「はやて、おはよー。 シグナムもおはよー」
「あ、ヴィータ。 おはよーさん」
「ああ、おはよう。 しかしもう10時だぞ? 守護騎士と有ろうものが、情けない」
「だって昨日見た映画おもしろ過ぎんだもん。 しゃーねぇじゃんか」
「ふむ。 昨日やっていたのはそこのけ姫だったか?」
「どんな横暴なお姫様や」
「すみません、少し間違えました。 おとぼけ姫でしたね」
「どっちもちゃうよ。 もののけ姫や。 なんでそんなおもろい勘違いになるんや」
――これは、一体……?
「ところでシグナムー、シャマル達は~?」
「シャマルはザフィーラの散歩がてらスーパーの朝市に並びに行っているし、闇の書は今外で洗濯物を干している」
「みんな~、ただいま~」
「あ、帰ってきた」
「シャマルー、あたしのアイスは?」
「あっ!? ごめんなさいっ、ヴィータちゃん! メモを家に忘れちゃったから買うのをすっかり忘れてました!」
「なんだ、また忘れたのか。 シャマルはほんとにドジっ子だな」
「ひどいですっ!」
――まさか、私が実体化しているのか?
「文句があるなら早く起きて私達についてくれば良かったのだ」
「そうだぞヴィータ。 早くその手に持ったぬいぐるみを置いてこい。 子供にしか見えんぞ。 ああそうか、お前はまだ子供だったな」
「うっせーシグナム。 ザフィーラはちゃんと足拭いたのか?」
「そんな当たり前のことをいちいち聞くな」
「私が拭いておきました」
「あ、闇の書。 お疲れさんや」
「ありがとうございます、我が主。 料理の方もお手伝いしましょうか?」
「んー、じゃあちょっとこの卵焼き、味見してもろてええか?」
「はい。 ……ああ、甘くてとても美味しいです」
――だが私の実体化に必要なページ数には、まだ達していないはずだ。
「なら卵焼きはこれでよしっと。 あとはハンバーグとおにぎりを作ればお弁当は完成やね」
「はやて~、今日のピクニックって何処に行くの?」
「あれ、ゆうとらんかったか? 今日の目的地は臨海公園や。 今の季節は紅葉がめっちゃ綺麗なんよ」
「おおー、それはそれは」
「そう言いながら目が弁当から離れないところはやはり子供だな」
「うっせーニート侍。 ちょっとは働け」
「うっ! これでもちゃんと探してるんだ! ただちょっと続かないだけで」
「烈火の将、誰もが貴女のように真面目な訳ではないのだから、少しは融通をきかせないと」
――しかし、以前主が私と出会えたことを思えば。
「それはわかっているんだが、性分でな。 つい――」
「暴力に走るというわけか。 それで殴られた方は堪ったものじゃないな」
「違う! あれは言うなれば愛の鞭というものだ! というかザフィーラにだけは言われたくないぞ」
「私は狼だ。 働かなくても別におかしくはあるまい」
「都合のいい時だけペットになるな」
「別に働かんでもええやん。 まだ遺産とか結構残っとるし、もうしばらくは皆で遊んでてもええんちゃう?」
「それは少しばかり危険な考え方な気が……。 いや、なら私が何とかすれば……」
「そこまで悩まんでもええって、闇の書」
――こんな奇跡が起こり得るのではないか?
「はやてちゃーん、手を洗って来ましたけど、私は何をすればいいですか?」
「ならおにぎり作るのを手伝ってもろてもええか?」
「それなら私も手伝います」
「こんなとこでアピールしてもニートには変わりねーぞ」
「うるさい、黙れドチヴィータ。 お前も手伝え」
「なんだとこのおっぱい魔人っ!」
「こらっ! 2人とも喧嘩したらあかん。 そうや、折角やからおにぎりは皆でつくろか?」
「ふふっ、それは良いアイデアですね」
――ああ、今私の頬を伝ったものは……
「うわっ、闇の書のおにぎりめっちゃ形きれいや! コンビニに並んでる奴みたい!」
「ホント! それに比べると私のはちょっと歪んでる気が……」
「確かに美しいな。 ……ん? なぜだ、石みたいな硬さになったぞ」
「シャマル~、おめーはまた砂糖と塩間違えたりしてねーよな?」
「そんな間違いもうしません!」
「ところで先ほどから気になっていたのだが、その机に残っている梅干しはなんだ?」
「あっ! 具を入れ忘れちゃった!」
「風の癒し手、流石にそれはどうかと……」
――そうか。 ……これはやはり、夢か。
『おーい、闇の書ー。 今どこだー?』
幾多の星が瞬く、果てしなく澄んだ蒼い空の下。
そんな光景が広がる屋根の上で優しい夢に浸っていた私に聞こえてきたのは、私を探す紅の鉄騎の念話だった。
思えば彼女も随分と優しくなったものだ。
彼女だけではない。
烈火の将、風の癒し手、盾の守護獣。
皆、昔に比べれば穏やかな性格になったと思う。
いや違うな。
これは昔の、本来の姿に戻ったと言うべきか。
私が夜天の魔道書として生まれて幾星霜。
振り返れば色々なことがあったものだ。
――――私が生まれたのは、今はもう次元の狭間へと消えてしまったベルカと呼ばれる世界。
当時その世界ではある次元世界との戦に備え、国境を越えた大規模な戦争準備が行われていた。
魔導の力を応用して作られた兵器は非常に強力で、ベルカ諸国は競うようにしてこれらの技術を研究、開発を進めていた。
しかしいくら頑張っても圧倒的な力を持つその世界には遠く及ばず、ようやく揃えた戦力もこのまま正対するには余りに心もとなかった。
そこで我らベルカ側はその世界へと間諜を送り込むことにした。
やがてベルカは彼らの万を超える犠牲を礎に、敵戦力の鍵となっていたアルハザードの遺産と呼ばれる物を奪うことに成功する。
それはある科学者の知識やアイデアを保存したロストロギアの一種であり、敵世界側はそこから革新的な発想や技術を入手し、兵器へと流用していたのだという。
それを知ったベルカはそのロストロギアから得た知識を元にし、一足飛びに魔導や科学を発展させていった。
聖王と呼ばれる存在の原型が創りだされたのもこの頃で、これもその成果の1つだったという話を聞いた事がある。
私もそのようにして生み出された物の1つであった。
その目的は強力な魔法を敵魔導師のリンカーコアから蒐集し、解析すること。
そして持ち主である魔導師と融合することで、魔法の補助や危機を乗り越える力となること。
だがそこで予想外の事態が発生する。
丁度私が生み出された頃、その次元戦争は敵の内部分裂によって戦端を開くこともなく終わってしまったのだ。
この戦争の理由や内乱が起こった理由を私は知らない。
ただ、このベルカに魔導の力をもたらしたのはその世界から流れてきた人間だったことを考えれば、これらの原因が彼らにあったことは想像に難くない。
かくして私は無用の長物となり時の権力者へと渡り、それからしばらくは平和な時代が続くかのように思われた。
しかし生み出された兵器はやはり破棄する訳にはいかなかったのだろう。
今度はベルカ世界において、それら兵器の所有権を賭けた戦争が発生したのだ。
私はそれを収めるために何度か魔導師達に貸し与えられ、その都度これらの紛争を鎮めるのに大きな役割を果たした。
だがそうして混乱を収めるうち、今度は私そのものを狙う者たちが現れた。
それを受けた当時の持ち主は、私を敵に奪われることを恐れ、私の起動そのものに制限を掛けることにした。
そのプログラムの内容は、666項ある魔道書を蒐集によって全て埋めるまで全機能を使用できないようにするというもの。
これにより私と言う管制人格も400ページを超えるまでは表に出ることを許されなくなったが、敵に襲われる頻度は激減し、その国もつかの間の平穏を手に入れた。
私が烈火の将と出会ったのはこの頃だった。
『貴様が夜天の魔道書とその主か?』
『あらめずらしい。 融合騎持ちなんて私だけだと思ってたわ』
『質問に答えろ』
『もしそうだと言ったら?』
『ぶっ倒して書を奪うだけだぜ!』
『それはまた物騒な話だな。 主、いかがいたしますか?』
『いつものようにちゃっちゃとブチのめすだけよ』
『なんだと!? シグナム! こっちもいつものようにちゃちゃっとやっつけちゃおうぜ!』
『そうだな。 その大言壮語、直ぐにでも我が剣の錆にしてくれる』
『言うじゃない。 なら遠慮は要らないわね? こっちもユニゾンするわよ、夜天の守り手』
『了解しました、我が主』
この時の主は一国の王女でありながら強大な魔力を秘めていることもあり、自分自身で私を使う少し変わった主だった。
私を起動する為に多くの領民を昏倒させるという困った人ではあったが、その明るい性格と根本のところで皆の幸せを望んでいたことからそれを恨むような声も余り無く、どちらかというと『いざという時は頼りになる問題児』という風に受け止められていた。
結局この時の戦闘では決着がつかず、私達はお互いの魔力切れによって別れることとなったが、またいずれ相見えるだろうことは想像に難くなかった。
そして私のこの予想は当たり、彼女と我が主は何度も争うこととなる。
ある時は戦場で、ある時は街中で。
彼女は当時の主と同じく公私をはっきり分けるタイプの人間だったため、街中で出会った時は一緒に飲みに行くということもあった。
しかし主の得意な魔法は氷結系、彼女の得意な魔法は炎熱系という相性もあったのか、結局最後は喧嘩して別れるのが常だった。
それでも主と彼女は心のどこかで繋がっていたのだろう。
時が経つにつれ、お互いに困ったことがあったらすぐさま駆けつけ、その問題を共に解決するということも良く見られるようになっていった。
そんなどこか殺伐としながらも騒がしい日々が終わったのは、彼女の居た国が戦略兵器によって滅ぼされたことに端を発する。
この出来事によって守るべき国を失い、行き場を失くし、そして個人の力で出来ることなど限られているという事実に打ちのめされた彼女の元へ、我が主はこんな内容の手紙を送った。
『我が国には貴殿を将として向かえる用意がある。
貴女の強さは腐らせておくには余りに勿体無いと我が国は判断した。
……というのは建前で単に心配なのよ。
うちに来ない? いや違うわね、来なさい。
貴女は戦うこと以外は滅法弱いんだから、きっと直ぐに野たれ死ぬわよ?』
しかし、彼女が人として生きたままこの国の土を踏むことは二度となかった。
こちらへ向かう道中、当時まだ珍しかった融合騎を狙う何者かに襲われたのだ。
その知らせを聞いた我が主は急いで彼女の元へと向かったものの、到着した時そこで見つけることが出来たのは血溜まりの中動かなくなった彼女の姿だけであった。
彼女の相棒である融合騎の姿は何処にもなく、辺りは魔法によって造られた炎が送り火のように揺らめいていた。
『夜天の守り手』
『はい、マイスター』
『身体をも含めた完全蒐集と貴女の実体化プログラムを応用すれば、彼女を再生することってできないのかしら』
『それは……ですが、彼女はもう亡くなっているのでリンカーコアの蒐集は――』
『助からないのはどうしようもない事実よ。 でもまだ微かに息はある。 やるなら今しかない。 出来る?』
『……はい。 やろうと思えば、可能です』
『ならやって』
『しかしそうして再生された存在は――』
『いいから早く!』
こうして彼女は私へと吸収され、守護騎士プログラムとして再生された。
守護騎士となった存在は歳をとることも無く、私が完全に破壊されない限り永遠を生き続ける。
私はこの時既に百年以上の時を過ごしていた。
だから知っていたのだ。
人の心に残るのは、いつだって悲しい記憶と後悔ばかりなのだと。
それでも私は主の命に従って彼女を再生させた。
いや、命に従ってと言うのは正確ではないな。
そうなることがわかっていたのならもっと強く、はっきりと主に言うべきであった。
だけどそうしなかったのはきっと、この永遠の孤独を紛らわす相手が欲しかったということなのだろう。
それからまた時は流れる。
私を所有していた国は経済的な問題から衰退し、王族は皆離散することになった。
私はその時の王家で最もデバイスに関する知識と魔力を持っていた者へと贈られることになった。
その際に契約した主はどちらかというと内向的な人間で、人と関わりあうことを酷く嫌っている節があった。
幼いころからその立場のせいで人の汚い面を何度も見せつけられて来たのだ。
このことを思えば、そうなるのもまた仕方が無いことだろう。
結局彼はそれまで持っていた地位や財産、それらのものを全て他の人間にくれてやり、私だけを連れて世界をあても無く彷徨い歩くようになった。
しかし、かつてべルカに名を轟かせた私を追う者はまだ多く存在し、主は旅の道中何度も襲撃に遭った。
そしていくら主が一族で最も大きな魔力を持っていたと言っても、かつての主達に比べればそれは余りに少なく、守護騎士プログラムを実体化することすら出来ない程度のものだった。
そんな状況で多対一の連戦を無傷で乗り越えられるほど戦闘は甘くない。
倒した敵からリンカーコアの蒐集はしていたものの、まだ私の項を全て埋めるには程遠く、主は幾度目かの戦闘でとうとう大怪我を負ってしまった。
そこで身体を少しでも休めようと近くにあった森の中の湖へたどり着いた時、主は1人の少女と出会った。
『あの、どちら様ですか?』
『……なに、ただの旅人だよ』
『そ、そうですか……』
『――君は?』
『私は大丈夫です、怪我なんてしてないですから』
『え?』
『え? ……ああっ!? そうですよね、普通今の質問は名前のことですよね!?』
『いや、そうじゃな――』
『私はシャマルと言います! この近くの村に住んでるんですけど、って血で真っ赤っ!? わかりました! まずはお医者さんですよね!? 今お父さんを呼んできます! ここでもう少しだけ待ってて下さい!』
『ちょっと待てっ! ……って、行ってしまったか。 だがどうやら、敵ではなさそうだな――』
その後主はこの少女によって一命を取り留め、そのお礼にと傷が癒えるまでの間だけ村の子供たちに教育を施すことにした。
天気のいい日は他の村人と一緒に狩りに行ったり、農作業を手伝ったり。
初めて人から頼られ、自分も人に頼ることを覚え。
あとは時々襲ってくる夜盗の集団から村を守ったりする毎日。
主はそんな暮らしを続けるうち、徐々にこの村に馴染んでいき、最終的に傷が癒えた後もそのまま先生として残ることを決めた。
そしてこの穏やかな生活は主のささくれた心を溶かし、やがて主はもう少女とは呼べない程に成長した女性に恋をする。
『シャマル、これ……どうかな?』
『これは指輪……じゃなくて、もしかしてデバイス?』
『その両方だよ。 クラールヴィントって言うんだ』
『澄んだ風、ですか?』
『ははっ、自作のデバイスだからちょっと不相応な名前かもしれないけどね』
『そんなことないです! 綺麗で、ぴったりな名前だと思います!』
『ありがとう。 じゃあこれ、受け取ってくれる?』
『ええっ!? これを私に!?』
『うん。 これは君の事を思って作ったんだ。 だから君以外には似合わないよ』
『あっ――』
『シャマル、結婚しよう』
『――はい、あなた』
『ヒューヒュー』『先生やるじゃん!』『今の心境は!?』『私にも指輪ちょうだーい!』
『こるぁお前ら! 人のプライベートな場面を覗くんじゃない!』
こうして2人は将来を誓い合い、主はささやかな幸せを掴みとった。
あの時は私も我が事のように嬉しかったことを覚えている。
それから少しした頃、私のページ数はとうとう400項を超え、主との意志疎通が出来るようになった。
その後私を実体化できないことを哀れに思った主は自分の死後、夜天の魔道書が適切な魔法資質を持つ人間の元へと転送されるようプログラムを書き換えた。
だが、そんな幸福な日々は唐突に終わりを迎えることになる。
私の機能の一部が使えるようになって1年が経過したある日、私の事を諦めていなかった者たちが百人を超える魔導師で構成された大軍を引き連れて村を襲ったのだ。
敵は私に転生機能が付けられたことを知るはずもなく、まずは村に居る人間を全て殺し尽くし、それからゆっくりと書を探す作戦を取った。
村の人間で魔法を使えるのは私を完全に使いこなせない主を含めて僅か数人。
結局主は満身創痍になり、幾つもの致命傷を負いながら、ようやく見つけた居場所を守ることも、誰一人救うこともできず、最愛の人すらも護り切れなかった。
『――夜天の番人よ。 書の完成まで、あと何ページだ?』
『あと2ページです』
『そうか……。 それともう一つ、君は私の死後どれくらいなら活動できる?』
『数分程度なら――まさかっ!? おやめ下さい、我が主!』
『僕の最期のお願いだ。 僕は彼女に、こんな終わり方だけはして欲しくないんだ。 だから、彼女を頼む――』
『主っ! ――ああ、私はまた、守れなかったのだな……』
そうして主は自分のリンカーコアを私へと差し出し、最愛の人の再生と引き換えに命を落とした。
私は未だにあの時どうすればよかったのか考えることがある。
しかしいくら考えても主を、村を、そして彼女を救う術など思いつかず、所詮自分は道具に過ぎないことを思い知るのだ。
次に私が転生した先は小さな国の、小さな子供の元だった。
その子供はまだリンカーコアが未発達なほど幼かったものの頭の回転はとても速く、性格は此度の主と少し似ていたかもしれない。
小さい頃に両親を亡くした為祖父と二人きり、人の居ない山に囲まれた静かな土地で穏やかな生活を過ごす毎日。
時々街へ自分たちで育てた野菜や花を売りに行き、その度に街中での賑やかな暮らしに憧れることはあっても、大好きな祖父を1人残すことを思えば全然我慢できる。 だから寂しくなんてない。
この時の主はそんな風に必死で背伸びをする、優しくて強い男の子だった。
そんな主のリンカーコアが安定期に入ったのは私が転生してから2年後、彼が6歳の時のことだった。
いきなり本から飛び出してきた2人の守護騎士に始めは驚いたものの、主は少し身体が弱ってきた祖父の助けになると喜び、祖父は心の中では寂しがっていただろう孫への最高の贈り物になるとこのことを喜んだ。
それから主は守護騎士達から剣と魔法を習い、8歳になる頃には並の魔導師や騎士では歯が立たない程の腕前になった。
しかしそれに慢心することもなく修行を続けるうち、主は山の中で傷ついた一匹の狼を見つける。
『グルルルルッ』
『ねえシグナム。 あの狼、すごく傷ついてるけど何があったのかな?』
『あの種の狼は普段群れで生活をしています。 恐らくはボスの座を賭けて戦った結果、ああなったのでしょう』
『へえ、やっぱりシグナムは物知りだね。 でも一回負けたぐらいで追い出されちゃうのは可哀そうだよ。 シャマル、なんとかできない?』
『え? ええっと、私はちょっと狼が苦手で……』
『ガウッ!』
『きゃあっ!?』
『あははっ。 ほら、こっちにおいで。 僕らは君を傷つけたりしないから。 傷を癒していつの日かリベンジだ』
それから主は反抗する狼を力ずくで押さえつけ、傷の深さから絶対に助からないとわかったところでその狼を使い魔にした。
主はその狼が成長したらいずれ自然に返すつもりだったため、彼のもともと持っていた感情や理性はできる限り残されることとなった。
そのため始めは主に歯向かうことも多かったが、その狼が人語を解するようになってからは主のよき遊び相手かつ、良き修行相手として強く、たくましく成長していった。
主はそのようにして野性味が薄れていくことが多少気に食わなかったようではあったが、教師と教え子のような関係の守護騎士達と違う、その友達や兄弟のような関係を続けるうち、だんだんと年相応の明るさや無邪気さと言ったものを取り戻して行った。
『そろそろ君の名前も考えてあげないとね』
『俺は別に無くても構わんぞ』
『駄目だよ。 だって名前が無いと呼ぶときに不便だもん。 昔群れの中では何て呼ばれてたの?』
『キーゼルと呼ばれていた』
『小石か……。 今の君にそれほど相応しくない名前は無いね。 やっぱり嫌だったんでしょ?』
『実際他の連中からすればその通りだったのだ。 それに当時のことはもう興味が無い』
『ふーん。 そうだ、ならザフィーラってのはどう?』
『由来は?』
『君のその青い体毛と宝石のサファイアを掛けてみたんだ。 気に入らなかった?』
『いや、気に入った。 これからはそう名乗らせて貰うとしよう』
やがて争乱の影響は私達が住んでいたこの国にも及ぶようになる。
この国が巻き込まれた戦は、敵国側の『資源は買うよりも奪った方が安い』という自分勝手な理由から始まった侵略戦争であった。
今の平和を守るためには強力な兵器か魔道師や騎士といった戦える兵が必要である。
しかしこの国にはそんな兵器など無く、魔法教育や騎士としての訓練は貴族専門の趣味とされていた為、そういった存在は余りにも少なかった。
結果としてこの国は、一月も経たない内に国土は焼き尽くされ、多くの若い兵の命は盾にもならずすり潰されていった。
子供は庇護されるべきという世論から老いた者達が続々と戦に駆り出され、主の祖父が敵魔導師によってゴミのように殺されたと聞いた時、我が主は血涙を流しながら立ち上がった。
『魔力があっても子供だから戦闘に加わってはならないだと? そんな法律が国を、日常を、そして大事な者を守れないというのなら、そんなものに一体何の意味があるというんだっ!』
主はそんなセリフを吐き棄てて騎士達、そして相棒の蒼い狼と共に戦いの渦へと飛び込んでいった。
そうして厳しい戦いを続けるうちに書の封印は完全に解かれ、私は主達と同様に大きな戦果をあげていった。
だがこちら側でまともに戦える者は既に主だけなのに対し、敵は10万を優に超える軍隊と一撃で城を滅ぼせる程の強力な兵器群。
そのような戦いにもはや勝つ術など無く、また勝ったところで敵本国にはこの十倍は下らない戦力が残っているという事実を知った時、とうとう主の心は折れてしまった。
心も体も深く傷つき、守護騎士プログラムを実体化する為の魔力すらない状況。
そんな中でふと親友と出会った頃の事を思い出した我が主は、猛き狼との使い魔契約を解除し、自分の残り僅かな命と魔力を与えて息を引き取った。
そしてもうすぐ次の主の元へと転移が始まるというタイミングで、かの狼が私に話しかけてきた。
『夜天の魔道書よ』
『安心しろ。 ここから真っ直ぐ西の方へ向かえば、そこにはまだ平和な山が――』
『そうではない』
『では何だ?』
『どうか私を、お前の守護獣としてはくれないだろうか』
『……しかし、主の望みはお前が望むように生きることだった。 何も私達のように永遠という牢獄に繋がれることは――』
『それでいい。 もう二度とこのような悲劇が起こらぬよう、護りたい誰かを失わないための力に、そういう存在に私はなりたいと思ったのだ』
『そうか……』
こうして猛き狼は、猛き守護獣として私達と共に歩むこととなった。
そこから先の記憶に暖かなものはほとんどない。
『力こそが全て』
そういった考えが蔓延したこの世界の戦争は、戦と呼ぶのも躊躇われる程に凄惨さを増して行く。
既に手段と目的は逆転しており、戦火の炎はベルカ全土を覆い尽くし、空と海には視界を埋めるほどの戦舟が舞い、地表は武器と血潮、屍で埋められていった。
牽制の為の兵器は敵への抑止力ではなく敵国を滅ぼすための物として使われ始め、その影響によってベルカの土地は酷く荒廃し、環境変動によって餓死者が大量に出るといった被害も見られるようになった。
また科学技術や魔法技術も以前とは比べ物にならない程に発展し、あまたもの犠牲によって進化した生命操作技術は人の倫理観を壊し尽くした。
この世界に住む誰もがその現状を憂いてはいたが、事態はもう後戻りできないところまで来ていたのだ。
あれから幾つかの転生の後に出会った紅の鉄騎。
彼女もまた、不幸な子だった。
「んだよ闇の書、こんなとこに居たのかよ。 はやてが探してたから早く戻って安心させてやれ」
私を屋根の上まで呼びに来た紅の鉄騎は、私にそう声を掛け、感慨深げに空を見上げた。
彼女は今でこそこうして話しかけてくれるようになったが、つい最近までは他の騎士達に対しても刺々しい態度を取り続けていた。
私に対しては特に強い憎悪を抱いてたのか、まともに口を聞いたことすら無かったように思う。
私達を信頼してくれていたのにそれを裏切ってしまったことを思えば、そのような態度になるのも当然のことだろう。
私はあの時、どうして彼女を置いて行ってしまったのだろうか?
……やはり思い出されるのは、どうしようもない後悔ばかりだ。
「ああ……。 でもこの世界の星空は、吸い込まれそうなくらい綺麗だな――」
当時の主が紅の鉄騎や私達を思ってしたことは全てが裏目に出た。
過去に苦しむ風の癒し手を見て作られた、いざというとき騎士達の記憶を初期化する為のプログラム。
主や魔道書本体を保護し、蒐集データをバックアップする為に作られた自動防御プログラム。
争いの無い場所へと転生出来るよう、転移先をベルカ以外の次元世界も対象に含めるようにするプログラム。
これらのプログラムも始めの頃は上手く作動していた。
しかしある時の主が私を悪用しようと書の一部を改変した時、絶妙なバランスで動いていたこれらのプログラムが暴走を始めたのだ。
そうして私は呪われた書として有名になり、転生の度に主とその周囲に不幸を撒き散らす存在として忌み嫌われ、闇の書という名で呼ばれるようになった。
それから更に数百年。
既に夜天の光も闇に落ちた。
山積したバグは既に私の致命的な部分まで食い込んでいる。
私には主を救うことも、騎士達を止めることも、何もできないし、できなかった。
夜天の魔道書という本来の名を知る者はもう何処にも居ない。
騎士達も自分の過去は全て忘れてしまった。
記憶を失ったことは本当に救いとなったのかもわからない。
このことは今までずっと考えてきたが、結局今の今まで結論は出せないままだ。
だがこの世界には、今までずっと辛い想いをし続けてきた騎士達と家族のように接してくれる主がいる。
いつかは騎士達に見せてやりたいと思っていた、どこまでも澄んだ広い青空もある。
あの子は一体、どういう想いでこの空を見ているのだろうか?
そこに喜びの感情が伴っていることを、私は望まずにはいられなかった。
「なんや闇の書。 ヴィータから聞いたんやけど、さっきまで屋根の上におったんやって? 家ん中めっちゃ探したやんか。 主を心配させる悪い子にはお仕置きせなあかんな。 めっ!」
紅の鉄騎を星空の下に残して主の元へ向かった私は、そう主に指でつつかれ注意されてしまった。
「……なあ闇の書? あなたにもちゃんと意思や身体があるんやろ? 前に一度夢の中で会うたのをうっすらとやけど覚えとるんよ」
私は主のその問いかけに、少し悩んでから書を上下に動かすことで答えた。
その時の記憶はちゃんと封印しておいたはずなのだが、もしかしたらリンカーコアの成長に伴い少し解けてしまったのかもしれない。
主の為を思えば再び封印を掛け直した方がよいのだろう。
しかし、出会ったことを忘れてほしくない私がいる。
駄目だな。 これでは主を守る者として失格だ。
「せやったらいつまでも闇の書って呼ぶのも何やし、ちゃんと名前を付けたげなあかんな。 どんなんがええんやろ? 綺麗で誇れるような名前を付けたげたいし……。 うーん、悩むなぁ――」
それから我が主は悩む悩むと言いながら、それでもとても嬉しそうに私を胸に抱き寄せた。
ああ、やはり此度の主はとても優しい子だ。
私達の事をこんなにも思いやってくださる。
自由に動かせないその足も、今のささやかな平穏の対価だと考えていらっしゃるのだろうか?
もしそうだとすれば、それは余りにも悲しいことだ。
「なんや? 闇の書。 もしかしてわたしの足が心配なんか? それやったら心配せんでええんよ。 だってわたし、今めっちゃ幸せやもん。 せやからそのお礼にいつか闇の書も、守護騎士の皆も、絶対わたしが幸せにしたる。 約束や」
それはきっと本心から出た言葉だろう。
だからこそ悲しませたくない。
もっと幸せになってほしい。
良かれと思ってしたことが最悪の結果に繋がることなど、数え切れないほどに経験してきた。
恐らく今回も同じ様な結末を迎える事はわかっている。
だが主は今までずっと、その身で支えるには余りにも多くの不幸を背負ってきた。
だからこそ例えそれがわかっていたとしても、私や優しい騎士達は、主の幸福を願い、行動せざるを得ないのだ。
私はあまりにも多くの不幸を生み出してしまった。
きっと神への供物とするには不釣り合いな存在だろう。
しかしそれでも、私一人の存在と引き換えに皆を救えると言うのなら。
何処の誰でもいい。
どんな手段でもいい。
私などどうなってもいい。
だからどうか、どうかあの心優しき我が主と、一途な騎士達だけでも救ってはくれないだろうか?
それが破滅をもたらすことを運命づけられた私の、たった1つのお願いだ――――