「改めて名乗らせていただきます」
シグナムと同じくらいの年格好の女がヴィータに対して片膝を着いて頭を垂れる。
「私の名はリィナ・アヴァンシア」
「俺はテオ・オペル――うおっ?」
そんな彼女と同年代の男が気さくに名乗り、リィナにどつかれた。
「馬鹿テオッ! ヴィータ様に対して馴れ馴れしいわよ! ちゃんと膝を着きなさいっ!」
「わ……私の名前はテオ・オペルです……以後お見知り置きを……」
「あ……ああ」
過剰なまでにかしこまった態度に頭の冷えたヴィータは大いに戸惑う。
「私たちは今より83年前の闇の書の主、その末裔です」
「末裔って……いきなり言われても……」
そんなことを突然言われてもヴィータには具体的な主の顔など思い出すことはできなかった。
「ヴィータ様の事情は把握しております……
そのことで御聞きしていただきたいことがあるのですが……」
「お、おう」
「ありがとうございます……
実は御身の源である闇の書、それは偽りであり、本来の名は夜天の魔導書といい――」
「ちょいちょい、リィナさん」
「ハティ悪いけど後にしてくれない。今、重要な話を――」
「もう終わってるよ」
「終わってる? 何のことよ?」
「だから、闇の書はもう夜天の書に戻ってるんだよ」
「…………はぁ?」
オッドアイの少女、ハティの言葉にリィナは呆ける。
「ねっ?」
「あ……ああ」
同意を求められてヴィータはとりあえず頷く。
「…………はぁっ!!」
数秒止まってリィナは驚愕の声を上げて、ハティに詰め寄る。
「ちょっとどういうことよっ!?」
「今代の主のはっちゃんとなのちゃんたちがいろいろやって闇の書の呪いは解けました、めでたしめでたし……
と、いうことなんだよリィナさん」
「全然説明になってない! それからどうしてさりげなく呼び方の距離が開いてるのよっ!?」
「だって二人とも、私に自分たちが信奉者だって教えてくれなかったじゃない?
だから二人にとって私はその程度の関係なんだなーって」
「おいおい……待ってくれ、ハティ誤解だ」
すねるハティにテオが口を挟む。
「おい……」
しかし、それにヴィータの声が重なって信奉者の二人は黙る。
「そいつはいったい何なんだ?」
ヴィータはハティを睨みつけながら問う。
今代の主、はっちゃん。それが誰を示しているのか考えるまでもない。
自分のこと。なのはのこと。そしてはやて。
彼女は自分たちのことを知っている。しかし、自分もなのはも彼女を知らない。
「紹介が遅れました……彼女はハティ・アトロス……私の親友であり、次元世界最強の魔導師です」
「リィナさん、インターミドル優勝くらいで次元世界最強は大袈裟じゃない?」
「貴女がやったことはそれだけじゃないでしょ『暴君』様」
「あれは……若気の至りっていうやつだよ、てへ」
「んなことどうでもいい! どうしてあたしらのこと知ってんだって聞いてんだよっ!?」
軽い調子のハティにヴィータは苛立ち口調を荒くする。
「それは私も教えて欲しいわね。どうして貴女はヴィータ様や今代の主様のことを知っているのかしら?」
「それは、ほら……前世の記憶」
「は……?」
あまりにも突拍子な答えにヴィータは呆ける。
「ハティ……またそれ……?」
リィナは慣れているのか、ため息を吐いて白んだ視線を彼女に向ける。
「いつも言ってるけど、別に信じてくれなくてもいいよ」
「申し訳ありませんヴィータ様……
このような娘でして、私たちも把握しきれてないんです。電波を受信したから、とでも思ってください」
「お……おう」
少ないやり取りだが彼女の人となりは理解できた。
まるで誰かを思い出させる軽薄な態度と人を煙に巻く言動。
思い出したくない人間を思い出させる彼女にヴィータはそれ以上の追及する気にはなれなかった。
「ねえ、私からも聞いていい?」
「何だよ?」
「闇の書事件が終わってからどれくらい経つの? 一年? それとも二年くらい経ってる?」
「そんなこと聞いて何の意味が――」
「えっと……まだ八ヶ月くらいしか経ってないです」
素直に答えたくなかったが、なのはが勝手に答えてしまう。
「八ヶ月……そうなると私の知らない時期の……」
ふむっと口に手を当ててハティは考え込む。
一人だけで訳知り顔で納得している彼女にヴィータの苛立ちは募るばかりだった。
「それでヴィータ様、闇の書は夜天の書に戻られたという話は本当なのでしょうか?」
そんなハティを無視してリィナが話を戻す。
「……ああ」
それを知ってどうするのか、何が目的なのか、かつての心ない主にされていた扱いを思い出してヴィータは身構える。
「それは何よりです」
しかし、返ってきたのは心からの安堵。
まるで本当に自分たちの呪いが解けたことを祝福するかのような笑み。
「むっ……」
ヴィータはいっそう警戒心を強める。
こういう一見、人の良さそうな奴こそ腹の底では黒いことを考えている。
それを経験でヴィータは知っている。
「ヴィータ様、貴女に……いえ、貴女方に会っていただきたい人がいます」
「…………誰だよ、そいつは?」
「それは――」
「あ……あのっ!」
リィナの言葉を遮ってなのはが声を上げる。
彼女が他人の話を切ることは珍しいが、彼女の顔には焦燥が見て取れる。
「すいませんっ! 私たち急いでいるんで失礼しますっ!」
「あ……」
なのははヴィータの手を掴んで飛び出した。
「おいっ! いきなり何をっ!?」
「ユーノ君達が誰かに襲われたみたいなの!」
その言葉に彼女の焦燥の理由をヴィータは理解した。
通信回線を意図的に閉じていたせいで自分の方には連絡はなかった。
「くそっ……」
なのはの手を振りほどき、ヴィータは自分で飛んでスピードを上げる。
偵察だけのつもりだったのに、我を忘れて独断専行。それをなのはが追い駆けて、戦闘能力の乏しいユーノたちを孤立させた。
完全に自分の判断ミスだった。
「全開で飛ぶぞ、なのはっ!!」
「うんっ!」
「りょーかい」
ヴィータの声に二つの返事。しかし、それに彼女は気付かずにさらに速度を上げるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ユーノ君っ!」
「あ、なのはお帰り」
焦燥に駆られて戻ったなのは達を出迎えたのは朝食の準備をしている呑気なユーノの姿だった。
「あ……あれ……?」
予想していた光景とは違いなのはは戸惑う。
「ユーノ君……襲撃者さんは……?」
「あー……それなんだけどね」
ばつが悪そうにユーノは頬を掻く。
「ちょっと戦ったら、勝手に墜落しちゃって……」
「あらら……」
「そのことを連絡しようとしたんだけど……受け取る余裕はなかったみたいだね」
「ごめん」
全力で飛んできたせいで通信に気付かなかった。
アリサの一件のことが脳裏にちらつき、視野が狭まっていたことを自覚する。
そして自覚すると、疲労が一気に身体を重くする。
急ぐあまりに余力を残していなかった。これでは仮に戦闘があったとしても碌な戦力にならない。
「焦り過ぎだよ、なのは」
こちらの内心を見透かしたようにユーノが気遣ってくれる。
「……ごめん」
「ところでそっちはどうだったの? なんかいろいろ大変だったみたいだけど」
「え……?」
ユーノの言葉になのはは思い出す。
『我ら――闇の書の騎士、ボルケンリッター!!』
「っ……」
今度はなんとか耐える事ができた。
完全な不意打ちと、本物とはかけ離れた姿の視覚ダメージがないのは大きい。
「えっと……うん……大変だったよ、主にヴィータちゃんが……」
遠い目をしてそれだけ言うのがなのはには精一杯だった。
「ヴィータが……? って……え?」
ユーノがなのはの背後に目を向ける。
それと一緒になのはは振り向くと、そこには息も絶え絶えにしたヴィータともう一人。
「初めましてゆーくん」
にっこりと涼しげな笑顔を浮かべるハティ・アトロスがそこにいた。
「ゆーくんって僕のこと? って、まさか『暴君』? 本物!?」
「ユーノ君、ハティさんのこと知ってるの?」
「うん……たぶん管理世界で一番有名な魔導師じゃないかな」
「一番は大袈裟じゃないかな?」
「でも、僕が知っているくらいだし……やっぱり本物なんだね」
「この人、何をしたの?」
「全管理世界の十代の魔導師の大会の優勝者……だけならそこまで有名にはならなかったんだけど……」
言葉を濁すユーノ。
なのははその内容だけでも感心してハティを見る。
「彼女はその……優勝した一ヶ月後に殺傷有りの非合法な闇試合に出場してことによって優勝は取り消し、以後の大会参加資格も剥奪されたんだ」
「え……?」
「それでその時のコメントで『もう大会には興味ないから、別にいいよ』なんてことを言ったみたいなんだ」
「あの頃は私も若かったんだよ」
あははっと苦笑いを浮かべるハティになのはは思わず尋ねる。
「人を……殺したことがあるんですか?」
「ううん、ないよ……殺し有りの闇試合だけど、私は強くなりたかっただけだからそういうことはしてないよ」
「そう……なんですか」
「続けるよ……
で、彼女のコメントに大会の選手たちが怒って、次の年の大会で世界代表全員が彼女の復帰を望んだんだ……
運営もリベンジに燃える彼らに折れて彼女の参加を認めたんだけど、彼女が参加する条件として提示したのが……
世界代表全員対自分一人の、多対一戦」
「え……?」
あまりに突拍子な内容になのはは理解し切れず、ハティを見る。
「てへ……」
可愛らしく笑って誤魔化す彼女にそれが本当のことだと理解させられる。
「まさか……勝っちゃったの?」
「うん……辛勝だったけど勝って、その要求から『暴君』っていう二つ名がついたんだ……それで……」
「まだ続くの!?」
「うん、でもこの先は暴君伝説じゃないんだけど、彼女は今――」
「はい、ハティ・アトロス……歌って踊れて戦えるアイドルやってまーす」
「…………へ?」
世界最強の魔導師の発言に今度こそなのはの思考は停止した。
「ま、歌は趣味で暴君のネームバリューで売ってるようなものだけどね……ところで襲ってきた人はどうしたの?」
そんななのはを置いてけぼりにしてハティは勝手に話を進める。
「え……えっと……今、すずかとアリサが話をしているんだけど」
「それ、大丈夫なの?」
「……それなんだけど、一つ問題ができちゃったんだ」
言葉を濁すユーノになのはは首を傾げる。
そして、彼がそう言った理由はすぐに知ることになった。
「えっと……初めまして、高町なのはさんですね?
この度はお連れ様に多大な御迷惑をおかけしたみたいで、申し訳ありません」
赤い髪に青い服の女性が生真面目になのはに向かって頭を下げる。
「えっと……」
想像していた襲撃者のイメージとは異なり、なのはは大いに戸惑うと同時に言葉の中の違和感に首を傾げる。
「どうやらこの人、記憶喪失みたいなのよ」
深いため息を吐きながらアリサがなのはが感じた疑問に答える。
「記憶喪失……本当なんですか?」
「はい、自分の名前も、ユーノさんを襲った理由も何も思い出せません」
恐縮して身体を小さくする彼女になのははいっそう困惑する。
「……ど、どうするの?」
「どうしようかしら?」
なのはの問いにアリサも同じ言葉を返す。
記憶を失ったとしても相手はユーノたちを襲った人物。
そして、自分たちは今クラナガンへと向かっている道中で、彼女を連れていける余裕はない。
彼女の面倒を見る義理などあるはずもない。
しかし、それほど悪い人間に見えない彼女をこのまま放り出して行けるほど薄情にはなれなかった。
「ちょっといい、アミタ」
「え……? はい」
唐突にハティが誰かの名前を呼んで、それに彼女が反射で応えた。
「え……?」
さらなる疑問符をなのはたちが浮かべる中で、ハティは彼女に顔を近付けてその瞳を覗き込む。
「アクセス」
次いで指を彼女の額に触れて魔法陣を展開する。
なのはもよく知っているミッドチルダ式の魔法陣。
「んー……ねえゆーくん……この人、治癒術師がどうとかウイルスがどうとか言ってなかった?」
「え……ああ、うん……確かにそんなこと言っていたけど」
「そっかそっか……」
一人で納得してハティは彼女から手を放し、魔法陣を消す。
「…………ハティさんはこの人と知り合いなんですか?」
「ううん、今が初対面だよ」
「でも、さっきこの人の名前を呼んでましたよね?」
「うん、それがどうしたの?」
逡巡のない肯定。
「……ねえ、アリサちゃん……わたしがおかしいのかな?」
「いいえ、おかしいのはこいつの方よ……っていうか誰なの?」
ハティの意味不明な言動にアリサは警戒心を強め、すずかが車椅子を引きアリサをハティから遠ざける。
「えっと……お名前はハティ・アトロスさん……」
言って、それ以上続けられるほどなのはは彼女のことを知らない。
続ける言葉に迷っている内に、彼女が展開した魔法陣が消える。次いで、額に当てていた指も離す。
「ウイルスの除去と墜落による身体の破損を治すのにセーフモードに切り替えたせいで一時的な記憶喪失になってるみたい」
ハティはまるで機械の診断をしたかのようなことを言う。
しかし、それをなのはたちが問い質すよりも先に記憶喪失の少女が尋ねる。
「あなたは私のことを知っているんですか?」
「うん、直接会うのは初めてだけど、貴女の名前はアミティエ・フローリアン……
エルトリア、ギアーズ、あとキリエって名前で何か思い出せることはない?」
ハティの言葉に少女は考え込む。
思い出そうとする彼女の邪魔をするわけにはいかず、なのはたちはハティへの追究をせずにことの成り行きを見守る。
「…………キリエ……そうだ私……キリエを……妹を追い駆けて来たんです」
ふらりと熱にうなされる様にアミティエは立ち上がる。
「行かないと……」
「こらこら、そんな身体で無茶しちゃだめだよ」
「大丈夫です、これくらい気合いでどうにかしますっ!」
そうはいうものの立ち上がるだけでもかなりの時間がかかって、上体もふらついて安定していない。
「行く宛ては? 今、キリエがどこにいるか分かるの?」
「根性で見つけますっ!」
言葉だけは強いが、それに身体が伴っていない。
「はぁ……」
深く大きなため息をハティは吐く。
次の瞬間、アミティエの身体は地に伏していた。
「え……?」
アミティエの手を取り、足を払う。
たったそれだけの動作。しかも地面に当たる音もさせない静かな押さえ込み。
まるで途中のコマを切り取ったかのように錯覚するほどの業になのははただ感心する。
「そもそも、今の貴女はゆーくん達の捕虜なんだよ? そんな勝手が許されると思ってるの?」
「でも――」
「へー……口応えするんだ……」
ぞっと、傍で見ていたなのはは悪寒を感じた。
「ハティさん、待って!!」
思わず声を上げるが、遅かった。
「んー……よっと……」
軽い調子の声を発して、ハティはアミティエの腕をもぎ取った。
「にゃぁああああっ!?」
突然のスプラッタな出来事になのはは悲鳴を上げる。
「ななななな、なんてことするんですかっ!?」
「大丈夫、だいじょーぶ……ほら」
そう言って気楽にハティはもぎ取った腕をなのはに向ける。
「何がだいじょ――え……?」
そこにあったのはグロテスクなものではなく、鋼が覗く断面。
「機械……?」
「そ……アミタはエルトリアのギアーズ、簡単に言うとアンドロイドだよ」
呆気なく明かされた事実になのはたちは呆ける。
「さてと……あんまり我儘を言うと残りの四つももぎ取るよ?」
「よよよ、四つっ!?」
残った腕と足をバタバタと使ってアミティエは尻もちを着いたままハティから距離を取る。
「もう一本の腕と……両足……それから首?」
「あわわわ……」
見ていて可愛そうなくらいにアミティエは涙目になって震えている。
「ちょっと、なのは……何なのあの危険人物は?」
小声でアリサが非難してくるが、まったく反論できなかった。
誰が呼んだか知らないが、『暴君』の二つの名の由来を見た気がする。
「それじゃあ……はい」
などと考えているとハティはアミティエの腕をなのはに笑顔で渡した。
「……え?」
ハティは軽々持っていたが、渡されたそれはずっしりと重く取り落としそうになる。
「貴女の生殺与奪の権利はなのちゃんたちのものだから、命乞いはそっちにしてね」
「ちょっ!?」
さらにもっと重いものまで勝手に押しつけられ、流石になのはは反論しようと口を開く。
しかし、ハティはなのはの耳に口を寄せて囁く。
「別にいいんだよ? アミタをこのまま行かせて、何も気に病まないって言うならね」
言われて思い出すのは彼女の今の状態。
記憶喪失もだが、まともに立つことさえできない彼女をこのまま行かせてしまえばどうなるか。
「どうか命ばかりは御助けを!」
片手で土下座するアミティエをなのはは見下ろすことになる。
「あ……」
言葉が出てこない。
自分にはアリサの身体を治すためクラナガンへ行く目的がある。
そして、そこへ行くための船の席に余分はない。
だから、ここで彼女に腕を返して別れてしまえばいい。
元々はただの襲撃者。自分たちの目の届かないところでなら、それこそハティが言う様に気に病む必要はない。
――だから……だから……でも……
「アミティエさん――」
「なのは」
「なのはちゃん」
「なのは」
振り絞って出した声は三人の声によって止められた。
振り返るとそこには――
怒った顔のアリサがいた。
心配そうな顔のすずかがいた。
そして、それは違うと首を横に振るユーノがいた。
「あ……」
それだけで肩に重くのしかかっていた重さが消えた気がした。
「アミティエ! あんたは記憶と体調がよくなるまであたしたちと一緒に行動してもらうわよ」
車椅子を動かし、なのはを押しのけてアミティエの前に移動したアリサが言い放つ。
「いいんですか?」
おずおずと土下座の姿勢から顔だけで上げてアミティエはアリサを窺う。
「とりあえず悪い奴じゃなさそうだし、襲ってきたのも事情があったって思って上げるわ」
「ありがとうございます……えっと…」
「アリサよ。それから――」
順に自己紹介をしていく。
「そして私がハティ・アトロスだよ」
「ひぃっ……」
最後にハティが名乗るとアミティエはこれ見よがしに怯える。
「じゃあ、まずその腕をつけ直そうか」
ふふふ、と不気味に聞こえる笑みを浮かべてそんなアミティエにハティはにじみ寄る。
「た……助けてっ!」
「ちょっとその女の気を引いといて」
「そ、そんなー……」
助けを求めるアミティエにアリサは無情な宣告をする。
「えっと……いいの、アリサちゃん?」
「腕をつけ直せるのはあいつだけなんだから仕方ないでしょ。それよりも改めて聞くけど、何なのあいつは?」
若干の非難を目に込めて尋ねるアリサ。
しかし、なのはは先程と答えた様に彼女の名前しか知らない。
それを察してアリサは言い方を変える。
「それじゃあ何があったのか手短に話しなさい」
「えっと――」
とりあえずなのはは見て来たものをそのまま話す。
ヴィータ達の偽物、ボルケンリッター。
ヴィータ達を崇める信奉者。
そして、前世の記憶で自分たちのことを知っているハティ。
「あー……一つ、可能性があるとすれば……」
「え、今の話だけで分かったの?」
少ない説明だけでそれを想像できるアリサになのはは驚く。
「あくまで可能性よ。確証はないんだから早まるんじゃないわよ」
そう釘を指してアリサは告げる。
「第一に挙げられるのはあいつが執行者の可能性よ」
「執行者……」
「落ち着きなさい」
その言葉だけで我を忘れそうになったなのはの額をアリサが叩く。
「確証はないって言ったでしょ」
「でも、アリサちゃんっ!」
「一応、そう思った根拠も言っておくけど……
彼女が言っている『前世』、あからさまに疑ってくれって言ってる言い訳を深読みすれば、そう思うのは当然でしょ?」
「あ、そっか……」
彼女が執行者なら自分たちのことを知っていてもおかしくはない。
「目的はたぶん監視でしょうね」
「それじゃあ、もしかしてアミティエさんも――」
「あはは」
「いやぁぁぁっ!」
ハティに掴まり、悲鳴を上げるアミティエ。
「それはないんじゃない」
「うん、なさそうだね」
あの嫌がり方は演技に見えない。
それに警戒心を解くための演技としてなら、こんなやり取りよりもアミティエの襲撃にハティが介入した方が効果がある。
「でも、ハティさんが執行者なら――」
「もちろん違う可能性もあるわよ。でも、今のところその可能性が一番高いわ」
言われてなのはは考え込む。
ハティ曰く、前世の記憶で自分たちのことを知っているそうだが、流石にその矛盾を疑わないほど素直ではない。
過去の記憶で現世の自分たちを知ることは不可能。
そんな馬鹿でも分かる嘘を平然と吐くハティの目的は何か。
「そうだな……その可能性が一番高いよね」
アリサの考えに同意する。
兄と戦い素顔をさらしたノア。そしてソラが戦っていたラントという男。
それだけではなく、姉が戦っていた執行者は一様のフルフェイスヘルメットで顔を隠していた。
だからなのはは他の執行者の顔を知らない。
そして、能天気な振舞いをしているが世界最強の魔導師。
実力的に考えても彼女が執行者であっても不思議ではない。
「それじゃあ、どうする?」
警戒心を高め、アミティエを組み伏せるハティをなのはは睨む。
「そうね……とりあえずは様子見かしらね」
「んな面倒なことする必要ねーよ」
静観しようと提案するアリサに、今まで黙っていたヴィータが異を唱えた。
「ヴィータ? それってどう――」
「おいっ!」
アリサが聞き返すより早く、ヴィータはぞんざいな口調でハティを呼びつける。同時にグラーフアイゼンを振り上げて突撃した。
「ん……? 何か――」
振り返ったハティは目前に迫るヴィータに言葉を止める。
「潰れろっ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
完全に当たるタイミングの不意打ちだった。
しかし、ヴィータの予想に反してグラーフアイゼンは空を切って、地面を穿っただけに終わった。
「いきなり――」
「ちっ……」
動揺はない。
ヴィータは返す力でグラーフアイゼンを下から頭を狙って振り抜く。
「――何をするかな?」
しかし、その一撃もハティは難なくかわし、言葉を続ける。
「アイゼンッ!」
『ラケーテンフォーム』
カートリッジをロードして、ロケット加速を用いた打撃。
独楽のような回転をしながらの高速連打。
バリアジャケットを展開してすらいないハティにとって、加速したスパイクの一撃さえ致命傷になるというのに――
「ひょい……ひょひょーい……」
ハティは呑気な掛け声とともにヴィータの鉄槌を紙一重で避けて行く。
「馬鹿にしやがってっ!」
さらにカートリッジをつぎ込み、噴射を強める。
しかし、それでも当たらない。
「何でっ!」
思わず叫ぶ。
「何でなんだよっ!」
それは今の状況のことではない。
これまでの溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために、怪しいハティの存在はヴィータにとって絶好の八つ当たりの相手。
しかし、蓋を開けてみれば一方的な展開だった。
「うそだ……」
どれだけグラーフアイゼンを振り回してもかすりもしない。
世界最強と言ってもそれは試合上のこと、幾星霜の時を戦場で過ごしてきたヴィータにとっては遊戯の王。
しかし、そんなヴィータの侮りをハティは嘲笑う。
「うそだうそだうそだうそだ」
目の前の現実を振り払うためにヴィータはがむしゃらにグラーフアイゼンを振り回す。
アポスルズのレイ。過去の亡霊のソラ。闇の書の残滓、過去の自分。偽物のビータ。そして、世界最強のハティ。
一対一ならベルカの騎士に負けはない。
それを謳い文句にしていただけに、負け続けたヴィータのプライドはすでにボロボロだった。
「アイゼンッ!!」
『ギガントフォルム』
距離を取って、グラーフアイゼンを変形させる。
「っ……ヴィータちゃんダメッ!!」
制止の声が掛かるがヴィータの耳には届いていなかった。
「轟天爆砕っ!」
巨大になった鉄槌を、ヴィータはただ勝つことしか考えず振り下ろす。
「ヴァジュラ」
ハティが呟く。
彼女の足下にミッド式の魔法陣が広がり、その手に黄金の槍が現れる。
それは飾り気のないとてもシンプルな槍。
ハティは淀みのない動きで槍を構え――
「貫け」
光が閃き、ヴィータの肩から鮮血が吹き出した。
「なっ!?」
ギガントを使うために距離を取ったにも関わらず、ヴィータには視認できない速度での高速魔力刺突。
しかも、溜めなしで騎士甲冑を難なく貫通する威力。
「デタラメ過ぎだっ!」
超重量の巨鎚を片手で制御できるはずもなく、グラーフアイゼンはヴィータの手から抜け落ち在らぬ方向へ飛んでいく。
「あ……」
剣士が剣を落とされることは負けを意味する。
ヴィータは剣士ではないが同じようなものだった。
しかし、呆けている間などなかった。
叩きつけられる濃密な殺気。それは決して非殺傷で出せるようなプレッシャーではない。
黄金の槍が輝き、閃光を――
「こなくそっ!」
ヴィータに見えたのはそこまでだった。
男の声と共にヴィータの視界はその背中に塞がれる。
見えないヴィータに理解できたのは、ハティが魔力刺突を放ち、男――テオが身体を使ってそれを防いだことだけだった。
「そこまでよハティ、ヴィータ様にこれ以上の無礼を働くと言うなら私が相手になるわ」
そしてハティの前にはリィナが立ち塞がる。
「無礼って……先に手を出したのはヴィータの方だよ?」
「見え透いた嘘ね……貴女は昔から強い人に挑戦する悪癖があったでしょ?」
「あれは若気の至りだけど……別にヴィータってあんまり強くないから私の守備範囲外だよ」
「な――」
「ヴィータ様への侮辱は許さないわよっ!」
ヴィータの声はリィナのそれにかき消される。
「リィナはその子を美化し過ぎだよ……
ヴォルケンリッターは貴女が思っている様な清廉な騎士なんかじゃないよ」
「黙りなさい、ハティ」
「その子だって、不意打ちを仕掛けておいて反撃されたら逆ギレする様な、やり返される覚悟もない卑――」
「ハティッ!!」
リィナの怒声にハティは肩を竦めて、手にした槍をくるりと回す。
「勝手にすれば、アヴァンシアさん」
そのままハティは槍を消す。
「申し訳ありません、ヴィータ様……すぐに治療を」
すぐさま謝るリィナ。
そして貫かれた肩に治癒魔法がかけられる。
しかし、ヴィータの目はハティの背中から離れない。
――闇の書の一ページにもならないと思ったのに……
何も無根拠でハティのことを侮っていたわけではない。
感じる魔力はほとんどない。
長年培った魔力資質を計る目で見ても、ハティの実力はユーノが言うほどのもとのは思えなかった。
しかし、彼女が槍を構えた瞬間にその魔力が一気に跳ね上がった。
普段は0に抑え、任意のタイミングでそれを爆発的に高めるSランク級の瞬間増幅技術。
それがあのデタラメな刺突の正体だった。
「くそっ……」
負けたこと以上に、彼女の実力を見抜けなかったことに苛立つ。
――そうだ……雑魚だと思って油断しただけだ……負けじゃねえ……
「あの……ヴィータ様……」
「何だよ……?」
「ハティの行った無礼、彼女に代わり謝罪させてください」
「え……あ……」
咄嗟のことにヴィータは歯切れの悪い返事をしてしまう。
襲いかかったのは自分で、ハティの言い分の方が正しい。それを口にすることができなかった。
「確かに彼女は喧嘩早いですが、それは昔の話で今はだいぶ落ち着いていたんです……
ただ今回に限っては出発の前からだいぶはしゃいでいまして……」
「はしゃいでる?」
思わずハティの背中を見直す。
「ねえねえ……あーたん」
そのハティはすでにヴィータから意識を外してアリサに話しかけていた。
「あ、あーたん? それってわたしのことっ!?」
「そーだよ。アリサちゃんだから、あーたん」
「……それじゃあ、すずかは?」
「すーちゃん」
「…………なのはがなのちゃんで、ユーノがゆーくん、それですずかがすーちゃん……
って、何でわたしだけ『たん』なのよっ!」
「何となく」
グッと親指を突き立てて言い切る彼女の姿は、確かに言われてみればテンションが振り切っているようにも見える。
しかし、それよりもそんなハティと平然と話しているアリサ達にヴィータは顔をしかめた。
――どうしてそんな怪しい奴なんかと話していられるんだよっ?
まるで長年付き合っている友達のような馴染みぶり。
彼女への疑いが晴れたわけではないのに、手の届く距離で騒いでいるアリサたちが理解できなかった。
「……ああ、そうか……」
年相応なやり取りを見せつけられ、ヴィータは理解した。
――あいつらは全員平和ボケしてるんだ……
地球、海鳴は平和だった。
だからこそ、アリサたちは命を狙われるような経験をしたことはない。
狙われている自覚、命のやり取りの経験、死に対する危機感。他人への警戒心。
頭では理解していても、それを行動として実行できていない。
戦場を知っているヴィータからすれば許せない緩みだった。
――ま……どーでもいいけどな……
しかし、それを指摘する気にはなれなかった。
そもそも自分とアリサの関係性は薄い。見過ごすほどに薄情ではないが、かといってはやてのように積極的に守るほどのモチベーションはない。
それよりもヴィータはハティのことが気になっていた。
「おい」
「はい、何でしょうか?」
打てば響くようね返答でリィナが応える。
「あいつのこともっと詳しく教えろ」
一方的な要求にも関わらず、リィナは嫌な顔一つせずにヴィータの問いに答える。
「ハティ・アトロス……
先程、紹介しました通り次元世界最強の魔導師です……
使用魔法体系はミッドチルダ式ですが、戦闘スタイルは近接の槍を使います」
「ミッドなのに槍なのか?」
「ええ……ですが、その槍の一撃はまさに必殺の閃光……
彼女はそれだけでインターミドル――全管理世界魔法戦技大会を制しました」
「……その世界大会ってのはそんなにレベルが低いのか?」
「とんでもありません……
確かにスポーツ感覚の参加者も多いですが、本線に進んだ選手は管理局で即戦力として起用できるほどの猛者ばかりです」
「管理局……なぁ……管理局の暗部って知ってるか?」
ヴィータの問いにリィナは目を見張る。
「どうしてそれを?」
「知ってんだな?」
「ええ、ハティが昔から口にしていた組織のことですが……
実際はよくある管理局を誹謗中傷する都市伝説の一つ……そんな組織は存在しません」
――黒だな……
リィナの言葉にヴィータはハティが敵だと確信する。
暗部は実際に存在しているが、リィナのように普通なら知ることはない。
しかし、ハティはその存在を知っている。それは確たる証拠と言える。
「ちょっとヴィータッ! こっち来てハティに謝りなさいっ!」
そんな結論に達したヴィータにアリサの馬鹿げた声がかかる。
「何であたしが謝らなくちゃならねーんだよ!? そいつは敵だぞっ!」
ありえない要求をヴィータは言い返す。
「敵って……あんたねぇ……」
呆れた眼差しを向けてくるアリサに頭が痛くなってくる。
アリサは自分でハティは怪しいと言ったはずなのに、このわずかな時間ですっかり懐柔されてしまったようだ。
「別にいいよあーたん……ヴィータがツンデレさんなのは分かってるから」
「はぁっ!? いきなり何言ってんだてめーはっ!?」
ハティのあまりの言動にヴィータは猛抗議する。
しかし、彼女は笑うだけで相手にもしないでなのはに話しかける。
「ねえ、なのちゃん」
「は、はいっ!」
「実は私の使い魔が貴女に会って御礼がしたいって言ってるの」
「え……?」
「無視すんじゃねーっ!」
「えっと……わたしはハティさんの使い魔に会ったことなんてないはずなんですけど?」
「うん、知ってるよ……でも、ふーちゃんから聞いてない?」
「ふーちゃんってもしかしてフェイトちゃんのことですか?」
「そうだよ。それでこの子がその使い魔」
と、そのハティの言葉と同時に空から彼女は現れる。
その姿をヴィータは知っていた。
虐殺が行われた集落で出会った使い魔。相当な実力者だと思っていたがハティの使い魔なら納得がいく。
「初めまして、高町なのはさんですね?」
「は、はいっ!」
かしこまった態度になのはが緊張した返事をする。
「それから……アリサ・ローウェルさんに月村すずかさん、ユーノ・スクライア君、ヴィータさん」
順に名前を上げていく使い魔に自然と警戒心が高まる。
そんな空気を気にせず、使い魔は頭を下げる。
「いつもフェイトが御世話になっています」
「へ……?」
その間の抜けた声をもらしたのが誰かは分からない。
しかし、唐突の感謝の言葉に呆けたのはヴィータも同じだった。
「私の名前はリニス……プレシア・テスタロッサの元使い魔で、フェイトの先生です」
顔を上げた使い魔は笑顔でそう名乗った。
補足説明
『ハティ・アトロス』
このエピソードでのデタラメーズであり、キーパーソン。
魔力瞬間増幅というSランク技法を使いこなしインターミドル優勝経験がある。
その実力はヴィータ達以上。
転生者であり、前世の記憶からなのはたちのことを知っている。
あとがき
なのはが暗黒面に落ちかけて、ヴィータが大いに空回る御話でした。
アミティエ参戦。キリエの登場は次のエピソードに持ち越しですが、流石にヴィヴィオたち未来組は出さない予定です。