朝、起きると何処と無く体調が変だった。
足元が覚束ない上視界も揺れる。
まさか、という思いと共に体温計を取り出し脇に挟む。
差し出された結果は“38.4℃”
――風邪に違いなかった。
後藤 龍野、発熱中。
自分のことを疎かにしすぎました。
余生におけるある世界との付き合い方 第十四話 ~風邪引き龍野ちゃん、なの?~
「は、風邪?」
「うん」
ぽかんと口を開く親友になのはは苦笑した。
なのはの元にメールで知らされたのは体調を崩す姿を想像できない幼馴染の欠席である。
理由はアリサに告げたとおり風邪であり、熱もあるらしい。
―心配だなぁ。
ぎゅっと制服の胸元を握る。
そこの下にあるのは愛機のレイジングハートであり、今は待機状態である。
「龍野がねぇ」
「病気のイメージないよね」
アリサがまだ信じられない心地で口に出す。
すずかも病気と龍野が結びつかないようだった。
それも仕方ないとなのはは思う。
小学校一年生から関係を繋げて来たが龍野が休んだ事はなのはが知る限り-事故の時は別として-なかった。
いつも龍野は学校にいてくれた。なのはが訪ねて居なかった事などない。
これには当然理由がある。
龍野は元々体調管理を行う性格であったのに加え、内気功という離れ業まで持っている。
少し具合が悪いなと思えば内気功を使いつつ休息を取ったため免疫機能も向上していた。
風邪など引くわけがないのである。
だが事故にあってから暫く寝たきりという事もあって体力は落ちていた。
その上、今までと変わらずなのはに気を遣ったマッサージを行う事はしている。
何よりフェイトたちといる時間が増え、言うなれば環境の変化が起きていた。
以上のような種々の要因が重なり龍野は発熱・発病してしまったのだ。
「フェイトちゃん、絶対にお世話したかったの」
今は側にいない親友の事を考える。
龍野の側に献身的に尽くしているフェイトなら病気のときこそいたかっただろう。
常日頃から龍野の役に立ちたいと言っているのをなのはは何度か耳にしている。
「でも今の任務やと抜けれへんよなぁ」
「フェイトちゃん自身力が入っている事件だからね」
今フェイトは長期の任務に入っている。
なるべく、地球には滞在できるようなスケジュール調整をしているが二日三日ミッドにいなければならないらしい。
そしてそれが運悪く龍野の病気に重なってしまった。
出来るだけ早く帰るとフェイトは言っていた。
任務に立つ前に見た心配そうな表情をなのはは覚えている。
「お見舞い、どうする?」
「私は行けんよ。お仕事やから」
はやての言葉になのはは頷く。
急なことではあるが休むほどではない。
なのはも仕事が入っていたら、たぶんそちらを優先していた。
今回はフェイトがいない代わりになのはが休みを取っていた。
それが丁度良く働いたと言える。
「そっか」
視線をそのままアリサ達へと動かす。
はやてほどではないが充分に忙しい二人だ。
それは一緒にいたなのはが一番よく分かっている。
「アタシも今日は用事があるから行けないわね」
「アリサちゃんと同じく、かな」
アリサが少し申し訳なさそうな表情で言った。
すずかはもっと分かりやすく困ったような半笑いの表情である。
何となく予想できた状況になのはは天井を仰いだ。
「どうしたらいいかな?」
困った状況である。
本心は行きたい。看病をしてあげたい。
龍野の家にはきっと彼女一人が残されている。
いつもは左手の事を忘れるくらい不自由がなさそうな龍野であっても風邪と言う状況ではどうか分からない。
風邪を引いたからといって看病をするような親でない事をなのはは良く知っている。
下手したら風邪を引いたという事すら知らないかも知れなかった。
「行けばいいじゃない」
「でも、龍野ちゃん寝込んでるみたいなの」
うーんと首を捻るなのはにアリサは呆れたように言った。
なのはが心配している事など聞くまでも無い。
行きたいと思っているのにそれを止める事がアリサの考えにはない。
眉を下げ僅かに情けない顔をするなのはに微かなイラつきが積もる。
「そういう時やから、看病した方がええんやない?」
「うん、うん」
はやてとすずかも同意見だった。
なのはの変な所で遠慮する性格には困ったものだ。
龍野が、たとえ病気であっても、なのはを邪険にする事はないように思える。
フェイトもだがなのはに対しても甘いことを何度も見ていた。
「大体、なのはも心配なんでしょ?」
「……うん」
アリサの言葉に頷く。とても心配だ。
出来るなら授業なんて放り出して龍野の側に行きたいが、メールには授業を受けるように書かれていた。
見透かされていることに少し恥ずかしくなるも書かれてしまっては無視は出来ない。
「なら行く!考える必要は無いわ」
「そうだよ、なのはちゃん」
「フェイトちゃんの分まで確り見といてあげてな」
親友達の言葉に背中を押される。
誰も彼もが笑っていた。
多分任務でいないフェイトも同じ事を言っただろう。
「みんな――うん、わかった。代表で看病してくるの!」
いつもマッサージしてもらっている分、楽にしてもらっている分、なのはは龍野の看病をしたい。
それが自分に出来る恩返しのような気がした。
****
「お邪魔します」
いつもは忘れがちな言葉を口に出す。
龍野以外誰もいない家は静寂に包まれていた。
何となく寂しくなる。
こんな状況で後藤家を訪ねた事はなかった。
側には常に龍野がいるか迎えてくれて、なのはは温かい気持ちでこの家に入る事がほとんどだった。
「龍野ちゃん、入るよ」
龍野の部屋は二階にある。
いつもなのは達が使う居間や客間を通り過ぎ階段を上った。
寝ているかもしれないが礼儀として声をかけノックをする。
そうしてからゆったりとした速度で扉を開ける。
段々と見えた部屋の中にはベッドに横たわる龍野の姿があった。
扉が開いた事に気づいたのだろう。
龍野が緩慢な動きで首を動かしなのはの姿に微かに表情を変えた。
「……なの、は?」
「寝てて。みんなの代表でお見舞いに来たよ」
上体を起こそうとする龍野を笑顔で留める。
龍野の表情は明るくない。
病気で苦しいという事もだがなのはがいる事が気に入らないようだった。
「うつる」
「大丈夫なの、体は鍛えてるし」
じろりと無表情な顔に睨まれる。
だがなのはは退かない。看病をしに来たのだ。
体にも少しばかりではあるが自信がある。
任務で必要な体力はつけているし、龍野にマッサージを受けるようになってから-特に最近は-調子が良かった。
風邪を引く気など微塵もしなかった。
「だめ…んっ…早く帰って」
「ヤダ。こんな状態の龍野ちゃん放っておけないよ」
息をするにも苦しそうな口調で伝えられるが、それではなのはは帰れない。
ちゃんと元気になってもらわないと離れる事など出来ない。
家にも龍野の看病をするため泊まってくると断ってきていた。
それも伝えると龍野は愈々眉間の皺を深くする。
来るだけで機嫌が悪かったのだ、泊まると言われれば怒るのも当然だろう。
「風邪引いても知らないから」
「龍野ちゃんの風邪なら大歓迎だよ」
冗談半分にそう告げれば龍野はぷいと顔を逸らした。
照れているのだと、なのはには分かった。
素っ気無い反応だが小さい頃からの付き合いである。
その裏にある感情はある程度読む事が出来た。
「にゃははー」
龍野の反応が可愛く思えてなのはの顔が緩む。
平生の時こういう面を見る事が無いため、効果は抜群だ。
いつも同い年とは思えない程確りしている龍野だが今ばかりは面倒を見る事が出来る。
それを嬉しく思う事は変だろうか。
「何か飲み物とか持ってくるね。台所借りるよ?」
「いいけど、気をつけて」
勝手知ったる、とまではいかないが訪問の頻度は高い。
台所に入った事も数度はあった。
だから飲み物を持ってくる程度ならば聞かずともできる。
しかし龍野には違ったようで、先ほどまでとは丸きり違う心配そうな顔で告げられた。
「私だってある程度の家事はできるの!」
龍野は泊まりにきた時さえ、なのは達に家事を手伝わせてはくれない。
手伝うといっても強行に座って待たされてしまうのだ。
そのため台所を本格的に使ったのは、この間のはやてが初めてであろう。
二人の間に何があるかは知らないが龍野ははやてに苦手と信頼を半々にしたような感情を持っているようだった。
「ありが、と」
「……ううん、寝てて。ね?」
「ん」
部屋からそっと出る。
扉の隙間から見えた姿は素直にベッドで目を瞑っており安心する。
何かと気にかけてくれる龍野だが病気のときくらい逆の立場をさせて欲しい。
そう思いながらなのはは足を速めた。
「お待たせ」
適当に見繕ったスポーツドリンクとゼリーをお盆に載せて持つ。
零さないように苦労しながら扉を開ければ先ほどまでと何も変わらない部屋の様子が見えた。
ベッドの上に眠る龍野からは汗が出ており、寝苦しそうである。
「あ、寝ちゃってるか」
「はぁ…はぁ、っう」
机にお盆を置いて、小さな声で呟く。
起こしてまで食べてもらおうとは思わなかった。
幸いな事に時間はあるし-忙しい中作ったとも言う-龍野が起きるまで側にいる事が出来る。
なのははそれが嬉しかった。龍野の僅かに紅潮した頬を珠になった汗が伝う。
「汗、拭いたほうが良いよね」
「んっ」
「苦しそうなの」
ベッドサイドにおいてあったタオルを手に取り、熱に歪む顔を拭う。
初めて見る表情になのはは自分が熱に魘されているような気がしてくる。
龍野はよくなのはに無理をするなというが、もしかしたら龍野自身無理を重ねていたのかもしれない。
そんな風に思うもずっと側に居れる訳ではないなのはには確かめる術がない。
フェイトにしたってずっと一緒というわけではないし、アリサやすずかに聞くのが一番情報が得られるかもしれなかった。
「――のぶ」
「えっ?何?」
ぼんやりとなのはが龍野の生活について思いを馳せていると唇が僅かに動く。
そこから発せられた音が聞き取れなくて耳を寄せた。
そして直ぐになのはは後悔に駆られることになる。
聞かなければよかったのだ、絶望に見舞われる言葉など。
「たつ、のぶ」
耳に入った音になのはは動きを止めた。
たつのぶ――明らかに男の名前である。
なのはは知らない。今まで聴いたことのないものであった。
どくんと五月蝿いくらい鼓動が跳ねる。
痛みさえ伴うような動悸はなのはの精神に確かな苦痛をもたらしていた。
龍野の額を拭っていたタオルが震える。
起こさないように離すのが今のなのはには精一杯だった。
「だれ、のこと……かな?」
もしかして付き合っている人だろうか。
今まで可能性としても考えた事は無かったが、有り得なくはない。
なのはが龍野の側にいられる時間など限られているのだ。
知らない内に出会いがあったとして、何処に不思議があろうか。
嫌な汗がなのはの背中を伝った。
ぐるぐると視界が回転している気さえする。
戦闘でもここまでのダメージを受けた事はない。
理由がハッキリしない分だけ性質が悪い。
何がそんなに自分を苦しめるのかなのはには分からなかった。
「龍野ちゃん」
ずっと、ずっとなのはの日常を支えてきた少女。
言葉遣いは淡々としていて、無駄な事はしない。
それでも優しくなのはを気にかけてくれる大事な幼馴染である。
疲労に人一倍敏感で、無理をしているとすぐに叱られる。
その怒りさえなのはには嬉しくて、また時折施されるマッサージの心地よさは体に染み付いている。
龍野の齎すものをなのはが手放すなど考えられないことばかりだ。
龍野との事が一気に溢れかえる。
―これはなに?
なのはには分からない。
ずっとそこにあったものに気付かず今まで過ごしてきたのだ。
唐突な気付きは混乱しか齎さない。
「たつのぶって誰なの?」
光を失った瞳に龍野を映す。
寝ている龍野は返事を返さない。熱により寝苦しいのだろう。
眉間には僅かに皺が寄っており、呼吸もし辛そうだった。
その姿になのはは我に返る。
「ごめん、ね」
今はそういう場合ではないとなのはは必死に精神を落ち着かせる。
収まってと小声で呟けば僅かに楽になるような気がした。
小さい頃から今まで何度かなのはが用いてきた方法だ。
しかし効果は見られない。分からない何かがなのはの心を追い詰める。
ベッドに額を着けるようにして蹲る。早く収まってくれないかなとなのはは願った。
「なの、は?」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
ベッドに寄りかかったことで振動でも伝わったのだろうか。
龍野が目を開け、ベッドサイドに蹲るなのはに気付いた。
顔だけを横に向けてこちらを見る姿に心配を掛けちゃいけないとなのはは笑顔を貼り付ける。
苦しかった。息ができない場所に閉じ込められた気分だった。
それでも、そのことを龍野に知られてはいけないと思った。
「ど…した?」
「何でもないよ、ちょっと眠くなっちゃって」
「嘘」
大丈夫だってと言うなのはの言葉に龍野は上体を起こす。
漏れた息が決して低くない熱を示す。
なのはは慌ててベッドへと戻そうとした。
「辛そうな、顔…ごほっ…してる」
「龍野ちゃんのほうがよっぽど辛そうなのっ」
「風邪、うつったら、ごめん」
――何を言っているのか理解できなかった。
ぐいっと龍野の肩に置いた手を引っ張られる。
押されはしても引っ張られるとは思っていなかったなのはには対処できない。
片手であるのになのはの体は簡単に龍野の腕の中に収まった。
「たつ、のちゃん?」
「少しは…んんっ…落ち着くはず」
龍野の体から熱が伝わる。
風邪で上がった体温がそのままなのはの体に感じられるのだ。
頭の直ぐ上で途切れ途切れな呼吸音が響く。
同時に自分とは違う落ち着いた鼓動もなのはの耳に聞こえてきた。
「あ、ありがとう……なの」
ぽぅっとなのはの身体を包む温もりはずっと慣れ親しんだものである。
マッサージ中に感じるのと似た心地よさ。
いつの間にか苦しさは波の様に引いていた。
「なのは、は…頑張りすぎるから、無理しないで。なのはは…ごほっ、んっ…自然に笑って欲しい」
「っ、う、うん!」
熱に浮かされているのだろう。
いつもは聞けない口調での聞けない言葉だった。
それはすっとなのはの中に落ちて、感情を溢れさせる。
好意、紛れも無い好きと言う気持ちだった。
―今更、だよね。
龍野が好きなんて出会った頃から思っていたことだ。
昔からずっと何処か特別な彼女がいた。
変化していないのか、変化したのかも分からない。
ただ好きと言う事実だけが残っていた。
―私って鈍いのかな?
だが今のなのはにそんなことは関係ない。
龍野の腕の中で、なのはは暫くの間じっとしていた。
心地よい温もりに今だけで良いから微睡んでいたかったのだ。
前途洋洋といく想いではないのだから。
―好きだよ、龍野ちゃん―
腕の中、小さく小さく呟く。
零れた想いは確かになのはの中に染み付いた。
世界に初めてなのはが自分の感情を吐露した瞬間だった。
第十四話 ~風邪引き龍野ちゃん、なの?~ end
ちなみにこれを書いてから熱を出したので、風邪で寝込んだのは関係ない。
……ちょっとタイミングが良すぎて驚いた事は認める。
本当はこんなに重い話ではなかった。
少女マンガちっくに
風邪って移ると治るって言うよね+キスすれば移るって聞いた
↓
苦しそうだし、仕方ない
↓
きゃー、キスしちゃった
と、なるはずだった。面影もない。
なのはのシリアスっぷりには時々驚かされる。
感想・誤字報告・指摘、感謝する。
次回今更なお見合い本番なのだが分かった事がある。
お見合いはフェイト視点で書いていた。
なのはやフェイト視点にして進むと話が暗い上に重い。
百合百合すぎてちょっと書いている本人が驚いた。想いが重い。
やはり龍野視点が一番フランクで、書き易い。
ティアナ登場はもう少し掛かりそうだ。目標としては五話以内に登場させたい。
そうしないと何時までも出ない気がしている。
では、一歩ステージを進めた結果がどう受け止められるか反応を待っている。