寒さを我慢してベランダから空を見上げる。
それは昔シグナムの腕の中から見上げたものと変わりない。
何も知らなかった頃と何も変わらない。
キラキラ輝いて、とても綺麗だった。
八神 はやて、捜査官。
色々なことが世の中には起こります。
余生におけるある世界との付き合い方 第16.5話
はぁと息を吐くと白に染まった。
日中は余り感じないが夜は冷え込む。
もう一枚くらい羽織ってから出るべきだったかと少し反省した。
「冬やねぇ」
まだ初冬に過ぎないが冬は冬である。
冬ははやてに様々な事を思い出させる。
彼女たちと出会ったのも冬であった。
彼女と別れざるを得なくなったのも冬であった。
あと半月もすれば雪が見られるようになるだろう。
だが今はその気配は微塵もない。
いつもの世界がただ広がるだけだった。
「主、はやて。風邪を引きます」
「これくらい平気や」
背後から聞こえてきた声に振り向かずに答える。
心配そうな声音は耳に痛い。
家族に心配を掛けるのははやての本意ではない。
それでももう少しだけ、はやてはこの場所にいたかったのだ。
はやてにそう言われてしまうとシグナムは動く事ができない。
これだけはさせてください、と持って来ていた毛布を掛ける。
すると初めてはやては顔だけで振り返り笑顔を見せた。
「ありがとな」
「いえ、当然のことをしただけです」
相変わらず生真面目な家族にくすくすと笑いが漏れる。
ある程度の年月を過ごしてきたのだからもう少し柔らかくなっても良い。
そう思うも彼女の真っ直ぐな対応は変わらなくて、それでもその優しさはとても温かくて、はやては嬉しくなる。
「何を、考えているのですか?」
微かな沈黙の後、シグナムは疑問を口に出した。
ここ暫くはやては考え込む時間が増えたような気がする。
シグナムとて任務に出かけて、ずっと側にいるわけでもない。
そう感じるのが自分一人だけだったらもう少し様子を見ただろう。
だがヴォルケンリッター四人全てが同じことを感じていた。
これは確かにはやてが何かを考えている事を示している。
「ちょっとなぁ、龍野ちゃんのことを」
「龍野、ですか?」
「うん」
シグナムが意外そうに尋ね返す。
はやてはその言葉に苦笑を交えながら頷いた。
シグナムの言うとおり、はやてはこの頃思う事があった。
半年前の事故から一緒に居る事が劇的に増えた同級生についてである。
なのはは元から懇意にしており、とても心配していた。
フェイトも彼女のために仕事を減らしている。
これは心優しい親友たちの行動のため何も不思議な事はない。
休みをきちんと取るようになったのはいいことであろう。
―でもなぁ。
問題は龍野自身である。
彼女の行動は物分りが良すぎた節がある。
そして、この間使わせてもらった台所は違和感がありすぎた。
あれは左腕麻痺の人には使いにくすぎる。
あの状態のまま、片手で調理しろといわれたら余程器用でない限り無理である。
「龍野ちゃん、左腕動かんはずよなぁ?」
その情報に間違いはないはずである。
フェイトが医師と話しているのを側で聞いていたらしいし、実際-当然だが-動いているのを見たこともない。
事故後直ぐであの状況だったらまだ納得もいく。しかしもう半年近く過ぎているのだ。
日常的なものから変化が起きていても何もおかしくはない。
むしろ変化が起きていない事がおかしい。
「私が見た限り動く様子はありませんでしたが」
「シグナムもやっぱりそう見えるんか」
僅かに顔を顰めてシグナムは記憶を遡る。
龍野が左腕を動かせるのに、動かない振りをしているとは考え難い。
人間というものは反射的な動きと日常的な動きに無意識が一番反映される。
意識しなくても歩こうと思えばバランスをとるように腕が交互に出る。
防御反射ではどんなに我慢してもピクリとくらいしてしまうものだ。
だから麻痺の振りをするということはとても難しい。
シグナムの見る限り、龍野は間違いなく左腕を麻痺している。
はやてもそれは分かっていた。
分かっていたからこそ、不気味さを感じるのである。
そしてなのはやフェイトが愚痴っていた家事をさせてくれないというのもそれに拍車を掛ける。
――家事をしている姿を見られたくないから、手伝いさえさせないのではないかと。
穿ち過ぎだとはやて本人も感じるが感じた疑問は消えない。
ましてそれを無しにしたとしても、台所に疑問は残るのだ。
「龍野に、何か感じる点でも?」
「いやなぁ……」
シグナムの言葉に口ごもる。
真摯な表情ははやての力になりたいと伝えてくれる。
だが、まだはやて自身が行動できる時期ではないのだ。
疑心はあるが確信を持てない。
そして確信を持つ方法は分かっているが、それを取るには決心が付かない。
日常を普通に送る分には龍野に怪しい所などないのだから。
はやてにとって事件の後急に接近した龍野となのは、フェイトの距離も甚だ不思議である。
それまでの龍野は近づいてくる事がなかった。
一緒に遊んだ事もないし、放課後を過ごした事もない。
彼女は自分一人の世界を持っているように見え、また口を出す必要も感じなかった。
なのはが龍野を好んでいるのは知っていた。
アリサやすずかからもなのはが彼女と仲の良いことは聞いていた。
それは事件の後さらに顕著になるが、この時の-小学校の時だ-はやてにしてみればふぅんと流せる程度だった。
魔法の事を知らない彼女が、なのはの特別になっているなんて知らなかったのだから。
「龍野ちゃんって、魔法使えんよね」
「恐らく使えないでしょう、最も余程高度に隠蔽していれば別ですが」
「うん」
龍野から魔力を感じる事はない。
一応、確認-ユーノがなのはとの出会いで使用した魔法だ-もしてみた。
先天的資質があるならば聞こえただろう。
だが反応がなかったのをみると、彼女が魔法を使えないのは確かである。
もしくはシグナムの言うとおり聞こえていたのに無視をしたか。
これは難しい問題だった。
前者ならばただ単に聞こえなかったのだから一般人である。
しかし後者ならば、正反対になのはとフェイト、はやての存在を知りながら潜伏している誰かになる。
余り考えたくはないが自分と親友を含めた三人は管理局においてさえ高ランクに分類される魔導師だ。
管理局に敵対する組織が居たとしたら早めに芽を摘んでおこうと考えてもおかしくはない。
その場合、少々手荒な手段といえどはやては龍野を調べなければならなくなる。
「シグナムから見て、龍野ちゃんってどんな子や?」
はやては龍野を知らない。
彼女の考えも、何をしたいのかも、またどういう性格かさえ。
事故後に一緒に過ごす時間が増えたことで見えてきたものは確かにある。
だが信用、信頼するにはまだ足りない。
左腕のことと合わせて考えると彼女が本当にただの一般人かさえ少々疑問だった。
龍野は魔法をなのはが知る前から、なのはの側にいた。
その事実からすれば敵対組織の一人と考えるのは早い。
だがとはやては瞳を細めた。
――事態を予測する場合は最悪の事を考えなければならない。
指揮官における基本的な考えである。そしてはやてもその必要性は感じていた。
最悪を考えるならば、龍野は敵であろう。
そして更に悪いことを付加するとすれば、組織に利用された敵になる。
なのはとフェイトと仲が良いということはそれだけで狙われる理由になるのだ。
側にいる一般人の彼女を後付で洗脳なり、何なりすればよい。
新しい人員を潜り込ませるよりは余程楽な方法である。
――嫌な考えだ。
はやては心の中で溜息を吐く。
だがそういう事をする組織が存在するのもはやては知ってしまった。
「龍野は、そうですね。とても真っ直ぐな好意を向けてくる人物でしょうか」
「もっとも、理由は分かりませんが」とシグナムは苦笑した。
はやてもそれに苦笑で返した。
確かに龍野はシグナムにとても憧れている。
それこそフェイトが嫉妬するくらいには。
理由は分からない。龍野の口から聞いたことも無い。
はやてと龍野の仲が良いようで関わりあっていない事の証明だった。
―知らん事がまた増えたなぁ。
知ろうとすれば知らなかった事が山ほど見えてくる。
龍野、はやてと互いを名前で呼ぶように成ったのさえ事故後だ。
これはフェイトも同じ事であり、それまでは名字で呼んでいた。
なのはは出会って直ぐに名前で呼び合うようになったらしい。
仲良くなった経緯を余り細かく聞いたわけではないので詳しくは分からない。
アリサやすずかでさえ、名前で呼び出したのははやてが転入した後だ。
これはなのは達が忙しくなって、直接話す事が増えたからのようだ。
なのはの勉強は文系を龍野が、その他をアリサ達が分担していた。
仕事で忙しいことを知っているアリサは龍野ともきちんと話し合った。
分かりやすいノートの取り方について意見交換などもしている。
そういうやり取りをしている内に名字で呼び合う関係が煩わしくなった。
そんな風にはやてはアリサから聞いていた。
つまり、アリサ達でさえ龍野と本格的に話すように-友達といえるくらい-なったのは小学校の四年生になってからという事である。
「疑いたくは、ないんやけどな」
「龍野が怪しいと?」
シグナムの言葉にはやては頷いた。
龍野は学校で見る限り普通の中学生である。
勉強は出来るようであるが、天才と騒がれるレベルでもない。
運動も左腕が麻痺する前は得意としていた。
どの学校でも一人二人はいるだろう生徒であった。
―妙に、時期が合い過ぎるんや。
普通の人と何も変わらない台所が引っ掛かって、はやては少し龍野について調べてみた。
調べるとは言っても改めてアリサやすずかから話を聞いたくらいである。
はやての中でずっと気になっていた違和感-避けられている気がしたことだ-もこの際だからはっきりさせたかった。
出てきた結果は疑問を深めさせるものだった。
まず、龍野の人との付き合い方である。
これははやてが感じていたものと大差ない。
アリサも避けられている気はしたとのことだった。
特に小学三年生まではなのはが何に誘っても一緒に遊ぶ事はなかったようだ。
龍野に断られてしょんぼりするなのはを慰めたのを良く覚えているとすずかも言った。
例外が龍野の家で勉強を教える事であり、これだけは断らなかった。
断られるたび気を落とすなのはが可哀想で、アリサやすずかも誘ったが答えは同じ。
結局、初めて遊びに近いものが出来たのは四年生になってからだそうだ。
これは名前の呼び方の変化と連動している。
次に付き合いが増えだしてからの龍野の様子である。
龍野はなのはの習い事が増えたことに何も言わなかった。
尋ねられた事はあるらしい。
“なのはは放課後何をしてるの?”と。
それにアリサとすずかは習い事と学習塾と答えた。
はやてたちと打ち合わせた通りの答えである。
その返事は“そう”の一言であった。
詳しく尋ねられるかと身構えたアリサ達は拍子抜けをしたと言っていた。
龍野の人に深入りしない姿からは然程変な動作でもない。
だが、一度疑いの目で見てしまえば別の考え方も出来る。
―龍野ちゃん、何しとるか分かっとったんやないかな?
知っていたから詳しく尋ねなかった。
それは、はやてにすれば一番恐ろしい答えである。
龍野が魔法を知っている事になるからである。
この街になのは達以外の魔法の世界の住人はいないはずだ。
何処から知ったかは分からないが、龍野が隠しておくのはどちらにしろ違和感が残る。
無いとは思うがアリサ達のように見てしまったならば言えばいい。
幻だと思ったならば分からないでもないが、あの理詰めの少女が確認しないとも思えない。
はやては溜息を吐いた。
白い息は黒い闇へと消えていく。
何も知らずにいれた頃に戻りたいとは思わない。
魔法は確かにはやてに家族を作ってくれたのだ。
その為に被る苦労がなんだというのだろう。
「知り合いを疑ってしまう私は間違っとるかな?」
「友のために用心深くなってしまうのは仕方ない事です」
自分の心中を察したかのような言葉にはやては一瞬泣きたくなった。
掛けてくれた毛布をぎゅっと握り締め耐える。
そろそろ寒さが体の心まで入り込み始めた。
極めつけは事故後のフェイトのべったり振りだ。
悪い事だとは思わない。
親友の優しい性格を考えれば当然の事だろう。
だが急な変化過ぎた。
高ランク魔導師としてフェイトもなのはも名が売れている。
誰も彼もがフェイトとなのはの人となりまで知っているわけではない。
急に休みを増やせば目に付く上官もいるのだ。
しかも事故の事は知られていない。
フェイトもなのはも、あくまで私事として休みを取っている。
―今はまだええ。
不思議がる人はいれど問題はない。
しかし、もし龍野という一人の少女のためになのはもフェイトも休みを取っていると知られたらどうなるだろう。
彼女は明らかに二人にとってウィークポイントになる。
それも最大級のとつけても問題がない程大きな、である。
その時誰がどう動くかなどはやてにも想像がつかない。
もしはもしである。
上手くいけば、これからずっと誰もそんな事は気にせずに過ごせるかもしれない。
下手すれば、はやてと同じように龍野に疑いを深める人物が出るかもしれない。
はやてより権謀術数に身を浸した人物は遥かに多い。
その人たちがどう思考を巡らすかなど、考えたくも無い。
そして、そのどちらにしても龍野には魔法を知ってもらわなければならない。
最悪が起こらないとしても自分の身に迫る危険というものを理解させるべきである。
一般人だとしても、敵だとしても、はやては龍野と話し合わなければならないのだ。
「なのはちゃんたちには言えんなぁ」
なのはもフェイトも、龍野に心を預けすぎている。
どの結果が出てもショックを受けるだろう。
左腕が動く如何、龍野の敵味方に関わらず。
はやては今更なのはとフェイトの幸せそうな笑顔を思い出す。
自分といる時とはまた違う笑顔はとても綺麗で、疑いなど一片も入らない表情を。
あの顔を壊す事がはやてには考えられない。
全ては知られずに動かすしかないのだ。
「私たちは主に付いていくのみです」
「……ありがとな」
はやては大きく息を吸った。
冬の冷たい空気が思考に熱くなった頭を冷やしてくれる気がした。
「そろそろ、中入ろうか」
「はい」
振り向いて微笑む。
シグナムも柔らかな表情で静かに頷いてくれた。
決心はまだつかない。しかし、見過ごす事もできない。
リンディにでも相談してみようかと思った。
第16.5話 end
色々あるはやての回。
俺が思いつくものを全てはやてに語らせたら悪くなりすぎる。
なので所々省略してみたが、助長している感じが否めない。
感想・誤字報告・指摘、感謝する。
はやては使い易すぎるキャラなのでなるべく使用を控えていた。
だが寄せられたものを見てはやて視点は書かざるを得ないと思った。
そして何人かの方が言っていたが十八話は基本的に最初の話に繋げて書いていた。
繋がるように頑張ってみてもやはり上手くはいかないものだと実感。
色々思うところはあると思うが、最初の話でいこうと思う。
この話で書きたいことは幾つかある。
それは最初の話のほうが上手く繋がるという結果が少し書いてみて出た。
沢山の意見本当に感謝している。
貰った意見は出来るだけ汲み取り反映したいと思う。
だがどうしても反映できない部分もでるかもしれない。
決して読んでないわけでも、無視しているわけでもない。
俺の表現力が及ばないだけだ。
その時は本当に申し訳なく思う。
では長いあとがきを終わる。
追伸
IFは次の更新で消す予定だ。
あと十八話の穴も埋め立てる。
IFが良いと言ってくれた方は陳謝する。
本筋を良かったといってもらえる話しにできるように頑張る。