「決斗である!」
「ハァッ!」
マタドールの叫びと同時に動いたのはフェイトだった。
街灯を蹴って宙を滑り、八双に構えた大鎌をなのは目がけて振り下ろす。
『Flier fin.』
なのはは間一髪で飛行魔法を発動。後方へと飛び上がって袈裟懸けの斬撃を躱した。
フェイトも着地と同時に飛行魔法を発動し、なのはを追って空へと舞い上がった。
第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 後編
廃ビル群の合間を、桜色の魔力光の尾を引いて飛ぶなのは。
フェイトはその後ろ、一〇メートル位の距離を置いて、ピッタリと貼り付くように追って来る。
『Photon Lancer』
バルディッシュの声と同時に、フェイトの周囲に四つの魔力スフィアが生み出され、虫の羽音の如き響きとともに、スフィアの表面を青紫の
雷光を纏う。
「撃ち貫け、ファイア!」
フェイトの号令によって、四つの砲門から放たれた金雷の魔弾が、後方よりなのはへと殺到する。
「っ!」
なのはは淀みない動作で左右へ旋回を繰り返し、フォトンランサーの弾幕を巧みに躱す。
時折、彼女の白いバリアジャケットを魔弾が掠めるものの、持ち前の大魔力によって生み出されたその強固な防御は、その程度の攻撃ではび
くともしない。せいぜいその表面を焦がして汚す程度のものだ。
しかし、直進するだけのフェイトと、回避行動を取るなのはでは飛行速度に差が生まれるのは必定。
『Scythe Form』
フェイトはデバイスフォームからサイズフォームへ変更し、じりじりと彼女のとの距離を詰めていき、
『Blitz Action』
高速移動魔法を発動。なのはを確実に一撃で仕留めるべく己の間合いにおさめると、無防備な彼女の背中目がけて大鎌を振り上げ──
『Divine Shooter』
「!?」
斬撃を放とうとしたその瞬間、レイジングハートの声とともに、なのはの眼前のあたり──フェイトから見て死角になっていた場所より、上
下左右の四方から放物線を描き、桜色の誘導弾が彼女目がけ殺到する。
(フォトンランサーを躱し続けた上に私の死角に誘導弾を維持したまま、それを隠し通していた!?)
驚き両目を見開くフェイトであったが、瞬時に大鎌の標的を変更。まずは上方より迫り来るディバインシューターを斬り捨てると同時に飛行
高度を上げて、残り三方の魔弾を躱す。
「ふっ!」
同時に、鋭い呼気とともに腰を捻り、下方を交錯通過する左右二つの誘導弾を、バルディッシュを横一線に薙ぎ払って双方纏めて撃墜。
(あと一つ!)
残り一つの魔弾を処理すべく、周囲を探索するフェイト。
しかしその時、正面より高まる魔力反応がフェイトの肌を打った。
慌ててそちらへ顔を向ければ、レイジングハートの先端をこちらへ向けた、なのはの姿。
「まさか…!」
その姿を目にし、何をする気なのかを悟ったフェイトに戦慄が走る。
「ディバイーーンッ!」
『──Buster』
轟音一閃。
主とデバイス、一人一機のトリガーワードとともに放たれた桜色の魔力の奔流が、驚きの表情を浮かべるフェイトの視界を埋め尽くす。
「バルディッシュ!」
『Round Shield』
咄嗟に体を横方向へスライドさせながら左手を正面に付き出し、防御魔法を発動。瞬間、骨が軋むような衝撃がフェイトを襲う。
「ぐっ!? ぅぅ…」
辛うじて直撃は避けたものの、臓腑を抉り取られるような威力だった。
体の真芯を外した上に、防御をしているのにもかかわらず、その上から削り取られるような恐るべき一撃。
──いや、以前にも増してその威力は上がっている。
フェイトは内心で舌を巻きながら、体を滑らせ砲撃魔法より逃げ出そうと身を捻らせた、その時──
「──っ!?」
ゾクリと、
フェイトの背筋を寒気が襲った。
同時に、風を切る音がフェイトの耳に響く。
防御魔法を維持しながら、後方を見上げれば、先程撃ち漏らした残る一つの魔弾が桜色の尾を引き、フェイト目がけ真っ直ぐに、高速で襲い来る。
(挟撃!?)
驚きの連続だ。
フェイトは砲撃から無理矢理体を抜き出し、
「ッエエイッ!!」
気合いとともに逆袈裟に大鎌を一閃。
両断された魔弾は爆発四散する。
同時に砲撃も止み、十数メートル先の空中に浮遊するなのはと睨み合う。
(あの山奥で大僧正がやって見せた連続攻撃の真似? こんな短期間で、もう応用をして見せたというの…?)
恐るべき成長速度だ。
(初めて会った時は、魔力が強いだけの素人だったのに…)
三度目の衝突の際にも、その成長に驚きを抱いた。
しかし、あの時でさえも自分の勝率は六割を下回る事はなかったであろう。
(もう違う。速くて、強い。恐らく今は私と互角、迷っていたら、やられる…!)
もう手加減などと言っていられる相手ではない。
(母さんが、待っているんだ。私がジュエルシードを持って帰るのを…だから──)
──全力で叩く。
ここに到ってフェイトは、意識せずに以前母親から命じられた事を遂行しようとしていた。
煙が風に流された刹那、フェイトはなのは目がけ一直線に空を駆った。
フェイトの突進を目にし、身を翻して宙を飛翔して距離を取るなのは。再び先程のような追尾戦が始まるかと、地上の三人やアースラのクル
ーがそう考えるが──
「む」
「あれ?」
「え?」
大方の予想を裏切り、フェイトはなのはの飛行軌道から大きく離れ、その身を右方向へ大きくずらしていく。
「あの娘、どこに行くつもりなんだろう…?」
フェイトの行動の意図するところがわからず、ユーノが首を捻る。
それは、空を行くなのはも同じだった。
追って来ると思った相手がその誘いに乗ってこない、何度も同じ手が通じるとは考えなかったが、攻め手に優位な追尾戦の利を、こうもアッ
サリと捨てるとは思わなかった。
さらに問題なのはフェイトの策だ。あの少女が無計画にこんな手を打つ筈がない。何らかの手段を取るとは思うのだが──
(どんな方法で来るんだろう…)
「レイジングハート、注意をお願いね?」
『all right.』
とりあえずなのはは周囲の警戒を行うものの、完全に後手を踏んでしまった感覚が否めない。
なのはとフェイト、実力的には伯仲と言ってもいい二人だが、ただ一点、なのはがフェイトに及ばないところが存在する…それは経験だ。
数年に渡って魔法を学んできたであろうフェイトと、魔法に触れて一月経つかどうかというなのはでは、その場数の差──実戦経験の差は歴
然である。
つまり──
『Master! Magical powers from the eight o'clock Direction Has reaction! The Attack comes!』(マスター! 八時の方向より魔力反応
有り! 攻撃、来ます!)
フェイトにとっては、その経験からなのはの攻略という式の解をはじき出すのも容易なのだ。
レイジングハートの警告した方向──己の左斜め後を振り向いた瞬間、なのはの目に飛び込んで来た光景は、轟音とともに廃ビルを貫き殺到
する、金雷の魔弾の群れだった。
「フェイトちゃんのフォトンランサー!?」
なのはは咄嗟に防御魔法を発動させて直撃を避けながら、フェイトがビル越しに自分を狙い撃ちしてきたのかと考え、彼女の姿を探して、も
うもうと立ち込める粉塵の先へと目を凝らす。が──
「っ!? 居ない!?」
粉塵が晴れ、明らかとなった廃ビルの風穴の先にあったのは、紫電を纏う四つの魔力スフィアのみ。
──囮。
なのはの脳裏に、その一文字がよぎる。
驚く彼女の視界の隅を、黒い疾風が走った。
再びなのはが正面を向き直せば、マントを翻し大鎌を構えるフェイトが数メートル先へ、その姿を現した。
「尻追い戦の利を捨て、自ら猪突戦を挑むか。いっそ潔し」
感心したように呟くマタドール。
なのはの斜め後方から魔力スフィアからの魔弾の射撃で彼女の動きを止め、その隙に正面へ回り込む。
先程の大きく迂回した飛行機動は、これを狙ってのものだったのだ。
無論、口で言う程容易いものではない。
なのはとフォトンランサーの飛行速度を頭に入れ、射線の延長線上に彼女が来る事を計算して魔力スフィアを設置して斉射。それもビル越し
に相手を狙っての、正確な精密射撃。
デバイスに演算補助をさせたとしても、決して簡単ではない筈。
「誉めてる場合じゃないよマタドール! あの距離は近過ぎる!」
「あの間合いは完全にサイズフォームの攻撃範囲内だよ、マズイね…」
「落ち着け、二人とも」
苦い表情で声を上げるユーノとアルフを宥め、マタドールは言葉を続ける。
「なのはも接近戦の不利は百も承知している筈、その上でフェイト嬢へ勝負を挑んだのだ」
対策の一つや二つは考えているだろう、逃げの一手か、あるいは何らかの奇策か…
マタドールはそう思案しながら、遥か海上に居る二人をじっと見つめた。
「ハァッ!」
気合いとともに風を巻いて宙を駆け、フェイトは一息でなのはとの間合いを詰める。
脇構えから逆袈裟に振り上げられた大鎌の一撃。
なのはは咄嗟に上体を後ろへ逸らす──スウェイ・バックを行い、その斬線から逃れた。
その瞬間──
「っ!? 消えた!?」
なのはの視界からフェイトの姿が掻き消える。バチバチと空気を焦がす、数個の魔力スフィアを置き土産にして。
目を見開いたなのはへ、金雷の速射砲が叩き込まれる。
反射的にシールドを生み出し、直撃は避けるもののなのはは動きを封じられ、その場に釘付けにされてしまう。
そしてその行動は、なのはにとっては悪手であり──
『Master!』
「えっ!?」
フェイトにとっては好機であった。
レイジングハートの警告に従い、なのはが真下へ目を向ければ、そこにはデバイスフォームに変じたバルディッシュの砲門をこち
らへ向け構えるフェイトの姿が捉える。
『──Thunder Smasher.』
「ファイアッ!」
主従の声がなのはの耳に届くと同時に、大気を震わす轟音を伴い、金色の魔力光がなのはの視界を埋め尽くした。
天を貫く黄金の砲撃が消失すると、バルディッシュが排気口を開き、スチームのように熱気を放出する。
同時に維持魔力を失ったスフィアも、空中へ散華していく。
「…あの娘は?」
防御に失敗し、自分の放った砲撃で吹き飛んだか?
そう考えながらなのはの姿を探すが、全く見当たらない。
一瞬、撃墜したか? とも思ったが、そんな甘い相手ではないとすぐにその考えを否定し、バルディッシュを構えたまま油断無く周囲へ気を払う。
『──!? sir!』
「テエエーーイッ!!」
バルディッシュの警告とともに響く叫び。
「っ! 上!?」
声の発生源──上空へと目をやれば、風を切り大きくレイジングハートを振りかぶったまま一直線に急降下してくるなのはの姿。
(接近戦!?)
その相手の行動に、フェイトは驚き目を剥いた。
先程のフォトンランサーとサンダースマッシャ―の射線は、ほぼ九〇度の交わりでの挟撃だった。
なのはは二つの射線に対して斜め四十五度の角度にラウンドシールドをずらし、二つの攻撃を正面から受け止めるのではなく、受け流すよう
にして防御しかつ、あえてサンダースマッシャーの砲撃に押し流されるような形で、上空へと飛んだのである。
そこから元の戦闘空域へ舞い戻ったなのはは、フェイトを捉えた刹那、強襲を仕掛けた。
『Flash Move』
短距離高速移動魔法でフェイトとの間合いを瞬時に詰め、なのはは振り上げた己の相棒を力いっぱい振り下ろした。
対するフェイトも、己の魔杖を水平にして頭上へ掲げ、その一撃を受け止めようと構える。
──だが、フェイトは気付かない。今度は己のその行動が悪手であった事に。
デバイスが撃ち合った刹那、互いの杖身に込められた魔力が反発し合い、二人を中心に全方へ衝撃と閃光を撒き散らす。
大気を揺るがす凄まじい振動に、二人の周囲に建つ廃ビルが耐久力の限界を超え、あるものはひしゃげ、あるものは粉砕されて、次々と海中
へと没していく。
そして──
「う、あっ!!」
せめぎ合い、鎬を削る力の衝突から押し出されたのは、痛みに顔を歪めた黒衣の魔導師だった。
ばかな、と言いたげな呆然とした表情を作り、なのはを見るフェイト。
彼女は推測を誤った。
サンダースマッシャーによって高度空域より落下する重力加速に飛行魔法をプラス。更にはフラッシュム―ブの発動と杖身に込められた魔力
という、これらの付加要素を伴ったなのはの一撃は、さながら破城槌に等しい威力へと変貌していたのだ。
「くぅぅっ…!」
骨まで響く両手の痛みによってバルディッシュを取り落としそうになるのを、気力で捻じ伏せ耐えるフェイト。
しかし、なのはの攻撃は止まらない。
素早くフェイトの側面へと回り込むとレイジングハートを大きく振るい、自身の周囲へ十数個ものシューターを生み出す。
「いっけー!」
なのはの号令の下、桜色の魔弾群は不規則な軌道を描いてフェイトの上下前後左右、六面を取り囲む。
(出遅れた…!)
本来であれば、魔法を発動前に潰すか、包囲網の完成前に逃れるのが定石。フェイトもそれは心得ている。
しかし、直接デバイスを叩きつけてくるという、なのはの『奇策』に翻弄されたフェイトは集中力を欠き、その一瞬の隙を突かれた。
──なのはに経験不足という欠点があるように、フェイトもまた、己が自覚していない欠点を抱えていた。
それは固定観念だ。
フェイトが魔導師として教育を受けた際、関わったのは己の使い魔であるアルフと、魔法の師である母の使い魔のわずか二人のみである。
教師であった山猫の使い魔は、フェイトにあらゆる局面での対処法を授けてくれ、フェイトもそれをよく吸収した。
しかし、いかに高度な教育であろうとも、それは机上の理論に過ぎない。
アルフや師による実践の教育や演習を受けても、同じ相手が続けば対した者の得手不得手等、様々なクセを覚えてしまう──覚え過ぎてしま
う事により、戦闘中の思考や行動が無意識の内に数種のパターンにはめ込んでいたのだ。
故に、今回の戦いにでも過去のなのはの戦闘スタイルから近接戦闘の不得手を読み、彼女が接近戦に打って出る可能性を低く、あるいは除外
していたのだ。
その為に、なのは自ら接近戦を挑みかかり、かつ一撃のみとはいえ自分を圧倒した事に驚愕し、練り上げていた戦術パターンや思
考が吹っ飛び、挙句に対処できる行動に後れを取ってしまったのである。
限定された空間と、限られた人物としか接触がなかった、『箱庭』の中で生まれ育った、フェイト故の欠点と言えた。
最も、九歳の少女に戦闘での臨機応変さや即時即応の柔軟な思考を求める事自体、酷な話である。
おそるべきは知ってか知らずか、フェイトの欠点を突いてきたなのはの行動だろう。
無論、語られてもいないフェイトの過去や家族の事情など、彼女が知る由も無い。
なのはは過去数度のフェイトとの戦闘や共闘、魔人たちとの対決や言動から、その『解』に行き着いたのだ。
──だが──
『Scythe form Setup.』
「くっ!? ハァッ!!」
己のミスに歯噛みしながらも、バルディッシュを大鎌へと変形させ、眼前に迫る数個の魔弾を切り裂き、包囲網を正面突破。
フェイトはディバインシューターの檻より逃れ、一旦なのはと距離を置こうと、廃ビルの合間を飛翔する。
それを逃すまいと追い駆ける、桜色の魔弾群と白き魔導師。
追う者と追われる者が、先程とは逆転した形となった。
右、左と廃ビルの隙間を飛び、誘導魔弾をやり過ごそうとするが、誘導系魔法の制御に関しては、なのははフェイトの上を行っているようで、
魔弾の群れは彼女の空中機動に惑わされる事なく、猟犬の如くピッタリと背後についてくる。
その鬱陶しさに、若干顔を顰めるフェイト。
(だったら、制御が出来ない状態に追い込む)
逃げ回り、時間を稼ぐ事で、フェイトはなのはの一撃による精神的動揺より回復し、落ち着きを取り戻していた。
──なのはが勝つには、まだ手が足りない──
注意深く周囲を見回し、
「これなら…」
満足げに呟きを漏らすと、一路、目を付けた「目的の地点」へと飛ぶ。
その際、チラリと後方を見やれば、なおもしつこく喰らいついてくる桜色の弾群と、その後ろに控えるなのはの姿。
それを確認し、フェイトが前方へと視線を戻せば、一つの廃ビルがその視界に入る。
しかし、フェイトはスピードを緩める事なく、そのまま突っ込んで行く。
『Blitz Action』
それどころか高速移動魔法を発動し、フェイトは後方の魔弾の群れを超スピードで大きく引き離し、ビル目がけて更に加速。
「えっ!?」
なのはのみならず、この戦いを見る観客全てがその行動に驚きの声を上げた。
フェイトが自らコンクリートの壁面へ突っ込むと、誰もが思ったその瞬間、彼女はビルの表面直前で軌道修正。
トップスピードを維持したまま、壁に沿って垂直上昇する。
フェイトの超スピードによって生み出された衝撃波が、彼女の機動に沿い、廃ビルの窓ガラスを舐めるように粉砕し、サッシを歪めていく。
だが、フェイトの航空機動はこれで終わらない。
彼女は更に大きく胸を反らしてピッチ・アップを行いつつ、旋回をして、廃ビルを後ろに水平方向へ軌道を修正。魔弾群となのはを眼下にお
さめる位置を取った。
──インメルマンターン。
第一次大戦に活躍したドイツのエースパイロット、マックス・インメルマンが世界初で行った、宙返りと旋回を連続で行い、横から見ている
と「⊂」という軌道を描く、縦方向のUターン空戦機動である。
無論、フェイトがこの世界の戦史など知る筈がない。おそらく空戦という点で類似する点が多い為に、魔法世界でも生み出された技術だったのであろう。
「バルディッシュ!」
『Yes sir. Photon lancer Full auto fire.』
俯瞰で誘導魔弾の群れを視界に捉えたフェイトは、周囲に展開させた魔力スフィアよりフォトンランサーを撃ち下ろした。
金色の弾幕を浴びて、誘導弾が悉く撃墜していく中、フェイトはそこから急降下しながら大鎌を担ぎ上げ、構える。眼下を飛ぶ、なのは目がけて。
「ツェェェイッ!!」
「くっ!? レイジングハート!」
『Protection』
盾を兼ねていた桜色の魔弾群を消された上に、一気に間合いを詰められたなのはは、防御魔法を展開するのが精一杯であった。
しかし、咄嗟の行動であった為にその構成が甘く、振り下ろされた光刃はなのはの防御を突破し、バリアジャケットを切り裂いた。
「きゃあっ!?」
驚きながらも身を捻りクリーンヒットは避けるものの、決して少なくない量の魔力を切り落とされた。
バルデッシュを振り抜いたフェイトはそのまま宙を駆け高速旋回。
慣性のままにぶつかりそうになった廃ビルの壁を蹴って反転し、空中でヘアピンカーブを描いて、初太刀を浴びてよろめいているなのはの背
後より、バルディッシュを構え直し風を切って二太刀目を狙う。
「っ!?」
慌てて振り返ったなのはが、刃が届く寸前でシールドを展開し直す。
間一髪で間に合ったシールドの表面を光刃が撫で、金属を掻き毟るような金切り音を響かせた。
鼓膜が痺れるような不快な音に、思わず顔を顰めるなのは。
「くぅぅぅっ…!」
しかし、なおもフェイトの猛攻は止まらない。
周囲に廃ビルが立ち並ぶこのエリアこそ、フェイトが選んだ狩場であったのだ。
廃ビルの群れを『足場』にして旋回、斬り返しを連続で行う高速空戦戦闘術。
彼女はなのはの誘導弾から逃げ回りながら、持ち前のこの戦術を遺憾無く発揮出来る地点を探し、ここに行き着いたのである。
つまりなのはは狩る者であるつもりが、狩られる者だったのだ。
なのはは懸命に防御魔法を展開し、一方的なフェイトの連撃をどうにかやり過ごす。
直撃こそしていないが、掠るように幾度も斬撃を受け、バリアジャケットは傷だらけになっていた。
この状況は、亀が甲羅の中に首と手足を隠して、必死に耐える様によく似ていた。
(どうしよう、このままじゃ動けないよ…!)
前後左右より襲い来る斬撃の嵐に、打つ手も無く焦りの表情を浮かべるなのは。
(って、アレ? 前にもこんな状況があったような──っと!)
この戦況に、一瞬引っ掛かりを感じながら、閃く金線を防いだなのはの目に、こちらを見守るマタドールたちの姿が眼の端に映った。
「あ──そうか」
それによって、心中に生まれた疑問が解消される。
「あの時と同じだ…」
なのはの脳裏に浮かんだのは、ビルを足場に縦横に飛び交い、自分を翻弄したマタドールとの戦闘。
あの時と今の状況が、非常に酷似している事に気付いた。
「だったら、同じ対策が使えるかな…? クッ!」
袈裟懸けの斬撃を紙一重で躱し、なのははマタドール用に思いついていた戦法を狙い、周囲を閃くフェイトの動きを注意深く探る。
「──っ今!!」
『Round Shield』
自分の正面からフェイト迫り来たその時、なのはは前面にラウンドシールドを展開、そして──
「ええーーーいっ!!」
そのままフェイトへ、猛然とタックルをしかけたのだ。
「なっ!?」
思いもかけぬ方法で袈裟懸けの斬撃を出がかりで潰され、フェイトは驚きの声を上げながら後方へ吹っ飛ばされる。
孫子曰く、「兵は詭道也」
詭道──即ち偽り、騙す術の事である。
その身に流れる父や兄姉の血──武術家の血統故か、天性の才能故か。再びなのはは『奇策』を取り、フェイトの弱点──心理の隙を突いた。
「レイジングハート、反撃、行くよ!」
『all right. My Master ──Divine Shooter』
なのはは己の相棒に呼びかけ、自身の周囲へ幾つもの誘導魔弾を生み出すと、連撃が止まり、距離を開けた場所で浮遊するフェイトへ向け、
一斉に撃ち出した。
「ウッ! アッ…!?」
動きが止まったところへ、雨あられと魔弾の連撃を叩き込まれたフェイトは、正面にバルディッシュを突き出し、シールドを展開してその猛
攻に懸命に耐える。
防御の上からでも骨身に響く閃光と爆発が、フェイトの精神を削り取っていく。
(──何故?)
なのはの弾幕を前に、フェイトの心中を占めた想いは怒りでも焦りでもなく、その一言であった。
見縊っていた訳ではない。むしろ全力で叩く気で挑戦を受けた。
しかし、いざ蓋を開けてみればこの有様だ。
──とんでもない魔力量。
──高い才能と、それを更なる高みへ押し上げる努力。
──魔導師の戦闘を根本から覆す『奇策』。
圧殺する筈であった自分が逆に追い詰められている現状、何故? 何故? という疑問符が何度も脳裏によぎる。
(このままじゃ私が負ける…母さんの願いを──)
──私は、今何を考えた?──
「負ける」、今確かにそう思った。
先程は油断があればやられるとは思ったが、敗北とするとは考えなかった。
気構えが、心が彼女に、タカマチマノハに屈しようとしている。
その事実に、フェイトは戦慄する。
それは、その考えは、あの幸せを、優しかった頃の母を諦めようとしていた事だと気付き、フェイトはその身を震わせた。
「──帰るんだ、あの頃に……! 優しい母さんの所に!」
決意の叫びとともに、バルデッシュより魔弾を連射し、迫り来るディバインシューターを撃ち落とす。
更に、己の魔杖を正面へ立て、祈りを奉げるかのような構えを取った。
「…何?」
なのはの周囲に、魔法陣が浮かんでは消えて彼女を混乱させる。
足元に巨大な魔法陣が発生すると同時に、フェイトより放出される大魔力が周囲の気流に変化をもたらし、雲が彼女の後ろへを高速で流されていく。
『──Phalanx Shift』
バルディッシュの言葉とともに、フェイトの周囲に魔力スフィアが次々と生み出されていく。
その数は、今までの比ではない。数十ものスフィアが主の命を待つ猛犬が唸りを上げるように、大気を焦がす紫電を発した。
その威容に、なのはが油断無く構えを取ろうとしたその時──
「あっ!?」
その両手両足が、光の輪によって拘束された。
《ライトニングバインド!? 拙い、フェイトは本気だ!!》
なのはの様子を目にしたアルフが、目を見開いて叫びを上げた。
《なのは、今サポートを──》
アルフの様子にただならぬものを感じたユーノが、援護しようと行動を起こし──
《っ! ダ──》
《何をしようとしている、ユーノ・スクライア…》
なのはが「ダメだ」と、手を出さぬよう訴えようとするよりも速く、底冷えがする程恐ろしい声で、マタドールがユーノに向けてエスパーダ
を突きつけていた。
《何って──なのはを助けようとしたに決まっているじゃないか!》
《ならぬ》
《なっ──》
止められた事に対する怒りの混じったユーノの言を、マタドールは静かに、だがハッキリとした声でそう断じた。
《この勝負はなのはとフェイト嬢、二人が全てを懸けて戦う決斗! いかなる理由があろうとも他者の介入は許さぬ》
マタドールの発言にユーノの頭に、一気に血が上った。
「何を言っているんだ君は!?」
怒りのあまりに揺れる視界に、信じ難い冷徹な言動を取る魔人を捉え、ユーノは念話を断って怒声を上げた。
「見るまでもないだろう!? あんな大魔力、とても個人にぶつけるシロモノじゃない! いくら非殺傷設定だと言っても危険過ぎる!」
「そうだよ! アレはリニス──私とフェイトの魔法の先生にだって危ないから、滅多な事で使うなって言われてたんだよ!」
ユーノの言葉尻に乗り、アルフもまたマタドールへ抗議の声を上げた。
「──手負いの虎は手がつけられない」
二人の声に対し、マタドールが発したのは、その一言であった。
「えっ?」
「はっ?」
「フェイト嬢の現状は、まさにそれだろう。心身ともに傷だらけの状態で、彼女を支えているのは母親への想いだけ。それ故に、退く事も負け
る事も許容出来ない」
疑問符を浮かべる二人に、落ち着いた声色で話すマタドール。
「その一点がフェイト嬢を傷の痛みに暴れ回る、「手負いの虎」たらしめているのだ。…これは戦う前からわかっていた筈だ。今そのような事
を言い出すのであれば、なのはの提案に最初から反対しておくべきであったろう」
「それは…」
マタドールの言葉に、口籠るユーノ。
「賽は既に投げられたのだ。我らに出来るのは、この戦いの趨勢を見守る事のみ」
「それは…そうかもしれない。なのはがこの闘いをやるって言い出した時に止めなかった僕にも責任はあるよ…」
マタドールの言葉に反論する事が出来ず、ユーノは俯きながら自分の見立てが甘かった事をこぼした。
「でも、それでも、なのはに何かあったら、大怪我でもしたら士朗さんたちに何て言ったら…」
だが、それならばなおの事、こんな事態になのはを巻き込んでしまったという、罪の意識が自責の念となってユーノを苦しめた。
「その時は…」
そんなユーノへ、マタドールは上空の二人から目を逸らさずに口を開く。
「なのはとフェイト嬢、二人がこの闘いの結果生じる心身全ての障害を私が背負う。この身の時間も未来も、一切合財全てを懸けて償う。誓お
う、魔人マタドールの名にかけて」
『──っ!? 主! 正気か!?』
その言葉に驚き、ナインスターが叫びを上げた。
「ナインスター!?」
「えっ!? 誰だい!?」
突然発せられた声に驚くユーノとアルフ。
『悪魔として誓いを、『契約』をすれば、規約違反や破棄が行われない限り、その条項に一切逆らえぬ絶対の制約をかけられるも同然なのだぞ!?』
「な──」
「え──」
ナインスターの言に、二人は言葉を失った。
それは肉体という、何をせずとも外界へ自分を現す『個性』を持たない、意思の力で物理的な法則にまで干渉する、精神生命体たる悪魔であ
るが故の欠点だった。
悪魔の持つ唯一のパーソナルとも言える、自分自身を現す名前を懸けて誓った『契約』を反故するという行為は、自分自身の否定と同義であ
り、その強大な意思の力が、『契約』違反の罰則の履行という方向へ作用し、悪魔自身を殺してしまうのである。
故に、強大な力を持つ魔王も、世界を生み出した創造神も、死の概念たる魔人さえも、悪魔である以上、一度交わした『契約』には逆らえないのだ。
そしてそれは、擬似的とはいえ悪魔の肉体を手にした令示も、例外ではなかった。
なのはとフェイト、双方が決闘の後に何らかの問題を抱えた場合、令示は生涯を彼女たちの為に費やさねばならない。文字通り、命を懸けて。
「なんで、君はそんな事を…」
ユーノが頭を抱え、絞り出すように声を漏らした。
マタドールはそれに構う事なく話し続ける。
「私も危険を承知しながらこの闘いの立会人となった。ならば、相応の責任とそれに伴う対価を支払わねばなるまい」
──フェイトと一対一で闘う。
マタドール──令示は、昨日リンディたちとの会話でなのはがそう言い出した時より、いや、この世界の「現実」を知った時から、心のどこ
かでずっと考えていた。
このまま『原作』通りに闘わせていいのか? と。
自分というイレギュラーを起因にして、この世界の未来は多くの不確定要素を孕む、危険なものになってしまっている。
『原作』通りに進む保証など欠片も存在しないこの世界で、一片の躊躇もなく彼女たちを闘わせられるような図太さなど、一般人に過ぎなかっ
令示が持ち合わせている筈がなかった。
無論、ここに到るまでの戦いでもそうした危険が無い訳ではなかったが、自分とユーノの二人がサポートを行い、そういう危険に合わせるつ
もりはなかった。
しかし、今回はなのはとフェイトの決闘、援護は出来ない。
だが、それではなのはを闘わせる事なく、事件の解決を目指すべきかと問われれば、これにも素直に頷けなかった。
この対決──フェイトとのぶつかり合いもなく、二人が絆を作れるのか?
下手をすれば、二人はすれ違ったまま二度とわかり合う機会が無くなってしまうかもしれない。
それは、なのはから未来を奪う事になるのではないだろうか?
だから、令示はなのはを止められなかった。真っ直ぐにフェイトにぶつかろうとしていた彼女の言動を、すぐ間近で見ていた事もあり、なお
の事そう考えさせられたのだ。
ならばどうする? 闘いに反対は出来ない、その邪魔も出来ない。こんな自分に何が出来ることは──
「なのはと同等のリスクを背負い、勝負を見守る事。それ以外に私たちに出来る事はない」
この勝負を危険承知で賛成したことへの責任。それが令示の背負うリスクだった。
「でも、それはあんただけの責任じゃあないだろう?」
確かにアルフの言う通り、この場の責任者と呼べる人間は、アースラで戦いを見守るリンディを筆頭とする管理局という事になるだろう。
しかし、当人の心はそう簡単に割り切れるものではない。
「関わり認め、この場に立つ以上、言い逃れは出来ぬさ。だから──」
ユーノがジュエルシードの回収になのはを巻き込んでしまった事に罪悪感を覚えるように、
なのはが、令示の負った怪我に負い目を感じるように、
令示の「知っているのにどうにも出来ないジレンマ」が罪の意識を生み出していたのだ。
だが、それでも──あのどこまでも真っ直ぐな少女を信頼する想いが、令示の意思を後押しした。
「信じようではないかユーノ、なのはを、我らの友を。この勝負が決する最後の一瞬まで。唯一それのみが、我らがこの場で出来る事なのだから」
令示の呟きと同時に、空中に幾条もの金色の閃光が走り、爆音と衝撃が周囲に轟いた。
目を瞑り、胸の前にバルディッシュを掲げたフェイトが、朗々と呪を紡いでいく。
「…アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きの下撃ちかかれ…」
地上でユーノがサポートを行おうとした姿は、フェイトにも見えていた。
一瞬、己の立てた戦術が崩されるかと危惧を抱いたが、それは阻止された。それも、他ならぬ敵側であるマタドールによってだ。
驚きもあったものの、納得も出来た。
あの魔人たちは、口にした約束を決して違えない。そんな彼らが立会人という立場を引き受け、座したままで居る筈がない。それをフェイト
は身を以って理解していたからだ。
しかし、この勝負に自分が勝利すれば、マタドールをなのはたちから引き剥がし、連れて行く事になってしまう。
敵なのに、何度も自分を助けてくれた彼らを、離れ離れにしてしまう。
(──っ…!)
なのはや大僧正とともに、樹人と相対した時の罪悪感が蘇り、フェイトの胸にキリリと痛みが生じた。
(ごめんなさい…彼が酷い目に遭わないように、母さんには私からちゃんとお願いするから…)
四肢を繋がれ、磔になったなのはを見つめながらフェイトは心中で謝罪の言葉を紡ぎ──
「バルエル・ザルエル・ブラウゼル…──フォトンランサー・ファランクスシフト。撃ち砕け! ファイア!!」
発せられた号令。
その刹那、彼女の周囲に浮かぶ魔力スフィアから斉射される、フォトンランサーの弾幕。
計三十八基の魔力スフィアから射出されるフォトンランサーは、毎秒七発。
持続時間4秒の間に斉射される魔弾の数は、合計一〇六四発にも達する。
それは、最早攻城兵器と言っても差し支えないレベルの代物。
間違っても個人に向ける威力ではない、明らかな殺し過ぎだ。
降り注ぐ金色の魔弾が轟音が大気を震わせ、爆炎と煙がなのはを包み込む。
「グッ、ウゥ…!」
高レベルの魔法行使により、体から一気に多量の魔力が抜け出し、フェイトは眩暈を覚えて体が傾きそうになるが、歯を食いしばって懸命に
堪え、正面を睨みつけた。
やがて、弾幕を形成していた周囲の魔力スフィアが、維持魔力の枯渇によって次々と消え始める中、フェイトは左手を掲げて魔力を収束。
引き伸ばされ、金色の槍状になった魔弾を掴み取ると、口を開きながら前へ向かって一歩、大きく踏み込んだ。
「スパーク…エンド!!」
声と同時に放たれた金色の魔槍。
空気を切り裂いて狙った空域へフィニッシュ・ショットが到達、着弾。これまでよりも一際大きな爆炎を巻き上げた。
「…バルディッシュ!」
『Yes sir. Scythe form Setup.』
だが、フェイトの攻勢は止まらない。
額に脂汗を浮かべ、苦しげに肩で息をしながらも、フェイトは大鎌を担ぎ上げ、高速移動魔法を発動。もうもうと煙が立ち込める眼前の空域
へと向かい、風を巻いて飛翔した。
わずかに煙が晴れた隙間から覗くなのはの姿を捉え、フェイトが高速で迫る。
──そして
『Scythe Slash』
「え──」
無機質なバルディッシュの声を聞き、晴れた視界に映ったものを目にして驚きの表情を浮かべるなのはへ、大鎌の斬撃を叩き込んだ。
(──なんだろう? これ)
けだるい倦怠感と朦朧とする意識の中、なのはは視界いっぱいに映る海を見ながら、ぼんやりとそう考えた。
(私は、今フェイトちゃんと闘っていて──)
そこまで考えたところで、目の端に斬り裂かれたバリアジャケットの一部が映る。
それによってゴチャゴチャに絡み合っていた思考の糸が解け、なのはは自身の現状を理解した。
(…ああ、そうか。私、フェイトちゃんに斬られて、やられちゃったんだ…)
斬撃を浴びた瞬間、数秒か一瞬か意識も失っていたのだろう。体勢を崩し、落下に入るまでの記憶がまるでない。
五感が捉えるものが、すべて緩慢な気がする。
それは、緩やかな時間の流れの中に居るような感覚。
そんななのはの視界に、地上で自分たちの戦いを見守っていた三人の姿が飛び込んで来た。
期待に答えられなかった事に、罪悪感を覚える。
(アルフさん、ごめんなさい…)
俯き、悔しそうに顔を歪める橙色の狼に謝罪する。
(ごめんね、ユーノ君…)
落ちていく自分を目を見開き、凝視するユーノへ謝る。
(ごめんなさい、マタドールさ──)
最後に、魔人へ謝罪の言葉を述べようとして、なのははそれを止めた。
ただ一つ、なのはのみを見続けるマタドール。
表情の無い髑髏の顔と、光の無い闇の双眸。しかし、なのはは知っている。そこには確固たる意志が存在する事を。
そこに、自分へと向けられる想いがある事を感じ取った。
なのはが負けた事への悲しみでも絶望でもなく、まだ諦めず、「負けていない」と信じ続ける固い意志だった。
共にすごし、共に闘い、共に乗り越えて来た日々が、なのはに教えてくれる。マタドールの視線に込められた意思を。
それを目に思い出す。ここに到るまでの魔人たちの言葉を。
──その思いの丈、存分にフェイト殿にぶつけるが良い
──只甘えるだけの小娘が、ぬるま湯に浸かり切った者が、この場に立てるものかよ!!
自分の想いを後押ししてくれた大僧正の言葉を──
──ダチが命をはってんだぜ? 一人だけ外野で応援なんざやってられるかよ
──一度関わった以上、ここで下りたら一生後悔する
自分に不利な状況になろうとも、共に闘う意思を表明したヘルズエンジェルの言葉を──
──そう心配するな。わが身一つならば、どうにでもなる。だから遠慮無しで全力でぶつかってくるがいい
──この勝負はなのはとフェイト嬢、二人が全てを懸けて戦う決斗! いかなる理由があろうとも他者の介入は許さぬ
我が身を懸けても、自分たちの闘いを守ろうとしてくれたマタドールの言葉を──
そして今なお、自分を信じ続ける彼の目を見て、なのはは自分の思考がクリアになっていくのを感じた。
《レイジングハート…まだ、いける?》
《…No problem. I can go at any time.》(…問題ありません。何時でも行けます)
自身の問いかけに、わずかに濁った言葉で答えたレイジングハートに無理をかけていると、なのはは実感する。
《ありがとう…もう少しだけ付き合って…!》
《All right, my master!》
感謝の言葉を口にすると同時に、レイジングハートを握る手に力を込める。
(我、使命を受けし者なり。契約の下、その力を解き放て…)
心中で、レイジングハートの起動呪文を唱える。
だが、既にデバイスは起動している以上、それは必要の無い行動だ。
一度目は、言われるままに唱えただけだった。
二度目は、何かを掴んだ気がした。
そして今三度目の詠唱で、なのはは自分なりにこの呪文の真意を掴んだ。
(風は空に──)
空を舞う風は、自由にして自在。それは、繋ぎ止められぬものの象徴。
(星は天に──)
煌めく星は、暗闇の中より導き手。それは、迷えるものに与えられる希望。
(輝く光はこの腕に──)
腕の光は魔力の輝き。それは、誰かを助ける奇跡の光。
「不屈の心はこの胸に!!」
この呪文は己の決意に対する誓い。
──諦めない限り、不屈の心は決して砕けない。
「行こう! レイジングハート!」
『Flier fin.』
負けないという、自分自身の信念のかたち。それを口にしてなのはは飛ぶ。
海面擦れ擦れで一八〇度回転し、上空へ向けて急上昇。
噴き上げる魔力が衝撃波を生み、海水を巻き上げる。
周囲に撒き散らされた水飛沫を弾き飛ばし、桜色の閃光と化したなのはは、ただ真っ直ぐに駆け昇る。
唖然としたままこちらを見る、黒衣の魔導師の下へと。
強力な大魔法からの追撃。
なのはを撃墜し、「倒した」と思ったが故に、フェイトは張り詰めいていた緊張の糸が緩んでしまっていた。
だから、落水寸前でこちらへと向かって戻って来るという予想外の出来事に、戦闘意識がなのはのそれに対して完全に出遅れる結果となった。
気付いた時にはもう後の祭りだった。
「もう少しでやられちゃうところだったよ、フェイトちゃん。今度はこっちのぉ…」
『Divine──』
二人の視線が並んだ並んだ瞬間、なのはの言葉と共に構築される砲撃魔法。
レイジングハートの周囲に円環が現れ、その先端へ桜色の魔力が収束していく。
「番だよっ!」
『──Buster』
デバイスの先に集まった魔力が開放され、大気を震わせる砲門の叫びと同時に一条の巨大な桜色の閃光が、フェイトに向かって放たれた。
「うっ──あああっ!!」
咄嗟にフェイトは魔弾を生み出し迎撃するが、収束砲撃をノーチャージの魔法で受け止めるには力不足であった。
魔弾は瞬時に飲み込まれ、時間稼ぎにもならなかった。焦りが、彼女の判断力を奪った結果だ。
最早回避は不可能だ、砲撃は既に着弾圏内。
咄嗟の判断でフェイトはシールドを発動する。
(っ! 直撃!?)
防御の上からでも浸透してくる、恐ろしい攻撃力。
フェイトの纏うバリアジャケットが、圧倒的な魔力砲の前にじわじわと分解されていく。
(でも、耐え切る…あの娘だって、耐えたんだからっ…!)
「うっ…くぅぅ、ああっ…!!」
己の力が削り取られていくのを感じながら、フェイトは歯を食いしばってその一撃を凌ぐべく、懸命に己を叱咤する。
やがて──
「はぁ、はぁ……とまっ、た…?」
全身の骨が軋みを上げる程の衝撃が止み、鼓膜を叩く砲音も消えてただ響くは風と波の音のみ。
(これで…私が勝つ!)
五体に走る痛みと疲労を気力で捻じ伏せ、バルディッシュを握る手に力込め、正面へと顔を向け──
(っ!? 居ない!?)
そこに居る筈の白い魔導師の姿はなく、慌てて周囲を見回すフェイト。
「っ! これは…」
なのはを探していたその時、フェイトは己の周辺の空間に「流れ」があるのを感じ取った。
それは音でも、気流でもなく──
(これは…私の魔力!?)
空気中に散らばった己の血肉に等しい力が、辺り一帯から一点へ向かって収束しているのだ。
そしてその方向は──
「上!! まさかっ!?」
慌てて上空へ目を向けたフェイトの視界に、信じ難い程巨大な魔力スフィアを作り上げた、なのはの姿が映った。
「無駄に使って、そこら中に散らばっちゃった魔力をもう一度集めて……受けてみて、ディバインバスターのバリエーション!」
『──Starlight Breaker』
冗談じゃない! 攻撃範囲外へ退くべく、身を翻そうとしたその時、
「──うっ! あっ!? バインド!?」
フェイトの四肢を光の枷が縛り上げた。
それは先程の再現。フェイトの攻撃法を、なのはは見事に模倣して見せたのである。
「いくよ! これが私の全力全開!! スターライトブレイカーー!!」
叫びとともにこだました砲音は、竜の咆哮か、巨神の雄叫びか。
視界を埋め尽くす桜色の砲撃が、フェイトへ向かって突き進む。
「う…ああああああああああああああああああああああっ!!!」
それは恐怖か、悲しみか、絶望か、憤怒か、拒絶か。
あらゆる感情の入り混じる涙無き慟哭とともに、拘束された左手を無理矢理動かし、シールドを展開する。
その数、五つ。
この絶体絶命の窮地が、本来彼女が苦手とする防御魔法の精度を、極限にまで引き上げた。
しかし、それでもなお迫り来る、圧倒的物量差を覆し難い。
──最初の二枚のシールドは、触れただけで砕かれた。
──三枚目は、数瞬はもったものの、すぐに光に飲み込まれ蒸発した。
──四枚目は何秒か拮抗状態を作り出したが、すり潰され蹂躙された。
「うっ…くぅぅぅぅっ…!」
そして残る最後の一枚を前に、激しい閃光から目を逸らしながらフェイトは懸命に魔力を注ぎ込み、シールドを維持しようとするが──
喧しく響き渡る砲撃の中、びしりと、何かが砕け弾ける音が嫌にはっきりとフェイトの耳に届いた、
「っ!?」
はっと息を飲み、正面のシールドへと目をやれば、外縁部から生じる亀裂を見つけた。
そして次の瞬間には、その亀裂は一気に中心部へと走り──
圧力に耐え切れなくなったシールドは粉々に打ち砕かれ、フェイトは桜色の光に飲み込まれる。
その刹那フェイトの視界はホワイトアウト。同時に一切の音を、平衡感覚すらも失った。
しかしそれを感じたのも、僅か数秒だった。
光が消えると同時に、耳に飛び込んで来た風切り音と目にした海に、フェイトは今度は自分が海へと落ちているのだと悟った。
最早、闘う力は残っていない。
このまま意識を保つのも難しかった。
肉体が、本能が己の欲求に答えようと白濁としていく意識の中、フェイトは目の端に真っ赤な布がはためくのを捉え、その映像を最後に、完
全に気を失った。
バルディッシュを手放し、気を失ったフェイトは真っ逆さまに海へと落ちていく。
「フェイトちゃん!!」
なのはが声を上げながら彼女を追いかけ、受け止めようとしたその時、
「──マハザン」
颶風を伴い、髑髏の剣士が空中を「駆け抜けた」。
自らが生み出した衝撃波を足場にして宙を走り、海へと没しようとしていたフェイトを抱き止める。
「へ?」
突然のマタドールの登場に驚くなのはを尻目に、己の正面に更なる衝撃波を生み出し、三角跳びの要領で魔法を蹴り返し、近くにあった岩場
へ着地した。
空中移動能力の無い、マタドールに出来る移動術。
これは令示が、吉村夜の小説版「真・女神転生Ⅲ」の主人公、神代浩司が対トール戦で使った、魔破斬打印を自らに当て、空中で行動する戦
法をモデルに思いついたものだった。
「空戦魔導師対策で考えていた戦法であったが、こんなところで役に立つとはな…」
言いながら、マタドールは腕の中のフェイトの様子を確認する。
「マタドールさん! フェイトちゃんは!?」
そこへなのはが空中から降り立ち、マタドールの下へ駆け寄って来た。
「問題無い。気絶をしているだけのようだ」
「フェイトちゃん…!」
マタドールが膝をつき、フェイトの顔を見せると、なのははギュッと彼女を抱きしめた。
「これで勝敗は決したな…」
マタドールはそのままフェイトの体をなのはに預けて、二人から少し離れると右手のカポーテをチェッカーフラッグのように大きく振るい、
高らかに宣言した。
「勝者、高町なのは!!」
第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 後編 了
やっと書き終った…どうも、吉野です。感想お返事遅れてすいません。
前回の話が、つじつま合わせや時系列の整理ばっかで、書き手してはちっとも面白くなかったもんで、戦闘シーンに気合が入りまくってしま
いました。
今回の戦闘は、自分で書いててもう「熱いぜ熱いぜ熱くて死ぬぜ」といった感じになってしまいまいました。燃える展開って、書いてて楽しい。
インメルマンターンとか…はい、『装甲悪鬼村正』の影響ですw こっちでやったのは史実の本物ですが。
でも、空中戦って表現難しいですねえ。今回書いたものも、自分では気づかないところにおかしいとこあるかもしれませんね。後で修正入れ
るかもです。完全に勢いだけで書いていた所ありますしね。
さて、いよいよ終盤が近付いてきました。次回では無印最後の魔人が登場する予定です。
それでは次回『十話 絶望への最終楽章か。希望への前奏曲か』でお会いしましょう。
では今日はこの辺りで。失礼します。