「士郎さん、そろそろよ。」
何気なく――というよりも、殆ど習慣となった時刻の確認をしてから声かけをする。
「ああ、今焼きあがった。」
声をかけられた方も、いつもと同じ返事をする。
主語が抜けているにも拘らず十分に意思疎通ができている2人のこのやりとりは翠屋の日常風景と言っても過言ではないのかもしれない。
カランコロン♪
今のやりとりでそろそろ仕事帰りのOLや部活帰りの高校生――飢えた獣たちがやってくる時間だなと互いに頷き合ったその時に、店のドアが開かれた。
「いらっしゃいま……せ。」
桃子はいつものように笑顔と元気な声で接客しようとしたが、入って来た4人の客――その中の1人を見て驚いてしまった。
「どうし……!?」
士郎も妻の元気の良い声が途中で尻すぼみになったのに気づいて厨房から顔を出してやって来た客の顔を見て驚いた。
以前は毎日、今では時々やって来る『なのはの命の恩人と思われる女性』が、緑色の髪の女性と青紫色に近い髪の少年と茶髪の少女を連れて店に現れたのだから。
「お久しぶりです。」
「は、い。 お、お久しぶりですね。」
本日2度目の驚きだ。
なのはがいない時などに接客した事もあるが、その時はこちらが注文を聞いて相手が答えるくらいの会話しかしたことが無かったので、今のように女性の方から話しかけてきたのは初めてだった。
「あ、こちらは私の職場の上司に当たるリンディ・ハラオウンさんです。」
女性は緑色の髪の女性を紹介してきた。
(……できれば、上司の名前より先にあなたの名前を知りたいのですけど。)
おそらく、なのはから自分の事を聞いていると思っているのだろう。
「初めまして。 今日はお嬢様と大切なお話があって来ました。」
「は?」
この人は突然何を言い出すのだろう。
「できる事ならご家族の方ともご一緒に話し合いをしたいのですが、誠に勝手ながら今日の所はお嬢様にだけお話をさせていただきます。」
「え?」
私たちとも話し合いをしたい?
「すいませんが、あなた方はなんの」
「ただいまー!」
急な展開に桃子が困惑している様子なので厨房から出てきた士郎が代わりに話を聞こうとしたその時、なのはが学校から帰って来た。
「あ、おかえりなさい、なのはちゃん。」
「お姉さん! 久しぶりで――!?」
帰って来てすぐに大好きなお姉さんがいてテンションが上がったなのはだったが、そのお姉さんが3人もお供を連れて自分の父母と話をしていた事に気づいて声が止まる。
「えっと?」
なのはは「どういう事なの?」と、声には出さないが上目づかいにミストを見上げる。
今までずっとお姉さんは1人で来ていたと言うのに今日は複数人、それも両親と何か話をしているなんて、今までなかった事だ。
「ああ、こちらは私の上司のリンディ・ハラオウンさん。」
「はじめまして。」
「あ、はい――はじめまして! 高町なのはです!」
紹介された緑色の髪の綺麗な人が優しい声で挨拶をしてきて、一瞬ぼうっとしてしまったが、お姉さんが「私の上司の」と言っていた事にすぐに気づいて慌てて返事をする。
お姉さんが一昨日に念話で言っていた今回の事件が『時空管理局の偉い人が出てこないといけないくらい大変なモノ』なのだと言う事にも気づいたのだ。
「はじめまして。 僕の名前はクロノ・ハラオウン。 こっちはエイミィ・リミエッタ。
ミストとは同じ職場で働いている同僚――の様なもので、今日の話し合いに参加させてもらう事になっている。 まぁ、よろしく。」
「よろしくね。」
「は、はい! よろしくお願いします!」
なのはは何が何だか分からないまま返事をする。
時空管理局の人たちがたくさん来ている事で緊張して変な声になってしまったが、それに気づいていないくらいに慌ててしまっている姿は実に面白い。
「なのはちゃん、そんなに緊張しないで良いよ。」
「ふ、ふぇええ?」
ミストはそんななのはの頭を撫でながら、桃子と士郎に向き直る。
「それでは、なのはちゃんをお借りします。」
「え?」
「は?」
「ふぇ?」
士郎と桃子、ついでになのはは予想外の事態についていけない。
「7時までには家に送りますので。」
「では、行きましょうか。」
「はい。」
「では、失礼します。」
「え? あの? え?」
4人は困惑しているなのはを連れて店から出ようとする――が
「ちょ、ちょっと待ってください!」
困惑している娘の様子に――というか、こんなわけのわからない集団に大事な娘を連れていかれてたまるかと、桃子が動き
「なのはを何処に連れて行くつもりだ!」
士郎が戦闘態勢をとる。
「む?」
それに反応してクロノが何時でも防御魔法を使えるようにポケットの中のデバイスに手を伸ばす。
まさに、一触即発という言葉がぴったりくる状況になった。
しかし
「なのはちゃん。」
「は、はい?」
父とお姉さんの同僚の間にピリピリとしたものを感じ、どうしたらいいのかわからずにおろおろとしているなのはに、ミストが一言。
「行き先はアースラだよ。」
「お父さん、お母さん、行ってきます!」
大事な娘は元気いっぱいに走りだした。
父と母は目を大きく開いて小さくなっていく娘――と、そっちじゃないよと言いながら娘を追いかける4人を見送る事しかできなかった。
────────────────────
「……私とはやてちゃんが狙われるかもしれない?」
会議室までとはいえ、科学と魔法によって造られたアースラの中を思う存分見る事が出来たなのははとても興奮していたのだが、今回の事件について簡単な説明を受けた途端にその興奮がすっかり冷めてしまったようだ。
「ええ。」
「ああ。」
リンディとクロノは残念そうに頷いた。
「まあ、私たちも近くに住む事になるから、狙われるのは2人だけじゃなくなる――かもしれないんだけどね?」
エイミィが、ミストとクロノ、フェイトとアルフも入れると海鳴近辺に住む大きな魔力を持った存在は全部で6人になると説明する。
これで敵がこの第97管理外世界にやってくる可能性がより高まるだろう。
さらに、今現在魔力を持った野生動物の居る世界の付近では管理局の艦がすぐに動ける状態でスタンバイしている事を考えると、可能性はより上がっているだろう。
「かもしれない?」
なのはがすっきりとしないエイミィの物言いに疑問を持つ。
「つまり、私たちが魔力を感知されやすい状態のままで第97管理外世――なのはちゃんの世界で暮らす事にしたらって事だよ。」
「?」
翠屋に行かずに会議室で準備をしていたアルフの言葉にもイマイチ納得ができない
「私たちが魔力を感知されやすい状態で暮らさなければ、なのはちゃんとはやてちゃんが狙われる可能性は上がらないって事だよ。」
それどころか、なのはとはやてが魔力を抑える方法を憶えさえすれば、2人が敵に狙われる可能性はぐっと低くなるだろうとも説明する。
「……なるほど。」
確かにそれなら自分たちの安全は――あれ?
「でもそれだと、この世界にその『魔力を集める人』が来なくて、お姉さんたちが捕まえる事ができないんじゃ?
ああ…… でも…… うーん……。」
ミストの役に立ちたいなのはにとって、『囮』になる事は何の問題も無く、むしろ望む所であるが、親友であるはやての安全を考えるとその方が良いと思える。
「確かに、2人を『囮』にした方が犯人を捕まえる可能性が上がるかもしれない。」
悩むなのはに、ミストが答える。
「でもね? 私たち時空管理局は子供を囮にしないと犯人を捕まえられない様な組織じゃないつもりだよ。」
「ああ。 僕たちは君の世界に駐留するけれど、それは君たちを囮にする為じゃ無く、時空管理局と接点が無い為に魔力を抑える事の出来ない八神はやてを守る為だしな。」
クロノもミストを援護する。
アースラは、建前では高町なのはと八神はやての2人を囮にする作戦を取る事になっているが、実際は2人を守る為に――自分たちを囮にする為にこの世界に来たのだ。
……もっとも、1ヶ月経っても敵が現れない場合、高町なのはに魔力を抑える方法を教え、なのはから八神はやてに健康法などという名目で魔力を抑える方法を教えさせる事でこの管理外世界の子供2人の魔力が敵に狙われる確率を下げた後で、魔力を持った野生動物の居る世界へ行く事になっていた。
1ヶ月で成果が出ない様な作戦にアースラと言う貴重な戦力を使い続けるなんて無駄だと言う判断だ。
(か…… かっこいい。)
しかし、そんな裏事情を知らないなのははミストとクロノの台詞に素直に感動した。
「わかりました! 私、頑張って魔力を抑える方法を覚えます!」
瞳の奥にメラメラと燃える炎が見えるのではないかと言うくらいにやる気になったなのはの気持ちに反応したのか、彼女のリンカーコアも激しく――
「へぇ……」
「なっ なんて魔力だ。」
フェイトとアルフは、その魔力の大きさに驚く。
「……クロノ。」
「……なんだ?」
少し興奮しただけでこんなにも魔力が溢れだすとは……とか、高町なのはに対する教育は前途多難なものになるだろうと思ったクロノに
「私、嘱託魔導師の資格はとったけど、魔法を教える資格は持ってないから――」
「!?」
ちょっと待て――そう声に出そうとしたが、なのはが目をキラキラさせて自分を見ているのに気づいてしまった。
「なのはちゃんの事、お願いね?」
「お願いします!」
アースラの切り札に逃げ道は無かった。
────────────────────
「ただいまー!」
正体不明の4人に着いて行った妹の声を聞いた恭也と美由希はドタドタと剣士らしからぬ足音を出しながら玄関に向かった。
父も母も7時前には帰ると言っていたのだが、現在の時刻は6時を少し過ぎた程度である為に、家にはこの2人しかいなかったのだ。
「おかえり、なのは。」
「なのは、おかえり!」
いつもならなのはが居間に来た時に「おかえり。」と言うだけで玄関まで出迎えてくれた事など無い、兄と姉の慌てた様子になのはは驚いた。
「ど、どうしたの?」
「どうしたもなにも――!」
なのはの事が心配だったと言おうとしたところで、玄関にもう1人居る事に気付いた。
「どうも。」
それはなのはの命の恩人だと思われる女性だった。
「ど、どど……」
「……」
美由希は驚きで言葉が出ず、恭也は無言で失礼にならない程度に、いつでも戦えるように構えをとる。
「なのはちゃんのお兄さんとお姉さんですね?」
「え? あ、はい。」
「ああ。」
美由希は恭也が構えているのに気付くと同時に自分も冷静にならなければと思い、恭也は恭也で今のは「ああ。」ではなく「そうです。」だったかと――静かに混乱していた。
「『約束通りに7時までにお返ししました』と、ご両親にお伝えください。」
「……わかりました。」
いろいろと問いただしたい事はあるけれど、なのはと彼女との付き合いはそれなりに長く、そのうえ、おそらくではあるが命の恩人である相手に強く出る事はできない。
せめて、約束の時間である7時を少しでも過ぎていればその事から問いただす事もできたかもしれないが……
(いや、今までは会話すらした事が無かった相手とこうやってコミュニケーションを取れるようになったんだ。
焦らずに信頼関係を築いていくと考えれば……)
一歩進んだと言えなくもないのではないだろうか?
「あ、それからもう1つ。」
「なんでしょうか?」
「できればご家族の方とも詳しいお話をしたいので、次のお店の定休日にでも話し合いの場を持てませんでしょうか?と、お伝えください。」
「え!?」
「美由希!」
予想していなかった事態に思わず大きな声を出してしまった妹をつい大きな声で嗜める。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
「あの、都合はつきませんか?」
突然叫び合う2人になのはは慌ててしまう。
ミストは次の定休日では都合が悪かったのだろうかとも考えたが――
「い、いえ、両親に聞いてみます、はい、ええ。」
「そ、そうですか。」
何だかよくわからないが、この兄弟はちょっと変だと言う事で納得しようと思った。
「それじゃあ――なのはちゃん。」
「……はい?」
兄姉の情けない姿を見せてしまって顔を赤くしているなのはに声をかける。
「ご家族の都合のつく日が決まったら連絡してね。」
「わかりました。」
恭也と美由希が揉めている間にミストはなのはに見送られながら帰っていった。
────────────────────
「あ、シグナムって人が帰って来たね。」
望遠鏡で八神家を監視していたエイミィが、アースラでなのはから聞いた八神家の居候のデータを思い出しながら報告する。
「ザフィーラとかいう大型犬よりも遅い時間だな。」
クロノがエイミィの肩を揉んでいる。
魔力を使った監視をした場合気づかれる可能性があり、さらには殺気などの気配に敏感かもしれないと言う事で監視役に抜擢された彼女を労っているのだ。
「あんな大きな犬が夜中に歩き回っているのを近所の人にでも見られたら、下手したら保健所とかに通報されて面倒になるって考えたんじゃない?」
あの大きさは、人に危害を与えない大人しい犬と知っていても、よほどの犬好きでもない限り恐怖を憶えてしまうサイズだ。
「……確かに。」
「あ、そこ、もうちょっと右。」
「ここか?」
「うん、そこ……」
「明日はカメラとかの監視装置を取り付けるんだよね?」
「うん。 あの4人が出かけた後になるけどね。
フェイトとアルフには西側を頼む事になっているけど、無理はしないで良いからね?」
「はい。」
「わかっているよ。」
『かつて』のはやてから教わった認識障害魔法をクロノとフェイトのデバイスにもインストールしてあるので一般人に発見される事は無いが、八神家を守るように張ってある結界魔法だけに気をつけるだけでは駄目なのだ。
「あの結界は囮の様な物で、家から少し離れた場所に、地雷の様に探知系の魔法が展開されている可能性はある――ですよね?」
フェイトが何度目になるかわからないほど言われた事を復唱する。
「設置するのはこの世界の物と比べるのも馬鹿らしいほど小型で高性能で、野鳥はもちろん人に拾われたりすると厄介な事になるから、そっちの方でも気をつけてね。」
「はい……」
ミストはフェイトの髪をドライヤーと櫛で、フェイトはアルフを専用の道具でブラッシングしながら明日の予定を確認する。
「昨日と今日だけのデータだけだけど、あの4人が出かける時間も帰ってくる時間も大体わかるし、そもそも半日もあれば機材の設置は終わるはずだから、たっぷり時間をかけてもいいし、私やクロノ、エイミィに聞いてもいい。
嘱託魔導師の試験と比べたらすごく簡単な仕事だよ。」
「はい……」
自分と同じ新米嘱託魔導師のはずなのに、ミストの言葉を聞くとすごく安心できるのは何故だろうと、フェイトは眠気に襲われている頭で考えるが、答えは見つからない。
只、今は、この心地良さが……
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