風邪はすっかり良くなった。
だが熱が残した問題は身体的なものでは無く。
むしろ精神的なもので幼馴染に大きな変化を与えていた。
記憶が無い龍野はただ首を傾げるしかない。
後藤 龍野、反省中。
寝ているときまで責任は取れません。
余生におけるある世界との関わり方 第20話
この頃なのはには考えている事があった。
ぼんやりしていると言われてしまっても仕方ない。
いや、実際にはやてからはぼんやりしていると言われたし、フェイトからも心配された。
その時はただ曖昧に笑って誤魔化すしかできなかった。
龍野は気付いていながら放っておいている風だった。
なのはが話さないことを無理に聞き出すような人物でないのだ。
はぁとなのはは小さくため息を吐く。
龍野を好きだなんてどうして言う事が出来よう。
何よりなのはが悩んでいるのは自分の気持ちについてではない。
好きなことは変えられないし、諦められるかと言えば無理である。
それが例え世間一般に認められない想いだとしてもなのはには止められないのだ。
だから悩まないと言い切るまでは出来ないが、今はもっと考えるべき事がある。
―たつのぶって誰なんだろう。
あの後も龍野に聞くことは出来なかった。
風邪が治ってからも中々タイミングを掴めず、尋ねる事が出来ない。
尋ねる事が怖い気持ちがあったことも否定しない。
「ねぇ、フェイトちゃん」
金の髪が揺れて親友が振り返る。
本人に聞けないならば周囲に聞けばよい。
なのはは短絡的にそう考えた。
他に取る道がなかったとも言う。
恐らく龍野と一緒にいる時間はなのはが五人の中では一番短い。
学校という半日を費やす時間を常に過ごすアリサやすずかが何だかんだで時間的には最も長いはずだ。
フェイトはその次だろう。自分ほどではないが時折早退しているのをなのはは知っていた。
しかし放課後や休みの日に後藤家に入り浸っているのも-龍野に言わせればなのはも然程変わらない-事実である。
そういったことを含めて、タイミングが合ったというのもあるが、なのははフェイトに声を掛けた。
「どうかしたの、なのは?」
「うん、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」
少し言い淀む。
言ってしまっていいのかが分からなかった。
もし、フェイトが“たつのぶ”という人物を知っていたとする。
そのうえ龍野の恋人であるなどと言われてしまってはどうにもならない。
ショックを受けない自信が無かった。
「たつのぶ、って人知ってるかな?」
だが聞かないわけにもいかない。
なのはに恋心を自覚させた重要な名前である。
あの時、龍野の状態は高熱であり関係ない名前が出るような状態ではないのだ。
恋人という特別な存在でなくただの友人と言う可能性もある。
龍野は必要な事しか話さないため、全くなのは達が知らない事があったとしてもおかしくはない。
この場合、問題になるのは結局自分の心なのだ。
――自分が知らない龍野がいることを許せない。
全てを知りたいという欲が恋になってから出てきていた。
初めての感覚になのは自身戸惑いを隠せない。
「たつのぶ?」
「うん」
フェイトは首を傾げる。
その口調から結果は聞く前に予想が着いた。
親友である黒の少女はとてもよく顔に出るのだ。
特にそれはなのはの前だと顕著である。
もっとも、なのは自身はそれに気付いては居ないのだが周知の事実であった。
「ううん、知らないよ。なのはの知りあい?」
緩やかに金糸が舞う。
聞こえた言葉はやはり考えていた通りだった。
ううん、と小さく答えてからなのははうーんと呻った。
ダメモトだったのでそこまで気落ちはしない。
ただフェイトが知らないとなると、調べる手立てがなくなってしまうのだ。
本人に直接聞くという方法しかなくなってしまう。
そしてなのははそれができないからフェイトに聞いたわけで。
早くも“たつのぶ”の行方は遠くなってしまう。
「龍野ちゃんのね、知り合い、みたいなの」
どう言っていいか分からなくなった。
龍野の看病になのはが行った事はフェイトも知っている。
次の日の朝には任務を終えて帰ってきたのには本気で驚いた。
そんなに早く終わる任務ではなかったはずなのだ。
それでも事実親友は仕事を処理して、帰ってきていた。
凄いなと素直に感心した。
「たつのの?」
「うん」
フェイトの美麗な眉目が顰められる。
記憶を探っているのか、自分の知らない龍野をなのはが知っているのが嫌なのか。
はたまた――男の名前に嫌な予感を覚えたのか。
推測は幾らでもできて、しかし答を知る事はできない。
親友は顎の下に指を当てて考えている。
癖なのだろう。良く目にする格好だった。
その姿はとても様になっていて、なのははじっと待っていた。
「でも、そんな人の名前わたし聞いたことないよ?」
数秒経ってフェイトの声が答えた。
なのははその答えに内心ほっとする。
最悪の場合は回避できたようだ。
「そうなんだ」
安堵の色が思ったより強く出た。
フェイトと視線が重なる。
綺麗な紅い瞳の中に頬の緩んだ自分が映って、なのはは慌てた。
「あ、あのねっ!この間、龍野ちゃんが寝言で言っていたから」
誰に言い訳をしているのだろう。
これでは何か疚しいことがあると言っているようなものだ。
自分でもそう思ってしまい、なのはは内心苦笑した。
龍野が好きという事に気付いてからそれまで普通だった事が分からなくなってしまったのだ。
どこまでが友達に対する感情で、どこまでが恋なのか。
またどこから表に出しても怪しまれないか。
今までこういった経験のないなのはは非常に線引きに困った。
「この間って、熱が出たとき?」
「うん」
フェイトが首を傾げる。
なのはが寝言を聞ける場面など数少ないと彼女は知っていた。
任務の数は自分より多いため、泊まる事自体が少ない。
その上龍野という人物は早起きが基本でフェイトたちに寝ている姿は見せてくれないのだ。
だからフェイト自身龍野の寝ている姿と言うのは余り見た事が無かった。
たつのぶとフェイトは一度口の中で言葉を転がした。
その響きはどこか“たつの”に似ている。
むしろ三文字目まで同じ言葉であり、兄弟と言われれば納得してしまう。
「その名前は知らないけど、大丈夫だと思うよ」
心配そうななのはにフェイトは首を傾げてみせる。
この頃なのはの様子がどこか変だとは思っていた。
ぼうっとしているし、考え事も多い。
龍野に尋ねたりもしたが放っておけとの回答だった。
何でも“なのはは頑固だから話さない時は話さない”らしい。
それについてはフェイトも賛成だった。
基本的になのはは自分のことを話さない上、悩みなどになるとそれは特に顕著だ。
「なんで?」
なのはにはその落ち着きが良く分からない。
フェイトは多くを龍野に預けている。見ていれば分かる事だった。
それに対して思う事が無いわけでもないが、言わない。
親友が魔法とは無関係の存在を作るのは世界が広がって良いだろう。
―心配じゃないの?
だからこそなのはは龍野の放った名前が気になっていた。
もしかしたら自分たちから龍野を獲っていく存在かもしれないのだ。
何故心配せずにいることができよう。
「たつの、大切な人だったら話してくれると思うし」
フェイトは自分の中の龍野について思い返す。
龍野はすごく大人びている。
姿形がではない。思考がだ。
自分にできる事とできない事を理解してきちんと分けている。
できない事に挑戦してみて失敗してもその事に対してイラついたりはしない。
こんなものかと納得するのだ。それからできるようになる対応を考える。
その繰り返しが龍野の中には出来ている。
焦りや失望が少しも見えないのだ。
自分に足りない部分がある-なのはも龍野もこの言葉は否定するだろう-と知っているフェイトにはその姿は清々しく見えた。
あれくらい割り切ることが出来たらという思いが頭から離れない。
「確かに、そうだね」
なのはもフェイトの言葉に頷いた。
龍野にはそういう所がある。
だがなのはにとっては良いところばかりではない。
”大切な人”ができたら言ってくれる。
彼女の性格からして間違いないだろう。
だが龍野は大切になるまで何も言ってはくれないのだ。
それはとても寂しいことではないだろうか。
「だから言わない事ならわたし達に必要ないか、関係ない」
「そう、だね」
すっぱりと言い切るフェイトになのはは逆に感心する。
これは龍野のことを心底信頼していなければできない芸当だ。
人のことを信頼しやすい-一度懐に入れたらトコトン甘い-彼女のことだ。
可笑しくはないが、一年にも満たない短期間でそれを為した幼馴染は凄い。
なのはは何ともいえない微妙な感情を抱く。
嬉しさと独占欲がせめぎあって複雑な心地だった。
龍野が自分の親友と仲良くなってくれたことは嬉しい。
なのはの方へ一歩近寄ってきてくれたということだから。
ただ同時に今までなのはだけが知っていた龍野がドンドンみんなに知られていくのは、どうにもモヤモヤする。
「それじゃ、なんかこの頃変わったことない?」
なのはは親友の言葉に食い下がる。
フェイトが龍野に対して心配性なのは知っている。
これは龍野一人に限ったことではないが。
いくら信用していても、心配なものは心配なはずなのだ。
「そういうことなら……」
フェイトはなのはの言葉に一瞬動きを止める。
そうしてから困ったように表情を歪ませてなのはを見た。
“たつのぶ”という名前に覚えはなくても龍野に変化はあったらしい。
なのはは心の中で身構える。
フェイトが龍野のことに関して敏感なのは言うまでもない。
元々の性格と事故から来る感情がそれを著名にしていた。
先ほどその一片を見せつけられたわけである。
その上なのはは親友のことを信じている。
彼女からもたらされる情報は間違っていない。
「どうかした?」
のどが渇く。
自分の知らない龍野がいるだけでこんなに嫌になるなんて。
――いっそのこと仕事なんて辞めてしまおうか。
そんな感情がふと過ぎるもできない。
龍野の側にいることは幸せなことだ。
出会って最初のときから彼女の視線はきちんと自分の中だけを見ていて心地よい。
隠していたはずの寂しさも、知らない振りをしていた強がりも見抜かれていた。
そして何も聞かずに一緒に居てくれた。とても嬉しかった。
だが自分だけが幸せに浸ってられる-それも何もしないで-状況はなのはにとってストレスにしかならない。
小さい頃に植え付けられた感覚というものは消えにくいのである。
「この頃、たつの、検査多いんだ」
フェイトが真顔に近い表情で話す。
その内容はなのはも知っているものだった。
龍野はこの頃僅かであるが忙しそうである。
なのはが暇なときはいつも一緒にいてくれるがいない時は何かしているらしい。
アリサやすずかがそれを口にしていた。
「確かにそうだね」
「なんの検査か、なのは知ってる?」
なのははきょとんとした表情を浮かべる。
何の検査かなんて考えたこともなかったからだ。
龍野は健康優良児であり、事故まで病院のイメージさえなかった。
だから検査と言われれば事故関係、更に言えば左腕のことしか出てこない。
「知らないけど、左腕のじゃないの?」
素直に思ったことを口に出す。
それ以外の言葉は出てきそうになかった。
フェイトを見ながら僅かに首を傾げる。
「うん、たつのはそう言ってる」
「だよね」
なのはの言葉にフェイトは小さく頷く。
ただその言い方には何か含みがあって、彼女がそう思っていないことを感じさせた。
その表情から良い情報には思えない。
なのはが龍野に救ってもらったとしたらフェイトはどうなのだろう。
ふとした疑問が起こる。
フェイトも事故から助けてもらったのは違いない。
だがどちらかと言えば龍野の手助けをする回数の方が多い。
左腕が麻痺しているのだからそれも当然の流れだ。
なのはとてなるべく助けられるようにはしている。
―なんでなんだろう。
親友の心優しい性質はよく知っている。
ジュエルシードを巡って争っていたときさえ、なのははそう感じていた。
そう考えれば自分のせいで怪我をした龍野を助けるフェイトに違和感はない。
「でもわたしは違う気がするんだ」
「違う?」
「うん」
フェイトは言葉を探す。
感情を表現するのは苦手である。
特に直感に近いものを説明するには骨が折れる。
なのははフェイトの言葉にうーんと呻りながら記憶を探る。
フェイトは優しい。
そして気を遣いすぎる面がある。
そのフェイトが龍野には甘えているようになのはには見えた。
曲りなりとも自分のせいで怪我をしたと思っている龍野に。
フェイトの性格からすると助ける事はあっても、甘える事はしない。
龍野の負担になってしまうと考えるだろうから。
「……もうちょっと、待ってみよう?」
言葉を探して結局出てこなかった。当然である。
フェイトの中にあったのは勘としか言いようのないものであった。
それを他人に説明しようとして、明確な根拠が無いのを知る。
何より龍野のことにそこまで口を出せるとも思えなかった。
龍野には龍野のしたい事がある。
それが危ない事でもない限り自分に口を出す権利はない。
できるのは彼女が話し出すのを待つことだけだ。
結局、フェイトの中で答えはそこに落ち着いた。
「そうだね。それがいいと思うの」
なのはもその言葉に同意する。
フェイトは龍野を信じている様子だった。
ならば自分ももう少し待ってみよう。
“たつのぶ”が誰かは分からないが、重要な人物ならいずれ聞くことになるだろう。
少なくともなのはに龍野から離れるという思考はないのだから。
****
「へくちっ!」
「大丈夫ですか?タツノさん」
「うん、平気」
ミッドの空に龍野のくしゃみが響いた。
ここは屋外であり、街に出てきているのだ。
埃でも入ったかと龍野は鼻を擦りながら思った。
ちなみに指ではなくきちんとしたハンカチを使ってである。
今日、出かけると言った自分にフェイトが持たせてくれたものであった。
こういう小物に無頓着な龍野に任務に行く前に用意してくれたのである。
その姿ははやて辺りから“通い妻”と称されるほど板についてきている。
「冷えてきましたし、中に入りますか?」
「気にしないで」
今日は一日ティアナに付き合うことになっていた。
内気功の成果はきっちりと出ているようで感謝された。
何でも身体の調子が良くて、魔力のコントロールも楽な気がするとか。
そういった知識が皆無に近い龍野には良く分からなかった。
だが役に立っているならば良いかと納得する。
―いい加減この辺の知識はつけるべきかもしれない。
はやてに言えばそういう本も貸してくれるだろう。
なのは達の力になるために情報は必要である。
龍野の能力が魔法の運用にどう関係しているかのデータも欲しかったが、まだ早い。
内気功を施している相手はなのはが主である。
協力してもらうには色々話さなければ無くなる。
何よりはやてにまだこの力はばれていない。
疲労回復のみならまだしも、魔力運用に関係するとなれば大事だ。
知られた瞬間に働かされそうで龍野は黙っていた。
「それより、ティアナ」
「はい?」
基本的に龍野はこの能力を大っぴらにする気はない。
なのはもフェイトも余りにも酷かったから使っただけである。
これを仕事にするとか、そういうことは今のところ考えていない。
いずれなのはたちが戦う時期になってからでも遅くはないはずだ。
――今はまだこのままでいい。
それは龍野の願望のようなものでもあった。
「いい加減、敬語は使わなくていい」
「でも」
「いい」
渋るティアナに念を押す。
三つ上というのは成長期の子供には途轍もない差に見える。
自衛官だった頃の年功序列は記憶に入っているもののティアナにそうしてもらいたいかは別である。
何より彼女に必要なのは精神的な支柱である。
心が不安定だから我武者羅に頑張ってしまうのだ。
そのために年の差など邪魔だった。
―……遅かったみたいだし。
病院で見た暗い顔の理由はやはり兄の殉職だったようである。
ティアナは口にこそ出さないが暫くはとても落ち込んでいるのが目に取れた。
それでも龍野との約束を守ってくれるのは、強くなりたいと言う想いでのみ留められている気がした。
さりとて知っていたからと言え龍野にできることはない。
なのはが墜ちた時と状況はそう変わらない。
ただ幼馴染のなのはは少しだけ手伝えた。
ティアナのいる世界は遠すぎた。
その僅かな違いだった。
積極的に物事に関わると言う意気が龍野には無いに等しい。
「うん、わかった」
「それでいい」
ティアナの通う学校と言うものもある程度、年功序列というものはあるようだ。
だがリンカーコアの差がそのまま魔導師のレベルに繋がるような世界である。
年が下のものが上に立つことも多々あるのだろう。
龍野の言葉にティアナは少し困ったような顔をした後、むず痒そうな口調で話し出す。
「でもタツノ…さんも変なことに拘るのね」
それでも敬称だけは取れなかったようである。
呼び捨てにしようとして、直ぐに“さん”をつける。
口調が変わっただけでもいいかと龍野は思った。
龍野自身いきなり敬語は止めてと言われて止められるはずもない。
そういう融通の利かなさには達信の頃から定評があった。
「変じゃない。普通」
「普通の人はあんなマッサージなんて出来ないから」
ティアナが少し呆れた顔で言った。
そう、なのかもしれない。
何回も言うが龍野にはミッドの世界についての知識が圧倒的に不足している。
治癒魔法が具体的にどういった効果をどうやって持ち出すかも曖昧である。
龍野の内気功の効力が特殊と言うならそうなのだろう。
「ティアナには必要だった」
「感謝してますよ」
元々自分にしか使わない能力だ。
しかもリンカーコアへの影響もはっきり言って分からない事の方が多い。
思ったよりそれは問題なのかもしれないと龍野は思った。
それでもティアナには必要だったのだ。
それ以外の方法が分からなかった。
「友達なら一言で済む」
ティアナの言葉に意地悪く臭く微笑む。
そうするとティアナはきょとんとした顔をして。
それから微かに頬を染めた。
幼い表情ながら、昔見た面影が残っていて龍野は楽しくなる。
「――ありがとう……」
「どういたしまして」
照れている姿ににっこりと笑って言う。
するとティアナはぷいと顔を逸らしてしまう。
子供が照れているのを隠す姿そのものに龍野のツボが刺激される。
年下と関わった事の少ない龍野だったが中々に可愛いものだと感じる。
事故にあってからは世話を焼かれる事が増えたのでこういうのは珍しいのだ。
それが思ったより心地よかった。
なのはとフェイトが何の相談をしているかも知らず、気楽な龍野だった。
後にティアナへの態度が違いすぎると問題になるかどうかは遥か未来の話である。
第二十話 end
ティアナが可愛くて暴走しました。
これも借りてきたDVDを見直したせい、だと思いたい。
感想・指摘・誤字報告、ありがとうございます。
とりあえず百合分自給自足始めました。
次は学校へと久しぶりに戻りたいと思います。