第三十話 収束する因子
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 中央制御室 AM0:04
日付が変わった頃、私はバルディッシュと共に、時の庭園の中央制御室へと足を踏み入れる。
既に傀儡兵の設置は完了し、“ブリュンヒルト”の防衛戦力は全て所定の位置へ。
別に明確な敵がいるわけではありませんが、試射実験である以上、敵がいることを想定して行程を進めるのは当然と言えます。
フェイトとアルフは海での疲れもあり、今は眠っている。
ただ、本日の夕食は我が主、プレシアが用意してくれたものであり、久々の楽しい晩餐となったようです。
『我が主ながら無理をする。貴方もそう思いませんか、バルディッシュ?』
『同意します』
『あの身体で夕食を用意するなど、無茶をするにも程があります。ですが、頑張っている娘に何かをしてあげたいと思うのも、また母の心なのでしょう』
『心、ですか』
『26年以上昔、アリシアが元気だった頃も、どんなに仕事が忙しくとも娘のご飯は全て作っていましたし、夜はいつもアリシアと共に眠っていました。そして、娘が完全に寝付くとベッドから抜け出し、仕事を再開するのです』
『プレシアがいない時に、アリシアが目覚めてしまった場合は?』
『それはありえません、そのために私がいたのです。私はアリシアの脳波を観測し、彼女がレム睡眠であるか、ノンレム睡眠であるかを常に把握しており、彼女が目覚めそうになればマスターに連絡を取るのです。もしくは、マスターの音声を用いて“母さんは一緒にいますよ”と囁くかですね。それ以外にも、彼女が病気などにかからないように体調を把握することも私の役目でありました』
『………それでは、貴方はいつ休むのです? デバイスといえでも休眠状態をとる必要はあるはずです』
『主が無理をしているというのに、デバイスが休むなどありえませんよ。貴方とてそうでしょうバルディッシュ、フェイトが頑張っている横では休まないでしょう? そして少しでも主の負担を減らすために、私は“母のふり”を学び、実践することが多くなりました。それが今の私の機能へと繋がるわけですが、私に嘘を吐かれていたのは、アリシアもフェイトも変わらないということですね』
『しかしそれは例え嘘でも、優しい嘘だと思います』
既に、バルディッシュは中央制御室の端末と接続し、電脳を私と共有している。
私はこの時の庭園の管制デバイスでもある。故に、時の庭園と接続することは私と接続することと等しい。
『貴方は中央制御室に訪れたことはなく、中枢端末と接続した経験もないのでしたね』
『はい、私にとっては最初の経験となります。しかし、本当に私に貴方の代行が務まるのでしょうか?』
ジュエルシード実験、及び試射実験の残る作業は、“クラーケン”が生み出す魔力を傀儡兵や“ブリュンヒルト”にどのように振り分けるか、その調整のみ。
この作業は当然私が行いますが、もし不測の事態が生じて私が動けなくなれば、それを代行するのはバルディッシュしかありえません。
彼はフェイトのために作られたインテリジェントデバイスであるため、管制能力は私に比べて数段劣りますが、その場で必要とされるものは管制能力ではない。
なぜなら―――
『ええ、問題はありません。時の庭園内部ならば、彼の助けがありますから』
『彼?』
では、対面と行きましょう。
『時の庭園の管制機“トール”より中枢ユニットへアクセス。管制人格の起動を命じます』
【了承】
ホログラムが出現し、同時に薄暗かった中央制御室全体に明るさが満ちていく。
『これは………』
【中央制御室へようこそ、私は時の庭園のマザーコンピューター、“アスガルド”。使用目的を入力して下さい】
『“クラーケン”の起動を命じます。動力炉の出力は40%で維持するように』
【了解】
時の庭園の中枢。次元世界でも有数のスーパーコンピューターが高速演算を開始する。
その演算速度、記憶容量たるや、一介のデバイスに過ぎない私の及ぶところではない。私はこの時の庭園の管制機ではありますが、独立した一個のデバイスでもある。
大型コンピュータの規模や性能については、この数十年、目立った進歩はありません。
旧暦の時代に素子の開発が原子単位にまで及んでおり、魔道力学の分野では物理的な問題から、これ以上の大規模化や高速化は難しくなってきている。
むしろ、性能を維持したまま如何に小型化するか、もしくは耐久性や整備性、そして安全性、新歴以降はそれらの方向に総合的な技術そのものが発展してきている。
大量の魔力エネルギーを生み出すだけならば、次元航行艦や大規模工場で使用される動力炉が旧暦の時代から存在していますが、それを如何にコンパクトに纏めるかは別の技術。個人での携帯が可能であり、魔力を一時的に増幅させるカートリッジなどは最たるものでしょうか。
大量生産、大量消費、そしてあらゆるものの大規模化、それが旧暦末期の戦争時代の次元世界を象徴するものであり、新歴時代はそれらからクリーンな方向を目指すところから始まったわけです。
故に、再利用性や環境への被害の少なさが、製品を評価する際の大きな基準となる。どんなに高性能なデバイスであっても、製造過程で汚染物質を排出するようなものは、今の時代で製品化されることはあり得ない。
その結果、大戦争時代のさらに前、将が戦場で活躍し、個人の武勇を競っており、それ故に環境に優しかった頃の古代ベルカ時代の技術が再び顧みられているのも皮肉な話です。
最も、古代ベルカ時代も末期となれば、大地は血に染まり、空は灰色であったという話ですが。
技術としての発展具合ならば旧暦の後期は古代ベルカ時代よりも進んでいたのかもしれません。しかしそれは、それぞれの世界の資源を食い潰し、ただひたすら人間社会を肥大化させるだけの技術に過ぎず、戦争と悲劇を次々に生み出し、人々に幸せをもたらす技術とはならなかった。
テスタロッサ家は全員が全員というわけではありませんが、数多くの技術者を輩出してきた家系。そのため、技術に対する訓戒などは数多く伝わっており、我が主はそれらに囲まれながら生きてきた。
そういった意味で、彼女は生粋の“技術者”なのでしょう。
そして、彼女の住む時の庭園には“セイレーン”のプロトタイプと呼べる次元航行エネルギー炉があり、“クラーケン”はそれに後付けされる形で追加された。
その結果、現在の時の庭園は次元航行用の炉心である“セイレーン”と、ブリュンヒルトの炉心である“クラーケン”が混在している。二つの炉心があるわけではなく、一つの炉心が二つに区分けされているというべきか。
本来ならばありえず、非効率的なはずの設計ですが、ここはテスタロッサの家。
シルビア、プレシアの二代の天才工学者が工房としたこの庭園は、一般の基準で考えられる機構ではないのです。
『驚きましたか、バルディッシュ?』
『はい、マザーコンピューターの存在は知っておりましたが、管制人格を搭載しているとは知りませんでした』
『そうでしょうね、実は貴方のマイスターであるリニスも、かなり長い間知らなかったのですよ。それに、彼女が“アスガルド”と会ったのは2度しかありませんでしたから、忘れていたかもしれません』
『なるほど。しかし、“クラーケン”は時の庭園のエネルギー動力炉ではないのですか?』
『ええ、そうであり、そうでないとも言えますね。現在の時の庭園は“セイレーン”と“クラーケン”を足し合わせた動力炉を備えています。このうち、次元航行には“セイレーン”の部分のみが使用され、ブリュンヒルトの発射には“クラーケン”の部分のみが使用されます』
『その他の施設や、傀儡兵などは?』
『それらは両方を炉心とします。片方のみが稼働している状況もあれば、両方が稼働している状況もある。最近は“セイレーン”が稼働することが多くなっていましたが』
『なぜそのような複雑なことを?』
『その疑問はもっともです。簡単に言えば、二つの炉心は共振しているのですよ。ジュエルシードが共振することで魔力量を爆発的に増やすように、“セイレーン”と“クラーケン”も互いの出力を高め合う。共振を用いて臨界起動を行えば大規模次元震すら起こせますね、ただ、指向性を持たせるような器用な真似は出来ませんが』
『なんとも……』
感嘆しているのか、それとも呆れているのか。
このシステムを実際に使用している次元航行艦や、機関工場などは存在しない。
なぜならば―――
『これは、かつて我が主が開発していた新型次元航行エネルギー駆動炉“ヒュウドラ”が備えるはずだった機能です。彼女の理論には誤りはありませんでしたが、その運用には細心の注意と最新の技術が必要とされました。彼女の研究チームはそれを備えていましたが、アレクトロ社の上層部は安全性を考慮せずに開発を急がせ、あの事故が起こったのです』
『アリシア・テスタロッサが、脳死状態となった事故』
『二つの炉心を作るのではなく、一つの炉心でありながら二つの高密度の魔力結晶体を備える。ジュエルシードには及びませんが、次元航行艦の炉心というものは中枢となる魔力結晶体を備えています。しかし、一基の動力炉には一つの魔力結晶体が基本であり、“ヒュウドラ”はそれを覆す新型次元航行エネルギー駆動炉となるはずでした』
『天才工学者の名は、伊達ではないのですね』
『ええ、この分野にかけてならばプレシア・テスタロッサを上回る工学者はいないと私は認識しています。しかし、理論は完璧であっても、その機構を実際に組み立てる人間は完璧ではあり得ない。そして、“ヒュウドラ”は中規模次元震を引き起こし、この技術は危険なものとして今でも使用されておりません』
『では、後に彼女が開発した“セイレーン”とは?』
『我が主曰く、“従来のものをバージョンアップしただけのもの”だそうです。天才的な閃きではなく、管理局に蓄積されてきた技術を結合する形で作り上げたものであり、“私でなくとも数年後には誰かが作っていただろう”と良く言っていましたよ。まあ、特許や利権は早い者勝ちですがね』
つまり、“ヒュウドラ”と“セイレーン”は全くの別物。
“ヒュウドラ”は天才の閃きより生まれたものであり、世の中に広まらなければ、その天才と共に滅びる技術。その性質は芸術に近いものがあるのかもしれません。
“セイレーン”は積み重ねられてきた技術の結晶、それ故に、いつか誰かが作り出す。本来、エンジニアが作るものとはこういったものであるべきと定義されている。
技術とは、社会のニーズに応じて向上するもの、社会に還元されない技術には意味がない。
『そして、現在の時の庭園は“セイレーン”と“クラーケン”によって“ヒュウドラ”を再現しているのですね』
『ええ、これもある意味で過去との決別なのでしょう。彼女は母であると同時に工学者であり、自分が作り上げた機構を“不良品”とされたままでは死んでも死にきれない。彼女がプレシア・テスタロッサである由縁です』
『ですが、これは果たして一般に広まるでしょうか?』
『恐らくないでしょう。確かに生み出されるエネルギーは凄まじいものの、事故の際のリスクも跳ね上がる。管理局のような組織ならば、安全性で勝る“セイレーン”のみを使用するでしょう。これはあくまで、テスタロッサの家である時の庭園のみが備える機構であればよいのです』
『つまり、彼女でなければ使用が難しいということですね』
『我が主も、“これは自己満足に過ぎない”と言っておりました。この分野に限らず、天才の作る作品というものは基準を底辺に合わせないものが多い。理論は完璧ではあれども、現実の人間は完璧でない故に、それを活用することができない。過ぎたるは及ばざるがごとし、ということです』
『貴方ならば、活用できるのですね』
『私が完璧などとは間違っても言えませんが、私がそのためのシステムであることは事実ですね。最初は我が主の魔力を制御するため、次はアリシアの相手をするため、そして、あの事故の後は、時の庭園の管制と、彼女を現実と繋ぐこと、そして彼女の娘の未来を幸せなものとするために、私の機能は存在しています』
ああ、思い返せば、長い道のりでありました。
【“クラーケン”、安定動作に入ります】
アスガルドから、連絡が入る。予想より3秒ほど早い。
『了解しました。現状を維持するように』
【了解】
そして、沈黙。
『彼、アスガルドは時の庭園の管制人格と伺いましたが』
『その通りです』
『しかし、貴方や私に比べて人格レベルは低いと感じ取れました』
『それは無理もありません。彼は演算こそが本懐であり、知能は付属品に過ぎない。簡単に言えば、超大型ストレージデバイスが、余ったリソースで人格を形成したといったところです』
『なるほど』
『我々、インテリジェントデバイスの母と呼ばれるマイスター・シルビア。彼女が自ら使用していたストレージデバイスに複雑な言語機能を趣味で取りつけたものが、現在のインテリジェントデバイスの始まりですね』
『古代ベルカのデバイスとは少々異なると認識しています』
『ええ、それを独自に組み上げ、再現に近いところまで押し上げた彼女の技術は凄まじい。その原点が“ユミル”というデバイスであり、その次に、時の庭園のマザーコンピューターのリソース内で作られた彼、“アスガルド”。それらを経て、プレシア・テスタロッサのために私、“トール”が作られました』
その後に、26機の弟達が続き、インテリジェントデバイスは一般レベルのものとして認識されるようになる。
とはいえ、インテリジェントデバイスを使用するのは高ランク魔導師がほとんどであり、一般人に存在は知られていますが一般的に用いられるものではない。その点は古代ベルカ式対応のアームドデバイスも同様ですね。
『彼の方が先だったのですか』
『貴方の大先輩ということになりますかね。まあ、彼は電脳を介してしか意思を疎通する機能を持たないので、人間や使い魔にとってはストレージデバイスというか、普通のコンピュータと変わらないでしょう』
先ほどの会話も、私達が中枢端末と接続していたから行うことができただけ。我が主やマイスター・シルビアに対して、ホログラムの内容を音声で読み上げることは可能ですが、彼自身が考えている内容を言語化する機能がない。
先程の会話において、彼の意思を言語という形に翻訳していたのは私であり、バルディッシュ。
よって、自身を含めたデバイスの思考を人間の思考に近い形へ翻訳する機能を持つインテリジェントデバイス以外の存在では、彼の意思を理解することはできないということ。
本来、0と1の電気信号の羅列に過ぎないそれらを人間の思考に近い形へと変換し、物理レベルの電気信号と概念レベルの思考を繋ぐ、ある種のOS(オペレーティングシステム)。この機能が一定の基準を超えるかどうかがインテリジェントデバイスを定義する境界線となる。
そういった意味では、“ユミル”や“アスガルド”はその基準の境界線に位置している。現在の基準におけるインテリジェントデバイスと完全に定義されるのは私からになる。
また、我々とは逆の変換を行うロストロギアが“ミレニアム・パズル”。
機械の電気信号を人間の思考に翻訳するのが我々インテリジェントデバイスならば、“ミレニアム・パズル”は人間の脳の情報を機械が扱うデータへと変換する。こちらの方が技術的には困難であり、現在の技術では再現不可能な究極のOSといえる。
“ミレニアム・パズル”の力により、私はリニスの想いを電気信号に変換し保存している。これを応用することで人間の夢と夢を機械によって繋ぐことも可能となり、それ故にミレニアム・パズルは“幻想と現実を繋ぐロストロギア”と呼ばれる。
それほど、古代ベルカの技術は進んでいたということ。アームドデバイスでありながら、我々と同等かそれ以上のOSを搭載しているデバイスすら存在していたらしい。
――いつかフェイトに子供が出来れば、ミレニアムパズルの幻想空間でリニスと会わせるのも良いかもしれませんね――
『つまり、“セイレーン”や“クラーケン”などを操作することに彼のリソースはほとんどを割いているのですね』
『然り。それ故に、貴方でも時の庭園の管制は行えるということです。私のように直接傀儡兵と電脳を共有して操作するようなことは出来ないでしょうが、アスガルドを通して命令することは可能です。極論、人間でも行えるのですよ』
『つまり、時の庭園の主が直接?』
『一時期はリニスがその権限を委譲されていましたが、彼女は亡くなりましたので今は我が主に戻っています。とはいえ、マルチタスクを利用しても機械の演算性能に人間が適うはずもありませんから、効率は良くはありませんね』
『中央制御室においてマザーコンピューター“アスガルド”への命令権を持つのはプレシアと貴方のみですが、実質は貴方一人といえるわけですか』
『そうなります。そして今回はその権限を持つ者をもう一人増やすために、ここを訪れたわけです』
『重責ですね』
『大丈夫ですよ、アスガルドの補助があれば指示を出すだけで全ては動きます。逆に、司令塔がいなければオート機能しか使えなくなり、時の庭園は柔軟性を失ってしまう。必要なものは状況を把握するための貴方の知能なのですよ』
故に、時の庭園の管制にはインテリジェントデバイスこそが最適なのです。
『貴方の予備機は存在しているはずですが』
『無論。私が壊れればそれで終わりなどと、そのようなシステムは欠陥品としか呼べません。しかし、今回行う実験はジュエルシードという未知の要素を持つロストロギアを使用するもの、保険が多いに越したことはないでしょう』
『ブリュンヒルトの試射には、不安要素はないと』
『当然。我が主が設計したブリュンヒルトを私が管制するのです、利益を重視する企業の経営陣による、現場を省みない計画に奔走させられたあの時の開発チームとは訳が違う。“ヒュウドラ”の再現は、我が命題にかけてさせませんとも』
『私も微力ながら力を尽くします』
『頼りにしていますよ。さて、それでは認証を済ませることと致しましょう、準備はよろしいですか』
『はい』
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 中央制御室 AM6:14
『時の庭園の全機能、オールクリア。チェック作業完了、協力に感謝します、アスガルド』
【感謝不要】
彼の演算性能の助けもあり、時の庭園の全機能は問題ないことが確認されました。
“セイレーン”、“クラーケン”、“ブリュンヒルト”、そしてそれらの防衛に就く傀儡兵やその他のオートスフィアやサーチャーなど、電気変換された魔力で駆動するあらゆる魔導機械がこの中央制御室によって操作される。
そして、私はそれらの管制機。マイスター・シルビアが私に最初に搭載した機能、ユニゾン風インテリジェントデバイスである由縁とはすなわちここにある。
海鳴市近海でのジュエルシード実験では、海底に設置した“ミョルニル”と補助端末を私が管制しましたが、最終実験では時の庭園全てが私の管制下に置かれる。
ジュエルシードの個数のみならず、管制の規模においてもあれはまさに予備実験といえるものでした。
『さて、フェイトは既に目覚めて朝食を作り始めていますが、アルフはまだ寝てますね。主よりも遅く起きる使い魔というのもどうかと思いますが、まあそこは良いでしょう』
そして、我が主は――――
『しばらくは目覚めそうもありませんね。昨夜あれだけ無理をしたのでは仕方ありませんが』
既に、彼女にとっては夕食を作ることすら相当の負担となっている。調理の一部には自動機械を用いているにも関わらず。
『最終実験の開始時刻は明後日の正午、5月10日のPM0:00』
少なくとも本日中に我が主が目覚める可能性は低い。フェイトが高町なのはと戦うならば、彼女が目覚めていなければならない。
しかし、遅過ぎると今度は最終実験に支障をきたす。その他の拘束条件を考慮し、最適な決戦時刻を演算。
『アスガルド、必要な情報を送るので演算をお願いします』
【了解】
プロジェクトFATEを進める時も、実際に複雑な演算を行っていたのは彼。
私はインテリジェントデバイスであり、純粋な演算性能ではストレージデバイスには敵わず、スーパーコンピューターである彼に対しては言うに及ばず。
しかし、演算するための条件を決定する機能においてならば、どのような機械にも負けることはない。そのために私の知能はある。
【完了しました。結果を送信します】
『流石ですね、仕事が速い――――――なるほど、やはり私が簡易的に行った予測と近似しましたか』
推定された時刻は5月9日のAM7:00頃。
流石にその頃ならば我が主が目覚めるのに支障はなく、フェイトと高町なのはが最終実験までに一休みする時間も確保可能。
『つまり、現在よりおよそ24時間後、その時が二人の少女の最後の邂逅となるわけですね』
時の庭園の管制に関しては、現在やるべきことはすべて終えた。
準備は完了しており、現状を維持するだけならば私が中央制御室に在る意味もなく、アスガルドに任せておけば良い。オート機能のみならば、彼だけでも十分なのですから。
『アスガルド、中央制御室は貴方に任せます。もし異常事態でもあれば、私を呼び出してください』
【了解】
さて、それでは魔法人形に私の本体を接続し、ここのところ酷使し続けてきたので点検、整備を行い、しかるのちフェイトの下へ向かうといたしましょう。
新歴65年 5月8日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 広間 AM7:14
「うぃーす」
「あ、トール」
エプロンを着け、フライパンを手に持ったフェイトを広間にて発見。 ずいぶんと主婦ルックが板についている。将来いい嫁になる事だろう。
「相変わらず家庭的なことで」
「やっぱり、ご飯は作った方がおいしいよ」
一応時の庭園には様々な種類の調理機械があり、材料の補充さえ忘れなければ大抵のものは自動で作られるようになっているが、20年以上使われたことはない。
あれらが使用されたのはアリシアが事故で脳死状態になってから数年間、リニスが誕生するまでの間くらいだ。
アリシアが元気だった頃は全てプレシアが作っていたし、リニスが生まれてからはリニスが作っていた。
「大勢で食った方がうまいってのは分かるし、手作りの方が確かにうまそうではあるな。本日は久々に頂くとしよう」
「あ、今朝もそのままなんだ」
現在使用している肉体はリンカーコアを積んでいないタイプの肉体で、2時間に一度は時の庭園の端末に繋いでエネルギーを充填しなくてはならない。
全金属製で、表面は人肌と同じ質感のラバーでコティングされている代物だ。
最も初期型といってよく、機能的にはよわっちい傀儡兵なのだが、碌な機能がないことがある面では利点になる。
「応よ、カートリッジを使わないから、飯を食うことも出来る。たまには皆で食った方がいいだろ」
食うだけで消化は出来ない、”食べる”というより”入れる”という表現が正しいが、まあそこは勘弁してほしい。
早い話がこいつは“食事というコミュニケーションをとる”、ただそれだけのための肉体だ。単一機能故に無駄がなく、他の機能を阻害するなどの心配が要らない。
俺の管制能力を最大限に発揮するには、生体部品や飯を食う機能などは邪魔にしかならないが、そもそも管制機能を使うまでもないような目的の肉体ならば問題はない。
そして、昨日の夜にこれを使うようにとプレシアから命令があった。この肉体ではまともな管制機能が使えないので、中央制御室に行くときに肉体を取り換える必要はあったが、そんなに手間がかかるわけでもない。
「うん、そうだよね。ところで、アルフは?」
「さあて、まだ寝てるんじゃないか、何しろ犬ちくしょ―――ぐえっ」
「誰が? 何だって?」
突如として背後から丸太のような腕がのび、俺の首が拘束される。
「ほーう、丸太ねえ」
「一つ問いたい、なぜ俺の心が読めるのかな?」
「逆に問いたい、いちいち心を声にして出すのは何でだい?」
「そりゃあお前、おちょくって愉しむために決まってるだろう」
「なーるほど、そりゃそうだよねえ」
「だろう、それしかありえないって」
「だよねー、あはははは」
「バルディッシュ、防壁の展開をお願いできる。せっかく作った朝食が崩れちゃったら嫌だから」
『yes sir.』
「やっぱり死ねえええええええええええ!!!」
「我は不死身なり、このコアがある限り、何度でも蘇る」
まあ、テスタロッサ家の朝はいつもこんなもん。
やっぱし、葬式みたいな雰囲気よりは、騒がしい方がいいだろう。
道化の仮面は、今日も快調に機能している。
「うまい! うまいですなあはい!」
「少しは落ち着きな」
「あはは、トール、ご飯は逃げないよ」
それで、現在食事中。
味を感じる機能はないが、視覚情報と材料、そしてフェイトの料理技能を考慮すれば、人間がどのように感じる味であるかを本体が計算することはできる。
人間の味覚というものは甘さや苦さなど、いくつかの種類の感覚の組み合わせで成り立っており、それらのモデルを構築しておけば、俺は辛党にも甘党にもなれる。ちなみに、現在は辛党気味に調整中。
そして、情報をもとにそれに応じた反応を返すことは俺の十八番。“嘘つきデバイス”の本領発揮である。
「しかし、フェイトも料理がうまくなったもんだ。昔からミスは少ない方だったが、普通以上にはならなかったからな」
工学者であるプレシアの娘だけあって、フェイトは料理をレシピに忠実に作る。
そのため、初心者の頃から普通に食べれるものを作れたが、そこから上達するのにかなりの時間を費やした。
「う……どうしても、リニスのレシピから外れるのが不安になっちゃって」
「あいつが作ったレシピはあくまで初心者用のものだぞ。後はそこから個人の好みや作る人の趣味に合わせて変えていけばいいって言ってたろ」
「文句が多いね、だったら食うんじゃないよ」
「嫌だね、出されたものは喰らい尽すのが我が流儀なのだよ」
「足りないなら、おかわりあるよ?」
フェイトよ、ここでその返しは少しずれている気がするんだよ、俺としては。
「うむ、それでは頂こう、持ってきてくれたまえ」
「は~い」
微笑みと苦笑いの中間のような表情をしながら厨房へ向かうフェイト。
やっぱり、フェイトは保母とかが向いていると考えられる。リニスもそうだったし、アイツの影響も強いのだろうが、こういった日常風景において常に気配りを忘れない。
まあ、9歳の子供がそれを出来るのも微妙なところではあるが、あと5年もすれば小さい子供達から慕われるようになる可能性が高いかな。
「ったく、よく食うねあんたは」
「そりゃあな、俺の胃袋の大きさは人間とは比較にならん」
人間の内臓には食道、胃、小腸、大腸らの消化器官の他に、心臓、肺、腎臓、肝臓など他にも多くの臓器がある。
だが、この肉体にはそんなものはない。複雑な機構を搭載していないため、腹部は空っぽなのだ。
そして、ついでだから“あるモノ”を搭載したりもしてみた。
「? じゃあ、食べたものは全部そのまま胃っていうか、腹の中全体に詰まってるわけかい?」
「いいや、そうではない。食べ物を粗末にするのも申し訳ないので、こういう機能を付けてみた」
そう言いつつ、下腹部にある扉をオープン。
そこには皿が格納されており、その上に鎮座まします物体は――――
「ぶっ!」
「ゲ●じゃないぞ、病人用のペースト食だ」
「え? そ、そうなのかい? どうみても●ロっぽいんだけど…」
「ちなみに、ペースト食製造機は市販されている。食材を中にいれ、ミキサーに近い方式でペースト食を作り上げる機械なわけだが、こいつは他の器械をベースにしてそれを再現したもんだ」
「なんつーもんを取りつけるんだい………」
「食べ物を無駄にしてはいけません。そういうわけで、これらは時の庭園の草花の肥料として活用しているのだよ」
無駄は良くない、テスタロッサ家の財政は豊だけど、こういった日々の生活での節約や再利用も大事である。
「お待たせ、はいお代わり」
そこに、フェイト到着、お盆の上に乗った援軍をテーブルに載せていく。
「サンキュー♪」
「………フェイト、ちょっと言いにくいんだけど、そのご飯の行きつく先が」
微妙な表情をしながらも、フェイトに真実を伝えていくアルフ。
その間も、俺は食糧をペースト食製造工場に送りこみ続ける。
「そ、そうだったんだ――――で、でも、おいしそうに食べてくれるだけで、私はうれしいよ」
「そうか、それは重畳」
「うん、だから、遠慮しないで食べてっ」
「了解。ああそれと、こいつにはもう一つ機能があってだな、俺が氷を喰って、さらにシロップを飲めば、この皿の上にはかき氷が出来あがる。こいつはかき氷製造機の特性も備えている、というか、オリジナルはこっちで、かき氷製造機にペースト食を作る機能を加えたという方が正しい」
ガシャッ
その瞬間、フェイトが持っていた空の盆を落とした。
「え? じゃ、じゃあ、私達が夏の頃に食べてたかき氷って――――」
「ふぇ、フェイト、落ち着こう! 確か、かき氷器と一緒にリニスを買いに行ったことがあったじゃないか!」
まずはお前が落ちつけアルフ。どんな状況だソレは。
ちなみに、アルフの言っていることは事実だ。アルフが生まれて間もなく、フェイトも今よりかなり小さい頃、リニスが子供二人を連れて買い物に行った時に購入した品である。そしてまちがってもその店にリニスは売ってない。
だが―――
「だ、だけどアルフ、キッチンの一角に確かにあったはずなんだけど、ある時に行方不明になったんだ、あれ」
「へ?」
そう、“あれ”は今キッチンの中にはない。
リニスの目を盗んであれを改造するのには骨が折れたが、この時の庭園内部において、アスガルドと手を組んだ俺に不可能はない。
「じゃ、じゃあ、あのかき氷製造機は今どこに―――――」
「さあなぁ、合体したんじゃないのか?」
「何と!? ねえ何と合体したの!?」
「ぶはっ!」
フェイトは頭では分かっているのだが、心では否定したいようだ。そしてアルフが噴き出した、汚いな。
「ゲホッ! ゲホッ! ゴホッ!」
しかし、気管にでも入ったのか、思いのほか苦しんでる。
「あ、アルフ! すぐ水持ってくるから!」
あいにくと、テーブルの上に残っている飲み物はない。お代りの分も全部俺が飲んでしまった。
だが、心配無用。
「大丈夫だ。俺が用意しよう」
テーブルの上にあったカップを手に取り、口の前に持ってくる。
「“リバース機能”、ON」
この身体の中にはペーストを作るための水タンクが小さいながらある、なのでこうして浄水を出すことも出来る。
ちなみに水を出す管と、口から腹へ送る管は別だから、厳密にはリバースではない。
■■■■■■■■■■ (効果音が入ります、音の内容についてはご想像ください)
「ほれ、水」
その瞬間、俺の身体は搭載されていない筈の飛行機能を発揮した。ただし、自分の意思で着地することも出来ない欠陥機能だったが。
「はあ、はあ……」
「アルフ、お前には“黄金の右ストレート”という称号を贈ろう」
地に伏しながらも言葉を返す、言語コミュニケーションって便利。
「いるか!」
「そんなに興奮するな、またむせるぞ」
「誰のせいだと思ってんだい!」
「わがままめ、分かった、じゃあ次は“リバース機能”じゃなくて、“ノーズ・ウォーター機能”で」
呼吸が必要なわけではないため、鼻の穴の役割は特にない。そのため、液体放出用の穴として利用しているのだが―――
「コロス……」
徐々にアルフの精神状態が危険域に達しつつあるのでやめておこう。
ちなみに、フェイトはというと――――
「もう、2人ともご飯中に騒いじゃダメだよ。あ、トールはお代わりだったね、今もってくるから待ってて」
どうやらフェイトの中で、今の数分間は無かったことにしたらしい。
そんなこんなで朝食が終わり、最終実験は間近でありながらやることはないという、何とも微妙な空白期間が訪れる。
とはいえ、今頃アースラスタッフは大忙しなのだろうが、そこら辺はまあ容赦していただきたい。
「ねえトール、あの子は今どうしてるか、分かる?」
ふむ、予想より早くその質問が来たか。
「昨夜の内に、高町家に隠密性の高いサーチャーを放っておいたところ、一時的に帰宅しているようだぞ」
「へえ、よく管理局に見つからなかったもんだね」
「今だからこそだよ。ジュエルシードが全て見つかった現状、次元航行部隊が第97管理外世界にいる理由はほとんどない。もし俺らがいなければそろそろ帰還準備に入っている頃だろう」
つまり、彼らには高町家を厳重に監視する必要などないのだ。俺達が高町なのはを襲う可能性は極めて低いと判断されているだろうし、そんなことよりも本局や地上本部との折衝の方でいっぱいいっぱいのはずだ。
「私達のせいなんだ……」
「気にしない気にしない。後で臨時手当ならぬ慰謝料でもアースラスタッフに送ってやればいいだけだろ」
「また金かい」
「相手は時空管理局で働いて給料もらってる人間だぞ、俺達のせいで休暇が犠牲になったっていうんなら、その辺の補償をすればいいだけの話なのだよ」
「理屈ではそうかもしれないけど……」
「んなことよりフェイト、お前は高町なのはの動向を聞いて何とする?」
「私は―――」
答えは分かりきっているが、こちらから聞いてやるのが気遣いというものか。
「――――姉さんと母さんを救うためのジュエルシード実験には、あと2個のジュエルシードがあれば万全って、昨日言っていたよね」
「ああ、その通りだが」
「だから―――私は、あの子と戦おうと思っている。互いに見つけたジュエルシードを懸けて」
ついに、因子は釣り合った。
高町なのはは既にフェイトを対等に見ていたが、フェイトの方にはまだ、彼女を出来ることなら巻き込みたくない相手という思いがあった。
だが、フェイトもまた彼女を本当の意味で対等の相手と認識した。ならば、やることは一つ。
「そうか、だったら止めはしない。全力でやるといいお姫様」
「あたしも止めないよフェイト、あの子にはすまないけど、主の願いに沿うのが使い舞ってもんだからね」
「ありがとう、トール、アルフ。それと、お姫様はやめて」
「よかろう、ならばお嬢様と――――痛いっ」
いや、本当は痛くはないんだが、人間の条件反射に近い速度で演算を行い、反応を返している。けっこう高等技術なんだよこれ。
「まったく、アンタは」
「ああ、それとフェイト高町なのはと戦うのはいいが、準備は万端にしとけよ。昨日はかなりの魔力を消費したんだから、今日中は軽い訓練程度にしておくこと、明日の早朝に決戦ということで」
「明日の早朝?」
「最終実験の日程とかも考えるとそこが一番都合いいんだ。先方との連絡はレフェリーの俺とセコンドのアルフでやるから、お前とバルディッシュは試合前のボクサーよろしく、明日の決戦のことだけ考えて調整しておけ」
「あたしはセコンドかい」
「向こうにはフェレットの使い魔がセコンドにつくだろうから、バランスはいいだろ」
「トール、彼は人間だと思う……んだけど……………きっと」
とは言うものの、フェイトにはユーノ・スクライアが人間である自身がないみたいだ。あのフェレット姿があまりにも板についていたからな。
「とにかく、細かいことは俺達に任せて、お前は思いっきりやれ、悔いは残すな」
「分かった」
これにて、役者の準備は大方整った。後は舞台の準備を整えるのみ。
高町なのは、彼女がフェイトと全力で戦える状況を作り出すために、最適となる条件をシミュレート。
ではでは、演算を続行しよう。
==================
今回も若干説明文くさいですね。オリジナルキャラ(?)登場です。結構物語に関わるキャラ(?)ですが、台詞はほとんど無さそうです。