『夜の読書用魔法』を消してから、枕の横にぶら下がっていたナースコールのボタンを押したら、10秒もしない内に3人も看護士さんがやってきた。
「目が覚めたんですね。」
「自分の名前が言えますか?」
「どこか痛いところがあったり、気分が悪かったりしませんか?」
そんな風に色々と質問されたり体の様子を調べたりされていると、ちょっと太めのお医者さんがやってきて看護士さんたちにテキパキと指示を出した。
3人の看護士さんが忙しそうに働いているのに、お医者さんはベッドの横の機械を眺めているだけだったので思い切って聞いてみた。
「あの、私はどれくらい寝ていたんでしょうか?」
あの人とは3日くらい一緒にいたと思うんだけど……
私の質問にお医者さんは右手を自分の顎に当てて何かを考えるようなしぐさをして、逆にこう聞き返してきた。
「君は目が覚めてすぐにナースコールを押したのかい?」
「はい。 そうですけど?」
正確にはあの人に教えてもらった魔法が使えるか確認するために5分ほど経過してからだけど、魔法の事は秘密にしておいたほうがいいとも教えられたので、このお医者さんには申し訳ないけど嘘をつかせてもらった。
「ふむ。
『ここがどこか』とか『どうして寝ていたのか』というよりも、『どれくらい寝ていたのか』を聞いてきたという事は……」
えーと…… 私、何か失敗しちゃった?
「それに『どうして左腕がないのか』とも聞いてこない……」
どうしよう。
そう言えばさっきの看護士さんたちも私がその事を聞かない事を不思議がっていた様な気がする。
「君は、『野犬』に襲われた時の事を覚えているのかい?」
ここは覚えているって言うべきなのかな?
でも、そうすると車を襲った大きなワンちゃんが小さくなった事とかを聞かれちゃったりするかもしれないし……
あ、でも、ここで覚えていないって言ったとしても、どうして左手がない事に驚かなかったのかって事を聞かれちゃうかもしれないし……
「う」
「う?」
答えるのに時間がかかっても怪しまれるんだろうから、ここは適当にぼかしておこう!
あの人も、もしも魔法の事を疑われたり見られちゃったりした時は信用できる人でない限り本当の事をちょっとだけ話してとぼけておくといいって言っていたし!
「うで……」
「腕?」
「左腕を、ガブリって噛まれちゃった事は覚えています。」
これだけなら大丈夫だよね?
嘘は言っていないし、本当の事だし、魔法の「ま」の字も出ていないし……
「ぅぅぅ」
大丈夫だよね?
「すまない。」
「え?」
何が?
「怖い事を思い出させてしまったね。
君を襲ったあの野犬はもういないから……
だから、そんなに震えなくてもいいんだよ。」
お医者さんはそう言うと、看護士さんに1つ2つ指示をしてから部屋から出て行った。
私、うまくごまかせたのかな?
でもね、お医者さん?
何となく居づらい空気になっちゃったのはわかるし、部屋から出ていくのも良いんだけど、せめて「何日寝ていたの?」っていう私の質問に答えてからにしてほしかったかな?
看護士さんたちがいろんな検査をし終えて、「お腹が空いたでしょう?」とお粥を持ってきてくれた。 会話から察するに、今は朝の早い時間らしい。
あの世界では紅茶とお菓子をごちそうになったけれど、この体の胃袋は満たされてはいなかったらしく、言われた通りにゆっくり食べていると、ドタドタドタと大きな足音と一緒にお母さんとお父さんが「はあはあ」と息を荒くしながら入って来た。
「どうしたの?」
左手が無いせいで、お粥の入ったお皿がトレイの外に出てしまいそうなるのをどうしたらいいのか、そんなどうでもいいような事をあの人に教えてもらった『マルチタスク』で考えながら2人に聞いた。
「ど、どうしたのって…」
ぺたん
お母さんはへなへなと床に座ってしまった。
「はあ、はあ…
3日間も、目を覚まさなかった、はあ、娘の、はあ……」
お父さんはお母さんみたいに座り込んだりしないで、曲げた膝に手を当てた格好で「はあはあ」と息を切らしている。
「ふふふ、お父さんもお母さんも、そこでそんな風にしていないで、椅子に座ったら?」
2人が私の事でこんなに慌てているのを見るのは初めてだった。
「それに……。
こんな朝の早い時間にこんな場所に居てもいいの? いつもならお店の仕込みとかで忙しいはずでしょう? 大丈夫なの? 家族そろって路頭に迷うとか嫌だよ?」
嬉しさで顔が緩んでしまいそうになるのを何とかするために、ちょっと意地悪な事を言ってしまったけれど、怒ったりしないでね?
「あ、ああ。 店の事なら大丈夫だ。 心配はいらない。」
「そう? ならいいけど。」
お父さんは床に座ってしまったお母さんに手を差し伸べた。
「ほら、立てるか? そうか、じゃあ椅子まで運ぶから――」
ドタドタドタ
「なのは!」
「なのは!」
今度はお兄ちゃんとお姉ちゃんが慌てて入って来た。
はあ
「お兄ちゃん、それとお姉ちゃん……」
「な、なんだ?
何かしてほしい事があるのか?」
「売店? 売店で何か買ってきて欲しいの?」
してほしい事があるのかって聞かれれば、一応ある事はあるんだけど……
「はあ。
お父さんとお母さんもそうだったけど……」
「え?」
「私達も?」
「なんだ?」
「なに?」
「病院では静かに!」
お母さんにトレイからお皿が出ないようにしてもらいながら、お粥の残りをゆっくり食べる。 自分のペースで食べられるのはいいんだけど、少しだけ「はい、あーん」としてもらえなかったのが残念だと思っちゃった自分が恥ずかしい。
「そっか、あの運転手さんに怪我はなかったんだ。 よかった。」
あの暴走犬に襲われていなかったのは知っているけど、私の魔力の暴走に巻き込まれて怪我をしていなかったのかが気になっていたので、本当によかった。
「よかったって……」
「お母さん?」
「何がよかったのよ!
なのはの、あなたの腕が!」
「そうだよ。
なのはの左腕、もう……」
お姉ちゃんまで
「ほら、落ち着いて……な?」
「お前も落ち着け。」
お父さんとお兄ちゃんがお母さんとお姉ちゃんみたいに取り乱さないのは剣術で精神修養ができているからかな?
「そうだよ。 2人とも落ち着いてよ。
アリサちゃん家の高級車をボコボコにしちゃうようなワンちゃんに襲われて誰も死なずに済んだんだよ?
すっごく運が良かったんだよ。」
左腕が無くなったのは残念だけど、人の命と比べたら――って考える事が出来るのは、あの人に色々教えてもらったからもしれないけど。
「なのは……」
「なの、は……」
「なのは、その顔でそんな事を言っても……」
「……」
ぎゅ
突然、お父さんが私の頭を抱きしめた。
ちょっと汗臭い。
「お父さん?」
「なのは……」
「なんなの?」
「泣きたい時は、我慢しなくてもいいんだ。」
?
お父さんが邪魔で手で触れないので、まばたきをして確認する。
うん、泣いてない。
ドラマとかアニメみたいに、自分の知らない内に涙が出たりしたのかと思ったけれど、そんな事はなかった。
「お父さん、私は泣いてないよ?」
私のその言葉に、お父さんが離れる。
その目からは、涙が流れていた。
「そんなに、泣きそうな顔をしているのに……」
「私、そんな顔しているの?」
みんなが頷く。
冷静に考え続けるマルチタスクのどこかで、鏡が欲しいなって思った。
「そっか。」
でも、あの人の胸でたくさん泣いちゃったからなぁ……
「大丈夫だよ。 私は大丈夫。
左腕が無くなっちゃっても、右腕が残っているからちょっと不便になっただけだし。」
そう言ったら、みんな泣きだしちゃった。
「私の家族って、こんなに泣き虫だったっけ?」
冷めてしまったお粥を口に入れて噛みしめる。
あったかい時と味が変わってしまったけれど、まずくはない。
良いお米使っているんだな。
家族4人が泣いている中で、そんなどうでもいい事に気づいてしまった。
────────────────────
「なのはちゃん。」
「すずかちゃん!
お見舞いに来てくれたんだね。 ありがとう!」
目が覚めた翌日のお昼頃、すずかちゃんが病室に来てくれた。
「なのはちゃんを襲った野犬がまだこの近辺にいるかもしれないから外に出ないようにって言われたんだけど、どうしても会いたくなっちゃって……」
「え?」
「え?」
えーと
「私を襲ったワンちゃんがまだこの近くにいる?」
「あ!
ごめんね、なのはちゃん。 怖い事思い出させちゃったよね?
でも病院の中ならきっと大丈夫だよ。 あれから4日経つけど、新しい被害者がでていないって朝のニュースでも言っていたから、だから、その……」
昨日、お父さんたちは泣くだけ泣いて帰ったので、私が病院に運ばれてからどんな事があったのか聞く事ができなかったのが悔やまれる。
「あのね、だから、私は」
「すずかちゃん。」
「な、なぁに?」
「私が寝ている間に何があったのか詳しく教えてちょうだい。」
「う、うん。 いいけど……」
①高級車がボコボコに壊されて、私の左腕が無くなったという事がその日の内に大きなニュースとしてテレビのニュースに流れた。
②現場のすぐそばで気絶した犬が発見されたが、歯形が似てはいるものの大きさが全然違うので事件との関連性はないという事になった。
③野犬の捕獲または処分が終わるまでは近隣の学校は休校。
「学校が休校……」
「うん。」
事件現場付近で気絶していたワンちゃんが真犯人(真犯犬?)で、ジュエルシードの暴走で凶暴になっていたとはいえ、すでに人間の味を知ってしまったあのワンちゃんはこれから先、人を襲ってしまう可能性があるんじゃないかとか考えてしまったのだけれど、魔法を知らない人に言える事ではないので学校の事で驚いたことにした。
「それじゃあ、少なくとも入院している間だけは勉強の心配をしなくてもいいんだ?」
「なのはちゃん……
学校がなくても勉強はしたほうがいいよ。
「えへへ」
そういえば、あのジュエルシードはどうなっているんだろう? 今日の夜、病院を抜けだして回収に行ったほうがいいかな?
放っておいたら第2第3の被害者が出るかもしれない。
「なのはちゃん?」
「なに?」
「あのね? アリサちゃんの事なんだけど……」
?
「そういえば、一緒じゃないんだね?
私、すずかちゃんとアリサちゃんは一緒にお見舞いに来てくれると思っていたんだけど。」
どうしたのかな?
「あのね、なのはちゃんはアリサちゃんの家からの帰り道であんな事になっちゃったでしょ?
その事で、『自分が誘ったりしなければ』って思っているみたいで、ずっと部屋に閉じこもっちゃっているらしいの。」
「え?」
なんで?
「あのワンちゃんが走っている車を襲うなんて誰も知らなかったんだから、アリサちゃんは何も悪くないのに……」
今回の事で、もしもアリサちゃんに何か責任があるのだとしたら、野犬に壊されちゃうような車を作った会社やその程度の強度で安全だと定めた機関にも問題があるって事になっちゃうと思うんだけど?
それに、魔法の事を知らない人たちを責めるのは何か間違っていると思うん――
ぐず
「すずかちゃん?
なんで突然泣いているの?」
わけがわからないよ。
「だって、なのはちゃんは、そう言ってくれるって、思っていたけど、もし、アリサちゃんの事、許さないって、思っていたら、どうしようって……」
それだけ言ってわんわん泣き続けるすずかちゃん。
これまで知らなかったけれど、どうやら私の周りは泣き虫だらけだったらしい。
「よしよし。
私は大丈夫だから、アリサちゃんの事もなんとかするから、だから泣かないで、ね?」
左腕がないのでバランスが取りにくいけど、頑張って泣いて続けるすずかちゃんを抱きしめてからそう言った。
泣きたいのはこっちだよ。
よしよしと頭を撫でたりする事約10分、やっとすずかちゃんが泣きやんだ。
「落ち着いた?」
「うん。」
「よかった。」
泣く子には勝てないってこういう事を言うんだろうな。
「なんだか……」
「なに?」
「なのはちゃん、大人っぽくなった気がする。」
魔法を使う上で絶対に習得しないといけないマルチタスクという技術は、要するに平行して色々な事を考える事ができるという事なんだそうだけど、慣れない間はその複数の思考に感情が追いつく事ができずに、他人から見て感情が薄いように思われてしまう事があるかもしれないってあの人が言っていたけど……
「そうかな?」
「そうだよ。」
「そうなのかなぁ?」
「絶対そうだよ。」
「くす」
「ふふ」
ああ――笑ってごまかすのって、結構簡単なんだ。
────────────────────
夜
「看護士さんはさっき様子を見に来たばかりだから、今から1時間くらいなら抜け出してもばれない――はず。」
あの人に教えてもらった通りにバリアジャケットの魔法を使ってから空に浮く。
風圧とか飛行中の気圧とかを快適にしてくれたり、飛んでいる鳥にぶつかったりする事故に会ってもお互いの怪我を和らげてくれたり、カメラに映っても映像をぼやけさせたりできるから、空を飛ぶ時は必ずバリアジャケットを纏うように言われたからだ。
「『ジュエルシードサーチ』」
強い反応が4つに弱い反応が1つ……
「たぶん、この弱い反応が私を襲ったワンちゃんの……
まずはこれを封印・回収してから、残り4つを近い順で……」
私は夜の街に飛び出した。
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