『―――それじゃ、またね、フェイトちゃん』
そう締めくくられて再生を終えたDVDを、フェイトは自身に割り当てられた部屋に設置されたテレビから取り出した。
嬉しさで綻ぶその顔は地球にいた頃よりも血色が良くなっており、健康的な生活をおくれているのが見て取れる。
フェイトがDVDをケースに仕舞っていると、部屋のドアがノックされた。
《フェイト、僕》
《ユーノ。いいよ、入って》
念話で確認をとった後、ユーノが扉を開いて部屋に入る。
実はここ、時空管理局本局に来た当初はお互いにこのようなやり取りはしてなかった。
合図も無しに部屋に入って「やぁ」といった感じだったのだ。
ユーノはなのはの家にいた頃の癖が抜けておらず、またフェイトも全く気にしていなかったためなのだが、それを見たアルフとクロノに苦言を言われたのだった。
ちなみにこの時空管理局本局というものは、さながら宇宙空間に漂う宇宙ステーションのような外観で、とある次元空間にそのままの状態で存在している建物だ。
ユーノはフェイトの手に持っている物を見て何をしていたのかを察する。
「早速見てたんだ」
「うん、ユーノも見終わったとこ?」
「ううん、僕はまだ」
ユーノは適当に置かれた椅子に、フェイトはベッドに腰掛けた。
「そうなんだ」
「うん、どうだった?」
「アリサと、すずかのこととか、家族とのこととか。あと、応援してるって、早く会えるといいねって」
満足そうに頷くユーノは、なんともなしに部屋の壁にあるカレンダーへと目線を向けながらぐちる。
「クロノ達も、本当に頑張って動いてくれてるけど。
でもどうにも裁判ってのは時間がかかるものだからね」
「仕方ないよ、あれだけのことをしたんだから。
クロノ達には本当に感謝してる。本来の仕事を外れてまで、私のために」
「うん。でも、やっぱり執務官って凄いみたいだ。
クロノ執務官が味方してくれてるってだけで、随分とスムーズに話が進んでいるのが分かるよ。直接事件を解決した人ってのも大きいんだろうけど。
それに、もう一人、味方をしてくれる提督さんも現れたしね」
ユーノの言うその人物に、フェイトも心当たりがあった。リンディ提督に案内されて会いに来てくれたこともある。
「ギル・グレアムさん?」
「うん」
「昔お母さんにお世話になったからって、あんなことになってしまって申し訳ないって。
それで、本当の娘じゃない私にここまでしてくれて。
本当に、私は優しい人達に恵まれてる」
フェイトの言葉にユーノは頷きで同意すると、わずかな沈黙を小休止にして次いであることを確認する。
「それで、あの子については」
フェイトは首をふって答えた。
「さつきについては、何も」
「そう……多分、まだ進展がないんだよ。
なのは、弱音を吐くのが苦手だから」
「そうなんだ。
……私は、なのはのこと何もしらないから」
フェイトの言葉に、ユーノははっとする。
フェイトとなのはは両者共に認める友人だ。
しかし彼らが直接触れ合った時間は1ヶ月の間に幾度かのみ、更にその殆どがジュエルシードを巡る戦いの中でだった。
相手のことを知っているという点なら、まだ一緒に過ごしたこともあるさつきの方が勝っているだろう。
若干の影を落として自嘲気味に吐き出されたそれに、ユーノは思わず難しい顔を作った。
しかし頭の回転のいい彼のこと、すぐに表情を和らげてフェイトに語りかける。
「なるほど、フェイトは僕がなのはのことをとてもよく知ってると感じているわけだ」
それにフェイトはキョトンとした。
「違うの?」
「だったら、フェイトの悩みは大したことないよ。
早く裁判を終わらせちゃって、一ヶ月もすればそれで解決さ。
何しろ僕の、なのはと出会ってから一緒にいた期間はまだそれだけしかないんだから」
「えっ、そうなの。
なら、あの頃って使い魔になりたてだったんだ」
ずっと続いていた誤解が露見した瞬間だった。
それから暫くして、なのはの元へフェイトからの返事のビデオレターが届いた。
なのははリビングで見終わったそれを自分の部屋の棚に仕舞う。
あの温泉宿の時のことをアリサが覚えていて、それで少し厄介なことになっているなんてことを流石に黙っているわけにはいかないので、フェイト達にもそれはしっかりと伝えてあった。
そのためなのはが事態の解決を伝えるまではフェイト達からはなのはにしかビデオレターは来ない。
それを伝えた時は随分と心配されたし、そのことを忘れていたことをとても謝られたが完全にお互い様だった。
今回のビデオレターの内容は、前回なのはが伝えた諸々への返事。
それと、どうやら裁判の方は思っていた以上にスムーズに進んでおり、仮釈放も予想より早くなるかも知れないらしい。
はやてのことに対してノータッチだったのは少し悲しかったが、まあそんなものだろう。
さつきのことに関しては、なのははなんの報告もしていない。
まだこれといった進展がないというのも確かな理由ではあるのだが、なのははフェイト達へその話題を出すのに何故か後ろめたさのようなものを感じるのだ。
フェイト達からのビデオレターの中でさつきの話が出てこなかったことにほっとする自分も、本人は無自覚だがなのはの中に確かにいた。
「………」
なのはは体の芯に何かジリジリとした焦りのようなものがあるのを感じていた。
このままではいけない、と漠然と思いながらも、ならどうすればいいのか、何をすればいいのかが浮かんでこない。
手がかりは、とても身近に、ある。でも何かがなのはを一歩踏み出させてくれない。
折角掴んだ手がかりなのだから、慎重に、誤魔化されたりしないようにと、そうやって自分を誤魔化して、その日もなのはの胸の内は燻り続けるばかりだ。
そうしているうちに訪れた、ある日の晩のこと。
家族揃っての食事の最中に、それは起こった。
「ねぇなのは、あなたと同い年の子で、弓塚さつきって子知ってる?」
「うぅえ!?」
桃子からの問いかけに、なのはの体が座ったまま跳び上がった。
珍妙な叫び声をあげながらの予想外の反応に、桃子のみならず全員が目を丸くする。
なのはの頭の中を一瞬にして様々な思考が駆け巡り、咄嗟に出てきた言葉が、
「あ、会いに来てくれたの!?」
「あら、知ってる子だったの」
「さつきちゃんがどうかしたのかい?」
その反応に驚いて、思わずなのはに向けられた桃子と士郎の言葉に、なのはは焦りながらも齟齬や違和感を感じ取った。
なのははひとまず気持ちを落ち着けるように努め、そして問い返す。
「えーっと、さつきちゃんがどうかしたの?」
直前に士郎の発した問いをそのまま返す形になってしまったが、今のなのははそこまで思考が回ってたらいない。
桃子と士郎は困惑しながらも顔を見合わせると、ひとまず話を先に進める。
「さつきちゃんね、休日の日によくうちのお店に来てくれる子なんだけれど」
とはいえなのはの様子からさつきと自分達の関係が気になっているのは察することができるのでまずはそこから入っていくと、なのはは目を大きく見開いた。
「ええっ!? 私お店で会ったことないよ!」
「ああ、それはさつきちゃん、来る時間いつも遅いから」
なのはの疑問に士郎が答える。
当然のごとくなのはは翠屋をそれなりの頻度で訪れるが、なのはが翠屋に顔を出すのは大抵昼頃。
対してさつきが訪れるのは桃子の仕事が落ち着く頃を見計らっての昼を大きく外した時間帯だ。
このことから、今まで二人が翠屋で出会うことはなかった。
「え、それって、前から来てたの?」
「そうだね、始めて来てくれたのは3ヶ月くらい前のことかな。
それからは時々来てくれてるね」
「そ、それって2ヶ月前から1ヶ月前くらいの間にも来てたの!?」
「ん、ああ来てたよ」
「……そうなんだ」
焦った様子から急に勢いを落とし、気落ちした様子のなのはに2人は不安になるが、落ち着きを見せたなのはは話の腰を折ってしまったことを謝罪し、桃子に話の続きを促した。
「ごめんなさいお母さん、それで、さつきちゃんがどうしたの?」
本当なら、桃子はなのはがさつきを知っていたら、彼女の抱える悩みごとか何かについて心当たりがないかと聞くつもりだった。住んでる地域が近く、また同い年であれば知っている可能性は十分ある筈である。
昼間のことを気にかけ、また来てくれた時に何か力になれないかという考えからだった。
だがしかし、なのはがさつきのことを知っているようなのはよかったのだが、まさかのなのはの方が取り乱すという予想外の事態。
桃子はなのはの様子を見て、なのはが話したい範囲で話せるように自分の要求をソフトに伝えることにする。
「ええっと、だから、よく来てくれる娘だから、もしなのはの知ってる娘だったらどんな娘なのか教えてもらおうかなーって思ったんだけど」
桃子の言葉に、なのはの顔が歪んだ。
食事が終わり、暫く経ったころ。高町家の廊下を歩いていた恭也が眉を潜めて立ち止まった。
「……ん、」
そこはなのはの部屋の前。閉じられた扉の向こうから、なのはの気配が感じられない。
リビングでも見かけなかったし風呂にも入っていないはずなので本来なら部屋にいる筈である。
恭也はなのはの部屋に向き直り、コンコンと扉をノックした。
「なのは?」
数瞬待っても返事は無かった。
「なのは、開けるぞ」
カチャリ、と恭也が扉を開くと案の定、そこにはもぬけの空のなのはの部屋。
恭也が思い浮かべるのは、先ほどのリビングでの出来事。念のため先ほどは居ない筈と判断した場所も含め家の敷地内の気配を探るが、やはりというかなのはの気配はなかった。
なのはが夜中に家を抜け出すのはこれが初めてではない。
別に常習犯というわけではないのだが、つい4ヶ月程前もなのはが夜中に家を抜け出したことが何度かあった。
あの頃のなのははあのリンディさんという人がらみのことで何かをやっていたらしいが、それはもう終わったはずだ。となると、原因はやはり先ほど話題に上がっていた弓塚さつきという少女のことだろう。
あの頃は恭也達も家で帰りを待っていたり、見守ったりしていた。暫くして、それなりに危険なことに首を突っ込んでいるとなのはから告白された時も、なのはの強い意志を見て背中を押した。
だが今はまずいのだ。元々前からあった夜の一族がらみの案件だったのだが、それがここ2ヶ月で随分と血なまぐさいことになっている。
2ヶ月前は首筋に傷を負った街中での大量の貧血患者の発生、そして1ヶ月前は血だまりのできた破壊痕。
類似した貧血被害は前からあったのかも知れないが、たかが貧血ならと病院へ行かず休んで治してしまう日本人の気質もある上に、数ある病院患者の中からそんないるかもしれないだけの人物の情報を得るなど実質不可能なのでそれは調べようのないことだ。
しかし逆に言えば、事件性を疑われるレベルでの被害はそれまでは無かったということなわけで、更に後者にいたっては論ずるまでもない。
しかも、そのどれもが夜中に起こっている。
「あら、なのはまたどっか行っちゃったんだ」
ひょっこりと現れた美由希が、恭也の後ろから部屋を覗いてぼやいた。
恭也はそれに振り返ることもなく言葉を返す。
「ああ、だが今は時期がまずい。実は今かなり物騒なことになっててな」
「……」
物騒って、何がどう物騒なのか。続く言葉を待つ美由希だったが、恭也からそれ以上の情報は出てこなかった。
美由希からの反応がないことから恭也がそちらへ顔を向けると、続きは? と目で催促している美由希とバッチリ目が合う。
美由希が何を求めているかを察した恭也は口を開こうとして……そのまま気まずげな表情で固まってしまった。
しばらくそのままにらめっこになった後、美由希は呆れたような顔で溜息を吐く。
「あー、うん、分かった。詳しくは聞かないから、なのはを探せばいいのね」
不満げな様子ながらも引いてくれた美由希に、恭也はなんとも情けない気持ちになりガックリと肩を落とす。
「すまない、助かる。美由希は翠屋の方を探してくれ。俺は街の方へ行く」
「はいはい、了解ー」
主に事件が起こっている方面の捜索を引き受けて、なのはの行動の原因であると思われる会話に出てきた翠屋の方面を美由奇に任せると、次の瞬間には恭也の姿はその場から消えていた。
翠屋の前で、なのはは立ち尽くしていた。
今ここに来たところで会えるわけがないと分かっているのに、こんなこと何の意味もないと理解しているのに、それでも気持ちを抑えられなかった。
「…………」
あてもなく、翠屋の看板を見上げる。
さつきは、ずっとこの近くにいた。
なのになのはの魔法では、それを見つけることはできなかった。
探索の魔法に関しては、力不足を感じざるを得ない。
でも、と、翠屋の前でネックレスの先端のレイジングハートを手の中に握りしめ、なのはは目を閉じる。
集中し、生み出すのは複数のサーチャー。使用するのはそれを使った探索の魔法。
結局、逸る心を押し込めるには、これしかないのだった。
周囲へサーチャーを飛ばしながら、なのはの頭に桃子の言葉が蘇る。
――「どんな娘なのか教えてもらおうかなーって」
(やさしい娘で、自分の望みを捨てても、フェイトちゃんを助けてくれて、それで……)
なのはの脳裏に、さつきの姿が浮かび上がってくる。
栗色の髪を2つ垂らした、明るい笑顔を浮かべた同い年くらいの女の子。
その影が、口を開いた。
『わたしは、人の命を奪わなければ生きていけない化け物』
(―――っ)
寂しそうな眼で、明るい笑顔は空虚で、そしてこんな体になんてなりたくなかったと叫んだ少女。
さつきは、一体どんな娘なのか。
(そんなの、私の方が――っ!?)
瞬間、なのはの胸の奥から言い知れぬ悪寒がせりあがってきて、彼女は思考を放棄した。
なのはの自覚のない、否、自覚しないようにしているその悪寒の正体は、恐怖心という。
そして思考を打ち切り、魔法の使用にのみ意識を向けたなのはの耳を、聞き慣れた声が叩いた。
「なのは」
と同時に、肩に手が置かれる。
「!?」
驚き、振り返った先には、若干呆れたような、ふてくされたような空気を醸し出す美由希の姿。
なのはは思わず魔法を止めた。
「お姉ちゃん」
「何してるのよこんなとこで。ほら、帰るわよ。
なんか悩み事あるんならよければお姉ちゃんが聞いてあげるから」
「え、あ、うん……」
そのまま怒るでも叱るでも理由を尋ねるでもなくただ帰宅を促して肩を押す美由希に、なのはは呆気にとられる。
いやそもそも、何で彼女がこんなところにいるのか。ゆるゆると歩を進め始めたなのはは、恐る恐る美由希に尋ねた。
「あの、お姉ちゃん。もしかして、私を探して……?」
「もしかしなくてもそうに決まってるじゃない。まぁ、お兄ちゃんにお願いされてね。最近物騒だから探すの手伝ってくれって。
ひどいよね、理由全然説明してくれないんだよ。全く、私ももう一人前だってのに」
携帯を取り出してボタンを押しながらそれに答える美由希は、何かに対して思いっきりふてくされていた。予想とはかなり違った反応を返されたなのはは戸惑いながらもとりあえず謝っておく。
「えっと、ごめんなさい……」
「いいのよ、なのはが夜に出てくのはこれが初めてじゃないし。あ、もしもし」
確かに以前、ユーノを助けに行った時に家を抜け出した時はバレていたが、この言い方と今日の対応の速さからいってまさか、
(もしかして、今まで抜け出した時全部バレてたの!?)
なのはが衝撃を受けている一方、美由希は電話先の相手と通話を始めた。どうやら相手は恭也のようだ。
「うん、こっちにいたよ。え? ……え?
……あーもーそーですか。分かりましたごゆっくり!」
そして何故か更に機嫌が悪くなって通話を切った。
その後おもむろに隣を歩くなのはの手を握る。
「さぁなのは、あんなのほっといてお家帰ろうか」
「え、う、うん」
なのはは素直に頷いた。
携帯を畳んだ恭也は、走りながらそれをポケットに仕舞った。
恭也の走る先には、これまたどこかへと向かって駆ける一人の女性。その女性は夜とはいえちらほらと存在する人という障害物を全く意に介さずにすいすいと避けて進んでいく。
美由希からのなのは発見の報告とほぼ同時に見つけたその人物、目を引いたのは、彼女が走っていたからではない。
彼女の纏う空気が、常に自身から一定の範囲の気配を掴み警戒しているのを知らせてくれた。彼女の走り方から、相当な使い手であると否応なく感づかされた。
そして、一度意識すればその女性の纏う空気が、戦いに赴くモノのそれであるが故のものであると理解した。
これでその女性の背丈髪の色長さが、ファリンから聞いていた「吸血鬼について聞き込みをしていた人物」と合致すれば、もう追わない理由などありはしなかった。
とは言え相手はあのファリンの追跡にも気付いた人物である可能性が高い。だが、故に恭也は不適な笑みを浮かべた。
俺を舐めるなよと、誰に言うでもなく心の中で言葉を紡ぎ、恭也はその女性の追跡を続ける。決して気配を相手に気取られないように。
それは彼の、『永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術の師範代』としての腕を最大限に発揮してのものだった。
やがて女性は大通りから外れて路地へ入る。ビルに隠れて女性の姿が見えなくなった。
路地は短い間隔で横道があったりする。見失う危険性が高まるため、恭也は脚を早めてその曲がり角まで急ぐ。
気配とは、主に不自然な音や呼吸や臭い、大気の動きや体温などのことだ。他にも色々あるが、目に頼らないものでさえもこれだけある。
故に恭也はそれらがビルの壁の向こう側まで届かないように、その通りに入る直前で一旦減速し、単なる歩行者のように歩きながらさも自然な様子でその路地を覗った。
そして、思わずピタリと立ち止まり、方向を変えて路地へと入っていく。
(くそっ)
口に出して毒づくようなヘマはしない。
何が起こったのかといえば、言葉にすれば単純なこと。女性が入っていった筈の路地に、誰の姿も存在しなかったのである。
既に他の脇道に入ってしまったのか、それとも、
(あれで感づかれていたのなら……一体どこまで……)
脇道に入られただけなら、すぐにでもそれを確認すれば見つけることは出来るだろう。しかし、走りもしない。
いきなり走り出すとその恭也の行動を見た周囲の人間がざわめき、それが気配となることもあるが故に路地に入るまでは自然な動作でいなければならない。
そして一旦路地に入ってしまえば、大通りならまだしも人気のない路地では僅かな物音も命取りである。
実際には、恭也の追っていた女性――シグナムは恭也の尾行に気付いてはいなかった。
彼女はシャマルの張った結界の中に入ったにすぎず、時空間軸のずれた場所へ入ったため恭也からは消えたように見たのだ。
だがそのようなことが恭也に分かるはずもなく、先ほど追跡していた時より一層気配を消し、周囲を警戒しながら路地を進む。
ある程度進んで何のアクションもないのを見ると徐々に捜索するスピードを上げ、ついには殆ど音もなく走り路地を探し回ったが女性の姿はおろか誰かのいる気配すら掴めなかった。
やがて一旦大通りへ出て周囲を見渡し、人通りの少ない路地を抜けて反対側の大通りも見渡し、路地に戻ってもなんの成果もなく、既に最初に路地に入ってから暫くの時間が経過してしまっているのを見て、恭也は肩を落とした。
「撒かれた、か」
折角の手がかり、それもかなり重大であろうものを逃したことに落胆を禁じ得ない。
さて家に帰ろう、そう言えばなにやら美由希の機嫌が悪かったような気がするなと思いを馳せ――
――と、その時、ずっと人気のなかった筈の路地のどこからか、音が聞こえた。
「!!」
ただの音ではない、明らかに人の気配の音だった。
恭也は急いでその音の聞こえた地点へ急行する。最早必要以上に気配を消すこともしない。
先ほどまで何の気配もしなかった路地から、これほど離れた場所まで聞こえるほどの音が聞こえるということは、それだけのことが起こっているということなのだから。
やがて目的地付近へ近づくと、「ここら辺か」と恭也はあたりを見回して……いた。
それは、小さな人影だった。大通りにある灯りの殆ど届いていない路地、ゆっくりと恭也の方へと歩いてくるその人影の姿が、段々と判明する。
まるで子供のような……否、それは実際に子供だった。恭也の妹であるなのはと同じくらいの、女の子だった。
「――!?」
その姿に、恭也は思わず息を呑んだ。
正に満身創痍といった様子で、その動きには力がない。目は虚ろで、しかし何かから逃げるかのように歩を進めている。
着ている服もズタボロで、本人も服にも汚れが酷い。頭から先まで砂利まみれでゴワゴワのカピカピ、服にも染み付いているようで、泥水に突っ込んだ後乾くまで放っておいたらこんな感じになるだろうかと言ったレベルだ。
この現代日本で、一体どうすればそのような姿になれるのか、恭也には予想もつかなかった。イジメだとか暴行だとかそんなレベルでは断じてなかった。
そして一番の問題は、服の胸元に大きく穴が開いており、その周囲から下に向かって何かが垂れたかのように赤黒く変色しており、下に履いているスカートの前にも同様の痕があって、そしてその胸元の穴の向こうも赤黒い色で覆われていることだ。
見た目だけなら既に致命傷、むしろ今動けていることが不思議なくらいだ。
恭也は思わず駆け寄ろうとする。早く抱えてあげて、それから病院へつれて行かねばと。
しかし駆け出したところで、恭也の脚は止まってしまった。
焦点の合っていなかった少女の目が、恭也を捕らえていた。紅い紅い、綺麗な目だった。
恭也の脚を止めたのは、少女からあふれ出る威圧感だった。少女の目が恭也の姿を捉えた途端に、恭也の体を悪寒が突き抜けた。
それは殺気、いや、これはもっと原始的な――!!
「っ!」
恭也は両手にそれぞれ、計二振りの刀を握り締める。どこに持っていたのか、どこからともなく取り出したそれらはどちらも小太刀。
木刀や模造刀の類ではなく、マジもんの刀である。
次の瞬間、少女が駆けた。
そのスピードは先ほどまでの力のない動きからは想像もつかないほど。
手を槍のように突き出して、一般人なら反応する間もなく懐まで入られていたかも知れない程の速さで恭也へと突撃する。
その手に込められた威力は、少女自身のスピードを見てもとてもじゃないが当たれば痛いですまされそうにない。
少女が恭也に届く直前、恭也も、動いた。前へ。瞬間、峰打ち、二閃。
少女がどさりと倒れる。体を突き動かしていた危機感は霧散し、恭也はハッとして気を失ったらしい少女へと駆け寄った。
うつぶせに倒れた少女の背中を見て、再度目を見開く。
少女の胸元にあった穴の丁度反対側の位置も、同じように服が破け周囲が血で濡れていた。
胸に大きな傷を負っていると思ったが、これではどう見ても胸元を貫通して穴が出来ているようにしか見えない。
恭也は真っ青になりながらもその砂利まみれの体を抱き上げ、そして眉を潜めた。
抱き上げるために少女の体に触れたところ、どうも胸元に空洞があるようには感じられなかったのだ。
それにしても胸元と背中両方に怪我を負っているだけかも知れないが、それでもこれだけの血の量、相当な怪我になっている筈だ。
それなのに恭也の腕に返ってきた感触は、しっかりした肉のそれ。
抱き上げた少女の胸元に開いた服の穴に手を入れると、その先にあるのはパリパリに乾いた血液と、その下にあるしっかりした肌と肉の感触。
恭也は困惑する。
この少女が怪我をしている訳ではないとすれば、それでは一体この血は誰の血なのか。
どう見ても少女が怪我をしたようにしか見えないこの服の汚れ方はなんなのか。
ここにたどり着くまでの経緯、少女のこの姿、先ほどの尋常ではない様子から、当然のことながら恭也はこれがただ事ではないと考える。
ただ事ではないどころか、恐らくは日常に隠れた裏の世界の出来事、それも今自分達が調べていることに関係している可能性がとても高いと。
胸の傷の心配はなくなったにしろ、見るからに酷いこの少女の姿、自分が気絶させたとはいえ、それにしても力の抜けている身体。
行く先は、一つしかなかった。恭也は少女を抱え、大通りへ出るわけにもいかないため裏通りを進みつつ携帯を手に取り、電話をかける。
「ああ、ノエル、恭也だ。夜分遅くにすまない」
あとがき
やっと出てきたよさっちん! やっとさっちんメインで話進めれるよ!
なのはのサーチャーが役立たずな理由は、あんだけ探索魔法ぶっ放しておいてヴォルケンズから何も補足されてないってことから察してください。