――――夢を見ていた。
幼い我が子と陽のあたる場所で穏やかに過ごす夢を。
『ねえ母さま、今度のお休みはどこへ連れてってくれるの?』
『そうねぇ……。 動物園はこないだ行ったから、遊園地なんてどうかしら?』
『遊園地!? それってぐるぐる回って高いところへ連れってってくれる乗り物があるんだよね?』
『観覧車のこと? ええ、あるわよ。 せっかくだからミッドチルダで一番大きな観覧車があるところへ連れて行ってあげる』
『やったぁ! だから母さまって大好き!』
――――夢を見ていた。
最近ませてきた我が子に『好きな子でもできたの?』とからかって怒られる夢を。
『あら? この写真の男の子って誰?』
『あっ!? 母さん! わたしの部屋に勝手に入らないでよ!』
『でも入らないと掃除も出来ないじゃない』
『それでも駄目なの!』
『あっ、わかった。 その子、貴女の好きな子なんでしょ? ふーん、結構可愛い顔の子ね。 そういうのがタイプだったんだ?』
『ちーがーうーのー! そんなこと言う母さんなんて大っ嫌い!』
『あらあら、嫌われちゃったわ』
――――夢を見ていた。
大きくなった我が子が誰かの元へ嫁ぐ日、嬉しいはずなのに少し寂しくて、ハンカチを涙で濡らす夢を。
『ここまで育ててくれてありがとう、お母さん』
『うん、うん』
『ほ~ら、泣かないで? 今日は私の晴れ舞台なんだから』
『でも、だって』
『もう、皆笑ってるよ? 折角の化粧も台無しになってるし』
『ごめんね、アリシア』
『何に謝っているのかわからないけど、いいよ。 許してあげる』
――――そして、それはやはり、夢に過ぎなかった。
「はぁ。 最近ますます体が痛くなってきたわ。 起きるのが辛いわね」
私はベッドの上で最近の日課である身体データの確認をし、刻一刻と悪くなっていく自分の身体に向かってため息をついた。
「昨日は……たしか虚数空間内での物質の挙動を……ああ、思い出した」
シミュレーションを行う為のプログラムを作っていたのだったわね。
でもたとえこれで上手くいったとしても、次元境界を作り出すためのエネルギーはどうすればいいのだろうか。
この庭園の動力炉を暴走させても必要なエネルギーには遠く及ばないという計算結果が得られている。
魔法式をより効率化させるという方法もあるけれど、それをするにはおそらく自分自身に残された時間が足りない。
それならばまだ、どこからか大きなエネルギー体を集めて時空間に穴をあけた方がよっぽど可能性は高いだろう。
そうしてエネルギー源について悩んでいる内、一月ほどかけて作っていたプログラムが完成した。
病気のせいかマルチタスクによる作業も以前より能率が落ちている。
以前ならこの程度一週間もあればできたのに。
「そもそもこのシミュレーションが上手くいかなければ、エネルギー源の話なんてなんの意味もない、か」
私はシミュレーションを開始し、特に何かをするわけでもなく、ただ漠然とその結果を待つことにした。
――――私にとって一番大切なものを失ってから、もうどれだけの時が流れたのだろうか?
初めはただ失ったものの大きさに沈み込むだけだった。
原因となった事故の裁判も、一番大切なものを失った私にはどうでもいいことだった。
やがて私を批難する周囲からの声も薄れ、ミッド中央から地方へ飛ばされた頃、私は失ったものを何としても取り戻すことを決めた。
いつか来る日の為に研究によってお金を稼ぐ傍ら、人体や医学についての知識を得る毎日。
そんな生活を続けて数年、私は科学的アプローチからの死者蘇生は、死亡後時間が経ち過ぎていると不可能だと言うことを理解してしまった。
しかしその事実を付けられても私は諦めきれなかった。
何かないかと文献を漁っていると、丁度その頃ミッドチルダではある男によって人体と機械の融合という画期的な技術が生み出されたことを知った。
『それを突き詰めれば私の失ったものを取り戻せるかもしれない』
そう思った私は藁にもすがる思いでその男とコンタクトを取った。
『――それはとても残念だったね。 わかった。 私もできる限りの協力をさせてもらおう。 私の進めている研究計画の一つに丁度良さそうなものがあるんだが、それに少し参加してみないかい?』
すると彼はとても親身に相談に乗ってくれ、私に数多くの知識や技術の基礎を教えてくれた。
そして私は彼の計画に参加することを決めた。
その計画の名前はプロジェクトF.A.T.E.。
研究目標はクローニングした素体に元となった人間の知識や記憶をインストールし、疑似的な死者蘇生を行うこと。
本来彼がやりたかったのは別のことだったらしいが、私の願いの為に研究の最終目標は上のように変更された。
それから瞬く間に数年が過ぎた。
プロジェクトがある程度軌道に乗ったところで彼はそこから抜けてしまったものの、私は我が子を取り戻すためその研究を続けることにした。
そしてその研究の成果によって一人の子供を誕生させることに成功し、それからしばらくは久しぶりの安眠を取ることができた。
だけどそんな平穏も長くは続かなかった。
それは一緒に暮らすうちに生みだされた子供が、失われた我が子とは何処か違うということが分かってきたからだ。
簡単なところで言えば利き手が違う、勉強が好き、我が子にはなかったはずの魔力資質がある、そういったようなことだ。
初めこそそれぐらいは些細なことだ、むしろ魔法が使えるなら自分の身を自分で守ることができると思ったものだ。
しかしそういった違和感はだんだんと大きくなり、魔力光が全ての始まりの事故を思い出させた時、とうとうその子供を自分の娘だとは思えなくなってしまった。
本来愛すべき我が子がいたこの場所に、そんな歪んだ存在がいることが許せなくなったのだ。
それからさらに数年が経った。
私は再び死者蘇生の研究を始め、以前とは別のアプローチはないか考えるようになっていた。
魔術による死者蘇生は最大の禁忌とされているため、文献や必要な資料は全て禁書扱いになっている。
そうなるとこの研究を進めるためには自由に使える駒が必要となる。
そこまで考えた私は、あの子供を使い魔に教育させ、魔導師という道具として使うことを思いついた。
そんなことが出来るほどの使い魔は非常に高度な知性を与えているため維持するだけでも大きな負荷が掛かる。
その頃既に私の身体は過去に扱っていた薬品の影響か、呼吸器系に異常が生じ始めていた。
しかし1人寂しい思いをしているであろう我が子の事を想えばその程度なんてことはなかった。
それからしばらくし、この病気や使い魔の維持の影響でリンカーコアにも問題が生じたのか、私は研究中に意識を失って倒れることが何度かあった。
そのせいで使い魔に私の研究が知られ、偽物の娘とちゃんと向き合えと問い詰められることもあった。
でもそんなことはできない。 できるはずがない。
なぜならその子供はただの失敗作。 娘と同じ姿をしたおぞましい何か。
私の愛情の全ては、愛しい我が子に向けるためのもの。
そんなものに向ける愛情なんて、あるはずがないじゃない。
やがてその失敗作の子供が魔道師として使えるようになった冬を目前にしたある日、家庭教師として造った使い魔が私のところへやってきた。
『これでもう、私がフェイトに教えられることはなくなってしまいました。 杖も今夜には完成ですし、わたしの仕事は……終わりですかね?』
『そうね、終わりね。 杖を完成させたらさっさと消えなさい。 あなたほどの高性能な使い魔、維持も楽じゃないのよ』
『そうします。 でもその前に! プレシア、わたしとの契約、誓約の内容を覚えていますか? 契約を履行したらお祝いをくれるって』
そう言えばそんなことを言ったかもしれない。
『ああ、元の山猫に戻って山にでも帰る?』
『今更動物に戻っても、ねえ』
『人型のままがいいの? でもそれじゃ契約に――』
『反しますものね。 大丈夫、もっとずっと、簡単なことですよ』
『……言ってみなさい』
『今夜だけでいいんです。 どうかフェイトと、あの子と一緒に食事をしてあげてください』
『今更私に母親の真似でもしろと?』
この使い魔には以前それは無理だと説明したはずだ。
私の病気のせいで思考能力に影響が出ているのだろうか?
『真似じゃないでしょう? あなたは実際に母親なんですから。 一度ぐらいあの子にそういう思い出を作ってあげて下さい。 あんなに頑張ったのに一つも報われないなんて、余りにも可哀そうじゃないですか』
『この研究が終わったらそうするわ』
本当の娘に対してね。
『私は今夜にでも居なくなりますが、フェイトを生み出したのはプレシア、貴女なんです。 その親としての責任は果たす義務があると思います。 これが私の、最期のお願いです。 お願いします』
『……はぁ。 自分で作った使い魔なのに、なぜこうも私に歯向かうのかしら』
『さぁ? でも使い魔と主は深層心理で繋がっているらしいですよ。 だとしたら案外、これが貴女の本心なのではないですか?』
私があの子に愛情を持っているですって?
そんなはずがない。 そんなことあってはならない。
しかし契約は契約。
約束は守るものとあの子には教えたのだ。
生き返った時に私を見て『かあさまは嘘付きだ』とは言われたくない。
『……わかったわ。 ただしそれは今日一日だけ。 明日以降はまた元通り』
『今はそれでもいいでしょう。 でもいつか、いつの日かあなたの研究が行き詰って、何もすることが無くなった時にでも……あの子の、フェイトの事を思い出してあげてください。 それでは、私はフェイトに夕食のことを伝えに行きます』
そしてその日の夜、私が仮初めの娘と飯事のような夕食を取った後、私の生意気な使い魔はたった1つの魔法の杖を残し、別れも告げずに消えてしまった。
『こんなはずじゃ、なかったのかしら……』
その時漏れた私のこの呟きは、一体何に、誰に向けたものなのだろうか。
不思議なことにそれは自分でもわからなかった。
そして現在。
死者蘇生の研究は既に行き詰まり、とうとう死が迫っているのか私は昔の事をいろいろ思い出すようになってきていた。
そうして思い出した事の一つにかつていろいろとお世話になった彼から聞いた『アルハザード』についての話があった。
『プレシア、君はアルハザードという場所を知っているかい?』
『アルハザード? もしかしてあのおとぎ話によく出てくる、全ての知があると言われる伝説の場所のこと?』
『ああ、そこの話さ。 なんでもそこでは死者蘇生に関する研究も行われていたそうだよ』
『あなた、そんな与太話を信じているの? あなたほどの人間がそんなこと言うなんて信じられないわ』
『それがね、どうも私はアルハザードの知識を元に生み出された存在らしい。 私には培養槽から出てからの記憶しかないのだが、知識だけは数多くインストールされていてね。 もっとも、まだ何の知識が入っているのか自分でも完全には理解していないんだが』
『よくできた作り話ね。 確かに彼方の知識は現在の技術水準から見たら突き抜けてるわ』
『無理に褒めてくれなくても良いよ。 最近思い出したものの1つにそういったものがあったから君には一応伝えておこうと思ったまでさ。 また何かあったら連絡してくれればいい。 これからもできる限りの協力は約束しよう』
この話を思い出した私は最後にアルハザードについて調べてみることにした。
初めはその存在すら疑っていたアルハザード。
しかし実際に調べてみると彼の土地について研究している者は意外に多く、実際にロストロギアの大半がそこから流出したこと等から『かつて実在していたことは確実だということ』、そしてどれだけ探しても痕跡すら見つからないことから『存在するならば虚数空間内にある可能性が高いこと』の2点がわかった。
そこで最近私がやっている研究は裸の特異点とも言われ魔力素の結合ができない虚数空間内を、どうすれば自由に移動する事ができるのかといったものだ。
これは虚数空間へ行った後アルハザードへ辿り着く為に一番重要な部分でもある。
実際たどり着いたとしても問題はまだまだ沢山ある。
そもそもアルハザードが実在し、そこで死者蘇生の研究をしていたとしても、その研究が本当に成功しているなんて保証は一つもない。
しかし私はあの子と約束したのだ。
全てが終わったら、二人で優しくて暖かい、幸せな時間を過ごすことを。
だからこんなところで立ち止まるわけにはいかない。
あの子が私を待っているのだから。
「んぁ……今、寝てた、の……?」
懐かしい夢を見ていた気がする。
胸が痛くなる程の、懐かしい夢を。
「……はぁ、最近こんなことが多いわね。 やっぱりもう長くないのかしら」
私はそんな事を考えながらシミュレーションの結果を確認した。
「これは……成功?」
様々な数値やデータを再確認したところ、理論上では虚数空間を移動することが可能だという結果が得られた。
「後は虚数空間へ渡るだけのエネルギーと、そこからアルハザードを見つける方法がわかれば……」
いや、このシミュレーションには現在わかっていることしか反映していないから安心はできない。
だがこれで賭けに出る為の準備が1つ整ったと言える。
アルハザードの位置の特定は実際に虚数空間へ行ってから考えるとしても、エネルギー源に関しては管理局のロストロギアを探せば一つぐらいそういったものがあるはず。
それに管理局側はロストロギアを研究用に貸出してるし、まだ管理局の遺失物取り扱い資格は生きている。
なら新しい研究の成果とまだ残っている特許料を使えばそういったものを借りることも可能だろう。
そう思った私は直ぐに管理局のデータベースにアクセスを試みた。
時の庭園にあるこの通信端末は以前彼が『なに、いざというときには役に立つかもしれない。 これは私からのちょっとした贈り物だと思ってくれればいい』と言って置いて行ったものだ。
そしてこの端末はなぜか管理局の重要機密までも自由に閲覧できるようになっている。
アルハザード出身というのはやはり本当なのかもしれない。
……そう言えばこれを貰ったのは随分と昔の事だが、あの時彼は『親の愛というものは悲しいね』と言っていた。
そう言った理由はこうなることが全てわかっていたからかもしれない。
もしまた会う機会があればその時はお礼のついでにでも聞いてみようかしら。
そんなことを考えながらエネルギー源になりそうなロストロギアを探していると、ミッドチルダで管理・調査予定のものに1つ、丁度良さそうなものが見つかった。
そのロストロギアの名はジュエルシード。
魔力素でできた結晶で発見された数は21個、一つ一つに秘められている魔力量も大まかな測定は終わってるようだ。
「何ですってっ!? たった1つでこの値!? それなら15個、いや、まだ無駄を省けるはずだから最低14個あれば!」
さらになんという偶然かそのロストロギアは最近見つかった世界で発掘されたものらしく、近々ミッドの方へ移送されるらしい。
念の為他のロストロギアも調べてみたものの、それらはジュエルシードに含まれている魔力素の純度とは比較にもならなかった。
「でも一度に14個の貸出しは流石に無理ね」
せいぜい2つか3つ。
それに第一発見者はスクライア一族だから一番最初に研究する権利は彼らにある。
そうなると私の番が回ってくる頃には既に私はこの世にいないだろう。
「だからと言ってそれを運ぶ船を襲う訳にもいかないし……」
あの出来損ないの人形に襲わせようかとも思ったが、あの娘の今の技量では返り討ちにあってお仕舞いだろう。
そういえばジュエルシードが発見された世界から本局の方へ行く航路は、あの原因不明の事故が多発する領域を通る必要があったはず。
「どうせアルハザードに行けるかどうかも賭けなら、護送船がそこで事故にあうかどうかも賭け、か」
……よし、決めたわ。
護送する次元艦船が事故に遭いジュエルシードがどこかの世界へ流出したらあの失敗作に回収させる。
そうでなければジュエルシードの調査を始めたスクライアの研究者を襲わせよう。
「これでようやく終わるわ。 あの子を失ってからの暗欝な時間も、空しいだけの鬱然とした時間も」
そして取り戻すのよ。
あの子と過ごすはずだった輝かしい未来を。
……そういえばあの子、誕生日には何が欲しいと言っていたかしら?
今は少し思い出せないけれど、それはあの子が帰ってきてからまた聞いてもいいわね。
その為にも、なんとしてでもアルハザードへ行かなくては――――