闇の書の闇とかいう物がアースラの――時空管理局の兵器によって消滅した翌日、私はあのカプセルみたいな物からベッドに移っていた。
「それじゃ、お父さんはちょっと家に戻る。」
「うん。」
ゴールデンウィークの時はバイトの人に任せる準備ができていたけれど、今回は予定に無い事だったので全く準備できていないので碧屋は臨時休業する事にしたそうだ。
「恭也と美由希はそろそろ冬休みだったか?」
「ああ。」
「うん。」
「じゃあ、言いたい事はわかるな?」
「……わかった。」
「はい。」
「なのはの学校には――怪我で入院した事にしておく。」
「うん。」
「……後でリンディさんかクロノ君と話し合う必要があるな。」
「士郎さん、なのはと私たちの着替え、忘れないでくださいね。」
「ああ。」
「なのは、リンゴむいたわよ。」
お父さんとお兄ちゃんとお姉ちゃんが家に戻っても、お母さんが側に居てくれる。 たったそれだけの事だけど、とてもありがたいと思う。
「うん。」
だけど、あの時の私は小さく「うん」としか言えなかった。
雪が降っている。
「リィンフォース……」
けれど、大地に描かれた魔法陣は埋もれる事無く光を放っている。
「はい。」
その輝きはとても美しく、見る人に――こんな日でなければ自分たちもある種の感動を受けたのだろうけれど……
「私は、リィンフォースの最後のマスターになれて良かったと思ってるよ。」
「私も、最後にあなたの様なマスターと出会えて、嬉しく思っています。」
微笑みながらそう言い合った少女と女性は、同時に右手を前に出した。
「おやすみなさい。 リィンフォース。」
「はい。 どうか幸せになってください。」
握手をする2人を、4人の家族がじっと見る。
「あなたたちも――」
「ああ、わかっている。」
「ええ。」
「そっちこそ、良い夢見ろよ。」
「……」
告げるべき事は、昨日の内に全て告げてある。
「さよな―― おやすみなさい。」
だから、リィンフォースはそれだけ言って、無数の淡い光の粒となって空へと消えた。
────────────────────
今、私の手を取って隣を歩いているレティ・ロウランさんはリンディさんの友人で、私を時空管理局にスカウトに来てくれた人でもある。
「ここが、『本局』ですか?」
レティさんが乗ってきたのはアースラよりも小さな船(転移魔法を使えない私の様な人の為にそういう船があると教えてもらった。)で、空港の様な場所から見た初めて見た景色は思っていたよりも私の世界に似ていた。
「ええ。 と言っても、此処から見えるのは本局に勤めている人たちの居住区で――あそこに大きな建物が見えるでしょう? あそこが一般局員の職場なのよ。
なのはさんはあそこで色々と手続きをした後でミッドチルダの学校に通う事になっているから――そうね、あなたがもう1度ここに来るのはどんなに早くても3年後くらいになるかしらね。」
「そうなんですか?」
「そうなのよ。
それに、あの建物はあなたの世界で言うところの『役所』みたいなものだから、学校を出た後や仕事上必要な事務手続きの時くらいしかいく事はないでしょうね。」
「へぇ……」
役所かぁ……
「今なら、まだ戻れるけど?」
「え?」
「あなたのような子が早い内から管理局で働く為の勉強をしてくれるのはとても嬉しい事だけれど、管理局員としてではなく1人の親として言わせてもらえば――そうね、あちらの義務教育を終了してからでも良いのにとも思うのよ。
……お父さんもお母さんも、泣いていたでしょう?」
お父さんたちが反対する中で私は首を縦に振って、難しい病気を患ってしまったので外国に行く事になったと嘘をついて学校を辞めて、1人で此処に来たのだ。
お母さんもお姉ちゃんも泣きながら止めようとしてくれたし、お父さんとお兄ちゃんも行くべきじゃないと言っていたけれど、私は私の道を決めていた。
「でも、決めたんです。
あの時、私が――ううん、私じゃなくても、もっと戦える人がいれば、あんな事にならなかったんじゃないかって。」
「……そうね。
事件のあらましは知らされたけれど、あの場にクロノ君並みの戦力が後2,3人いればあんな結末にはならなかったかもしれないと私も思うわ。」
説得がすっごく大変だったけど、みんな私の気持ちをわかってくれた。
「あなたの気持ちはわかるし、あなたの目指す進路も納得しているけれど――でも、これから先、定期的に専門医のカウンセリングを受けるのを忘れちゃ駄目よ?」
レティさんが心配してくれる事が少し嬉しい。
「はい。」
此処から見える景色は思い描いていたものと全然違うけれど、ミッドチルダという世界にある学校はどうなのだろうか?
「あら?」
「え? ぁ……」
これから先どんな生活が待っているのかと考えながら歩いていたら、不意にレティさんの驚いた声がしてびっくりした私は――
「久しぶりやね、なのはちゃん……」
3ヶ月ぶりに、親友の姿を見た。
「忙しいはずのカリムさんがわざわざ連絡くれたのはこう言う事やったんやね。」
『役所』に向かう途中の車内で、隣に座っているはやてちゃんがそんな事を言った。
「カリムさん?」
「ああ、聖王教会っていう、古代ベルカと関係の深い組織の偉いさんで――私やあの子たちの裁判が終わった後で、私たちの上司になる予定の人なんよ。」
はやてちゃんは今まで見せた事の笑い方をしながら説明してくれた。
「聖王教会? はやてちゃんは時空管理局で働くんじゃないの?」
「ああ、うん……
最初はそうなるはずやったけどね。
昔――今回もやけど、うちの子たちが管理局の人たちの魔力を蒐集したりとか、他にも色々やっていたりしたのはリンディさんたちから聞いてない? 」
「ぁ……」
以前、リンディさんたちが家に来てお父さんたちと話し合った時――色々とごたごたしたけど――私が魔力を抑える方法を覚えなくちゃいけない理由を話していた。
「基本的にあの子たちは私の言う事しか聞かないけど、私みたいな子供があの子たちっていう『管理局員にとって脅威となり得る戦力を保有するのは……』っていう意見が出たらしくてなぁ……」
「?」
……シグナムさんたちの魔法は全然効いていなかった様に見えたんだけど?
「でも、だからって私とあの子たちをあの世界(第97管理外世界)に放置するわけにもいかないし――って話になったらしくて、時空管理局と協力体制を取っていて、古代ベルカについても詳しい聖王教会にお世話になる事になったらしいんや。」
「『なったらしい』って……」
私の疑問に気付かないまま、まるで他人事みたいに話を続けるはやてちゃんの顔と声が、少し私の心をイライラさせたけれど、それ以上に心配もさせる。
「私はあの子たちの側にいてあげたいし、あの子たちも私の側にいたい。
偉いさんが勝手に決めた事やけど、リンディさんたちが色々と動いてくれたから、これ以上の事は望んだら罰が当たると思うてな。」
私から窓の外へと視線を変えて、溜息をつく様にそう言ったはやてちゃんは、すごく疲れているようで、同じ年のはずなのにもっと年上の人の様に見えた。
「私の事よりもなのはちゃんや。 本局に何しに来たん?」
「え?」
「観光? もしかしてこの後フェイトさんやアルフさんと合流するの?」
はやてちゃんはカリムさんと言う人から何も聞いていないらしい。
「ううん。 観光じゃないよ。」
「ちゃうの?」
1度、こくりと首を縦に振って肯定する。
「私は、アースラで――時空管理局で働くの。」
「え?」
はやてちゃんは、一瞬、目が飛び出ちゃうんじゃないか、顎が外れちゃうんじゃないかって心配してしまうほどに驚いて、次の瞬間にはとても怒った顔になった。
……はやてちゃんのそんな顔、久しぶりだな。
「ごめん、もっかい言うてくれる?
今、なのはちゃんの言葉を『管理局で働く』って聞き間違えたみたいなんや。」
「間違ってないよ。 私は、管理局で働くの。
リンディさんたちと一緒にアースラに乗って、色んな世界を見て回ってから――」
「駄目や! あかん!」
え?
「あの人は…… ミストさんは、そんな事望まない!」
「なんではやてちゃんにそんな事がわかるの!?」
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久しぶりの休日を満喫する為にリンディとクロノとエイミィの3人でショッピングに出かけた先で、リンディに通信が入ったのだが……
「かん――リンディさん、今の悪い報せだったんですか?」
「え?」
「眉間に皺が寄ってた。」
「あら。」
リンディは息子の言葉に慌てて両手の指で軽く眉間をマッサージ(?)する。
「その様子だと緊急呼び出しではなさそうだな。」
「一体、誰からだったんですか?」
「それがね?」
なのはとはやてが怒鳴り合いの喧嘩を始めたのだけれど、どうしたらいいのかと親友が泣き付いて来たのだとリンディは告げた。
「八神はやてか……」
自分たちの様な現場の人間は、様々な世界で戦う為の訓練を受けている。 そして、その訓練の中には隣で戦っている戦友が死んでも心を乱さずに、常に冷静に行動をできる様にする為の心のコントロールを出来るようになる為のものもある。
「カリムさんは気を利かせたつもりなんだろうけど……」
しかし、冷静に行動できるからと言って悲しいと思わないわけではない。 辛さや悲しみを抱えたまま、冷静に行動できるようになる、それだけなのだ。
「報告書だけではなくて、はやてさん本人からも事情は聞いていたと思うけど、管理外世界で育った、魔法や魔法に関わる事で起こる悲しい出来事に慣れていない子供には……」
けれど、人間とは慣れる生き物なので、何度もそう言う事があればそのうちそう気持ちを持ったまま日常生活をこなす事さえできるようになってしまう。
「もう少し、時間が必要だよね?」
あの2人が――いや、高町なのはという少女の心の傷が癒えるのに一番必要なのは時間であると、彼女の担当になったカウンセラーも言っていた。
「高町がアースラに――ある意味最大のトラウマであるアースラに乗ると決めたと言う情報を何処からか聞いて、自分からアースラに乗れるのなら大丈夫だろうと考えた…… と言ったところかもな?」
「それでも、3ヶ月では短すぎると思うけど?」
「ああ。」
クロノとエイミィはカリムが早まったと考えているが、リンディは少し違った。
(彼女のレアスキルで、今2人を会わせないといけないとでも出ていたのかしら?)
「母さん?」
「リンディさん?」
「え? ! ええ、もう少し時間が必要だったわね。
……カリムさんに、もう少しなのはさんの情報を与えておくべきだったかしら?」
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今日やらねばならない手続きが終わっても続いていた気まずい沈黙を破ったのは、はやてではなくなのはの方だった。
「はやてちゃん、あのね……」
「……」
「私、まずはアースラで嘱託魔導師としてある程度働いたら、資格をたくさん取って、『教導』の道に進もうと思っているんだ。」
「『教導』?」
「……うん。」
「……そっか。
それが――それが、なのはちゃんが考えた、『道』なんやね?」
なのはは頷いた。
「ミストさんみたいになるのは無理――ううん、ミストさんみたいに、ああなっちゃうのは駄目だって思うんだ。」
「そやね。 ……私が言うのもなんやけど、ミストさんみたいになるのはあかんね。」
はやても、時々あの時の事を夢に見てうなされる事がある。
「でも、だからって、何もしないでいるのはつらいの。」
「……うん。」
自分は裁判やら聖王教会やら、いろいろと忙しくして――忙しくて貰う事で、あの時の事を思い出してしまう時間が無いようにして貰っているから、まだ良いのだとはやては気付いてしまった。
「だから、あの時の事を思い出して、あの時に必要だったのは何なのかって考えていたの。」
でも、普通の小学生の生活に戻らされてしまっていたなのはには、あの時の事を思い出したり、どうしたら良かったのかを考えてしまったりする時間が多すぎたのだろう。
「だから、『教導』なんやね?」
「……あの時、クロノ君くらい強い人がもっといたら、ミストさんがあんな風にならなくても済んだんじゃないかって、そう思ったの。」
次元世界は広すぎる。
しかし物資も人材も有限だ。
「現場が少数精鋭になっちゃうのは仕方ないのかもしれない。
でも、もっと戦える人がいたら防げた悲劇はたくさんあるんじゃないかなって思ったの。」
それを解決する力は自分たちには無い。
ならば、少数精鋭な人員をさらに鍛え上げるか、減った時にすぐに補充できるようにするか、あるいはその両方か……
「でも、その為には実績が必要だから……」
「アースラに乗るのはその為なんやね。」
なのはの目指す道がその中のどれなのか、あるいは想像もつかない様な別の道なのか、今のはやてにはわからないけれど、なのはの気持ちはよくわかった。
「それでも、私は、なのはちゃんに危険な事はしないで欲しい。」
「っ!」
「でも、その顔やと、何を言うても聞く耳はもってない、か。」
流される様にこの広すぎる世界にやってきた自分とは違って、なのはちゃんは凄くしっかりとした意思を持って此処に来たのだろう。
「私は、もう決めたの。」
次に沈黙を破ったのははやてだった。
「なぁ……」
「ん?」
「約束、せぇへん?」
「約束?」
「そ、約束。」
「……どんな?」
寂しそうに笑い合う2人の姿は、少し離れた処で見ていたレティに『別れ』という言葉を思い出させるものだったと言う。
「私は、あの子たちと一緒に聖王教会で――たぶん、最前線で頑張る事になる。」
「……うん。」
なのはには危険な場所に行かないでと言いながら、自分は家族と一緒に居る為に、家族を守る為に、危険な場所へと、率先して行かなければならい。
「なのはちゃんは、そんな最前線の人たちが――、その、なんていうか、悲しい――うん、悲しい事にならない様に頑張る。」
「うん。」
だから、自分はきっと、たくさんの悲劇を見る事になるだろう。
「そしたら、きっと、いつか、管理局と教会の共同作戦をとる時とかに、私となのはちゃんの教え子さんたちが一緒に戦うことになると思う。」
「……そう、だね。」
怖いけれど、だけど、それでも、それしか道が無い。
「だから――」
はやてが何を言いたいのか、なのはには何となくわかってきた。
わかってきたけれど、はやての口から零れる言葉を最後まで聞き続ける事にする。
「私やなのはちゃんが引退した時にでも、また、こうやって会おう。
地球の――どっか、あったかい場所とかで、渋いお茶でも飲みながら、お互いに起こった色んな事を話し合う……
そんな、そんな約束をしよう?」
2人の進む道は違いすぎて、もしも交わる事があるとしても、それはお互いに仕事を辞めた後の事だろうと言う事を、少女たちは知ったのだ。
「……うん。 いいね、それ。」
なのはのその言葉で、互いに右手の小指を差し出す。
そんな、遠い未来の約束をして別れた2人の笑顔には、もう、寂しさは無かった。
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