第三十三話 追憶
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 中央制御室 PM9:04
時刻は既に夜中。
現在、時の庭園は次元空間にあるため昼も夜も本来ならばありませんが、時の庭園内部の照明の調整によってアルトセイム地方の時刻と合わせている。
時差というものはあらゆる次元世界に共通する概念であり、それを解決する方程式はいずれの世界であっても数学者達によって組まれている。そして、アスガルドがその式を実行することで時の庭園にも朝と夜が訪れる。
『とはいえ、フェイトは既に眠っていますね。明日の早朝が決戦であることを考えれば当然と言えますか』
明日、新歴65年5月9日はフェイトの人生においてとてつもなく重要な意味を持つ日となるでしょう。そして、明後日の5月10日はそれ以上に。
ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、しかし、大数式がその解を示す時は近づいている。
果たして、彼女の願いは叶うでしょうか。
【貴方はどう思います? アスガルド】
【願えば叶うならば、数式の必要性は皆無】
ああ、何とも貴方らしい答えだ。貴方は時の庭園の中枢を担うスーパーコンピューター、ただ求められた演算を行うことが貴方の命題なのだから。
【意味のない問いでした。まったく、柄にもなく感傷的になっているのかもしれませんね】
【貴方は正常です】
【はい、そうでしょうとも。さて、アスガルド、私の管制機械をここに転送して下さい】
【了解】
フェイトは既に眠っていますが、アルフは眠れないのか、庭園の内部を散策している。
その箇所の全てが特にリニスとの思い出が強く残る場所であるのは、決して偶然ではないのでしょうね。
そして、我が主は未だに目を覚まさない。恐らくあと3~4時間ほどで目覚めると考えられますが、少なくともアルフが寝付くまでに起きることはないでしょう。
『ふむ、アルフが思い出の場所を辿るならば好都合。一度、あの場所を彼女に見せておいた方が都合が良いとは思っておりました。これも保険の一つですかね』
さて、それでは道化の仮面を被り、あの場へ向かうと致しましょう。
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 秘密の部屋 PM9:37
ここは時の庭園内部に幾つも存在する秘密の部屋の一つ。
アルフが向かうであろうリニスとの思い出の場所、その近くにある建物の柱に隠されたスイッチを押すことで壁の一部が開くという実に古典的な仕掛け、しかも、魔力を使っていない。
「これもまた、工学者の悪戯心というやつかね。魔力サーチに一切引っ掛からない仕掛けを工房の内部に作るとは」
通常、隠したいものがあれば、それを隠すために高度なジャミングや隠蔽用の術式を組むのが魔導師というもの。
だが、時の庭園の隠し部屋の多くはそういった魔法術式によって隠されているが、それを隠れ蓑に一切魔法術式を使わない秘密の部屋が存在する。
ここはその一つであり、プレシアですら存在を知らない部屋。改造を行ったシルビア・テスタロッサですら作った半年後には忘れていた曰くつきの部屋だ。
「そして、時の庭園の中枢コンピューターである“アスガルド”すら知らないんのだよな。これを知るのは“ユミル”というデバイスと、その記録を受け継いだ“トール”だけ」
そんな都合の良い空間だけに、俺しか知る必要のないデータを隠すにはもってこいだ。
だが―――
「いったい、こりゃなんだい――――」
アルフが遠くから俺の姿を目撃できるタイミングに合わせ、俺はこの部屋の入口を起動させた。
全てのサーチャーと俺は繋がっているのだから、その程度は容易い。
「くぉらアルフ、人の後を尾行するのは褒められたことじゃないぞ」
「人って、アンタはデバイスじゃん」
「Oh! これは一本とられたな」
だがまあ、会話はいつも通り、アルフもそんな俺の対応に安心したのか、緊張感がなくなっている。
「で、何なんだいここは?」
「簡単に言えば隠し部屋という奴だ。恥ずかしい過去の負の遺産などを隠すために作られたものだが、今は俺が使っている」
「アンタに隠したい過去なんてあったのかい?」
ああ、その疑問はもっともだ。
「ないな。というわけで、別の人物の秘密をこうして保存しているわけだ」
その瞬間、俺は専用チャンネルを用いて照明に指示を出す。“点灯せよ”と。
ならば当然、これまで薄暗かった部屋が照らされ、部屋の壁などの情景が把握できるようになるわけだが―――
「ぶはっ!」
そこに飾られているのは、プレシア・テスタロッサ18歳による、初体験の光景である。なお、アリシア製造の瞬間となったのはここではない。製造作業の記念すべき第一回ではあるが。
そして、初体験のみに非ず、第二、第三の光景も続くように飾られている。
「な、な、な………」
顔を真っ赤にしつつも、そこら辺をチラ見するアルフ。やはり、興味はあるようだ。
「どうよ?」
「あ、あ、あ………」
だが、パニック状態に陥っていた脳が徐々に再起動を始めた模様。だらりとしていた手が徐々に拳を形成し始める。
「どーよ?」
「“どーよ”、じゃないだろおおおぉぉぉ!!」
絶叫と共に繰り出される右ストレートを華麗に躱す。
「あんた馬鹿!! いや、馬鹿だったよね!! なに考えてんだああぁぁぁ!!」
「そりゃお前、主の成長記録をつけるのはデバイスの役目だろう」
「違う!! 絶対違うそれ!! 間違ってもバルディッシュはフェイトの成長記録なんてつけてないからあああぁぁぁ!!!」
いやしかし、よく叫ぶな。
「てかこれ、どーやって記録したんだよ!!」
「以前に処刑場で言っただろうが。プレシアは俺を化粧台の上に置いたままアリシア製作に励んでいたと」
「あ」
「主を見守るのはデバイスの務め。そーいうわけで、俺は記録をしっかり撮っておいて、こーして秘密の部屋に保存しているわけだ。流石にフェイトにはまだ見せられないが」
「そーいうわけで、じゃないっての。まったく、こんなの絶対フェイトに見せらんないじゃないか」
「アリシアもなあ、誕生日プレゼントに妹が欲しい、なんて言ってプレシアを赤面させていたもんだよ。子供としては何でそこで赤面するのか分からなかっただろうが」
当然、俺もその場にいた。
母子二人だけの水入らずの空間も、俺だけは例外だった。なぜなら俺は、デバイスだからな。
お出かけの時には俺はアリシアの首にぶら下がるペンダントだった。万が一道に迷ったりしても、俺がすぐにプレシアに知らせられるようにと。発信機と通信機の役割を兼ねていたわけだ。
「だろうよ。ってか、分かって欲しくないよ」
「ふむ、それを理解できる4歳児というのも末恐ろしいな」
とりあえず、フェイトにはそういうことはなく健やかに育っている。それは喜ぶべきことだろう。
「というわけでだアルフ。このジュエルシード実験が終了したら、一度は時空管理局本局による査察というか、検査が入るのは避けられない。その時はお前がこの部屋を案内するように」
「絶対御免だよ!!」
「仕方ないな、じゃあフェイトに教えておくと――――ぐぇ」
「ア・ン・タがやればいいだろうがあああぁぁぁ!! つーか、それ以前にこんなもんは燃やしてしまえええぇぇぇ!!」
『ふざけないでください。マスターの写真を燃やすなど、私に出来るわけがないでしょうに』
「ふざけてるのはお前だああああぁぁぁ!! いきなりデバイスに戻るなああぁぁ!!」
『……………疲れませんか?』
「疲れる。すごーく疲れるねぇ、これって、誰のせいだろうねぇ」
うむ、目がやばくなってきた。そろそろ危険水域に入りそうだ。
「分かった。とりあえずここのことは“アスガルド”に入力しておいて、時空管理局の局員に勝手に参照してもらうとしよう。その結果として精神的ショックを受けても自己責任ということで」
アースラの局員には若い女性も多くいたが、そこは気にしない方向で。
「御免よ、アースラの皆、あたしにはこの馬鹿は止められない。運が悪かったと思って諦めておくれ」
「まあ、せめてもの情けだ。目を黒線で覆う作業とモザイク処理はしておくとしよう」
「なんか逆効果な気もするけど…………まあ、アンタの好きにしな」
もの凄い疲れた表情で、アルフが踵を返す。
「もういいのか? この先には道具を用いた●●●や、●●●●をしての●●プレイや、●●●での●●●●などもあったりして、一見の価値ありだぞ」
「いい、遠慮しとく」
この空間に長居したくないのか、振り返りもせずにアルフは去っていった。
そして、俺一人だけが残される。
『ふむ、まあこんなものでしょうかね』
予定通りであり、計画通り。 ダメですよアルフ、嘘つきの言葉を鵜呑みにしては。
私が秘密を漏らすことなどあり得ませんので、管理局員が時の庭園の秘密を探ろうとするならば搦め手から、フェイトやアルフに気になっている場所や、立ち入りを許されていなかった場所はないか、とさりげなく尋ねることでしょう。
とはいえ、純粋なフェイトはそのようなことは気にしませんし、彼女にとって重要なのはリニスと共に遊んだ場であり、訓練を行った場であり、そして何より、我が主と共に過ごした空間です。
そして、アルフは時々疑問を持つこともあったでしょう。私がフェイトに対して隠し事をしているのは知っていますし、私の後を尾行したのもそのような背景があってのこと。
しかし、彼女の精神の中にはこうして楔が打ち込まれた。“立ち入り禁止区画、もしくは隠し部屋には碌なものがない”と。そして、それを裏付けるように、捜査官ならば発見できるような隠し部屋にはここと同様の品々、緊縛用の縄や、●●用の品々が保管されている。当然、全て私が用意した捏造の品々ですが。
まともな感性を持つ局員ならば、これらの部屋をこれ以上詳しく調べようと思うものはいないでしょうし、捜査官としても優秀であろう、クロノ・ハラオウン執務官を遠ざけることができるのが何よりも大きい。16歳のエイミィ・リミエッタも同様に。
唯一の例外はリンディ・ハラオウンですが、彼女もこれらの写真は自分の過去を見るようで直視したくはないでしょうし、そもそも艦長である彼女が直接やってこれるはずもない。
故に――――
『SMプレイの写真の裏に、スイッチが巧妙に隠されているなどとは、誰も想像できますまい』
これを考案し、偽装したのは私である。
隠し部屋の中にさらに隠し部屋を、という発想自体は珍しいものではありませんが、本来隠すべきものの中にスイッチを隠すというものは人間には容易には想像つかない。
『人間ならば、自分と夫のSMプレイの写真の後ろに、隠し部屋の入り口を開くスイッチを隠したりはしないでしょうからね』
この時の庭園はテスタロッサ家の所有物であり、現在の所有者はプレシア・テスタロッサ。
故にこそ、この写真の裏に彼女にとって都合の悪いものが隠されているなどとは誰も思うまい。そもそも、この写真こそが他人に見られたら都合の悪いものの筆頭なのだから。
地上部隊ならともかく次元航空部隊はこの手の細かい捜査は得意ではないから、まず捏造品とは分らないでしょう。元となるデータは私の中にちゃんとあるのですから。もっとも形にするつもりなどは皆無ですが。
『しかし、フェイトの将来にとって都合が悪いかどうかは別の話です。この写真が管理局員に見られたところでフェイトには何の影響もありませんが――――』
この先にあるものは、彼女の未来に影響を与えずにはいられない。
私はスイッチを起動させ、隠し階段を降りていく。
その先には、大量のカプセルと充満された保存液。そして、人型や人間の臓器、さらにはリンカーコアが浮かんでいる。
『これらの存在を知る存在は、時の庭園に私だけ。アスガルドですら全てを把握しているわけではありません』
私は嘘吐きデバイス。フェイトになれなかった“できそこない”は全て埋葬しているとリニスには伝え、主はそもそも、このことを話題に挙げたことはない。
フェイトを生み出すために2000を超える生命を犠牲にしている。それは、主にとって考えてはいけないことの一つなのでしょう。故に、私も話したことはありません。
都合の悪い証拠は始末した方が良い、その観点から考えればこれらは早急に処分するべきなのですが。
『デバイス・ソルジャー製造法を確立するための試験体として、これらは有用だ。EランクからBランクまでのリンカーコアが揃っており、魔力資質を持つ肉体と魔力資質を持たない肉体が共にある。さらに、無機物と置換する設備も整っており、“リアファル”を完成させるには最適の素材といえる』
私達が開発してきた生命操作技術は全て対象がアリシア・テスタロッサに向けられていた。
そして、その技術を応用して異なる製品を作り上げるならば、そのためのプロトタイプとしてアリシアクローンの出来そこない以上に利用しやすいものはない。何しろ、データが豊富なのですから。
『申し訳ありませんマスター。私は貴女に嘘はつきませんが、隠していることは山ほどある』
不忠というならばこれは不忠でしかない。されど、忠誠を尽くすことで“プレシア・テスタロッサのために機能する”という命題が果たせなくなるならば、忠誠などに価値はありません。
しかし――――
『主に隠し事をするというのは、気分が良いものではありませんね。稼働年数がどれほど長くなろうとも、こればかりは慣れることがない』
ですから、バルディッシュ、レイジングハート、貴方達は主と共に歩んで行きなさい。
私のように主の影として尽くすこともデバイスの道ならば、主と共に駆け抜けることもデバイスの道なのです。
そこに優劣はない。全ては、命題によって決まる。
私の命題はただ一つ、“プレシア・テスタロッサのために機能すること”。
“フェイト・テスタロッサが振るう剣となること、その身を守護する盾となること、そして、彼女の進む道を切り拓く閃光となること”、それがバルディッシュの持つ命題。
“高町なのはを支える杖となること、あらゆる壁を乗り越える風となること、そして、彼女に不屈の心を宿す星となること”、それがレイジングハートの持つ命題。
『貴方達の命題は私の命題とは異なります。共通する部分も多くありますが、やはり別物だ。故に、貴方達は星となり、閃光となりなさい』
大数式の解の一部は、明日に出る。
二人の少女のどちらが勝つかは重要ではない。重要なのは二人が全てを出し切れるか否か。
それさえ果たされれば後は―――
『!? マスター!』
マスターが、お目覚めになられた。
早い、演算ではあと数時間はかかるはずでしたが。
もしや―――
【アスガルド、直ちにマスターの寝室のスキャンを行い、主の生体データを綿密に調べ私に転送を、私は直ぐに主の下へ向かいます】
主の身に、予想外の事態が生じた可能性が―――
【了解】
通信を受けつつ私は駆け出す。しかし、焦りは禁物。デバイスである私が慌てるようでは話にならない。
『いついかなる時もただ演算を続けよ。動揺することは人間の特権であると心得よ』
それが私だ。私はデバイスなのだ。
焦ることなどない、そんな過ちは、ただの一度で十分過ぎる。
『そう、私があの時、焦らなければ、アリシアを救えていたかもしれないのですから』
過去を悔むことに意味はない。しかし、過去を教訓とするからこそ人もデバイスも前に進める。
学習機能とは、そのためにある。
『直ぐに向かいます、マスター』
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 主の寝室 PM10:14
私が駆けると同時に、時の庭園に存在する全ての扉は自動で開いていく。
私は時の庭園の管制機であり、アスガルドと電脳を共有している以上、時の庭園のほぼ全てを操作することが可能である。
そして、私はアスガルドからのスキャン結果を解析しつつ、主の部屋へとたどり着いた。
解析結果は、ある症例の発症を示唆している。
『マスター、私はここにおります』
「あぁ……? トール……?」
主は、ベッドの上に上体のみを起こした姿勢で、両手で自身を抱くようにしながら震えていた。
『ここは時の庭園です。そして貴女は我が主、プレシア・テスタロッサ。リニスの創造主にして、偉大なる工学者。そしてアリシアとフェイト、二人の娘の母親なのです』
「フェイト? 私の娘はアリシアだけよ?」
『いいえマスター。アリシアの言葉を忘れましたか? 私は確かに記録しております。アリシアが誕生日プレゼントに妹が欲しいと願い、貴女は指切りをして約束なさいました。そしてその約束は確かに果たされ、20年もの長き時間を経て、二人目の娘、フェイトが生まれたのですよ』
「そう……だったかしら」
『ええ、そうです。私は貴女に嘘をつきません、マスター。貴女が5歳の時から私は貴女を見て来ました。貴女に関することで私が知らぬことはありません。私は、貴女のためだけに存在するデバイスなのです』
「ええ、それは分かっているわ。貴方は私の自慢のデバイスだもの」
『ありがとうございます』
徐々に、主の目に理性の光が戻り始めた。
「ああ………そう、そうだったわ。まったく、駄目な母親ね私は。過去の夢を見たくらいで、大切な娘のことを忘れてしまうなんて」
『いいえマスター。忘却は人間の持つ優れた機能の一つです。それが働くことは当然であり、もし問題があったとしても、私が記録しています。必要ならば、いついかなる時の記録も瞬時に再生して見せましょう』
「慰めになっていないわよ、トール。もう少し人間らしい励まし方を学習しなさい」
『申し訳ありません。善処します』
「だけど――――ありがとう。貴方のおかげで私は正気を保っていられる」
『かもしれません、フェイトやアルフは当然として、リニスですら不可能でしたから』
彼女らにはこの役は出来ない。これは、私にしか出来ないことなのです。
「いつだったかしら、私とリニスが大喧嘩したことがあったわね」
『ありましたね、あれは、フェイトが生まれてより158日程経ったある日のことでした』
フェイトが生まれてより、我が主は研究のみではなく僅かながらフェイトのためにも時間を使うようになりました。
しかし、その割合が大きく変化したのはあの日からですね。
「どんな感じだったかしらね」
『映像と音声を再生することならば可能ですが、いかがなさいます?』
「そうね、再生してみて」
『Yes,my master』
大型スクリーンを即座に起動させ、アスガルドに指示を出し、時の庭園の記憶装置より当時の記録を再生。
≪プレシア! 研究が忙しいのは分かりますが、もう少しフェイトとの時間を作ることは出来ないのですか!≫
≪何かしら、リニス?≫
≪要件なら今言った通りです! アリシアのための研究を進めねばならないのは分かります。しかし、それこそ私やトールでも進められるはずでしょう! フェイトに母としての愛情を注いであげられるのは貴女だけなのですよ!≫
≪そんなことは分かっているわ≫
≪いいえ、とてもそうは思えません。どんなに貴女が研究を進めても、失った時間は帰って来ません。まして、そのためにフェイトのために与えられるべき時間が失われてよいはずがありません!≫
≪貴女に、何が分かると言うの!≫
≪!? プレシア……≫
≪私と、アリシアの………何が分かると言うの!!≫
【分かります。全てが】
≪!?≫
≪トール………≫
【リニス、下がりなさい。貴女の言葉はマスターの精神に悪影響を与えます】
≪で、ですがトール≫
【下がりなさいリニス。これ以上の口答えはマスターへの造反と見なし、時の庭園の全機能を持って排除することになりますよ】
≪………分かりました≫
映し出される大型スクリーンの中で、リニスが立ち去る。その表情からは困惑よりもむしろ驚愕が多く見受けられる。
そう言えば、私のデバイスとしての姿をリニスに見せたのはこれが最初でしたか。
【マスター、あまり興奮されてはお身体に障ります。どうかご自愛ください】
≪………ねえ、トール≫
【はい、何でしょうか】
≪私は、いつも仕事ばかりで、あの子に何もしてあげられなかった≫
【いいえ、それは違います】
≪どうしてそう言いきれるの!≫
【お忘れですか? アリシアと共に過ごした時間は、貴女よりも私の方が長いのです、フェイトと共に過ごした時間がリニスの方が多いように。私から見れば今も昔も変わっておりません、とても不器用ですが、しかし、誰よりも娘達のことを愛していらっしゃいます】
≪そう………かしら≫
【ええ、貴女のことが大好きという点では、アリシアもフェイトも変わりません。それに、確かにアリシアは寂しい想いをすることもあったでしょうが、貴女が思うほど孤独感を感じていたわけではありませんよ】
≪どう……して?≫
【私は管制機であり、デバイスを操る。そして、貴女は常にストレージデバイスを身に着けていた。私は常に貴女の傍に在り、同時にアリシアの傍にもありました。私を通してアリシアは常に貴女を感じていたのですよ、いえ、その機能を私に付けたのは他ならぬ貴女です。マスター】
「もういいわ、大分思い出したから」
『了解しました。再生を終了します』
即座に私は指示を出し、スクリーンが消える。
「まったく、我ながら情けない限りね」
『そのようなことはありません』
「じゃあ聞くけど、貴女はさっきの映像と同じ説明を私に何回行ったかしら?」
『………278回です』
「でしょう、何度同じことを言われても私はすぐに忘れてしまう。いいえ、忘れようとしてしまう。あの事故の時から、私の時間は止まったまま」
『いいえマスター、貴女の時間はたしかに進んでおります。もし貴女が止まったままだとするならば、今頃貴女は生きておりません』
「……そうね、そうだった。現在を失ってしまった私が、プレシア・テスタロッサとして生きていられるように、貴方がずっと隣で支え続けてくれたのだから」
『デバイスが主を支えるのは当然のことです』
「でも、本当に感謝しているのよ、トール。アリシアを一人残して仕事に出かけるのは私も辛かった。アリシアが一人で待っていることを忘れて仕事に集中することそのものが苦痛だった。だけど、貴方がいてくれたから」
『しかし、私は貴女の娘を任されながら、守りきることが出来ませんでした』
「それでもよ。貴女がいてくれたから、最悪の事態だけは回避できた。アリシアが助かる希望があったから、私は何とか正気を保っていられる。あの子、フェイトに愛情を注ぐことが出来ている」
『貴女は彼女らの母親です、例え誰が何と言おうとも。アリシアもフェイトも貴女を母と想い、慕っている。ただそれだけで、貴女が母である証としては十分過ぎるほどでしょう』
「母親か………そうだわトール。フェイトと例の子、高町なのはの二人はどうなっているの?」
『そちらは予定通りに進んでおります。後は貴女の目覚めを待つだけだったのですが』
「私が予想以上に早く目覚めてしまったわけね。少し、過去の夢を見たのが原因なのでしょうけど」
『あの時の事故の夢ですね、私の配慮が足りませんでした。ジュエルシード実験という次元断層の可能性すらある大きな実験の実行の時が迫っている。ならば、貴女の心にかかる重圧は相当なものになることなど、計算できたはずですのに』
「トール、貴方のリソースも限られているのよ。フェイトのこと、ジュエルシード実験のこと、アリシアのこと、その全てを同時に演算しながら私の精神状態のことまで考えていては貴方の電脳が壊れてしまうわ」
『問題ありません。マイスター・シルビアが設計し、貴女が完成させたシステムが管制機“トール”なのです。本来自己にかかる負荷を他の機械に肩代わりさせる手管ならば誰にも負けは致しません』
「まったく、頑固ね貴方は。一体誰に似たのかしら?」
『さて、誰なのでしょうか』
これは、テスタロッサのデバイス全員に共通する悪癖のようですね。今は亡き弟達も、最後の弟であるバルディッシュも、少しは妥協というものを知ればよいのですが。
「ともかく、全ては順調に進んでいるということなのね」
『はい、大数式のパラメータの設定は終了しました。どのような解が出るかは、フェイトと高町なのは次第です』
「じゃあ、例の設計図も渡したのね」
『肯定です。マイスター・シルビアの予想は見事的中。レイジングハートの持つ命題は、バルディッシュのそれに良く似ておりました』
「そう、人の世の縁というのも奇妙なものね」
『その通りです。人が何かに願いを託す時、現在確認されている力を遙かに超えた“何か”にアクセスしているのかもしれません』
「ふふふ、『運命』のことを『大数式』何て言ったり、もう少しロマンチックな言い方は出来ないものかしら。」
『汎用人格言語機能を用いるならば可能かと。しかし、私自身の言葉ではこの程度が限界でしょう。これでも学習はしているのですが』
汎用人格言語機能とはすなわち、デバイスの思考を人間に合わせるOSを言語というコミュニケーション機能に拡張させたもの。
これが優れているからといって、私の人間を理解する性能が向上したとはいえません。あくまで、翻訳が上手いだけに過ぎないのですから。
「やっぱり貴方は私のデバイスだわ、不器用なところまでそっくりみたいね」
『ありがとうございますマスター、その言葉ほど、嬉しいものはありません』
因子はすでに整っています。
我が主は目覚め、明日の予定を説明した後、さらに休息を取る時間も確保できることが可能でしょう。
そして、フェイトとバルディッシュ、高町なのはとレイジングハートもそれぞれ準備万端。後は明朝の決戦を待つばかり。
アリシアとフェイト、二人の娘に光を。
そのための演算は、今一つの解へと収束しようとしています。
最後の最後で手順を誤らぬよう、私の持つ全ての権能を演算に費やしましょう。
演算を―――続行します。
あとがき
今回はThe movie 1stのリニスとプレシアのシーンを少し変えて取り入れています。
プレシア・テスタロッサという女性が狂気に染まっていく過程を見ていると、もし、彼女とアリシアの全てを知る存在が彼女の傍にいたならば、違った結末があったのではないか。と考えたのがこの作品を書き始めた理由です。
私はハッピーエンドが好きですが、悲しい別れ(プレシア、リインフォース)を乗り越えつつ、不屈の心で前へ進む少女達の強さも、リリカルなのはという物語の根幹なのではないかとも考えており、結末の候補はいくつかあるのですが、かなり悩んでおります。
ですが、トールが作中で述べているように、例えどのような結末であろうとも、一つの物語の終わりと始まりがあることは間違いありません。
彼女らの願いが成就できるよう、頑張りたいと思います。