ここはどこだろう?
気がついたら、目の前どころか右も左も上も下も全部青色で、自分が立っているのか寝ているのか止まっているのか堕ちているのか、そんな事すらわからない場所にいた。
「だ……」
誰か居ませんか?
そう言おうと思ったけれど、見える範囲に誰もいない事を確認したばかりだ。
どうしたらいいんだろう?
ううん。
なんで私はこんな処にいるんだろう?
こんな、誰もいない、何もない世界に……。
「おや?」
「え?」
突然、後ろから聞こえた声に驚くと同時に振り向くと、そこにはたぶんお父さんと同じくらいの年齢で、金色の髪の毛の男の人が安楽椅子にゆらゆらと座っていた。
「はじめまして、お嬢さん。」
「は、はじめまして。」
男の人が笑顔で挨拶をしてきたので、ついお店のお手伝いをしている時の笑顔で返事を返してしまった。
そうだ、ここは何処で、どうして私はこんな処にいるのかこの人に聞いてみよう。
「あ、あの」
「さて、どうしようか?
此処に来るお客さん達は、みんな君と同じ年ごろの男の子1人だけだったから、お茶とお菓子は1種類しか用意していないんだ。 ごめんね?」
「え? あの、その」
「僕の好きなお茶とお菓子が、君の好みに合えばいいんだけど。」
そう言って男の人は安楽椅子から立ち上がり――
さっきまでなかったはずの小さな家へ入っていった。
「えー、と……」
私はここで待っていればいいのかな?
先ほどまで男の人が居た場所を見ると、安楽椅子の横に机と椅子があったので座って待たせてもらうことにした。 あの男の人が何者なのかわからないけど、悪い人ではないと思えてしまったから。
「でも、本当に此処は何処なんだろう?」
見渡す限り青いだけの世界。
空と陸の間にあるはずの地平線も見えない世界。
歩く事も座る事もできたけれど、踏みしめたはずの、そこにあるはずの地面を感じる事ができない。
「夢」
思わず自分の口から出た言葉で気づく。
「夢だ。
そうだよね、こんな世界があるはずがないもの。
そうだよ。
うん。
これは夢なんだ。
暫くしたら目が覚めるはずだよね?」
「夢だと思うなら、それでもいいけどね?
とりあえず、この世界に来る前の事を詳しく話してくれないかな?」
「きゃっ!」
また突然後ろから聞こえた男の人の声に驚いてしまった。
「あ、あの! 今のは……」
しまった。
これが夢なら、この人も私の夢の登場人物だという事になってしまう。
よくわからないけど、そう考えるのはこの人に失礼な事かもしれない。
「大丈夫。 君の気持はわかるから。
突然こんな青いだけの世界に居たら、驚いてしまったり、気が動転してしまったりしても仕方ないよ。」
カチャカチャ
家から運んできた紅茶セットと、お菓子の乗ったお皿をテキパキと机の上に並べながら私に優しい声で語りかけてくれる。
「でもね、君は思い出すべきだよ。
こんな世界に君が来てしまった理由はきっと、『望んだ形で叶わない願い』をしてしまったからだと思うから。」
「え?」
望んだ形で叶わない願い?
真剣な顔でわけのわからない事を言う男の人に、私もより一層わけがわかなくなってしまった。
「だから……」
「あの?」
私の両肩に手を置いて、顔をじっと見つめてくる。
あ この人の目、緑色だ。
目の前の男の人は凄く真剣なのに、私はそんな事を考えているという事が少しおかしい。
「ゆっくりでいいから、思い出してほしい。
……君の左手が、そうなってしまった時の事を。」
「え?」
私の左手?
この人は何を言っているんだろう?
私の左手はきちんとここ に ?
「ぁ」
右手で、左手を触ろうとして
「ぁぁぁぁ」
肘から先が
「ああああああああああああああ」
無くなっている事を思い出した。
────────────────────
――その日は、いつもと何も変わらない日でした。
「なのは、今日は私の家に寄っていかない?」
学校が終わって変える準備をしている高町なのはに、彼女の友人であるアリサ・バニングスがそう提案した。
もう1人の友人である月村すずかを入れて3人で一緒に帰る事はこれまでもあったし、それぞれの家に遊びに行く事もあったのだが、今日のアリサの様子はいつもと違った。
「え?」
「ほら、最近山から下りてきた野犬が人を襲っているって先生が言っていたでしょう?」
「うん。」
なのはは見ていないが、野犬に襲われて亡くなった人もいるとテレビのニュースでも取り上げられていた。
「そのトバッチリで私の家の子達を犬小屋に閉じ込めないといけなくなっちゃってね。」
「そうなの?」
「そうなのよ。
それで、野犬がうろついている間だけ、家の子達を庭にも出してあげられなくなる事になっちゃったの。
だから、その前に思いっきり遊ばせてあげたいなって思って。」
「うん。 わかったよ。
今日はアリサちゃんの家に遊びに行くよ。」
「ありがとう。
それで、すずかはどうなの?」
「ごめんなさい。
私も家の子達を家から出られないようにしないといけないの。」
「やっぱりそうなのね。
相手は野犬で、私の家やすずかの家だけじゃなくて、ペットを飼っている……
ううん。 お年寄りや小さな子供のいる家も気をつけるようにって話だものね。」
アリサはそれを知っていたから、なのはとすずかの2人同時にではなく、なのは1人を最初に誘ったのだ。
「ごめんね?」
「いいのよ。 悪いのは野犬なんだから。」
――アリサちゃんの家でワンちゃん達と遊んだ後、
野犬に襲われるかもしれないからと車で家に送ってもらっている時に……
「なっ なんだっ!!」
「え?」
キキキーーーー
何かに気づいた運転手が急ブレーキをかける。
ドオン!
グシャ!
その何かがなのはの乗る車を襲ったのだ。
「きゃっ!」
「うおうっ!」
――車に何かがぶつかってきて、運転手さんはエアバッグに顔を
「グルルルルルル」
「ぁぁぁああああ」
――車のドアは歪んでガラスは割れて、天井もへこんでいて
赤く光る2つの目と鋭い牙が、歪んだ車のせいで動く事ができなくなっていたなのはを標的に選んだ。
「い、いや!」
「グルルルルルルル」
「こないで!」
「グルルルルルルル」
目の前の恐怖に、ただ叫ぶことしかできない。
「グァアアアアアア」
死にたくない!!
────────────────────
「ぅぅぅ」
「ごめんね。
つらい事を思い出させてしまって。」
男の人は泣いている私を抱きしめながら頭を撫でて慰めようとしてくれているけれど、私の涙も体の震えも全然止まらない。
家族でもない人――家族にさえこんなみっともない姿になった事はないのに……
「しかし、死にたくない……か。」
「ぅぅぅ」
「確か3人くらいそう願ってしまった子がやって来た事があったけれど、あの子達と同じ方法をこの子に教えても多分無理だろうし……。」
「ぅ……」
「思い返してみると、これまでずっと僕という個人の素質に頼りすぎている構成ばかりを作りすぎていたのかもしれないな。
これまでと違って、これからはこの子のように僕以外の子がこの空間を訪れるようになるというのなら、もっと誰にでも使えるような構成を練るようにするべきなのかもしれない。」
私の背中をぽんぽんと軽く叩いて泣きやませようとしながら、男の人はよくわからない事を自分自身に言い聞かせていた。
1時間か2時間くらい泣いて、泣き疲れて眠ってしまったみたいで、気が付いたら知らない小さな部屋のベッドの上だった。
「ここは……」
さっきの男の人の家の中だろうか?
この小さな部屋の四方はドアと小さな窓の分だけスペースが空いていて、壁は全部本がみっしりと入った本棚が置かれていた。
部屋の中心には一本足の丸いテーブルと椅子が2つあって、机の上には青いガラスでつくったみたいな造花が小さくてかわいい白い花瓶と一緒に飾られていた。
「ふふふ、変な部屋。」
チリン
私の声に反応したのか、花が鈴のような音を出して小さく一回震えた。
「え?」
チリン
確か、昔こんなおもちゃが流行っていたと誰かから聞いた事があるような気がする。
「電池式なのかな?」
チリンチリン
ギィィィィ
扉が音を立てて開いた。
そして、さっき泣いている私を慰めてくれた男の人が湯気を出している小さなヤカンとカップをお盆に乗せて部屋に入って来た。
「やあ、もう大丈夫そうだね?」
「あ……」
そうだ、泣いているのを見られちゃったんだ。
それだけじゃなくて、泣き疲れて眠ってしまった私をこのベッドに運んでくれたのもたぶんこの人なんだ。
そう思うと、急に恥ずかしくなってしまった。
「あの、その、さっきは」
「気にしないで。 君みたいな子供に、あんなつらい事を無理やり思い出させてしまった僕のほうが悪いんだから。」
小さなヤカンにはホットミルクが入っていたらしく、それをカップに注ぎながらそう言ってくれた。
ああ、そうだ。
聞かなきゃいけない事があるんだった。
「あの」
「なんだい?」
「ここはあの世って事なんでしょうか?
私はあの大きな犬に食べられちゃって、それで死んじゃったんでしょうか?」
お父さんとお母さんより先に死んじゃったから石を積んだりしないといけないのかな?
「大丈夫。」
「え?」
「ここはあの世じゃないよ。
君はまだ生きているし、暫くしたら体に戻れるよ。」
「体に戻れる?」
「そうだよ。
僕みたいに自分の意思で体ごとこの世界に来ちゃったら無理だろうけど、君は魂とか精神とかいうモノだけが此処に来てしまったんだよ。」
私、幽霊に――じゃなくて、生霊になっちゃったの?
「それじゃあ、私の体は」
「それも大丈夫。 今調べてみたけど、病院のベッドの上で寝ているよ。
今までの知識と経験から考えるに、もう暫くしたら君は体に戻れるんじゃないかな?」
「もう暫く?」
それって、どれくらいなのかな?
「それで、君が体に戻るまでに色々と教えておきたい事があるんだけど……」
「教えておきたい事ですか?」
「うん。
僕の考えが正しければ、このまま体に戻ってもすぐにまたここに来る事になると思う。」
え?
「それって、またあの野犬に襲われるって事ですか?」
またアレに襲われるなんて、そんなのは嫌だ。
もう2度と、あんな痛くてつらい思いはしたくない。
「残念だけど、それ以上に面倒な物や人に襲われることになるかもしれない。」
「そんな……」
その言葉に落ち込む私の頭を、男の人は優しく撫でてくれた。
「だから君に色々と教えたい――ううん。 覚えてほしいんだ。
君が、君自身の力を自由自在に扱う事ができるようになれば、そんな理不尽に負けないようになれるはずだから。」
「私自身の、力?」
「そうだよ。
君には、とても大きな力がある。」
私に、大きな力が?
「思い出してごらん?
死にたくないと願う前に、君は、君を襲ったその犬をやっつけているて事を。」
私が、あの犬を?
「そうだよ。」
思い出す。
あの時
私はへこんだ車から左手だけが出ている状態で
だから私は左手を噛まれて
とても痛くて、痛くて、痛くて……
そうだ
たしか私の、この胸の奥のほうからからピンク色の光がビカッって出たんだ。
その光に飛ばされた大きな犬が小さくなって、空に、青い、宝石みたいな石が……
私は食いちぎられて血が噴き出している左腕とその石を見て、「死にたくない」って思ったんだ。
「あれが、あのピンク色の爆発が、私の力なんですか?」
「そうだよ。
あの力をきちんと扱う事ができれば、君は自分だけじゃなくて他の人も助ける事ができるようになるよ。
もっとも、今回は時間がないからそんなにたくさんは教えられないけどね。」
────────────────────
「ぅ……」
四方が本棚で囲まれた部屋ではなく、大きな窓とクリーム色の壁の部屋に置かれたベッドの上で目が覚めた。
「やっぱり、無いんだ。」
肘から先を無くしてしまった事に全く驚かなかった事と
「『夜の読書用魔法』」
淡いピンク色の魔力光が、あの人と出会った事が夢ではないという事を証明していた。
「ジュエルシード……か。」
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