雪が積もった。
地面や屋根の上に一層積もった白の結晶はとても綺麗であった。
だが忘れてはいけない。
雪は水分の固まったもの――氷なのだ。
後藤 龍野、休暇中。
ある意味事故が起こりました。
余生におけるある世界との付き合い方 第二十二話 ~滑りすぎ注意、なの?~
「う、あ?」
寒さに身を震わせる。
布団を肩まであげようとして違和感に気付いた。
いや、違和感というほどのものでもない。
布団が少し重いだけなのだから。
―……またか。
龍野はぼんやりとした頭のままそう思う。
隣には一人で寝ているにしては不釣合いな膨らみがあった。
しかも確かな温もりが伝わってくる。
そっと布団を上に上げる。
冷たい空気が隙間に入り、膨らみの原因が僅かに動いた。
見えたのは金糸。龍野の周りには金の髪を持つ人物は二人居る。
だが布団に潜り込んでくるとなると一人しかいない。
そこまで考えなくても、龍野はその鮮やかな金の色合いだけで分かった。
「フェイト」
小さく呟く。
呆れたような声音になってしまったのは仕方ない事だ。
布団に入るなと何度も言っているのだ。
それでも龍野が目覚めて隣に彼女がいる確率はほぼ十割だ。
あの三人娘全員が泊まったお泊り会からである。
やはりあの時夜トイレに行く振りをしてでも逃げれば良かったと思うも後の祭りだ。
最早、フェイトが布団に潜り込むのは習慣のようなものであるし慣れた。
―温もりが寂しい年頃でもあるまいし。
これが小学生の頃ならまだ納得できたのだが今の年齢は中学生である。
体格的にも幼い方では決して無いだろう。
それでも拒否できないのはフェイトの過去を知っている事が多いのかもしれない。
もぞり、と山が動く。
流石にここまで開けっ放しにしていると起きるようである。
龍野はできるだけ柔らかい動きで布団を下ろした。
可愛い寝顔が金糸の間から覗いてもう少し寝かせてやろうと思う。
「…んぅ……た、つの…」
きゅっと服の端を握られる。
まるで赤ん坊のような動作に知らず龍野の頬は緩んだ。
思えば孤児院で年下の面倒は見ていた。
だがこうやって同じ布団で寝る事は余り無かった。
ましてや中学生の女の子の寝顔など見る機会はほとんど無い。
妹でもいればこんな気持ちだろうかと考える。
残念な事に実際に居たわけでないので推測でしかない。
可愛いなぁ、と小さな呟きが口から漏れる。
―今日くらい、いいか。
休みだしと自分を納得させる。
起こさないように注意しながらその細い髪の毛を掬い撫でる。
絡まりもしない手触りが心地よい。
暫く、龍野は静寂な空間でそれを楽しんでいた。
「う……ぁ、れ?」
小さな声が漏れた。
龍野が起きてから既に数十分が経過している。
髪を撫でていた手を止める。
体制的には然程変わっていない。
距離が近すぎたので少し離れただけだ。
勿論、フェイトが服を握ったままなので大した距離ではない。
だがその少しが龍野は欲しかった。潜り込まれる事には慣れた。
朝起きた時寝顔が前にあっても以前より驚かない。
それと肌が触れ合う位置にいれるかは別問題なのである。
「あ…たつの、おはよう」
「おはよう」
ぱしぱしと眠たそうに目を瞬かせる。
横たわっていた体が布団ごと起こされる。
龍野もその動きに合わせて上体を起こした。
ふぁとフェイトが小さく欠伸をする。
まるで猫の寝起きのようで、龍野はふふと小さく笑った。
「まず、顔洗いに行こうか?」
フェイトより一足先に布団から出る。
ひんやりとした空気が伝わる。
身が引き締まる温度だった。
「うん。そうする」
龍野の言葉にフェイトは素直に頷いた。
それでも未だ思考はハッキリしていないらしく、その動きは酷く緩慢だ。
のろのろと動かされた体がぽすんと立っている龍野に埋められる。
そのままマーキングする猫のように体をこすり付けられ龍野は苦笑する。
こんなに朝弱かったか?と少々疑問も起きるが気にしない。
「ほら、フェイト」
「ん」
背中を叩いて再び寝入りそうになっている少女を起こす。
片手を使いどうにかフェイトの体を引き離し、手を繋ぐ。
それから洗面所の方へとゆっくりと歩き出す。
フェイトが泊まった日のお約束のようなものだった。
****
「わぁ、たつの。雪が積もってるよ」
「昨日は冷え込んだから」
朝食を食べ終えてから自室でまったりとする。
別に居間でも良かったのだがあそこは二人だと少し広すぎる。
二人で居るには龍野の部屋くらいがちょうどうよかった。
すると窓の外の様子に気付いたフェイトが顔を綻ばせて言った。
龍野自身は起きてカーテンを開けた時点で気付いていたのだが、このお姫様はそうではなかったらしい。
「なのはもそろそろ来るし、そうしたら外行く?」
うきうきとした様子に龍野は少し考えてからそう言った。
なのははこれから来る事になっている。
土日のどちらかは必ず顔を出すので珍しい事ではない。
特にこれといった予定も入ってなかったため、フェイトに合わせても構わない。
というよりそう言わなかったとしても後々外に行きたいと言われるだろう。
経験としてそれを知っていた龍野は先手を打ったのだ。
「うん!」
窓に手を付いて外を見ていたフェイトが満面の笑みで振り返る。
手を付いた所の周りが白く曇っていて寒くないのだろうかと龍野は思った。
そんなに喜ばれると逆にこちらがどう反応してよいか分からなくなってしまう。
―まったく、素直すぎる。
これで現場に出ていると言うのだから凄い。
傷つくような事も多いだろうに、と思ってそれから何だと納得した。
何てことはない。彼女は傷ついてもそれを見せないだけなのだ。
それは性格から考えても充分ありえる。
そして傷つく事を隠しているうちに仕事は仕事と割り切れるようになった、のかもしれない。
全ては推測で、龍野に確かめる術はない。
「あ、なのはだ」
ぴんぽーんという音と共にフェイトが立ち上がる。
そうしてからスリッパの音を立てて玄関へと向かった。
その後姿を龍野は苦笑しつつ追いかけた。
勿論走ったりはしていない。普通の速度で歩いただけである。
傷つく事をフェイトが隠しているとしたら、実際彼女の中にある傷は多いだろう。
かすり傷のような小さなものだとしても怪我には違いない。
柔らかい彼女の心に沢山の傷があると考えただけで龍野は嫌になる。
―就業年齢が低いのはこれだから……。
頭の中で達信が呟く。
子供のうち心が柔いのは悪いことではない。
むしろだからこそ子供特有の純粋さは保っていられるのだ。
大人になれば自然と-社会に出ればもっとだ-傷は増えて。
子供はいつの間にか大人に“成る”のだ。
「元気だね」
龍野はわくわくとした様子で階段を下りようとしているフェイトに声を掛けた。
龍野の部屋にいた為、玄関に行くには階段を下りて廊下を少し歩かなければならない。
心優しいフェイトは幾ら急いでいても置いていくという行動をしないのだ。
ましてこの家の階段は急であり踏み外したときの事も考えているのだろう。
必ず階段だけは龍野と一緒に下りていた。
こんなに優しいフェイトの心が傷つくのは嫌だ。
まだ彼女の年齢が成人していたら違っただろう。
龍野も仕方ないと割り切れた。
ただ彼女は中学生で、綺麗に割り切ることなどできやしない。
子供を働かせる事を嫌う理由の一つである。
「だって外行くんでしょ?」
にこと機嫌の良さをそのまま表した笑顔を浮かべる。
なのはが来たから外にいける。そんな単純な計算式が頭の中に出来ているらしい。
龍野から言い出したことだし今更反対などしない。
だが一つだけフェイトが忘れている可能性があることがあった。
「外、寒いよ?」
龍野はフェイトを嗜めるように口にした。
風邪でも引いてしまったら大変な事になる。
そう簡単に引くとは思わないが掛からないとも限らない。
雪に浮かれるのはわかる。
雪遊びなんて、仕事に忙しい彼女達はしたことがなかったのだろう。
だから付き合うのも吝かではない。
しかし何もない子供のように遊べるかと言えば否で。
結局、彼女達はもう働き出しているのだ。龍野の感情に関わらず。
そしてその時点で仕事を休むような自体-しかも龍野のことで休みは増えている-迷惑を掛ける結果になる。
いっそ辞めてしまえというのは簡単だ。だが龍野はそうして欲しいわけでもない。
―なんつー、中途半端。
そこら辺の半端さに龍野は自嘲する。
子供には働いて欲しくない――だが働いているのは止められない。
なのはとフェイトには休んで欲しい――だが急に休むのは周りに迷惑が掛かる。
龍野の感情と、昔からよく言い聞かせられた一般常識が背反する。
――なのはが迷惑を掛けないいい子になろうとしたように達信もいい子が染み付いていた。
「気にならないよ」
「そっか」
そんな龍野の様子には気付かずフェイトは微笑んだ。
少しでもこの時間を楽しんでくれているなら嬉しい。
傷が消えるとも思わないが、子供らしい面にはほっとする。
「あ、フェイト」
とんとんと調子よく階段を下りる。
時々振り返って後ろを見る友人に龍野は相変わらず心配性だなと思う。
それが彼女の本分であるのも充分理解している。
そして後ろを見ていた彼女は自分の足元を見ていなかった。
「うん?」
小さく首を傾げる。
その姿は綺麗と可愛いの中間という所だろうか。
いつもより高い所にいるのも相俟って見上げる視線に呆けてしまう。
直ぐに頭を切り替えるも既に遅かったようだ。
「足元――」
この間ワックス掛けをしたのである。
よって床はいつもよりよく滑る。
龍野は言うのを忘れていた事実を今更告げようとしていた。
その上、フェイトの着地点になるだろう場所にはお誂え向きに少しコードが飛び出ている。
物置から物を取り出すときにはみ出したんだろうなと変に冷静に分析していた。
「わっ!」
―遅かったか。
動く片手で顔を覆う。
はぁとため息をついてからフェイトの側に寄った。
運動神経の良い彼女らしく大きな怪我はないようだ。
「もう、はしゃぎすぎだから」
「ごめん」
「謝らなくていい。怪我ない?」
一応の確認のために聞く。
恥ずかしさと申し訳なさが半々になった表情だった。
金と金の間から揺れる紅い瞳が見えて、龍野は何となく恥ずかしくなる。
人間綺麗なものは直視できないようにできているのだ。
「軽く、挫いただけ」
フェイトの白い手が足首を擦る。
少し張れているだろうか。
立ったままでは判断できない。
龍野はフェイトの言葉に少し顔を顰めた後手を差し出した。
とりあえず移動しない事には治療も何も出来ない。
なのはは放っておいても勝手に入ってくるから、然程気にはならない。
それを迎えにいったのは結局金の少女がそうしたかっただけなのだ。
「ほら。引っ張るから」
「ありがと」
龍野の言葉にフェイトが笑って、手が重なる。
何度か手を繋ぐと言う行為はした。
フェイトもなのはもそういう所には容赦が無い。
世話をすると決めたらとことんなのだ。
手を繋ぐ事を拒否する事など何故できよう。
「きゃっ!」
少し勢いをつけて立たせる。
今思えばこの判断が間違いだったのだが後の祭りだ。
フェイトの自覚より重症だったそれは体重を支えられない。
慣性の法則に従い、金の色を持つ彼女の身体は傾いた。
「えっ?!」
龍野の声ではない――ならば誰のものかなど明白だった。
フェイトは家に着いた親友を迎えに来たのだから。
何より待ちきれなくなったのだろうか、扉が閉まる音が龍野の耳には確り届いていた。
その時点で背中からは冷や汗が出ていた。
二人きりならまだ無かった事にできた。
その可能性は今の声で完璧に断たれてしまった。
「ご、ごめん?!あのねっ、わざとじゃないんだよ!思ったより力入らなかっただけでっ」
ちゅっと触れたものは温かかった。
その柔らかさは龍野になってから初めて経験するものだった。
そしてこれから経験する予定もなかったものだ。
「……いいよ。ゆっくりでいいから、どいて?」
―今日は災難続きだ。
わたわたと腕を振り、どうしようもないほどパニックに陥っている友人を宥める。
ショックが無かったとは言わない。いや、ショックと言うより驚きだろう。
だがたかだキスくらいでどうこうする精神年齢はとうに過ぎてしまった。
加えて龍野は性格的にもそういうものに覚めているといって良い少女だった。
「な、何してるの?」
がたんっと荒く靴を脱ぎ、床を蹴る音がした。
なのはである。階段の目の前に玄関はある。
急げば直ぐに駆け寄る事もできる。
龍野はフェイトに押し倒されたままなのはを見上げた。
その顔は見た事が無い位切羽詰っていて内心、何かあったのだろうかと首を傾げる。
この時期そう重大な問題はなかったはずだ。
泣きそうとも怒り出しそうとも見える複雑な表情は龍野に不思議を抱かせる。
「あっ、なのは。これは、その、転んじゃって」
しかし親友のフェイトにはなのはの表情が何を示しているかわかったらしい。
龍野には何が何だか分からないまま事態は進んでいく。
少し慌てた様子でなのはに告げ、先程より慎重に身体を起こす。
それからなのはに身体を支えてもらう。
フェイトさえ退いてくれれば龍野は普通に立ち上がる事が出来た。
「フェイトが足を滑らせた」
服の乱れを直しながら答える。
きょろきょろとなのはの視線は忙しなく二人の間を行き来していた。
フェイトも落ち着かない様子で龍野を見つめる。
その顔は吃驚したのだろう。微かに紅く染まっていた。
――ちなみにフェイトはこの時のことを「びっくりしたけど嬉しかった」と後に語る。
つまり相変わらず龍野の勘違いは重なっていくばかりあった。
第二十二話 end
はじめてのちゅー…という歌が昔あったなぁと思いながらの話。
とりあえず序章。少し乙女乙女した二人が次の話にはびっちり、の予定。
うん、難しい。シュチュエーションも中々出尽くしてきた感じがあるなぁ。
感想・指摘・誤字報告、ありがとうございます。
とても助かってます。そして楽しんでます。
一つだけ言わせて貰えば、そういう方向の自給自足が出来たらこんな話は書かないかと。
そうか世の中には百合をリアルに自給自足できる人がいるんだなと思いましたw
では。