この広い世界には、幾千も、幾万もの人がいて――
そしてそれ以上に―― たくさんの出会いと、別れがあって――
これは、小さな事件と出逢いのお話。
中学2年の春に出会った、小さな―― だけど大切な、私たちの始まりのお話
★★★★★★★★★★★★
今日は打ち合わせだ。原作者にして主演になる高町なのはと、同じく主演でノンフィクション小説の当事者でもあるフェイト・テスタロッサが会議室に呼ばれている。
「このようなモノローグから入ると、未開文明にあった少女と魔法との出会いっていう雰囲気が出ると思うんスよ」
「あっ……、そうですね」
なのはは意外とまともで安心していた。若干怪しいけれど、これくらいなら許容範囲だった。
そうだよね、いくらなんでも思春期まっただなかの青々(毒々)しい小説まるまる映画化なんてしないもんね、と安堵の溜息をついた。一時はいったいどうなることかと……。
「ではこの内容でよろしいでしょうか。4年前に発売された手記を参考に表現をいじらせていただきましたが」
「はい、いいんじゃないでしょうか♪」
脚本家の提案になのはは小躍りしそうな気分だった。
一時は仕事とはいえ、あんな世に出版した分ぜんぶを回収したくなるような、自分を主人公にした(半ば創作な、世間的には)ノンフィクション小説を延々現実にするかと思って暗澹とした気分になり、図らずも2キロダイエットに成功してしまったなのはだったが、もうこの世の春がきたと言わんばかりにうきうきしている。いじらしい。
「いや待つんだケインくん、それは少しよろしくないのではないか?」
待ったをかけ、のっしのっしと太鼓腹を揺らして歩み出たのは監督。
なのはの頭に疑問が灯った。
いや、若干思い出したくない成分が含まれてるけど、マイルドで世間に公開するには良い方なんじゃないかなー、なんて素人ながら思うんだけど、なんて。
「この手記全体の構成を考えるに、まずはもっと詩的に長々と煽るべきだと思うぞ。そういった、叙情的で波乱に満ちた文意をキミは読み取れないのかね?」
「はぁ……、すみません、精進します」
そうじゃない! カントク! もっと他に言うことがあるでしょう!? 中学生のときに書いた文章の文意を真面目に読み解こうとしないでぇぇぇ!
まさかとは思うけれど、これからの文章全部を昔の私のアレで再現する気じゃ――! なのはは戦慄した。なんと恐ろしい男なのだろうと、この男は悪魔なのだろうか、と。
―― ぷくくっ……。
堪え切れなかった笑い声のような音波が聞こえた方に向き直ると、アリシアちゃんが不自然に強張ったキリッとした顔のまんま痙攣してた。死にたい。
しばらく何事かカントクと脚本家が話し合って、戻ってきた。
「では、プロローグはこっちの台本でお願いします」
改定されてた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★
この広大な世界には、幾千も、幾万もの人間がいて――
そして其れ以上に存在する――無限に思える程の邂逅と、別離。運命を紡ぐ弦の名だ。
――此れは、平穏なる地球の終焉と、宿業との再開の御伽話
かつて日常を送る少女で在った頃の春に出会った、矮小な――しかし宿命を切り開いた、我らが始まりの御伽話――
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「このようなナレーションで入ると、物語の全体が引き締まり悲劇性も増すかと。表現は月間エースオブエース135号のインタビューを参考にしました」
「ぎにゃ……、ソウデスネ、ソノトオリカト」
「ではこの内容で決定でいいですね? 6年前に発売された手記を参考になるべく違和感なく仕上げられたと自負しております」
「うにゃ……、ハイ、この上なく再現デキテイルト思イマス……」
監督の決定に、なのはは悲鳴と悶絶を飲み込んだ。
内心(うにゃああああああああああ! そんな思春期な病真っ最中の頃に書いたモノローグを真剣に再構成しないでえええええええええええ!)などと悶えながら殊勝に頷くのも一苦労だ。
物語のプロの意見だから必要ないんじゃないかと迂闊に言うこともできず、黙りこくる以外の反応を返せない。
「では決定稿……と。では次!」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
昏い。そこを人間の言語で表現するならば、その一言以外に存在しないだろう。
何処とも知れぬ山奥で、その実験は行われていた。旧き力――絶雄霊波を研究し、統括する"機関"の秘密研究所で、幼き少女は今日もそれを施される。
「いいの? そいつを投与して……。私にその破壊の力を与えたら、必ずやあなたたちの喉笛を噛み千切るよ……?」
なのはは白衣の男たちに指示を出す、仮面をつけたその華奢な体を睨みつけた。
「ふん、やれるものならやってみるといい。愚かなる小蝿よ、汝、我を疵付けられるなどと思い上がるか?」
しかし、ヤツにはその露になっている唇を歪めてマントを翻し、挑発すら返す余裕があることになのはは歯噛みした。
伊達やはったりではない。その災厄と謂っても過言でないほどの力を、なのはは痛いほどによく識っていた。
――奴の名は"執行者 第壱拾参番 破滅よりの呼び声"。狡猾にして大胆不敵なる、旧き血を体内に取り込み自己進化を繰り返すバケモノだ。
その身に溜め込まれた絶雄霊波を解放することにより、指先ひとつで管理世界で"次元断層"と呼ばれる現象を引き起こし、その狭間に相手を突き落として消滅させるという超次元級の能力者である。
「くっ!」
なのはにはもう、加速剤を湛えた針が動脈めがけて接近してくる事実を止める術は無い。
ひたり、ひたりと瞬くたびに迫ってくる先端をついに視界が認識できなくなったとき、体中が爆発した。
「ああ嗚呼あああああアアアアアあぁぁぁぁ嗚呼嗚呼ああぁああァァァァ!」
身体中から、意志の統御から離れた絶雄霊波が噴出する。そして古の"天を喰らうモノ"の術式の形を取り、在りと在らゆる存在を噛み砕き、千切り飛ばし、終焉へと誘ってゆく。
無論、それは術式を抑える拘束具も対能力者を視野に入れて開発された封呪印加工された研究所も例外ではない。
そしてやがては、空間すら喰らい、対消滅を起こしてゆく――!
「ぬ、まさか此程とはッ!?」
滅の闇が"破滅よりの呼び声"を包む。しかし彼だけは死せず、唯マントの先が粉砕され、仮面が消滅しただけにすぎなかった。
「はは……ははははっ! そうか! 貴様こそが『封印の始祖』……『殺神』の本質を秘めし者かッ!」
無明の光の中、素顔を晒して"執行者"は笑う。
して、その顔は――、その造作は――ッ!
「そんな――なんでお兄ちゃんが――っ!」
そう、最愛の兄――高町恭也の面立ちと瓜二つだったのだ……!
★★★
「ゴヘァァァァァァァっ!」
『高町さん!?』
「ああ、なのはが奇声を上げながらブリッジで倒れたっ!?」
配られた仮脚本のページをめくるや否や頭を抱えてエビ反りで倒れるなのは、会議室騒然、アリシア実況。
「うにゃあああ……」
「しかも後頭部強打で痛がってる! これは痛い!」
基本的に面白いものに引き寄せられる猫系人間アリシア。
いい加減慣れてきたとはいえ、友だちが悶えてごろんごろんする姿はさすがに面白いものという分類に入ってしまう。
一瞬仕事を忘れて煽りそうになったが、執務官としての鋼の自制心でどうにか持ち直した。
「えっと、高町一等空尉は絶雄霊波能力者統合管理局の記憶処理の後遺症が残っているため、あまりそのことについて触れないように願います」
持ちなおして、友人が特定単語を耳にして突発的に悶えることを抑えられなくなったときの言い訳を口にした。もちろんなのは完敗、ダメージは悪化である。
『そうか……』
『お気の毒に……』
『後遺症まで残すとはなんと非道な組織だ……』
しかしその効果は歴然、スタッフの奇異の目は一瞬で申し訳がなさそうな目と不憫なものを見るような目にメタモルフォーゼ。温かい理解の手にみんなハッピーだ!
ただし万能の一手であるが、使えば使うほどに"機関"の存在が信じ込まれてゆき、なのはの記憶にもあの黒歴史の日々が復活してゆくという諸刃の剣である。多用すればきっと自分すら滅ぼすことになるだろう、主に社会的に。
「わ、私に……あまりそのことを思い出させ……ないで……」
ぜえ、ぜえと息を荒らげながら机に手をつけて起き上がったなのはに、会議室は震え上がった。
そんな、そこまで壮絶な経験をしてなお高町一等空尉は管理局に勤め続けるのかと。
そして絶雄霊波総合管理局――略して"機関"と戦い続けるのかと。
会議室にいた誰もが、"紅塵"高町なのはの決意と意志力に慄いていた。
無論、アリシアだけはニヤニヤを抑えて不自然にキリッとした表情だったが。
閑話休題。
「それで、今のシーンは何ですか?」
まずなのはが一歩踏み込んだ。そんな事実が存在しなかったシーンを挟んでも、物語上必要とは思えなかった。
「え? 小説の『第零章~禍々しき序曲』のシーンをそのまま使用しましたが、何か不自然な点でもありましたか?」
なのは完敗。撃沈。
「ところで、現状出ている2巻までではこの、執行者の顔が高町さんのお兄さんに瓜二つという点が謎となっているのですが、後に関わってくるのですか?」
脚本家追撃。なのは痙攣。
もちろん意味なんて無い。中学の授業中に窓際の席でぽかぽか妄想しているときにふと、『お兄ちゃんって目付き悪くて声も渋いし、悪役っぽいよねー』とか思っちゃったのがすべての始まりだったんだから伏線でも何でもない。
「その点は現在、"機関"の追跡中のため続報はありません」
アリシアもいい加減、なのはの妄言を事実として押し通すことに慣れきっていた。上手くほのめかして追求を避けるための熟練度が無駄に上昇している。
現在調査中という建前も、所属が所属だけになんとも言えぬ説得力を醸しだす。嫌な感じに熟練の業だった。
「では、これ以上真に迫りすぎては高町さんの心が壊れてしまいかねないため、これはこのまま決定でいいですね」
『異議なし』
「ちょ……私、異議が……」
「なのは、仕事に私情を挟んじゃダメだよ」
満場一致するスタッフたちに抗議しようとしたなのはの肩を不自然に凛々しい顔のアリシアが掴んで止める。さっきから笑いを堪らえ過ぎていい加減頬の肉がバカになりそうなだけだった。ディバインバスター撃ちたい。
それから先も、脚本家によって毒の抜かれたなのはの小説に監督が毒を込め直す作業が続きに続き、小休止までなのはの精神はめたくそに殴られ続けるのであった。
☆あとがき
劇場版は高町なのはという人物の描写を削り、フェイトと事件背景とバトルの描写に当ててるんですね。
なのはの悩みやなにかはバッサリでした。ですがこちらの主人公はなのはなわけで……。