第二の人生を歩み始めてから一月あまりが経過した。
今の基本的な生活サイクルは、
日の出とともに起きる。
⇒海の見える丘へ朝の散歩として出かける。
⇒山菜や果物を採ってきて腹を満たしたら魔法の練習か鉱物採集。
⇒日が沈む前には家に戻り晩飯を食べ、その後は秘密基地にある本を読み漁るか鉱物コレクションを楽しむ。
⇒疲れたら寝る。
ひたすらこれの繰り返しである。
時々鳥が空を飛んでいたり野兎が前を横切ったりするものの、俺以外の人の営みが感じられないのはちょっと辛い。
初めの頃は馬鹿がぶちまけた放射線のせいで『無駄に巨大な生物や意味不明な生物がいるんじゃないか?』と危惧していたが、全然そんなことはなかった。
まあ、一度慣れてみればこの生活は時々遭難することさえなければ意外と悪くない。
あ? 別に泣いてねーよ。 あれは夜空に輝く星々の美しさに思わず感動しただけだっつの。
だから泣いてねえっつってんだろ糞デバイス。 ぶっ殺すぞコノヤロウ。
それはさておき、魔法を使うようになって俺が一番驚いたのは、魔法を使う際に技名や呪文は必ずしも言う必要がないということだ。
難しい魔法や暴発する危険がある魔法等の場合は、呪文の咏唱や始動キーに設定されている言葉で安全装置を解除しないといけないこともあるらしいが、少なくとも俺が使える魔法ではそう言ったことはない。
なお魔法の発動は基本的に以下のプロセスで行われる。
1.発動したい魔法をイメージすると、デバイスが該当する魔法式を記憶領域から読み込む。
2.読み込まれた魔法式にいくつかの変数を入力し、魔法の発動に必要な魔力をデバイスが周囲から取り込み魔法式に供給する。
3.準備が出来たらあとは脳内に現れたスイッチをONにする。(デバイスによってはデバイスに物理的に付いているトリガーを引く、といったものもあるらしい)。
また2の魔力供給の際、魔法資質を持っている人間は自分の魔力を使うこともでき、その場合だと魔法式の構成が多少適当でも一応魔法が発動するらしい。
そしてそう言った人達は『その魔法がどうやって効果を発生させているのか』といった詳細な理論等を知っている必要はなく、自分の感覚のみで魔法を組むこともできるせいか魔法の上達も早いそうだ。
使う魔法について様々なことをちゃんと理解しないと失敗する俺にとってそれは羨ましい限りである。
ここ一カ月で『生兵法は大怪我の元』という言葉が何度頭をよぎったことやら。
いきなり排出口付近に圧迫感を感じた時はその訳のわからない喪失感に本気で泣けたっつの。
ただ不幸中の幸いだったのは、あの失敗のおかげで転移座標に関しての計算ミスがほとんど無くなったことだ。
少なくとも一度行った場所や見た場所への転送はもう失敗することがない。
なお、バールが言うには地図等から座標を計算する場合、転移先の詳細な状況が現在の力量では把握できないため、安全上の問題からお勧めできないとのこと。
あとは魔法使用時の見て明らかにわかる現象として、使用される魔法の種類によっては効果範囲や使用者本人の周りに魔法陣が出現することが挙げられる。
この魔法陣は使用される魔法によっては現われない場合もあり、魔法資質がある人間なら誰でも使える『念話』という魔法なんかだと現れないらしい。
俺が習得した魔法の場合、転移・転送魔法では魔法陣が現れたが圧縮魔法の方では魔法陣は現れなかった。
また、その時現れる魔法陣の色は人によって異なり、俺には使えないが砲撃魔法や拘束魔法の砲撃や鎖にも色がついていて、同じ人間が使う場合どちらもその個人特有の色になるそうだ。
この魔法使用時に現れる光は魔力光と呼ばれ、魔法犯罪なんかでは重要な証拠になることも多いという。
ちなみに俺の魔力光はオレンジがかった茶色である。
どう考えても初めて使った魔法が原因としか思えない。 クソッ。
……気を取り直して次の説明に移ろう。
現在俺が使えるようになった圧縮魔法は、
1.『固体を魔力膜(膜の網目の粗さは気体分子が通り抜けられる程度)でぴっちり覆う』
2.『1で作った魔力膜の隙間を無くし、素粒子1つ逃げられないようにする』
だけである。
まだ圧力を掛ける段階までは到達していないし、応用すれば断熱膨張や断熱圧縮で熱エネルギーもある程度操作できるそうだ。
一見簡単そうに思える1だが、これは魔力膜のコントロールが非常に難しく、複雑な形状になればなるほど難易度が飛躍的に高くなるのでなかなか馬鹿に出来ない。
これは食べ物とか布団を真空パックするのは簡単でも、剣山を真空パックしようとすると袋が破けてしまうことを想像してくれたらいい。
また移動魔法に関しては以下の3つの魔法を現在習得した。
1.『視認できる場所にある物(1立方メートル程度)を見えない場所(限界距離は測ってないので不明)まで転移させる』
2.『目に見えない場所にあり形状等を正確に把握できている物(1立方メートル程度)を見える範囲の場所まで転移させる(同じく限界距離は不明)』
3.『自分自身を有視界内で転移させる』
2の『形状を正確に把握できている』という条件は、上記のような転移・転送魔法の発動の為に必要な条件から来ている。
一般的な転移・転送魔法とは『魔力の膜で適当に包んだ物体A』を『座標Xと座標Yを繋ぐ、魔法で作られたゲート』を通過させる魔法である。
例えて言うなら転移魔法とは、Aを『水』、魔力の膜を『風船』、ゲートを『穴が開いた板』だとしたとき、『水の入った風船を板に空いた穴に無理やり通す』ようなものなのだ。
このようになっている理由は、Aという物体を転移させるとき転移先に何か物体があった場合、その物体がAによって上書きされたり、Aが壊れてしまうことを防ぐためである。
空を飛ぶ魔法はどうしたかって?
そんな魔法とっくにアンインストールされてましたけど何か?
移動魔法とか言いながら使えるのは上記のようなキワモノ系ばかりである。
だがまあ、最終奥義的なものはかなりえげつないらしく応用魔法も充実しているそうなのでそれに期待するとしよう。
それと、本来この手の悪用できる魔法式は制作者によって様々な制限がかけられ、根幹部分はブラックボックスになっているものらしい。
だけどこれら移動系の魔法式の基礎を作ったのは目茶苦茶だけど天才肌な前マスターだったため、俺が使う分にはそんな制限なんて存在しない。
だから使えるようになってしまえば転移座標・連続使用・限界距離には制限はないし、加重や体積も俺の力量が足りないため今は限界があるが実質制限はないと言える。
まさにスーパーフリーダム。
やろうと思えば万引き、窃盗なんでもござれ。
まあやらないんだけどね。 捕まりたくないし。
ちなみに製品版『転移・転送魔法』の魔法式は、個人用の最も金額が高いものでも制限を多くかけられており、その魔法に掛けられた制限は、
・移動限界距離は20km
・転移可能な重さは購入者の体重+10kg
・体積は購入者+服・デバイスなどの容積分
・一度使うと1時間は使用不可
・デバイス間での魔法式のコピーおよび引き継ぎは不可
・購入に資格が必要、etc...
と、俺の持っているオリジナルのものに比べると大層ひどい不自由っぷりで約100万円だと言う。
それでも販売数は軽く万を超え、これの廉価版も含めると総販売数はちょっと想像もできないらしい。
関連魔法式も数多く販売され、使い捨てタイプのものはいざという時の防犯グッズとして人気が出たとのこと。
また、企業向けのものでは魔法陣敷設型のものが最も多く販売されたそうで、こちらは登録さえすれば魔法陣同士の組み合わせを選ばずに転移できるようになっていた。
そしてこちらの転移・転送魔法の使用条件は、かなり緩く設定されていたため悪用されることも多かったという。
閑話休題。
他にもいくつかわかってきたことがある。
例えば今住んでるこの秘密基地は前のマスターが小さい頃に住んでいた場所の近くの土地で、魔法式等による収入が余りにも莫大だったため趣味の鉱物採集が高じて買収した鉱山の一つだそうだ。
この鉱山ではきれいな月長石や、ちょっと遠くまで行けば大きな水晶やガーネットが取れる。
この間も淡い青色をした真珠光沢の美しい月長石や、ブルーフラッシュが見られる手のひらよりも大きなサイズの紫水晶を見つけることができた。
あとはここが鉱山地帯だからか、はたまた前のマスターが余計な敵を作っていたからかはわからないが、この辺り一帯には侵入者や襲撃者が絶えなかったらしい。
そしてそれに備えるため、彼はこの山の周辺一帯に凶悪な魔法トラップをいくつも仕掛け、その結果としてこのトラップによる死者が大変多く出たそうだ。
それ以来この一帯はデスバレーや聖域などと呼ばれるようになったという。
えげつない窒息トラップや深海底への強制転移トラップにはまって死んだ人達、自業自得とはいえご冥福をお祈りします。
そりゃ周囲にご近所さんなんて居る訳ないわな。
水道も引かれる訳がない。
だって工事関係者もトラップに引っかかって入れないんだもの。
それなのに蛇口が付いているのは、今住んでいるこの秘密基地が前のマスターが街に住んでた時のものをまるごと転移させたものだからである。
一応『水が無いならどっかから持ってくればいいじゃない』ということで、転移魔法を応用すれば水は出るそうだが、今の俺にはまだそんな力量はないのでこれは後の課題とした。
これらの事実や露頭の観察結果などから、この世界が地球のなれの果てであると仮定すれば、ここの秘密基地はアメリカ南西部のグレンビル造山帯のどこかにあることが推測できる。
しかしこの近くの丘では、何故か東の海に沈み往く夕日を見ることができる。
そもそも周囲100kmに家が一軒もない場所なんてそうそうない。
果たして、そんな条件に一致する場所なんてアメリカに存在していただろうか?
一体ここは何処なんだ。 もしかして実はアメリカ大陸じゃないのか?
見たこともない地形の地図がめちゃめちゃ大量にあるのも気にかかる。 むしろそっちの方が多いくらいだ。
にしても、何でここの住所が書かれたものが家の中の何処にもないんだ――――
……とまあ、そんな感じで新事実がいくつも明らかにされたものの、不可解な点が余りにも多すぎるので俺の認識は既に混乱でマッハである。
うん、もうごちゃごちゃ考えるのはやめよう。
ここは異世界。 それが精神的に一番いい。
さて、不可思議世界について考察するのはここら辺でやめ、そろそろ現実世界に目を向けたいと思う。
魔法も上達してきた俺は、本日いよいよ移動系魔法その4、『自分自身を視認できない場所まで転移させる魔法』を練習することになった。
だけど、いつぞやの汚物のように自分自身を知らないところへいきなり飛ばす馬鹿はいない。
だって木の中からいきなり人が出てきて『天上天下唯我独尊』とか言いだしたらめちゃめちゃ怖いじゃん。
地球さんも何事かと思うよきっと。
なのでどこか遠くの知らない場所まで行って、そこから家の前へ帰るといった練習方法を提案した。
「というわけでなんかいい場所知らない? 風景がいいとかすごい鉱物が採れるとかさ」
「ふむ。 一番近いところだとここから2,000kmほど行ったところに大きなダムがあったはずだ」
「ちょっと待て。 それのどこを一番近いって言うつもりなんだ。 あといくらなんでもそれは遠すぎる。 そしてどっからダムって発想が出てきた。 さらに言うなら今の時間からだと帰りにはもう暗くなってるだろ。 遭難したら二度と帰ってこれねえよ」
既に太陽は西の空へと傾き始めている。
この辺りは周囲に人工の明かりがないため、夜になると数メートル先も見通せなくなるほど暗くなってしまう。
月明かりは生い茂る葉に隠され、俺の足もとまでほとんど届いてくれない。
別にお化けが怖いとかそういったことはないものの、たまに遭遇する野生生物に襲われる可能性を考えると遠いところは避けるべきだ。 そう、夜は危険が危ないのだ。 あ、そうそう何気にこの星、やっぱり俺の前世の地球と非常に似通っているんだよね。 1日が約24時間とか衛星が一つだけなところとか。 あと太陽の明るさもほぼ同じ。 他にも大気の組成、星の大きさ、質量、地殻を構成する基本的な鉱物組成とかもほとんど一緒。 そして何より文献の文字が俺に理解できる文字で書かれている。 やっぱりここは地球のなれの果てなのかもしれない。 俺が死んで転生するまでに数百年とか時が流れてて、その間に人類が魔法を発見した、みたいな。 それなら星座が少し違うことや月の模様が若干違うことも説明できる。 月面開発が進んだとかヘリウム3の回収によって地形が変わったとか。 もしそうだったら――
「現実逃避はそこまでだ」
「いや現実逃避なんかしてないって。 というか先が見えなくなるほど暗くなったら普通にあぶないじゃん。 だからお願いなので魔法が失敗したとしても日が沈むまでに帰ってこれる距離でお願いします」
「このチキンが。 その程度の闇に脅えてどうする。 今までも何とかなってきたし前世の方がよほど悲惨だっただろう? 友達がいない、誰も助けてくれない、そして周囲からの冷たい視線。 それに比べれば暗い所など何を恐れる必要がある」
このデバイスはちょっと油断すると直ぐにヘビー級の毒を吐く。
俺、もうゴールしてもいいよね?
「だが仕方ない。 そこまで言うなら、ここから見えなくて近いところを考えてやろう」
「せめて歩いて片道2時間程度でお願いします」
「ならばマスターが例の物をぶちまけた辺りはどうだ? ログに残っている座標からすると『有視界内転移魔法』を使えば大体2時間半程の距離だ」
「いいね。 それなら早くその場から立ち去りたくて魔法の成功率が上がりそうだ」
「臭いには気をつけろよ? 集中力が切れたら大変なことになるからな。 初めてというのは何かと失敗しやすいものだ」
「おいその話やめろ。 ぶっ殺すぞコノヤロウ」
それから2時間半。
俺はバールと『一人壁に向かってするキャッチボールってなんであんなに空しいんだろう』等の話をしているうちに無事推定汚染地域へと到着した。
その場所は辺り一面草木が少しも生えておらず、岩石や地層が露出していたり、ところどころ地面に割れ目があったりして微妙に危ない。
また風化の影響を強く受けているのかその風景は全体的に茶色く見える。
遠くの方を見てやればそこには未来都市の様なものが存在しているものの、そこから空中に伸びている用途不明のパイプはサビ付き、またところどころひび割れているせいか中から何かが漏れ出していたりする。
ありていに言ってしまえば、この辺りからはまるで世紀末救世主伝説な雰囲気が醸し出されているのだ。
あ、そういやこの辺りの電子機器ってマスターが放射線で焼き払ったんだっけ。
だったら人が居ないのも当然――――
「Hello? (あのー)」
「很吃惊! 是什么事? 人在。 (うお、びっくりした! ってあれ? 人居んじゃん)」
俺がそんなことを思っていながらボーっとしていると突然子供が話しかけてきた。
想定していなかった事態に俺はびっくりしてしまい、うまく返事を返すことができなかった。
「You are the person living here, aren't you? (君はもしかしてこのあたりの人?)」
「是、是那样。 (そ、そうです)」
「平静下来主人。 对方说着英语。 (落ちつけマスター。 相手は英語を話している)」
「あ、ほんとだ。 言われてみれば確かに。 Fuck you. (こんにちわ)」
新生活開始から1カ月と少し。
俺は初めて自分以外の人間と会いました。