空気が重かった。空を見上げると、体が浮いてしまいそうなほど蒼い、果て知らずの天井が広がっている。のどかに流れる雲が時折黒い影を落とし、その日影がまるで俺の立ち位置のように思えた。
一歩一歩を踏みしめる度に纏わりつき、その場から踏み出すごとに背後へと流れていく風すらもが、まるで亡者の手の如く俺の体を絡め取る。
視界が揺れる。
ぐらぐらと、安定しない歩みが世界を揺らしていた。
それでも俺は歩く。
決して急ではない、緩やかで終わりのすぐ見える、憧れに憧れていた道を。
今となっては、俺の未来を左右しかねない、運命の坂道を。
「――――っ」
見上げる門扉は黒鋼。
天を突き刺す城門の如き威容と、決して悪趣味ではない控えめな装飾が施された入口の前で、俺は唾を飲み込む。
全高5メートル。幅6メートルはある大きな鉄の扉の前で、俺はその傍にあったインターフォンへと指をかけようとして――――思いとどまる。
結局、我慢できずにやってきてしまった。
いや、我慢などという感情を覚えた記憶すらない。
ただ、今この瞬間までずっと、俺の心を支配し続けていたのはたった一つの感情。
稚拙で、幼稚で、でもそれは大人ですらも患う厄介極まりない、治療不可能の病気。
そんな俺を、友人――――いや、親友達は笑って見送ってくれた。肩を叩かれて激励もされた。自分達が行くまで頑張れと、アンタだから先鋒を任せると、信頼された。……今この場で立っていられるのは、俺の覚悟だけではないことを再確認する。
――――ごくっ。
中空で、まるで縫いとめられたように固定されている自分の指を見つめる。
固定していることからくる震えではなく、感情的な問題での震えが見て取れた。あぁ、やばい。落ち着こうにも落ち着けない。
そもそも、俺は本当に来てしまってよかったのだろうか?
今回の一件は、間違いなく俺の所為だ。たとえそれが見当違いであったとしても、きっかけは俺だったはずだ。
ならば、〝自分のケツは自分で拭け〟が我が家のルールである以上、事態が自然解決するのを待つのはあまりにも〝俺らしくない〟と言えるだろう。しかし、それがこの行動の正当な理由とはならないのもまた、重々理解している。
視点を変えれば、俺は加害者である。そして、〝彼女〟は間違いなく被害者だ。直接的に傷つけたわけではないが、俺が原因で彼女が〝泣いて〟しまったのは、揺るぎの無い事実である。……そんな俺が、はたして会いに来て良かったのか?
だが、逡巡は短かった。
なんのためにここに来たのか?
それを思い出した時には、既に俺の指はインターフォンを力強く押し込んでいた。
豪邸だろうがそこらの一軒家だろうが、インターフォンの音は変わらないんだな、とバカな事を考える。
そして待つこと暫し――――それは、例えようがないほど長い時間に思えた。
『はい、どちらさまでしょうか』
スピーカーから漏れ出たのは、まだ数回しか聞いたことのない、大人の女性のソレ。
心地よいソプラノに、どこか涼しくも油断の出来ない鋭さを併せ持ったこの独特な女性の声は、この家のメイド長の人に違いない。
俺は一つ深呼吸をすると、意を決して言った。
「あの、本田です! 月村さんへのプリントと、その、お見舞いに来ました!」
『――――本田様でございましたか、お待ちしておりました。少々お待ちくださいませ』
そこで一端スピーカーから音が途絶える。恐らく、主人の判断を仰ぎに行ったのだろう。重々しい鉄の門扉が開いてメイド長――――ノエルさんが現れたのは、それからやや経ってからだった。
主広間/メインホールを通り、応接間へと案内される間、俺達の間に会話は無かった。元々、彼女は口数が少ない部類のメイドさんであり、その気質はこの屋敷の当主――――月村忍さんと根底における性質に随分似通ったものがあるんじゃないかと、俺は想像する。
とはいっても、その忍さんと知り合ったのもここ数日の間のことであり、彼女をどれだけ理解しているのか、と問い質されれば口を噤んでしまう程度の認識なので、当然ながら俺の想像の信憑性など皆無だ。
そんな益体もないことを考えている間にも、俺はこの〝召喚状〟の〝送り主〟の部屋の前へと案内されていた。
「お嬢様はお部屋にてお待ちです。お飲み物はいかがなさいますか?」
「いえ、おかまいな――――……やっぱり、なんか冷たいものお願いできます?」
「かしこまりました」
実に惚れ惚れとする一礼である。
作法として知識にはあるが、それを実際に完璧にやってみせることなど夢のまた夢である俺にとって、ノエルさんの――――いや、この屋敷のメイドさんとかバニングス家の執事さん達がこなして魅せる一礼には、毎度のことながら感動を覚えてしまう。
それは羨ましさか、あるいは諦念か。自分とは縁のないものを体現できる人間への羨望なのは間違いない。
……と、こんなくだらない思考の脇道へと踏み入ってしまうのは、やはり緊張しているからなのだろう。
当然だ。考えてみれば、俺が〝自発的に〟この屋敷に訪れたのは、今日が初めてである。
過去二回における訪問も、そのどちらも偶然やあるいはやむなくといった諸事情があってのことだ。こうして自らの意思で門扉を叩いたのは、今回が初めてなのである。
ノックを二回。
それはシンプルながらも、誰にでも知られたわかりやすい来訪の報せ。
数秒の間も置かずに、中から聞こえてきたのはこの一日と半日の間焦がれ続けた鈴の声。あぁ、この瞬間、この場所に来て良かったと心の底から打ち震えると同時に恐怖も覚える。
許可をもらったことを認識し、扉の取っ手に手をかけてゆっくりと捻る。そして手前に引いたその境界の向こうでは――――「本田君!」――――え?
「やっと来てくれた! もう、ずっと待ってたんだよ!?」
「……はぇ?」
この際、俺の間抜けな呟きは忘れてもらいたい。それよりも、大事な事が二つある。
一つ。
ドアを開けたら、彼女――――俺が今この瞬間この世でこの心の中で最も大切に思っている少女が、泣いていたこと。
目尻に涙を浮かべ、揺れる水面のような瞳で俺を見上げるその破壊力は、世界を数度壊して余りある。ていうか俺の心という名の世界が音を立てて何度も爆砕される。
クラクラするようなその衝撃に奇跡的にも耐えられた俺は、全世界津々浦々にご存命の紳士皆さま方から名誉賞叙勲されても可笑しくないと思うんだ。
そして二つ目は――――、
「朝メールしてから今まで、ずっと――――ずっと待ってたんだからね?」
俺の大好きなその少女が。
夜色の長髪に、神の寵愛を顕現させたかのように可愛らしくも美しい月村家の次女が。
大和撫子の体現者と名高い、聖祥大付属小学校小等部一の純和風美少女こと月村すずかちゃんが!
――――俺の首っ玉にかじりついてきていることである。イィイイイヤッホオオオオオオゥ!!!
俺はすずかちゃんが好きだ!
ぶっちゃけ、今朝の衝撃なぞ成層圏の果てにブン投げていいくらいどうでもよくなったその〝報せ〟が届いたのは、朝のHRが終わった時だったと思う。
一時間目の授業の用意―――ちなみに道徳だ―――をするみんなを尻目に、真っ白の灰になって燃え尽きていた俺にとって、その報せはまさに青天の霹靂。
いやまぁ、半分意識混濁状態で机の上でぐったりしていたため、アリサに頭をド突かれて無理やり叩き起こされでもしない限り、その〝報せ〟には気づかなかったんだろうけど――――えーと、つまりだ。
俺、アリサ、高町の三人の携帯に同時にメールが届いたってことである。いかんな、頭がゆんゆんしてたせいか、何が言いたいかはっきりしない。
もちろん、その〝報せ〟の発信者はすずかちゃん。タイトルは「ゴメンね」という簡潔なもの。無論、言うまでもなく保護設定にして受信箱に新しいメールフォルダを作って保存済みである。
そのメール曰く、
――――≪ジュエルシードを見つけました。でも、ちょっと理由があって学校に行けないので、放課後、できれば私の家に来てほしいです≫
とのこと。
『『『――――はい!?』』』
三人同時にまったく同じ驚き方で固まる俺達。さぞや傍から見れば奇妙な三人組に見えたことだろう。しかし、その時の俺の内心はというと、もうなんていうか、ピカソも真っ青な凄まじいマーブル・マインドでしたのことよ?
無論、最初は俺とアリサが学校をサボって今すぐ向かおうとしていたのだが、意外にも意外、高町による「学校終わってからにしよう!」という優等生発言に折れる形で、今のような放課後訪問となってしまいまして候。
ちなみに、アリサは習い事の関係で夕方に。それでもキャンセルを入れるとのことだから結構無茶をしている。父親に何か言われないか心配だが、まぁ平気だろ。
んで、高町は俺と一緒にすぐ行くことになっていたんだが、突然入った実家の喫茶店のヘルプのために一時離脱。すぐに合流予定だが――――いつになるかはわからない。
そして、メイドさんによる差し入れも、俺がこの部屋に到着して招きいれられてから早々に届けられたため、これ以上は何も期待できない。用事もないのに呼びつけるのは論外だ。
……つまり、今現在俺は孤立無援なのである。むぎゃー。
「ねぇ本田君。なのはちゃんとアリサちゃんは?」
「あ、アリサは習い事があるから遅れて、た、たた、高町は家の手伝い……っだから、その、もちょっと、かかりそうっていうかなんていうか」
「そう……じゃぁ、まだもうちょっと二人っきりでいられるね?」
まどろむ猫のように目を細めて微笑みながら、俺を嬉しそうに見上げる彼女は、本当に俺の知っているすずかちゃんなのだろうか。まるで絵画をそのまま現実にしたような光景に、胸がつまるような感動を覚えてしまう。
……いやていうかちょっとまてなんだこの状況。俺じゃなくてもどもるぞこれ。
同じソファーに隣同士――――それどころか、俺にしなだれるようにして寄り掛かるすずかちゃんと、ぴんと背筋を伸ばし、拳を握った両手を行儀よく膝の上に載せて石像のように堅くなっている俺。…………これもまた果てしなく異様な光景に違いないと、俺は断固たる確信を以て言いきれる。絶対変だ。
一体、この状況はなんだというのだろう?
白昼夢?
俺の妄想?
それとも、嘘偽りの無い現実?
……瞬間、脳裏にかつて起きた一つの事件のことが閃く。
――――『誰って、ふふ。おかしなことをおっしゃいますのね』
言うまでもなく、普段から暴力と乱暴と横暴を袈裟に着た金髪ライミーことアリサ・バニングスが、ジュエルシードのせいで〝別次元の存在〟と入れ替わった事件のことである。
今回は最悪な事に、事前段階として既にジュエルシードがあることが分かっている。そのジュエルシードのばら蒔きの責任者を名乗るバナナ淫獣もといユーノの言葉を借りるならば、ジュエルシードとは〝世界を揺るがす程の力を秘めている〟とのことだが――――なるほど、確かに世界をも揺らしたな。主にアリサを知る俺達全員の心という世界を。そこから考えるに、誇大解釈も交えるならば、次元なのか平行なのか具体的な規模はわからないものの、とにかく世界を超えた干渉ができるというのは間違いない。御蔭さまで、ここ一週間はスーパーファンタジックなドキドキが一杯過ぎてお腹一杯な勢いなのだから。
そして今。
そのSFD(スーパーでファンタジックでドッキドキ☆)な現象が今一度起きているのではないのか?
……妥当だ。妥当過ぎてむしろ俺の頭脳の冴えわたり具合が恐ろしいほどである。ふははは!
「いやいや、そんな呑気な事考えてる場合じゃなくて!」
「……私と二人っきりはイヤ――――かな?」
「いえ決してそんなことはっ!!」
すずかちゃんと二人っきりがイヤ?
そんな馬鹿な事っ!
もし首を縦に振るような人間がいるならば、そいつは間違いなく人間を止めたクズだ。ゴミだ。燃えカスだ。男の、いや紳士の風上にも置けないファッキン・ルーピーだ!
……いいか? その脳味噌かっぽじってよぅく考えてみろよ?
憧憬を抱き尊敬し親愛する我が女神と二人っきりだぞ?
例えその状況が特異かつ異常だとわかっていても、オトコなら拒めるはずないじゃないかっ!
「ふふ、よかった♪」
俺の間髪をおかない返答に喜んでくれるすずかちゃん。
抱きついた俺の左腕にさらに体重を預けながら、うっとりと俺を見上げて微笑むその姿には、脳天を串か何かで突き上げられたような衝撃を覚えずにはいられない。あぁやばい。幸せすぎて頭破裂しそう。
故に、今の俺は注意不足はなはだしい状態だと自覚している。自覚しているが、どうにもできないのだ。できるわけがない。むしろやれるものならやってみやがれ!な勢いである。
だから気付かない。
彼女の口元が、〝彼女らしくない〟笑みを湛えていることに。
もし俺がいつも通りの正常な思考状態にあれば、それはまるで悪戯が成功して喜んでいるような、無邪気な笑みだと気付くだろう。
さらにもっと思考がが冴えわたっていたならば、それがつい最近どこかで見たことがあるという事実にも気づけたはずだ。
だが、今はそれらの前提条件のどれにも当てはまらないほど、俺の精神はぶっ飛んでしまっている。さながら血を飲んで最っ高にHIGHになった感じだ。
「あ、あのさ、メール見たんだけど、ジュエルシード見つけたって、マジ?」
「うん。一昨日、家の庭で見つけたの。うちの猫が咥えてて、ちょっとした騒ぎになったんだよ?」
「そ、そか。いや、うんでもなんも怪我なくてよかったよ」
「……私が怪我してたら、お見舞いに来てくれた?」
「そりゃもう従僕の如き勢いで!」
「くすくす。優しいね、本田君」
「い、いいぃいええ!? そ、そんな俺如きが優しいとか、アリサの馬鹿野郎が聞いたら落撃猛蹴脚が飛んできちゃうって!」
もはや自分でも何を言っているのかわからない。
そんなバカ丸出しの俺を見上げながら、すずかちゃんはさらに笑みを深めた。
ぎゅっと抱きついている腕に力が込められ、より一層すずかちゃんの体温を近くに感じる。
女の子って、こんなに柔らかいんだ。
そんな、彼女いない歴=年齢の人間みたいな定番の感想を覚えてしまう。
「本田君は、アリサちゃんが好きなの?」
「はいっ!?」
え、や、はい?
唐突に聞かれた質問に、俺は目を白黒させた。
俺が、あの暴力ヤンキーを?
ふと俺とあの馬鹿が付き合う姿を想像してみて、俺は開幕5フレームでその想像を破り捨てた。ちなみに1フレームは60分の1秒である。
「ないない。それは断じてない」
右手を左右に振りながら、俺は同時に心の中で語尾に(爆笑)をつけたいくらいありえないことだな、と失礼な事を考える。
「そっか。それじゃ、なのはちゃんも?」
「うん。いやつーかむしろ高町はもっとありえないと思う。友人としてはどっちも好きだが、ヤツらを異性として見れるかというと、もうこれはどうしようもないくらいにNOですな」
どう考えてもありえない。
アリサはいわゆる悪友ポジションだし、高町に至ってはマスコットキャラだ。すずかちゃんを含めて三人がクラスのアイドルなんぞともてはやされているが、俺からしてみればそんなのすずかちゃんだけにしか当てはまらない評価と言える。アリサも高町も、俺の中では助さん格さん的なポジションだな。
「ふぅん……?」
「きゅ、急にどうしたのさ?」
「ううん。ちょっと気になっただけだよ。それに、ちょっと安心できた」
「安心って……」
その言葉の裏の意味を汲み取ろうにも、意味深に微笑むすずかちゃんの前では思考力は疾風前の灯だ。
今の俺に出来ることは、ただこの夢のような時間に身をゆだね、ひたすら時が過ぎ去るのが遅くなることを祈るだけである。
「なんで、本田君はそんなに優しくしてくれるの……?」
「なんでって……」
そんな、俺が多幸感などという言葉では生温いほどの幸せに、麻薬を与えられた中毒患者の如く浸っていた時だった。
ふと、すずかちゃんはその白魚のようにほっそりと美しい指を、俺の少年ぽさはあるにしても、彼女のソレとは比べるべくもない指に絡ませながら、それまで見詰めていた視線を俯かせて、かろうじて聞き取れるほどの小声で呟いた。
それは俺に対する問い掛けなのか? それとも、単なる自分の中での疑問なのか?
そして俺はこの言葉にどう答えればいいのだろう?
――――告白するなら、これ以上ないタイミングだな。
脳内で、悪魔がささやく。
「――――っ!」
息を呑んだ。
その誘いは凄まじく甘美で魅力的で、どこかがぶっ壊れたこの頭でも理解できるほど、身の程知らずなものだった。
いっちゃうのか? ここでいっちゃうのか!?
……いやいや、まてまてまて。いいから待つんだ時彦右京衛門。
そもそもからして、今はまだその段階ではないことを思い出すのだ。紳士の掟そのいち。
〝告白していいのは、玉砕する覚悟のある奴だけだ!〟
そして今の俺にそんな覚悟はない。故に、できるはずがないのだ。
そもそも、世界の理には〝初恋は実らない〟というものがあることからして、その掟はまさに破られることが少ない鉄の掟。例え破られるにしても、それは極々僅かな例外として片づけられるほど微々たる数だと、俺はとある本から知った。
そして、同時に自分の(前世の)経験と照らし合わせてみても、その理はまさに真実であると確信できる。
マイラバーとの出会いだって、ぶっちゃければそんな初恋の失恋がきっかけだったんだから、いわゆる初恋とは世界が作り上げた絶対悪のことなのかもしれないと俺は常々思っているのだ。
だからこそ。――――そう、だからこそっ! 俺は慎重にならなければならない。その理をケリ飛ばし、無茶で無謀と笑われようと、意地と根性で貫き通すこの初恋道。安易な決断で散華とするなど以ての外!
確かに、今この瞬間の雰囲気は完璧に整っていると言えよう。むしろ不気味なくらいにお膳立てされているとさえ言える。
……が、しかしだ。
同時に俺は激しく警戒せざるを得ない。これが〝世界の仕掛けた罠〟だという可能性が無いと、誰が言い切れるのかっ!? いや、言い切れない!
故に、俺はその手にはひっかからんぞザ・ワールドぉおおおお!!
「ベイでの時だって、学校のときだって――――本田君、すっごく危ない目にあっても、私のこと助けようとしてくれたよね」
「……あー、えぇ、結果的に見れば、まぁ」
あんまりにも怖い思い出だったので、半ば抹消封印状態だったのですが。
確かに割とガチで死にかけてたので―――特にベイでは―――、傍から見たらなんでそこまでして?と思わないでもないのだろう。ていうか普通思うわな。
「叔父様が、こう言ってたの。『誰かを守るために死地へ赴くのは、並大抵の覚悟ではない』って」
「いや、そんな大げさなものじゃないから!」
「でも、私、まだ本田君にちゃんとお礼、言えてない」
「そ、それこそ全然、月村さんが気にすることじゃないってば!」
相変わらず、すずかちゃんは顔を俯かせている。でも、抱きしめられた腕には力が込められ、その言葉の奥には強い思いが隠されていることを感じ取れた。
……なんだこの状況?
傍から見れば、羨ましさ億千万を飛び越えかねないほど素晴らしいシチュエーションであるにもかかわらず、俺は何故か、素直にこの状況を喜ぶことが出来なかった。
背中をくすぐられているような、あるいは寝違えた時の首のような――――そんな違和感を感じる。
だって、これじゃまるで、俺がすずかちゃんのことを好きだと知って――――待て。それじゃ、アリサの言ってたことが間違ってたのか?
アリサ曰く、当人達以外は全員俺の気持ちを知ってるとのことらしいが、この反応を見る限り、もしかするともしかして――――気付いてらっしゃる?
いやいやいやいや。それこそまさかのまっちゃんですぜメーン?
俺よりも遥かに付き合いの長いアリサに限って、そんな判断ミスをするとは思えない。特にヤツは〝女〟だ。女の勘というモノほど恐ろしいものはないと、俺は〝前世〟で身を以て味わっている。
故に、アリサの言葉にほとんど間違いはない〝はず〟なんだ。
問題は、その〝前提条件〟に間違いがないのであれば、今のすずかちゃんの言動は明らかにおかしいという結論に結び付くことにある。
仮に〝前提条件〟が間違っているとして、その場合における今のすずかちゃんの言動にもっとも確からしい整合性をもたらす解釈は、すなわち――――いや、それはいい。それ以上考えるのはこの場では蛇足だし、ぶっちゃけそれ以上を考えるのが怖くなったので、あえて思考を切り替える。へ、へたれじゃないやい!
……そう。つまり、俺はアリサが教えてくれた〝前提条件〟が間違っているとは、決して思っていないというのが肝心だ。
悲しいことだが、俺の非積極的なアプローチごときじゃ、すずかちゃんにとっての特別な人間になることなど夢のまた夢である。日常会話においてもそれははっきりとわかるほど、すずかちゃんは俺のことを〝なんとも思っていない〟ことを、俺は身を切るような思いと共に知っている。
せいぜい楽しいお友達が関の山だ。そしてさらに悲嘆にくれたくなる事実だが、それはアリサの〝前提条件〟に間違いがないことを、確度99%で間接的に証明している。
そう考えれば考えるほど、今俺の隣に座っているすずかちゃんが、俺の知らない誰かにしか見えなくなってしまった。
――――すずかちゃんなのに、すずかちゃんじゃない。
そんな、もやもやしててはっきりしない違和感が、まるでネバ付いた霧のように俺の思考にへばりついている。
それを振り払うように隣のすずかちゃんを見やると、すずかちゃんは一瞬だけ物憂げな表情を浮かべていたものの、すぐに可憐な微笑みと共に見上げてきた。
……やっぱり変だ。
これ以上ないくらい、純情可憐で穏健柔和な微笑みだと言うのに、今の俺には本当に言い訳のしようもないくらい〝別の誰か〟にしか見えなかった。
そもそも、だ。
すずかちゃんの性格からして、仮にその対象が――殴られ慣れてる人間という意味で――俺だったにしろ、誰かをひっぱたいてこんな平気な顔をできるか? いや、〝絶対に〟できない。
たかが半年の付き合いだけど、自分の好きな人なんだからそのぐらいわかる。いやまぁ、アリサとか高町みたいな例外はいるけど。
おまけに、まるでそんな事件は知らないどころか、そんな事件は起きてすらいないとでも言った方がしっくりくるようなこの応対に、さっきから感じる〝別の誰か〟のような違和感――――断言できる。今のすずかちゃんは〝俺の知ってるすずかちゃん〟じゃ……ない。
――――じゃぁ、いつだ? いつからこうなった?
間違いなく日曜の――――いや、一昨日の月曜日まではいつも通りだった。そして、その月曜日の夕方に例の修羅場が発生。昨日、つまり翌日火曜日は病欠し、そして今日のコレである。
…………まさか、またしてもジュエルシードか?
過去の事例を思い返して、俺はその可能性が滅茶苦茶高いことに気付いた。
そうだよ、それしか考えられない。
てことは何か?
今ここにいるすずかちゃんは、前のお嬢様アリサの時と同じような感じになっちゃってるってことか?
しかも、〝そっち〟だと俺はこんな風に好かれてる?
………………いかん。別世界の自分のこととはいえ、本気で殺意の波動に目覚めそう。
ともかく、だとしたらすぐにでも解決しない不味いだろう。もしジュエルシードが本当に発動していて、この事態がその影響なのだとしたら、下手をすれば金髪二号ことフェイトがやってきかねん。
髭ダンディズムに溢れすぎているおっさんはもういないし、鬼ー様は残念ながら現在翠屋にいる。イコール、フェイトに対抗できる戦力が、忍さんしかいない。……やばいよね?
いや、確かに忍さんも鬼ー様並みに人並み外れた身体能力持ってるけど、さすがに魔法少女とガチンコして勝てるレベルじゃないでしょう。鬼ー様VS高町の場合は知らんよ。人外VS魔法少女の考察なんて、たかが人生一周しただけのパンピーがわかるはずないでしょうに。
……となると、だ。俺がすべきことはただ一つ。
「あ、あのさ、月村さん」
「なぁに、本田君?」
例えるならば、それは純粋無垢の極み。
濁り一つなく透き通った瞳――――穢れの無い純真な心そのものであるすずかちゃんの言葉に、俺は思わずひるんでしまう。
くっ……俺がやらなくてどうするっ……!
ここでやる……っ! 俺はやるんだ……っ!
ここで俺がやらないと……やらないとだめなんだ………っ!」
ちょっと気分は賭博黙示録。しかし、割とガチでその大勝負の時みたいな緊張感が俺をむしばんでいる。手にジンワリと汗がにじんでいるのがいい証拠だ。
あー……もし「なんでそんなこと言うの?」とか「そんなこと言う本田君、嫌いです!」とか言われたら本気で脳死するレベルだな、これ。
だが本田時彦はくじけない。そんなことでくじけていられるほど、俺様は人生二回目生きていないのですよ!
さぁ、だから言うんだ俺っ! 勇気を出せ! 死亡フラグにぶち当たれ! ついでに恋心をベットに明るい未来をつかみとれっ!(最後は無理難題だと思うが)
唾を飲み込む音が、やけに響いた気がする。聞かれたかな?なんて場違いな恥ずかしさを覚えながら、俺は恐る恐る――――言った。
「――――――――君、誰?」
「…………え?」
時が止まるとは、まさにこのことか。
いや、別に世界よ止まれとかお前は美しいとかいう台詞が聞こえた訳じゃないけど。
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
それは一体どれほどの間だったらだろうか。いっそ「ごめん!やっぱ今の無し!」と情けなく叫びだしたいくらい、居心地の悪い時間だった。
そして、半ば本気でそれを口にしようかと悩み始めた時、先に動いたのはすずかちゃんだった。
「あ、あはは。新しい冗談? ちょっとびっくりしちゃった」
苦笑い……いや、それですらない、ただ無理やり口を引きつらせているだけの歪な笑み。
それはまるで、悪戯がバレて親に怒られるのを怖がる子供のようで――――ん? 悪戯?
ちょっと待て。てことは……やっぱり?
しかし、俺の思考はそこまでだった。
誤魔化さなくてもいい、と言いかけたところで、突如ドアが爆破音に似た大音量で思いっきり開け放たれ、その向こうから所々艶やかな髪を乱し、肩で息をしている女性がずかずかとすずかちゃんの部屋へと入ってきた。
そして、俺達との距離約2メートル程まで近づいてくると、いきなりそのすずかちゃんに負けず劣らずほっそりとした綺麗な右の人差し指をすずかちゃんに突きつけて、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らす。
「〝お姉ちゃん〟! これはどういうことなの!?」
「あ、あははー……ばれちゃった。そんなに怒らないでよ、すずか」
たははー、と今度こそ本当の苦笑いを浮かべて、かなり軽い感じで謝る〝すずかちゃん〟。
それに対し、ぷりぷりとおよそ大学生らしからぬ態度で怒りを露わにするのは、すずかちゃんの姉であり、現月村家当主である〝忍さん〟だった。
………………あれ?
「お客さんが着たって聞いたのに、全然連絡がこないから変だと思って来てみれば……っ」
「ど、どうどうすずか。大丈夫よ、ちょっとお話してただけだから。別に話すくらいはいいでしょ?」
「――――――――――――は?」
……はて?
今、なにかおかしな単語がきこえたような?
すずかちゃんがお姉ちゃんと呼ばれて、お姉ちゃんがすずかちゃん?
………………あれ?
「そういう話じゃないの! もう、今はふざけてる場合じゃないのはお姉ちゃんだってわかってるでしょう!?」
「ばい……ごめんなさい。あ、でもすずか、安心して。少年君、しっかりと私のこと見抜いてたから」
「あ、あのー」
「ん、なあに本田君? 正解したからご褒美欲しいの? もう仕方ないわね。でもま、すずかの体だしいいわよね?」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん、何するつもりなの!?」
「何って――――きまってるでしょ?」
ニヤリ。まさにそんな擬音こそがふさわしい笑みだった。
そしてその笑みを向けられた〝忍さん〟が、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤に染め上げた。
そんな〝忍さん〟を放置して、今がチャンスとばかりにするり、と俺の方へと酔ってくる〝すずかちゃん〟を、慌てて止めに入る〝忍さん〟の図が出来上がる。
まるでラブコメ漫画のワンシーンのようなやり取りを尻目に、俺の頭は真っ白ショートです。
目の前には、ケラケラと見たことのない活発な表情で笑う〝すずかちゃん〟と、とても大学生には見えないくらい子供っぽく、しかし迫力をしっかり伴って怒る〝忍さん〟がいた。
―――――――――なんぞこれぇえええぇええええええええ!?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回の事件は次で解決?
大まかなな推移まとめは
月曜日:本田とフェイトデートモドキ。すずかにバレて修羅場
火曜日;すずか欠席、本田轟沈
水曜日:本田轟沈お見舞いGO!
具体的に何があったかは次回に考えていますが……蛇足だしさらっとながしてもいいかなぁ。
あと、すずかのラブシーンを書きたいとは思う…………。
だが、それが本当のすずかだとは………明言していない………っ!
しかし、早くバカップル化させたい今日この頃。
1005110456:Ver 2.00に更新。
色々今回は誤字脱字が多かった事をお詫びいたしますorz