「高町なのはさんのご両親でしょうか?」
「ええ、そうですが?」
娘とのランチタイムが終わった帰り道、明日はどんなお弁当を持ってきてあげようか考えていた処に、白衣の女性――おそらくはこの病院の医師の1人が声をかけてきた。
「私は、先日お2人のお子さんと仲良くなった八神はやてさんの主治医をしている石田幸恵です。 お話しておきたい事があるのですが、お時間はありますか?」
「士郎さん。」
「桃子?」
「注文された品は午前中に作り終わっているから、その配達が終わった後で迎えに来てくれません?」
もしもなのはの容体に何か問題があるという話だったら、傍にいて欲しいけれど……
「わかった。 できるだけ早く終わらせてくる。」
愛する妻の気持ちを察した士郎はそう返事をして1人で店に向かった。
「それで、お話はどちらで?」
医者が患者に関する話を、まさか他の患者も通るようなこんな場所でするはずがないとわかっている桃子は、不安で潰れそうになる心に喝を入れながら尋ねる。
「では、ついてきてください。」
歩いたのはほんの少しの距離だったが、不安でいっぱいの心を抱えた桃子には……
「カウンセリング?」
配達を急いで終わらせてきた士郎――とその息子と娘は、聞いた言葉をそのまま返した。
「ええ。」
「事故で大怪我をしたりした子供――大人の方もですが、そういう経験をした方はカウンセリングを受けたほうがいいという事は、なんとなくでもおわかりになるでしょう?」
「ええ。」
3人の反応を見て石田医師が言葉を続ける。
「通常、当院ではカウンセリング専門の医師が“それとなく”患者さんと会ってから、ご家族の方と話し合ってどうするか決めてからとなるのですが……」
なのはの状態は異常だと、言外に告げていた。
「早いうちに受けたほうがいいと思います。」
おそらく桃子にはすでに話し終えており、自分の判断待ちなのだろう。
「桃子。」
「ええ。」
元々、左腕を失くしてしまったにも関わらずなのはの精神状態の異常性についてはカウンセリングが必要ではないかという事で桃子との意見は一致していたのだ。
「専門医の紹介をお願いします。」
「はい。」
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「へえ、今は石田先生のところにお世話になってるんだ。」
「そうなんよ。
『野犬』のせいでこれまでみたいに1人で通院するわけにもいかんからな。 石田先生にはほんまに頭があがらへんようになった。」
走っている車にさえも襲いかかる『野犬』の影響は、この車椅子の少女にも及んでいた。
「本当なら私も通院に切り替わっていてもいいんだけど、同じ理由で入院のままなんだ。」
父や兄と一緒なら通院できるんじゃないかと思うのだが、他の患者さんたちとの兼ね合いからそういうわけにはいかないというのがもどかしい。
頻繁に見舞いに来る自分の家族のほうがおかしいのだとわかってはいるのだが……
「まあ、それも来週までやけどな。」
「そうだね。 来週には学校も再開されるし、通院から入院に変わってた人たちも家に帰って良い事になったんだものね。」
せっかく仲良くなったのに、毎日会えなくなるのが悲しい。
「それで、なんというか、その……」
「なに?」
はやてはポケットから石田から借りたデジカメを取り出す。
「よかったら――よかったらやけど、一緒に写真を撮らん?
私は家でニート状態やけど、なのはちゃんは学校とかあってなかなか会えへんようになるやろ? やから……その……」
一度はなのはの目の前に勢いよく出したデジカメが、声と一緒に徐々に下がっていく。
なのはは、はやての真っ赤になった顔を見てかわいいと思った。
「いいよ! 一緒に撮ろう。」
「ええの!?」
はやては、聞きたかったなのはの言葉に喜びを隠せない――隠さない。
「でも、勘違いしちゃだめだよ?
一緒に写真を撮った後も、ずっとずっと一緒に遊ぶんだからね?」
「なのはちゃん!」
なのはのてんねんじごろこうげき!
こうかはばつぐんだ!
「もう……
写真を撮るのに、そんなに泣き顔でいいの?」
「あかん。
こんな顔残したら恥ずかしい――もうちょい待って。」
「2人が仲良くなれてよかったわ。」
「ええ、本当に。」
中庭のベンチではしゃぐ子供たちの様子を少し離れた所から見守っていた桃子と幸恵の2人もいつの間にか仲良くなっていた。
「あの事件のせいで友達と遊ぶ事どころか、会う事すらも難しくなってしまったから……」
「そうですね。 事情が事情とはいえ、あの年頃の子供を家に閉じ込めるのは――辛いですからね。 ああやって友達と一緒に遊ぶことで、慣れない病院暮らしのストレスが発散されてくれていればいいんですけど。」
そもそも石田は、はやてから新しく友達になったというなのはの状態を聞いて、そのありえない精神状態に気づいたのだ。 通院をしていて病院に慣れているはやてでさえ普段とは違う生活にストレスが溜っているのというのに、健康に育った女の子が凶暴な『野犬』に襲われた恐怖を味わった上に、その左腕まで失ったというのに……
「あらあら、はやてちゃんたらあんなに顔を赤くして……」
「写真を撮るのにあんな顔になるなんて、なのはは一体何て言ったのかしら?」
中庭のベンチで繰り広げられる子供たちの微笑ましい光景に、思わず頬がゆるむ。
「ああしていると、普通の女の子なんですけどね。」
「ええ……」
先日行われたカウンセリングの結果が、やはり異常だったのだ。
「まるで、すでにカウンセリングを受けた後の様な印象――でしたか。」
「ええ…… まだ一度目ですし、これから何度もカウンセリングをしていかないと断言はできないそうですけどね。」
あの事件から2週間ほどしかたっていないし、その間になのはと接触したのは家族を除けば今一緒に遊んでいる八神はやてと、手術をした医者と数名の看護士くらいなのだ。
「まさか、自分で自分をカウンセリングできるわけもないし、不思議ですね。」
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「もう、時間が無い。」
あの女に報告をする期日が迫ってきたからか、フェイトは焦っている。
「1個も回収できていないなんて言ったら――あの女、私たちを殺すかもしれないね。」
もしそうなったら、どんな手段を使ってでもフェイトを逃がさないと……
「アルフ、母さんはそんな事はしないよ。」
まったくアルフは心配性なんだからと言葉は続いたけれど……
フェイトは自分で自分の事を何も分かっていなし、気づいてもいないんだね?
「声と手が、震えているんだよ……」
「え?」
「ううん――それよりも、どうする?」
今重要なのは、どうやってジュエルシードを見つけるかって事だ。
「海しか、ないと思う。」
「フェイト!?」
ジュエルシードは世界を滅ぼせるだけのエネルギーの塊だ。 そんな物を意図的に暴走させて無事でいられるとは思えない。
「でも……もう、やるしかない。」
隠れ家の窓から海を見て、フェイトは断言した。 してしまった。
「わかったよ……
どうせ、このままじゃどうしようもないもんね?
ここに住んでいる人たちには悪いけど、海水のシャワーで濡れてもらおう。」
「アルフ……」
それが、昨日の夜の事だった。
フェイトはジュエルシード21個全てが暴走したら大変だと言って、10個程度が暴走するように慎重に魔力を海中に注ぐ事にした。
あの女の情報が確かなら、フェイトの魔力を注いで暴走させた後で封印・回収するという方法は4個程度が限界だというのに……
「結界を展開したよ。」
まず私が結界を張る。
『野犬』の事件のおかげで目撃者が出る事もないだろうし、そもそもこの世界には魔力を持っている人がほとんどいないのでその部分の構成を削り、その分範囲を拡げている。
「ありがとうアルフ。
いくよ、バルディッシュ!」
≪はい。≫
私たちは限界の倍以上の数を暴走・封印・回収しなければならない。
「はあああああああ!!」
フェイトがバルディッシュを海に向けて魔力を注ぎ込む。
「フェイト」
「あああああああ!!」
「ジュエルシードの暴走でこの海――世界がどうなったとしても、私はフェイトのそばに居て、フェイトの事をずっと守るからね?」
「ああああああああ!!」
注ぎ込まれた魔力で海が荒れ、海が渦巻き、空に向かって太い水の柱が伸びる。
「まずは、1つ。」
「たったこれだけ?」
「そんな……」
暴走して水柱を形成しているジュエルシードはたったの6本だった。
「少なすぎる……」
範囲を絞ったとはいえ、この数はないだろう?
これじゃあまるで、もともと海に落ちていたジュエルシードがこれだk
「こんなはずない!
私は確かに、10個は暴走する魔力「フェイト!!」をっ!?」
ビュウッ ドン!
白くぼやけた、おそらく人型の何かがものすごい速さでフェイトに突撃した。
「フェイトオオオオオ!!」
魔力を使いすぎてヘトヘトだったために、防御が間に合わなかったフェイトはその直撃を防ぐ事も回避する事もできなかったためにぶっ飛ばされた。
「よくも、よくもフェイトを!」
フェイトに体当たり攻撃をした何かに向かって、これまでに出した事のない速度で接近・魔力を込めた拳をそのぼやけた物体の中心に繰り出したが
「なっ!?」
桃色のラウンドシールドに防がれた――だけではなかった。
「ただのシールドじゃない!?
まるでバインド!?」
ドオオン
拳にくっついて離れないラウンドシールドのような何かに込められた魔力が爆発!
「そんな!」
何も考えずに突っ込んだせいで受けた、その馬鹿みたいに大きな魔力ダメージが私の意識を刈り取った。
誰かが私の名前を呼んでいる。
この声は、きっと私の一番大事な人の声だ。
「ぅ……」
なんだろう?
体中が痺れるように痛い。
「ぅぅ……」
いや、痛みの原因はそれだけではない。
砂のジャリジャリした感じが布を纏っていない手足に地味な気持ち悪さを与えている。
「アルフ……」
「フェイト?」
目を開けるとフェイトの泣き顔が見えた。
「私は――あ!」
起きたばかりでぼんやりとしていた頭が動き出す。
「私は、あの白い人影に……」
負けたんだね?
「アルフ……
きっと、どんなに頑張って捜索しても1個もジュエルシードが見つからなかったのは、私たちよりも先にあの白い人影が回収していたからだと思う。」
そうなんだろうね。
「でも、どうして私は無事なんだい?
あんなに荒れ狂っていた海に落ちたというのに、少しも濡れていないし?」
「アルフは海に落ちていないよ。」
「え?」
「多分、気を失った瞬間にバインドを使われたんだと思う。」
「バインド?」
「うん。
私は――魔力の使いすぎのせいもあったんだろうけど、あの体当たりで気絶しちゃったみたいで、意識が戻った時にはもう結界も暴走したジュエルシードも無くて……
慌てて元の場所に戻ったら、アルフはバインドで空中に拘束されていたんだ。
たぶん、あの白い人影が海に落ちないようにしてくれたんだと思う。」
「ふ、ふふふふ」
「アルフ?」
「あっはっはっはっは」
「どうしたの!?」
どうしたのって、フェイトこそどうしたんだい?
「だってさ、ふふ、街に落ちていたジュエルシードを先回りで回収されて、くっふふ、せ、せっかく暴走させたジュエルシードも横取りされて、そ、そのうえ、はは、命まで助けられたんだよ?
ふふ、こ、ここまでされたら、もう、わ、笑うくらいしかできないよ。 くく。」
「アルフ……」
きっと、私たちはジュエルシードを手に入れる事はできない。 なぜなら、私たちにはあの人影の正体を知るすべすらないんだから。
────────────────────
「ジュエルシードが一度に6個も回収できちゃった。」
まだ日も沈まないというのにジュエルシードが暴走しているのを感じた時は凄く驚いてしまったし、海に行って魔導師が暴走させたのだと知った時はもっと驚いたけど……
「諦めていた海中のジュエルシードがこうやって手に入ったんだから、あの2人には感謝しないとね?」
昨日までに回収できた分と合わせて19個だから、残りのジュエルシードは2個だ。
「街で調べ終えていない場所も後5か所くらいしかないし、この調子なら学校が再開して退院する事になるまでに21個全部を集め終わるかもしれない。」
ジュエルシードを全部集めれば、あのワンちゃんのように凶暴になる動物もいなくなるから、安心して学校に行く事ができるようになるし、はやてちゃんの家に遊びに行く事もできるようになるよね。
「ふふっ 今から楽しみだな。」
「あれ? なのはちゃん、何処のトイレに行ってたんや?」
「え?」
「なんか、海みたいな匂いがするで?」
はやてちゃん……
「そう? 私にはわからないけど?」
「そうなん? でも、なんかそういう匂いがするんやけど……」
「もしかしたら、芳香剤の匂いかもね?」
「芳香剤? こんな匂いの芳香剤使ってたかなぁ?
あ、でも何かの薬品の匂いかもしれへんな。」
「……トイレの芳香剤の匂いも嫌だけど、お薬の匂いも嫌だなぁ。」
「そうか?」
「うん……
お風呂まで時間があるけど、ちょっと濡れタオルで体を拭いておこうかな。」
「お!
なら、私に任せて。 なのはちゃんの体を隅々まで丁寧に拭いてあげる。」
「はやてちゃん…… なんだか目と手つきが怖いよ?」
話題が海からお風呂へ変える事ができたのはよかったけど、その手はちょっと……
「大丈夫、任せて。
ほら、なのはちゃんの部屋に行こうか。」
「う、うん。」
魔導師2人を不意打ちする時とは違った恐怖を感じた。
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