窓の外に見える空は、斑のグレーで塗りこめられている。
その濁った雲は、やや強い海風に煽られ、急くように流れていた。
いびつな形を、めまぐるしく変えながら。
フェイトはその光景に、不思議と不安なものを掻き立てられた。
それは、ここヒジュラム首都、バサイの異様な空気を感じ取ってるせいだろうか。
クロノ、フェイト、シャーリー、ティアナの一行は、ヒジュラムの地上部隊本部を訪れていた。
バサイに到着後、ほどなくして車で直行した。まずは現地の地上との協力体制を築くためだ。協力要請そのものは、すでに出していた。これからその相手とヒザを付きあせての話合い。事件解決が効率的にできるか、どうなるか。ここで決まる。
豪勢な応接室に、フェイト達と地上部隊のトップと捜査責任者。それが机をはさんで、顔を向け合っていた。
フェイト達の目の前に、三人の男性。地上部隊のトップ、マウ・ソウ司令。捜査主任、アルスール・バダム・メラニ執務官。鑑識主任、技術部第一課、アバ・ザハーフ・ナッカ技術官。すでにお互いの紹介は終わっていた。
「ようこそ。ようこそ、いらっしゃいました。それにしてもまさか、あのJS事件を解決した方々とは。何と言いましょうか、お会いできるとは思いもしませんでしたよ」
眉間にしわ寄せて、しかし口元は緩ませ、目じりを下げている。
媚を売るような笑顔を浮かべている人物。これがヒジュラムのトップ。マウ・ソウだった。年のころは40半ば過ぎ。やや前のめりの細い体が、どこか卑屈なものを感じさせる。正直、肩書きを知らなければ、彼がトップなどとは誰も思わないだろう。
彼だけではない。ここにいる三人が三人とも、見るからに一癖も二癖もあるような人物だった。
20台後半に見えるアルスール。やや痩せ型、というより体脂肪の少ない筋肉質。背は高い。やる気がないのか、咥えたキセルを上げ下げしてる。まとまりのない髪に、ややだらしのない着こなし。その外見は、不真面をあえて主張してるかのうようだ。
一方のアバ。ガッチリした体に、若禿げの頭。その頭頂部に、奇妙な図形の刺青が見える。アルスールと同年代だが、やや年上に見える。それもこの頭のせいだろう。ただ年の近いアルスールとは、雰囲気がまるで違う。そのいかつい顔は、話しかけるなとでも言いたげだ。妙な威圧感が漏れていた。
そして、その二人に挟まれ、おだてるような言葉を続けているマウ・ソウがいた。
フェイト達は顔には出さなかったが、捜査を始める前に余計な苦労をしそうだと感じていた。
「お飲み物をお持ちしました」
秘書らしき人物が、ノックと共に部屋に入ってくる。
するとすかさずマウが立ち上がり、ドアへと直行。なにやら秘書に一言いっていた。
「これは私が配る」
「ですが…」
「いいから!君はとっとと仕事に戻りなさい!」
「はい…」
どこかイライラしながら、マウは秘書を追い返した。
そして媚びたような笑顔を浮かべ、フェイト達へ司令自ら飲み物を配る。
「さ、さ、どうぞ。これはヒジュラムの名物でしてね」
やたらと腰の低い態度の司令閣下。フェイト達は笑顔で受け取りながらも、この人物を測りかねていた。どう交渉を進めていけばいいのかと。
すると脇からまるで逆の調子の声が出てくる。投げやりな声が。
「司令、ここ任せちゃっていいです?」
アルスールだった。首筋をさすり、疲れてると言いたげな態度で言う。キセルをだらしなく垂れ下げて。
その言葉にマウは急に顔をしかめる。今まで見せなかった表情を浮かべる。
「全く君は…。ああ、もういい。行きなさい」
「んじゃ、後はお願いしますね」
アルスールはゆっくりと腰を上げる。よっこらせとでも、言葉を漏らしそうな具合に。
すると今度は、反対側に影が立つ。アバが仁王立ちになっていた。
「それじゃ、俺も」
「こら!どこへ行くんです!」
だがアバは、マウの静止も聞かず部屋から出て行く。軽く左手を上げて。
彼は二人が出て行ったドアを睨み付ける。やがてフェイト達に向き直ると、またあの妙な笑みを浮かべていた。そして深々と頭をさげる。
「本当に申し訳ありません。常識知らずの部下で。孤児院出身のヤツ等なんで、育ちの悪い面は大目に見てください。やはり生みの親のいない連中に、まともな素行を求めるのが無駄というものですかな」
「は、はあ…」
クロノは無理な笑顔で、返事を絞り出した。
一方端に座ってるティアナが、イライラゲージを上昇させつつあった。不真面目な部下に、差別発言をさらりとする上司。ここの連中はなんなのかと。何か一言いいたくてたまらない。そんな感情が沸き上がっていた。
その時、彼女の横から声がした。クロノだった。
「マウ・ソウ司令。最初の顔合わせですし。事務的な手続き等の問題もありますから、大枠だけ決めておきましょう。それなら私達だけで十分でしょう」
「あ、そうですか。まあ、でしたら人数いても仕方ありませんな」
そのマウの答えを聞くと、クロノはティアナとシャーリーに退出するよう促す。二人はうなずくと、席を立った。
「それでは、失礼します」
ティアナとシャーリーは敬礼をして、部屋から出た。するとその直後、ティアナにフェイトから念話が届く。
『ティアナ、できたらアルスール執務官と繋がり、切欠だけでも作っといて』
『えっ…。はい』
『シャーリーには、アバ技術官の方をお願いって伝えて』
『分かりました』
ティアナはフェイトの言葉をそのまま、シャーリーに伝える。彼女はそれを、大した事ないかのようにうなずく。すると目的であるアバを探しに、軽い足取りで行ってしまった。
シャーリーは、あの気難しそうなアバの相手をするのに、不満一つ見せなかった。ティアナはふと思う。やはり、苦手な人が、本当にいないのだろうかと。
同時にフェイトへも思いを向ける。フェイトは一時孤児だった。その孤児をマウが目の前で馬鹿にしてたのに、顔色一つ変えない。彼女に対し尊敬の念が浮かぶ。まだまだ自分が至らないとも。
もっともフェイトは、後でなのはに散々愚痴をこぼす事になるのだが。ティアナはそんな事、知る由もなかった。
ティアナが少し廊下を進むと、すぐに目標の人物を見つける。アルスールを。会議を中座した割には、急ぐ訳でもなく、だらだらと歩いていた。
「執務官」
「ん?」
アルスールが足を止めて、振り向いた。やる気のなさそうな半開きの目が、彼女を見ていた。
妙に構えながらもティアナは、明るい顔を作りだす。とりあえず、何か仕事関連の話でも振ろうと。しかし、アルスールの方から先に話しかけられた。
「えっと…ティアナ・ランスター執務管補佐だっけ。何?抜け出してきた?」
「え?いえ、そう言う訳では…」
「ま、どっちにしても、居てもしょうがないもんな」
アルスールは、少し緩めた表情で言う。ティアナはまたイライラが浮かんでくるのを感じていた。捜査の協力体制の打ち合わせで、捜査主任が抜け出しておいて、居てもしょうがないとはどいう事かと。彼女のように補佐ならともかく。
それで、思わず口にしてしまった。
「執務官はどうして、同席されないんですか?」
「ん?時間の無駄だから。他の仕事してた方がマシ」
「無駄って…。捜査体制決めるのが、どうして無駄なんですか」
「何も決まんないからさ」
何も決まらない?
どういう意味なのか。ティアナは彼の意図を測りかねた。少し厳しい顔をして、さらに聞き出そうとする。
するとアルスールはキセルを口から離し、あきれるような表情を浮かべていた。会議室の方を向きながら。
「マウ・ソウ司令が、何も決めさせないんだよ」
「どういう事です?事件を捜査しに来たんですよ?」
「あのおっさんは、自分の縄張りに他所者が入ってくるのがイヤなのさ。今頃、適当な理由をつけて、協力要請を全部つぶしてるぜ。今までもその調子。共同捜査なんて、できたためしがねぇよ」
「何ですか!それ!?それで事件が解決しなかったら、どうするんです!?」
「継続になるだけ。ま、それで首になるヤツはいないしな」
そしてアルスールは鼻で笑った。捜査する事そのものを、嘲笑するように。そしてキセルを吹かす。
ティアナはまた憤慨していた。ここの地上部隊に対して。トップは事件よりも縄張り意識優先。目の前の執務官は、自分の上司を部外者に向かっておっさん呼ばわり。しかも事件がどうなるかなんて、気にも止めてない。彼女は何か吐き出したくなっていた。それが噴出しそうになっていた。
その時、後ろから声がかかる。
「ティアナ」
振り向いた先には、眼鏡の先輩。シャーリーが駆け寄ってきていた。ティアナは声をかける。
「技術官は、どうしたんです?」
「見失っちゃった」
彼女は、笑いながらそう答える。そしてシャーリーはすぐ側にいるアルスールに、とりあえず挨拶。いつもの憎めない顔で。
「アルスール執務官。私は先ほど自己紹介しました…」
「ああ、シャリオ・フィニーノ執務官補佐ね。ランスター執務官補佐の先輩?」
「はい」
シャーリーは満天の笑顔で返事。
一方、ティアナは意外に思っていた。このいい加減な地元執務官が、シャーリーのフルネームをあっさり覚えいた事に。そう言えば自分のフルネームも覚えていたと。だが当の自分はアルスールの長ったらしい名前を、全部覚えていなかった。少しばかり悔しかった。もっとも心の隅では、ただの女好きかもと思ったが。
そんな彼女の考えを知るべくもないアルスールは、かまわずシャーリーに話しかける。
「アバ探してんの?」
「はい」
「アイツ、たぶん第三技術室。でも、一端篭ると出てこないぜ。だいたいアイツといっしょにいても、面白くねぇよ。見たまんま、口数少ないしさ。人嫌いだし」
「そうなんです?」
「だから、あんま友達いねぇんだわ」
「でも、アルスール執務官は友達じゃないですか?」
シャーリーはさらっとそんな事を口にした。それに、アルスールは、少しばかり意外そうな顔をする。
「ん?誰かから聞いた?」
「いえ。お二人見た時に、そんな気がしただけですよ。やっぱ、そうなんですか?」
「友達ねぇ…ま、腐れ縁だな。同じ孤児院出身でさ」
「へー、そうですか」
軽快に会話が進む。
初対面の人間と、こうも気安くに話してしまうシャーリーに、ティアナは少し関心してした。
すると機嫌がよさそうな、アルスールの声がかかる。
「どうよ。こんな所で立ち話もなんだから、執務官室来る?」
「え?」
「なんだったら、街、案内してやろうか。サマサ通りとか」
「ちょっと待ってください。仕事があるから、中座されたんじゃなかったんですか?」
ティアナは聞き返す。確かに先ほど聞いた。他の仕事してた方がマシと。
「いや。別に」
アルスールは、そう平然と答えた。ティアナのイライラが、またわずかに頭をもたげだす。だから、つい強い口調になってしまった。
「結構です。勤務中ですし、艦長達を待たないといけないので」
「時間かかるぜ。どうせ、あのおっさんの説得に苦戦してるだろうから」
「かまいません」
「そ。んじゃ、何かあったら、いつでも声かけてよ」
アルスールはそう言って、あっさり背向けた。ポケットに手を入れて、つまらなそうに歩きだす。キセルの煙をなびかせながら。
その後ろ姿を、ティアナは不機嫌そうに見ていた。
ふと彼女は、一人の名前を思い浮かべる。お気楽査察官と一部で呼ばれてるヴェロッサを。どこかしら似てる感じが確かにある。だが同時にこう思った。彼とは違うと。ヴェロッサには、任務に向かうひたむきさがある。しかしアルスールからは、それが感じられない。そんな人物が執務官なのだ。それがティアナを不機嫌にさせる。執務官は彼女の夢だ。しかし、あんな人物でもなれてしまう。何か自分の夢を、汚された気がした。
不意に後ろから、残念そうな声が届く。思わずティアナは振り向いた。そこには、わずかに気落ちしてるシャーリーの顔があった。
「あーあ。せっかく仲良くなるチャンスだったのに」
「………」
ティアナは忘れていた。フェイトから繋がりを作ってと頼まれた事を。
だが、それはできそうにないと感じる。彼女は、基本的にまじめな性質である。そんな彼女には、アルスールが自分の対極に見えた。
しかし、それはそれ、これはこれである。ティアナは申し訳なさそうに言う。
「すいません…」
「いいよ。なんかティアナ、イライラしてたもんね」
「だって、あれじゃ札付き局員みたいなもんですよ!それが、なんで執務官なんですか!」
「ティアナ。声抑えて」
「あ…」
慌てて口を押さえる。しかし、愚痴は止まらない。さらに小声で続けようとする。
するとその時、フェイトから念話が入った。伝えてきたものは、さっきアルスールが口にした通りだった。つまりマウの説得に、時間がかかると。だから先に引き上げてくれと。そういう話だった。
ティアナ達は了解すると、タクシーを拾って帰る。その間、シャーリーはティアナの愚痴を、ずっと聞くハメになったのだが。
「まいったなぁ。事前に聞いてはいたが、これ程とは」
「それでも、成果ゼロって訳じゃないよ」
「フェイトのおかげでもあるがね。こちらの人数が多くなかったら、どうだったか」
クロノとフェイトは、クラウディアの廊下をため息を付きながら歩いていた。ついさっき、ヒジュラムの地上部隊本部から帰ってきたばかりだ。
今でも、マウの話をそらしていく様、のらりくらりとかわす様が思い出される。そしてあの奇妙な笑顔を思い出すと、またうんざりするのだった。
やがて二人は食堂に入る。もう見慣れた景色。ちなみにクラウディアのものは、アースラのものより少し気の利いたデザインになっていた。
軽食と飲み物を取ると、適当な場所に座ろうとする。すると、遠くから声がかかった。
「お帰り。クロノ、フェイト執務官」
声の方へ目を向けると、見知った顔があった。若草色のロングに白のスーツ。ヴェロッサだった。
勝手知ったる他人の家とばかりに、くつろいでいる。もっとも、正に勝手知ったる他人の家だったのだが。
機動六課解散後、クロノとヴェロッサは何かと仕事の行き先がかち合っていた。目的は違っても行き先が同じならという事で、ヴェロッサはよくクラウディアに乗船したいたのだ。おかげでフェイトやシャーリー、ティアナとも大分馴染んでいた。そうは言っても、はやてのように、愛称を呼び合う仲という程でもなかったが。
フェイト達は彼の方へ足を進め、隣に座った。すると、二人の帰りを待ちくたびれたと言わんばかりに、ヴェロッサが話かける。やや疲れ気味のクロノへと。
「どうだった?ヒジュラムのマウ・ソウ司令は?」
「君に聞いた以上だったよ。あんな人物を相手にしてたのか」
「そうだよ。手を貸さないくせに、口出しはしっかりしてくるんだ。参ってるよ」
「こっちも難しい事になりそうだ。捜査の方が思いやられる。外と内の、二面対応しないとならないとは」
「でもクロノも相手してくれるなら、こっちの風当たりも少しは和らぐかな」
「おいおい。もしかして、それが狙いで手を回したのか?」
「いいじゃないか。同じ辛さを共有できるんだから」
「何がだ」
クロノとヴェロッサは軽口を叩き合う。それをフェイトは少し楽しそうに眺めていた。
やがて会話が一息つくと、フェイトはヴェロッサにたずねる。
「ところで、アコース査察官。例のロストロギアについて、伺いたいんですが」
「ああ。アルムザーカ事件のね」
「アルムザーカ?」
「こっちの言葉で小人って意味だよ」
「なんで小人なんですか?」
「犯罪方法が分からないんで、小人さんの仕業だとか言い出してね。それが自然と名前になったんだってさ」
フェイトはそのいい加減さに、またヒジュラムの地上部隊の印象を悪くする。そして話を戻すと、気になっていた事を聞く。
「どうやってジャヒーニの情報を手に入れたんです?査察部とは無関係と、思われるんですが」
「言ってもいいけど、ここだけの話にしてくれないかな」
フェイトはうなずく。そしてヴェロッサは話しだした。
「ヒジュラムの地上部隊本部に出入りしてる時に、この事件の話は何度も耳に入っていたんだ。だから気にはしていたんだよ。ただアルムザーカ事件に関しては、完全に部外者だから傍観してたけど」
「………」
「それがある日、全く違う線からこの情報が入ってね。本局の技術部から」
「本局技術部から?」
「経緯はこう。ヒジュラムの首都バサイで、ロストロギアと思しきものが見つかったので、こっちの技術部が本局に調査依頼を出したんだ。そして、ロストロギアの可能性が高いと判定された。その情報がこっちに漏れて来んだよ。それで技術部経由で、ヒジュラムの地上部隊を突っついてね。資料をなんとか引き出したって訳。資料を引っ張りだすのに、あの手この手は使ったけど」
フェイトは、ヴェロッサの手腕に関心していた。あのヒジュラムの地上部隊から、資料と引っ張りだすとはとは。
しかし、フェイトの質問はこれだけではなかった。
「後一つお願いします。できればいいんですが」
「なんだい?」
「捜査要請の本当の狙いです」
その質問に、ヴェロッサは痛いところをつかれたとでも、言いたげな表情を浮かべる。
「う~ん…。とりあえず、今は勘弁してもらいたいんだけど」
「分かりました。答えられないなら、かまいません。守秘義務もあるでしょうから」
「ごめんね」
「いえ」
フェイトは笑顔で返す。
やがてヴェロッサは、力を抜いたような表情で、クロノ達に話しかける。
「そうだ。まだ来たばかりでしょ。仕事の話はこれまでにして、今日はバサイの街にでも、行ってみない?なんと言っても、香で有名な街だしね。ついでに食事もしよう」
「おいおい」
「地元の空気を感じることも、仕事の内さ。と言ったら行きやすいかい?」
「全く…。相変わらずだなヴェロッサは。そんなだから、お気楽査察官とか言われるんだ」
「じゃ、OKって事だね。そうだ。シャーリーとティアナも呼んであげなよ」
「分かった。分かった」
クロノは少しあきれ美味に、しかしわずかに笑って答えた。そんな二人のやりとを見て、フェイトもいつのまにか微笑んでいた。