間幕 紅き奈落の底で
赤い──
紅い──
朱い──
あかい──
アカイ──
それは、どこまでも紅一色が広がる世界だった。
大河の如き紅い流れが、闇の中に網の目の如く四方八方へと張り巡らされ、絶える事無く蠢き続けている。
その深奥──全ての紅い流れの源泉にして終着点に、天地に貫く円筒状の空間が存在した。
円筒の最下層は、血溜まりのように一面紅で満ち、湖面の如くたゆたい、緩やかにうねっている。
円筒の壁面には蜘蛛の巣のような歪な格子窓が不規則に存在し、そこから幾つのもの目が内側を覗き込んでいた。
数千、数万、いやそれ以上に居るのではという格子窓の向こうの群衆。
その一つ一つ、らんらんと輝く瞳から発せられる気配は、人のそれではない。
視線に込められた圧力、気迫…最早物理的な力を孕んでると思える程圧倒的な存在感。
目線一つ、気配一つで超越的な存在である事が見て取れるそんな恐るべき群衆たちが見つめているのは、ただ一つ。
彼らの視線の先──紅い水面より十数メートル程上空に、それは存在した。
本来そこにあるべき空間が丸ごと抉り取られ、その代わりに存在するのは中空に浮かぶ謎の一室。
部屋の奥、壁の中央には暖炉が据えられ、その上には巨大な角を持つ雄羊の剥製が掲げられている。
暖炉から続く左の壁面には写真や絵画、美術品などが飾り立てられ、その反対、右の壁面には本棚が立ち並び、いかにも希少そうな書物が詰め
られており、その本棚の前にはマホガニー製と思われる巨大な執務机が鎮座している。
一つ一つの家具に高級感と歴史が漂い、豪華さを感じさせるものの下品な成金趣味は皆無で、シックな雰囲気の部屋であった。まるで欧州の
貴族屋敷の執務室のようだ。
その部屋の中央に、一組の男女が居た。
──一人は、喪服を纏った女。
ピシリと真っ直ぐに背を伸ばし、両手を体の前で重ねて不動の姿勢のまま微動だにしないその姿は、まさしく淑女であった。
指先は手袋で覆って、顔はヴェールで上半分を隠し、僅かに晒すのは赤い唇と首筋のみ。その表情を窺う事は出来ない。
──もう一人は長い淡色の、金髪の老人。
品のいい白いスーツを着こなし、古めかしい車椅子に身を預けて見事な象嵌が彫り込まれた杖を弄ぶその姿は、部屋の雰囲気に溶け込み、富
豪の家長を思わせる。
年輪のように刻み込まれた皺と、真一文に結ばれピクリとも動かぬ口元が、どこか気難しさを窺わせた。
異形の群衆の注目の中、彼らはある一点へと目を向けていた。
中空へ浮かぶ執務室の前方の空間。
そこに浮かぶ映像へと、彼らは視線を注いでいたのだ。
そこに映っていたのは、白い服で身を覆い、杖を振るう栗色の髪の少女──高町なのは
続いて画像が切変わり、光の大鎌を構える黒衣金髪の少女──フェイト・テスタロッサ
──そして、四体の魔人たち。
「些か、驚きを禁じ得ません…」
言葉にしながらも、抑揚の無い声で喪服の淑女が映像を見ながらそう呟いた。
「アマラ深界のマガツヒに生じた不自然な流れ。それを追って、よもやこのような現象に相見えようとは」
「…………」
淑女の言葉を聞いているのか、聞いていないのか。老紳士は無言のまま車椅子の背もたれへ体を預け、こめかみを指先で軽く叩きながら、己
の髪と同じ金色の瞳を映像へと注ぐ。
──その時。
「ええ、ええ。坊ちゃま、婆も驚いております。このアマラ宇宙に『外』が存在する等、如何な大悪魔、如何な邪神でも考えもしませんもの」
老紳士と喪服の淑女の背後──暖炉の傍より声が発せられた。
いつの間にそこに居たのか、新たな一組の男女が老紳士たちの後ろから、映像へ目を向けていた。
新たの男女のうち一人は淑女同様に喪服を纏い、ヴェールで顔を覆った女であった。
だが、寄る年波のせいか帽子から覗く髪は白く染まっており、その体の線は大きく崩れ、太り肉(じし)と化していた。
もう一人はその喪服の老婆に手を繋がれた金髪の子供。
ビスクドールのように整った可愛らしい容貌の少年であったが、その顔は能面の如く無表情で、感情の動きというものがまるで感じられない。
彼は、子供用の青いスーツに身を包み、無言のまま青の双眸を映像へと向けていた。
その二人は、奇妙な程老紳士と淑女に特徴が符合し、そして対極であった。
特に、子供と老紳士はまるで血縁者のように非常に顔立ちが酷似していた。
老紳士と淑女は突然の二人の闖入者にも驚く事なく、映像を見つめ続ける。
「まったくだ。天の御座に在りて全知全能を謳う筈の「あの男」が創造せず、感知すらしない世界! これは最高の皮肉じゃあないか」
更なる人物たちが、浮かぶ執務室へと現れる。
それは濃紺のスーツを纏い、長くなびくくすんだ金髪を揺らしながら歩く、彫像の如く整った容相の美丈夫であった。
「それに彼。ただの人の身で、魔人の力をあそこまで見事に操って見せるとは…ああ、これが彼らの言う『運命』というものなんだろうね。こ
の邂逅はまさにそう呼ぶ以外にないな」
その隣、ハンチング帽を被り古めかしい丈が短めのスーツを纏った、少年の面影を残す紅顔の美青年が青い双眸を映像へと向け、涼しげな表
情に微笑みを浮かべ、呟く。
「年端もいかない少女が街一つ灰塵と化すような力を振るう世界…何とも楽しそうな場所じゃないか。「奴」が居ないというだけで、世界はこ
んなにも輝いて見えるものなのだね」
男二人の背後から、柔らかいアルトの声が響いた。
コツコツと床を打ちならし、現れたのは淡い青のシャツと同色のスカートを身に付けた少女であった。
少女が大きく目を見開いて興味深げにアクアマリンような淡いブルーの瞳を映像へと向けると、その桜色の唇が笑みの形を作る。
「特に彼──あの魔人の力を操る彼は実にいい。悪魔の力を手にしながら、それに溺れるだけのつまらない存在で終わっていない。知恵の実を
喰らった人らしく頭を働かせ、持てる知識を振るい、更なる力としているのが面白いね」
透き通るように白い肌を持つ少女が、興奮で頬を赤く染め陶然とした面持ちを浮かべる。
「──彼ならば、あるいは…」
少女の歩みに応じて、砂金のようなきめ細やかな長い金髪がサラサラと揺れる。
彼女は獲物を前にした蛇の如く、血のように赤い舌を唇に這わせた。
唾液に濡れた唇が、暖炉の火に照らされて鈍く光を反射し、妖しい美しさを醸し出す。
──奇妙な少女であった。
淡い新雪の如く侵し難い純真さを持ちながら、その一方でその所作は娼婦の如くどもまでも艶めかしく、獣欲を抱かずにはいられない、男の
理性を溶かす淫靡な雰囲気を纏っていた。
そして、それ以上におかしいのは、喪服を纏う二人の女を除く五人の雰囲気である。
老若男女、その違うは様々であるというのに、彼らは気味が悪くなる程『似ていた』。あまりにも「似過ぎていた」。
家族や血縁などというレベルではない。勿論顔立ちも似ているのだが、これは「歳をとったら」「性別が違っていたら」というイフを思わせ
るような酷似していた。そう、それはまるでこの場に立つ五人が、まるで同一人物であるかのように。
「お嬢様、行かれるおつもりですか?」
喪服の老婆が少女を問う。
「ああ、こんなに楽しい気分は久しぶりだよ。…ああ、新たな東京で「奴」が我が子に殺された時以来かな?」
分霊だったのが実に残念だったがね、と続けながら、少女は笑みを深める。
「南極の一件はもうよろしいのですか?」
淑女が首を傾げて尋ねた。
「あれか…興醒め、とはいかなかったが満足とは言えなかったね。人類は「奴」に下った訳ではないけど、我らと手を組んだ訳でもなかったからね」
「実に残念だよ」と言いたげに、少女は肩を竦めて溜息をついた。
「職務の方は…?」
「後事についてはいつも通り、宰相殿と蠅の王殿に任せておいてくれたまえ」
少女はスカートの裾をはためかせて振り返り、軽く手を振ってそう言うと、
「「承知しました。行ってらっしゃいませ、お嬢様──陛下」」
老婆と淑女が恭しく頭を垂れる。
彼女たちが体を起こした時、五人の姿は影も形もなく消えていた。
To Be Continued…
後書き
>閣下が令示に興味を持たれたようです。(カオスフラグが立ちました)
ちょっと説明を入れておきますね。
南極の一件=『真・女神転生ストレンジジャーニ―』の事件
宰相殿=ルキフグス
蠅の王殿=ベルゼブブ
という訳でメガテンファンお待ちかねのあの御方──閣下の登場回でした。
次元震を止める程の力の行使は流石にマガツヒの流れに変化を産んでしまい、気付かれてしまったようです。
あ、あと王様なのに『閣下』という尊称はおかしいので、劇中は『陛下』としておきますね。
つーか閣下はエロい。この御方(女ヴァージョン)が出ると、全年齢向けの場で出来る限りの性的表現をしたくなってしまう罠。…俺がおかしいのか?
さて、これで本当に無印は完結と相成りました。最初の投稿からなんと二年半近くかかりましたが、ようやくここまで来れました。こんな亀
更新のSSに付き合っていただき、本当に感謝の念にたえません。
あとは外伝的なお話を二,三話ほど上げてA´Sにいきたいと思っているのですが…ちょっとプライベートが忙しくなりそうで、四月くらい
まで暇がないかもです。時間が空けば投稿していきたいとは思うのですが…
さんざんお待たせした挙句、またお待たせしてしまう事になりそうで申し訳ありません。
早いとこリリカルA´Sの録画見て、プロットも纏めて、出来る限り早く書きあげて、劇場版二弾公開後になんてならないよう頑張ります。
ではみなさん、次回の更新でお会いしましょう。