アレクトロ社の新型魔導炉ヒュードラ開発プロジェクトに主任として携わっていたプレシアはとても忙しかった。
研究が実戦段階に移り、実験所のすぐ近くに会社が用意したマンションへと娘とともに引っ越してきて以来、早朝から深夜まで職場にずっと篭っているのが彼女の毎日になっていた。
「ねえママ。今日も、お仕事……遅いの?」
アリシアが小さく呟いた。自分の顔を交互にちらちらと窺うように見てくる娘の姿に、いってきますと声を出そうとしていた口が動かなくなる。
娘に負担を強いていることをプレシアは痛いほどわかっている。今だって、ママとなるべく一緒にいたいからと以前であればまだ寝ている時間だというのに、プレシアの出勤時間に合わせてアリシアは起き出し、見送りをしてくれているのだ。
「……ごめんね、アリシア」
結局、時間をかけたのに搾り出した言葉は捻りもなにもないつまらないものだった。
「ううん……お仕事だもん、しょうがないよ」
普段からとても明るく快活な娘なのに、アリシアの声には覇気がない。そんな娘の足元にいるリニスも、気持ちだけ尻尾と耳を普段より垂らしている。
プレシア自身もなるべく娘といようとしていたので、そろそろ出かけなくては時間が危ういのだが、たまらずしゃがみこんでアリシアを抱きしめた。小さくて今にも折れてしまいそうな、温かいプレシアの宝物である娘。
「ごめんなさい、アリシア。でもね、もう少しで私の仕事も一区切りがつくの。そうすれば、まとまった休みが取れるのよ。そうしたら、また一緒に出かけましょう」
「うん……ママ?」
「なあに?」
少し体を離し、視線を合わせた。
ずっとハの字になっていたアリシアの眉毛がすっと戻る。
「お仕事、頑張ってね」
「……ええ、頑張るわ」
アリシアの精一杯の笑顔に、プレシアも微笑みを返す。
ちらりと腕時計を確認すると、かなり危険な時間帯で、後ろ髪を引かれる思いだがしかたなく立ち上がる。
「ママ、いってらっしゃい」
「ええ、いってくるわ」
手を振る娘にプレシアも手を振り返し、ゆっくりとドアを閉める。
「……」
もう閉まってしまったドアに背を向け、萎える気持ちを奮い立たせるために無理矢理背筋を伸ばし足を動かす。
無茶な出力注文に、現場を無視した期限の切り上げ、胡散臭い本社からの派遣職員と、開発主任であるプレシアの悩みの種は多い。つい失敗してしまえと思ったことも一度や二度ではない。
けれど、アリシアとの未来のためにプレシアは頑張っている。
娘の笑顔のためならば、どんな困難でも克服してみせると心の底で誓った。
次元世界で最も強いのは、SSランクを超える魔導師でもロストロギアでもなく母親だと、そう信じているから。
悪夢の一週間前のことだった。
真っ黒な視界の中、さざなみだけが耳に届いた。
まだしっかりと覚醒せず鈍った頭で、状況を思い出そうとする。
――ジュエルシードを賭けた一騎打ちをやって、それで……
「っ!」
思い出したのは桃色の閃光で、同時に意識が覚醒する。
「あ、起きた!」
目を見開いて見えたのは青空。耳に入った声は先ほどまで戦っていた女性のもの。上半身を起こすと、プレシアはベンチの上に横たえられていたのに気づいた。
「えっと、あたしが言うのもあれなんだけど……大丈夫?」
そして目の前、海沿いに並んで設置された隣のベンチに座っている桃子がプレシアを少々申し訳なさそうにしている。髪の毛は激戦の名残でぼさぼさになっているが、もう既に修復を行ったらしいバリアジャケットは純白で、敗北という事実をプレシアにまざまざと見せ付けてくれていた。
「別に……私は死ぬわけにはいかないんだもの」
「あう……」
皮肉を一つ放つとベンチから立ち上がり、ゆっくりと海のほうへと歩を進める。
「負けたのね……」
「うん。ギリギリだったけど、あたしの勝ち」
独り言のつもりがどうやら聞こえていたらしく、桃子から返事が返ってきた。
今度はばれないようにプレシアは小さく嘆息する。
プレシアは、勝つつもりだった。いくら桃子が天才でも、経験の差で勝利する自信はあったのに、今はこのざまだ。地に伏したのは自分で残ったのは彼女。
――ああ、そうよ。いつだって、私が行こうとする道には敵が多すぎる。
天を仰いだ。なにかが、零れ落ちてしまいそうだったから。
「教えて、くれるわよね……あなたが、ジュエルシードを集める理由」
「……」
足元の砂利を踏みしめる音が聞こえる。桃子がゆっくりと近寄ってきていた。
彼女を無視してプレシアはぽつりぽつりと言を重ねる。
「本当は……もっと確実にやりたかったわ」
「うん?」
「でも、こうなったら仕方ないわ。今あるものでやるしかないものね」
「……えっと、なんの話?」
約束通りにジュエルシードを集める理由を語ってくれると思っていた桃子は、真意がつかめないプレシアの言葉に首を捻る。
横に並んで立つ桃子に視線をずらし、プレシアは言い放った。
「私の、未来の話よ」
「え?」
「リニス!!」
「はい!」
プレシアの声に呼応してそれまでずっとおとなしくしていたリニスの声が響いた。
桃子とユーノが反応するよりも先に薄紫色のバインドが二人を拘束する。
「なにをするの!?」
真横のプレシアに顔だけを向けて問いただす桃子だが、プレシアは既に彼女に背を向け、自身の使い魔のもとに歩を進めていた。
「別にあなたに危害を加えはしないわ……ただ、邪魔をされたくないだけ」
「プレシア、本当にジャミングや多重転移は必要ないんですか?」
「ええ。戦闘中に既にロックされてるでしょうから、所詮個人の悪あがきではどうにもできないわ。なら魔力の無駄な消費は抑えるべきよ」
バインドを飛ばした直後にリニスが展開していた転移魔法の魔法陣に入り、プレシアは桃子に一瞥を向けた。
「あなたは幸せね……嫉ましいほどに」
「待って!」
声を張る桃子ではあったが、無情にも魔法陣は輝き、プレシアとリニスの姿は消えてしまう。
最後に桃子が見たのは、言葉とは裏腹に穏やかな、悟ったような瞳だった。
暫く力なく立ち尽くしていた二人だったが、どうやら転移と同時に維持をほぼ放棄したらしいバインドはすぐに解けて、リンディからの指示もあってアースラにやってきていた。
「お疲れ様……と言いたいところだけど、まだ終わってないのよね」
ブリッジに入ってきた桃子をレティは労うが、苦笑が続いた。
「プレシアの本拠地が割り出せたから、プレシアさん確保とフェイトさん保護の武装局員二チームを送ったところ。まあとりあえず、はい」
「あら、ありがと」
「ありがとうございます」
リンディは現在の状況を説明して、両手に持っていた紙コップを桃子とユーノに手渡した。
なんともほのぼのとしているようには思えるが、他に声はなく、ブリッジにはぴりぴりとした空気が充満している。現にレティとリンディもすぐに仕事に戻っていて、なにもすることがない桃子とユーノは居心地が悪かった。
「チームアルファ、プレシア・テスタロッサを発見!」
オペレーターの発言と同時にアースラ正面の大型モニターに映像が映し出される。
そこは、照明が少ないのか薄暗いがまるで宮殿の玉座の間のような華美な室内であった。画面の中央、玉座の上には肘掛に頬杖をつき、無表情で佇むプレシアがいた。
『時空管理局だ! プレシア・テスタロッサおとなしく投降しろ!』
大人数の荒い足音が聞こえると同時に武装局員が十数人現れ、デバイスの先端を向けながらプレシアを包囲する。
しかしプレシアは身じろぎどころか表情ひとつ動かさない。
『お前らは奥をクリアリングしてこい』
『了解』
隊長格らしき男性が声をかけると五人の局員が玉座の裏にある通路からさらに奥へと向かう。
そして程なく叫び声が響く。
『なんだ、これは!?』
『こんな情報ブリーフィングではなかったぞ!』
『っ!』
デバイスを突きつけられようが微動だにしなかったプレシアが、瞳に雷光を瞬かせ動いた。
彼女を警戒していた局員は慌てて静止しようとしたが、プレシアは一瞬で転移してしまう。
画像が切り替わる。玉座の間のもっと奥へ。
『うああっ!?』
『ぐあっ!』
そこにはプレシアがいた。一人の局員を細腕で掴みあげると投げ飛ばした彼女が。
巻き込まれてもう一人の局員も吹き飛ぶ。
『う、撃て! 撃つんだ!!』
『……』
武装局員とて訓練を積んでいる。しかしそれをデバイスも起動せず、腕一本で失神させてしまったSランクオーバーの魔導師に恐慌に駆られた残りの局員が一斉に射撃魔法を行使するが、プレシアは右の手のひらを突き出すと苦もなくシールドで防いでしまう。
『私の……』
『……ひっ』
局員は震えていた。
圧倒的な力量差があるからだけではない。モニター越しにもわかる、情念が立ち上っているのではないかという程のプレシアの怒りによる圧力によってだ。
『私のアリシアに近寄るんじゃないわよ!!』
まるでそれが雷の轟きのであったかのように、苛烈な一喝と同時に雷が降り注ぐ。
『うああああああっ!!』
『ぐあああっ!!』
『たっ、助け、うわあああ!!』
プレシアの目の前にいる局員だけでなく、玉座の間に取り残された局員達にも等しく雷撃は襲い掛かり、意識を刈り取る。
「いけない! チームアルファの回収急いで!!」
「はいっ!」
レティの激が飛び、動きを止めていたアースラのブリッジは慌しく動きを再開した。
「チームベータはどうなってるの!?」
「そ、それが……」
リンディがフェイト保護に向かっていたはずのチームについて別のオペレーターに問い詰めると、血の気が引いた顔をした彼は震える手でコンソールのボタンを叩いた。プレシアの映るモニターの左上に、新しいモニターが開く。
『さてさて、お嬢様に手出しはさせませんよ』
モニターの中央に立つのはリニス。足元には気絶しているらしい局員達。
AAランク相当と見られる使い魔の彼女にしてみれば、地の利がある庭園で局員の小集団など相手にならなかった。
「くっ、ベータも回収して!」
「はっ、はい!」
苦悶の表情でレティは指示を飛ばす。
忙しなくそれぞれが自身の職務に没頭する中、桃子はモニターに釘付けになっていた。リニスの姿も目に入ったが、今はそんなことより彼女の視線を捉えて離さないものがある。
「なん……なの?」
小刻みに震える唇の間から、小さく漏れる。
見詰める一点は、守護者然として立ちふさがるプレシアの背後。
頭を疑問符が埋め尽くす。
「フェイト……ちゃん?」
大きなシリンダーの中、生まれる前の赤ん坊のように膝を抱えた格好で穏やかに目を閉じて浮かぶ金色の髪の毛が眩しい少女。
昨日会ったフェイト・テスタロッサ本人よりは幾分幼く見えるし、先ほどプレシアは「アリシア」という言葉を発していたが、それでも直感がフェイトと目の前の謎の少女を結びつけてしまうのだ。
『見ているのでしょう?』
プレシアが視線を中空にあげ、声を紡ぐ。それは間違いなくアースラに向けられたものだった。
ブリッジにいる局員の視線が、現在の最高責任者であるレティに注がれる。
「エイミィ」
「……音声回線繋げます」
レティは一言エイミィに指示を出して一歩前に進むと、大きな深呼吸の後に口を開いた。
「初めましてプレシア・テスタロッサ。時空管理局提督レティ・ロウランよ」
『そう、わざわざ苦労さまね』
「あなたほどではないわ。まさか完成させていたとはね……プロジェクトFを」
『……よく調べ上げたわね。意外に優秀じゃない』
沈黙が再び下り、桃子の呟きがブリッジに響いた。
「プロジェクト……F?」
「そう。失踪したプレシアさんが研究していたとあるプロジェクトよ」
桃子が声に振り向くと、そこには沈痛な面持ちをしたリンディがいた。
彼女はゆっくりと桃子の横に並ぶと説明を再会した。
「プロジェクトFは、記憶転写技術を併用しての完全なるクローン創造の研究」
「なんで……そんな研究を?」
「……」
押し黙ったリンディは俯くがすぐに顔を上げ、口ごもるような仕草を何度か見せた後、なんとかといった様子で言葉を絞りだした。
「実はね……昔プレシアさんが研究していた新型魔導炉ヒュードラが暴走したことがあったの。その時に、彼女の娘アリシア・テスタロッサは……死亡しているのよ」
「……え?」
リンディの言葉を聞いた瞬間、全ての音が桃子から遠ざかった。
脳内では、色あせたフィルムで上映する映画のように昨日の光景が再現されている。
『不器用だけど、やっぱり……優しいです』
はにかむような笑顔で自分の母親のことをそう言い放った少女はフェイト・テスタロッサと名乗っていた。
――それって、まさか……
「じゃ、じゃあフェイトちゃんは……」
「プロジェクトFの正式名称はね、プロジェクトフェイトって言うのよ……」
「っ!!」
プレシアの雷を食らった時のような衝撃が桃子に走る。一瞬平衡感覚を失い、ふらりとよろける。
「桃子さんっ!?」
「……ありがとう、ユーノくん。でも、大丈夫よ」
とっさに支えてくれたユーノに礼を言ってから、桃子はしっかりと自分の足で床を踏みしめるとプレシアへと向き直る。
「プレシアさん」
怒りでも、恐れでも、嘆きでもない感情を内包しつつ桃子は呼びかける。
一歩一歩とモニターに近づいていき、ついにはレティより前に立った。
『あなたの後ろにいるのはアリシアちゃんで……フェイトちゃんは、つまり』
「そうね、アリシアのクローンということになるわ」
姿は見えないが声は聞こえるという状況の中、桃子に最後まで言わせることなくプレシアはあっけらかんと言い放ち、そのまま独白に入っていく。
「最初はアリシアを生き返らせるために研究を重ねていたわ……今思えば愚かなこと極まりないけれどね」
ふっと自嘲するプレシアは虚空を見上げ、皮肉な笑みを湛えたまま語り続ける。
「アリシアの記憶を転写したけれど、時間が経てば経つ程顕著になるのよ……アリシアとの違いが」
アリシアを失ったあの日は昨日のように思えるのに、なぜかそれより近いはずの事柄が懐かしく思われてしまう。
「利き腕が違う、性格が違う……挙げていけばきりがないくらい。あの時は絶望したわ、またアリシアと幸せな日々を過ごせると思っていただけに余計に」
アリシアは左利きだったのに右利き。
アリシアは元気だったのに控えめ。
見た目がなまじそっくりであるがゆえに、その違いがあまりにも悲しかった。再び娘を失ったかのような衝撃を受けた。
なぜ。
なぜ、アリシアの記憶はちゃんとあるのに。
なぜ、遺伝子的にも同一なのにどうして。
その疑問が次から次へと降りかかってきた。
「その時は結局こう思ったわ。『ああ、この子はアリシアじゃない。アリシアの姿だけをした偽者の人形だ』って。だから、アリシアの記憶を封印して、プロジェクトから適当にとったフェイトという名前を与えたのよ」
『そんな……自分で生んでおいてそんなのって!!』
激昂した様子の桃子の声が聞こえるが、プレシアは口元の歪みを崩さない。
失意のどん底で、なんとはなしに彼女が開いたのは古い、少し黄ばんだ日記帳だった。
息を吸うと、ボロボロの気管支が嫌な音をたてた。
「でも、勘違いするんじゃないわよ。今はあの時とは違う……」
その日記帳は、アリシアとの幸せな日々がつづられていた。袋小路に追い込まれた現実から逃げるようにそれに没頭する中でとある文章が彼女の目が捉えた。
『お昼のお弁当を食べながらアリシアに誕生日に欲しいものはなにか聞いたら「妹」と言われた。つい約束してしまったが、シングルマザーでどうしたものか』
妹。この単語と共に、長らく忘れていたアリシアとの約束を思い出したのだ。
気づいた時にはモニター越しに、自室で寝ているフェイトを見ている自分がいて、涙が滲んできていた。後から後から溢れる涙のせいでなにも見えないはずなのに、はっきりと見えた。元気一杯のアリシアが控えめなフェイトの手を引いて走りまわる、そんな姿が。
「今の私にとってのフェイトは……」
胸の奥が熱を持っている。長くはなさそうだと、どこか他人事のように感じながらも、見栄えだけでも立派にしたいと押し込める。
クローンの研究をした愚かさについては謗りを受けても構わない。だけど、この自分の心だけは否定させるわけにはいかない。
『アリシアの妹で、私の大切な娘よ!!』
アースラに、プレシアの声が響いた。
同時に、桃子の中で歯車が繋がった。
フェイトが言った「姉さんと一緒に」という言葉の意味が、プレシアがジュエルシードを求める理由が。
――アリシアちゃんを……生き返らせる、ため?
この瞬間、アースラのブリッジは完全に静止していた。それをなしたのはプレシアで、それを解いたのもプレシアだった。
『……うっ!』
突然目を見開き、口元を押さえたかと思うとプレシアは背中を丸め、そのまま咳き込み始めた。その咳は普通ではなく、不吉な水尾とを伴っていた。
『……がはっ!』
一際大きくプレシアが身を震わせると、口を押さえている手の間から、大量の血が噴出した。しかも一回ではなく立て続けに何回もである。
嫌な音をたてて床に落下すると、血は広がり池を作る。
医療に詳しくない桃子でさえ、失血死するのではないかと思ってしまう量だ。
「プレシアさん!?」
桃子は叫ぶが、プレシアからの返事はなく、それどころかモニター内の彼女は床に両手をついてしまった。
しかも、咳と吐血は止まらない。
『はあ……はあ……』
咳が止まり、夥しい量の血を吐き終わったプレシアは、口元の血を袖でぞんざいに拭うと、どうにか立ち上がろうとする。
『ぐっ……』
しかし失血量が多すぎた。力が入らずによろめき、耐えることもあたわずアリシアの入った生体ポットに背中を預けるように倒れこんでしまった。
ただでさえ悪かった顔色は土気色を通り越してどす黒く、目は焦点が合わなくなってきているのか虚ろだ。
『私は、帰るのよ……』
それでも、プレシアは手を伸ばす。
手のひらを広げると、そこに九つのジュエルシードが浮かびあがった。
「やめなさいプレシア・テスタロッサ! そんな体じゃもたないわ!!」
レティが叫ぶ。
「くっ!!」
リンディは唇を噛んで目を伏せた。
「今命を捨てて、どうやって約束を守るの!!」
桃子は手を伸ばした。届くことはないモニターの向こうに。
なにやら、遠くで声が聞こえていた。
――無茶を、しすぎたわね……
そもそも長くはない体だった。
なるべく温存していれば、今みたいな醜態を晒さずにすんだかもしれないが、ジェルシードを集めるために奔走したために命は削られていた。
「アリシアと……フェイトと……リニスと…………家族、全員……」
段々と視界が黒く侵食されていくのがわかった。
不思議と痛い辛いという感覚はない。
それ以上に、悔しさが勝る。
――まだ、終われないのに……
「ごめん、なさいね……」
呂律も回らなくなってくる。
大量に血を出して軽くなっているはずなのに、どうしてか体が重い。
もう少しでいいのだ。
ただ、ジュエルシードで虚数空間を開き、次元の狭間に消えたアルハザードへ飛び立てればそれでいいのに。
それだけ、もってくれればいいのに。
「やくそ、く……まもれ、ないわ……」
まだ出る水分が残っていたことに驚くが、涙が流れた。
脳裏に、数年前の思い出が浮かぶ。
フェイトを初めてアリシアに引き合わせた時のことだ。最初は驚き戸惑っていたフェイトだったが、すぐに笑みを浮かべるとこう言った。
『姉さんだね』
一言も姉だとか言っていなかったのにフェイトはそう言ったのだ。
だから、彼女が実はクローンだということも明かした。衝撃は大きかっただろう。抱きしめたその体は震えていた。
それでも、彼女は笑ってくれ、今も自分を母と慕ってくれている。
「ごめ、ん……ね……」
ただ、また家族全員で笑いあいたいと願っただけなのに。
――ああ、それはそんなにも高望みだと言うの?
「だめ……な……かあ、さん……で…………」
ジュエルシードが床に落ち、乾いた音を立てた。
『Intruders inside the garden. (庭園内に侵入者)』
眠っていたフェイトが起こされたのは警告音と共に響く機会音声のせいだった。
寝起きの頭ではなにを言っているか理解できなかったけれど、延々と繰り返される音声を何度も聞くうちにその内容を理解でき、途端に覚醒した。
「わふ」
専用の毛布の上に丸くなって寝ていたはずのアルフも、今は立ち上がり尻尾を後ろ足の間に隠していた。
「大丈夫だよ……」
しゃがみこみ安心させるように頭を撫でてやるが、その言葉は自分自身に言い聞かせるようで、彼女の目の焦点はアルフにはなかった。
――母さん……
自分の心配よりも、フェイトは母親の心配が先にあった。
なにが起きているのかフェイトにはわからないが、この警鐘は泥棒が入ったとかそういうレベルではない。わざわざ次元空間上にある時の庭園に踏み込む敵だ。子どもな自分ではなく大好きな母親が狙われているのではないかと、聡明なフェイトはすぐに思い至った。
すっくと立ち上がると、彼女は急いで寝巻きから普段着へと着替える。
服装を吟味している暇はなく、動きやすいホットパンツとタンスの中の一番上にシャツを手早く着込む。いつもはここで髪を梳いてから黒のリボンで二つお下げにするのだが、そんな時間も惜しいとばかりに自分の部屋から外へ行こうと走る。
非力な自分に出来ることなんておそらくない。だけれど、言い知れぬ不安がフェイトを包むのだ。母親がこのままどこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな不安が。
なぜ扉なんてものがあるのかと理不尽な憤りを感じながら、ノブへ手を伸ばした瞬間、ドアが一人でに動いた。
「フェイト! 大丈夫ですか!」
正確には外からリニスにより扉が開かれていた。
リニスが無事にいたことにほっとする一方で、フェイトは掴みかからん勢いでリニスに詰め寄る。
「母さんは! リニス母さんは!!」
「落ち着いてくださいフェイト」
「でもっ!」
「プレシアは今は大丈夫ですから」
「ほんと?」
リニスの言葉にフェイトが一時的な落ち着きを取り戻した。
相手の服の裾を掴み、潤んだ目でフェイトは上目遣いに尋ねる。リニスはフェイトの高さに視線を合わせるようにしゃがむと、安心させるように微笑みを浮かべその頭を撫でてきた。
「ええ、大丈夫ですよ。それと、プレシアから伝言です」
「母さんから?」
「はい。ちょっと騒がしくなるかもしれないけれど絶対に部屋を出てはダメだ、と」
「なにが、起きてるの?」
「……ちょっとしたことです。フェイトが心配する程ではありません」
――嘘だ。
本人は上手くごまかしたつもりかもしれないが、フェイトは一瞬リニスの表情に影が差し、言葉が途切れたのを見逃しはしなかった。
最後に、起きぬけなフェイトの寝癖を手櫛で大雑把に整えるとリニスは立ち上がる。
「私は、プレシアから頼まれたことがあって離れますけど、私かプレシアが来るまでフェイトは自分の部屋にいるんですよ?」
「……うん」
「アルフも、ですね」
「わふ!」
元気に吼えたアルフにくすりと笑ったリニスは、帽子をしっかりと被りなおし、またフェイトへ向き直り、また同じ言葉を繰り返した。
「大丈夫ですよフェイト。心配しなくても」
それを最後に、ではと一礼したリニスは部屋から退いていく。
扉が閉まる直前に見えた彼女の微笑みは、つつけば崩れそうに見えた。
「……」
乾いた音とともに扉が閉じると、足早に走り去るリニスの足音もすぐに消え、静寂が降りかかってきた。
先ほどまであんなに響いていた警報も知らぬ間に止み、ドアの前で立ち尽くすフェイトはただ自分の心臓の音だけが小さく聞こえていた。
暫く立ち尽くしていたが、俯いたままフェイトはふらふらとベットに歩み寄るとそこに腰を下ろし、枕元においてあった二本の黒いリボンを手に取った。ベットのすぐ横にある姿身を見ながら、のろのろとした手つきで髪を結わえていく。
――大丈夫、そう大丈夫。約束もしたもん。
リニスがやってきて、不安は萎むどころが膨れ上がり、フェイトの心をかき乱す。
いい子にしていると、彼女は約束した。だから、言いつけ通りに部屋から出ちゃいけない。だけれど、彼女の勘が告げているのだ、えもいわれぬ恐怖を。
――母さん……
どうにか心を落ち着けようと普段の日課と同じように髪を結ぶがいつもほど上手くいかず、二回もやり直してしまった。
小さかった心臓の音は今では耳元で鳴っているのかと錯覚するほどに大きい。
リボンを結び終えて姿見をまた眺めると、赤い二つの瞳が物問いたげに見詰め返してきていた。
「あなたは……」
いつの間にか口は動いていた。手も、伸びていた。
「なにをしたい?」
ひんやりとした感触と共に、鏡の向こう側の自分と手を合わせる。
「私は……」
震える唇で大きく息を吸い込むと、一気に言い放つ。
「母さんのところへ、行きたい」
あんなに煩かった心臓の音が、やんだ。
扉から廊下を覗くとリニスがいなかった。
これ幸いと部屋を抜け出したフェイトはプレシアがたいてい昼間にいる玉座の間を目指し走っていた。非常時だから別の所かもしれないのだが、フェイトには確信があった。
――だってあそこには姉さんもいるんだから。
部屋に待つように言ったのにくっついて離れなかったアルフと並走しながら、螺旋階段を駆け下りる。
息があがり、肺が辛くなってきた頃にようやく玉座の間への扉が見えた。
走る速さはそのままに、まるでタックルするかのようにその巨大な扉を押し開ける。
「母さん!!」
叫ぶが、返事はない。
既に局員達も回収されており、人っ子一人いなかった。
「……」
荒れた息を整えるために大きく息を吸うと、玉座のさらに奥へと続く通路をみやる。
生唾を飲み込み、しっかりとした足取りで奥へ、姉のいる部屋へと向かう。
「母さん?」
通路から奥へと呼びかけるが返事はない。
増大する不安に急く気持ちを無理矢理押さえつけ、姉の眠る場所へとフェイトはたどり着いた。
「母さ……!」
足が止まる。
顔から血の気が抜けていくのが自分でもわかった。
アリシアの生体ポットのその下で力なく座りこむのは母であるプレシア。その肌は温かみからはほど遠くなっている。
プレシアの前には床を絨毯のように覆う赤い液体。鉄臭く、直感的にそれが血であるとわかる。
そして、それが誰の血であるかも。
――嘘だ……
「母……さん」
呼びかけれども、母はぴくりとも動かない。
――嘘だ嘘だ嘘だ……
「母さん……」
無意識に踏み出した足が水音を響かせる。なぜか見知らぬ人々の声が聞こえてきていたが、それらはフェイトの脳へ意味を伴って入ることはない。
――嘘だっ!
「母さんっ!!」
床を蹴って、走り出す。
血の海を足が踏み抜くが気にも留めずにただ母のもとへ走り寄る。
「ねえ母さん返事して!」
自らが血に濡れることなど気にせず、フェイトはプレシアにすがりつく。
服を掴んで揺するが、彼女はなすがまま。
「お願いだから!」
触ったその肌は、まだ温もりがあるとは言えぬるま湯のように低い。
「目を開けて!」
フェイトの声は、上ずり始めていた。
そして、子どもが母親に甘えるように、プレシアの胸元に頭を押し付けるようにして動きを止めてしまった。
「……やだよ」
顔を隠したまま動かなかったフェイトがぽつりと呟いた。
「一人は……やだよ」
プレシアの服を掴むフェイトの手がさらに強く握られる。
「私を……置いていかないで!!」
慟哭が返事をするもののいない部屋に響いた。
プレシアの死。
それはアースラにも衝撃をもたらした。
数分か、数十秒か、数秒かはわからない。だが確実にアースラの人員は凍りついたかのように時を止め、ただただモニターを見詰めていた。
無音無動の世界を齎したのがモニターの向こう側であれば、それを破壊したのもそちらだった。
聞こえてきた小さな少女の困惑したかのような声。そしてモニターの端から現れた金色の頭をした少女フェイト。
彼女は、母親の骸を見てしまった。
そこでアースラは凍結から解放され、フェイトに呼びかけ始めた。
10にも満たない少女にはあまりにショッキングであろうことは想像に難くない。だから必死に声を張ったのだが、既に母をその視界に捕らえたフェイトには届かなかった。
すがり、叫び、喚き、哀願し、嘆く。
いつしか、呼びかける声も止んでいた。
『なんで……約束、したのに……』
フェイトの嗚咽まじりの声だけがアースラに響いた。
『全部終わったら、姉さんと一緒に……みんなでピクニックに行こうって……』
桃子は身動きできず、モニターから目を逸らすことも許されず耳を傾けるだけ。
『私、いい子にしてたよ』
『ちゃんと一人でお留守番してたよ』
『ピーマンだってアルフに食べさせないで自分で食べたよ』
『シャンプーだって一人で出来るようになったのに』
『ねえ、母さんなんで?』
『私が……クローンだから?』
『ねえ、母さんなんで?』
『それとも、部屋にいなさいってリニスから言われたのにここに来ちゃったから?』
『それは、謝るから』
『もうしないから……今まで以上にいい子にする。我侭も言わないから』
『だから……また私を見てよ…………』
『やだよぅ……』
フェイトの声はもう言葉にならなくなってきていた。
その肩は震え、より一層縮こまるようにしてプレシアへとすがりつく。
『母さんがいないなんて……やだよ……』
『こんなはずじゃない……こんなの、間違ってる!!』
少女の最後の叫びは聞き届けられた。
床に転がった九つのジュエルシードによって。
「じゅ、ジュエルシードが活性化!!」
エイミィの叫びが先か、アラームが先か。それはわからない。
だけれどもモニターの向こうでは確実に事態は進んでいた。
「エネルギーまだ増大していきます! このままでは次元断層が起きるレベルまで達します!!」
「くっ! 焼け石に水かもしれないけどディストーションシールド展開!」
冷や汗を垂らしながらレティが指示を出す。
「レティ!」
「ええ、飛んでちょうだいリンディ。とにかくジュエルシードのところまで」
「了解!」
転送ポートへ走り出そうとしたリンディだったが、続いて上がった今日何度目かわからないエイミィの大声に一歩で止まる。
「えっ……て、庭園内にAランク相当の魔力反応多数! 傀儡兵です!」
「なんでそんなものが今更!?」
「えっと、ジュエルシードの影響で庭園の防御機能が過剰反応したから、かもしれないです」
苦虫を噛み潰したかのような表情になったリンディに、エイミィは申し訳なさそうに小さくなるが、レティがすぐに間に入る。
「理由なんてどうでもいいのよ。今はやらなきゃどうにもならないんだから!! 取りあえず数は!?」
「10……20……まだ増えていきます!」
「ずいぶんとまあ溜め込んで……」
アレックスからの報告を受けて眉間にしわを寄せる。弱気な気持ちが漏れ出しかけていた。
「よしっ!」
声と同時にぱぁんと高い音が鳴り響く。音の方向を見ると、リンディがS4Uをしっかりと握り、決意を瞳に込めて立っていた。頬はちょっと赤く、先ほどの音がリンディが自分の頬を叩いた音だったとすぐ理解できた。
「傀儡兵ごときが、単独行動が多い執務官舐めるんじゃないわよ」
モニターの向こうへと堂々と声を張る。
「全部まとめて次元の塵にしてあげるわ!」
宣言し終え、リンディはレティに不敵な笑みを向けてくる。
ふっと勝手に笑みが漏れるのがレティはわかった。
「ええ、そうね。信頼してるわよリンディ・ハラオウン執務官」
「当然」
長年の友人同士はがっと拳をぶつけあい、背と背を向け合う。
リンディは再び転送ポートへ向かい駆け出し、レティは手を叩きブリッジの注目を集める。
「さて、ずいぶん面倒な状況だけどやることがわからないって人はいるのかしら?」
見回すが誰も声をあげることはない。
「時空管理局の創立理念だとかそんなのはこの際どうでもいいわ」
本当にどうでもよさそうに肩を竦める。
「暇が一番だけど、その暇を取り戻すためにとりあえずお仕事よ」
眼鏡を外すと、ハンカチでグラスを拭う。
「まあ、怠けるのが好きなうちのみんななら喜んで暇へ向かうでしょうし……」
かけなおしたグラス越しのレティの瞳は、恐れなどなにもなくただ笑っていた。
「簡単でしょう?」
『イエスマム!!』
一瞬の静寂の後、力強い唱和が返ってきた。
次々と他の者達が自分を取り戻す中、桃子はフェイトの言葉に自身の深い記憶の部分を抉られていた。
もう何年も前のことだ。
夫である士郎が最後の仕事としてアルバート・クリステラ上院議員のボディガードを勤めたパーティで事件は起きた。それは爆弾テロで、クリステラ上院議員の娘を庇った士郎は生死の境界線上を漂う大怪我を負った。
まだ翠屋も今のように軌道に乗っておらず桃子は仕事を休めなず、恭也と美由希は翠屋の手伝いやら病院で眠り続ける士郎の世話やらで手一杯であった。
だから、まだ小学校にも上がっていない小さな末娘のなのはの側には誰もいなかった。
わざとではない。それは断言できる。だけれどもなのはをないがしろにしてしまったという事実は変わらない。
なのはの一日は寂しいものだった。朝起きたら既に母は仕事の下準備に出ており、小学校へ登校する美由希に連れられて桃子の母の実家に預けられ、午後には小学校から帰りの姉に連れられて家に帰る。しかし美由希はすぐ出かけなのははお留守番。一度中学校帰りの恭也が顔を出すが、彼もまた翠屋か病院へ出かけてしまう。結局母に先駆けて兄か姉が帰るまで一人ぼっち。母の帰りは夜遅く、疲れているのはなのはの目にも明らかだったのだろうあまり甘えてくることもなかった。そしてそのまま寝るのだ。
なのはは、いい子だった。ちゃんと言うことを聞いた。
忙しく、精神的にも余裕がないなかで、なのはに手間がかからないことは、いいことのように思えた。
そう、思えただけだったと思い知らされたのは、士郎の意識が戻ったという朗報が齎されてから数日経った頃だった。
『ねえ、おかーさん』
『なあに?』
部屋に引っ込んだ上の二人はおらず、なのはと二人だけの時、俯いたままなのはが語りかけてきた。
今思えば、能天気にもなのはへ笑みを向けていたと桃子には思える。
『「いい子」ってなに?』
『…………え?』
桃子は表情が凍った。
『おにーちゃんもおねーちゃんも、みんなみんな「いい子にしてたら」っていうけど、それってなんなの? いいことあるの?』
『……そ、それは』
血の気が引いてきた。
士郎の意識が戻ったということでみんなが明るくなったのをなのはは敏感に感じ取り、そして自分と家族の違いをも明確に洞察したのだろう。
『なのは、ちゃんとみんなのいうこときいてたよ』
『ちゃんとひとりでおるすばんしてたよ』
『にんじんだってのこさないでじぶんでたべたよ』
『おばーちゃんにもめーわくかけてなかったのに』
『ねえ、おかーさんなんで?』
寒気がして、体が震えだした。
――違う、違うの!!
なにが違うのか、とにかく心の中で叫んでいた。
『なのはは……「いい子」じゃないの?』
『ちゃんと「いい子」にしてたら、みんななのはといっしょにいてくれる?』
見上げてくるなのはの瞳は純真そのもので、それゆえに桃子の心を抉る。
その瞳に桃子はなにも言い返すことができなかった。
なのはにかける時間がなく、まるでなにかの呪文のように「いい子にしてたら」と言い続けていた。そう、ただ逃げの方便として使い、たら・ればの先の見返りを見せる事は何一つなかった。
単刀直入に言ってしまおう。桃子は、恭也は、美由希はなのはを騙していたのだ。
もしかしてという思いが桃子の心を支配した。
やることがあるからという逃避にかまけて、士郎が死ぬかもしれないという自分達の不安を、自分の父の状況も碌に理解できていないなのはに押し付けていたのかもしれない。
それは、この小さな娘にどれだけ残酷なことであろうか。
『ごめんね、ごめんね……』
気づいた時には、なのはを抱きしめていた。
小柄な桃子でもすっぽり包み込めるその小さな体に向かって、ただただ謝った。
『なんでおかーさんが泣いてるの? 「いい子」じゃないのはなのはなのに』
泣くべき人間が泣かず、泣くべきでない人間が泣いている。そんな矛盾した状況を生み出した自分の愚かさを盛大に呪った。
この日以降、できるだけ近くにいさせようと日中は翠屋の休憩室になのはを居させた。たいした贖罪になどならないとわかっていながら。
なのはと交わしたこの話は、士郎にさえ言っておらず桃子の胸のうちだけではある。それでも、桃子ほど直接的ではないにしろ家族の全員はなのはへの自身の罪をそれなりに理解していた。
最近は、ごくごく珍しいことだが我侭を言うようになってきた。つい先日の月村家でのお茶会に送っていくという約束を恭也が破った時などがそうだ。
だが当然ながら、この時期の影はなのはの笑顔の裏側に未だに強くこびりついており、桃子らのトラウマとして残っている。
母であるプレシアに抱きつき泣いていた少女が桃子になのはを思い出させてならない。
――あたしは……
「Stand by ready. Set up.」
現実に桃子を呼び起こしたのは相棒だった。
主人の意志を無視して発された光により、桃子はバリアジャケットに身を包む。
「レイジングハート……」
目頭が熱くなり、鼻の奥がつーんとした。
つい、涙が零れそうになったが、どうにかこらえた。
「そう、よね」
金と桃色の体を煌かせるレイジングハートの赤いコアをそっと顔をすぐ側へ引き寄せる。
「このまま立ち止まったらなにも変わらない……成長してないことになっちゃうもの」
返事はないが、桃子はそれでいいと思った。
「あのね、これからあたし無茶しちゃうかもしれない。だけど、一緒にいてくれる?」
「Do what you want to do. I follow you anywhere. (あんたがやりたいことをやってください。私はあなたについていきますよ、どこへでも)」
「ありがとうレイジングハート」
レイジングハートは無言でコアをゆっくりと点滅させた。
目じりに溜まった涙を袖で拭い去ると、桃子は背筋をぴんと伸ばし、捧げるようにレイジングハートを構えた。
「プレシアさんを、フェイトちゃんを助けに行きましょう。できるわよね?」
「Complete finding the coordinates. (座標探索終了です)」
足元に広がる桃色の魔方陣。
「行きましょう、時の庭園へ」
『後書き』
今までの一話最大容量記録更新。かなり詰め込んだ感じもありますが、ここからが正念場。時期も時期で時間は取りづらいですがとりあえず無印は終わらせたいです!
この話を書いていて思いますが、プレシアさんと桃子さんはどちらも娘に負い目があったりと何だかんだやっぱり似たもの同士かと。
あ、今回あんなこと書いてますが別に自分は高町家アンチではないです大好きです。
ご意見ご感想お待ちしています。