自身の魔法が、暴走体──マタドールに着弾した瞬間、フェイト・テスタロッサは今度こそ勝ったと、そう思った。
アルフより聞いた、使い魔になる以前に野生の狼として群れで暮らしていた時に仕掛けられた、狩りの手法を参考にした戦法であった
が、思いの他上手くいった。
前回とは違い、マタドールの姿がサンダースマッシャーに飲み込まれるのを、この目で確認したのだ。勝利を確信しても、
何の問題も無い。
「っ、あれは──」
その時、フェイトの視界に二つの人影が飛び込んで来た。
マタドールとともに居た、あの白い魔導師と使い魔だ。
ひどく狼狽し、蒼白な表情をしているのが上空からでも見て取れた。
(そう言えば、随分仲がよさそうだったな…)
互いに庇い合っていたなのはたちのやり取りを思い出し、フェイトは罪悪感を覚えてその表情を僅かに歪めた。
彼女たちはサンダースマッシャーの着弾地点──マタドールが立っていた場所へと駆け寄っていく。
しかし、その前にアルフが立ちはだかり、なのはたちの行動を阻害する。
マタドールのジュエルシードを確保する為の処置なのだろうが、まるで死体漁りのような自分たちの行動に、益々陰鬱な気分になる。
(っ! ──待って、ジュエルシードは何処?)
おかしい。自分の魔法は確かに命中した。なのに何故ジュエルシードが出現しない!?
フェイトの脳裏に、先日の戦いの光景が甦った。
──まさか、また倒せなかったの?
──バカな。そんな筈は無い。着弾の瞬間をこの目で捉えた。
──でも、現にジュエルシードは出現していない。
でも、しかしと、フェイトの思考は千々に乱れ、同じ考えが堂々巡りをする。
(このまま考えても埒が明かない)
そう思ったフェイトは滑空し、マタドールを消し飛ばした場所──サンダースマッシャーによって生じた直径数メートル程のクレーターに飛び寄り、周囲を
見渡す。
「──無い」
ジュエルシードの姿はおろか、魔力残滓といった痕跡すら確認出来ない。
どういう事であろうか?
自分が見たマタドールへの着弾は、幻覚だったのであろうか?
(訳がわからない…)
フェイトの心は混乱の極みにあった。
──だから、その為であろう。
「私をお探しかね? フェイト嬢」
「!?」
こうも簡単に接近を許し、後を取られてしまったのは──
声がかかったその刹那フェイトは前へと飛び、後方を振り返りながら上昇。同時にバルディッシュを構える。
「やっぱり…!」
ギリリと、フェイトは悔しそうに歯噛みする。
やはり逃れていた。
豪奢な衣装は泥に塗れて引き裂かれ、その右腕は肩からバッサリと失われていた。しかし──
未だ健在。
未だ生存。
魔人マタドールは三度、黒き魔導師の前へ立ちはだかった。
「マタドールさん!」
「マタドール!」
フェイトと対峙するマタドールの後方より、アルフの妨害を突破した白い魔導師たちが駆け寄って来る。
その顔には、嬉しさと不安が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。
満身創痍のマタドールを目にして、素直に喜べないのであろう。
(そうだ…無傷じゃない。ダメージは……ある!)
その事実を噛み締め、己の策が決して無駄ではなかったと闘志を奮い立たせ、フェイトはバルディッシュを握る両手に力を込める。
…どうやってあの攻撃を逃れたか皆目見当もつかないが、それならば二回、三回と同じ事を繰り返し、ダメージを蓄積させればいいのだ。
上空よりマタドールを見下ろしながら、フェイトは口を開く。
「今度は逃がさない。あの布──カポーテも無く、怪我を負った貴方には二度も同じ方法で逃げる事は出来ない筈」
「成る程。確かに我ながら見苦しい姿だ。とても女性の前に立つ格好ではないな」
勝利宣言とも取れるフェイトの言葉に、魔人は何の感情も見せる事無く淡々と答えながら、残る左手でエスパーダを眼前に立てる。
その瞬間、マタドールの足元から拳大の赤い発光体が無数に生じ、誘蛾灯に誘われる羽虫の群れの如く、次々と彼の体に寄り集まり、
その身を完全に覆い尽くした。そして──
「これで問題は無いだろう? フェイト嬢」
紅光が一斉に離れ、夜空に散華したその後には新品同様の衣装を纏い、再生した右腕で身体に付いた埃を払うようにカポーテを振り、
マタドールは改めてエスパーダを構え、その切っ先をフェイトへ向ける。
だがそこで、彼は己の言葉にしかし、と付け加えた。
「四肢の再構築程度であれば難しい訳ではないが、無限に出来る筈もない」
「…………」
フェイトはマタドールの様子を窺いながら、その言葉に首を傾げる。何故わざわざ自分の手の内を曝け出すのか、全くその意図が
読めない。
何を企んでいる? 彼女は油断する事無くバルディッシュを構えながら、マタドールの一挙手一投足をみつめる。
「ましてや空を飛べぬこの身では、例え五体満足であろうとも戦術的にも手詰まり。敗北は必至だ。故に──」
──奥の手を使わせていただこう。
そう言いながら、魔人はカポーテを握る右手の甲を、フェイトに見せつけるかのように天へ掲げる。
「それは──!」
そこに輝く蒼い輝き──ジュエルシードを目にして、フェイトは言葉を失った。
──祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
「!?」
そんなフェイトを尻目に、朗々と詞を紡ぐマタドール。
彼女は直感的に『このままでは拙い』と悟った。彼の手にあるジュエルシードはおそらくこの地に在った物。
何をする気なのかは知らないが、自我を持つ暴走体がそんな物を手にして、こちらの利益になる事が起こり得る筈が無い。
「バルディッシュ!」
『Yes sir. Photon lancer Full auto fire.』
百害有って一利無し。瞬時にそう判断したフェイトは、迷う事無く掌中の魔杖を眼下のマタドールへ向け、手加減無しの魔弾の連射を
浴びせた。
──娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
しかし、魔人の弁は濁らない。言葉を紡ぎながらも手中のカポーテを拡大させて中空に留め、フォトンランサーの弾群を完全に遮った。
──驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
「行けっ!」
黒き魔導師も攻勢を弛めない。自身の周囲に幾つもの魔力スフィアを生み出すと、号令とともにマタドールの周囲へ向け撃ち放つ!
八方より迫る魔弾に対して、彼は両手の魔剣魔布を振るって次々とフォトンランサーごと魔力スフィアを斬捨て払い落とし斬捨てるが、その
間隙を縫って数発の魔弾が着弾。
爆音を巻き上げ、木の葉のようにその姿が揺れ、マタドールがフラフラとよろめきを見せた。
「ダメッ! マタドールさん!」
それを見たなのはの悲痛な叫びがこだます。
しかし──
──猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。
それでも尚、髑髏の剣士は倒れない。
五体は辛うじて無事とは言え、先程以上にその衣服をボロボロにしながらも、涼しげな立ち振る舞いを止めず、澱む事も無く流れる
ように呪の詠唱を完成させた。
その瞬間、マタドールの足元より赤い輝きが発せられる。
「新しい、魔法陣……?」
ユーノの呆けたような呟きが風に乗って流れていく。
正方形の中に円形やヒトガタ、複雑な紋様を散りばめた見た事も無い奇妙な魔法陣に、その場に居た誰もが目を奪われる。
マタドールを除く、この場の誰もが知らなかった。
その魔法陣は曼荼羅と呼ばれる、密教における最高仏、大日如来を中心にした宇宙を表す図であると言う事を。
出現した魔法陣──曼荼羅は、激しい赤光を立ち上げマタドールの姿を覆い隠した。
「消えたっ!?」
その間僅かに数秒といったところであったが、光が霧散した後には魔人の姿は、煙のように消え失せていた。
フェイトは目を剥き、周囲へ視線を走らせるが影も形も見当たらない。先程と同様に魔力残滓も無い。
一体どうやって? どこに消えたのだ!? フェイトが焦燥感に突き動かされるようにマタドールを探し回るその時──
「…呪われし如意宝珠の力に魅入られた、異界の魔術師とは汝の事か?」
「っ!?」
突然背後より、夜の砂漠に吹く風の如き冷たい声が、耳朶に触れそうな距離より発せられ、フェイトは背筋が凍るような寒気に襲われた。
「クッ!」
『Scythe form Setup.』
不意を突かれたこの状況で、即座に攻勢に出た彼女の胆力は驚嘆すべきものであろう。
腰を捻り、大鎌に変形させたバルディッシュを後方へ向けて、横一閃に薙ぎ払う!
しかし──
「居ない!?」
魔力で生み出した光刃は、虚しく空を斬ったのみであった。
「憂い孕みしその瞳…汝は何故、欲界すら滅ぼし兼ねぬこの荒ぶる力を追い求める?」
再び背後よりフェイトにかかる、しゃがれた声。
再度後方への斬撃を行うものの、結果は同じ。
「迷いたもうなフェイト殿よ。汝の憂い、力求めし心、その全ては迷いに過ぎぬ…」
心の中を覗かれるような不快感。
フェイトは苛立ちに任せるまま光鎌を振り回す。
「いくらジュエルシードを手にしたところで、汝の迷いの暗黒は晴れはせぬ。一切衆生の迷いを解くが我が務め…汝の身、我に任せるがよい」
そんな彼女をあざ笑うかの如く、その眼前──数メートル程の中空へ結跏趺坐のまま浮遊する人影が現れる。
「お坊、さん……?」
その姿を目にしたなのはが、呆けたような声を上げた。
ソレは、擦り切れ色褪せた緑の袈裟に、黄色の法衣──直綴(じきとつ)と、同色の帽子を身に纏っていた。
右手には、金色に輝く金剛鈴を。
左手には、漆黒の数珠を。
その姿──仏弟子の姿は、成る程日本人のなのはにとって、珍しいものではない。
その顔が──
その肌が──
木の皮の如く乾燥し、干乾びた木乃伊でなければ。
「拙僧は魔人大僧正。救世(ぐぜ)の求道者也」
マタドールに代わって新たに出現した僧形の魔人は、右腕を持ち上げ手にした金剛鈴を僅かに揺らした。
凛と、透き通る音色が風に乗り、闇夜に響き渡る。
「一切衆生の迷いを断ち、救い上げるは仏弟子の務め。いざ参られよフェイト殿。汝の憤怒も大悲も、悉く拙僧が受け止めて進ぜよう…」
そう言いながら、大僧正はもう一度鈴を鳴らして呵呵と笑い声を上げた。
「受け取られい……入滅の果てに得し、我が法力を!」
第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 後編
令示視点
いやいや、冷や汗をかいた。
無事──とは言えないが大僧正へと変身した俺は、クールな言動でフェイトに接しつつも、内心では心臓バックバクだったりする。
…変身中は心臓無いけど。
フェイトの罠に嵌り、あわやサンダースマッシャーの餌食となりかけたあの時──
俺はバインドに捕らわれた右腕をエスパーダで肩から切り落とし、その腕を使ってマタドールそっくりの人形を作ると同時に、足元に
ゲーム中でもおなじみの決闘結界を構築。
人形を身代わりにして、着弾スレスレで結界内へ逃げ込んだのである。
『スレイヤーズ』で純魔族がよく使う、トカゲの尻尾切り離脱法を真似たのだ。
しかし悪魔の体が精神体で助かった。
これが肉体だったら失血死か、ショック死していた可能性が高い。まさに精神体ならではの技法だ。
とは言え、サンダースマッシャーの威力が想像以上に大きくて、人形で直撃は免れたものの余波を食らって細かいダメージを負ったり、
初めてのせいか、結界構築が甘かったらしくて数秒しかもたなくて、直ぐに実世界に戻ってしまったりと結構ギリギリであったのだが。
まあ、大僧正に変身するまでの攻防に比べればマシな方ではあるのだが…
マタドールの腕を再構築したとはいえ、それは回復した訳ではない。
『Fate』のセイバーが表面だけを取り繕って誤魔化したのと同じで、ダメージは残っているのだ。
──わかり易く例えよう。まず、悪魔の体が水で出来ていると考えて欲しい。
俺が自分で切り落とした、右腕部分を再生する為の水はどこから持って来たのか?
答えは右腕以外の胴体手足からだ。他の部分を構成している水──精神力を少しずつ右腕にまわし、再構築をしたのである。
この方法は、右腕は表面上は元に戻っているのだが、体を形作っている精神力の濃度が全体的に薄まってしまっている状態なのだ。
前回の戦いの時のように、回復魔法を使えば右腕の完全な再生も可能なのだが、俺はそれをやらなかった──と言うか出来なかった。
新たな魔人の力を手にするには、マタドールの時よりもより深いアマラの深層に『扉』を開き、メノラーに触れなければならない。
その際に使う魔力の量が、マタドールに変身する時よりもずっと多くなる事をナインスターより聞かされていたのと、この大僧正の
戦闘スタイルが、魔法中心の魔法使いタイプに分類される事から、魔力の無駄遣いが出来なかったのだ。
具体的にどの程度使うかわかっていれば、計算して魔法を使う事も出来たのだが、そこは現実のアバウトさ。ゲームのようなわかり
やすい数値なんぞある筈も無い。しかし大僧正に変身出来ても、魔力が足らずに攻撃が出来ないなんて間抜けな事も起こりうるのだ。
と言う訳で、どれ位の魔力を消耗するかわからない以上、俺はフェイトの攻撃に耐えつつ変身する以外方法が無かったのである。
(こんな展開になるとは…昼間ジュエルシードを入手しておいて正解だった)
もし一つのまま戦っていたのであれば、完全にワンサイドゲームになっていただろう。
制空権を抑えられた上に、こちらの攻撃が届かない距離から遠距離射撃や砲撃魔法で撃たれ続ければ、こちらが負ける事は必定。
さらに、もしもフェイトが先程の罠をもっと研鑽していたのであれば──例えば、設置型バインドと一緒にサンダーレイジとかを使わ
れていたら、完璧にアウトだった。
そう考えると、こうして命を繋いだのは実に運が良いと言わざるを得ない。
(──つか、本番はここからなんだけどな…)
そんな事を考えながら、俺は正面に浮かぶフェイトへ目をやる。
黒い魔導師は、バルデッシュを構え、こちらへ厳しい視線を叩きつけてきた。
そのやる気を肌で感じながら、俺は「どうやって戦うか?」という点に思考を走らせる。
ただ「勝つ」という一点のみ考え行動すれば、出来ない事は無いと思う。
悪魔の技や魔法は非殺傷設定なんて存在しない。だから本気で殺す気の一撃をフェイトに当ててしまえば、それで終わりだ。無論、
んな事出来る訳無いが。
搦め手──煩悩即菩提(敵全体を一定の確率でCHARM、PANIC、SLEEPのいずれかの状態にするバットステータス攻撃)なら、無力化
も簡単に出来そうなんだが、悪魔ならぬ魔導師のレジストってどんなもんなんだろうか? 仮に効果があっても、はっきり「負け」を認
めてくれるだろうか? インチキとか言われないかな?
(正攻法で勝つしかないか…)
内心でそう結論づけると、そんな葛藤は表にも出さず、俺は彼女に向かって口を開く。
「いざ参られい、フェイト殿。汝の魔法と我が法力…どちらが上か術比べと参ろうではないか」
「──行きますっ!」
俺のからかうような口調に、フェイトはその場で急上昇。俺の頭上をとって、猛スピードの降下とともに振り下ろす、光刃を以って
答える!
その速度はまさしく迅雷。しかし──
「──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」
金剛鈴と数珠を消去し、印を組み真言(マントラ)を口にしたその瞬間、俺は疾風と化し前方へ向かって空を駆り、バルデッシュの
斬撃を躱す。
「なっ?」
後方より響く驚きの声を聞きながら、俺は姿勢を崩さずくるりと反転。再び距離をとってフェイトを視界に捉える。
「…それは、何?」
大鎌を脇に構え、こちらを窺うように低い声で言葉を投げかけるフェイト。
「はて? 不明瞭な問いよのう、フェイト殿」
それに対し、俺は顎に手を当て首を傾げながら、惚けた態度をとる。
「汝が尋ねているのは拙僧の姿の事かな? 座したまま中空へと浮かびたる異様かな? それとも──拙僧の背に居る大鳥の事かな?」
そう言いながら背後を振り返ると、青や緑の色鮮やかな羽毛に覆われた巨大な鳥──孔雀が俺を守るように翼を広げ、フェイトを睨み
つけながら威嚇していた。
「──これこそ我が修めし密教の秘術。仏法守護の一角を担う孔雀明王の御力を借り、飛行自在を可能とする呪法──汝たちのように
言えば、魔法じゃ」
「この世界独自の魔法……!?」
『孔雀王』でも御馴染みの密教魔術。
俺が使ったのはその『孔雀王』は勿論、『真1』でも登場したソーマ親父こと役小角が使った事でも有名な、飛行自在を可能とする
孔雀明王の真言だ。
前世であれば信仰心も無い以上、ただの歴史宗教系の無駄知識であったが、今のこの身は魔人大僧正。
自ら入滅を果たす狂気の荒行を修し即身仏と成った大僧正は、弘法大師空海の至った九識論の最奥である第九識、アマラ識に匹敵する
第八識──アラヤ識に到達していた。
しかも俺本体はジュエルシードを介してアマラ深界と繋がりを持っている。
『扉』を通じてアマラを流れる悪魔たち──諸仏諸神のマガツヒを吸い上げ、擬似的ながら仏神との合一を果たす事が可能なのだ。
「ッ! これなら!」
フェイトは自身の周囲に金色に輝く魔力スフィアを形成。その数およそ八つ、先程の倍近い。
「行けっ!」
フェイトの号令とともに、轟音を伴い俺へと放たれる魔弾の連続掃射。
「ほう」
視界を覆い尽くすような金色の弾幕。
思わず感嘆の声を漏らした俺を、退路ごと飲み込むかのように、魔弾の壁が迫る!
だが俺は慌てる事無く印を組み、落ち着き払った声で呪を紡ぐ。
「──オン・アサンマギニ・ウン・ハッタ」
そう真言を口にした刹那、俺を中心に黄金の炎が燃え上がり、防御壁となって迫り来る魔弾を悉く焼き潰し、その侵入を阻んだ。
「十八道、結護法が三。金剛炎」
これは場を清めて邪を払い、仏の勧請を行ってその場を守る防御網を敷き、供養を以って仏と精神的な繋がりを得るという、密教の
修行の為の土台作りを十八の印と真言に纏めて行う、十八道と呼ばれる修法の一つである。
金剛炎は、仏を守る結護法の一つ。邪を払う黄金の炎を顕現させるものだ。
無論、実際の修行で炎が出る事は無い。だが、魔人の力と俺のイメージがあれば、この身を守る明王の業火は現実(リアル)となる。
「プロテクション? 魔力の炎熱変換? あれは一体…!」
未知の魔法故に次手を読めず、フェイトは焦りと苛立ちでその整った顔を歪める。
「さて、今度はこちらから参らせていただこうか」
俺は金剛炎をキャンセルし、新たな印を組む。
「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤソバカ」
呪を唱えた俺の眼前に、両端の尖った金色棒状の密教法具──独鈷杵が、雷光とともに顕現した。
俺は右手でそれを掴み、フェイトを視界におさめながら大きく振りかぶる。
「死にたくなくば死ぬ気で躱せ。──帝釈天、雷帝杵!」
矛盾した台詞とともに投げ放った独鈷杵は、荒れ狂う稲妻を帯びてフェイトへ迫る!
四天王を統べる須弥山喜見城の主、帝釈天──ヒンドゥー教の雷神インドラの力を込めた一撃だ。その威力は彼女のサンダースマッ
シャーに匹敵する威力を持っている筈。
「──くっ!」
受け止めるか躱すかで一瞬思案したようであったが、結局俺の忠告を聞いて、フェイトはギリギリで攻撃を避ける。
紙一重で彼女に躱された独鈷杵は、雷の尾を引きながら地表へ激突。
轟、という爆音とともに、雷撃と暴風を周囲へ撒き散らす。
衝撃が過ぎ去った後には、巻き上がった土砂により生じた土煙の隙間より、直径十四、五メートルはあろうかという、独鈷杵が穿った
クレータが目に飛び込んできた。
(って、いくらなんでも威力高過ぎだろ!?)
俺は内心でその予想以上の攻撃力に舌を巻いた。
…危ねえ! あんなモン体に触れた瞬間にチリも残さずに吹っ飛ぶぞ!?
変身したてで魔力運用が上手くいかなくて、威力の調整が出来ない事もあるが…恐るべき『インドラの矢』だ。念を入れて躱すように
言ってよかった。
見ればフェイトも、俺の作ったクレーターを見て驚きの表情を浮かべている。
…これは示威行為として使えるか?
ならば──
「さてフェイト殿。このあたりで負けを認めてはどうかな?」
俺は降伏勧告をして、敗北を受け入れるように促がした。
「飛行、防御、攻撃…いずれにおいても汝の優位は崩れ去った。これ以上戦ったところで益はあるまい?」
先の約定通り、ここで負けてもフェイトはジュエルシードを失う事はない。
むしろ戦いを長引かせ、魔力体力を消耗する事の方がデメリットだ。賢い彼女ならばそれがわからない筈は──
「私は……負けられない。負ける訳には……いかない!」
『Photon lancer Full auto fire.』
「むっ!?」
が、彼女からの返答は魔弾の応酬。
俺は体を左へスライドさせ、フォトンランサーをやり過ごす。
フェイトの表情は険しく、俺の提案を受け入れる様子は欠片もみられなかった。
ああ…失敗か。と思ったその時──
(しくじったな主。母の命令とその彼女への想いがある以上、フェイト・テスタロッサがやすやすと降伏する筈がなかろう? いささか
計算が甘いと思うがな)
(ドやかましい! 口開いたと思ったら嫌味かテメエ!)
フェイトと睨み合う中、突如頭に響いたナインスターの溜息まじりの言葉に、俺は怒鳴り声で対応する。
(つーか、用が無えなら引っ込んでろ! フェイトは殺る気満々なんだよ!)
(それなのだがな主、フェイト・テスタロッサを敗北せしめる策があるのだがな…)
(あん? そりゃ一体──)
どんな策だよ? と続けようとした俺の意識へ、ナインスターは直接作戦概要のイメージを送りつけてきた。
(どうだ? これならば主の勝利は確実であろう?)
(あー、うーん、そうだなぁ…)
ジュエルシードの力か、はたまた魔人の能力によるものか。ナインスターの作戦を瞬時に理解した俺は、その同意を求める声に曖昧な
相槌を打つ。
(しかしなぁ…一歩間違うと死亡、重傷なんて事もあり得るだろう?)
(完璧な作戦など存在せぬ。そこは主の腕次第であろう)
(簡単に言ってくれるよ…)
他人事のように気楽に言い放つナインスターに、内心で大きな溜息を吐くものの、他に何か代案がある訳でもない以上、俺のとりうる
作戦はこれ以外に無かった。
(やるしかないか…)
意を決した俺は、改めてフェイトを見つめて口を開く。
「愚か也。いつまで勝利に執着するか……」
呆れ混じりの呟きを吐いた後に──
「汝、煩悩の火に焼かれよっ! 喝ぁぁぁぁぁっ!!」
俺の放った叫びは、魔力を帯びて雷鳴の如き大喝と化し、大気を震わせた。
その瞬間、俺は自分を除く周囲の時間が遅くなったかのような感覚を受ける。
──大僧正固有スキル、喝破。
一ターン中に四回の行動を可能とする、反則極まりない技だ。
さらに俺は魔力を練り上げつつ、心を奮い立たせんと言を放つ。
「我が三密は仏神の息吹! 巡る輪廻を解脱させ、金剛胎臓の中心へと至る。偉大なる、大日如来の御座へと!」
台詞とともに、俺の体から立ち昇ったマガツヒが三つの塊にわかれ、フェイトを取り囲む。
「ウーン! ベイ! ウン!」
仏尊を象徴する一音節の呪文──種子を紡ぐと、三つのマガツヒの塊は弓矢、三鈷杵、槍、斧などで武装をした恐ろしい鬼形の巨漢
へと形を変える。
「──これはっ!?」
驚くフェイトを見つめながら、俺は印を組む。
「では参るぞ。オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャバザラサトバ・ウン・ジャク──愛染明王、天光弓!」
フェイトの正面に立つ、恋愛成就の霊験を持つ愛染明王が、六腕を器用に動かし手にした弓矢を引き絞り、彼女へ向かって光の矢を
撃ち放つ!
放たれた光の矢は空中で幾度も分裂し、百を超える弾群と化してフェイトに襲いかかる。
「くっ! バルディッシュ!」
『Yes sir. Round Shield.』
彼女は咄嗟にラウンドシールドを展開。瞬時に防御力の高いこの魔法を選択したのは流石と言うべきか。
しかしこの場では愚策だ。何故ならそれは、天光弓の弾幕が止むまでその場に釘付けにされてしまう事を意味するからだ。
この好機を逃す事無く俺は新たな印を組み、呪を紡ぐ。
「ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤソワカ──毘沙門天、夜叉走牙!」
真言とともに、フェイトの後方に立つ皮の鎧を纏う鬼神──毘沙門天が、手にした三叉の金槍を振るうと、その周囲に人の頭でも簡単に
噛み砕きそうな、鋸の如き牙を持つ二〇近い鬼面の光弾が出現し、彼女を睨みつけて呻りを上げる。
毘沙門天が槍を突き出すのを号令に、その眷属である夜叉を模した鬼弾の群れは咆哮を上げ、フェイトへと殺到する!
「そんな! 魔法を同時に!?」
フェイトが驚愕し、大声を上げた。
デバイスも無しに魔法を同時展開する事に驚きを禁じ得ないのだろう。ミッド式の魔法しか知らないであろう彼女にとっては、
カルチャーショックに等しい筈だ。
「このままじゃ…!」
正面からの天光弓を受け止めているフェイトは、背後に迫る鬼弾の呻りを聞き、その顔に焦りの色を浮かべる。
だが──
「まだ心は折れておらぬようだな…」
その目の光は、未だ健在。
彼女は後方の鬼弾を横目で見据えたまま何やらタイミングを計り──
「っ! 今!」
『Blitz Action.』
鬼弾が己が身に触れる寸前、フェイトはラウンドシールドの維持を破棄。
その瞬間に間髪入れずブリッツアクションを発動し、天光弓と夜叉走牙の挟撃から、見事に離脱した。
上空へと逃れたフェイトを追い、鬼弾群は叫びを上げてその後に続く。
十分に距離を獲った所で彼女は停止。自身の周囲に魔弾を生み出し、後ろを振り返る。
「行け!」
再び迫る鬼弾の群れに向け、フェイトは号令をかけて誘導弾を撃ち降ろす!
解き放たれた魔弾群と鬼弾群が正面からぶつかり合い、爆音と閃光が夜気を震わせた。
その間隙を縫い、魔弾の攻撃を逃れた数発の鬼弾が牙を鳴らしてフェイトへ襲いかかる!
『Scythe form Setup.』
「ハアァァァッ!!」
しかし、それは彼女の予想の範疇であったようだ。
フェイトはバルディッシュを大鎌形態に移行して縦横に閃かせ、四方より迫った鬼弾を悉く斬り払って見せた。
鬼弾たちは断末魔とともに爆発して四散する。しかし──
「予想の範疇であるのはこちらも同様よ」
その瞬間には、俺は作戦の最終段階に入るべく行動を起こしていた。
「オン・アンミリテイ・ウン・パッタ──軍荼利明王、火焔蛇!」
残る人型、八腕三眼の仏尊、息災延命の霊験を持つ軍荼利明王が、上空のフェイトめがけて自身の首に巻きつく真紅の蛇を投げ放った。
紅蛇は空中でその身を巨大化させて、軽自動車でも飲み込めそうな程の体躯となり、全身に炎を纏う。
爆炎の隙間より姿を見せたフェイトを視界に捉えると、炎蛇は大きく口を開き、鞭のように体をしならせ、一気に飛びかかる!
「!?」
流石のフェイトもこのような攻撃は予想していなかったようで、炎蛇を前に大きく目を見開いた。
『Sealing form. Set up.』
しかし、この程度の奇襲でやられるようであるならば苦労は無い。彼女は驚きながらも掌中の得物を魔杖形態へ変え、その砲門を
炎蛇へと向ける。
「貫け轟雷!」
『Thunder smashe!』
轟音とともに撃ち放たれた雷砲が迫る炎蛇と衝突し、炎風雷音を撒き散らしてせめぎ合う!
「くうぅ……バルディッシュ!」
『Yes sir.』
一進一退を繰り返す魔法と呪術の衝突に、フェイトは一気に決着をつけようと、バルディッシュへ更なる魔力を注ぎ込み、威力を増した
サンダースマッシャーが火焔蛇を吹き飛ばした!
火焔蛇は叫びを上げて大気に四散し、消え去っていく。
「終わった…今度は私の番」
肩で息をしながら呟くフェイト。しかし──
──彼女は気が付かなかったのだろう。
──この展開が、先程のなのはとの戦いと同じ事に。
故に──
「否。これで詰みじゃ」
「え──」
突如背後に現れた俺に、再び顕現した金剛鈴の尖った柄を首に突きつけられた彼女は、呆けたような声を上げた。
「名付けて三方攻陣。異なる三つの魔術の競演、楽しんでいただけたかな?」
元は『孔雀王退魔聖伝』で天津神の一柱、オモイカネが使った密教呪術の連撃をモデルにしたものだが、思いの他上手くいった。
フェイトがこの三つの密教魔術に気をとられている内に、俺は孔雀明王経の飛翔で彼女に近付いていたのだ。
──そう、全てはこの一手の為の布石だったという訳だ。
…全く、力加減のコントロールがなかなか難しくて苦労した。
「では再び言わせていただこう、フェイト殿。敗北を認めよ」
俺は二度目となる降伏勧告を行う。まあ、完全に王手のこの状況ならば彼女も大人しく──
「まだ終わりじゃない!」
『Scythe form Setup.』
──してはくれず、大鎌を顕現して俺を斬り払おうと大きく振り上げる!
「致し方無し。──喝っ!」
俺は心中で溜息を吐いて、数珠を持つ左手を叫びとともにフェイトへ向かって突き出した。
その刹那、フェイトの体よりソフトボール大の赤い光が幾つも溢れ出し、螺旋を描いて俺の体に吸収されていく。
「──え?」
途端、素っ頓狂な声を上げてフェイトがその場で膝から崩れ落ちた。
『The sir's magic power output has decreased. Scythe form cannot be maintained!』(マスターの魔力出力が低下しています。サ
イズフォームを維持出来ません!)
バルディッシュのアラートとともに、光の鎌はその形状を保てず、霧散してしまった。
「そんな、なんで…」
何とか飛行魔法の維持を行いながら、フェイトは呆然と呟く。
──大僧正固有スキル、瞑想。
相手のHPとMPを吸い取り吸収するドレイン系の技だ。
この技の恐ろしいところは、万能属性である為に魔法反射、吸収、無効等のスキルを無視して行えるところだ。
相手は純粋な回避能力のみで躱すしかないのである。
「さて、四度目は無いぞフェイト殿。敗北を認めよ」
「………」
俺の声に、フェイトは力無く頷いた。
「フェイト!」
俺がフェイトを連れ立って地面に降りると、アルフが駆け寄り彼女にしがみついた。
「怪我は無いかい!? 痛いところは!? 変な事されなかったかい!?」
「だ、大丈夫だよアルフ。少し、疲れただけだから…」
人の傍で何気に失礼な事を言っている犬耳娘を横目で睨んでいると、俺の脇に遠慮がちに近付く人影が一つ。
「あ、あの…マタドールさん、なんだよね?」
そちらへ目をやれば、なのはが不安げな表情で、疑問符をつけた言葉を俺へ投げかけてきた。
彼女の肩に乗るユーノも、その言葉に同意をするように、うんうんと大きく頷く。
…ああ、そういう事か。まあ話し方も格好も違うからそう思うわなあ、普通。
「いかにも。この身は魔人マタドールと同じ存在じゃ。しかしこの姿の時は大僧正と、そう呼んでほしいのう」
「あ、うん。わかったの、大僧正さん」
「改めてよろしく、大僧正」
なのははどこかほっとした様子でそう言った。
「うむ。さてなのは、ユーノよ。此度の戦は拙僧の勝利。故に約定通り、フェイト殿には我らの問いに答えて貰わねばなるまい」
よろしいかな? と、二人の方へ目をやると、アルフは今にも飛びかかって来そうな程、視線に殺意を滲ませているが、フェイトは
弱々しく肯定の頷きを返す。
「ではまず一つ。汝らは今回なのはから奪った物を含め、幾つのジュエルシードを手に入れている?」
「…五つ、です」
フェイトの答えになのはとユーノは「そんなに…」と驚きの呟きを漏らす。
これには俺も驚いた。原作ではこの時点でフェイトは三つしか確保出来ていない筈だ。
二人の驚きようから見て、(俺のものを含めない)こちらのジュエルシードの数は、完全に下回っていると考えるべきだろう。
「質問を続けよう。ジュエルシードを集めてどうするつもりかな? これは願いを叶えるとは名ばかりの欠陥品。汝は魔導師としては
一流だが、御す事など出来まい? 何が目的じゃ?」
「…貴方は、制御しているようだけど…?」
フェイトが上目遣いに俺を窺い見る。
「質問をしているのは拙僧じゃ。答えよ」
俺の事を探るつもりなのだろうが、そうはいかない。プレシアに余計な情報をやるつもりは無いのだ。
(手遅れではないか主?)
アーアー聞こえない。
「…………」
フェイトは俯き、口を閉じた。まあ、この時点でプレシアの目的を知る筈ないだろうし、答えようがないが。
「ふむ、黙秘か…ならば質問を変えよう。ジュエルシードの回収、誰に命じられたのだ?」
「っ!? ……何の事?」
やっぱり根が素直なんだろうなこの娘。思いっきり動揺が顔と体に出ていた。
「惚ける気かな? 優れた魔導師とは言え、何故汝のような年端もいかぬ童女が使い魔のみを引き連れ、世界を越えてまで、ジュエル
シードを求める? 汝一人で行うには無理があろう。誰に命じられたのだ?」
俺は息がかかりそうな程顔を近づけて、フェイトの双眸を覗き込む。
彼女の瞳の中で、木乃伊がガチガチと顎の骨を打ち鳴らしているのが見えた。
「…………」
再び押し黙るフェイト。
「また黙秘か…まあよかろう。もう行っても構わぬぞ」
「──え?」
顔を上げ、フェイトは今日何度目になるかわからない驚きの表情を浮かべた。
「え、ええ!? ちょっと本気なのマタ──大僧正!」
ユーノが大声を上げるが、俺は鷹揚に頷いて肯定の意を示す。
「いかにも。約定は守らねばな」
「でも──」
《ユーノ、後で説明する》
「うう…わかったよ…」
なおも俺の行動に反対しようとするユーノを念話で説得し、この場は黙っていてもらう。
恨めしげに視線を送ってくるフェレットに気がつかない振りをしながら、俺はフェイトたちへと目をやる。
「さ、早く帰るがいい」
「…本当だろうね? 後ろを向いたとこでザクッとやる気なんじゃないかい?」
疑わしげにこちらを見るアルフを、俺は鼻で笑って口を開く。
「その気があるのならば、こんな回りくどい方法なんぞとらぬわ。勝った時点で汝ら二人を締め上げておる」
「…一応信じておくよ。フェイト、立てるかい?」
「ごめんアルフ、ちょっと駄目かも…」
疲労困憊といった様子のフェイトの小さな体を、アルフは自分の背に乗せて立ち上がる。
「かなりの魔力と体力を奪った故な、一日は大人しくしておる事じゃな」
「クッ! ぬけぬけと…覚えておきな!」
俺の言葉に、アルフは数秒程憎しみを込めた視線を送った後、背を向け歩き出す。
「──待って!」
その時、なのはが飛び出して二人の背中に声をかける。
「名前…貴方の名前は?」
「前にそこの彼に、名乗った…」
フェイトは気だるそうに首を動かして、俺へと目を向けてなのはに示す。
が、彼女のその答えに、なのはは大きく首を振る。
「貴方の口から教えて欲しいの!」
フェイトは視線をなのはに向け、暫し逡巡した後ゆっくりと口を開いた。
「…フェイト。フェイト・テスタロッサ」
「あの、私は──」
なのはが名乗り返そうとするが、それを待つ事無く、二人は闇夜に飛び去って行った。
「行ったか…」
「行ったか、じゃないよ大僧正! 何であの娘からジュエルシードを取り返さなかったのさ!」
二人の飛び去った方向を見つめながらそう呟くと、ユーノが憤然とした様子で俺に食ってかかって来た。
「まあ落ち着くがよいユーノ。この場で無理に奪い返そうとすれば、あの娘はそれこそ死ぬ気で抵抗するぞ。そうなればこちらも
むこうも、無傷では済むまい」
フェイトにとって、母の言葉は絶対だ。それを守る為ならば、非殺傷設定の解除だってやりかねないだろう。
「う…それは、そうかもしれないけど…」
俺の言葉を肯定しつつも、納得出来なさそうな様子のユーノ。
「それに、いくつか情報を引き出すことは出来たのだ。無駄足ではないぞ?」
「へ? 情報って?」
ユーノが首を傾げる。
「一つ、既に五つものジュエルシードを集めている事だが、ユーノは発掘から関わっているのだから当然としても、第三者である彼女ら
が何時、ジュエルシードの封印方法や探知方法、形状や輸送経路、墜落地点を調べ、回収行動へと移ったのだ? 一日二日で出来る事
ではあるまい? おそらくは前々からかなり入念な計画を立てていたのであろうな。
二つ、フェイト殿自身はジュエルシードを求めていない。力や能力に惹かれて求めていたにしては、執着の仕方がおかしい。邪心が
感じられん。あれは何者かに命じられ、その者の為に動いているとしか思えぬ。
三つ、そのフェイト殿にジュエルシードの回収を命じた者──それはおそらく、身内、もしくはかなり親しい者であろうな。先程の
質問でも、それは明らかじゃな。その者を庇おうとしていた態度が容易に見て取れたわ」
指折り説明を行っているうちに、ユーノは目を丸くして驚きの表情を浮かべる。
「って、あれだけの会話でそんな事までわかったの!?」
「何、簡単な推測じゃよ」
殆どカンペを使ったようなものだが。
「フェイト殿の背後で動く者、その存在がある以上彼女らを拘束しても事は終わらぬ。ここはある程度泳がせ、裏で糸を引く者が誰か、
どの程度の力を持っているのかを確かめる必要があろう」
「…うん、そうだね」
ユーノは俺の話しを聞いて真剣な表情で頷いた。どうやら納得してくれたようだ。
「うむ。それでは元の姿に戻るか──なのは!」
「ふえっ!? あ、令示君…」
俺が変身を解除し、フェイトたちの飛び去った方向を見つめたままのなのはへ声をかけると、我に返り、こちらへ駆け寄って来た。
「さ、宿に戻ろう。すずかかアリサが起きたら、俺らが居ない事で騒ぎになるかもしれないしな」
「うん」
「じゃ、急ご──」
頷くなのはを先導しようと足を出したその時、俺は強い立ち眩みに襲われて、その場にペタリと尻餅をついてしまった。
「あ、あれ?」
酒に酔ったみたいにフラフラと定まらない視界に、俺は首を傾げる。一体どうしたんだ?
「令示君、大丈夫?」
なのはが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ああ、大丈夫だよ…少し疲れただけだ──」
『それは素人判断による希望的観測だな主』
俺の言葉をナインスターが遮った。
「素人判断って…どういう事? ナインスターさん」
なのはの声に、何か硬いものが混じった。
『主は先程の戦いでマタドールであった時の負傷や、大僧正への変身やその後の呪術の乱発で、魔力と精神力を大きく減じているのだ。
瞑想で幾分かは回復したとは言え、元々戦闘で消耗していたフェイト・テスタロッサからの吸収の上に、主の総魔力容量は半端では
ない。あの程度では腹の足しにもならぬ。──つまり、かの者と同様、疲労困憊の状態に近い』
「大変だ、早く宿に戻って令示を休ませないと!」
「うん! 令示君、お部屋まで飛ぶから私に掴まって!」
ナインスターの言葉に慌て出すユーノとなのは。
「そんな大袈裟だよ、窓から入ってみんなに魔法がバレたら拙いし、歩けない程じゃないから大丈夫だ──」
「ダメッ!!」
二人を安心させようと軽く笑いながら出した言葉を、なのはが激しい否定の声でかき消した。
「今の令示君の命は、ジュエルシードで保っているんでしょう? もし今、これ以上何か力を使う事があったら……死んじゃうかも、
しれないんだよ?」
なのはが俺の目をじっと見つめて言葉を紡ぐ。
「私が、令示くんを死なせちゃうところだった私がこんな事言うのはおかしいけど、けれどももし、令示君に何かあったら綾乃さんが、
凄く悲しむよ? だから、無理しないで…」
「は、はい…」
──結局、今にも泣いてしまいそうな顔で、心配を訴える小さな女の子の願いを袖に出来る筈も無く、俺はなのはの腰にしがみつく
という、前世を含めて三本の指に入る程みっともない格好で宿へと戻る破目となった。
…『涙は女の武器』という小泉元首相の言葉を、俺は骨身に染みて体感したのだった。
第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 後編 END
後書き
どうも、吉野です。前回の後書きに反し、更新遅れてごめんなさい。思った以上に仏教関連の知識の読解に時間が
かかってしまいました。一応わかりやすく解説をつけたつもりではあるのですが、大丈夫でしょうか?
あとで難解な箇所があったら修正します。
さて、今回ようやく大僧正登場となりました。ちなみに変身の際の呪文は『平家物語』の冒頭文を使いました。全てはいずれ滅び、
あらゆる力は虚しいものというこの文は、大僧正のイメージにピッタリだと思ったもので。
そして今回の中二的台詞は……『ゼノギアス』のグラーフでした。わかりましたか?
ところで、気がついたらPVが十三万、感想が二百を越えていましたね…ありがたい事です。これからも頑張ります。
ではまた、次回の更新でお会いしましょう。