「じゃ、私とユーノ君は家に戻るね」
「うむ。リンディ殿になんと答えるにせよ、よく考えてな」
日が沈んだ公園の入り口まで戻って来た俺たち三人。
「大僧正も、その恰好で街の中歩いちゃ駄目だよ?」
「わかっておる。人気のないところで元の姿に戻る。ではな」
「じゃあねー」
「あっ、待ってなのは!」
ユーノの注意に頷き、別れを告げると、なのは俺に手を振り、フェレットへと変身したユーノを連れて、高町家へと向け走って行った。
「さてと…カラリンチョウカラリンソワカ」
それを見届けた俺は、真言を唱え、印を組む。
「中央五方五千乙護法、唯今行じ奉る。金達龍王、堅達龍王、阿那婆達多龍王、徳叉迦龍王等、総じては諸仏薩埵、本誓悲願を捨て玉わず、
仏子某甲諸願哀愍納受、七難即滅七福即生火難水難風難病難口舌難執着難怨心難怨敵難呪詛難盗難年難月難疫難日難時難中夭難等諸有障碍
災難即疾消除し、諸願成就し玉へ。オンウカヤブダヤダルマシキビヤクソワカ!」」
呪を唱え終わると、俺の眼前に炎が巻き上がり右手に利剣、左手に羂索を持ち、火炎を巻きつけた車輪に乗った小鬼──仏法を守護の眷
族、護法童子が現れた。
「…なのはの傍で待機。異常があったらすぐに知らせよ」
「────」
俺の指示に、護法童子は黙って頷く。
「──往け」
その声に応じ、護法童子は車輪を回転させて上昇すると、空間に溶け込むようにその姿を透明にしていきながら宙を走り、なのはが消えた方
向へと飛んで行った。
「さて、一応姿は隠させたけど…アースラの連中やなのはに見つからないかな?」
『魔導師連中は魔力運用の訓練はしていても、霊的感覚の鍛錬はしておらぬ。悪魔自前の「姿隠し」で十分目を誤魔化せるであろう』
俺の不安にナインスターが問題無いと、太鼓判を押す。
だが、それがますます不安に感じてしまうのは、こいつの基本ベースが俺だからだろうか…?
…まあ、今更悩んでも始まらんか。俺が居ないとこでのイレギュラー対策は、これでよしとしよう。…何事もなきゃ、それはそれでいいんだが。
護法童子の消えた方向を見ながら、俺はそう考えていた。
(三人称)
「──だから、僕もなのはも、そちらに協力させていただきたいと…」
アースラでの会談から数時間後。夜も更けた高町家、なのはの部屋にてユーノはレイジングハートを使い、ジュエルシード探索の協力をリンデ
ィたちへ申し出る交渉を行っていた。
「協力ねえ…」
やはり執務官としては、民間人を巻き込むのは了承し難いらしく、そんなユーノの言葉に難色を示すクロノ。
「僕はともかく、なのはの魔力はそちらにとっても有効な戦力だと思います」
それに対し、ユーノは自分たちを使う事でのメリットを訴える。
「ジュエルシードの回収、あの娘たちとの戦闘…どちらにしても、そちらとしては便利に使える筈です」
「んー、中々考えていますね。それなら──まあ、いいでしょう」
「っ!? かあさ──艦長!」
あっさりと了承した母親に思わず噛みつくクロノ。
「手伝ってもらいましょう。こちらとしても、切り札は温存したいもの。──ね、クロノ執務官?」
しかし、当のリンディは飄々とそれを受け流し、利を説いた。
「~っ…はい…」
上官の考えに反論できず、渋々と言った形で頷いたクロノ。
と、その時、彼はオペレータ席に着きながら、ニヤニヤと母とのやり取りを見ていた士官教導センターの頃から同期で、執務官補佐である栗
色のショートヘアの少女──エイミィ・リミエッタの視線に気付き、不機嫌そうに顔を逸らした。
「条件は二つよ。両名とも身柄を一時、時空管理局の預かりとする事。それから指示を必ず守る事……よくって?」
「…わかりました」
ユーノは真剣な面持ちで、リンディの述べた条件を呑んだ。
第八話 地獄の天使は海を駆る
「凄いや…どっちもAAAクラスの魔導師だよ!?」
モニターを見上げながら、エイミィは驚嘆の声をもらした
「ああ…」
「こっちの白い服の娘は、クロノ君の好みっぽい可愛い娘だしぃ」
「エイミィ…そんな事はどうでもいいんだよ…」
からかうような彼女の言葉に、クロノは呆れ混じりの返事をする。
「魔力の平均値を見ても、この娘で一二七万…黒い服の娘で一四三万! 最大発揮値は更にその三倍以上! 魔力だけならクロノ君を上回っちゃってるね~」
「魔法は魔力値の大きさだけじゃない。状況に合わせた応用力と、的確に使用出来る判断力だろ?」
クロノ自身は冷静に答えたつもりなのだろうが、エイミィには彼がムキになっている態度が見て取れて、それがおかしく、また微笑ましく思った。
「それはもちろん。信頼してるよ? アースラの切り札だもん、クロノ君は」
「むうう…」
同僚にいいようにあしらわれているような気がして、どうにも釈然としないクロノ。
その耳に、背後の自動ドアの開閉音が響いた。
「あ、艦長!」
エイミィとクロノが振り返ると、私服に着替えたリンディが室内へと入ってくるところであった。
「ん? ──ああ、二人のデータね」
「はい」
モニターを見上げ呟いたリンディに、頷きを返すクロノ。
「…確かに、凄い娘たちね」
「これだけの魔力が、ロストロギアに注ぎ込まれれば、次元震が起きるのも頷ける」
「あの子たち──ユーノ君となのはさんとユーノ君が、ジュエルシードを集めてる理由はわかったけど…こっちの黒い服の娘──フェイトさん
は何故なのかしらね…?」
「随分と必死な様子だった。何か余程強い目的があるのか…」
顎に手を当て、フェイトの言動を思い返しながら思案するクロノ。
「目的、ね…」
「さっきのユーノ君との通信だと黒い服の彼女は、どうやら母親の命令でジュエルシードの回収を行っているようですけど…」
「まだ小さな娘よね。普通に育ってれば、まだ母親に甘えたい年頃でしょうに…」
フェイトの行動、その意思の源泉が何なのかを考え、思いを巡らせる。
「で、エイミィ。彼の──大僧正の詳しい計測結果は出たのか?」
「あ、はいはーい。ちょっと待ってね」
クロノの言葉を聞いて、エイミィはコンソールの上で素早く十指を踊らせ、モニターの画像を切り替えた。
「あら、大僧正さん?」
なのはとフェイトの映像から法衣の木乃伊へと切り替わったのを見て、リンディが口に出して呟いた。
「エイミィに、彼のデータの解析を頼んでいたんです。──それで、どうだった?」
クロノの問いかけに、エイミィは珍しくその表情を曇らせ、「う~ん…」と唸りを上げながら口を開く。
「うん…結論から言うと、わからない事だらけだよ、彼」
彼女そう言いながら詳しいデータを画面に表示させていくが、その殆どがunknown──不明、もしくは情報不足により解析不能といった有様であった。
「これは…」
「わかった事といえば、彼の中のジュエルシードは完全に安定している事。感知できるのはジュエルシードの魔力波長だけで、彼自身の魔力
──リンカ―コアの反応は掴めなかったこと…このくらいかな?」
「やはり、リンカ―コア無しでジュエルシードの魔力を完全制御しているのは間違いないという訳か。
僕たちの使う魔法とは違う、彼特有の能力か…一応、証言の裏付けは出来たし、よしとするべきか」
モニターを見ながら呟くクロノを見ながら、エイミィは首を傾げた。
「? クロノ君、証言って?」
「済まないが、話せない」
「ええ~~!?」
愛想の欠片も無いクロノの言葉に、エイミィは不満たらたらという表情を浮かべ、抗議の声を上げた。
「いいじゃない、教えてくれても~」
「いや、だから──」
「私、あの二人の女の子の解析終わったら上がる予定だったのに、クロノ君が後から彼のデータを調べてくれって言うから、一人で残ったんだよー?」
「それについては感謝してるけど──」
「じと~」
「自分で擬音つけながら睨まないでくれ…」
頬を膨らまし、恨めしげに半眼で自分を見る同僚の視線に頭痛を覚え、クロノはこめかみをおさえながら溜息混じりにそう呟いた。
「まあまあエイミィ、落ち着きなさいな。今回の仕事が終わって本局に戻ったら、残業代がわりにクロノに何か奢らせるから♪」
「えっ!? ちょ、か──」
「いいんですか!? 艦長!」
その言葉にクロノが問い返そうとするが、それよりも早くエイミィが声を上げながら瞳を輝かせ、リンディの手を取ってはしゃぐ。
そんな彼女に対して鷹揚に頷きながら、リンディは微笑みを返した。
「ええ。このところ働き詰めだったようだし、たまには羽を伸ばさないとね?」
「はいっ! ね、ね、クロノ君、クラナガンに新しいショッピングモールがオープンしたらしいしんだ。戻ったら早速行こうよ!」
「そこで僕が支払いをするってことか…はぁ、わかったよ」
疲れきった声でクロノが了承の返事をすると、エイミィは嬉しそうに席を立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。
「やったー! じゃあ、本局に居る子から、お勧めのお店とか聞いておかないと! それじゃ、残業終了ということで、失礼しますね。リンデ
ィ艦長、クロノ君」
「はい。お疲れさまね、エイミィ」
歩き出したエイミィは足取り軽く、嬉しそうに鼻歌を歌いながら、モニタールームから去って行った。
「艦長…」
エイミィを見送ったクロノが、横に立つ母へ恨みがましい視線を送ると、リンディは苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「仕方ないでしょう? この場はエイミィの興味を他に逸らしておかないと」
「それは、そうですが…エイミィにあちこち引っ張り回されるのは、僕なんですよ?」
「はぁ、この子は。真面目なのはいいんだけど、もうちょっとねぇ…」
まだ納得いかない様子の我が子を見て、リンディは横を向き嘆息しながら、小さくぼやいた。
「? 艦長、どうしました?」
「いえ、なんでもないわ。──それより、エイミィもそうだけど、彼を目撃した艦内の人間には、上手く説明をしておく必要があるわね」
「そうですね。…とりあえずクルーたちには話は通じたが、こちらの調査には応じないという中立的態度を取っていたと話しておきましょう」
再びモニターへ目をやりながら、真剣な表情でそう口にしたリンディに対し、クロノも頷いて妥協案を提言する。
「そうね。今はそう言っておくしかないか…」
リンディはクロノの言葉に俯きながら、顎に手をやり、そう呟いて──
「ねえクロノ。大僧正さんの持つジュエルシード適合能力…どう思う?」
再び彼の方へと視線を向け、そう尋ねた。
「彼のレアスキルですか? …そうですね、珍しい──いや、珍し『すぎる』能力だと思います。縁もゆかりもない、他の次元世界のロストロ
ギアに対して、どうしてそんな異常なまでの相性を持っていたのか…」
「大僧正さんが私たちに嘘を言ったという可能性は考えないのかしら?」
「考えなかった訳ではありませんが、それでもあんな嘘をつくメリットはありませんよ。ジュエルシード適合能力なんて、僕ら管理局に対して
『捕まえてくれ』と言っているようなものですし…」
クロノの言葉に頷きながら、リンディは口を開いた。
「そうね、私もそう思う。彼はあの発言の通り、私たちを信用した上であそこまでの情報を開示したのでしょうね──おそらく、全ての情報で
はないだろうけど…」
「艦長。艦長は、大僧正の能力についてどうお考えですか?」
「私の考え? そうね…」
その問いかけに、リンディは少し思案した後に──
「私は、大僧正さんのあの力は、元からジュエルシード制御の為に生み出された、ジュエルシードと対になる能力だと思うわ」
「え?」
何とも想定外の回答を発し、クロノは目を丸くした。
「ち、ちょっと待って下さい艦長。では彼は元からジュエルシードの存在を知っていて、偶然ではなく確信的に収集していたと言うんですか!?」
慌てるクロノに対してリンディは首を横に振って、落ち着きを払ったまま答えを返した。
「その可能性も考えたけど、それならますます私たちの前に現れるメリットがないわ。私が思うに、大僧正さんの本体となった人物──まあ、
人かどうかもわからないのだけど──の遠い先祖が、ジュエルシードの存在した世界が崩壊する際に逃げ出して、この世界に腰を落ち着けたの
だと思っているのよ」
「──っ!? そうか、次元難民か!」
ハッとした表情で声を上げたクロノに、頷きを返しながら、リンディはモニターに映る大僧正を見つめる。
「ジュエルシードは次元干渉型のロストロギア…だったら当時のその世界に、次元航行技術が存在したとしても不思議じゃないわ」
次元難民──偶発的に発生する次元漂流者とは異なり、次元航行技術を持っていた世界の住人たちが、何らかの災害や戦争等の理由で住んで
いた世界にいられなくなり、別の次元世界に逃げ出した者たちをさす言葉である。
この言葉自体は、時空管理局創立後に作られたものなのだが、それ以前にも古くからそのような難民の存在があったことは、様々な次元世界
に存在する伝説や神話等の、伝承、古典の類似性からも確認されている。
──余談だが、伝説と言われるアルハザードの実在を訴える考古学者たちは、かの地の伝承や口伝が、複数の次元世界に存在することを証拠
の一つとして訴えている。
「ジュエルシードは次元干渉型のロストロギア…当時のその世界に次元航行技術が存在したとしても、不思議じゃないわ」
「つまり艦長は、大僧正がジュエルシードを生み出した世界で、同様に制御能力──遺伝型のレアスキルを組み込まれた人間、もしくは何らか
の生物の子孫であると、そうお考えなのですか?」
──現在、時空管理局がレアスキルと認めるものは、大別して三つある。
一つは突然変異や持って生まれた才能のような、ほとんど一代限りの突発型のレアスキル。
二つ目は、古代ベルカ式魔法や召喚魔法のような希少で使い手が少ないものや、口伝や家伝のような秘匿された技術等の、希少型のもの。
そして三つ目は、限られた血族や特定のDNA保持者のみが使用出来る、遺伝型のレアスキルだ。
リンディのその推測に、クロノは腕を組んで唸り声を洩らす。
「確かに、可能性がない訳ではないでしょうが、偶然生き延びた存在が、偶然この世界に辿り着き、偶然その子孫が、偶然事故によって飛来し
たジュエルシードを手にする…恐ろしく可能性の低い、天文学的確率の出来事では?」
「ええ、でも決してゼロではない。…ま、全ては推測にすぎないのだけどね?」
「判断するにも、大僧正に関する情報が少なすぎる、か……」
「今は静観するしかない。待ちましょう、彼が動き、再び私たちの前に現れる時を──」
そう言うと、リンディはいつものような柔和な笑みを浮かべた。
「……」
クロノはモニターを睨みながら、黙ってその言葉に頷いた。
──十日後。
(三人称)
太陽が西に傾き出し、空が茜色に染まり始める夕刻。
「…すずか、そっちでいいの?」
「うん、ノエルに教えてもらった地図では、この先なんだけど…」
東京の下町を思わせる細い小道で、アリサが自分の前を行くすずかにそう尋ねると、彼女は掌中の手書きの地図と周囲を見比べ、そう答えた。
──授業を終えたアリサとすずかは、家に帰ることなく聖祥の制服姿のまま、市街地中心部からやや離れた住宅密集地帯を歩いていた。
「そう言えば、私たちアイツの家に行くのって初めてよね?」
「そうだね…それはちょっと楽しみかも。あ、でも連絡もなしに急に尋ねたりして、令示君怒らないかな?」
すずかは不安げな表情を浮かべて、アリサの方を振り返った。しかし、当のアリサは憮然とした顔で腕を組み、口を尖らせる。
「仕方ないじゃない。なのはが学校に来なくなってからもう十日も経っているし、桃子さんたちも詳しい話は知らないようだし…」
十日前の朝、ホームルームで担任の教師から、なのはがしばらく学校を休むと突然告げられた二人は、すぐさまプリントやノートを届ける役
目を引き受け、桃子たちから話を聞いたのだが、彼女もまた、詳しい話を知らなかった。
その後、何度も翠屋や高町家を訪ねたものの、なのはが帰宅した様子も連絡がきたこともなかったようで、一向に親友の情報が入ってこない
状況に、アリサは日を追うごとにやきもきとした態度が、表に出るようになっていった。
そして先日、とうとうそれが爆発したアリサが、放課後になって自分の席を立ちあがると、、突然すずかに言い出したのだ。
「すずか! 明日は令示の家に行くわよ!」と──
「確かになのはが話してくれるまで待つって言ったわよ? でもね、だからって十日も休んだ上に、連絡がないなんて思わないじゃないの!」
「アリサちゃん、落ち着いて…」
不満げにアスファルトを蹴りつけるように歩く、アリサを宥めるすずか。
「とにかく、あいつの口から何がどうなっているのか少しは聞き出さないと、納得いかないわ!」
それに、とアリサは言葉を続けながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「例のだいそうじょう、だったっけ? そいつのことも聞き出さなきゃならないし、一石二鳥じゃない?」
「もう、アリサちゃんったら…」
少々強引ながら、そのアクティブな親友の言動にすずかは顔を綻ばせた。
「あんまり令示君に無理言っちゃ駄目だよ?」
「わかってるわよ。人の家でそんな無茶な事するわけないでしょ? ──と、少し広い道路に出るわ。これでどこら辺か確認できるかも」
二人が細い小路を抜け出た場所は、自動車一台が通れる程度の道幅の道路であった。
夕刻ということもあり、夕食の買い物に向かう主婦や、油塗れのツナギや作業服のまま歩く、仕事帰りの職人たちが往き来している。
「で? ここから近いのかしら、令示の家って」
「えっと、ちょっと待ってね…?」
アリサの言葉に、すずかが手元の地図を確認をしたその時──
「すいませーん。 絹ごし一丁と、油揚げ一枚下さい!」
「「──あ」」
聞き覚えのある声に気付き、そちらへと目を向けた二人は、プラスチックのボウルを片手に、昔ながらの自転車販売の豆腐屋を引き止める、
令示の姿を捉えて短く声を漏らした。
(令示視点)
こちらの呼びかけに気付いて自転車を路肩に止めたおっちゃんは、俺の方を振り返ると、その荒削りな男らしい顔に笑みを浮かべ、声を上げた。
「おう坊主! 今日もおふくろさんの手伝いか?」
自転車から降り、荷台に括りつけたクーラーボックスの蓋を開けながら尋ねてくるおっちゃん。
「まあ、そんなとこっス」
「はぁー感心だなあ、おい! ウチのガキどもなんざ、手伝いもしねえで小遣いばっかりせびりやがるってのに…全く坊主の爪の垢でも煎じて
飲ませてやりてえよ」
「あはは、俺はできることしかやってないから、大したことないよ」
実際、家事も前世スキルのお陰でそこそこできるけど、桃子さんとか、はやてみたいな達人名人級ではないからなぁ。自慢にはならんし。
「いやいや、そんなことねえって! よっし、いい子の坊主には豆腐もう一丁サービスだ!」
徹頭徹尾本音だったんだが、おっちゃんは俺の言葉を謙遜と勘違いしたらしく、持ってきたボウルに二丁の豆腐を放り込んで、俺に手渡した。
ご厚意でいただいたものなので、突っ返すわけにもいかず、「ありがとう」と言って受け取った俺は、おっちゃんに別れを告げると家へと向
かうべく、後ろを振り返った。
その時──
「みつけた!」
「こんにちわ、令示君」
「…二人とも、何やってるんだ? こんなところで…」
突如として、制服姿のままのアリサとすずかが、目の前に現れたことに驚き、俺は目を丸くして呆然とそう呟いた。
「ま、入って入って。狭くて汚いとこだけど」
「お邪魔します!」
「お、お邪魔します…」
カギを開け、俺はアリサとすずかを家の中に招き入れた。
「ちょっとここに座って待っていてくれ。買ったもの片付けるから」
そのまま居間まで進んだところで、以前なのはとユーノが来た時と同じように座布団をちゃぶ台の前に置くと、二人に座るように促して、俺
は台所へ向かい、豆腐の入ったボウルとビニールに入れてもらった油揚げを冷蔵庫にしまう。
それと同時に、急須と茶葉の入った缶、湯呑みを取り、戸棚から紙袋──昨日買ったお菓子を出して、すべてをお盆の上に載せて持ち上げる
と、俺は二人の下へと戻った。
「お待たせ。大したもんはないけど、まあこれでも食べてくれ」
ガサガサと紙袋を開いて、紙に包まれた二口分くらいのサイズのお菓子を取り出すと、二人の前に置き、お茶を入れる準備をする。
「ありがとう、令示君」
「おう」
お菓子を手にとってお礼を言うすずかに、軽く片手を上げて返事をしながら、急須にお茶葉を放り込み、ポットのお湯を注ぐ。
「ねえ、令示」
「ん?」
「コレ何?」
急須に蓋をして、茶葉が開くのを待っていた俺に、包み紙を開いて中身──カステラの間に羊羹を挟んだお菓子を取り出したアリサが、首を
傾げながらそう声をかけて来た。
「ああ、知らないか。それはシベリアって言うお菓子だよ」
「しべりあ?」
オウム返しに問い返すすずかに、頷きつつ、俺はお茶を湯呑みに注ぎながら説明を始めた。
「なんでも大正時代くらいからあるもので、ミルクホールって言う喫茶店の始まりみたいなお店とかで出してたらしいよ」
…案外『ライドウ』世界のミルクホール──新世界でも、一般の客相手に出していたかもな。
「へー、初めて見た。……ん、結構おいしいわね」
一口齧って、アリサが感想を漏らす。
「ホントだ。おいしいね」
すずかもそれに続いてシベリアを口にし、顔を綻ばせた。
「だろ? 近所の和菓子屋で買った、味自慢の一品だよ」
そう言いながら、俺は二人の前にお茶を置いた。
「さて、それで二人してどういった用で俺の所に来たんだ? ってか、まあ大体要件は想像はつくけど…」
「──って、そうだった! アンタに聞きたい事があって来たのよ!」
お茶を口にしたアリサが俺の言葉を聞き、慌てて湯呑みをちゃぶ台に置いて声を上げた。
「なのはが用事があるっていって、もう十日も学校に来てないのよ。桃子さんに聞いても、何か大事な用でどうしても行かなきゃならないって
ことを聞いてるだけで、詳しく知らないらしいし…そうなれば、アンタたちが関わってる『あっち』方面の事情としか思えない…だからアンタ
に話を聞きに来たの!」
「なるほどね…」
アリサの話を聞きながら、俺はお茶を啜った。
「──結論から言うと、以前話した協力を求めて来た奴の助っ人が来たんだが、なのはがその連中のところに行って、例の『種』の回収を手伝
っているんだ」
「ちょっと!? 助けてくれる人が来たんだったら、何もなのはが行く必要がないじゃない!」
「アリサちゃん落ち着いて…」
膝立ちになって俺に喰ってかかるアリサをすずかが宥めるが、彼女は治まらない。
「そうなんだが…なのははどうしても最後までやり遂げなきゃ、気が済まないようなんだよ。ほら、なのはって結構頑固なところがあるだろ?
それに、助っ人連中もここからかなり離れたところにいるし、一緒に動くとなると、泊まりがけになるという訳だ。
…対して俺は、母さんの許可がもらえる筈ないから、ここに居残ってるんだよ」
つーか、桃子さんも凄いよ。お世辞にもまともと言えないなのはの説明で、小学生の外泊──それも連泊を許すんだから。
娘に全幅の信頼を寄せているのか、超放任主義なのか…まあ、前者だろうが。
「う…そっか、温泉行った時に聞いたけど、アンタのお母さんって、その辺のところ厳しそうだもんね…」
俺の説明に一応納得したのか、アリサは怒気を治めると、その場に大人しく腰を落とす。
「まあ、でもちゃんとなのはのことは陰から見守っているぞ。公園で約束したろ? いざって時には、悪魔の力でなのはを助けるって」
アースラに居るとは言え、こうイレギュラー連発の状態では全く安心できなかった故に、あの時俺は護法童子という、一つの布石を打ってお
いたのである。
「え?」
「でも、令示君。遠くに居るなのはちゃんを、一体どうやって?」
「う~ん、実際に見せた方が早いかな?」
俺の言葉に対し、不可解という表情を浮かべる二人の前でおもむろに呪を口にし、ジュエルシードを起動させる。
畳の上にマガツヒの赤い光を放つ曼荼羅が形成され、放たれた閃光に包まれた俺は、法衣を纏う木乃伊へと変じた。
「マタドールさんじゃ、ない?」
「もしかして、この恰好がだいそうじょうってやつ!?」
「ほう、なのはから聞いておったか? 如何にも、この身この姿は魔人大僧正。以後見知り置き願おう」
驚く二人に、俺は呵々と笑いながら自己紹介を行う。
「えっと…令示君なんだよね? マタドールさんとも違う変身なの?」
おずおずと尋ねるすずかに、俺は頷きを返した。
「左様。この身は御剣令示を核として形成されたもの。魔人マタドールとは同じくして、異なる存在──変ずる種類の違いとでも考えておれば
よかろう」
ちなみに、家に中においては、アースラやフェイトたちに魔人化によるジュエルシードの魔力を感知されることはない。
この部屋の四方の壁に魔利支天の護符を貼って、一種の隠行結界を展開している為だ。
いちいち変身するたびに相手に見つかるのは面倒なので、何かいい手はないものかと考えていたのだが、この間の戦いで魔利支天の術を使っ
てピンと来たのである。これの隠行結界を常時展開はできないか? と。
基本、魔人化している際にしか魔術や悪魔スキルは使えないのだが、アースラからの帰り──大僧正化している際にナインスターと打ち合わ
せて護符を作り、そこに大量に魔力を注ぎ込むことで作成。人間に戻って帰宅した後、家の中に貼って回って結界を展開したのである。
後はたまに魔力を注ぎ込めば、半永久的に結界の維持が出来るスグレモノなので、結構重宝している。
「では早速、今のなのはの様子を見てみるとしよう。──護法童子、『答えよ』」
俺が霊的なラインを繋げ、言霊を発すると、脳裏に映像を浮かび上がる。
上から見下ろすような視点で映し出されたそれは、広い長方形の部屋に、いくつものテーブルとイスが設置された、人気のないガランとした
場所だった。…どうやら、ここはアースラの食堂のようだ。
(さて、なのははどこだ? 探せ)
俺の声に応じ、映像が周囲を確かめるように動き、食堂の中心近くのイスに腰掛け、人間形態のユーノと向かい合って話をするなのはの姿を
捉え。空を滑るようになのはたちへと近づいていく。ふむ。このくらいなら、アリサとすずかに見せてもまずいことはなかろう。
「…見つけたぞ。今汝らにも見えるように映像を出そう。──オン・マリシエイ・ソワカ」
俺は魔利支天の真言を唱え、自分の脳内にある映像を幻として投射し、魔術プロジェクターとでも言うべき手法で、二人の前に映し出す。
「わっ!? 何よこれ!?」
「なのはちゃん!?」
突然現れた立体映像に、驚きの声を上げる二人。ちなみに映像オンリーだ。幻に音は出せないしな。まあ、色々不味い事を言ってるかもしれ
ないので、そっちのが都合がいいのだが。
「今現在のなのはの様子じゃ。どうやら無事のようであるな。うむ、重畳である」
「うん、まあそれはいいんだけど…どうやってこの映像映し出しているのよ? なのはもこっちに気付いた様子ないし…」
不思議そうな顔をして、アリサが尋ねてきた。
「実はの、なのはに内密に護衛を付けておいたのじゃ。拙僧が呼び出した護法童子でな」
「ごほうどうじ…? そういえば、さっきもそんなことを言っていたけど…?」
「うむ。説明すると…そうじゃな、汝らは式神というものを知っておるか?」
すずかの言葉に頷きながら俺はどう答えるか思案しながら、二人に尋ねた。
「しきがみ?」
「知らぬか。では、西洋の魔女が使う蝙蝠や黒犬、烏のような使い魔ではどうかな?」
「あ、それならわかるよ。童話とか昔話でも出てくる、魔女の命令を聞いて色々と働く動物でしょう?」
顔をしかめて考えるアリサを見て、新たに問い直すとすずかが嬉しそうに挙手をしながら声を上げた。
さすがは読書家のすずか。その手の本を読んだ事ことがあるようだ。
「うむ。拙僧の使役する護法童子も、概ねそれと同じようなものじゃ。そうした低位の使い魔とは格が違うがのう。
西洋の使い魔が動物を使うのに対し、我らが仏法の徒は仏神に祈願し、その御力や眷族──配下を借り受ける。もっとも、借り受ける拙僧ら
にも、それなりの力が求められるが」
「それが、アンタの言う護法童子ってヤツ?」
俺はアリサの問いに頷き、説明を続ける。
「左様。そうした祈願儀式で呼び出した存在は、召喚主と精神的な繋がりが深い。故に護法童子が見たものを、拙僧が見ることもできるという訳じゃ」
現界用の魔力も、その霊的な繋がり──ラインを通して送れるので、魔力感知で引っ掛かることもない。魔利支天の隠行術も、このラインを通して
維持しているので、見つかることはない。その辺りはフェイトとアルフの関係と同じのようである。
ただ、常時発動型の使役神は、リアルタイムで魔力を消費していくのが難点だ『姿隠し』を使わせているので、その消費は普通の現界よりも
多量になる。
この部屋に展開した隠蔽結界もあり、4,5日前まで結構な魔力不足だった。隠行結界維持用の、定期的に注ぐ魔力は大した量ではないので、
ようやくここまで回復したが。
「なのはも気が付いていないって…アンタ、変なことに使っていないでしょうね?」
疑惑の眼差しを向けてくるアリサ。
「部屋などの私的な空間には立ち入らせておらぬ。問題あるまい?」
「ん。だったらいいわ」
俺の回答に満足そうに頷くアリサ。さすがにその辺のTPOは弁えてる。俺のクラスのアホみたいに、ゴミを見るような眼を向けられたら適わんしな。
「こっちの男の子は誰なのかな?」
すずかが、なのはの対面に座るユーノを指差した。
「そやつはスクライアという、なのはに協力を求めた人間じゃ」
「ユーノ」と言うと、なんか色々面倒が起きそうなので、ファミリーネームで説明しておく。
「…なんか、仲よさそうじゃない」
「まあまあアリサちゃん、なのはちゃんが元気そうでよかったじゃない」
映像を見ながら、面白くなさそうに呟くアリサに、やんわりと話しかけるすずか。
「まあ、そうだけど…──って、あれ?」
その時、不承不承ながら同意したアリサが、幻を見て不思議そうな声を上げた。
「なのはちゃんたち、何だか慌てて走っていくけど…」
「なんか、赤い光が点滅してるけど…これ、警報?」
「む──」
その声に、俺も脳裏の映像へ意識を傾けると、二人の言葉通り、急いでどこかへ駆けて行くなのはとユーノの姿を捉えた。
その様子から、「いよいよか」と思った俺は、宙を滑って窓際まで移動すると、カーテンを開いて外の様子を確かめる。
すると、先程まで晴れ渡っていた空が、黒い雲に覆われて今にも泣き出しそうな天気となっていた。
間違いない。海中のジュエルシード強制発動の一件だ。
意識を集中すれば、東──海の方から荒れ狂う魔力の波動がビンビン伝わってくる。それも一つや二つではない、かなりの数だ。間違いない。
これはフェイトによる、海中のジュエルシード強制発動の一件だ。
(しかし妙だな…『原作』では、あの回は青空──つまり昼間の出来事だった筈だよな…?)
今は夕刻。この時間的なズレも、イレギュラーなのだろうか?
「うわ、なによ真っ暗じゃない」
「さっきまであんなに晴れていたのに…」
俺の行動を不思議に思ってか、窓際に寄って来た二人が空を見上げ声を漏らした。
そんなアリサとすずかを見ながら、学校に行っている時間じゃなくてラッキーだったとも考えたが、楽観視はできない。…変なところで落と
し穴がなきゃいいんだが。
(フェイト・テスタロッサの体力や魔力の回復状況が『原作』とは異なる故の差異とも受け取れるが?)
(その可能性もあるが、用心に越したことはないだろう? …どうせプレシアにはマークされているだろうしな)
ナインスターの言葉に心中で返事を返しながら、俺はとりあえず元の人間の姿へと戻ると、ポケットから家のカギを取り出してすずかに手渡した。
「え? え? なに、令示君?」
カギと俺の顔を交互に見て、すずかは目を瞬かせる。
「二人とも、悪いけど急用ができた。家のカギ預けておくから、帰る時にドアだけロックしてポストにソレ放り込んでおいてくれ!」
そう言って俺は家を飛び出し、悪魔化出来そうな場所を探して周囲を見回す。
…大僧正のままで外に出られたら楽だったんだが、アースラの探知機能にその瞬間を察知されたら、ここいらを捜索される可能性もあるし、
そうなれば最悪、正体だけでなく自宅の場所までバレる危険がある。その為、わざわざこんな面倒な事をしているのだ。
隠行の術を使えば、監視の目を誤魔化すこともできるのだが、その場合、一度に二度の魔法攻撃が可能な、こちらの手数を一つ潰すになる上
に、海上までの移動手段──孔雀明王の呪法を使ってしまえば、もう手詰まりになってしまう。
喝破を使って手数を増やす方法もあるが、現実はそんなに甘くなく、ゲームと違ってアレはノーリスクではできず、結構な魔力コストがかかるのだ。
故に、俺は速攻で海上へ辿り着ける方法を使うべく、自宅を出てから適当な場所を探して走り回り──
「…よっし、ここならいいだろう」
トタンの廃工場を見つけて飛びこんだのである。
「ちょっと! いきなり出て行ったかと思ったらこんなところまで来て! 一体何やってんのよ!?」
と、それと同時に背後からかかるアリサの怒声。…どうやら俺を追っかけて来たらしい。
「なのはちゃんたちを見てから、急にここに来たけど…何かあったの?」
続いてすずかが、不安げな表情でアリサの後ろから姿を現した。
結局二人ともついて来ちゃったか…まあいいか。二人になら隠すことでもないし…
「さっきの映像で、なのはたちが例の『種』を、この近く──海の方で感知したみたいなんだ。この天気の荒れっぷりもその影響らしい」
「この雲と風が、そうなの…?」
俺の説明に驚いた様子で、ごうごうと風が唸りはじめた空を見上げるすずか。
更には、灰色の空から大粒の雨も降り出して、地面を濡らしトタンの屋根を叩き始める。
「で、結構な規模の──前に話した、下手したら街が吹っ飛ぶ規模の災害みたいなんで、手伝いに行こうと思ってさ」
「…それで外に出たって訳ね。でも、それならアンタの家から直接行けばいい話なんじゃないの?」
腑に落ちないという表情で、首を傾げるアリサ。
「新しい魔人に変身しようと思っていたんだよ。今度の奴は部屋の中で変わるにはちょっと都合が悪いんだ」
「えっ!? まだ他の姿があったの!?」
「ああ。まあ二人なら別に見られても問題ないし、見ていくかい?」
「うんっ、是非!」
驚くすずかにそう尋ねると、彼女は嬉しそうに大きく頷いた。
「よっし! じゃあいくか!」
俺は二人から数メートル程離れた、工場のほぼ中央部まで進み出ると目を瞑り、意識を胸部──ジュエルシードへと集中させ、朗々と悪魔化
の呪を唱える。
──疾っ走れ!! 疾っ走れ!! あのかすかに見える都市の尖塔へと向かって疾っ走れ!!
紡ぐ言葉に応じ、俺の足元に赤光の輝きが生まれ魔法陣を形成していく。
それは、円形の中心部を通る直線を引いただけの、大僧正の曼荼羅に比べるとあまりに単純な魔法陣──
──疾っ走れ!! 疾っ走れ!! 今でも思い出すあの喧騒と打撃へと向かって疾っ走れ!!
これは、バイクの前輪をロックして軸にして、回転する後輪で路上にタイヤ跡で円を描く──映画『マッドマックス』のマックスターン。
俺がこれから変じる悪魔にとって、これ以上ないものだろう。
そのマックスターンの中心よりマガツヒの光と炎が立ち上り、俺の姿を覆い尽くす。
それと同時に俺の周囲へ、唸るようなエギゾーストがこだました。
(三人称)
令示が炎と赤い光の中に消えると同時に、その二つが爆発的に膨れ上がって、暴風と閃光を発した。
いきなり吹き荒れた突風にアリサとすずかは驚き砂塵から目を隠し、スカートを押さえた。
その時──
「YA---------HA---------!!」
「きゃっ!?」
「って、何!?」
二人の耳に大気を震わすエンジン音とともに、男の叫び声が響き渡った。
慌てて令示の方へ視線を向けた彼女たちの目に、黒いライダースーツ姿の男が飛び込んで来た。
「あれが、令示君の新しい姿…」
すずかが食い入るようにソレを見つめながら、呟きを漏らす。
「ていうか、やっぱり骸骨なのね…」
土ぼこりを払いながら、どこか呆れたような声を上げつつも、アリサもソレから目を放さない。
彼女の言葉通り、新たに現れた魔人の頭部は二人が知る闘牛士の悪魔と同様、白磁の如き頭蓋であった。
「──で? 今度は何て名前なのよ?」
「Oh, sorry. Girl! 自己紹介が遅れたな? 俺は──」
腕を組み、ずいっと詰め寄りながら、アリサはある意味見慣れた相手へ問いかけると、髑髏の悪魔は軽いノリで謝罪をしながら名乗りを上げた。
「な、何てことしてるの!? あの娘たち!」
アースラのブリッジで、レッドアラートともに緊急事態を告げるモニターを見上げながら、エイミィは呆れと驚きの入り混じった声を上げた。
彼女の視線の先──モニターには海鳴上空の映像が表示され、空中で金色の魔法陣を展開したフェイトが、バルディッシュを水平に構え、意
識を集中して詠唱を紡いでいるところであった。
「アルカス・クルタス・エイギアス…煌めきたる天神よ。今、導きの下降り来たれ。バルエル・ザルエル・ブラウゼル」
フェイトの呪に応じ、眼下の魔法陣が魔力を帯びて雷を生み出し、降雨を促す。
「撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス…!」
バルディッシュを片手で振りかぶり、フェイトは海面を睨みつける。
彼女の周囲に、目玉を彷彿とさせるいくつもの巨大な金色の球体──魔力スフィアが生まれ、それぞれが雷で結び付き合って、空中に金雷の
サークルを描いた。
「──はあぁぁぁっ!」
気合一閃。体を捻って、戦斧形態の己が魔杖を魔法陣の中心に振り降ろすと、同時に幾条もの雷が海面へと撃ち込まれ、その衝撃で大量の海
水が空へと舞い上がる。
その量は瞬間的に十数トンにも達する。フェイトの凄まじいポテンシャルがあってこそ、なせる技である。
「…見つけた。残り六つ…!」
撃ち込まれた魔力に反応し、海中に没していたジュエルシードが目覚める。空へと向かって六条の青い光を発し、アースラとフェイト、双方
が探していた残り全てのジュエルシードがその存在を現にした。
しかし、連日の捜索による魔力不足と疲労を重ねていたのであろう。フェイトの顔色は悪く、その息づかいは荒い。
六つのジュエルシードの光は海水を巻き込んで巨大な竜巻と化し、荒れ狂う。
その姿は、さながら逆鱗に触れられた怒龍。人間の体など、触れた瞬間に欠片も残さず粉微塵にされかねない暴力の塊。
「…行くよ、バルディッシュ。頑張ろう」
だが、それでも彼女はマントを翻して飛び上がり、降り出した雨と吹き荒れる嵐の中、見つけた六つの青い光へと向かって飛翔する。
「何とも、呆れた無茶をする娘だわ!」
「無謀ですね。明らかに自滅する。…あれは、個人の成せる魔力の限界を超えている」
モニターを見ながら、声を漏らしたリンディに、クロノも頷きながら同意の言葉を口にした。
「フェイトちゃん!」
その時、なのはが声を上げてブリッジへ飛び込んで来た。
「あの、私急いで現場に──」
「その必要はないよ。放って置けばあの娘は自滅する」
艦長席へと続く階段を駆け上がりながらそう訴えたなのはに、クロノは振り返りながらピシャリと断言した。
「えっ!?」
「仮に自滅しなかったとしても、力を失ったところで叩けばいい」
驚き足を止めたなのはへ、クロノは更に冷静に策を開陳する。
「でも──」
「今のうちに捕獲の準備を」
「了解!」
なのはの気持ちをよそに、アースラのスタッフたちは粛々と行動を開始していく。
モニターの中で、暴風に吹き飛ばされたフェイトが海面の数メートル上で辛うじて体勢を立て直し、海へ落ちることを防ぐ。その表情は疲労
が色濃く現れ、限界が容易に見て取れた。
「…私たちは、常に最善の選択をしないといけないわ。残酷に見えるかもしれないけど、これが現実よ…」
正面を睨みながら、リンディは硬い表情でなのはに告げた。
「でも………」
その有無を言わせぬ厳しい態度に、なのはは返す言葉も無く俯いた。
その時──
「っ!? し、市街地方向より新たな魔力反応を確認!」
「なんですって!?」
オペレーターからの予想外の報告に、リンディは驚きの声を上げる。
それと同時にモニターに映るフェイトの後方──市街地の沿岸より、ビルに匹敵する程の高さの水柱が上がり、『何か』が一対の波頭を伴い
海を切り裂き、海水を巻き上げ凄まじいスピードでジュエルシードが暴走する海上へと突き進んでいく!
「あれか…! エイミィ!」
「了解!」
クロノの声に応じてエイミィが素早くコンソールを操り、問題の魔力反応へサーチャーを送りこんだ。
「…サーチャー転移完了。映像、出ます! ──って、これ!?」
メインモニターが切り替わり、映し出された画像にエイミィをはじめ、クルーたちが驚きの声を上げた。
まず目を引いたのは、『ソレ』が跨る鉄塊だった。
ハートを貫く稲妻のプリントがされた紫のオイルタンクと、大きく突き出したハンドルが特徴的な鋼鉄の騎馬──バイク。
…異常なバイクだった。前後の車輪の代わりに炎の輪が回転し、海面を斬りつけ走るその姿は、まさしく妖車。
その奇怪なバイクを御す『ソレ』姿もまた、異様なものであった。
黒いライダースーツを纏い、吹き荒れる暴風に赤いマフラーをなびかせ、正面──ジュエルシードの暴走地点を睨みつける、オープンフェイ
ス・ヘルメットから覗く顔は、白磁の如き髑髏──
《ユーノ君アレって、まさか──》
《マタドールでも、大僧正でもない…きっと、令示の新しい姿だ…》
「…感じる、感じるぜ。俺と同じ力を……ジュエルシードが近くにある!」
唸り、鳴り響くエギゾーストと暴風の中、笑うように男は呟いた。
「…そこか!? そこで暴れているんだなっ!?」
目的の場所から目を逸らさず、髑髏がグリップを握り込む。
妖車はそれに反応して爆発的にスロットルを上昇させると、魔獣の如き咆哮を上げた。
「大人しく石ころに戻りな! そうすりゃ連れてってやるぜ…スピードの向こう側へ!!」
パワーバンド──エンジンの最効率回転域に達した瞬間、髑髏はグリップを戻してリアへ大きく重心を預け、再びグリップを最奥まで握り込んだ!
エンジンが唸りを上げ、獲物に跳びかかる禽獣の如く、妖車の前輪が持ち上がったままの走法──スナッチウィリーを決め、竜巻の暴れ回る
海域へと向かって、突っ込んで行く。
「新しい魔力反応の波長、以前接触した暴走体βと完全に一致しました!」
「それじゃ、彼は大僧正なのか…?」
オペレーターからの新たな報告に、クロノはモニターの髑髏を見ながら呻くように呟いた。
「It is wandering in this world and the sheol──」(この世とあの世を渡り歩く──)
その髑髏は、豪雨の中謳うように言葉を紡ぐ。
「I am a Hells Angel!」(俺がヘルズエンジェルだ!)
まるでクロノの問いに答えるかの如く、髑髏──魔人ヘルズエンジェルは高らかに名乗りを上げた。
(令示君…!)
関わってはいけないと言われていたのに──
自分のことを知られるのは危険だと言っていたのに──
あの日、公園の入り口で『考えはある』などと言っていたが…まさか、こんな真正面から約束を破るとは考えなかった。
──いや、逆だ。かれならばやりかねなかった。
そもそも『封印魔法が当たると死ぬ』という、文字通りの致命的欠点を抱えているにもかかわらず、とんでもない無茶をする少年なのだ。
むしろ、今の今まで行動をとらなかったのが不思議なくらいである。
付き合いは短いが、なのはは御剣令示という男の子のことを、少しは理解しているつもりである。
自分と同い年であり、男子小学生らしい悪戯っぽいところがあるものの、時折とても大人びた一面を見せる少年。
そして何より、誰かの為に一生懸命になれる男の子。
だから今回だって、自分やフェイトが危ないと考えてこんな無茶な行動に出たのだろう。
(なのに、私は……)
自分は未だ、ここに立っている。
あそこに、あの海に大切な友達と、まだ何も伝えていない、伝えなくちゃいけないことがある女の子が居るのに。
「……っ!」
知らずに、なのはは両手を強く握りしめていた。
モニターの前に立ち、ただ見ていることしかできない自分に、なのはは悔しさともどかしさで、キリキリと胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
《──行って》
(あっ…!?)
突然脳裏に響いた念話にはのはは驚き、目を見開いた。
《なのは、行って》
なのはは、自身の背後から発せられた足音に反応し、後ろを振り返る。
《僕がゲートを開くから、令示と──ヘルズエンジェルと一緒にあの娘を…》
視線の先に、なのはと同じくブリッジへ来ていたユーノが、微笑みを浮かべ彼女を見つめていた。
《でもユーノ君、私があの娘と──フェイトちゃんと話がしたいのは、ユーノ君とは──》
しかしなのはは目を伏せ、ユーノの提案に躊躇してしまう。
これは自分一人で済む問題ではない。強行すれば、私事にユーノを巻き込むことになってしまう。
だがユーノは、笑みを深めて答えた。
《関係ないかもしれない…だけど僕は、なのはが困っているなら力になりたい。なのはと令示が僕に、そうしてくれたみたいに…だから──》
「行って! なのは!」
ユーノの声と同時に、彼の後方にある転送ポートが光を発する。
「──っ!」
「君はっ!?」
なのはが反射的に駆け出し、同時に異変に気付いたクロノが、怒り混じりの声を上げた。
なのははユーノがすれ違う瞬間、僅かに視線を交わして微笑み合い、転送ポートへと飛び込んだ。
驚くハラオウン親子の前にユーノが立ち塞がり、なのはへ対する行動を遮った。
「ごめんなさい! 高町なのは、指示を無視して勝手な行動をとります!」
「あの娘の結界内へ、転送!」
彼女の宣言に合わせてユーノは印を切り、転送ポートを起動させた。
なのはは光の粒子と化し、アースラからその姿を消し、海鳴の海上へと跳んだ。
──海鳴上空。高度五〇〇〇メートル地点
「いくよ、レイジングハート…!」
風を切り落下していくなのはは目を瞑り、今や自分の半身と言えるくらい信頼しているパートナーへ語りかける。
「風は空に、星は天に。輝く光はこの腕に──」
主の紡ぐ呪に応じ、レイジングハートがその朱色の輝きを増していく。
「――不屈の心は、この胸に! レイジングハート! セーット・アーップ!」
『stand by ready.』
両目を見開き、強い意志を滲ませた双眸を上空へと向けたその時──
彼女の全身より発せられた桃色の魔力光が巨大な柱と化し、果てしなく広がる、蒼と茜が入り混じった黄昏の大気を天地に貫いた。
第八話 地獄の天使は海を駆る 完
後書き
(注)この作品は、映画版とTVアニメ版のいいとこ取りで書いています。
何とか年内更新間に合ったー!
どうも吉野です。何とかヘルズエンジェル登場まで書けた―! 自分はバイク乗りではないで、表現に四苦八苦しました。
昔親父の乗るバイクの後ろに乗せられた時、死ぬほど怖くて、それ以来バイクを嫌っていたので、スピード感を表現するのが尚更難しい気がします。
ネットのバイク用語事典と、虚淵先生の『Fate ZERO』の4巻を参考に書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか?
一応、文章のまる写しとかないよう細心の注意は払っておりますが、万が一重複する表現があった場合はすぐ修正します。
さて、ここ最近ようやくPSPの『なのはポータブル』を購入してプレイ中です。
しかしマズイ。マテリアルたちがいい味出しすぎているせいで、『A´s』のアフターストーリーを思いついてしまいました。
予定では、『A´s』終了後はすぐに『sts』に行く筈だったのに…とまあ、無印も終わってないのに言うことじゃないですが。
さすがに今年のこれ以上の更新は無理です。つ―訳で今度こそ今年最後の更新です。
それと7話の感想をつけて下さった皆さん、お返事遅れてすいません。今回の感想と一緒に返信しますので…
では次回、『第9話 決斗 不屈の心は砕けない』(予定)でお会いしましょう。
みなさん、紅白で「ファントム マインズ」聞きながらよい新年を迎えましょう。それでは失礼します。
P.S 今回のヘルズエンジェルの名乗りは、映画『ゴーストライダー』の予告編が元です。
あと、変身時の呪文は「ヘルシング」でラストバタリオンの兵隊たちが、ロンドン強襲の際に飛行船の中で叫んでいた台詞からとりました。