少女はその夜、自身の運命を変える二つのものを手に入れた。
一つは『魔法』それは、少女を空へと導く翼の名前。
一つは『騎士』それは、少女の願いを叶える守護者の名前。
手に入れたモノ
「さて、ユーノ。これで全ての工程が終わったわけだが、君から見て何か問題はあるかね? ジュエルシードの暴走の心配などは無いか?」
二人してなのはの左手に刻まれた令呪を見ているところに声をかける。
私から見るかぎり全て問題なく終わっていた。
令呪も見た目そっくりに、なのはの手に焼き付いている。
しかし確認作業というものは必要だ。
分かっているつもりでも、意外なところに落とし穴があったりするのだ。
そうでなくとも、私は『魔法』とやらの事は何一つ解らない。
もしかしたら、魔術師である自分では気付けない、『魔法』を使う者にしか分からない異常が有る可能性もゼロではないのだ。
「そうですね…………うん、これといった問題は無いと思います。ジュエルシードも、魔力リンクの中にしっかり溶け込んでるみたいですし。
暴走したりする気配もまったくありません」
「そうか。ならこれでひと段落ついたな」
「じゃあ、結界も消してしまいますね」
「あ、やっぱりそういうの張ってたんだ」
「なんだ。なのはは結界の事を知らなかったのか?」
「うーん。知らなかったんですけど、なんとなく変な感じはしたし、人も全然見かけないし、変だなぁって思ってはいましたね」
どうやら理解出来ていなかっただけで、結界の事はちゃんと感知していたようだ。
ついでだ、気になっていた事を確認しておくか。
「それは『魔法』を初めて使った時よりも前から感じていたのか?」
「はい。レイジングハートを使ってセットアップする前から感じてました」
レイジングハートにセットアップ、ね。
よく分からない単語が出てくるが、聞き始めると終わらなくなりそうなのであえてスルーを選択する。
「そうか。ユーノ、なのはのように魔法の素質があるものなら結界に自然と気付いてしまうものなのか?」
「そう、ですね。結界なんて隠せる物ではないですから。少しでも魔法を使う素質があれば気付くと思いますよ」
いや、おそらく魔法の素質が無くともある程度勘の良い者なら気付ける。
結界の効果で干渉出来ないのが救いだ。これが無ければ結界内に、魔法を使えない一般人が入り込んでしまっていただろう。
それほどまでに、この結界は存在が分かり易い。
魔術と違って秘匿性が低いのだろう。
魔術師の結界など、いかに気付かれないように張るかが重要だというのに。
それを、ユーノいわく結界は隠せるよう物ではない、だ。
どうやら、魔術と『魔法』は在り方からして大きく異なるらしい。
これは早急に魔法の事をよく知る必要があるな。
知らない、というのはそれだけ危険を孕んでしまう。
理解できない物ほど、恐ろしい物は無いのだから。
「なるほどな。まだいくつか聞きたい事があるのだが……今日はここまでにしよう。なのはもそろそろ家に帰らないと不味いのではないか?」
「うっ。……そうですよね。こんな時間まで外に出てちゃいけないですよね」
子供がこんな時間まで外に出る事が非常識だという事は理解しているらしい。
質問に対する反応は、悪戯が見つかった時のそれだった。
「そうだぞ。なのはのように小さい女の子がこんな時間に外を出歩くのは危険だ。帰りは私に任せてもらおう」
「えっ? それってどういう意味で……ってきゃあ!」
なのはの肩から腕にかけて片腕を回し、ひざの下から差し入れたもう片方の腕で足を支えて持ち上げる。
俗に言うお姫様だっこの形だった。
ちなみにコツは腕の力で持ち上げるのではなく、腰の力で持ち上げること。
「な、何をするんですかぁ!?」
羞恥の為だろう顔が真っ赤だ。
そして私がした事に対する驚きも含まれている。
驚き3、恥ずかしさ7、くらいの割合だろうか?
「いや、この方法なら君を夜の街に放り込むことにもならないし、何より君に負担がかからない」
「そ、それはそうですけど別に私そんなに疲れてるわけじゃないし、自分で歩けますよ! というか、逆に負担になります!」
「ユーノ、君は私の肩の上に乗れ」
「え、あ、はい」
「聞いてますか!?」
顔を真っ赤にしたマスターの姿に、もっとからかいたい気持ちが湧いてくる。
子供というのは良いものだ。
感情を素直に表すし、何より可愛らしさが分かりやすい。
「おや、私はマスターの事を想ってやっているのだが……お気に召さなかっただろうか? それなら仕方ない。小脇に抱えて行くとしよう」
「私を降ろすという選択肢は無いんですか!? しかも小脇って!!」
「失敬な。私に大切なマスターを夜の街に放り込めと言うのか。それともなにか、君も女性だからな。自分の体重が気になったりするのかね?」
「違います!! 私、気にしちゃうほど重くないです!!」
「そうだな。抱きかかえているから良く分かる。君の体重は身長に対して至って平均的だ」
「うにゃぁ~~~~!!」
涙目になったなのはに胸を両手で何度も叩かれる。
もっとも痛みは全く感じないのだが。
照れ隠しにガンドが飛んでくる危険があった時とは大違いである。
「いや、すまないマスター。少々からかいすぎた」
「まったくです! 女の子に体重の話をするなんてデリカシーが無いにもほどがあります!」
「くっ、すまない。確かに女性に振る話では無かったな」
私の皮肉気な笑みが気に食わなかったのか、なのはは頬を膨らませていかにも不安です、と言った表情を見せる。
それがまた可愛らしく、からかいたい気持ちが再び湧きあがってくるが、さすがにもうやめておこう。
これ以上は後が怖い。
「まあ、冗談はこれくらいにして、実際君の体はかなり疲労しているはずだ」
「え……? いや、そんなこと無いですよ。さっきも言ったように歩いて帰れますよ?」
「いや、それは君が自分の体の疲労をしっかり認識できていないからだ。初めて魔法を使い、私との間に強引な方法でパスまで作った。
君の体は今まで使った事の無い力を使ったのだ。間違いなくその影響が疲労となって出てくるだろう」
そう、初めて魔法を使う、ということは今まで使われる事の無かった筋肉を急に使ったようなものだ。
当然、そんな事をすれば筋肉繊維は傷つき筋肉痛になる。
魔力を用いるとそれが疲労という形で出てくる。
その上ジュエルシードによるものだとはいえ、人より霊的に格上の英霊とパスを結んだのだ。
倒れて意識を失っても不思議ではない。
「とにかく無理はしない事だ。ここは私に任せてくれ」
「……はい。えっと、お願いします」
私が本気で心配しているのが分かったのだろう。
素直にうなずいてくれた。
「では、道案内を頼むぞマスタ―。念のため、落ちないよう私にしがみつくように」
「うぅっ……はい! お願いします!!」
吹っ切れたのか、恥ずかしさがぶり返したのか、私の胸にしがみつくなのはの顔は再び赤く染まっていた。
夜にまぎれて跳躍しながら進む事数分。
抱えられながら道案内をして、ようやく家の近くまで着いた。
「こ、怖かった~」
エミヤさんの腕から降ろされながら出たのは、とっても情けない声だった。
「何を言っているのだ君は。先ほどは魔法を使って自分で空を飛んでいたというのに」
「私が飛んでた時とは速度が段違いでしたよ!」
思わず怒鳴っちゃったけど考えても見てほしい。
時速数十キロの速さで跳んだり落下したりを繰り返していたのだ。
それも魔法を使って飛んでいたときとは段違いの、とてつもない勢いの風を叩きつけられながら、だ。
安全を保障されていないジェットコースターに乗るようなものだと思う。
「なのは、大丈夫だった?」
「う、うん。なんとか……」
ユーノくんの心配そうな声に返した言葉には疲労感が多分に含まれていたと思う。
いつの間にか戻っていた私服姿を確認しながら、気持ちを落ち着かせる。
とりあえず、家に帰ろう。
そう思って、ふと気になる事が出来てエミヤさんに尋ねる。
「あ、エミヤさんの事、お母さんやお父さんになんて言おう」
すっかり忘れていた。
家族みんな、いきなり私が知らない人を連れてきたら困るだろうし、何かしら理由が無いと……。
「その点は心配しなくてもいい。私の事を君の家族に言う必要はないさ」
「でもエミヤさんも私の家に来るんですよね? それなら理由を考えないと」
「いや、私は君に接する事さえできればいい。わざわざ家族に紹介しなくても君の部屋にこっそり忍び込ませてもらうよ」
いや、そんな泥棒みたいな入り方しなくても。
それに家のセキュリティは万全だ。
そんなに簡単に忍び込めないと思うんだけど……。
「なに、心配いらんよ。とにかく私は先に君の部屋で待っていよう」
むぅ……。少し納得できないけど言ってても仕方ない。
とりあえず言われた通り早く家に帰ろう。
「じゃあユーノくん、行こっか?」
「うん。お願い」
ユーノくんを抱え、家の方へと歩き出した。
今、私は新たな主であるなのはと共に、なのはの自宅へと徒歩で向かっていた。
とはいってもすぐそこだ。
万が一にも見つからないように人の気配のしない場所に降りたのだが、そのせいで少しばかり遠回りするはめにはなったが。
ちなみにユーノはなのはの腕の中。
だいぶ無理をしていたのか、ユーノは自力で歩けない程度には疲労してしまっていた。
少なくとも、なのはより疲労度は上であろう。
しかし、それはそれ。これはこれだ。
ユーノが人、それもおそらく声の感じから、なのはと同年代くらいの男の子だと当たりをつけていただけに私が持つと言ったのだが……。
「私が抱えて行きますよ」
と断られてしまった。
その時のなのはのユーノを見る目は、小動物を可愛がる女の子そのものだった。
はたして、なのははユーノが本当はフェレットではなく人間だということに気付いているのだろうか。
そんな道中。
もう目の前、というところまで来たとき、なのはが呟いた。
「お父さんとかに見つかったらどうしよう」
「……何の事だ?」
いきなり随分と思いつめた声で言われたため、一瞬反応が遅れてしまった。
「いや、この左手にできた令呪、でしたっけ、を家族に見られちゃったらどうしようかと……」
「ああ、なるほど。そういうことか」
遅い時間にまだ幼い娘が帰ってきて、しかもその手に刺青のようなものが入っていたら大騒ぎになること間違いなしだ。
かといって、それがあるのは利き手の甲。
隠そうと思っても隠せるような場所ではない。
食事時など一撃でアウトだ。
焦って当然である。
「安心しろ。令呪は見えないようにすることが出来る」
「どうやってですか?」
「それは、こういう風に……ほら」
「あっ、本当だ。消えちゃった」
それを見ていたユーノが、なのはの腕の中からひょっこり顔を出してくる。
「今のって、どうやったんですか?」
「いや、単純に私となのはを結ぶパスをギリギリまで閉じたのだよ」
これがまた、思わぬ誤算というか、幸運というか。
ジュエルシードによって作られた令呪は、パスに溶け込ませる事によってできた物。
その影響か、令呪は私となのはの間にあるパスの中継役としての役割を担っていたのだ。
それをなのはとユーノにも、分かりやすく噛み砕いて教える。
「それがどういう風に関係してくるんですか?」
ユーノからの質問に、憶測だが、と前付けして説明する。
「なのはの手に宿った令呪は、私となのはとのつながりの強さを表していると解釈すればいい。
パスを開けていれば、私となのはとのつながりは強くなり、令呪は目視が可能な状態となる。
逆にパスを閉じて、私となのはのつながりが弱くなれば、令呪は薄れ、見ることが出来ないようになる、と言う事だ」
「でも、エミヤさんはパスが閉じたりしちゃってたら危ないんじゃ……」
「確かに完全に閉じてしまえば不味い事になるが、そこまでする必要は無い。
今のように、私の魔力が十全にあり、魔力供給を必要としない状態であれば何の問題も無いさ」
だから安心しろ。
不安そうに、こちらを見上げてくるなのはにそう言った。
そうこうしている内に、高町と書かれた表札のある和風じみた家を確認する。
なのはの家族構成は、父、母、兄と姉が一人ずつの計5人家族なのだそうだ。
それにしては随分と広い土地を持っているような気がしなくも無いが。
もっとも、そんな事を言い出したらこの家より広い屋敷に、実質一人暮らしをしていた自分はどうなるんだ、という話である。
そしてたどり着いた高町家。
目の前の玄関にあるの戸の向こう側に、二人ほど人の気配がしていた。
それをなのはに言おうとしたのだが、時すでに遅し。
なのはは人の気配に気付いた様子も無く、私に一声かけて向こう側へと行ってしまった。
数瞬の後、聞こえる悲鳴。
私のことや令呪のことよりも、家族に対する言い訳を考えておくべきだったな、マスターよ。
ちなみに気配を感じてからなのはが行ってしまうまで、実際にはそれなりの時間は有ったのだが、あえて言わなかった。
この困難を自力で乗り越えられる力をつけて欲しい、という気持ち。
どれも等しくマスターを思ってのことである。
お姉ちゃんたちにユーノくんともども見つかり、事情聴取ののちユーノくんを飼う事になった。
ひと段落ついたところで私はお風呂で素早く汗を流し、自分の部屋へと入る。
「ああ、遅かったな。と、なるほど風呂に入っていたか」
そこには、赤い騎士が腕を組んで佇んでいた。
「……エ、エミヤさん。いつの間に入ってたんですか?」
「先ほど言っただろう? 君の部屋で先に待っていると。ちなみに君の部屋が此処だと解ったのは扉に君の名前が書かれた名札が掛かっていたからだ」
「でもどうやって入ってこれたんですか? 家、結構セキュリティとか厳しかったと思うんですけど」
お父さんやお兄ちゃんはすごく鋭くて忍び込むのは難しいと思うんだけど……。
「ああ、それは少しばかり特殊な方法を使わせてもらった。どれだけセキュリティが優れていても素通りできる方法を、な」
「それってどんな……」
方法なんですか? と訊こうとしてエミヤさんに手で制止された。
「それについて説明するのは少々時間がかかりすぎる。詳しい事はすべて明日にしよう。君はもう寝ると良い」
言われるままにベッドへ座る。
「でも、エミヤさんはどこで寝るんですか?」
「私は寝る必要など無いのでな。この家の屋上でジュエルシードを警戒しながら待機しているさ」
天井を指差しながらあっけらかんと言う、エミヤさん。
眠らなくていい、なんてそんな。
仮にそうだったとしても、夜通しそんな事させられない。
それを言うと。
「なに、私にそんな心配は無用だ。ところで、ユーノはどうした? 姿が見えないが」
話を強引に変えられた。
納得いかないけど、これ以上言っても応えてくれそうになかった。
「ユーノくんはお姉ちゃんに捕まっちゃってて、たぶん明日まで放してくれないと思います」
「なるほどな。まあ、ユーノには耐えてもらおう。君は早く寝たまえ。これ以上起きていると明日に響く」
「私そんなに疲れてないと」
思うんですけど。そう言おうとして急に睡魔に襲われた。
あれ? なんでこんなに眠く?
「言っただろう。君の体は君が思っている以上に疲れていると」
言いながらエミヤさんは、座っていた私を横たおらせてから布団をかけてくれる。
その間、私は全く抵抗できず、為されるがままになっていた。
「明日からジュエルシード集めも始まるのだ。今はゆっくり体を休めろ」
瞼が落ちる。
意識が白く、消えていく。
でもその前に、とにかく一言だけ。
「おやすみなさい」
気合でその言葉を伝える。
随分と小さな声になってしまって、ちゃんと聞こえたか不安になったけど、どうやら大丈夫なようだ。
「ああ、お休みマスター。良い夢を」
聞こえたのはぶっきらぼうで、でもどこか包み込むようなやさしい声。
その声を聞いて、私は完全に意識を手放した。
高町家の屋根の上。
そこで霊体化して佇む。
深夜を回り静寂に包まれた住宅街を見つめながら、物思いにふけっていた。
自分は、何の冗談か、再び確固たる自意識をもって現界してしまっている。
世界に呼び出されたわけでもなく、聖杯に引かれて召還されたわけでもない。
一人の少女の、助けを求める声に引かれて、だ。
その少女を守るためにと決意して、私はここに居る。
だが、少しばかりの不安もあった。
いまさら自分が誰かの為だけに存在できるのか、と。
衛宮士郎が一人の為だけに生きるという事は、自らの理想を捨ててしまう、という事だ。
そんなこと、出来るものか。
考えるまでも無い。
いくら理想を否定したところで、体は勝手に理想へと歩みを進めてしまうのだ。
ただのくたびれた義務となっているそれに、自分はいまだに縋り付いている。
本来、英霊とは不変の存在だ。
表面的にいくら変わったところで、その奥深く。
根本的には、生前と何も変わっていない。
そして、『正義の味方としてでは無い衛宮士郎』が接する事が出来るのは、一人しかいなかった。
その一人を選ばなかった自分が、いまさら一人のために生きていく事など出来るものか。
しかし、それでも。
自分の願いを叶えてくれたなのはの為に、とそう思う。
その思いは意味がない事かもしれない。
どんなに逆らったところで、どんなに否定したところで、残り続けている感情。
一人でも多くの人々を救うという考え。
いくらひねくれようと、変わってくれないその想い。
だが、それでも。
「頑張っていくさ。そう誓ったのだから」
力強く自分の気持ちを口にする。
ああ、せいぜい頑張っていくとしよう。
どんな結果になっても後悔が無いように。
何もかもが終わった後で、なのはが笑っていられるように。
そして彼のマスターは、一人の少女と出会う。
そこから、物語は始まる。
それは、出逢いの物語。