる」など聞いた事がなかった。

「なんで、そんな危ない技を……下手をしたら、あなただって!」
「そこら辺は大丈夫~…とは言い切れないけど、用法・用量はちゃ~んと弁えてるよ~。
 朝宮龍斗とかのおかげで、その辺はもうだいぶ分かってるからね。
 長時間使わなければ、とりあえず問題はないんだよ~ん」

事実、朝宮龍斗・小頃音リミらの犠牲により静動轟一は一定の完成を見た。
『長時間使ってはならない』という、その条件は彼らを犠牲に見出されたもの。

その事実に、ギンガは不快感を顕わにする。
殺人拳など以ての外だが、これはそれ以上に性質が悪い。
弟子を犠牲にし、使う者に時限爆弾を持たせるような技など認められない。
少なくとも、彼女の師ならば絶対にそんな事はしない筈だ。
だからこそ、何故兼一がこの技の存在を教えなかったのか、その訳をギンガは理解する。
同時に、この技を使用するうえでの条件は、そのまま弱点の正体を明らかにしている事にも。

「それはつまり、限界が来るまで粘ればあなたは勝手に自滅するってことよね」
「うん、そうだよぉ~。でもぉ、僕にはあんまり当てはまらないかなぁ~?」
「どういう、意味?」
「ふふ~、そこから先は…ヒ・ミ・ツ♪ さあ、おしゃべりも良いけど……そろそろ続きといこう!!」

静動轟一の神髄とは、即ち"静"と"動"という相反する二つの気を同時に発動させ、凝縮した気を一気に解放することにある。
これにより、一時的に強力且つ正確無比な攻撃を繰り出す事を可能とするのだ。
だがそれは、「密閉された瓶の中で火薬を爆発させ続ける」と表現されるように心身への負担は凄まじいという弊害も併せ持つ。
数分で肉体は限界に達し、使いすぎれば再起不能や廃人化の恐れもある危険極まりない技、それが静動轟一。

それを“拳聖”緒方一神斎は使用時間に制限を設ける事で実用化した。
しかしそれでも、この技が「短期決戦」以外に使えないと言う事実に変化はない。

そこで発案された、第二のアプローチ。それが『密閉させた瓶の中で火薬を爆発させ続ける』のでは器が保たないと言うのなら、『爆発を要所要所に限定すれば良い』というもの。
例えば動き出す瞬間、初撃やトドメの瞬間など、“ここぞ”と言う時だけ使う。

そうする事で容れ物へのダメージを最小限にとどめ、使用時間を引き延ばしているのがアノニマートだ。
元より基本ポテンシャルでは二人を上回っているだけに、初速や初撃の威力を引き上げるだけでも十分と言うのもあるだろう。その分、本来のそれより全体的なポテンシャルの向上は望めないが、より安定して闘えるという強みがある。
故に、アノニマートの限界時間は本来のそれより幾分長い。

「えああああああああ!!」

大地を蹴って疾駆してくるアノニマートに、ギンガもまた前羽の構えで打って出る。
速い相手には懐に入って先手を封じる、それが兼一の教えだ。
その教えを忠実に守り、ギンガは怒涛の突きを掻き分けて距離を詰めていく。

アノニマートのオリジナルは貫手を好んだが、彼は違うらしい。
そして、今回放つのもまた巌の如き拳の乱打。
ギンガは初撃をなんとか受け止めるも、その後は良い様に貰ってしまう。

しかし、アノニマートの静動轟一は一瞬だけの物。
初撃さえ防げれば、よほどの隙を見せない限り残りの攻め手が直接致命打に繋がる可能性は低い。
それを二人は、直感的に理解していたのかもしれない。

(へぇ…守る所はしっかり守ってる。さすが彼の弟子、守りどころの見極めが上手いねぇ~)

伊達に、日々遥か格上に徹底的に叩きのめされてはいない。
絶対に、なんとしてでも守り抜かなければならない局面を察知することにかけては、既にかなりのレベルにある。この状況はその成果だった。

「せいっ!」
「おっと」

怒涛の連撃を掻い潜り、ギンガは左拳による昇打を一閃させる。
アノニマートはそれを仰け反る様にして飛び上がって回避し、間髪いれずに蹴りを放つ。
ギンガは辛うじてシールドでこれをいなすと、アノニマート目掛けてウィングロードを伸ばした。

如何にアノニマートと言えど、空中での自由度はギンガには及ばない。
故に、彼が空中にいる今こそが好機。
ウィングロードの上を疾走しつつ、全身を弓の如く引き絞り速さと鋭さ重視の貫手を構えた。

「貫手かい? いいね、あんまり使いたくないけど、別に僕も苦手な訳じゃないよ。
これは前の僕の得意技でさ、一つ比べて見ようじゃないか!」

そんなギンガに対し、アノニマートもまた貫手の構え。
両者は間もなくお互いを間合いに捉え、全く同じタイミングで貫手を放つ。

「シッ!!」
「へあっ!!」

ギンガとアノニマート、二人の貫手が空中で交錯する。
ただし、アノニマートが放ったのはギンガのそれとは似て非なる強烈な回転を伴った貫手。
鋭く空気を切り裂く貫手と、周囲の空気ごとねじ切らんばかりの貫手。
互いの貫手が擦れ合い……ギンガの貫手が大きく弾かれた。

「そんな……がっ!?」

『人越拳 ねじり貫手(じんえつけん ねじりぬきて)』。
人体を突き破るほどの威力を誇る、強い回転を加えた貫手。
まさに彼が言った通り、アノニマートのオリジナルが得意とした技だ。

強烈な回転によりギンガの貫手は弾かれ、導かれるようにギンガの身体に突き刺さる。
ギンガの身体は、僅かに赤い雫を撒き散らしながら後方に向けて吹き飛ばされていく。

「ん? 擦れたせいで威力が薄れちゃったか…惜しい♪」

手応えから仕留め切れていないと判断したのか、後を追おうとするアノニマート。
しかしそこへ、まき散らすかのようにリボルバーシュートが次々と放たれる。

「おっとっと……」

飛来する衝撃波の数々を、彼は危なげなく余裕を持って回避していく。
元々、決して連射性能の高い魔法ではない為、狙いも甘ければ威力も低い。
その上、今回はとにかく弾数を増やすことを優先した。
故に、カートリッジのロードすら惜しんだ結果、威力・射程ともに普段よりさらに下がっている。

気をつけなければならないのは、有効範囲の広さのみ。
それにした所で、威力が下がっているため万が一当たっても深刻な影響はないと言っていいだろう。

つまり、実質的にこの攻撃に「足止め」以上の意味はない。
逆に言えば、そんな手段に出なければならない程、今のギンガは追い詰められている。
運よく致命傷こそ受けなかったが、ねじり貫手によって被ったダメージは甚大。
今は、少しでも体勢を立て直し、回復に当てる時間が欲しかった。

だが、それがわからないアノニマートではないし、いつまでもそんな苦し紛れに付き合ってやる気ほどお人好しではない。
アノニマートは、カラリパヤットにおいて、『蛇の型(へびのダデイブ)』と呼ばれる両手の手刀を合わせた型で身体を小さくまとめ、突撃を仕掛ける。

衝撃波に晒される面積を小さくした事で、ダメージは最小限に。
しかも、この流れをさかのぼっていけば、そこにはギンガがいる。
アノニマートは流れを道標に、一気に間合いを詰めていく。

しかし、ギンガとてこんな苦し紛れがそう長く持つとは思っていない。
そもそも、アノニマートが選択したこの方法には一つの欠点がある。
威力は弱くとも、何発もの衝撃波に晒される関係上、どうしても視界が悪いのだ。
いる事はわかっていても、正確な距離が掴みづらい。

ギンガはそれを利用し、アノニマートに気取られないよう細心の注意を払いながら、自ら距離を詰める。
自暴自棄にも思える行動だが、それによりアノニマートの想定よりも二人の間合いは急速に詰まっていく。
そして、それを把握していたギンガは自らの制空圏に捉えた瞬間、最小限の動作で拳を繰り出す。

「むむ……そう来たか!」

自分より速い相手に威力重視の大振りは悪手。
動きは最小限に、回転を上げて手数を増やす。
それでようやく追い縋れるスピードの持ち主、それがアノニマートだ。

ギンガはその考えに基づき、貫手と拳を併用しながら連打を放つ。
先手を取った事で、守りに回っている今が好機。

だが、いったい何を思ったか。
ギンガの連打に対し、アノニマートは防御も回避も一切取らず、むしろより深く踏み込んできた。

「なっ……!?」

攻撃を受けても構わず敵陣深く踏み込んでくる敵に、一瞬圧倒される。
これまでの闘いから、こう言った泥臭く強引なやり方は好まないと思っていたからだ。
そんなギンガの一瞬の虚を突き、アノニマートの両手がギンガの襟を取った。
咄嗟にそれを振り払おうとするギンガだが、先んじてアノニマートがその身を捻る。

「がっ!?」

コマンドサンボの『セベェルニィ・スメルト(北の竜巻)』の技だ。
相手の襟を掴みそのまま身体を回転させ、引き倒しつつ締め上げる、単純だが確実な殺人技。
しかしそれが完全に決まるに、ギンガは反射的にバリアジャケットの上着を脱ぎ捨てて逃れる。
武術と衣類には密接な関係があり、衣服を利用した技は多い。
そう言った技への対処法の一つとして教え込まれていた動作のおかげで命拾いした。

「うんうん、良い執念だ。そうこなくっちゃね~」

あくまでも余裕の表情のアノニマートに、ギンガは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
なんとか致命打だけは防いでいるが、状況はジリ貧。
アノニマートの言う通り、一向に限界を迎える様子がないのが何よりも堪える。

とそこで、それまでニコニコと笑みを浮かべながらギンガを見ていたアノニマートが、突然弾かれた様に視線を転じた。
その様は隙だらけで、あまりにも無防備過ぎる。余裕があるとか、そういう次元の問題ではない。
毒気を抜かれたギンガは、いぶかしむ様にアノニマートの視線を追う。

視線の向かう先は、ホテル入口の屋根の上。
そこには短い金髪と筋骨隆々の肉体が特徴的な巨漢の姿があった。

「先生?」
「……」

アノニマートの問いかけに、先生と呼ばれた男、イーサンは無言のまま。
しかし、二人の間ではそれで充分だったらしく、アノニマートは僅かに肩を竦める。

「なんだ、いつの間にか静かになっていたと思ったら……もう終わってたんですね」
「っ!?」

その言葉の意味を、ギンガは即座に理解する。
兼一はホテルの裏手で誰か、彼の古い知り合いと闘うと言っていた。
耳を澄ませば、先ほどまで裏手から轟いていた轟音は既にない。
それが意味するものは決着。にもかかわらず兼一が姿を現さず、その相手だけが姿を現したとなれば、その結果はつまり……。

「なら、一人多国籍軍は死にましたか?」

必死に否定していたその単語を、アノニマートはなんの気なしに言葉に乗せる。
イーサンはそれに対し肯定も否定も返さず、ただ瞑目する事で返事とした。
よく見れば、彼の指先にはまだうっすらと赤い雫の跡が……。

それを認識した瞬間、ギンガの視界が歪む。頭の中がぐちゃぐちゃになり、考えがまとまらない。
それに反し、胸の奥から沸々と煮えたぎる何かが沸き上がってきた。
熱はやがて脳へと達し、脳髄の隅々まで灼熱させる。
歪んだ視界は赤く染まり、全身が小刻みに震え、吐いた息は火傷しそうな程に熱く、心臓が早鐘を打つ。

ギンガはその場で、僅かに残った理性を総動員し兼一との通信回線を開く。
しかし、幾ら呼びかけても返事は返ってこない。
とそこで、アノニマートの手元に一つのモニターが出現する。

「あ~、ホントに死んでますね~。うん、見事に死んでるや」

そこには、力なく倒れ伏す兼一と必死に心肺蘇生を行うシャマルの姿が映し出されている。
どこから撮っているのかは定かではないが、確かにそこには見間違いようのない現実があった。

「見た所、経穴を断って心臓を止めたってところか。
 とすると、解穴しない限り普通の心肺蘇生も意味はないかな~?
 残念、一度会ってみたい人だったんだけどな……」

その声音には、今までとは違う真摯な響きがあった。
アノニマートは本心から、兼一と会えなくなった事を惜しんでいる。
だが、今のギンガにそれを正しく認識する事は出来なかった。

わからない。わからないわからないわからないわからないわからない…わからない。
自分で自分がわからない。ただ、真っ赤に染まった視界の中でイーサンへと視線が釘付けになる。
眼を離せない。意識を離せない。別の何かを見る余裕も、考える余地も既にない。
認識できるのは、師を殺したと言う男への抑えようもない激情だけ。

静の武術家として、一時の激情に身を任せるなど愚かな事だ。
しかし、理性で感情の全てを抑え込むには未だギンガは若く、未熟過ぎた。

「あ…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

絶叫に続き、ギンガは涙を湛えた瞳のまま爆ぜる様にしてイーサンめがけて疾駆する。
既に、彼女の眼にアノニマートは映っていない。
あるのは只、大切な人の死への悲哀と、尊敬する師にして初めての焦がれる異性を殺した敵への憤怒、そして憎悪。

怒りに染まった心は自分自身すら焼き尽くさんばかりに燃え上がり、初めて芽生えた憎悪を御する術はない。
ギンガは生まれて初めて、その拳に「殺意」を乗せる。

「おおっとっと、ダメダメ。君の相手は僕でしょ?
 そりゃね、先生を殺されて怒るのはわかるけどさ」

肩をすくめながら、アノニマートはギンガの前に立ちふさがる。
だが、ギンガはそれに構うことなく強引にアノニマートを押し退けて突き進む。

「退きなさい!」
「いや、だからさぁ~」
「退け――――――――――――――!!」

突き出される拳に対し、ギンガは防御すらしない。
攻撃を喰らってもお構いなしに、ギンガはイーサンめがけて疾走する。
とはいえ、それをアノニマートが黙って見送る理由はない。
無防備な背中目掛け、攻撃を仕掛けようとした所で……突然、足を止めた。

「ま、いっか。師の仇を取ろうって言うのを邪魔するのも野暮だし、どうせ……」

今のギンガでは、天地が逆転した所でそんなことは不可能だ。
イーサンの様子にはどこか違和感がある。おそらく、何らかの深手を負っているのだろう。
しかし、そんな物は関係ない。
どれほどの深手を負っていた所で、ギンガが相手では殺されようがないと言うのが現実。
それだけの実力を持つが故の、一影九拳だ。

そして、無謀にもイーサンへと飛びかかったギンガはどうなったのか。
本来ならアノニマートの予想通り、イーサン相手にギンガに勝ち目などない。
一合と渡り合うことなく、瞬く間の内にその命を断たれる事だろう。

それがあるべき結末。
だが、イーサンからしてもギンガは今殺すには惜しい人材だ。
必要でもないのに弟子クラスの者を殺すのは彼の流儀ではないし、弟子の闘いに師が出るつもりもない。
彼には、ギンガに対しなんの恨みも敵意もないのだから。

故に、イーサンはその場で不動を貫き、指一本たりともギンガに対して動かさない。
ギンガの突きも蹴りも、あらゆる魔法が彼の身体をすり抜ける。

誰の目にも明らかな、圧倒的と言うのもバカバカしい程の力の差。
しかし、それでもギンガは止まらない。
力の差がある事など承知の上。否、そんなものは元より問題ではない。
勝てるか勝てないかではない。倒せるか倒せないかでもない。
大切な者を奪われて、黙り立ち止まることなど彼女には出来なかった。

「うあああああああああああああああああ!!!」

だが、精神論でどうにかなるほどその差は甘くもない。
如何にギンガが望んでも、どれほど捨て身で挑もうと、その拳がイーサンに届く事はないのだから。
そんなギンガに対し、イーサンは言葉にはせずに思う。

(師の為に命を捨てるか。良い弟子を持ったな、友よ)

感情に流されて戦う様は、確かに静の武術家としては愚かかもしれない。
しかし、それは想いの強さの裏返しでもある。
とはいえ、この状態が良い傾向であるとはイーサンも思わない。

「ストップ! 今のユーではミーに触れることすらできない。その程度のことすらわからない程未熟ではない筈だ。白浜の弟子よ」

ギンガの眼前に手をかざし、イーサンは彼女を諌める。
確かにギンガの心意気は買うが、所詮はそれだけ。
涙をこぼしながら拳を振るう子どもの相手と言うのは、正直気が乗らないと言うのが本音だ。
なにより、今のギンガの拳は彼のライバルのそれからは程遠い。

「師匠を手にかけたくせに、どの口で……!!」
「ユーは一体ヒーから何を学んだ? そんな無様な拳が、白浜兼一の教えか?
………………だとすれば、ミーはヒーを買い被っていやがったと言う事か、ラメント(残念)だ」

その瞬間、ギンガの身体は時を止めた。
それまで炎の様に猛り狂っていた様は一転し、道に迷った子どもの様に頼りないものに変わる。
足を止め、ギンガはゆっくりと自身の両手に視線を落とす。

無様と言われた、よりにもよって敵に。
それどころか、お前の師の教えはこんな物かと見下されたのだ、仇である筈の男に。

しかし、確かにその通りだと思う自分も存在する。
この拳は人を活かす為の拳。その拳が、今は殺意と憎悪に塗れている。
これが、無様でなくていったい何だと言うのか。
師の教えを貶め、拳を汚したのは他ならぬ自分自身。

「良いかい、本当に怒りに燃えた時にこそ心を鎮めるんだ。
 激情に飲まれれば、心の闇が開いてしまう。これを肝に銘じ、感情は深く秘めて闘いなさい」

反芻するのは師の教え。今のギンガは、到底その教えを守っているとは言い難い。
その事を、僅かに冷静さを取り戻したギンガは受け止めるしかなかった。

同時に、それが引き金となり見る見るうちに熱が冷めていく。
自分のしでかした事に、しようとしていた事に、愕然とするあまり。

(なにが「誇りに相応しい弟子であろう」なのかしらね。こんな、体たらくで……)

かつての誓いを思い出し、己が不明と愚行を恥じる。
思い出してしまったからには、もう激情に流される事は出来ない。
例え一時は激情に流され忘れてしまったとしても、あの時の誓いは本心からのもの。
『誇りに思う』、師はそう言ってくれた。その言葉と思い、そして誇りに相応しい自分であらねばならない。
そうでなければ、最早彼の弟子であるなど口にすることすらできなくなる。

ギンガは深く息をつき、激情を深く呑み込んでイーサンに対して背を向ける。
悔しいが、今の自分ではこの男に対して勝ち目がない。闘おうとするなら、それは単なる自殺も同然。

それに、この男に闘う意思はなく、動く意思もない事はすでにわかっている。
そうでなければ、とうの昔にギンガは殺されていた筈だ。
相手が遥か格上とはいえ、闘志無き者に向ける拳などギンガは教わらなかった。
もし動くのなら、その時はそれに合わせて動けばいい。
と言うより、本当にそれしかイーサンに対しては対応のしようがないのだ。

その事を、取り戻した冷静さと理性でギンガは正しく認識した。
今自分が闘うべきは、イーサンではなくアノニマートの方なのだと。
とはいえ、もう一度彼の顔を見ればまた激情に支配されてしまうかもしれない。
故に、決して顔を合わせない様に背を向けアノニマートへと向かう。
そんなギンガに向け、イーサンは小さく称賛の言葉を零す。

「エクセレント、さすがは白浜が見込んだ弟子だ」

その顔に浮かぶのは笑み。
友の見る目に曇りはなく、その弟子は確かに彼の教えを正しく受け止めている。
その事が、イーサンは我が事のように嬉しかった。



  *  *  *  *  *



「あ…ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

遠方より響く、一人の少女の絶叫。
そこには悲哀が、憤怒が、憎悪が、虚無が、無数の激情が混ざり合っていた。
聞く者の胸を痛ませるその声を聞き、シャマルは思わず顔を上げる。

「っ! 今のって…まさか、ギンガ……?」

何が起こったのか、彼女に知る術はない。
だがそれでも、何かが起きている事は明白。
今すぐ支援に向かうべきなのかもしれないが、彼女の眼前には兼一が横たわっている。
それを見捨てて、この場を離れることなど……。
しかしその瞬間、シャマルはあり得ないものを見る。

「え、ウソ……」

心臓が、呼吸が止まっている者が動ける道理はない。
なのに、彼女の眼前で兼一の腕がゆっくりと上がっていく。
シャマルは信じ難い光景に硬直し、呼吸も忘れてその様を瞳に移す。
そして、その腕は高々と掲げられた所で、指先を立てて自らの胴体に突き立てられた。

「かはぁっ!」

同時に、呼吸と心拍が戻り、兼一は勢いよく新鮮な空気を肺に取り入れた。
兼一は勢いよく上半身を起こし、周囲の様子を確認する。

「け、兼一さん…生きて……」

感極まった様子で、眼に涙を浮かべながらシャマルは肩を震わせる。
まさか、自力で心肺蘇生をしてしまうとは思わなかったが、生きているのならとりあえずはよし。
しかし、そんな彼女に対し、つい先ほどまで死にかけていた兼一は、あっけらかんとのたまう。

「え? やだなぁ、シャマル先生。心臓が止まった位じゃ人は死にませんよ?」

『アハハハ』と笑いながら手を振る兼一と、その笑えない内容に顔の引きつるシャマル。
正直、「そこは死んでおくべきじゃ」と思わないでもないが、それはそれで死ぬのを望んでいるみたいなので言わない。
まあ、実際には兼一も内心では「あ~~~~~~~~~~~~、死ぬかと思った」くらいの事は思っているのだが。

「そうだ、ギンガ達は!」
「い、今はホテルの正面で……って、何するつもりですか!?」
「あの子たちが心配です、僕も行きます」
「ちょ、今の今まで心臓が止まってた人が何言ってるんですか!?」
「僕の師匠の中には、本当に死んでも生き返って僕を守ってくれた人がいます。
 僕はその人達の弟子で、ギンガの師です。心臓が止まった位で立ち止まるわけにはいかないんですよ」

言って、兼一はシャマルの制止を振り払って歩みを進める。
だが、さすがにその足取りは重く、普段の力強さは見る影もない。

「ああ、もう! 本当に困った人ばっかりなんだから!!」

シャマルは兼一の後を追い、彼に肩を貸す形でその身体を横から支える。
兼一は僅かに驚いた様子で眼を見開くが、すぐに小さく「ありがとうございます」と呟いて前を向いた。



  *  *  *  *  *



己の為すべき事、歩む道を再確認し、ギンガは己がいるべき戦場へと戻った。
そんな彼女を出迎えたアノニマートだったが、ギンガへ向ける視線が先ほどまでと僅かに異なる。
どこか興味深そうに、同時に強い警戒心を秘めた眼差しで。

「良かったの? 師匠の仇を取らなくてさ」
「いつか取るわ、必ず。でも、それはいまじゃない」
「まぁ、実際今のギンガさんじゃ無理だろうしね……」

とは言いつつ、アノニマートはギンガの言を意外だと思う。
てっきり、『師匠なら仇討ちなんて望まない』とでも言うと思っていたのだが……。

「そうね。情けないけど、確かにそれもある」
「それ“も”?」
「いま、もう一度あの人の顔を見れば、きっと…私はまた自分を抑えられなくなる。
 例えそれであの人を殺す事が出来たとしても、それは師匠の仇を討った事にはならないから」
「へぇ……じゃ、どうしたら仇討ちになるのかな? 後学の為に教えてほしいんだけど」
「私が師匠から教わったのは、技だけじゃない。それは心の在り様であり、歩んでいく道。つまり『活人拳』そのもの。師匠の仇を討つには、『活人拳』を貫かなければ意味がないのよ」
「なるほど、ねぇ……確かに、それは道理かもしれないや」

どこか晴れ晴れとした表情で語られるその内容に、アノニマートは納得する。
不殺を貫き、人を活かしてこその活人拳。
怒りや憎しみで仇を殺したとしても、それはあくまでも己が激情を発散する行為に過ぎない。
活人拳の拳士の仇を取ると言うのなら、なるほど、確かにその理念の元に勝利してこそだろう。

(それにしても…………雰囲気が、変わったかな?)

決然と言い放ったギンガに対し、アノニマートは同時にそんな印象を受けた。
具体的にどこが変わったとは言い辛いのだが、全体的に今までにない落ち着きの様な物がある。

(静動轟一もあとそう何度も使える訳じゃないし、早めにケリをつけた方がよさそうかな)

かつてのそれより幾分効率的な運用ができるようになったとはいえ、その負担が大きいのは事実。
瞬間的な発動に限定して入るが、負荷は着実に蓄積し続けている。
まだある程度は余裕を残しているつもりだが、それでも長引けばいずれ限界は来るのだ。
今のギンガには、油断ならないなにかがある以上、事は迅速に進めるべきだろう。
何より、そろそろミッション完了の時間も迫ってきている。

「悪いけど、こっちも時間がないんだ。早めに、終わりにしよう!!」

出し惜しみなし。静動轟一からの、全体重に突進力を乗せた順突き。
それはアノニマートの思い描く通りの軌跡を描き、真っ直ぐにギンガ目掛けて伸びていく。

パワー、スピード、技量、その全てにおいてアノニマートはギンガを上回っていた。
この一撃、ギンガには受け止めて耐え忍ぶのが限界。
先の闘いからそれを把握していたアノニマートの予想は……ここに覆る。

「っ!?」

風に揺れる柳の葉の如く、ギンガはアノニマートの一撃を緩やかな動作で回避する。
と同時に、ギンガはさりげない動作で一歩踏み込み、アノニマートの脛へと蹴りを放つ。

八極の一手「斧刃脚(ふじんきゃく)」。
予想外の事態にアノニマートはバランスを崩し、僅かにその上半身が揺らぐ。

アノニマートは蹴られた方と逆の脚で大地を蹴り、一端ギンガから距離を取ろうとする。
だが、そんな不十分な体勢からの移動ではいつもの速度は出ない。
ギンガはそれを読んでいるかのようにぴったりと張り付き、アノニマートの手を捉え、手首の関節を捩じって「小手返し」に持って行く。

アノニマートはその流れに逆らわず、敢えて自ら跳躍しギンガの手を振りほどきながら着地。
着地と同時に地を蹴り、手刀の構えで両腕を交差しギンガ目掛けて飛び込んでいく。

それも、寸での所で掻い潜られてしまい不発に終わる。
しかし、ここまではアノニマートの予定通り。彼は左足を軸に反転し、裏拳を放つ。
だがそこにはギンガの姿はなく、代わりにアノニマートの軸足が蹴り払われた。

放たれたのは、しゃがみこんで足払いを掛ける「前掃腿(ぜんそうたい)」。
ギンガはしゃがみこんだ姿勢から立ち上がりながら、左手の甲に右手を添える。
そして、そのまま立ち上がる勢いを利用して、両手による掌打を叩きこんだ。

「うぉっ!?」

狙い澄ましての一撃に、アノニマートの身体が大きく後方に飛ばされた。
危ういところでアノニマートは着地を決めるが、その眼には確かな警戒心が宿る。

(まいったね、どうも。
力を吸い取られる様に技をかけられるこの感じ…まさか、ここにきて流水制空圏完成、か)

ギンガはイーサンと対峙した時、怒りも憎しみも、全てを深く呑み込み見事に静の気を練った。
それまで出来なかった技が、些細なきっかけ一つで出来るようになると言うのは珍しい事ではない。
流水制空圏は静の極みの技。
元よりギンガの下地は充分、静の気をよく練る事でついにそこに至ったのだ。
即ち、『静動轟一』対『流水制空圏』。ここにきて、ようやくギンガはアノニマートに並んだのである。

流水制空圏を会得した者特有の、深く重い闘争心を宿した眼。
アノニマートはそれを、どこか複雑な思いで見る。
あれこそは、前の自分が敗れた眼だ。それを前に、これを乗り越える喜びに身を震わせる。

アノニマートはイーサンの教えを受けし者。
その中には無論、流水制空圏に対する術も含まれている。

「困ったなぁ……今回は顔見せのつもりだったのに。
 ギンガさんってば、そんな事言ってられる相手じゃなくなっちゃうんだもん」

言葉を紡ぎながらも、アノニマートは油断なく構えながらギンガとの間合いをゆっくりと詰める。
相手が真に流水制空圏を会得した者なら、迂闊に攻め込む事は出来ない。
慎重に、最大限の警戒心を持って当たるべきだ。

同時にそれは、今までのアノニマートにはなかった物。
いつでも余裕綽々で、相手を侮りがちな所は彼の欠点の一つだった。
しかし、一皮むけたのはなにもギンガだけではない。
アノニマートもまた、この闘いを通じて自らの欠点を克服していた。
ギンガの成長を目の当たりにした事で余計な余裕を捨て、引き換えに慎重さを得たのだから。

「そう、それがあなたの素顔なの」
「酷いな。少しだけキャラ作りしてる部分はあるけど、今までのも紛れもない本心だよ。
 君と友達になりたいっていうのなんて、心の底から本気なんだから。
 まぁ、前の僕と違う僕になろうと色々キャラ作りしてるのは事実なんだけどさ」

実際、アノニマートは口調や態度こそ意識的にああいう形に変えているが、内容そのものは紛れもない彼の本音だ。その口調や態度についても、普段の彼から大きくかけ離れているわけでもない。
ただ、ほんの僅かに意識して軽い調子を装っているだけの話。
だが、ギンガはアノニマートが漏らした意味深な一言に、僅かに眉間にしわを寄せる。

「前の、僕?」

情報が少なくて考察のしようがないが、それはとても重要な意味合いを持っているように感じた。
己が失言を自覚しているのか、アノニマートはいっそ性急なまでにこの話を終えに掛かる。

「つまらない私事の話だよ。あの人ならともかく、君が気にする様な事じゃないさ。そんな事より……」

アノニマートは静かに一歩分前に出た。
その意を察し、ギンガもまた前に出る。
互いに武人。事ここに至っては交わすべきは言葉ではなく、鍛え上げたその拳。
二人はその場で静かににらみ合い…自然、技撃軌道戦が展開される。

(右で突けば掴み取ってそのまま組み伏せ、左を出せば払って密着状態からの肘……)
(蹴りは軸足を刈りとって投げ、なら……!)

イーサンや兼一が見れば、その読みの粗さに微笑ましささえ覚えそうな拙い駆け引き。
だがそれでも、当事者二人は真剣そのもの。
先手の取り合いの中、先に活路を見出したのは……アノニマートだった。

静動轟一による獰猛な気配を撒き散らし、両手からの熊手のラッシュを放つ。
ギンガもまたそれにタイミングを合わせ、僅かに遅れて仕掛けた。

手数のアノニマートに対し、ギンガは反対に右手を前に、左手を大きく引いた必倒の一撃を構える。
死に手とした右手で熊手を防ぎ、左の重砲で仕留める腹積もり。

放たれる無数の熊手を、ギンガは最小限の動作と右手の防御で掻い潜る。
あまりの手数に全てをいなしきる事は叶わないが、決定的な物だけは防いでいく。
そして、左の重砲の間合いに捉えた所で、ギンガはその拳を躊躇うことなく振り抜いた。

「おおおおおおおおおおおお!!!」

防御する間もなく、アノニマートの胴体に突き刺さる鋼の拳。
アノニマートの身体は「く」の字に折れ曲がり、その口角からは血が滲む。
しかし、それでもアノニマートは倒れない。

「っ、どうして!」
「どんな一撃でもさ、覚悟を決めれば一発くらいは耐えられるってことだよ」

アノニマートの狙いは、ハナから連打による封殺ではない。
それはあくまでも囮であり、本命は捨て身になる事でギンガを捕まえる事にあった。
故に、ここからが本当の意味でのアノニマートのターン。

彼はギンガの両肩を抱え込み、身体を大きくのけぞらせて揺り戻す。
叩きつけるのは頭突き。ギンガは急ぎ距離を取ろうとするが逃れられない。
小さな血飛沫があがり、ギンガの頭からは赤い雫が滴り落ちる。

強烈な衝撃に眩暈を覚え、僅かにギンガの肩から力が抜けた。
その瞬間を見計らい、アノニマートはギンガの片足を踏み台に、もう一方の足で膝蹴りをすると同時に、両肘を後頭部へ叩き落す。
古式ムエタイの一手、「ハック・コー・エラワン(白神象の首折り)」。

仕留めるには十分すぎる威力を持った一撃。
その一撃を放ったアノニマートの手には、確かな手応えが……ない。

(まさか、今のを!?)

視線を転じると、そこにはたたらを踏む形で僅かに「ハック・コー・エラワン(白神象の首折り)」の間合いから逃れたギンガの姿。
気付けばその眼はアノニマートのしっかりと見据え、その奥の奥まで読み取らんと澄み渡っている。

アノニマートはその瞳を振り払わんと、宙に浮いた姿勢のまま前蹴りを出す。
ギンガはそれを僅かに斜め前に出る事で回避。
そこで放った右の貫手が、深々とアノニマートの腹部に突き刺さった。

だがそこへ、天高く振り上げられた逆足が叩き落とされ、重力の力を借りた踵落としが繰り出される。
ギンガは両腕を総動員して受け止めようとするが、右の貫手が戻せない。
腹筋を締めあげられ、右手が抜けなくなったのだ。

已む無く左腕とシールドで受け止めるが、あまりの威力にガードは崩され、踵落としが脳天を打つ。
断続的に打ちこまれた頭部への打撃により脳震盪が発生、意識が朦朧とする。

ダメージの限界を認め、アノニマートがトドメを指しに来た。
放つのは喉もとへの貫手。既に驕りはなく、確実に仕留める為の一手。
しかし、ギンガの足元がおぼつかなくなっていたことが幸いした。
グラリとよろめきながら、前のめりに倒れる事で僅かに狙いを外し、貫手は空振りに終わる。

その代わり、ギンガの身体はアノニマートの身体に預けられる形となった。
こうなっては、最早次なる攻撃を回避も防御もかなわない。
アノニマートは空振りに終わった貫手を引き戻し、今度こそをギンガを打ちとるべく拳を握る。
だがこの瞬間、はっきりしない意識の中で、ギンガの脳裏に幾度も繰り返された日常がよぎった。

(えっと…師匠は、何て言ってたんだっけ……)

この数ヶ月の間に教わった事は無数にある。
その中で、何度も何度も耳にタコができる程に繰り返し叩き込まれたのは、流水制空圏の極意などではなく……極々基本的な、四種の武術の要訣。
それらが脈絡もなく、なんの整理もされていない形で朦朧とした脳裏を駆け巡る。
やがて染み着いた動作が身体を動かし、ゆっくりとその動作を再現するべく動きだす。
ただし、四種の要訣を同時に。

一見矛盾する概念も、今のギンガの思考力では理解が及ばない。
彼女は入り混じり混沌とした記憶に突き動かされるまま、夫婦手に似た構えを取る。
肘を直角に曲げ、両の拳を前に出した独特の構え。
彼女はその姿勢のまま、忠実に四種の要訣を再現する。

――――――――――引き手と突き手は同時に動き

――――――――――脳のリミッターは外し、力は突き出す方向にだけ

――――――――――平行四辺形を潰す動きで体重を乗せ

――――――――――敵のさらに先に目標があると思って、敵を打ち抜く気で

―――――――――――――――――――――――――――――――――――打つ!!!!

「…………って、あれ?」

ギンガがはっきりと意識を取り戻した時、全ては終わっていた。
突き出された拳は、今まで打ったどれとも似て非なる型。

しかし、嫌な感じはしない。
それどころか、拳に残った僅かな手応えは今まで感じたどの瞬間よりも心地よい。
今までにない、最高の一撃を打てた。収まるべき場所に、ようやく何かが収まった様な、そんな感覚。
前後の記憶があやふやな中、それだけは確信している。

視線を転じれば、拳の延長線上には大の字になって微動だにしないアノニマートの姿。
ギンガはいつの間にこんなことになったのかわけがわからず、呆然と眼を白黒させる。
そして、唯一離れた所から事の次第を見守っていたイーサンは、感嘆を込めて呟いた。

「まさか、無拍子を仕込んでいたか……」

ギンガに自覚はないだろうが、彼女が今放ったのは紛れもなく“一人多国籍軍”白浜兼一の必殺技。
空手・中国拳法・ムエタイの突きの要訣を混ぜ、柔術の体捌きで放つ彼の完全オリジナル。
四種の武術を学び、その基本を着実に抑えた彼だけに許された秘技の筈。

だが、それもギンガだけは例外だ。何せ彼女は、その兼一に手解きを受けたのだから。
イーサンは知らぬ事だが、兼一はギンガに対し「どんな形でも一撃入れたらとっておきを教える」と言っていた。しかしその実、彼は着々と弟子の中に「とっておき」の為に必要な土台を築いていたのだ。
無拍子は膨大な基礎の上に成り立った技。
兼一はギンガに自身同様、膨大な基礎修業を課す事で、自らの秘伝の技もまた授けていたのである。

「ぐ…がはっ!? ……さ、さすがは一人多国籍軍の秘技。これは…きついなぁ」

痛む腹を抑え、笑う膝を支えながらなんとか膝立ちするアノニマート。
本来は一撃必倒の無拍子も、しかと認識して打つのと、そうでないのとでは大きく威力が異なる。
何しろ彼女のそれは、まだまだ荒削りでようやくその形を為したばかりなのだから。

「師匠の秘技? 今のが……」
「な、なんだ…知ってて、打ったわけじゃないのか。ハハ、なんかもう笑えて来た」

アノニマートはさらに膝に力を入れ、なんとか立ち上がろうとする。
しかし、口角からは血が零れ、幾ら力を入れても身体がいう事を聞いてくれない。

「やめなさい! その身体じゃもう!」
「それは、聞けないなぁ~。
この技で負けたりしたら、僕は前の僕から何も変わってないってことなんだからさぁ~」

アノニマートにどの様な拘りがあるのか、それはギンガにはわからない。
だが彼は、ここで倒れる事だけは絶対にできないと動かぬ身体に活を入れる。
ここで倒れれば、自分の存在価値が失われるとばかりに。

「使ったら、やっぱり先生に怒られるかなぁ? でも………………しょうがないか」
「あなた、なにを……」
「行くよ。本当のホントにとっておき、Iェ……【ピー!ピー!】」

アノニマートの声にかぶさる形で、彼の懐から電子音が響く。
一瞬アノニマートの体は硬直するが、すぐにそれを振り払い彼は再度何かをしようとする。
しかしそれより速く、イーサンが歩み寄りその肩に手を置いた。

「ミッションコンプリート、退くぞ」
「ま、まだ僕は…闘えますよ」
「その身体で何ができる。この敗北はユーの増長が招いた結末だ。
なにより、ユーのスキル(能力)はまだパーフェクト(完全)な仕上がりではない。
決着は、心おきなく闘えるようになってからにしやがりなさい」
「くっ……う~う~! はぁ……わかりました」

しばし不服そうに唸っていたアノニマートだったが、やがて観念したのかうなだれて承服した。
と同時に、イーサンはあらぬ方向へと視線を送り、僅かに笑みを浮かべる。

「格上相手にも不撓不屈のスピリット(精神)で挑み、勝利をもぎ取る様はユーを彷彿とさせやがったぞ。やはり、弟子は師に似るものらしい。なぁ、白浜」

最後の単語に、ギンガは思わずイーサンの視線を追って後方を見やる。
そこにはイーサンの語る通り、シャマルに付き添われた兼一の姿が。
その姿を見止めるや否や、ギンガの目一杯に涙が浮かぶ。生きていた、その事実だけで胸が一杯になる。

「師、匠……師匠!」

ギンガは疲労困憊な事も忘れ、一目散に兼一へと駆けていく。
そのままその胸に飛び込むと、泣きながらその身体にしがみつき、彼が生きている事を実感する。
兼一はそんなギンガの頭を優しく撫で、労う様に背を軽く叩く。
心配するなと、自分は確かに生きていると伝える様に。

「ごめんよ、心配かけちゃったね」
「…………」

ようやく紡がれたのは、いつもと変わらない優しい声音による謝罪。
ギンガは何も言葉にできず、ただただ無言で頷き返す。

とそこで、兼一の視線がある一点で止まる。
それに気付き僅かにいぶかしむギンガだが、師の表情からただならぬものを感じて言葉が紡げない。
代わりに、兼一は信じられないものを見るような面持ちのまま、ゆっくりと口を開く。

「君は……」
「なんだ、もうずいぶん昔の事で忘れているかと思えば、しっかり覚えてるんだ。
 お会いできて光栄ですよ、一人多国籍軍殿。それとも、この顔なら『虫』とでも呼んだ方が良かったかな?」

今までのどの時とも違った様子で、アノニマートは慇懃無礼に兼一に語りかける。
まるで、旧知の間柄であるかのような語り口。
だが同時に、イーサンのそれとは違い友好的とは言い難いものがある。
そんな彼に向け、兼一は厳かに問うた。

「君は………………誰だい?」
「「だぁっ!?」」

思わぬ問いかけに、ギンガとアノニマートが揃ってずっこける。
まさか、あれだけ引っ張っておいてそれはないだろう。
ギンガでさえそう思うのだが、事実として兼一はアノニマートの顔を凝視したままだ。
本当に、まるで彼に対して心当たりがない様に。

それはさすがにギンガもアノニマートが哀れと言うか、兼一に酷いという印象を持たざるを得ない。
当のアノニマートと言えば、こめかみを抑えながらどこか感情を抑えた口ぶりで言葉を紡ぐ。

「……ま、まぁ確かに昔の事ですけどね。
 でも、あなたにとって叶翔と言う人間は………その程度だったってことですか」
「え? 叶…翔?」

それは、彼の息子と同じ響きの名前。
息子に同じ名前を付ける様な相手を、本当にこのお人好しが忘れるだろうか。

「いや、叶翔の事を忘れることなんてありえないよ。
 恋敵にしてライバル、今思い出してもムカつく奴だけど、忘れることなんてありえない」

ならいったい、どうしてそんな相手と同じ名前を息子に付けたのか。
非常にその辺りが気になるギンガだが、口が挟める雰囲気ではない。
なにしろ、今まさにさらに込み入った話をしているのだから。

「なら、僕に『誰?』と聞く必要はないんじゃありません?」
「確かに、君は叶翔と顔立ちがよく似ている。でも、それだけだ。
 彼と君では、その眼から受ける印象はだいぶ違うよ」

そう言う兼一の瞳は、どこか優しい。
まるで、なにかに安堵する様な、そんな眼差しだ。

「はははは…なるほど、あなたは本当に聞いていた通りの人だ」
「一つ、聞かせてくれないか。君に、大切な人はいるかい?」
「ええ。愛する家族が、全部で13人。一人所用で空けてますけど、中々にぎやかで楽しいですよ。
 当面の目標は、友達を増やす事ですかね」
「そうか…よかった」

彼は叶翔ではない。どれほど似ていても、別の人間だ。
それを、兼一は眼の奥の光から理解していた。
叶翔の眼には壮絶な孤独が宿っていたが、彼には違うものが見て取れる。
家族の事を語る時、その眼には確かに親愛の情が宿っていた。

兼一にとっては、本当にそれで十分。
彼がどういう存在で、どう生まれたのかもどうでもいい。
いつぞや聞いたプロジェクトFとやらが関係しているのかもしれないが、それすら興味はない。
叶翔の血を継ぐ者がいて、彼は叶翔と別の道を歩いている。それだけで十分だから。
しかし、一つだけ確認しておきたい事はある。

「イーサン! 人越拳神は、あの人はこの事は?」
「知っている。いる事については何も言わない、誰にも言わせない。それがヒーのスタンスだ」

一影九拳が一人、「人越拳神」本郷晶は叶翔の師にして彼の親も同然であった人物。
その彼もまた、この少年を叶翔のコピーとしてではなく、一人の人間として見てくれている。
だからこそその心境もまた複雑なのだろうが、それでも存在を否定しないでくれる事が嬉しかった。

「だけど、知らなかったな。君と叶翔が親しかったなんて」
「いや、別段ヒーと親しくしていたわけではないでござるます」
「そうなのか?」
「だが、それでもミーとヒーは、道を同じくする同胞だった。少なくとも、ミーはそう思っている」

なるほど、それは君らしいと兼一は思う。
特別なつながりはないかもしれないが、それでも彼にとっては充分気にかけるに値する義理なのだろう。

「死なせるなよ?」
「オフコース(もちろん)」

兼一の言葉に、言われるまでもないとイーサンは応える。
とそこで、おもむろにイーサンが話題を変えた。

「しかし、そのしぶとさは相変わらずでせう。今回も、ミーの勝利とはいかなかったか。
まぁ、死の淵を乗り越えたファクター(要因)が弟子の窮地という辺りは、なんともユーらしい話しだが」
「何を言ってるんだい。一時とは言え心臓まで止められたんだ、紛れもない君の勝ちだろ」
「ユーは生きている。ならばこの勝負は、ドロー(流れ)だ」
「(ピキッ)…………………」
「(しら~)…………………」

意見が折り合わず、睨み合いを始める二人。見れば、眼からは何やらうっすらと怪光線が漏れ出している。
その間にも空気は加速度的に悪化していき、兼一の腕の中にいたギンガの顔が青ざめていく。

「し、ししょう?」
「どうしても譲らない気だね?」
「それが事実だ」

ゴゴゴゴゴゴ、と不穏な気配が満ちていく。見れば、兼一の額には青筋が浮かんでいるではないか。
正直、第三者であるギンガに言わせてもらうと「変な喧嘩」にしか映らない。
だがやがてそれは臨界に達し、ついに爆発した。

「よし………じゃあ今度こそ決着を付けようじゃないか!」
「望む所で候」
「わ――――――――――! 何する気ですか兼一さん!」
「離してください、シャマル先生! このわからず屋に、思い知らせてやらなきゃならないんです!」
「あなたさっきまで心臓止まってたんですよ、少しは自重してください!!」
「師匠、抑えて―――――――!!」

さっきまでのしんみりした雰囲気はどこへやら、一転していがみ合いを始める二人。
兼一はシャマルのバインドでグルグル巻きにされ、それでも抑えきれるか怪しいのでギンガも今度は掴みかかる様にして抑え込む。この程度で多少なりとも動きを制限されている辺り、本調子からは程遠いのは明らか。
そんな状態で無茶するなと、二人は必死に兼一を押しとどめる。

「怪我人が相手では興が乗らん。そろそろ退くぞ、アノニマート」
「は~い、先生。でも、逃がす気なさそうですよ、あの人たち」

動けないアノニマートを抱え、その場を離脱しようとするイーサン。
しかしアノニマートがさす先には、それぞれにデバイスを構える二人の女性。
なのはとフェイト、バリアジャケットは所々痛んでいるが、それでも二人はイーサン達に油断なくデバイスを向けて警告する。

「抵抗はやめてください、あなた達を確保します」
「その怪我で逃げるのは無理ですよ」
「ほぅ、あの二人を振り切りやがりましたか。だが……」

確かに手負いではあるが、こんな小娘に捕まる程ではない。
イーサンが静かに息を吸うと、それに気付いたアノニマートの顔色が変わる。

「わっ、先生ちょっと待って! 僕近い、すっごく近いですから!?」

慌てて重い両腕を動かし、懐から取り出した耳栓を入れた。
なのは達はいったいイーサンが何をする気なのかと警戒しながら、何が起きても対処できるよう一定の距離を開けて様子を見る。
まさかそれが、悪手であることなどとは気付かずに。
唯一この場でイーサンが何をするか理解した兼一は、警告を発する。

「みんな、耳をふさいで! 早く!!」
「真言秘儀……………■■■■■■■■■■!」
「この体調でどこまでやれるか…………あ”っ!!!」

イーサンの恐怖の真言(マントラ)に合わせる形で、兼一もまたその声帯から人間離れした声量を吐きだす。
恐怖の真言は、その性質上バリアジャケットをはじめとした防御魔法では防げない。
音響兵器と呼ぶには音量が小さく、ただの特殊な音波でしかないからだ。
対処法は三つ、耐えるか、アノニマートの様に耳をふさぐか、あるいはかき消すか。

兼一一人なら最初の一つでなんとでもなる。
しかし、この場にいる全員にそれが適応できるわけではない。
故に、兼一は有りっ丈の肺活量を用い渾身の一喝を放ったのだ。
それこそ音響兵器じみたその大音量は、イーサンの放った奇怪な音波の大半を塗りつぶす。
だが、さすがに全てとはいかない。僅かに残ったそれは皆の心身に小さくない影響を与え、一瞬身体が硬直する。

「なに、この音……?」
「か、身体が言う事を……!」

その隙を逃さず、アノニマートを抱えたイーサンはその場を離脱。
なのは達が心身を立て直し、追おうとした時にはすでに遅かった。

「フェイトちゃん!」
「ダメ、索敵範囲から抜けられた。これじゃ、もう……」

森の中に紛れてしまえば、イーサン達を追うのは至難を極めるだろう。
二人は無駄と知りつつ、何か手掛かりはないかと捜索に回ろうとする。
しかしその前に、二人の眼前で兼一が再び力なく崩れ落ちた。

『兼一さん!?』

つい先ほど心臓が動き出したばかりの所で、無茶をした反動だ。
恐怖の真言の大半を塗りつぶす大音量を発するには、兼一の体に蓄積したダメージは大き過ぎたのである。
それでなくても、ついさっきまで死にかけていた人間が平然と動いているのが異常なのだ。

二人は已む無く捜索を断念し、兼一を安心して休める場所に移送させる。
同様に、負傷した新人達とギンガを休ませ、代わりに彼女らが周囲の警戒に当たるのだった。



  *  *  *  *  *



ホテルアグスタより、それなりの距離を空けた森林地帯。
そこで機動六課から身を隠しながら、先の戦闘の一部始終を傍観していた三人。

本来なら、見つかる危険を減らすべく早々に退却すべきだろう。
その事を理解していながらも、彼らは闘いが終結した今もそこに留まっている。

理由は単純。彼らは、闘いを終えた二人が戻ってくるのを待っているのだ。
アギトはスカリエッティやナンバーズ達の事はあまり信用していない。その中にはアノニマートの事も含まれる。
それはゼストも同様なのだが、彼は一武人としてイーサンに対しては一定の敬意と信頼を抱いていた。

「戻ったか」

それまで静かに瞑目していたゼストが目を開け、ある一点に視線を送る。
アギトやルーテシアもそれに倣ってその方角を向くと、イーサンと彼に担がれたアノニマートが姿を露わした。

「やっほー。お待たせ、ルー」
「うん。おかえり、アノニマート」

普段と比べ、どこかアノニマートの声色には覇気が欠けている。
静動合一の反作用と無拍子のダメージのせいもあるだろう。実際、担がれているのはそれが原因だ。
立って歩けない事もないが、辛い事に変わりはない。
だが、それだけとは思えない何かをルーテシアは感じ取っていた。

「……どうか、した?」
「ははは、優しいなぁ、ルーは。
 大丈夫…って言いたいけど、正直…ちょっと凹み気味。
 はじめはそうでもなかったんだけどね、じわじわと効いてきた」

首を傾げて問うルーテシアに、アノニマートは空虚な笑顔で応じる。
それは、ルーテシアやアギトも初めて見る表情。
どんな時でも上機嫌、笑顔を崩す事のない彼が見せた弱さ。
そんな彼にアギトはいぶかしむ様な視線を向け、ルーテシアは僅かに表情を曇らせる。

「なんだよ、らしくねぇな。そんな情けないツラしやがって、調子が狂うだろ」
「酷いなぁ…僕だって人間だよ? 偶にはこういう時もあるさ」
「でも、本当にどうしたの?」
「うん。何ていうか…………………負けるのって、こんなに悔しんだなぁって」

天を仰ぎ、アノニマートは溜め息交じりに呟く。
修業を通して、イーサンやその配下の達人相手に叩きのめされた事は幾度もあった。
しかし、それと今回の敗北では全く意味が異なる。

これまで彼を打ちのめしてきたのは、年齢やキャリア…ありとあらゆる面で自身の上を行く存在。

だが、今回は違う。
ギンとアノニマートは同世代であり、同じようなステージにいる使い手。
そんな相手と闘って負けたのは、今回が初めてだった。

「僕ってさ、あんまり『勝ちたい』って思った事……ないんだよね」

実際、アノニマートにとって勝つ事が当たり前だった。
少なくとも自分と同じくらいの年代、レベルの相手と闘って今日まで彼は負けた事がない。
最高レベルの肉体、オリジナルから引き継いだ記憶と技術、一影九拳の一人が指導者と言う事実。
これだけ揃っていれば、敗北が稀な事態と言うのも当然だ。

故に、『勝利』と言うものに対する飢えがない。
『強さ』への渇望はあっても、勝利への執着が希薄だった。
それはいい意味で作用し、いつでも自然体で戦う事ができる彼の長所の一つ。だが……

「ああ、本当に…負けるのって……………悔しいなぁ」

今日、初めて彼は敗北を知った。
その味は想像していたよりも苦く、同時に沸々と心が煮えたぎる。
ああしていれば、こうしていれば、思い返す度に後悔ばかりが溢れてきて止まらない。

自分で思っていた程、あの二人との闘いには余裕など存在しなかったのだ。
イーサンは言った、「ユーは増長している。それは心の隙となり、致命的なミスにつながるだろう」と。
まさしく、彼の言った通りだった。

しかし、全てが手遅れ。結果は既に、アノニマートの敗北と言う形で出てしまっている。
今更何を言ったところで、何を思ったところでその結果は覆らない。
だからこそ、彼は生まれて初めて強く思う。

「勝ちたいな……今度こそ」

それは、とても不思議な感覚だった。
勝ちたい、小さく呟くだけで心が強く脈動し、身体がうずく。
今すぐにでも修業を始めたいと、今度は決して負けてなる物かと。
心と体が訴えているかのように。そしてその感覚は、今までにない充実感を与えてくれた。

そんなアノニマートに、イーサンはどこか温かな視線を向ける。
正式に弟子にとったわけではないとはいえ、義理あって教えを授けた相手だ。
それが一皮剥けた事実は、彼にとっても喜ばしい。

「上機嫌の所すまんが、管理局に見つかっては面倒だ。先にこの場を離れるぞ、行けるか?」
「ノープロブレム、動く分には問題ない」
「よし。アギト、ルーテシア、行くぞ」
「うん」
「おう!」

とはいえ、魔法を使えば局のセンサーに感知される恐れがあるので、飛行や転送魔法は使えない。
アノニマートは引き続きイーサンが担ぎ、ルーテシアはゼストが抱きかかえ、その肩にアギトも腰かける。

二人の巨漢は揃って大地を蹴り、森の奥深くへと突き進む。
やがてホテルの姿が見えなくなる程に距離をとった所で、二人はようやく足を止めて二人を下ろす。

「ルーテシア、治療を頼めるか?」
「うん」
「ごめんねぇ、ルーテシア」
「世話になる、サンキュー」

イーサンとアノニマート。二人の足元に紫の魔法陣が浮かび、その光が二人の身体を癒していく。
とそこで、ルーテシアの召喚獣であるインゼンクトを通して一部始終を見ていたアギトが、渋い顔でアノニマートに苦言を呈する。

「にしてもよ。お前、幾らなんでもアレは酷過ぎんじゃねぇか?」
「へ?」
「だから、局のオレンジ頭だよ。さすがにアレは、あたしでもちょっと可哀そうだと思っちまったし……」

アギトが言っているのは、アノニマートがティアナに言った。
『いくら望んだところで、頑張ったところで才能の差は覆らない』と。
あの時のティアナの悲壮な表情は、あまり局に良い印象を持っていないアギトですら、同情してしまう程に痛々しかった。

「そんな事言われてもねぇ…一応、心配して言ったんだよ?」
「いや、どっからどう見てもいじめてるようにしか見えねぇって」
「でもさ、アギト。才能の差って、そう簡単に覆ると思う?」
「う…それは……」

言い方はともかく、確かにアノニマートの言にも一理あるとはアギトも思う。
才能は絶対ではないが、これを覆すのは生半可なことではない。
ましてや、「努力する天才」に凡人が追い付くとなれば尚の事……。
何しろ、そう簡単に覆らないからこその「才能の壁」であり、天才と凡人の断絶なのだから。

「じゃあ、アレか? アイツは凡人だから、闘いの場になんか出ちゃいけねぇってことか?」
「そうは言わないよ。闘うかどうかは本人の意思だし、闘うなら差別する気はないし~。
 でもね、戦場だっていろいろあるんだ。わざわざこっちの領域に来る事もないでしょ。
 それはさぁ、ほら……命を無駄に散らすようなものだよ」
「むぅ~~~~……」

どこか釈然としないものを感じながらも、上手い反論が浮かばずアギトは黙りこむ。
不本意ながら、アギトもアノニマートとの付き合いはそれなりにある。
御蔭で、彼の人となりもそれなりに理解していた。

何と言うか、アノニマートはこれで割と優しい所がある。
ルーテシアにも色々配慮してるし、それはアギトやゼストに対しても同様だ。
ただ、それがどうにもズレていると言うか、なんと言うか……。

「結構優秀そうだし、見合った戦場で闘う分には良い線行くと思うんだ。
 無理し過ぎてる所にはちょっとイラッとしちゃったけど、一途に頑張ってる所は好きだしねぇ~」
(こいつ、ホント節操無いよな……)

基本、アノニマートは誰かを嫌う事が少ない。
と言うよりも、大抵の部分は「いい所」として無理矢理にでも解釈しようとしている節がある。

それは彼のオリジナルとなった人物の記憶によるところが大きい。
叶翔は壮絶な孤独の人生を生きた人物だ。もちろん彼の周りにも少なからず彼を理解し、あるいは慕い、あるいは包み込んでくれる人たちがいた。だが、その数は決して多くなかったのも事実。

アノニマートはそんな彼の記憶の一部を継承しているのだ。
だからこそ、彼はできる限り相手を好きになるよう努力する。
好いてもらう為には好きになる事が大切、と考えているからだ。
まぁ、別に間違ってはいないのだが、やっぱりどこかズレているのがこの男らしいとも言えるだろう。

ちなみに以前、非情を旨とする殺人拳のくせに敵まで好きになってどうする、と聞いた事がある。
その際、アノニマートはあっけらかんとこう言った。

「え? 敵だから好きになっちゃいけないなんて寂しいでしょ? 良いんじゃないかな、好きなら好きでさ。
 ま、殺る時にきっちりけじめをつければ問題ないよ」

敵だからと言って憎む理由はないし、好きになってはいけない道理もない。
だがそれは、相手がだれであろうと、どんな感情を抱いていようと、敵であれば殺すと言う事。
その辺り、非情な殺人拳の使い手らしいと言えるだろう。
故に、一見「矛盾」しているようにも思える在り様だが、アノニマートにとっては矛盾していない。

「だからね、人間やっぱり分相応が一番なんだよ。その方が、幸せになれる可能性も高いんだしさ」
「まぁ、そうなのかもしれねぇけどよぉ……」
「ま、分をわきまえない大馬鹿じゃなきゃ開けない扉って言うのがあるのも、確かなんだけどね」
「あ?」

アノニマートの小さな呟きを聞き逃さず、アギトは彼の顔を凝視する。
今口にしたその内容は、先ほどから言っている「分相応」とは真逆のものだった。

「それ、どういう事だよ?」
「うん。これは例外中の例外なんだけど、いるんだよ」
「だから、なにがだよ?」
「才能の差をひっくり返した、頭に『大』とか『超』のつくヴァカが」

頭をかきながら、そっぽを向きつつアノニマートは妙に凝った発音で答えた。
その答えがよほど意外だったのか、アギトは眼を大きく見開いてアノニマートを凝視する。

「なんだよ、それならあんなこと言う事ねぇじゃねぇか」
「でもねぇ、これはホントに究極クラスの例外なんだよ?
 それこそ60億~70億分の1くらいの」

その確率の低さに、アギトは空いた口が塞がらない。
だが実を言うと、これですら控えめな数字なのだ。
何しろこれは、あくまでも地球と言う一つの世界に限定した話。
もしこれを次元世界全体規模でみた場合、さらに確率は下がる。
なぜならアノニマートが知る限り、その例外は世界に一人しかいないのだから。

「そりゃね、諦めないで努力すれば可能性はあるよ。でもそれは、天文学的な数字なんだ。
 だからまぁ、ほぼ確実に失敗するんだよ。それが挫折するだけならいいさ、別に挑戦するのは自由だし。
 でも、こういう業界だからね。失敗は死に直結するし、やめとく方が利口だと思うよ」

アノニマートに言わせれば、リスクとの釣り合いが取れないのだ。
ほぼ確実に負ける賭けに、命をかけるなど正気の沙汰ではない。
そんな事をしなくても、普通に分相応に生きていれば幸せになれる。
幸せの定義は人それぞれだが、一般的な意味での幸福を得る可能性はこちらの方が遥かに高いのは事実。

自殺同然の賭けに出る愚者と、堅実に幸福になろうとする賢者。
これはそういう図式だ。そしてアノニマートとしては、極力賢者になる事をお勧めする。

だからティアナにもああいう物言いをした。彼女を深く傷つけたが、それでもアレは彼なりの配慮なのだ。
失敗し、命を落とすと分かっている賭けに出る事はない。
彼女なら、分相応に生きれば客観的には充分幸せと言える人生を送れるだろう。
わざわざそれを棒に振る必要もないのだ。
少なくとも、出会ったばかりの他人が無責任に賭けの方へ背中を押すよりかはマシだから。

「やめといた方が良いとは思うし、僕は誰に対してもそう言うよ。
 でも、最後に決めるのはやっぱり本人なんだよねぇ~。
 どうしても諦めきれなくて、ほぼ確実に失敗する賭けに出て扉を開くならそれも良いんじゃないかな?
 そしてもし億が一、兆が一の賭けに勝ったとしたら、僕はそんな人が……」

一番怖い、と。言葉にはせず、胸の中だけでアノニマートは呟く。
誰よりも険しく、苦難ばかりの道を踏破しきったとしたら、その人はきっとだれよりも強いから。
あの時は途中で遮られてしまったが、これがティアナに言いかけていた彼の本心の全てだった。
まぁ、下手な希望を持たせない様に、あまり多くを語る気もなかったので構わないのだが……。

そんなアノニマート達からやや離れたところでは、ゼストがイーサンへと話しかけている。
内容としては、やはり先ほど闘っていた兼一にまつわるもの。

「しかし、お前にここまでの深手を負わせる者がいるとはな……」

その声音には、隠しきれない驚嘆の念が浮かんでいる。
実際、イーサン相手にあそこまで戦える者などそうはいない。
その意味では、ゼストの驚きも当然と言えるだろう。
だが、そんなゼストにイーサンは静かに首を振る。

「ノー、アレでは不十分だ」
「なに?」
「ヒーは、もっと強くならねばならない。ミーに深手を負わせた程度で満足してはならないのでせう」

もし何かが違っていれば、兼一が武の世界から離れる事もなかっただろう。
そうであれば、彼とイーサンの実力は文字通り伯仲し、結果は逆だったかもしれない。
ゼストはてっきり、差の開いてしまったライバルに「早く追いついてこい」と言っているのかと思った。

しかし、どうもそういう感じではない。
いぶかしむゼストに対し、イーサンはゆっくりと隠された心中を吐露する。

「守る為には、力が必要だ。だが、今のヒーにはそれが不足していやがるのです」
「お前とここまで闘えれば、充分だと思うが?」
「並の相手なら、確かに。しかし、ヒーの息子のギフト(才能)がそれを許さない。
 今はまだそのバリュー(価値)を知られていないが、いつその時が来るか分からない」

かつての美羽がそうであったように、その資質が故に邪な思惑を抱く者に狙われる危険が翔にはある。
イーサンが危惧しているのはそれだ。生半可な相手なら今の兼一でも問題なく退けられるだろう。
だが、いつか拳魔邪神の様な実力者が現れたら。今の兼一では、恐らく守りきれない。

それを、彼なりに伝える為に、決着をつけるには時期早々と知っていながらイーサンは敢えて友の前に立った。
結果は予想以上だったが、それでも足りない。兼一は、もっともっと強くならなければならないのだ。
他ならぬ、彼と彼の息子の為に。

「お前の思惑はわかった。だが、それで殺してしまっては本末転倒ではないのか?
 蘇生したからよかったようなものの、失敗したらどうするつもりだ」
「ふっ、ヒーはミーのベスト(最高の)ライバルでござるますよ」
「……そうか」

つまり、あの程度で死ぬなどあり得ないと、そう言いたいのだろう。
まぁ、実際にはイーサンの立場の問題もある。
殺人拳である彼にとって、倒すと言う事は殺すと言う事。トドメを指さずに見逃すわけにはいかない。
かと言って、今の段階で兼一を殺すのは本意ではなかった。
どうせなら、兼一もまた頂に立った時に雌雄を決したい。

そこで、あんな回りくどい手段に出たのだろう。
一時とはいえ心臓を止めてしまえば、さすがに文句は出にくい。
何しろ、そこから蘇生するなど普通はあり得ないのだから。

しかし、それでもたいした信頼だと思うし、それに応えた相手もとんでもない。
だが、そんな二人がゼストは少々うらやましく思う。
敵対していながらも、この二人は確かな信頼によって結ばれている。

だが自分達はどうなのだろう。今の自分には、ここまで友を信じる事はできそうにない。
その事実が、彼の心を重くした。






あとがき

さあ、これにてアグスタ編は終了。
兼一が負けたのは、まぁある意味当然でしょうね。元々同格だった相手と、5年近くも実戦から離れた状態で闘えば、勝つ方が奇跡的ですって。なので、今の彼の位置づけは「限りなく一影九拳クラスに近いけど、後一歩及ばない」くらいです。魔法と言う今までにない環境で己を磨き、早いとこ追いつくべし、ってところでしょうか。
感覚的には、手加減できず力の流れを変えられなかった頃のアパチャイとかが一番近いかも。多分、兼一と出会う前の彼では、アーガード相手に相討つ事は出来なかったでしょうからね。厳密には、それとも若干違うんですが、わかりやすい例がないのでこの辺で勘弁してください。

で、イーサンがこっちにいるのは叶翔への義理があるからで、今回出張ってきたのは兼一に「今のままだと守れないぞ」と、彼の立場上可能なラインで警告する為でした。
なので、今後イーサンが積極的に表に出て来る事はありません。
まぁ、全く出番がないわけでもないんですけどね。

そして、次回からはいよいよSts前半の山場に突入。
アノニマートとかのせいで、原作以上に精神的に追い詰められているティアナはどうなるのか。
ついに悪魔降臨。ホント、どうしてくれましょうね、この悪魔。


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