ジュエルシードの総数が21である理由をご存知だろうか。
それが7の倍数であるからだ。
7。
古来よりあらゆる次元で不思議な力があるとされている魔法の数字。
ジュエルシードが願いを叶えるのに最適とされる数字である。
それ以上だと力が強すぎて暴走し、
それ以下だと願いを叶えるほどの力は発生しない。
ジュエルシードの力が過不足なく最も安定する数。
7。
最初からジュエルシードはその数で使用することを想定して創られたモノだった。
その数で使用することだけが、唯一正しい使用法だった。
だが、
その事実は時代とともに忘れ去られ、
それを知る者は――今や当のジュエルシードのみである。
◆19 プレシアのねがい
「俺が――ジュエルシード?」
いったい何を言っているのかこのババァは。まるで意味が分からない。
「あら……とぼけているわけではなさそうね。本当に自覚はないのかしら」
プレシアがすっと離れる。
ハクタの指先は無意識のうちに震えていた。自分自身ですら知らない事実を彼女に握られている。そんな不快感と恐怖。加えてこのプレッシャー。見えない何本もの糸に締め付けられ、ハクタの心臓は今やボンレスハムだ。
救いを求めるように携帯電話を取り出して、そのストラップを見た。
『彼女の表現には誤謬があります』
この状況でも冷静なシャワーズの声色は、夏場の一杯の水のように、ハクタにわずかな落ち着きを取り戻してくれる。
『ハクタ、あなたは歴史上ただ一人、ジュエルシードによって正しく願いを叶えた人間です。その副産物としてあなたの体内にはジュエルシードが溶け込んでいる』
「何を……言ってる?」
今度はプレシアのみならず、シャワーズの言っている意味も分からない。
だって自分はジュエルシードに何かを願ったことはない。ないはずだ。
こちらの世界に来てから幾つかのジュエルシードと関わってきたが、封印状態でレイジングハートかシャワーズに格納されている期間がほとんどだったのだ。何かを願う暇などなかった。
『いえ、私の表現も正確ではありませんでした。厳密に言えばあなたの他にもう一人、願いを叶えた人物がいる。それが小森白太――“もう一人のあなた”です』
追い詰められたハクタは理解が追いつかない。
この場合“もう一人の自分”というのはやはり、この肉体の本来の持ち主を指すのだろうか――
午後の小森家。消灯中の液晶テレビと野暮ったい色のソファのあるリビング。ご近所が静かすぎる結界内に、シャワーズの平坦な音調の声が不思議なほど朗々として響く。
『より願いに近い形で世界を体験してもらうため、真相を語るつもりはありませんでしたが……厄介な相手に知られてしまった以上そうもいかないようです。女史は適当な誤魔化しで納得する気はないでしょうし、彼女に理解させる意味でも、今から全てを語りましょう』
念話を封じる結界の中、実声で話すシャワーズの言葉に、プレシアも興味深そうに耳を傾けている。
いつもの無機質な声色で、何か得体の知れぬ大きなものをそっと紐解いてゆくように――シャワーズはゆっくりと語り始めた。
『ジュエルシードの総数が二十一である理由をご存知でしょうか――』
その日――
高校から帰宅途中だった少年は道端で八つの宝石を見つけ、学校指定の通学カバンに入れて持ち帰った。
一つは球形で赤い色。七つは菱形で青い色をしていた。
かつて複数の次元を滅ぼした、願いを叶える遺失技術の結晶。スクライアによって発掘され、プレシアによって地球に落とされたそれを七つ、偶然一人の少年が拾い上げたのだ。
それが魔法のアイテムなどとは思いもせずに、少年は偶然にも願いを口にしてしまった。
ジュエルシードの数は奇しくも願いを叶えるのに最適とされる七――願いは正しく叶えられることとなる。
少年の願いは、別の世界に行くことだった。
前提として、ジュエルシードには“意思”と呼べるものがある。自我と言い換えてもいい。
「願いを叶える」という茫漠とした目的を達成するためには、願いを正しく理解し、祈願者の意図を汲む必要がある。それは高度な知能と意思なくして適わない。
少年は魔力など持たぬ素人。ジュエルシードの制御などできようはずもない。
少年の願いを叶えるため、自らを制御するために、深層に眠るジュエルシードの意思が表面化することとなった。
ジュエルシードは思考した。どうすれば少年が最も望む形で願いを叶えられるのか――
世界には……「最も広い定義での世界」には、この世界の他にも無限の別世界が存在する。時空管理局が認識している“次元”という概念のさらに外側に在る世界群――並行世界だ。
誰かが何かを選択するとき、彼がAを選んだその裏で、Bを選んだ世界が誕生する。
ある出来事が起きた世界の裏で、起きなかった世界が誕生する。
そうやって世界は可能性によって常時、無限に分岐し、決して交わることなく並行して存在している。今この瞬間も無限に分岐しつづけている。
宇宙誕生の以前から、
次元世界誕生の以前から、
そのずっとずっと以前から、
世界とはそうやって形作られていた。
そうやって流れ続けてきた。
だがそれは本来、無意味な事実でもある。別の世界を観測できない以上、別の世界に干渉する術がない以上、並行世界など存在しないも同じこと。気にしても意味のない、見ることも触ることもできない世界。
だがジュエルシードは違った。肉体は無理でも魂だけならば、少年が望む並行世界に送り込むことが可能だった。少年の魂を「別の世界での少年自身」に宿らせることで、彼の望む世界を体験させる――実現可能な願望成就の手段だった。
だが問題があった。
並行世界干渉は元々反則技の奇跡。制御者のいないジュエルシードがそれほどの現象を起こせば、どちらかの世界に致命的な次元震を引き起こす。その結果は少年の願いとはあまりにもかけ離れている。
最善を求めて、少年の願いに最もそぐう解決を求めて、ジュエルシード達七つはそれぞれ思索した。
意見を出し合い、検討し、議論する。願いを叶えるための機能の一つにすぎなかったジュエルシード達の自我はこの過程で飛躍的に進化することになる。
結果として導き出された方法は、「少年の魂を送る先の肉体の持ち主の魂を、この世界の少年の肉体に宿らせる」というものだった。
魂の交換だ。
作用する現象を双方向にすることにより力をつり合わせ、ループさせる。それが“彼ら”が思い至った次元震回避の方法だった。
だが二つの世界で魂のやり取りをするには“彼ら”では力が不足していた。
何より向こうからの魂の召喚は、少年の願いとは直接関係がない。願いによって力を得る“彼ら”が十全に力を発揮できる状況ではなかった。
この案を実行するためには魂の交換先となる人間の願いも同時に叶える必要があり、その願いは「この世界に来たい」という願いでなくてはならない。
二つの願いを同時に叶えること自体は難しいことではない。むしろ願いを媒介に力を振るう“彼ら”にとっては好都合。
一つの願いを一つの現象で叶えるより、二つの願いを一つの現象で同時に叶える方が、より奇跡を起こしやすかった。
そのためには少年の望む世界にあって、なおかつ「この世界」に来たがっている同位体を探さなくてはならない。
無限の並行世界にはそういう同位体の存在する世界もあるだろうが、それを探しだすのは難度の高い作業だと思われた。が、それはあっさりと見つかった。
目的の世界群の中に、「この世界」と繋がりのある世界が見つかったからだ。「その世界」では「この世界」がアニメとして存在していた。そういう世界間を跨ぐリンクさえあれば、アクセスも検索もずっと楽になる。「この世界」……アニメの世界への来訪を望む同位体は簡単に見つかった。
その世界を基点に、そういった同位体のいる分岐世界を検索、観測できた中では少年の願いを叶えるのに最適な世界を選択し、魂の交換を実行した。
時刻はすでに、どちらの世界でも深夜を回っていた――
「こちらの世界」に来た同位体の願いは、魔法を得て物語を体験すること。
それを叶えるための手段としてジュエルシードの一つが彼のリンカーコアとなり、一つが案内役となった。
ちょうど同じ輸送船に積まれていたデバイスコアが、“彼ら”と同じポイントに落ち、共に少年に拾われていた。
スクライアの所有する、レイジングハートと同型モデルのインテリジェントデバイス。
そのコアと案内役であるジュエルシードが融合し、一個のデバイスとなった。
ジュエルシードとしての自我。インテリジェントデバイスとしてのAI。案内役としてのキャラクター。願いを叶えるため同位体から掠め取った記憶。
四つを組み合わせて、“彼女”は生まれたのだ。
長々とした説明だったが、シャワーズの長台詞を聞くのはこれが初めてではない。魔法を教えてもらっていたときなどもっと長い講義を受けていたものだ。
クールな振りをしているが、彼女はわりとお喋りなデバイスだ。
『以上が事の真相です』
などと締め括られても一度にいろいろ情報が入ってきたせいで上手く整理できない。
並行世界云々の話からしてスケールが大きすぎて頭が痛くなりそうだ。
宇宙誕生以前から無限に分岐しつづけている?
例えばどの菓子を買うか悩んだとき、うまい棒を買った世界と、じゃがりこを買った世界と、キットカットを買った世界と、かっぱえびせんを買った世界が創造されるのだとしたら……もう迂闊に菓子の一つも買えなくなるではないか。
となると並行世界の数は比喩ではなく、本当に無限ということになる。それどころか一瞬一瞬に無限に新規創造されているということになる。さらにその無限に存在する並行世界からも新しい分岐世界が創られ続けるわけで……もうなんというか、途方もないというか、馬鹿げているというか……。もうスケールがどうこうの次元ではない。本当に考えれば考えるほど頭の痛くなる話だ。
観測できない世界は存在しないのと同じこと、気にしても仕方ないとシャワーズは言っていたが、人間に理解できるスケールを超越していて気にすることすらできないというのが正確だろう。
「そう、だったの……」
で。大魔導師はあろうことか、リビングのソファでめちゃくちゃリラックスしていた。ハクタが電子ポットで淹れた紅茶に口をつけている。
シャワーズの説明に衝撃を受けたようで感慨深げに「七つ……」と呟いている。プレシアにとって今の話で最も重要だったのはそこらしい。
ちなみに彼女が集めたジュエルシードは原作では九つ、この世界では六つだ。
「ジュエルシード七つで願いを成就できるなんて、寡聞にして知らなかったわ。七つ……あと一つ集めていれば、アルハザードに行けていたどころか、他の望みでも叶っていたのね……」
『いいえ。その事実を知らないあなたなら、七つ集めても暴走させることでアルハザードへの道を開こうとしたはず。それでは願いは成就しない。いたずらに次元震を引き起こすだけです』
二者の会話を聞くハクタは、プレシアとは対照的にリビングに突っ立っていた。ラスボスがいる目の前で寛ぐなんてできるはずもない。相手が何か仕掛けてくればすぐにでも動けるよう身構えていた。
ただしセットアップをしてしまえば勝てぬ戦の引き鉄になりかねないので生身状態だ。
ハクタのセットアップにはキーワード詠唱を必要とするのでどのみちプレシアに何か仕掛けられれば間に合わない。生身で対抗できる相手ではないので立っていようと座っていようと同じなのだが……だからといってラスボスの横に座って寛ぐ気にはなれなかった。
今の話をざっと思い返す。
自分のリンカーコアがジュエルシード?
シャワーズの正体もジュエルシード?
自分はジュエルシードによる魂の交換でこの世界に来た?
自分の願望が反映されているのは夢だからではなく、ジュエルシードが願いを叶えたから――?
いきなりそんな設定を明かされても困る。そういうごちゃごちゃした設定の類は、プロローグでオリ主が転生する際に神様などから説明されるべきもので、神様ポジションである案内役のシャワーズが、最序盤で説明すべきだったのだ。ナビゲーターとしての職務怠慢だ。
そういう設定がわざわざプロローグで語られるのは「説明書を読まずにプレイする派の人は読み飛ばしてネ」という作者の意思表示であり、読者への気遣い、謂わばオリ主モノのマナーである。こんな原作本編終了後にラスボスの真ん前で明かされても、いったいオリ主としてどういうリアクションを取ればいいのか。
真相を聞かされた今では、プレシアの言った「あなた自身がジュエルシード」というのは、あくまで彼女の価値観であり、彼女にとってのハクタの存在意義を言ったにすぎないと理解できる。彼女にとってはハクタなどジュエルシードの容れ物にしか見えないのだろう。
しかしそれは本当に、単なるプレシアの主観にすぎないのだろうか。
魂はジュエルシードによって連れてこられた、本来はこの世界に存在しないもの。
肉体はジュエルシードと融和し、力はジュエルシードから与えられたもの。
“オリ主補正”だと思っていた身体能力も、結局はジュエルシードの力によって書き換えられたもの。
その身にジュエルシードを宿し、ジュエルシードによって構成された存在――ハクタとジュエルシードの境界など、この世界ではちり紙のように薄いものなのかもしれない。
しかしそんな自分の存在を揺るがす哲学的な問題を前にハクタが出した解答は、「オリ主の存在がジュエルシードそのものでもあるって、なんかかっこよくね?」というどうしようもないものだった。楽天的というよりは単なる理解力不足かもしれない。
七つ――
プレシアも興味を示していたが、確かに真に先程の話の中核となるのはこの部分かもしれない。
シャワーズはかつて言っていた。
ジュエルシードは集まれば集まるほどに力を増す。二十一個全て集めたときに発生するエネルギーはあまりにも大きすぎて、願いを叶えるにはそぐわない。
では願いを叶えるのに最適な数が七だというのか。
ジュエルシードの数が過不足なく七であったなら、本当にどんな願いでも叶えられるとでもいうのか――
「七つ……ってまさか!」
今頃になってハクタは気が付いた。
「ジュエルシードが十四個しか見つかってないのって!」
『残りの七つは“もう一人のあなた”が拾ったものです』
自分が拾ってきた物を探査魔法で一生懸命探していたというのか。とんだ道化だ。マッチポンプにすらなっていない。
「その七つは……いや、残り五つは今どこにあるんだ?」
七つのうち一つはハクタの胸に、もう一つはシャワーズ自身という。ならば残り五つはどこに消えたのだろう。
探査魔法で見つからなかったのだから、海鳴にないのは確実だ。
『それをお話する前に願いを叶えたジュエルシードがどうなるのか、ということを説明しましょう』
プレシアにとっても残りのジュエルシードの行方は重要なことらしく、ソファから身を乗り出すほど興味津々だ。
『願いを正しく叶えたジュエルシードは次元の海に散らばり、何万年、何億年という時をかけて引き寄せあい、再び一箇所に集結します。過去に願いを叶えた例はないので、今回が初めてのケースとなりますが』
「ジュエルシードを創った何者かは願いを叶えなかったのか? そのために創ったんじゃないのか?」
『それは私の知るところではありません。ユーノにでも聞くといいでしょう』
「はぁ? ユーノぉ?」
『アルハザードもジュエルシードもスクライアの祖に関係が深いものです。スクライアに伝承が残っているかもしれません』
そんな公式設定があっただろうか。二次創作では見たことがない。
「スクライア……思いもしなかったわ。アルハザードは……アルハザードは実在するの?」
『かつて実在していたことは確かです。現在の行方であれば私に解を求めるのは誤りです。それこそスクライアか時空管理局の無限書庫で分からないのであれば、人智の及ぶところではないかと』
プレシアはまるでアルハザードでも見ているような遠い目をして「そう……」と呟くと、テーブルのティーカップを指して、
なんということでしょう! おかわりをオーダーしてきた。
ハクタはティーバッグを使うのも面倒になり、台所の棚から取り出してきたスティック状の袋を目の前で開け、ティーカップの中にミルクティーの素となる粉末を流し込むと、電子ポットのお湯を注いで大魔導師の前に置いてやった。
研究者である彼女は目の前の飲み物が手抜きだろうが粉末製だろうが構わないのか、特に不満もなくミルクティーをかき混ぜている。左手に持たれたティースプーンの末端ではウサギのキャラクターがデフォルメされた笑顔を誰もいない空間に向けていた。最初に紅茶を出したときテンパッていたので適当に目に付いたメルヘンなスプーンを一緒に出してしまったのだが、今日の魔女は私服デザインが大人しいのでそれほどミスマッチではない。
その姿を見て徐々に警戒心の薄れてきたハクタは嘆息。思い切って自分もソファにどっかり腰を下ろした。プレシアとは90度の角度で向かい合う席だ。
ついでに一度シャワーズもテーブルの上に置いたのだが、さすがにそれは無防備すぎると自身の膝上に置き直した。
これがポケモンのシャワーズなら膝上に乗せるのは萌えるシチュエーションだが、残念ながら携帯電話とそのストラップに萌える要素はない。
『五つのうち一つは、魂の交換時に開いた通路から“向こうの世界”に行き、“私”と同じようにもう一人のあなたの願いを成就するための礎となりました。
残りの四つも本来の願いの主が気になったのか、“向こうの世界”に行ったようです。すでにそちらで拡散しているでしょう』
膝上のデバイスが残りジュエルシードの所在を公表した。
七つのうち二つはこちらでサポート、一つはあちらでサポート、四つはあちらで拡散、か。一つくらい「この自分」を気にして、こちらで拡散しようってジュエルシードはなかったのか。
というか向こうで拡散してしまえば再び集結したところで七つ集まりようがない。実質ジュエルシードとしての職務放棄ではあるまいか。
いくら自我があるといっても職務放棄する奴らもいれば、リンカーコアになって無私を貫くストイックな奴もいて、デバイスと融合して毒舌を発揮する個体までいるというのは、さすがに個性が豊かすぎないだろうか。ジュエルシードに抱いていたイメージがボロボロだ。
気が付くと帰宅してから水の一杯も飲まぬまま大魔導師のプレッシャーに晒され続けてきたせいで喉がカラカラになっていた。
買ってきたばかりの食材を冷蔵庫に入れるのは諦めるにしても、自分の飲み物くらいは用意しても電撃は飛んでこないだろう。ハクタは携帯電話をポケットにゴーホームさせると、再び立ち上がってリビングと繋がる台所に向かった。
そのさなかポケットに向けて思いついた問いを放ってみる。
「結局、なんでジュエルシードって二十一個もあるんだ? 七の倍数ってのは答えになってるようでなってない気がするんだ」
個数の増減でいちいち願いの成否が左右されるくらいなら、最初から力の安定した一つを作り出せばいいだけの話だ。ついでに使った後に散らばるなんて余計な機能もなくせば何度でも使用できるネ申アイテムになるではないか。
『私もそう詳しくはないのですが、』
いやおまえ自身の話だろとツッコミたくなるような前置きだった。
『童話などの物語が鍵となっているのだと思われます』
「童話? イミフなんだが」
『地球ではどうか知りませんが、ジュエルシードを創り出した文明や他の次元世界でも、物語の中で願いを叶えるために集める石は大抵七つと決まっています。そして手段が七つの石であるか否かに関わらず、お伽話などで叶えられる願いの上限は、一つか三つ。そのどちらか』
それらの説話は女史にも心当たりがあったらしく、リビングのソファで頷いている。
「……それが?」
『集めたジュエルシードが七つであれば願いを一つ、全て集めたのであれば七つずつ使って最大三つの願いを叶えられます。拡散機能も願いが三つを越えないよう取られた措置でしょう』
実際には魂の交換という手法を使って、七つ分で同時に二人の願いを叶えてしまっているわけだが、それはまぁ抜け道というか裏技のようなものだろう。
「いやそうじゃなくて、童話と何の関係が?」
コップから果汁ジュースを流し込んで喉を潤す。
『ジュエルシードはお伽話の力を利用して創られたアイテムだからです。
似たような説話を知り、慣れ親しんできた何百億、何千億という次元世界の人間の幻想を凝縮したもの。
それこそがジュエルシードの巨大すぎる力の源。ジュエルシードの正体です。
願いを叶えるアイテムだからこそ、力の根源は人の想いでなくてはならなかった』
なにその超理論。
思い込みが力となるというのなら、とっくに全国の駐車場は月極グループに支配されている。
いくら遺失技術といってもめちゃくちゃだ。
今の話に該当する童話というのは次元世界では数あるらしいが、地球で七つの宝石を集めて願いを叶える話といえば……一つくらいしか思い当たらない。
「ドラゴンボールみたいな感じかぁ」
三つの願いの方はまずランプの精が思い浮かぶが、願いを三つ叶えてくれるという説話はよく聞く気がする。昔話でヤマンバから逃げる際に渡されるお札も三枚だった……これは関係ないか。
そういえばピッコロ星の龍も三つまで願いを叶えてくれたような気がする。ん?ピッコロ星……ではなかったような。どうでもいいか。
きっとジュエルシードを作った文明ではドラゴンボールが大人気だったのだろう。ジュエルシードの他にも食べたら体力が全快する豆とかが作られていたに違いない。
喉を潤したハクタはリビングに戻ろうかと思ったが客が怖くて尻込み。
食卓の木椅子を引き、リビングのプレシアが視界に入る位置の座席に腰を下ろす。
寛ぐ熟女が恐ろしい。なるべく考えないよう意識の外へ追い出し、彼女とは関係ない方向へ思考を伸ばす。
思い浮かべるのは“もう一人の自分”……自分の「同位体」のこと。
この「同位体」という単語の用法はハクタが考えたものだ。実際は原子がどうとかいう化学的な用語だったはずだが、シャワーズはハクタに分かりやすいよう説明にこの単語を用いたのだろう。
その同位体の彼はどういう人物だったのだろう。顔は一緒だし、基本的な性格もやはり一緒だったのだろうか。
となると、やはりこれといった取り柄もなく、ヘタレで適当な人格だったのだろう。 ……あれ?自分で言ってて悲しくなってきた。
最初に、彼とは無関係なところでジュエルシードの配置がアニメと食い違った。それにより彼の下にジュエルシードが舞い込み、彼はそれを魔法の道具だと知らぬまま無意識のうちに願ってしまった。
願いは別の世界に行くこと。
ハクタが二次創作のオリ主ものを読んでリリカル世界に行ってみたいなぁ、と考えてしまったのと同じように、“もう一人の自分”もきっとそんな風に考えたのだろう。
しかし何故ハクタの世界なのだろう。シャワーズの話を聞く限りでは、別世界ならどの世界でもよかった、というわけではなさそうだ。その世界が選ばれた理由があるはずだ。
だがこちらの世界とあちらの世界とでは、これというような目ぼしい違いはない。文明も常識も世界情勢も。これほど近い世界だったからこそ、簡単に世界間のリンクを繋げて魂を交換できたのかもしれないが。
シャワーズに問うてみると、意外すぎる答えが帰ってきた。
『この世界があなたの世界でアニメとして放送されていたように――あなたがいた世界は、この世界ではゲームとして発売されています』
「……は?」
冗談はやめてほしい。
「俺の世界が……ゲーム?」
『はい』
あっさりと肯定される。頭の中が真っ白になり、あれほど意識していたリビングのラスボスの存在すら吹っ飛んだ。
「俺が……ゲームの登場人物?」
目眩のような感覚に襲われる。座っていてよかった。立っていたらよろけていたところだ。
『いいえ』
今度は否定。
『そのゲームにハクタは登場しませんし、あなたがそのまま元の世界で過ごしていたとしても、ゲームの内容とは一切関わらなかったでしょう。この世界にアニメに登場しない人物が無数に存在するように、あなたの世界でもゲームに登場する人物などほんの一握りなのですから』
「いや待て待て! あっちの世界のアニメがこっちの世界で、こっちの世界のゲームがあっちの世界で、みたいなのっておかしくねえ!?」
何がどうおかしいとは言えないが、おかしいのは明白だ。
だから、えーっと……
まず一つの世界があったと仮定する。その中で作ったアニメが「アニメの世界」として誕生したとして、その「アニメの世界」で作られたゲームがあって、それによって「ゲームの世界」が作られ、でもその「ゲームの世界」は最初にアニメを作った世界で……えっと……駄目だ、深く考えると頭がこんがらがってくる。
ニュアンスで言うなら合わせ鏡を見ているような感覚。さらにニュアンスで言うなら、これはきっと鶏が先か卵が先かという問題を壮大にした難問なのだ。
『ならばこう考えてはどうでしょう。どちらもアニメやゲームの世界ではなく、アニメやゲームの要素を内包する、アニメやゲームに限りなく近い並行世界だと』
なるほど……それならなんとか割り切れそうだ。
自分の世界がゲーム会社によって生み出された創作物だと考えるよりは、無限に存在する並行世界の中にたまたまゲームに近い内容の世界があった……もしくは逆に、「自分の世界に近い内容のゲームが作られている世界があった」と考える方が遥かに気は楽だ。
並行世界が宇宙誕生以前から無限に生まれ続けているならば、例えどのような並行世界だろうと観測できるかどうかは別として存在はしている……可能性がある。
つまりあらゆるゲームやアニメに似たような並行世界は存在する……かもしれないのだ。
これ以上うだうだ考えても仕方ないので脳みそを切り替え、これからはあくまで「そういう設定」だと捉えることに決め、自分から遠いところに切り離す。逃避かもしれないが自分の存在や世界についてなんて悩んだところで何ら利はない。その先にあるのは新興宗教に嵌る未来だけだ。
「それってどういうゲームなんだ? というか、それなんてエロゲ?」
自分の出身世界は普通の現実世界。宿屋で傷が治ったりはしないし、転職するときは神殿ではなく職安に行く。ドラゴン退治の職業もないし、ソンビが発生するような細菌もない。こちらの世界で一ヶ月生活してきたが元の世界と大きく違う点はなかった。
そんな世界に入りたいとまで思わせるゲームはやはりギャルゲやエロゲだろう。恋愛ゲームならば普通の学園一つあれば舞台として申し分ないのであちらの世界でも実現可能だ。
などと思っていたのだが――
『シューティングでしょうか』
「シューティングうううう!?」
ハクタのいた世界は宇宙船が飛び交うようなSF世界ではない。シューティング=宇宙船という考えは古いかもしれないが、例えガンシューティングだとしてもどの道周囲にそんな物騒な状況はなかった。
『訂正します。公式なジャンル表記はアクションSLGです。敵を撃つという要素が希薄なのでシューティングとは言い難いかもしれません。ですがゲーム性自体は3Dシューティングであり、ハクタにとってはそのシューティング要素こそが重要です』
「??」
『条件に合ういくつかの世界の中からあなたが選ばれた理由は、あなたが最も“そのゲームの主人公としての資質”を持ち合わせていたからです』
主人公としての資質……ゲームの主人公ならやはり二段ジャンプができることだろうか。ちなみにハクタはできない。
『それを引き継がせることでジュエルシードは“もう一人のあなた”に能力を授けた』
「俺が持ってる能力ってーと、空間把握がどうとかいう……?」
『その選定に私は関わっていませんが、恐らくは』
そのゲーム風世界にあってリリカル世界に行ってみたいと思っていた小森白太は、見つけられた中で何人くらいいたのだろう。五人くらいかもしれないし、数百人かもしれない。数億人かもしれない。その中から、“主人公の資質”を持つ肉体として選ばれたのか。
空間認識と言うと聞こえはいいが、元の世界ではこれっぽっちも活躍してくれなかった。せいぜいがゴミ箱に紙くずを投げ入れるときの命中率に自信があったという程度で、あくまでこちらに来てから開花した能力だ。
元の世界でも持っていたらしいが、15年生きてきてまるっきり才能に気付かなかったのだから、まぁその程度の恩恵しか与えてくれなかったということだ。
誘導弾操作時の空間認識力は自分でも人間離れしている自覚はあるが、あれはこちらで誘導弾を操るうちに鍛えられたものだし、シャワーズによると出身世界の補正もあるらしい。元々はそこまですごい能力でなかったのでは、と思うわけだ。
その出身世界補正というのもよく分からなかったが、聞けば3Dシューティングゲーム世界の住人だから2Dのアニメ世界においては空間的に優位に立てるのだという答えが返ってきてげんなりしてしまった。「よく似た並行世界」だとしても、二つの世界を繋ぐリンクが3Dゲームと2Dアニメである以上、そういう落差も存在するということか。
それならば補正はゲーム世界の人間なら誰でも受けられることになる。
空間認識は所詮その程度の能力。最初から能力を持つ同位体を見つけてくるまでもなく、ジュエルシードがちょちょいとやれば楽に主人公のスキルの一つとして付加できたのでは、という思いがある。事実、こちらのハクタには運動能力、反射神経、演算力など様々なオリ主補正が付与されている。
空間認識もそれと同じようにしなかった理由がいまいち分からない。
まぁ何にせよ、向こうの肉体に能力を引き継がせたせいでこちらの魂が空間認識力を失ってしまった、ということにならなくて本当によかった。この能力がなかったなら誘導弾も今ほどは扱えなかっただろう。
「空間把握が役立つようなゲーム……それでシューティング要素が大事ってわけか」
『そのゲームでは夜になるとボード状の物に乗るなどして街中を飛び回ります。その過程で起こる戦闘はシューティングに近く、敵弾をかわしたり、ドッグファイトのように敵と交錯しながら飛び回ったり、障害物の多い街中で激しく複雑な機動を必要とするものです。その状況で必要とされる能力は、やはりあなたのずば抜けた空間認識力でしょう』
「ふーん……って待て待てなんだそれ!? 俺の世界では夜ごとそんなアクロバティックは繰り広げられてねーよ!」
『あなたの世界には常人の知らない“世界の裏側”が存在します。こちら風に言うと、夜にだけ展開される封時結界のような感じでしょうか。あなたが知らないだけで、あなたの世界にはそういう一面もあるということです。向こうの世界で日常を過ごしていれば生涯知ることはなかったでしょう』
「マジかよ……」
『ちなみに昼は普通に学園生活を過ごすゲームです。舞台はハクタの入学した高校とは別の高校なので、誠に勝手ながら向こうではハクタはその高校に入学したことに改変させていただきました』
「ちょ、それは勝手すぎるだろ!? 何してくれちゃってんの!?」
ジュエルシードの力で人を転校させるとか、なんというダイナミックな嫌がらせ!
『それよりハクタ、』
絶対に「それより」で片付けてよい問題ではない。自分が高校受験に費やした時間と労力を全て無駄にされたようなものなのだ。
『プレシアが退屈しているようです。茶菓子でも出してみては如何でしょう。機嫌を損ねるとハクタの命が危ういかと』
念話が封じられ会話は全てプレシアに聞かれているというのに、よくも堂々と言うものだ。
しかし命に関わるとなれば一大事。恐る恐るリビングを観察する。
確かにプレシアはこちら同士の話が長引いたせいか退屈そうにしていた。この世界がアニメになっていると聞いたところでよもや自分がボスキャラとして出演しているとは夢にも思わないだろうから、然程興味はないようだ。すでに前に出したミルクティーは空になっている。
ハクタは自分の世界に関する話題から一旦頭を切り替えると、客を歓待するためせせこまと動き始めた。
翠屋の菓子が残っていたので紅茶と一緒に出しておいた。秘密兵器MOMOKOならばきっとこの魔女の機嫌を一瞬で良くしてくれるだろう。
案の定それを口にした彼女は「この味は…!」とグルメ番組のようなリアクションの大きさを見せた。
ふと脳裏をよぎったのは以前フェイトに翠屋の前で出会った記憶。原作ではフェイトの土産に手を付けなかったプレシアだが、この世界の彼女は口にしたのかもしれない。そう感じた。
相手のご機嫌を取ったところで、今がチャンスと覚悟を決める。
プレシアの正面はテーブルを隔ててテレビがあるためソファがない。そこで90度の角度で向かい合う席に腰を下ろし大魔導師の瞳を射抜くつもりで目力を送る。ずっと聞けずにいた問いを解放した。
「今さらなんだがプレシア、おまえは虚数空間に落ちたって聞いたぞ。――なんで生きてるんだ?」
「本当に今さらね……真っ先に訊かれると思っていたわ」
プレシアが少し笑ったように見えた。
「テンパっててそれどころじゃなかったんだよ」
「答えは簡単よ。私が何の研究をしていたか忘れたの」
「アルハザードの研究?」
「プロジェクトFATE――クローン技術の研究よ」
そうでした。
そこまで言われれば理解は容易い。
「じゃあクロノ達が見た虚数空間に落ちていくプレシアは……おまえのクローンか!」
身代わりの捨て駒にするためだけに自分のクローンを作るなんて発想はぶっ飛びすぎてて思い付けなかった。確かに魔法を無効化する虚数空間では、そこに落ちていく幻を用意することは不可能。ダミーを使うならクローンしかなかったのかもしれないが……。
「ジュエルシード六つではアルハザードには辿り着けないと思っていた私は、新たな可能性という希望を見つけたわ。
けれどその希望も確実性はあまりに低く、虚数空間からアルハザードへ到る可能性もまた、捨てきれなかった。
そこで私は自分を複製し二つの希望に同時にベットした」
ただのダミーとしてだけではなく、アルハザードへ繋ぐ希望でもあったわけだ。
しかし……さらりと言われたが、これは単なる捨て駒として使うよりも、さらにとんでもない発想ではないか。
いわば、「あなたの前に二つの道が。右と左、どちらに行きますか?」というクエッションに「自分をもう一人作り出して両方行く」というアンサーを出しているようなもの。本当にとんでもない。
しかも道の先にあるかもしれないご褒美の恩恵を受けられるのはそちらを行った片方だけなのだ。自分を二人に増やしクローンがアリシアを蘇生させたとしても、オリジナルが娘に会えるわけではない。
それでも娘を蘇らせることができるならよいと考えたのか。例えクローンでも自分という存在が娘と再会できることに意義を感じたのか。余命短い人間だからこその異常な精神だろう。
「貴方は完全なコピーは作れないと主張していたけれど、あの時すでにその技術は完成していたの。ジュエルシードから現象具現の力を吸い出すことにより、肉体・記憶・精神・年齢までも全てを完全に再現したクローンを一瞬にして作り出すことのできる技術が…。ただ使用したジュエルシードは一切の力を失い、使い物にならなくなってしまうのだけど」
今頃になってあの時の説教に駄目出しされるとは思わなかった。ジュエルシードを使うなんて反則だ。そりゃあ完全なクローンも作れるだろうさ。
ああ、そうか――時の庭園で見た「死んだ」ジュエルシードが接続された装置は、プレシアが自分のクローンを作成するため使ったものだったのか。
しかし「一瞬にして」というのはどの程度の時間なのだろう。冷めたおかずをチンする程度の時間で完全なクローンが出来上がるのだとしたら、ジュエルシード以前にプレシアの技術も反則だ。
「完全な複製を作ってしまうため、アリシアをコピーしても物言わぬあの娘の躯が増えるだけ…。私はその技術で自分を複製した。完全再現であるがゆえ病状や余命も同じというポンコツだったけれど、ね…」
プレシアが嘲るように言ったのは、クローンに対しての嫌悪か、素体となった瀕死の己への自嘲か。
庭園で対峙したプレシアがしきりに「時間がない」と言っていたのは、謁見の間で待ち構える自身のクローンとクロノ達が遭遇する前に決着をつけたかったからか。
ハクタがプレシアと交戦している最中にクロノ達もプレシアに遭遇してしまえば、プレシアが二人いるのだとバレてしまう。そうなればダミーを使っても管理局の目を欺くことはできない。
彼女は去り際、時間的にはとっくに限界だったと言っていた。つまりあの時すでに“もう一人のプレシア”はクロノと遭遇していて、何らかの方法で彼女はそれを知っていたのだ。
アースラがシャワーズの記録を調べて時間を照合していれば、プレシアが二人いた事実がすぐに判明していただろう。ハクタが気絶しているとき誰もシャワーズの記録を調べなかったのか、調べたがハイパーモード隠蔽のためシャワーズが何らかのプロテクトでも施していたのか。
いずれにせよ管理局はプレシアの複製に気付くことなく退散していったわけだ。
「もっとも、理論上は完全複製というだけで、貴方の主張が間違っていたとも言い切れないわ。本当に完全なクローンかどうかなんて、検証する時間がなかったもの…本人が虚数空間に消えてしまった今、その正否は闇の中…極端な話、全くの別人だったのかもしれない。けれどまぁ、外見だけなら完璧なものだったはずよ」
プレシアにとってそのクローンは、外見さえ同一ならば中身などどうでもよかったのかもしれない。アルハザードでアリシアを蘇生させるという希望を託してはいるものの、虚数空間に落ちてしまえば結局は無縁の存在だ。最悪外見だけ似ていれば管理局の目を欺く捨て駒としての役割は果たせる。
自らの分身であってもクローン相手にはとことんシビアなプレシア。ミュウツー好きなハクタとは相入れそうにない。いやミュウツーがクローンであるのは劇場版設定で本来はミュウの産んだ子供だったりするのだが閑話休題。
「そうだ、おまえの持ってた五つのジュエルシードはどうなったんだ? クロノも目撃してるし、やっぱり虚数空間の中に?」
「いいえ。全ての魔力現象をキャンセルする虚数空間では、ジュエルシードもただの石。あちらに持たせても宝の持ち腐れよ。アルハザードへの手土産にしては奮発しすぎだもの。回収しておいたわ」
虚数空間は別にブラックホールではない。あらかじめ十分な準備さえあればジュエルシードの回収は可能なはずだ。クロノ達が目撃したという落下するジュエルシードそのものが、最初からレプリカだったという可能性もある。
「じゃあアリシアも……」
「アリシアの躯は虚数空間に落ちていったわ。アルハザードでアリシアを蘇生させるならどうしても必要になるもの」
死後二十年以上大事に保存してきた愛娘の遺体を手放したというのに、プレシアは表面上なんとも思っていないようだった。
娘を伴わない我が道にそれほど自信を持っているのか。それとも娘の亡骸がアルハザードで息を吹き返すとでも思っているのか。
「“私達”は目的に必要なものをそれぞれ持っていった……私はジュエルシードを。私の分身はアリシアを」
死した娘の遺体を後生大事に保管して、再会だけを夢見て研究に明け暮れ、娘のクローンまで生み出してなお満足できず、一つの次元を巻き込む犯罪行為にまで及び……そして死の淵に立たされた彼女は娘に会える可能性だけを信じて、とうとう自分の体を二つに分けてしまった。
そこまでするのは果たして愛だろうか――ただの狂気ではないか。
我が子を亡くした親が平静でいられないのは当然だ。だが娘を失って二十年以上経てば、誰だって悲しみは癒え記憶は風化する。だというのにプレシアの場合は未だに狂気を維持しているどころか悪化している。
彼女はアリシアのことしか頭にない。新婚のバカップルだってここまで四六時中相手のことは考えていまい。
話を聞いているだけでこっちまでおかしくなりそうだ。
一方、どうしても考えてしまうのは、その狂気の犠牲となったもう一人の魔女のこと。
アリシアの亡骸と共に虚数空間に消えていった、会ったこともないプレシアのクローン。
生まれ落ちてすぐ死に向かうというのは、一体どのような心境だったのだろう――
いや本当に記憶が完全に複製されていたのであれば、彼女自身には生まれたばかりという認識すらなかったかもしれない。
彼女と話したことのないハクタでは、その精神がどの程度までオリジナルに近かったのか確かめる術はない。自分の死を嘆くことすらできぬほど幼い精神だったのかもしれないし、理論通り完全に複製された本人と同一といえる精神だったのかもしれない。
もしそうであったなら、
その狂気まで複製されていたのであれば、
死の瞬間まで娘と在る。それは――もしかすると幸せなことだったのかもしれない。
余命短い身の上だ。娘と離れ生きる道を選んだオリジナルよりも、娘と共に死ぬ道を選んだ彼女の方が、あるいは幸せだったのではないか。
そんな風に考えてしまう辺り、すでにプレシアの狂気に毒されているのだろうか。
こんな思考は似合わない。軽く頭を振って話題を切り替える。
「で、結局おまえの目的、おまえの希望ってのは何なんだ?」
「貴方に決まっているでしょう」
何を今さらと言わんばかりの口調で断言すると、プレシアは挑むような視線でハクタの瞳を射抜いてくる。
ハクタは射竦められながらも渾身の力を振り絞り、誰もいないのに自分の周りをきょろきょろ見回すというお約束のボケをなんとか成し遂げた。
プレシアから「おまえだよ、おまえ!」とツッコミが返ってくるはずもなく、呆気なくスルーされたが。
「ジュエルシードと限りなく近い魔力波形を持つ少年。ジュエルシードに本当に願いを叶える力があるのなら、その鍵を握るのは貴方しかないと思った。庭園で貴方とデバイスの共鳴現象を見て、その考えは確信に変わった」
魔力波形がどうとかいう話は初耳だが、近いも何もリンカーコアがジュエルシードから作れられているというなら当然だろう。
それより何故プレシアはそんなことに気付いたのか。ジュエルシードに関するデータは穴が開くほど見ているだろうが、ハクタ個人に関するデータの収集は困難だったろう。そこまでしてハクタのことを調べようと思うきっかけが何かあったはずだ。
思い返してみれば、プレシアの稲妻をくい止めたことがあった。目を付けられたとしたらあの時か。
そしてより一層の関心を持たれたのがハイパーモード発動の時。
ハイパーモードはハクタの「願望を反映した」姿だという。願望……あれはジュエルシードの力を利用したものだったのか。
今思えばシャワーズが魔力を保有しているというのも彼女がジュエルシードだったから。
ハイパーモードの正体は共鳴することで力を増すというジュエルシードの性質を利用したものか。ハクタのリンカーコアとシャワーズ、二つのジュエルシードの共鳴現象。シャワーズが周囲に隠したがるのも当然だ。
最初からジュエルシードとハクタの関連性に注目していたプレシアは、それを見てハクタがジュエルシードを制御できる存在だと確信したわけか。実際に制御していたのはシャワーズだったが。
さらにジュエルシードの力でもたらされたものはそれだけではなかったことに気が付いた。薄れていた記憶を呼び戻す。
――『あなたの願望を反映する、痒いところに手が届く不思議満載の素敵ビームです』
トリップ初日にシャワーズから聞いた、オリ主ビームの説明。
願望を反映する――すなわち、オリ主ビームもまた、ジュエルシードによる産物だったというわけだ。
ジュエルシードの力によって願望のままに世界を変革するビーム――ご都合主義をそのまま光線にして撃ち出すようなスキルだ。
それを望んだのは他ならぬ自分なのだが、なんという……なんという恐ろしいスキルを生み出してしまったのか……厄介なデメリットであったはずの一日気絶が、今では良心のようにすら思える。
「貴方こそ、私の希望の正体。アリシアへの道を繋ぐ者――」
こちらを真っ直ぐ見つめながら――菓子食べるのやめてくれませんかプレシアさん。
どんだけ大魔導師のハートを鷲掴みにしてるんだMOMOKOは。
「相変わらず絶品ね……」
真面目な話をしていたはずなのに、いつの間にか常連みたいなことを言いながら、タルトを口に運んでいる。衣装が例の魔女コスチュームでないせいで違和感がないのが逆に怖い。
「でも保存状態が悪いわ。保存魔法は使っているの?」
大魔導師に駄目出しをくらった。
「冷蔵庫という文明の魔法を使ったよ」
「教えてあげるから覚えなさい。菓子が可哀想だわ」
その感情は菓子相手にではなくフェイトにこそ向けてほしかった。
「余計なお世話だっ! 地球人は賞味期限を伸ばすのに魔法を使ったりしないんだよ!」
『教えてもらった方が良いのでは。食材が余りやすい一人暮らしの強い味方になります』
えっ、シャワーズさん、そっち側なんですか。
よく分からない流れになってきたが、頼みのセコンドに裏切られては流れに身を任すしかない。
結局ハクタはどういうわけか、20分にも渡ってプレシア先生の食品保存魔法講座を受けさせられた。
買ってきたばかりの豚肉パック300gを目の前に、講義の内容を思い出しながら魔力を練り上げていく。
術式の構築は得意なつもりだったが、食品の保存魔法となると正直意味が分からない。誘導弾やバスターはエネルギー放出するだけで非常に分かりやすい。シールドや飛行魔法も然程違わない。だが魔力をどう使えば食品を腐らせない方向に現象が作用するのか、20分程度の講義では理解が追いつかなかった。
意識を集中し、教えられた通りにイメージを構成、豚肉に調味料でもまぶすように魔力を塗り込んでいく。適量と思われる魔力を放出したところで切り上げ、緊張を解く。
隣から覗き込むように手許を見ていたプレシアが、遠慮もせずに溜息をついた。
「ひどい出来ね……」
「ほっとけ!」
「デバイスの補助があってこのレベルとは……これならあの子の方がまだ……」
「あの子?」
「……なんでもないわ」
「隠すなよ。どうせフェイトだろうに」
「デリカシーがないのね。踏み込んではいけない領域というものが理解できないのかしら」
「いひゃっ! なに頬摘んでんの、おまえ!? くだけすぎだろ!」
私服での来訪といい、オフの時でももう少しラスボスとしての自覚を持ってほしいものだ。まだ女性だから許されるが、もしスカリエッティがパーカー着てCDショップの試聴コーナーとかにいたりしたら、躊躇なく誘導弾をぶち込んでいるところだ。
「回数を重ねて練習なさい。上達した頃に私が生きていたら、また見てあげるわ」
「どんな風の吹き回しぃ!?」
真横からラスボスがアプローチしてくる。なんだこれ、ボスデレか。新ジャンルなのか。
アースラで魔法を教えてくれたのは野郎ばっかだったので、美人による魔法講習というシチュエーションには憧れなくもないが、とくせい「プレッシャー」持ちというのは勘弁してほしい。プレシアとプレッシャーは響きが似すぎだし無関係ではあるまい。今この時もハクタの自慢の技「からげんき」のPPはガリガリ削れている。
「緊張感ありすぎるのも疲れるが、この流れはこの流れで逆に耐えられない! とっとと本題に入ってくれ!」
魔法講習のために座らせられていたプレシアの隣の席から立ち上がると、テーブルに脛をぶつけながらもダイニング付近まで避難した。
「そうね…雑談で場も温まったことだし、そろそろこちらの用件に入りましょうか」
今の魔法講習で場が温まったと思っていたのか、このババァは。なんだかんだで自分の目的のため、こちらとの距離を縮めておきたかったのだろうが……あまりにも不器用すぎる。
ハクタが翠屋の菓子でプレシアの機嫌を取ろうとしたように、彼女は彼女でこちらの好感度上げに必死だったのかもしれない。今の衣装だってそうだ。時の庭園でハクタはプレシアの衣装について何かしらの批判をしたはずだ。彼女はそれを気にしてわざわざ私服で来訪したのではなかろうか。
そんな風に考えると不思議とこれまで感じていた威圧感がすぅーっと引いていく。この大魔導師が見た目通りの、ただの主婦に見えてきてしまった。
プレシアが立ち上がる。
ずっと座っていた彼女がとうとう臨戦態勢をとったという解釈もできたが、ハクタはもう恐怖を感じなかった。
「私の望みはアリシアと再び見えること」
彼女が拳を握り豊かな胸に押し当てた。こちらに火が点きそうなほど強い視線を向けてくる。
「叶えてもらうわ、ジュエルシード」
数秒間の沈黙。
プレシアはハクタを求めて来訪したと言ったが、詳しい説明を聞いた以上その興味はシャワーズに移っているだろう。ハクタはシャワーズを定位置のポケットから取り出して、携帯電話ごとプレシアに見やすいように掲げた。
シャワーズをプレシアと話させようとするポーズであるが、見方を変えれば、おまえら二人で好きなだけ話してろよ、という意思表示でもある。
『優秀な研究者だと聞いていましたが、意外にも呑み込みが悪いのですね』
口火を切ったシャワーズはまさかの挑発。主の命を脅かす不用意な挑発はやめてほしい。
『話を聞いていなかったのですか。願いを叶えるためには過不足なく七つ集める必要がある。あなたの所持する五つでは不可能です』
「だから貴方に頼んでいるのでしょう、ジュエルシード」
シャワーズの言葉に少しも揺らがないのは魔女の自信の表れか。
「あの時の共鳴現象、見させてもらったわ。貴方ならジュエルシードの持つ力を完璧に制御できる。ジュエルシードそのものでありながら確固たる自我を持つ貴方こそ、次元世界で唯一、自由意志によるジュエルシードの完全制御を可能とする存在」
その瞳に宿る熱は狂気だろうか。
表面上は冷静に見えても彼女は明らかに興奮状態にあった。長年追い求めた願いの果てを見ているのだ。平静でもなくなろう。
「ジュエルシードの持つ全ての力を抽出し、完全な制御ができるのであれば、五つだろうと不足はないはずよ。願いを叶えるのに必要な数が必ず七つというのは、本来おかしなこと。水を一杯という願いと海を作りたいという願いに必要なエネルギー量は大きく違うはず。七つでどんな突き抜けた願いでも叶える力があるのだとすれば、理論上は五つもあれば大抵の願いを叶えられるエネルギーを発生させられるはず。力が足りないということはないでしょう」
『七つ必要だというのは力の大きさの問題だけではありません。七という数そのものが重要なのです。ジュエルシードはその数で最も安定するように作られている。私が高いレベルで同胞の制御ができるのは事実ですが、その法則を越えるものではありません。また、物語のジンクスもあります。力の大小ではなく、七の理こそが我らの根源。その後押しがあって初めて、ジュエルシードは願いを叶えるという機能を得るのです』
「…っ………」
やっと見つけた希望から拒絶され、プレシアが目に見えて落胆する。彼女が俯くと長い黒髪が顔にかかって妙な迫力がある。
だがまだ諦めてはいないのか、額に手を当てその優秀な頭脳を回転させているようだった。
何か方法はないのか。ジュエルシードで本当に願いは成就できないのか。必死に考えているのだろう。
……プレシアもシャワーズも、随分と簡単なことを見落としてやいないか?
「なぁ、」
会話に割って入った。
「ジュエルシードならここにあるだろう」
どん、と自分の胸を叩く。
「シャワーズと俺のリンカーコアは元々ジュエルシード。二つを足しゃちょうど七つだ」
俯いていたプレシアの視線がこちらへ向く。携帯ストラップではなく、その後ろのハクタへと。
黒髪と指の隙間から凝視されるとホラー以外の何物でもない。
『ハクタ、自分の言い出したことの意味が分かっているのですか』
胸に当てた方と逆の手に持つデバイスに、不安になるようなことを言われた。
「えっ、も、もしかして、リンカーコアをジュエルシードとして使っちゃったら、俺の命に関わるとか、二度と魔法が使えなくなるとか……?」
『前例がないので断言はできませんが、ハクタに悪影響はないかと』
なんだ、脅かすなよ。
『そうではなく、あなたはプレシアに手を貸すことを自ら申し出たのですよ。あれほど文句を言っていた相手に』
「いや、あれは文句じゃなくて説教だから」
『私には罵倒のようにしか聞こえませんでした』
「おい!」
「私もただの罵倒だと思ったわ」
「えええっ」
説教を受けた本人にまでそう言われるとは。
いや元々SEKKYOUというものは言い掛かりと罵倒を組み合わせたまったく新しいオリ主の特技なのかもしれないが。
『ハクタ、あなたは本当にプレシアを救う気なのですか。それでよいのですか』
敵ではないのか。シャワーズはそう言いたいのだ。
考えてみる。自分は一体どうするべきか。
神ではない身だ、咎人を裁いたり許したりという権限はないが……少なくともオリ主という地位にいる。物語を改変する権利と、義務と、責任を担う立場に。
オリ主ならばここはどうするべきだろうか。救うべきか、見捨てるべきか。
オリ主の目的とは、役目とは、存在する意味とはなんだろう。そんなものは無限に存在するが、やはり究極的には不幸な結末の改変、不幸な結末を迎えるキャラクターの救済ではないだろうか。
原作で死ぬキャラクター、不幸なキャラクターといえば一期ではプレシア一人だ。フェイトはスタート地点の境遇こそ不幸だが、一期は彼女が救済されるための物語。最終的に不幸だとは思わない。
ならば――プレシアを救うことこそオリ主としての役目ではなかろうか。この世界にオリ主として舞い降りた以上、果たさなくてはならない義務ではないのか。
不幸な結末を迎えるキャラクターを、救わずして何がオリ主だ。
「シャワーズ、俺はプレシアを救ってやりたい」
プレシアがはっと息を呑んだ。やや好感度が上がったようだが、攻略対象が死にかけの婆さんでは嬉しい要素は一切ない。
「それがオリ主の役目だと思う」
「オリ主?」
プレシアが可愛らしく小首を傾げた。いい年だというのに不思議そうな顔はフェイトそっくりだ。
「グ グ レ カ ス」
「そもそも貴方のリンカーコアは、本当にジュエルシードとして使えるの…?」
「いや俺に訊かれても。元々そのつもりで乗り込んできたんじゃなかったのか?」
プレシアはジュエルシード目当てで、大層な身代わりの術まで使ってこの家に来たのではないのか。
「私はこの作戦のためにジュエルシード一つを使い潰したのよ…? 一つや二つのジュエルシードが目的なわけないでしょう。単純に数が欲しかったのなら、多少無茶をしてでも自分のクローンを三、四人作って管理局の戦艦に挑んでいたわ…」
この世界のプレシアはジュエルシードを六つしか集めていない。アルハザード行きが絶望的と判断できるほどの個数。
もしプレシアがハクタの存在に目をつけることなかったのなら、
もしリンディがクライマックスでアースラを離れ庭園に向かっていたのなら、
プレシアはリスクを冒してでもアースラ攻めを敢行していたかもしれない。
「ただの不安定な力の塊にすぎないジュエルシードを統べる頭、奇跡に変換する鍵――私が貴方に求めたのはそういう力よ」
「えっと……ジュエルシードの制御装置と使い方のノウハウってとこか」
すでに五頭いる暴れ馬を増やすより、優秀な御者と自分の乗れる馬車が欲しかったわけだ。ところがその馬車は、手に入れてみればまさかの七頭立てだったと。
「貴方達のデータを見る限り、単純にジュエルシードとして運用するのは難しいと思っていたのだけど……」
『私もハクタのリンカーコアも、すでに本来のジュエルシードとしての機能は失っています。せいぜい数合わせ程度にしかなりません』
「駄目なのか……」
ハクタとプレシアが揃って項垂れる。
『ですが制御するのが私ならば、力不足はある程度カバーできます。七という数は守られるので、恐らく願いを叶えることも可能でしょう』
「おおっ」
できるなら最初からできるって言わんかい。
『ハクタ、私はジュエルシードです。同胞の力を使って叶えられる願いならば叶えたいという本能があります。同時に同胞を「殺した」プレシアに力を貸したくないという感情も持っています』
その無機質な声に、どうしてかいつになく厳粛な響きを感じ取る。
それはこれまで聞いたこともないくらい、真剣味を帯びて出力された機械音声だった。
『しかし今の私はデバイス。あなたの願いでここにいる。ハクタの意志に、ハクタの願いに従いましょう。もう一度聞かせてください。あなたはどうしたいのですか――マスター』
改めて問われ、ハクタもオリ主云々の結論に逃げずにしっかりと考えることにする。
自問。
自分はプレシアを救うべきか否か。彼女を許せるのか否か。果たして彼女は報われてもいい人物なのだろうか。
フェイトに対する仕打ちだけなら、ハクタがとやかく言うことではない。問題は地球を巻き込んだことだ。プレシアは地球を崩壊させることでアルハザードへの道を開こうとしていた。これは世界中のどんな凶悪事件も霞むほどの大犯罪だ。
そんな人物を本当に許していいのか。許せるのか。
もしハクタが最初からこの世界の人間ならば絶対に許せなかっただろうが……やはりハクタにとっての彼女はどこまでいこうと「原作キャラ」なのだ。最初に染み付いていたイメージはリアルな彼女との邂逅を重ねても完全には払拭できない。
原作キャラとしてならば、彼女を許すことができる。彼女がやろうとしたことがいかに大それていようと、ハクタにとっては最初から知っていたことにすぎないし、なんといってもこの世界では何の被害もなかったのだ。
彼女を救いたいと思う気持ち。その気持ちを占める割り合いが最も大きいのが同情だ。
彼女の境遇を知っているがための同情。
先の短い人生への同情。
命を費やした研究の成果を役立てられないまま逝くことへの同情。
そして最後に、フェイトに対する同情だ。
うまくいけばフェイトの心を今よりも救ってやれるのではないか、そんな打算もあった。
一つの深呼吸を経て、シャワーズにもう一度決意を伝えた。
「シャワーズ、俺はプレシアの願いを叶えてやりたい」
『――了解』
もう一杯お茶を淹れてから、場は再会となった。
『ではあなたの願いを具体的に聞かせてください』
シャワーズが放った問いは、答えの分かりきったものだった。
「アリシアを生き返らせることよ」
即答だった。
『不可能です』
ばっさりだった。
『ジュエルシードに死者蘇生の機能はない』
「そんなはずないわ!」
髪を振り乱し鬼気迫る様子で噛みつくプレシアを見ていると、訳もなく謝りたくなってくる。
「決して不可能なはずの並行世界への干渉を実現するほどの力があるのに、何故できないの! 別の世界に魂を送り込むことや、一つの次元をまるごと滅ぼすことに比べれば、たった一人の死者を生き返らせるなど簡単なことでしょう!」
『簡単、ですか。あなたは研究者として優秀すぎた。なまじ秘法に近付いたため、死者の復活を身近に感じるようになってしまったのですね』
その無機質な声に含まれるのは、哀れみだろうか。嘲りだろうか。あるいは怒りかもしれない。
『プレシア、あなたは死を軽んじていませんか。あなたが考えているよりもずっと、死からの帰還は難しいことなのです。また私達を作った文明は死を神聖視していたためジュエルシードには死者蘇生の機能が実装されていません。それにあなたも知っているのではないですか。ジュエルシードの元になった説話は、その殆どにおいて、死者を蘇らせる願いは受理されない』
……ドラゴンボールなら死者は蘇るというのに、ジュエルシードにはできないようだ。しかし本家でも死後何年以内という制限はあったかもしれない。死後20年以上というヴィンテージもののアリシアはさすがに無理か。
「…………」
あと一歩のところまで来ているのに、掴めそうで掴めない。そんなもどかしさにか、プレシアは薄く朱を塗った唇を噛んで押し黙ってしまった。彼女が再びそれを開こうとしたとき、シャワーズが機先を制す。
『先に言っておきますが、時間を戻すことも不可能です。事故そのものをなかったように歴史を改変すること自体は可能ですが、それによって死者が蘇ることはありません』
死者を蘇らせる願いは叶えられないし、同様に「結果的に死者が蘇る願い」も不可能ということか。
「じゃあ、私はどうしたら……再びアリシアと会うためには、一体どうすれば……」
希望を掴みそこねた両手で頭を抱え込み、プレシアは失意を振り撒くように弱々しく首を振る。
その姿は可哀想、と感じるよりもどこか恐ろしく見えた。絶望に取り憑かれ何をしでかすか分からない危うさがあった。
『アリシアの幻を用意することなら可能です。触れることができ、あなたの記憶から本物そっくりの行動を再現し、周囲の人間にも認識できる。あなたに幻であるということすら忘れさせれば、本物と何ら変わりない状態となりますが――それでは納得できませんか』
当然だと言うようにプレシアが頷くと、他に方法はないとばかりにシャワーズは口を閉ざす。
「並行世界を使ったらどうだ」
見ていられなくて、ハクタは口を挟んだ。
「俺がこの世界に来たのと同じ原理で、並行世界から、事故で死ななかったアリシアを連れてこれないか?」
ハッした様子でプレシアが顔を上げる。その発想はなかったと言いたげだ。
女史が呆然とする中、シャワーズは想定済みだったのかすらすらと答える。
『肉体は無理ですが魂だけなら連れてくることは可能です。ですがその際、プレシアには魂の容れ物としてアリシアのクローンを作成してもらうことになります。フェイトのように人工生命まで定着させる必要はありませんが、時の庭園の設備なしでは難しいかと』
「なんとかしてみるわ」
『クローンの出来次第では、同位体としてのシンクロ率が損なわれ、奇跡の成功率も低下しますが』
「……なんとかしてみるわ」
素体であるアリシアの躯を失い、研究室のある時の庭園は半壊し管理局の監視下。虎の子のジュエルシード製クローンも当然作ることはできない。なかなかに厳しいのではなかろうか。
『仮にそれがクリアできたとしても、それは結局、その世界のプレシアからアリシアを奪うことになります。その世界の自分に同じ悲しみを味わわせることは、プレシアも望むところではないでしょう』
いつもよりもさらに冷たさを感じる口調でデメリットだけを述べていくシャワーズ。
「んー、じゃあアリシアは生きてるけどプレシアが死んでいる世界なら?」
『プレシアの生死は大きな問題ではありません。アリシアが事故で死ななかったとなれば、彼女はもうそれなりの年齢です。彼女には向こうの世界での本来の生活がある。そこから切り離して魂を連れてくることは、そちらの世界での彼女を殺すことと同義です』
「そんじゃ、アリシアの魂を複製して連れてくれば? これなら元の世界のアリシアを殺すことにはならないはず」
プレシアがジュエルシード一つを使い潰すことで人格すら複製したクローンを作成していたくらいだ。技術的には可能なはずだ。
『こちらに連れてくるアリシアにとって、突然知らない世界に拐かされるという事実は変わりません。自分の築いてきたものもない、知り合いもいない世界に突然連れてこられれば、その境遇は受け入れ難いものでしょう。原因となったプレシアを恨むかもしれません。それはプレシアの望みとは異なるはず』
突然知り合いもいない世界に連れてこられたのは自分も一緒だ、とハクタは少し思った。
並行世界やジュエルシードについて誰よりも詳しいシャワーズの改善案を期待してしばし沈黙してみる。が、結果は本物の石ころのような無反応。
シャワーズは容赦なくこちらの案を拒否してくるくせに、自分から何らかの案を出そうとはしてこない。どうやら従うとは言ったものの、この件に関しては積極的に協力する気はないようだ。
彼女はプレシアに明確な反感を持っているようだし、その理由も先ほど本人が語っていたためはっきりしている。
シャワーズには珍しく、とても感情的な理由だ。
今の彼女は宝石というより凍れる巌。
慣れ親しんできた相棒とは思えぬほどのプレッシャー。今のプレシアと対峙しているとどちらがラスボスかあべこべだ。
こうなるとか弱いプレシアを後ろに庇いながら、ラスボスのシャワーズに挑んでいるような心地になってくる。 家にラスボスが攻め込んできたと思ったら、真のラスボスはすぐ近くにいた、というどんでん返し。ラスボスがシャワーズということはライバルがイーブイを連れている「ピカチュウバージョン」か、とアホなことを考える。
しかしこれまで自分がいかにシャワーズ頼みだったのか痛感する。困った時にアドバイスをくれていた相棒が敵に回り、まるで脳みそが半分になったような錯覚。
味方の女史は状況に戸惑っているらしく呆けるばかり。今回に限って言えば役立ちそうにない。
こんな状態でシャワーズという――いや、全ての元凶であるジュエルシードという、ある意味最強の相手に挑まなくてはならないのだ。
かつて次元をも滅ぼした、厄介ごとばかりを持ち込む災いの種、ジュエルシード。
そこから幸せを芽吹かせるため、ハクタはなんとか無い知恵を絞り出す。
「この世界と同じようにアリシアは死んだけど……プレシアが蘇生に成功し、その後プレシアは死んでしまった世界、ってのを見つけてきたらどうだ。アリシアが目覚めたばかりの世界なら身寄りや親しい人もいないはずだ」
並行世界が無限だというのはどんな世界も存在する可能性があるということ。そういう世界も探せば見つかるのではないか。
『本当にそんな世界が見つけられるのであれば可能ですが、難しいかと』
やはりそうか。死者の蘇生はそんなに簡単ではないとプレシアに説いているのを聞いたばかりだ。
無限の並行世界にはプレシアが死者蘇生に成功した世界もあるにはあるだろうが、確率がそれほど低いのならばその分発見は困難になるし、アリシアが目覚めたばかりのタイミングとなるとさらに限られる。その上で直後にプレシアが死んでいなければならないというのはシビアすぎる。
「じゃあこういうのは? アリシアは例の事故で意識不明の重傷を負うが生きていて、治療法が確立するまでコールドスリープかなんかで冬眠状態になっててー、それをプレシアがクローン技術による移植とかで治療してー、アリシアは目覚めたが、プレシアは病で死んだ世界」
段々とややこしいことになってきた。
『プレシアが蘇生に成功している世界よりは見つけやすそうですね。アリシアも目覚めてすぐであるなら向こうでの生活も考える必要はないでしょう。身寄りを亡くして孤独に生きるより、こちらの世界のプレシアと出会う方が良いかもしれない』
シャワーズのお墨付きが貰えたようだ、と一瞬思ったが甘かった。
彼女は一拍置いて、
『ですがプレシアはもう長くない。ハクタ、あなたはアリシアに、母親の死を二度体験させるのですか』
その言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。
無機質な声で表情を持たないシャワーズを、これまでただのデバイスだと、無感情なデバイスにすぎないと思っていた。だがアリシアの感情まで慮ったような指摘を受けて、今気が付いた。
そうだ、彼女はただのデバイスではない。インテリジェントデバイスとしてのAIだけでなく、ジュエルシードとして“願い”を、人間の感情を、理解する機能を持っている。人間同様に人の心を推し量ることができる。毒舌デバイスとしての身の丈もわきまえず、人を思いやることができるのだ。
肉体はずいぶんとコンパクトだが、中身は人間に近いのかもしれない。
……いや、StSに出てくるちっこいリインフォースですらデバイスに属するのだから、別段驚くようなことでもなかったなー、うん、とあっさり思い直した。
「うーん……並行世界への干渉って、同じ時間にしかできないのか? 例えばアリシアが事故に遭う前に干渉するとか」
『不可能です。そもそも並行世界干渉そのものが反則のようなもの。その上で時間軸まで移動するとなると奇跡という範疇すら逸脱してしまいます。干渉できるのはある程度共通項の多い時間軸、最低でもプレシアの年齢やアリシアが生まれてからの時間が共通していなければ、世界間のリンクは作れません』
ゲームとアニメというリンクのおかげで繋がったハクタの世界とこの世界の相互時間軸は、対象物によって前後するかもしれないが、少なくとも二人の小森白太の年齢は一致している。そういう意味で元の世界とこの世界の時間軸は、ハクタを中心に同期しているといえる。
「ええっと……うん。じゃあアリシアが事故で生き残るもコールドスリープ状態で……そこから目覚めぬままプレシアが死んでしまった世界ならどうだ?」
体が瀕死でも魂は健康だろうし、こちらの世界で健康な肉体に入れれば目覚めるはず。
これなら本来は目覚めないはずのアリシアを救うことにもなる。プレシアからアリシアを奪うことにもならないし、アリシアから向こうの世界の生活を奪うことにもならない。さらにアリシアが目覚めたばかりのタイミングを選ぶ必要もないから該当世界を見つけやすいだろう。
「親の死は見せることにはなるが、二度も見せることにはならないし、むしろ本来会えないはずの母親にもう一度会えるんだ。並行世界の別人とはいえ親の死に目に会うことができる。場合によってはプレシアの死後、フェイトに会わせてやってもいい」
『良い案ですが、それではプレシアの余命は残り少ないままです。アリシアと長い間共にいられるわけではない。明日をも知れぬ命のまま、娘に心配させながら日々を過ごすことになります。そして碌に思い出を作る間もなくアリシアに母との別れを経験させることになる。それは両者にとって、本当に幸せと呼べることでしょうか』
シャワーズは淡々とデメリットを指摘していくが、ハクタのこの案への自信は揺るがない。プレシアの余命という一点を除けば問題はほぼクリアされている。
肉体と魂、世界と世界とが絡みあうこの問題。これより良い案を導き出そうとすれば頭がこんがらがりそうだ。
髪も乱れ、ぐっと弱々しい印象になったプレシアが、崩れ落ちるようにソファに腰掛けた。
「……それでも……構わないわ」
彼女も先程の案が最善だと思ったらしく、搾り出すような声で告げる。
若干どころでなく悲壮な感じだが、自分の余命についてはとっくに覚悟しているプレシアだ、その案で妥協したようだ。
だが彼女を救うことが目的なのだ。本人がそんな様子では今度はハクタが納得できない。再び頭を悩ませ、やたらややこしい課題に挑む。
ハクタはまだ、もっといい結末を諦めていない。
「んー、アリシアの魂を連れてきつつ、プレシアの病を治すことは……やっぱ無理なんだよな?」
『ジュエルシード七つで叶えられる望みは一つだけです。ましてや七つのうち二つは紛い物。融通は利かせられません』
融通……ハクタを転校させたという件などだろうか。
ハクタの強制転校が事実だとすれば、受験に関わる全ての記録と、両校の人間の記憶まで塗り替えていることになる。一見ぶっ飛んだ奇跡に思えるが、シャワーズは先程、歴史改変は可能だと言っていた。恐らくハクタの高校受験と入学という、過去の事実そのものを書き換えたのだ。そうすれば一人一人の記憶などいじる必要もなくなる。
それでも結構な奇跡には違いない。ここまで融通を利かせるのはジュエルシードが七つ揃ってこそ成せる業なのだろう。
いや、よくよく考えると転校は「ゲーム世界を体験する」という“もう一人の小森白太”の願いとジャスト一致する。願いそのものと言ってもいい。融通というのは少し違うか。
シャワーズの話によると並行世界への干渉というのは、ジュエルシードの力を持ってしてもかなり難しい現象のようだ。あちらの世界でハクタを転校させることは、結構な並行世界改変となる。願いと一致していなければ不可能な奇跡――
「あっ」
今頃になって自分が魂の交換相手に選ばれた理由に気が付いた。
そうか、“ゲーム世界の小森白太”に空間認識力を付与することは、並行世界の改変になってしまうわけか。
“主人公としての素質”などと言って空間認識力が高い同位体をわざわざ探しだすより、ハクタに演算能力やらを付与したように、向こうの世界の自分にも空間認識を付与すればよかったのでは、と思っていたのだが。
よくよく考えれば向こうの世界の事実を改変するのは並行世界干渉。こちらの世界のハクタに能力を与えるのとはわけが違う。
ハクタを転校させたのも並行世界干渉だが、あれはゲームの舞台に行くためのもの。本来の“願い”の内容そのものだ。逆に空間認識云々は願いとは直接は無関係。
ジュエルシードは本来の祈願者の願いをより良い形で叶えるため、「ゲーム世界で主人公になれるスキル」を彼に与えたかった。だが願いを叶えるためであっても、願いと直接関係ない事柄での並行世界干渉は不可能。そこで最初から空間認識力を持つこの自分が、魂の交換相手に選ばれたというわけか。
逆にジュエルシードがこちらの世界で発動したため、こちらの世界におけるハクタの演算能力や反射神経のブーストは、並行世界干渉には値しない。
なるほど、すっきりした。
それに自分があくまで純粋に空間認識という才能を評価された結果としてここに連れてこられたのだと認識すると、なんだか気分が良かった。突然知らぬ世界に連れてこられた事柄に関して、少しは納得できそうだ。
それを踏まえてプレシアのことについて考える。
プレシアの体を癒すことは並行世界干渉ではないが、願いとの関連が薄い。
だからといって「並行世界から連れてきたアリシアと末永く一緒に暮らす」という願いだと、アリシアを連れてくる願いとプレシアを治療する願いの二つの願いになってしまう。
ジュエルシードが本当に七つ揃っていたならその二つは同時に叶えられたのかもしれないが、ジュエルシードは実質五つのためそれも不可能。
アリシアの魂を連れてくるなら、プレシアの病は癒せない。それはアリシアの魂とプレシアの体という二つの事象があまりにかけ離れているからであり、二つの願いを一つにするためには――
「あっ、逆ならどうだ!?」
『逆とは?』
「アリシアの魂を連れてくるんじゃなくて、プレシアの魂を並行世界に送り込む!」
プレシアの魂を健康な肉体に送り込めば問題は一気に解決だ。
発想はジュエルシードの真似っこである。対象の願いを叶えるのではなく、願いが叶っている世界に送りこもうというわけだ。ジュエルシードが空間認識力を持つ同位体を探しだして魂の器としたように。
この案だと前案と違い、フェイトとアリシアを互いに会わせてやれないことが非常に残念ではあるが……。
ただ容れ物としてアリシアのクローンを作る必要がなくなるため、懸念事項であったクローン精度問題も解消される。
『向こうでの器はどうするのですか。そちらの世界に生きるプレシアの魂は消滅することになりますよ』
「なら俺のときみたいに魂の交換……は無理か」
あちらのプレシアの魂を連れてくるためには、こちらの世界に来たがっているプレシアを見つけなくてはならない。
アリシアを失い、全てを失い、犯罪者となって余命も短い……こんなウン重苦の世界に来たがる奇特なプレシアはいないだろう。
「あ、じゃあ死体ならどうだ? プレシアの亡骸が綺麗な状態で存在する世界を見つけたらいいんじゃないか? アリシアの死体を後生大事に保管しているプレシアがいるんだから、プレシアの死体をカプセルかなんかに入れて保管しているアリシアがいる世界があってもおかしかないし。 俺にオリ主補正が付加できたみたいに、プレシアの“魂の受け皿”としてなら、ちょっとぐらい死体を健康な状態に修復しても、願い一個分の範疇だろ?」
死体の修復も、死人の器に魂を移すことも、死者蘇生には該当しないはずだ。健康な死体というのは変な表現ではあるが。
『そういうことなら恐らく可能です』
よっしゃ!とハクタはガッツポーズ。プレシアはソファに座り込んで項垂れていた体勢のまま、呆けた顔でハクタを見ている。二週間前にラスボスとして杖を振るっていた頃の威厳はすでにない。
重ねた齢がそのまま狂気となったような鬼気迫る顔と童女のように無防備な顔を交互に見せるため、別の意味で不気味ではあるが。
『ですがそれはジュエルシードが完全であったならの話。先程融通は利かせられないと言った通り、死体の修復という要素を含めますと、成功率が下がることは頭に入れておいてください』
「むぅ……」
死体の修復は願いとの関係はわりと強いはずだが、それでも並行世界干渉には該当してしまう。不完全なジュエルシードでは力不足というわけか。
「あっ、双方向にして魂を交換しなきゃ次元震が起こるんだっけか?」
原理はからっきしだが確かそんなことを言っていた。力をループさせるとかなんとか。
『私ならジュエルシードを完全に制御できますので一方向の現象でも次元震は抑制できます。ただし私とハクタのリンカーコアはジュエルシードとして運用するには適していません。イレギュラーが起こらないとも限らないので、どちらかといえば双方向が望ましいです』
「じゃあ脳死状態かなんかで意識不明になって冬眠処理されてるプレシアを見つけてきてぇー、入れ替わりたいと思っているプレシアを見つけるのは難しいから、プレシアの目覚めを望んでいるアリシアの“願い”を利用する形で、意識不明のプレシアとこの世界のプレシアを入れ替えてぇー、ええっと……」
『脳は魂と密に繋がっているため、魂の移植によって容易に修復できるでしょう。その案なら成功率を低下させることなく健康な肉体に魂を移植できます』
「おおっ」
この条件の場合、意識不明のプレシアの魂はどうなるのだろうか。この世界のプレシアの肉体を得ることで目覚めるのか、やはり意識不明のまま死んでいくのか。どちらでも哀れな気がするが……元々半分以上死んでいたのだ。構わないだろう。
『ですがその条件だと、その世界でプレシアの目覚めを信じて待っているアリシアを騙すことになりますが』
確かにその世界の意識不明だったプレシアが目覚めても、それはその世界のプレシアではない。並行世界のプレシアの魂が入り込んだだけの別人だ。
「それくらいなら構わないだろう、プレシア」
当事者に話を振る。プレシアは一瞬きょとんとした。
長年夢見たアリシアへの再会……その新たな可能性を次々に目前に提示され、それを検討する間なくシャワーズがぶった斬っていき、ハクタがめげずに改善案を持ってくる。長年の研究はなんだったんだというようなこのスピーディーな流れに、彼女の頭はオーバーフローを起こしていたのか、明晰な頭脳を持つはずの彼女が話についていけてなかったようだ。
ハクタもこの問題のややこしさには辟易していたので気持ちは分かる。
しばらく見つめ合うように沈黙していると、やがて思考が展開に追いついたらしく、決を聞かせてくれた。
「……その条件でお願いするわ」
並行世界の意識不明のプレシアと魂を交換する、それが上手くいかないようなら、こちらから一方的に魂を送り込む、と。
「決定、かな」
『いいえ』
纏まりかけていた話に水を差すシャワーズの発言。
これまでいくつもの案を粉砕してきた彼女が、また何がしかのデメリットを見つけてきたようだった。
『これまであえて口にしませんでしたが、並行世界を使う全ての案には共通の問題があります』
ハクタに対しては毒舌デバイスと認識されているシャワーズだが、ユーノやなのはには特に毒はない。だから他人には温かく主には冷たい、デレツンデバイスなのかと思っていたが、プレシアに対してはむしろ、主に対するより厳しい態度のように思える。そこには――憎悪すらあるかのよう。
そんな冷徹デバイスの言葉にプレシアも何を言われるか、やや身構えたようだった。
『プレシア、並行世界のアリシアはあなたの知るアリシアではありません。あなたの産んだアリシアではありません』
シャワーズの指摘は……当然かつ基本的な問題だった。
『アリシアと同じ顔、同じ記憶を持つフェイトを愛せなかったあなたに、果たしてその子を愛せますか』
しかし、とても大きな問題であるように思えた。
『できる限りあなたの世界のアリシアと近いアリシアのいる世界を探してくるつもりでいますが、それも限界はあります。
並行世界のアリシアは、言葉遣いが違うかもしれない。好物が変わっているかもしれない。
事故に遭わずに普通に生きてきたアリシアであれば、すでに子供を産んでいるような年齢です。
そういう意味では私が提案したアリシアの幻の方が、あなたの知るアリシアに遥かに近い。
それでもあなたは、並行世界の彼女をアリシアだと言えますか。アリシアとして愛せますか』
もし人間だったなら、感情を持つこのデバイスは一体どんな表情をしているのだろう。創られてから日が浅いであろうデバイスの体は、人間なら少女といえる齢だろうか。
きっとその双眸はコアの宝石のように青く美しいのだろう。
だがその瞳の奥に秘められているのは、願望の実現という、神の如き力だ。
その照準に捉えられたプレシアは今、どのような思いでいるのだろうか。
『フェイトを愛せなかったあなたに、アリシアの別人を愛することが、本当にできますか』
「できる……」
反射的に答えかけて、プレシアは首を振った。
「いいえ、分からないわ。でも……」
プレシアは何らかの決意を決めたようだった。淀みの重さを感じさせない動作ですっくと立ち上がる。
そうすると今までの弱々しい姿も、狂気を帯びた姿も、どこかに消えてしまったようだ。力強く堂々として見えた。
「今度は、愛してみせる」
言葉が病人のものとは思えぬほどの活力をもって響く。
プレシアは同じくらい力を持った視線で、青き宝石の瞳を見つめ返していた。
沈黙はわずかな間。シャワーズが緊張を解いたような気がした。
『最善は尽くすつもりですが、確実に上手くいくとは思わないでください。七つのジュエルシードのうち二つは正式なものでないことを考えれば、失敗する可能性も少なくありません。並行世界そのものは無限でも、条件に合う世界の観測は容易ではないのです』
「それでもアルハザードを目指すより成功率は高いわ」
『魂の転送は当然、失敗すれば生命を失いますが』
「元から私は死人のようなものよ」
今度こそ本当に話はまとまったようだ。
プレシアの顔も初めて目にするような明るさで、やる気に満ち溢れている。
「あ、待った」
そこにハクタが制止をかけた。
「協力するにあたって、俺からおまえに一つ条件があるんだ」
「私にできる限りのことなら、何だって従いましょう」
「じゃあフェイト宛てのビデオメールを作ってくれ」
「え……」
背後から豆鉄砲を構えた鳩に奇襲を受けたらこんな表情になるだろうか。その条件はプレシアにとって思いも寄らぬものだったようだ。
「嘘でもいい。あいつを気遣う内容のメッセージを送ってやってくれないか。きっとそれだけで、あいつは随分救われると思う」
「…………」
沈黙と嘆息という段階を踏んで調子を取り戻した彼女は、やや呆れたような仕草で肩を竦めてみせた。
「それが私に手を貸した理由なの? 本当に貴方はフェイトの何なの? 以前私と戦ったときも、貴方はあの子のことばかりだったけど」
「残念ながら大した関係じゃない。向こうはこっちの顔すら憶えてないだろうし」
「赤の他人にしては随分と構うのね?」
「おまえが構ってなさすぎだから周りが放っとけないんだろ」
「そう、ね……そうだったかもしれないわ……」
「で、嫌か?」
プレシアは目を瞑り軽く息を吸った。彼女にどんな葛藤があるのかは、ハクタには理解できない。あんなに可愛くて健気で親思いの娘を冷遇する気持ちなど、理解できようはずもない。
「……いいえ、やりましょう」
そう答えても彼女はまだ戸惑っているように見えた。
手を貸すために提示された条件なのだ。フェイトのことが嫌いなら利用するぐらいなんでもないはずだし、迷わず引き受ければいい。逆に万が一好いているのなら、それこそ迷う理由などないはずだ。
プレシアの葛藤はやはり、ハクタには理解できない。
プレシアと少し打ち合わせをすると、プロデューサーのハクタはリビングを出て二階の自室に引き上げた。
ハクタがいては主演のプレシア女史も演技に集中できまいという配慮のためだ。後は監督兼カメラマンのシャワーズに丸投げした。
自室のデスクチェアに腰掛け、キャスターで軽く前後に滑りながら手持ち無沙汰に窓の外を眺める。自宅全域に張り巡らされた結界のせいで景色がどろっと歪んで見えた。
ビデオメール撮影中の一階リビングに思いを馳せながら、背もたれをキコキコ揺らす。どうにも落ち着かない。なんだかんだで気になって仕方なかった。
いったいどんな内容のメッセージになるのか、ハクタはまるで知らない。台本は主演のプレシアに任せたからだ。そちらの方が真に迫るだろうと思ってのことだし、実際ハクタが脚本を担当するより良いメッセージになるだろう。
シャワーズが監督をしているので下手なことは言わせないだろうし、ハクタがあれこれ口出しするより完成度は上がるはずだ。
企画立案のハクタPが指定した内容は一つ。
「このビデオメールは自分の死後、自動送信するよう設定されている」と語ること、だ。プレシアはすでに死んでいることにした方が都合がいいと思いこういう設定にした。
あとの内容はプレシア・シャワーズ任せだ。予想するに「本当はフェイトのことも愛おしく思っていたが、自分の命は長くないので別れが辛く、冷たく接していた」みたいな感じの内容になるのだろうか。
プレシアならもっと自然で良いシナリオを用意してくるかもしれない。
何度かリテイクでもくらったのだろうか、一時間近くもハクタをヤキモキさせてようやく撮影が終了したあと、メンバーはリビングに再集結した。
フェイトへのメッセージを収録することで何か吹っ切れたのか、プレシアはすっきりした顔をしていた。
もう胸元あらわだった大魔導師の印象はどこにもない。完全に柔和な主婦のような……母親のような雰囲気だった。
顔を付き合わせてシャワーズが細かい注意事項を挙げていく説明会を終えた後、プレシアが何もない空間から青い宝石を五つ取り出すと、一つずつ慎重にテーブルに置いていく。
とうとう作戦決行だ。
「……お願いするわ」
この世界からの旅立ち。感慨深そうにプレシアが呟く。
彼女の存在が妙に薄く感じて、ハクタは漠然と実感する。
いってしまう。
彼女はこれから、この世界から消えてしまうのだ。
「プレシア!」
焦燥感に思わず声を上げた。
「ええっと……なんつーか」
こういう時に気の利いた言葉の一つも浮かばないのは自分の悪いところ。
「――なんだかんだあったけど、おまえの幸せを願ってるよ」
機知に富んだ言葉は出なかったが、代わりに右手を差し出した。
プレシアはその手を取ろうとして……一度出した手を引っ込めてしまった。その間に何を悩んだのか、いい歳こいて異性の手を握ることに羞恥でも感じていたのか――彼女は一秒後、結局手を伸ばし、ハクタと別れの握手を交わした。
天下御免の大魔導師も、人肌のぬくもりを持っている。当たり前のことだけれど、何故かハクタには衝撃的だった。
「貴方にはいろいろと迷惑をかけたわ。その……さようなら」
「あぁ、じゃあなっ。こう言うのもおかしいかもしれないけど――元気で」
弱々しく握られるだけだった彼女の細い手を、強く握り返す。
その行為に応えるようにプレシアが微笑んだ。花が綻ぶとはこういうとき使う喩えだろうか。彼女が類稀な美貌の持ち主だと至近距離で再認識してしまい、ハクタは思わずフリーズした。
「……今だから言うけれど、貴方が以前言ってくれたこと、本当はとても嬉しかった」
冷凍状態の身体に反してどんどん熱くなっていく耳元に、プレシアがそんなことを囁いた。
何のことを言っているのか分からない。彼女には様々な言葉を投げかけたから、思い当たる節がないというより、心当たりが多すぎてどれのことなのか定まらない。ただ“以前”と言うからには時の庭園での言葉だろう。罵倒と思われていたという言葉たちの中で、一体何が彼女の琴線に触れたのだろう――
考え込んでいるうちにプレシアの右手はすっと離れ、彼女自身も距離を取る。
別れの挨拶は終わった。後は旅立ちだけだ。ハクタもこれ以上彼女を引き止める気はない。
いろいろあったが、今となっては彼女の門出を祝福したい気持ちでいっぱいだった。
失敗すれば命はないという話を思い出し、成功を真摯に祈る。
五つのジュエルシードが生命を得たようだった。テーブルからすっくと起き上がり、そのまま空中に浮かび上がる。
五つの宝石と携帯ストラップが青白い光を帯び始めた。
ジュエルシードは人々の幻想の集合体だとシャワーズは言った。ならば輝くは人の想い。その強い願い。
孤独な魔女が絶望の闇でやっと見出した希望の光。
輝きはどんどん強まっていく。
大空を太陽ごと凝縮したような、神秘の光。
とても美しい、六つの光。
それに呼応するように、ハクタの胸で心臓ではない器官が脈打ちはじめる。やがてその鼓動は激しさを増していき、身体を揺るがす激震となった。
立っていられなくなり、ふらりとよろめく。
傾く視界に映ったのは、青白い光に照らされた、一人の女性の横顔。
彼女が振り返る。
全てを覆わんとする光の中、ありがとう、と、定番中の定番の台詞を口にして――
光が強く、その表情はもう確認できない。
きっと、笑っていたと思う。
笑って最期の言葉を口にして――
青白い閃光が夕方の室内を一分の陰なく埋め尽くした。
それは奇しくも、物語の始まりの日、この家から発せられた光と同じ光であった。
目を覚ますと周囲はすっかり暗くなっていた。
いつの間にかリビングの絨毯にぐてっと倒れていた。立ち上がって部屋の電気を点けてから時計を確認すると、普段ならもう夕食を終えているはずの時間だった。まだ米も炊いてない。
ついつい夕飯の献立を考え始める頭を、軽く振って諌めると、相棒の姿を探す。リビングのテーブルの上に携帯電話とそのストラップを見つけた。ジュエルシードの制御者として活躍した直後だというのに、これといって変わりはないようだ。
同様にハクタの身体にも異常はない。もしかしたらリンカーコアに何らかの変調があるかもしれないが、その確認は後回しだ。
「どうなった?」
『終わりました。抜け殻となったプレシアの肉体は処分しておきました』
「……さらりと怖いこと言うなぁ」
魂を交換しなかったのか、交換したが目覚めなかったのか。そもそもどうやって処分したのか……。
「……成功したのか?」
『不明』
「そういうもんなのか?」
『そういうものです』
そういうものなら仕方ない。
「ジュエルシードは?」
『願いを叶え終えたジュエルシードは次元の海に散らばるのが摂理です』
そう言う彼女はジュエルシードであってジュエルシードでない。どうやら居残ってくれたようだ。
とりあえずもういい時間だ。とっとと夕飯を作ってしまおう。
具合を確かめるように首を振る。無理な体勢で倒れていたため若干首を寝違えてしまったようだ。
違和感のある首をぐいぐい動かしながら台所に入っていく。
リビングからシャワーズの声が飛んできた。
『ビデオメールは結界が解除されると同時にバルディッシュに送信しておきました。複数のダミーを経由させたので、今のフェイト個人がいくら調べても私が発信元だとは割れないはずですが、もし時空管理局が本格的に調査すれば一週間とせずに判明してしまうかと』
プレシアと関わりがあったと管理局に知られてしまうと何かと面倒だ。
「それは多分大丈夫だろ、うん。……まぁ祈るしかないな」
今のうちに言い訳を考えておくべきだろう。
まぁハクタとプレシアが交戦したことは周知になっているようだし、その時に引き受けたことにすれば問題はないはずだ。シャワーズもそう思ったからこそフェイトの裁判終了を待たずに送信したのだろうし。
裁判中に送ってしまえば管理局側にメールを見られる可能性も高くなってしまう。そのことに気付かぬシャワーズではなかろう。
問題は撮影場所がおもいっきり小森家のリビングだという点だが……そこはまぁ、きっとプレシアやシャワーズがなんとか背景を加工してくれたはずだ、うん。
『いつまでもデータを所持していると危険なのでビデオメールは送信確認後、削除しました』
「……そっか」
どんな内容だったのかちょっとどころでなく興味があったので残念ではあるが、他人へのメールを勝手に検めるのも野暮というもの。知らない方がいいのかもしれない。
むしろ即削除というのはシャワーズ側にハクタに見せまいとする意図があったとしか思えない。素直に諦めよう。
念のため炊飯器を確認する。分かってはいたがやはりすっからかんだった。今から米を炊くのは時間的に厳しい。
パスタでも茹でるか。
鍋を取り出しながら、なんとなく背後を振り返った。
リビングのテーブルには空になったお菓子の皿とティーセット。
青い宝石のストラップがついた携帯電話。
……ぽつりと残された豚肉のパック。
――上達した頃に私が生きていたら、また見てあげるわ。
「あいたた……」
無理な角度で振り返っていたせいで寝違えた首が悲鳴をあげていた。
「いってーなぁ……」
首の痛みをおさめるため、しばしの間俯いた。
痛がる顔をシャワーズに見られるのも癪なので、リビングに背を向けて。
今頃、彼女はどうしているだろう。
ちゃんと呼吸はしているだろうか。心臓は動いているだろうか。
娘とは会えただろうか。
もし彼女が生きていたとしても、魔法の上達具合をチェックしてくれることは、二度とない。
――嘘つきめ。
チクリと胸が痛む。プレシアが死んだと思っていたときに感じた痛みと、同じ種類の、もっと強い痛み。
彼女の存在を引き摺るのはフェイトの役目だと思っていた。
けれど、
フェイトが引き摺る感傷のほんの一パーセント未満なら、自分が引き摺ってやるのも悪くない。今はそう思う。
時間とともに薄れてしまう痛みだけど、
きっと簡単に忘れてしまう熱だけど、
せめて、
今だけは。
俯いた顔はしばらく、上げられそうにない。
**********************************
本作品に登場するジュエルシードの設定は、原作とは無関係な捏造です。
*執筆 2011. 8月
*投稿 11. 12/8