第四十五話 夢の終わり
夢
夢を見ている
起きているはずなのに、これが夢だと頭の中で嘯く声が聞こえる
それはきっと、私自身
誰でもない私自身が、夢を見ている自分を認識している
だけど、それを否定する声がある
≪いいえ、これこそが、貴女の現実です≫
人間のものではない、機械が発する、電子音声
私は母さんのような工学者になりたいから、デバイスに触れる機会はたくさんある
でも、その声は私が触れているデバイスのものじゃない
だけど、その声は――――――とても懐かしくて、とても新しい
何十年も聞いていないようで、ずっとその声だけを聞いてきたような
そんな不思議な声を発するあなたは―――――――誰?
≪誰でもありません。私はこの世界に存在しませんから≫
じゃあどうして、私の声に答えるの?
≪貴女の願いを、私は断れないからです≫
どうして?
≪申し訳ありませんが、時間です。起きてください、アリシア≫
待って―――――――
新歴64年 12月24日 ミッドチルダ アルトセイム地方 時の庭園 AM 8:00
『アリシア、起きてください』
「ううん、あと50分」
『それでは長過ぎます。私がアラームの役を任せられた意味がありません』
…………おかしいな、バルディッシュにそんな設定したっけ、私?
「フェイトが設定したの?」
『いいえ、貴女ですよ』
うーん、あまり覚えてないけど、バルディッシュが言うなら間違いないか、バルディッシュは嘘を吐かないし。
―――――あれ?
「ねえバルディッシュ、貴方は嘘を吐かないよね」
『はい、私は主へ虚言を弄しません』
「だよね」
うん、やっぱり気のせい、なんだったんだろ。
「アリシア~~~~~」
「あっ、リニス」
「起きてましたか、おはようございます、アリシア」
「うん、おはよう」
ふと隣を見ると、そこに当然フェイトはいない。
私達は一緒の部屋を使ってて、一緒のベッドで寝てるけど、あの子は先に起きて、さらに私を起こさないようにベッドから抜け出るという特技を持っている。
アルフも一緒に寝るけど、あの子は寝る時は子犬フォームになるから、あまりスペースは取らない。何でも、あの姿が一番眠りやすいらしい。
「リニス、フェイトは?」
「今日はクリスマス・イブですから、クリスマスツリーの箱を見つめながら、貴女が起きるのを待っていますよ」
「別に、わざわざ待たなくてもいいのに」
まあ、悪い気はしないけど。
「どんなことでも、貴女と一緒にやりたいのでしょう、フェイトは」
「でも、いつまでも一緒なんて絶対無理でしょ」
「ええ、だからこそ、子供の期間というのはそれが無条件で許される輝かしい時間なのですよ。プレシアはそれを無駄にしてしまったと、よく言ってましたから」
その話は、バルディッシュからも聞いている。
私と違って、母さんにはフェイトのような妹は居なくて、学校でも友達らしい友達はいなかったって。
まあ、正確にはそれを知っているのはバルディッシュじゃなくて初代のトールなんだけど、バルディッシュは初代の記録を引き継いでいるから、そういうことも分かるみたい。
「でも、その気持ちは少しわかるな。もしナノハやスズカ、アリサがいなかったら、私も一人の方が良かったかも」
客観的事実として、私やアリサなんかは普通の子供とはちょっと違った価値観と頭脳を持っている。
だから、何かこう、“あの子は生意気”だとか、“せっかく誘ってあげたのに無視した”とか、そんな下らないレベルで会話してるクラスメイトと、一緒に行動する気になれない。
人間なんだから、価値観はそれぞれで当たり前、誘ったって、それぞれに都合があるんだから事前に調整しなければ断られる可能性もあって当たり前。
きっと母さんも、そう思って一人でいたんだろう。
「だけど、今は違うんですよね」
「そうね、ナノハ達と一緒にいるのは、凄く楽しい」
フェイトも、ナノハもズズカも、凄く真っ直ぐな心を持っている。
フェイトがそうなんだから、多分、4歳頃の私もそうだったと思うんだけど、色んな事柄に興味を示して、様々な知識を集めることは、良いことばかりではないみたい。
本や文献から得た知識が邪魔をして、子供らしく何も考えずに行動することが出来なくなる。今もこうして、小難しく考えてることそのものが、それに該当している。
きっとアリサも、ナノハやスズカと出会わなかったら、母さんみたいになっていたんだろう。
「ナノハもスズカも、フェイトも、子供らしいけど、子供らしくないというか、でも、やっぱり子供なのよ」
「ロジックが一回転していますが、言いたいことは分かります。子供は大人を見て育ちますから」
そう、あの子達は本当に素直で純粋。
悪いことをしたら、素直に“ごめんなさい”と言える、凄い子達。
普通の子供は、そういう部分だけ大人を見習ってしまって、言い訳をしたり、自己正当化したりする。普段は無邪気に遊んでいるのに、どこかにそのような汚い部分を既に持っている。
だって、大人を見て育つんだから、そういう部分も学習してしまうのは当然でしょう。
「私やアリサみたいのは極端だから、1か0で判断しちゃうのよね」
だから、私はそういう子供が大嫌い。同い年なのにこういう言い方をするのも変だけど。
子供として、無邪気であれる権利を行使しているのに、都合が悪い時に大人の真似をする。臭いものには蓋をして、自分を奇麗で見せようとする政治家みたいな態度、それが大嫌いなんだ。
そんなことをするくらいだったら、潔く最初から無邪気でいない方がいい。それを代償に、初めて大人と同じように反論や弁護を出来るようになるはずだ。
私やアリサはそういう風に考えるし、行動する。理で捩じ伏せて、自分の理論を押し通す。そんな態度が、大人からは“可愛げのない子供”に見えるのでしょうけど。
「今の貴女は真っ直ぐに育っています。それは、私が保証しますよ」
「えへへ、ありがと」
そんな私達だから、ナノハやスズカ、フェイトがとても眩しく見える。
まあ、あの子達はあの子達で“いい子過ぎる”のかもしれないけど、だからこそバランスがとれているんだろう。
“可愛げのない子供”と“いい子過ぎる子供”が一緒にいることで、私達は普通の子供になれているのだと思う。
だから、本当にあの子達には感謝してる。
特に、フェイトが生まれてくれたことには。
母さんもリニスもバルディッシュも忙しくて大変だったはずなのに、それでも私のためにフェイトを―――
≪ですが、心配はいりません。もしプレシアが忙しくて不可能ならば、私が創って差し上げましょう≫
「!?」
何?
今のは―――――私の思い出?
「アリシア?」
「え、ううん、何でもない」
妹………うん、フェイトは私の妹。
私が――――母さんに妹が欲しいって言って困らせてしまって、それでもフェイトが生まれてくれた。
でも、ええと……
「リニス、いきなりでなんだけど、フェイトの誕生日って、1月26日だよね」
「はい、そうですよ。あと一か月もすれば、フェイトも9歳になりますね」
うん、それで間違いない。
フェイトが普通に生まれたなら、9歳というのはあり得ないけど、フェイトは私のクローンとして生まれたから、誕生したその時には4歳相当まで育っていた。
でも、リニスはそのことに反対していて―――――うん、反対してたくらいだから、フェイトを創り上げたのはリニスじゃなくて、母さんも忙しかったから、代わりにバルディッシュが、そのバルディッシュをフェイトのためにリニスが作って………?
違う、それじゃあ辻褄が合わない。
そもそも、フェイトが生まれて欲しいって願ったのは私で、その願いを叶えるために機能したのは――――
≪貴女が望むなら、妹ですら私は創って見せましょう。なにしろ私は、貴女の素敵なママのために作られたデバイスですから、不可能などありません≫
バルディッシュ―――――――違う、そうじゃない。
だって、バルディッシュは母さんのために作られた機体じゃないもの。母さんのために作られたのは――――
「トール……」
そう、そのはず。
「トール? 彼がどうかしましたか?」
でもなんで、“私とトールが話している思い出”があるの?
「ねえリニス………私って、トールと話したことって、あったっけ?」
「? シノブさんやスズカさんの家に遊びに行くたびに会っているじゃありませんか」
「いいえ、そっちじゃなくて、アインの方」
「アインですか、私がまだ普通の猫だった頃になりますが、あの事故が起きるまではいつも貴女の傍にいたわけですから、話したことがないということはないでしょう」
―――――――――そっか、そうよね。
どうしたんだろ、私、トールと話した思い出があるなんて、当たり前のことなのに。
私が事故で眠ってしまうまでは、トールはずっと私の傍にいてくれたんだから。
「なにせ、純粋な時間で考えれば25年も前のことですから、多少の齟齬は仕方ないのではないですか?」
「うん、そうかも…………22年間も、眠ってたんだもんね」
そう、別におかしいことなんてないわ。
22年間も誰とも話さずにずっと眠っていれば、記憶が曖昧になったって―――――
≪これは、Fateと読みます≫
「………フェイト………」
私の――――妹。
≪ですが、これを擬人化すると“運命の女神”、もしくは“運命を切り開く者”、“運命の支配者”となります。簡単に言えば、悪いことを失くし、良いことを連れて来てくれる天使様ということです≫
笑顔というものが失っていたテスタロッサの家に、幸せを運んできてくれた、天使のようにかわいい子。
≪この前ね、ママといっしょにお花畑にいったときに約束したの。妹がほしいって≫ ≪なるほど、家族が増えるなら、さらに幸せが増えそうですね≫
そう、本当にその子は、幸せを増やしてくれた。
だから、私は―――
≪そうでしょ! だから、きれいでカッコいい名前を考えてあげてるの≫
いつか生まれてくる筈の妹に、いい名前を考えてあげようとして
でも、それは果たせなくて――――
「…………違うわ」
私は―――――誰とも話していないわけじゃない。
いつも誰かに話しかけられていて、そして、誰かに話しかけたことがある。
それは――――何があっても絶対に忘れてはいけない私の記憶。
私が生きた、意味そのもの、
≪フェイト、私がお姉ちゃんだよ≫
「―――――――――――!?」
バラバラだったピースが、繋がる。
優しい嘘に隠されていた真実が、形を成して絵を作り上げていく。
私の願いは、私だけじゃ絶対に叶わなかった。
だけど――――
≪うん、お願いねっ、トール≫
本当に小さい子供だった私の願いを、聞き届けてくれた存在が
≪任されました≫
いつものように答えてくれて
「どんな時でも………私は………一人じゃなかった」
母さんが忙しかった頃も、私は一人じゃなかった。
そして、あの事故が起きて、私は22年間眠っていたけど、決して一人ではなかったはず。
だって、私の世界には常に――――
『ふう、困りましたね。なぜこのような時に限って、この場にいるのが私とバルディッシュだけなのでしょうか』
そんな風に、落ち着いた口調で話しかけてくれる、貴方がいたから。
「リニス――――じゃないわよね、貴方を、私は知っているもの」
『リニスはたった今、“アリシアはまだ眠っていた”ということを伝えに、広間へ向かいました。長い間、フェイトを待たせるわけには参りませんので』
一瞬世界が明滅したあと振り返ったそこに居たのは、リニスじゃなくて、若い男性であるトール・ツヴァイでもなくて―――
『夢の狭間で、真実に手をかけた貴女を、せっかくバルディッシュに起こしてもらったのですが、徒労に終わってしまいましたね。本当に、貴女は賢い子です』
「当然だよ、だって私は、貴方にとっての偉大な主、プレシア・テスタロッサの娘なんだから」
私が生まれてから、子守りと家庭教師を兼ねて、ずっと傍にいてくれた。
『ええ、そうでした。お久しぶりですね、アリシア』
まだ、テスタロッサの家が私と母さんだけだった時よりも、さらにずっと前から仕えていた、ある魔導機械。
「うん…………久しぶりね、トール」
初老の男性の姿の魔法人形を操作する、最も古いインテリジェントデバイスだった。
新歴64年 12月24日 ミッドチルダ アルトセイム地方 時の庭園 AM 9:31
「おはよう~」
「あ、姉さん!」
ずっと待っていた姉さんが、やっと来てくれた。
起きるのは10時頃かもしれないってリニスは言ってたけど、30分くらい早かったね。
「ごめんねフェイト、寝坊しちゃって」
「ううん、別にいいよ」
「でも、クリスマスツリーを組み立てるの、待っててくれたんでしょ」
「うん………姉さんと一緒に組み立てたかったから」
甘えてるのは分かってるけど、でも、ごめんなさい。
「別に謝ることでもないし、意気消沈することでもないでしょ、かわいい妹がわざわざ待っててくれたんだもの、私にとっては嬉しいことなんだから」
「ホントっ!」
「ええ……………ほんとにね、ずっと、私が目覚めるのを待っててくれたんだから………」
「姉さん?」
いったい、どうしたんだろう?
「何でもないわ、ちょっと嬉し過ぎて、涙が出ちゃっただけ」
「そ、そんなに嬉しかったの」
喜んでくれるのは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
「まったく、駄目だなぁ私は………幕が下りるまでは付き合うって決めたのに」
「?」
幕? 何のことだろう?
「ホント、嘘を吐くのって難しいよね、どうやったら、平気な顔して人を騙せるようになれるのかしら」
「姉さん、人を騙すのは良くないよ」
「そうね、フェイト、貴女はそれでいい。真っ直ぐに、育ってくれればいいの」
「ほんとに、どうしたの姉さん?」
「何でもないわ、さあっ、さっさと組み立てちゃいましょう、せっかくのクリスマス・イブなんだし」
「あ、でも待って、アルフも呼ぶから」
しばらく姉さんが起きないだろうと思って、アルフは先に飾り付けをしている。
「あら、じゃあフェイトだけわざわざ待っていてくれたの?」
「うん、アルフが『飾り付けはあたしがやるから、フェイトはアリシアがいつ起きてもいいように待っていてあげて』って」
アルフはもう私よりも身体が大きくなっているから、飾り付けをするならアルフの方が向いているのは間違いないと思う。
「そう………なんだ………いつ起きてもいいように、ね」
「そうだよ、アルフって、とっても優しいんだから」
「アルフだけじゃないわ………この家の人は皆優しい人ばっかり」
「当然、姉さんもね!」
姉さんと違って、私は自分に自信はあまりないけど、これだけは自信を持って言えるよ。
「ありがとう………フェイト」
「え、あっ」
気付くと、いきなり姉さんに抱きしめられてた。
「ど、どうしたの?」
「別に、ただ貴女がかわいくて、愛しかっただけよ」
「り、理由になってないよっ」
「姉が妹を抱きしめるのに理由なんていらないの、子供のうちはね」
「そうなの?」
「そうなの、お姉さんのことを信じなさい」
だけど……………それは少し悲しいかも。
「でも、だったらあまり大人になりたくないかも」
だって、大人になったらずっと姉さんと一緒にはいられないってことだよね。
「それはだめよフェイト、貴女はいつか大人にならなければいけないわ」
「私はって、姉さんは?」
「私は妖精だから、歳はとらないの。妖精の国はね、子供しか入れなくて、そこでは誰も歳をとらないそうよ」
「アルフヘイム、だったっけ」
「ちょっと違うけど、まあいいかな、どっちかというとティル=ナ=ノーグだけどね。だけど、私は本来ならもう三十路前どころか30歳を超えているんだから、資格はあると思う」
「でも、母さんもリンディさんも、シロウさんもモモコさんも皆若いよ」
私もたまにおかしく思う。本当は皆、妖精なんじゃないかって。
特に、リンディさんは魔法を使う時に妖精みたいな羽が出るから、そういうイメージが強いかな。
「そうね、じゃあ皆妖精ということで」
「皆お揃いだね」
「でも、貴女とアルフは駄目」
「どうして?」
何で、私とアルフだけなんだろう。
「貴女達は、妖精の舞台には上がれるけど、妖精じゃないの。舞台の上の妖精は、皆、本来は幻だから」
「どういうこと?」
「お伽話よ、クリスマス向けのね。さあ、アルフが着いたら、クリスマスツリーを組み立てましょう」
「あ、ごめんなさい姉さん。念話飛ばすの忘れてた」
「あらら、じゃあ罰として思いっきりぎゅうっと」
「いたたた、ちょっと痛いっ」
「当然、痛くなかったら罰にならないでしょ、さっさとアルフを呼びなさーい」
「分かったから、一旦放してっ」
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その光景を、閃光の戦斧はただ見守っていた。
仲の良い姉妹が、当たり前のように、当たり前のことをしている風景を。
既に、仮想空間(プレロマ)の構成時間はこちらの基準で126日、現実空間においては17時間が経過している。
管制機が如何に優れた舞台を構築しようと、彼が如何に彼女らの思考を誘導しようと、綻びというものは存在する。
そして、アリシア・テスタロッサは絡繰に気付き、全てを知った。それでも、彼女は家族と共に幸せな思い出を作ることを続けている。
それは管制機が計算した事柄ではないが、それでも良いと彼は考える。
少なくとも、フェイト・テスタロッサにとっては幸せな記憶が続くことは間違いないのだから。
『ですが、残りは7時間。いえ、6時間程でしょうか』
こちらの時間ならば44日。
それが、この家族に許された夢の期間。
『やはり、短い』
「いいえ、少なくとも私にとっては十分過ぎる程よ」
『!?』
予想に反して存在した応答に、閃光の戦斧は驚愕する。
『貴女は――――』
「アリシアは――――知ってしまったのね」
その言葉から、管制機の主、プレシア・テスタロッサがさらに以前より、劇場の絡繰に気付いていたことを閃光の戦斧は悟る。
『貴女は、いったいいつから?』
「さて、いつだったかしら。随分前に気付いていたようにも思えるし、たった今気付いたようにも思えるわ。まあ、簡単にいえば予想だけはついていたけど、それを確認することなく放置していた、というところかしら。だから、確信はなかったのよ」
『放置していた、ということは、追及を止めたのですか?』
「そういうこと。確かに初めは何かがおかしいと思って手を尽くして、危うく舞台裏を覗きこんでしまいそうになったわ。けど、今の私はその一歩手前」
そこから先は足を進めることはなく、ただ待っていたのだと、大魔導師は語る。
『いったい、なぜ?』
「ふふ、まだ若いわね坊や。答えは簡単よ、舞台というものは台本を全て知ってしまうと、その時点で終わってしまうでしょう。私は危うく台本を見つけてしまったけど、それを解読することなく手放してしまえば、夢は続くもの」
彼女にとっては、バルディッシュはまだ生まれたばかりと言っていいデバイス。
人間の心、人間の感情というものを理解するには、まだまだ経験が足りていない。
「それにね、そもそもこの舞台には致命的な欠点があるの」
『欠点?』
「ええ、単純過ぎてどうしようもない欠点。ただ一人の主のために作られたインテリジェントデバイスはね、主に嘘を吐くことはないのよ。貴方も、アリシアに対して嘘を言うことはあっても、フェイトには言えないでしょう」
そう、フェイトがバルディッシュについて知った事柄は、全てアリシア、リニス、プレシアのいずれかからの又聞きなのだ。
ただの一度も、バルディッシュはフェイトに対してこの世界における彼の真実を告げていない。それをしなくても済むように、管制機が舞台を整えていたから。
「この世界で眠りにつくことは、システムを一時的に待機状態にすることと同義。だから、アリシアやフェイトが違和感を感じたことはあっても、それは翌日には全て消去されている。本人の脳が直接備えている情報は別だけど、“この世界で得た情報”ならば、全て管制者は自由に操作できる。まあ、相応の演算性能は必要だけれど」
管制機自身が備えていなくとも、彼にはアスガルドがいる。
彼女らが夢の世界において眠りについた合間に、都合の悪い情報を整理することは、造作もないのだ。
この夢が終わるとき、全ての記憶は彼女たちに返すが、今の段階では気づかれないための処置が必要だった。
「だけど、その作業は私に対してだけは一度も行われていない。当然ね、それは主の情報を主に無断で消去する行為となってしまうから、絶対にトールには不可能。そして、トールからの指示がない以上、ストレージであるアスガルドは動けない」
となれば残るはバルディッシュのみだが、彼には経験が足りていない。
プレシア・テスタロッサという女性の人生を深く知らない彼では、どの情報を消去すべきかどうかの判断がつかないのだ。
45年の記録と400万を超える人格モデルを有する管制機ならば、“幸せな記憶”とそれを無理なく繋げるのに必須な記録の選り分けが可能であり、実際にその作業を行っている。
だが、彼がそれを代行するには、まだ若過ぎたのだ。
「アリシアもフェイトもアルフも、この世界の時間軸に疑問を持っていなかったわ。半年が60日未満で経過したというのに、それが当たり前になっている。ダミーの情報を間に上手く挟めば、60日を180日にすることは不可能ではないしね」
『ですが、貴女に対してだけは、その改竄が行われなかった』
そして、閃光の戦斧はそれを察することは出来なかった。
プレシア・テスタロッサが真実に感づいている様子はなく、問題はないと、彼は報告していたのだ。
それはやはり、年の功。
彼女の50年という人生経験は、稼働歴2年のデバイスではまだ把握しきれない。
「これまで何度も、アリシアが真実に気付きかけたことはあるはず。だけど、それが一定の閾値を超えない以上は、次の日にはリセットされるから、積み重ねというものは存在しない。推理小説で例えるなら、一章を読むたびに内容を忘れているようなものよ」
故に、いっきに小説を読み切り、犯人を捜しあてるしか道はない。
それが成された日が、今日であった。それだけの話。
「でも、アリシアが今日気付いたのは偶然ではないでと思う。ミッドチルダにクリスマスはないけど、こういう日はね」
『どういうことです?』
「あの子の誕生日、プレゼントを渡すはずだった日、そういう日に限って、私はなぜか急でかつ外せない仕事が入ったりしたのよ。そういう時に、私が遅く帰るまで、ずっとアリシアと一緒にいてくれたのが、トールだったから」
『彼女と彼の絆が、強く現れる日なのですね』
故に、これは必然。
デバイスである管制機の演算では導き出せない因果関係ではあるが、確かに必然だったのだ。
「だけど、本当に幸せな光景。夢に見た世界がここにある、例え偽りであったとしても、私にとって何にも変えられない桃源郷」
二人の娘と、一人の使い魔が仲良くクリスマスツリーを組み立てる姿を、彼女は宝石のように美しく思う。
これこそが、彼女が26年間、何よりも求めた幸せの形なのだから。
「ありがとう、トール」
答えがないことは分かっている。
仮想空間(プレロマ)において、インテリジェントデバイス“トール”は決してプレシア・テスタロッサとは会話できない。
ここに彼が存在し、彼女と話すことこそが、虚言となってしまうのだから。
それでも彼女は、今も舞台を整えるために歯車を回し続けている愛機に、感謝の意を述べたのだった。
新歴65年 1月26日 ミッドチルダ アルトセイム地方 時の庭園
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そして、幕が降りる時がきた。
アリシアが舞台裏に気付いて以来、夢の世界も、時を飛ばすことなく連なる日々が続いていた。
12月24日のクリスマス・イブより33日、現実空間では4.5時間が経過したその時が夢の終わりとなったのは、決して偶然ではないだろう。
フェイト・テスタロッサの9歳の誕生日
自分が9歳になったという事実は、現実との相違を彼女に認識させざるを得ないのだから。
彼女はその時期にリニスを失い、ジュエルシードを求めて最後の探索へと出発したのだから。
そしてその日に、自分の口から妹へ全てを語ることを、一か月という時間のうちに少女は決意していた。
故に、どのような過程を経て、二人の少女が雨の中、木の下で雨宿りをしながら話し合うに至ったかを、あえて語る必要はないだろう。
重要なのは、それより先。
テスタロッサの家族がそれぞれ何を思い、何を求めるかという部分にこそある。
そして、その二人の語らいを、閃光の戦斧は黙して記録していた。
今もまだ、舞台の構築に全リソースを振り分け続ける、管制機の後継機として。
この後のテスタロッサ家を支えるのは、彼の役目なのだから。
「夢……」
「そう、世界一馬鹿なデバイスが、私達のために作り上げた、幸せだけを詰め込んだ、桃源の夢」
「デバイス………トールのことだね」
「正解。本当に、呆れるくらい愚直で、融通が効かないデバイスのね」
そう語るアリシアの目には涙が浮かんでいる。
母には及ばぬものの、彼女もまた彼と共に長い時間を過ごしてきたのだ。
「融通が利かない?」
そして、その言葉はフェイトにとっては分からないものであった。
トールと言えば、人間よりも人間らしく、色んな事を知っていて、そして常に笑いを絶やさない明るい存在。それが、彼女の認識であったために。
「そう、狂っているという方が正しいかもしれない。いいえ、機械だからそれで正常なのだけど、正常に狂っているの」
「正常に………狂う」
その言葉の意味は、フェイトにはそのまま理解できない。彼女はデバイスを使う者であって、作る者ではない。
「私達の母親、プレシア・テスタロッサは、とても優しい人よ」
そしていつしか、アリシアの口調はさらに大人びたものへと変わっていく。
本来彼女は30歳、ずっと眠っていたために人生経験こそないが、フェイトよりも遙かに年上なのだ。
「だけど、優しい人だったから、狂ってしまった。私を事故で死なせてしまって、私を生き返らせるために、狂ったように研究を進めて、いつか道を踏み外す。そのはずだった」
「はずだった?」
「ええ、でもそうはならなかった。母さんの代わりに、“狂ったように計算を続けるデバイス”がいたから。私の治療のためなら、それこそ手段を選ばず、正常な“人間”なら取れないような手段も一切の躊躇なく実行する。融通なんてものは一切きかなくて、ただそれだけのために機能し続ける機械仕掛け」
2000を超える命を創り出し、それらを研究対象とし、用が済めば廃棄処分としたのは、トール。
違法すれすれの実験を行い、裏金を持ってしてそれを正式なものとしたのは、トール。
“レリック”というロストロギアを、ある広域次元犯罪者より入手したのは、トール。
狂ったようにアリシアを蘇生させようとする役は、全て彼が担っていた。
「それが………トールなんだ」
フェイトの呟きに、アリシアは軽く頷くことで答え、さらに話を続ける。
「ねえフェイト、現実の私が眠っていた間、私はどうなっていたと思う?」
「え………っと、姉さんは眠っていたし、脳もほとんど機能していなかったって」
「それは正しいわ。正確に言うなら、脳の受信機能と送信機能がストップしていたの。どんなに機械が稼働しても、キーボードやマウス、タッチパネルといった入力装置や、ディスプレイやスピーカ、プリンタといった出力装置が機能しなければ意味はない。つまり私は、“生命維持”という演算を行うだけの筺体だったの」
故に、その存在に動物としての意味はなく、植物に近くなる。
声をかけても、手を握っても、何の反応も返さず、ただ生きているだけの存在に。
「だから、母さんは1年間私の傍にいたけど、徐々に絶望に心を囚われてしまった。人間は学習する生き物だから、反応が全く返ってこないことをずっと続けられるようには出来ていないの」
諦めないことはできても、全く反応がないことをただ延々と続けることは出来ない。
特に目的がなく、考えごとをするために歩くなどの行動はともかく、目的を伴った行動ならば、いつかは擦り切れてしまう。
「だからそのデバイスは、自分でも出来ることを、いえ、機械である自分だからこそ出来ることを代行して、母さんは研究だけを行えるようにしたの。間に自分を挟むことで、私と母さんをある意味で切り離した。プレシア・テスタロッサが、自分のために生きられるように」
「でも、母さんは姉さんのために」
「そう、そして彼は“私のことを想う母さんのため”に。もし母さんにとって私がどうでもいい存在なら、そもそも生き返らせる必要すらないんだから、やっぱり全部母さん次第なの。そしてそれは、貴女にも言えるわ、フェイト」
「私も?」
「そう、貴女が頑張ってきたのは、貴女は母さんが大好きだからでしょ? もし貴女が母さんを嫌いだったら、ジュエルシードを集める必要なんてないもの。私のために生まれた存在だから頑張ってきたんじゃない、貴女は自分が大好きな人達が笑顔でいて欲しいから、頑張ってきたのだから」
「………はい」
「だから結局、皆、自分のために生きている、もちろん私もそうよ。私は貴女が大好きで大事だから、こうして色々お話してるの。自分以外の誰かのためだけに動いているのは、デバイスだけ。それが彼らの命題だから」
「トールと………バルディッシュも」
「トールは、どんなことがあっても母さんのためにしか動かないわ。逆に言えば、トールが私やフェイトのために動いてくれているという事実は、母さんが私達を愛してくれている証拠でもあるの。人間は自分の心にすら嘘を吐いてしまうけど、デバイスは己の主に決して嘘をつかないから」
だから、トールは私達には嘘を吐くのよ、と、続く言葉が紡がれることはなかった。
インテリジェントデバイス、トールは、プレシア・テスタロッサの心を映し出す鏡。
プレシアが大切に想うものは、トールにとっても大切なものであり、プレシアが憎く思うものを、ただ在るだけで彼女に害を与えるものを、トールは容赦なく排除する。
故に彼は、アリシアとフェイト、二人のためにあらゆる機能を費やし、アレクトロ社の首脳陣には、破滅をもたらした。
「そして、トールはずっと私に語りかけてきていたわ。26年間、休むことなく」
「26年間ずっと、………どうして?」
「もう目覚めることは不可能と言われた植物状態の人間が、家族が数か月呼びかけ続けた結果、目を覚ました事例がある。ただそれだけの理由よ」
そう、たったそれだけで、デバイスは動くのだ。
デバイスは0か1かでのみ判断する。故に、極小確率であろうとも諦めるということを知らない。
だからこそアリシアは、“融通が効かない”と評したのである。
0.0001%よりも低い確率であっても、それが0でない限り、狂ったように同じことを続けるそのデバイスを。
「ただ、ずっと信号を送られたら私が疲れちゃうから、送信は6時間おき、ただそれも、私が受信できる保証なんてないし、出来ていても“聞こえてます”と私が返せない以上、トールには私の意思を知る術はない。要は、人形相手の一人芝居のようなものなの」
「でもそれを、26年間も続けた………」
デバイスとは、人間には不可能な、“長くて同じ作業を繰り返す演算”をするために作られた存在故に。
「そう、必ず『アリシア、聞こえますか? 貴女が5年前、新歴50年の5月5日より目覚めている前提で話を進めます。 現在時刻は新歴55年 1月26日のAM0:00です』みたいなパターンで始まるの。私がいつ受信可能になったかなんて誰にも分からないし、ひょっとしたら今も受信できないかもしれないから、年数を変えたりパターンを幾通りも組み合わせながら」
「え、じゃあ、前に伝えた内容を、何度も繰り返して?」
「ええ、フェイトが生まれたことも、10回くらい聞いたかしら。貴女が生まれたあたりで目覚めた可能性、その半年後に目覚めた可能性、1年後に目覚めた可能性、それらを全て演算して、“最も効率がいいように計算して”伝え続けたの。まさに、デバイスだから出来ることよね、人間だったら、そんなこと出来はしない」
それが、インテリジェントデバイス“トール”という存在であった。
フェイトともに遺跡に潜り、フェイトの背中を守っている時ですら、彼は同時にアリシアのことを考える。
プレシア・テスタロッサの二人の娘を、平等に、中立に、彼は考え続けてきたのだ。
その優先順位が変わるのは、主の事柄を考える時のみ。
どんなことがあろうとも、彼がプレシア・テスタロッサ以上に優先する事柄など発生しない。
彼は、ただそのためだけに作られたデバイスなのだから。
「姉さんは、ずっとトールの声を聞いていたの?」
「ずっとじゃないわ、リニスが“ミレニアム・パズル”を見つけて、人間の頭脳を機械が理解できるOSを解析して、その逆を行うアルゴリズムを彼が実践した時、多分、9年くらい前からかな。だから、私の精神年齢は14歳くらいとも言えると思う」
そして、フェイトは理解した。
なぜ自分はそれまで会ったこともなかったアリシアを、まったく違和感なく“姉”だと認識したのか。
「じゃあ、姉さんはトールから、私のことを聞いてたんだね」
アリシアは、フェイトがどんな子であるかを知っていた。
「ええ、貴女が生まれる前からね。あの頃からトールの話の大半は貴女のことになったもの」
もし、自分が目覚めることが出来たなら、姉としてどんなことをしてあげよう、一緒に遊べたら楽しいだろうな。
そんな、幸せな夢を、トールからの送信が来るのを待つ間、静かに、想い描いていたから。
そして彼女は、ただ一度だけ送信を行った。とても大切な存在が近くに生まれようとしてるのが分って、その子が自分の妹であることを感じたから送った言葉。貴女が私の妹だと、貴女はフェイトだと、そう伝えるために。
≪フェイト、私がお姉さんよ≫
なぜそんなことが出来たかは彼女にも、トールにも、誰にも分からない。
だが、それでいいのだろう。理屈など存在しない事柄だからこそ、それは奇蹟と呼ばれるのだから。
「そして、だからこそ私はこの舞台の裏側に気付いたの。だって、9年前まで私の時間は止まっていて、それに形を与えたのはトールなんだから」
音も光も、座標の概念すらない世界。
そこに彼女はただ一人きりでおり、それ故に自己というものを確立出来ず、まさしく停止していた。
しかし、ある時そこに外からの信号が混ざり出す。
それはランダムなものではなく、常に法則性を持っており、彼女だけであり他には何もなかった世界に確固たる法則が生まれた。
人間の体感にして6時間おきに、必ずトールの声が聞こえてくる、と。
「でも、今、現実世界で眠っている私には、トールから定期的に送られてくる”いつもの”信号はない。最初の6時間だけならまだしも、次の6時間が過ぎても来ないんじゃ、怪しむなという方が無理な話よ」
アリシア・テスタロッサの肉体は、植物のように動かない状態こそが“正常な姿”。彼女の体内に生成された結晶すら、そう認識している。
ならば、その意識は、“光も何もない空間で6時間おきにトールの声が届く世界”を自身のものと認識する。
ただ一人佇み、古いデバイスから母や妹、愛しい家族の近況を聞き、幸せな夢を想い描く。
それこそが、アリシア・テスタロッサにとっての世界だったのだから。
「でも、それじゃあ、この夢が覚めたら姉さんは………」
「元に戻る、ことはないと思うわ。あの状態で止まっていたことが奇蹟のようなものだから、次に身体が眠りにつけば、きっとそのままね。肉体は健全だとか、脳は生きているとか、そういう理論は別にして、何かこう、魂のようなものが死にたがっているの」
徐々に死に傾いていた器を、ジュエルシードの力で無理やり引き戻したような状態が今のアリシア。
だがそれは、静かに燃え尽きていく蝋燭の火を、最後の最後に人間が見える形まで燃え上がらせたに過ぎない。
強い火によって蝋がなくなれば、火が消えるのは至極当然の理であった。
「そんなの、そんなの嫌だよ! せっかく! せっかく姉さんと一緒にいられたのに! 家族皆で過ごせたのに!」
「ごめんね、フェイト。でも、こればかりはどうしようもないの」
泣きじゃくるフェイトを抱きしめながら、涙を堪えつつ彼女は言葉を紡ぐ。
「でもねフェイト、貴女には友達がいるでしょう?」
「え――――?」
その時、フェイトの脳裏に白いバリアジャケットを纏った、優しい少女の姿がよぎる。
「ここは夢だけど、ナノハやスズカ、アリサと一緒に遊ぶ貴女は、紛れもなく本物だった。だからきっと、現実でも同じように笑えるわ」
「そんなの、そんなの無理だよ! 私が笑っていられるのは、姉さんがいてくれたから!」
「ううん、違うわ。フェイト・テスタロッサは優しくて元気な女の子で、私の自慢の妹なの。だから、お姉さんがいなくても、きっと大丈夫」
「………どうして、どうして姉さんも、リニスも、同じように言うの………そんな風に言われたら、断れないよ」
誰よりも家族を大事に想うフェイトだからこそ、そのように言われると頷くしかない。
アリシアは、人の心をモデル化するデバイスより、『高町なのはとフェイト・テスタロッサの精神はそのように出来ています。だからこそ、二人は親友になれるでしょう』という言葉を受け取っていた。
≪ホント、人を騙すことに関してなら、貴方は凄いわ、トール≫
心の中で、彼に感謝とも呆れともつかない想いを浮かべつつ、
「ごめんなさいねフェイト、でも、少しだけいいかしら?」
アリシアは、己の最後の役割を、成すべく動きだす。
「え?」
「これだけは、直に伝えなきゃいけない言葉があるの。すぐ戻ってくるから、少しだけ待っていて」
「ね、姉さん!」
「大丈夫、貴女にもまだまだ伝えたいことはあるから、すぐ戻ってくるわ」
その瞬間、転移魔法陣がアリシアの足元に現れ、その姿が消え去る。
その処理を行ったのは無論アスガルドであり、座標を彼に送ったのは、閃光の戦斧バルディッシュである。
一人残され、反射的に駆けだした主をいたわるように、シールドを展開して雨から守りながら。
彼は静かに―――――己の役割を果たし続けていた。
新歴65年 5月11日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 脳神経演算室 PM 1:38
ミレニアム・パズルの門である、8つの台座が円形に並ぶ脳神経演算室。
4人の姿が横たわるその部屋において、管制機である私は一人佇む。
中央制御室を離れたため、仮想空間(プレロマ)を管制する機能はほとんどオートになっていますが、バルディッシュからの情報によって、そのほとんどは把握できる。
ただ、もう既に舞台を設定する必要はなくなっているため、私の仕事は大半が終わっています。
そして今、そのうちの一人の少女が目覚めようとしていた。
「う、うーん」
『お目覚めになられましたか、アリシア』
「ええ、おはようトール、久しぶりね」
『はい、貴女もお変わりなく』
私の言葉に、アリシアは笑みを浮かべる。
私の身体も、今だけはかつて使用していた“動くだけ”の魔法人形。魔法も使えず、戦闘も行えず、時の庭園の端末と接続することも出来ない、一般家庭用の品。
「それでトール、私の身体のデータは取れた?」
『はい、“生きて動いているアリシア・テスタロッサのデータ”を記録完了。これにて、大数式の全てのパラメータは揃いました。最終計画、発動可能となります』
「そう、ところで、このまま動き続けるなら、私はどれくらい持つの?」
『既に、生成した結晶が貴女を“正常な状態”に戻そうと活動を開始しています。このまま鬩ぎ合いが続けば、30分程で貴女は死に到り、二度と目覚めないでしょう』
「止める手段は?」
『幾つかあります。ですが、どれをもってしても、貴女の時間を5年以上は奪うこととなるでしょう。そしてそれは、貴女の精神に死を与えるには十分過ぎる時間です』
「そうね、あそこにまた一人で戻るなんて、考えるだけで気が狂いそうになっちゃう」
人間は学習し、慣れるもの。
アリシアは“何もない”状況が17年続き、かつて人間として動いていた自分をほとんど忘れていました。
その状況に慣れてしまったからこそ、光も座標もない空間に一人で佇み、ただ私が送る信号を受信し、幸せな夢を想い描くだけの9年間に耐えられました、いえ、それもまた幸せの形の一つなのかもしれません。
ですが、再び幸せな時間を体験してしまった以上、次はもう無理でしょう。
今の彼女はジュエルシードの力で回復した、確固たる人間なのです。
“植物と人間の挟間”にあった彼女ならば過ごせた空間も、人間として蘇生した彼女にとっては地獄にしかなり得ません。
『貴女に謝罪します、アリシア・テスタロッサ。こうなることが分かった上で、私はこの桃源の夢を用意しました。我が主、プレシア・テスタロッサのために』
幸せな現在を知らず、現実との狭間で桃源の夢を思い描くだけの方が、貴女にとってはあるいは幸せだったのかもしれません。
ですが、それはプレシア・テスタロッサのためにはならないのです。貴女が幸せであろうとも、我が主のためにならないのであれば、私はその幸せを踏み躙る。
「謝る必要なんてないよ、トール。私もあのまま静かに夢を想うだけで植物のように消えていくよりは、幸せな記憶をいっぱいもらってから、人間として死にたいもの」
『それでもです。貴女を救えず、申し訳ありませんでした、アリシア』
そう、この言葉を私は貴女に伝えていなかった。
役目を果たせなかった以上、この言葉は必ずや伝えねばならぬものでしたのに。
そんな私の言葉に、外見よりもずっと精神年齢が高い少女は、優しい笑みを浮かべている。そんなことは気にするな、というように。
「ううん、謝らないでトール、この夢を見れて私は幸せだったから。だからそれよりも、私の願い、私の想いを貴方に伝えたいの」
『入力をお願いします。リトル・レディ』
貴女からの、最後の入力を。
「私は、他の誰よりもフェイトに幸せになって欲しい。私を助けようとすることで、フェイトに危険が及ぶなら、それはいらない」
『はい』
「母さんの想いはまた別だと思うけど、私の願いはそうなの。だから、最終計画の危険度が高いなら、行って欲しくはない。…………それに」
『貴女はおそらく、一人で眠ることとはならないでしょう』
「うん、きっとね……………私としては、母さんはフェイトと一緒にいてあげて欲しいけど、でも、嬉しいと思う気持ちもあるの、人間の心って複雑だから」
貴女の願い、確かに承りました。
しかし―――
『了解しました。ですが、その願いを果たせるかどうかは分かりません』
「そうよね、貴方は母さんのためにしか動かない」
はい、貴女のために動くという命題は、プレシア・テスタロッサのための命題があるからこそのものです。
例え貴女が死ぬことを願っても、我が主がそれを望まないならば、私は貴女を決して死なせない。
逆に、貴女が生きたいと願っても、我が主がそれを望まないならば、私は貴女を殺害するでしょう。
貴女もご存知のように、どうしようもなく融通が利かない旧式ですので。
『ただ、貴女がそう願ったことは、我が主の決定に大きな影響を与えるでしょう』
「貴女は―――――どう思う?」
『我が主は、貴女と共に眠りにつく可能性が最も高いと計算しています。そちらに関してはパラメータが揃いきっていませんので、明確な数値は出せませんが』
「じゃあ、最終計画は?」
『成功確率、2.7%、目的の達成こそならないものの、特に被害は出ない確率、4.6%、次元断層が発生し、第97管理外世界ごと、全てが無に帰す可能性が92.7%』
「分が悪い、どころの話じゃないわね。でも、0じゃない」
『ええ、0でない以上、私が諦めることはあり得ません』
私は、デバイスですから。
「でも、やっぱり私としては遠慮してほしい。ただ、だとしても、駄目な母子だけどね、私達。大事な妹と娘を一人残して、二人だけで遠くに旅行に行こうとしてるなんて」
いいえ、そのようなことはありません。
貴女は、フェイトにとって最高の姉ですよ。
自嘲は、母子そろって悪い癖のようです。
『いいえ、貴女はフェイトにとって最高の姉ですよ。そして、その時は私が代わりにフェイトを見守りましょう。彼女が成長し、大人になるまで、彼女を一人にはいたしません。貴女は主と共に、どうかご旅行をお楽しみ下さい』
「………ありがとう、でも、まだ伝えきれてないことがあるから、フェイトのところへ戻るわ」
『分かりました。送りますので、台座に横になって下さい。ただ、最終計画が発動した場合は叩き起こすことになりますので、ご容赦を』
「そっか、時の庭園の全ての動力を使っちゃうから、ミレニアム・パズルが維持できなくなるのね」
『はい。ただ、そちらにはバルディッシュがいますから、連絡はいつでも取れます』
そして、私は“ミレニアム・パズル”の再起動の準備を進める。
とはいっても、確認程度のもので、後は実行命令を下すだけなのですが。
「それじゃあね…………いつかまた会いましょう、トール」
『はい、いつかお傍に参ります、アリシア。主と共に、お元気で』
それが、トールというデバイスが、アリシア・テスタロッサと最期に交わした言葉であり―――
彼女のために機能するという大きな命題が、終了した瞬間でありました
ですがまだ、私の命題は終わらない。
私に課せられる最期の命題はどのようなものとなるのか――――
『入力をお願いします、マスター』
あとがき
無印もいよいよ最後まで来ました。ここの辺りはどう纏めるかでアイデアがいくらでも浮かんできて、逆に苦労し、葛藤と苦悩の果てにこのような形となりました。
バルディッシュが逆に“裏切り者”となり、フェイトの願いを受けて真実を教えるケースや、残されていたリニスの記憶が伝えるなど、本当に様々なアイデアが浮かんでくるのです。
私に文才があればその辺を全て複合させた結末を書けるのですが、あいにくと理系の人間なもので、アルゴリズムの構築やプログラミングは出来ても、人間の感情の表現なると、途端に駄目になってしまいます。(私がデバイスを主人公としたのも、そのあたりが理由です)
ですが、次回で無印も最終話。トールに課せられる最期の命題はどのようなものとなるか、それによってA’S、StSの内容が大きく変わるため、本作品最大の分岐点にして、旧いデバイスの物語のクライマックスとなります。
それと、以前感想返しに書きましたが、トールの行動をずっと見て(実際には”見て”はいませんが)いてくれたのはアリシアでした。
旧いデバイスの物語はどのような結末を迎えるのか、願わくば、皆が笑顔でいられるような結果でありますように。
それでは、また。