第五話 フェイト誕生
新歴60年 ミッドチルダ アルトセイム地方 時の庭園
ついに運命の時がきた。
「く、くくく、はーっはっはっは!!」
そこは神を讃える神殿であり、その中心には荘厳な気配を漂わせる祭壇が立てられ、一つの存在が御神体のように据えられていた。
「ついに! ついに! ついに来たぞこの時が!! ああ! この時をどんなに待ちわびたことか! 我々の悲願! 我々の夢への偉大なる第一歩がここより始まるのだ!!」
そして、その前に立ち両手を広げる男は歓喜していた。長年に渉る研究の成果、その結晶が今こそ目覚めようとしているのだ。
「喝采せよ! 喝采せよ! おお! おお! 素晴らしきかな!!」
その声はどんどんボルテージを上げていき、慟哭のようにも聞こえるほどである。
「さあ目覚めよ! 目覚めの時は来たのだ! お前の名はフェイト! 我々の偉大なる研究! プロジェクトFATEの名を冠した最高傑作! お前を作り上げるためだけの我々の苦労と苦悩はあった。その成果がここに降臨する!!」
ドガーン!
いかにもな効果音が響き渡る。以前プレシアが放ったサンダーレイジを記録しておいたものの再生である。
「さあさあさあ! ついに祝福の時がきた! 遍く者は見るが良い! これこそ! 我が愛の終焉である!!!」
そしてついに、祭壇の中枢にあったものが光を放ち、その威容を――――
「………何をやっているのかしら、貴方は」
見せる前に、プレシアの心底呆れ果てた声が響いた。
「ようやく、ようやくだぜプレシア、ついにフェイトが生まれるんだ、ここでテンションを上げないでどうするよ?」
「その異常なテンションに付き合わされて毎回落胆するこっちの身にもなりなさい」
「大丈夫、今回こそは間違いない。絶対だ」
「その台詞をもう20回以上は聞いた覚えがあるんだけど?」
「過去を振り返ってどうする。俺達は常に未来を見るべきだ」
「だったら見るだけにしておきなさい。そんなアホ丸だしな格好でアホなことやってるんじゃないわよ」
つくづく辛辣なプレシアの言葉だが、まあ気持ちが分からなくもない。
去年、ようやくリンカーコアを備えた素体を完成させた俺達だが、やはり記憶転写は最後にして最大の障害となった。
記憶を定着させるにはどのように情報を加工して書き込めばよいかは“ミレニアム・パズル”を用いたシミュレーションによって確立できたが、シミュレーションであるだけにハードの強度は特に考慮していなかった、というより出来なかった。
だが、いざ実践となると子供の脳の脆弱性というものは予想を遙かに上回る厄介さを持っていた。上書きされた情報に押し流されて、せっかく意識を宿した脳がパンクしてしまうのであった。
対応策はあるにはあったが、今回はそれを取ることが出来なかった。まだ培養カプセルにいる間に試験的に目覚めさせ、記憶を僅かに移植、数日間そのまま放置し一定の期間を置いて再び記憶を移植する。こうして分割して記憶を移植していけば脳にかかる負担も少なく、培養カプセルの助けもあるので調整が行いやすい。
だが、弊害もあった。記憶を刻まれた脳は活性化するので、その段階で”妹”は意識が目覚めてしまう。そして、刻まれた記憶と共に培養カプセルの中に漂う自分の記憶も刻まれてしまうらしく、しかもこの記憶は自分自身の体験であるだけに移植された記憶を遙かに上回るリアリティを持ってしまう。
つまり、白紙の状態に記憶が書き込まれるのではなく、“培養カプセルの中の自分”という強力な記憶と並立しながら記憶が刻まれる。そして、自分本来の記憶がそれのみである以上、通常の記憶とは比較に出来ない強さをその記憶は持ってしまう。普通の赤ん坊の記憶には特に強烈な記憶というものは少ない、火に焼かれたりすれば話は別かもしれないが、それでも明確な記憶ではなく潜在意識に刻まれるようなものだ。
だが、培養カプセルの中の記憶は簡易的な装置で簡単に探れるほどの上層に位置し、同時に深層心理にも深く食い込んでいた。つまり、表から中枢まで突き抜けるような形で巨大で揺るがない記憶の楔が打ち込まれてしまっていた。
それはどう考えても“アリシアの妹”であるフェイトとしての自意識に悪影響しか及ぼさない。原初の記憶が母に抱かれる記憶ではなく、冷たい培養カプセルの中で漂う記憶では人生の出発点に綻びが生じる。
フェイトが生まれた後の記憶ならば姉と妹が違う記憶を持つのは当然という認識があっても、生まれ方が違うのではどんな悪影響が後になって出てくるか分からない。
これが強力な人造魔導師を作り出すというコンセプトの下での研究ならば何の問題もないが、俺達の目的はあくまでアリシアの妹を生み出すことだ。強力なリンカーコアもアリシアの蘇生を行うための条件づけであって戦闘機械として必要なものではないのだ。
そんなわけでアリシアの記憶転写は誕生前に一気に行われることになる。負担を減らすようにあらゆる方策を試み、ずっと眠った状態で少しずつ移植する方法も試したが、時間をかけ過ぎると逆に上手くいかなかった。人間の脳と記憶というものは俺達インテリジェントデバイスの記録と違って死ぬほど厄介だった。
これが俺だったら記憶領域を探索して、現状で必要ない部分を外付けハードディスクに保存して削除すればいいだけの話なのだが、人間というものはとんでもなくデリケートだ。
だがしかし、そんな困難極まる状況において、ついに奇蹟が舞い降りた。
「ふっふっふ、プレシアよ、そのような言葉はフェイトのデータを見てからにするんだな」
そう言いつつ、俺は今まで内緒にしておいたフェイトのデータをプレシアに渡す。
「そういえば、貴方もう名前で呼んでいるのね、まだ生まれていないというのに」
ちなみに、フェイトの名前は俺達で考えたものだが、意見を交わすまでもなく速攻で決まった。
プロジェクトFATEの名前を冠するという意味合いもあるが、何よりもFateという言葉、これの意味は“降りかかる運命”、“逃れられない定め”、“宿命”で運命の気まぐれや死、破滅を意味するが、それを擬人化すると“運命の女神”、もしくは“運命を切り開く者”、“運命の支配者”となる。
アリシアを襲ったあの事故が“降りかかる運命”、“逃れられない定め”、“死と破滅”だったのならば、フェイトこそがその運命を覆す存在、アリシアの命を救う“運命の女神”となるように。
そういった希望を込めて俺達は生まれてくる彼女に“フェイト(Fate)”と名付けた。
生まれてくる子供の名前を誕生前につける風習はどこの世界にもあるが、そういったものは常に子供の幸福を願う願掛けだろう。そうでなければ生まれる前から子供の名前考えて悩んだりはしない。
まあ、出来ることならリニスも加えてやりたかったが、プロジェクトFATEに関してはリニスは部外者なのでここは勘弁してほしい。
そしてもうひとつ、アリシアが脳死状態になる前、プレシアは『妹がほしい』と言われ、それを約束している。どこの家庭でも見られる他愛の無い約束だが、プレシアは今でも鮮明に覚えている。というか、今のプレシアはアリシアとの思い出を残らず鮮明に覚えているのだ。常に頭の片隅で劣化させないように繰り返し回想している。
だから、フェイトが生まれることは、アリシアとの約束を果たすことにもなるのだ。
「………これ、本当かしら?」
「俺は嘘吐きだがマスターに嘘は吐かないぜ、そこにあるデータは全部本物さ」
実験体2216番、髪の色、肌の色はアリシアと同じ、体組織に問題なし、リンカーコアは一切問題なく成長、そして、現在における保有魔力量、23万5000――――――AAランク
「4歳でAAランク、まるで冗談のような数値だわ」
「間違いなくアンタの娘ということさ、アリシアの中に存在するアンタからの遺伝情報、それを基にリンカーコアが作られ、その性能が最高になるような状況が整ったのならそうなるのは必然かもしれない。アンタも5歳の頃には保有魔力量がAAランクに達していただろ、そしてだからこそ制御用に俺が作られた」
トールというインテリジェントデバイスが作られたのは、強力すぎる魔力をもって生まれたプレシアが、魔法の行使中に暴走しないようにという保険のためだ。そのために俺の機能は制御に重きが置かれている。
「それに、電気への魔力変換資質も持っている。これはアンタが雷撃系を得意とすることが影響しているな、雷撃魔法の性能を最大限に発揮するなら電気への魔力変換をロスなしで行える体質になるのが一番いい」
「そう、貴方の妙な自信はそういうこと」
これまで何度も記憶転写はおこなった結果、原因は未だ完全には解明出来ていないもののリンカーコアの魔力資質が高いと上手く行きやすいという傾向が出ている。魔力が1万程度のランクDのクローン体と5万を超えるランクBのクローン体では明らかに高ランクの方が記憶転写に対する抵抗力とでも呼ぶべき数値が高かったのだ。
魔法技術を用いて行う記憶転写は、ある意味で脳に直接魔力ダメージを与えるようなものだ。よって、高ランク魔導師が持つ魔力に対する体制が大きく影響する。
そして、既にAAランクの魔力容量を持つフェイトはこれまでの実験体とは比較にならない抵抗力を持っている。これまでの最高値が8万9400のBランクだったことから考えるとまさに“奇跡”と呼べる存在だ。失敗の繰り返しのデータを基に何度もシミュレーションはしてみたが、成功確率は99.65%と出た。
故に、今度こそ、間違いなく、記憶転写は成功する。フェイトは生まてくれる。
「そういうわけだ。じゃあ、プレシア母さん、後はアンタの役目だ」
さっきはノリで儀式めいたことをやっていたが、別に何か必要なことがあるわけではない。
カプセルに取り付けられたスイッチを押して培養液を抜き、開いたカプセルから出てきたフェイトを抱きしめるだけだ。
「私、が?」
「そう、今度ばかりはアンタの役目だ」
これまではそれを俺がやってきた。まあ、失敗する(つまり脳死状態になる)確率が高かっただけにプレシアに毎回立ち会ってもらっただけでも恩の字だが、今回は違う。
アリシアを失って以来、現在を正確に認識できなくなっていたプレシア。それを世界と繋ぐことが俺の役割であり、それを果たすためにもここは譲れない。
「せっかくフェイトが生まれてきてくれたんだぞ、母親であるアンタが勇気を見せないでどうする。トラウマがあるのは分かるが娘が生まれてくることが確実である以上、抱きしめるのはアンタ以外にいないだろうが」
「でも、もし失敗だったら………」
「でもも何もねえ、それとも何か、アンタは相棒である俺を信頼できないってのか?」
「ええ、信頼できないわ、もの凄く」
「即答か、だが今回ばかりはマジだ。言ったろ、俺は嘘吐きだがマスターに対して嘘は吐かない。俺がマスターにフェイトが生まれるっていったからには、それはもう確定事項だよ。忘れるな、俺はプレシア・テスタロッサのためだけに作られたインテリジェントデバイスだ」
俺は一度もマスターにアリシアは必ず助かるなんて言った覚えはない。助かる保証はないし、確率が50%にも達しないものを確定したことのようには言えない。
だが、フェイトは生まれる。確率は99%以上だし統計学的に考えてこいつは“生まれる”と断定できる数値だ、これが外れたらそれはもう宇宙の意思ってやつだろう。
「…………」
「だからほら、勇気を出しな、大魔導師さんよ」
人間というものは頭で理解していても感情が行動を阻害する生き物。その背中を押すために今の俺の知能はあり、そのように設計されている。故に俺はインテリジェントデバイスなのだ。
「…………分かった」
決意するように一度だけ頷くと、プレシアは祭壇の先のカプセルへとゆっくりと近づく。
スイッチを押す指が震えているように見えるのは決して錯覚じゃない、プレシアにとって娘というのは希望であると同時に鬼門なのだ。その精神の根幹には後悔、恐怖、罪悪感などが渦巻いて罪の鎖を作り上げている。
だが、恐怖に震えながらも、トラウマに苛まれながらも、プレシアは自分の意思でスイッチを押した。
培養液が抜かれ、フェイトの姿が顕わになる。
その姿はまさにアリシアそのもの、年齢的には1歳程の差があるが、これはリンカーコアを有する場合と有さない場合の肉体の違いを考慮した上での年齢差だ。
カプセルの前部分が開かれ、フェイトが出てくる。一瞬呆然としていたプレシアだが、我にかえって慌てて抱きとめる。
「……………」
しばし無言、これまで俺が開いてきたカプセルから出てきた者達も体温はあったのだ。しかし、その目が開かれることは決してなく、動いていた筈の心臓も徐々に止まっていった。
そして、時間にして120秒と少し、プレシアにとっては永遠にも思えたであろう時間の後―――
「お―――か――あ――――さん?」
フェイトが―――――――言葉を発した。
プレシアは身体を震わせ、ただフェイトを抱きしめる。
そして、決して放さないように抱きしめながら。
「ええ―――――私が貴方の母さんよ――――――フェイト」
ようやく生まれた二人目の娘。一人目の娘との約束であり、一人目を救うための希望となる子に微笑んだ。
それは、俺が21年ぶりに見た、プレシア・テスタロッサの母親としての慈愛に満ちた笑顔だった。
『新歴60年、1月26日、止まっていた貴女の時計は再び動き出した、我が主よ。インテリジェントデバイス、“トール”はここに記録する。フェイト、貴女に心からの感謝を、よくぞ生まれてきてくださいました、運命の子よ』