停滞、そして進展
とある一室。
コンクリートに囲まれた、太陽の日差しも月の光も星の輝きも入ってこないような暗い所。
そんな場所の壁際に、場違いにしか思えない一つのベッド。
そしてそれに備え付けられた電気スタンドのみが、あたりを照らしていた。
「だめだよ! 管理局まで出てきたんじゃ、もうどうにもならないよ」
その傍らで、アルフが今にも泣き出しそうな声で主人に訴えかけていた。
「大丈夫、だよ」
その声に答える主人――フェイトの声は弱弱しい。
執務官の一撃を防御もできずに直撃した彼女の体は包帯がまかれ、動くのもままならない状態になっていた。
「大丈夫じゃないよ……! ここだって、いつまでバレずにいられるか。
あの鬼ババ、あんたのかーさんだって、フェイトにひどいことばっかする! あんなやつのために、もうこれ以上……!」
「母さんのこと、悪く言わないで」
アルフの言葉は、たった一人の主人への思いやりと懇願がこもっていた。
だが、フェイトはその言葉を呑み込むわけにはいかず、拒絶する。
なぜならフェイトにとって一番大切な、たった一人の母を否定する言葉だったから。
「言うよ! だってあたし、フェイトが心配だ。フェイトはあたしのご主人様で、あたしにとっては世界の誰より大切な子なんだよ。
フェイトが泣くのも悲しむのも、あたし嫌なんだよ……!」
耐えきれず、アルフの目からは涙が溢れていた。
そんな使い魔に、主人は優しく頭を撫でて語りかける。
「ごめんね、アルフ。だけど、それでも。わたしは母さんの願いを叶えてあげたいの」
フェイトを想うアルフ。
母を想うフェイト。
どちらも、誰かに対する思い遣りに溢れているのに。
二人の想いは分かち合い難く、交わることのないものだった。
アースラに招かれて数日がたった。
さすがに人員と設備が充実している組織の手を借りられるのは強い。
今までどこを探しても、気配すら掴めなかったジュエルシードが順調に集まっている。
「捕まえた、なのは!」
かく言う今も、ジュエルシード封印のための戦闘の真っ最中。
ちょうどユーノの鎖状のバインドが、ジュエルシードの生み出した鳥獣型の異相体を捕らえたところだった。
「うん!」
「Restrict lock!」
追い討ちを掛けるように、なのはが手に持つレイジングハートを目標に向け突き出しバインドを発動させる。
魔力の結合は安定し、失敗の兆しも見えない。
結果、今までのどの鍛錬の時よりも上手くいき、鳥獣の首を締め上げる。
前々から思っていたことだが、案外なのはは本番に強い。
あまり気負いしない性格が良い方に働いているのだろう。
「そう! バインドを上手く使えば動きの速い相手は止められるし、大型魔法も当てられる!」
「うん!」
なのはの魔法は一発の威力が高ければ高いほど、準備に時間が掛かる。
警戒するまでもなく軽々と避けられるし、なにより撃たせる前に仕掛けられる。
どれだけパワーが大きかろうが中らなければ意味がない、といういい例だ。
それを考えると、相手の動きを一時的に止められるバインドはなのはの基本戦術において、もっとも大切な要素になってくる。
魔力保有量の少ない魔導師相手なら、下手をするとバインドに捕まえた時点で勝利を確定させる事が出来るかもしれない。
もっとも、いまのままでは相手の裏をかかない限り捕まえる事など到底出来ないだろうが。
特別得意分野でもないため、まだまだ練習量が足ていない。
今まで防御や回避に重きを置いていたため、補助魔法などは後回しになっていたのも一因かもしれない。
しかしこればかりは素人のなのはが僅かでも勝利の可能性を見出すために必要な事だった。
どれもこれもと欲張って、中途半端に修める事になるよりもよほどいいだろう。
ところが、思ったより早くなのはは防御をモノにしていた。素質的に相性が良かったのか、なのはの努力の賜物か。
今のなのはの防御を抜く事は、そう簡単には出来ないだろう。
だからこそアースラに身を置き、常に管理局の監視が入る事になったのを契機に、私達は修行の方針を攻撃方向に転換する事にしたのだった。
なのはがジュエルシードの封印に入る。
結局今回も私の出番は無かった。
もともとがなのはの経験を積ませる事が目的の一つなので、ジュエルシードの封印に私はあまり必要ない。
なにより今のなのはは大した力も知能も持たない異性体ごときに後れを取る事もない。
だが、私はなによりも管理局への情報流出を避けたかった。戦闘時における私の動きを見せたくなかった。
私の投影自体は、傍から見れば察知が困難な物質の転送にしか見えないだろう。
戦闘に用いれば少しばかり厄介だが、脅威と呼べるほどの物でもない。
問題なのは、投影された武器のほうにある。
使い方によるが、明確な脅威として認識されるのはそう難しくは無いはずだ。
宝具の真名開放など使った日には何を追及されるか分かった物ではない。
だからこそ、私は表立って戦う訳には行かない。
今まで以上に、周りの目を気にしていかなければならないだろうから。
我ながら、この私が周りの目を気にするというのはおかしな話だと思う。
人を助けるためなら魔術の秘匿すら守ろうとしなかったこの自分が。
そう思っただけで自嘲がこみ上げてくる。
……きっと、生前のように一人なら、こんな事は考えなかっただろう。
自分に降りかかる負荷など、他人の命を前にした私にはどうでもいい事だったから。
そして、それは今でもきっと変わっていない。
だが、今の私にはなのはがいる。
守るべき、何よりも優先すべき存在が、ある。
故に、私の執るべき行動など始めから決まっていた。
封印を終えたなのはがこちらに降りてくる。
それを軽く手を上げて迎えながら、こちらを監視し続けているナニカに一瞬だけ視線を向けた。
アースラ艦内。モニタールーム。
情報収集を主目的としたこの場所は薄暗く、画面から発される光だけが室内を照らしている。
今ここにいるのは二人、空からみた街の全貌を映し出す画面を見ながら現状に嘆いていた。
「あーやっぱりだめだ。見つからない」
キーボードを叩いて操作をしていたエイミィがじれったそうに声を上げた。
同意するように頷き、クロノも率直な感想を一つ。
「向こうもなかなか優秀だ」
「おかげであれから二つもこっちが発見したジュエルシードを奪われちゃってる。手強いな……」
声に悔しさが混じってくるがそれも当然だろう。
相手はまだ幼い少女とその使い魔のあわせて二人。
方やこちらは艦船一つに多くの人材と機材。
条件は明らかに偏っている。だというのに相手を補足できず、その上出し抜かれもしている。
現状は最善とは言いがたい。
「だがジュエルシードの回収自体は順調だ。今もちょうどなのはが一つ封印し終えた所だ」
「本当だ。なのはちゃんもすごいねー。聴いてみると、ちょっと前まで魔法のことすら知らないまったくの素人だったって言うんだから、驚きだよ」
「確かに。才能があって、努力もたくさんしたんだろう。良い講師もいたみたいだしな」
モニターにはジュエルシードの封印を成功させたなのはとユーノが映っていた。
「……エイミィ、君はなのはの使い魔だという彼の事をどう思う」
クロノの声のトーンが、一つ落ちる。
「彼って、エミヤさん? どうだろう……。でも、素人の使い魔にしてはいろいろ凄過ぎるとは思うかな」
「ああ。僕も同感だ」
彼等がアースラに身を置いてから何度か行ったジュエルシードの封印。
その全てになのはが出向き、いくらか異相体との戦闘も起こった。
だというのに、エミヤはなのはに同行するだけで、戦闘には一切参加せずにただ近くで眺めているだけだった。
「どういうことかな? 交渉とかの能力を優先させて戦闘力を大してつけなかった、とか」
「いや、ジュエルシードの回収が目的なのにそんな事をする理由が無い。なによりそんな器用なまね、素人には到底出来ないはずだ」
魔導師にとっての使い魔とは、動物などに生成した人造魂魄を憑依させる事で作り出され、主人に使役される魔法生命体だ。
彼等は存在しているだけで主の魔力を消費させてしまう。
当然ながら高性能な使い魔になるとそれだけ消費魔力も大きくなる。逆に言えば、高性能な使い魔を持つ魔導師はそれだけランクが高いという証明にもなる。
その観点から見れば、なるほどなのはは優秀だ。
魔力量ランクは破格のAAAランク。
その資質だけならば、高い権限を持つ反面、優れた知識と判断力、実務能力が求められる執務官に僅か11歳の若さでなったクロノすら遥かに凌駕している。
そのなのはが作り出した使い魔ならさぞ優秀ではあるだろう。
だが、それでもまだ腑に落ちない。
時空管理局提督の地位を持つリンディにすら引けをとらない交渉術。
戦闘態勢にいたクロノですら、気配を感じられないほどの隠密性。
これほどの使い魔を、はたして魔力量が多いだけに過ぎない素人が作り出せるものだろうか。
「それにあの一目見ただけで分かるほど鍛え抜かれた身体で、戦闘が不向きだなんて冗談にしか聴こえないな」
「まぁ、それは確かに。でもそうなるといよいよとんでもないねー。さすがに戦いまでなのはちゃんより上って事はないよね?」
「いや、少なくとも僕にはとても戦いの素人だとは思えなかった。むしろ向かい合ったときは百戦錬磨の戦士に感じたよ」
クロノがはじめてエミヤと対峙したとき、気付く間もなくデバイスを抑えられ、動きを止められてしまった。
それほどの威圧感を、あのときクロノは感じていた。
「じゃあなんでジュエルシードを封印するときは何もしないんだろ。魔法が使えないって訳でもないだろうに」
使い魔は普通、主の魔力資質を受け取ることで魔法を使うこともできる。
当然なのはの使い魔であるエミヤも魔法を使えるはずだ。と思うのは魔導師の常識から考えて正しい認識だろう。
もっとも実際は、彼は自分が持つただ一つの魔術しか使えないのだが。
「なのはに経験を積ませたいのか、戦えない理由でもあるのか。もしかしたら僕達の監視があるから、かもしれない」
「それって、管理局に知られたくないようなことがある、ってこと?」
「彼は管理局をあまり信用していないみたいだからな。その可能性は案外高いかもしれない」
それはこの間の問答で分かりきっている。
管理局に出来る限り情報を漏らしたくないと考えているのなら、これまでの行動にも納得がいく。
「なんにしても、注意ぐらいは続けておくべきだな」
「了解。極力気付かれないようにサーチャーを飛ばしておくよ」
その言葉に頷きながら、クロノは画面に視線を戻す。
画面の先には、腕を組んで木にもたれかかり、いつもの様にただ主の戦闘を眺めているだけのエミヤの姿。
その赤い外套をまとう自称・使い魔と、クロノは一瞬だけ、目が合ったような気がした。
これまでに集められたジュエルシードの数はこちら側が4個。向こう側、フェイトたちが推定3個となっている。
ここまではよかったのだが、その後がどうも続かない。
いままでは陸地を主に周り回収してきたが、いよいよ海上方面にまで目を向けなければならないだろう。
クロノ達もそれが分かっているようで、捜索範囲を既に地上以外にも向け始めたらしい。
しかしいきなり見つかるはずもなく、私達は少しばかり暇を持て余す事となった。
現在はアースラ艦内の食堂。
なのはとユーノと共に、出されたクッキーをつまみながら雑談に興じている。
今話題になっているのはちょっとした身の上話。
お互いの、今よりももっと幼かった時のことが話題になっていた。
ユーノはなんでも、両親が物心ついたときから他界していたらしい。
しかし親の愛情をまったく知らないというわけではなく、遺跡の発掘を生業とするスクライア一族全員を家族として育ってきたらしい。
血の繋がった唯一無二の絆こそなかったものの、多くの家族がユーノにはいたのだろう。
それは決して恵まれている訳ではないが、少なくとも不幸ではなかったはずだ。
それと同時に歳に似合わぬ責任感の強さや博識振りにも納得がいった。
つまりはユーノの家族もお人よしばかりという訳ではなく、一族の一員としてしっかりと働かせていたようだ。
幼い頃から積極的に遺跡発掘の現場に向かわせて、仕事を覚えさせられたそうな。
それはもしかすると、肉親がいないユーノが少しでも早く自立できるようにと、思い遣っての事だったのかもしれない。
ユーノの話が終わり、こんどはなのはが話し始めた。
「家、私がまだちっちゃい頃にね、お父さんが仕事で大怪我しちゃって。しばらくベッドから動けなくなった事があるの」
昔を思い出すような表情で語るなのはは、少しだけ辛そうに見えた。
話の内容からも分かるように、気持ちの良い思い出ではないのだろう。
「喫茶店も始めたばかりで、今ほど人気がなかったから、お母さんとお兄ちゃんはずっと忙しくて。お姉ちゃんはずっとお父さんの看病で。
だから私、割と最近まで家で一人でいること多かったの」
喫茶店、とはなのはの両親が営む『翠屋』という店の事だろう。
今でこそ盛況だが、開店当初は客足も少なかったらしい。
「だから、一人でいることには慣れてるし、結構平気」
少しだけ、場の空気が重くなる。
これがなのはにとっての傷、だったのだろう。
トラウマ(精神的外傷)、と言うほどではないだろうが拭いきれない、なのはの行動原理に深いところで関わっている記憶なのだろう。
……なのは自身、まだフェイトに何を伝えるべきか迷っている節がある。
このあたりで自分の気持ちを見直してもらうためにも、少しばかり触れてみるべきか。
「ああ、そういうことか。君は、一人でいることしか出来なかった自分が、悔しいのか」
「えっ?」
なのはが僅かにうつむけていた顔を上げる。
思いもよらないことを言われた、そんな表情だった。
「何も出来なかった自分が悔しくて、せめて迷惑は掛からないようにしよう、困らせないようにしよう。幼い頃の君はそう思ったのだろう。
だからこそ今の君は、昔の自分と同じ目をしているフェイトのことが気になる。違うか?」
「……そう、ですね。そうかもしれません」
なのはが少しだけ微笑んで頷く。
きっとなのはが持っている気持ちは、高町家の者達も気付いている事だろう。
だからこそ、そんななのはの行動を咎めもしなければ追求もしない。
今だってそうだ。このアースラに滞在するにあたって、学校には休校届けを出している。
その許しを、なのはの家族はあっさりと出した。
普段我侭を言わない、顔色を伺って迷惑を掛けまいとしている。
そんななのはからの願いを、彼等は断れなかったのではないだろうか。
それが幼かったなのはを一人にさせてしまっていた後ろめたさからくる物なのか、信頼からくる物なのか、あるいは両方なのか。それは私が知る由もないことだが。
なんにしても、なのはに対する家族の行動もこれで少しは理解する事ができた。
「ならばなおさら、その気持ちを相手におもいっきりぶつけなければな」
「あ……はいっ! そうですよね!」
「あはは……」
口を歪めておどけるように言う私に、元気よく頷くなのは。少し引きつり気味のユーノ。
それはもう、いつも通りの光景だった。
『エマージェンシー!! 捜索区域海上にて大型の魔力反応を確認!』
唐突に艦内にアラートが鳴り響く。
どうやら事態の進展があったようだ。
「すまない、ユーノ。さきにクロノ達のところへ行っておいてくれないか」
椅子から立ち上がった二人に待ったをかける。
「どうかしたんですか?」
「いや、少しなのはに言っておきたい事があってな。すぐに終わる」
「分かりました、僕は先に行っていますね」
追求する事もなく簡潔に頷いて、ユーノが部屋を出て行く。
本当に、あの子は物分りがいい。
「エミヤさん?」
不思議そうに首を傾げてくるなのはを見る。
そこにいたのはいつも通りの、あどけなく、可愛らしい少女だった。
「なのは、気持ちを伝えるときのコツを教えておこう」
片膝をついて、なのはに視線を合わせて。
今度は私が、昔を振り返りながら言葉を選ぶ。
「自分の気持ちを伝えるときに、小難しい言葉など要らない」
今ではほとんど薄れてしまっているあの剣戟の記憶。
「ありふれた言葉でいい」
その中でぶつけられた想い。
「ただ真っ直ぐに、伝えればいい」
それだけは、今でもはっきりと残っている。
「それが出来れば、どれほど心を閉ざした人間にだろうと、君の言葉は必ず届くだろう」
――どうしようもなく絶望していた自分でさえ、あの未熟者の言葉が届いたのだから。
なのはが目を見開く。
私の言葉から、何かを受け取ったらしい。
「……エミヤさん。私、フェイトちゃんに何を伝えたいのか、ようやく分かったような気がします」
「そうか……。ではいこう。君の言葉と想いを届けるために」
もう、迷いはない。
伝えたい言葉は確かな形に。
君の元へと、羽ばたいて行く。